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称名しょうみょう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

称名しょうみょう(しょうみょう)とは、ふつ菩薩ぼさつたたえること。とくに、阿弥陀あみだほとけ名号みょうごうである南無阿弥陀仏なむあみだぶつたたえること。ときには、諸仏しょぶつ阿弥陀あみだぼとけ称揚しょうようさん歎することをさす(諸仏しょぶつ称名しょうみょう阿弥陀あみだぼとけよんじゅうはちねがいなかだいじゅうななねがい)。浄土じょうどきょうでは、とくに阿弥陀あみだぼとけ名号みょうごう南無阿弥陀仏なむあみだぶつ)をたたえること。これは浄土じょうどうまれるためのせいじょうぎょうである。

  • 善導ぜんどうは、阿弥陀あみだふつ本願ほんがんだいじゅうはちねがい)に「乃至ないし十念若不生者不取正覚」とあるのを、「名字みょうじしょうすることしたじゅうこえいたるまでもしうまれずは正覚しょうがくらじ」とみ、称名しょうみょう往生おうじょうちかったものと解釈かいしゃくし、称名しょうみょう本願ほんがんちかわれたくだりであるから、せいじょうぎょうであるとした。
  • 大原おおはら声明せいめい完成かんせいしゃでもある良忍りょうにんは、「一人ひとり念仏ねんぶつまんにん念仏ねんぶつまじわる」という融通ゆうずう念仏ねんぶつだい念仏ねんぶつ)をいた。
  • 法然ほうねんは、如来にょらい称名しょうみょういちぎょうえらられたのは、ぎょうなんれつであるのにたいして称名しょうみょうさいかちにしていたりえきなるくだりだからであるといわれている。他力たりき称名しょうみょうとなえたこうかえりみず、願力がんりきによる名号みょうごうにすべてのよしをみるから、まさしくせいじょうごういんである。
  • 親鸞しんらんは、「信心しんじん浄土じょうどまれるただしいよしであり、称名しょうみょうはその阿弥陀あみだぼとけおんむくいるため」(信心しんじんせいいん称名しょうみょう報恩ほうおん)のものとする。

称名しょうみょう広義こうぎには、南無阿弥陀仏なむあみだぶつのほか、南無なむ釈迦牟尼しゃかむにふつ南無なむ観世音菩薩かんぜおんぼさつ南無なむ大師だいし遍照金剛へんじょうこんごうなどもさす。なお、神仏しんぶつたたえることによって苦難くなんのが救済きゅうさいられるという信仰しんこうは、道教どうきょう経典きょうてんなかにもおおられる。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]