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粟原あわばら寺跡てらあと

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粟原あわばらてら趾碑
粟原寺跡の位置(奈良県内)
粟原寺跡
粟原あわばら寺跡てらあと
粟原あわばら寺跡てらあと位置いち

粟原あわばら寺跡てらあと(おおばらでらあと[1][2]/おうばらでらあと[3][4][5]/おばらでらあと[6][7]は、奈良ならけん桜井さくらい粟原あわばらにある古代こだい寺院じいんあとくに史跡しせき指定していされている。

歴史れきし

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だん山神さんじんしゃ所蔵しょぞうする『粟原あわばらてら三重みえとうふくばち』(国宝こくほう)にきざまれた銘文めいぶんによって、てら由緒ゆいしょがはっきりとしている(ふくばちとは、仏塔ぶっとう上部じょうぶにある相輪そうりん一部いちぶ)。このふくばち古代こだい金石かねいしぶん重要じゅうよう資料しりょうとして国宝こくほう指定していされるとともに、寺跡てらあと史跡しせき指定していされた。

銘文めいぶんによると、なかしん朝臣あそん大嶋おおしま草壁皇子くさかべのおうじしのてら設立せつりつ発願ほつがんした。大嶋おおしま死後しごうり朝臣あそん額田ぬかたによってきのえうまねんもちすべ天皇てんのう8ねん、694ねん)に起工きこう金堂こんどう丈六じょうろく釈迦しゃかぞうつくられ、22ねん和銅わどう8ねん(715ねん)に三重みえとう完成かんせいしたとしるされている。

大嶋おおしま文献ぶんけんでも名前なまえ確認かくにんできる人物じんぶつであるが、うり朝臣あそん額田ぬかたかんしてはいっさい不明ふめいであり、一部いちぶ飛鳥あすか時代じだい歌人かじん額田王ぬかたのおおきみではないかとするせつされている。

遺構いこう

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とうあと
とうあとひがし礎石そせき

大宇陀おおうだからおんなよせとうげえて桜井さくらいける忍阪おっさか街道かいどう現在げんざい国道こくどう166ごうせん)のなかほどの丘陵きゅうりょう粟原あわばら集落しゅうらくがあり、そのみなみはし天満てんま神社じんじゃがある。てらはその裏手うらて隣接りんせつした高台たかだいにあった。

発掘はっくつ調査ちょうさおこなわれていないため、伽藍がらん規模きぼ配置はいちなどくわしいことは不明ふめいである。 現在げんざいとうあとしんいしずえ礎石そせきなどが確認かくにんできるほか、東側ひがしがわ一段いちだんひくくなった場所ばしょにも礎石そせきならべられている。ただし東側ひがしがわ礎石そせきもとからこの場所ばしょにあったのではなく、とうあと西側にしがわにあるじゅうさんじゅう石塔せきとうてられているあたりからはこばれたとられている。石塔せきとうてられている場所ばしょ通称つうしょう「コンドー」とばれていて礎石そせきもいくつか確認かくにんでき、ここに金堂こんどうがあったとかんがえられている。

文化財ぶんかざい

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国宝こくほう

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くに史跡しせき

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  • 粟原あわばら寺跡てらあと - 1927ねん昭和しょうわ2ねん)4がつ8にち指定してい[1]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b 粟原あわばら寺跡てらあと - くに指定してい文化財ぶんかざいとうデータベース(文化庁ぶんかちょう
  2. ^ 粟原あわばら寺跡てらあと桜井さくらいホームページ)。
  3. ^ 粟原あわばら寺跡てらあと平凡社へいぼんしゃ) 1981.
  4. ^ 粟原あわばら寺跡てらあとくに指定してい史跡しせき.
  5. ^ a b 大和やまとこく粟原あわばらてら三重みえとうふくばち - くに指定してい文化財ぶんかざいとうデータベース(文化庁ぶんかちょう
  6. ^ 粟原あわばらてら国史こくし.
  7. ^ 「おおばら」の仮名かめい表記ひょうきは、桜井さくらいサイトなどしょ資料しりょうもとづく。なお、1986ねん内閣ないかく告示こくじの「現代げんだい仮名遣かなづかい」では、「歴史れきしてき仮名遣かなづかいでオれつ仮名かめいに「ほ」または「を」がつづくものはオれつ仮名かめいに「お」をえてく」としており、「粟原あわばら」(歴史れきしてき仮名遣かなづかいでは「あははら」)はこれに該当がいとうしないので、「現代げんだい仮名遣かなづかい」の原則げんそくにしたがえば、表記ひょうきは「おうばら」となる。

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 事典じてんるい
    • 国史こくしだい辞典じてん吉川弘文館よしかわこうぶんかん 
      • 福山ふくやま敏男としお粟原あわばらてら栗原くりはら治夫はるお粟原あわばらてらふくばちめい」(粟原あわばらてら項目こうもくない
    • 粟原あわばら寺跡てらあと」『日本にっぽん歴史れきし地名ちめい大系たいけい 30 奈良ならけん地名ちめい平凡社へいぼんしゃ、1981ねんISBN 4582490301 
    • 粟原あわばら寺跡てらあと」『くに指定してい史跡しせきガイド』講談社こうだんしゃ  - リンクは朝日新聞社あさひしんぶんしゃコトバンク」。
  • その
    • 大和やまとのこたから橿原考古学研究所かしはらこうこがくけんきゅうしょ(1997ねん
    • 飛鳥あすか発掘はっくつ物語ものがたり河上かわかみ邦彦くにひこ産経新聞さんけいしんぶんしゃ、2004ねん

外部がいぶリンク

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座標ざひょう: 北緯ほくい3429ふん50.45びょう 東経とうけい13553ふん34.12びょう