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ホンダ・RA300

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ホンダ・RA300
ホンダコレクションホールのRA300
ホンダコレクションホールのRA300
カテゴリー F1
コンストラクター ホンダ
デザイナー エリック・ブロードレイ
ジョン・サーティース
中村なかむら良夫よしお
佐野さの彰一しょういち
先代せんだい ホンダ・RA273
後継こうけい ホンダ・RA301
主要しゅようしょもと
シャシー フルモノコック構造こうぞうチューブラーサブフレーム
サスペンション(まえ ダブルウィッシュボーン
サスペンション( ダブルウィッシュボーン
全長ぜんちょう 3,955 mm
全幅ぜんぷく 1,788 mm
ぜんこう 845 mm
トレッド まえ:1,464 mm / :1,442 mm
ホイールベース 2,454 mm
エンジン ホンダ RA273E 2,992 cc 90 V12 NA ミッドシップ
トランスミッション ホンダ 5そく MT
重量じゅうりょう 590 kg
燃料ねんりょう BP
シェル
オイル BR
シェル
タイヤ ファイアストン
主要しゅよう成績せいせき
チーム ホンダ・レーシング
ドライバー イギリスの旗 ジョン・サーティース
出走しゅっそう時期じき 1967ねん
コンストラクターズタイトル 0
ドライバーズタイトル 0
通算つうさん獲得かくとくポイント 32
初戦しょせん 1967ねん イタリアGP
はつ勝利しょうり 1967ねん イタリアGP
最終さいしゅうせん 1968ねん みなみアフリカGP
出走しゅっそう優勝ゆうしょう表彰台ひょうしょうだいポールFラップ
41100
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ホンダ・RA300(ホンダ・アールエーさんびゃく)は、ホンダ1967ねんのF1世界せかい選手権せんしゅけんよう開発かいはつしたフォーミュラ1カー。1967ねん途中とちゅうから1968ねんはじめにかけて使用しようされた。後述こうじゅつするようにローラ・カーズとの共同きょうどう開発かいはつとなったため、ローラがわ呼称こしょうとしてローラ・T130ともばれる。

概要がいよう

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エンジン
2006ねんグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード

ホンダは1966ねん開発かいはつしたRA273を1967ねんシーズンも継続けいぞく使用しようしたが、重量じゅうりょう超過ちょうか問題もんだい成績せいせきるわず、打開だかいさくせまられた。そこで、シーズンちゅう新車しんしゃ開発かいはつ投入とうにゅうするというおもった行動こうどうた。イギリスのローラと提携ていけいし、エリック・ブロードレイインディカー(ローラ・T90)をベースとしたシャシーを設計せっけい。これにRA273とおなV12エンジンを搭載とうさいするという「にちえい合作がっさく」だった。作業さぎょうはシーズンなかばの7がつはじまり、6週間しゅうかん突貫とっかん作業さぎょう実戦じっせん投入とうにゅうされた。

この背景はいけいには、藤沢ふじさわ武夫たけお決定けっていによる本田ほんだ技術ぎじゅつ研究所けんきゅうじょにおける市販しはんしゃ開発かいはつ要員よういん確保かくほのため、F1担当たんとう人員じんいんおおきく削減さくげんされシャシー開発かいはつ人員じんいんけなくなったこと、さらにドライバーのジョン・サーティース当時とうじローラのだい株主かぶぬしであったため、ローラの協力きょうりょくやすい環境かんきょうだったことがげられる。ローラのファクトリーで製作せいさくされたマシンは「ホンドーラ Hondola」とあだされた。

ブロードレイの設計せっけいしたRA300は自社じしゃ製作せいさくのRA273よりもはるかに軽量けいりょうで、ハンドリングも良好りょうこうであった。車体しゃたい単体たんたいでもRA273にくらやく70kgの軽量けいりょうたし、エンジン・ギアボックスのマグネシウム合金ごうきんによる軽量けいりょうくわえた結果けっかくるまじゅうやく610kgにまで削減さくげんされた[1]。ただしそれでも当時とうじのレギュレーションじょう最低さいてい重量じゅうりょう(500kg)よりは100kg以上いじょうおもく、ライバルにたいしハンデを背負せおっている状況じょうきょうにはかわりなかった。

デビューせんとなったイタリアGP優勝ゆうしょうたした。サーティースはジム・クラークのロータス、ジャック・ブラバムのブラバムを最終さいしゅうラップでリードし、クラークは燃料ねんりょうれ、ブラバムはコースをふくらみサーティースが優勝ゆうしょうした。しかしながら、RA300がトップをはしったのはこの最終さいしゅうラップのみで、その勝利しょうりすることはかった。どうシーズンののこりは最終さいしゅうせんメキシコで4はいったのみで、よく1968ねんにはみなみアフリカで8、スペインからはRA300とよく設計せっけいRA301投入とうにゅうされた。しかしながら、状況じょうきょう改善かいぜんするにはいたらず、サーティースは12せんうち完走かんそう4という結果けっかであった。

48バルブのVがた12気筒きとうエンジン、RA273E1966ねんイタリアグランプリはじめて投入とうにゅうされ、搭載とうさい車両しゃりょうRA273リッチー・ギンサーがドライブした。3そくギアでのちを100mphの速度そくど回転かいてんさせた。シリンダーは 78.0x52.2mm、排気はいきりょう2,993.17cc、12,000rpmで400-440馬力ばりき出力しゅつりょく目標もくひょうであった。1967ねんになるとRA300に搭載とうさいされ、イタリアGPでサーティースがドライブ、出力しゅつりょくは396馬力ばりきであったが、トルクとレスポンスが改善かいぜんされていた。

現在げんざいツインリンクもてぎうちにあるホンダコレクションホールに14号車ごうしゃ動態どうたい保存ほぞんされており、イベントなどでたまに走行そうこうしている。

F1におけるぜん成績せいせき

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(key) (太字ふとじポールポジション

とし チーム エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 ポイント 順位じゅんい
1967ねん ホンダ・レーシング ホンダ RA273E, V12 F RSA
南アフリカの旗
MON
モナコの旗
NED
オランダの旗
BEL
ベルギーの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
CAN
カナダの旗
ITA
イタリアの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
MEX
メキシコの旗
20[2] 4
イギリスの旗 ジョン・サーティース 1 Ret 4
1968ねん ホンダ・レーシング ホンダ RA273E, V12 F RSA
南アフリカの旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
BEL
ベルギーの旗
NED
オランダの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
ITA
イタリアの旗
CAN
カナダの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
MEX
メキシコの旗
12[3] 7
イギリスの旗 ジョン・サーティース 8

参照さんしょう

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  1. ^ 『F1地上ちじょうゆめ』(海老沢えびさわ泰久やすひさしる朝日新聞社あさひしんぶんしゃ1992ねん)p.222
  2. ^ RA273によるポイントもふくむ。
  3. ^ RA301によるポイントもふくむ。

外部がいぶリンク

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  • Honda RA300 - Honda Collection Hall
  • RA300 - Honda F1ルーツ紀行きこう 佐野さの教授きょうじゅとコレクションホールを