乞食
本来 は仏教 用語 で「こつじき」と読 む。比丘 (僧侶 )が自己 の色身 (物質 的 な身体 )を維持 するために人 に乞 うこと。行 乞(ぎょうこつ)。また托鉢 。十 二 頭陀 行 (じゅうにずだぎょう)の一 つで、これを清浄 の正 命 と定 める。もし自 ら種々 の生業 (なりわい)を作 (な)して自活 することは邪 命 であると定 める。上 の意味 が転 じて、路上 などで物乞 いをする行為 。具体 的 には他人 の憐憫 の情 を利用 して自己 のために金銭 や物品 の施与 を受 けることをいう[1]。
由来
[また、
Na tena bhikkhū hoti yāvatā bhikkhate pare; Vissaṃ dhammaṃ samādāya bhikkhu hoti na tāvatā.
Yo'dha puññca pāpañca bāhetvā brahmacariyavā; Saṅkhāya loke carati sa ce bhikkhū'ti vuccati.
他 に乞ふのみにては比丘 ならず、一切 の所 應 行 を服膺 するのみにては比丘 ならず。
人 若 し現世 に於 て罪 福 を離 れて淨 行 に住 し、愼重 にして世 を行 けば眞 の比丘 と謂 はる。
『
生活 の形態 としての乞食
[西洋
[日本
[1869
軽犯罪法 児童 福祉 法
ただし、
乞食 をさす言葉
[物乞 い、ものもらい、おもらいさんなど。他人 に恵 んでもらう行為 をさす。- ほいど(ほいと) -
祝 人 (ほぎ人 )が転訛 したもの。神楽 、獅子 舞 などの縁起 者 が物乞 いも行 っていた事 から言 われるとされる。別 の説 として、僧堂 の外 で貴人 の相伴 を受 けるという意味 の「陪堂 (ほいとう)」という仏教 用語 が変 じたものと言 われる[7]。 節 季候 (せっきぞろ)‐ 「節季 (せっき)にて候 」の意 。歳末 に3から4人 が羊歯 の葉 が付 いた傘 、赤 い布 で顔 を覆 い。「ああ節 季候 節 季候 、めでたいめでたい」と唱 えながら割 った楽器 (四 つ竹 や太鼓 など)を鳴 らしながら家々 を周 り、米 や金銭 を恵 んでもらっていた[8]。- おこも、こもかぶり、おこもさん - かつて、
乞食 がムシロ(こも)を被 っていることが多 かったため。 - パイポ -
京都 市 北部 で使用 される言葉 。ルンペンとほぼ同 じように使用 される。語源 は不明 。
こじき祭 り
[この
逸話
[抱 きつき弥五郎 -江戸 時代 、「抱 きつき弥五郎 」と呼 ばれる乞食 がいた。往来 で町人 の女性 などに抱 きつき、金 を無心 する。それ以外 にはとくに悪 いことをしないが、困 り者 だとして町奉行 に訴 えられた。しかし適当 な処分 が見 つからないので、将軍 家光 まで話 が行 ったところ、「天下 太平 の印 だ」と一蹴 された(酒井 忠勝 著 『仰 景 記 』)[10]。空也 上人 と乞食 - 『三国長吏由来記』という弾 左衛門 家 の記録 によると、空也 上人 が牢獄 の囚人 21人 を申 し受 けて、七 乞食 、八 乞食 、六道 の者 というものに仕分 けてそれぞれに生活 の道 を授 け、長 吏の預 かりとして国々 に置 いた。「七 乞食 」とは、猿引 ・編木 師 (ささらし)・恵美須 ・辻 乞・乞胸(ごうむね)・弦 指 (つるさし)・盲目 、「八 乞食 」とは、薦 僧 ・鉢 坊 (はちぼう)・絵 説 (えとき)・鉦 打 (かねうち)・舞 々・猿 牽・山守 ・渡守 、「六道 の者 」とは、弓 造 ・土器 作 ・石切 ・筆 結 ・墨 師 ・獅子 舞 のことで、みな長 吏弾左衛門 支配 下 に置 かれた。この救済 活動 により、これらの「下 り者 」と言 われた職人 ・芸人 等 は空也 上人 を祖 と仰 いでいた[11]。乞食 のキヨシ -昭和 初期 に浅草 六 区 を根城 とした。生 没年 不 詳 。大正 10年 に大分 に生 まれたとの説 あり。井上 ひさしの小説 「イサムよりよろしく」では関東大震災 の少 し前 に浅草 に来 て十 二 階 で下足 番 をしていたが、震災 で上 から落 ちてきた下駄 が頭 にあたり、以来 記憶 がボンヤリしているとの事 。浮世 人 と自称 し、生涯 住所 不定 。おカネをねだるが、お釣 りが出 ると返 しに行 くという。それでも溜 まったお金 は浅草 公園 のお巡 りさんが預 かっていたという。酒 と同 じく演芸 も好 きで自腹 で小屋 に入 りおとなしく舞台 を見 るが、キヨシが人気 者 になると言 えば見事 にあたるというので評判 となり興行 街 の名物 男 になった。六 区 の衰退 とともに素行 は荒 れ冷 ややかな視線 を浴 びるようになり、最後 は公衆 便所 で野垂 れ死 にしたという説 がある。浅草 で漫才 師 をしていたビートたけしの小説 「漫才 病棟 」には最 晩年 のキヨシが登場 する。乞食 は三 日 やったらやめられない、という言葉 に象徴 されるように、乞食 は意外 に高 収入 であるという一種 の逆 偏見 は世 の東西 を問 わず古 くから浸透 していた。これが発展 して、一 日 の物乞 いが終 わった乞食 が高級 車 の出迎 えを受 け、襤褸 着 から高級 服 に着替 えて豪邸 へと帰宅 していくといった誇張 された冗談 交 じりの都市 伝説 も同様 である。こうした空想 をもとにした文学 作品 に北 杜夫 の『さびしい乞食 』などがある。なお、中東 でも随一 の繁栄 を誇 っている都市 であるドバイにおいては、この逆 偏見 が現実 のものとなっており、月 に数 百 万 を稼 ぐ乞食 は珍 しくなく、特 に喜捨 が盛 んにおこなわれるラマダンの期間 中 は他 地域 から遠征 してくる乞食 が多数 押 し寄 せ、現地 警察 が数 百 人 を保護 するなど社会 問題 となっている。[12]屋外 で活動 する乞食 の中 には、厳 しい気象 環境 にさらされる者 もいる。パキスタンでは、2016年 6月 に熱 波 に襲 われた際 に数 百 人 単位 の多数 の死者 が出 た[13]。
脚注
[- ^ a b c
高田 浩 運 『児童 福祉 法 の解説 』1957年 、時事通信社 、229頁 。 - ^ a b
寺林 智 栄 (2014年 12月20日 ). “「乞食 」は違法 行為 …もし生活 が出来 なくなったらどうすれば良 い?”. ターゲッティング. 2015年 4月 11日 閲覧 。 - ^ a b
山折 哲雄 『乞食 の精神 誌 』1987年 、弘文 堂 、43頁 。 - ^
児童 虐待 六 行為 を内務省 令 で指定 『中外 商業 新報 』昭和 8年 5月 12日 (『昭和 ニュース事典 第 4巻 昭和 8年 -昭和 9年 』本編 p279昭和 ニュース事典 編纂 委員 会 毎日 コミュニケーションズ刊 1994年 ) - ^ 「「ネットこじきは
犯罪 」容疑 で無職 男 が書類 送検 募金 や大道芸 は?」『withnews』朝日新聞社 、2015年 2月 26日 。2015年 4月 11日 閲覧 。 - ^ a b
斉藤 明美 、斉藤 佑介 「「こじきの罪 」って?募金 と違 う?動画 中継 で書類 送検 」『朝日新聞 デジタル』朝日新聞社 、2015年 3月 27日 。2015年 4月 11日 閲覧 。 - ^
森 隆男 (編 )『住 の民俗 事典 』柊 風 舎 2019年 ISBN 978-4-86498-061-6 pp.406-408. - ^ 「
節 季候 」 。 - ^ a b c d 「「こじき
祭 り」豊作 願 う川辺 町 」『岐阜 新聞 Web』岐阜新聞社 、2013年 4月 4日 。オリジナルの2013年 4月 7日 時点 におけるアーカイブ。2015年 4月 11日 閲覧 。 - ^ 『
江戸 ばなし. 其2』三田村鳶魚 、大東 出版 社 、1943年 - ^ 「
賤民 概説 」喜田 貞吉 青空 文庫 - ^ “
高 収入 なドバイの遠征 乞食 が問題 に!月 800万 円 稼 ぐ乞食 は昼 物乞 いし夜 は五 つ星 ホテルに滞在 ” - ^ “パキスタン
熱 波 ”. AFP. (2015年 6月 30日 ) 2017年 1月 13日 閲覧 。
関連 項目
[外部 リンク
[- 『
浮浪 者 に関 する調査 ・児童 連行 の乞食 に関 する調査 』東京 市役所 、1929年 3月 30日 。