黃き廣德ひろのり(?—1277年ねん),元朝がんちょう初期しょき福建ふっけん民みん变领袖,汀なぎさ州しゅう长汀县(今いま福建ふっけん省しょう龙岩市し长汀县)人にん。元朝がんちょう占うらない领临安不ふ久ひさ,又また进攻在ざい福ふく州しゅう称しょう帝みかど的てき宋そう端はし宗むね。元もと世よ祖そ至いたり元もと十じゅう四よん年ねん(1277年ねん)四よん月がつ,黄き广德在ざい长汀起おこり兵へい抗こう元もと,自称じしょう“天下あもり都と大元おおもと帅”,刻こく都と帅印,后きさき来き又また自称じしょう“天てん从广德とく皇帝こうてい”,属ぞく下か设“铜将军”、“铁将军”。不ふ久ひさ,被ひ元もと军镇压,死し於亂軍ぐん之の中なか。