菓子かし

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チョコレート菓子かし
抹茶まっちゃ羊羹ようかん

菓子かし(かし)は、食事しょくじ以外いがい嗜好しこうひんとしてべる食品しょくひん[1]菓子かし一般いっぱんに、穀類こくるいこなく、あるいはふかすなどしたビスケット饅頭まんじゅうとうしつ主体しゅたいとしたキャンディチョコレートるいアイスクリームなどの冷凍れいとう菓子がしなどを総合そうごうし、菓子かし分類ぶんるいされている。

菓子かしかたり一般いっぱんてきにまず連想れんそうされる食品しょくひんあまあじのものだが、嗜好しこう食品しょくひん甘味あまみかぎらないため、たとえばスナック菓子すなっくがし米菓べいかなど、いわゆる塩気しおけのある食品しょくひん菓子かしである。

近代きんだいになり、冷凍れいとう冷蔵れいぞう技術ぎじゅつ向上こうじょう大量たいりょう生産せいさん可能かのうにする工業こうぎょうすすんだことで、菓子かし種類しゅるい生産せいさんりょう飛躍ひやくてきえた。これにより菓子かし製造せいぞう販売はんばいは、旧来きゅうらい職人しょくにん手作てづくりして専門せんもん菓子かしてん和菓子わがしてん洋菓子ようがしてん煎餅せんべいてんとう)で小売こうりするといった形態けいたいほか工場こうじょう生産せいさんされた包装ほうそうみの菓子かし小売こうりてんスーパーマーケットドラッグストアひとし)で販売はんばいされるという形態けいたい定着ていちゃくした。おも品質ひんしつ均一きんいつ安価あんか商品しょうひん工場こうじょう生産せいさんし、手間てまのかかる高品たかしなただしもの流通りゅうつう困難こんなん商品しょうひん専門せんもん菓子かしてん製造せいぞうするといったけが定着ていちゃくしている。

菓子かし発祥はっしょう伝播でんぱ[編集へんしゅう]

やく1まんねんまえ壁画へきが蜂蜜はちみつ採取さいしゅおもわれるがあり、人類じんるい有史ゆうし以前いぜんから蜂蜜はちみつ果物くだものなどの甘味あまみもとめていた。また、身体しんたい維持いじかせない塩分えんぶんは、その必要ひつようせいから塩味しおあじといったおいしさとして認識にんしきされていた。様々さまざま穀物こくもつこなにし、それをってにかけるという初歩しょほてき調理ちょうりおこなわれるようになってからは、食物しょくもつたいして栄養えいようもとめるだけでなく、甘味あまみ塩味しおあじをよりたのしむこともとめられるようになり、そういった味覚みかくへの追求ついきゅう菓子かし創造そうぞうする原動力げんどうりょくになったともかんがえられている。

農耕のうこう牧畜ぼくちく発展はってんし、原種げんしゅ小麦こむぎ現代げんだい品種ひんしゅいたって以降いこう文明ぶんめい発達はったつとも菓子かしつくられはじめた。紀元前きげんぜん22世紀せいきころ古代こだいメソポタミアしんシュメール時代じだいマリ王朝おうちょう宮殿きゅうでんあとから「うずくまるライオン」の菓子かしがた出土しゅつどしている。「楔形文字くさびがたもじ」の解読かいどく研究けんきゅうによるとマリ王朝おうちょうには「メルスの製造せいぞうしゃ」という職業しょくぎょうがあり、「メルス」はった生地きじナツメヤシピスタチオイチジクブドウ蜂蜜はちみつ各種かくしゅ香辛料こうしんりょうんでげたものだとされていることがわかり、これが現代げんだい菓子かしにつながるものだともかんがえられている。

また紀元前きげんぜん1175ねんエジプトラムセス3せいはかには、せいパン施設しせつおもわれる壁画へきががあり、パンとともに「ウテント」という渦巻うずまじょう菓子かしおもわれるものがえがかれている。墳墓ふんぼ副葬品ふくそうひんとして、食物しょくもつつく人々ひとびとぞう食物しょくもつ出土しゅつどしており、それらの研究けんきゅうから当時とうじ14種類しゅるい菓子かしがあったとも推測すいそくされている。

紀元前きげんぜん2000ねんごろ地中海ちちゅうかい海洋かいよう文明ぶんめいとして成立せいりつしたエーゲ文明ぶんめいはアジアの文物ぶんぶつ媒介ばいかいし、後継こうけいであるミケーネ文明ぶんめいをさらにいだギリシア時代じだいには、誕生たんじょういわ現代げんだいバースデーケーキにあたるものなど100しゅかぞえる菓子かしがあったとわれている。紀元前きげんぜん2世紀せいきごろからはバターられはじめ、チーズ製造せいぞうにも工夫くふうかさねられせんもん職人しょくにん存在そんざいしており、獣脂じゅうしガチョウなどのたまご菓子かし製造せいぞう利用りようされたようで、脂質ししつゆうする菓子かしづくりの基本きほんとなる食材しょくざいそろはじめた時代じだいでもあった。

文明ぶんめい勃興ぼっこう穀物こくもつ製粉せいふん加工かこうする粉食ふんしょく世界せかい各地かくち多発たはつてきこったともかんがえられている。ユーラシア大陸たいりく各所かくしょ派生はせいした文化ぶんか成熟せいじゅくし、ギリシアとペルシアのようにあらそいをふく様々さまざまかたちまじわっていく過程かていで、菓子かしはさらに多様たようひろまっていった。現代げんだいのアラブ諸国しょこくられる菓子かしも、ギリシアで婚礼こんれい菓子かしとしてもちいられていた蜂蜜はちみつりの菓子かし由来ゆらいであるとかんがえられている。

職業しょくぎょうとしての確立かくりつ発展はってん[編集へんしゅう]

紀元前きげんぜん7世紀せいきごろはじまる古代こだいローマ時代じだい曖昧あいまいであったパンと菓子かし種類しゅるいにより明確めいかく分類ぶんるいされるようになった。それまで、どちらかとえば女性じょせいにな調理ちょうり仕事しごとひとつとしてあつかわれていた菓子かしづくりだったが、儀式ぎしき供物くもつよう特別とくべつ菓子かしなどがもとめられはじめ、種類しゅるい多彩たさいになったことなどから、女性じょせいのみにかぎらず男性だんせい職業しょくぎょうとしてかかわるようになり、紀元前きげんぜん171ねんには法的ほうてきにも承認しょうにんされ、菓子かし職人しょくにん男性だんせい職業しょくぎょうとして確立かくりつすることとなった。当初とうしょ権力けんりょくしゃ富裕ふゆうそうのために、あるいは特別とくべつ儀式ぎしきのためにつくられていた菓子かしは、その製造せいぞう職業しょくぎょうとしてみとめられ充実じゅうじつしていくにつれ市民しみんにもひろまり、一部いちぶにはローマ市内しない販売はんばいされるまでにいたった。また、ローマじん生活せいかつ神事しんじはなせないものであり、様々さまざま工夫くふうされかざられた供物くもつ菓子かし神殿しんでん奉納ほうのうされており、これらが現代げんだい菓子かしのデコレーションの原型げんけいとなっているともかんがえられている。さらに、ガイウス・ユリウス・カエサルアルプス奥地おくちから氷雪ひょうせつはこばせ、ちちみつのほかさけぜ、あるいはやしてんだともわれており、氷菓ひょうか原点げんてんもこの時代じだいだったというせつもある。

帝政ていせいとなりローマがさらに繁栄はんえいきわめると、菓子かしもちいられる材料ざいりょうもますます多様たようになっていった。紀元前きげんぜんアレクサンドロス3せいによる東方とうほう遠征えんせいインドサトウキビしぼじる発酵はっこうさせた「あしくきからとれるみつ」があると報告ほうこくされていたが、その発酵はっこうぶつかためたとおもわれる「サッカラム」も蜂蜜はちみつ果糖かとう同様どうよう菓子かしづくりにもちいられていたとかんがえられている。

さらに、312ねんころには市内しないにパン菓子かしわせて254けんもあったとつたえられており、わせがたによる菓子かし工芸こうげい菓子かし登場とうじょうし、富裕ふゆうそう貴族きぞく階級かいきゅう宴席えんせきかざった。カトリック洗礼せんれいしきなどでもちいられる「ドラジェ」や、イタリアクリスマスかせない「パネトーネ」もローマ時代じだい起源きげんわれており、あらゆる物品ぶっぴんつどうとわれ世界せかいだいいち都市としであったローマにおける菓子かし隆盛りゅうせいが、現代げんだい菓子かし基礎きそとなったとかんがえられている。

ヨーロッパの菓子かし[編集へんしゅう]

菓子かし宗教しゅうきょう[編集へんしゅう]

4世紀せいき後半こうはんマ帝国まていこく衰退すいたい以降いこう、ヨーロッパはいくつもの国々くにぐに勃興ぼっこうしてはあらそ時代じだいとなった。以降いこうルネサンスまで菓子かしづくりにおいてローマのような躍進やくしんてき創造そうぞうはあまりられない。また、この時代じだい都市とし構造こうぞう家屋かおく整備せいびめんでも停滞ていたいられ、やわらかなパンや菓子かし生地きじけるおおきなオーブンは一般いっぱん家々いえいえそなえることはゆるされず、各地かくち修道院しゅうどういん教会きょうかい荘園しょうえん領主りょうしゅなどのみが所持しょじしていた。オーブンの使用しようりょうとしてたまご蜂蜜はちみつ、チーズなどをおさめることがもとめられ、このことは封建ほうけん制度せいどにおける弊害へいがいである反面はんめんおさめられた材料ざいりょうもちいての菓子かし製造せいぞう専業せんぎょうすすみ、結果けっかてきにローマ時代じだいつちかわれた菓子かし製造せいぞう技術ぎじゅつ途切とぎれずがれていくこととなった。また、修道院しゅうどういん教会きょうかいによるキリスト教きりすときょう行事ぎょうじ祝祭日しゅくさいじつのための菓子かし製造せいぞうは、フランスの「ガレット・デ・ロワ」や「オスティ」などの宗教しゅうきょう菓子かして、クリスマスや復活ふっかつさいなど、後年こうねんヨーロッパにおけるキリスト教きりすときょう行事ぎょうじいろど様々さまざま菓子かし発展はってんへとつながっていった。

イスラム文化ぶんか砂糖さとう十字軍じゅうじぐん[編集へんしゅう]

7世紀せいきイスラム教いすらむきょう成立せいりつ、それを背景はいけいとするイスラム帝国ていこく勃興ぼっこうする。おなころペルシアではサトウキビ発酵はっこうさせない精糖せいとうほう考案こうあんされ、長期ちょうき保存ほぞん可能かのうになった砂糖さとう貴重きちょう交易こうえきひんとしてイスラム帝国ていこく拡大かくだいとともに東西とうざいひろまっていった。711ねん、イスラム帝国ていこくウマイヤあさ時代じだいには、きたアフリカ一帯いったい勢力せいりょくおさイベリア半島はんとう征服せいふく地中海ちちゅうかい沿岸えんがんおおきく版図はんとひろげた。それにつれてサトウキビの栽培さいばい精糖せいとう技術ぎじゅつ地中海ちちゅうかい沿岸えんがん諸国しょこくひろがったが、ヨーロッパにひろ砂糖さとうられるようになるのは、十字軍じゅうじぐん時代じだいであった。

イスラム教いすらむきょう成立せいりつ以降いこう、キリストきょう世界せかいとの対立たいりつつづき、ヨーロッパにおいてようやく国家こっかてき安定あんていられはじめた11世紀せいきから13世紀せいきまでの200年間ねんかん聖地せいち奪還だっかんかかげて幾度いくどキリスト教きりすときょうけんから東方とうほうへと十字軍じゅうじぐん遠征えんせいおこなわれた。ひと往来おうらい交流こうりゅうぐん発達はったつ物流ぶつりゅうたすけ、結果けっかとして砂糖さとう香辛料こうしんりょうをはじめとする東方とうほう物産ぶっさんがヨーロッパにひろまることとなった。だが、イタリアしょ都市としつう地中海ちちゅうかい貿易ぼうえきでしかられない砂糖さとうは、貴族きぞく富裕ふゆうそうあいだでしかにできない貴重きちょうひんであり、そのほとんどが滋養じようのためのいわば薬用やくようとして処方しょほうされるもので、菓子かし製造せいぞう利用りようするのではなく、当初とうしょはわずかにふりかけるといったもちいられかただったともかんがえられている。また、貴重きちょうひんであった砂糖さとう取引とりひきはやがて教会きょうかい許可きょかせいとなり、修道院しゅうどういんなどで薬酒やくしゅとしてつくられていたリキュールしゅ材料ざいりょうとして香辛料こうしんりょうとももちいられることとなり、後年こうねんあまいリキュールしゅとして菓子かしづくりにかされることとなった。

砂糖さとうだけでなく十字軍じゅうじぐんのもたらした文物ぶんぶつは、ヨーロッパの菓子かしづくりに様々さまざま影響えいきょうあたえることとなった。小麦こむぎそだたない寒冷かんれいでも栽培さいばいできる穀物こくもつソバも、十字軍じゅうじぐんによってヨーロッパにもたらされたもので、フランスではサラザンとばれている。中世ちゅうせいにおいてアラブしょ民族みんぞくす「サラセン」に由来ゆらいしただとかんがえられており、現代げんだいでもクレープなど様々さまざま菓子かし利用りようされている。また、フランス南西なんせいつたわる「パスティス」とモロッコつたわる「パスティリャ」や、オーストリアの「シュトゥルーデル」とトルコの「バクラヴァ」のかたち類似るいじなどから、ひろ範囲はんいでの交流こうりゅうがあったともかんがえられている。

しょく文化ぶんか暗黒あんこくともわれていた中世ちゅうせいであるが、ローマ時代じだい基本きほんがほぼ完成かんせいしていた各種かくしゅ菓子かしには、砂糖さとうやリキュールなどによるさらなる工夫くふう素地そじ用意よういされた時代じだいでもある。さらにインド原産げんさんオレンジレモン中国ちゅうごく原産げんさんアプリコットなどがイスラム世界せかい経由けいゆして、さらに十字軍じゅうじぐんによりはこばれ、砂糖さとうひろまりとともに砂糖さとうけにされた果実かじつが、食後しょくごのデザートとしてもちいられるようになり、とう菓としての確立かくりつにつながることとなる。そして、ブドウ酒ぶどうしゅ果実かじつのジュースをれた容器ようきしおぜたゆきこおりなか撹拌かくはんするといった、現代げんだいにもつうじる氷菓ひょうか製造せいぞうほう伝来でんらいし、アラビアむを意味いみする「シャリバ」が語源ごげんわれるフランスの「ソルベ」、英語えいごの「シャーベット」といった氷菓ひょうかもイタリアなどでつくられはじめた。

現代げんだい欧風おうふう菓子かしの、小麦粉こむぎこなどの菓子かし主体しゅたいとしたパティスリー(Patisserie)、とうしつ主体しゅたいとなったとう菓であるコンフィズリー(Confiserie)と氷菓ひょうかであるグラス(Glace)といった大別たいべつは、中世ちゅうせい十字軍じゅうじぐん東方とうほう遠征えんせいによりはからずもはぐくまれた文化ぶんか交流こうりゅうによって成立せいりつしていったともかんがえられている。

ルネサンスとだい航海こうかい時代じだい[編集へんしゅう]

ローマの衰亡すいぼう以降いこうイタリア半島はんとう統一とういつ紛争ふんそうつづいていたものの、地中海ちちゅうかい貿易ぼうえきになヴェネツィアフィレンツェなどが都市とし国家こっかとして発展はってんしていた。14世紀せいきにこれらイタリアの都市とし国家こっか中心ちゅうしんとなっておこったルネサンスはしょく文化ぶんかにもおよび、十字軍じゅうじぐんのもたらしたイスラムけんからの食材しょくざいもちいて、さらに工夫くふうかさねた菓子かし登場とうじょうすることとなった。

一方いっぽうレコンキスタにより1492ねん、イベリア半島はんとうはイスラム支配しはいだっし、ヨーロッパのほか王朝おうちょう先駆さきがけて強力きょうりょく王権おうけん獲得かくとくしたスペインポルトガルは、民族みんぞく主義しゅぎ意識いしきたかまりを背景はいけいイスラーム勢力せいりょく駆逐くちく領土りょうど拡張かくちょうすこととなった。しん航路こうろ発見はっけん領土りょうど交易こうえきひんをもたらし、ひいては莫大ばくだいとみをもたらす。さらに、15世紀せいきにかけてイスラム王朝おうちょうひとつであったオスマンちょう帝国ていこくとして台頭たいとう地中海ちちゅうかい貿易ぼうえきをほぼ掌握しょうあくしたオスマン帝国ていこくによる貿易ぼうえき関税かんぜいへの不満ふまんくわわり、ヨーロッパの各国かっこく外洋がいようへとはしす、だい航海こうかい時代じだいとなっていった。大西おおにしひろしわたり、西にしインド諸島しょとうはヨーロッパ諸国しょこく一大いちだいサトウキビ生産せいさんとなり、貴重きちょう輸入ゆにゅうひんであった砂糖さとうをヨーロッパじんみずか精製せいせいしゅにすることになった。そして、スペインによりチョコレートがヨーロッパにもたらされたのもこの時代じだいであった。

フランスにおけるの集大成しゅうたいせい[編集へんしゅう]

フランス菓子かし世界せかいられる完成かんせい背景はいけいには、ヨーロッパ諸国しょこく興亡こうぼう王朝おうちょうあいだ婚姻こんいんがあった。諸侯しょこう割拠かっきょしていた西にしフランク王国おうこくをまとめたカペーあさ1328ねん断絶だんぜつしたのちフランスイングランドとのひゃくねん戦争せんそうくるしむこととなる。1453ねんにフランスの勝利しょうり戦争せんそう終結しゅうけつし、以降いこう次第しだい国力こくりょくをつけいくもイタリアにり、イタリア戦争せんそうこした。1533ねんメディチカトリーヌ・ド・メディシスが、政略せいりゃく結婚けっこんともいえるかたちでフランスおうアンリ2せいしている。カトリーヌは文化ぶんかてきには後進こうしんであったフランスにナイフとフォークをんだとわれ、実際じっさい当時とうじのイタリアの生活せいかつ様式ようしきすべ再現さいげんできるよう、料理人りょうりにん製菓せいかじんまできょうにしていた。シャーベットマカロンフランバジーヌプティ・フールなど、今日きょうフランスの伝統でんとう菓子かしともおもわれているほとんどは、イタリアからつたわったものだともかんがえられている。さらにスペイン王家おうけからフランス王家おうけへ、1615ねんアンヌ・ドートリッシュ1660ねんマリー・テレーズ・ドートリッシュとつぎ、チョコレートとその調理ちょうりほうもフランスにわたった。ルイ15せいとついだポーランドおうスタニスワフ・レシチニスキむすめマリー・レクザンスカちちむすめともに美食びしょくでもられており、ババヴァローヴァン創造そうぞうしたとわれている。1769ねんオーストリアマリー・アントワネットルイ16せいとついだことで、ドイツ菓子かし製法せいほう流入りゅうにゅうする。ヨーロッパ主要しゅようこく菓子かし製法せいほうがフランスにあつまり、ヨーロッパの菓子かし集大成しゅうたいせいとしてのフランス菓子かしが、その完成かんせいにむけておおきく躍進やくしんすることになる。

菓子かし製造せいぞう近代きんだい産業さんぎょう革命かくめい[編集へんしゅう]

イタリアをはじめもとはヨーロッパ各地かくち創作そうさくされた菓子かしが、フランス菓子がしとして現代げんだい認知にんちされている要因よういんひとつに、菓子かし製法せいほう系統けいとうててまとめ正確せいかく伝播でんぱできるようにしたてんげられる。1784ねん革命かくめいまえのフランスにまれたアントナン・カレーム製菓せいかだけでなく料理りょうり技量ぎりょうにおいても秀逸しゅういつであり、製菓せいか料理りょうり技法ぎほうしるした多数たすう著作ちょさくのこした。シャルロットジュレババロアブラン・マンジェプディングムーススーフレなど、まさに現代げんだい主流しゅりゅうとなっている口当くちあたりの菓子かしをこの時代じだいにデザートとして提案ていあんしており、どう時代じだいのみならずのち菓子かし職人しょくにんたちにもおおきな影響えいきょうあたえている。

18世紀せいきはじまった産業さんぎょう革命かくめいにともない、精糖せいとう産業さんぎょうにも変革へんかくおとずれる。16世紀せいき寒冷かんれいでも栽培さいばいできる甜菜てんさいサトウダイコン)からも砂糖さとう精製せいせいできることが発見はっけんされていたが、サトウキビをえてひろまることはなかった。しかし、1806ねんイギリスをふうめヨーロッパの経済けいざい支配しはいねらったナポレオン大陸たいりく封鎖ふうされいにより砂糖さとう入手にゅうしゅできなくなったことから、甜菜てんさい栽培さいばいによる砂糖さとう生産せいさん奨励しょうれいされることになる。19世紀せいき中頃なかごろ生産せいさん軌道きどうり、精糖せいとう産業さんぎょう工業こうぎょうすすんだ。このことは、様々さまざまなコンフィズリーはもとより、ビスケットやチョコレートなどの普及ふきゅうへとつながり、ローマのむかしから富裕ふゆうそう特権とっけん階級かいきゅう享受きょうじゅするものだったあま菓子かしが、ヨーロッパちゅう豊富ほうふ出回でまわはじめるきっかけとなった。

パティスリー、そしてコンフィズリーの普及ふきゅう完成かんせいたすけた産業さんぎょう革命かくめいだったが、氷菓ひょうかやアイスクリームこそ産業さんぎょう革命かくめいもうえる菓子かしであった。1867ねんにドイツで製氷せいひょう発明はつめいされ、アイスクリーム製造せいぞう機械きかい一気いっきすすんだ。アメリカでは企業きぎょう量産りょうさんされるようになり、のちにアメリカの国民こくみんしょくわれるほどの普及ふきゅうる。以降いこう、グラス(氷菓ひょうか)は、デザートやアントルメとしてのヨーロッパしきと、量産りょうさんシステムによるスナックとしてのアメリカしきの2つの傾向けいこうかれて発展はってんすることになった。

中国ちゅうごくの甜点こころ[編集へんしゅう]

文明ぶんめい黎明れいめいおなじような粉食ふんしょく文化ぶんかはじまりながら、中国ちゅうごくでは菓子かしについて独自どくじ位置いちづけがなされ、点心てんしんとしての発展はってんげた。

現代げんだい世界せかい菓子かしとして認識にんしきされている食品しょくひんを、中国ちゅうごくしょくにおいていちくくりにするのはむずかしい。中国ちゅうごくしょくは、食事しょくじをするといったである「どもめし」と、軽食けいしょくをとるといった意味合いみあいの「ども点心てんしん」に大別たいべつできる。ども点心てんしんなかでも、こなってつくったかわあんつつんだものを点心てんしんい、さらに甘味あまみのものを甜点しんとしており、「月餅げっぺい」や小豆あずきあん饅頭まんじゅうである「まめすな包子かねこ」などがられている。おなじくども点心てんしんなかで、果物くだもの意味いみするはてがあり、果物くだもの砂糖さとうけや、果汁かじゅうつくったとう菓子かしなどはこれにふくまれる。「杏仁きょうにん豆腐とうふ」は本来ほんらいは「どもめし」のさい宴席えんせき料理りょうりの甜湯であるが、少量しょうりょうきょうした場合ばあい小食しょうしょくとしてども点心てんしんとしてもあつかわれる。アイスクリームや氷菓ひょうかしょくではなくいんぞくし、かつひやいんとしてあつかわれている。

黄河こうが文明ぶんめい紀元前きげんぜん3000ねんごろおおせ韶文において石臼いしうすきね使用しようされており、穀類こくるいくだ加工かこう調理ちょうりする技術ぎじゅつ中国ちゅうごくでも古代こだいからられていた。だが、粉食ふんしょく中国ちゅうごくしょく文化ぶんか浸透しんとうはじめたのは、前漢ぜんかんたけみかど時代じだい匈奴きょうど挟撃きょうげきするべく大月おおつき使者ししゃとしておくられたちょうが、紀元前きげんぜん126ねん小麦こむぎとその製粉せいふん技術ぎじゅつかえってからとされている。きたたかしすえ500ねんころ著作ちょさくひとしみんようじゅつ』には、粉食ふんしょくとしての点心てんしん詳細しょうさい記述きじゅつされており、小麦こむぎ加工かこうした「もち(ピン)」などの記述きじゅつられるが、当時とうじ製粉せいふん技術ぎじゅつ石臼いしうすきねであり、7世紀せいき初頭しょとうから10世紀せいき初頭しょとうさかえたとう時代じだい碾磑など水車みずぐるま使つかっただい規模きぼ製粉せいふん技術ぎじゅつがもたらされて中国ちゅうごくしょく文化ぶんか本格ほんかくてき粉食ふんしょく主体しゅたいとなったとかんがえられている。さらに、から時代じだいはイスラム帝国ていこく勃興ぼっこうする時代じだいかさなっており、世界せかい交易こうえき拠点きょてんでもあった長安ながやすにはペルシアじん頻繁ひんぱんおとずれた。長安ながやすにはドーナッツのようなものである「たまきもち」や「あぶらもち」などをみせならび、ペルシアふうものえびすしょく」が流行りゅうこうした。精糖せいとう技術ぎじゅつつたわり、甜点しんはさらに発展はってんした。ちゃ点心てんしん小食しょうしょくべる、いわゆる飲茶やむちゃというしょく習慣しゅうかん全国ぜんこく普及ふきゅうしたのもとう時代じだいかんがえられている。以降いこうもとだいにはモンゴルじんしょく習慣しゅうかんれられ、ちちや酪といった素材そざいもちいた甜点しんつくられた。きよしだいには満州まんしゅうぞく菓子かしシャーチーマー」なども中国ちゅうごく全土ぜんどひろがり、また1840ねんアヘン戦争せんそう前後ぜんごしてヨーロッパの菓子かし流入りゅうにゅうした。ビスケットは「もちいぬい」として普及ふきゅうし、ケーキは欧風おうふう菓子かし意味いみする「西にししき点心てんしん」として区分くぶんされていた。

アメリカの菓子かし [編集へんしゅう]

アメリカ菓子かしは、今日きょう日本人にっぽんじん標準ひょうじゅんてき感覚かんかくからすると着色ちゃくしょくりょう砂糖さとうなどがおお使つかわれているものがおおい。アメリカの菓子かしは、リコリスや、ジュースでいえばルートビアジンジャーエールドクターペッパーなどのくすりのような風味ふうみのものもおおい。また、トルティーヤチップスポテトチップスなどをはじめとしたスナック菓子すなっくがし人気にんきである。チョコレートではM&M'Sマスターフーズ)などが有名ゆうめいである。

日本にっぽんにおける菓子かし[編集へんしゅう]

歴史れきし[編集へんしゅう]

現代げんだいにおいても会席かいせき料理りょうりなどでは、このようなフルーツのことを「水菓子みずがし」とぶ。

日本にっぽんでは、子供こどもたちと大人おとなたちがべられていた。縄文じょうもん時代じだいにおいて、ぐりこなじょうにしたものをかためていたとられる独自どくじのクッキーがべられていた。また古代こだい日本にっぽんでは果実かじつなどを総称そうしょうして「くだもの」とんでいた。漢字かんじ伝来でんらいし「くだもの」に「菓子かし」あるいは「はて」のがあてられるようになった。そして、奈良なら時代じだいから平安へいあん時代じだいにかけて中国ちゅうごくから穀類こくるいこなにして加工かこうする製法せいほう食品しょくひんつたわり、これがから菓子かし(からくだもの)とばれるようになる。果実かじつとはまったことなる加工かこうされた食品しょくひんではあるが、嗜好しこうひんとしては果実かじつ同様どうようであるとして「くだもの」と分類ぶんるいされたのではないかともかんがえられている。なお、加工かこう食品しょくひんとしての菓子かし伝来でんらいして以降いこう果物くだものについては「水菓子みずがし」とんで区別くべつするようになった。

つづいて、室町むろまち時代ときよから安土あづち桃山ももやま時代じだいにかけて茶道さどう隆盛りゅうせいともない、点心てんしんとしての菓子かしもとめられはじめた。中国ちゅうごくでは肉類にくるいもちいてつくられている羊羹ようかん饅頭まんじゅうがもたらされたが、日本にっぽんでは仏教ぶっきょう影響えいきょう肉類にくるいではなく小豆あずき豆類まめるいなど植物しょくぶつせい素材そざいえてつくられるようになった。これがのちに、和菓子わがし方向ほうこうせい決定けっていしたともかんがえられている。

一方いっぽう室町むろまち時代じだいまつから鎖国さこくれいまでのあいだ世界せかいだい航海こうかい時代じだいなかにあり、南蛮なんばん菓子かし輸入ゆにゅう時代じだいともなっていた。カステラボーロ金平糖こんぺいとうカルメラなど、日本にっぽん独自どくじ製法せいほう工夫くふうされ和菓子わがしとして発展はってんした菓子かしもある。

茶道さどうとともに発達はったつした点心てんしん京都きょうとでさらに発展はってんし、羊羹ようかん餅菓子もちがし半生はんせい菓子かしから打物うちもの干菓子ひがしまで、工芸こうげいてき趣向しゅこうをこらしたものになりきょう菓子かしとして隆盛りゅうせいきわめた。しかし江戸えど時代じだい後期こうきになると、きょう菓子かし対抗たいこうして江戸えど文化ぶんかによりはぐくまれたうえ菓子かし隆盛りゅうせいせる。また、しろ砂糖さとううえ菓子かしのみにもちいるといった制限せいげん逆手さかてにとり、駄菓子だがしわれる黒砂糖くろざとうもちいたざつ菓子かしるいおおきく発展はってんした。

明治維新めいじいしんにより鎖国さこくれいかれると、海外かいがいからドロップキャンディチョコレートビスケットなどが輸入ゆにゅうされるようになり、日本にっぽん菓子かし革命かくめいともえるだい転機てんきむかえることになった。だい航海こうかい時代じだいからの経済けいざい発展はってんにより完成かんせいいきたっしたフランス菓子かしなどがつたえられる一方いっぽうで、産業さんぎょう革命かくめいにより機械きかい効率こうりつした菓子かし製造せいぞうほうまで一気いっき伝来でんらいし、日本にっぽんの「洋菓子ようがし」として幅広はばひろ発展はってんることとなった。10ねんほどのあいだ菓子かしぜい」という国税こくぜいがあったが、1896ねん明治めいじ29ねん)の営業えいぎょうぜい国税こくぜい移管いかんにともない、廃止はいしとなった[2]

戦時せんじしょくつよくなった1940ねんには洋菓子ようがし和菓子わがしにも公定こうてい価格かかく導入どうにゅうされ、販売はんばい価格かかく全国ぜんこく統一とういつされた。このさい、ビスケットやキャンディーなどは原材料げんざいりょうもと規格きかくさだめられたものの、カステラなどはたんおもたりで価格かかくめられたため、高価こうか材料ざいりょう使用しようひかえられ製品せいひん劣化れっか深刻しんこく。1941ねんにはあらためてカステラなどにもちいる砂糖さとう鶏卵けいらん使用しようりょうさだめられる[3]など製造せいぞうしゃがわ消費しょうひしゃがわ混乱こんらんする事態じたいとなった。

菓子かし分類ぶんるい[編集へんしゅう]

代表だいひょうてき分類ぶんるいとして和菓子わがし洋菓子ようがし分類ぶんるいがある。また、日本標準にっぽんひょうじゅん商品しょうひん分類ぶんるいには「菓子かしるい」の記載きさいがある[4]

特定とくてい商品しょうひん販売はんばいかか計量けいりょうかんする政令せいれい別表べっぴょうだい1だい12ごうに「菓子かしるい」の記載きさいがあるが、この分類ぶんるいでは以下いかのものはふくまれないとされている[4]

  1. 農水のうすい産物さんぶつきわめて簡易かんい加工かこうおこなうもの - きいも、いりまめ乾燥かんそう果実かじつなどは「菓子かしるい」にふくまれない[4]
  2. しゅとして副食ふくしょくとして使用しようするもの - ジャムクリームなどは「菓子かしるい」にふくまれない[4]
  3. 加工かこうひん原料げんりょうとなるもの - 水飴みずあめ、あんるい、もなかのからなどは「菓子かしるい」にふくまれない[4]

一方いっぽう食品しょくひん衛生えいせいほうでは「製造せいぞう直後ちょくご水分すいぶん40%以上いじょうあんクリームジャムなどがはいったものでは水分すいぶん30%以上いじょうふくむもの」を生菓子なまがしとし、それ以外いがい干菓子ひがしとする基準きじゅんさだめている。 業界ぎょうかい団体だんたいなどは、生菓子なまがし干菓子ひがし分類ぶんるいくわえ、以下いか基準きじゅん菓子かし分類ぶんるいさだめている。

  1. 出来上できあがり直後ちょくごにおいて水分すいぶんが40%以上いじょうもの。ただし、あん、クリーム、ジャム、寒天かんてんまたはそれにるいするもの使用しようしている場合ばあい水分すいぶんが30%以上いじょうもの - 生菓子なまがし
  2. 水分すいぶん含量が10%以上いじょう40%未満みまんもの - 半生はんせい菓子かし
  3. 10%未満みまんもの - 干菓子ひがし

製造せいぞう販売はんばい[編集へんしゅう]

製菓せいかメーカー[編集へんしゅう]

日本にっぽん幕末ばくまつから明治めいじにかけては、ドロップキャンデーチョコレートビスケットひとし輸入ゆにゅうされる。 [1] (PDF) にあるとおり、神戸こうべではみなと開港かいこうの1870ねんにはオランダじん創業そうぎょうのホテルで居留きょりゅう外国がいこくじんけの菓子かし提供ていきょうおこな一方いっぽう菓子かし製作せいさくがなされていることがられる。1875ねんには東京とうきょう老舗しにせ菓子かしてん米津よねつ・凮月どうがビスケットを商品しょうひん。その [2] (PDF) によると、 1899ねんには森永製菓もりながせいか機械きかいによる大量たいりょう生産せいさんおこなはじめる。その1910ねん不二家ふじや、1916ねん東京とうきょう菓子かし明治製菓めいじせいか、1922ねん江崎えざきグリコといった今日きょうでもられる製菓せいかメーカーが創業そうぎょうしていく。これらのメーカーががけた洋菓子ようがし原材料げんざいりょう滋養じよういとされ、またさまざまな宣伝せんでん販促はんそく積極せっきょくてき展開てんかいし、普及ふきゅうしていった。

塩見しおみ菜摘なつみ[3] (PDF) によると 戦後せんごチューイングガムんだロッテや、スナック菓子すなっくがし代表だいひょうのカルビーなどが台頭たいとうしてくる。 菓子かし歴史れきし (PDF) によると、1952ねん砂糖さとう統制とうせい撤廃てっぱいから菓子かし大量たいりょう生産せいさん時代じだい昭和しょうわ30年代ねんだいからの売上うりあげ上昇じょうしょう機械きかいによる本格ほんかくてき大量たいりょう生産せいさん時代じだい、1971ねんからぜん菓子かし自由じゆうをへて菓子かしあつか企業きぎょう成長せいちょうしていった。そして昭和しょうわ50年代ねんだい以降いこう人々ひとびと健康けんこう志向しこうから現代げんだいまでは、菓子かし業界ぎょうかい健康けんこう志向しこう時代じだいであるとしている。

日本にっぽんおも製菓せいかメーカー
資本しほん売上うりあげ上位じょうい

地域ちいきべつ売上うりあげだか上位じょうい3しゃ (PDF)上記じょうきはのぞく。

  • 六花亭製菓ろっかていせいか (北海道ほっかいどう、おもな商品しょうひん:マルセイバターサンド、ストロベリーチョコ)
  • 石屋いしや製菓せいか (北海道ほっかいどう、おもな商品しょうひんしろ恋人こいびと
  • ケイシイシイ (北海道ほっかいどう、おもな商品しょうひん:LeTAO(ルタオ)、ドゥーブルフロマージュ)
  • でんろく (山形やまがたけん、おもな商品しょうひん:でんろくまめ、ポリッピー)
  • 菓匠三全かしょうさんぜん (宮城みやぎけん、おもな商品しょうひんはぎつき
  • ラグノオささき (青森あおもりけん、おもな商品しょうひん:いのち、になるリンゴ)
  • 三幸製菓みゆきせいか (新潟にいがたけん、おもな商品しょうひんゆき宿やど、ぱりんこ、チーズアーモンド)
  • シャトレーゼ (山梨やまなしけん、おもな商品しょうひん:シャトレーゼ)
  • おやつカンパニー (三重みえけん、おもな商品しょうひん:ベビースター、ブタメン)
  • ユーハイム (兵庫ひょうごけん、おもな商品しょうひん:ユーハイム、バウムクーヘン)
  • カバヤ食品かばやしょくひん (岡山おかやまけん、おもな商品しょうひん:ゴールドチョコレート、ジューC)
  • 壽製菓ことぶきせいか (鳥取とっとりけん、おもな商品しょうひん因幡いなばはくうさぎ)
  • 源吉兆庵みなもときっちょうあん (岡山おかやまけん、おもな商品しょうひん宗家そうけ げん 吉兆きっちょうあん
  • あわしまどう (愛媛えひめけん、おもな商品しょうひん:どらやき、カステラ)
  • ルナ物産ぶっさん (愛媛えひめけん、おもな商品しょうひん:OEM商品しょうひん(チルドデザートなど)
  • ハタダ (愛媛えひめけん、おもな商品しょうひん:ハタダぐりタルト、ぐりタルト)
  • 森田もりたあられ (福岡ふくおかけん、おもな商品しょうひんもちきちもちのおまつり)
  • さかえ (福岡ふくおかけん、おもな商品しょうひん:さかえ、なんばん往来おうらい
  • 明月めいげつどう (福岡ふくおかけん、おもな商品しょうひん博多はかたどおりもん)
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販売はんばい[編集へんしゅう]

日本にっぽんでは1959ねん昭和しょうわ34ねん)に回転かいてんする什器じゅうき「Gram(グラム)」による菓子かしはかりが名鉄百貨店めいてつひゃっかてんはじめて導入どうにゅうされ全国ぜんこくのデパートなどにひろまっていった[5]

菓子かし健康けんこう[編集へんしゅう]

英国えいこく[編集へんしゅう]

イギリスでは16さい以下いか対象たいしょうとするテレビ番組ばんぐみジャンクフードのコマーシャルは放送ほうそうできない[6]。2007ねん、イギリス政府せいふは、合成ごうせい保存ほぞんりょう安息香あんそくこうさんナトリウムと合成ごうせい着色ちゃくしょくりょうはいった食品しょくひんが、子供こども注意ちゅうい欠陥けっかんどうせい障害しょうがい(ADHD)をこすという研究けんきゅう結果けっかけて、ドリンクやお菓子かしにそれらがはいったものがおおいとして注意ちゅういうなが[7]、2008ねん4がつ英国えいこく食品しょくひん基準きじゅんちょう(FSA)は注意ちゅうい欠陥けっかんどうせい障害しょうがい関連かんれんうたがわれる合成ごうせい着色ちゃくしょくりょう6種類しゅるいについて2009ねんまつまでにメーカーが自主じしゅ規制きせいするよう勧告かんこくした[8]。ガーディアンによれば、この政府せいふ勧告かんこくによる自主じしゅ規制きせいまえに、大手おおてメーカーは2008ねんちゅうにもそれらの食品しょくひん添加てんかぶつ除去じょきょする[9]自主じしゅ規制きせい対象たいしょうタール色素しきそは、赤色あかいろ40ごう赤色あかいろ102ごうカルモイシン黄色おうしょく4ごう黄色おうしょく5ごうキノリンイエローである。

2008ねん3がつ、これをけて、欧州おうしゅう食品しょくひん安全あんぜんちょう(EFSA)は、イギリスでの研究けんきゅう結果けっかは1にちあたりの摂取せっしゅ許容きょようりょう(ADI)の変更へんこうにのための基準きじゅんにはできないと報告ほうこくした[10]。しかし、4がつイギリスはふたた排除はいじょすべきだと勧告かんこくおこな[8]、8がつには欧州おうしゅう摂取せっしゅりょう見直みなおしをはじめこれらの合成ごうせい着色ちゃくしょくりょうふく飲食いんしょくひんに「注意ちゅうい欠陥けっかんどうせい障害しょうがい影響えいきょうするかもしれない」という警告けいこく表示ひょうじがされることになると報道ほうどうされた[9]

米国べいこく[編集へんしゅう]

アメリカ医学いがく研究所けんきゅうじょ (IOM) は、子供こどもをターゲットとしたこうカロリーで栄養えいようとぼしい食品しょくひんのコマーシャルが、肥満ひまん関連かんれんしているとし、自主じしゅ規制きせいないし政府せいふ介入かいにゅうもとめた[11]。シカゴ大学だいがくは、18さい未満みまんをターゲットにしたコマーシャルの90%以上いじょう栄養えいようとぼしい食品しょくひんでありしょく嗜好しこう影響えいきょうあたえると報告ほうこくした[12]。マクドナルドやペプシコなど11のおおきな業者ぎょうしゃが、12さい以下いか子供こどもにはジャンクフードの広告こうこくをやめることで合意ごういした[13]

日本にっぽん[編集へんしゅう]

関連かんれんした政策せいさくとしては、厚生省こうせいしょうによる21世紀せいきにおける国民こくみん健康けんこうづくり運動うんどうにおいて、病気びょうき予防よぼうするために目標もくひょう設定せっていして目標もくひょう達成たっせい目指めざ運動うんどうおこなっているが、甘味あまみりょうとく砂糖さとう虫歯むしばう蝕)を発生はっせいさせるとして、甘味あまみりょうかんする正確せいかく知識ちしき普及ふきゅう甘味あまみ食品しょくひん飲料いんりょう間食かんしょく摂取せっしゅ回数かいすう減少げんしょう目標もくひょうとしている[14]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ "菓子かし". デジタル大辞泉だいじせん. コトバンクより2021ねん3がつ30にち閲覧えつらん
  2. ^ 3.営業えいぎょうぜい国税こくぜい移管いかん平成へいせい17年度ねんど特別とくべつ展示てんじ税務大学校ぜいむだいがっこう国税庁こくぜいちょう
  3. ^ まずいお菓子かし追放ついほうしん規格きかく登場とうじょう昭和しょうわ16ねん9がつ16にち 朝日新聞あさひしんぶん夕刊ゆうかん))『昭和しょうわニュース辞典じてんだい7かん 昭和しょうわ14ねん-昭和しょうわ16ねん』p157 昭和しょうわニュース事典じてん編纂へんさん委員いいんかい 毎日まいにちコミュニケーションズかん 1994ねん
  4. ^ a b c d e 計量けいりょうほうにおける商品しょうひん量目りょうめ制度せいどQ&Aしゅう”. 経済けいざい産業さんぎょうしょう産業さんぎょう技術ぎじゅつ環境かんきょうきょく計量けいりょう行政ぎょうせいしつ. 2022ねん3がつ2にち閲覧えつらん
  5. ^ 名鉄百貨店めいてつひゃっかてんむかしなつかしい「回転かいてんする菓子かしはかり ナナちゃんグッズも一緒いっしょまわ”. 名駅めいえき経済けいざい新聞しんぶん. 2022ねん3がつ2にち閲覧えつらん
  6. ^ Junk food ad crackdown announced (BBC NEWS, 17 November 2006)
  7. ^ Agency revises advice on certain artificial colours 英語えいご (Food Standards Agency)
  8. ^ a b Board discusses colours advice (Food Standards Agency, Friday 11 April 2008)
  9. ^ a b EU plans warning labels on artificial colours (The Guardian, August 11 2008)
  10. ^ Assessment of the results of the study by McCann et al. (2007) on the effect of some colours and sodium benzoate on children’s behaviour - Scientific Opinion of the Panel on Food Additives, Flavourings, Processing Aids and Food Contact Materials (AFC)英語えいご (European Food Safety Authority, 14 March 2008)
  11. ^ Food Marketing to Children and Youth: Threat or Opportunity? (Institute of medicine)
  12. ^ 米国べいこくどもたちの肥満ひまんは、「健康けんこうわる食品しょくひんのCM」にさらされているから? (AFPBB News、2007ねん09がつ08にち 10:16)
  13. ^ Limiting Ads of Junk Food to Children (New York Times, July 18, 2007)
  14. ^ 健康けんこう日本にっぽん21とは - 各論かくろん - 健康けんこう21世紀せいきにおける国民こくみん健康けんこうづくり運動うんどう

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • プロスペル・モンタニェちょ『ラルース料理りょうり百科ひゃっか事典じてん 4』三洋さんよう出版しゅっぱん貿易ぼうえき
  • W・J・ファンスへん つじ静雄しずおやく現代げんだい洋菓子ようがし全書ぜんしょ三洋さんよう出版しゅっぱん貿易ぼうえき
  • しめ木林きばやし太郎たろうちょ菓子かし文化ぶんか光琳こうりん書院しょいん
  • 池田いけだぶん菴編ちょ日本にっぽん洋菓子ようがし日本にっぽん洋菓子ようがし協会きょうかい
  • 静雄しずおちょ『フランス料理りょうりきずいたひとびと』鎌倉かまくら書房しょぼう ISBN 4-308-00107-2
  • 吉田よしだ菊次郎きくじろうちょ洋菓子ようがし事典じてん主婦しゅふ友社ともしゃ ISBN 4-07-933424-9
  • 吉田よしだ菊次郎きくじろうちょ洋菓子ようがし世界せかい製菓せいか実験じっけんしゃ
  • 中山なかやま時子ときこ監修かんしゅう中国ちゅうごくしょく文化ぶんか事典じてん角川書店かどかわしょてん ISBN 4-04-040300-2 C3577
  • 小林こばやし彰夫あきお編集へんしゅう菓子かし事典じてん朝倉書店あさくらしょてん ISBN 4-254-43063-9
  • 西山にしやま松之助まつのすけほかちょ『たべもの日本にっぽん総覧そうらん新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ ISBN 4-404-02094-5 C0021
  • 粟津あわづ則雄のりおほかちょ『カステラ文化ぶんか全書ぜんしょ平凡社へいぼんしゃ ISBN 4-582-82892-2
  • 伊藤いとうひろし監修かんしゅう砂糖さとう文化ぶんか日本人にっぽんじん砂糖さとう八坂やさか書房しょぼう 2008 ISBN 9784896949223

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]