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日本にっぽんとパプアニューギニアの関係かんけい

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日本にっぽんとパプアニューギニアの関係かんけい
JapanとPapua New Guineaの位置を示した地図

日本にっぽん

パプアニューギニア

日本にっぽんとパプアニューギニアの関係かんけい(にほんとパプアニューギニアのかんけい、英語えいご: Japan–Papua New Guinea relations) では、日本にっぽんパプアニューギニア関係かんけいについて概説がいせつする。日本にっぽんぐん進駐しんちゅうしていた時期じきがあり、歴史れきしてき関係かんけいふかい。そのため外交がいこう関係かんけい緊密きんみつである。

両国りょうこく比較ひかく

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パプアニューギニアの旗 パプアニューギニア 日本の旗 日本にっぽん 両国りょうこく
人口じんこう 877まん6109にん(2019ねん[1] 1おく2626まんにん(2019ねん[2] 日本にっぽんパプアニューギニアやく14.4ばい
国土こくど面積めんせき 46まん km²[3] 37まん7972 km²[4] パプアニューギニア日本にっぽんやく1.2ばい
人口じんこう密度みつど 19 にん/km²(2018ねん[5] 347 にん/km²(2018ねん[6] 日本にっぽんパプアニューギニアやく18.3ばい
首都しゅと ポートモレスビー 東京とうきょう
最大さいだい都市とし ポートモレスビー 東京とうきょう都区とく
政体せいたい 立憲りっけん君主くんしゅせい 民主みんしゅせい議院ぎいんないかくせい[7]
公用こうよう 英語えいご 日本語にほんご事実じじつじょう
通貨つうか キナ 日本円にほんえん
国教こっきょう なし なし
人間にんげん開発かいはつ指数しすう 0.536[8] 0.919[8]
民主みんしゅ主義しゅぎ指数しすう 6.03[9] 7.99[9]
GDP名目めいもく 248おく2911まんあめりかドル(2019ねん[10] 5ちょう819おく6954まんあめりかドル(2019ねん[11] 日本にっぽんパプアニューギニアやく204.7ばい
一人ひとりたりGDP 2829.2あめりかドル(2019ねん[12] 40246.9あめりかドル(2019ねん[13] 日本にっぽんパプアニューギニアやく14.2ばい
経済けいざい成長せいちょうりつ 5.9%(2019ねん[14] 0.7%(2019ねん[15]
軍事ぐんじ 8084まん6154あめりかドル(2019ねん[16] 476おく902まんあめりかドル(2019ねん[17] 日本にっぽんパプアニューギニアやく588.9ばい
地図ちず

歴史れきし

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パプアニューギニア

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ラバウルちかくのトンネルに放置ほうちされた日本にっぽん軍船ぐんせん

1528ねんポルトガルじん探検たんけんホルヘ・デ・メネゼス英語えいごばんニューギニアとう発見はっけん。「パプア」と命名めいめい[18]

1545ねんスペインじん探検たんけんイニゴ・オルティス・デ・レテス英語えいごばん東南とうなんアジア航海こうかいちゅうニューギニアとう発見はっけんアフリカギニアわん沿岸えんがん文化ぶんかてき連続れんぞくせいかんじ、「ニューギニア」と命名めいめい[18]

19世紀せいきニューギニアとう東西とうざい分割ぶんかつされ、1848ねん西にし半分はんぶんオランダ植民しょくみん東側ひがしがわは1884ねんオーエン・スタンレー山脈さんみゃくビスマルク山脈さんみゃく南北なんぼくけられ、北半きたはんぶんドイツが(ニューギニア呼称こしょう)、南半みなみはんぶんイギリスが(パプア呼称こしょう領有りょうゆうする。南部なんぶは1901ねん、イギリスから独立どくりつしたオーストラリア宗主そうしゅけん継承けいしょう[3]

1914ねんからのだいいち世界せかい大戦たいせんドイツ敗北はいぼくオーストラリアきゅうドイツりょうニューギニアふくパプアニューギニア委任いにん統治とうちする[3]

1941ねんからの太平洋戦争たいへいようせんそう日本にっぽんぐんニューギニアとう占領せんりょうし、日米にちべい激戦げきせんとなる。だい世界せかい大戦たいせんオーストラリアによりパプアとニューギニアが統合とうごう[3]

1961ねんオランダ西にしパプア共和きょうわこく独立どくりつみとめるもインドネシア侵攻しんこうし(パプア紛争ふんそう)、イリアンジャヤしゅうとなる。これによりオーストラリア委任いにん統治とうちりょうであるパプアニューギニア東側ひがしがわ)との分断ぶんだん決定的けっていてきになる[19]

1975ねんオーストラリアから独立どくりつ[3]

1988ねんより、ブーゲンビルとう独立どくりつ運動うんどう展開てんかいされる。2019ねん住民じゅうみん投票とうひょう実施じっしされ独立どくりつ賛成さんせいが98%にのぼり、分離ぶんり独立どくりつ可能かのうせいたかまる[20]

日本にっぽんぐん進駐しんちゅう

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太平洋戦争たいへいようせんそうにおける、ニューギニアとうとそれに付随ふずいするニューブリテンとうニューアイルランドとうブーゲンビルとうなどで展開てんかいされた枢軸すうじくこく大日本帝国だいにっぽんていこく)と連合れんごうこくおもアメリカ)の戦闘せんとうそうじて「ニューギニアのたたか」とばれ、激戦げきせんひとつとなった。

一連いちれんたたかいの幕開まくあけとなったのは「ラバウルのたたか」である。ラバウルのあるニューブリテンとう大日本帝国だいにっぽんていこくぐん基地きちのあるカロリン諸島しょとうからちかく、連合れんごうこくはここを起点きてんかえしをはかることが予測よそくされていたため、ニューブリテンとう当時とうじ戦略せんりゃくじょう要地ようちであった[21]。また同時どうじに、ニューアイルランドとうカビエン重要じゅうようであった。そのためりょう都市としは1942ねん1がつ20日はつかから23にちにかけて日本にっぽんぐん攻勢こうせいい、オーストラリアぐん抵抗ていこうむなしく降伏ごうぶくラバウル日本にっぽんぐん軍事ぐんじ要塞ようさいした[22]。この日本にっぽんぐんによるラバウル占領せんりょうけてアメリカぐんはラバウル奪還だっかんのため攻勢こうせい仕掛しかけ「ニューギニアおき海戦かいせん」がおこなわれるも、両者りょうしゃ損害そんがいうだけでわっている[23]

1942ねん3がつ8にち日本にっぽんぐん連合れんごうこく拠点きょてんであるポートモレスビー攻略こうりゃくけてニューギニアとうサラモアラエ進出しんしゅつ、アメリカぐんがそれを空爆くうばくする(「ラエ・サラモアへの空襲くうしゅう」)[24]。そのポートモレスビーめぐっては1942ねん5がつ上旬じょうじゅんうみからの攻略こうりゃく目指めざす「珊瑚さんごうみ海戦かいせん」、陸地りくちからの攻略こうりゃく目指めざす「ポートモレスビー作戦さくせん」、オーストラリアぐん飛行場ひこうじょうがあるラビでの「ラビのたたか」、1942ねんまつに「ブナ・ゴナのたたか」がひろげられ、またたにニューギニアとう全域ぜんいき激戦げきせんとなっていった[25]

よく1943ねんになると「ビスマルクうみ海戦かいせん」で日本にっぽん悲劇ひげきてき敗北はいぼくきっ重機じゅうきなどの補給ほきゅう物資ぶっしうしな[26]。これをに、日本にっぽん次第しだい補給ほきゅう不足ふそくなやまされはじめる。そのガダルカナルとうたたか勝利しょうりした連合れんごうぐん本格ほんかくてき反攻はんこうてんじて「カートホイール作戦さくせん」が展開てんかいされ補給ほきゅう戦略せんりゃくられるようになり、つづく「ラエ・サラモアのたたか」や「フィンシュハーフェンのたたか」、「ラム河谷こうだにたたか英語えいごばん」、「ニューブリテンとうたたか」などで日本にっぽんぐん敗走はいそうつづけ、「アドミラルティ諸島しょとうたたか」で日本にっぽんぐん補給ほきゅうたれ孤立こりつ飢餓きがマラリアなやまされ、「ジャワ極楽ごくらくビルマ地獄じごくんでもかえれぬニューギニア」としょうされる悲惨ひさん状況じょうきょうていした[27][28]。またどう時期じきには、転進てんしんめいじられた日本にっぽんぐんだい51師団しだんが「サラワケット」とばれる山越やまごえを強行きょうこうし、おおくの凍死とうししゃ病死びょうししゃした[29]

1944ねんになると、補給ほきゅう不足ふそく解消かいしょうするためたけいち船団せんだんばれる護送ごそう船団せんだんニューギニアとう派遣はけんされるも、途中とちゅう失敗しっぱい[30]補給ほきゅう不足ふそく解消かいしょうされないまま、1944ねん4がつ下旬げじゅんには「ホーランジアのたたか」、1944ねん5がつから8がつにかけては「ビアクとうたたか」、1944ねん6がつにはビアクとう日本にっぽんぐん支援しえんするための「作戦さくせん」、1944ねん7がつには「アイタペのたたか」とニューギニアとうにおける最後さいごたたかいである「サンサポールのたたか」がひろげられ、日本にっぽんはニューギニアとう喪失そうしつした[31]

なお、連合れんごうぐん最後さいごまでニューブリテンとう東北とうほくのラバウルを武力ぶりょく奪回だっかいできず、ラバウルに日本にっぽんぐんだい8方面ほうめんぐん今村いまむらひとし大将たいしょう指揮しきやく7まんにん兵力へいりょくのこしたまま終戦しゅうせんむかえた[32]

外交がいこう

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1975ねん1がつパプアニューギニア独立どくりつ見据みすえてポートモレスビーにはざいポートモレスビー日本国にっぽんこく総領事館そうりょうじかん開設かいせつ同年どうねん9がつには、独立どくりつ同時どうじ両国りょうこく外交がいこう関係かんけいむすばれた[3]。1975ねん12月には、ざいパプアニューギニア日本国にっぽんこく大使館たいしかん開設かいせつされ、1976ねん4がつには初代しょだい大使たいし赴任ふにん[3]。2011ねんには総領事館そうりょうじかん廃止はいしされて、大使館たいしかんがその業務ぎょうむいだ[33]一方いっぽうのパプアニューギニアも独立どくりつすぐに東京とうきょうちゅうにちパプアニューギニア大使館たいしかん設立せつりつ[3]

要人ようじん往来おうらい

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パプアニューギニア要人ようじん訪日ほうにち

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にち・パプアニューギニア首脳しゅのう会談かいだん(2022ねん

初代しょだいパプアニューギニア首相しゅしょうであるマイケル・ソマレは、地理ちりてきちか日本にっぽんとの関係かんけい重視じゅうしかれさん首相しゅしょういているが、1977ねんはつ訪日ほうにち以来いらい合計ごうけい8日本にっぽんおとずれている。21世紀せいきはいってから訪日ほうにち目的もくてき太平洋たいへいようしまサミット参加さんかおもであり、またそのたびに小泉こいずみ純一郎じゅんいちろう[34]麻生あそう太郎たろう[35]鳩山はとやま由紀夫ゆきお[36]といった歴代れきだい総理そうり大臣だいじん首脳しゅのう会談かいだん実施じっし会談かいだん内容ないようはおもにパプアニューギニアへの経済けいざい支援しえんについてであり、また継続けいぞくして日本にっぽん常任じょうにん理事りじこく参入さんにゅうにも支持しじ立場たちば表明ひょうめいしている[36]パプアニューギニア南太平洋みなみたいへいようにおける地域ちいき大国たいこくであり、当時とうじ軍事ぐんじ政権せいけんにあったフィジーの民主みんしゅについても主要しゅよう議題ぎだいであった[36]

だいじゅうだい首相しゅしょうメケレ・モラウタ英語えいごばんは2000ねん訪日ほうにち[3]太平洋たいへいよう諸島しょとうフォーラム日本にっぽんのリーダーシップを期待きたいするむねのスピーチをしたほか[37]もと総理そうり大臣だいじんである小渕おぶち恵三けいぞう葬儀そうぎ出席しゅっせきするなど友好ゆうこう関係かんけいをアピールした。

だいじゅうだい首相しゅしょうピーター・オニールけいろくかい日本にっぽん訪問ほうもんはつ訪日ほうにちは2013ねんであり、安倍晋三あべしんぞうとのはじめての首脳しゅのう会談かいだん実施じっしされた[38]よく2014ねんには、パプアニューギニアから日本にっぽんはじめて輸出ゆしゅつされる液化えきか天然てんねんガス(LNG)を搭載とうさいしたタンカー日本にっぽん到着とうちゃく記念きねんする式典しきてん参加さんか[39]外交がいこう関係かんけい樹立じゅりつ40周年しゅうねんにあたる2015ねん10がつ訪日ほうにちでは、ふたた安倍晋三あべしんぞうとの一時いちじあいだわた首脳しゅのう会談かいだん実施じっしされ[40]友好ゆうこう関係かんけい促進そくしんする共同きょうどうメッセージが発出はっしゅつされた[41]つづく2016ねん、2018ねんにも訪日ほうにち実施じっしすると首脳しゅのう会談かいだん再度さいど実施じっし[42][43]、「自由じゆうひらかれたインド太平洋たいへいよう構想こうそうについて意見いけん交換こうかんがなされた。

日本にっぽん要人ようじんのパプアニューギニア訪問ほうもん

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安倍晋三あべしんぞうによるパプアニューギニア訪問ほうもん(2014ねん

1980年代ねんだい大平おおひら正芳まさよし中曽根なかそね康弘やすひろといった総理そうり大臣だいじん相次あいついで独立どくりつしたばかりのパプアニューギニアを訪問ほうもん。その、2014ねんには安倍晋三あべしんぞう総理そうり大臣だいじんとしてやくさんじゅうねんぶりにパプアニューギニアを訪問ほうもんし、首脳しゅのう会談かいだんなどをつうじて関係かんけい強化きょうかつとめている[44]。2018ねんにもポートモレスビー開催かいさいされるアジア太平洋たいへいよう経済けいざい協力きょうりょく会議かいぎ(APEC)首脳しゅのう会議かいぎ出席しゅっせきのため、安倍晋三あべしんぞうがパプアニューギニアを訪問ほうもん[45]

2020ねん8がつには、外務がいむ大臣だいじんである茂木もきさとしたかしが、コロナ外遊がいゆう限定げんていされるなか訪問ほうもんさきひとつにパプアニューギニアを選択せんたくしん首相しゅしょうであるジェームズ・マラペへの表敬ひょうけい実施じっしし、北朝鮮きたちょうせん問題もんだいをはじめとした国際こくさい情勢じょうせいについて意見いけん交換こうかんがなされた[46]

経済けいざい交流こうりゅう

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交渉こうしょうすえ、2013ねんには両国りょうこくあいだはつ投資とうし協定きょうていである「投資とうし促進そくしんおよ保護ほごかんする日本国にっぽんこく政府せいふとパプアニューギニアどく立国りっこく政府せいふとのあいだ協定きょうてい」(略称りゃくしょうにち・パプアニューギニア投資とうし協定きょうてい)が成立せいりつ[47]。2015ねんには、その投資とうし協定きょうてい関連かんれんしてにち・パプアニューギニア・ビジネスフォーラムおよび投資とうし協定きょうてい合同ごうどう委員いいんかいだい1かい会合かいごう首脳しゅのう会議かいぎわせて開催かいさいされたほか[48]、「技術ぎじゅつ協力きょうりょくかんするパプアニューギニア政府せいふとのあいだ協定きょうてい」に署名しょめいおこなわれ[49]経済けいざいてき障壁しょうへきはらわれつつある。

日本にっぽんは2017ねんまでに1500おくえん以上いじょう経済けいざい援助えんじょパプアニューギニア実施じっしし、オーストラリア主要しゅよう援助えんじょこくとなっている[3]支援しえん内容ないようとしてはおもにインフラ、水産すいさんめんおおくをめ、とく物流ぶつりゅう拠点きょてんであるナザブ空港くうこうの、えん借款しゃっかんによる大幅おおはば改修かいしゅう工事こうじ同国どうこく経済けいざいおおきく寄与きよしている[50][51]。また、2019ねん12月にはブーゲンビルしゅう独立どくりつめぐ住民じゅうみん投票とうひょう実施じっしされたが、日本にっぽんブーゲンビルとう地域ちいき安定あんていため投票とうひょう実施じっし無償むしょう資金しきん協力きょうりょくによって支援しえんしている[52]

貿易ぼうえきめんでは、2019ねん日本にっぽんのパプアニューギニアへの輸出ゆしゅつがく176.2おくえん、パプアニューギニアからの輸入ゆにゅうがく2622.5おくえんとなっており、日本にっぽん大幅おおはば赤字あかじとなっている[3]。その理由りゆうは、かねてよりパプアニューギニアでは天然てんねんガス開発かいはつ千代田化工建設ちよだかこうけんせつJX石油せきゆ開発かいはつといった日本にっぽん企業きぎょうによりつづけられており[53][54]、2010年代ねんだいから本格ほんかくてき液化えきか天然てんねんガス生産せいさん日本にっぽんへの輸出ゆしゅつ開始かいしされたことによる[55]現状げんじょう、パプアニューギニアは日本にっぽんにとって重要じゅうようLNG供給きょうきゅうこくである[56]

文化ぶんか交流こうりゅう

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パプアニューギニアでは、最高さいこう学府がくふたるパプアニューギニア大学だいがくはじめとしたよっつの学校がっこう日本語にほんご教育きょういく実施じっしされている[57]一方いっぽう日本にっぽんでは日本にっぽんパプアニューギニア協会きょうかい設立せつりつされており、文化ぶんか交流こうりゅう促進そくしん一助いちじょとなっている[58]。また、パプアニューギニアの民族みんぞくてき衣装いしょうおどり、楽器がっき音楽おんがくといった文化ぶんか日本にっぽんである程度ていど学術がくじゅつてき人気にんきはくしており、国立こくりつ民族みんぞくがく博物館はくぶつかんでは研究けんきゅう公演こうえんとして「パプアニューギニアのうたおどり」が実施じっしされた[59]

また日本にっぽんでは、パプアニューギニアじん日本人にっぽんじんのハーフであるEMI MARIAシンガーソングライターとして活躍かつやく[60]

外交がいこう使節しせつ

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ちゅうパプアニューギニア日本にっぽん大使たいし

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ちゅうにちパプアニューギニア大使たいし

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ちゅうにちパプアニューギニア大使館たいしかん全景ぜんけい東京とうきょう
パプアニューギニア大使館たいしかん表札ひょうさつ

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ Population, total - Papua New Guinea世界銀行せかいぎんこう.最終さいしゅう閲覧えつらん2021ねん3がつ19にち
  2. ^ Population, total - Japan世界銀行せかいぎんこう.最終さいしゅう閲覧えつらん2021ねん3がつ17にち
  3. ^ a b c d e f g h i j k パプアニューギニアどく立国りっこく(Independent State of Papua New Guinea)基礎きそデータ外務省がいむしょう.最終さいしゅう閲覧えつらん2021ねん3がつ19にち
  4. ^ 日本にっぽん統計とうけい2016 だい1しょうだい29しょう | 総務そうむしょう統計とうけいきょく.最終さいしゅう閲覧えつらん2021ねん3がつ17にち
  5. ^ Population density (people per sq. km of land area) - Papua New Guinea世界銀行せかいぎんこう.最終さいしゅう閲覧えつらん2021ねん3がつ19にち
  6. ^ Population density (people per sq. km of land area) - Japan世界銀行せかいぎんこう.最終さいしゅう閲覧えつらん2021ねん3がつ17にち
  7. ^ 日本国にっぽんこく憲法けんぽう明確めいかくさだめられている。
  8. ^ a b Human Development Report 2020国際こくさい連合れんごう開発かいはつ計画けいかく.最終さいしゅう閲覧えつらん2021ねん3がつ17にち
  9. ^ a b Democracy Index 2020.最終さいしゅう閲覧えつらん2021ねん3がつ17にち
  10. ^ GDP (current US$) - Papua New Guinea世界銀行せかいぎんこう.最終さいしゅう閲覧えつらん2021ねん3がつ17にち
  11. ^ GDP (current US$) - Japan世界銀行せかいぎんこう.最終さいしゅう閲覧えつらん2021ねん3がつ17にち
  12. ^ GDP per capita (current US$) - Papua New Guinea世界銀行せかいぎんこう.最終さいしゅう閲覧えつらん2021ねん3がつ19にち
  13. ^ GDP per capita (current US$) - Japan世界銀行せかいぎんこう.最終さいしゅう閲覧えつらん2021ねん3がつ17にち
  14. ^ GDP growth (annual %) - Papua New Guinea世界銀行せかいぎんこう.最終さいしゅう閲覧えつらん2021ねん3がつ19にち
  15. ^ GDP growth (annual %) - Japan世界銀行せかいぎんこう.最終さいしゅう閲覧えつらん2021ねん3がつ17にち
  16. ^ Military expenditure (current USD) - Papua New Guinea世界銀行せかいぎんこう.最終さいしゅう閲覧えつらん2021ねん3がつ19にち
  17. ^ Military expenditure (current USD) - Japan世界銀行せかいぎんこう.最終さいしゅう閲覧えつらん2021ねん3がつ17にち
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  20. ^ パプア・ブーゲンビル自治じちしゅう住民じゅうみん投票とうひょう独立どくりつ支持しじ98% しん国家こっか誕生たんじょう前進ぜんしんAFPBB News.2019ねん12月11にち
  21. ^ 防衛庁ぼうえいちょう防衛ぼうえい研修けんしゅうしょ戦史せんししつ戦史せんし叢書そうしょ 南太平洋みなみたいへいよう陸軍りくぐん作戦さくせん<1> ポートモレスビー・ガとう初期しょき作戦さくせんだい14かんあさくも新聞しんぶんしゃ、1968ねん3がつ
  22. ^ 防衛庁ぼうえいちょう防衛ぼうえい研修けんしゅうしょ戦史せんししつ戦史せんし叢書そうしょ 大本營だいほんえい陸軍りくぐん<3> 昭和しょうわじゅうななねんよんがつまで』だい35かんあさくも新聞しんぶんしゃ、1970ねん6がつ
  23. ^ 奥宮おくのみや正武まさたけ『ラバウル海軍かいぐん航空こうくうたい学習研究社がくしゅうけんきゅうしゃ、2001ねん3がつ原著げんちょ1992ねん
  24. ^ “The Attack at Lae and Salamaua” (英語えいご). Early Raids in the Pacific Ocean, 1 February--10 March 1942. HyperWar.
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  28. ^ 証言しょうげん|NHK 戦争せんそう証言しょうげんアーカイブス‐東部とうぶニューギニアのたたか
  29. ^ 鈴木すずきただしおのれ 『ニューギニア軍医ぐんい戦記せんき地獄じごく戦場せんじょうきた一軍いちぐん記録きろく』(文庫ぶんこ), 光人みつひとしゃ, 2001ねん
  30. ^ たけいち船団せんだん だいさんじゅうさんじゅう師団しだん移動いどうじょうきょう
  31. ^ 飯田いいだすすむちょ地獄じごく日本にっぽんへい―ニューギニア戦線せんせん真相しんそう 』(新潮しんちょう新書しんしょ)2008/7/1
  32. ^ 地獄じごく転進てんしん、また転進てんしん もと工兵こうへいしるす「ラバウル攻防こうぼうせんわたし」|【西日本にしにほん新聞しんぶんニュース】
  33. ^ 法律ほうりつだいじゅうごうたいらさんよんなな) | 衆議院しゅうぎいん
  34. ^ にち・パプアニューギニア首脳しゅのう会談かいだん平成へいせい18ねん首相しゅしょう官邸かんてい
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  36. ^ a b c にち・パプアニューギニア(PNG)首脳しゅのう会談かいだん概要がいよう外務省がいむしょう
  37. ^ 日本にっぽんをはじめAPECメンバーに期待きたいする南太平洋みなみたいへいよう諸国しょこく経団連けいだんれん
  38. ^ にち・パプアニューギニア首脳しゅのう会談かいだんおよ署名しょめいしき首相しゅしょう官邸かんてい
  39. ^ 木原きはら外務がいむ大臣だいじん政務せいむかんのパプアニューギニアからのLNGタンカー到着とうちゃく式典しきてん出席しゅっせき外務省がいむしょう
  40. ^ にち・パプアニューギニア首脳しゅのう会談かいだんおよ夕食ゆうしょくかい(2015)外務省がいむしょう
  41. ^ 日本にっぽん・パプアニューギニア外交がいこう関係かんけい樹立じゅりつ40周年しゅうねん記念きねん  日本国にっぽんこく総理そうり大臣だいじんおよびパプアニューギニアどく立国りっこく首相しゅしょうによる共同きょうどうメッセージ 「友情ゆうじょう信頼しんらいおよ相互そうご努力どりょくの40ねん,そして未来みらい
  42. ^ にち・パプアニューギニア首脳しゅのう会談かいだん(2016ねん外務省がいむしょう
  43. ^ にち・パプアニューギニア首脳しゅのう会談かいだん(2018ねん外務省がいむしょう
  44. ^ にち・パプアニューギニア首脳しゅのう会談かいだん概要がいよう)‐2014ねん外務省がいむしょう
  45. ^ 14―18にちにシンガポール・ごう・パプアニューギニアを訪問ほうもん安倍あべ首相しゅしょうREUTERS
  46. ^ 茂木もき外務がいむ大臣だいじんのパプアニューギニア訪問ほうもん結果けっか外務省がいむしょう
  47. ^ 投資とうし促進そくしんおよ保護ほごかんする日本国にっぽんこく政府せいふとパプアニューギニアどく立国りっこく政府せいふとのあいだ協定きょうてい略称りゃくしょうにち・パプアニューギニア投資とうし協定きょうてい外務省がいむしょう
  48. ^ にち・パプアニューギニア・ビジネスフォーラム,投資とうし協定きょうてい合同ごうどう委員いいんかいだい1かい会合かいごう署名しょめいしき,レセプションの開催かいさい
  49. ^ 技術ぎじゅつ協力きょうりょくかんするパプアニューギニア政府せいふとのあいだ協定きょうてい署名しょめい
  50. ^ パプアニューギニアにたいするえん借款しゃっかんかんする書簡しょかん交換こうかん外務省がいむしょう
  51. ^ ナザブ空港くうこう整備せいび事業じぎょう‐ODAえるサイト
  52. ^ パプアニューギニア・ブーゲンビルにおける住民じゅうみん投票とうひょう支援しえんのための無償むしょう資金しきん協力きょうりょくかんする書簡しょかん交換こうかん外務省がいむしょう
  53. ^ 挑戦ちょうせんするプロジェクト~パプアニューギニア LNGプラントプロジェクト~千代田化工建設ちよだかこうけんせつ
  54. ^ パプアニューギニア | オセアニア | JX石油せきゆ開発かいはつ
  55. ^ 待望たいぼうの LNG 生産せいさん開始かいしするパプアニューギニア 今後こんご期待きたい展望てんぼう
  56. ^ 天然てんねんガスの取引とりひきりょう日本にっぽんガス協会きょうかい
  57. ^ 国際こくさい交流こうりゅう基金ききん - パプアニューギニア(2019年度ねんど
  58. ^ 日本にっぽんパプアニューギニア協会きょうかい
  59. ^ パプアニューギニアのうたおどり | 国立こくりつ民族みんぞくがく博物館はくぶつかん
  60. ^ EMI MARIA、18ねんりのまれ故郷こきょうパプアニューギニアへのたびがテレビオンエア
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  63. ^ 信任しんにんじょう捧呈ほうていしき平成へいせい3ねん) - 宮内庁くないちょう
  64. ^ 信任しんにんじょう捧呈ほうていしき平成へいせい6ねん) - 宮内庁くないちょう
  65. ^ 外務省がいむしょう: パプアニューギニア外務がいむ貿易ぼうえきしょう次官じかんによる中野なかの外務がいむ大臣だいじん政務せいむかんへの表敬ひょうけい訪問ほうもん
  66. ^ 新任しんにんちゅうにちパプアニューギニア大使たいし信任しんにんじょう捧呈ほうていについて | 外務省がいむしょう
  67. ^ デニス テイラー ベベゴ もとちゅうにちパプアニューギニア公使こうし葬儀そうぎ参列さんれつのご報告ほうこく | The University of Goroka Information and Communication Technology (ICT) Department
  68. ^ 外務省がいむしょう: 新任しんにんちゅうにちパプアニューギニアどく立国りっこく大使たいし信任しんにんじょう捧呈ほうてい
  69. ^ 日本にっぽん・パプアニューギニア協会きょうかい会報かいほう ごくらくちょう No.56
  70. ^ ちゅうにちパプアニューギニア大使たいし信任しんにんじょう捧呈ほうてい | 外務省がいむしょう

参考さんこう文献ぶんけん

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  • パプアニューギニアどく立国りっこく(Independent State of Papua New Guinea)基礎きそデータ 外務省がいむしょう

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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