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日本にっぽんとネパールの関係かんけい

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日本にっぽんとネパールの関係かんけい
JapanとNepalの位置を示した地図

日本にっぽん

ネパール

日本にっぽんとネパールの関係かんけい(にほんとネパールのかんけい、ネパール: नेपाल र जापानको सम्बन्ध英語えいご: Japan–Nepal relations)では、日本にっぽんネパールとの関係かんけいについて記述きじゅつする。両国りょうこくあいだにおいて正式せいしき国交こっこう樹立じゅりつされたのは1956ねんのことだった。

両国りょうこく概要がいよう

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日本の旗 日本にっぽん ネパールの旗 ネパール
人口じんこう[1] 1おく2596まんにん 2870まんにん(2018ねん[ちゅう 1]
面積めんせき 377,955 km² 147,181 km²
人口じんこう密度みつど 333.8にん/km² (2019ねん やく179.9にん/km²(2011ねん[ちゅう 2]
首都しゅと[2] 東京とうきょう カトマンズ
最大さいだい都市とし 東京とうきょう – 1278まん3000にん (首都しゅとけんは3245まんにん) カトマンズ
国家こっか体制たいせい[2] 単一たんいつ国家こっか議会ぎかいないかくせい立憲りっけん君主くんしゅせい 連邦れんぽう民主みんしゅ共和きょうわせい連邦れんぽう国家こっか
公用こうよう[2] 日本語にほんご (事実じじつじょう) ネパール
宗教しゅうきょう[2] 神道しんとう83.9%、仏教ぶっきょう71.4%、キリストきょう2%、その0.6% [3][ちゅう 3] ヒンドゥーきょう81.3%、仏教ぶっきょう9.0%、イスラム教いすらむきょう4.4%)、その
民族みんぞく[2] 日本人にっぽんじん、アイヌ、その パルバテ・ヒンドゥー(チェトリ、丘陵きゅうりょうブラーマン、カミなどのカースト集団しゅうだん総称そうしょうしたもの。)、マガルぞくタルーぞくタマンぞくネワールぞく、その
在留ざいりゅう邦人ほうじんすう/在日ざいにちネパール人数にんずう[1] 1203にん(2018ねん 9まん2804にん(2019ねん
通貨つうか[2] えん(Yen 10 = Nepal Rupee 1) ネパール・ルピー(Nepal Rupee 1 = Yen 10)
GDP (名目めいもく)[1] 5ちょう1000おくドル (1人ひとりたり38,559あめりかドル) やく305おくドル(1人ひとりたりやく1034あめりかドル)(2018ねん
軍事ぐんじ[2] 46,804おくえん(2013ねん[4] 293.03おくルピー(2013ねん)

歴史れきし

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ネパール、カトマンズのボダナートにある河口かこう訪問ほうもん記念きねん
チャンドラ・シャムシェル首相しゅしょう

近代きんだい日本にっぽんとネパールの関係かんけいは、1899ねん日本人にっぽんじん僧侶そうりょ河口かわぐち慧海えかいによるチベットでの仏典ぶってん収集しゅうしゅうのため、ネパールに入国にゅうこくしたことからはじまる[2]。また、どう時代じだい1902ねんには、ネパール政府せいふチャンドラ・シャムシェル首相しゅしょうが8にん留学生りゅうがくせい日本にっぽん派遣はけんしたことは、日本にっぽんとネパールの交流こうりゅうのさきがけてき存在そんざいである[5]。その両国りょうこく交流こうりゅうは、ネパールにつよ影響えいきょうりょくっていたイギリス日本にっぽんたたかっただい世界せかい大戦たいせんにおいて一時いちじ中断ちゅうだんしたものの、1956ねん正式せいしき外交がいこう樹立じゅりつし、政府せいふ民間みんかんども再開さいかいさせ、現在げんざいいた[2]2008ねんにネパールは、王制おうせい廃止はいしし、政治せいじ体制たいせい変化へんかさせたが、それまでの皇室こうしつ王室おうしつあいだ交流こうりゅう議員ぎいん交流こうりゅう1998ねん11月にギリジャー・プラサード・コイララ首相しゅしょうがネパールの民選みんせん首相しゅしょうとしてはつ訪日ほうにち、2000ねん8がつにはもり総理そうり日本にっぽん総理そうり大臣だいじんとしてはじめてネパールを訪問ほうもんしたなどの交流こうりゅうかさねもあり、日本にっぽんとの関係かんけい良好りょうこう状態じょうたいたもっている[2]。また、2008ねん4がつ2013ねん11月の制憲せいけん議会ぎかい選挙せんきょ選挙せんきょ監視かんしだん派遣はけんした。

政治せいじ

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前述ぜんじゅつのとおり日本にっぽんとネパールの政治せいじ首脳しゅのう外交がいこう交流こうりゅうは、1998ねん11月にコイララ首相しゅしょうがネパールの民選みんせん首相しゅしょうとしてはつ訪日ほうにちし、2000ねん8がつにはもり喜朗よしろう総理そうり日本にっぽん総理そうり大臣だいじんとしてはじめてネパールを訪問ほうもんした。2007ねん10がつ10日とおかサハーナ・プラダン外相がいしょう来日らいにちし、日本にっぽん高村たかむら正彦まさひこ外相がいしょう公式こうしき会談かいだんした。そのなかでプラダン外相がいしょう日本にっぽん投票とうひょうばこ供与きょうよ国連こくれん監視かんしだん協力きょうりょく感謝かんしゃし、日本にっぽん国連こくれん常任じょうにん理事りじこくりを支持しじした[6]。 また、毛沢東もうたくとうプラチャンダ議長ぎちょう政権せいけん就任しゅうにんまえ日本にっぽんガジュレル政治せいじ局員きょくいん非公式ひこうしき派遣はけんした。ガジュレルは、日本にっぽん・ネパール友好ゆうこう議員ぎいん連盟れんめい会長かいちょうかい俊博としひろ衆議院しゅうぎいん議員ぎいん当時とうじ木村きむらひとし外務がいむふく大臣だいじん会談かいだんし、また、共同通信きょうどうつうしんのインタビューもけた[7]2008ねん7がつ16にちには制憲せいけん議会ぎかい発足ほっそくはじめての要人ようじん訪問ほうもんとして日本にっぽんから宇野うのおさむ外務がいむ大臣だいじん政務せいむかんがネパールを訪問ほうもんギリジャー・プラサード・コイララ首相しゅしょうのほか、のプラチャンダ議長ぎちょうら、各党かくとう幹部かんぶ個別こべつ会談かいだん[8]2012ねん4がつには玄葉げんば光一郎こういちろう外相がいしょう日本にっぽん外務がいむ大臣だいじんとして35ねんぶりにネパールを訪問ほうもんした[2]。また、橋本はしもと龍太郎りゅうたろうもと総理そうりは、日本にっぽん山岳さんがく会員かいいんでもあり、3ネパールをおとずれ、交流こうりゅうふかめた。

軍事ぐんじ

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日本国にっぽんこく政府せいふは、国連こくれんからの国連こくれんネパール政治せいじミッション(UNMIN)の派遣はけん要請ようせいけ、2007ねんから2011ねんまでのやく4年間ねんかんけい24にんをネパールに派遣はけんし、包括ほうかつ和平わへい合意ごうい規定きていのもと武器ぶきおよび兵士へいし管理かんりかん制憲せいけん議会ぎかい選挙せんきょ計画けいかく準備じゅんび実施じっしかんなどをおこなった[9]

皇室こうしつ王室おうしつ関係かんけい

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1960ねん、1975ねん皇太子こうたいし明仁あきひと親王しんのう夫妻ふさい当時とうじれい時代じだい上皇じょうこうじょう皇后こうごう)がネパールをおとずれたほか、すうめい皇族こうぞくがネパールを公式こうしき訪問ほうもんしている。1978ねん、1983ねんおよび1985ねんにはビレンドラ国王こくおう夫妻ふさい日本にっぽん訪問ほうもんしたほか、幾度いくど王族おうぞく日本にっぽん訪問ほうもんしている。2008ねんにネパールで王政おうせい廃止はいしされて以降いこう両者りょうしゃあいだ公式こうしき接触せっしょくはない。

経済けいざい

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1999ねんから2014ねん11がつ現在げんざいいたるまで、岡山おかやまけん本社ほんしゃ日本にっぽん通信つうしん販売はんばい会社かいしゃである山田養蜂場やまだようほうじょうは、シャム・バハドゥル・ダンゴルの協力きょうりょくのもと、ネパールの首都しゅとカトマンズ近郊きんこうやく45まんほん植樹しょくじゅしてきた。さらに、2013ねんからは横浜国立大学よこはまこくりつだいがく名誉めいよ教授きょうじゅ宮脇みやわきあきら指導しどうもとづき森林しんりん再生さいせい活動かつどうおこなっている[10]。 2014ねん2がつ、JICA投資とうし専門せんもんがネパール投資とうしちょう訪問ほうもんした[11]

とくに、日本銀行にっぽんぎんこうけん原料げんりょうであるミツマタは、大半たいはんがネパールから輸入ゆにゅうされている。2018年度ねんど国立こくりつ印刷いんさつきょく調達ちょうたつした外国がいこくさんのミツマタは72トンであり、そのうち60トンがネパールさんだった。同年どうねん日本にっぽんさんのミツマタの調達ちょうたつりょうは6トンだった[12]

留学りゅうがく

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ネパールから日本にっぽんへの留学生りゅうがくせい

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くに地域ちいきべつ在日ざいにち留学生りゅうがくせい出典しゅってん日本にっぽん学生がくせい支援しえん機構きこう(JASSO)〕
年度ねんど 1 2 3 4 5
2012 中華人民共和国の旗 086,324にん 大韓民国の旗 16,651にん 中華民国の旗 04,617にん ベトナムの旗 04,373にん ネパールの旗 2,451にん
2013 中華人民共和国の旗 081,884にん 大韓民国の旗 15,304にん ベトナムの旗 06,290にん 中華民国の旗 04,719にん ネパールの旗 3,188にん
2014 中華人民共和国の旗 094,399にん ベトナムの旗 26,439にん 大韓民国の旗 15,777にん ネパールの旗 10,448にん 中華民国の旗 6,231にん
2015 中華人民共和国の旗 094,111にん ベトナムの旗 38,882にん ネパールの旗 16,250にん 大韓民国の旗 15,279にん 中華民国の旗 7,314にん
2016 中華人民共和国の旗 098,483にん ベトナムの旗 53,807にん ネパールの旗 19,471にん 大韓民国の旗 15,457にん 中華民国の旗 8,330にん
2017 中華人民共和国の旗 107,260にん ベトナムの旗 61,671にん ネパールの旗 21,500にん 大韓民国の旗 15,740にん 中華民国の旗 8,947にん
2018 中華人民共和国の旗 114,950にん ベトナムの旗 72,354にん ネパールの旗 24,331にん 大韓民国の旗 17,012にん 中華民国の旗 9,524にん
2019 中華人民共和国の旗 124,436にん ベトナムの旗 73,389にん ネパールの旗 26,308にん 大韓民国の旗 18,338にん 中華民国の旗 9,584にん
2020 中華人民共和国の旗 121,845にん ベトナムの旗 62,233にん ネパールの旗 24,002にん 大韓民国の旗 15,785にん 中華民国の旗 7,088にん
2021 中華人民共和国の旗 114,255にん ベトナムの旗 49,469にん ネパールの旗 18,825にん 大韓民国の旗 14,247にん インドネシアの旗 5,792にん
2022 中華人民共和国の旗 103,882にん ベトナムの旗 37,405にん ネパールの旗 24,257にん 大韓民国の旗 13,701にん インドネシアの旗 5,763にん

1902ねん、ネパール政府せいふは、8にん留学生りゅうがくせい日本にっぽん派遣はけんした。この8にん学生がくせいらは、17にん側近そっきんとも近代きんだいネパールじんとしてはじめての外国がいこく訪問ほうもんとして日本にっぽん到着とうちゃくした[5]。そして、8にん留学生りゅうがくせいたちは、東京とうきょう下宿げしゅくし、東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく現在げんざい東京大学とうきょうだいがく工学部こうがくぶ)、東京とうきょう高等こうとう工業こうぎょう学校がっこう現在げんざい東京工業大学とうきょうこうぎょうだいがく)、のう大学だいがく現在げんざい東京大学とうきょうだいがく農学部のうがくぶ)の3つの国立こくりつ大学だいがく入学にゅうがくし、軍事ぐんじ工学こうがく鉱山こうざんがく農学のうがく機械きかい工学こうがくなどをまなんだ[5]。このうちの一人ひとりは、日本にっぽんかきぐりきくふじをネパールにはじめてかえり、栽培さいばい成功せいこうした[13]。1937ねんジュッダ・シャムシェル首相しゅしょう日本にっぽんへの再度さいど留学生りゅうがくせい派遣はけん提案ていあんしたが、だい世界せかい大戦たいせん勃発ぼっぱつのため実現じつげんしなかった[14]

戦後せんご日本にっぽんとネパールの関係かんけいは1956ねん国交こっこう樹立じゅりつし、1966ねん、ラーム・バルマと大向おおむかい良治よしはるらによりカトマンズにネパールはつ日本語にほんご学校がっこう設立せつりつ、1968ねんには、トリブバン大学だいがく国際こくさい言語げんごキャンパスのなか日本語にほんご設置せっちされた[15]。また、1973ねんには、日本にっぽん留学生りゅうがくせい同窓会どうそうかいネパールが設立せつりつされた。これは、みなみアジア一番いちばんふる日本にっぽん留学生りゅうがくせい同窓会どうそうかいである。 2011ねん5がつ現在げんざい在日ざいにちネパールじん留学生りゅうがくせいが、2016にん滞在たいざいし、そう外国がいこくじん留学生りゅうがくせいすうやく1.5%程度ていど割合わりあいめ、これらの学生がくせい内約ないやく40%が日本国にっぽんこく政府せいふ文部もんぶ科学かがくしょうからの奨学しょうがくきんけることのできた国費こくひ留学りゅうがくであり、日本にっぽん大学だいがく教授きょうじゅからの推薦すいせん文部もんぶ科学かがくしょう国費こくひ留学りゅうがくにより来日らいにちする学生がくせい毎年まいとしやく20にんである。ざいネパール日本国にっぽんこく大使館たいしかん毎年まいとし国費こくひ留学生りゅうがくせい募集ぼしゅうしているが、5にんから8にん程度ていどすくない。

日本にっぽんへのネパールじん留学生りゅうがくせいは、みなみアジアのなか毎年まいとし増加ぞうか傾向けいこうにある[16]。2015ねんには、在日ざいにちネパールじん留学生りゅうがくせい人数にんずうが16,250にんたっして、在日ざいにち留学生りゅうがくせい国籍こくせきべつ韓国かんこくきネパールが中国ちゅうごくとベトナムにだい3おどた(2015ねん在日ざいにち韓国かんこくじん留学生りゅうがくせいは15,279にん[17]。2016ねん在日ざいにちネパールじん留学生りゅうがくせいは19,471人ひとりだい3維持いじ[18]、2017ねんには在日ざいにちネパールじん留学生りゅうがくせいが21,500にんとなり、だい3維持いじしつつはじめて2まんにん大台おおだいえた[19]

日本にっぽんからネパールへの留学生りゅうがくせい

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2012ねん6がつ現在げんざい、ネパールにおける、日本人にっぽんじんふくめた外国がいこくじん留学生りゅうがくせいれとしてネパールはつ国立こくりつ大学だいがくでもあるトリブバン大学だいがく外国がいこくじんにネパールやネパールの文化ぶんか教授きょうじゅしている。日本人にっぽんじんは7にんいる[20]

友好ゆうこう都市とし

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外交がいこう使節しせつ

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ちゅうネパール日本にっぽん大使たいし

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ちゅうにちネパール大使たいし

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ ネパール政府せいふ中央ちゅうおう統計とうけいきょくによる人口じんこう調査ちょうさ結果けっか優先ゆうせん
  2. ^ ネパール政府せいふ中央ちゅうおう統計とうけいきょく人口じんこうからの計算けいさんによる
  3. ^ 日本にっぽんでは神道しんとう仏教ぶっきょう両方りょうほう信仰しんこうすることがひろおこなわれているため、合計ごうけいした数字すうじは100%をえる

出典しゅってん

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  1. ^ a b c ネパール連邦れんぽう民主みんしゅ共和きょうわこく”. 外務省がいむしょう. 2020ねん5がつ15にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d e f g h i j k ネパール基礎きそデータ”. 外務省がいむしょう (2014ねん7がつ1にち). 2014ねん9がつ10日とおか閲覧えつらん
  3. ^ [1]
  4. ^ 防衛ぼうえい関係かんけい”. 防衛ぼうえいしょう (2013ねん2がつ2にち). 2014ねん9がつ10日とおか閲覧えつらん
  5. ^ a b c 明治めいじのネパールじん留学生りゅうがくせい日本にっぽん到着とうちゃく”. 外務省がいむしょう (2002ねん). 2014ねん9がつ10日とおか閲覧えつらん
  6. ^ 外務省がいむしょう高村たかむら外務がいむ大臣だいじんとプラダン・ネパール外務がいむ大臣だいじん会談かいだんについて
  7. ^ 共同通信きょうどうつうしん2008ねん6がつ18にち 16:20
  8. ^ 宇野うの外務がいむ大臣だいじん政務せいむかんのネパール訪問ほうもん
  9. ^ 国連こくれんネパールミッション”. 外務省がいむしょう (2011ねん). 2014ねん9がつ10日とおか閲覧えつらん
  10. ^ 植樹しょくじゅ活動かつどう ネパール植樹しょくじゅ活動かつどう健康けんこう食品しょくひん化粧けしょうひん鏡野かがみのまち自然しぜん風景ふうけい山田養蜂場やまだようほうじょう”. 株式会社かぶしきがいしゃ山田養蜂場やまだようほうじょう. 2014ねん11月3にち閲覧えつらん
  11. ^ ネパールの概要がいよう”. JICA (2013ねん). 2014ねん9がつ10日とおか閲覧えつらん
  12. ^ ネパールがささえる日本にっぽん紙幣しへい 原料げんりょう樹木じゅもく大半たいはん生産せいさん 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん 2019ねん5がつ20日はつか 2024ねん7がつ3にち閲覧えつらん
  13. ^ ネパールにかえ”. 外務省がいむしょう (2002ねん). 2014ねん9がつ10日とおか閲覧えつらん
  14. ^ ジュッダ・シャムシェルくわだて”. 外務省がいむしょう (2002ねん). 2014ねん9がつ10日とおか閲覧えつらん
  15. ^ 日本語にほんご教育きょういくこく地域ちいきべつ情報じょうほう2013年度ねんどネパール”. 国際こくさい交流こうりゅう基金ききん (2013ねん). 2014ねん9がつ10日とおか閲覧えつらん
  16. ^ 日本にっぽん留学りゅうがく同窓会どうそうかいネパールの活動かつどう”. 日本にっぽん留学りゅうがく同窓会どうそうかいネパール (June 2012ねん). 2014ねん9がつ10日とおか閲覧えつらん
  17. ^ 平成へいせい27年度ねんど外国がいこくじん留学生りゅうがくせい在籍ざいせきじょうきょう調査ちょうさ結果けっか - JASSO
  18. ^ 平成へいせい28年度ねんど外国がいこくじん留学生りゅうがくせい在籍ざいせきじょうきょう調査ちょうさ結果けっか - JASSO
  19. ^ 平成へいせい29年度ねんど外国がいこくじん留学生りゅうがくせい在籍ざいせきじょうきょう調査ちょうさ結果けっか - JASSO
  20. ^ 日本にっぽん留学りゅうがく同窓会どうそうかいネパールの活動かつどう”. 日本にっぽん留学りゅうがく同窓会どうそうかいネパール (June 2012ねん). 2014ねん9がつ10日とおか閲覧えつらん
  21. ^ 外務省がいむしょう情報じょうほう文化ぶんかきょく外務省がいむしょう公表こうひょうしゅう昭和しょうわよんじゅうきゅうねん)』「ろく儀典ぎてん関係かんけい」「12 新任しんにんちゅうにちネパール王国おうこく大使たいし信任しんにんじょう捧呈ほうていについて」
  22. ^ List of Official Mourners Representing Foreign Countries and International Organizations at the Funeral Ceremony of Emperor Showa | Diplomatic Bluebook 1989 英語えいご
  23. ^ 引見いんけん平成へいせい3ねん) - 宮内庁くないちょう
  24. ^ 引見いんけん平成へいせい14ねん) - 宮内庁くないちょう
  25. ^ 信任しんにんじょう捧呈ほうていしき平成へいせい8ねん) - 宮内庁くないちょう
  26. ^ 新任しんにんちゅうにちネパール王国おうこく大使たいし信任しんにんじょう捧呈ほうていについて | 外務省がいむしょう - 2004ねん3がつ10日とおか
  27. ^ 王制おうせい崩壊ほうかい留任りゅうにん2011ねん3がつには、東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさい発生はっせいけて菊田きくた真紀子まきこ外務がいむ大臣だいじん政務せいむかん表敬ひょうけい訪問ほうもんし、ネパールから日本にっぽんへの復興ふっこう支援しえんなどをもうている。外務省がいむしょう: 菊田きくた外務がいむ大臣だいじん政務せいむかんへのタマンちゅうにちネパール大使たいし表敬ひょうけい(ネパールからの支援しえん物資ぶっし
  28. ^ 外務省がいむしょう: 新任しんにんちゅうにちネパール大使たいし信任しんにんじょう捧呈ほうていについて - 2007ねん12月13にち
  29. ^ 外務省がいむしょう: 新任しんにんちゅうにちネパール連邦れんぽう民主みんしゅ共和きょうわこく大使たいし信任しんにんじょう捧呈ほうてい - 2011ねん12月15にち
  30. ^ ちゅうにちネパール大使たいし信任しんにんじょう捧呈ほうてい | 外務省がいむしょう - 2017ねん6がつ22にち
  31. ^ ちゅうにちネパール大使たいし信任しんにんじょう捧呈ほうてい | 外務省がいむしょう - 2022ねん11月7にち

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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