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たかしもとてら

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きゅうたかし元寺もとてら石門せきもんだい一門いちもん

たかしもとてら(そうげんじ、琉球りゅうきゅう:スーギージ)は、沖縄おきなわけん那覇なははくにあった臨済宗りんざいしゅう仏教ぶっきょう寺院じいん山号さんごうれい徳山とくやま琉球りゅうきゅう王国おうこくくにびょうとされ、歴代れきだい琉球りゅうきゅう国王こくおう神霊しんれいまつっていた。円覚寺えんかくじとともに琉球りゅうきゅう双璧そうへき名刹めいさつであったが、1945ねん沖縄おきなわせんにより焼失しょうしつした[1]

概要がいよう

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たてまつ使つかい琉球りゅうきゅうさとしさい先王せんおう

たかしもとてら琉球りゅうきゅう王国おうこくくにびょうで、しゅんてんからなおたいおうまでの歴代れきだい国王こくおう神霊しんれいまつられていた。創建そうけんは、門前もんぜんにあるたかし元寺もとてら下馬げばめいからなお清王せいおう即位そくいした直後ちょくご1527ねんよしみやすし6ねん)と推定すいていされる。中国ちゅうごく王朝おうちょうからのさつふう使は、くびさとじょう挙行きょこうされるしんおうさつふう大典たいてん先立さきだって、とうてら先王せんおうれいなぐさめる「先王せんおうさとしさい(さんおうゆさい)」がおこなわれた。

せいびょう中心ちゅうしん中国ちゅうごくふう伽藍がらんならび、せいびょう石門せきもんなどがきゅう国宝こくほう指定していされていたが、沖縄おきなわせんにより破壊はかいされ焼失しょうしつした。戦後せんごたかしもとてらざい琉米ぐん地元民じもとみん寄付きふきんにより、石門せきもんだい一門いちもん)のみ修復しゅうふくされ、跡地あとちたかし元寺もとてら公園こうえんとなっている。石門せきもん歴史れきしてき建造けんぞうぶつとして、1955ねん琉球りゅうきゅう政府せいふ特別とくべつ重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされ、本土ほんど復帰ふっきした1972ねんには重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされている。

昭和しょうわ30年代ねんだいごろまではそうもと寺跡てらあと木造もくぞう図書館としょかんつくられ、いつもおおくの人々ひとびと利用りようしていた。そのころもんなか様子ようすは、まずはいると右手みぎて小山こやまようになっておりじょうには魔王まおうはやしようっていた。そこからしたちいさなたきいけながち、いけにはこいやカメとうがいた。反対はんたいがわひだりおくには階段かいだんのぼったさきに、なぜか紅葉こうよう一本いっぽんえられていて、どものころはなぜこのふゆになるとあかくなるのだろうと不思議ふしぎであった(そのころ沖縄おきなわには紅葉こうようする木々きぎなかった)。しかし、その図書館としょかんも、小山こやまたきも、その紅葉こうようもすべて取壊とりこわされ、もんだけがざんこり、現在げんざい公園こうえんとして整備せいびされている。 — 服部はっとり悟史さとし

整備せいび事業じぎょう

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那覇なはてら跡地あとちくに史跡しせきにすることを目指めざしており、2020(れい2)年度ねんど遺構いこう調査ちょうさはじめ、2022(れい4)年度ねんどには整備せいび必要ひつよう隣接りんせつ土地とち購入こうにゅうした[2]。また、2021(れい3)年度ねんどからは10おくえんちかくをかけて跡地あとち保存ほぞんする整備せいび事業じぎょうすすめており、2023ねんれい5ねん)7がつには焼失しょうしつまえ伽藍がらん配置はいち再現さいげんした150ぶんの1の模型もけいと、調査ちょうさ確認かくにんされた階段かいだんなどの遺構いこう合成ごうせい樹皮じゅひ一部いちぶ再現さいげんしたジオラマ(4メートル四方しほう)をマスコミけに披露ひろうした[2]国史こくしあとへの指定していのみならず、将来しょうらいてきには伽藍がらん復元ふくげんしたいとしている[3]くわえて、たかしもとてらかんする資料しりょうかん建設けんせつ計画けいかくしており、2024ねんれい6ねん)5がつ住民じゅうみんけた説明せつめいかいひらかれた。出席しゅっせきしゃからは「地域ちいき交流こうりゅうにしたい」、「津波つなみ避難ひなんしょとしても活用かつようできる建物たてものにしてほしい」などの要望ようぼうがった[4]

往時おうじたかしもとてら

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  • ※ 『写真しゃしんしゅう沖縄おきなわ しつなわれた文化財ぶんかざい風俗ふうぞく』(那覇なは出版しゅっぱんしゃ編集へんしゅうへん初版しょはん1984ねん)より

文化財ぶんかざい

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きゅうたかしもとてらだい一門いちもん

重要じゅうよう文化財ぶんかざいくに指定してい

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  • きゅうたかしもとてらだい一門いちもんおよいし牆 - 創建そうけんされた1527ねん以前いぜん室町むろまち時代ときよ後期こうき)の建立こんりゅう正面しょうめん中央ちゅうおう石造せきぞうさんれん拱門(アーチもん)と周囲しゅういめぐ石垣いしがき左右さゆうせき延長えんちょう66.3m、かくわきもんいちしょふくむ)からる。意匠いしょう構造こうぞう簡單かんたんであるが重厚じゅうこうあじがあり、もんいし牆をわせたこのたね遺構いこうとしてはれいない。沖縄おきなわ代表だいひょうてき石造せきぞう建築けんちくのひとつとされ、1972ねん昭和しょうわ47ねん)5がつ15にちくに重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされた。

有形ゆうけい文化財ぶんかざいけん指定してい

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  • たかし元寺もとてら下馬げば - 戦前せんぜん石門せきもん東西とうざい両側りょうがわいしぶみてられており、西にし沖縄おきなわせんうしなわれたが、ひがしいまもその現存げんそんする[5]ひょうに「あんしもけすもくまにてむまからおれるへし(按司下司げす此処ここらにてうまからるべし) 大明だいめいよしみやすしろくねん」、うらには「ただし官員かんいんじんとういたり下馬げば」とおな文章ぶんしょうられている。

アクセス

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • たかしもと寺跡てらあと 那覇なは文化財ぶんかざい調査ちょうさ報告ほうこくしょだい9しゅう那覇なは教育きょういく委員いいんかい、1983ねん
  • 那覇なは文化財ぶんかざい那覇なは教育きょういく委員いいんかい、2007ねん

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ たかしもとてら”. 小学館しょうがくかん 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょコトバンク. 2021ねん1がつ30にち閲覧えつらん
  2. ^ a b 琉球新報りゅうきゅうしんぽう(2023ねん7がつ29にち更新こうしん
  3. ^ NHK NEWS WEB沖縄おきなわ(2023ねん7がつ28にち
  4. ^ FNNプライムオンライン(2024ねん5がつ21にち
  5. ^ 日本にっぽん近世きんせい生活せいかつ”. 神奈川大学かながわだいがく. 2021ねん1がつ30にち閲覧えつらん
  6. ^ バスマップ沖縄おきなわ

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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座標ざひょう: 北緯ほくい2613ふん13.2びょう 東経とうけい12741ふん26.1びょう / 北緯ほくい26.220333 東経とうけい127.690583 / 26.220333; 127.690583