制式 せいしき 名 めい
一式 いっしき 機動 きどう 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう
砲身 ほうしん 長 ちょう
2.526.5m(53.7口径 こうけい )
放列 ほうれつ 砲車 ほうしゃ 重量 じゅうりょう
800kg
口径 こうけい
47mm
初速 しょそく
830m/秒 びょう
最大 さいだい 射程 しゃてい
6,900m
俯仰 ふぎょう 角 かく
-11~+18度 ど
水 みず 平射 へいしゃ 角 かく
58度 ど
薬 くすり 室 しつ
自動 じどう 開閉 かいへい 水平 すいへい 鎖 くさり 栓 せん 式 しき
後 こう 座長 ざちょう
470~500mm
使用 しよう 弾 だん 種 しゅ
徹 とおる 甲 きのえ 弾 だん 榴弾 りゅうだん
使用 しよう 勢力 せいりょく
大日本帝国 だいにっぽんていこく 陸軍 りくぐん
生産 せいさん 数 すう
約 やく 2,300門 もん
一式 いっしき 機動 きどう 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう (いっしききどうよんじゅうななみりほう)は、1940年 ねん (昭和 しょうわ 15年 ねん )前後 ぜんこう に大日本帝国 だいにっぽんていこく 陸軍 りくぐん が開発 かいはつ ・採用 さいよう した対戦 たいせん 車 しゃ 砲 ほう である。九 きゅう 四 よん 式 しき 三 さん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう の後継 こうけい 対 たい 戦車 せんしゃ 砲 ほう として、太平洋戦争 たいへいようせんそう 中 ちゅう 後期 こうき に使用 しよう された。
日本 にっぽん 軍 ぐん では対戦 たいせん 車 しゃ 砲 ほう のことを速射 そくしゃ 砲 ほう と通称 つうしょう していたので一式 いっしき 機動 きどう 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 速射 そくしゃ 砲 ほう とも呼 よ ばれる。名前 なまえ の「機動 きどう 」は本 ほん 砲 ほう が空気 くうき 式 しき のタイヤを装備 そうび し、そのまま車両 しゃりょう で牽引 けんいん し高速 こうそく 移動 いどう できることからきている。車輪 しゃりん のタイヤが鉄 てつ ないしソリッドゴム製 せい である従来 じゅうらい の火砲 かほう は、「機動 きどう 台車 だいしゃ 」と呼 よ ばれる空気 くうき 式 しき タイヤを装備 そうび した台車 だいしゃ に載 の せないと、車両 しゃりょう 牽引 けんいん による高速 こうそく 移動 いどう には耐 た えられなかった。
一式 いっしき 機動 きどう 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう は九 きゅう 四 よん 式 しき 三 さん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう の後継 こうけい として、太平洋戦争 たいへいようせんそう 中 ちゅう 後期 こうき において使用 しよう された大日本帝国 だいにっぽんていこく 陸軍 りくぐん の主力 しゅりょく 対 たい 戦車 せんしゃ 砲 ほう である。初速 しょそく 、精度 せいど など全般 ぜんぱん 的 てき な性能 せいのう は列強 れっきょう 各国 かっこく の45mm級 きゅう 対 たい 戦車 せんしゃ 砲 ほう と比較 ひかく して遜色 そんしょく のないものだったが、75mm級 きゅう 以上 いじょう が主流 しゅりゅう であった大戦 たいせん 後期 こうき の各国 かっこく 対 たい 戦車 せんしゃ 砲 ほう と比 ひ して小 しょう 口径 こうけい に過 す ぎるなど、威力 いりょく 不足 ふそく からアメリカ軍 ぐん が第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 中半 なかば 以降 いこう から投入 とうにゅう したM4中 ちゅう 戦車 せんしゃ を正面 しょうめん から撃破 げきは することは難 むずか しく苦戦 くせん を強 し いられた。
さらなる後継 こうけい 対 たい 戦車 せんしゃ 砲 ほう である試製 しせい 機動 きどう 五 ご 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう は新規 しんき に採用 さいよう する装備 そうび として要求 ようきゅう される能力 のうりょく を満 み たさないと判断 はんだん されて開発 かいはつ 中止 ちゅうし に、本命 ほんめい である試製 しせい 七 なな 糎 せんちめーとる 半 はん 対 たい 戦車 せんしゃ 砲 ほう I型 がた および、105mm大 だい 口径 こうけい の試製 しせい 十 じゅう 糎 せんちめーとる 対 たい 戦車 せんしゃ 砲 ほう (共 とも に自 じ 走 はし 砲 ほう 化 か )は生産 せいさん 中 ちゅう に敗戦 はいせん を迎 むか えたため、本 ほん 砲 ほう は事実 じじつ 上 じょう の最後 さいご の制式 せいしき 対 たい 戦車 せんしゃ 砲 ほう となった。
生産 せいさん 力 りょく が不足 ふそく していた日本 にっぽん においては75mm級 きゅう 高 だか 初速 しょそく 砲 ほう の生産 せいさん がはかどらず、野砲 やほう と高射 こうしゃ 砲 ほう の需要 じゅよう に応 こた えるのが精一杯 せいいっぱい であった。そのため、これより攻撃 こうげき 力 りょく が高 たか い対 たい 戦車 せんしゃ 砲 ほう の配備 はいび は行 おこな われず、野砲 やほう 兵 へい ・山砲 さんぽう 兵 へい の野砲 やほう ・軽 けい 榴弾 りゅうだん 砲 ほう ・重 じゅう 榴弾 りゅうだん 砲 ほう ・山砲 さんぽう 、高射 こうしゃ 砲兵 ほうへい の高射 こうしゃ 砲 ほう 、野戦 やせん 重砲 じゅうほう 兵 へい ・重砲 じゅうほう 兵 へい の重 じゅう 榴弾 りゅうだん 砲 ほう ・加 か 農 のう 、また歩兵 ほへい 砲 ほう 隊 たい の四 よん 一式 いっしき 山砲 さんぽう (歩兵 ほへい 用 よう ) が対戦 たいせん 車 しゃ 戦闘 せんとう に転用 てんよう されたにとどまる。火砲 かほう による対戦 たいせん 車 しゃ 能力 のうりょく の不足 ふそく は九 きゅう 三 さん 式 しき 戦車 せんしゃ 地雷 じらい ・九九式破甲爆雷 ・梱包 こんぽう 爆薬 ばくやく 等 ひとし を使用 しよう した歩兵 ほへい ・工兵 こうへい による対戦 たいせん 車 しゃ 肉 にく 迫 せり 攻撃 こうげき (肉 にく 攻 おさむ )で補 おぎな われる形 かたち となり、歩兵 ほへい の損害 そんがい が増大 ぞうだい することとなった。
ハワイのアメリカ陸軍 りくぐん 博物館 はくぶつかん に展示 てんじ される一式 いっしき 機動 きどう 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう 。ゴムタイヤを保護 ほご するため、ジャッキで支 ささ えられている。
1930年代 ねんだい に初 はつ 中期 ちゅうき に開発 かいはつ ・採用 さいよう された九 きゅう 四 よん 式 しき 三 さん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう が実質 じっしつ 的 てき に日本 にっぽん 初 はつ の本格 ほんかく 的 てき な対戦 たいせん 車 しゃ 砲 ほう であったが、装甲 そうこう 貫徹 かんてつ 能力 のうりょく に関 かん して早 はや くから列強 れっきょう 各国 かっこく の37mm級 きゅう 対 たい 戦車 せんしゃ 砲 ほう に比 くら べて威力 いりょく 不足 ふそく である事 こと が指摘 してき されていた。しかし、日 にち 中 ちゅう 戦争 せんそう (支 ささえ 那 な 事変 じへん )における国民 こくみん 革命 かくめい 軍 ぐん やゲリラ相手 あいて の戦闘 せんとう では深刻 しんこく な脅威 きょうい に遭遇 そうぐう することが無 な かったため、より強力 きょうりょく な対戦 たいせん 車 しゃ 砲 ほう の必要 ひつよう 性 せい に対 たい する認識 にんしき は薄 うす かった。
とはいえ、陸軍 りくぐん は九 きゅう 四 よん 式 しき 三 さん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう の貫徹 かんてつ 力 りょく を向上 こうじょう させる為 ため に薬莢 やっきょう 容積 ようせき を増 ふ やした新型 しんがた 徹 てっ 甲 かぶと 弾 だん の開発 かいはつ を進 すす めると共 とも に、より口径 こうけい の大 おお きな対戦 たいせん 車 しゃ 砲 ほう の開発 かいはつ を進 すす め、1937年 ねん (昭和 しょうわ 12年 ねん )に試製 しせい 九 きゅう 七 なな 式 しき 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう の試作 しさく を始 はじ めた。これは口径 こうけい 47mm、砲身 ほうしん 長 ちょう 2515mm、初速 しょそく 730m/s、放列 ほうれつ 重量 じゅうりょう 567kgというものであった。1938年 ねん (昭和 しょうわ 13年 ねん )3月 がつ の試作 しさく 完成 かんせい 後 ご 、10月に人力 じんりき ・輓馬 ばんば による牽引 けんいん 試験 しけん 、11月に弾道 だんどう 試験 しけん など各種 かくしゅ 審査 しんさ が実施 じっし され、1939年 ねん (昭和 しょうわ 14年 ねん )3月 がつ には輓馬 ばんば 牽引 けんいん から機械 きかい 牽引 けんいん に設計 せっけい 変更 へんこう 、10月実用 じつよう 試験 しけん を行 おこな い機械 きかい 牽引 けんいん の資料 しりょう を得 え 取 ど 、次期 じき 速射 そくしゃ 砲 ほう 設計 せっけい の基礎 きそ となった。
このような中 なか で1939年 ねん (昭和 しょうわ 14年 ねん )にノモンハン事件 じけん が勃発 ぼっぱつ した。当時 とうじ のソ連 それん 赤軍 せきぐん が投入 とうにゅう したBT戦車 せんしゃ やT-26 軽 けい 戦車 せんしゃ は装甲 そうこう が薄 うす く、九 きゅう 四 よん 式 しき 三 さん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう でも十分 じゅうぶん に貫通 かんつう することができた。このことは日本 にっぽん 側 がわ 資料 しりょう (戦史 せんし 叢書 そうしょ 等 ひとし )だけではなく、ソ連 それん 側 がわ 資料 しりょう (ソ連 それん 崩壊 ほうかい 後 ご に情報 じょうほう 公開 こうかい された)[ 1] からも確認 かくにん でき、ソ連 それん 軍 ぐん 戦車 せんしゃ の損害 そんがい の殆 ほとん どは対戦 たいせん 車 しゃ 砲 ほう によるものと認識 にんしき されていた。それに対 たい して、歩兵 ほへい の火炎瓶 かえんびん などを用 もち いて行 おこな う肉薄 にくはく 攻撃 こうげき は、陣形 じんけい を組 く んで機動 きどう する戦車 せんしゃ に対 たい して実行 じっこう するのが難 むずか しく、対 たい 戦車 せんしゃ 砲 ほう で擱座 かくざ した戦車 せんしゃ に止 と めを刺 さ す形 かたち で多用 たよう された。
ノモンハン事件 じけん を受 う けて新型 しんがた 対 たい 戦車 せんしゃ 砲 ほう の必要 ひつよう 性 せい をある程度 ていど 認識 にんしき した陸軍 りくぐん は、前述 ぜんじゅつ の試製 しせい 九 きゅう 七 なな 式 しき 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう を基 もと に開発 かいはつ を進 すす めることとして1939年 ねん 9月 がつ に設計 せっけい を開始 かいし し、1941年 ねん (昭和 しょうわ 16年 ねん )7月 がつ に応急 おうきゅう 整備 せいび の着手 ちゃくしゅ 準備 じゅんび を施行 しこう して(試製 しせい 一式 いっしき 機動 きどう 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう )、1942年 ねん (昭和 しょうわ 17年 ねん )5月 がつ に制式 せいしき を上申 じょうしん となった。なお、制式 せいしき 名称 めいしょう は単 たん に一式 いっしき 機動 きどう 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう であり、「速射 そくしゃ 砲 ほう 」の語 かたり は含 ふく まない。
本 ほん 砲 ほう の最大 さいだい の特徴 とくちょう は、これまでの九 きゅう 四 よん 式 しき や試製 しせい 九 きゅう 七 なな 式 しき が輓馬 ばんば 牽引 けんいん だったのに対 たい し[ 2] 、自動車 じどうしゃ 牽引 けんいん を前提 ぜんてい にしている事 こと である。名称 めいしょう の「機動 きどう 」とは、金属 きんぞく 製 せい や木製 もくせい の車輪 しゃりん ではなくゴムタイヤ(パンクレスタイヤ)およびサスペンションを装備 そうび することで、牽引 けんいん 車 しゃ ・装甲 そうこう 運搬 うんぱん 車 しゃ (九 きゅう 八 はち 式 しき 装甲 そうこう 運搬 うんぱん 車 しゃ )・自動 じどう 貨車 かしゃ (九 きゅう 四 よん 式 しき 六 ろく 輪 りん 自動 じどう 貨車 かしゃ 等 ひとし )による高速 こうそく 牽引 けんいん が可能 かのう な火砲 かほう を意味 いみ する。なお、本 ほん 砲 ほう 以外 いがい に「機動 きどう 」の名称 めいしょう を冠 かん し機械 きかい 化 か 牽引 けんいん を目的 もくてき とした帝国 ていこく 陸軍 りくぐん の火砲 かほう としては、機動 きどう 九 きゅう 〇式 しき 野砲 やほう や機動 きどう 九 きゅう 一式 いっしき 十 じゅう 糎 せんちめーとる 榴弾 りゅうだん 砲 ほう などが存在 そんざい する。
九 きゅう 四 よん 式 しき と同様 どうよう に榴弾 りゅうだん も配備 はいび され、非 ひ 装甲 そうこう 目標 もくひょう に対 たい して攻撃 こうげき することもできた。
一式 いっしき 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 戦車 せんしゃ 砲 ほう を搭載 とうさい した九 きゅう 七 なな 式 しき 中 ちゅう 戦車 せんしゃ (新 しん 砲塔 ほうとう )
一式 いっしき 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 戦車 せんしゃ 砲 ほう [ 編集 へんしゅう ]
九 きゅう 七 なな 式 しき 中 ちゅう 戦車 せんしゃ 改 あらため や一式 いっしき 中 ちゅう 戦車 せんしゃ に搭載 とうさい された一式 いっしき 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 戦車 せんしゃ 砲 ほう は本 ほん 砲 ほう と同 どう 時期 じき に開発 かいはつ された戦車 せんしゃ 砲 ほう であり、同 おな じ弾薬 だんやく 筒 とう を使用 しよう した。細 こま かな要目 ようもく には相違 そうい があり、砲身 ほうしん は若干 じゃっかん 短 みじか く、砲身 ほうしん 後 ご 座長 ざちょう は短 みじか くまとめられている。
一式 いっしき 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 戦車 せんしゃ 砲 ほう
砲身 ほうしん 長 ちょう 2284.5mm(48.6口径 こうけい )、初速 しょそく 818m/秒 びょう 、標準 ひょうじゅん 退却 たいきゃく 長 ちょう (砲身 ほうしん 後 ご 座長 ざちょう )280~300mm[ 3]
試製 しせい 機動 きどう 五 ご 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう [ 編集 へんしゅう ]
試製 しせい 機動 きどう 五 ご 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう
試製 しせい 機動 きどう 五 ご 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう は一式 いっしき 機動 きどう 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう の拡大 かくだい 版 ばん ともいえるもので、1941年 ねん 3月 がつ に開発 かいはつ が始 はじ まり、試作 しさく に際 さい して駐 ちゅう 退 すさ 機 き など一部 いちぶ の部品 ぶひん は一式 いっしき のものが流用 りゅうよう された。開戦 かいせん により開発 かいはつ は遅延 ちえん したものの1942年 ねん 7月 がつ に試作 しさく 砲 ほう が完成 かんせい し試験 しけん が開始 かいし され、1943年 ねん (昭和 しょうわ 18年 ねん )2月 がつ には射撃 しゃげき 試験 しけん が実施 じっし された。しかしながら、重量 じゅうりょう の割 わり には威力 いりょく が低 ひく いとされ、また連合 れんごう 軍 ぐん に重 じゅう 装甲 そうこう の新型 しんがた 戦車 せんしゃ が次々 つぎつぎ に出現 しゅつげん した事 こと から1943年 ねん 6月 がつ に開発 かいはつ は中止 ちゅうし され採用 さいよう されることは無 な かった。
試製 しせい 機動 きどう 五 ご 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう
砲身 ほうしん 長 ちょう 3,255mm(57口径 こうけい )、初速 しょそく 870m/秒 びょう 、最大 さいだい 射程 しゃてい 8,000m、重量 じゅうりょう 1,080kg(牽引 けんいん 重量 じゅうりょう 1,540kg)
沖縄 おきなわ 戦 せん 、安里 あさと 五 ご 二 に 高地 こうち (シュガーローフ・ヒル)に配置 はいち された一式 いっしき 機動 きどう 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう (防 ぼう 盾 たて 欠 かけ )。側 がわ 背面 はいめん を暴露 ばくろ して擱座 かくざ しているのはM4中 ちゅう 戦車 せんしゃ とLVT
一式 いっしき 機動 きどう 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう の実戦 じっせん 投入 とうにゅう は太平洋戦争 たいへいようせんそう 中期 ちゅうき 以降 いこう に開始 かいし され、主 おも に独立 どくりつ の称呼 しょうこ を冠 かん する軍 ぐん 直属 ちょくぞく の部隊 ぶたい である独立 どくりつ 速射 そくしゃ 砲 ほう 大隊 だいたい に配備 はいび された。1ヶ大隊 だいたい は大隊 だいたい 本部 ほんぶ 、段 だん 列 れつ 、3ヶ中隊 ちゅうたい から成 な り、各 かく 中隊 ちゅうたい には4から6門 もん が配備 はいび された。なお、一部 いちぶ の部隊 ぶたい は本 ほん 砲 ほう 配備 はいび の遅 おく れにより九 きゅう 四 よん 式 しき 三 さん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう を併用 へいよう していた。
インパール作戦 さくせん におけるビシェンプール 攻防 こうぼう 戦 せん で、第 だい 213連隊 れんたい 第 だい 2大隊 だいたい に配備 はいび されていた3門 もん の本 ほん 砲 ほう が活躍 かつやく を見 み せている。1944年 ねん 4月 がつ 20日 はつか から25日 にち にかけてビシェンプール西方 せいほう のニントウコン集落 しゅうらく に攻 せ めこんだ日本 にっぽん 軍 ぐん に対 たい して、第 だい 20インド歩兵 ほへい 師団 しだん (英語 えいご 版 ばん ) が反 はん 撃 げき を行 おこな ったが、10数 すう 輌 りょう のM3中 ちゅう 戦車 せんしゃ の支援 しえん 付 つ きであった。そこで3門 もん の本 ほん 砲 ほう が正確 せいかく な砲撃 ほうげき で次々 つぎつぎ と命中 めいちゅう 弾 だん を浴 あ びせ、たちまち5輌 りょう のM3中 ちゅう 戦車 せんしゃ を撃破 げきは もしくは擱座 かくざ させている。しかし、その損害 そんがい に懲 こ りた戦車 せんしゃ 隊 たい は距離 きょり をとって戦車 せんしゃ 砲 ほう をつるべ撃 う ちし、また野砲 やほう による支援 しえん 砲 ほう 撃 げき もあって、本 ほん 砲 ほう は3門 もん とも撃破 げきは されてしまった。戦闘 せんとう はその後 ご も続 つづ いたが、速射 そくしゃ 砲 ほう を失 うしな った第 だい 2大隊 だいたい は擲弾筒 てきだんとう や手榴弾 しゅりゅうだん で対抗 たいこう し、ついにはイギリス軍 ぐん の反撃 はんげき を撃退 げきたい している[ 4] 。
ルソンの戦 たたか い でも活躍 かつやく し、アメリカ軍 ぐん の戦闘 せんとう 報告 ほうこく によれば、「本 ほん 砲 ほう はM4中 ちゅう 戦車 せんしゃ に対 たい し至近 しきん 距離 きょり で効果 こうか あり、側 がわ 背面 はいめん に関 かん してはいかなる部位 ぶい も貫通 つらぬきとお す」と記述 きじゅつ されている(具体 ぐたい 的 てき な距離 きょり は不明 ふめい )[ 5] 。
硫黄 いおう 島 とう の戦 たたか い ではトーチカ などに配置 はいち された本 ほん 砲 ほう があらゆる局面 きょくめん でアメリカ軍 ぐん を苦 くる しめている。1945年 ねん 2月 がつ 19日 にち に硫黄 いおう 島 とう にアメリカ海兵 かいへい 隊 たい が上陸 じょうりく した日 ひ 、上陸 じょうりく 地 ち の真正面 ましょうめん にぶつかった速射 そくしゃ 砲 ほう 第 だい 8大隊 だいたい は、アムトラック が海岸 かいがん に到達 とうたつ するや本 ほん 砲 ほう で砲撃 ほうげき を開始 かいし し、同 どう 大隊 だいたい 第 だい 2中隊 ちゅうたい の中隊 ちゅうたい 長 ちょう 中村 なかむら 貞雄 さだお 少尉 しょうい の砲撃 ほうげき 技術 ぎじゅつ は神業 かみわざ に近 ちか く、「初 はつ 弾 たま 悉ク必殺 ひっさつ 命中 めいちゅう ノ射撃 しゃげき 」で[ 6] 次々 つぎつぎ とアムトラックに命中 めいちゅう 弾 だん を与 あた え、じつに20輌 りょう のアムトラックを撃破 げきは し、戦車 せんしゃ を揚陸 ようりく するため海岸 かいがん に接岸 せつがん したLCT を3隻 せき 撃破 げきは した[ 7] 。その後 ご 、上陸 じょうりく 地点 ちてん の足場 あしば を固 かた めようと上陸 じょうりく してきたブルドーザー1輌 りょう も撃破 げきは したが、アメリカ軍 ぐん の集中 しゅうちゅう 砲火 ほうか を浴 あ びトーチカが撃破 げきは されて中村 なかむら も戦死 せんし した。司令 しれい 官 かん の 栗林 くりばやし 忠 ただし 道 どう 中将 ちゅうじょう は中村 なかむら の活躍 かつやく を聞 き くと「武功 ぶこう 抜群 ばつぐん ニシテ克 かつ ク皇軍 こうぐん 速射 そくしゃ 砲 ほう 部隊 ぶたい ノ真髄 しんずい ヲ発揮 はっき シタ」と全 ぜん 軍 ぐん に布告 ふこく し二 に 階 かい 級 きゅう 特進 とくしん の申請 しんせい を行 おこな い、その活躍 かつやく は昭和 しょうわ 天皇 てんのう の上聞 じょうぶん にも達 たっ した[ 8] 。
苦戦 くせん したアメリカ海兵 かいへい 隊 たい はLSM-1級 きゅう 中型 ちゅうがた 揚陸 ようりく 艦 かん でM4中 ちゅう 戦車 せんしゃ を海岸 かいがん に揚陸 ようりく させようと試 こころ みたが、砂浜 すなはま の角度 かくど が急 きゅう で揚陸 ようりく に手間取 てまど り、またようやく上陸 じょうりく できたM4戦車 せんしゃ も硫黄 いおう 島 とう 特有 とくゆう の柔 やわ らかい砂地 すなじ によって移動 いどう もままならず、なかにはキャタピラ が砂 すな に埋 う まってスタックして後続 こうぞく の上陸 じょうりく を妨害 ぼうがい してしまうM4戦車 せんしゃ もあった。ようやく前進 ぜんしん できても海岸 かいがん に多数 たすう 埋設 まいせつ されている対戦 たいせん 車 しゃ 地雷 じらい で擱座 かくざ し、その混乱 こんらん のさなかに本 ほん 砲 ほう が正確 せいかく な射撃 しゃげき を浴 あ びせ、第 だい 1波 は で上陸 じょうりく したM4戦車 せんしゃ 56輌 りょう のうち28輌 りょう が撃破 げきは された。この日 ひ の戦車 せんしゃ の大 だい 損害 そんがい を見 み てアメリカ海兵 かいへい 隊 たい は公式 こうしき 報告 ほうこく 書 しょ で「Dデイ(上陸 じょうりく 日 び )における海兵 かいへい 隊 たい のM4中 ちゅう 戦車 せんしゃ は地獄 じごく を味 あじ わった」と評 ひょう している[ 9] 。その後 ご も元山 もとやま 飛行場 ひこうじょう の攻防 こうぼう 戦 せん で、本 ほん 砲 ほう を含 ふく めた日本 にっぽん 軍 ぐん の攻撃 こうげき で33輌 りょう のM4中 ちゅう 戦車 せんしゃ が撃破 げきは されるなど[ 10] 、硫黄 いおう 島 とう の戦 たたか いにおけるM4中 ちゅう 戦車 せんしゃ の損失 そんしつ は137輌 りょう にものぼった。
沖縄 おきなわ 戦 せん に於 お ける嘉数 かかず の戦 たたか い で独立 どくりつ 速射 そくしゃ 砲 ほう 第 だい 22大隊 だいたい は、1945年 ねん (昭和 しょうわ 20年 ねん )4月 がつ 5-7日 にち にかけて八 はち 五 ご 高地 こうち 付近 ふきん で真正面 ましょうめん からアメリカ軍 ぐん のM4中 ちゅう 戦車 せんしゃ を迎 むか え撃 う った結果 けっか 、5輌 りょう を撃破 げきは するも12門 もん 中 ちゅう 10門 もん の砲 ほう を失 うしな ってしまった。そのため大隊 だいたい 長 ちょう ・武田 たけだ 少尉 しょうい は残存 ざんそん 2門 もん を道路 どうろ を挟 はさ んで配置 はいち し、砲 ほう 口 こう を嘉数 かかず に向 む けた。これは嘉数 かかず へ向 む かう敵 てき 戦車 せんしゃ を後 うし ろから撃 う つためであり、砲 ほう の貫徹 かんてつ 力不足 ちからぶそく から来 く る苦肉 くにく の策 さく であった。また戦車 せんしゃ が近 ちか づくと恐怖 きょうふ のため早 はや 撃 う ちする傾向 けいこう にあるため2つの陣地 じんち を有線 ゆうせん 電話 でんわ で結 むす び、隊長 たいちょう の指示 しじ で発砲 はっぽう することにした。さらに独立 どくりつ 歩兵 ほへい 第 だい 272大隊 だいたい は、敵 てき の随伴 ずいはん 歩兵 ほへい を近 ちか づけさせないことを徹底 てってい させた。この策 さく は成功 せいこう し、4月 がつ 19日 にち 午前 ごぜん 中 ちゅう のいわゆる嘉数 かかず の対 たい 戦車 せんしゃ 戦 せん において、日本 にっぽん 側 がわ は独 どく 速 そく 22大 だい の一式 いっしき 機動 きどう 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう のほか、独歩 どっぽ 272大 だい の肉薄 にくはく 攻撃 こうげき 、高射 こうしゃ 砲 ほう や四 よん 一式 いっしき 山砲 さんぽう (連隊 れんたい 砲 ほう )、九 きゅう 三 さん 式 しき 戦車 せんしゃ 地雷 じらい などで米国 べいこく 軍 ぐん の第 だい 193戦車 せんしゃ 大隊 だいたい A中隊 ちゅうたい の30輌 りょう 以上 いじょう のM4中 ちゅう 戦車 せんしゃ を迎 むか え撃 う ち、22輌 りょう (うち火炎 かえん 放射 ほうしゃ 型 がた 4輌 りょう )を撃破 げきは した。同年 どうねん 5月 がつ に行 おこな われたシュガーローフの戦 たたか い においても独立 どくりつ 速射 そくしゃ 砲 ほう 第 だい 7大隊 だいたい 等 とう がM4中 ちゅう 戦車 せんしゃ や装甲車 そうこうしゃ (LVT )を多数 たすう 撃破 げきは 。沖縄 おきなわ 戦 せん の終結 しゅうけつ までに、アメリカ軍 ぐん は戦車 せんしゃ 272輌 りょう (陸軍 りくぐん 221輌 りょう [ 12] 海兵 かいへい 隊 たい 51輌 りょう [ 13] )を失 うしな った。
また、沖縄 おきなわ 攻略 こうりゃく 部隊 ぶたい 第 だい 10軍 ぐん の最高 さいこう 司令 しれい 官 かん サイモン・B・バックナー 中将 ちゅうじょう を戦死 せんし させたのも本 ほん 砲 ほう であるとされる。アメリカ軍 ぐん 海兵 かいへい 隊 たい 公式 こうしき 戦史 せんし 『History of U.S. Marine Corps Operations in World War II Volume V:
Victory and Occupation』の記述 きじゅつ によれば、珊瑚 さんご 岩 がん の間 あいだ で前線 ぜんせん を視察 しさつ していたバックナーに向 む かって合計 ごうけい 6発 はつ の本 ほん 砲 ほう の砲弾 ほうだん が発射 はっしゃ されて、初 はつ 弾 たま の砲弾 ほうだん の破片 はへん もしくは砲弾 ほうだん の命中 めいちゅう で吹 ふ き上 あ げられた珊瑚 さんご 岩 がん の欠片 かけら がバックナーの胸 むね に命中 めいちゅう し、間 ま もなく大量 たいりょう の出血 しゅっけつ により戦死 せんし した。とされている[ 14] 。しかし、バックナーを倒 たお した砲弾 ほうだん は九 きゅう 六 ろく 式 しき 十 じゅう 五 ご 糎 せんちめーとる 榴弾 りゅうだん 砲 ほう から発射 はっしゃ されたものという証言 しょうげん もある[ 15] 。
グアムの戦 たたか い でアメリカ
軍 ぐん に
鹵獲 ろかく された
一式 いっしき 機動 きどう 四 よん 十 じゅう 七 なな 砲 ほう 。(
防 ぼう 盾 たて 欠 かけ )
鹵獲 ろかく ・
接収 せっしゅう を
経 へ て
海兵 かいへい 隊 たい 基地 きち キャンプ・ルジューン(
ノースカロライナ州 しゅう )にて
展示 てんじ される
一式 いっしき 機動 きどう 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう
アメリカ軍 ぐん の資料 しりょう に掲載 けいさい された榴弾 りゅうだん (左 ひだり )と徹 てっ 甲 かぶと 弾 だん (右 みぎ 、徹 とおる 甲 かぶと 榴弾 りゅうだん と分類 ぶんるい されている)
装甲 そうこう 貫徹 かんてつ 能力 のうりょく の数値 すうち は射撃 しゃげき 対象 たいしょう の装甲 そうこう 板 ばん や実施 じっし した年代 ねんだい など試験 しけん 条件 じょうけん により異 こと なる。
上申 じょうしん の際 さい の資料 しりょう (1942年 ねん 5月 がつ )によれば、一式 いっしき 徹 てっ 甲 かぶと 弾 だん (徹 とおる 甲 かぶと 榴弾 りゅうだん 相当 そうとう )を使用 しよう した場合 ばあい は弾 たま 着 ぎ 角 かく 90度 ど で以下 いか の装甲 そうこう 板 ばん を貫通 かんつう 出来 でき た。
1,500mで45mm(第 だい 一種 いっしゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )/20mm(第 だい 二 に 種 しゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )
1,000mで50mm(第 だい 一種 いっしゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )/30mm(第 だい 二 に 種 しゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )
500mで65mm(第 だい 一種 いっしゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )/40mm(第 だい 二 に 種 しゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )
200mで65mm[ 16] (第 だい 一種 いっしゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )/50mm(第 だい 二 に 種 しゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )
試製 しせい 徹 てっ 甲 かぶと 弾 だん であるタングステン鋼 こう 蚤 のみ 形 がた 弾 だん (後述 こうじゅつ する「特 とく 甲 かぶと 」弾 だん の基 もと になったと思 おも われる試製 しせい 徹 てっ 甲 かぶと 弾 だん )を使用 しよう した場合 ばあい 、弾 たま 着 ぎ 角 かく 90度 ど で以下 いか の装甲 そうこう 板 ばん を貫徹 かんてつ 出来 でき た[ 17] 。
1,500mで45mm(第 だい 一種 いっしゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )/25mm(第 だい 二 に 種 しゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )
1,000mで55mm(第 だい 一種 いっしゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )/30mm(第 だい 二 に 種 しゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )
500mで70mm(第 だい 一種 いっしゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )/45mm(第 だい 二 に 種 しゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )
200mで80mm(第 だい 一種 いっしゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )/55mm(第 だい 二 に 種 しゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )
別 べつ の1942年 ねん 5月 がつ の資料 しりょう によれば、試製 しせい 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう の鋼板 こうはん 貫通 かんつう 厚 あつ について以下 いか のようになっている。
試製 しせい 徹 てっ 甲 かぶと 弾 だん であるタングステン鋼 こう 蚤 のみ 形 がた 弾 だん を使用 しよう した場合 ばあい 、以下 いか の装甲 そうこう 板 ばん を貫通 かんつう するとしている[ 18] 。
1,500mで45mm(第 だい 一種 いっしゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )/23mm(第 だい 二 に 種 しゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )
1,000mで56mm(第 だい 一種 いっしゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )/31mm(第 だい 二 に 種 しゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )
500mで70mm(第 だい 一種 いっしゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )/45mm(第 だい 二 に 種 しゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )
200mで79mm(第 だい 一種 いっしゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )/55mm(第 だい 二 に 種 しゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )
0mで約 やく 85mm(第 だい 一種 いっしゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )/約 やく 65mm(第 だい 二 に 種 しゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん ) となっている[ 19] 。
試製 しせい 徹 てっ 甲 かぶと 弾 だん である弾丸 だんがん 鋼 こう 第 だい 一種丙製蚤形徹甲弾(一式 いっしき 徹 てっ 甲 かぶと 弾 だん に相当 そうとう )を使用 しよう した場合 ばあい 、以下 いか の装甲 そうこう 板 ばん を貫通 かんつう するとしている[ 18] 。
1,500mで43mm(第 だい 一種 いっしゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )/20mm(第 だい 二 に 種 しゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )
1,000mで52mm(第 だい 一種 いっしゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )/28mm(第 だい 二 に 種 しゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )
500mで65mm(第 だい 一種 いっしゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )/39mm(第 だい 二 に 種 しゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )
200mで72mm(第 だい 一種 いっしゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )/48mm(第 だい 二 に 種 しゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )
弾丸 だんがん 鋼 こう 第 だい 一種丙製蚤形徹甲弾の不 ふ 貫 ぬき 鋼板 こうはん 厚 あつ は以下 いか のようになっている[ 20] 。
1,000mで62mm(第 だい 一種 いっしゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )/37mm(第 だい 二 に 種 しゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )
500mで76mm(第 だい 一種 いっしゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )/52mm(第 だい 二 に 種 しゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )
200mで85mm(第 だい 一種 いっしゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )/62mm(第 だい 二 に 種 しゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん )
1945年 ねん 8月 がつ のアメリカ陸軍 りくぐん 省 しょう の情報 じょうほう 資料 しりょう によれば一式 いっしき 機動 きどう 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう の装甲 そうこう 貫通 かんつう 値 ち については以下 いか のように記載 きさい されている。
一式 いっしき 機動 きどう 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう の装甲 そうこう 貫通 かんつう 値 ち (一式 いっしき AP-HE) [ 21]
射距離 しゃきょり
垂直 すいちょく した装甲 そうこう 板 ばん に対 たい する貫通 かんつう 値 ち
垂直 すいちょく から30度 ど 傾斜 けいしゃ した装甲 そうこう 板 ばん に対 たい する貫通 かんつう 値 ち
250yd (約 やく 228.6m)
3.0in (約 やく 76mm)
2.25in(約 やく 57mm)
500yd(約 やく 457.2m)
2.75in(約 やく 70mm)
2.0in(約 やく 51mm)
1,000yd(約 やく 914.4m)
2.0in(約 やく 51mm)
1.4in(約 やく 36mm)
1,500yd(約 やく 1371.6m)
1.6in(約 やく 41mm)
1.2in(約 やく 30mm)
なお同 どう 情報 じょうほう 資料 しりょう では、貫通 かんつう 威力 いりょく が近似 きんじ すると思 おも われる(弾薬 だんやく 筒 とう が共用 きょうよう であり初速 しょそく の差 さ が約 やく 20m/秒 びょう 程度 ていど )鹵獲 ろかく された一式 いっしき 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 戦車 せんしゃ 砲 ほう の射撃 しゃげき 試験 しけん において射距離 しゃきょり 500yd(約 やく 457.2m)において3.25in(約 やく 82mm)の垂直 すいちょく 装甲 そうこう を貫通 かんつう した事例 じれい が記載 きさい されている[ 22] 。
また1945年 ねん (昭和 しょうわ 20年 ねん )7月 がつ に発行 はっこう されたアメリカ軍 ぐん の情報 じょうほう 報告 ほうこく 書 しょ には、一式 いっしき 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 戦車 せんしゃ 砲 ほう によりM4A3の装甲 そうこう を射距離 しゃきょり 500yd(約 やく 457.2m)以上 いじょう から貫通 かんつう することが可能 かのう (貫通 かんつう 可能 かのう な装甲 そうこう 箇所 かしょ は記述 きじゅつ されておらず不明 ふめい )と記述 きじゅつ され、実戦 じっせん では一式 いっしき 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 戦車 せんしゃ 砲 ほう による約 やく 30度 ど の角度 かくど からの射撃 しゃげき (射距離 しゃきょり 150~200yd:約 やく 137.1~182.8m)によりM4中 ちゅう 戦車 せんしゃ の装甲 そうこう は6発 はつ 中 ちゅう 5発 はつ が貫通 かんつう (命中 めいちゅう 箇所 かしょ 不明 ふめい )したとの報告 ほうこく の記述 きじゅつ がある。また同 どう 報告 ほうこく 書 しょ には、最近 さいきん の戦闘 せんとう 報告 ほうこく から47mm砲弾 ほうだん の品質 ひんしつ が以前 いぜん より改善 かいぜん されたことを示 しめ している、との記述 きじゅつ がある[ 23] 。
1945年 ねん 3月 がつ のアメリカ陸軍 りくぐん 武器 ぶき 科 か の情報 じょうほう 資料 しりょう によれば、本 ほん 砲 ほう と貫通 かんつう 威力 いりょく が近似 きんじ すると思 おも われる一式 いっしき 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 戦車 せんしゃ 砲 ほう は射距離 しゃきょり 500ヤード(約 やく 457.2m)において、垂直 すいちょく した圧延 あつえん 装甲 そうこう 2.7インチ(約 やく 69mm)貫通 かんつう 、垂直 すいちょく から30度 ど 傾斜 けいしゃ した圧延 あつえん 装甲 そうこう 2.2インチ(約 やく 56mm)貫通 かんつう と記載 きさい されており、一式 いっしき 機動 きどう 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう は、射距離 しゃきょり 1050ヤード(約 やく 960.1m)において、垂直 すいちょく した圧延 あつえん 装甲 そうこう 2.5インチ(約 やく 63.5mm)を貫通 かんつう すると記載 きさい されている[ 24] 。
1945年 ねん 12月のアメリカ陸軍 りくぐん 第 だい 6軍 ぐん の情報 じょうほう 資料 しりょう によれば、一式 いっしき 機動 きどう 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう は至近 しきん 距離 きょり の射撃 しゃげき 試験 しけん において、装甲 そうこう に対 たい して垂直 すいちょく に命中 めいちゅう した場合 ばあい 、4.5インチ(約 やく 114.3mm)貫通 かんつう した事例 じれい があったとしている(射撃 しゃげき 対象 たいしょう の装甲 そうこう 板 ばん の種類 しゅるい や徹 てっ 甲 かぶと 弾 だん の弾 たま 種 しゅ は記載 きさい されず不明 ふめい )[ 25] 。
陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい 幹部 かんぶ 学校 がっこう 戦史 せんし 教官 きょうかん 室 しつ の所蔵 しょぞう 資料 しりょう である近衛 このえ 第 だい 3師団 しだん の調整 ちょうせい 資料 しりょう 「現有 げんゆう 対戦 たいせん 車 しゃ 兵器 へいき 資材 しざい 効力 こうりょく 概 がい 見 み 表 ひょう 」によると四 よん 七 なな TA(47mm速射 そくしゃ 砲 ほう )の徹 てっ 甲 かぶと 弾 だん は、射距離 しゃきょり 500m/貫通 かんつう 鋼板 こうはん 厚 あつ 75mmとなっており(射撃 しゃげき 対象 たいしょう の防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん の種類 しゅるい や徹 てっ 甲 かぶと 弾 だん の弾 たま 種 しゅ は記載 きさい されず不明 ふめい )、M4中 ちゅう 戦車 せんしゃ の車体 しゃたい 側面 そくめん :射距離 しゃきょり 1500m、砲塔 ほうとう 側面 そくめん :射距離 しゃきょり 800m、車体 しゃたい 前面 ぜんめん :射距離 しゃきょり 400mで貫通 かんつう 、となっている[ 26] 。
また、1944~1945年 ねん 調製 ちょうせい と思 おも われる陸軍 りくぐん 大 だい 学校 がっこう 研究 けんきゅう 部 ぶ の資料 しりょう によると、「1式 しき 47粍 みりめーとる 速射 そくしゃ 砲 ほう (原文 げんぶん そのまま)」は、1種 しゅ :射距離 しゃきょり 300m/貫通 かんつう 威力 いりょく 84mm、1種 しゅ :射距離 しゃきょり 400m/貫通 かんつう 威力 いりょく 81mm、1種 しゅ :射距離 しゃきょり 500m/貫通 かんつう 威力 いりょく 78mm。2種 しゅ :射距離 しゃきょり 300m/貫通 かんつう 威力 いりょく 57mm、2種 しゅ :射距離 しゃきょり 400m/貫通 かんつう 威力 いりょく 54mm、2種 しゅ :射距離 しゃきょり 500m/貫通 かんつう 威力 いりょく 51mm、となっている[ 27] 。
一式 いっしき 47mm砲 ほう [ 28] によるM4A3中 ちゅう 戦車 せんしゃ の車体 しゃたい 側面 そくめん の貫通 かんつう 孔 あな
日本 にっぽん 側 がわ の射撃 しゃげき 試験 しけん では開戦 かいせん 以来 いらい 苦戦 くせん していたM3軽 けい 戦車 せんしゃ の前面 ぜんめん 装甲 そうこう を1,000mの距離 きょり で貫徹 かんてつ し、大 おお いに士気 しき が上 あ がったという。ただし本 ほん 砲 ほう が前線 ぜんせん に届 とど く頃 ころ には新鋭 しんえい のM4中 ちゅう 戦車 せんしゃ が投入 とうにゅう されており、この新 あら たな敵 てき に苦戦 くせん することとなった(一説 いっせつ によると、アメリカ軍 ぐん は同 どう 砲 ほう の存在 そんざい によってM3軽 けい 戦車 せんしゃ を戦線 せんせん 投入 とうにゅう するのは無駄 むだ な損失 そんしつ を増 ふ やすだけと判断 はんだん し、M4中 ちゅう 戦車 せんしゃ の配備 はいび を急 いそ いだという)。しかし一方 いっぽう 、日本 にっぽん 軍 ぐん は対戦 たいせん 車 しゃ 砲 ほう (速射 そくしゃ 砲 ほう )を徹底的 てっていてき に偽装 ぎそう した半地 はんじ 下 か 陣地 じんち や洞窟 どうくつ に隠 かく し、待 ま ち伏 ぶ せて敵 てき 戦車 せんしゃ の側面 そくめん を狙 ねら い撃 う つなど弱点 じゃくてん 射撃 しゃげき に徹 てっ したため、上記 じょうき のように意外 いがい に多 おお くのM4中 ちゅう 戦車 せんしゃ が失 うしな われている。タラワの戦 たたか い 以来 いらい 、日本 にっぽん 軍 ぐん の対 たい 戦車 せんしゃ 砲 ほう と肉薄 にくはく 攻撃 こうげき にさらされ続 つづ けた海兵 かいへい 隊 たい のM4中 ちゅう 戦車 せんしゃ は、硫黄 いおう 島 とう の戦 たたか い や沖縄 おきなわ 戦 せん の頃 ころ には履 くつ 帯 たい を砲塔 ほうとう に巻 ま き付 つ けたり、車体 しゃたい 側面 そくめん に磁気 じき 吸着 きゅうちゃく 地雷 じらい 除 の けの板材 いたざい や、車体 しゃたい との間 あいだ にコンクリートを流 なが し込 こ んで増加 ぞうか 装甲 そうこう にする等 ひとし の防御 ぼうぎょ 力 りょく 強化 きょうか 対策 たいさく をとっていた。反面 はんめん 、フィリピンの戦 たたか い から本格 ほんかく 的 てき に投入 とうにゅう された陸軍 りくぐん のM4中 ちゅう 戦車 せんしゃ ではこういった対策 たいさく が不十分 ふじゅうぶん で、上記 じょうき のような損害 そんがい を出 だ すこととなった。
なお、本 ほん 砲 ほう に限 かぎ らず日本 にっぽん 陸軍 りくぐん の対 たい 戦車 せんしゃ 砲 ほう ・戦車 せんしゃ 砲 ほう 全般 ぜんぱん に対 たい し、貫徹 かんてつ 能力 のうりょく の低 ひく さについて「当時 とうじ の日本 にっぽん の冶金 やきん 技術 ぎじゅつ の低 ひく さゆえに弾頭 だんとう 強度 きょうど が低 ひく く徹 てっ 甲 かぶと 弾 だん の貫徹 かんてつ 能力 のうりょく が劣 おと っていた」との指摘 してき がある。弾頭 だんとう の強度 きょうど が低 ひく かったのは事実 じじつ であるが、九 きゅう 〇式 しき 五 ご 糎 せんちめーとる 七 なな 戦車 せんしゃ 砲 ほう と九 きゅう 七 なな 式 しき 五 ご 糎 せんちめーとる 七 なな 戦車 せんしゃ 砲 ほう の九 きゅう 二 に 式 しき 徹 とおる 甲 かぶと 弾 だん や、九 きゅう 四 よん 式 しき 三 さん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう の九 きゅう 四 よん 式 しき 徹 とおる 甲 かぶと 弾 だん など、これらに主 おも に使用 しよう された徹 とおる 甲 かぶと 弾 だん の場合 ばあい は、弾 たま 殻 から を薄 うす くし、内部 ないぶ に比較的 ひかくてき 大量 たいりょう の炸薬 さくやく を有 ゆう する徹 とおる 甲 かぶと 榴弾 りゅうだん (AP-HE) であり、厚 あつ い装甲 そうこう 板 ばん に対 たい しては構造 こうぞう 的 てき な強度 きょうど 不足 ふそく が生 しょう じていたことが原因 げんいん として挙 あ げられる[ 29] 。とはいえ、これらも制式 せいしき 制定 せいてい 当時 とうじ の想定 そうてい 的 てき (目標 もくひょう )に対 たい しては充分 じゅうぶん な貫通 かんつう 性能 せいのう を持 も っていた。後 のち に開発 かいはつ された一式 いっしき 徹 てっ 甲 かぶと 弾 だん では貫徹 かんてつ 力 りょく 改善 かいぜん のために弾 たま 殻 から が厚 あつ くなっている。
本 ほん 砲 ほう などで主用 しゅよう された一式 いっしき 徹 てっ 甲 かぶと 弾 だん における貫徹 かんてつ 性能 せいのう 不足 ふそく の主因 しゅいん は弾頭 だんとう に使用 しよう している鋼 はがね の金属 きんぞく 成分 せいぶん にあった。一 いち 例 れい として日本 にっぽん 陸軍 りくぐん の一般 いっぱん 的 てき な徹 てっ 甲 かぶと 弾 だん はほとんどクロム を含有 がんゆう していない弾丸 だんがん 鋼 こう で製造 せいぞう されている(0.006-0.015%、ドイツとアメリカの徹 てっ 甲 かぶと 弾 だん は1%クローム鋼 こう であった[ 30] )。弾丸 だんがん 鋼 こう で製造 せいぞう された弾頭 だんとう の金 きむ 質 ただし が諸 しょ 外国 がいこく 製 せい の徹 てっ 甲 かぶと 弾 だん に対 たい して劣 おと ることは陸軍 りくぐん でも把握 はあく しており[ 31] 、同時 どうじ に試験 しけん 用 よう にW-Cr鋼 こう (タングステンクローム鋼 こう )で作成 さくせい された弾丸 だんがん は金 きむ 質 ただし 及 およ び貫徹 かんてつ 力 りょく において他国 たこく 製 せい の弾丸 だんがん と同等 どうとう と判断 はんだん されている[ 32] 。
一式 いっしき 機動 きどう 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう 用 よう のW-Cr鋼 こう 製 せい の徹 てっ 甲 かぶと 弾 だん は「特 とく 甲 かぶと 」と呼称 こしょう され、大戦 たいせん 後半 こうはん に少数 しょうすう 製造 せいぞう された[ 33] 。なお、ニッケルクローム鋼 こう 製 せい の弾丸 だんがん を「特 とく 乙 おつ 」と呼 よ んだが、こちらは実際 じっさい に製造 せいぞう されたかどうか不明 ふめい である[ 34] 。なお、一式 いっしき 徹 てっ 甲 かぶと 弾 だん より新型 しんがた である四 よん 式 しき 徹 とおる 甲 かぶと 弾 だん は、終戦 しゅうせん 時 じ に完成 かんせい 品 ひん が約 やく 5,000発 はつ 、半途 はんと 品 ひん が約 やく 30,000発 はつ 存在 そんざい していた[ 33] 。
結果 けっか として、日本 にっぽん 陸軍 りくぐん の対 たい 戦車 せんしゃ 砲 ほう は、実戦 じっせん において弾頭 だんとう 強度 きょうど に劣 おと る弾丸 だんがん 鋼 こう 製 せい の徹 てっ 甲 かぶと 弾 だん を主用 しゅよう することとなり、他国 たこく の同種 どうしゅ の砲 ほう よりも貫徹 かんてつ 性能 せいのう においてやや劣 おと ることとなった。
本 ほん 砲 ほう の実用 じつよう 発射 はっしゃ 速度 そくど は移動 いどう 目標 もくひょう に対 たい し1分 ふん 10発 はつ 内外 ないがい であった。
主力 しゅりょく 対 たい 戦車 せんしゃ 砲 ほう であったため、比較的 ひかくてき 多数 たすう が現存 げんそん しており各地 かくち の軍事 ぐんじ 博物館 はくぶつかん ・基地 きち 等 とう で収蔵 しゅうぞう 展示 てんじ されている。
左側 ひだりがわ
右側 みぎがわ
後方 こうほう 左側 ひだりがわ
後方 こうほう 右側 みぎがわ
一式 いっしき 機動 きどう 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう
一式 いっしき 機動 きどう 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう 。塗装 とそう (迷彩 めいさい )の色 いろ やパターンは当時 とうじ とは異 こと なる
一式 いっしき 機動 きどう 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう 。防 ぼう 楯 だて は当時 とうじ とは異 こと なる
『独立 どくりつ 戦車 せんしゃ 隊 たい 』
「紅 べに の墓標 ぼひょう 」にて日本 にっぽん 軍 ぐん の対 たい 戦車 せんしゃ 砲 ほう として1門 もん 登場 とうじょう する。作中 さくちゅう では固守 こしゅ 命令 めいれい を受 う けて街道 かいどう 沿 ぞ いのパゴダ に布陣 ふじん し、歩兵 ほへい を伴 ともな って攻撃 こうげき してくるイギリス軍 ぐん のM4中 ちゅう 戦車 せんしゃ 相手 あいて に近距離 きんきょり から射撃 しゃげき を行 おこな って二 に 輌 りょう を撃破 げきは するが、二 に 輌 りょう 目 め と相討 あいう ちになる形 かたち で破壊 はかい され、砲 ほう 員 いん たちも死傷 ししょう する。
『R.U.S.E. 』
日本 にっぽん 軍 ぐん の対 たい 戦車 せんしゃ 砲 ほう として登場 とうじょう 。
『コール オブ デューティ ワールド・アット・ウォー 』
日本 にっぽん 軍 ぐん の対 たい 戦車 せんしゃ 砲 ほう として、一部 いちぶ マップに置 お いてある。
^ 邦訳 ほうやく ではマクシム・コロミーエツ著 ちょ 「ノモンハン戦車 せんしゃ 戦 せん 」などでうかがい知 し ることができる
^ それまでの火砲 かほう は主 おも に軍馬 ぐんば が牽引 けんいん (輓馬 ばんば )していた(重 じゅう 榴弾 りゅうだん 砲 ほう や加 か 農 のう といった重砲 じゅうほう は除 のぞ く。重砲 じゅうほう は比較的 ひかくてき 早 はや くから機械 きかい 化 か されていた)。
^ 「陸戦 りくせん 兵器 へいき 要目 ようもく 表 ひょう 」館山 たてやま 海軍 かいぐん 砲術 ほうじゅつ 学校 がっこう 研究所 けんきゅうじょ 、66頁 ぺーじ 。なお「試製 しせい 一式 いっしき 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう 研究 けんきゅう 報告 ほうこく 」によれば、一式 いっしき 機動 きどう 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう の後 のち 座長 ざちょう は475~500mmである。
^ 久山 ひさやま 忍 しのぶ 2018 , p. 122
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^ 同 どう 条件 じょうけん で第 だい 二 に 種 しゅ に対 たい しては侵 おかせ 徹 てっ 長 ちょう が伸 の びていることや同 どう 時期 じき の別 べつ 資料 しりょう (下記 かき )では同 どう 一 いち 距離 きょり で72mm貫通 かんつう となっており元 もと 資料 しりょう の誤記 ごき の可能 かのう 性 せい もある
^ 「試製 しせい 一式 いっしき 機動 きどう 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう 研究 けんきゅう 報告 ほうこく 」による
^ a b 「第 だい 1回 かい 陸軍 りくぐん 技術 ぎじゅつ 研究 けんきゅう 会 かい 、兵器 へいき 分科 ぶんか 講演 こうえん 記録 きろく (第 だい 1巻 かん )」24頁 ぺーじ 。
^ 「第 だい 1回 かい 陸軍 りくぐん 技術 ぎじゅつ 研究 けんきゅう 会 かい 、兵器 へいき 分科 ぶんか 講演 こうえん 記録 きろく (第 だい 1巻 かん )」 附図 ふず 第 だい 七 なな の貫通 かんつう 曲線 きょくせん 図 ず より。
^ 「第 だい 1回 かい 陸軍 りくぐん 技術 ぎじゅつ 研究 けんきゅう 会 かい 、兵器 へいき 分科 ぶんか 講演 こうえん 記録 きろく (第 だい 1巻 かん )」22頁 ぺーじ 。
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^ Catalog Of Enemy Ordnance Materiel - U.S. Army Office Chief of Ordnance, 1 March, 1945 https://archive.org/details/CatalogOfEnemyOrdnanceMateriel/page/n0/?view=theater
^ 『Enemy on Luzon: An Intelligence Summary』 p194, U.S. Sixth Army, 1 December 1945 - Part1: http://cgsc.cdmhost.com/utils/getdownloaditem/collection/p4013coll8/id/3185/filename/3199.pdf/mapsto/pdf Part2: http://cgsc.cdmhost.com/utils/getdownloaditem/collection/p4013coll8/id/3186/filename/3200.pdf/mapsto/pdf - U.S. Army Command and General Staff College (CGSC), Combined Arms Research Library (CARL) Digital Library.
^ 白井 しらい 明雄 あきお 『日本 にっぽん 陸軍 りくぐん 「戦 せん 訓 くん 」の研究 けんきゅう 』 94頁 ぺーじ 、107頁 ぺーじ
^ 陸戦 りくせん 学会 がっかい 「近代 きんだい 戦争 せんそう 史 し 概説 がいせつ 資料集 しりょうしゅう 」 p93。 徹 とおる 甲 かぶと 弾 だん の弾 たま 種 しゅ は記載 きさい されず不明 ふめい 。射撃 しゃげき 対象 たいしょう の防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん は、陸軍 りくぐん の他 ほか の対戦 たいせん 車 しゃ 火砲 かほう の試験 しけん 資料 しりょう の表記 ひょうき に従 したが えば、「1種 しゅ 」は第 だい 一種 いっしゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん 、「2種 しゅ 」は第 だい 二 に 種 しゅ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん のことを指 さ すと思 おも われる。また、「近代 きんだい 戦争 せんそう 史 し 概説 がいせつ 資料集 しりょうしゅう 」 p92の別 べつ 資料 しりょう の記述 きじゅつ から、「1種 しゅ 」は弾頭 だんとう に被 ひ 帽 ぼう のある試製 しせい APCであり、「2種 しゅ 」は通常 つうじょう 弾頭 だんとう のAPであるとして、「1種 しゅ ・2種 しゅ 」は徹 てっ 甲 かぶと 弾 だん の弾 たま 種 しゅ を指 さ す、とする推測 すいそく もある。
^ 一式 いっしき 機動 きどう 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう もしくは一式 いっしき 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 戦車 せんしゃ 砲 ほう のどちらの射撃 しゃげき によるものなのかは画像 がぞう の出典 しゅってん には記載 きさい されず不明 ふめい
^ 「第 だい 1回 かい 陸軍 りくぐん 技術 ぎじゅつ 研究 けんきゅう 会 かい 、兵器 へいき 分科 ぶんか 講演 こうえん 記録 きろく (第 だい 1巻 かん )」21頁 ぺーじ 。
^ 「グランドパワー2010年 ねん 12月 がつ 号 ごう 」第 だい 33巻 かん 第 だい 12号 ごう 、ガリレオ出版 しゅっぱん 、30頁 ぺーじ
^ 「第 だい 1回 かい 陸軍 りくぐん 技術 ぎじゅつ 研究 けんきゅう 会 かい 、兵器 へいき 分科 ぶんか 講演 こうえん 記録 きろく (第 だい 1巻 かん )」23頁 ぺーじ では、弾丸 だんがん 径 みち の1/2以上 いじょう の厚 あつ 板 ばん に対 たい しては着 き 速 そく (着弾 ちゃくだん 速度 そくど )換算 かんさん で約 やく 1割 わり 劣 おと ると見積 みつ もられている。
^ 「第 だい 1回 かい 陸軍 りくぐん 技術 ぎじゅつ 研究 けんきゅう 会 かい 、兵器 へいき 分科 ぶんか 講演 こうえん 記録 きろく (第 だい 1巻 かん )」23頁 ぺーじ では押収 おうしゅう されたラ式 しき 37mm対 たい 戦車 せんしゃ 砲 ほう の1937年 ねん 製 せい の弾丸 だんがん と概 おおむ ね同等 どうとう とされており、同 どう 資料 しりょう においては「タングステン 」弾 だん を他国 たこく の同種 どうしゅ の弾丸 だんがん と同等 どうとう のものとして各種 かくしゅ の計算 けいさん を行 おこな っている。
^ a b 佐山 さやま 二郎 じろう 「日本 にっぽん 陸軍 りくぐん の火砲 かほう 歩兵 ほへい 砲 ほう 対 たい 戦車 せんしゃ 砲 ほう 他 た 」169頁 ぺーじ 。
^ 佐山 さやま 二郎 じろう 「日本 にっぽん 陸軍 りくぐん の火砲 かほう 歩兵 ほへい 砲 ほう 対 たい 戦車 せんしゃ 砲 ほう 他 た 」169頁 ぺーじ 。ニッケルクローム鋼 こう 製 せい の弾丸 だんがん を特 とく 乙 おつ と呼称 こしょう する旨 むね は記載 きさい されているが、特 とく 甲 かぶと が製造 せいぞう 配備 はいび されたと述 の べられているのに対 たい して、特 とく 乙 おつ について製造 せいぞう されたかどうかの言及 げんきゅう はない。
松井 まつい 史 ふみ 衛 まもる 「帝国 ていこく 陸軍 りくぐん 一式 いっしき 47mm速射 そくしゃ 砲 ほう 」
アルゴノート社 しゃ 『PANZER』2003年 ねん 11月 がつ 号 ごう No.378 p112~p115
佐山 さやま 二郎 じろう 「“一式 いっしき 機動 きどう 47ミリ砲 ほう ”Q&A集 しゅう 」
潮 しお 書房 しょぼう 『丸 まる 』2003年 ねん 7月 がつ 号 ごう No.687 p168~p169
佐山 さやま 二郎 じろう 「日本 にっぽん 陸軍 りくぐん の火砲 かほう 歩兵 ほへい 砲 ほう 対 たい 戦車 せんしゃ 砲 ほう 他 た 」ISBN 978-4-7698-2697-2 光人 みつひと 社 しゃ NF文庫 ぶんこ 、2011年 ねん
白井 しらい 明雄 あきお 『日本 にっぽん 陸軍 りくぐん 「戦 せん 訓 くん 」の研究 けんきゅう 』 芙蓉 ふよう 書房 しょぼう 出版 しゅっぱん 2003年 ねん
陸戦 りくせん 学会 がっかい 戦史 せんし 部会 ぶかい 編著 へんちょ 「近代 きんだい 戦争 せんそう 史 し 概説 がいせつ 資料集 しりょうしゅう 」 陸戦 りくせん 学会 がっかい 1984年 ねん
試製 しせい 一式 いっしき 機動 きどう 47粍 みりめーとる 砲 ほう 仮 かり 制式 せいしき 上申 じょうしん 書 しょ
「試製 しせい 一式 いっしき 機動 きどう 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 砲 ほう 研究 けんきゅう 報告 ほうこく 」アジア歴史 れきし 資料 しりょう センター (JACAR) Ref.A03032093000
陸軍 りくぐん 省 しょう 技術 ぎじゅつ 本部 ほんぶ 第 だい 二 に 部 ぶ 「第 だい 1回 かい 陸軍 りくぐん 技術 ぎじゅつ 研究 けんきゅう 会 かい 、兵器 へいき 分科 ぶんか 講演 こうえん 記録 きろく (第 だい 1巻 かん )」アジア歴史 れきし 資料 しりょう センター Ref.A03032065000
「陸戦 りくせん 兵器 へいき 要目 ようもく 表 ひょう 」アジア歴史 れきし 資料 しりょう センター Ref.A03032103400
和訳 わやく 書 しょ :米国 べいこく 陸軍 りくぐん 省 しょう (編 へん )『沖縄 おきなわ :日米 にちべい 最後 さいご の戦闘 せんとう 』外間 ほかま 正 せい 四 よん 郎 ろう (訳 わけ )、光人 みつひと 社 しゃ 、1997年 ねん 。ISBN 4769821522 。
防衛庁 ぼうえいちょう 防衛 ぼうえい 研修 けんしゅう 所 しょ 戦史 せんし 室 しつ 『中部 ちゅうぶ 太平洋 たいへいよう 陸軍 りくぐん 作戦 さくせん (2)ペリリュー・アンガウル・硫黄 いおう 島 とう 』 第 だい 13巻 かん 、朝 あさ 雲 くも 新聞 しんぶん 社 しゃ 〈CITEREF戦史 せんし 叢書 そうしょ ・131968〉、1968年 ねん 。
佐藤 さとう 和正 かずまさ 『玉砕 ぎょくさい の島 しま ―太平洋戦争 たいへいようせんそう 激闘 げきとう の秘録 ひろく 』光人 みつひと 社 しゃ 、2004年 ねん 。ISBN 978-4769822721 。
小谷 おたに 秀 しげる 二郎 じろう 『硫黄 いおう 島 とう の死闘 しとう ―恐怖 きょうふ の洞窟 どうくつ 戦 せん 』産経新聞 さんけいしんぶん 社 しゃ 、1978年 ねん 。ASIN B000J8NFIC 。
久山 ひさやま 忍 しのぶ 『インパール作戦 さくせん 悲劇 ひげき の構図 こうず 日本 にっぽん 陸軍 りくぐん 史上 しじょう 最 もっと も無謀 むぼう な戦 たたか い』光人 みつひと 社 しゃ 、2018年 ねん 。ISBN 978-4769816614 。
Coox, Alvin D.; Naisawald, L. Van Loan (1954). Survey of Allied Tank Casualties of World War II (Report). Baltimore: Johns Hopkins University Operations Research Office. OCLC 21347186 . Technical Memorandum ORO-T-117. 2021年 ねん 11月25日 にち 時点 じてん のオリジナル よりアーカイブ。
野砲 やほう (師団 しだん 砲兵 ほうへい )
山砲 さんぽう ・騎 き 砲 ほう 重砲 じゅうほう (重砲 じゅうほう 兵 へい )
移動 いどう /固定 こてい 式 しき 火砲 かほう 固定 こてい 式 しき 火砲 かほう
明治 めいじ
十 じゅう 九 きゅう 糎 せんちめーとる 加 か 農 のう
二 に 十 じゅう 四 よん 糎 せんちめーとる 臼砲 きゅうほう
二 に 十 じゅう 四 よん 糎 せんちめーとる 加 か 農 のう
十 じゅう 二 に 糎 せんちめーとる 速射 そくしゃ 加 か 農 のう
九 きゅう 糎 せんちめーとる 速射 そくしゃ 加 か 農 のう
改正 かいせい 二 に 十 じゅう 三 さん 口径 こうけい 二 に 十 じゅう 四 よん 糎 せんちめーとる 加 か 農 のう
改正 かいせい 二 に 十 じゅう 六 ろく 口径 こうけい 二 に 十 じゅう 四 よん 糎 せんちめーとる 加 か 農 のう
三 さん 十 じゅう 口径 こうけい 二 に 十 じゅう 七 なな 糎 せんちめーとる 加 か 農 のう
三 さん 十 じゅう 六 ろく 口径 こうけい 二 に 十 じゅう 七 なな 糎 せんちめーとる 加 か 農 のう
大正 たいしょう ・昭和 しょうわ
輸入 ゆにゅう 火砲 かほう ・列車 れっしゃ 砲 ほう
加 か 式 しき 二 に 十 じゅう 七 なな 糎 せんちめーとる 加 か 農 のう
斯式二 に 十 じゅう 七 なな 糎 せんちめーとる 加 か 農 のう
加 か 式 しき 十 じゅう 二 に 糎 せんちめーとる 速射 そくしゃ 加 か 農 のう
馬 うま 式 しき 十 じゅう 二 に 糎 せんちめーとる 速射 そくしゃ 加 か 農 のう
安 やす 式 しき 二 に 十 じゅう 四 よん 糎 せんちめーとる 加 か 農 のう
斯加式 しき 九 きゅう 糎 せんちめーとる 速射 そくしゃ 加 か 農 のう
斯加式 しき 十 じゅう 二 に 糎 せんちめーとる 速射 そくしゃ 加 か 農 のう
斯加式 しき 二 に 十 じゅう 七 なな 糎 せんちめーとる 加 か 農 のう
克 かつ 式 しき 砲塔 ほうとう 十 じゅう 五 ご 糎 せんちめーとる 加 か 農 のう
参 さん 式 しき 砲塔 ほうとう 十 じゅう 五 ご 糎 せんちめーとる 加 か 農 のう
克 かつ 式 しき 十 じゅう 糎 せんちめーとる 半 はん 速射 そくしゃ 加 か 農 のう
九 きゅう 〇式 しき 二 に 十 じゅう 四 よん 糎 せんちめーとる 列車 れっしゃ 加 か 農 のう
野戦 やせん 重砲 じゅうほう (野戦 やせん 重砲 じゅうほう 兵 へい )
臼砲 きゅうほう 迫撃 はくげき 砲 ほう ・投射 とうしゃ 器 き 噴進砲 ほう 高射 こうしゃ 砲 ほう 高射 こうしゃ 機関 きかん 砲 ほう 対戦 たいせん 車 しゃ 砲 ほう 歩兵 ほへい 砲 ほう 無 む 反動 はんどう 砲 ほう 空挺 くうてい 砲 ほう 戦車 せんしゃ 砲 ほう 舟艇 しゅうてい 砲 ほう