(Translated by https://www.hiragana.jp/)
野間文芸新人賞 - Wikipedia コンテンツにスキップ

野間のま文芸ぶんげい新人しんじんしょう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
野間のま文芸ぶんげい新人しんじんしょう
受賞じゅしょう対象たいしょう新人しんじん作家さっか小説しょうせつ
くに日本の旗 日本にっぽん
主催しゅさい財団ざいだん法人ほうじん野間のま文化ぶんか財団ざいだん講談社こうだんしゃ
初回しょかい1979ねん前身ぜんしん初回しょかい1941ねん
最新さいしんかい2024ねん
最新さいしん受賞じゅしょうしゃ豊永とよなが浩平こうへい
公式こうしきサイト公式こうしきウェブサイト

野間のま文芸ぶんげい新人しんじんしょう(のまぶんげいしんじんしょう)は、講談社こうだんしゃ初代しょだい社長しゃちょう野間のま清治きよじ遺志いしにより設立せつりつされた財団ざいだん法人ほうじん野間のま文化ぶんか財団ざいだん主催しゅさいする純文学じゅんぶんがく新人しんじんあたえられる文学ぶんがくしょうである。野間のまさんしょうのうちのひとつ。

概要がいよう

[編集へんしゅう]

財団ざいだん法人ほうじん野間のま奉公ほうこうかい1941ねん野間のま文芸ぶんげいしょうとともに創設そうせつした野間のま文芸ぶんげい奨励しょうれいしょう前身ぜんしん戦後せんごりょうしょうとも一時いちじ中断ちゅうだんし、1953ねん野間のま文芸ぶんげいしょうのみ再開さいかい、その1979ねん講談社こうだんしゃ創立そうりつ70周年しゅうねん野間のま文芸ぶんげい奨励しょうれいしょう改称かいしょう野間のま文芸ぶんげい新人しんじんしょうとして新設しんせつされた。以降いこうねん1かい発表はっぴょうされている。

新人しんじん作家さっかによる小説しょうせつ対象たいしょうとする。芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけしょうちがい、文芸ぶんげい掲載けいさいさくだけではなく単行本たんこうぼん対象たいしょうとなる。受賞じゅしょうさく選考せんこう委員いいん合議ごうぎによって決定けっていされる。受賞じゅしょうしゃには正賞せいしょうとして賞牌しょうはい副賞ふくしょうとして100まんえんだい12かいから、それ以前いぜんは50まんえん)が授与じゅよされる。受賞じゅしょうさく発表はっぴょうおよび選評せんぴょうは『群像ぐんぞう』1がつごう掲載けいさいされる。

初期しょき村上むらかみりゅう尾辻おつじ克彦かつひこなど芥川賞あくたがわしょう受賞じゅしょう経験けいけんしゃ授賞じゅしょうすることがあったが、しだいに芥川賞あくたがわしょう受賞じゅしょうしゃのみを「新人しんじん」としてあつか慣例かんれい[1]成立せいりつしていった。とくに90年代ねんだい以降いこう受賞じゅしょうしゃやく4わりのち芥川賞あくたがわしょう受賞じゅしょうしている。しかしだい43かい2021ねん)にてやく30ねんぶりに芥川賞あくたがわしょう受賞じゅしょう経験けいけんしゃ遠野とおのはるか)が候補こうほがり、だい44かい2022ねん)では芥川賞あくたがわしょう受賞じゅしょう経験けいけんしゃ2にん町屋まちや良平りょうへい宇佐見うさみりん)がはいった候補こうほのうち町屋まちや受賞じゅしょうするなど、長年ながねんつづいていた慣例かんれい見直みなおされた[1]。2023ねん贈呈ぞうていしきにおいて選考せんこう委員いいん保坂ほさか和志かずしは「このしょう芥川賞あくたがわしょう同格どうかく」と強調きょうちょうし、芥川賞あくたがわしょう対抗たいこう独自どくじしょくしている[1]

受賞じゅしょうさく一覧いちらん野間のま文芸ぶんげい奨励しょうれいしょう

[編集へんしゅう]

だい1かい1941ねん

だい2かい1942ねん

だい3かい1943ねん

だい4かい1944ねん

だい5かい1946ねん

受賞じゅしょうさく一覧いちらん野間のま文芸ぶんげい新人しんじんしょう

[編集へんしゅう]

だい1かいからだい10かい

[編集へんしゅう]

だい1かい1979ねん

だい2かい1980ねん

だい3かい1981ねん

だい4かい1982ねん

だい5かい1983ねん

だい6かい1984ねん

だい7かい1985ねん

だい8かい1986ねん

だい9かい1987ねん

  • 受賞じゅしょうさく新井あらいみつる『ヴェクサシオン』
  • 候補こうほさくあさいね日出夫ひでお『シュージの放浪ほうろう』、リービ英雄えいゆう星条旗せいじょうきこえない部屋へや」(『群像ぐんぞう』1987ねん3がつごう)、小林こばやし恭二きょうじ『ゼウスガーデン衰亡すいぼう』、1さく

だい10かい1988ねん

だい11かいからだい20かい

[編集へんしゅう]

だい11かい1989ねん

だい12かい1990ねん

だい13かい1991ねん

だい14かい1992ねん

だい15かい1993ねん

だい16かい1994ねん

だい17かい1995ねん

だい18かい1996ねん

だい19かい1997ねん

だい20かい1998ねん

だい21かいからだい30かい

[編集へんしゅう]

だい21かい1999ねん

だい22かい2000ねん

だい23かい2001ねん

だい24かい2002ねん

だい25かい2003ねん

だい26かい2004ねん

だい27かい2005ねん

だい28かい2006ねん

だい29かい2007ねん

だい30かい2008ねん

  • 受賞じゅしょうさく津村つむら久子ひさこミュージック・ブレス・ユー!!
  • 候補こうほさく小野おの正嗣まさつぐ『マイクロバス』、はち飼耳べに水晶すいしょう』、前田まえだ司郎しろうだれかがを、にぎっているようながしてならない』、山崎やまざきナオコーラ『論理ろんり感性かんせい相反あいはんしない』

だい31かいからだい40かい

[編集へんしゅう]

だい31かい2009ねん

だい32かい2010ねん

だい33かい2011ねん

だい34かい2012ねん

だい35かい2013ねん

だい36かい2014ねん

だい37かい2015ねん

だい38かい2016ねん

だい39かい2017ねん

だい40かい2018ねん

だい41かいから

[編集へんしゅう]

だい41かい2019ねん

だい42かい2020ねん

だい43かい2021ねん

だい44かい2022ねん

だい45かい2023ねん

だい46かい2024ねん

選考せんこう委員いいん野間のま文芸ぶんげい新人しんじんしょう

[編集へんしゅう]

選考せんこう委員いいん問題もんだい

[編集へんしゅう]

だい27かい選考せんこうかいまえに、突然とつぜん選考せんこう委員いいんえられた。しかしこのときまえしょく選考せんこう委員いいんには事前じぜん連絡れんらくがされていなかった(文学ぶんがくしょう選考せんこうにはなんヶ月かげつまえからしも準備じゅんび必要ひつようであるため、選考せんこう委員いいん交替こうたいがあるときには事前じぜん了解りょうかいるのが通例つうれいである)。そこでぜんしょく選考せんこう委員いいんたちは、笙野しょうの頼子よりこ発起ほっきじんとして記者きしゃ会見かいけんひらき、不満ふまんうったえた。それにたいし、講談社こうだんしゃがわは、『群像ぐんぞう』2006ねん1がつごうに、講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい局長きょくちょうのおびの言葉ことば掲載けいさいした。

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b c 読売新聞よみうりしんぶん2024ねん1がつ14にちづけ朝刊ちょうかん解説かいせつめん
  2. ^ 野間のま文芸ぶんげいしょう川上かわかみ弘美ひろみさん「こいははかない、あるいは、プールのそこのステーキ」”. 産経さんけいニュース (産経さんけいデジタル). (2023ねん11月6にち). https://www.sankei.com/article/20231106-XEPT45P3DNPELGX3NPEBMLTI2I/ 2023ねん11月7にち閲覧えつらん 
  3. ^ a b 野間のま文芸ぶんげい新人しんじんしょう”. 講談社こうだんしゃ. 2023ねん11月7にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]