II号 ごう 戦車 せんしゃ A/B/C型 がた
ボービントン戦車 せんしゃ 博物館 はくぶつかん で撮影 さつえい されたII号 ごう 戦車 せんしゃ
性能 せいのう 諸 しょ 元 もと 全長 ぜんちょう
4.81 m 全幅 ぜんぷく
2.22 m 全 ぜん 高 こう
1.99 m 重量 じゅうりょう
8.9 t 懸架 けんか 方式 ほうしき
リーフスプリング方式 ほうしき 速度 そくど
40 km/h 行動 こうどう 距離 きょり
200 km 主砲 しゅほう
55口径 こうけい 20mm機関 きかん 砲 ほう (2 cm KwK 30 L/55 ) 副 ふく 武装 ぶそう
7.92mm機関 きかん 銃 じゅう MG34 装甲 そうこう
砲塔 ほうとう
前面 ぜんめん 15(+15) mm、
側 がわ ・後 こう 面 めん 15 mm
上面 うわつら 10 mm
車体 しゃたい
前面 ぜんめん 15(+20) mm
側 がわ ・後 こう 面 めん 15 mm
底面 ていめん 5 mm エンジン
マイバッハ HL62TR直列 ちょくれつ 6気筒 きとう 液 えき 冷 ひや ガソリン 140 馬力 ばりき 乗員 じょういん
3 名 めい (車 くるま 長 ちょう 兼 けん 砲手 ほうしゅ 、無線 むせん 手 しゅ 、操縦 そうじゅう 手 しゅ ) テンプレートを表示 ひょうじ
II号 ごう 戦車 せんしゃ (にごうせんしゃ、Panzerkampfwagen II、パンツァーカンプ(フ)ヴァーゲン ツヴァイ)は、ナチス・ドイツ で作 つく られた軽 けい 戦車 せんしゃ (10トン級 きゅう )である。
概要 がいよう
a~c型 がた 、A~C型 がた 、F型 がた に至 いた る標準 ひょうじゅん 型 がた と、砲塔 ほうとう は共通 きょうつう だが車体 しゃたい は全 まった く別 べつ 設計 せっけい のD、E型 がた 、さらに(コンセプト上 じょう の)発展 はってん 型 がた で、これも別 べつ 設計 せっけい のG型 がた 以降 いこう の各 かく タイプがある。
標準 ひょうじゅん 型 がた II号 ごう 戦車 せんしゃ は、I号 ごう 戦車 せんしゃ ではできない砲 ほう を扱 あつか うための訓練 くんれん および戦車 せんしゃ 生産 せいさん 技術 ぎじゅつ の習得 しゅうとく 用 よう に開発 かいはつ された軽 けい 戦車 せんしゃ であり、MAN 社 しゃ およびダイムラー・ベンツ 社 しゃ 、ヘンシェル 社 しゃ 、ヴェクマン社 しゃ 、アルケット社 しゃ 、FAMO社 しゃ 、MIAG社 しゃ によって生産 せいさん された。主力 しゅりょく 戦車 せんしゃ であるIII号 ごう 、IV号 ごう の数 かず が揃 そろ うまでの繋 つな ぎとして、非力 ひりき なI号 ごう に代 か わって、ある程度 ていど の実戦 じっせん 能力 のうりょく を付与 ふよ されたものである。試作 しさく 型 がた は1935年 ねん に完成 かんせい し、1936年 ねん から増加 ぞうか 試作 しさく 型 がた が数 すう 十 じゅう 輌 りょう 作 つく られ、翌年 よくねん からA型 がた が本格 ほんかく 的 てき に量産 りょうさん に入 はい った。本 ほん 車 しゃ もI号 ごう 戦車 せんしゃ 同様 どうよう に農業 のうぎょう 用 よう トラクター(独 どく :Landwirtschaftlicher Schlepper, 略号 りゃくごう :La.S.) の名目 めいもく で開発 かいはつ されている。
I号 ごう 戦車 せんしゃ の武装 ぶそう が7.92 mm機関 きかん 銃 じゅう MG 13k であるのに対 たい し、II号 ごう 戦車 せんしゃ は20 mm機関 きかん 砲 ほう KwK 30 に強化 きょうか されている。a、b型 がた では小 しょう 転 てん 輪 わ を2輪 りん ずつリーフ式 しき サスペンション ボギーで支 ささ え、さらにそのボギー軸 じく をガーダービームで繋 つな いだ形式 けいしき であったが、c型 がた では転 うたて 輪 わ 一 ひと つごとに独立 どくりつ してリーフスプリング付 つ きアームで支 ささ える形式 けいしき となり、これが以降 いこう の型 かた の標準 ひょうじゅん となった。後 のち にはこのシャーシ を用 もち いて様々 さまざま な自 じ 走 はし 砲 ほう が造 つく られた。
開発 かいはつ
再 さい 軍備 ぐんび に向 む けた最初 さいしょ の量産 りょうさん 型 がた 戦車 せんしゃ として1934年 ねん に生産 せいさん が開始 かいし されたI号 ごう 戦車 せんしゃ だったが、これは本格 ほんかく 的 てき 戦車 せんしゃ 開発 かいはつ のための習作 しゅうさく 的 てき 意味合 いみあ いが強 つよ く、訓練 くんれん 用 よう として使 つか うにも小型 こがた 過 す ぎた。また、これに続 つづ くべき本格 ほんかく 的 てき 戦車 せんしゃ であるIII号 ごう 戦車 せんしゃ 、IV号 ごう 戦車 せんしゃ は、なお開発 かいはつ に手間取 てまど ることが予測 よそく されたため、その間 あいだ をつなぐ、I号 ごう 戦車 せんしゃ よりも若干 じゃっかん 大 おお きく武装 ぶそう も強力 きょうりょく な軽 けい 戦車 せんしゃ の開発 かいはつ が計画 けいかく された。
開発 かいはつ 命令 めいれい は、I号 ごう の生産 せいさん が始 はじ まって間 あいだ もなく、1934年 ねん 7月 がつ にクルップ 、MAN、ヘンシェルの3社 しゃ に下 くだ されたが、その仕様 しよう は、戦闘 せんとう 重量 じゅうりょう は当初 とうしょ La.S.(I号 ごう 戦車 せんしゃ の開発 かいはつ 名称 めいしょう )に出 だ されたものの倍 ばい の10トン、武装 ぶそう は全 ぜん 周回 しゅうかい 転 てん 砲塔 ほうとう に20 mm機関 きかん 砲 ほう と7.92 mm機銃 きじゅう を同軸 どうじく に搭載 とうさい するというものであった。主 しゅ 武装 ぶそう として選 えら ばれたのは、この年 とし に生産 せいさん が開始 かいし された新鋭 しんえい の2 cm Flak 30 機関 きかん 砲 ほう の車載 しゃさい 型 がた であった。
3社 しゃ 案 あん の比較 ひかく 検討 けんとう の結果 けっか 、MAN社 しゃ のものが採用 さいよう され、La.S. 100(農業 のうぎょう 用 よう トラクター100型 がた )の秘匿 ひとく 名称 めいしょう のもとで、25輌 りょう の先行 せんこう 量産 りょうさん 型 がた の製作 せいさく が命 めい じられた。シャーシの生産 せいさん と最終 さいしゅう 組立 くみたて は開発 かいはつ 会社 かいしゃ のMANが行 おこな う一方 いっぽう 、上部 じょうぶ 構造 こうぞう 物 ぶつ はI号 ごう 同様 どうよう 、ダイムラー・ベンツが担当 たんとう した。
1935年 ねん 10月に軟鋼 なんこう 製 せい の試作 しさく 車 しゃ が完成 かんせい 、続 つづ いて当初 とうしょ 発注 はっちゅう 分 ぶん の25輌 りょう の a/1型 がた 、続 つづ いて同数 どうすう の a/2型 がた 、50輌 りょう の a/3型 がた が作 つく られた。実用 じつよう 化 か を急 いそ いだ引 ひ き換 か えに、これら初期 しょき の型 かた は、小刻 こきざ みな改修 かいしゅう を重 かさ ねながらの生産 せいさん となった。1937年 ねん 2月 がつ からは、装甲 そうこう を強化 きょうか したb型 がた が25輌 りょう 生産 せいさん された。
続 つづ くc型 がた (25輌 りょう 生産 せいさん )は、車体 しゃたい 形状 けいじょう は以前 いぜん の型 かた を引 ひ き継 つ いでいるものの、足 あし 回 まわ りが一新 いっしん された。これは、ガーダービームを廃 はい し、比較的 ひかくてき 大 だい 直径 ちょっけい の転 てん 輪 わ をそれぞれリーフスプリングで独立 どくりつ 懸架 けんか するもので、これが以降 いこう の型 かた の標準 ひょうじゅん となった。a各 かく 型 かた とb型 がた にはマイバッハ HL57TR(130馬力 ばりき )エンジンが搭載 とうさい されていたが、c型 がた では重量 じゅうりょう 増 ぞう に対応 たいおう し、マイバッハ HL62TR(140馬力 ばりき )に強化 きょうか された。
このc型 がた を経 へ て、II号 ごう 戦車 せんしゃ はようやく本格 ほんかく 的 てき 量産 りょうさん に入 はい り、略 りゃく 同形 どうけい のA、B、C型 がた が、1937年 ねん 7月 がつ から、1940年 ねん 4月 がつ にかけて、計 けい 1088輌 りょう 生産 せいさん された。この生産 せいさん 途中 とちゅう である1938年 ねん 10月25日 にち 、「II号 ごう 戦車 せんしゃ (2 cm)(特殊 とくしゅ 車両 しゃりょう 番号 ばんごう 121)」(Panzerkampfwagen II(2 cm)(Sd.Kfz.121))の制式 せいしき 名称 めいしょう が与 あた えられた。
乗員 じょういん 配置 はいち は、1名 めい 用 よう 砲塔 ほうとう に車 くるま 長 ちょう 兼 けん 砲手 ほうしゅ 、車体 しゃたい 前部 ぜんぶ 左側 ひだりがわ に操縦 そうじゅう 手 しゅ 、その右側 みぎがわ に無線 むせん 手 しゅ の、計 けい 3名 めい である。無線 むせん 機 き はFu.2受信 じゅしん 機 き もしくはFu.5送受信 そうじゅしん 機 き を装備 そうび 。砲塔 ほうとう 上面 うわつら に車 くるま 長 ちょう 用 よう の、車体 しゃたい 前部 ぜんぶ 上面 うわつら 左側 ひだりがわ (操縦 そうじゅう 席 せき 手前 てまえ )に操縦 そうじゅう 手 しゅ 用 よう の、車体 しゃたい 後部 こうぶ 上面 うわつら 左側 ひだりがわ に無線 むせん 手 しゅ 用 よう の、乗降 じょうこう 用 よう ハッチがある。エンジンは車台 しゃだい 後部 こうぶ 右側 みぎがわ にある。エンジンから前方 ぜんぽう に延 の びたドライブシャフトと、ドライブシャフトと繋 つな がっている車台 しゃだい 前部 ぜんぶ の変速 へんそく 機 き も、車台 しゃだい 右側 みぎがわ にある。
実戦 じっせん 投入 とうにゅう と改修 かいしゅう
II号 ごう 戦車 せんしゃ はまずスペイン内戦 ないせん で、I号 ごう 戦車 せんしゃ とともにテスト運用 うんよう された。本格 ほんかく 的 てき な主力 しゅりょく 戦車 せんしゃ であるIII号 ごう 戦車 せんしゃ 、IV号 ごう 戦車 せんしゃ の生産 せいさん が間 ま に合 あ わず、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 開始 かいし 時 じ のポーランド侵攻 しんこう から主力 しゅりょく として実戦 じっせん 投入 とうにゅう された。初期 しょき の電撃 でんげき 戦 せん ではその軽快 けいかい 性 せい と機動 きどう 力 りょく が大 おお いに発揮 はっき され[ 1] 、その戦闘 せんとう 能力 のうりょく も当時 とうじ においては有効 ゆうこう だった。
電撃 でんげき 戦 せん の生 う みの親 おや とも云 い われているハインツ・グデーリアン は後 のち に「まさかこれら訓練 くんれん 用 よう 戦車 せんしゃ で大戦 たいせん に突入 とつにゅう するとは思 おも ってもみなかった。」と語 かた っているが、一方 いっぽう では榴弾 りゅうだん も使用 しよう できる20 mm機関 きかん 砲 ほう は歩兵 ほへい の最大 さいだい の敵 てき である重 じゅう 機関 きかん 銃 じゅう 手 て を攻撃 こうげき するのに最適 さいてき であり、被弾 ひだん 面積 めんせき の小 ちい ささと単価 たんか の安 やす さもあって参謀 さんぼう 本部 ほんぶ の中 なか にはこの戦車 せんしゃ を主力 しゅりょく とするよう献言 けんげん したものもいた。また主砲 しゅほう はもともと重 じゅう 対戦 たいせん 車 しゃ ライフル から発展 はってん した高射 こうしゃ 機関 きかん 砲 ほう であるために初速 しょそく が高 たか く、その徹 てっ 甲 かぶと 弾 だん は相手 あいて が軽 けい 装甲 そうこう であれば十分 じゅうぶん な威力 いりょく を発揮 はっき できた。しかし、対戦 たいせん 車 しゃ 攻撃 こうげき 力 りょく を重視 じゅうし するルートヴィヒ・ベック の反対 はんたい もあり、結局 けっきょく 当初 とうしょ の予定 よてい 通 どお りIII号 ごう 戦車 せんしゃ を主力 しゅりょく とする方針 ほうしん が貫 つらぬ かれた。実際 じっさい にポーランド戦 せん 後 ご 、III号 ごう 、IV号 ごう の生産 せいさん がある程度 ていど 軌道 きどう に乗 の り始 はじ めると、II号 ごう 戦車 せんしゃ は偵察 ていさつ ・連絡 れんらく を主 おも 任務 にんむ にするよう格下 かくさ げされた。しかし、その後 ご もしばらくは、数量 すうりょう 的 てき にはなおドイツ軍 ぐん 戦車 せんしゃ 部隊 ぶたい の主力 しゅりょく 車両 しゃりょう であった。
また、b型 がた 以降 いこう 若干 じゃっかん 強化 きょうか されたとはいえ装甲 そうこう はなお薄 うす く、ポーランド戦 せん では対戦 たいせん 車 しゃ 火器 かき によって大 おお きな損害 そんがい を蒙 こうむ り、うち少 すく なくとも78両 りょう が修理 しゅうり 不能 ふのう の全 ぜん 損 そん となった。そのため1940年 ねん 5月 がつ 以降 いこう 、c、A~C型 がた の車体 しゃたい 前面 ぜんめん 、砲塔 ほうとう 前面 ぜんめん に15 mmまたは20 mmの増加 ぞうか 装甲 そうこう を取 と り付 つ ける改修 かいしゅう が行 おこな われた。また、フランス戦 せん 後 ご の1940年 ねん 10月 がつ には、砲塔 ほうとう 上面 うわつら の大 おお きな角形 かくがた ハッチに替 か えて、全 ぜん 周 しゅう にペリスコープを備 そな えたコマンダー・キューポラが導入 どうにゅう され、その改修 かいしゅう キットが配布 はいふ された。
その後 ご も、バルカン戦線 せんせん 、北 きた アフリカ戦線 せんせん 、独 どく ソ戦 せん と、II号 ごう は既 すで に非力 ひりき となりながらも戦 たたか い続 つづ けた。1941年 ねん 3月からは、標準 ひょうじゅん 型 がた II号 ごう 戦車 せんしゃ の最終 さいしゅう 型 がた となるF型 がた の生産 せいさん が開始 かいし された。F型 がた はC型 かた までと比 くら べ、基本 きほん 装甲 そうこう が全体 ぜんたい 的 てき に増 ふえ 厚 あつ されており、車体 しゃたい 前 ぜん 端 はし は平面 へいめん の組 く み合 あ わせとなり、戦闘 せんとう 室 しつ 前面 ぜんめん も車体 しゃたい 幅 はば 一 いち 杯 はい の一 いち 枚 まい 板 いた となった。また、砲塔 ほうとう には最初 さいしょ からキューポラが装着 そうちゃく されていた。本来 ほんらい はC型 がた に引 ひ き続 つづ き生産 せいさん されるべきものだったが、これら改 あらため 設計 せっけい に手間取 てまど ったため、生産 せいさん 開始 かいし までに約 やく 1年 ねん の遅 おく れが生 しょう じることになった。この頃 ころ にはすでに戦車 せんしゃ としての価値 かち はほぼ失 うしな われつつあったが、一方 いっぽう で、ドイツは装甲 そうこう 師団 しだん の大幅 おおはば な拡張 かくちょう を始 はじ めており、その充足 じゅうそく 用 よう に生産 せいさん されたのである。生産 せいさん はFAMO社 しゃ 1社 しゃ のみで行 おこな われ、1942年 ねん 12月までに524輌 りょう が作 つく られた。標準 ひょうじゅん 型 がた II号 ごう 戦車 せんしゃ の生産 せいさん はこれをもって終了 しゅうりょう したが、車台 しゃだい はその後 ご も派生 はせい 型 がた である自 じ 走 はし 砲 ほう 用 よう に引 ひ き続 つづ き生産 せいさん された。
"騎兵 きへい 戦車 せんしゃ "D、E型 がた
1938年 ねん 初 はじ め、兵器 へいき 局 きょく は新編 しんぺん の軽 けい 師団 しだん 向 む けに、偵察 ていさつ 用 よう 高速 こうそく 戦車 せんしゃ (Schnellkampfwagen)、秘匿 ひとく 名称 めいしょう La.S. 138(農業 のうぎょう 用 よう トラクター138型 がた )の開発 かいはつ をダイムラー・ベンツ社 しゃ に命 めい じた。これは従来 じゅうらい 騎兵 きへい 部隊 ぶたい が担 にな ってきた強行 きょうこう 偵察 ていさつ ・追撃 ついげき の任 にん にあたるための快速 かいそく の軽 けい 戦車 せんしゃ で、標準 ひょうじゅん 型 がた のII号 ごう 戦車 せんしゃ の40 km/hの最 さい 高速度 こうそくど では不足 ふそく と考 かんが えられたためである。
この新型 しんがた 軽 けい 戦車 せんしゃ は、砲塔 ほうとう とエンジンは標準 ひょうじゅん 型 がた II号 ごう 戦車 せんしゃ と共通 きょうつう だったが、車体 しゃたい は新 しん 設計 せっけい で、そのレイアウトは、同 おな じくダイムラー・ベンツが開発 かいはつ したIII号 ごう 戦車 せんしゃ に似 に ていた。足 あし 回 まわ りは大型 おおがた の複 ふく 列 れつ 式 しき 転 うたて 輪 わ が片側 かたがわ 4つで上部 じょうぶ 転 てん 輪 わ はなく、ドイツ戦車 せんしゃ としては初 はじ めてトーションバー ・サスペンションとマイバッハ VG102128 プリセレクト式 しき 変速 へんそく 機 き を採用 さいよう 、F&S PF220K 乾式 かんしき 多 た 板 いた クラッチと組 く み合 あ わせていた。車体 しゃたい 前面 ぜんめん 装甲 そうこう は同 どう 時期 じき の標準 ひょうじゅん 型 がた II号 ごう 戦車 せんしゃ より厚 あつ く、30 mmとなっていた。そのため車 くるま 重 じゅう も10 tと若干 じゃっかん 重 おも かったが、高速 こうそく 走行 そうこう に適 てき した駆動 くどう 系 けい ・足 あし 回 まわ りで、最高 さいこう 速度 そくど は55 km/hに達 たっ した。
生産 せいさん はMAN社 しゃ で行 おこな われ、1938年 ねん 5月 がつ から1939年 ねん 8月 がつ にかけ、全 ぜん 43輌 りょう が作 つく られた。その後 ご 、この戦車 せんしゃ には(標準 ひょうじゅん 型 がた とは別 べつ 設計 せっけい であるにもかかわらず)、II号 ごう 戦車 せんしゃ D、E型 がた (特殊 とくしゅ 車両 しゃりょう 番号 ばんごう 121)(Panzerkampfwagen II Ausf. D, E (Sd.Kfz.121))の制式 せいしき 名称 めいしょう が与 あた えられた。D型 がた は一般 いっぱん 的 てき なシングルピン型 がた 乾式 かんしき 履 くつ 帯 たい を履 は いていたが、後期 こうき に生産 せいさん されたE型 がた はドイツのハーフトラック系列 けいれつ に似 に た形状 けいじょう の湿式 しっしき 履 くつ 帯 たい で(ただし試作 しさく 車両 しゃりょう を除 のぞ き接地 せっち 面 めん にゴムパッドは付 つ かない)、これに伴 ともな い起動 きどう 輪 わ 、誘導 ゆうどう 輪 わ の(資料 しりょう により転 てん 輪 わ も)形状 けいじょう が変化 へんか していた。D、E型 がた は生産 せいさん 数 すう も残 のこ された資料 しりょう も少 すく ないが、特 とく に湿式 しっしき 履 くつ 帯 たい を持 も つE型 がた の写真 しゃしん 等 とう は少 すく ない。その後 ご 、火炎 かえん 放射 ほうしゃ 戦車 せんしゃ 、自 じ 走 はし 砲 ほう 用 よう に車台 しゃだい が追加 ついか 生産 せいさん されたが、これらはほぼD型 がた 仕様 しよう の足 あし 回 まわ りを持 も っていた。
高速 こうそく の偵察 ていさつ 用 よう 車両 しゃりょう として開発 かいはつ されたD、E型 がた だったが、確 たし かに路上 ろじょう 最高 さいこう 速度 そくど は標準 ひょうじゅん 型 がた を上回 うわまわ ったものの、不 ふ 整地 せいち 走行 そうこう 性能 せいのう が期待 きたい を裏切 うらぎ り、少数 しょうすう のみで生産 せいさん は打 う ち切 き られた。生産 せいさん 車 しゃ は一 いち 個 こ 大隊 だいたい を充足 じゅうそく する数 かず で、計画 けいかく 通 どお り軽 けい 師団 しだん に配属 はいぞく されて1939年 ねん のポーランド戦 せん に投入 とうにゅう されたが、1940年 ねん には部隊 ぶたい から引 ひ き上 あ げられ、火炎 かえん 放射 ほうしゃ 戦車 せんしゃ に改装 かいそう された。
II号 ごう 偵察 ていさつ 戦車 せんしゃ L型 がた (ルクス)
1939年 ねん 9月 がつ 15日 にち 、ドイツ陸軍 りくぐん 兵器 へいき 局 きょく は、30 mmの前部 ぜんぶ 装甲 そうこう (これは当時 とうじ の主力 しゅりょく 中 ちゅう 戦車 せんしゃ であるIII号 ごう 戦車 せんしゃ E型 がた やIV号 ごう 戦車 せんしゃ D型 がた と同 おな じ厚 あつ さである)、2 cmまたは3.7 cm主砲 しゅほう 、最高 さいこう 速度 そくど 50 km/hを備 そな えた、高速 こうそく ・重 じゅう 装甲 そうこう の偵察 ていさつ 戦車 せんしゃ の新 あたら しい仕様 しよう を発表 はっぴょう した。これは元 もと はドイツのMAN社 しゃ に送 おく られたが、1940年 ねん 7月 がつ 31日 にち にシュコダ社 しゃ とBMM(元 もと ČKD)社 しゃ にも送 おく られ、三 さん 社 しゃ の競作 きょうさく となった。MAN社 しゃ の物 もの が「II号 ごう 偵察 ていさつ 戦車 せんしゃ L型 がた 」として採用 さいよう され、シュコダ社 しゃ の物 もの が「シュコダ T-15、あるいは、II号 ごう 偵察 ていさつ 戦車 せんしゃ シュコダ型 がた 」、BMM(元 もと ČKD)社 しゃ の物 もの が「新型 しんがた 38(t)戦車 せんしゃ 」である。
バリエーション
II号 ごう 戦車 せんしゃ a型 がた 、b型 がた 、c型 がた
Panzerkampfwagen II (2 cm) Ausf. a, b, c, (Sd.Kfz.121), La.S. 100
試作 しさく 型 がた および増加 ぞうか 試作 しさく 型 がた 。初期 しょき の実戦 じっせん にも参加 さんか している。基本 きほん 装甲 そうこう 厚 あつ は13 mm。
a型 がた には、a/1、a/2、a/3のサブタイプがある。a/1型 がた は標準 ひょうじゅん 型 がた 。a/2型 がた は、戦闘 せんとう 室 しつ と機関 きかん 室 しつ の間 あいだ の隔壁 かくへき をボルトで取 と り外 はず しができるようにして、戦闘 せんとう 室 しつ から機関 きかん 室 しつ へのアクセスを可能 かのう にした。a/3型 がた は、ラジエーターの奥行 おくゆ きを158 mmに拡大 かくだい してエンジンの冷却 れいきゃく を改善 かいぜん し、サスペンションを改造 かいぞう した。
b型 がた は装甲 そうこう 厚 あつ を14.5 mmに増 ふえ 厚 あつ 。装甲 そうこう の鋼 はがね からニッケルを取 と り除 のぞ いた。溶接 ようせつ 部 ぶ が強化 きょうか された。車体 しゃたい が延長 えんちょう された。車台 しゃだい 前部 ぜんぶ (フロントハル)を再 さい 設計 せっけい した。
c型 がた から各 かく 転 てん 綸独立 どくりつ 型 がた のリーフスプリング式 しき サスペンションとなった。
II号 ごう 戦車 せんしゃ A型 がた
Panzerkampfwagen II (2 cm) Ausf. A, (Sd.Kfz.121), La.S. 100
c型 がた をもとにした最初 さいしょ の量産 りょうさん 型 がた で、基本 きほん 装甲 そうこう 厚 あつ が14.5 mmになった。1940年 ねん 5月 がつ 以降 いこう に車体 しゃたい に15~20 mm厚 あつ の増加 ぞうか 装甲 そうこう を溶接 ようせつ 、砲塔 ほうとう 前面 ぜんめん に20 mm厚 あつ の増加 ぞうか 装甲 そうこう がボルト留 と めされ、10月からキューポラ の増設 ぞうせつ が行 おこな われた。
II号 ごう 戦車 せんしゃ B型 がた 、C型 がた
Panzerkampfwagen II (2 cm) Ausf. B, C, (Sd.Kfz.121), La.S. 100
A型 がた とは生産 せいさん 時期 じき と細部 さいぶ が若干 じゃっかん 異 こと なるだけの型 かた 。後 のち にA型 がた 同様 どうよう に装甲 そうこう の強化 きょうか とキューポラの増設 ぞうせつ が行 おこな われた。
II号 ごう 戦車 せんしゃ D型 がた 、E型 がた
Panzerkampfwagen II (2 cm) Ausf. D, E, (Sd.Kfz.121), La.S. 138
速度 そくど に特 とく 化 か した騎兵 きへい 部隊 ぶたい 向 む け。ダイムラーベンツ社 しゃ が農業 のうぎょう 用 よう トラクター138型 がた の秘匿 ひとく 名称 めいしょう で開発 かいはつ したものだが、生産 せいさん はそれ以前 いぜん の型 かた 同様 どうよう にMAN社 しゃ が1938年 ねん から行 い っている。砲塔 ほうとう は同 おな じだが車体 しゃたい はa〜C型 がた とは別 べつ 設計 せっけい で、足 あし 回 まわ りも大型 おおがた 転 てん 輪 わ とトーションバー式 しき サスペンションに変更 へんこう された。1939年 ねん に生産 せいさん されたE型 がた では、ハーフトラックのような湿式 しっしき 履 くつ 帯 たい に変更 へんこう されている。ポーランド戦 せん に実戦 じっせん 参加 さんか したが、従来 じゅうらい 型 がた より路 みち 外 がい 機動 きどう 性 せい が低下 ていか していたといわれ、1940年 ねん 5月 がつ までには部隊 ぶたい 編成 へんせい から外 はず されている。後 のち に火焔 かえん 放射 ほうしゃ 戦車 せんしゃ に改造 かいぞう され、さらに対戦 たいせん 車 しゃ 自 じ 走 はし 砲 ほう マルダーII(7.62 cm Pak 36(r)搭載 とうさい 型 がた )に改造 かいぞう された。
ムンスター戦車 せんしゃ 博物館 はくぶつかん のF型 がた 。車体 しゃたい 前面 ぜんめん 左側 ひだりがわ のバイザーは操縦 そうじゅう 手 しゅ 用 よう だが、右 みぎ はダミー
II号 ごう 戦車 せんしゃ F型 がた
Panzerkampfwagen II (2 cm) Ausf. F, (Sd.Kfz.121), La.S. 100
A~C型 かた 系 けい を装甲 そうこう 強化 きょうか し、生産 せいさん 性 せい の向上 こうじょう を図 はか った型 かた [ 2] 。標準 ひょうじゅん 型 がた II号 ごう 戦車 せんしゃ としては最終 さいしゅう 生産 せいさん 型 がた 。1941年 ねん 3月 がつ から1942年 ねん 12月 がつ にかけて524輌 りょう が生産 せいさん された[ 2] 。これ以降 いこう 、車台 しゃだい を使用 しよう してマルダーII の生産 せいさん に切 き り替 か えられた。
II号 ごう 戦車 せんしゃ G型 がた
Panzerkampfwagen II Ausf. G, VK.9.01
速力 そくりょく 向上 こうじょう に主眼 しゅがん を置 お いた発展 はってん 型 がた 。150 hp/3,800 rpmのマイバッハ HL45P 液 えき 冷 ひや 直列 ちょくれつ 6気筒 きとう ガソリンエンジンを搭載 とうさい し、路上 ろじょう 最高 さいこう 速度 そくど 65 km/h。主砲 しゅほう が新型 しんがた の2 cm KwK 38 に変更 へんこう された。これ以降 いこう の型 かた は、オーバーラップ(挟 はさ み込 こ み式 しき ・千鳥足 ちどりあし 式 しき とも)転 てん 輪 わ とトーションバー・サスペンションという、ティーガーやパンターに似 に た足 あし 回 まわ りを持 も つ。量産 りょうさん 計画 けいかく は中止 ちゅうし され、結局 けっきょく 12輌 りょう のみ作 つく られたが、部隊 ぶたい 配備 はいび された記録 きろく はない。本 ほん 車 しゃ 用 よう に作 つく られた砲塔 ほうとう で余 あま った物 もの は、要塞 ようさい 陣地 じんち のトーチカに転用 てんよう された。
II号 ごう 戦車 せんしゃ H型 がた
Panzerkampfwagen II Ausf. H, VK.9.03
速力 そくりょく 向上 こうじょう に主眼 しゅがん を置 お いたG型 がた の改良 かいりょう 発展 はってん 型 がた 。180 hp/3,200 rpmのマイバッハ HL66P 液 えき 冷 ひや 直列 ちょくれつ 6気筒 きとう ガソリンエンジンと、新型 しんがた 38(t)戦車 せんしゃ (後 のち にルクスとの競作 きょうさく に破 わ れる)に採用 さいよう されたトランスミッションを搭載 とうさい した。1942年 ねん 1月 がつ に最初 さいしょ の試作 しさく 車 しゃ が完成 かんせい 。1942年 ねん 8月 がつ から量産 りょうさん の計画 けいかく もあったが、VK.13.03の開発 かいはつ が進行 しんこう したため、それに置 お き換 か えられ、結局 けっきょく 生産 せいさん 型 がた は1輌 りょう も生産 せいさん されず、試作 しさく どまり。
1941年 ねん 9月 がつ 11日 にち 、「ゲレート8202」(口径 こうけい 漸減 ぜんげん 砲 ほう 「2.8 cm KwK 42」)を、VK.9.03に搭載 とうさい することが決定 けってい された。この砲 ほう は、タングステン弾 だん 芯 しん の「2.8 cm Pz.Gr.41弾薬 だんやく 」を使用 しよう し、小 しょう 口径 こうけい だが近距離 きんきょり では装甲 そうこう 貫徹 かんてつ 力 りょく が高 たか く、射距離 しゃきょり 100 mで30度 ど 傾斜 けいしゃ した60 mm厚 あつ の均質 きんしつ 圧延 あつえん 装甲 そうこう 板 ばん を貫徹 かんてつ でき、ガス圧 あつ による自動 じどう 装填 そうてん 式 しき なので、発射 はっしゃ 速度 そくど は15~20発 はつ /分 ぶん を達成 たっせい できた。
1942年 ねん 9月 がつ 末 まつ には、H型 がた の車体 しゃたい を使用 しよう して、1303b砲塔 ほうとう を搭載 とうさい した試験 しけん 車両 しゃりょう が製作 せいさく された。この砲塔 ほうとう は、L型 がた の生産 せいさん 型 がた 第 だい 101号車 ごうしゃ から導入 どうにゅう されるはずだった、60口径 こうけい 5 cm戦車 せんしゃ 砲 ほう KwK 39/1 搭載 とうさい 型 がた 砲塔 ほうとう を流用 りゅうよう したもので、砲塔 ほうとう 上面 うわつら はオープン・トップ(開放 かいほう 式 しき 天蓋 てんがい )で、キャンバス・カバーがかけられていた。この砲塔 ほうとう はH型 がた のものより大型 おおがた だったため、これに合 あ わせてH型 がた の上部 じょうぶ 構造 こうぞう の幅 はば も拡 ひろ げられていた。この砲塔 ほうとう に60口径 こうけい 5 cm PaK 38 対 たい 戦車 せんしゃ 砲 ほう (III号 ごう 戦車 せんしゃ J/L/M型 がた と同等 どうとう )を搭載 とうさい した試作 しさく 車 しゃ が2輌 りょう 製造 せいぞう された。
II号 ごう 戦車 せんしゃ J型 がた
Panzerkampfwagen II Ausf. J, VK.16.01
I号 ごう 戦車 せんしゃ F型 がた 同様 どうよう の重 じゅう 装甲 そうこう 歩兵 ほへい 支援 しえん 型 がた で、正面 しょうめん 装甲 そうこう は80 mmに達 たっ する。1939年 ねん 12月に開発 かいはつ が始 はじ まり、22輌 りょう が作 つく られ、1943年 ねん に第 だい 12戦車 せんしゃ 師団 しだん に配備 はいび され、東部 とうぶ 戦線 せんせん で実戦 じっせん 参加 さんか した。
ソミュール戦車 せんしゃ 博物館 はくぶつかん のルクス。車体 しゃたい 前面 ぜんめん 左右 さゆう のバイザーは本物 ほんもの だが、中央 ちゅうおう はダミー
II号 ごう 偵察 ていさつ 戦車 せんしゃ シュコダ型 がた (シュコダ T-15)
Panzerspähwagen II Ausführung Škoda、パンツァーシュペーヴァーゲン ツヴァイ アウスフュールンク シュコダ
シュコダ社 しゃ の試作 しさく 軽 けい 戦車 せんしゃ 。5輌 りょう の試作 しさく 車 しゃ 製造 せいぞう 契約 けいやく を結 むす んだが、L型 がた が生産 せいさん されたので、試作 しさく 車 しゃ 4輌 りょう 製造 せいぞう のみで1944年 ねん 初頭 しょとう に開発 かいはつ 中止 ちゅうし 。1945年 ねん 1月 がつ に作業 さぎょう を再開 さいかい し、1945年 ねん 5月 がつ に5輌 りょう 目 め を製造 せいぞう 。主砲 しゅほう 塔 とう にA-19 37 mm戦車 せんしゃ 砲 ほう 1門 もん とMG34 7.92 mm機関 きかん 銃 じゅう 1挺 てい 装備 そうび 。最大 さいだい 装甲 そうこう 厚 あつ 30 mm。戦闘 せんとう 重量 じゅうりょう 10.8 t。220馬力 ばりき 8気筒 きとう ガソリンエンジン搭載 とうさい 。路上 ろじょう 最高 さいこう 速度 そくど 50 km/h。足 あし 回 まわ り(片側 かたがわ )は、前 まえ から、前方 ぜんぽう 誘導 ゆうどう 輪 わ -大型 おおがた 転 てん 輪 わ 2個 こ -上部 じょうぶ 支持 しじ 輪 わ 3個 こ -大型 おおがた 転 てん 輪 わ 2個 こ -後方 こうほう 起動 きどう 輪 わ 、の後 のち 輪 わ 駆動 くどう 方式 ほうしき 。半 はん 楕円 だえん 型 がた リーフスプリング・サスペンション方式 ほうしき 。乗員 じょういん 4名 めい (車 くるま 長 ちょう ・砲手 ほうしゅ ・無線 むせん 手 しゅ ・操縦 そうじゅう 手 しゅ )。
II号 ごう 偵察 ていさつ 戦車 せんしゃ L型 がた
Panzerspähwagen II Ausf. L, (Sd.Kfz.123), VK.13.03、パンツァーシュペーヴァーゲン ツヴァイ アウスフュールンク エル
パンツァーシュペーヴァーゲンは、直訳 ちょくやく すれば「装甲 そうこう 偵察 ていさつ 車両 しゃりょう 」、意訳 いやく すれば「偵察 ていさつ 戦車 せんしゃ 」。通称 つうしょう ルクス (Luchs, 山猫 やまねこ )。1943年 ねん 9月~1944年 ねん 1月 がつ に100両 りょう が限定 げんてい 生産 せいさん された。従来 じゅうらい のII号 ごう 戦車 せんしゃ とは設計 せっけい 段階 だんかい から別物 べつもの であり、武装 ぶそう は20 mm砲 ほう 一門 いちもん のみ、最大 さいだい 装甲 そうこう 厚 あつ 30 mmと薄 うす い代 か わりに、180馬力 ばりき の大 だい 出力 しゅつりょく エンジンを搭載 とうさい し、路上 ろじょう 最高 さいこう 速度 そくど 60 km/hを誇 ほこ った。足 あし 回 まわ りはオーバーラップ大型 おおがた 転 てん 輪 わ とトーションバー・サスペンション。
5 cm L/60砲 ほう 搭載 とうさい 型 がた の通称 つうしょう 「レオパルト」の生産 せいさん も予定 よてい されていたが、中止 ちゅうし され、パーツは8輪 りん 大型 おおがた 装甲車 そうこうしゃ Sd Kfz 234 プーマに流用 りゅうよう された。
II号 ごう 戦車 せんしゃ M型 がた
Panzerkampfwagen II Ausf. M, VK.13.01
武装 ぶそう と速力 そくりょく 向上 こうじょう に主眼 しゅがん を置 お いた発展 はってん 型 がた 。H型 がた と同時 どうじ に開発 かいはつ され、5 cm L/60砲 ほう を搭載 とうさい し、同 おな じ車体 しゃたい に2 cm砲 ほう を搭載 とうさい したものはL型 がた の原型 げんけい となったが、4輌 りょう のみの試作 しさく で終 お わった。
派生 はせい 型 がた
VK 1602 レオパルト
Leopard, VK16.02
II号 ごう 戦車 せんしゃ 系列 けいれつ 偵察 ていさつ 戦車 せんしゃ の最終 さいしゅう 発展 はってん 型 がた 。試作 しさく 車 しゃ が完成 かんせい 前 まえ に計画 けいかく は中止 ちゅうし され、砲塔 ほうとう のみ Sd.Kfz.234/2 に流用 りゅうよう された。
II号 ごう 火焔 かえん 放射 ほうしゃ 戦車 せんしゃ
Panzerkampfwagen II Flamm, (Sd.Kfz.122)
通称 つうしょう フラミンゴ (Flamingo)。D型 がた およびE型 がた の車台 しゃだい を利用 りよう した火焔 かえん 放射 ほうしゃ 戦車 せんしゃ 。
II号 ごう 自 じ 走 はし 重 じゅう 歩兵 ほへい 砲 ほう
15 cm sIG33 auf Fahrgestell Panzerkampfwagen II(Sf)
II号 ごう 戦車 せんしゃ の車体 しゃたい を延長 えんちょう し、15 cm歩兵 ほへい 砲 ほう sIG33を搭載 とうさい したもの。
II号 ごう 5 cm対戦 たいせん 車 しゃ 自 じ 走 はし 砲 ほう
5 cm Pak 38 L/60 auf Fgst.Pz.Kpfw.II (Sf)
砲塔 ほうとう を撤去 てっきょ したII号 ごう 戦車 せんしゃ の車台 しゃだい に、60口径 こうけい 5 cm対 たい 戦車 せんしゃ 砲 ほう PaK 38 を搭載 とうさい した、対戦 たいせん 車 しゃ 自 じ 走 はし 砲 ほう 。
II号 ごう 7.62 cm対戦 たいせん 車 しゃ 自 じ 走 はし 砲 ほう
Panzer Selbstfahrlafette 1 für 7.62 cm PaK 36(r) auf Fahrgestell, (Sd.Kfz.132)
II号 ごう 火焔 かえん 放射 ほうしゃ 戦車 せんしゃ の車台 しゃだい に、ソ連 それん 軍 ぐん から大量 たいりょう に鹵獲 ろかく したF-22野砲 やほう を改造 かいぞう した7.62 cm対 たい 戦車 せんしゃ 砲 ほう PaK 36(r) を搭載 とうさい した、対戦 たいせん 車 しゃ 自 じ 走 はし 砲 ほう 。
II号 ごう 7.5 cm対戦 たいせん 車 しゃ 自 じ 走 はし 砲 ほう
7.5 cm PaK 40/2 auf Fahrgestell Panzerkampfwagen II (Sf), (Sd.Kfz.131)
通称 つうしょう マルダーII (Marder II)。砲塔 ほうとう を撤去 てっきょ したII号 ごう 戦車 せんしゃ c、A、B、C、F型 がた の車台 しゃだい に、7.5 cm対 たい 戦車 せんしゃ 砲 ほう Pak 40/2 を搭載 とうさい した、対戦 たいせん 車 しゃ 自 じ 走 はし 砲 ほう 。
ヴェスペ
Wespe, (Sd.Kfz.124)
II号 ごう 戦車 せんしゃ を元 もと にした自 じ 走 はし 砲 ほう 用 よう 車台 しゃだい に10.5 cm榴弾 りゅうだん 砲 ほう leFH18M を搭載 とうさい した型 かた で1943年 ねん 2月 がつ に生産 せいさん が開始 かいし された。有効 ゆうこう な戦果 せんか をあげたため、全 すべ てのII号 ごう 戦車 せんしゃ のシャーシが割 わ り当 あ てられ、1944年 ねん 夏 なつ 頃 ごろ まで生産 せいさん された。
登場 とうじょう 作品 さくひん
脚注 きゃくちゅう ・出典 しゅってん
参考 さんこう 文献 ぶんけん
大村 おおむら 晴 はる 、「ドイツII号 ごう 戦車 せんしゃ 」、『月刊 げっかん グランドパワー2005/11号 ごう 』、ガリレオ出版 しゅっぱん
尾藤 びとう 満 みつる ほか、『アハトゥンク・パンツァー第 だい 7集 しゅう I号 ごう 戦車 せんしゃ ・II号 ごう 戦車 せんしゃ と派生 はせい 型 がた 編 へん 』、大 だい 日本 にっぽん 絵画 かいが 、2003
Peter Chamberlain, Hilary Doyle, 『ENCYCLOPEDIA OF GERMAN TANKS OF WORLD WAR TWO - 月刊 げっかん モデルグラフィックス別冊 べっさつ ・ジャーマンタンクス』、大 だい 日本 にっぽん 絵画 かいが 、1986
関連 かんれん 項目 こうもく
外部 がいぶ リンク
[1] - II号 ごう 偵察 ていさつ 戦車 せんしゃ シュコダ型 がた 前方 ぜんぽう
[2] - II号 ごう 偵察 ていさつ 戦車 せんしゃ シュコダ型 がた 後方 こうほう