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たけろくてら

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たけろくてら
総門そうもん
所在地しょざいち 〒771-4262 徳島とくしまけん徳島とくしま丈六じょうろくまちたけりょう32
位置いち 北緯ほくい340ふん18.8びょう 東経とうけい13433ふん3.4びょう / 北緯ほくい34.005222 東経とうけい134.550944 / 34.005222; 134.550944座標ざひょう: 北緯ほくい340ふん18.8びょう 東経とうけい13433ふん3.4びょう / 北緯ほくい34.005222 東経とうけい134.550944 / 34.005222; 134.550944
山号さんごう みず麟山
院号いんごう 慈雲じうんいん
宗派しゅうは 曹洞宗そうとうしゅう
本尊ほんぞん 釈迦如来しゃかにょらい本堂ほんどう)、聖観音しょうかんのん観音堂かんのんどう
創建そうけんねん つてしろ元年がんねん650ねん
中興ちゅうこうねん ちょうとおる延徳えんとく年間ねんかんごろ1487ねん - 1491ねん
中興ちゅうこう 細川ほそかわ成之しげゆき金岡かなおかようけん開山かいさん
正式せいしきめい みず麟山 慈雲じうんいん たけろくてら
別称べっしょう 阿波あわ法隆寺ほうりゅうじ
札所ふだしょとう 阿波あわ秩父ちちぶ観音かんのん霊場れいじょう24ばん
文化財ぶんかざい 三門さんもん本堂ほんどうせい観世音菩薩かんぜおんぼさつ坐像ざぞうほか(重要じゅうよう文化財ぶんかざい
書院しょいんとくくもいんけん指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい
法人ほうじん番号ばんごう 5480005001024 ウィキデータを編集
丈六寺の位置(徳島県内)
丈六寺
たけろくてら
徳島市
徳島とくしま
徳島とくしまけんにおける位置いち
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たけろくてら(じょうろくじ)は徳島とくしまけん徳島とくしま丈六じょうろくまちたけりょう所在しょざいする曹洞宗そうとうしゅう寺院じいん正式せいしきにはみず麟山 慈雲じうんいん たけろくてらという。

本尊ほんぞん釈迦如来しゃかにょらい本堂ほんどう)とせい観世音菩薩かんぜおんぼさつ観音堂かんのんどう[1]寺号じごうたけろくほとけ[2]観音かんのんぞう安置あんちすることに由来ゆらいする。

徳島とくしま県内けんない寺院じいんなかでは文化財ぶんかざいおお阿波あわ法隆寺ほうりゅうじともばれる。阿波あわ秩父ちちぶ観音かんのん霊場れいじょうだい24ばん札所ふだしょ

歴史れきし

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てらでんによれば、てら歴史れきししろ元年がんねん650ねん)に関東かんとう地方ちほうよりたどりいた尼僧にそうが、このあんかまえたことにはじまるとつたえられている。室町むろまち時代ときよ中期ちゅうきちょうとおる延徳えんとく年間ねんかんごろ1487ねん1491ねん)、阿波あわこく三河みかわこく讃岐さぬきこく守護しゅご大名だいみょう細川ほそかわ成之しげゆき金岡かなおかようけん招聘しょうへい宗派しゅうは曹洞宗そうとうしゅうあらためて中興ちゅうこう開山かいさんし、伽藍がらん整備せいびした。

江戸えど時代じだいになると、徳島とくしまはん蜂須賀はちすか歴代れきだい藩主はんしゅ庇護ひご寺院じいん整備せいびした。

境内けいだいには細川ほそかわ成之しげゆきもちたかし真之まさゆきはかがある。また、蜂須賀はちすか家重いえしげしんはかおおく、家老がろう稲田いなだ山田やまだ中老ちゅうろう里見さとみ生駒いこま奉行ぶぎょうとうはかられる。

天井てんじょう伝説でんせつ

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天井てんじょう

戦国せんごく時代じだい土佐とさ戦国せんごく大名だいみょう長宗我部ちょうそかべ元親もとちか阿波あわこくんだ。那賀なかぐんまではいったさい、ここをおさめるうし岐城富岡とみおかじょうあるじ新開しんかい入道にゅうどう道善どうぜん新開しんかいとお江守えもり忠之ただゆき)は勇猛ゆうもうられておりめあぐねた。もとおや一計いっけいあんじ、和議わぎもうれた。天正てんしょう9ねん10月16にち新暦しんれき1581ねん11月12にち)、道善どうぜんたけろくてら酒宴しゅえんひらいた。和議わぎ条件じょうけんとして、道善どうぜんたい四国しこく統一とういつのち富岡とみおか城主じょうしゅ地位ちい確保かくほ勝浦かちうらぐんあたえるというあんしめした。好条件こうじょうけん道善どうぜん主従しゅうじゅうおおいに満足まんぞくし、酒宴しゅえんがった。道善どうぜん主従しゅうじゅうが、夕刻ゆうこくうたげしてかえろうと縁側えんがわたところを、かくれていたもとおや家臣かしん襲撃しゅうげきされた。道善どうぜん主従しゅうじゅう応戦おうせんしたが、多勢たぜい無勢ぶぜい全員ぜんいん殺害さつがいされた。このとき手形てがた足形あしがた血痕けっこんは、ぬぐってもえなかったとわれる。

現在げんざい、このえんいたとくくもいんまえ回廊かいろう天井板てんじょういたとしてもちいられており、手形てがた足形あしがた血痕けっこんらしきあかかたちみとめられる。

境内けいだい

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境内けいだい
境内けいだい
  • 総門そうもんいちもん):高麗こうらいもん
  • 中門ちゅうもんもん
  • 鐘楼しゅろうはかまこし型式けいしき
  • 三門さんもん
  • 本堂ほんどう本尊ほんぞん釈迦如来しゃかにょらい
  • 書院しょいん本堂ほんどう背後はいごにある。
  • とくくもいん
  • 僧堂そうどう
  • 鐘楼しゅろう:吹放し型式けいしき
  • 経蔵きょうぞう大蔵経だいぞうきょうがある。
  • 茶室ちゃしつ
  • 遍照へんじょうあん観音かんのん僧堂そうどううしろにあるしょうどう
  • 観音堂かんのんどう聖観音しょうかんのんぞうまつる。
  • 墓石はかいしぐん境内けいだい背後はいご点在てんざい

勝浦川かつうらがわ沿いの県道けんどう212ごうわきにある総門そうもんからはいると中門ちゅうもんがあり、そのみぎ鐘楼しゅろうがある。すすむと三門さんもんがあり、建物たてもの回廊かいろうくちじょうかこまれた境内けいだい三門さんもんにして、正面しょうめん本堂ほんどう、そのうら書院しょいん右側みぎがわとくくもいん左側ひだりがわ手前てまえから僧堂そうどう経蔵きょうぞうちゃどうならぶ。たけろくサイズの聖観音しょうかんのん坐像ざぞう鎮座ちんざする観音堂かんのんどうは、僧堂そうどう経蔵きょうぞうあいだからひだりおくはいって最深さいしんにひっそりとある。

  • 宝物ほうもつかん細川ほそかわ成之しげゆき肖像しょうぞう聖観音しょうかんのんぞう胎内たいないふつなどを収蔵しゅうぞう

文化財ぶんかざい

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重要じゅうよう文化財ぶんかざい
  • 三門さんもん建築けんちく年代ねんだいしょうだが室町むろまち時代じだい末期まっきとされている[3]徳島とくしまけん最古さいこ建造けんぞうぶつである。さんあいださんかいじゅうもん入母屋いりもやづくりほん瓦葺かわらぶき東面とうめん[3]昭和しょうわ32ねん(1957ねん解体かいたい修理しゅうりされた。昭和しょうわ28ねん(1953ねん)3がつ31にち指定してい
  • 本堂ほんどう入母屋いりもやづくりたんそうほん瓦葺かわらぶき。寛永かんえい6ねん1629ねん)、蜂須賀はちすか家政いえまさむすめたつひめ戸田とだ忠光ただみつつま供養くようのために方丈ほうじょう再建さいけん寄進きしんした。明治めいじ時代じだい本尊ほんぞんとして釈迦如来しゃかにょらい安置あんちしたため本堂ほんどうばれるようになった。昭和しょうわ28ねん(1953ねん)3がつ31にち指定してい
  • 観音堂かんのんどう普門閣ふもんかくともばれる。よせとうづくりじゅう仏堂ぶつどう上層じょうそう下層かそうの2つの屋根やねをもつ仏堂ぶつどう)。戦国せんごく時代じだいえいろく10ねん1567ねん)、細川ほそかわ真之まさゆきにより建立こんりゅうされた。現存げんそんする建物たてもの江戸えど時代じだい初期しょき慶安けいあん元年がんねん1648ねん)の建立こんりゅうで、昭和しょうわ32ねん(1957ねん)に解体かいたい修理しゅうりされた。昭和しょうわ28ねん(1953ねん)3がつ31にち指定してい
  • 経蔵きょうぞう とうさつ5まいえいろく10ねん(1567ねん)、細川ほそかわ真之まさゆきにより僧堂そうどう座禅ざぜんどう)として建立こんりゅうされた。現存げんそんする建物たてもの寛永かんえい21ねん(1644ねん)の再建さいけんで、江戸えど時代じだい中期ちゅうきとおる12ねん(1727ねん)に経蔵きょうぞうあらためられた。なかには八角はっかくぞう安置あんちされ、みちやまばん大蔵経だいぞうきょうおさめられている。平成へいせい10ねん(1998ねん)12月25にち指定してい[4][5]
  • 木造もくぞう聖観音しょうかんのん坐像ざぞう平安へいあん時代じだい末期まっきさくとされる。ていあさ様式ようしき仏像ぶつぞうで、ぞうだか3.1m。曹洞宗そうとうしゅう改宗かいしゅう以前いぜんからのこの寺院じいん本尊ほんぞんである。修理しゅうり発見はっけんされた胎内たいないぼとけ寺内てらうち宝物ほうもつかん安置あんちされている。明治めいじ44ねん(1911ねん)8がつ9にち指定してい
  • 絹本けんぽんちょしょく細川ほそかわ成之しげゆきぞうたて74cm、よこ31.1cm、室町むろまち中期ちゅうきさく昭和しょうわ42ねん(1967ねん)6がつ15にち指定してい
徳島とくしまけん指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい
  • とくくもいん とうさつ1まい元々もともと細川ほそかわもちたかし瑠璃るり殿どのとして寄進きしんし、えいろく6ねん1563ねん)に細川ほそかわ真之まさゆき改築かいちく自身じしん法名ほうみょうであるとくくもいん改称かいしょうした。明治めいじ25ねん(1892ねん)より明治めいじ29ねん(1896ねん)の5年間ねんかん多家良たから(たから)高等こうとう小学校しょうがっこう開設かいせつされた。また、大正たいしょう5ねん(1916ねん)より昭和しょうわ5ねん(1930ねん)まで、徳島とくしまけん仏教ぶっきょうかい徳島とくしまけんはつとなる阿波あわ養老ようろういん開設かいせつした。昭和しょうわ34ねん(1959ねん)6がつ12にち指定してい
  • 書院しょいん とうさつ1まい昭和しょうわ34ねん(1959ねん)6がつ12にち指定してい
徳島とくしま指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい
大蔵経だいぞうきょう
  • 大蔵経だいぞうきょう経蔵きょうぞうおさめられている。1616ねんあきら出版しゅっぱんされた、みちやまばん一切経いっさいきょうで1968さつ所蔵しょぞうされている。昭和しょうわ47ねん(1972ねん)8がつ24にち指定してい
  • くもばん平成へいせい6ねん(1994ねん)2がつ2にち指定してい
徳島とくしまけん指定してい史跡しせき
  • たけろくてら昭和しょうわ34ねん(1959ねん)6がつ12にち指定してい

歴代れきだい住職じゅうしょく

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たけろくてら墓石はかいしぐん

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墓石はかいしぐん
正徳しょうとくいんはか

たけろくてらには、以下いか人物じんぶつほうむられている。

多数たすう

秋葉神社あきばじんじゃ

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秋葉神社あきばじんじゃ

とうてら背後はいごやまにあり、とうてら鎮守ちんじゅしゃ拝殿はいでん本殿ほんでんほこら)からなり、てつはしわたる。観音堂かんのんどううしろからと、県道けんどうからのあがぐちがある。秋葉あきはさんしゃくぼうまつっていて、とうてら火事かじからまもっており、せの神様かみさまとしてのご利益りやくがある。この秋葉あきば権現ごんげんもっとふるく、全国ぜんこく秋葉あきば権現ごんげん発祥はっしょうであるとここではわれている。

前後ぜんご札所ふだしょ

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阿波あわ秩父ちちぶ観音かんのん霊場れいじょう
23 観音かんのんあん ---- 24 たけろくてら ---- 25 慈光寺じこうじ

アクセス

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  • 境内けいだいへの入山にゅうざんこころざし納金のうきん300えんをセルフでもとめている。
  • JR徳島とくしまえきより徳島とくしまバス八多はた』・『たき』・『大久保おおくぼきでやく30ふんたけろくきたバス停ばすてい下車げしゃ徒歩とほ5ふん
  • JR徳島とくしまえきより徳島とくしまバス『丈六じょうろく寺南てらみなみきでやく30ふん丈六じょうろく寺南てらみなみバス停ばすてい下車げしゃ徒歩とほ3ふん

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 全国ぜんこく寺院じいん名鑑めいかん 中国ちゅうごく四国しこく九州きゅうしゅう海外かいがい』(史学しがくセンター、1969)には、本尊ほんぞんは「釈迦牟尼しゃかむに せい観世音菩薩かんぜおんぼさつ」とある。
  2. ^ ふつ身長しんちょういちたけろくしゃくやく4.8メートル)あったとの伝承でんしょうにより、立像りつぞう法量ほうりょう4.8メートル、坐像ざぞうではその半分はんぶんの2.4メートルのぞうたけろくほとけしょうする。
  3. ^ a b 米山よねやま いさむ増上寺ぞうじょうじさん解脱げだつもん建立こんりゅう年代ねんだいかんするいち考察こうさつ」『東京とうきょう江戸えど東京とうきょう博物館はくぶつかん紀要きようだい3ごう東京とうきょう江戸えど東京とうきょう博物館はくぶつかん、2013ねん3がつ、1-15ぺーじ 
  4. ^ しん指定してい文化財ぶんかざい」『月刊げっかん文化財ぶんかざい』424、だいいち法規ほうき、1999
  5. ^ 現地げんち案内あんないばん説明せつめいには「江戸えど時代じだい中期ちゅうきとおる12ねん(1727ねん)に奥行おくゆきをいちあいだやく1.8m)縮小しゅくしょうし、あいだやく3.6m)後方こうほう移動いどうした」とあるが、重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定してい文化庁ぶんかちょう説明せつめいには「改造かいぞうはほとんどなくきゅうじょう維持いじしている」とある。
  6. ^ 金岡かなおかようけん禅師ぜんじでん(2021ねん5がつ12にち閲覧えつらん
  7. ^ たけ六寺歴代住職継席・示寂じじゃく年表ねんぴょう」による。

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 徳島とくしま学会がっかい/へん新版しんぱん 徳島とくしまけん歴史れきし散歩さんぽ山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ、1995ねん、154-156ページ

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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