小田急おだきゅう箱根はこね

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小田急電鉄おだきゅうでんてつ > 小田急おだきゅう箱根はこね
株式会社かぶしきがいしゃ小田急おだきゅう箱根はこね
Odakyu Hakone Co.,Ltd.
本社ほんしゃ小田急おだきゅう箱根はこねビル)
種類しゅるい 株式会社かぶしきがいしゃ
市場いちば情報じょうほう 上場じょうじょう
本社ほんしゃ所在地しょざいち 日本の旗 日本にっぽん
250-0045
神奈川かながわけん小田原おだわら城山しろやまいち丁目ちょうめ15ばん1ごう
小田急おだきゅう箱根はこねビル)
北緯ほくい3515ふん29.6びょう 東経とうけい1399ふん21.5びょう / 北緯ほくい35.258222 東経とうけい139.155972 / 35.258222; 139.155972座標ざひょう: 北緯ほくい3515ふん29.6びょう 東経とうけい1399ふん21.5びょう / 北緯ほくい35.258222 東経とうけい139.155972 / 35.258222; 139.155972
設立せつりつ 2004ねん平成へいせい16ねん10月1にち箱根登山鉄道はこねとざんてつどう株式会社かぶしきがいしゃ[よう検証けんしょう]
創業そうぎょう1888ねん
業種ぎょうしゅ 陸運りくうんぎょう
法人ほうじん番号ばんごう 8021001033616 ウィキデータを編集
事業じぎょう内容ないよう 旅客りょかく鉄道てつどう事業じぎょう ほか
代表だいひょうしゃ 代表だいひょう取締役とりしまりやく社長しゃちょう 水上みずかみ 秀博ひでひろ
資本しほんきん 1おくえん
(2018ねん3がつ31にち現在げんざい[1]
売上うりあげだか 64おく1283まん2000えん
(2018ねん3がつ[1]
営業えいぎょう利益りえき 5おく1271まん1000えん
(2018ねん3がつ[1]
じゅん利益りえき 3おく9226まん3000えん
(2018ねん3がつ[1]
純資産じゅんしさん 88おく6308まん2000えん
(2018ねん3がつ[1]
そう資産しさん 182おく2959まん1000えん
(2018ねん3がつ[1]
従業じゅうぎょう員数いんずう 279めい(2018ねん3がつ現在げんざい[2]
決算けっさん 3月31にち
主要しゅよう株主かぶぬし 小田急電鉄おだきゅうでんてつ 100%
主要しゅよう子会社こがいしゃ 箱根はこね登山とざんバス
箱根はこねプレザントサービス
外部がいぶリンク https://www.odakyu-hakone.jp/
特記とっき事項じこうきゅう箱根登山鉄道はこねとざんてつどう株式会社かぶしきがいしゃ(1928ねん8がつ13にち設立せつりつ)は2004ねん10がつ1にち持株もちかぶ会社かいしゃ移行いこうにより小田急おだきゅう箱根はこねホールディングス株式会社かぶしきがいしゃ改組かいそ同日どうじつ鉄道てつどう事業じぎょう継承けいしょうするしん会社かいしゃとして設立せつりつ[よう検証けんしょう]。2024ねん4がつ1にちづけ小田急おだきゅう箱根はこねホールディングス2しゃ合併がっぺいし、「箱根登山鉄道はこねとざんてつどう株式会社かぶしきがいしゃ」よりげん商号しょうごう変更へんこう
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株式会社かぶしきがいしゃ小田急おだきゅう箱根はこね(おだきゅうはこね、えい: Odakyu Hakone Co.,Ltd.)は、神奈川かながわけん小田原おだわら本社ほんしゃもうけ、神奈川かながわけん足柄下あしがらしもぐん箱根はこねまち周辺しゅうへんおも営業えいぎょうエリアとする小田急おだきゅうグループ鉄道てつどう会社かいしゃである。

鉄道てつどう路線ろせんとして鉄道てつどうせん鋼索線こうさくせん索道さくどう路線ろせんとして箱根はこねロープウェイゆうするほか遊覧ゆうらんせん箱根はこね海賊かいぞくせん)の運航うんこう自社じしゃビルなどの建物たてもの管理かんり運営うんえいや、強羅ごうら宮城野みやぎの地区ちく旅館りょかんなどへの温泉おんせん供給きょうきゅうなどもおこなう。全国ぜんこく登山とざん鉄道てつどうかい加盟かめい会社かいしゃ[3]

きゅう社名しゃめい箱根登山鉄道はこねとざんてつどう株式会社かぶしきがいしゃ(はこねとざんてつどう、えい: Hakone Tozan Railway Co., Ltd.)。本稿ほんこうでは、2024ねん3がつまでの持株もちかぶ会社かいしゃ中間なかま持株もちかぶ会社かいしゃ)である小田急おだきゅう箱根はこねホールディングス株式会社かぶしきがいしゃ(おだきゅうはこねホールディングス、えい: Odakyu Hakone Holdings Inc.)についてもべる。

概要がいよう[編集へんしゅう]

小田急おだきゅう箱根はこねホールディングス株式会社かぶしきがいしゃ
Odakyu Hakone Holdings Inc.
種類しゅるい 株式会社かぶしきがいしゃ
市場いちば情報じょうほう
略称りゃくしょう 小田急おだきゅう箱根はこねHD
本社ほんしゃ所在地しょざいち 日本の旗 日本にっぽん
250-0045
神奈川かながわけん小田原おだわら城山しろやま1丁目ちょうめ15-1
小田急おだきゅう箱根はこねビル)
設立せつりつ 1928ねん昭和しょうわ3ねん8がつ13にち[よう検証けんしょう]
箱根登山鉄道はこねとざんてつどう株式会社かぶしきがいしゃ
業種ぎょうしゅ サービスぎょう
法人ほうじん番号ばんごう 9021001033012
事業じぎょう内容ないよう 小田急おだきゅうグループの箱根はこねエリアにかかわる経営けいえい計画けいかく営業えいぎょう計画けいかく企画きかく立案りつあん推進すいしん業務ぎょうむおよびグループ会社かいしゃ管理かんり業務ぎょうむ ほか
代表だいひょうしゃ 取締役とりしまりやく社長しゃちょう だきやま 洋之ひろゆき
資本しほんきん 1おくえん(2019ねん3がつ[4]
売上うりあげだか 連結れんけつ:181おくえん[5]
単独たんどく:15おく3400まんえん
(2019ねん3がつ[4]
営業えいぎょう利益りえき 単独たんどく:3おく6600まんえん
(2019ねん3がつ[4]
経常けいじょう利益りえき 単独たんどく:3おく6700まんえん
(2019ねん3がつ[4]
じゅん利益りえき 単独たんどく:2おく9481まん5000えん
(2023ねん3がつ[6]
そう資産しさん 単独たんどく:108おく0621まん7000えん
(2023ねん3がつ[6]
従業じゅうぎょう員数いんずう 連結れんけつ:1138にん
単独たんどく:47にん
(2021ねん3がつ現在げんざい[5]
主要しゅよう株主かぶぬし 小田急電鉄おだきゅうでんてつ 100%
主要しゅよう子会社こがいしゃ 箱根登山鉄道はこねとざんてつどう
箱根はこね登山とざんバス
箱根はこね観光かんこうせん
特記とっき事項じこう:2024ねん4がつ1にち箱根登山鉄道はこねとざんてつどう合併がっぺい解散かいさん
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当時とうじ東海道本線とうかいどうほんせん経路けいろからはずれる小田原おだわら箱根はこねむすぶことを目的もくてきとして1888ねん設立せつりつされた小田原おだわら馬車ばしゃ鉄道てつどう(その小田原おだわら市内しないせん)が前身ぜんしんで、その電化でんかにより1896ねんには小田原おだわら電気でんき鉄道てつどうとなり、1928ねんにいったん日本にっぽん電力でんりょく合併がっぺいしたのち箱根登山鉄道はこねとざんてつどうとして独立どくりつした。2002ねん10月にはバス部門ぶもん箱根はこね登山とざんバスとして分社ぶんしゃ[7]2003ねん8がつ小田急電鉄おだきゅうでんてつ完全かんぜん子会社こがいしゃとなり[7]2004ねん10月には純粋じゅんすい持株もちかぶ会社かいしゃとして小田急おだきゅう箱根はこねホールディングス株式会社かぶしきがいしゃ社名しゃめい変更へんこうし、会社かいしゃ分割ぶんかつによって鉄道てつどう部門ぶもん事業じぎょう継承けいしょうする箱根登山鉄道はこねとざんてつどう株式会社かぶしきがいしゃ(2代目だいめ法人ほうじん)が新設しんせつされた[7][よう検証けんしょう]

さらに2024ねん4がつのグループ再編さいへんにより、箱根登山鉄道はこねとざんてつどう(2代目だいめ法人ほうじん)と小田急おだきゅう箱根はこねホールディングス2しゃ合併がっぺいし、同時どうじ株式会社かぶしきがいしゃ小田急おだきゅう箱根はこね社名しゃめい変更へんこう[8]。これにより1928ねん以来いらいの「箱根登山鉄道はこねとざんてつどう」の社名しゃめい消滅しょうめつすることとなった[9]

子会社こがいしゃとして箱根はこね登山とざんバスのほか、飲食いんしょく物販ぶっぱんやビル管理かんりなど多角たかくなサービス事業じぎょうにな箱根はこねプレザントサービス株式会社かぶしきがいしゃがあり、これらとわせて小田急おだきゅう箱根はこねグループ構成こうせいしている。

ほんこうでは鉄道てつどう事業じぎょう中心ちゅうしんとして、小田原おだわら馬車ばしゃ鉄道てつどう小田原おだわら電気でんき鉄道てつどう箱根登山鉄道はこねとざんてつどう(2004ねんまでのきゅう会社かいしゃおよび会社かいしゃ分割ぶんかつ現行げんこう会社かいしゃ)について記述きじゅつし、必要ひつようおうじて自動車じどうしゃ部門ぶもん(バス事業じぎょう)についても記述きじゅつする。

歴史れきし[編集へんしゅう]

創業そうぎょう馬車ばしゃ鉄道てつどう時代じだい[編集へんしゅう]

1872ねん日本にっぽんはじめて鉄道てつどう路線ろせん開通かいつうしたのち当時とうじ政府せいふ東京とうきょう大阪おおさかむす幹線かんせん鉄道てつどう建設けんせつ計画けいかくしていた[10]当初とうしょ中山道なかせんどう沿ったルート[注釈ちゅうしゃく 1]選定せんていされていたが、1884ねんから建設けんせつ工事こうじはいると当時とうじのトンネル切削せっさくなどの土木どぼく技術ぎじゅつ未熟みじゅくなことから、工事こうじ大幅おおはばおくれることになった[11]。このため、1886ねんには中山道なかせんどうルートの建設けんせつ一時いちじ休止きゅうし[12]東海道とうかいどう沿ったルートの建設けんせつ決定けっていされた[11]

小田原おだわら江戸えど幕府ばくふ開府かいふ以来いらい東海道とうかいどうにおける宿場しゅくばまちとしてさかえていた[13]東海道とうかいどうルートの建設けんせつ決定けっていによって、小田原おだわら自治体じちたいでは「すくなくとも小田原おだわらには鉄道てつどうる」という期待きたいっていた[11]。ところが、そのあきらかになった路線ろせん計画けいかくでは、国府津こうづから御殿場ごてんばまわって沼津ぬまづけるルートとなり、小田原おだわら経由けいゆしなかった[11]当初とうしょ箱根山はこねやまえて三島みしまいたるルートも検討けんとうされていた[14]が、当時とうじ技術ぎじゅつ水準すいじゅんではなん工事こうじとなることが予想よそうされたためである[14]。「幹線かんせんルートからはずれることによって近代きんだいからのこされる」と危惧きぐした小田原おだわら有力ゆうりょくしゃは、当時とうじ鉄道てつどうきょくたいして実地じっち測量そくりょうもとめる嘆願たんがんおこなった[15]が、れられなかった[16]

小田原馬車鉄道の時刻表
小田原おだわら馬車ばしゃ鉄道てつどう時刻じこくひょう
1900年ごろの湯本駅と馬車鉄道の車両
1900ねんごろの湯本ゆもとえき馬車ばしゃ鉄道てつどう車両しゃりょう

そこで、小田原おだわら有力ゆうりょくしゃ1887ねん11月20にち[13]東海道本線とうかいどうほんせん国府津こうづえき起点きてんとし、小田原おだわら経由けいゆして箱根はこねまち湯本ゆもとにいたる馬車ばしゃ鉄道てつどう敷設ふせつ神奈川かながわけんたいして請願せいがんした[16]。この請願せいがんについては神奈川かながわけん当局とうきょく好意こういてき[17]1888ねん2がつには敷設ふせつ許可きょかられた[18]。ただし、神奈川かながわけん当局とうきょく好意こういてきだったのは、足柄あしがらけん再興さいこう運動うんどうきないように、「おんる」という意味いみもあったと推測すいそくされている[17]。ともあれ、同年どうねん2がつ21にち小田原おだわら馬車ばしゃ鉄道てつどう設立せつりつされ[13]小田原おだわらくすりしょういとなんでいた吉田よしだ義方よしえ[16]初代しょだい社長しゃちょうとして就任しゅうにんした[17]同年どうねん3がつから敷設ふせつ工事こうじ開始かいしされ、9月3にちには全線ぜんせん敷設ふせつ工事こうじ竣工しゅんこうした[13]

こうして、1888ねん10がつ1にちより日本にっぽんでは3番目ばんめとなる馬車ばしゃ鉄道てつどうとして[19][注釈ちゅうしゃく 2]小田原おだわら馬車ばしゃ鉄道てつどう営業えいぎょう開始かいしされた[19]。これがのち軌道きどうせんとなる路線ろせん営業えいぎょう開始かいしである。

しかし、開業かいぎょうには既存きそん乗合のりあい馬車ばしゃ人力車じんりきしゃ事業じぎょうしゃからの反対はんたい運動うんどうきた[21]軌道きどうじょうおおきないしいたり、馬車ばしゃ投石とうせきするなどの暴力ぼうりょくてき行為こういかえされ[22]乗員じょういん乗客じょうきゃくうま安全あんぜん確保かくほすることがむずかしくなり[23]、1かげつほどの運行うんこう休止きゅうしをせざるをない状態じょうたいおちいった[21]。ところが、りしももと内閣ないかく総理そうり大臣だいじん伊藤いとう博文ひろぶみ[注釈ちゅうしゃく 3]静養せいようのため小田原おだわら別荘べっそう滞在たいざいしていたとき[22][23]、このさわぎをった伊藤いとうは、神奈川かながわ県知事けんちじたいして運行うんこう事業じぎょうしゃ保護ほご暴力ぼうりょく行為こういたいする取締とりしまりをつよもとめた[22][23]。これをけて、1889ねんからは神奈川かながわ県警けんけい警部けいぶだった田島たじま正勝まさかつ社長しゃちょう就任しゅうにん[24]吉田よしだ取締役とりしまりやく退しりぞいた。ほかにももと警察官けいさつかんすうにん入社にゅうしゃさせることで沿線えんせん警備けいびおこなうこととした[22]経営けいえい体制たいせい刷新さっしんおこなわれ[21]、ようやく馬車ばしゃ鉄道てつどう平常へいじょう運行うんこう可能かのうとなった[24]

馬車ばしゃ鉄道てつどう運行うんこうによって湯治とうじきゃく増加ぞうかがみられるなど[21]小田原おだわら馬車ばしゃ鉄道てつどう開業かいぎょう小田原おだわら箱根はこね近代きんだいたいする原動力げんどうりょくとなったことはたしかとみられている[21]。しかし、うまの蹄によって軌道きどういたみが発生はっせいしたり[25]うま伝染でんせんびょう罹患りかんしたり[25]うま飼料しりょうだい高騰こうとうする[26][注釈ちゅうしゃく 4]などの要因よういんもあり、経営けいえいてきにはくるしい状態じょうたいつづいた[26]

電気でんき鉄道てつどうへの転換てんかん[編集へんしゅう]

電気でんき鉄道てつどうについて調査ちょうさ[編集へんしゅう]

東京とうきょう電燈でんとうのスプレーグしき電車でんしゃ

りしも、1890ねん5月に上野公園うえのこうえんにおいてだい3かい内国ないこく勧業かんぎょう博覧はくらんかい開催かいさいされ[28]、そこでは東京とうきょう電燈でんとうアメリカからスプレーグしき電車でんしゃ輸入ゆにゅう[29]実際じっさい展示てんじ運転うんてんおこなっていた[30]。これは日本にっぽんはじめての電車でんしゃであった[29]

前述ぜんじゅつとおり、小田原おだわら馬車ばしゃ鉄道てつどうくるしい経営けいえい余儀よぎなくされており、なにおおきな改革かいかくによってこの状況じょうきょう打破だはすることが必要ひつようかんがえていた[28]。そのような状況じょうきょうでこのもよおしをった社長しゃちょう田島たじまは、馬車ばしゃ鉄道てつどうから電気でんき鉄道てつどうへの転換てんかん可能かのうかどうかを模索もさくするため[29]重役じゅうやくかい電車でんしゃ視察しさつについて賛同さんどううえ[31]、この電車でんしゃ視察しさつ博覧はくらんかい会場かいじょうおもむいた[31]東京とうきょう電燈でんとう技師ぎしちょうであった藤岡ふじおか市助いちすけはこの視察しさつよろこ[29]日本にっぽん国外こくがいにおける電気でんき鉄道てつどう実情じつじょう運転うんてん方法ほうほうについて説明せつめい[29]藤岡ふじおか自身じしん設計せっけいした発電はつでんしょまで案内あんないした[29]。さらに藤岡ふじおかは「箱根はこね地形ちけい水力すいりょく発電はつでんいている」ともくわえた[32]

博覧はくらんかい実際じっさい電車でんしゃ田島たじまは、「つぎもの電車でんしゃ」と確信かくしん[33]早速さっそく同年どうねん10がつ株主かぶぬし総会そうかい電気でんき鉄道てつどうへの変更へんこう提案ていあんしたが[33]時期じき尚早しょうそうとして見送みおくりとなってしまった[33]当時とうじ小田原おだわら箱根はこねには、どこにも電灯でんとう設置せっちされていなかったのである[34][注釈ちゅうしゃく 5]。しかし、資金しきん調達ちょうたつ手段しゅだんについては討議とうぎされ、増資ぞうし資金しきん募集ぼしゅうおこない、無理むり場合ばあい会社かいしゃ財産ざいさん経営けいえいけん売却ばいきゃくすることで電化でんか工事こうじてようという方針ほうしんさだめられた[32]

よく1891ねんには、当時とうじ逓信ていしん次官じかんであった前島まえじまひそか意見いけんもとめた[35]が、前島まえじま反応はんのうは「電気でんき鉄道てつどう転換てんかんすれば十分じゅうぶん利益りえきがるだろう」と好意こういてき[36]、ちょうど欧米おうべい電化でんか事情じじょう視察しさつして帰国きこくしたばかりだった逓信ていしんしょう職員しょくいん五十嵐いがらし秀助ひですけ現地げんち派遣はけんした[36]五十嵐いがらし現地げんち視察しさつうえ、「水力すいりょく発電はつでんやすく、電気でんき鉄道てつどうとしては天与てんよこう位置いち」と報告ほうこくした[36]1893ねん6がつには東京とうきょう電燈でんとう藤岡ふじおかたいして電気でんき鉄道てつどう全般ぜんぱんについて指導しどう依頼いらい[36]同年どうねん9がつには琵琶湖びわこ疎水そすいうわ発電はつでんしょ建設けんせつたずさわった田辺たなべさくろうたけ永常ながつね太郎たろうたいして実地じっち測量そくりょう依頼いらいした[37]。この実地じっち測量そくりょう結果けっか発電はつでんしょからの電力でんりょくによって、電車でんしゃ運行うんこうだけではなく電力でんりょく供給きょうきゅう事業じぎょうまでおこなうことが可能かのうであると判明はんめいした[37]。この結果けっかもとに、同年どうねん10がつには電気でんき鉄道てつどうへの転換てんかん株主かぶぬし総会そうかい決議けつぎされ[37]同年どうねん10がつ12にち神奈川かながわけんたいして電気でんき鉄道てつどうへの変更へんこう出願しゅつがんした[38]。1894ねん8がつには、神奈川かながわけんから「道路どうろ会社かいしゃがわ拡幅かくふくしたうえで、新設しんせつした軌道きどうじきくに献上けんじょうする願書がんしょ提出ていしゅつすれば、電気でんき鉄道てつどうへの変更へんこう軌道きどう条例じょうれいによって許可きょかする」との内示ないじ[39]。しかし、まだ資金しきん調達ちょうたつ目途もくとっていない現状げんじょうであったため、この時点じてんでは会社かいしゃがわでは様子ようするしかなかった[40]

資金しきん調達ちょうたつのため経営けいえいけん譲渡じょうと[編集へんしゅう]

1895ねん2がつ1にちには、日本にっぽんはつ営業えいぎょうよう電車でんしゃ運行うんこうおこなう電気でんき鉄道てつどうとして京都きょうと電気でんき鉄道てつどう開業かいぎょうし、小田原おだわら馬車ばしゃ鉄道てつどうでは社長しゃちょう以下いか重役じゅうやく視察しさつおこなった[40]。この視察しさつにより、電気でんき鉄道てつどうへの転換てんかんへの意欲いよくはさらにたかまった[41]が、電化でんか必要ひつようとなる資金しきん調達ちょうたつ解決かいけつのままであった[41]。そこで、東京とうきょう馬車ばしゃ鉄道てつどう協議きょうぎうえ、「1300かぶほど発行はっこうされていた小田原おだわら馬車ばしゃ鉄道てつどう株式かぶしきのうち、1000かぶ以上いじょう東京とうきょう馬車ばしゃ鉄道てつどう譲渡じょうとし、そのわりに電化でんか必要ひつよう資金しきん東京とうきょう馬車ばしゃ鉄道てつどう負担ふたんする」という約束やくそくがまとまった[41]。これによって、会社かいしゃ経営けいえいけん東京とうきょう馬車ばしゃ鉄道てつどう譲渡ゆずりわたされた[32]。これは「ててをとる」行動こうどう、つまり会社かいしゃ自体じたいってでも電化でんか実現じつげんしようとしたのである[32][42]

建設けんせつちゅう湯本茶屋ゆもとちゃや発電はつでんしょ

このころ東京とうきょう馬車ばしゃ鉄道てつどうにおいても電気でんき鉄道てつどうへの変更へんこう目論もくろんでいた[32]。しかし、せま道路どうろでの電気でんき鉄道てつどう運行うんこう危険きけんかんがえられたことや[43]、1891ねんかり国会こっかい議事堂ぎじどう漏電ろうでんにより焼失しょうしつしていたことから「電気でんきこわい」という風潮ふうちょうひろまっていたこともあって[43]認可にんかされていなかった。そこへ小田原おだわら馬車ばしゃ鉄道てつどうからの経営けいえいけん譲渡じょうとはなしがあり、東京とうきょう馬車ばしゃ鉄道てつどうでは「まず箱根はこね実績じっせきむことで認可にんかよう」とかんがえたのである[43]。これによって、社長しゃちょうには東京とうきょう馬車ばしゃ鉄道てつどう取締役とりしまりやくであった中野なかのたけし就任しゅうにん[41]東京とうきょう馬車ばしゃ鉄道てつどう社長しゃちょう牟田むた口元くちもとがく東京とうきょう電燈でんとう藤岡ふじおか取締役とりしまりやく就任しゅうにんした[41]が、初代しょだい社長しゃちょう吉田よしだと2代目だいめ社長しゃちょう田島たじま取締役とりしまりやくとして留任りゅうにんしている[41]

なお、にちしん戦争せんそう終結しゅうけつ好景気こうけいきにより[44]1896ねんから馬車ばしゃ鉄道てつどう利用りようしゃ増加ぞうかてんじ、同年どうねん利用りようしゃすう前年ぜんねん43パーセントぞうとなった[44]

資金しきん調達ちょうたつ目途もくとち、1896ねん7がつには電気でんき鉄道てつどう敷設ふせつ許可きょかられた[41]ことから、同年どうねん10がつには社名しゃめい小田原おだわら電気でんき鉄道てつどう変更へんこうした[38]。このときに資本しほんきんも70まんえん増資ぞうしされたが、出資しゅっししゃかおぶれのなかには東京とうきょう電燈でんとう社長しゃちょう神戸こうべきょいちのほか、関西かんさい鉄道てつどう社長しゃちょう前島まえじまひそか日本郵船にっぽんゆうせん社長しゃちょう近藤こんどう廉平れんぺい木曽川きそがわ電力でんりょく天竜川てんりゅうがわ電力でんりょく社長しゃちょう福澤ふくさわももかいのち東武鉄道とうぶてつどう社長しゃちょうとなる根津ねづ嘉一郎かいちろう (初代しょだい)名前なまえられる[44]が、これらは当時とうじ有力ゆうりょく鉄道てつどう」として評価ひょうかされたものとみられている[44]。まず電力でんりょく供給きょうきゅうするための設備せつびとして1898ねん湯本茶屋ゆもとちゃや発電はつでんしょ建設けんせつ開始かいしされ[28]つづいて1899ねん2がつからは軌道きどう電化でんか工事こうじ開始かいしされた[45]橋梁きょうりょう改修かいしゅうえ、軌道きどう敷設ふせつ工事こうじなどもすすめられ[46]、1900ねん2がつ発電はつでんしょ竣工しゅんこう[28]1900ねん3がつにはすべての工事こうじ完了かんりょうした[45]

電化でんか開業かいぎょう[編集へんしゅう]

1900年4月3日に行われた開業式 酒匂橋を渡る電車
1900ねん4がつ3にちおこなわれた開業かいぎょうしき
酒匂さこきょうわた電車でんしゃ

こうして、馬車ばしゃ鉄道てつどうは1900ねん3がつ20日はつかかぎりで廃止はいしとなり[38]よく3がつ21にちからは全線ぜんせん電車でんしゃ運転うんてん開始かいしされた[45]。これは日本にっぽんでは4番目ばんめ電気でんき鉄道てつどう[47]馬車ばしゃ鉄道てつどうからの電化でんか日本にっぽんでははじめての事例じれいである[48]

電化でんかによって、利用りようしゃすう大幅おおはば増加ぞうかがみられた。馬車ばしゃ鉄道てつどう末期まっき同年どうねん3がつ20日はつかまでの利用りようしゃすうは、前年ぜんねんどう時期じき比較ひかくして1まん1500にん減少げんしょうしているのにたい[49]電化でんかの2かげつだけで1まん7000にんもの利用りようしゃぞうとなった[50]。さらに、同年どうねんの6がつからの半年はんとしあいだでは4まんにん以上いじょう利用りようしゃぞうをみており[50]電化でんかしたことはだい成功せいこうであったといわれている[51]

また、不要ふようになったうま馬車ばしゃレールなどはすべ東京とうきょう馬車ばしゃ鉄道てつどうった[52]が、とくにレールは予想よそうしていた価格かかくよりもたかれたことも、会社かいしゃ経営けいえいじょうでは有利ゆうり作用さようした[50]。なお、1901ねんには東京とうきょう馬車ばしゃ鉄道てつどう小田原おだわら電気でんき鉄道てつどう経営けいえい一切いっさいからいている[43]が、その東京とうきょう電車でんしゃ鉄道てつどうとして開業かいぎょうするさいには、乗務じょうむいん実習じっしゅう小田原おだわら電気でんき鉄道てつどう依頼いらいしていた[53]

もっとも、電化でんか経営けいえいかならずしも順調じゅんちょうではなかった。1901ねん10がつには電車でんしゃ乗務じょうむいんたちが労働ろうどう条件じょうけん改善かいぜん会社かいしゃがわ要求ようきゅうしたが回答かいとうがなかった[52]ため、同年どうねん11がつ25にちから2日間にちかんにわたるストライキおこなった[52]。これは日本にっぽん電気でんき鉄道てつどうでははつのストライキといわれている[54]。また、1904ねんには国府津こうづ湯本ゆもと乗合のりあい馬車ばしゃ事業じぎょうしゃとして古郡ふるこおり馬車ばしゃ参入さんにゅうし、資金しきんりょくにものをいわせた経営けいえい方針ほうしんにより、電車でんしゃよりひく運賃うんちん集客しゅうきゃくはかったのである[55]。しかし、ときながれにより、乗合のりあい馬車ばしゃ衰退すいたいしていったとされている[55]

また、酒匂川さかわがわ早川はやかわ毎年まいとしのように氾濫はんらんして被害ひがいあたえていた[55]とくに、1902ねん9月に発生はっせいした小田原おだわらだい海嘯つなみでは線路せんろ埋没まいぼつした[56]ほか、1910ねん8がつ早川はやかわ洪水こうずいではふうさい湯本ゆもとあいだ軌道きどう流失りゅうしつしてしまった[56]。こうした水禍すいかからのがれるには、「路線ろせんそのものをえる以外いがい方法ほうほうはない」という結論けつろんたっした[55]ことから、1911ねん6がつにはふうさい湯本ゆもとあいだ軌道きどう変更へんこう計画けいかく立案りつあんされ[55]1913ねん8がつ山側やまがわ軌道きどう移設いせつされた[56]

登山とざん電車でんしゃ計画けいかく[編集へんしゅう]

外部がいぶからの進言しんげんにより着手ちゃくしゅ[編集へんしゅう]

電車でんしゃ盛況せいきょう温泉おんせんむらからは、1900ねん5がつ23にちけで「路線ろせんとうむらまで延長えんちょうしてしい」との要請ようせいがあった[57]。この当時とうじすで箱根はこね遊覧ゆうらん鉄道てつどうから湯本ゆもと気賀きがむす鉄道てつどう路線ろせん免許めんきょ存在そんざいしたため、まず小田原おだわら電気でんき鉄道てつどうでは湯本ゆもと宮城野みやぎのむす路線ろせん延長えんちょう出願しゅつがんした[58]同年どうねん9がつ8にちづけの『横浜よこはま貿易ぼうえき新報しんぽう』において「箱根はこね遊覧ゆうらん鉄道てつどう解散かいさんしたうえで、小田原おだわら電気でんき鉄道てつどう創立そうりつ費用ひよう負担ふたんすることにまとまった」とほうじられている[58]が、この延長えんちょう計画けいかく同年どうねん9がつ17にち臨時りんじ株主かぶぬし総会そうかい否決ひけつされてしまった[59]

1907ねん、スイスにおける登山とざん鉄道てつどう実況じっきょう視察しさつしたもの[注釈ちゅうしゃく 6]から「スイスをはんとして、箱根はこね登山とざん鉄道てつどう建設けんせつすべき」という手紙てがみ小田原おだわら電気でんき鉄道てつどうたいしておくられてきたことがきっかけで[61]ふたた登山とざん電車でんしゃ建設けんせつ計画けいかく具体ぐたいした。実業じつぎょう益田ますだたかし井上いのうえかおるなどが資本しほん階級かいきゅう社交しゃこうクラブ「交詢社こうじゅんしゃ」において、日本にっぽん発展はってんさく一案いちあんとして「海外かいがいからの観光かんこうきゃく誘致ゆうちするために箱根山はこねやま登山とざん鉄道てつどう延長えんちょうする」という内容ないようはない、この事業じぎょう小田原おだわら電気でんき鉄道てつどう勧告かんこくした[60]。これをけて、1910ねん1がつ臨時りんじ株主かぶぬし総会そうかいにおいて、湯本ゆもとから強羅ごうら路線ろせん延長えんちょうすること[62]、そのために資本しほんきんを220まんえん増額ぞうがくすることを決定けっていした[62]

同年どうねん4がつには路線ろせん延長えんちょう総理そうり大臣だいじん内務ないむ大臣だいじん出願しゅつがんし、さらに翌月よくげつには強羅ごうらから仙石原せんごくはらて、東海道とうかいどう本線ほんせん当時とうじ佐野さのえき当時とうじへの延伸えんしん計画けいかく追加ついかした[62]。この当時とうじ小田原おだわら電気でんき鉄道てつどうのほかには駿しゅんまめ電気でんき鉄道てつどうなど4しゃ箱根はこね登山とざん電車でんしゃはしらせる計画けいかく出願しゅつがんしており、きおいねがいとなっていた[62]。しかし、小田原おだわら電気でんき鉄道てつどう益田ますだ井上いのうえなどの後援こうえんがあるうえ益田ますだ義兄弟ぎきょうだい山縣やまがた有朋ありとも長州ちょうしゅうはん出身しゅっしんで、当時とうじ神奈川かながわ県知事けんちじ周布すふ公平こうへい長州ちょうしゅうはん出身しゅっしんであった[63]。しかも、出願しゅつがんされていた路線ろせんはいずれも小田原おだわら電気でんき鉄道てつどう延長えんちょうという形態けいたいであった[63]結局けっきょく、1911ねん3がつ1にち小田原おだわら電気でんき鉄道てつどう登山とざん鉄道てつどう建設けんせつ免許めんきょ交付こうふされることになった[63]

1912ねんにはした強羅ごうら上強羅かみごうらむす鋼索こうさく鉄道てつどう(ケーブルカー)の敷設ふせつ免許めんきょ申請しんせい[64]同年どうねんちゅう免許めんきょりている[64]。また、1913ねん2がつ22にちには、山王さんのう松原まつばら(2012ねん時点じてんでの小田原おだわら山王さんのう)と松田まつだむす鉄道てつどう敷設ふせつ申請しんせいしているが、許可きょかにはいたっていない[65]

計画けいかく変更へんこう着工ちゃっこう[編集へんしゅう]

当初とうしょ免許めんきょでは、須雲川すくもがわ右岸うがんさかのぼり、須雲川すくもがわ集落しゅうらくから北上ほくじょうして大平台おおひらだいけ、宮ノ下みやのした経由けいゆして強羅ごうらくルートであった[66]。しかし、前述ぜんじゅつのように水害すいがい対応たいおうするためにふうさい湯本ゆもとあいだ軌道きどう変更へんこうすることになった[66]ため、登山とざん鉄道てつどうのルートもさい検討けんとうすることとなり[67]、1911ねん5がつにはさいきゅう勾配こうばいが125‰(パーミル)アプトしき鉄道てつどうとする計画けいかく変更へんこうされた[68]。しかし、これは当時とうじすでさいきゅう勾配こうばいが66.7‰のアプトしき鉄道てつどうとして開通かいつうしていた信越本線しんえつほんせん横川よこがわえき軽井沢かるいざわえきあいだ碓氷峠うすいとうげ)よりもきゅう勾配こうばいであることから、社内しゃない不安ふあんこえがった[68]うえ自然しぜん景観けいかん破壊はかいするおそれがある[69]という理由りゆうにより、再度さいど検討けんとうすることになり、1912ねん7がつ主任しゅにん技師ぎしちょう半田はんだみつぐ[注釈ちゅうしゃく 7]をヨーロッパに派遣はけんした[70]やく半年はんとしあいだにわたる視察しさつえて半田はんだ帰国きこく[70]、その視察しさつ報告ほうこくけ、さいきゅう勾配こうばい80‰の粘着ねんちゃくしき鉄道てつどうとして登山とざん鉄道てつどう建設けんせつすることになり[71]、1913ねん3がつ計画けいかく設計せっけい変更へんこう鉄道てつどういん提出ていしゅつした[72]。この計画けいかく設計せっけい変更へんこう同年どうねん6がつみとめられているが[72]建設けんせつ工事こうじ半田はんだ帰国きこくたずに1912ねん11月に一部いちぶ開始かいしされている[72]

こうして、登山とざん鉄道てつどう建設けんせつ開始かいしされたものの、建設けんせつ計画けいかく当初とうしょ比較ひかくすると大幅おおはば上回うわまわることになり[72]資金しきん調達ちょうたつ苦慮くりょすることになった。1910ねんにも資本しほんきん増額ぞうがく決議けつぎされていたが、その1914ねんには社債しゃさい発行はっこうおこなうことで建設けんせつ資金しきん確保かくほ[73]、さらに1918ねんには資本しほんきんを110まんえん増額ぞうがく[73]1922ねんにはさらに資本しほんきんを330まんえん増額ぞうがくすることになり[73]建設けんせつわるころには小田原おだわら電気でんき鉄道てつどう資本しほんきんは660まんえん[73]建設けんせつ当初とうしょの3ばいにもなっていた。これらの資金しきん調達ちょうたつおうじたのは、東京とうきょう資本しほん中心ちゅうしんであった[74]が、これは多数たすう財界ざいかいじん交流こうりゅうっていた益田ますだ存在そんざいおおきかったとみられている[74]

建設中の箱根湯本駅 建設中の早川橋梁 建設中の出山信号場
建設けんせつちゅう箱根湯本はこねゆもとえき
建設けんせつちゅう早川はやかわ橋梁きょうりょう
建設けんせつちゅう出山でやま信号しんごうじょう

さらに、だいいち世界せかい大戦たいせん影響えいきょう輸入ゆにゅう予定よていだった建設けんせつ資材しざい未着みちゃくおくれが発生はっせいしたことにくわ[75]温泉おんせんみゃく影響えいきょうあたえないための路線ろせん変更へんこうもあり[76]工事こうじ大幅おおはばおくれた[75]工事こうじそのものもなん工事こうじで、もっとも難航なんこうきわめたのは早川はやかわ橋梁きょうりょう架設かせつ工事こうじであったとされている[75]車両しゃりょうについても、当初とうしょはスイスから輸入ゆにゅうする予定よていであったがだいいち世界せかい大戦たいせん影響えいきょう実現じつげんせず[77]主要しゅよう機器ききアメリカせい車両しゃりょう購入こうにゅうすることになった[77]

発電はつでんしょについては、あらたに三枚橋さんまいばし発電はつでんしょ建設けんせつしたが、こちらは1918ねん11月に完成かんせい[72]わりに湯本茶屋ゆもとちゃや発電はつでんしょ廃止はいしされた[72]

すべての工事こうじわったのは1919ねん5月24にち[78]着工ちゃっこうから7ねん以上いじょう経過けいかしていた[75]

強羅ごうら開発かいはつ自動車じどうしゃ事業じぎょう[編集へんしゅう]

開園当初の強羅公園 創業当初の富士屋自働車
開園かいえん当初とうしょ強羅ごうら公園こうえん
創業そうぎょう当初とうしょ富士屋ふじや自働じどうしゃ

登山とざん電車でんしゃ建設けんせつすすめる一方いっぽう鉄道てつどう以外いがい事業じぎょうにも着手ちゃくしゅした。

小田原おだわら電気でんき鉄道てつどうでは1911ねん強羅ごうら土地とち取得しゅとく[79]、これを旅館りょかん別荘べっそうてきするように造成ぞうせいして販売はんばいおこなった[79]つづいて、登山とざん鉄道てつどうやケーブルカーの敷設ふせつ計画けいかく並行へいこうする強羅ごうら地区ちく総合そうごう開発かいはつ一環いっかんとして、さき分譲ぶんじょうした地区ちく中央ちゅうおう公園こうえん開設かいせつすることになり、1914ねん強羅ごうら公園こうえんとして開設かいせつした[80]。さらに、強羅ごうら旅館りょかんいちぶく」を建設けんせつ、1921ねんから営業えいぎょう開始かいしした[81]

一方いっぽう、1913ねん3がつ1にちからはかし自動車じどうしゃぎょう営業えいぎょう開始かいしした[82]。これは、1912ねん箱根はこね自動車じどうしゃかし自動車じどうしゃぎょう営業えいぎょう開始かいししたことがきっかけとなったもので[83]、5だい自動車じどうしゃによって事業じぎょう開始かいしした[82]。ところが、このかし自動車じどうしゃぎょう関連かんれんするトラブルが同年どうねんなつ発生はっせいしたのを[83]富士屋ふじやホテル取締役とりしまりやく山口やまぐち正造しょうぞうも1914ねんから富士屋ふじや自働じどうしゃ設立せつりつしてかし自動車じどうしゃぎょう参入さんにゅうしてきた[82]。しかし、当時とうじ小田原おだわら電気でんき鉄道てつどう登山とざん鉄道てつどう建設けんせつ注力ちゅうりょくしていたため、この時点じてんでは富士屋ふじや自働じどうしゃとの競合きょうごうはあまり問題もんだいにならなかった[84]。これらのかし自動車じどうしゃぎょうは、運行うんこう当初とうしょ人力じんりき車夫しゃふかごかきから反発はんぱつい、路上ろじょうにガラスへんをまかれたり投石とうせきされたこともあった[85]

そのような状況じょうきょう富士屋ふじや自働じどうしゃでは1915ねん8がつには国府津こうづえき箱根はこね地区ちくむす乗合のりあい自動車じどうしゃの、1917ねん6がつには小田原おだわら熱海あたみむす乗合のりあい自動車じどうしゃ運行うんこう許可きょか[86]乗合のりあい自動車じどうしゃ運行うんこう準備じゅんびすすめていた。

登山とざん電車でんしゃ運行うんこう開始かいし[編集へんしゅう]

くるしい経営けいえい[編集へんしゅう]

運行開始当初の登山電車 運行開始当初の鋼索線
運行うんこう開始かいし当初とうしょ登山とざん電車でんしゃ
運行うんこう開始かいし当初とうしょ鋼索線こうさくせん

1919ねん6月1にち小田原おだわら電気でんき鉄道てつどう延長線えんちょうせんとなる鉄道てつどうせん登山とざん電車でんしゃ)の運行うんこう開始かいしされた[87]。しかし、このからは富士屋ふじや自働じどうしゃ乗合のりあい自動車じどうしゃ運行うんこう開始かいしされた[87]登山とざん電車でんしゃ乗合のりあい自動車じどうしゃ同時どうじ開業かいぎょうしたのでは、人力じんりき車夫しゃふかごかきもおおきな抵抗ていこうはできず、やがて姿すがたしてゆくことになった[88]1921ねん7がつ25にちからは、小田原おだわら電気でんき鉄道てつどうでも小涌谷こわくだに箱根はこねまちむす乗合のりあい自動車じどうしゃ運行うんこう開始かいし[89]富士屋ふじや自働じどうしゃたいする対抗たいこうさくとした[90]が、小田原おだわら電気でんき鉄道てつどう富士屋ふじや自働じどうしゃ乗客じょうきゃく争奪そうだつはげしいもので[90]1922ねん12月3にちには両社りょうしゃ社員しゃいん同士どうしによる乱闘らんとう事件じけんまで発生はっせいした[91]

登山とざん電車でんしゃ開業かいぎょうの1921ねんすで免許めんきょていたした強羅ごうらから上強羅かみごうらむす鋼索こうさくせん(ケーブルカー)の建設けんせつ着手ちゃくしゅした[92]鋼索線こうさくせん軌条きじょう車両しゃりょう巻上まきあ装置そうちはすべてスイスせいのものを使用しよう[64]同年どうねん12がつ1にち開業かいぎょうした[64]。これは日本にっぽんにおいては1918ねん開業かいぎょうした生駒いこま鋼索こうさく鉄道てつどうつづく2番目ばんめ鋼索こうさく鉄道てつどうである[92]

なお、1920ねん10月21にちにはのちに東海道とうかいどう本線ほんせんしんせんとなる熱海線あたみせん国府津こうづから小田原おだわらまでの区間くかん開業かいぎょうすることにともな[93]軌道きどうせんについては小田原おだわらえきまえ小田原おだわらまち役場やくばまえむす区間くかん建設けんせつ[93]熱海線あたみせん開業かいぎょう同日どうじつから運行うんこう開始かいしした[89]。これにともない、国府津こうづから小田原おだわらまでの軌道きどうせんについては同年どうねん12がつ6にち廃止はいしされた[89]

しかし、当初とうしょ登山とざん電車でんしゃやまのぼるときにだけ利用りようされ、くだりはあるいて湯本ゆもとまで利用りようしゃおおかった[94]。さらに、建設けんせつまかなうための借入金かりいれきん返済へんさい経営けいえいじょう重荷おもにとなり、借入金かりいれきん利子りし当時とうじ小田原おだわら電気でんき鉄道てつどう支出ししゅつの4わりちかくをめており[95]毎年まいとし赤字あかじ計上けいじょうしている有様ありさまであった[95]。そのような状況じょうきょう経営けいえい破綻はたん回避かいひできたのは、1913ねんから軽便鉄道けいべんてつどう補助ほじょほうにより支給しきゅうされていた補助ほじょきんがあったからであるとされている[95]

1920ねんには二ノ平にのたいらから分岐ぶんきして元箱根もとはこねいた電気でんき鉄道てつどう路線ろせん[65]強羅ごうらから水戸野みとの(2012ねん時点じてんでの箱根はこねまち宮城野みやぎの)とみずうみしり元箱根もとはこね経由けいゆして箱根はこねまちいた路線ろせん[65]水戸野みとのから御殿場ごてんばいた路線ろせん[65]みずうみしりから芦ノ湖あしのこ湖西こさい経由けいゆして箱根はこねまちいた路線ろせん[65]、さらに1922ねんには三島みしま箱根はこねまちむす路線ろせん敷設ふせつ出願しゅつがんしている[65]が、いずれも実現じつげんいたっていない[65]

連続れんぞくする災難さいなん[編集へんしゅう]

くるしい経営けいえいつづいている小田原おだわら電気でんき鉄道てつどうちをかけるように、災難さいなん連続れんぞくした。

1923ねん2がつ1にち深夜しんやには小田原おだわら市内しない本社ほんしゃ社屋しゃおく全焼ぜんしょうする事態じたい発生はっせい電気でんき鉄道てつどうになってからの資料しりょうなどが焼失しょうしつしてしまった[96]

震災により脱線転覆した電車 震災により倒壊した軌道線小田原駅
震災しんさいにより脱線だっせん転覆てんぷくした電車でんしゃ
震災しんさいにより倒壊とうかいした軌道きどうせん小田原おだわらえき

そのかり社屋しゃおく業務ぎょうむおこなっていたが[89]同年どうねん9がつ1にちには関東大震災かんとうだいしんさい発生はっせいし、建造けんぞうぶつはほとんどが倒壊とうかい[97]軌道きどう歪曲わいきょく埋没まいぼつなどで破壊はかいされるなど、軌道きどうせん鉄道てつどうせん電力でんりょく事業じぎょうともに甚大じんだい被害ひがいこうむ[97]、「再起さいき不能ふのうなり」とまで報道ほうどうされる惨状さんじょうであった[98]。この地震じしんでの被害ひがい総額そうがくは、当時とうじ金額きんがくやく150まんえんにものぼった[99]翌年よくねんから復旧ふっきゅう工事こうじ開始かいしされ、1924ねん7がつ9にちには軌道きどうせん全線ぜんせん運行うんこう再開さいかい[99]同年どうねん12がつ24にちには登山とざん電車でんしゃ運行うんこう再開さいかい[99]、ケーブルカーもよく1925ねん3がつ復旧ふっきゅうした[99]。なお、この復旧ふっきゅうに、軌道きどうせん軌間きかんを1,372 mmから1,435 mmに変更へんこうしている[100]が、これは焼失しょうしつした路面ろめん電車でんしゃわりに登山とざん電車でんしゃ軌道きどうせんはしらせるという意図いともあった[100]

さらに、震災しんさい被害ひがいから復帰ふっきしたのち1926ねん1がつ16にちには、小涌谷こわくだに発車はっしゃした電車でんしゃ速度そくど制御せいぎょうしな脱線だっせん転覆てんぷくするという事故じこ発生はっせいした[98]

短期間たんきかんに3もの災難さいなんおそった格好かっこうとなり、これら一連いちれん事件じけん事故じこ被害ひがい総額そうがく当時とうじ金額きんがくにして300まんえんにものぼるものとなり[101]創立そうりつ以来いらい最大さいだい経営けいえい危機ききおちいった[64]

日本にっぽん電力でんりょく傘下さんか[編集へんしゅう]

合併がっぺいのちさい分離ぶんり[編集へんしゅう]

りしも、1919ねん設立せつりつされ、関西かんさい地方ちほう基盤きばんとした電力でんりょく会社かいしゃである日本にっぽん電力でんりょく関東かんとうへの進出しんしゅつ機会きかいをうかがっていた[102]が、小田原おだわら電気でんき鉄道てつどう資金しきん調達ちょうたつ腐心ふしんしていたことに着目ちゃくもくした[64]日本にっぽん電力でんりょくふく社長しゃちょう池尾いけお芳蔵よしぞうおな滋賀しがけん出身しゅっしんであるつつみ康次郎やすじろう仲介ちゅうかいにより[101][103]すうにわたる交渉こうしょうすえ1928ねん1がつ20にちづけ小田原おだわら電気でんき鉄道てつどう日本にっぽん電力でんりょく吸収きゅうしゅう合併がっぺいされ、日本にっぽん電力でんりょく小田原おだわら営業えいぎょうしょとなった。かく事業じぎょうはそのまま継承けいしょうされた。合併がっぺい日本にっぽん電力でんりょくによって送電そうでんせん事務所じむしょ建物たてものなど、につく場所ばしょには日本にっぽん電力でんりょく広告こうこく看板かんばん掲出けいしゅつされたという[104]

しかし、日本にっぽん電力でんりょく小田原おだわら電気でんき鉄道てつどう吸収きゅうしゅう合併がっぺいしたのは電力でんりょく設備せつび目当めあてであった[103][105]。これを裏付うらづけるように「もうかるほう電灯でんとう事業じぎょう親会社おやがいしゃんで、もうからない電車でんしゃはなし」という当時とうじ関係かんけいしゃ発言はつげんのこっている[106][107]事実じじつ合併がっぺいわずか2かげつ同年どうねん3がつ29にちにはしん会社かいしゃ設立せつりつ発起人ほっきにん会議かいぎおこなわれている[105]同年どうねん8がつ13にち日本にっぽん電力でんりょく全額ぜんがく出資しゅっしし、電力でんりょく事業じぎょう以外いがいすべての事業じぎょう継承けいしょうした箱根登山鉄道はこねとざんてつどうとして分離ぶんりされ[108]社長しゃちょうには池尾いけお芳蔵よしぞう就任しゅうにんした[103]

小田原おだわらから強羅ごうらまで直通ちょくつう運転うんてん[編集へんしゅう]

軌道きどうせん小田原おだわらえき左側ひだりがわ国鉄こくてつ小田原おだわらえきで、駅前えきまえにバスもうけられていた

しん会社かいしゃとしてさい出発しゅっぱつした箱根登山鉄道はこねとざんてつどう最初さいしょしたのは、 小田原おだわらから強羅ごうらまで登山とざん電車でんしゃ直通ちょくつう運転うんてんすることであった[109]

この構想こうそうは、関東大震災かんとうだいしんさい直後ちょくごにはすでされていたが、その当時とうじ小田原おだわら電気でんき鉄道てつどう経営けいえい状態じょうたいでは実現じつげん不可能ふかのうであった[109]。その一方いっぽうきょうであるにもかかわらず、1928ねんごろからは各地かくちから箱根はこねへの観光かんこうきゃく輸送ゆそうする貸切かしきりバスが増加ぞうかしていた[109]。これは登山とざん電車でんしゃ収入しゅうにゅう減少げんしょうにつながるものであった[110]

さらに、地元じもと小田原おだわらでは、富士屋ふじや自働じどうしゃとの乗客じょうきゃく争奪そうだつつづいていた。軌道きどうせん小田原おだわらえき国鉄こくてつ小田原おだわら駅前えきまえ位置いちしていた[111]が、駅前えきまえには富士屋ふじや自働じどうしゃもうけられていた[111]。そのため、富士屋ふじや自働じどうしゃは「えなしで箱根はこねへ」と[111]一方いっぽう箱根登山鉄道はこねとざんてつどうは「電車でんしゃほうしずかでやすい」と[111]観光かんこうきゃく自社じしゃ誘導ゆうどうするべく客引きゃくひきをおこなっていた。ときには社員しゃいん同士どうしなぐいをはじめる有様ありさまだった[112]

こうした状況じょうきょう解決かいけつさくや、将来しょうらい発展はってん考慮こうりょして、登山とざん電車でんしゃ直通ちょくつう運転うんてん計画けいかくまれるようになった[109]

りしも、1927ねん4がつ1にちからは新宿しんじゅく起点きてんとする小田原おだわら急行きゅうこう鉄道てつどう小田急おだきゅう)が小田原おだわらまで開通かいつうしていた[113]。これをけて、箱根登山鉄道はこねとざんてつどうでは小田原おだわらえき構内こうないへのれを申請しんせい[113]1930ねんには小田原おだわらえきでの連絡れんらくについて小田急おだきゅう協定きょうていむすんだ[113]

建設中の小峰隧道 板橋陸橋での試運転
建設けんせつちゅう小峰こみね隧道すいどう
板橋いたばし陸橋りっきょうでの試運転しうんてん

工事こうじについては、まず1931ねん11月から風祭かざまつり箱根湯本はこねゆもとむす区間くかん改修かいしゅう工事こうじおこな[114]小田原おだわらえきへのれがみとめられた1934ねんからは小田原おだわら風祭かざまつりむす区間くかん工事こうじにも着手ちゃくしゅした[114]。また、これと並行へいこうして、直通ちょくつう運転うんてん開始かいし予想よそうされる乗客じょうきゃくぞう対応たいおうすべく、2りょう編成へんせいでの運転うんてんについても検討けんとうすすめられることになった[114]

1935ねん9月21にちにすべての工事こうじ完了かんりょう[114]、2りょう編成へんせいでの運行うんこうおこなうための連結れんけつについても開発かいはつ終了しゅうりょうした[114]。それをけて、同年どうねん10がつ1にちより小田原おだわら強羅ごうらあいだにおける登山とざん電車でんしゃ直通ちょくつう運転うんてん開始かいしされた[115]。これにともない、軌道きどうせん箱根はこね板橋いたばし箱根湯本はこねゆもとあいだ前日ぜんじつの9がつ30にちかぎりで営業えいぎょう終了しゅうりょうした[115]

なお、これよりすこさかのぼ1932ねんには京阪電気鉄道けいはんでんきてつどう社長しゃちょうであった太田おおたひかり仲介ちゅうかいにより[116]両社りょうしゃのバス事業じぎょう統合とうごうすることになっており、1933ねん1がつ箱根登山鉄道はこねとざんてつどうのバス事業じぎょうすべてが富士屋ふじや自働じどうしゃ譲渡ゆずりわたされ[116]富士屋ふじや自働じどうしゃ社名しゃめい富士ふじ箱根はこね自動車じどうしゃ変更へんこうした[116]。これによって、小田原おだわらでの箱根登山鉄道はこねとざんてつどう富士屋ふじや自働じどうしゃとの乗客じょうきゃく争奪そうだつ終結しゅうけつしている[117]。また、1938ねんには日本にっぽん電力でんりょく子会社こがいしゃであった箱根はこね観光かんこうによって「強羅ごうらホテル」が完成かんせいし、同年どうねん7がつ21にちから営業えいぎょう開始かいしした[81]

戦時せんじ体制たいせい[編集へんしゅう]

1937ねんにちはな事変じへん勃発ぼっぱつしてから戦時せんじしょくつよくなるにしたがい、箱根登山鉄道はこねとざんてつどう変革へんかく余儀よぎなくされることになった。

電力でんりょく国家こっか管理かんりほう成立せいりつによって電力でんりょくくに管理かんりすることになり、日本にっぽん電力でんりょくはその基幹きかん事業じぎょううしなうことになった[118]。そこで、日本にっぽん電力でんりょく箱根登山鉄道はこねとざんてつどう富士ふじ箱根はこね自動車じどうしゃ他社たしゃ譲渡じょうとする意向いこうしめした[104]。これに反応はんのうしたのが五島ごしま慶太けいた[注釈ちゅうしゃく 8]、やはり日本にっぽん電力でんりょく子会社こがいしゃであった箱根はこね観光かんこうとともに五島ごしまによって買収ばいしゅうされることになり、1942ねん5月30にちづけ五島ごしま社長しゃちょう就任しゅうにんした[120][注釈ちゅうしゃく 9]

さらに、1942ねん強制きょうせい統合とうごう通牒つうちょうのちには富士ふじ箱根はこね自動車じどうしゃ足柄あしがら自動車じどうしゃとの3しゃ統合とうごう推進すいしんされ[121]1944ねん7がつ31にちづけ富士ふじ箱根はこね自動車じどうしゃ足柄あしがら自動車じどうしゃ箱根登山鉄道はこねとざんてつどう合併がっぺいとなった[120]。ケーブルカーは「不要ふよう不急ふきゅうせん」とあつかわれたため1944ねん2がつ10日とおかかぎりで運行うんこう休止きゅうし[122]軌道きどうせんについても空襲くうしゅう被害ひがいけた川崎かわさき市電しでん車両しゃりょうまわすため[122]、1945ねん1がつ10にちづけ運行うんこう休止きゅうしした[120]。バス事業じぎょうにおいても、観光かんこう路線ろせん次々つぎつぎ運休うんきゅうになった。

戦後せんご展開てんかい[編集へんしゅう]

小田急おだきゅうれと軌道きどうせん廃止はいし[編集へんしゅう]

1945ねん終戦しゅうせん、まず軌道きどうせん同年どうねん9がつ12にち運行うんこう再開さいかいした[123]が、軌道線きどうせんよう車両しゃりょうが3りょうしかのこっておらず[123]、この時点じてんでは平常へいじょうどおりの運行うんこうにはいたらなかった[123]1946ねんには本社ほんしゃ小田原おだわら緑町みどりちょう移転いてんした[123]一方いっぽう戦時せんじ統合とうごうにより巨大きょだい鉄道てつどう事業じぎょうしゃとなっていた東急とうきゅうからは、1948ねん6月1にち小田急電鉄おだきゅうでんてつ小田急おだきゅう)・京浜急行電鉄けいひんきゅうこうでんてつ京王帝都電鉄けいおうていとでんてつ分離ぶんりしたが、元来がんらい小田急電鉄おだきゅうでんてつ運行うんこうしていた頭線かしらせん京王けいおう所属しょぞくとなり[124]、もともと東急とうきゅう傘下さんかにあった神奈川かながわ中央ちゅうおう乗合のりあい自動車じどうしゃ当時とうじ)と箱根登山鉄道はこねとざんてつどう小田急おだきゅう傘下さんかはいることになった[125]戦前せんぜん小田急おだきゅう鬼怒川きぬがわ水力すいりょく電気でんき傘下さんかにあり、首都しゅとけん電力でんりょく供給きょうきゅう競合きょうごうする日本にっぽん電力でんりょくけい箱根登山鉄道はこねとざんてつどうとはわずかに連絡れんらく運輸うんゆおこなうのみで関係かんけいうすかった。この箱根登山鉄道はこねとざんてつどう小田急おだきゅう傘下さんかりにより、小田急おだきゅう箱根はこねにおける基盤きばん確立かくりつされた。

1948ねん9がつにはアイオン台風たいふうにより鉄道てつどうせんおおきな被害ひがい[126]復旧ふっきゅう1949ねん7がつ6にちにずれんだ[127]。その鉄道てつどうせん箱根湯本はこねゆもとえきまで小田急おだきゅう電車でんしゃれさせることになり、1950ねん8がつ1にちから小田急おだきゅう電車でんしゃ箱根湯本はこねゆもとえきまで直通ちょくつう運転うんてんするようになった[128]。しかし、この結果けっか鉄道てつどうせん小田原おだわらえきから箱根湯本はこねゆもとえきまでの架線かせん電圧でんあつ直流ちょくりゅう1,500 Vとなり[128]、それまで直接ちょくせつ鉄道てつどうせんから直流ちょくりゅう600 Vの給電きゅうでんけていた軌道きどうせん昇圧しょうあつができず[129]むを箱根湯本はこねゆもとから送電そうでんせんもうけることになった[130]が、これは施設しせつ維持いじ負担ふたん経費けいひめんから問題もんだいとなった[130]。さらに、国道こくどう1ごう交通こうつうりょう増加ぞうかしたことにともない、神奈川かながわけん国道こくどう1ごう改修かいしゅう工事こうじおこなうことを決定けってい[131]小田原おだわらつうじて箱根登山鉄道はこねとざんてつどう軌道きどうせん廃止はいし打診だしんした[130]箱根登山鉄道はこねとざんてつどうがわ廃止はいし消極しょうきょくてきであった[130]が、最終さいしゅうてき神奈川かながわけんが9000まんえん小田原おだわらが300まんえん補償ほしょうきん箱根登山鉄道はこねとざんてつどう支払しはらうことで合意ごうい[132]1956ねん5月31にちかぎりで軌道きどうせん廃止はいしされた[115]

箱根山はこねやま戦争せんそう事業じぎょう拡大かくだい[編集へんしゅう]

これよりすこさかのぼ1947ねん9月、箱根はこね路線ろせんバスと専用せんよう自動車じどうしゃどう運営うんえいしていた駿しゅんまめ鉄道てつどうでは、小田原おだわら小涌谷こわくだにむす区間くかん路線ろせんバスの運行うんこう免許めんきょ申請しんせいおこなった[133]傘下さんかにあった大雄山だいゆうざん鉄道てつどう当時とうじ)との一貫いっかん輸送ゆそうはかったものであった[134]が、当時とうじまだ東急とうきゅう傘下さんかだった箱根登山鉄道はこねとざんてつどうは、自社じしゃ防衛ぼうえい見地けんちから反対はんたい立場たちばをとった[125]。しかし、当時とうじ箱根登山鉄道はこねとざんてつどうはケーブルカーの運行うんこう再開さいかい全力ぜんりょくげており[135]、ただちに自社じしゃバスの増強ぞうきょうはかることはむずかしかった[135]うえ地元じもとからも「独占どくせんはよくない」というこえがっていた[135]こともあり、1949ねん12月には駿しゅんまめ鉄道てつどう路線ろせんバス運行うんこうについては条件じょうけんづけ認可にんかされた[134]。これに対応たいおうして、小田急おだきゅう傘下さんかはいった直後ちょくご箱根登山鉄道はこねとざんてつどうでは早雲山そううんざんからだい涌谷わくや経由けいゆしてみずうみしりいた路線ろせんバス運行うんこう免許めんきょ申請しんせいおこなった[136]が、これはぎゃく駿しゅんまめ鉄道てつどうから反対はんたいけた[137]最終さいしゅうてきには、1950ねん3がつ両社りょうしゃ協定きょうていにより、駿しゅんまめ鉄道てつどう途中とちゅう停留所ていりゅうじょ運行うんこう回数かいすう制限せいげんを、登山とざんバスは1ねんごとの有料ゆうりょう道路どうろ利用りよう契約けいやく更新こうしんをそれぞれ条件じょうけんとしたじょう[138]で、小田原おだわらへは駿しゅんまめ鉄道てつどうバスがれ、わりに登山とざんバスがはじめて芦ノ湖あしのこ北岸ほくがんれることになった[125]

箱根登山鉄道はこねとざんてつどうはこれにつづいて、1950ねん3がつ芦ノ湖あしのこへの湖上こじょう交通こうつう着手ちゃくしゅするために、箱根はこねまち仙石原せんごくはら西武せいぶグループに敵対てきたい立場たちばっていた有力ゆうりょくしゃ共同きょうどう船舶せんぱく会社かいしゃ箱根はこね観光かんこうせん)を設立せつりつした[138]当初とうしょ箱根はこね観光かんこうせん小型こがた遊覧ゆうらんせんのみを保有ほゆうする小規模しょうきぼ事業じぎょうしゃであった[133]が、1954ねんには芦ノ湖あしのこ一周いっしゅう航路こうろ免許めんきょ取得しゅとく[138]、さらに1956ねんには大型おおがた遊覧ゆうらんせん就航しゅうこうさせた[133]駿しゅんまめ鉄道てつどうがわではこれにたいして、1956ねん3がつに「有料ゆうりょう道路どうろ通行つうこう契約けいやく満了まんりょうするととも契約けいやく破棄はきする」と通告つうこくし、契約けいやく満了まんりょう同年どうねん7がつ以降いこうには有料ゆうりょう道路どうろ遮断しゃだんもうけて登山とざんバスの通行つうこう阻止そしした[139]。これは箱根はこね観光かんこうせん大型おおがたせん導入どうにゅうたいする報復ほうふく[139]のち箱根山はこねやま戦争せんそうとしてひろられ、獅子しし文六ぶんろく小説しょうせつ箱根山はこねやま」の題材だいざいにもなった西武せいぶグループと小田急おだきゅうグループ対立たいりつはじまりでもあった[138]

そのたがいに訴訟そしょうこしてそう一方いっぽうで、小田急おだきゅうがわでは1959ねん箱根はこねロープウェイ開通かいつうさせたことにより、小田急おだきゅうグループのみで芦ノ湖あしのこ北岸ほくがん到達とうたつできるようになった[138]。また、1961ねん有料ゆうりょう道路どうろ神奈川かながわけんげたうえ一般いっぱん道路どうろとして開放かいほうした[138]ことで、こうそう事実じじつじょう終結しゅうけつした[140]西武せいぶグループの総帥そうすいであったつつみ康次郎やすじろう1964ねん死去しきょしたこともあり、数多かずおおくあった訴訟そしょう案件あんけん決着けっちゃくがついた1968ねんには西武せいぶ小田急おだきゅうのトップが友好ゆうこうてき協定きょうてい調印ちょういんした[141]ことから、以後いご両社りょうしゃ共存きょうぞんしてゆくことになる。

これらの紛争ふんそう前後ぜんごにも、事業じぎょう展開てんかいすすめられた。自動車じどうしゃ事業じぎょうにおいては、1950ねんには貸切かしきりバス事業じぎょう再開さいかい[125]同年どうねんには東京とうきょうから箱根はこね熱海あたみ直通ちょくつうする路線ろせんバスの運行うんこう開始かいしした[142]ほか、1952ねんには山中湖やまなかこへの路線ろせん開設かいせつされ[125]1958ねんには定期ていき観光かんこうバス運行うんこう開始かいししている[143]。また、関連かんれん事業じぎょうにおいては1957ねんから強羅ごうら公園こうえんさい整備せいび着手ちゃくしゅ[144]、1958ねんには強羅ごうら地区ちくでの温泉おんせん造成ぞうせい工事こうじ開始かいし[145]、1959ねん9がつには箱根はこね登山とざんデパート完成かんせい営業えいぎょう開始かいしした[146]戦後せんご中断ちゅうだんされていた宅地たくち分譲ぶんじょうも1964ねんから再開さいかいされ[146]同年どうねん12がつには「強羅ごうら国際こくさいスケートリンク」を開業かいぎょうした[145]

モータリゼーションの影響えいきょう[編集へんしゅう]

1970ねんだいはいると、東名高速道路とうめいこうそくどうろ小田原おだわら厚木あつぎ道路どうろ開通かいつうなど、道路どうろもう整備せいびすすめられることになった[147]。これは箱根はこねおとずれる観光かんこうきゃく増加ぞうか促進そくしんしたが、その一方いっぽうでモータリゼーションの進展しんてんともない、路線ろせんバスの走行そうこう環境かんきょう悪化あっかした[148]観光かんこうきゃくせたマイカーが特定とくてい道路どうろ集中しゅうちゅうすることによる渋滞じゅうたい登山とざんバスの定時ていじせいそこなわれ[148]、バス利用りようしゃ減少げんしょうまねいた[148]

しかし、この渋滞じゅうたいによってマイカーも身動みうごきがれない状況じょうきょうとなり[149]、それにともなって時間じかん正確せいかく登山とざん電車でんしゃ見直みなおされることにもつながった[147]輸送ゆそうりょく増強ぞうきょうのため、1980ねんには小田急おだきゅう車両しゃりょう大型おおがた計画けいかくされ[150]1982ねん7がつから小田急おだきゅう大型おおがた車両しゃりょう箱根湯本はこねゆもとまでれるようになった[151]

レーティッシュ鉄道てつどうとの姉妹しまい鉄道てつどう提携ていけい[編集へんしゅう]

姉妹鉄道提携にちなんで「箱根登山電車」と大書されたレーティッシュ鉄道の車両 姉妹鉄道提携にちなんで「ベルニナ号」と命名された1000形
姉妹しまい鉄道てつどう提携ていけいにちなんで「箱根はこね登山とざん電車でんしゃ」と大書たいしょされたレーティッシュ鉄道てつどう車両しゃりょう
姉妹しまい鉄道てつどう提携ていけいにちなんで「ベルニナごう」と命名めいめいされた1000かたち

1978ねん開業かいぎょう90周年しゅうねんむかえた箱根登山鉄道はこねとざんてつどうは、記念きねん行事ぎょうじ一環いっかんとして[152]1979ねん6月1にちスイス政府せいふ観光かんこうきょく協力きょうりょくて、レーティッシュ鉄道てつどうとの姉妹しまい鉄道てつどう提携ていけいむすんだ[152]。これは鉄道てつどうせん開業かいぎょうにスイスのベルニナ鉄道てつどう(そののレーティッシュ鉄道てつどうベルニナせん)を参考さんこうにしたことえんになったもので[152]強羅ごうら公園こうえんない強羅ごうらえき構内こうないにはクリスマスツリーに使用しようされるドイツトウヒ記念きねん植樹しょくじゅおこなわれた[152]1981ねんには45ねんぶりの新型しんがた車両しゃりょうとして1000かたち電車でんしゃ導入どうにゅうされ、「ベルニナごう」と命名めいめいされた[149]

1982ねんには、姉妹しまい鉄道てつどう提携ていけい3周年しゅうねん記念きねんして、レーティッシュ鉄道てつどうからカウベルおくられた[153]。これにたいする返礼へんれい箱根登山鉄道はこねとざんてつどうからレーティッシュ鉄道てつどう打診だしんすると、日本人にっぽんじん観光かんこうきゃく増加ぞうかしているため日本語にほんご駅名えきめいばんという要望ようぼうがあった[154]ため、姉妹しまい鉄道てつどう提携ていけい5周年しゅうねん記念きねんとして1984ねん6がつサンモリッツアルプ・グリュムティラノの3えき駅名えきめいばんがレーティッシュ鉄道てつどうおくられた[154]

姉妹鉄道提携3周年記念にレーティッシュ鉄道から贈られたカウベル 姉妹鉄道提携にちなんで「サン・モリッツ号」と命名された2000形
姉妹しまい鉄道てつどう提携ていけい3周年しゅうねん記念きねんにレーティッシュ鉄道てつどうからおくられたカウベル
姉妹しまい鉄道てつどう提携ていけいにちなんで「サン・モリッツごう」と命名めいめいされた2000かたち

また、1986ねんには箱根はこね富士ふじ箱根はこね伊豆いず国立こくりつ公園こうえん指定していされてから50周年しゅうねんとなる[154]ため、記念きねん行事ぎょうじ検討けんとうしたおり、サンモリッツ観光かんこうきょくがプロモーション目的もくてき来日らいにちすることになった[154]ため、姉妹しまい鉄道てつどう提携ていけい7周年しゅうねん記念きねんとして「サンモリッツとの友好ゆうこうつどい」が開催かいさいされた[154]1989ねんには箱根登山鉄道はこねとざんてつどうでははつ冷房れいぼうづけ電車でんしゃとなる2000かたち導入どうにゅうされた[155]が、スイス政府せいふ観光かんこうきょくとサンモリッツ観光かんこうきょく協力きょうりょく[156]、2000かたちは「サン・モリッツごう」と命名めいめいされた[156]

その鉄道てつどうせん利用りようする観光かんこうきゃく増加ぞうかし、1991ねんには年間ねんかん輸送ゆそう人員じんいんが1せんまんにんえた[157]輸送ゆそうりょく増強ぞうきょうのため、鉄道てつどうせん列車れっしゃ最大さいだい3りょう編成へんせいにすることが決定けってい[157]1993ねん7がつから鉄道てつどうせんでは3りょう編成へんせいでの運行うんこう開始かいしされた[158]。また、ケーブルカーについても1995ねんに2りょう編成へんせい実施じっしされた[159]一方いっぽう関連かんれん事業じぎょうの「強羅ごうら国際こくさいスケートリンク」は利用りようしゃ減少げんしょうにより1988ねん3がつ廃止はいしとなった[145]

21世紀せいきはいってからの展開てんかい[編集へんしゅう]

小田急おだきゅうグループ傘下さんかでの事業じぎょう再編さいへん[編集へんしゅう]

しかし、その箱根はこねおとずれる観光かんこう客数きゃくすうは、バブル崩壊ほうかいもあって1991ねん年間ねんかん2200まんにんをピークに減少げんしょう傾向けいこうとなり[160]2003ねんにはピーク比較ひかくして15%ほどの減少げんしょうとなっていた[161]。こうした状況じょうきょう箱根はこね交通こうつうネットワークの改善かいぜん着手ちゃくしゅ[7]同時どうじこうコスト構造こうぞう是正ぜせいはかった[7]

すで1998ねんには沼津ぬまづ地区ちく路線ろせんバスが沼津ぬまづ箱根はこね登山とざん自動車じどうしゃとして分社ぶんしゃされていた[162]が、沼津ぬまづ地区ちく路線ろせん2002ねん10月にすべ沼津ぬまづ東海とうかいバスに譲渡ゆずりわたされ、沼津ぬまづ東海とうかいバスは沼津ぬまづ登山とざん東海とうかいバス改称かいしょうされた[163]。また、熱海あたみ地区ちく路線ろせん伊豆いず東海とうかいバス統合とうごうされた[163]のこった箱根登山鉄道はこねとざんてつどうのバス部門ぶもん沼津ぬまづ箱根はこね登山とざん自動車じどうしゃ譲渡じょうとうえ沼津ぬまづ箱根はこね登山とざん自動車じどうしゃ箱根はこね登山とざんバスへ社名しゃめい変更へんこうされた[163]。また、貸切かしきりバス事業じぎょうについては1996ねん一部いちぶ箱根はこね登山とざん観光かんこうバス移管いかんされていた[162]が、過当かとう競争きょうそうによって業績ぎょうせき低迷ていめいしていたことから[7]、2002ねん箱根はこね登山とざん観光かんこうバスは事業じぎょう廃止はいしとした[163]

さらに、2003ねん8がつには箱根登山鉄道はこねとざんてつどう小田急おだきゅうとの株式かぶしき交換こうかんにより上場じょうじょう廃止はいしとなり、箱根登山鉄道はこねとざんてつどう小田急おだきゅう完全かんぜん子会社こがいしゃとなった[7]。さらに同年どうねん9がつには箱根登山鉄道はこねとざんてつどう事業じぎょう持株もちかぶ会社かいしゃされ[7]同年どうねん10がつには箱根登山鉄道はこねとざんてつどう事業じぎょう部門ぶもんとしてしん会社かいしゃ設立せつりつ[7]同時どうじにそれまでの箱根登山鉄道はこねとざんてつどう小田急おだきゅう箱根はこねホールディングス商号しょうごう変更へんこうしたうえ純粋じゅんすい持株もちかぶ会社かいしゃとなった[7][よう検証けんしょう][注釈ちゅうしゃく 10]

鉄道てつどうせんにおいては、すで2000ねん12月2にちより小田原おだわらえき箱根湯本はこねゆもとえきあいだにおいてはにちちゅう小田急おだきゅう車両しゃりょうのみの運行うんこうとなっていた[164]が、2006ねん3月18にちからはどう区間くかん旅客りょかく列車れっしゃをすべて小田急おだきゅう車両しゃりょうえた[165]。また、2002ねんには電車でんしゃとバスに共通きょうつうのプリペイドカードとして「とざんカード」を導入どうにゅうした[163]が、2005年度ねんどにはICカードながれで「とざんカード」の販売はんばい中止ちゅうしされた[163]

一方いっぽう、2003ねん12月には小田急おだきゅうグループと西武せいぶグループが箱根はこねにおいて業務ぎょうむ提携ていけいをすることが発表はっぴょうされた[166]。この提携ていけい2004ねんには一部いちぶことなっていたバス停留所ていりゅうじょめい箱根はこね登山とざんバスと伊豆いず箱根はこねバスで統一とういつされた[167]ほか、2009ねんには小田急おだきゅう箱根登山鉄道はこねとざんてつどう西武鉄道せいぶてつどうスルッとKANSAI協議きょうぎかい提携ていけいして資材しざい共同きょうどう購入こうにゅう開始かいしした[168]

年表ねんぴょう[編集へんしゅう]

  • 1887ねん明治めいじ20ねん11月20にち 国府津こうづ - 湯本ゆもとあいだ馬車ばしゃ鉄道てつどう敷設ふせつ請願せいがんしょ神奈川かながわけん提出ていしゅつ[13]
  • 1888ねん明治めいじ21ねん
    • 2がつ21にち 馬車ばしゃ鉄道てつどう敷設ふせつ特許とっきょ取得しゅとく小田原おだわら馬車ばしゃ鉄道てつどう設立せつりつ[38]
    • 10月1にち 国府津こうづえき - 小田原おだわらえき - 湯本ゆもとえきげん箱根湯本はこねゆもとえきあいだ開業かいぎょう[21]
  • 1896ねん明治めいじ29ねん10月31にち 小田原おだわら電気でんき鉄道てつどう小田おだでん)に社名しゃめい変更へんこう[38]
  • 1900ねん明治めいじ33ねん3月21にち 全線ぜんせん電化でんか[38]
  • 1919ねん大正たいしょう8ねん6月1にち 鉄道てつどうせん 箱根湯本はこねゆもとえき - 強羅ごうらえきあいだ開業かいぎょう[89]
  • 1920ねん大正たいしょう9ねん12月6にち 小田原おだわら市内しないせん 国府津こうづえき - 小田原おだわらえきあいだ廃止はいし[89]
  • 1921ねん大正たいしょう10ねん12月1にち 鋼索線こうさくせん 強羅ごうらえきげん強羅ごうら) - 上強羅かみごうらえきげん早雲山そううんざんあいだ開業かいぎょう[89]
  • 1928ねん昭和しょうわ3ねん
    • 1がつ20日はつか 小田原おだわら電気でんき鉄道てつどう日本にっぽん電力でんりょく合併がっぺいし、日本にっぽん電力でんりょく小田原おだわら営業えいぎょうしょとなる[64]
    • 8がつ13にちきゅう箱根登山鉄道はこねとざんてつどう株式会社かぶしきがいしゃ設立せつりつ現在げんざい小田急おだきゅう箱根はこねホールディングス株式会社かぶしきがいしゃ[169]
    • 8がつ16にち 日本にっぽん電力でんりょくてつ軌道きどう事業じぎょう箱根登山鉄道はこねとざんてつどう分離ぶんり譲渡じょうと
  • 1935ねん昭和しょうわ10ねん)10がつ1にち 鉄道てつどうせん 小田原おだわらえき - 箱根湯本はこねゆもとえきあいだ開業かいぎょう小田原おだわら市内しないせん 箱根はこね板橋いたばしえき - 箱根湯本はこねゆもとえきあいだ廃止はいし[120]
  • 1942ねん昭和しょうわ17ねん5月30にち 五島ごしま慶太けいた社長しゃちょう就任しゅうにん[120]
  • 1948ねん昭和しょうわ23ねん)6がつ1にち だい東急とうきゅう分割ぶんかつによって小田急電鉄おだきゅうでんてつ関連かんれん会社かいしゃとなる[125]
  • 1949ねん昭和しょうわ24ねん)11月 東京とうきょう証券しょうけん取引とりひきしょ上場じょうじょう
  • 1950ねん昭和しょうわ25ねん8がつ1にち 鉄道てつどうせん 小田原おだわらえき - 箱根湯本はこねゆもとえきあいだ小田急電鉄おだきゅうでんてつ列車れっしゃ開始かいし[128]
  • 1956ねん昭和しょうわ31ねん)6がつ1にち 小田原おだわら市内しないせん 小田原おだわらえき - 箱根はこね板橋いたばしえきあいだ廃止はいし[170]
  • 1972ねん昭和しょうわ47ねん)9がつ16にち 湯本ゆもとない2かしょ土砂崩どしゃくずれ。路盤ろばん流出りゅうしゅつしたため運転うんてん休止きゅうし[171]
  • 1979ねん昭和しょうわ54ねん)6がつ1にち スイスレーティッシュ鉄道てつどう姉妹しまい鉄道てつどう提携ていけいむす[172]
  • 1982ねん昭和しょうわ57ねん7がつ12にち 鉄道てつどうせん大型おおがた(20メートルしゃ)6りょう編成へんせい開始かいし[151]
  • 2002ねん平成へいせい14ねん)4がつ16にち 鉄道てつどう・バス共通きょうつうのプリペイドカード「とざんカード」を導入どうにゅう[163]
  • 2003ねん平成へいせい15ねん
    • 3月19にち 鉄道てつどうせん 小田原おだわらえき - 箱根湯本はこねゆもとえきあいだパスネット導入どうにゅう[173]
    • 7がつ 東京とうきょう証券しょうけん取引とりひきしょ(現在げんざいのプライムおよびスタンダード)上場じょうじょう廃止はいし
    • 8がつ1にち 小田急電鉄おだきゅうでんてつ完全かんぜん子会社こがいしゃとなる。
  • 2004ねん平成へいせい16ねん)10がつ1にち 会社かいしゃ再編さいへんともない、鉄道てつどう事業じぎょう新設しんせつ箱根登山鉄道はこねとざんてつどう株式会社かぶしきがいしゃ当社とうしゃ)に承継しょうけい。(きゅう箱根登山鉄道はこねとざんてつどう株式会社かぶしきがいしゃ小田急おだきゅう箱根はこねホールディングス株式会社かぶしきがいしゃ名称めいしょう変更へんこう[よう検証けんしょう]
  • 2006ねん平成へいせい18ねん
    • 3月18にち 鉄道てつどうせん 小田原おだわらえき - 箱根湯本はこねゆもとえきあいだ終日しゅうじつ小田急おだきゅうしゃ運行うんこう[165]。その小田原おだわらえき - 入生田いりゅうだえきあいだの3せん軌条きじょうを2せん軌条きじょう(1,067 mm)。
    • 3月31にち 鉄道てつどうせんでの「とざんカード」の発売はつばい中止ちゅうし[163]
    • 11月30にち 鉄道てつどうせんでの「とざんカード」の使用しよう中止ちゅうし箱根はこね登山とざんバスではつづ利用りよう可能かのう)。
  • 2007ねん平成へいせい19ねん)3がつ18にち 鉄道てつどうせんPASMO導入どうにゅうSuica相互そうご利用りよう
  • 2008ねん平成へいせい20ねん3月14にち パスネットの自動じどう改札かいさつでの使用しよう終了しゅうりょう
  • 2009ねん平成へいせい21ねん)4がつ1にち スルッとKANSAI協議きょうぎかい提携ていけいどう協議きょうぎかいとおして資材しざい共同きょうどう購入こうにゅう開始かいし[168]
  • 2013ねん平成へいせい25ねん
  • 2015ねん平成へいせい27ねん
  • 2019ねんれい元年がんねん
    • 10月12にち れい元年がんねん東日本ひがしにっぽん台風たいふう台風たいふう19ごう)により鉄道てつどうせん鋼索こうさくせん全線ぜんせん運休うんきゅう。13にち鉄道てつどうせん小田原おだわらえき - 箱根湯本はこねゆもとえきあいだ[176]、16にち鋼索線こうさくせん[177]運転うんてん再開さいかいするも、鉄道てつどうせん箱根湯本はこねゆもとえき - 強羅ごうらえきあいだ道床どうしょう流出りゅうしゅつ橋梁きょうりょう流出りゅうしゅつなど、復旧ふっきゅう長期間ちょうきかんようする被害ひがい[176]
    • 10月18にち 箱根湯本はこねゆもとえき - 強羅ごうらえきあいだ各駅かくえきむす代行だいこうバス(にちちゅう路線ろせんバスで対応たいおう)の運行うんこう開始かいしする[178]
    • 10月25にち れい元年がんねん東日本ひがしにっぽん台風たいふうによる温泉おんせん供給きょうきゅう設備せつび流出りゅうしゅつ破損はそん利用りようできなくなった強羅ごうら早雲山そううんざん地区ちくの受湯契約けいやくしゃたいして、11月中旬ちゅうじゅん供給きょうきゅう再開さいかい目指めざしているむね発表はっぴょうする[179]
    • 10月26にち 代行だいこうバスにおいて、箱根湯本はこねゆもとえき - 強羅ごうらえきあいだ直行ちょっこう便びん設定せってい運用うんよう開始かいしする[180]
    • 11月22にち 電車でんしゃ運転うんてん再開さいかい見込みこみを2020ねんあきごろ発表はっぴょう[181][182]
  • 2020ねんれい2ねん
    • 2がつ1にち 小田急おだきゅう箱根はこねホールディングス傘下さんか箱根はこね登山とざんバスが箱根はこね登山とざん観光かんこうバス吸収きゅうしゅう合併がっぺい[183]
    • 3月26にち 電車でんしゃ運転うんてん再開さいかい見込みこみを2020ねん7がつ下旬げじゅん前倒まえだおしすると発表はっぴょう[184]
    • 5月11にち 7がつ下旬げじゅん運転うんてん再開さいかいけて箱根湯本はこねゆもとえき - 大平台おおひらだいえき付近ふきんにて通常つうじょうとはことなり1あいだに2ほん程度ていどちゅう試運転しうんてん開始かいし復旧ふっきゅう工事こうじ進行しんこうわせて順次じゅんじ試運転しうんてん区間くかん拡大かくだい
    • 6月2にち 大平台おおひらだいえき付近ふきんえて宮ノ下みやのしたえき付近ふきんまで試運転しうんてん区間くかん拡大かくだい
    • 6月24にち 箱根湯本はこねゆもとえき - 強羅ごうらえきあいだ運転うんてん再開さいかいを7がつ23にち発表はっぴょうする[185]
    • 7がつ9にち 宮ノ下みやのしたえき - 強羅ごうらえきあいだ試運転しうんてん開始かいし、7がつ23にち運転うんてん再開さいかいにむけて箱根湯本はこねゆもとえき - 強羅ごうらえきあいだ全線ぜんせん試運転しうんてんおこなう。
    • 7がつ22にち 箱根湯本はこねゆもと - 強羅ごうらあいだ箱根はこね登山とざんバスによる振替ふりかえ輸送ゆそう列車れっしゃ代行だいこうバスの運行うんこう終了しゅうりょう
    • 7がつ23にち 箱根湯本はこねゆもと - 強羅ごうらあいだやく9かげつぶりに運転うんてん再開さいかい[185][186]
  • 2022ねんれい4ねん
    • 4がつ1にち 箱根登山鉄道はこねとざんてつどう箱根はこねロープウエイ吸収きゅうしゅう合併がっぺい[187]
    • 9月1にち 小田急おだきゅう箱根はこねホールディングス傘下さんか箱根はこね登山とざんハイヤーの保有ほゆう株式かぶしきまるリムジングループのシティオートリース株式会社かぶしきがいしゃ譲渡じょうと箱根はこね登山とざんハイヤーは社名しゃめい箱根はこねモビリティサービス株式会社かぶしきがいしゃ変更へんこう[188][189]
  • 2024ねんれい6ねん)4がつ1にち 箱根登山鉄道はこねとざんてつどう存続そんぞく会社かいしゃとし、小田急おだきゅう箱根はこねホールディングス、箱根はこね観光かんこうせん箱根はこね施設しせつ開発かいはつの3しゃ合併がっぺい株式会社かぶしきがいしゃ小田急おだきゅう箱根はこね商号しょうごう変更へんこう[8]同時どうじに、箱根はこね観光かんこうせん子会社こがいしゃである箱根はこねプレザントと箱根はこね登山とざんトータルサービス(存続そんぞく会社かいしゃ)が合併がっぺい箱根はこねプレザントサービス株式会社かぶしきがいしゃ社名しゃめい変更へんこうし、箱根はこね観光かんこうせん箱根登山鉄道はこねとざんてつどう売店ばいてん飲食いんしょく事業じぎょう同社どうしゃ移管いかん[8]

事業じぎょう[編集へんしゅう]

箱根登山鉄道の路線図
路線ろせん
箱根登山鉄道のランドサット衛星写真
ランドサット衛星えいせい写真しゃしん

てつ軌道きどう[編集へんしゅう]

現有げんゆう路線ろせん[編集へんしゅう]

OH 鉄道てつどうせん箱根はこね登山とざん電車でんしゃ
1919ねん6がつ1にち湯本ゆもとから強羅ごうらまでの区間くかん開業かいぎょう[87]。1935ねん10がつ1にちより小田原おだわら強羅ごうらあいだにおける直通ちょくつう運転うんてん開始かいし[115]
OH 鋼索線こうさくせん箱根はこね登山とざんケーブルカー)
1921ねん12月1にち開業かいぎょう[64]不要ふよう不急ふきゅう路線ろせんとして1944ねん2がつ10日とおかかぎりで運行うんこう休止きゅうし[122]、1950ねん7がつ1にちから運行うんこう再開さいかい[120]

廃止はいし路線ろせん[編集へんしゅう]

小田原おだわら市内しないせん
1888ねん10がつ1にち開業かいぎょうした馬車ばしゃ鉄道てつどう前身ぜんしんとし[19]、その1900ねん3がつ21にち電化でんかされた[45]。その国鉄こくてつ熱海線あたみせん重複じゅうふくする区間くかんを1920ねん12月6にち廃止はいし[89]、さらに鉄道てつどうせん延伸えんしん重複じゅうふくする区間くかんを1935ねん9がつ30にちかぎりで廃止はいし[115]のこった区間くかん1956ねん5月31にちかぎりで廃止はいし[115]

索道さくどう[編集へんしゅう]

OH 箱根はこねロープウェイ早雲山そううんざんせん桃源とうげんだいせん
1959ねんから1960ねんにかけて開業かいぎょう。2022ねん4がつ1にち運営うんえい会社かいしゃ合併がっぺいにより箱根登山鉄道はこねとざんてつどう路線ろせんくわわる[187]

航路こうろ[編集へんしゅう]

OH 箱根はこね海賊かいぞくせん

バス[編集へんしゅう]

1913ねん3がつ1にち開業かいぎょうした小田原おだわら電気でんき鉄道てつどうかし自動車じどうしゃぎょう[83]と、1914ねん8がつ15にち開業かいぎょうした富士屋ふじや自働じどうしゃかし自動車じどうしゃぎょう[190]前身ぜんしんとし、1932ねん両社りょうしゃ合併がっぺいして富士ふじ箱根はこね自動車じどうしゃとなる[116]が、戦時せんじちゅう交通こうつう事業じぎょう統合とうごうながれのなかで1921ねん創業そうぎょう足柄あしがら自動車じどうしゃとともに1944ねん箱根登山鉄道はこねとざんてつどう合併がっぺいし、同社どうしゃ自動車じどうしゃ部門ぶもんとなった[120]。2002ねん10がつには小田急おだきゅうグループないでの事業じぎょう再編さいへんともな分社ぶんしゃされた[163]

その[編集へんしゅう]

温泉おんせん供給きょうきゅう事業じぎょう
1911ねんから強羅ごうら地区ちくへのおこなうために温泉おんせんぎょう着手ちゃくしゅしたのがはじまり[145]。1958ねんからは強羅ごうら地区ちく温泉おんせん造成ぞうせいにも着手ちゃくしゅ[145]、1988ねん時点じてんでは1にち1,600 t温泉おんせん供給きょうきゅうしている[146]
商業しょうぎょう施設しせつ
1959ねん小田原おだわらえき東口ひがしぐちに「箱根はこね登山とざんデパート」を開設かいせつ、その箱根はこね登山とざんベルジュ」に変更へんこうしたのち、2013ねん閉鎖へいさ解体かいたい。2015ねん11月にしん商業しょうぎょう施設しせつ完成かんせいし「トザンイースト」と名付なづけて営業えいぎょうしている[191]。かつてはホームセンタービーバートザン」も経営けいえいしていた。
不動産ふどうさん事業じぎょう
直営ちょくえい不動産ふどうさんぎょういとなみ、「箱根はこね登山とざんスカイラークビル」などの賃貸ちんたい事業じぎょうなどをおこなっている[192]

車両しゃりょう[編集へんしゅう]

小田急おだきゅう箱根はこねホールディングス時代じだい連結れんけつ子会社こがいしゃ[編集へんしゅう]

2024ねん合併がっぺい直前ちょくぜん時点じてんで、以下いかの6しゃ小田急おだきゅう箱根はこねホールディングスの連結れんけつ子会社こがいしゃとなっていた。

  • 箱根登山鉄道はこねとざんてつどう株式会社かぶしきがいしゃ
  • 箱根はこね登山とざんバス株式会社かぶしきがいしゃ
  • 箱根はこね観光かんこうせん株式会社かぶしきがいしゃ
    • 箱根はこねプレザント株式会社かぶしきがいしゃ
  • 箱根はこね施設しせつ開発かいはつ株式会社かぶしきがいしゃ
  • 箱根はこね登山とざんトータルサービス株式会社かぶしきがいしゃ

過去かこ連結れんけつ子会社こがいしゃ[編集へんしゅう]

共通きょうつうロゴ[編集へんしゅう]

小田急おだきゅう箱根はこねおよび箱根はこね登山とざんバスでは、アクセントカラーがあかけいとなっている統一とういつロゴ「Odakyu Hakone」(小田急おだきゅう箱根はこね)を駅名えきめいしるべひとしのサイン(案内あんない標識ひょうしき)で共通きょうつう使用しようする。個別こべつ部分ぶぶんのロゴでは鉄道てつどう事業じぎょうしゃめいではなく、「箱根はこね登山とざん電車でんしゃ」などとものべつにしたロゴを使用しようし、顧客こきゃく本位ほんいのブランディングをおこなっているのもつよ特徴とくちょうである。あおけい小田急おだきゅうグループロゴとはことなるが、小田急おだきゅうロマンスカー伝統でんとうてき色合いろあいにもちかく、ふるくから小田急おだきゅうグループの箱根はこねビジネスで展開てんかいされているカラーリングのながれをくんでいる。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ その信越本線しんえつほんせんとなるルート。
  2. ^ 日本にっぽんはつ馬車ばしゃ鉄道てつどう1882ねん開業かいぎょう東京とうきょう馬車ばしゃ鉄道てつどう[20]、2番目ばんめとなるのは1888ねん8がつ9にち開業かいぎょうした群馬ぐんまけん碓氷うすい馬車ばしゃ鉄道てつどう[20]
  3. ^ 伊藤いとうはこのとしの4がつ内閣ないかく総理そうり大臣だいじん辞任じにんしていた。
  4. ^ 小田原おだわら馬車ばしゃ鉄道てつどうの1890年度ねんど決算けっさんにおいては、そう支出ししゅつ24,829えんのうち、馬匹ばひつだけで13,069えん半分はんぶん以上いじょうめていた[27]
  5. ^ この地域ちいきはじめて電灯でんとう導入どうにゅうされたのは、よく1891ねん火力かりょく発電はつでんによって電灯でんとう導入どうにゅうした富士屋ふじやホテルである[35]
  6. ^ この人物じんぶつは、実業じつぎょう益田ますだたかしであったと推測すいそくされている[60]
  7. ^ 技師ぎしから専務せんむ取締役とりしまりやくになり退社たいしゃ湘南しょうなん電気でんき鉄道てつどう京浜けいひん電気でんき鉄道てつどう海岸かいがん電気でんき軌道きどう役員やくいん歴任れきにん人事じんじ興信録こうしんろく. 9はん国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  8. ^ 五島ごしまたいして「箱根登山鉄道はこねとざんてつどう買収ばいしゅうしたらどうか」とすすめたのはつつみ康次郎やすじろうである[119]
  9. ^ この売却ばいきゃくかんしては複数ふくすうせつ存在そんざいする。小田急おだきゅうしゃ小田急おだきゅうじゅうねん』では、箱根登山鉄道はこねとざんてつどうは1942ねん5がつ東急とうきゅう傘下さんかくわわったことになっている[104]。しかし、東急とうきゅうしゃ東急とうきゅうじゅうねん』では五島ごしま慶太けいたが1941ねん小田急おだきゅう社長しゃちょう就任しゅうにんし、その箱根はこね地区ちくにおける観光かんこう事業じぎょう強化きょうかのために箱根登山鉄道はこねとざんてつどう箱根はこね観光かんこう買収ばいしゅうしたことになっている[104]一方いっぽうで、箱根登山鉄道はこねとざんてつどうは1941ねん5がつ東急とうきゅう傘下さんかはいったことになっている[104]
  10. ^ この事業じぎょう再編さいへん結果けっか、2002ねん分社ぶんしゃした箱根はこね登山とざんバスは、小田急おだきゅう箱根はこねホールディングスのした箱根登山鉄道はこねとざんてつどう箱根はこねロープウェイ・箱根はこね観光かんこうせん並列へいれつ位置いちすることになる[7]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

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参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

しゃ[編集へんしゅう]

  • 箱根登山鉄道はこねとざんてつどう株式会社かぶしきがいしゃ総務そうむ総務そうむ箱根登山鉄道はこねとざんてつどう創業そうぎょう100周年しゅうねん記念きねん すばらしい箱根はこね グラフ100』箱根登山鉄道はこねとざんてつどう、1988ねん 

書籍しょせき[編集へんしゅう]

  • 青田あおたたかし箱根はこねやまいどんだ鉄路てつろ天下てんかけん」をえたわざ交通こうつう新聞しんぶんしゃ、2011ねんISBN 978-4330231112 
  • 荒井あらい文治ぶんじ箱根登山鉄道はこねとざんてつどうへの招待しょうたい』(だい6はん電気でんきしゃ研究けんきゅうかい、1994ねん原著げんちょ1988ねん)。ISBN 4885480698 
  • 市川いちかわ健三けんぞうへん箱根はこね鉄道てつどう100ねん大正たいしょう出版しゅっぱん、1988ねんISBN 4811706188 
  • 生方うぶかた良雄よしおしょかわひさし小田急おだきゅうロマンスカー物語ものがたり保育ほいくしゃ、1994ねんISBN 4586180293 
  • 生方うぶかた良雄よしお日本にっぽん私鉄してつ 小田急おだきゅう保育ほいくしゃ、1997ねんISBN 4586509023 
  • 生方うぶかた良雄よしお小田急おだきゅう物語ものがたり多摩川たまがわ新聞しんぶんしゃ、2000ねんISBN 4924882372 
  • 加藤かとう利之としゆき箱根山はこねやま近代きんだい交通こうつう神奈川新聞社かながわしんぶんしゃ、1995ねんISBN 978-4876451890 
  • 鉄道てつどうともかい へん『ブルーリボンしょう車両しゃりょう'88』保育ほいくしゃ、1988ねんISBN 978-4586507566 
  • 中嶋なかじま忠三郎ちゅうざぶろう西武せいぶ王国おうこく そのほのおかげサンデーしゃ、2004ねんISBN 978-4882030416 
  • 渡辺わたなべ一夫かずお『トコトコ登山とざん電車でんしゃ』あかね書房しょぼう、1985ねんISBN 4251063961 
  • 『58 東海自動車とうかいじどうしゃ箱根はこね登山とざんバス』BJエディターズ〈バスジャパン・ハンドブックシリーズR〉、2006ねんISBN 4434072730 

雑誌ざっし記事きじ[編集へんしゅう]

  • 青木あおき栄一えいいち小田急電鉄おだきゅうでんてつのあゆみ 路線ろせんもう拡大かくだい地域ちいき開発かいはつ」『鉄道てつどうピクトリアルだい546ごう電気でんきしゃ研究けんきゅうかい、1991ねん7がつ、65-75ぺーじ 
  • 青木あおき栄一えいいち小田急電鉄おだきゅうでんてつのあゆみ(戦後せんごへん)」『鉄道てつどうピクトリアル』だい679ごう電気でんきしゃ研究けんきゅうかい、1999ねん12月、93-105ぺーじ 
  • 小川おがわいさお小田急おだきゅうグループの系譜けいふ -戦前せんぜん鬼怒きぬでん系列けいれつ-」『鉄道てつどうピクトリアル』だい679ごう電気でんきしゃ研究けんきゅうかい、1999ねん12月、106-117ぺーじ 
  • 加藤かとう新一しんいち小田急電鉄おだきゅうでんてつにおける運輸うんゆ展開てんかい -戦後せんご復興ふっこうから高度こうど成長せいちょうへ-」『鉄道てつどうピクトリアル』だい546ごう電気でんきしゃ研究けんきゅうかい、1991ねん7がつ、88-93ぺーじ 
  • 杉田すぎた弘志ひろし小田急電鉄おだきゅうでんてつ 列車れっしゃ運転うんてん変遷へんせんとその興味きょうみ」『鉄道てつどうピクトリアル』だい829ごう電気でんきしゃ研究けんきゅうかい、2010ねん1がつ、204-219ぺーじ 
  • つる通孝みちたかやま友也ともや列車れっしゃ追跡ついせきシリーズ548 なんでもってみたい特急とっきゅうロマンスカー わくわくの85ふん」『鉄道てつどうジャーナル』だい464ごう鉄道てつどうジャーナルしゃ、2005ねん6がつ、25-35ぺーじ 
  • 野中のなかさち鉄道てつどう軌道きどうプロジェクトの事例じれい研究けんきゅう54 小田急おだきゅうグループの箱根はこね戦略せんりゃく」『鉄道てつどうジャーナルだい480ごう鉄道てつどうジャーナルしゃ、2006ねん10がつ、106-108ぺーじ 
  • 細野ほその詠一えいいち箱根登山鉄道はこねとざんてつどう サン・モリッツごうせいく」『鉄道てつどうジャーナルだい275ごう鉄道てつどうジャーナルしゃ、1989ねん9がつ、136-141ぺーじ 
  • 三浦みうらまもる天下てんかけんのぼ箱根登山鉄道はこねとざんてつどう 箱根湯本はこねゆもと-強羅ごうらあいだ3りょう編成へんせい運転うんてん輸送ゆそうりょく増強ぞうきょう」『鉄道てつどうジャーナル』だい324ごう鉄道てつどうジャーナルしゃ、1993ねん10がつ、70-77ぺーじ 
  • 三宅みやけ俊彦としひこ馬車ばしゃ鉄道てつどうからスタートした 箱根登山鉄道はこねとざんてつどうの120ねん」『鉄道てつどうひとりたびふたりたびだい1ごう、枻出版しゅっぱんしゃ、2010ねん5がつ、36-39ぺーじISBN 9784777916238 

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]