(Translated by https://www.hiragana.jp/)
確率の歴史 - Wikipedia コンテンツにスキップ

かくりつ歴史れきし

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

かくりつという言葉ことばにはふたつの意味合いみあいがある。ひとつはある仮説かせつの、それにまつわる判断はんだん材料ざいりょうからみちびかれる蓋然性がいぜんせいのことであり、もうひとつはサイコロやコインをげることのようなかくりつ過程かていてきなふるまいをす。証拠しょうこほうのような前者ぜんしゃ研究けんきゅう歴史れきしてきによりふる一方いっぽうで、サイコロの数学すうがくてきあつかいは1650年代ねんだいパスカルフェルマー著作ちょさくはじまった。かくりつ統計とうけいがくとは区別くべつされる(統計とうけいがく歴史れきし参照さんしょう)。統計とうけいがくがデータやそれによる推測すいそくあつかうのにたいし、(確率かくりつろんてきな)かくりつはデータやその結果けっかうらにある確率かくりつろんてき(ランダム)な過程かていあつかう。

語源ごげん

[編集へんしゅう]

かくりつしめ英語えいごであるprobabilityやそのもととなるprobableや、現代げんだい言語げんごどう語源ごげんラテン語らてんごprobabilis由来ゆらいであり、キケロ由来ゆらいし、一般いっぱんてきに「もっともらしさ」あるいは 「一般いっぱんてきみとめられること」を意味いみする意見いけん応用おうようされる[1]。その単語たんご数学すうがくてき意味いみったのは1718ねんからである。18世紀せいきchanceという単語たんごもまた"probability"の意味いみ数学すうがくてき使つかわれていた(そしてかくりつ学説がくせつDoctrine of Chancesばれた)。この単語たんご結局けっきょくラテン語らてんごcadentiaすなわち「落下らっか」からている。英語えいご形容詞けいようしlikelyはドイツ起源きげんゆうし, もっと信頼しんらいできるのはノルド単語たんごであるlikligrからたというせつだ(英語えいごにはgeliclicというおな意味いみ単語たんごがあった)。この単語たんご元々もともとは「きょうそうだったり有能ゆうのうそうだったりする外見がいけんである」「たような外見がいけんてきしつつ」という意味いみであり、「かくりつ」の意味いみは14世紀せいき後半こうはん記録きろくされている。 おなじように、派生はせいしてできた名詞めいしlikelihoodは「類似るいじせい」の意味いみっている。しかし15世紀せいきなかばから「かくりつ」の意味いみでも使つかわれるようになった。

起源きげん

[編集へんしゅう]

古代こだい中世ちゅうせい証拠しょうこほう裁判さいばん不確ふたしかな証拠しょうこをうまくあつかうために証拠しょうこかくりつ見込みこみそして確信かくしんてない証拠しょうこ英語えいご: half-proof信憑しんぴょうせい等級とうきゅう促進そくしんした[2]ルネサンスには、ごとは「十中八九じっちゅうはっく」のようなオッズ観点かんてんから議論ぎろんされた。海事かいじ保険ほけん保険ほけんりょう直感ちょっかんてき危険きけんもとづいて見積みつもられるが、そうしてオッズや保険ほけんりょう算出さんしゅつする方法ほうほう学説がくせつなどは存在そんざいしなかった[3]かくりつ数学すうがくてき手法しゅほうは、勝負しょうぶ中止ちゅうしになってしまったさいうん要素ようそつよいゲームにおけるきん公平こうへい分配ぶんぱい問題もんだいについてのフェルマーパスカル (1654) の文通ぶんつうつうじてこった。クリスティアーン・ホイヘンス (1657) はその主題しゅだいたいして包括ほうかつてきあつかった[4][5]

F. N. デイビッド英語えいご: F. N. Davidの"Games, Gods and Gambling"(ISBN 978-0-85264-171-2)には以下いかのような記述きじゅつがある。

古代こだいにおいてはアストラガリ英語えいご: astragali[ようリンク修正しゅうせい]距骨使つかうゲームがあった。古代こだいギリシアの陶器とうきがそれをしめ証拠しょうこである。ゆかえがかれたえんがあり ちょうどだまあそびのようにアストラガリがこのえんれられるというものだ。 エジプトでは、はか発掘はっくつしゃが「猟犬りょうけんとジャッカル」とばれていたゲームをつけた。そしてそれは現在げんざいのゲームであるへび梯子はしごととてもよくている。これがサイコロの創造そうぞう早期そうき段階だんかいだとおもわれる。
最初さいしょにサイコロゲームが西暦せいれき時代じだい文学ぶんがく言及げんきゅうされたのはHazardとばれるゲームで、これは2、3のサイコロを使つかう。十字軍じゅうじぐんからの騎士きし帰還きかんによってヨーロッパにもたらされたのだとおもわれる。
ダンテ (1265-1321) はこのゲームに言及げんきゅうしている。注釈ちゅうしゃくダンテはこのゲームにさらにかんがえをすすめた。そのかんがえとは以下いかのようなものだ。サイコロ3つをってられる最小さいしょう数字すうじは3で、それぞれのサイのは1。3かい試行しこう合計ごうけいが4になるようにすことはひとつのサイコロで2が、のこり2つのサイコロで1がることで達成たっせいされる。
カルダーノもまた3つのサイコロをげることについてかんがえた。3つのサイコロがげられる。げた合計ごうけいが9になる出方でかたと10になる出方でかたおなすうだけある。9については、(621) (531) (522) (441) (432) (333) の6とおりであり、10については (631) (622) (541) (532) (442) (433) の6とおりだ。ここから、カルダーノはげて合計ごうけいが9になるかくりつ合計ごうけいが10になるかくりつよりもひくいことを発見はっけんした。かれはまたオッズ結果けっかのありそうさ、ありそうでなさの比率ひりつとして定義ていぎする有効ゆうこうせいしめした(それはまたある出来事できごとかくりつはすべてのこりうる結果けっかのうちのありそうな結果けっか割合わりあいよりられることをしめしている)。
さらに, かの有名ゆうめいガリレオは1613ねんから1623ねんあいだのいつかにサイコロげについていた。本質ほんしつてき合計ごうけいが9になるかくりつが10になるかくりつよりもすくないというカルダーノの問題もんだいについてかんがえた。ガリレオはつぎのようにった。特定とくてい数字すうじは、その数字すうじつく方法ほうほうがよりおおいがためにサイコロをげられたときに合計ごうけい数字すうじとしてよりおおてくる能力のうりょくっている。9と10はつくすのにおなじだけの出方でかた方法ほうほうがあるが、10はサイコロをものにとって9よりもありふれているとかんがえられている。

17-18世紀せいき

[編集へんしゅう]

ヤコブ・ベルヌーイArs Conjectandi死後しご、1713ねん)や アブラーム・ド・モアブルThe Doctrine of Chances(1718ねん)は数学すうがくてき基礎きそ広範囲こうはんい複雑ふくざつかくりつ計算けいさん仕方しかたしめしながら確率かくりつろんにしっかりした基礎きそきずいた。ベルヌーイは基礎きそてき大数たいすう法則ほうそく解釈かいしゃく証明しょうめいした。その解釈かいしゃくとは沢山たくさん試行しこうにおいては結果けっか平均へいきん予測よそくされた非常ひじょうちかくなりそうだとべるものである。たとえば、表裏ひょうりかくりつ同様どうようたしからしいコインを1000かいげる試行しこうにおいて、ひょうは500かいちかそうで、試行しこう回数かいすうえればえるほど、割合わりあい半分はんぶんずつにちかづいていきそうだということである。

19世紀せいき

[編集へんしゅう]

不確ふたしかなものをあつかさい確率かくりつろんてき手法しゅほうちからすうかい観察かんさつによるカール・フリードリッヒ・ガウスケレス軌道きどう測定そくていしめされた。誤差ごさろん英語えいご: Theory of errors最小さいしょう乗法じょうほうあやまりがちな観察かんさつただすために使つかい、とく天文学てんもんがく分野ぶんやにおいては、エラーが正規せいき分布ぶんぷするという前提ぜんていのもともっとしんでありそうなものを測定そくていした。1812ねんには、ラプラスはかれ瞬間しゅんかんせきりつはは関数かんすう最小さいしょう乗法じょうほう帰納的きのうてき確率かくりつろん仮説かせつ検証けんしょうといったかくりつ統計とうけいにおけるおおくの基礎きそてき結果けっか統合とうごうてた“Théorie analytique des probabilities”を出版しゅっぱんした。19世紀せいきわりころに、おおくの粒子りゅうしがランダムにうごくという観点かんてんから温度おんどなどのガスの特性とくせい説明せつめいしたルートヴィッヒ・ボルツマンウィラード・ギブズ統計とうけい力学りきがくは、かくりつについての説明せつめいとしてだい成功せいこうしたとえるものであった。かくりつ歴史れきし分野ぶんや自体じたいアイザック・トドハンター不朽ふきゅうHistory of the Mathematical Theory of Probability from the Time of Pascal to that of Lagrange (1865) で確立かくりつされた。

20世紀せいき

[編集へんしゅう]

かくりつ統計とうけいロナルド・フィッシャーイェジ・ネイマン仮説かせつ検定けんてい作業さぎょうとおして密接みっせつつながった。そして現在げんざいひろ生物せいぶつがく心理しんりがく実験じっけんくすり治験ちけん経済けいざいがくのすべての分野ぶんやにおいても同様どうよう応用おうようされている。たとえばあるくすりがいつも効果こうかてきだという仮説かせつは、もしそれがただしければ観察かんさつされるであろうかくりつ分布ぶんぷこす。もし観察かんさつがおおよそ仮説かせつ合致がっちしていれば仮説かせつ裏付うらづけられたことになり、もし合致がっちしていなければ仮説かせつ棄却ききゃくされる[6]かくりつ過程かていろんマルコフ過程かていや、液体えきたいなか浮遊ふゆうする微粒子びりゅうし不規則ふきそくうごきであるブラウン運動うんどうのような領域りょういきほうひろがった。そのことが株式かぶしき市場いちばにおける不規則ふきそく変動へんどう研究けんきゅうのためのモデルを提供ていきょうした。同時どうじオプション評価ひょうか英語えいご: Valuation of optionsのための広範こうはん使用しようされるブラック-ショールズ方程式ほうていしきとしての成功せいこうふく金融きんゆう工学こうがくにおける洗練せんれんされた確率かくりつろんのモデルの使用しようみちびいた[7]。20世紀せいきにはまたかくりつ解釈かいしゃくにおける長期ちょうきにわたる論争ろんそうがあった。20世紀せいき中盤ちゅうばんには 頻度ひんど主義しゅぎ支配しはいてきだった。そしてかくりつ長期ちょうきにわたる沢山たくさん試行しこう相対そうたいてき頻度ひんど意味いみするということがともなった。20世紀せいき最後さいごには ベイズかくりつ観点かんてん復興ふっこうがあった。ベイズかくりつによれば、根本こんぽんてきかくりつ概念がいねんというのはその根拠こんきょによって命題めいだいがどれほどよくささえられているかによる。

数学すうがくてきかくりつあつかいは、こりうる結果けっか無数むすうにあるときは、コルモゴロフによる公理こうりてき確率かくりつろん (1933) の導入どうにゅうによって容易よういになった。

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ J. Franklin, The Science of Conjecture: Evidence and Probability Before Pascal, 113, 126.
  2. ^ Franklin, The Science of Conjecture, ch. 2.
  3. ^ Franklin, Science of Conjecture, ch. 11.
  4. ^ Hacking, Emergence of Probability [ようページ番号ばんごう]
  5. ^ Franklin, Science of Conjecture, ch. 12.
  6. ^ Salsburg, The Lady Tasting Tea.
  7. ^ Bernstein, Against the Gods, ch. 18.

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • Bernstein, Peter L. (1996). Against the Gods: The Remarkable Story of Risk. New York: Wiley. ISBN 0-471-12104-5 
  • Daston, Lorraine (1988). Classical Probability in the Enlightenment. Princeton: Princeton University Press. ISBN 0-691-08497-1 
  • Franklin, James (2001). The Science of Conjecture: Evidence and Probability Before Pascal. Baltimore, MD: Johns Hopkins University Press. ISBN 0-8018-6569-7 
  • イアン・ハッキング (2006). The Emergence of Probability (2nd ed). New York: Cambridge University Press. ISBN 978-0-521-86655-2 
  • Hald, Anders (2003). A History of Probability and Statistics and Their Applications before 1750. Hoboken, NJ: Wiley. ISBN 0-471-47129-1 
  • Hald, Anders (1998). A History of Mathematical Statistics from 1750 to 1930. New York: Wiley. ISBN 0-471-17912-4 
  • Heyde, C. C.; Seneta, E. (eds) (2001). Statisticians of the Centuries. New York: Springer. ISBN 0-387-95329-9 
  • McGrayne, Sharon Bertsch (2011). The Theory That Would Not Die: How Bayes' Rule Cracked the Enigma Code, Hunted Down Russian Submarines, and Emerged Triumphant from Two Centuries of Controversy. New Haven: Yale University Press. ISBN 9780300169690. http://yalebooks.co.uk/display.asp?K=9780300169690 
  • von Plato, Jan (1994). Creating Modern Probability: Its Mathematics, Physics and Philosophy in Historical Perspective. New York: Cambridge University Press. ISBN 978-0-521-59735-7 
  • Salsburg, David (2001). The Lady Tasting Tea: How Statistics Revolutionized Science in the Twentieth Century. ISBN 0-7167-4106-7
  • スティーブン・スティグラー (1990). The History of Statistics: The Measurement of Uncertainty before 1900. Belknap Press/Harvard University Press. ISBN 0-674-40341-X 

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]