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アイドルは、「偶像」「崇拝される人や物」「あこがれの的」「熱狂的なファンをもつ人」を指す。英語(idol)に由来する語[1]。稲増龍夫やカネコシュウヘイは、日本の芸能界における「アイドル」を『成長過程をファンと共有し、存在そのものの魅力で活躍する人物』と定義している[2]。このページでは歌手を中心として、他に俳優、グラビアアイドル、フィギュア・スケート選手、K-POPについても少し記述する。
概要
キャラクター性を全面に打ち出し、歌・ダンス・演技・お笑い(以前はお笑いという概念がアイドルにはなかったがSMAPがコントを始めたことなどからこの要素が付け加えられた)など幅広いジャンルで活動を展開しやすいのが特色である[2]。外見が最も重要視されるモデルとは異なり、容姿が圧倒的である必要はなく親しみやすい存在であることが多い[2]。
アイドルの起源
欧米では1939年にはジュディ・ガーランドが『オズの魔法使い』で一躍アイドル・スターになり、1940年代にidolと呼ばれたという説もあるフランク・シナトラよりも早かった[3]。
日本におけるアイドルの誕生
日本においては当初「アイドル」という言葉は、主に日本国外の芸能人を対象にした呼称として用いられた[4][5]。
明日待子は「日本で最初のアイドル」(の一人)として挙げられる[6][7]。1960年代には、産業としての映画の衰退、本格的なテレビ時代の到来、グループ・サウンズのブーム[8]が巻き起こる過程で、徐々に「スター」と並行して「アイドル」の呼称が用いられるようになった[9]。
1970年代に至り、未成熟な可愛らしさ・身近な親しみやすさなどに愛着を示す日本的な美意識を取り入れた独自の「アイドル」像が創造された。1968年に設立されたCBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)が、それまでレコード会社が楽曲制作を自社の専属作家に任せていたのを、無所属の作家に開放したことが切っ掛けで、「アイドル歌謡」が隆盛するようになった[10]。
その後、現在に至るまで女性アイドル産業が特に盛んな背景として、「元来女性は、男性にはない感動しやすい習性、精緻なる感受性をもつがゆえに、巫女的な妹の力(いものちから)を得て、生きる力、幸福への道を伝えることができる」とする、保守派の民俗学者・柳田國男の評論が持ち出されるケースがある[11]。なお、日本におけるアイドルの隆盛時期は、不況の期間とほぼ完全に一致している、という分析もある[12]。
男性アイドル史
1950年代、1960年代の男性アイドル
1950年代のロカビリーブームでは平尾昌晃、ミッキー・カーチス、山下敬二郎が、女性から黄色い歓声を浴びる、戦後最初期の男性アイドルとなった。1960年代に「御三家」と呼ばれた西郷輝彦らが人気となり、ほどなく三田明も登場した。グループ・サウンズのタイガース、テンプターズ、オックス、ジャガーズ、ワイルドワンズらが大人気となった[13][14]。グループ・サウンズでは、ザ・タイガースの沢田研二、ザ・テンプターズの萩原健一、らが特に人気があった。週刊明星、週刊平凡、ブロマイド店などは、人気のバロメーターになっていた。また、ジャニーズ、スリー・ファンキーズらの、いかにも芸能的・商業主義的なアイドルも存在した。1970年代の新御三家ら、ジャニーズのあおい輝彦ら、時代に即したスターが登場した。
1970年代
郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎から成る「新御三家」は、3人とも主に歌手として活動した。更に、ザ・タイガースの後もソロとして活動を続けた沢田研二は、ソロデビュー後も次々と大ヒット曲を世に送り1977年の「勝手にしやがれ」では、同年の『日本レコード大賞』を受賞するなどとしてソロデビュー後も人気を保ち70年代をも代表するアイドル歌手となった。ザ・スパイダースの堺正章、井上順はソロとなった後、ヒット曲を数曲出したが、俳優、司会やバラエティ番組出演に軸足を移した。ザ・テンプターズの萩原健一、オックスの田浦幸こと夏夕介は俳優に転身し人気となった。
新御三家の他にはフォーリーブス(ジャニーズ事務所所属)やフィンガー5、にしきのあきら、野村将希、伊丹幸雄、荒川務らが登場した。アイドル百花繚乱時代であった。
この時代の男性アイドルのレコードジャケットやブロマイド、アイドル雑誌のグラビアではヨーロッパの城のような建物をバックに撮られた「白馬に乗った王子様」というような非現実的なイメージのものも多く、女性アイドル同様、手の届かない別世界のスターとして記号化される事例も見られた[15]。一例として、ギリシャ神話の彫像のような恰好をした郷ひろみの「裸のビーナス」のジャケットやメルヘンチックなタイトルの「イルカにのった少年」の大ヒットで知られる城みちるが挙げられる。また、豊川誕(ジャニーズ事務所所属)のように「不幸な生い立ち」が売り出しの際に喧伝されたものもいた。これらどこかおとぎ話の中の人物のような人々とは一線を画し、テレビが社会に広く浸透したことから、『笑点』の「ちびっ子大喜利」出身のグループずうとるびや、オーディション番組『スター誕生!』出身の城みちる、『スター・オン・ステージ あなたならOK!』出身のあいざき進也、『レッツゴーヤング』の「サンデーズ」出身の太川陽介、渋谷哲平、川崎麻世(ジャニーズ事務所所属)らのように素人、あるいは素人同様のタレントとしてテレビ番組に出演し、その成長とともに視聴者のアイドルとなっていく者たちもいた。
一方、若手俳優の中からも山口百恵とのコンビで一世を風靡した三浦友和、石橋正次、桜木健一、草川祐馬、国広富之などテレビドラマからブレイクし、アイドル的人気を博す者も現れた。石橋は紅白歌合戦にも出場、「夜明けの停車場」(1972年度年間ランキング第11位)が大ヒットした。沖雅也は日活ニューフェイス出身だが、映画の斜陽化により、テレビドラマに進出してからアイドル的人気を得た。仲雅美や井上純一は元々は歌手として売り出されたが、テレビドラマでの活躍によって人気となった。仲雅美は「ポーリュシカ・ポーレ」(ロシア民謡が原曲)の大ヒット曲をはなった。
シンガーソングライターの原田真二も当初は、アイドルとして売り出された。
1980年代
1979年の『3年B組金八先生』で生徒を演じた田原俊彦、近藤真彦、野村義男から成るたのきんトリオ(ジャニーズ事務所)がソロ歌手デビューし、次々とヒットを飛ばした。
ジャニーズ事務所は、その後も、本木雅弘、薬丸裕英、布川敏和から成るシブがき隊や、少年隊、光GENJI、男闘呼組、忍者といった人気グループを次々と輩出した。ソロではひかる一平、中村繁之がデビューした。また、『金八シリーズ』からは他に竹の子族出身の沖田浩之が人気アイドルとなった。ソロ歌手としては他に竹本孝之、『レッツゴー・ヤング』のサンデーズ出身者からは堤大二郎、新田純一などが挙げられる。
原宿の歩行者天国の路上ダンスパフォーマーだった風見慎吾は萩本欽一の番組でブレイクする。風見のように萩本の番組からアイドルとなった者も多い。イモ欽トリオ、CHA-CHA(勝俣州和がメンバーだったことで知られるが、他にメンバー数名が当時ジャニーズ事務所所属)など。他のバラエティ番組からは『笑っていいとも!』のいいとも青年隊(野々村真ら)がアイドル的な人気を得た。
ジャニーズ事務所は60年代、70年代は経営が不安定だったが、80年代には盤石の状態となり、ライバルはチェッカーズ、渡辺プロダクションの吉川晃司であった。ジャニーズ事務所からはテレビドラマでも活躍した岡本健一、前田耕陽、高橋和也ら男闘呼組もハードロック・バンドとしてデビューし、アイドルとしてのバリエーションが多岐に渡るようになった。
この頃はまだ俳優もアイドル風に売り出されるものがおり、JAC出身の真田広之、石黒賢、角川映画の野村宏伸、『金八シリーズ』出身の鶴見辰吾、映画『ビー・バップ・ハイスクール』でブレイクした仲村トオル、横山やすしの息子の木村一八、子役アイドルの高橋良明らがいた。人気が下降してからの『太陽にほえろ!』に出演した渡辺徹は、後に「デブタレント」として人気司会者となるが、その時点では精悍なマスクが人気で、曲「約束」が1982年の年間ランキングで33位のヒットとなった[16]。
1990年代
主にジャニーズ事務所が送り出したグループの時代であり、当初は光GENJIが他を圧倒する人気を見せたが、バンドブームの到来や元ジャニーズ事務所所属のタレントの暴露が続く等の煽りで失速。女性アイドル同様に冬の時代を迎えていたが、中盤からは、デビュー当初から様々な分野での活躍が目立ったSMAPが国民的アイドルと言われ現在に至る人気を確立し、更に、KinKi Kids、TOKIO、V6など後続者も人気を得て自身が冠バラエティ番組も持つようになった。また、木村拓哉は俳優として、中居正広はバラエティー番組の司会のみならず、NHK紅白歌合戦等の司会を最多で務めるなど、従来のアイドルには無かった地位を確立し、その他のメンバー個人も個々の活動で成功した。また、SMAPがテレビの第一線で長期で活躍する影響もあり、30代、40代でもアイドルとして活躍でき、男性アイドルの寿命が伸びた。
そういった90年代のジャニーズ全盛期に対抗してライジングプロダクションが男性アイドルのプロデュースに力を入れるようになり、1997年にDA PUMPをデビューさせる。DA PUMPはグループの構成や音楽スタイルで差別化を図ってバラエティや音楽番組・CM・映画・ラジオなどにも多数出演しながら「NHK紅白歌合戦」には5年連続で出場するなど大衆から人気を集めた。
また若手俳優からは織田裕二、福山雅治、1980年代後半にジャニーズ事務所所属の経歴を持つ反町隆史、いしだ壱成、「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」出身の武田真治、柏原崇は歌手としても一定の成功を収めた。お笑い界からは吉本印天然素材やグレートチキンパワーズ、猿岩石、ネプチューンなどが一時期、アイドル的な人気を博した。また余談ではあるが、ヴィジュアル系バンドも派手な外見と華やかなステージ(パフォーマンス)で若い女性ファンを中心に人気を博し、90年代の音楽シーンを盛り上げた。こちらも男性アイドルと似たような感覚だと見ることもできる。
2000年代
前半はライジングプロダクションから結成されたw-inds.やLeadが優れた歌とダンスを武器に活躍する。特にw-inds.はジャニーズ系とは違った中性的なイメージとアイドル的な楽曲で新人賞を総なめにするなど大人気を得た。ジャニーズ事務所からは嵐、タッキー&翼、NEWS、KAT-TUN、Hey! Say! JUMPらが台頭。また、かつて1990年代にZOOのメンバーだったHIROを中心に結成されたEXILEもボーカルとダンスの分かれた構成と他の男性アイドルとは違った音楽・コンセプトで人気を獲得し、活躍の場を広げる。以降、アイドルグループは歌やダンスの実力にも重点を置くようになり、ダンスグループまたはダンス&ボーカルグループといった表現が使われる事が多くなった。(女性アイドルも同様)
後半は『クイズ!ヘキサゴンII』などのクイズ番組から無知を逆手に売りにする羞恥心のメンバーや、あくまでも「俳優集団」を称するD-BOYSのメンバー、東方神起やBIGBANGといった韓流アイドル、或いは、「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」でグランプリを獲得してデビューした小池徹平や溝端淳平ら、また、ウルトラシリーズ出身の杉浦太陽、仮面ライダーシリーズ出身のオダギリジョーや要潤、水嶋ヒロや佐藤健、スーパー戦隊シリーズ出身の松坂桃李といった若手俳優もアイドル的な人気を得てブレイクする。
一方で、2000年前後の頃から「アイドルのファン、追っかけイコール中高生」というイメージは変わり、年配女性の追っかけ行為が盛んに報道されるようになった。先んじて1990年代にアイドルの先駆けであった舟木一夫の復活[17]、2002年にはフォーリーブスが再結成した。とりわけ2000年デビューの氷川きよしは久々に演歌界に大ヒットをもたらしたのみならず、熱心な年配女性のファンを生み、「きよ友」と称したファン仲間たちの交流はマスメディアに紹介されるのみならず[18]、年配の視聴者をターゲットにしたテレビドラマの題材にもなった[19]。
2010年代
ジャニーズに所属する嵐が大衆的な人気を得てSMAPに続いて国民的アイドルとなる。
嵐が国民的グループとして活動する中、SMAPの解散や期待の主だったKAT-TUNがメンバー脱退などの内紛を経験したが、Kis-My-Ft2やSexyZone、ジャニーズWESTなど2010年代以降、新たにデビューしたジャニーズアイドルが人気を繋げた。LDHのEXILE系列グループは若年メンバーが数多く登場してきてアイドル性が強化され、正統派で王子様系のジャニーズに比べて男性のセクシーなイメージと大衆の志向に合致する楽曲で女性層はもちろん若い男性層にも好評を得た。
一方でライジングプロダクションの男性アイドルは活動が多く減り、スターダストプロモーションやフォーチュンエンターテイメントといった他の芸能事務所からジャニーズとは異なるコンセプトで男性アイドルグループが多数デビューした。日本武道館公演を成功させるなどの勢いを見せたが、これらの男性アイドルたちは事実上「ジャニーズや韓流アイドルの後追い(フォロワー)」といった印象が強く、女性アイドルと同様に小規模のライブや握手会などをメインに活動するため明確な成果はなかった。その代替材として同時期にはYouTubeで活動している男性ユーチューバーたちがU-Fes[20]などのライブイベントを開催するなど10代の女子層(中高生)を中心にアイドル的な人気を獲得した。
この世代に活動した男性アイドルは、嵐、三代目 J Soul Brothersを筆頭に、GENERATIONS、THE RAMPAGE、FANTASTICS、関ジャニ∞、KAT-TUN、NEWS、Hey! Say! JUMP、Kis-My-Ft2、Sexy Zone、A.B.C-Z、ジャニーズWEST、King & Prince、超特急やDISH//、BOYS AND MEN、祭nine.などが挙げられる。年配女性をターゲットとした演歌アイドルとしては山内惠介や純烈の活躍が目立った。
また俳優面からは、星野源をはじめ菅田将暉、竹内涼真、福士蒼汰、山﨑賢人、横浜流星、北村匠海、中川大志などの若手俳優陣の活躍と宮野真守や神谷浩史、Kiramuneといった声優アイドルも人気を集めた。
2020年代
テレビでの活躍が目立つ男性アイドルは、ジャニーズやLDH系列グループ以外ではJO1がバラエティを中心に活躍しており、BTSをはじめとするK-POPアイドルグループも人気を得ている。ジャニーズは2010年代以降、所属タレントの不祥事の頻発やインターネットメディア(SNS)への消極的な姿勢もあり、次第に人気・影響力が低下。2020年は国民的アイドルと称されていた嵐が活動を休止し、翌年にはV6の解散が発表された。ジャニーズだけでなくアイドル業界も飽和状態となり下火の状況にある。
現在の男性アイドルは、SixTONES、Snow Man、なにわ男子、BMKなどが活動しており、俳優面では志尊淳、新田真剣佑、吉沢亮、神尾楓珠らの活躍とお笑い界からはEXITが人気を得ている。
主な男性アイドル
1960年代
歌手デビュー年
歌手デビュー年
1980年代
歌手デビュー年
1990年代
歌手デビュー年
2000年代
歌手デビュー年
2010年代
歌手デビュー年
2020年代
歌手デビュー年
女性アイドル史
「アイドル」以前
1950年代から1960年代にかけて日活青春映画などに出演していた吉永小百合や美空ひばりなどが活躍していた時代であり、またそのひばりに江利チエミらを加えた「三人娘」や伊東ゆかり・中尾ミエ・園まりからなる「スパーク三人娘」、ザ・ピーナッツなどが現在のアイドル的なポジションで活動していた。
1970年代
1970年代には量産される女性タレントを多少の揶揄の意味を込めて「かわい子ちゃん歌手」と呼ぶ風潮があったとのことである[21]。山口百恵・森昌子・桜田淳子(花の中三トリオ)、南沙織、天地真理、小柳ルミ子、岡崎友紀、麻丘めぐみ、浅田美代子、伊藤咲子、アグネス・チャン、岩崎宏美、太田裕美、木之内みどり、高田みづえ、大場久美子、石野真子といったソロアイドル歌手が多く台頭。またピンク・レディーやキャンディーズは、対照的な形で1970年代末のアイドルシーンを牽引した。
1980年代
1980年代に入り、松田聖子・小泉今日子・中森明菜・菊池桃子・早見優・堀ちえみ・石川秀美・松本伊代、河合奈保子、柏原芳恵ら若年層に向けたポップスを主とする歌手が活躍を始め、「アイドル」の呼称が市民権を得るようになった[22][23]。1980年の時点では松田のレコード売上は新人部門4位で、ニューミュージック勢が優勢であったが[23]、1982年に小泉と中森がデビューし、女性アイドルの黄金時代となった[24]。
1980年代中盤には、岡田有希子、本田美奈子.、荻野目洋子、長山洋子(後に演歌歌手へ転向)がデビューしている。また、森口博子、井森美幸、山瀬まみらは歌手としては大成しなかったが、バラエティーアイドルとしてのジャンルを確立した。もっとも、森口博子は機動戦士ガンダムシリーズの主題歌を中心とした活動で一定の評価を得ている。
また、中盤にブレイクしたおニャン子クラブはフジテレビ系夕方の番組内のオーディションから誕生。高校生を中心に多くのメンバーが在籍し、新田恵利、国生さゆり、河合その子、福永恵規、城之内早苗、渡辺美奈代、渡辺満里奈、工藤静香らがソロデビューしている。うしろゆびさされ組、うしろ髪ひかれ隊、ニャンギラスら派生ユニットを次々と生み出す流れはその後のアイドル文化となった。(うしろゆびさされ組の高井麻巳子、岩井由紀子とうしろ髪ひかれ隊の工藤静香はソロでも活動)
1980年代後半から、中山美穂、南野陽子、浅香唯、酒井法子、工藤静香 (前述のおニャン子クラブ出身)らが台頭し、特に中山美穂(女優と並行)と工藤静香は90年代中盤まで活躍した。また後藤久美子、小川範子、坂上香織、喜多嶋舞、宮沢りえらローティーンの子役やモデルらがテレビ・CM等を中心に美少女ブーム[25]を牽引した。デュオとしては、Winkが独特の振り付けで話題となり、レコード大賞を受賞した。
このように数多くデビューはしたが、長らく歌手として活躍できたのは松田・中森・小泉等ごくわずかで、多くは女優や歌手以外のタレント業へとシフトして行った。
1990年代
1990年代に入るとアイドル人気が下火となり、音楽番組も次々と打ち切られる状況になる。「アイドル冬の時代」と言われる状況の中で、高橋由美子、観月ありさ、宮沢りえ、牧瀬里穂らが登場、後述の3人が「3M」と称された。グループではCoCo、ribbon、東京パフォーマンスドール、SUPER MONKEY'S、C.C.ガールズ、Mi-Ke、Melodyといったアイドルが活躍。
1990年代半ばには、小室哲哉がプロデュースしたソロアイドル歌手である安室奈美恵や華原朋美が登場して互いに競争し、内田有紀、浜崎あゆみらが台頭。一方、グループアイドルではSPEEDやモーニング娘。が大成功を収めた。
1990年代後半になると、鈴木亜美、広末涼子が登場。
1990年代アイドルの特徴として、女優・モデル指向でも歌手デビューするケースが多い事が挙げられる。(高橋、観月、宮沢、牧瀬、内田、広末等)
上記とは別に、谷村有美、永井真理子、森高千里等アイドル性を持ちながら自ら作詞,作曲を行う若手の女性歌手も登場し、活躍した。詳細はGiRLPOPを参照。また、ビーイング系を中心としたZARD、MANISH・KIX-S・Every Little Thing・PAMELAH・Favorite Blueら、グループを含め従来のアイドル枠には収まらない女性ヴォーカルが活躍した時代でもあった。
2000年代
2001年には、ハロー!プロジェクト内で松浦亜弥がデビュー、容姿と歌唱力も相まって2021年現在では「最後のソロアイドル」とも称されている。
2005年には秋元康がプロデュースを行うAKB48が結成され、2007年の『紅白歌合戦』に中川翔子、リア・ディゾンと共に「アキバ系アイドル」枠で出場した[26][27]。2007年にはPerfumeがブレイクし、音楽面から人気を獲得した。
AKB48グループは、AKB48劇場に基づいて総選挙や握手会といったシステムを導入し、2000年代後半から2010年代前半にかけて東京・名古屋・大阪・福岡など拠点のアイドルグループを作ってそれを全国的に繋げるというユニークな形で成功した。K-POPでは、KARAや少女時代が日本でも人気になった。
2010年代
2010年代に入ると、「アイドルを名乗るタレントの数が日本の芸能史上最大」[28]という状況になり、「アイドル戦国時代」と呼ばれるようになった[29][30]。ソニーミュージックが手掛け、秋元康がプロデュースする乃木坂46、欅坂46、日向坂46ら坂道シリーズのブレイク、スターダストプロモーション所属のももいろクローバーZの女性グループ初となる国立競技場ライブ開催[31]など、多数のグループが次々と活躍した。EXILEが所属するLDHからデビューしたE-girls(アイドルはなくダンス&ボーカルグループに分類されることが多い)や、Perfumeが成功したアミューズからは「アイドルとメタルの融合」をテーマに結成されたBABYMETALなどもブレイクした。
2010年から始まった、女性アイドルの大規模フェスTOKYO IDOL FESTIVAL(TIF)の規模も、200組以上もの出演者が参加するまでになっている[32]。さらには、新潟のNegicco、宮城のDorothy Little Happy、愛媛のひめキュンフルーツ缶、福岡のLinQなど、ローカルアイドル(ロコドル)と呼ばれる、地域に密着したアイドルも相次いで全国デビュー[28][29]。中には福岡のRev. from DVLに所属していた橋本環奈のように、個人で全国区の人気を集めたケースもある。日本ご当地アイドル活性協会代表の金子正男[33][34]によると東京拠点のアイドル500組を除いた全国46道府県のアイドルは、2017年6月17日現在で942組存在する[35][36]
[37][38][39]。
2010年代終盤では、新たにでんぱ組.incやBiSHなどがコンサート・ライブでの成果を見せたが、従来のコンセプトを抜け出せない量産型アイドルが増えており、ほとんどが小規模のライブや握手会などのいわゆる接触イベントといったマイナーアイドルの活動方式に従うので、大衆的にアピールするのが難しい状況である。実力派アイドルの空席を埋める形でTWICEをはじめとするK-POPアイドルグループが日本に進出し、需要を満たしているのではないかという見方もある。さらにAKB48グループと韓国のCJ ENMによる日韓合同アイドルグループIZ*ONEに宮脇咲良(HKT48)らも参加した。
2020年代
2020年は、新型コロナウイルス (COVID-19) の影響により、アイドルの収入源であるライブ公演やグッズ販売が困難となり、大きな支障をきたしている。この問題はアイドルだけでなく芸能界全体にも関係するが、特に握手会などで利益を出していたアイドルは打撃が大きい。男性アイドルと同様に坂道シリーズや、ももいろクローバーZ、Perfume、AKB48グループ、ハロー!プロジェクトといった既に人気のあるグループを除いた場合、アイドルたちの活躍はほとんどテレビでは見られない。
近年、かつては女性アイドルは20代前半までにグループからの卒業することが多かったが、20代後半で卒業する者が多くなり、女性アイドルの寿命が伸びつつある。
日本のソニーミュージックと韓国のJYPエンターテインメントによる共同ガールズグループプロジェクトであるNizi ProjectからNiziUが2020年12月2日にデビュー。オーディション番組から人気を集めており、注目されている。
洋楽アイドル
50年代にはアネット、ボビー・ライデル、ファビアン、コニー・フランシスらが、また60年代にはモンキーズやシルヴィ・バルタンらフレンチ・ポップスのアイドル、イタリアのジリオラ・チンクエッティ、ボビー・ソロらが人気となった。俳優ではジョン・モルダー・ブラウン、レナード・ホワイティング、レイモンド・ラブロック(レイ・ラブロック)、ビョルン・アンドレセンらが日本でも人気になっている。レイフ・ギャレット、マーク・ハミル、マーク・レスター、ジャン・マイケル・ヴィンセント、ジャック・ワイルドなどの人気俳優も、欧米や日本のティーンエイジャーの間で人気だった。彼らはアイドルとして十代の雑誌の表紙やグラビアに掲載された。
多くの10代のアイドルの特徴の1つは、ファン(場合によってはミュージシャン自身)が大人になると自分たちが過去に聴いていた音楽を嫌う傾向もあり、大人にはあまり聞かれない場合もある。バブルガムポップのティーンアイドルパフォーマーは、デヴィッドとショーンのキャシディ兄弟、レイフ・ギャレット、オズモンド・ブラザーズ(特にダニー・オズモンドとマリー・オズモンド)、トニー・デフランコとザ・デフランコ・ファミリーなどがいた。アフロアメリカンのアイドル・グループ、ジャクソン5とマイケル・ジャクソンやビージーズのギブ兄弟の末弟アンディ・ギブはディスコサウンドで大ヒットを連発した。さらに70年代後半の日本では、イギリスのアイドルグループ、ベイ・シティ・ローラーズが大人気になった。80年代前半に英米と日本で人気を博したデュラン・デュランらは、ニューロマンティックとして、ビジュアルを強調して売り出された。日本でのみ人気となった洋楽アイドルも現れ、イギリス人のバンドG.I.オレンジが成功を収めた。ボン・ジョヴィも当初はアイドル的に売り出されたが、[40]、80年代後半には欧米で高い人気を獲得し、ハードロック/ヘヴィメタルブームの中心となった。
1950年代
- アネット
- ボビー・ライデル
- ファビアン
- コニー・フランシス
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
文献
- 青木一郎[41]「絶対アイドル主義」(プラザ、1990年3月)ISBN 9784915333675、「炎のアイドルファン ―絶対アイドル主義2―」(青心社、1990年12月)ISBN 9784915333859
- 稲増龍夫 「アイドル工学」 (ちくま文庫、1993年)
- 稲増龍夫「「ネットワーク組織としてのSMAP-現代アイドル工学'96」(評価問題研究会第11回研究会)」『日本ファジィ学会誌』第8巻第5号、日本知能情報ファジィ学会、1996年10月15日、NAID 110002940787。
- 青柳寛「アイドル・パフォーマンスとアジア太平洋共同体の意識形成(環太平洋経済圏における産業・経営・会計の諸問題)」『産業経営研究』第18巻、日本大学、1996年3月30日、43-58頁、NAID 110006159892。
- 濱本和彦「1/f ゆらぎを用いた松浦亜弥の「国民的アイドル度」の客観的評価に関する研究」(東海大学情報理工学部情報メディア学科)[42]
- 竹中夏海 「IDOL DANCE!!! ―歌って踊るカワイイ女の子がいる限り、世界は楽しい―」ポット出版、ISBN 9784780801927
脚注
注釈
出典
アイドルの種類
関連項目