師団しだん

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師団しだん(しだん、ふつえい: Division)は、軍隊ぐんたい部隊ぶたい編制へんせい単位たんいひとつ。旅団りょだんだんよりおおきく、軍団ぐんだんぐんよりちいさい。師団しだんは、しゅたる作戦さくせん単位たんいであるとともに、地域ちいきてきまたは期間きかんてき独立どくりつして、いち正面しょうめん作戦さくせん遂行すいこうする能力のうりょく保有ほゆうする最小さいしょう戦略せんりゃく単位たんいとされることがおおい。おおくの陸軍りくぐんでは、いくつかの旅団りょだんだんまたは連隊れんたいふくみ、いくつかの師団しだんあつまって軍団ぐんだんぐんとう構成こうせいする。

NATO兵科へいか記号きごう

編制へんせいについては、くに時期じき兵科へいかによって変動へんどうおおきいが、21世紀せいき初頭しょとう現代げんだい各国かっこく陸軍りくぐん師団しだんは、2~4連隊れんたいまたは旅団りょだん基幹きかんとして、歩兵ほへい砲兵ほうへい工兵こうへいひとし戦闘せんとう兵科へいかおよ兵站へいたんとう後方こうほう支援しえん部隊ぶたいなどのしょ兵科へいか連合れんごうした6せんにんから2まんにん程度ていど兵員へいいん規模きぼ作戦さくせん基本きほん部隊ぶたいである[1]おおくのくににおいて師団しだんちょうには少将しょうしょうせられるが、ブラジルなどの中南米ちゅうなんべいいくつかのくに日本にっぽんのように中将ちゅうじょうせられるくにもあり、またイスラエルや一部いちぶのアラブ諸国しょこくではじゅんしょうが、ソ連それんロシアひがしドイツひとしきゅう東欧とうおう諸国しょこくでは大佐たいさつとめるれいられる。

divisionというかたり欧州おうしゅう文化ぶんかみなもととする欧米おうべい諸国しょこく陸海空りくかいくうぐんいずれでももちいられており、陸軍りくぐんおよ海兵かいへいたいでは師団しだん海軍かいぐんではたいまたぶん艦隊かんたい空軍くうぐんでは航空こうくう師団しだんなどとやくされることがある[1]

歴史れきし[編集へんしゅう]

フランス王国おうこくでの創案そうあん[編集へんしゅう]

中世ちゅうせいヨーロッパにおいて、軍隊ぐんたい一塊ひとかたまり集団しゅうだんとして行動こうどうするのが一般いっぱんてきであった[2]人数にんずうすうせんからすうまんにん程度ていど貴族きぞく騎士きしやその家来けらいおさむじょう兵器へいきあやつ技術ぎじゅつしゃなどのあつめであり、明確めいかく編成へんせいがなかったこともあり、指揮しきることには困難こんなんともない、戦術せんじゅつじょう必要ひつようせい対応たいおうすることもむずかしかった[2]近世きんせいになると、機能きのうてき指揮しき統制とうせい迂回うかい戦術せんじゅつなどの必要ひつようせいから、そう兵力へいりょくすうまんにん程度ていどぐんを3程度ていど集団しゅうだん分割ぶんかつしての用兵ようへいがなされるようになり、これがこう師団しだんせい素地そじとなった[2]

17世紀せいきスウェーデンおうグスタフ2せいアドルフおおくの軍事ぐんじてき改革かいかくおこなったが、そのひとつがしょう単位たんい部隊ぶたい編制へんせい合理ごうりてき合目的的ごうもくてきてき整備せいびであり、3戦隊せんたいをもって旅団りょだん構成こうせいするようにした[3]さんじゅうねん戦争せんそうでスウェーデンと同盟どうめい関係かんけいにあったフランス王国おうこくもこの方式ほうしき導入どうにゅうしたが、名称めいしょう旧来きゅうらいもちいてきたものを踏襲とうしゅうし、戦隊せんたいのかわりに大隊だいたいbataillon)、旅団りょだんのかわりに連隊れんたいregiment)としょうした[3]連隊れんたい常設じょうせつ単位たんいとしては最大さいだい規模きぼ部隊ぶたいであり、戦役せんえきごとに連隊れんたいぐんぐん司令しれいかんのもとに糾合きゅうごうされていたが、このころ名将めいしょうとしてられていたテュレンヌ子爵ししゃくは、すで連隊れんたいよりもだい規模きぼ部隊ぶたい単位たんいとしての旅団りょだん構想こうそうしていたといわれる[3]

"division"という言葉ことば自体じたいは、18世紀せいき初頭しょとうよりもちいられるようになった[4]。しかしオーストリア継承けいしょう戦争せんそう時点じてんでは、本隊ほんたいとはべつみちとおって行軍こうぐんするなどしているためにそう司令しれいかん直接ちょくせつ指揮しきにない部隊ぶたいという意味いみぎず、本隊ほんたい合流ごうりゅうした時点じてん消滅しょうめつする一時いちじてき組織そしきであり、しょ兵科へいか連合れんごうなどもとく意識いしきされてはいなかった[4]。これにたいし、サックス元帥げんすいは、歩兵ほへい連隊れんたい基準きじゅんとしたほうさん兵種へいしゅから戦闘せんとうだん臨時りんじ編成へんせいこころみた[5]当時とうじ啓蒙けいもう思想しそう背景はいけいとして古代こだいギリシア古代こだいローマ時代じだい文献ぶんけん見直みなおしがすすんでおり、サックス元帥げんすいローマ軍団ぐんだん(レギオー)にヒントをて、既存きそん連隊れんたいわせて旅団りょだん編成へんせいし、2旅団りょだんをあわせて部隊ぶたい編制へんせいしたものであった[2]。またその部下ぶかであったブロイこうヴィクトル=フランソワも、ななねん戦争せんそうにおいて同様どうよう部隊ぶたい実験じっけんてき運用うんようしていたほか[5]ブールセ将軍しょうぐんも、山岳さんがくせんでのしょへい連合れんごう部隊ぶたいによるぶんすすむごうげき戦術せんじゅつ有用ゆうようせいいた[2]

どう戦争せんそうでのフランスの敗北はいぼく海外かいがい植民しょくみん多数たすう喪失そうしつという事態じたい対応たいおうし、これらの経験けいけんまえて1776ねんフランス陸軍りくぐん導入どうにゅうしたのが師団しだん管区かんく制度せいどであった[5][3]。これは、歩兵ほへい騎兵きへい砲兵ほうへい工兵こうへいなどかく兵種へいしゅ部隊ぶたいふくんで1めい中将ちゅうじょうによって統率とうそつされる「師団しだん管区かんく」を平時へいじ陸軍りくぐん構成こうせい単位たんいとするもので、中将ちゅうじょう平時へいじよりかく兵種へいしゅ共同きょうどう訓練くんれんおこなうことで戦闘せんとう行動こうどうでの連携れんけい改善かいぜんするとともに、戦時せんじにはそれらの部隊ぶたい指揮しきかんとなる責任せきにんうこととなった[3]。そしてフランス革命かくめい直前ちょくぜんの1788ねんには、軍事ぐんじ参議さんぎかい決定けっていにより、歩兵ほへい旅団りょだん騎兵きへい旅団りょだんかく1個いっこかく2連隊れんたい編制へんせい)をもって師団しだんとする編制へんせいさだめられた[3]ギベール元帥げんすいは、ブールセ将軍しょうぐんによるぶんすすむごうげき戦術せんじゅつ師団しだん編制へんせいわせて敷衍ふえんすることを提唱ていしょうし、この結果けっかアンシャン・レジーム時期じきにおいて、すでにフランス陸軍りくぐんでは放胆ほうたん機動きどうこう正面しょうめん展開てんかい包囲ほうい殲滅せんめつ戦略せんりゃく思想しそう胚胎はいたいし、まただい部隊ぶたいによるたてふか展開てんかい隊形たいけいによる攻撃こうげき戦術せんじゅつ方式ほうしき発展はってんするにいたっていた[3]

フランス革命かくめい戦争せんそうでの発展はってん[編集へんしゅう]

フランス革命かくめい戦争せんそうなかの1793ねんから1794ねんにかけて、徴兵ちょうへい制度せいどによって543大隊だいたい・45まんめいというだい兵力へいりょく建設けんせつされたが、公安こうあん委員いいんかいラザール・カルノーはこれに既存きそん傭兵ようへい部隊ぶたい混合こんごうして軍隊ぐんたい再編さいへんし、戦列せんれつ歩兵ほへい209はん旅団りょだん軽装けいそう騎兵きへい42はん旅団りょだん編成へんせいした[3]。また1793ねんには国民こくみん公会こうかいによって師団しだん制度せいど採用さいよう決定けっていされていたが、革命かくめいまえ師団しだん編制へんせい上記じょうきとお歩兵ほへい騎兵きへいのみで砲兵ほうへいをもたなかったのにたいし、カルノーは歩兵ほへいはん旅団りょだん4騎兵きへいはん旅団りょだん2火砲かほう8もんくわえて1個いっこ師団しだんとすることで、師団しだんほうの3兵種へいしゅ連合れんごうだい部隊ぶたい単位たんいとして発展はってんさせた[3]。1796ねん、フランスぜんぐんはほぼ師団しだん編制へんせい統一とういつされていた[3]

ナポレオン・ボナパルトはこの編制へんせい若干じゃっかん修正しゅうせい改善かいぜんくわえて有機ゆうきてき運用うんようし、顕著けんちょ成果せいかおさめた[3]ナポレオンぐん歩兵ほへい師団しだんは2-3歩兵ほへい旅団りょだんかく2連隊れんたい)と1個いっこ砲兵ほうへいたいかく野砲やほう4もん曲射きょくしゃほう2もんゆうする中隊ちゅうたい2)および偵察ていさつにんずる若干じゃっかん騎兵きへいからり、べつ騎兵きへい師団しだん編成へんせいしていた[3]歩兵ほへい師団しだん隷下れいか旅団りょだん通常つうじょう2であったことから、師団しだんそのものは歩兵ほへい連隊れんたい4基幹きかんとすることとなり、4単位たんいせい師団しだん呼称こしょうされた[3][2]

フランス革命かくめい戦争せんそうナポレオン戦争せんそうでの経験けいけんつうじて、のヨーロッパ諸国しょこくも、フランスぐん戦術せんじゅつ軍制ぐんせいまなんでいった[3]。フランスの1788ねんタイプの師団しだん制度せいど導入どうにゅうすすめられ、徴兵ちょうへい制度せいどむすびつくことで国民こくみんぐん変化へんかして、近代きんだいてき軍隊ぐんたい確立かくりつされていった[5]たとえばプロイセン王国おうこくでは、イエナ・アウエルシュタットのたたかでの敗戦はいせんののち、1807-13ねん軍制ぐんせい改革かいかくにおいて、ゲプハルト・レベレヒト・フォン・ブリュッヘル唱導しょうどうにより、国民こくみんてき徴兵ちょうへいによるだい兵力へいりょく造成ぞうせいとともにナポレオンぐんしき師団しだん創設そうせつ実現じつげんした[3]一方いっぽう、フランスぐんのもう一方いっぽう強敵きょうてきであるイギリスぐんでは、地上ちじょう兵力へいりょく劣勢れっせいもあって師団しだん編制へんせい採用さいようには消極しょうきょくてきであり、1807ねんまでまった師団しだん編制へんせいもうけていなかったほか、その旅団りょだんでの作戦さくせん多用たようされ、師団しだん編制へんせい安定あんていしたものとはならなかった[3]

3単位たんいせい師団しだんへの移行いこう[編集へんしゅう]

ナポレオン戦争せんそう各国かっこく陸軍りくぐん単位たんい部隊ぶたい編制へんせいにはおおきな変化へんかしょうじなかった[3]。ただし兵器へいき技術ぎじゅつ質的しつてき向上こうじょうすすんだことで編制へんせいない砲兵ほうへいりょく増強ぞうきょう傾向けいこうられ、とく先駆せんくしゃであるプロイセン王国おうこくでは、1851ねんには師団しだん砲兵ほうへい野砲やほう96もん連隊れんたい編制へんせい格上かくあげした[3]一方いっぽう火力かりょく増大ぞうだいとともに野戦やせん築城ちくじょう戦術せんじゅつ組織そしきすすんだことで、だい単位たんい騎兵きへい部隊ぶたい退潮たいちょうかい、プロイセン王国おうこくが1851ねん騎兵きへい師団しだん編成へんせいしたのを掉尾ちょうびとして、以後いご偵察ていさつおも任務にんむとする旅団りょだん規模きぼ部隊ぶたいのぞけば一般いっぱんには連隊れんたい以下いか単位たんい部隊ぶたいとなっていった[3]

1914ねんだいいち世界せかい大戦たいせん開戦かいせん直後ちょくごには、フランス・ドイツ・ロシアともに1788ねんタイプの師団しだん編制へんせいたたかっていたが、1916ねんまつにドイツぐんが、また1917ねんまつにはフランスぐんが3単位たんいせい移行いこうした[5]。これは大砲たいほうおよび機関きかんじゅう発達はったつによって歩兵ほへい小銃しょうじゅう火力かりょく地位ちい相対そうたいてき低下ていかするとともに、作戦さくせん様相ようそう運動うんどうせんから陣地じんちせん移行いこうしたことで師団しだんすう増加ぞうか急務きゅうむとなり、歩兵ほへいげんじて砲兵ほうへい工兵こうへい充当じゅうとうする必要ひつようせいしょうじたためであった[5]。イギリスぐん大戦たいせんまえから3旅団りょだん師団しだん編成へんせいしていたほか[2]のちにはロシアやアメリカにも3単位たんいせい波及はきゅうしていった[5]。4単位たんいせい師団しだんでは連隊れんたいすうおおいため旅団りょだんという中間ちゅうかん結節けっせつもうけ、最下さいかきゅう将官しょうかん旅団りょだんちょうとしていたのにたいし、3単位たんいせい師団しだんではこれは廃止はいしされた[6]一方いっぽう師団しだんないでの下級かきゅう将官しょうかんのポストとして、日本にっぽんぐんでは師団しだんちょう連隊れんたいちょうあいだ歩兵ほへい団長だんちょうが、またアメリカぐんやフランスぐんでは師団しだんちょう補佐ほさするふく師団しだんちょうもうけられた[6]

  • 4単位たんいせい師団しだん
師団しだん
 
旅団りょだん
 
連隊れんたい
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
連隊れんたい
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
旅団りょだん
 
連隊れんたい
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
連隊れんたい
 
 
  • 3単位たんいせい師団しだん
師団しだん
 
連隊れんたい
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
連隊れんたい
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
連隊れんたい
 
 
  • 日本にっぽん陸軍りくぐんの3単位たんいせい師団しだん
歩兵ほへい師団しだん
 
歩兵ほへいだん
 
歩兵ほへい連隊れんたい
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
歩兵ほへい連隊れんたい
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
歩兵ほへい連隊れんたい
 
 

日本にっぽん陸軍りくぐん[編集へんしゅう]

概論がいろん[編集へんしゅう]

1888ねん5月12にち鎮台ちんだいはいし、それにかわって師団しだんかれた。これが常設じょうせつ師団しだんはじまりである。大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐんでは、恒久こうきゅうてき部隊ぶたいである歩兵ほへい連隊れんたいしょ兵科へいかを以って組織そしきされた戦略せんりゃく単位たんいである師団しだんという単位たんい重視じゅうしし、陸軍りくぐん中将ちゅうじょうもっさらとくおや補職ほしょくとしていた。ただし、だい世界せかい大戦たいせん末期まっきには優秀ゆうしゅう若手わかて将官しょうかん登用とうようすべく、師団しだんちょう心得こころえというかたち少将しょうしょうてられるようになった。にちちゅう戦争せんそう開戦かいせん以前いぜん平時へいじにおいて、海外かいがい領土りょうどひとしには朝鮮ちょうせんぐん台湾たいわんぐん関東軍かんとうぐんささえ駐屯ちゅうとんぐんの4ぐんがあったが、このうち隷下れいか常設じょうせつ師団しだんつのは朝鮮ちょうせんぐん[ちゅう 1]のみであり、師団しだんくらべて規模きぼ兵力へいりょくとくおおきかったともえず、大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐんとは、内地ないちける師団しだんと、海外かいがい領土りょうどとうけるあるいは臨時りんじ編成へんせいされるぐんとの集合しゅうごうたいであるともえ、それぞれ天皇てんのう[ちゅう 2]ちょく隷し、天皇てんのうした大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐんそう司令しれいかんといったようなぐんしょくかった。

また、内地ないちける日本にっぽんぐん戦略せんりゃく組織そしき師団しだんのみであり、常設じょうせつ師団しだん内地ないちでの軍政ぐんせいおよび作戦さくせん教育きょういく担当たんとうした。このため、有事ゆうじさい師団しだん外地がいち出征しゅっせいすると、内地ないち留守るすだん(るすしだん)がかれた[ちゅう 3]

なお、太平洋戦争たいへいようせんそう開戦かいせんから末期まっきにかけて、4乃至ないし3歩兵ほへい連隊れんたい基幹きかんとした通常つうじょう師団しだんほかに、戦車せんしゃ師団しだん高射こうしゃ師団しだん飛行ひこう師団しだんひとしの、専門せんもん部隊ぶたいのみの師団しだん編成へんせいされた。これら専門せんもん部隊ぶたいのみの師団しだんは、管区かんくたず軍政ぐんせいには関与かんよせず、作戦さくせんいても、部隊ぶたいとの連携れんけい前提ぜんていとしたもので、単独たんどくでの作戦さくせん遂行すいこう目的もくてきとしたものではない。

師団しだんちょう権限けんげんとう[編集へんしゅう]

師団しだんちょう師団しだんは、その管掌かんしょう事項じこう軍事ぐんじめん[ちゅう 4]に、管轄かんかつ区域くいきかんかぎられ、軍政ぐんせいおよび人事じんじかんしては陸軍りくぐん大臣だいじんから、動員どういん計画けいかくおよび作戦さくせん計画けいかくかんしては参謀さんぼう総長そうちょうから、教育きょういくかんしては教育きょういく総監そうかんから、それぞれ区処くしょけるものの、天皇てんのう直属ちょくぞくであるということでは総理そうり大臣だいじんおよびその管掌かんしょうする政府せいふおなじであり、師団しだんちょう地位ちいたかく、帷幄いあく機関きかんちょうとして統帥とうすい事項じこうふかかかわる陸軍りくぐん大臣だいじん参謀さんぼう総長そうちょうにはおよぶべくもないものの、陸軍りくぐん次官じかん参謀さんぼう次長じちょうよりは上位じょういであった。しかし師団しだん増設ぞうせつされすうえるにしたが師団しだんちょう地位ちい次第しだい低下ていかした。

師団しだん司令しれい条例じょうれい」(明治めいじ21ねん5がつ12にちみことのりれいだい27ごう)によると、師団しだんちょう権限けんげんとうとしてはつぎのものがあった。

  • 中将ちゅうじょうもっし、じか天皇てんのうに隷し、管内かんないにある軍隊ぐんたい統率とうそつし、軍事ぐんじかかしょけん総理そうりする。
  • 管内かんない軍隊ぐんたい出師すいし準備じゅんび整理せいりしまた、徴兵ちょうへいのことを統括とうかつする。
  • 部下ぶか軍隊ぐんたいねりなりについてそのせめにんずる。ただし、とくへいせんもんのことは、当該とうがいへいかん責任せきにんぞくする。
  • 不慮ふりょおかせかさねさいし、管内かんない防御ぼうぎょおよ陸軍りくぐんしょ官庁かんちょうしょ建築けんちくぶつ保護ほごにんずる。
  • 府県ふけん知事ちじが、地方ちほう静謐せいひつ維持いじするため、兵力へいりょく請求せいきゅうするときは、こときゅうならば、師団しだんちょうただちにおうじて、のち陸軍りくぐん大臣だいじんおよまいりぐん参謀さんぼう総長そうちょう相当そうとうする)に報告ほうこくしなければならない。府県ふけん知事ちじ請求せいきゅうできない例外れいがい場合ばあいにあっては、師団しだんちょう兵力へいりょくもっ便宜べんぎごとしたがうことができる(自衛隊じえいたいにおける治安ちあん出動しゅつどう相当そうとうする)
  • 管内かんないにある軍隊ぐんたいおよ陸軍りくぐん官庁かんちょうにおける風紀ふうき軍紀ぐんき統監とうかんし、軍法ぐんぽう会議かいぎ管轄かんかつする。
  • 師団しだんちょう赴任ふにんするふしには、師団しだん司令しれい所在地しょざいち府県ふけん知事ちじ警視総監けいしそうかん大審院だいしんいんちょう控訴こうそ院長いんちょう検事けんじちょうはじめしん裁判所さいばんしょちょうおよ検事けんじ上席じょうせきものとは3にち以内いないたがいに訪問ほうもんし、その管内かんない府県ふけん知事ちじ控訴こうそ院長いんちょう検事けんじちょうはじめしん裁判所さいばんしょちょうおよ検事けんじ上席じょうせきものとは30にち以内いないたがいにうつりぶん訪問ほうもんしなければならない。ただし、とも官等かんとういやしいものよりさきんじなければならない。

師団しだん司令しれい構成こうせい[編集へんしゅう]

師団しだん司令しれい条例じょうれい」(明治めいじ21ねん5がつ12にちみことのりれいだい27ごう)によると、師団しだん司令しれい原則げんそくとしてつぎ構成こうせいとされていた。

  • 本部ほんぶ
    • 師団しだんちょう師団しだんちょう1めい中将ちゅうじょう合計ごうけい1めい
    • 参謀さんぼう参謀さんぼうちょう1めい大佐たいさ参謀さんぼう1めいちゅう少佐しょうさ参謀さんぼう1めい大尉たいい参謀さんぼうおよ副官ふっかんつうじて書記しょき9めい曹長そうちょうどう相当そうとうかん・1とう軍曹ぐんそうどう相当そうとうかん・2とう軍曹ぐんそうどう相当そうとうかん
    • 副官ふっかん副官ふっかん1めい少佐しょうさ副官ふっかん1めい大尉たいい副官ふっかん2めいちゅう少尉しょうい参謀さんぼうおよ副官ふっかんつうじて合計ごうけい16めい
    • けいかんけいかん1めいちゅう少尉しょうい。1・2・3とう書記しょき2めい曹長そうちょうどう相当そうとうかん・1とう軍曹ぐんそうどう相当そうとうかん・2とう軍曹ぐんそうどう相当そうとうかん
  • 支部しぶ
    • 法官ほうかん理事りじ3めい尉官いかん相当そうとうかんろくごと3めいじゅん士官しかん曹長そうちょう相当そうとうかん・1とう軍曹ぐんそう相当そうとうかん・2とう軍曹ぐんそう相当そうとうかん合計ごうけい3めい
    • 監督かんとく
    • 軍医ぐんい軍医ぐんいちょう1めい大中おおなかたすく相当そうとうかん部員ぶいん2めい軍医ぐんい1めい薬剤やくざいかん1めい)は大尉たいい相当そうとうかん部員ぶいん1めいちゅう少尉しょうい相当そうとうかん書記しょき3めい曹長そうちょうどう相当そうとうかん・1とう軍曹ぐんそうどう相当そうとうかん・2とう軍曹ぐんそうどう相当そうとうかん合計ごうけい7めい
    • 獣医じゅうい獣医じゅういちょう1めい大尉たいい相当そうとうかん書記しょき1めいは1とう軍曹ぐんそうどう相当そうとうかん・2とう軍曹ぐんそうどう相当そうとうかん合計ごうけい2めい

以上いじょう監督かんとくのぞいて、中将ちゅうじょう1めい佐官さかんどう相当そうとうかん4めい尉官いかんどう相当そうとうかん12めいじゅん士官しかん下士かし18めいの、合計ごうけい35めいとされた。

師団しだん番号ばんごう[編集へんしゅう]

近衛このえ師団しだん戦車せんしゃ師団しだん高射こうしゃ師団しだんおよ飛行ひこう師団しだんのぞき、師団しだんについてたんに「だい師団しだん」と数字すうじのみかんして呼称こしょうした。師団しだんせい発足ほっそく番号ばんごうは、鎮台ちんだいせいぐんかん番号ばんごうをそのまま師団しだん番号ばんごうとした。これがだい1師団しだんからだい6師団しだんである。その編成へんせいされたじゅん師団しだん番号ばんごうじゅん増加ぞうかさせていった。宇垣うがき軍縮ぐんしゅくによる師団しだん廃止はいしさいしてはその番号ばんごう欠番けつばんとされた。

にちちゅう戦争せんそう勃発ぼっぱつは、さき宇垣うがき軍縮ぐんしゅく欠番けつばんとなった師団しだん番号ばんごう復活ふっかつさせたほか、次々つぎつぎかずやしていった。大量たいりょう動員どういんなかには、きりの番号ばんごうでまとめた師団しだんもあり、1940ねんおも内地ないちでの補充ほじゅう任務にんむ期待きたいして設置せっちしただい51からだい57の50番台ばんだい師団しだんがそのはじめである[7]留守るす師団しだん担任たんにん編成へんせいされた特設とくせつ師団しだんに100番台ばんだい番号ばんごうった(だい101師団しだんなど)。そして、昭和しょうわ20ねん1945ねん)4がつには本土ほんど決戦けっせんだい兵備へいびとして編成へんせいした師団しだんに200番台ばんだい番号ばんごうった(だい201師団しだんなど)

師団しだん軍隊ぐんたい符号ふごうD使用しようされ、1D(だい1師団しだん)、2D(だい2師団しだん)などとしるした。近衛このえ師団しだんはGDである。

陸上りくじょう自衛隊じえいたい[編集へんしゅう]

管区かんくたい体制たいせい時代じだい[編集へんしゅう]

警察けいさつ予備よびたい主力しゅりょく部隊ぶたいは4管区かんくたいかく15,000めい)に編成へんせいされていたが、これはアメリカ陸軍りくぐんのトライアングラー師団しだんじゅんじた3単位たんいせいであり[5][8]ざい日米にちべいぐん主力しゅりょく4師団しだんかたち配置はいちされた[9]

保安ほあんたいでもこの編制へんせい踏襲とうしゅうされたが、ざい日米にちべいぐん縮小しゅくしょうともなって増設ぞうせつ検討けんとうされるようになり、陸上りくじょう自衛隊じえいたいへのえにさいして2増設ぞうせつされて、6管区かんくたいかく12,000めい)となった[10]。このさいに、従来じゅうらい普通ふつう連隊れんたい分散ぶんさん配置はいちされていた特車とくしゃ中隊ちゅうたい抽出ちゅうしゅつして管区かんくたい直轄ちょっかつ特車とくしゃ大隊だいたい新設しんせつしたほか[ちゅう 5]武器ぶき中隊ちゅうたい通信つうしん中隊ちゅうたい補給ほきゅう中隊ちゅうたいをそれぞれ武器ぶきたい通信つうしんたい補給ほきゅうたい改称かいしょうするなどの改編かいへんおこなわれた[11]。また管区かんくたいくわえて、機械きかい部隊ぶたいとして4混成こんせいだん編成へんせいすることが計画けいかくされたが、MAP供与きょうよ装備そうびひん導入どうにゅう予定よていどおりにすすまず、普通ふつう混成こんせいだんとなった[8]昭和しょうわ33ねんをもって、6管区かんくたい・4混成こんせいだんによる10作戦さくせん単位たんい編成へんせい配置はいち完成かんせいした[12]

なお、当初とうしょ管区かんくたいにはかなりの防衛ぼうえい行政ぎょうせい業務ぎょうむ付与ふよされていたが、野戦やせん機動きどう部隊ぶたいとしての性格せいかくそこなっているとかんがえられたことから、のち方面ほうめん総監そうかん設置せっちされると防衛ぼうえい行政ぎょうせい業務ぎょうむおおくがこちらに移管いかんされた[13][ちゅう 6]

  • 管区かんくたい(12,700めい[11]
    • 3普通ふつう連隊れんたい(2,400めい
      • 連隊れんたい本部ほんぶ中隊ちゅうたい
      • 3普通ふつう大隊だいたい
      • じゅう迫撃はくげきほう中隊ちゅうたい107mm迫撃はくげきほう12もん
    • とく連隊れんたい
    • 特車とくしゃ大隊だいたい特車とくしゃ56りょう
    • 施設しせつ大隊だいたい
    • 偵察ていさつ中隊ちゅうたい特車とくしゃ7りょう[14]
    • 衛生えいせい大隊だいたい
    • 輸送ゆそう中隊ちゅうたい
    • 通信つうしんたい
    • 武器ぶきたい
    • 補給ほきゅうたい

13師団しだん体制たいせい時代じだい[編集へんしゅう]

10作戦さくせん単位たんい配置はいちでは本州ほんしゅう中枢ちゅうすう手薄てうすになっているうえに、北海道ほっかいどうにも作戦さくせん単位たんい増設ぞうせつする必要ひつようせい指摘してきされていた[12]。このことから、だい1防衛ぼうえいりょく整備せいび計画けいかく策定さくてい段階だんかいより、作戦さくせん単位たんいを13-15増設ぞうせつすることが検討けんとうされるようになっていた[12]。この時点じてんでは当該とうがい期間きかんちゅう達成たっせい困難こんなん判断はんだんされて先送さきおくりされたが、陸自りくじではだい2防衛ぼうえいりょく整備せいび計画けいかくでの実施じっし目指めざしてさら検討けんとうすすめた結果けっか昭和しょうわ36ねん編成へんせい事業じぎょうとして、13師団しだんへの改編かいへんおこなわれることとなった[12][ちゅう 7]

管区かんくたい警察けいさつ予備よびたい以来いらいの3単位たんいせい踏襲とうしゅうしていたが、この結果けっかとして個々ここ連隊れんたい規模きぼおおきく鈍重どんじゅうであると指摘してきされていたことから、師団しだんにあわせて4単位たんいせい基本きほんとするように変更へんこうされ、個々ここ連隊れんたい規模きぼ縮小しゅくしょうすることとなった[12]。これにともなって普通ふつう連隊れんたいでは大隊だいたい結節けっせつ消失しょうしつし、4普通ふつう中隊ちゅうたい本部ほんぶ管理かんり中隊ちゅうたいじゅう迫撃はくげきほう中隊ちゅうたい編制へんせいとなった[16]。またこれとあわせて、106mm反動はんどうほう対戦たいせんしゃミサイル装備そうびにより、対戦たいせんしゃ火力かりょく強化きょうかはかられた[12]

ただし定員ていいんは10作戦さくせん単位たんい体制たいせい時代じだいから変更へんこうがなかったために[12]実際じっさいには4単位たんいせい(9,000にん編成へんせい)のかぶと師団しだんは4まり、のこり9のうち8は3単位たんいせい(7,000にん編成へんせい)のおつ師団しだん、また1個いっこは6,800にん編成へんせい機械きかい師団しだんとなった[17]将来しょうらいてきにはすべてを4連隊れんたい編成へんせい増強ぞうきょうする構想こうそうであったが、だい2防衛ぼうえいりょく整備せいび計画けいかく整備せいび目標もくひょう定員ていいん18まんめいたすこともかなわず[ちゅう 8]結局けっきょくは3かぶと師団しだんするにとどまった[16]

そのさん中業ちゅうぎょうもとづいて、1981ねん3がつ四国しこく担任たんにんするだい2混成こんせいだん新編しんぺんされるのにともなって[18]従来じゅうらい同地どうち担任たんにんしてきただい13師団しだんふたたおつ師団しだんもどされたほか[19]同年どうねん4がつにはだい7師団しだん機械きかい師団しだんから機甲きこう師団しだん(6,450めい)へと改編かいへんされた[20]。このさいに、とく連隊れんたいにおいて防空ぼうくう担当たんとうしてきた大隊だいたい高射こうしゃとく大隊だいたいとして独立どくりつ、また兵站へいたん担当たんとうしてきた武器ぶきたい補給ほきゅうたい輸送ゆそうたい衛生えいせいたい後方こうほう支援しえん連隊れんたいとして統合とうごうされたが[19]、この施策しさくはのちに師団しだんにも敷衍ふえんされていった[21]

13師団しだん時代じだい師団しだん編制へんせい概要がいよう
  • きのえ師団しだん(9,000めい[11][20]
    • 4普通ふつう連隊れんたい(1,200めい
      • 本部ほんぶ管理かんり中隊ちゅうたい
      • 4普通ふつう中隊ちゅうたい
      • じゅう迫撃はくげきほう中隊ちゅうたい(107mm迫撃はくげきほう12もん
    • とく連隊れんたい
      • 連隊れんたい本部ほんぶ中隊ちゅうたい
      • 4とく大隊だいたいじききょう任務にんむ; かく大隊だいたい105mm榴弾りゅうだんほう8もん
      • とく大隊だいたい全般ぜんぱん支援しえん任務にんむ; 155mm榴弾りゅうだんほう8もん
      • 高射こうしゃ大隊だいたい
    • 戦車せんしゃ大隊だいたい戦車せんしゃ最大さいだい60りょう
    • 施設しせつ大隊だいたい
    • 対戦たいせんしゃたい
    • 偵察ていさつたい
    • 衛生えいせいたい
    • 通信つうしん大隊だいたい
    • 武器ぶきたい
    • 補給ほきゅうたい
    • 輸送ゆそうたい

9師団しだん体制たいせい時代じだい[編集へんしゅう]

冷戦れいせん終結しゅうけつなどの内外ないがい情勢じょうせい変化へんかけて、1995ねん閣議かくぎ決定けっていされた防衛ぼうえい計画けいかく大綱たいこう07大綱たいこう)では自衛隊じえいたい規模きぼ削減さくげん明記めいきされており[18]、これをまえた08中期ちゅうきぼうにおいて4師団しだん旅団りょだん縮小しゅくしょう改編かいへんされた[15][ちゅう 9]

2004ねん閣議かくぎ決定けっていされた防衛ぼうえい計画けいかく大綱たいこう16大綱たいこう)にもとづく17中期ちゅうきぼうにおいて、陸上りくじょう自衛隊じえいたい作戦さくせん基本きほん部隊ぶたいは、各々おのおの役割やくわりおうじて、即応そくおう近代きんだい師団しだん旅団りょだんおよび総合そうごう近代きんだい師団しだん旅団りょだん改編かいへんされることとなった[24]即応そくおう近代きんだい師団しだん旅団りょだんとは、戦車せんしゃ火砲かほうなどのじゅう装備そうび効率こうりつし、即応そくおうせい機動きどうせい重視じゅうしして編成へんせい配置はいちする部隊ぶたいであり、本州ほんしゅう以南いなん配置はいちするとされており、とくだい1・3師団しだんは「政経せいけい中枢ちゅうすうタイプ」と分類ぶんるいされた[24]一方いっぽう総合そうごう近代きんだい師団しだん旅団りょだんとは、あらゆる事態じたい対応たいおうるよう、総合そうごうてきなバランスを重視じゅうしして編成へんせい配置はいちする部隊ぶたいであり、北海道ほっかいどう配置はいちするとされた[24]

2013ねん閣議かくぎ決定けっていされた防衛ぼうえい計画けいかく大綱たいこう25大綱たいこう)では「統合とうごう機動きどう防衛ぼうえいりょく」という概念がいねん導入どうにゅうされ[24]陸上りくじょう自衛隊じえいたいでは陸上りくじょうそうたい新編しんぺんされるなど、創設そうせつ以来いらい最大さいだいわれるだい規模きぼ改編かいへんおこなわれた[25]。この一環いっかんとして、既存きそん師団しだんのうち3即応そくおう展開てんかい対応たいおうした「機動きどう師団しだん」に改編かいへんされることになり[ちゅう 10]26中期ちゅうきぼうだい6・8師団しだんが、31中期ちゅうきぼうだい2師団しだん改編かいへんされた[24]。これらの師団しだんにおいては、普通ふつう連隊れんたいのうち1個いっこしょ職種しょくしゅ混成こんせい即応そくおう機動きどう連隊れんたい改編かいへんされるなど、だい規模きぼ編制へんせい変更へんこうおこなわれている[22][24]一方いっぽうで、だい7師団しだんつづ機甲きこう師団しだんとしての機動きどう運用うんようになうほか、さん大都市だいとしけんチョークポイント守備しゅび範囲はんいとするだい1・3・4・9・10師団しだん地域ちいき配備はいび師団しだん位置付いちづけられ、この時点じてんでは機動きどう師団しだんへの改編かいへんまれなかった[26]。2024ねん3がつをもって機動きどう師団しだん地域ちいき配備はいび師団しだん新編しんぺん完結かんけつした。

2022ねん閣議かくぎ決定けっていされた国家こっか防衛ぼうえい戦略せんりゃくもとづき、31中期ちゅうきぼう廃止はいししてさだめられた防衛ぼうえいりょく整備せいび計画けいかくではだい15旅団りょだん師団しだん改編かいへん予定よていされるとともに、機甲きこう師団しだん機動きどう師団しだん旅団りょだんふくめて、その師団しだん旅団りょだんすべ機動きどう運用うんよう基本きほんとすることとされた[27]

現在げんざいかれている陸上りくじょう自衛隊じえいたい師団しだんつぎとおり(陸上りくじょう自衛隊じえいたい師団しだんとう一覧いちらん参照さんしょう

陸上りくじょう自衛隊じえいたい師団しだん(2024ねん3がつ現在げんざい
師団しだん 方面ほうめんたい 司令しれい
所在地しょざいち
隷下れいか主要しゅよう戦闘せんとう部隊ぶたい タイプ 師団しだんちょう俸給ほうきゅう
即応そくおう機動きどう連隊れんたい 普通ふつう とく 高射こうしゃとく 機甲きこう
だい1師団しだん 東部とうぶ 東京とうきょう
練馬ねりま
3連隊れんたい (なし)[ちゅう 11] 1個いっこ大隊だいたい 1個いっこ偵察ていさつ戦闘せんとう大隊だいたい[ちゅう 12] 地域ちいき配備はいび師団しだん 2ごう俸給ほうきゅう
だい2師団しだん 北部ほくぶ 北海道ほっかいどう
旭川あさひかわ
1個いっこ連隊れんたい[ちゅう 13] 2連隊れんたい[ちゅう 13] 1個いっこ連隊れんたい[ちゅう 13] 1個いっこ戦車せんしゃ連隊れんたい[ちゅう 13]
1個いっこ偵察ていさつたい
機動きどう師団しだん[ちゅう 13]
だい3師団しだん 中部ちゅうぶ 兵庫ひょうごけん
伊丹いたみ
3連隊れんたい (なし)[ちゅう 14] 1個いっこ偵察ていさつ戦闘せんとう大隊だいたい[ちゅう 15] 地域ちいき配備はいび師団しだん
だい4師団しだん 西部せいぶ 福岡ふくおかけん
春日かすが
3連隊れんたい (なし)[ちゅう 16] 1個いっこ偵察ていさつ戦闘せんとう大隊だいたい[ちゅう 17] 地域ちいき配備はいび師団しだん
だい6師団しだん 東北とうほく 山形やまがたけん
東根ひがしね
1個いっこ連隊れんたい[ちゅう 18] 2連隊れんたい[ちゅう 18] (なし)[ちゅう 19] 1個いっこ偵察ていさつたい[ちゅう 18] 機動きどう師団しだん[ちゅう 18]
だい7師団しだん 北部ほくぶ 北海道ほっかいどう
千歳ちとせ
1個いっこ連隊れんたい 1個いっこ連隊れんたい 1個いっこ連隊れんたい 3戦車せんしゃ連隊れんたい[ちゅう 20]
1個いっこ偵察ていさつたい
機甲きこう師団しだん 1ごう俸給ほうきゅう
だい8師団しだん 西部せいぶ 熊本くまもとけん
熊本くまもと
1個いっこ連隊れんたい[ちゅう 21] 2連隊れんたい[ちゅう 22] (なし)[ちゅう 16] 1個いっこ大隊だいたい 1個いっこ偵察ていさつたい[ちゅう 17](1個いっこ戦車せんしゃたい)[ちゅう 23] 機動きどう師団しだん[ちゅう 21] 2ごう俸給ほうきゅう
だい9師団しだん 東北とうほく 青森あおもりけん
青森あおもり
3連隊れんたい (なし)[ちゅう 19] 1個いっこ偵察ていさつ戦闘せんとう大隊だいたい[ちゅう 24] 地域ちいき配備はいび師団しだん 1ごう俸給ほうきゅう
だい10師団しだん 中部ちゅうぶ 愛知あいちけん
名古屋なごや
3連隊れんたい (なし)[ちゅう 25] 1個いっこ偵察ていさつ戦闘せんとう大隊だいたい[ちゅう 26]

アメリカ陸軍りくぐん[編集へんしゅう]

トライアングラー師団しだん[編集へんしゅう]

アメリカ陸軍りくぐん歩兵ほへい師団しだんながく4単位たんいせい (Square division採用さいようしてきたが、1939ねんに3単位たんいせい (Triangular divisionへの移行いこう着手ちゃくしゅした[5]だい世界せかい大戦たいせん突入とつにゅうした時点じてんでは移行いこう途上とじょう状態じょうたいであり[6]改編かいへん完了かんりょうしたのは1942ねん9がつのことであった[35]。ただしそのも、広域こういき展開てんかいする空挺くうてい師団しだんにおいては4単位たんいせい維持いじされた[36]

この編制へんせいでは歩兵ほへい連隊れんたいに105mm榴弾りゅうだんほうと57mmたい戦車せんしゃほう配備はいびされていたが、105mm榴弾りゅうだんほう火力かりょくおおきい一方いっぽう重量じゅうりょうおもいために連隊れんたいほうとしての機動きどうりょくいていること、また57mmたい戦車せんしゃほう装甲そうこう貫徹かんてつりょく不足ふそくするという問題もんだい指摘してきされていた[37]。これをまえて、1945ねん3がつ、アメリカ陸軍りくぐん地上ちじょうぐんは、歩兵ほへい連隊れんたいの105mm榴弾りゅうだんほうと57mmたい戦車せんしゃほうにかえて戦車せんしゃ中隊ちゅうたい配属はいぞくすること、また歩兵ほへい大隊だいたい対戦たいせんしゃ兵器へいきとして75mm反動はんどうほう配備はいびすることを提言ていげんしたが、人員じんいん不足ふそく懸念けねんされたためにこの時点じてんでは採択さいたくされなかった[37]。その、1948ねん改訂かいていでおおむねこの提言ていげん沿った改編かいへんおこなわれ、歩兵ほへい連隊れんたいには107mmじゅう迫撃はくげきほう追加ついかされた[38]。またこの歩兵ほへい連隊れんたい戦車せんしゃ中隊ちゅうたいくわえて、歩兵ほへい師団しだん固有こゆう戦車せんしゃ大隊だいたい維持いじされた[39]。ただしほとんどの師団しだん朝鮮ちょうせん戦争せんそうまでに改編かいへん完了かんりょうすることはできなかった[38]

3単位たんいせい歩兵ほへい師団しだん概要がいよう
  • 歩兵ほへい師団しだん
    • 3歩兵ほへい連隊れんたい
    • 師団しだん砲兵ほうへい司令しれい
    • 工兵こうへい大隊だいたい(4工兵こうへい中隊ちゅうたい
    • 衛生えいせい大隊だいたい(3搬送はんそう中隊ちゅうたい1個いっこ野戦やせん病院びょういん中隊ちゅうたい
    • 偵察ていさつ中隊ちゅうたい
    • 通信つうしん中隊ちゅうたい
    • 武器ぶき整備せいび中隊ちゅうたい
    • 補給ほきゅう中隊ちゅうたい
    • 独立どくりつ戦車せんしゃ大隊だいたい(※配属はいぞく; ちゅう戦車せんしゃ×59りょうけい戦車せんしゃ×17りょう
    • 独立どくりつ戦車せんしゃ駆逐くちく大隊だいたい(※配属はいぞく; 戦車せんしゃ駆逐くちくしゃ×36りょう
    • 独立どくりつ高射こうしゃ自動じどう火器かき大隊だいたい(※配属はいぞく; はししきたい空砲くうほう×32りょう

ペントミック師団しだん[編集へんしゅう]

アメリカ陸軍りくぐんは、1949ねんまでに核兵器かくへいき戦術せんじゅつてき使用しようについての研究けんきゅう開始かいししており、地上ちじょう目標もくひょうたいする有効ゆうこうせい確認かくにんする一方いっぽうちか将来しょうらい戦術せんじゅつかく米国べいこくによる独占どくせん時代じだいわり、ドクトリンのおおきな変更へんこうもとめられるであろうと認識にんしきしていた[40]。そしてかく戦場せんじょう対応たいおうするあたらしい編制へんせいとして提唱ていしょうされたのがペントミック・コンセプトであり[40]、1956ねんよりこれにもとづく再編さいへん開始かいしされた[41]

「ペントミック」という言葉ことばは「5」を意味いみするPentaと「かく」を意味いみするatomicわせた合成ごうせいであり、そのとおりに5単位たんいせい採用さいようしたという特徴とくちょうがある[40]。これは、通信つうしん機能きのう改善かいぜんによって師団しだんちょう運用うんよう可能かのう部隊ぶたいすう増加ぞうかしたと判断はんだんされたことから、戦術せんじゅつ核兵器かくへいき攻撃こうげき対象たいしょうとなりうる部隊ぶたい集結しゅうけつじょうきょうらすために導入どうにゅうされたものであった[40]

ただし部隊ぶたい運用うんよう思想しそうだい変革へんかく混乱こんらんまねき、また編成へんせい装備そうびめん更新こうしんいつかず、実際じっさいにはかく戦場せんじょうには対応たいおうできない状況じょうきょうとなっていた[40]。そして1950年代ねんだい末期まっきアイゼンハワー大統領だいとうりょうかく重視じゅうしによる軍縮ぐんしゅく政策せいさくかじり、通常つうじょう戦力せんりょく縮小しゅくしょうすすめられることになったことで、ペントミック・コンセプトを本来ほんらいかたち実現じつげんすることは不可能ふかのうとなった[40]

  • 歩兵ほへい師団しだん(13,948めい
    • 1個いっこ旅団りょだん司令しれい(任意にんい戦闘せんとうぐんとう指揮しきれての分割ぶんかつ運用うんよう目的もくてき[42])。
    • 5歩兵ほへい連隊れんたい戦闘せんとうぐん(1356めい
    • 師団しだん砲兵ほうへい司令しれい
      • 直接ちょくせつ協力きょうりょく大隊だいたい
      • 全般ぜんぱん支援しえん大隊だいたい
        • 2個中こちゅうほう中隊ちゅうたいかく中隊ちゅうたいM114 155mm榴弾りゅうだんほう×6もん
        • 8インチ榴弾りゅうだんほう中隊ちゅうたい
        • 対地たいちロケット中隊ちゅうたいMGR-1発射はっしゃ×2
    • 戦車せんしゃ大隊だいたい(760めい; M48パットン戦車せんしゃ×63りょう
    • 機甲きこう偵察ていさつ大隊だいたい(609めい; 戦車せんしゃ×21りょう
    • 工兵こうへい大隊だいたい(785めい
    • 通信つうしん大隊だいたい(531めい
    • 師団しだん支援しえんぐん衛生えいせい大隊だいたい+補給ほきゅう支援しえん大隊だいたい+整備せいび大隊だいたい
    • 憲兵けんぺい中隊ちゅうたい

ROAD師団しだん[編集へんしゅう]

ペントミック・コンセプトのまりをけて、アメリカ陸軍りくぐん代替だいたいとなる編制へんせいあん検討けんとう着手ちゃくしゅし、1962ねんよりROAD(Reorganization Objective Army Division)コンセプトにもとづく改編かいへん開始かいしした[40]

ROAD師団しだんは、思想しそうてきには3単位たんいせいをベースとしているが[3]、building blockアプローチを全面ぜんめんてき導入どうにゅうしており[ちゅう 27]師団しだんないに3つの旅団りょだん司令しれい常設じょうせつし、プールされている戦闘せんとう機動きどう大隊だいたい適宜てきぎ指揮しきれることでしょ兵科へいか連合れんごうタスクフォースを構成こうせいできるようになっていた[40]戦闘せんとう機動きどう大隊だいたいには機械きかい歩兵ほへい大隊だいたい戦車せんしゃ大隊だいたいがあるが、師団しだん種類しゅるいおうじて比率ひりつことなっており、歩兵ほへい師団しだんは8たい2、機械きかい師団しだんは7たい3、機甲きこう師団しだんは5たい6の比率ひりつとされた[43][44]

またROAD師団しだんは、デイビー・クロケットオネスト・ジョンといった戦術せんじゅつ核兵器かくへいきプラットフォームを装備そうびするとともに、ペントミック師団しだんの2ばい航空機こうくうき保有ほゆうしていた[40]

86師団しだん[編集へんしゅう]

ベトナムからの撤退てったいとともに、アメリカ陸軍りくぐんは、ふたたびヨーロッパを主戦しゅせんじょうにした想定そうていでの検討けんとう着手ちゃくしゅした[45][46][47]撤退てったい同年どうねん1973ねん7がつには、陸軍りくぐん全体ぜんたい教義きょうぎ訓練くんれん基準きじゅんさだめるための訓練くんれん教義きょうぎコマンド(TRADOC)創設そうせつされており[48]同年どうねん10がつだいよん中東ちゅうとう戦争せんそう早速さっそく研究けんきゅう対象たいしょうとなった[49][46]

この戦争せんそうでは、開戦かいせんの2週間しゅうかんで50%という激烈げきれつ物的ぶってき損耗そんこう記録きろくされた[49]。また戦車せんしゃ対戦たいせんしゃミサイル防空ぼうくう能力のうりょく暗視装置あんしそうち電子でんしせんなど兵器へいき技術ぎじゅつ進歩しんぽしめされた[49]。そして既存きそんのROAD師団しだんは、このようなあたらしい兵器へいき技術ぎじゅつ戦術せんじゅつ十分じゅうぶん対応たいおうできておらず、改編かいへん必要ひつようであると指摘してきされるようになった[47]

これらを背景はいけいとして、1970年代ねんだい後半こうはんより検討けんとう開始かいしされたのが86師団しだんDivision 86)コンセプトである[47][ちゅう 28]。この研究けんきゅうあたらしいドクトリンであるエアランド・バトル開発かいはつ並行へいこうしており、これに適合てきごうした師団しだん編制へんせい志向しこうされていた[47][50]基本きほんてきにはROAD師団しだんからおおきな変更へんこうはないが、師団しだん航空こうくう戦力せんりょく統括とうかつするために4つ旅団りょだん司令しれい追加ついかされたほか、MLRS追加ついかされた[47]

1979ねん10がつ、メイヤー大将たいしょう陸軍りくぐん参謀さんぼう総長そうちょう就任しゅうにんしてから4かげつ、TRADOC司令しれいかん スターリー大将たいしょう英語えいごばん提出ていしゅつした86師団しだんあん大筋おおすじ承認しょうにんされ、並行へいこうしておこなわれていた軍団ぐんだん以上いじょう階梯かいていについての研究けんきゅう(Army 86)と歩調ほちょうわせてすすめられることになった[50]。そして1983ねん8がつ将官しょうかん会議かいぎにおいて、これらの研究けんきゅう発展はってんさせてAOE (Army of Excellence) 研究けんきゅうおこなわれることが決定けっていされた[51]

AOE研究けんきゅうでは、86師団しだんいだじゅう師団しだんとともに、けい歩兵ほへい師団しだんLight-infantry Division, LiD)の編制へんせいまれた[51]。これはてい強度きょうど紛争ふんそう最適さいてきしつつも欧州おうしゅう正面しょうめんなかだい規模きぼ紛争ふんそうへの投入とうにゅう想定そうていされており、またC-141B輸送ゆそう400-500ソーティで空輸くうゆ展開てんかい可能かのうとされていた[51]けい歩兵ほへい師団しだんとしては、まず1984ねんよりだい7師団しだん改編かいへん開始かいしされた[52]。またじゅう師団しだんについても、AOE研究けんきゅうまえたしょう改正かいせいて、1983ねんから1984ねんにかけて86師団しだんコンセプトにもとづく改編かいへんおこなわれた[53]機械きかい歩兵ほへい大隊だいたい戦車せんしゃ大隊だいたい比率ひりつは、機械きかい師団しだんは5たい5、機甲きこう師団しだんは4たい6とされた[53]

  • 機械きかい師団しだん(19,302めい[54]
    • 3旅団りょだん司令しれい(133めい
    • 5機械きかい歩兵ほへい大隊だいたい(876めい
    • 5戦車せんしゃ大隊だいたい(522めい: 主力しゅりょく戦車せんしゃ58りょう騎兵きへい戦闘せんとうしゃ7りょうなど)
    • 師団しだん砲兵ほうへい(3,236めい: 目標もくひょう捕捉ほそく中隊ちゅうたい+M109 155mmはし榴弾りゅうだんほう大隊だいたい3+MLRS
    • 航空こうくう旅団りょだん(1,749めい: 戦闘せんとう支援しえん航空こうくう大隊だいたい、2攻撃こうげきヘリ大隊だいたいなど)
    • 師団しだん支援しえんコマンド(3前方ぜんぽう支援しえん大隊だいたい整備せいび大隊だいたいなど)
    • 防空ぼうくう大隊だいたい
    • 工兵こうへい大隊だいたい
    • 通信つうしん大隊だいたい
    • 軍事ぐんじ情報じょうほう大隊だいたい
    • 化学かがく防護ぼうご中隊ちゅうたい
    • 憲兵けんぺい中隊ちゅうたい
  • けい歩兵ほへい師団しだん(10,791めい[52]
    • 3旅団りょだん司令しれい(100めい
    • 9歩兵ほへい大隊だいたい(559めい: 本部ほんぶ中隊ちゅうたい+3小銃しょうじゅう中隊ちゅうたい
    • 師団しだん砲兵ほうへい(105mm榴弾りゅうだんほう装備そうび
    • 航空こうくう旅団りょだん
    • 工兵こうへい大隊だいたい
    • 防空ぼうくう大隊だいたい
    • 通信つうしん大隊だいたい
    • 師団しだん支援しえんぐん

モジュラーフォース[編集へんしゅう]

2008ねん、アメリカ陸軍りくぐんは、ピーター・シューメーカー陸軍りくぐん参謀さんぼう総長そうちょう指揮しきに、モジュラー・フォース改編かいへん発動はつどうした。これにより、アメリカ陸軍りくぐん師団しだんは、歩兵ほへい旅団りょだん戦闘せんとうだん、ストライカー旅団りょだん戦闘せんとうだん機甲きこう旅団りょだん戦闘せんとうだんの3種類しゅるい旅団りょだん戦闘せんとうだん基幹きかんとして、航空こうくう旅団りょだん支援しえん旅団りょだんなどの機能きのうべつ支援しえん旅団りょだんわせた編制へんせいあらためられた[55]

モジュラー・フォース改編かいへんは、べい陸軍りくぐん再編さいへん計画けいかく一部いちぶとして策定さくていされた。べい陸軍りくぐん再編さいへん計画けいかくにおいては、指揮しき統制とうせい迅速じんそく戦力せんりょく投入とうにゅう効率こうりつのため、従来じゅうらい採用さいようされてきた、旅団りょだん師団しだん軍団ぐんだんぐんという4段階だんかい指揮しき系統けいとう見直みなおされ、UA‐UEx‐UEyとしてさい構築こうちくされた[56]。そして、司令しれい部隊ぶたいたるUExのうち、少将しょうしょう指揮しきかんとして戦術せんじゅつ階梯かいていにおけるものが、師団しだん司令しれい相当そうとうするものであり、戦術せんじゅつ階梯かいていにおける実戦じっせん部隊ぶたいであるUA=旅団りょだん戦闘せんとうだん(BCT)を指揮しきして戦闘せんとう遂行すいこうすることとなる[56]。なお、これにたいして、UExのうち中将ちゅうじょう指揮しきかんとして作戦さくせん階梯かいていにおいて司令しれい部隊ぶたいとなるものは、軍団ぐんだん司令しれい相当そうとうするものとされている[56]

モジュラー・フォース改編かいへんにおいては、部隊ぶたい組織そしき中核ちゅうかく旅団りょだん戦闘せんとうだんかれており、司令しれい部隊ぶたいであるUEyやUExは、臨機りんき旅団りょだん戦闘せんとうだん支援しえん旅団りょだんわせて活動かつどうすることとされている。師団しだん司令しれいは、司令しれい(HQ)と師団しだん特別とくべつ大隊だいたいSTB)、戦術せんじゅつ指揮しきしょ(TAC CP)より構成こうせいされ、人員じんいんすうは900~1,000めいである。

イギリス陸軍りくぐん[編集へんしゅう]

上記じょうきとおり、イギリス陸軍りくぐんなが師団しだん編制へんせい導入どうにゅう消極しょうきょくてきだったが、ボーア戦争せんそうせんくんからしょ兵科へいか連合れんごう師団しだん常備じょうびすることとなり[57]、1907ねんより常設じょうせつされた[2]。ただしその臨時りんじてきなニュアンスがつよく、平時へいじには師団しだん隷下れいかにあるのは通信つうしん航空こうくう情報じょうほうなどの部隊ぶたいのみであって、戦時せんじなどに必要ひつようおうじて2-4旅団りょだん指揮しきれて作戦さくせんにあたることとなる[57]

イスラエル国防こくぼうぐん[編集へんしゅう]

イスラエル国防こくぼうぐん(IDF)の師団しだん、「ウグダ」(ヘブライ: אוגדה‎ (Ugda))は現役げんえき予備よびやく部隊ぶたい旅団りょだんけい5旅団りょだんほどからなる。工兵こうへい偵察ていさつ部隊ぶたいかく旅団りょだんまれている。師団しだんちょうはかつては少将しょうしょうであることがおおかったが、現在げんざいじゅんしょうく。

IDFはイギリス軍制ぐんせい影響えいきょう色濃いろこけており、旅団りょだん重視じゅうしされて、師団しだん臨時りんじてき性格せいかくつよ[2]永続えいぞくてき部隊ぶたいとしての師団しだん編制へんせいされたのはわりおそく、第三次中東戦争だいさんじちゅうとうせんそうの1968ねん12月16にち、「シナイ師団しだん」ことだい252機甲きこう師団しだんが(当時とうじイスラエルの占領せんりょうであった)シナイ半島しないはんとう防衛ぼうえいのため編成へんせいされたのがはじまりである。

ヘブライでは部隊ぶたいめいを「だい162師団しだん」や「だい252師団しだん」のように表記ひょうきするのだが、ヘブライばんwikipedia「師団しだん(אוגדה)#ツァハルの師団しだん」によればつぎの3種類しゅるい分類ぶんるいされる。だい98予備よびやく空挺くうてい師団しだん以外いがいは1~3機甲きこう旅団りょだんち、(機甲きこう旅団りょだんより歩兵ほへい旅団りょだんほうおおくても)兵科へいかじょう機甲きこう師団しだん」に分類ぶんるいされる。戦車せんしゃ定数ていすう師団しだんにもよるが動員どういんやく100~300りょう

現役げんえき師団しだん[編集へんしゅう]

平時へいじ現役げんえき部隊ぶたいの3歩兵ほへい機甲きこう旅団りょだん+1個いっこ砲兵ほうへい旅団りょだん基幹きかんとし、有事ゆうじ予備よびやく部隊ぶたいだい36機甲きこう師団しだん歩兵ほへい機甲きこう砲兵ほうへい旅団りょだん1ずつ、だい162機甲きこう師団しだん1個いっこ機甲きこう旅団りょだん)の配属はいぞくける師団しだん編制へんせいれいとしてだい36機甲きこう師団しだん編成へんせい以下いかのようになる。

  • だい36機甲きこう師団しだん
現役げんえき部隊ぶたい
予備よびやく部隊ぶたい
支援しえん部隊ぶたい
  • だい389通信つうしん大隊だいたい「シオン」
  • 兵站へいたん旅団りょだん
    • 弾薬だんやく大隊だいたい
    • 補給ほきゅう大隊だいたい
    • 医療大いりょうだいたい
    • 憲兵けんぺい中隊ちゅうたい
    • NBC中隊ちゅうたい

地域ちいき師団しだん[編集へんしゅう]

イスラエル本土ほんどおよび占領せんりょうかく地域ちいき防衛ぼうえい国境こっきょう周辺しゅうへん警備けいび専門せんもんとする師団しだん詳細しょうさい不明ふめい)。

予備よびやく師団しだん[編集へんしゅう]

平時へいじ現役げんえき部隊ぶたいの1~2機甲きこう空挺くうてい旅団りょだん基幹きかんとし、有事ゆうじ予備よびやく部隊ぶたい配属はいぞくける師団しだん

ソ連それん・ロシア陸軍りくぐん[編集へんしゅう]

ソ連それん陸軍りくぐん[編集へんしゅう]

1946ねん赤軍せきぐんから改編かいへんされてソ連それん地上ちじょうぐん陸軍りくぐん)が設置せっちされた[58]。1955ねんジューコフ元帥げんすい国防こくぼう大臣だいじん就任しゅうにんすると、ヨシフ・スターリン時代じだい通常つうじょうせん主体しゅたい軍事ぐんじてき見解けんかい批判ひはんされ、かく戦場せんじょうへの対応たいおう模索もさくはじめた[58]鈍重どんじゅう戦車せんしゃぐんしょ兵科へいか連合れんごうぐんは、より小型こがた柔軟じゅうなんでバランスのれた自動車じどうしゃ狙撃そげきだんへと改編かいへんされた[58]

1958ねん以降いこう戦車せんしゃ師団しだん基幹きかんちゅう戦車せんしゃ連隊れんたいT-55ちゅう戦車せんしゃ110りょう)2じゅう戦車せんしゃ連隊れんたいT-10じゅう戦車せんしゃ95りょう1個いっこ自動車じどうしゃ狙撃そげき連隊れんたい1個いっこ(BTRそう装甲車そうこうしゃのほか、連隊れんたいないにもちゅう戦車せんしゃ大隊だいたい1個いっこ・35りょう)としたほか、偵察ていさつ部隊ぶたいにも水陸すいりく両用りょうようのPT-76けい戦車せんしゃ配備はいび、また砲兵ほうへい連隊れんたい(122mmはしほう36りょう)、対空たいくう連隊れんたい(57mmはしほうとう配備はいびして、戦力せんりょく組成そせい一新いっしんした[58]。1960年代ねんだいには、主力しゅりょく戦車せんしゃT-62に、またBTRそう装甲車そうこうしゃBMP-1歩兵ほへい戦闘せんとうしゃ更新こうしんするなど、さら近代きんだい継続けいぞくされた[58]

1980年代ねんだいには戦車せんしゃ52,000りょう保有ほゆうし、50戦車せんしゃ師団しだん・138自動車じどうしゃ狙撃そげき師団しだん基幹きかん部隊ぶたいくわえて、空挺くうてい師団しだん空中くうちゅう機動きどう部隊ぶたい特殊とくしゅ部隊ぶたいなどをかく戦域せんいき統合とうごうした作戦さくせん機動きどうグループ(OMG)を編成へんせいしており、機甲きこう部隊ぶたい空中くうちゅう機動きどう部隊ぶたいとを連携れんけいさせての攻勢こうせい作戦さくせん自信じしんふかめていた時期じきであった[59]

編制へんせい (自動車じどうしゃ狙撃そげき師団しだん戦車せんしゃ師団しだん)[編集へんしゅう]
  • 自動車じどうしゃ狙撃そげきだん人員じんいん13,498めい[60]
    • 師団しだん司令しれい(320めい
    • 3自動車じどうしゃ狙撃そげき連隊れんたいかく2,300めい
    • 戦車せんしゃ連隊れんたい(1,101めい
    • 砲兵ほうへいぐん(1,800めい: 100mmほう12もん、122mmロケットだん発射はっしゃ24はし対戦たいせんしゃミサイル12りょう、SS-21ミサイル4、152mmはし榴弾りゅうだんほう72りょう
    • 防空ぼうくう連隊れんたい(302めい: SA-8BないしSA-6対空たいくうミサイル20
    • 独立どくりつ戦車せんしゃ大隊だいたい(241めい: 戦車せんしゃ51りょう
    • 偵察ていさつ大隊だいたい(300めい: 戦車せんしゃ6りょう装甲車そうこうしゃ28りょう、オートバイなど)
    • 工兵こうへい大隊だいたい(380めい
    • 通信つうしん大隊だいたい(294めい
    • 化学かがく防護ぼうご大隊だいたい(150めい
    • 整備せいび大隊だいたい(294めい
    • 衛生えいせい大隊だいたい(158めい
    • 輸送ゆそう大隊だいたい(217めい
    • 航空こうくう支援しえん中隊ちゅうたい(220めい: Mi-2ヘリコプター6、Mi-8ヘリコプター8、Mi-24ヘリコプター8
    • 交通こうつう管理かんり中隊ちゅうたい(60めい

戦車せんしゃ師団しだん人員じんいん12,380めい戦車せんしゃ連隊れんたいが3えるかわりに自動車じどうしゃ狙撃そげき連隊れんたい1個いっこになり、独立どくりつ戦車せんしゃ大隊だいたい削除さくじょされていた[60]

ロシア陸軍りくぐん[編集へんしゅう]

ソビエト連邦れんぽう崩壊ほうかいロシア陸軍りくぐん基本きほんてきソ連それん陸軍りくぐん編制へんせい踏襲とうしゅうしていたが、2007ねんアナトーリー・セルジュコフ国防こくぼうしょう就任しゅうにんすると、即応そくおうせい改善かいぜん組織そしき人員じんいん合理ごうりなどを主眼しゅがんとするだい規模きぼ改編かいへんおこなわれた[61]。この一環いっかんとして基本きほん作戦さくせん単位たんい師団しだんから旅団りょだん変更へんこうされることになり、2009ねんちゅうに、千島ちしま列島れっとう駐屯ちゅうとんするだい18機関きかんじゅう砲兵ほうへい師団しだんのぞすべての師団しだん解体かいたいされた[61][62]

従来じゅうらい師団しだん編制へんせいでは連隊れんたい戦闘せんとうだん大隊だいたい戦闘せんとうだんなどを編成へんせいして戦闘せんとうのぞむことが想定そうていされていたが、みなみオセチア紛争ふんそうチェチェン紛争ふんそう経験けいけんから、当時とうじのロシア陸軍りくぐん師団しだんでは、実際じっさいにはかく連隊れんたい1個いっこ大隊だいたい戦闘せんとうだん編成へんせいするのがせいぜいであることが判明はんめいしていた[62]。このことから、規模きぼ連隊れんたいみだが完結かんけつした戦闘せんとうだんとして機能きのうする旅団りょだん基本きほん作戦さくせん単位たんいとすることで、実質じっしつてき戦闘せんとう能力のうりょく維持いじしつつ組織そしき合理ごうりはかるものであった[62]定数ていすうやく4,000めい新型しんがた旅団りょだん84編成へんせいされたが、このうち装甲そうこう部隊ぶたい中心ちゅうしんとする戦車せんしゃ旅団りょだんじゅう旅団りょだん)は4のみで、そう装甲車そうこうしゃ移動いどうする自動車じどうしゃ狙撃そげき旅団りょだんちゅう旅団りょだん)やけい装備そうび山岳さんがく旅団りょだんけい旅団りょだん)が主体しゅたいとなっており、だい規模きぼ戦争せんそうがたから小規模しょうきぼ紛争ふんそう対処たいしょがたへのシフトが鮮明せんめいとなった[62]

ただし師団しだんから旅団りょだんへの改編かいへんによっておおきく兵力へいりょくげんじたにもかかわらず、担当たんとうすべき戦線せんせんはば師団しだん時代じだいわらず20キロメートルとされており、戦力せんりょく不足ふそく指摘してきされていた[62]。また旅団りょだんによる戦略せんりゃく動力どうりょく向上こうじょう期待きたいされていたが、実際じっさいにはじゅう装備そうび鉄道てつどう輸送ゆそうしなければならないため師団しだん時代じだい大差たいさがなく、またアメリカ陸軍りくぐん旅団りょだん戦闘せんとうだんたか機動きどうりょく背景はいけいにあるような強力きょうりょく兵站へいたん支援しえん能力のうりょくいていることも指摘してきされるなど、旅団りょだん改編かいへんにはおおくの問題もんだい指摘してきされていた[62]。このため、2012ねんにセルジュコフ国防こくぼうしょう更迭こうてつされると、2013ねんだい2親衛しんえい自動車じどうしゃ狙撃そげき師団しだんロシアばんおよびだい4親衛しんえい戦車せんしゃ師団しだん復活ふっかつしたのを端緒たんしょとして、一部いちぶ師団しだん編制へんせい復活ふっかつした[62]

朝鮮ちょうせん戦争せんそう師団しだん編制へんせい[編集へんしゅう]

中国ちゅうごくぐん[編集へんしゅう]

  • 歩兵ほへい師団しだんやく10,000めい
    • 3歩兵ほへい連隊れんたい
    • 偵察ていさつ中隊ちゅうたい
    • 警戒けいかい中隊ちゅうたい
    • 政治せいじはん
    • 通信つうしん中隊ちゅうたい
    • 工兵こうへい中隊ちゅうたい
    • 砲兵ほうへい大隊だいたい
    • 輸送ゆそう中隊ちゅうたい
    • 衛生えいせいたい

朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐん[編集へんしゅう]

朝鮮ちょうせん戦争せんそう開戦かいせん直前ちょくぜん、1950ねん5がつ時点じてんにおいて、北朝鮮きたちょうせんぐん歩兵ほへい師団しだん編制へんせいは、だい世界せかい大戦たいせん当時とうじソ連それんぐん師団しだんを、北朝鮮きたちょうせん国情こくじょうわせて縮小しゅくしょうしたものであった。

また、国境こっきょう会戦かいせんからソウル会戦かいせんにかけてきわめて重要じゅうよう役割やくわりたしただい105戦車せんしゃ旅団りょだんは、やはりソ連それんぐん戦車せんしゃ師団しだん縮小しゅくしょうした編制へんせいになっているが、旅団りょだんとしての主体しゅたいてき運用うんようというよりは分割ぶんかつされての歩兵ほへいじききょう任務にんむ考慮こうりょしたものになっている。

韓国かんこくぐん[編集へんしゅう]

朝鮮ちょうせん戦争せんそう開戦かいせん直前ちょくぜんにおいて、韓国かんこく軍師ぐんしだん編制へんせいは、だい世界せかい大戦たいせん当時とうじのアメリカぐん師団しだんを、韓国かんこく国情こくじょうわせて縮小しゅくしょうしたものであった。なお、後方こうほうだい2、だい3、だい5師団しだんは2歩兵ほへい連隊れんたい基幹きかんとし、砲兵ほうへい大隊だいたいけい歩兵ほへい師団しだんであったほか、朝鮮ちょうせん戦争せんそう開戦かいせんだい7師団しだん隷属れいぞくえにより一時いちじてきに2連隊れんたい基幹きかんとなっていた。

  • 歩兵ほへい師団しだんやく10,000めい
    • 3歩兵ほへい連隊れんたいやく2,650めい
    • 砲兵ほうへい大隊だいたい
    • 偵察ていさつ中隊ちゅうたいM20装甲車そうこうしゃ×4りょう
    • 工兵こうへい大隊だいたい
    • 通信つうしん中隊ちゅうたい
    • 後方こうほう支援しえんたい

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ だい19師団しだんだい20師団しだん朝鮮ちょうせんぐん隷属れいぞくした
  2. ^ 天皇てんのう大元帥だいげんすいとして日本にっぽん陸軍りくぐん唯一ゆいいつ最高さいこう統帥とうすいけんゆうしていた
  3. ^ なお、参謀さんぼう本部ほんぶ軍隊ぐんたいでは官衙かんが役所やくしょ)であり、担当たんとう作戦さくせんのみで、常設じょうせつの4ぐんのぞぐんそうぐん方面ほうめんぐんぐん)は作戦さくせんぐんであり、戦闘せんとう序列じょれつ指揮しき系統けいとう)を規定きていするものである
  4. ^ 部隊ぶたい組織そしきである軍隊ぐんたいのみでなく、管区かんくごとにある連隊れんたい司令しれい要塞ようさい司令しれいひとし官衙かんが衛戍えいじゅ病院びょういん陸軍りくぐん病院びょういんとうしょ機関きかんも、師団しだんちょう統率とうそつした
  5. ^ モデルとなったトライアングラー師団しだん同様どうよう普通ふつう連隊れんたい戦車せんしゃ中隊ちゅうたいくわえて管区かんくたい直轄ちょっかつ戦車せんしゃ大隊だいたいゆうするようにすることも検討けんとうされたが、戦車せんしゃ総量そうりょうらず二者択一にしゃたくいつせまられた結果けっか平時へいじ訓練くんれん管理かんり補給ほきゅう整備せいびとう効率こうりつせい便宜べんぎせいと、有事ゆうじ集結しゅうけつ統一とういつ使用しようてっするという運用うんようじょうねらいを勘案かんあんして、管区かんくたい直轄ちょっかつ大隊だいたいのみとするあん採択さいたくされた[11]
  6. ^ 1952ねん10がつ15にちには北部ほくぶ方面ほうめん総監そうかん、1957ねん12月1にちには西部せいぶ方面ほうめん総監そうかん、そして1960ねん1がつ14にち東北とうほく東部とうぶ中部ちゅうぶ方面ほうめん総監そうかん設置せっちされて、5方面ほうめんたいによる方面ほうめん管区かんくせい施行しこうされた[13]
  7. ^ この数字すうじは、宇垣うがき軍縮ぐんしゅく以降いこう陸軍りくぐん内地ないち常備じょうび師団しだんすうとほぼ一致いっちすることが指摘してきされている[15]当時とうじ常備じょうび師団しだんは17だったが、2朝鮮半島ちょうせんはんとう配置はいちされ、1個いっこ輪番りんばん満州まんしゅう関東軍かんとうぐん駐箚ちゅうさつし、近衛このえ師団しだん例外れいがいであるから、内地ないちには常時じょうじ13師団しだん配置はいちされていたことになる[15]
  8. ^ 2まん5せんめい欠員けついんかかえていたため、師団しだん平均へいきん充足じゅうそくりつは70パーセントであった。そのため、中隊ちゅうたいレベルの充足じゅうそくりつは45パーセント程度ていどであったという。また実際じっさい運用うんようした結果けっか規模きぼちいさくつぎせん能力のうりょくとぼしく、装備そうび密度みつどたかすぎて隊員たいいんたち過大かだい負担ふたんかり運用うんよう困難こんなんといった問題もんだい露呈ろていしたという。
  9. ^ これと同時どうじに、2混成こんせいだん旅団りょだん改編かいへんされた[15]。なお陸自りくじ旅団りょだん他国たこく連隊れんたいないし連隊れんたい戦闘せんとうだん師団しだん旅団りょだん程度ていど規模きぼとどまっているという意見いけんもある[22]。また、のこりの師団しだん旅団りょだんへの改編かいへんさら推進すいしんするとともに、実質じっしつてき師団しだん規模きぼでしかない方面ほうめんたい管区かんくたいないし鎮台ちんだいあらため、人員じんいん5,000めい以下いか旅団りょだんなら1とうりくたすく(ニ)を旅団りょだんちょうてて将官しょうかんポストを削減さくげんすべきという意見いけんもある[23]
  10. ^ このほか、4旅団りょだん機動きどう旅団りょだん改編かいへんされることとなった[24]
  11. ^ 2022(れい4ねん)まつ廃止はいし東部とうぶ方面ほうめんとく連隊れんたいとして方面ほうめんたい直轄ちょっかつ
  12. ^ 2022ねん3がつだい1戦車せんしゃ大隊だいたいだい1偵察ていさつたい廃止はいしされ、だい1偵察ていさつ戦闘せんとう大隊だいたい新編しんぺんされた[28]奈良原ならはら 2022, p. 61では「だい1偵察ていさつたい拡充かくじゅうするかたちだい1偵察ていさつ戦闘せんとう大隊だいたい新編しんぺん」としているが、初代しょだい大隊だいたいちょうだい1戦車せんしゃ大隊だいたいちょうからつづ任命にんめいされた[29]
  13. ^ a b c d e だい2師団しだんは2022ねん3がつまつ総合そうごう近代きんだい師団しだんから機動きどう師団しだん改編かいへんされ、これにあわせてだい3普通ふつう連隊れんたい即応そくおう機動きどう連隊れんたい改編かいへんされた[30]じゅう装備そうび北方ほっぽう温存おんぞん方針ほうしんにより、この時点じてんでは戦車せんしゃとくともに連隊れんたい編制へんせい維持いじされたが、戦車せんしゃ定数ていすう墨守ぼくしゅする場合ばあい戦車せんしゃ連隊れんたい将来しょうらいてき縮小しゅくしょう改編かいへんされる可能かのうせい指摘してきされている[30]
  14. ^ 2024ねん(れい6ねん)ねん3がつ20日はつか廃止はいし翌日よくじつ中部ちゅうぶ方面ほうめんとく連隊れんたいとして方面ほうめん直轄ちょっかつ部隊ぶたい新編しんぺん
  15. ^ 2022ねん(れい4ねん)まつだい3戦車せんしゃ大隊だいたいだい3偵察ていさつたい統合とうごう新編しんぺん
  16. ^ a b 26中期ちゅうきぼうでの火砲かほう定数ていすう削減さくげんともなって、九州きゅうしゅう配備はいびされる155mm榴弾りゅうだんほうFH70はすべ方面ほうめんたい直轄ちょっかつ西部せいぶ方面ほうめんとく連隊れんたい集約しゅうやくされることになり、だい8とく連隊れんたいは2018ねん3がつだい4とく連隊れんたいは2019ねん3がつをもって廃止はいしされた[31]
  17. ^ a b 2018ねん3がつだい4戦車せんしゃ大隊だいたいだい8戦車せんしゃ大隊だいたい統廃合とうはいごうして西部せいぶ方面ほうめん戦車せんしゃたい新編しんぺんされたが、西部せいぶ方面ほうめん戦車せんしゃたいだい3中隊ちゅうたい当時とうじ)はのちだい4偵察ていさつ戦闘せんとう大隊だいたい戦闘せんとう中隊ちゅうたい母体ぼたいとなった[31]
  18. ^ a b c d だい6師団しだんは2019ねん3がつまつ即応そくおう近代きんだい師団しだんから機動きどう師団しだん改編かいへんされ、これにあわせてだい22普通ふつう連隊れんたい即応そくおう機動きどう連隊れんたい改編かいへんされる一方いっぽうだい6戦車せんしゃ大隊だいたい廃止はいしされた[32]
  19. ^ a b 26中期ちゅうきぼうでの火砲かほう定数ていすう削減さくげんともない、2020ねん3がつをもってだい6とく連隊れんたいだい9とく連隊れんたい廃止はいしされて、東北とうほく方面ほうめんとく連隊れんたい集約しゅうやくされた[33]
  20. ^ だい73戦車せんしゃ連隊れんたい平成へいせい25年度ねんどまつにフル改編かいへんそく訓練くんれん北部ほくぶ方面ほうめん混成こんせいだん移管いかん
  21. ^ a b だい8師団しだんは2018ねん3がつまつ即応そくおう近代きんだい師団しだんから機動きどう師団しだん改編かいへんされ、これにあわせてだい42普通ふつう連隊れんたい即応そくおう機動きどう連隊れんたい改編かいへんされた[34]
  22. ^ だい24普通ふつう連隊れんたい西部せいぶ方面ほうめん混成こんせいだん移動いどう
  23. ^ 2022ねんれい4ねん以降いこう西部せいぶ方面ほうめん戦車せんしゃたいだい8師団しだん平素へいそ隷属れいぞく
  24. ^ 2024ねんれい6ねん)3がつ21にちだい9戦車せんしゃ大隊だいたいおよびだい9偵察ていさつたい廃止はいしして新編しんぺん
  25. ^ 2024ねん(れい6ねん)ねん3がつ20日はつか廃止はいし翌日よくじつ中部ちゅうぶ方面ほうめんとく連隊れんたいとして方面ほうめん直轄ちょっかつ部隊ぶたい新編しんぺん
  26. ^ 2024ねんれい6ねん)3がつ21にちだい10戦車せんしゃ大隊だいたいおよびだい10偵察ていさつたい廃止はいしして新編しんぺん
  27. ^ building blockアプローチとは、任務にんむおうじて必要ひつよう機能きのう部隊ぶたい適宜てきぎわせるというもので、だい世界せかい大戦たいせんちゅう導入どうにゅうされた戦闘せんとうコマンドの理論りろん発展はってんがたであった[40]
  28. ^ この名称めいしょうは、メイヤー大将たいしょう英語えいごばんおよびその幕僚ばくりょう脅威きょうい予測よそくできる範囲はんいとして1986ねんえらんだことからづけられた[50]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

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関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

かく師団しだん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]