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日本航空 - Wikipedia

日本航空にほんこうくう

日本にっぽん東京とうきょう品川しながわにある航空こうくう会社かいしゃ

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株式会社かぶしきがいしゃ日本航空にほんこうくうインターナショナル(にほんこうくうインターナショナル、英語えいご表記ひょうきJapan Airlines International Co.,Ltd.)は、日本にっぽん航空こうくう会社かいしゃ株式会社かぶしきがいしゃ日本航空にほんこうくう持株もちかぶ会社かいしゃ)の完全かんぜん子会社こがいしゃであり、日本にっぽん最大さいだい航空こうくう会社かいしゃである。2006ねん現在げんざいアジアで1世界せかいで10規模きぼほこ航空こうくう会社かいしゃである[1]

日本航空にほんこうくうインターナショナル
Japan Airlines International Co.,Ltd.
IATA
JL
ICAO
JAL
コールサイン
JAPANAIR
法人ほうじん番号ばんごう 7010701007666 ウィキデータを編集
設立せつりつ 1951ねん
ハブ空港くうこう 成田なりた国際こくさい空港くうこう
東京とうきょう国際こくさい空港くうこう
関西国際空港かんさいこくさいくうこう
大阪国際空港おおさかこくさいくうこう
焦点しょうてん空港くうこう 中部ちゅうぶ国際こくさい空港くうこう
福岡空港ふくおかくうこう
しん千歳空港ちとせくうこう
マイレージサービス JALマイレージバンク
会員かいいんラウンジ サクララウンジ
航空こうくう連合れんごう ワンワールド
親会社おやがいしゃ 株式会社かぶしきがいしゃ日本航空にほんこうくう
保有ほゆう機材きざいすう 232
就航しゅうこう 125都市とし
本拠地ほんきょち 東京とうきょう品川しながわ
代表だいひょうしゃ 西松にしまつはるか
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JALグループ再編さいへん一環いっかんとして2004ねん日本航空にほんこうくう株式会社かぶしきがいしゃから社名しゃめい変更へんこう国際線こくさいせん担当たんとう会社かいしゃとして発足ほっそくしたが(社名しゃめいはその再編さいへん構想こうそうによる名残なごりである)、のち国内線こくないせん担当たんとう日本航空にほんこうくうジャパン合併がっぺいしたことにより、JAL便びん運行うんこう単一たんいつ事業じぎょう会社かいしゃとなった。グループを代表だいひょうする中核ちゅうかく事業じぎょう会社かいしゃとして、一般いっぱんには持株もちかぶ会社かいしゃ同様どうよう日本航空にほんこうくう日航にっこうJAL(ジャル)と通称つうしょうされることがおおい。

歴史れきし

設立せつりつ

1945ねん8がつだい世界せかい大戦たいせんにおける日本にっぽん敗戦はいせん日本にっぽん占領せんりょうたった連合れんごう国軍こくぐん最高さいこう司令しれいかんそう司令しれい(GHQ)によって、ただちに官民かんみんわずすべての日本にっぽん国籍こくせき航空機こうくうき運航うんこう停止ていしされた。しかし、1950ねん6がつにGHQにより日本にっぽん航空こうくう会社かいしゃによる運行うんこう禁止きんし期間きかん解除かいじょ決定けっていくだされことをけて、1951ねん1がつ国内こくない航空こうくう運送うんそう事業じぎょう免許めんきょ取得しゅとく目指めざして「日本航空にほんこうくう創立そうりつ準備じゅんび事務所じむしょ」が開設かいせつされた。

 
ダグラスDC-3(同型どうけい

どう時期じきほかにも4しゃ国内こくない航空こうくう運送うんそう事業じぎょう免許めんきょ申請しんせい意向いこうせたが、行政ぎょうせい指導しどうにより、もっと具体ぐたいせいたか運送うんそう事業じぎょうあん提示ていじしていた日本航空にほんこうくう最終さいしゅうてき一本いっぽんされ、同年どうねん3がつ国内こくない航空こうくう運送うんそう事業じぎょう免許めんきょ申請しんせい。その2ヶ月かげつ同年どうねん5がつ営業えいぎょう免許めんきょ取得しゅとくしたことをけて、同年どうねん8がつに「日本航空にほんこうくう株式会社かぶしきがいしゃ」として設立せつりつされた[2]

日本にっぽん政府せいふ主導しゅどうによる半官半民はんかんはんみん体制たいせいで、設立せつりつ当初とうしょ本社ほんしゃ東京とうきょう中央ちゅうおう銀座ぎんざ現在げんざい銀座ぎんざ日航にっこうホテルがある場所ばしょ)にかれ、資本しほんきんは1おくえんであった[3]。なお、この時点じてんにおいてはあくまで定期ていき運行うんこう開始かいしため準備じゅんび期間きかんであり、まだしゃ有機ゆうきは1もない状況じょうきょうであったため社員しゃいん代表だいひょう取締役とりしまりやく会長かいちょう藤山ふじやま愛一郎あいいちろう以下いかわずか39めいであった。

その定期ていき運航うんこう開始かいしけて、まず同年どうねん8がつ27から29にちにかけてフィリピン航空こうくうからチャーターしたダグラスDC-3かたで、運航うんこう関係かんけいしゃ報道ほうどう関係かんけいしゃ対象たいしょうにした試験しけん招待しょうたい飛行ひこう実施じっししたほか、9月には羽田空港はねだくうこう大阪おおさか福岡ふくおか札幌さっぽろなどの当初とうしょ就航しゅうこう予定よてい支所ししょ出張所しゅっちょうしょ開設かいせつした。

定期ていき旅客りょかく運航うんこう開始かいし

 
マーチン2-0-2「もくせいごう」と客室きゃくしつ乗務じょうむいん
ファイル:Comet 1.jpg
DH106 コメット

10月25にちには、戦後せんごはつ国内こくない民間みんかん航空こうくう定期ていき便びんとしてアメリカスウエスト航空すうえすとこうくうから乗員じょういんとともにリースしたマーチン2-0-2かた「もくせいごう」で羽田空港はねだくうこう-伊丹空港いたみくうこう-板付いたづけ空港くうこうあいだ定期ていき旅客りょかく運航うんこう開始かいしした。その11がつ1にちより正規せいきダイヤの運航うんこううつり、羽田空港はねだくうこう-千歳空港ちとせくうこうあいだ運航うんこう開始かいしするとともに、より大型おおがたダグラスDC-4Bかたスウエスト航空すうえすとこうくうからリースした。

運行うんこう開始かいしには社員しゃいんすうが162めいえたものの、当初とうしょ国内線こくないせん運航うんこうのみで、しかも当時とうじ日本にっぽんれていたきゅう連合れんごうこく陣営じんえい外国がいこく航空こうくう会社かいしゃ5しゃによる共同きょうどう設立せつりつ会社かいしゃであるJDAC(Japan Domestic Airline Company)との運航うんこう委託いたく条件じょうけんとした営業えいぎょう免許めんきょだったこともあり、JDACの1しゃであるスウエスト航空すうえすとこうくう機材きざい運航うんこう乗務じょうむいんによる委託いたく運航うんこうという体制たいせいだった。しかしよく1952ねん4がつに、ノースウェスト航空こうくう乗務じょうむいん運航うんこうしていたマーチン2-0-2がたもくせいごう」が伊豆いず大島おおしま墜落ついらく事故じここしたこともあり、10月にノースウェスト航空こうくうとの運航うんこう委託いたく契約けいやくれるのをって、あらたに購入こうにゅうしたダグラスDC-4Bかたによって自社じしゃ運航うんこう機材きざい自社じしゃ運航うんこう乗務じょうむいんによる自主じしゅ運航うんこう開始かいしした。

また、これに先立さきだ同年どうねん6がつには、国内こくないローカルせんようイギリスせい近距離きんきょりプロペラデハビランド DH.114 ヘロンかた発注はっちゅうしたほか、7がつには、本格ほんかくてき国際線こくさいせん運航うんこうけて、英国えいこく海外かいがい航空こうくうパンアメリカン航空こうくうカナダ太平洋たいへいよう航空こうくうなどの各国かっこくのライバル各社かくしゃつづき、1952ねん英国えいこく海外かいがい航空こうくうによって就航しゅうこうしたばかりのイギリスせいさい新鋭しんえいジェット旅客機りょかくきであるデハビランドDH106 コメットかた最新さいしんがたであるコメットIIを2発注はっちゅうした。さらに9がつにはダグラスDC-4Bかたわる国際線こくさいせん主力しゅりょくとして、DC-4Bを大型おおがた客室きゃくしつあずかあつしたダグラスDC-6Bかた相次あいついで発注はっちゅうした。

しかしDH.114 ヘロンはよく1953ねん8がつ公布こうふ施行しこうされた日本航空にほんこうくう株式会社かぶしきがいしゃほう(なお、「日本航空にほんこうくう株式会社かぶしきがいしゃほう」の公布こうふもとづき、同年どうねん10がつにはあたらしい「日本航空にほんこうくう株式会社かぶしきがいしゃ」が誕生たんじょうした)の規定きていにより、日本航空にほんこうくう運航うんこう路線ろせん国際線こくさいせんおよび国内こくない幹線かんせんのみに限定げんていされることとなったため、自社じしゃ運行うんこう乗務じょうむいん訓練くんれんよう使用しようしたのち1954ねん2がつから8がつにかけて日本にっぽんヘリコプター(現在げんざい全日空ぜんにっくう)に賃貸ちんたいし、その同社どうしゃ売却ばいきゃくすることになった。また、さき発注はっちゅうしたコメットIIも、その設計せっけいミスにより空中くうちゅう分解ぶんかいする連続れんぞく事故じここし運航うんこう停止ていしとなったため、そのおおくの航空こうくう会社かいしゃ同様どうよう発注はっちゅうをキャンセルした。

国際線こくさいせん運行うんこう開始かいし

 
ダグラスDC-6がた同型どうけい

1953ねん11月には同社どうしゃはつで、だい世界せかい大戦たいせん日本にっぽん航空こうくう会社かいしゃとしてもはつ国際線こくさいせんとなる東京とうきょう羽田空港はねだくうこう) - ホノルル - サンフランシスコせん運航うんこうを、昨年さくねん発注はっちゅうしたダグラスDC-6Bかたによって開始かいしした。さらに翌年よくねんには当時とうじアメリカをはじめとする連合れんごう国軍こくぐん占領せんりょうにあり、「国際線こくさいせんあつかいであった沖縄おきなわせん羽田空港はねだくうこう-那覇空港なはくうこうあいだ)の運航うんこう開始かいしした。

運航うんこう開始かいし当初とうしょは、新鋭しんえいそろえしかも長年ながねん実績じっせきがあり信頼しんらいせいたかパンアメリカン航空こうくうやノースウェスト航空こうくう英国えいこく海外かいがい航空こうくうなどのしょ外国がいこく航空こうくう会社かいしゃとの競争きょうそう苦戦くせんしたものの、1954ねん2がつにはIATA決定けっていによりこれまでのファーストクラスわせてエコノミークラス設置せっち許可きょかされたうえニューヨークサンパウロ香港ほんこん台北たいぺいなど世界せかい主要しゅよう都市とし相次あいついで支所ししょ営業えいぎょうしょ開設かいせつし、海外かいがいでの営業えいぎょう強化きょうかするなどの地道じみち営業えいぎょう努力どりょくむすび、その1955ねんには国際線こくさいせん国内線こくないせんとも黒字くろじてんじた。また、あらたな国際線こくさいせん機材きざいとして当時とうじさい新鋭しんえい機種きしゅであったダグラスDC-7Cかた導入どうにゅうしたほか整備せいびやグランドハンドリングの子会社こがいしゃ次々つぎつぎ設立せつりつするなど自社じしゃ整備せいび体制たいせい充実じゅうじつさせ、しょ外国がいこく航空こうくう会社かいしゃとの競争きょうそう対抗たいこうしてゆくこととなる[4]

なお、機材きざいラインナップや整備せいび体制たいせい充実じゅうじつ企業きぎょうとしての体制たいせいととのったこのころより、皇族こうぞく首相しゅしょう閣僚かくりょう海外かいがい公式こうしき訪問ほうもん国内こくない移動いどうさい日本航空にほんこうくう特別とくべつ頻繁ひんぱん使用しようされることになり、1954ねん8がつには、北海道ほっかいどうひらかれた国民こくみん体育たいいく大会たいかい開会かいかいしきから帰京ききょうする昭和しょうわ天皇てんのうこうじゅん皇后こうごうのために、はつ皇族こうぞく特別とくべつ千歳空港ちとせくうこう-羽田空港はねだくうこうあいだ運航うんこうされた。これは天皇てんのうとして史上しじょうはつ飛行機ひこうきによる移動いどうであった[5]。なお、これ以降いこう日本にっぽん航空機こうくうきによる皇族こうぞく政府せいふ首脳しゅのうけの特別とくべつ運行うんこうされたうえ1992ねんにボーイング747-400がた2日本国にっぽんこく政府せいふ専用せんようとして導入どうにゅうされて以降いこう度々たびたび運航うんこうされている。

 
ボーイング707がた同型どうけい

1955ねん12月には、さきにキャンセルしたデハビランド・DH106 コメットIIがたわるジェット旅客機りょかくきとして、当時とうじアメリカのボーイングしゃ開発かいはつすすめていたボーイング707かたと、ダグラスしゃ開発かいはつすすめていたDC-8がたの2機種きしゅ選択せんたく様々さまざま条件じょうけんくらべた結果けっか過去かこ導入どうにゅう実績じっせきのあるダグラスしゃのDC-8がた4導入どうにゅう正式せいしき決定けっていした。なお、当時とうじ日本航空にほんこうくうおよび日本にっぽん政府せいふ外貨がいか準備じゅんびだかがまだまだひくかったこともあり、その購入こうにゅう資金しきんの4ぶんの3はアメリカ輸出入ゆしゅつにゅう銀行ぎんこうとダグラスしゃからの借款しゃっかんによって調達ちょうたつした。

なお、太平洋たいへいよう横断おうだん路線ろせんにおける最大さいだいのライバルであるパンアメリカン航空こうくう一足早ひとあしはやく、1959ねん9月にボーイング707-120がた太平洋たいへいよう横断おうだん路線ろせん東京とうきょう-サンフランシスコせん)に投入とうにゅう所要しょよう時間じかん大幅おおはば短縮たんしゅくしたうえ、1便びんたりの旅客りょかくすう大幅おおはば増加ぞうかさせたものの、日本航空にほんこうくうよく1960ねん7がつまでダグラスDC-8が納入のうにゅうされなかったことから、おおくの乗客じょうきゃくをパンアメリカン航空こうくううばわれ営業えいぎょうてきだい打撃だげきけてしまった[6]

1960年代ねんだい

 
ダグラスDC-8がたきゅう々々塗装とそう
 
3導入どうにゅう予定よていされていたコンコルド想像そうぞう模型もけい
 
ツポレフTu-114がた

しかし1960ねん8がつには、先月せんげつ受領じゅりょうしたダグラスDC-8-32がた太平洋たいへいよう路線ろせん投入とうにゅうしたことから、急速きゅうそく太平洋たいへいよう路線ろせん乗客じょうきゃくすう回復かいふくした。そのもダグラスDC-8シリーズの増強ぞうきょうつづけ、よく1961ねん6がつには、これまではエールフランス航空こうくうとの共同きょうどう運営うんえいだった北回きたまわりヨーロッパせん自社じしゃ運航うんこう同機どうき開始かいしし、アンカレジ経由けいゆで(ノルウェーボードーでのテクニカルランディングをおこな場合ばあいもあった)パリロンドンコペンハーゲンへのれを開始かいしした。これ以降いこう、アジアやヨーロッパ、アメリカ各地かくち中心ちゅうしんとした国際線こくさいせん国内こくない幹線かんせん中心ちゅうしん急速きゅうそく規模きぼ拡大かくだいし、あわせて就航しゅうこうふくめた世界せかい各国かっこく支店してんもう展開てんかいしていく。また、日本にっぽん高度こうど経済けいざい成長せいちょうともな国内こくない国際こくさい航空こうくう貨物かもつ急増きゅうぞう対応たいおうしてダグラスDC-7FやダグラスDC-8Fなどの貨物かもつ専用せんよう次々つぎつぎ導入どうにゅうし、その路線ろせんもう拡充かくじゅうしていった。

同時どうじに、1960年代ねんだい日本にっぽん高度こうど経済けいざい成長せいちょうによる国内外こくないがい路線ろせんにおけるビジネス旅客りょかく増加ぞうか東京とうきょうオリンピック開催かいさいによる海外かいがいからの来日らいにちきゃく増加ぞうか新幹線しんかんせん開通かいつう全日空ぜんにっくう日本にっぽん国内こくない航空こうくうなどによる国内線こくないせん競争きょうそう激化げきか1964ねん予定よていされた海外かいがい渡航とこう制限せいげん解除かいじょともな海外かいがい旅行りょこう自由じゆうによる旅行りょこうきゃく増加ぞうか先駆さきがけて、1961ねん9月には中距離ちゅうきょりようジェット機じぇっときコンベア880受領じゅりょう東南とうなんアジアせん南回みなみまわりヨーロッパせん相次あいついで投入とうにゅうしたほか日本にっぽんはじめての国内線こくないせんジェット便びんとして羽田はた - 千歳ちとせあいだ投入とうにゅうした。その1964ねん1がつにはボーイング727発注はっちゅう翌年よくねん7がつ受領じゅりょう国内線こくないせん投入とうにゅうした。

1964ねん6がつには、アメリカ連邦れんぽう航空局こうくうきょく開発かいはつおこなっていたちょう音速おんそく旅客機りょかくきの「US SST」(開発かいはつ会社かいしゃはこの時点じてんでは未定みてい)を5かり発注はっちゅうしたほかよく1965ねんにはエールフランス航空こうくうやパンアメリカン航空こうくうなどのライバル各社かくしゃとともに、先行せんこうして開発かいはつすすんでいたちょう音速おんそく旅客機りょかくきのBAC-シュド・アビアシオンコンコルドを3かり発注はっちゅうした。その1966ねんに「US SST」の開発かいはつ会社かいしゃボーイング決定けっていし、機種きしゅめいが「ボーイング2707」に決定けっていしたことをけ3追加ついかかり発注はっちゅうし、両機りょうきともに1970年代ねんだい前半ぜんはん就航しゅうこうはかったものの、両機りょうき開発かいはつ大幅おおはばおくれたうえに、ちょう音速おんそく飛行ひこうともな衝撃波しょうげきは離着陸りちゃくりく騒音そうおんなどのちょう音速おんそく旅客機りょかくき特有とくゆう公害こうがい問題もんだい存在そんざいあきらかになったこともあり、そのおおくの航空こうくう会社かいしゃ同様どうよう両機りょうき発注はっちゅうをキャンセルした[7](なお、ボーイング2707はその開発かいはつ計画けいかく自体じたいがキャンセルされた)。

1965ねん1がつには、1964ねん海外かいがい渡航とこう制限せいげん解除かいじょともない、日本にっぽんはつ海外かいがいパックツアーブランドである「ジャルパック」を発売はつばいし、高度こうど経済けいざい成長せいちょう以降いこう日本にっぽんにおける海外かいがい旅行りょこう増大ぞうだい後押あとおししていくことになる。さらに1967ねんにはアジアの航空こうくう会社かいしゃとしてはつ世界せかい一周いっしゅう路線ろせん実現じつげんし、同時どうじに、ニューヨーク-ロンドンあいだ大西おおにしひろし横断おうだん路線ろせん開設かいせつしたほか航続こうぞく距離きょり増大ぞうだいしたダグラスDC-8スーパー62の導入どうにゅうともない、東京とうきょう-サンフランシスコあいだ太平洋たいへいよう着陸ちゃくりく横断おうだん路線ろせんシベリア上空じょうくう経由けいゆのヨーロッパ直行ちょっこう便びんモスクワ経由けいゆ開設かいせつ当初とうしょアエロフロートとの共同きょうどう運航うんこうで、同社どうしゃツポレフTu-114日本航空にほんこうくう運航うんこう乗務じょうむいん客室きゃくしつ乗務じょうむいん同乗どうじょうした)を開設かいせつする。また、当時とうじ民間みんかんとしては世界せかい最大さいだい座席ざせきすうほこったダグラスDC-8スーパー61を導入どうにゅう近距離きんきょり国際線こくさいせん国内こくない幹線かんせん導入どうにゅうするなど、名実めいじつともに世界せかい有数ゆうすう規模きぼ航空こうくう会社かいしゃとなる。

1967ねんにはアメリカ占領せんりょう沖縄おきなわにて、地元じもと資本しほんとの合弁ごうべんにより沖縄諸島おきなわしょとうむす地域ちいき航空こうくう会社かいしゃとして南西なんせい航空こうくう現在げんざい日本にっぽんトランスオーシャン航空こうくう)を設立せつりつし、その1972ねん実現じつげんされる沖縄おきなわ返還へんかん沖縄おきなわ諸島しょとう民間みんかん航空こうくう発展はってんそなえることになる。1969ねんには日本にっぽん国内こくない航空こうくうから日本にっぽん航空機こうくうき製造せいぞうYS-11かた1をウエットリース(乗員じょういんみのリース)し、福岡ふくおか-釜山ぷさんせん投入とうにゅうやく1年間ねんかん運航うんこうした。これは唯一ゆいいつ日本にっぽん航空こうくう会社かいしゃによるYS-11がたでの国際線こくさいせん運航うんこうとなった。

1970年代ねんだい

ファイル:MyPhotoJalAE05.jpg
ボーイング747がた

1970ねん7がつには当時とうじさい新鋭しんえいである大型おおがたジェット機じぇっときボーイング747就航しゅうこうさせ、これにわせてしん塗装とそう(いわゆる「初代しょだい鶴丸つるまる塗装とそう」)とあたらしい客室きゃくしつ乗務じょうむいん制服せいふく導入どうにゅうした。また、これに先立さきだ同年どうねん3がつには、国際線こくさいせんじょう顧客こきゃくけの会員かいいん組織そしきであるJALグローバルクラブ発足ほっそくさせたほか、1974ねん10がつには、ボーイング747のエコノミークラスの一部いちぶ普通ふつう運賃うんちん個人こじん旅客りょかく専用せんようエリアとする、現在げんざいエグゼクティブクラス先駆さきがけである「タチバナ・エグゼクティブ・キャビン・サービス」を導入どうにゅうするなど、あたらしいサービスを次々つぎつぎ導入どうにゅうすることにより、増加ぞうかつづける国際線こくさいせんじょう顧客こきゃくのさらなるみをおこなった。同年どうねんには系列けいれつホテルの開発かいはつ運営うんえいおこな日本航空にほんこうくう開発かいはつ設立せつりつされ、ジャカルタの「プレジデントホテル」の運営うんえい受託じゅたくや、パリの「ニッコー・ド・パリ」の運営うんえい皮切かわきりに海外かいがいにおけるホテル運営うんえい開始かいしする。

あわせてこのころより、高度こうど経済けいざい成長せいちょう以降いこう海外かいがい旅行りょこう大衆たいしゅうや、1970年代ねんだい前半ぜんはん実施じっしされた日本円にほんえんアメリカドルあいだ変動へんどう相場そうばせい導入どうにゅう以降いこうえんだかなどによる地方ちほうはつ海外かいがい旅行りょこうしゃ増加ぞうかともない、大阪おおさか名古屋なごや福岡ふくおかなどの地方ちほう空港くうこう発着はっちゃく国際線こくさいせん路線ろせんもう充実じゅうじつしていく。しかし、1960年代ねんだい後半こうはんからこのころにかけての急激きゅうげき事業じぎょう拡大かくだい路線ろせんが、1972ねんニューデリーモスクワなどにおける一連いちれん連続れんぞく事故じこまねいたと批判ひはんもある[8]。また、1970年代ねんだい前半ぜんはんから中盤ちゅうばんにかけてすうかいわたり、当時とうじ各国かっこく積極せっきょくてきテロ活動かつどうおこなっていた日本にっぽん赤軍せきぐんなどの左翼さよく過激かげきによるハイジャック標的ひょうてきになったほかオイルショックによる原油げんゆ価格かかく高騰こうとうによる燃料ねんりょう高騰こうとうと、世界せかいてききょう影響えいきょういちてき経営けいえい打撃だげきけた。

 
日本アジア航空にほんあじあこうくうのマクドネル・ダグラスDC-10がた
 
成田なりた国際こくさい空港くうこう開港かいこう日本航空にほんこうくう使用しようしていただい1ターミナル

また、1970ねん閣議かくぎ了解りょうかいけた1972ねん7がつ運輸うんゆ大臣だいじん通達つうたつにより、日本航空にほんこうくう国際線こくさいせん国内こくない幹線かんせんを、全日空ぜんにっくう国内こくない幹線かんせんカル線かるせん近距離きんきょりチャーターせんを、東亜とうあ国内こくない航空こうくう国内こくないカル線かるせんおも運航うんこうするようさだめられた。このあらたな産業さんぎょう保護ほご政策せいさくは、「45/47体制たいせい」または「航空こうくう憲法けんぽう」とばれ、以後いご日本航空にほんこうくうふく航空こうくう3しゃはこれにしたが経営けいえいすすめていくことになる。これによって国内こくないカル線かるせんへの参入さんにゅう見送みおくられたものの、1973ねん10月にはさき導入どうにゅうしたボーイング747の日本にっぽん国内こくない路線ろせん専用せんよう機材きざい「SR」を国内こくない幹線かんせん大量たいりょう導入どうにゅうしたほか最大さいだいで300せきえる座席ざせきすう大型おおがたワイドボディマクドネル・ダグラスDC-10導入どうにゅうすすめるなど、国内線こくないせんにおける大量たいりょう輸送ゆそう時代じだい他社たしゃ先駆さきが牽引けんいんしてゆくこととなる。

なお、1972ねん9がつ日本にっぽん中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこくとの国交こっこう樹立じゅりつ(と中華民国ちゅうかみんこくとの国交こっこう断絶だんぜつ)にともない、のちに「ロッキード事件じけん」で逮捕たいほされることになる田中たなか角栄かくえい首相しゅしょうきもいりで締結ていけつされた「にちちゅう航空こうくう協定きょうてい[9] うちに、「中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこくれする航空こうくう会社かいしゃ中華民国ちゅうかみんこくれてはならない」むね条文じょうぶん中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく政府せいふんだことにより中華民国ちゅうかみんこく政府せいふ日本にっぽんとの航空こうくう路線ろせん断絶だんぜつさせた[10]のをけて1974ねん4がつ廃止はいしされた中華民国ちゅうかみんこく路線ろせん運行うんこうするために、1975ねん8がつべつ会社かいしゃ日本アジア航空にほんあじあこうくう設立せつりつされ、同年どうねん9がつより同社どうしゃ移管いかんされたダグラスDC-8-53により運航うんこう開始かいしされた。すうのダグラスDC-8がって移管いかんされ、以後いご2008ねん4がつまで35ねん以上いじょうちょうきにわたり、日本航空にほんこうくうグループの中華民国ちゅうかみんこくへの路線ろせん日本アジア航空にほんあじあこうくう運航うんこうすることになる(日本航空にほんこうくう機材きざい日本航空にほんこうくう日本アジア航空にほんあじあこうくう共通きょうつう運行うんこう機材きざいでも運航うんこうしていた)。なおこれ以降いこう日本航空にほんこうくうグループは、中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく主唱しゅしょう日本にっぽん政府せいふ追従ついしょうする「1つの中国ちゅうごく政策せいさく追従ついしょうして、中華民国ちゅうかみんこくをその正式せいしき国名こくめいではなく「台湾たいわん」とんでいる。

1978ねん5月には千葉ちばけん成田なりたしん東京とうきょう国際こくさい空港くうこう現在げんざい名称めいしょう成田なりた国際こくさい空港くうこう)が開港かいこうし、このしん空港くうこうだいいち号機ごうきとして日本航空にほんこうくう(JALカーゴ)のダグラスDC-8−55F貨物かもつ着陸ちゃくりくする。これ以降いこう、これまで羽田空港はねだくうこう発着はっちゃくしていたすべての日本航空にほんこうくう日本アジア航空にほんあじあこうくう国際線こくさいせんしん空港くうこううつり、あわせて日本航空にほんこうくうあらたなハブ空港くうこうとして機能きのうさせるべく、各種かくしゅ整備せいび設備せつび国際線こくさいせんオペレイションセンター、貨物かもつ施設しせつなどももうけられたほか同月どうげつには空港くうこう周辺しゅうへんにホテル日航にっこう成田なりた開業かいぎょうした。

1980年代ねんだい

1980年代ねんだいはいり、好調こうちょう日本にっぽん経済けいざい状況じょうきょうによりえんだかすすんだことや、国際線こくさいせんにおける競争きょうそう激化げきかしたことにともない、航空こうくう運賃うんちんがったことなどから日本人にっぽんじん海外かいがい渡航とこう飛躍ひやくてき増加ぞうかした。これに対応たいおうしてボーイング747の最新さいしんがたである-300(SUD)とどう-300SRの追加ついか発注はっちゅう相次あいついでおこない、ボーイング747の世界せかい最大さいだいのカスタマーとなった。また、1980ねん9月には日本にっぽん航空こうくう会社かいしゃとしてははじめてのビジネスクラス「エグゼクティブクラス」の導入どうにゅうおこなったほか1983ねん7がつにはボーイング747-200LR「エグゼクティブ・エクスプレス」により、これまではパンアメリカン航空こうくうのボーイング747SPしか運航うんこうしていなかった東京とうきょう-ニューヨークあいだ着陸ちゃくりく直行ちょっこう便びん運航うんこう開始かいし1985ねんにはどう路線ろせん世界せかいはつのファーストクラスとビジネスクラスのみの機材きざい就航しゅうこうさせるほか1982ねんには、航空こうくう会社かいしゃ発行はっこうするクレジットカードとしては日本にっぽんはつの「JALカード」をテスト発行はっこうし、翌年よくねん4がつからは全国ぜんこくでの発行はっこうおこなうなど、収益しゅうえきりつたかいビジネス旅客りょかくみをすすめた。

 
ボーイング767がた

これらの積極せっきょくてき経営けいえい拡充かくじゅうけて、1984ねんIATA発表はっぴょうした1983年度ねんど世界せかい民間みんかん航空こうくう会社かいしゃ輸送ゆそう実績じっせき統計とうけいでは、旅客りょかく貨物かもつふくめた国際線こくさいせん定期ていき輸送ゆそう実績じっせきで、長年ながねんライバル関係かんけいにあったパンアメリカン航空こうくうやブリティッシュ・エアウェイズ、エールフランス航空こうくうなどの各国かっこくのフラッグ・キャリアを上回うわまわ世界せかいだい1になった[11]。しかし一方いっぽうで、1982ねんには機長きちょう故意こい墜落ついらくさせた日本航空にほんこうくう羽田はたおき墜落ついらく事故じこ(日本航空にほんこうくう350便びん墜落ついらく事故じこ)が発生はっせい。さらに1985ねん8がつには、単独たんどく事故じことしては世界せかい最大さいだい犠牲ぎせいしゃすう(520めい)をした日本航空にほんこうくう123便びん墜落ついらく事故じこ発生はっせいし、これによる利用りようきゃく減少げんしょう補償ほしょう経費けいひ増加ぞうかなどによって業績ぎょうせき極度きょくど悪化あっかした。

なお、このとしに「45/47体制たいせい」が廃止はいしされて国内こくないカル線かるせんへの就航しゅうこう可能かのうになったことにより、これまで全日本空輸ぜんにほんくうゆ東亜とうあ国内こくない航空こうくう独擅場どくせんじょうで、日本航空にほんこうくうには幹線かんせん一部いちぶじゅん幹線かんせん運行うんこうしかゆるされていなかった国内線こくないせん路線ろせんもうも、こう収益しゅうえき見込みこめる羽田空港はねだくうこうはつ路線ろせん中心ちゅうしん飛躍ひやくてき拡大かくだいされ、同年どうねん8がつには国内線こくないせん近距離きんきょり国際線こくさいせんよう新型しんがた機材きざいであるボーイング767かたなどの新規しんき導入どうにゅうや、当時とうじ世界せかい最大さいだい客席きゃくせきすうほこり、日本航空にほんこうくうのみが運航うんこうしていたボーイング747-300SRの追加ついか導入どうにゅうおこないこれに対応たいおうすることになった。しかし同時どうじに、これまで国内線こくないせん国際線こくさいせんチャちゃ便びん運行うんこうだけしかできなかった全日本空輸ぜんにほんくうゆ東亜とうあ国内こくない航空こうくうなどの後発こうはつ航空こうくう会社かいしゃにも国際線こくさいせん参入さんにゅうへのみちひらかれたことで、さらに日本にっぽんはつ国際線こくさいせんにおける価格かかく競争きょうそうすすむことになる。

 
ボーイング747-400がた

また、日本にっぽん経済けいざいさらなる国際こくさいプラザ合意ごういえんだか進行しんこうともな海外かいがい渡航とこうしゃすう増加ぞうかすることに対応たいおうするとして、1980年代ねんだい中盤ちゅうばん以降いこうに、系列けいれつ会社かいしゃ日航にっこう開発かいはつげんJALホテルズ)により、ニューヨーク(エセックスハウス)やメキシコシティホテル・ニッコー・メキシコ)、バンコクビバリーヒルズなど世界せかい各地かくち急速きゅうそく自社じしゃホテルもうきずかれていったほか大阪おおさか福岡ふくおか沖縄おきなわ北海道ほっかいどうなど国内こくないにもホテルもう拡大かくだいしていく。

なお、1951ねん設立せつりつからながらく半官半民はんかんはんみんという経営けいえい体系たいけいであったが、「45/47体制たいせい廃止はいしの1985ねん9がつには、当時とうじ中曽根なかそね康弘やすひろ首相しゅしょうすすめる国営こくえい企業きぎょう特殊とくしゅ法人ほうじん民営みんえい推進すいしん政策せいさくけて完全かんぜん民営みんえい方針ほうしんし、その準備じゅんび期間きかんをへて1987ねん11月に完全かんぜん民営みんえいされた。民営みんえいには上記じょうきのホテル事業じぎょうなどにくわえて教育きょういく事業じぎょうIT事業じぎょうレストラン事業じぎょう出版しゅっぱん事業じぎょう子会社こがいしゃ次々つぎつぎ設立せつりつするなど、事業じぎょう多角たかくすすんだ。またこのころ、ボーイング747の最新さいしんがたである747-400がた大量たいりょう発注はっちゅうおこなったほか、ボーイング767がた納入のうにゅうすすんだことなどをけて、同年どうねん12がつって長年ながねん同社どうしゃ主力しゅりょくとして運行うんこうされていたダグラスDC-8がた最後さいごまでのこったのはDC-8-61がた)がぜん退役たいえきした。

1990年代ねんだい

 
「リゾッチャカラー」のJALウェイズのボーイング747-300がた
 
マクドネル・ダグラスMD-11がた

1980年代ねんだい後半こうはんからはじまったバブル景気けいきがピークにたっした1990ねんには、さき発注はっちゅうしたさい新鋭しんえいのボーイング747-400がた導入どうにゅうすると同時どうじに、しん塗装とそう新型しんがたビジネスクラスを導入どうにゅうした。しかしその1991ねん1がつ湾岸わんがん戦争せんそう勃発ぼっぱつともな海外かいがい渡航とこうしゃ減少げんしょう燃料ねんりょう高騰こうとう同年どうねんのバブル景気けいき崩壊ほうかい。1980年代ねんだい以降いこう日航にっこう開発かいはつによる海外かいがいホテルなどへの無理むり投資とうしや、燃料ねんりょう先物さきもの取引とりひき失敗しっぱいなどの経営けいえい判断はんだんのミス。過激かげき労働ろうどう組合くみあい活動かつどう後押あとおしされた人件じんけん高騰こうとうなどの様々さまざま悪条件あくじょうけんかさなり、1992ねん決算けっさんでは538おくえんという巨額きょがく経常けいじょう損失そんしつ計上けいじょう経営けいえい不振ふしんおちいった。

しかし、国内外こくないがいのホテルをはじめとする不動産ふどうさんなどの余剰よじょう資産しさん売却ばいきゃく共同きょうどう運航うんこう便びんコードシェア便びん増加ぞうか契約けいやくせい客室きゃくしつ乗務じょうむいん制度せいど導入どうにゅうなどによる人件じんけん削減さくげん半官半民はんかんはんみん時代じだい国策こくさく運行うんこうさせられていた中東ちゅうとう路線ろせん南回みなみまわりヨーロッパせんなどの採算さいさん路線ろせん廃止はいしJALウェイズJALエクスプレスなどのていコスト運行うんこうおこな子会社こがいしゃ設立せつりつ収益しゅうえきせいひく路線ろせん運航うんこう移管いかんするなどのリストラおこなったうえ1994ねんにはホノルル沖縄おきなわオーストラリアなどのリゾート路線ろせんけにリゾッチャなどのキャンペーンを導入どうにゅう個人こじん旅行りょこうきゃくみに成功せいこうしたほかえんだかによる海外かいがい渡航とこうしゃ回復かいふくなどのかぜ後押あとおしされて、1990年代ねんだい中半なかばには経営けいえいじょうきょう急激きゅうげき回復かいふくする。

業績ぎょうせき順調じゅんちょう推移すいいしていく反面はんめん1998ねん8がつには、暴力団ぼうりょくだんけい総会そうかい関連かんれん企業きぎょうに「観葉かんよう植物しょくぶつのリースりょう名目めいもくすうせんまんえん利益りえき供与きょうよおこなっていたとしてもと役員やくいんらが起訴きそされるなどうら社会しゃかいとの関係かんけいあきらかになり、急遽きゅうきょ企業きぎょう行動こうどう点検てんけん委員いいんかい設置せっちされた。しかし同年どうねんにも、自社じしゃ株主かぶぬし優待ゆうたいけん金券きんけんショップ換金かんきんし、総会そうかい対策たいさく裏金うらがね捻出ひねりだしていたことが東京とうきょう国税局こくぜいきょく税務ぜいむ調査ちょうさ発覚はっかくするなど構造こうぞうてき腐敗ふはい体質たいしつあきらかになり、以降いこう企業きぎょうコンプライアンス改善かいぜん注力ちゅうりょくしてゆくこととなる。

また、国内外こくないがいにおける顧客こきゃく獲得かくとく競争きょうそう激化げきか対応たいおうして、1995ねん6がつには日本にっぽん航空こうくう会社かいしゃとしてはつウェブサイト開設かいせつし、1996ねん7がつには国内線こくないせんの、1997ねん1がつには国際線こくさいせんのオンラインやくサービスを開始かいししたほか、マクドネル・ダグラスMD-11かたはたボーイング777かたなどのさい新鋭しんえい導入どうにゅうおこなった。また、新型しんがたビジネスクラス「SEASONS」の導入どうにゅうやエコノミークラスへのパーソナルテレビ導入どうにゅう。1980年代ねんだいより導入どうにゅうしていたマイレージプログラムの本格ほんかく展開てんかい国際線こくさいせん正規せいき割引わりびき運賃うんちん導入どうにゅうなど、順調じゅんちょう業績ぎょうせき競争きょうそう激化げきかけて新規しんきサービスを導入どうにゅうしてゆく。

2000年代ねんだい

 
日本航空にほんこうくう日本にほんエアシステムのハイブリッド塗装とそうほどこされたエアバスA300-600Rかた

その2000年代ねんだいはいってからも業績ぎょうせき順調じゅんちょう推移すいいしていたものの、無謀むぼうともいえる国際線こくさいせん拡充かくじゅう同業どうぎょう他社たしゃくらたか給与きゅうよなどの放漫ほうまん経営けいえいによる多額たがく累積るいせき赤字あかじかかえていたうえに、2001ねん9月に発生はっせいしたアメリカ同時どうじ多発たはつテロ以降いこう深刻しんこく経営けいえい不振ふしんおちいっていた日本航空にほんこうくうだが、国内線こくないせん大手おおて日本にほんエアシステム(日本航空にほんこうくうジャパン)と、2002ねん合併がっぺい前提ぜんていとした経営けいえい統合とうごうおこなってからは大幅おおはば経営けいえい体系たいけいわり、その以下いかかたち経営けいえい統合とうごう合併がっぺいすすめられた。

  • 2002ねん10がつ - 日本航空にほんこうくう現在げんざい日本航空にほんこうくうインターナショナル)と日本にほんエアシステムが株式かぶしき移転いてんし、持株もちかぶ会社かいしゃ設立せつりつ日本航空にほんこうくうシステム:JALS)。
  • 2004ねん4がつ〜6月 - 日本航空にほんこうくう便びん日本にほんエアシステム便びんを、日本航空にほんこうくう便びん統合とうごうおよび、これを反映はんえいした商号しょうごう変更へんこう日本航空にほんこうくう日本航空にほんこうくうインターナショナル、日本にほんエアシステム→日本航空にほんこうくうジャパン、日本航空にほんこうくうシステム→日本航空にほんこうくう)。
  • 2006ねん10がつ - 日本航空にほんこうくうインターナショナル(きゅう日本航空にほんこうくう)による日本航空にほんこうくうジャパン(きゅう日本にほんエアシステム)のとの合併がっぺい

現在げんざい持株もちかぶ会社かいしゃである株式会社かぶしきがいしゃ日本航空にほんこうくう傘下さんかとして、日本航空にほんこうくうグループの中核ちゅうかくをなす航空こうくう会社かいしゃという立場たちばになった。なお、経営けいえい統合とうごう初期しょき計画けいかくでは、貨物かもつ事業じぎょう国際こくさい国内こくないとも)を「日本航空にほんこうくうカーゴ」として分社ぶんしゃする予定よていだったが、航空こうくう協定きょうていじょう問題もんだいがあることが判明はんめいしたため、日本航空にほんこうくうインターナショナルの事業じぎょうとした。

 
JALワンワールド・デザイン(JA8941)
 
そらのエコ」特別とくべつ塗装とそうのボーイング777-200がた

当初とうしょは、日本にほんエアシステムとの経営けいえい統合とうごうとそれにつづ同社どうしゃ合併がっぺいによって、国内線こくないせんもう強化きょうか余剰よじょう資産しさん売却ばいきゃくなどによる収益しゅうえき構造こうぞう強化きょうか安定あんてい見込みこまれたものの、合併がっぺい以降いこう社内しゃない対立たいりつによるサービスじょう混乱こんらんや、航空機こうくうき整備せいび不良ふりょうなどの相次あいつ不祥事ふしょうじともなきゃくばなれをこしたうえに、「親方おやかたまるてき体質たいしつ日本航空にほんこうくうこうコスト、てい効率こうりつ体制たいせい経営けいえい統合とうごうもそのまま維持いじつづけたことや、イラク戦争せんそう以降いこう航空こうくう燃料ねんりょう高騰こうとうSARSうずなどのマイナス要因よういんかさなり急速きゅうそく業績ぎょうせき悪化あっかまねいた。

このため、「聖域せいいきなきコスト削減さくげんおこなう」との合言葉あいことばもとに、日本にほんエアシステムとの経営けいえい統合とうごう同社どうしゃとの合併がっぺいともな余剰よじょう人員じんいん機材きざい削減さくげん地方ちほう発着はっちゃく路線ろせんやリゾート路線ろせんなどの採算さいさん路線ろせん統廃合とうはいごう乱立らんりつする労働ろうどう組合くみあい対策たいさく総合そうごうしょく客室きゃくしつ乗務じょうむいん給与きゅうよ削減さくげんなどのだい規模きぼリストラすすめると同時どうじに、国内線こくないせん国際線こくさいせん双方そうほうにおいてあたらしい機内きないサービスの導入どうにゅうすすめた。これにあわせて、日本にっぽんはつ最大さいだい国際線こくさいせんネットワークをかしたうえワンワールド加盟かめいすることで国内こくない国際線こくさいせん利便りべんせいたかめるほかインドロシア中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこくなどのこう需要じゅよう路線ろせんにおける積極せっきょくてき増便ぞうびんや、各種かくしゅ割引わりびき運賃うんちん世界せかい一周いっしゅう運賃うんちん導入どうにゅうなどの顧客こきゃくれられやすい運賃うんちん体系たいけい次々つぎつぎ導入どうにゅうするなど、様々さまざましんサービスの展開てんかいすすめたことをけて、2007ねんだい3四半期しはんきには国際線こくさいせん旅客りょかくすう好調こうちょう推移すいいするなど業績ぎょうせき順調じゅんちょう推移すいいした[12]

しかしながら、日本航空にほんこうくう客室きゃくしつ乗務じょうむいん業界ぎょうかいいちわれるこう年齢ねんれい/こう賃金ちんぎんや、世界せかいてきてもたかいままのパイロット給与きゅうよ削減さくげん待遇たいぐう改定かいていが、複数ふくすう存在そんざいするはん会社かいしゃがわ労働ろうどう組合くみあい圧力あつりょくけてほとんどおこなわれていないことから、「聖域せいいきなき」との合言葉あいことばとは裏腹うらはら中途半端ちゅうとはんぱ経営けいえいじん態度たいどに、株主かぶぬし社員しゃいんから非難ひなんこえきている。

なお、2007ねん11月に日本にっぽん政府せいふ中華民国ちゅうかみんこく政府せいふ双方そうほう日本にっぽん中華民国ちゅうかみんこく路線ろせん直接ちょくせつ運航うんこうみとめることを確認かくにんしたことをけて、2008ねん4がつ1にちには、日本にっぽん-中華民国ちゅうかみんこく路線ろせん運航うんこうしていた日本航空にほんこうくうグループの1しゃである日本アジア航空にほんあじあこうくうによるどう路線ろせん運航うんこう終了しゅうりょう同社どうしゃ吸収きゅうしゅう合併がっぺいし1975ねん9がつ以来いらいやく34ねんぶりに日本航空にほんこうくうインターナショナルの運行うんこうになった。

沿革えんかく

斜体しゃたいのものは日本航空にほんこうくうジャパン=日本にほんエアシステムの事項じこうさらなる詳細しょうさい日本にほんエアシステム記事きじ参照さんしょう

  • 1951ねん昭和しょうわ26ねん8がつ1にち - だい世界せかい大戦たいせんはつ民間みんかん航空こうくう会社かいしゃとして日本航空にほんこうくう設立せつりつされる。
  • 1951ねん昭和しょうわ26ねん10月25にち - はつ路線ろせんとなる東京とうきょう-大阪おおさか-福岡ふくおかせんをマーチン202がた「もくせいごうにより開設かいせつ
  • 1952ねん昭和しょうわ27ねん10月25にち - ダグラスDC-4がたにより自主じしゅ運航うんこう開始かいし
  • 1953ねん昭和しょうわ28ねん8がつ1にち - 日本航空にほんこうくう株式会社かぶしきがいしゃほう昭和しょうわ28ねん法律ほうりつだい154ごう公布こうふ同日どうじつ施行しこう
  • 1953ねん昭和しょうわ28ねん10月1にち - 日本航空にほんこうくう株式会社かぶしきがいしゃほうもとづき、きゅう会社かいしゃ権利けんりおよ義務ぎむ承継しょうけいした特殊とくしゅ会社かいしゃ日本航空にほんこうくう株式会社かぶしきがいしゃ」を設立せつりつ
  • 1954ねん昭和しょうわ29ねん2がつ2にち - はつ国際線こくさいせんとなる東京とうきょう-ウェーキ-ホノルル-サンフランシスコせん開設かいせつ
  • 1960ねん昭和しょうわ35ねん8がつ12にち - はつジェット機じぇっときとなるダグラスDC-8-32がた1ばん「FUJI」ごう東京とうきょう-ホノルル-サンフランシスコせん就航しゅうこう
  • 1961ねん昭和しょうわ36ねん9月25にち - コンベア880かた日本にっぽんはつ国内線こくないせんジェット旅客りょかく便びんとして東京とうきょう-札幌さっぽろせん就航しゅうこう
  • 1964ねん昭和しょうわ39ねん4がつ15にち - 運輸省うんゆしょう当時とうじによる日東にっとう航空こうくう富士ふじ航空こうくうきた日本航空にほんこうくう政策せいさく合併がっぺいにより、日本にっぽん国内こくない航空こうくう(JDA)を設立せつりつ
  • 1965ねん昭和しょうわ40ねん1がつ20日はつか - 日本にっぽんはつ海外かいがいパックツアーであるジャルパックだいいちだん発売はつばい開始かいし
  • 1967ねん昭和しょうわ42ねん3月6にち - 世界せかい一周いっしゅうせん西にしまわせん東京とうきょう-香港ほんこん-バンコク-ニューデリー-テヘラン-カイロ-ローマ-フランクフルトまたはパリ-ロンドン-ニューヨーク-サンフランシスコ-ホノルル-東京とうきょう開設かいせつ翌日よくじつにはひがしまわり1ばん出発しゅっぱつ
  • 1970ねん昭和しょうわ45ねん2がつ2にち - 株式かぶしき東京とうきょう大阪おおさか名古屋なごやかく証券しょうけん取引とりひきしょだい一部いちぶ上場じょうじょう
  • 1970ねん昭和しょうわ45ねん)7がつ1にち - ボーイング747がた東京とうきょう-ホノルルせん就航しゅうこう
  • 1974ねん昭和しょうわ49ねん4がつ21にち - 日本にっぽん政府せいふによる中華民国ちゅうかみんこくとの断交だんこう処置しょちたいする中華民国ちゅうかみんこく当局とうきょくはな路線ろせん停止ていし措置そちによりにちはな路線ろせん休止きゅうしするとともに、台北たいぺいFIRない飛行ひこう中止ちゅうし
  • 1971ねん昭和しょうわ46ねん5月15にち - 日本にっぽん国内こくない航空こうくう(JDA)およ東亜とうあ航空こうくう(TAW)が合併がっぺいし、東亜とうあ国内こくない航空こうくう(TDA)となる。
  • 1975ねん昭和しょうわ50ねん8がつ8にち - 中華民国ちゅうかみんこく路線ろせん運行うんこうのための子会社こがいしゃである日本アジア航空にほんあじあこうくう株式会社かぶしきがいしゃ(JAA)設立せつりつ
  • 1978ねん昭和しょうわ53ねん5月21にち - 前日ぜんじつしん東京とうきょう国際こくさい空港くうこうげん成田なりた国際こくさい空港くうこう開港かいこうけ、開港かいこうはつ便びんであるロサンゼルスはつのダグラスDC-8貨物かもつ到着とうちゃく国際線こくさいせん東京とうきょう国際こくさい空港くうこう羽田空港はねだくうこう)からしん東京とうきょう国際こくさい空港くうこう完全かんぜん移管いかん
  • 1981ねん昭和しょうわ56ねん4がつ28にち - 日本航空にほんこうくう株式会社かぶしきがいしゃほう改正かいせいほう公布こうふ施行しこう
  • 1986ねん昭和しょうわ61ねん7がつ20日はつか - 45/47体制たいせい廃止はいしけ、はつ国内こくないカル線かるせんである東京とうきょう-鹿児島かごしません開設かいせつ
  • 1987ねん昭和しょうわ62ねん11月18にち - 日本航空にほんこうくう株式会社かぶしきがいしゃほう廃止はいしするひとし法律ほうりつ昭和しょうわ62ねん法律ほうりつだい92ごう)が施行しこうされ、日本航空にほんこうくう株式会社かぶしきがいしゃほう廃止はいし完全かんぜん民営みんえい
  • 1988ねん昭和しょうわ63ねん4がつ1にち - 東亜とうあ国内こくない航空こうくう日本にほんエアシステム(JAS)に商号しょうごう変更へんこう
  • 1991ねん平成へいせい3ねん1がつ10日とおか - ヤマト運輸やまとうんゆ日本通運にほんつううんなどとともに国内こくない貨物かもつ航空こうくう会社かいしゃ日本にっぽんユニバーサル航空こうくう設立せつりつ
  • 1992ねん平成へいせい4ねん12月6にち - しん東京とうきょう国際こくさい空港くうこうげん成田なりた国際こくさい空港くうこうだい2ターミナルの供用きょうよう開始かいしけ、使用しようターミナルおよびオペレイションセンターをだいいちターミナルきたウイングからだい2ターミナルに移管いかん
  • 1993ねん平成へいせい5ねん9月27にち- 東京とうきょう国際こくさい空港くうこう羽田空港はねだくうこう沖合おきあい展開てんかいともな西にし旅客りょかくターミナルビル(ビッグバード)の供用きょうよう開始かいしけ、使用しようターミナルおよびオペレイションセンターをきゅうターミナルビルから西にし旅客りょかくターミナルビルに移管いかん
  • 1995ねん平成へいせい7ねん2がつ14にち - 契約けいやくせい客室きゃくしつ乗務じょうむいん自社じしゃ採用さいよう実施じっし発表はっぴょう
  • 1995ねん平成へいせい7ねん6月1にち - 日本にっぽん航空こうくう会社かいしゃとしてはつ自社じしゃウェブサイト開設かいせつ
  • 1996ねん平成へいせい8ねん7がつ27にち - 本社ほんしゃ東京とうきょう品川しながわ天王てんのうしゅう自社じしゃビル「JALビルディング」に移転いてん
  • 2000ねん平成へいせい12ねん4がつ1にち - 旅客りょかく販売はんばい貨物かもつ事業じぎょう整備せいびの3部門ぶもん社内しゃないカンパニーせい導入どうにゅう
  • 2002ねん平成へいせい14ねん7がつ4にち - 貨物かもつ航空こうくう連合れんごうWOW加盟かめい
  • 2002ねん平成へいせい14ねん10月2にち - 日本にほんエアシステム(日本航空にほんこうくうジャパン)経営けいえい統合とうごうし、同社どうしゃとの株式かぶしき移転いてんにより持株もちかぶ会社かいしゃ株式会社かぶしきがいしゃ日本航空にほんこうくうシステム(株式会社かぶしきがいしゃ日本航空にほんこうくう設立せつりつ日本にほんエアシステムとともにその完全かんぜん子会社こがいしゃとなる。
  • 2004ねん平成へいせい16ねん4がつ1にち - 日本航空にほんこうくう日本にほんエアシステムを、それぞれ日本航空にほんこうくうインターナショナル日本航空にほんこうくうジャパン商号しょうごう変更へんこう
  • 2004ねん平成へいせい16ねん12月1にち - 経営けいえい合理ごうりで、本社ほんしゃビル「JALビルディング」を野村不動産のむらふどうさんグループ2しゃ不動産ふどうさん証券しょうけんうえ売却ばいきゃく同社どうしゃ日本航空にほんこうくうインターナショナル名義めいぎで10年間ねんかん解約かいやく禁止きんし特約とくやくきの賃貸ちんたい契約けいやく締結ていけつ
  • 2005ねん平成へいせい17ねん10月25にち - JALグループとして国際こくさいてき航空こうくう連合れんごうである『ワンワールド』への加盟かめい方針ほうしん決定けっていした。
  • 2006ねん平成へいせい18ねん)4がつ1にち - 日本航空にほんこうくうインターナショナルを存続そんぞく会社かいしゃとして、ジャルセールスと合併がっぺい
  • 2006ねん平成へいせい18ねん)10がつ1にち - 日本航空にほんこうくうインターナショナルを存続そんぞく会社かいしゃとして、日本航空にほんこうくうジャパンを吸収きゅうしゅう合併がっぺい
  • 2007ねん平成へいせい19ねん)4がつ1にち - 日本航空にほんこうくうインターナショナル、日本アジア航空にほんあじあこうくう、JALウェイズ、JALエクスプレス、ジェイ・エア、日本にっぽんトランスオーシャン航空こうくうが『ワンワールド』に正式せいしき加盟かめい・サービス開始かいし。『ワンワールド』塗装とそう飛行機ひこうき運航うんこう
  • 2008ねん平成へいせい20ねん)4がつ1にち - 日本にっぽんアジア航空こうくう吸収きゅうしゅう合併がっぺい。これにより日本アジア航空にほんあじあこうくう運行うんこうしていた中華民国ちゅうかみんこく路線ろせん日本航空にほんこうくうインターナショナルに承継しょうけいされた。

歴代れきだい経営けいえいじん

 
日本航空にほんこうくうインターナショナル本社ほんしゃ入居にゅうきょするJALビルディング
日本航空にほんこうくう発足ほっそく以来いらいの、歴代れきだい経営けいえいじん
就任しゅうにん年月としつき 社長しゃちょうぜんしょく 会長かいちょうぜんしょく
1951ねん8がつ 柳田やなぎだ誠二せいじろう日銀にちぎんふく総裁そうさい 藤山ふじやま愛一郎あいいちろう日商にっしょう会頭かいとう
1953ねん10月 はら邦造くにぞうきゅう三井みつい財閥ざいばつ幹部かんぶ
1961ねん1がつ 松尾まつおしず麿まろ航空庁こうくうちょう長官ちょうかん  
1963ねん5月 植村うえむらかぶとうまろう経団連けいだんれんふく会長かいちょう
1969ねん5月 どう輝雄てるお日経連にっけいれん専務せんむ理事りじ
1971ねん5月 朝田あさだ静夫しずお運輸うんゆ次官じかん 松尾まつおしず麿まろ社長しゃちょう
1973ねん5月 小林こばやしなかアラビア石油あらびあせきゆ社長しゃちょう
1977ねん6がつ 植村うえむらかぶとうまろう経団連けいだんれん名誉めいよ会長かいちょう
1979ねん6がつ 堀田ほった庄三しょうぞう住友銀行すみともぎんこう会長かいちょう
1981ねん6がつ 高木たかぎようふく社長しゃちょう  
1983ねん6がつ 花村はなむらひとし八郎はちろう経団連けいだんれんふく会長かいちょう
1985ねん12月 山地やまじすすむ総務そうむ次官じかん
1986ねん6がつ 伊藤いとう淳二じゅんじ鐘紡かねぼう会長かいちょう
1988ねん6がつ 渡辺わたなべ文夫ふみお東京海上火災保険とうきょうかいじょうかさいほけん会長かいちょう
1990ねん6がつ 利光としみつ松男まつおふく社長しゃちょう
1991ねん6がつ 山地やまじすすむふく会長かいちょう
1995ねん6がつ 近藤こんどうあきら専務せんむ
1998ねん6がつ 兼子かねこいさお専務せんむ  
2004ねん4がつ 新町しんまち敏行としゆきふく社長しゃちょう 兼子かねこいさお社長しゃちょう
2006ねん6がつ 西松にしまつはるか取締役とりしまりやく  
  • 2002ねん10がつ日本航空にほんこうくう日本にほんエアシステムの経営けいえい統合とうごう以後いごは、日本航空にほんこうくうインターナショナルの経営けいえいじん
  • なお、会長かいちょうしょく空白くうはく期間きかんがある。

ロゴマーク

The Arc of the Sun太陽たいようのアーク)」

 
JALエクスプレスのボーイング737-400がた

日本航空にほんこうくう日本にほんエアシステムの経営けいえい統合とうごう制定せいていされた。JALの"A"のうえに、"ノ"のじょう円弧えんこえがかれたデザインである。2004ねん4がつ以降いこうは、機体きたい塗装とそうふくめたすべてのビジュアルイメージが統一とういつされている。

日本アジア航空にほんあじあこうくう日本にっぽんトランスオーシャン航空こうくう北海道ほっかいどうエアシステムなどの系列けいれつ会社かいしゃ統合とうごうどう時期じきロゴ変更へんこうされており、独自どくじロゴの使用しよう継続けいぞくしていた琉球りゅうきゅうエアコミューターもしん機種きしゅ導入どうにゅう契機けいきとして2007ねん4がつにJALグループのビジュアルイメージを採用さいようした。ちなみに、きゅう日本航空にほんこうくうグループのロゴはAとLのしたにグレーとあか長方形ちょうほうけいかたちったデザインであった。

これをデザインしたのはアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく大手おおてデザイン会社かいしゃランドーアソシエイツであり、1980年代ねんだい後半こうはん民営みんえい導入どうにゅうされたきゅう日本航空にほんこうくうグループのロゴも同社どうしゃによるものである。ぜん塗装とそうから、「A」のよこぼうがないデザインが継承けいしょうされている。社内しゃない一部いちぶでは「ジャノル(JAノL)」とばれている。

鶴丸つるまる

 
鶴丸つるまる」マークが尾翼びよくえがかれたマクドネル・ダグラスDC-10がた

はつジェット機じぇっときであるダグラスDC-8がた導入どうにゅうひかえた1959ねんより、つばさひろげた丹頂鶴たんちょうづるをモチーフにした円形えんけいに「JAL」のロゴがはいったマークが導入どうにゅうされ、そのデザインをあらわして「鶴丸つるまる」とばれた。このマークは機体きたい塗装とそうのみならず、制服せいふくのバッジや各種かくしゅ製作せいさくぶつ広告こうこくなどにも使用しようされ、世界せかい各国かっこくしたしまれた。また、あまりにも象徴しょうちょうてきであったため、日本航空にほんこうくう自体じたい意味いみ使つかわれることもおおかった。「鶴丸つるまる」マークが日本航空にほんこうくう商標しょうひょうとして制定せいていされたのは1959ねんのことである。

1989ねん完全かんぜん民営みんえいのちおこなわれたさん代目だいめ塗装とそうにおいては、ランドーアソシエイツしゃによるデザインの開発かいはつちゅうに「鶴丸つるまる」の廃止はいし検討けんとうされたが、結果けっかとして存続そんぞくされることになった。そのさいにサイズがそれまでの90パーセントに縮小しゅくしょうされ、「JAL」ロゴの位置いち字体じたい若干じゃっかん変更へんこうされた[13]

鶴丸つるまる」マークは、その2わた塗装とそう変更へんこうけても継続けいぞくして使用しようされたものの、日本航空にほんこうくう日本にほんエアシステムの経営けいえい統合とうごうけて2003ねん廃止はいし決定けっていされた。きゅう日本航空にほんこうくう所属しょぞくは、じゅう整備せいびさい順次じゅんじしん塗装とそうええられていたが、国際線こくさいせん2008ねん5月30にちのJL608便びん厦門あもい-成田なりた)、国内線こくないせんは5月31にちのJL138便びん伊丹いたみ-羽田はた)をもって、やくはん世紀せいきにわたる「鶴丸つるまる」は完全かんぜん消滅しょうめつした[14]。なお、「鶴丸つるまる」マークの最終さいしゅう機材きざいは、国際線こくさいせんボーイング767-300ER(JA603J)、国内線こくないせんがボーイング777-200(JA8985、スタージェット5号機ごうきプロキオンごう)であった。

塗装とそう

歴代れきだい塗装とそう

おおきくけると、

  • 初代しょだいマーチン2-0-2ほどこされた暫定ざんてい塗装とそう
  • 2代目だいめ:1952ねん自社じしゃ運航うんこうのダグラスDC-4Bかた導入どうにゅう採用さいようされた、はつ正式せいしき塗装とそうあかあおのラインをもちい、尾翼びよくには機種きしゅめいおおきくかれていた。
  • 3代目だいめ:1970ねんのボーイング747がた導入どうにゅう採用さいようされた塗装とそうあかこんのラインをまど部分ぶぶんはいし(まど部分ぶぶんにラインをく、という塗装とそう仕方しかたパンアメリカン航空こうくうをはじめ、世界せかい各国かっこく大半たいはん航空こうくう会社かいしゃ採用さいようしていた)、垂直すいちょく尾翼びよくにはおおきなあかい「鶴丸つるまる」マークがれられた。ちなみに、ちょう音速おんそく旅客機りょかくき導入どうにゅうにらんで、この塗装とそうによるコンコルド模型もけいつくられたが、実現じつげんすることはかった。
  • 4代目だいめ1989ねんのボーイング747-400がた導入どうにゅうわせて採用さいようされた2代目だいめ鶴丸つるまる塗装とそう。ホワイトボディに、ランドーアソシエイツによるロゴをおおきくはいしたもの(これも1980年代ねんだい以降いこう世界せかいてき採用さいようされるようになった塗装とそう仕方しかたである)。ロゴは、くろ文字もじで「誠実せいじつさ、堅実けんじつさ」を、あかで「える情熱じょうねつ」を、グレーで「躍動やくどうかん・スピードかん」を象徴しょうちょうしている。
  • 5代目だいめ:2002ねん日本航空にほんこうくう日本にほんエアシステムとの経営けいえい統合とうごう採用さいようされた「太陽たいようのアーク」。先代せんだいおなじくランドーアソシエイツによるデザイン。

なお、それぞれの塗装とそう導入どうにゅう以降いこうロゴや書体しょたい変更へんこう、ポリッシュドスキンバージョンの導入どうにゅうなどのほろ調整ちょうせいおこなわれているほか、アロハエクスプレスやリゾッチャ創立そうりつ50周年しゅうねん記念きねんなどの特別とくべつ塗装とそう存在そんざいしていた。

現行げんこう塗装とそうについて

 
成田なりた国際こくさい空港くうこう開港かいこう30周年しゅうねん記念きねん塗装とそうほどこされたボーイング747-400がた

現行げんこう機体きたい塗装とそうは2002ねん以降いこう新規しんき導入どうにゅう機体きたいだけでなく、きゅう日本航空にほんこうくうグループの2代目だいめ鶴丸つるまる塗装とそうや、合併がっぺいしたきゅう日本にほんエアシステムの「レインボー」塗装とそうなどがほどこされた既存きそん塗装とそうにもじゅう整備せいびさい順次じゅんじ導入どうにゅうされた。

なお、複数ふくすう種類しゅるい塗装とそうほどこされていたきゅう日本にほんエアシステムの機材きざいは、2006ねん4がつきゅう日本にっぽんエシステムのエアバスA300-B2/B4がた退役たいえきし、同年どうねんなつ売却ばいきゃくさきのアメリカへ移送いそうされたと同時どうじに、きゅう日本にほんエアシステムの塗装とそうはその歴史れきしじた。

きゅう日本航空にほんこうくう鶴丸つるまる塗装とそうほどこされた機材きざいは、2008ねん5がつ31にちもっすべ運行うんこう終了しゅうりょうしたことにより、完全かんぜん消滅しょうめつした。

また、現行げんこう塗装とそうにも「たまごっち」やワンワールド加入かにゅう記念きねんFIFAワールドカップ日本にっぽん代表だいひょうチーム(「Samurai Blue」)や「さきとくジェット」、「成田なりた国際こくさい空港くうこう開港かいこう30周年しゅうねん記念きねん」などの複数ふくすう特別とくべつ塗装とそう存在そんざいしている。

旅客りょかくサービス

機内きない搭載とうさい

機内きない

機内きないとして「SKYWARD(スカイワード)」があり、日本語にほんごだけの国内線こくないせんばんと、日本語にほんご英語えいご記事きじ併記へいき一部いちぶ案内あんないについては韓国かんこく北京ぺきん広東かんとん表記ひょうきもある)の国際線こくさいせんばん用意よういされている。なお同誌どうし一部いちぶ書店しょてんでも販売はんばいされているほか定期ていき購読こうどく可能かのうである。

国際線こくさいせん場合ばあいあわせてファーストクラスとJALグローバルクラブ会員かいいん配布はいふようの「AGORA(アゴラ)」も搭載とうさいされるほか、ファーストクラスとビジネスクラス乗客じょうきゃく無料むりょう配布はいふされる地図ちずとレストランリスト、観光かんこうやエンターテインメイント情報じょうほう記載きさいされたおも就航しゅうこう都市としのガイドブック「JAL GUIDE」も搭載とうさいされる。また、系列けいれつ会社かいしゃのJALホテルズの情報じょうほうである「ファウンテンズ」も掲載けいさいされている。なお、これらの機内きない無償むしょうかえりが可能かのうである。

雑誌ざっし

国内線こくないせん場合ばあいは、飛行ひこう時間じかんみじかいことや経費けいひ削減さくげんもあり、全日空ぜんにっくうスカイマークエア・ドゥなどの競合きょうごう他社たしゃおなじく機内きない以外いがい雑誌ざっし搭載とうさいおこなわれていない(子供こどもけの絵本えほん子供こどもけの漫画まんが単行本たんこうぼんのみ)。

国際線こくさいせん場合ばあいは、週刊文春しゅうかんぶんしゅん週刊しゅうかん新潮しんちょうなどの週刊しゅうかんほか婦人ふじんほうアンアンBRUTUSやMen`s Exなどのファッション雑誌ざっし東洋とうよう経済けいざいなどの経済けいざい、セブンシーズなどのクラスマガジンなどすうじゅう種類しゅるい雑誌ざっし搭載とうさいされている。また、タイムニューズウィークニューヨーカーヴォーグなどの英語えいごほか出発しゅっぱつ地元じもと有力ゆうりょく搭載とうさいされている。

新聞しんぶん

国内線こくないせん場合ばあい日本経済新聞にほんけいざいしんぶん産経新聞さんけいしんぶん読売新聞よみうりしんぶん朝日新聞あさひしんぶん毎日新聞まいにちしんぶんなどの全国ぜんこくと、ジャパンタイムスなどの英字えいじ、スポーツ出発しゅっぱつ地元じもと有力ゆうりょく搭載とうさいされている。国際線こくさいせん場合ばあいは、上記じょうきあわせてウォールストリート・ジャーナルフィナンシャル・タイムズなどの国際こくさい経済けいざいほか出発しゅっぱつ地元じもと言語げんご有力ゆうりょく出発しゅっぱつこく日本語にほんごなども搭載とうさいされている。

個人こじんようテレビ

現在げんざい国際線こくさいせんのほぼすべての機内きないクラスにおいて個人こじんよう液晶えきしょうテレビ設置せっちされており、ファーストクラス、ビジネスクラス、ボーイング777ぜんクラスにはオンデマンド形式けいしきによるビデオ・オーディオおよびビデオゲームプログラムを提供ていきょうしているが、ボーイング747-300のエコノミークラスや一部いちぶ機材きざいには設置せっちされていない。また国内線こくないせんでは日本にほんエアシステムが導入どうにゅうした7のボーイング777-200に個人こじんようテレビが設置せっちされている。

機内きないしょく

 
エグゼクティブクラス機内きないしょくいちれい

路線ろせん機内きないクラスによりことなる。詳細しょうさい下記かき国際線こくさいせん」、「国内線こくないせんかくらん参照さんしょう

国際線こくさいせんでは通常つうじょう機内きないしょくほかに、糖尿とうにょうびょうしょくていカロリーくえていたんぱくしょくとう特別とくべつしょくや、ヒンドゥーきょうイスラム教いすらむきょうユダヤきょうなどのための機内きないしょく用意よういされているほか、12さい以下いか子供こどもよう幼児ようじよう機内きないしょく用意よういされている。これらの特別とくべつ機内きないしょく希望きぼうする場合ばあい事前じぜん予約よやく必要ひつようである。

機内きないしょく製造せいぞうおこな系列けいれつ会社かいしゃとして、成田なりたエアポートレストハウス‎などのホテル経営けいえいおこなうティエフケーや、ティエフケーとロイヤルホールディングス共同きょうどう出資しゅっし会社かいしゃであるジャルロイヤルケータリングなどがある。

客室きゃくしつ乗務じょうむいん

国内線こくないせんには日本にっぽん採用さいよう客室きゃくしつ乗務じょうむいん日本人にっぽんじん在日ざいにち韓国かんこくじんなど)しか乗務じょうむしないものの、おおくの国際線こくさいせん路線ろせんにおいては日本にっぽん採用さいよう客室きゃくしつ乗務じょうむいんほかに、香港ほんこん採用さいよう上海しゃんはい採用さいようシンガポール採用さいようヨーロッパ採用さいようフランクフルトロンドン)、サンパウロ採用さいよう客室きゃくしつ乗務じょうむいんがおり、かく採用さいよう拠点きょてん乗務じょうむしている。なお、これらの客室きゃくしつ乗務じょうむいん日本語にほんご英語えいご訓練くんれんけているため、広東かんとん北京ぺきんポルトガルなどの現地げんち以外いがい日本語にほんご英語えいごでも会話かいわ可能かのうである。

なお、過去かこには一部いちぶ国際線こくさいせんにおいて、女性じょせい客室きゃくしつ乗務じょうむいんによる着物きもの着用ちゃくようのサービスがおこなわれており、外国がいこくじん乗客じょうきゃくからは好評こうひょうであった。しかし、経費けいひ削減さくげんと、機内きない着用ちゃくよう手間てまがかかるうえ緊急きんきゅう対応たいおう支障ししょうることにより、1980年代ねんだい後半こうはん廃止はいしされた。

子供こども玩具おもちゃ

ファイル:JAL Toy.jpg
子供こども玩具おもちゃ
 
信州しんしゅうまつもと空港くうこうのチェックインカウンター(左端ひだりはし自動じどうチェックイン

幼児ようじから小学生しょうがくせい程度ていど年齢ねんれい子供こども対象たいしょうとした子供こども玩具おもちゃ年齢ねんれい性別せいべつわせて複数ふくすう種類しゅるい用意よういされており、希望きぼうしゃには無償むしょう提供ていきょうされている。

プライオリティ・ゲスト対応たいおう

身体しんたい障害しょうがいしゃやけがひと病人びょうにんなどのために、用途ようと体格たいかくわせて5種類しゅるい用意よういされた空港くうこうよう車椅子くるまいす機内きないよう車椅子くるまいす車椅子くるまいす対応たいおう機内きないトイレ点字てんじ案内あんない簡易かんい筆談ひつだんボードや特別とくべつチェックインカウンター(成田なりた国際こくさい空港くうこう国際線こくさいせんのみ)、ストレッチャーや医療いりょうよう酸素さんそボンベなどが用意よういされている。なお、一部いちぶのサービスは事前じぜん予約よやく必要ひつようである。

チェックイン

通常つうじょう有人ゆうじんチェックインカウンターのほか、自動じどうチェックイン用意よういされている。また、通常つうじょうのエコノミークラスや国内線こくないせん普通ふつうせきようのチェックインカウンター以外いがいに、搭乗とうじょうクラスやJALカード、JALマイレージバンクの会員かいいんカテゴリーによって使用しようできる優先ゆうせんチェックインカウンターが用意よういされている。なお、優先ゆうせんチェックインカウンターの対象たいしょう旅客りょかく空港くうこう機内きないクラス、航空こうくうけん運賃うんちんカテゴリーなどによりことなる。詳細しょうさい下記かき国際線こくさいせん」、「国内線こくないせんかくらん参照さんしょう

JAL ICサービス

日航にっこうは、接触せっしょくICサービスについては後発こうはつであるにもかかわらず、他社たしゃ先立さきだち、予約よやくから搭乗とうじょういたるすべてのシーンでチケットを一切いっさい必要ひつようとしない、完全かんぜんIC搭乗とうじょうサービス(タッチ&ゴー)を実現じつげんした。スカイメイトなど、ウェブチェックインやチケットレス決済けっさいができない運賃うんちん種別しゅべつでは利用りようできないが、ほとんどの運賃うんちん種別しゅべつ利用りよう可能かのうとなっている。

しかしながら、このサービスをけるには、ウェブチェックインをはじめ、ある程度ていど知識ちしき必要ひつようである。そのため、自動じどうチェックイン発券はっけん普及ふきゅうした現在げんざいでも、直接ちょくせつ係員かかりいん対面たいめんするカウンターの利用りよう希望きぼうするものおおく、ICサービスの普及ふきゅう徹底てっていされたとはいえない状況じょうきょうである。また、IC対応たいおう携帯けいたい電話でんわによるICサービスについてはさらに設定せってい必要ひつようである。

空港くうこうラウンジ

日航にっこうは、おおくの空港くうこうにおいて、飲料いんりょう軽食けいしょく新聞しんぶん雑誌ざっしなどを無償むしょう提供ていきょうするラウンジを用意よういしている。対象たいしょうとなる旅客りょかくは、空港くうこう機内きないクラス、航空こうくうけん運賃うんちんカテゴリーなどによりことなる。詳細しょうさい後述こうじゅつ#国際線こくさいせん」、「#国内線こくないせんかくらん参照さんしょう

ホテル

 
ホテル日航にっこう東京とうきょう

日本航空にほんこうくうグループの国際線こくさいせん利用りようした場合ばあい系列けいれつ会社かいしゃJALホテルズをはじめとする国内外こくないがいの180けん以上いじょうホテル特別とくべつ料金りょうきん宿泊しゅくはくできるほか、日本航空にほんこうくうグループの便びん搭乗とうじょうしていなくてもウェブサイトをつうじて格安かくやす料金りょうきん宿泊しゅくはくできる。また、JALマイレージバンク会員かいいんはホテルマイルをためることができる。

マイレージ

日本にっぽん航空こうくう会社かいしゃとして最初さいしょはじめたマイレージサービスJALマイレージバンク(JMB)」の会員かいいんすうは、2007ねん9がつまつ現在げんざいやく2,043まんにんと、航空こうくう会社かいしゃのマイレージサービスとして国内こくない最多さいたほこる。なお、会費かいひ無料むりょうであり、ショッピングやホテルレストラン利用りようでもマイルが加算かさんされ無料むりょう航空こうくうけんやクーポンなどと交換こうかんができる。 

また2007ねん10月には、JALグループは流通りゅうつう大手おおてイオングループとマイレージにかんする提携ていけい発表はっぴょうし、イオングループの電子でんしマネーWAON」の利用りようでマイルがたまる(200えんで1JMBマイル)ようになった。また、JMB-WAON/JAL ICサービスいち体型たいけいのJMBカードやイオンJMBカードを2008ねん3月から発行はっこうしている。

JALカード

 
国内線こくないせん利用りよう手荷物てにもつ優先ゆうせん返却へんきゃくのためにされるタグ

加入かにゅうすると自動的じどうてきに「JALマイレージバンク」会員かいいんとなるクレジットカードJALカード」がある。これは、搭乗とうじょうマイルの加算かさん可能かのうなほか、月々つきづき使用しようがくおうじたマイル加算かさん機内きない販売はんばいしなの10%割引わりびき海外かいがい旅行りょこう保険ほけん自動じどう加入かにゅう機内きない送付そうふなどの特典とくてんがあるカードである。また、会員かいいん上級じょうきゅう会員かいいん組織そしきとしてJALグローバルクラブがあり、サクララウンジ使用しよう手荷物てにもつ優先ゆうせん返却へんきゃくなどの特典とくてんがある。

このほか日航にっこう発行はっこうするカードとしては、VISAダイナースクラブなどとの提携ていけいカードがある。2005ねん2がつからは、東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどう(JR東日本ひがしにっぽん)との提携ていけいによりIC内蔵ないぞうがたマイレージカードによる、インターネット携帯けいたい電話でんわでの事前じぜんチェックインや、保安ほあん検査けんさゲート・搭乗とうじょうゲートでのチケットレス搭乗とうじょう通過つうか可能かのうJAL ICサービス開始かいしされた。

また、同年どうねん5がつには、クレジット機能きのうきのJALカードにSuica機能きのう付加ふかしたJAL Suicaカード発行はっこう開始かいしした。これは、JR東日本ひがしにっぽん東京とうきょうモノレールりんかいせんおよ相互そうご利用りよう可能かのうJR西日本にしにほんひとし)において鉄道てつどうバス路線ろせん乗車じょうしゃできるほか、ショップでのものもできるというものである。なお、クレジット機能きのうなしのJALマイレージバンクカードはSuica機能きのう付加ふかされない。

国際線こくさいせん

日本にっぽん航空こうくう会社かいしゃ最大さいだい国際線こくさいせんもう

 
成田空港なりたくうこう離陸りりくするボーイング747-400
 
成田なりた国際こくさい空港くうこうだい2ターミナル
 
関西国際空港かんさいこくさいくうこう出発しゅっぱつカウンター

日本にっぽん航空こうくう会社かいしゃなかでは最大さいだい自社じしゃ運行うんこう国際線こくさいせん(グループ各社かくしゃふくむ)もう便数びんすうほこる。現在げんざい日本にっぽん航空こうくう会社かいしゃとしては唯一ゆいいつ日本にっぽんはつマレーシアクアラルンプール)やフィリピンマニラ)、インドネシアジャカルタデンパサール)、オーストラリアシドニーブリスベーン)、カナダバンクーバー)、ブラジルサンパウロ)、メキシコメキシコシティ)、イタリアローマミラノ)、ロシアモスクワ)、オランダアムステルダム)へ自社じしゃおよび子会社こがいしゃによる路線ろせん運航うんこうされている。

現在げんざいみなみアメリカとオーストラリアのりょう大陸たいりく自社じしゃ運行うんこう便びんれている唯一ゆいいつ日本にっぽん航空こうくう会社かいしゃであり、もっとおおくのアジアやきたアメリカ、ヨーロッパの都市とし自社じしゃ運行うんこう便びんれる日本にっぽん航空こうくう会社かいしゃでもある。さらにニューヨークホノルルなどの主要しゅよう都市としへの自社じしゃ運行うんこう便びん運航うんこう便数びんすう外国がいこく航空こうくう会社かいしゃふく他社たしゃくらべておおいことや、カナダのバンクーバーやハワイとうコナなど日本にっぽんほか航空こうくう会社かいしゃれていないきたアメリカのしょ都市とし自社じしゃおよび子会社こがいしゃによる路線ろせん運行うんこうしているうえおなじく日本にっぽんほか航空こうくう会社かいしゃ運航うんこうしていない関西国際空港かんさいこくさいくうこう中部ちゅうぶ国際こくさい空港くうこうはつのヨーロッパせんやアメリカせん運航うんこうしていることから[15]路線ろせんすう便数びんすうだけでなく、日本にっぽん国内こくないぎのめんでも利便りべんせいほこる。

また、上記じょうきのように自社じしゃ運行うんこう国際線こくさいせんだけでもアフリカ大陸たいりくのぞぜん大陸たいりく路線ろせんもうひろげているほか、キャセイパシフィック航空こうくうやアメリカン航空こうくうイベリア航空こうくうカンタス航空かんたすこうくうなどのワンワールド各社かくしゃや、エールフランス航空こうくうエミレーツ航空こうくうメヒカーナ航空こうくうタイ国際こくさい航空こうくう成田なりた国際こくさい空港くうこう発着はっちゃく便びんのぞく)などのワンワールド以外いがい航空こうくう会社かいしゃとのコードシェアによる他社たしゃ運航うんこう便びんふくめると、2008ねん6がつ現在げんざい国内外こくないがい34カ国かこく地域ちいき216空港くうこう運行うんこうしている[16]

そのにも、国際こくさい定期ていき便びん運航うんこうおこなっている成田なりた国際こくさい空港くうこう関西国際空港かんさいこくさいくうこう中部ちゅうぶ国際こくさい空港くうこう福岡ふくおか国際こくさい空港くうこうだけでなく、しん千歳空港ちとせくうこう鹿児島かごしま空港くうこう小松こまつ空港くうこう福岡空港ふくおかくうこうなどの地方ちほう空港くうこうからのかく方面ほうめんけた国際こくさいチャちゃ便びん頻繁ひんぱん運行うんこうしている。また近年きんねんは、ビジネスきゃくきゃく利便りべんせいはかるため東京とうきょう国際こくさい空港くうこうはつ金浦このうら国際こくさい空港くうこう上海しゃんはいにじきょう国際こくさい空港くうこう香港ほんこん国際こくさい空港くうこうへの定期ていき国際こくさいチャちゃ便びん運航うんこうおこなっている。

運賃うんちん体系たいけい

1994ねん4がつから実施じっしされたあたらしい日本にっぽんはつ国際こくさい航空こうくう運賃うんちん制度せいどにもとづき、エコノミークラスを対象たいしょうとした正規せいき国際線こくさいせん割引わりびき運賃うんちん「JAL悟空ごくう」を運輸省うんゆしょう当時とうじ)に認可にんか申請しんせいし、同月どうげつ1にちから実施じっしした。その事前じぜん購入こうにゅう割引わりびきによる複数ふくすう割引わりびき運賃うんちん導入どうにゅうしたほか、正規せいき国際線こくさいせん割引わりびき運賃うんちんをビジネスクラスにも拡大かくだいするなどサービスの拡充かくじゅうすすめている。

機内きないサービス

国際線こくさいせん機内きないサービスの特徴とくちょうとしては、ファーストクラスやエグゼクティブクラス(ビジネスクラスに相当そうとう)においては、あたらしいデザインのシートを導入どうにゅうしたファーストクラスや、エグゼクティブクラスの長距離ちょうきょり国際線こくさいせん導入どうにゅうした「シェルフラットシート」がグッドデザインしょう受賞じゅしょうした。

ほかにも、市場いちばでは入手にゅうしゅ困難こんなん日本酒にほんしゅ焼酎しょうちゅう提供ていきょう、ファーストクラスやエグゼクティブクラスにおいての炊飯すいはんによるてのごはん提供ていきょう一部いちぶ路線ろせん)、法被はっぴやナイトガウンの提供ていきょうなどのサービスを提供ていきょうしており、これらのサービスは、ファーストクラスやエグゼクティブクラスのおも顧客こきゃくそうである日本人にっぽんじんビジネスマンのみならず、海外かいがい旅行りょこう専門せんもん[17]富裕ふゆうそう雑誌ざっし[18]たか評価ひょうかているほか日本にっぽんおとずれる外国がいこくじんビジネスマンにもたか評価ひょうかている[19]

過去かこ評価ひょうか

1954ねんのサンフランシスコせん開設かいせつ以来いらい日本にっぽんのナショナルフラッグキャリアとして、おおくの要人ようじんとき有名人ゆうめいじん乗客じょうきゃくとして世界せかいへとはこび、トップレベルの航空こうくう会社かいしゃとして世界せかいにもそのらしめた。とく国際線こくさいせんにおいては和服わふくでのサービスや和食わしょく機内きないしょく提供ていきょう和室わしつふう空港くうこうラウンジやおしぼりサービス、ダグラスDC-8やボーイング747などのさい新鋭しんえい導入どうにゅう、また機内きないラウンジ寝台しんだいせきなどの豪華ごうか機内きない仕様しよう清潔せいけつさをたもった機内きないなどに代表だいひょうされる木目もくめこまかい日本にっぽんてきなサービスやしんサービスの積極せっきょくてき導入どうにゅうおこなたか評価ひょうかた。

 
ボーイング747-200がた

しかし、1980年代ねんだい後半こうはん以降いこうは、45/47体制たいせい崩壊ほうかいによる全日空ぜんにっくう日本にほんエアシステムの国際線こくさいせん進出しんしゅつによる日本にっぽんはつ国際線こくさいせん競争きょうそう激化げきかと、格安かくやす航空こうくうけん流通りゅうつうなどによる運賃うんちん低下ていかによる収益しゅうえきせい低下ていかけ、の「コスト重視じゅうし」とひょうされる航空こうくう会社かいしゃ同様どうよう、そのサービスのハードめんおおくは、ハードめんたか評価ひょうかているキャセイパシフィック航空こうくうシンガポール航空こうくうヴァージン・アトランティック航空こうくうなどの競合きょうごう他社たしゃ最新さいしんサービスの後追あとおいとなる傾向けいこうえてきていた。また、日本人にっぽんじんビジネスきゃくおもなターゲットとしたこともあり、日本人にっぽんじん乗客じょうきゃくけのサービスの充実じゅうじつかたよっていることや、日本人にっぽんじん客室きゃくしつ乗務じょうむいん語学ごがくりょくひくいこと[20]2000年代ねんだい前半ぜんはんにおいても、ブリティッシュ・エアウェイズやルフトハンザ航空こうくうなどどう時期じき導入どうにゅうしたほか航空こうくう会社かいしゃではすで引退いんたいした、平均へいきんよわいが20ねん以上いじょうのボーイング747-100/-200やマクドネル・ダグラスDC-10などをいまだに使用しようしていたことなどが、サービスのマイナスめんとなっていた。

それにくわえ、1990年代ねんだいから2000年代ねんだい前半ぜんはんにかけては、以前いぜんのようにサービスなどの競合きょうごう対象たいしょうがキャセイパシフィック航空こうくうやヴァージン・アトランティック航空こうくうなどの国際こくさいてき評価ひょうかたか航空こうくう会社かいしゃではなく、ユナイテッド航空こうくうなどのコスト重視じゅうし航空こうくう会社かいしゃ全日空ぜんにっくうなどの国内こくない航空こうくう会社かいしゃ同士どうしになることもおおく、収益しゅうえきげんとなるビジネスクラスにおいてのしんシート導入どうにゅうなどの機内きないサービスの向上こうじょうでも、国際こくさいてき評価ひょうかたか航空こうくう会社かいしゃたいしておくれをとっているとの指摘してきおおかった。そのうえに、日本にほんエアシステムとの合併がっぺいには、相次あいつぐトラブルによる顧客こきゃくばなれにより、経営けいえい破綻はたん可能かのうせいりざたされるほど経営けいえいじょうきょう悪化あっかしたことから、サービスの導入どうにゅうとどこおりがちとなっていた。

現在げんざい評価ひょうか

統合とうごう危機ききてき経営けいえいじょうきょうからだっはじめた2006ねんごろからは、従来じゅうらいのサービスにくわえて、一部いちぶ上級じょうきゅうクラスにおけるてごはん提供ていきょうなどの日本にっぽんてきなサービスの開始かいし、ファーストクラスやビジネスクラス、エコノミークラスへの快適かいてきせいした新型しんがたシートや機内きないエンターテイメントの導入どうにゅうおこなっている。また、外国がいこくはつのビジネスきゃくみとぎやネットワーク拡充かくじゅう、マイル加算かさん多様たようなどの利便りべんせい向上こうじょう一環いっかんとして、2007ねん4がつ1にち世界せかいてき航空こうくう会社かいしゃアライアンスの1つである「ワンワールド」へおくればせながら加盟かめいした。これにあわせてハブ空港くうこうの1つである成田なりた国際こくさい空港くうこうでは、「ワンワールド」加盟かめい各社かくしゃだい2ターミナル集結しゅうけつわせて、成田なりた国際こくさい空港くうこう共同きょうどうでチェックインカウンターのリニューアルもおこなわれた。

一方いっぽうソフトめんでは、日本人にっぽんじん客室きゃくしつ乗務じょうむいん語学ごがくちから向上こうじょうなどにもちからはじめているほか香港ほんこん上海しゃんはい、サンパウロやフランクフルト、ロンドンなどで採用さいようした外国がいこくじん客室きゃくしつ乗務じょうむいんによる外国がいこくじん旅客りょかく対応たいおう強化きょうかしている。あわせてどう年度ねんどからは「プレミアム戦略せんりゃく」をすすめ、上記じょうきにあるファーストクラスやビジネスクラスへのしん機内きないサービスの導入どうにゅうくわえ、プレミアムエコノミークラスの導入どうにゅう日本にっぽん航空こうくう会社かいしゃとしてははつ成田なりた国際こくさい空港くうこうにおけるマイレージ上級じょうきゅう会員かいいん上級じょうきゅうクラス専用せんようのファスト・セキュリティレーンの導入どうにゅうおこなったほか、どう空港くうこう日本にっぽん最大さいだい面積めんせき空港くうこうラウンジあらたに導入どうにゅうするなど、「プレミアム戦略せんりゃく」のもとで上級じょうきゅうクラスおよびマイレージ上級じょうきゅう会員かいいんたいするサービスをとく強化きょうかしており、従来じゅうらい以上いじょうのハード、ソフト両面りょうめんのサービス向上こうじょうおこなわれている。

ファイル:Boeing 787.jpg
ボーイング787がた

また、どう時期じきには、収益しゅうえきりつ強化きょうかねらったあたらしい運賃うんちん体系たいけい導入どうにゅうやマイレージサービスの積極せっきょく導入どうにゅうおこなったほか、2008ねん8がつからニューヨークせんに、同年どうねん9がつからサンフランシスコせんへのボーイング777-300ERの運航うんこう開始かいしにより、ファーストクラスとエグゼクティブクラス、エコノミークラスに新型しんがたシートを導入どうにゅうし、路線ろせんにも随時ずいじ導入どうにゅうする予定よていである。また、サービス強化きょうかあわせて、燃費ねんぴ効率こうりつわる機内きないサービスめんでもおとるボーイング747-300など旧型きゅうがた機種きしゅ退役たいえきすすめ、その一方いっぽうしん機材きざいであるボーイング777-300の導入どうにゅうすすめているほか、2006年度ねんどから2008年度ねんどちゅうボーイング737-800「ネクストジェネレーション」を19新規しんき導入どうにゅうする。また、2009ねん中盤ちゅうばんをめどにボーイング787新規しんき導入どうにゅうし、国際線こくさいせんにも投入とうにゅうする予定よていである。

このよう機内きないがいにおける各種かくしゅサービス向上こうじょう施策しさく評価ひょうかされたこともあり、2008ねん10がつ発表はっぴょうされた旅行りょこう専門せんもんコンデナスト・トラベラー(アメリカばん)」によるサービス格付かくづけ「Top 25 Airlines」の国際線こくさいせん部門ぶもんにおいて、日本にっぽんふく北東ほくとうアジア航空こうくう会社かいしゃとしてはさい上位じょういの5にランクされた。

国際線こくさいせん機内きないクラス

現在げんざいはファーストクラスとビジネスクラス(「エグゼクティブクラス」のブランドばれる)、2007ねん12月にビジネス旅客りょかくおお長距離ちょうきょり路線ろせん中心ちゅうしん導入どうにゅうされたプレミアムエコノミーとエコノミークラスの4クラスがある。おおくはプレミアムエコノミーの設定せっていがない3クラス、地方ちほう発着はっちゃく路線ろせん一部いちぶたん中距離ちゅうきょり路線ろせん、ハワイやグアムせんなどのリゾート路線ろせん一部いちぶ長距離ちょうきょり路線ろせんではエグゼクティブクラスとエコノミークラスの2クラスせいになっている。

クラスごとにイメージカラーが設定せっていされており、ファーストクラスはあか、エグゼクティブクラスはこん、エコノミークラスはみどりとなっている。このイメージカラーは空港くうこうカウンターや搭乗とうじょうけん荷物にもつタグなどにあしらわれている。

シートスペック(エグゼクティブクラス・プレミアムエコノミー)
エグゼクティブクラス・プレミアムエコノミー「シートスペック」
機能きのう/タイプ Shell flat seat neo Shell flat seat スカイラックスシート ミレニアムエディション  プレミアムエコノミー
シートピッチ 153cm 157cm 119cm 112~119cm  97cm
リクライニング角度かくど 171°(ライフラット) 170°(ライフラット) 152° 139°
ヘッドレスト
フット・レッグレスト
ランバーサポート ×
 シェル × ×
電動でんどうアシスト × × ×
ハイポジションテーブル × × ×
バーテーション × × ×
PC電源でんげん(コンセント) × △(738のみ)
AVOD
肘掛ひじかけ収納しゅうのう × × ×
LAN接続せつぞく × × × × ×
読書どくしょとう ×
装備そうび機種きしゅ 777-300ER 744/777 744/747/767 777/767/738 777-300ER
  • 機種きしゅ略称りゃくしょうは、744…ボーイング747-400、747…747-300、777…777-300(ER)/-200(ER)、767…767-300(ER)/-200、738…737-800
  • サービスの詳細しょうさい以下いか詳細しょうさいされたい。
エコノミークラス

すべてのクラスのなか一番いちばんやす価格かかく提供ていきょうされており、「エコノミーセイバー」や「JAL悟空ごくう」という正規せいき割引わりびき運賃うんちんほか旅行りょこう代理だいりてん経由けいゆでの団体だんたい割引わりびき運賃うんちん提供ていきょうされている。なお、機内きないサービスもすべてのクラスのなか一番いちばん簡素かんそされているものの、フランスシャトー共同きょうどう開発かいはつしたオリジナルワイン提供ていきょうや、欧米おうべいせんではチョコレートサンドイッチなどのスナックなどの軽食けいしょく自由じゆうにすることが出来できるセルフサービスコーナー「スカイオアシス」が設置せっちされている。

また同社どうしゃ韓国かんこくせんやフィリピンせんなどのなか短距離たんきょり路線ろせんからブラジルせんやメキシコせんなどのちょう長距離ちょうきょり路線ろせん、ニューヨークせんやロンドンせんなどのビジネス路線ろせん、グアムやホノルルなどのリゾート路線ろせんまでおおくの国際線こくさいせん運航うんこうするじょう多種たしゅ多様たよう機材きざい保有ほゆうするため、エコノミークラスにもおおくのシートタイプがある。国際線こくさいせんでは、すべてのボーイング747-400とどう777シリーズ、一部いちぶのボーイング767-300ERとどう737-800がたにはシートテレビをそなえたシートが設置せっちされ、ボーイング747-400かたのぞいてはオンデマンド対応たいおうの「MAGIC-Ⅲ(737-800はⅣ)」が導入どうにゅうされている。

シートテレビがエコノミークラスではじめて導入どうにゅうされたボーイング747-400がたのシートは、シートピッチが79cm以下いかせまく、一部いちぶ客室きゃくしつ乗務じょうむいん組合くみあい問題もんだいてんとしてりざたされた[21]。しかしその導入どうにゅうされたボーイング777や767シリーズでは、フットレストやヘッドレストが装備そうびされ快適かいてきせい向上こうじょうした。また、2008ねん8がつ以降いこうにボーイング777-300ERに導入どうにゅうするしんシートでは、シートテレビを9インチに拡大かくだいし、ハンモックしきのヘッドレストを導入どうにゅうする。シートピッチにわりはいが、快適かいてきせい犠牲ぎせいにせずにクッションをうすくしたり、リクライニングと同時どうじめん自体じたいをスライドさせるスライドしき導入どうにゅうすることによって、結果けっかてきにシート足元あしもと空間くうかんひろくし快適かいてきせい向上こうじょうすることに成功せいこうした。

なお、利益りえきりつたかいプレミアムエコノミークラスの導入どうにゅう新型しんがたファーストクラスの導入どうにゅうなどをけ、現在げんざいエコノミークラスの座席ざせき供給きょうきゅうすう減少げんしょう傾向けいこうにあり、これにたいし、西松にしまつ社長しゃちょうは「エコノミーはもうわけないとおもう」と発言はつげんしている[22]

プレミアムエコノミークラス
 
ボーイング777-300ER

上記じょうきのエコノミークラスのサービス向上こうじょう発表はっぴょう同時どうじに、中間なかまクラスである「プレミアムエコノミークラス」の導入どうにゅう公表こうひょうされ、2007ねん12月から導入どうにゅうされた。当初とうしょはロンドンやパリ、フランクフルトせんなどヨーロッパせん就航しゅうこうしているボーイング777−300ERがたに44せき設置せっちされ、2008ねん8がつからはニューヨークせん一部いちぶに、9月からはサンフランシスコせんにも導入どうにゅうされる。

座席ざせきどうクラスとして世界せかいはつとなるぜんせきもたれがたおれてもこうせきのスペースを圧迫あっぱくしないシェルフラットがたで、エグゼクティブ・クラスで使用しようされているスライドしきリクライニングのシェルフラットシートをベースに、フットレストやレッグレスト、9インチのシートテレビやPC電源でんげん読書どくしょとうなどが装備そうびされたシートピッチ97cmのシェルがたシートである。

機内きないではスリッパアイマスク、イヤープラグなどのアメニティの配布はいふおこなわれるほか、エコノミークラスの機内きないしょくくわえてシャンパン焼酎しょうちゅう提供ていきょうされる。また軽食けいしょくとしてカップめん「うどんですかい」や、「ディーン・アンド・デルーカ」のアイスクリームなども注文ちゅうもん出来できる。

ほかにも、プレミアムエコノミークラス専用せんようチェックインカウンター(成田空港なりたくうこうのみ、それ以外いがい空港くうこうではエグゼクティブクラス専用せんようチェックインカウンターを使用しよう)や空港くうこうラウンジの使用しよう、マイレージサービスの加算かさんマイルすう割増わりまし手荷物てにもつ自宅じたくからの無料むりょうりサービスも提供ていきょうされる。

エグゼクティブクラス

下記かきのように、日本にっぽん航空こうくう会社かいしゃとしてはもっとはやくビジネスクラスを導入どうにゅうした。選択肢せんたくしおお機内きないしょくやスリッパやアイマスクなどのアメニティの配布はいふをはじめとする機内きないサービスの充実じゅうじつや、個人こじんテレビやPC電源でんげんなどが装備そうびされた新型しんがたライフラットシートなどのシートピッチのひろいシートの提供ていきょうのみならず、エグゼクティブクラス専用せんようチェックインカウンターや空港くうこうラウンジ使用しよう、マイレージサービスの加算かさんマイルすう割増わりまし(125%)、機内きないへの優先ゆうせん搭乗とうじょう案内あんない手荷物てにもつ優先ゆうせんわたし、およ手荷物てにもつ自宅じたくからの無料むりょうりサービスも提供ていきょうされる。

なお同社どうしゃ韓国かんこくせんやフィリピンせんなどのなか短距離たんきょり路線ろせんからブラジルせんやメキシコせんなどのちょう長距離ちょうきょり路線ろせん、ニューヨークせんやロンドンせんなどのビジネス路線ろせん、グアムやホノルルなどのリゾート路線ろせんまでおおくの国際線こくさいせん運航うんこうするじょう多種たしゅ多様たよう機材きざい保有ほゆうするため、エグゼクティブクラスにもおおくのシートタイプがある。

エグゼクティブクラス誕生たんじょうまでの時代じだい背景はいけい

1974ねん10月に、長距離ちょうきょり路線ろせん中心ちゅうしん運行うんこうされていたボーイング747のエコノミークラス一部いちぶ客室きゃくしつ普通ふつう運賃うんちん個人こじん旅客りょかく専用せんようエリアとする「タチバナ・エグゼクティブ・キャビン・サービス」を導入どうにゅうした。なお、この「タチバナ・エグゼクティブ・キャビン・サービス」は、あくまで一部いちぶ客室きゃくしつ普通ふつう運賃うんちん個人こじん旅客りょかく専用せんようエリアとするもので、シートはエコノミークラスとおなじものを使用しようしていたが、そのよりひろいシートや内容ないよう充実じゅうじつしたサービスを要求ようきゅうするこえたかまったことをけて、1980ねん9月日本にっぽん航空こうくう会社かいしゃとしてははじめてのビジネスクラスとして「エグゼクティブクラス」の導入どうにゅうおこなった。そのすうかいわたりシートやサービス内容ないよう更新こうしんがされている。

なお、1980年代ねんだい中盤ちゅうばんにはファーストクラスとエグゼクティブクラスのあいだ中間ちゅうかんクラス「スーパーエグゼクティブJクラス」が設定せっていされていたが、そののエグゼクティブクラスのサービス内容ないよう向上こうじょうけて廃止はいしされた。

ちょう中距離ちゅうきょり主要しゅよう路線ろせんサービス
 
エグゼクティブクラス「JAL SHELL FLAT SEAT」

「SHELL FLAT SEAT」を改良かいりょうした新型しんがたライフラットシート「SHELL FLAT SEAT neo」が2008ねん8がつ1にちより、ニューヨークせんの777-300ER運航うんこう便びん導入どうにゅうされたほか、サンフランシスコせんへ9がつ1にち導入どうにゅうされる。このしんシートは、従来じゅうらいの「SHELL FLAT SEAT」にくら収納しゅうのうスペースが増設ぞうせつされ、シートテレビも15.4インチに拡大かくだいされているほか、プライバシーパーティションの大型おおがたや、サブシートコントローラーの新設しんせつ大型おおがたマガジンラックやセンターコンソールない収納しゅうのうスペースがもうけられている。シートピッチは153cm、リクライニング角度かくどは171°となる。

また、ボーイング747-400や777-300ER、-200ERの一部いちぶ就航しゅうこうする、欧米おうべいせん中心ちゅうしんとする主要しゅよう長距離ちょうきょり路線ろせんバンコクせんやシンガポールせんなどのこう需要じゅようアジア路線ろせんには、最大さいだい157cmのシートピッチをつライフラットシートに、10.4インチの個人こじんテレビやPC電源でんげんなどが装備そうびされた「SHELL FLAT SEAT」が装備そうびされている。なお、東京とうきょう-ロンドンや、一部いちぶ便びんのぞ東京とうきょう-ニューヨークせんでは、ノイズキャンセリング機能きのう密閉みっぺいがたヘッドホンが提供ていきょうされている。また2001ねんからすうねん、スカイラックスシートのシートピッチを157cmに拡大かくだいした「ワイダーシート」が主要しゅよう欧米おうべいせん導入どうにゅうされたが、「SHELL FLAT SEAT」との導入どうにゅうとも廃止はいしされている。

日本にっぽんはつ主要しゅよう長距離ちょうきょり路線ろせん機内きないしょくは、日本にっぽん料理りょうりは「京都きょうと料理りょうり芽生めむかい」が、フランス料理りょうりは「日本にっぽんエスコフィエ協会きょうかい」が監修かんしゅうしたメニューが提供ていきょうされるほかてのごはん一部いちぶ欧米おうべいせん)やオリジナルのカップめん「うどんですかい」などが提供ていきょうされる。また、2かい機内きないしょくには、和風わふう洋風ようふう10種類しゅるいほどそろえたメニューのなかから、きなものをきなときべられるサービスが提供ていきょうされる(ロンドン、パリ、フランクフルト、アムステルダム、ニューヨークおよびシカゴせん対象たいしょう)。ほかにもセルフサービスコーナーの設定せっていおこなわれているほか米州べいしゅうせんでは2007ねんより、カートを使つかわないあたらしい機内きないしょくスタイルを提供ていきょうしている。

ちゅう短距離たんきょり・リゾート路線ろせんサービス

韓国かんこく中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく、マニラせんなどの短距離たんきょり路線ろせんやグアムなどのリゾート路線ろせんには、一部いちぶのボーイング777-200ERと747-400、747-300、767-300ER、737-800がたに、シートピッチが112cm〜119cmでリクライニング角度かくどあさい「スカイラックスシート」が装備そうびされている。このシートは3タイプあり、ボーイング747シリーズと一部いちぶの767に設置せっちされているシート、ボーイング777や767-300ER、737-800に設置せっちされている改良かいりょうばんの「ミレニアムエディション」、ボーイング767-200設置せっちされているスカイラックスシートの簡易かんいばん(シートテレビを装備そうびしない)である。韓国かんこくせんなどの一部いちぶ短距離たんきょり路線ろせんの、ボーイング767-300がたでは以前いぜんのスーパーシートの座席ざせきが、エグゼクティブクラスとして利用りようされている(その場合ばあいシートピッチは99cmとなる)。

また、機内きないしょくはワントレーサービスでメインディッシュと前菜ぜんさい同時どうじ提供ていきょうされるスタイルで、中距離ちゅうきょり路線ろせんではメインディッシュを3種類しゅるい洋食ようしょく2しゅ和食わしょく1しゅ)、短距離たんきょり路線ろせんでは2種類しゅるいよう和食わしょくかく1しゅ)もしくは和食わしょくのみを用意よういしている。さらに長距離ちょうきょり路線ろせん同様どうように、一部いちぶ日本にっぽんはつ機内きないしょくは、日本にっぽん料理りょうりは「京都きょうと料理りょうり芽生めむかい」が、フランス料理りょうりは「日本にっぽんエスコフィエ協会きょうかい」が監修かんしゅうしたメニューが提供ていきょうされている。中距離ちゅうきょり路線ろせんでは、オリジナルのカップめん「うどんですかい」などの軽食けいしょく用意よういされている。

ファーストクラス

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ファーストクラス「JAL SKYSLEEPER SOLO」
 
成田なりた国際こくさい空港くうこうの「SAKURA LOUNGE」

最上級さいじょうきゅうクラスとして、東京とうきょう-パリせんやロンドンせん、ニューヨークせんやサンパウロせんなどの長距離ちょうきょり路線ろせんや、香港ほんこんせんやシンガポールせん上海しゃんはいせん一部いちぶなどのビジネスきゃくおお路線ろせん中心ちゅうしん設定せっていされている。なお、ビジネスクラスのサービスの向上こうじょう顧客こきゃくのファーストクラス需要じゅよう減少げんしょうなどの理由りゆうから、以前いぜんおおくの路線ろせん設定せっていされていたどうクラスも近年きんねんすくなくなってていたが、2009ねん1がつからビジネス顧客こきゃくおおデリーせんあらたに導入どうにゅうされるなど、同社どうしゃの「プレミアム戦略せんりゃく」にわせてふたた強化きょうかされつつある。

シート

2008ねん8がつからボーイング747-400運航うんこう便びんのぞ東京とうきょうニューヨークせんに、2008ねん9月から東京とうきょうサンフランシスコせんに、はん個室こしつがたしん座席ざせき「JAL SUITE」が導入どうにゅうされた(なお、2009年度ねんど以降いこうもロサンゼルスせんやシカゴせん拡大かくだいする予定よてい)。

また、1980年代ねんだい導入どうにゅうされていた寝台しんだいサービス「スカイスリーパー」のイメージをれた、「JAL NEW SKYSLEEPER SOLO(げんJAL SKYSLEEPER SOLO)」とばれる、イギリスじんデザイナーのロス・ラブグローブがデザインし、イタリアポルトローナ・フラウせい皮革ひかく採用さいようしたフルフラットやマッサージ機能きのうくつれやしょう物入ものいれ、オンデマンド対応たいおう個人こじんテレビやPC電源でんげんなどがついた専用せんようシートも使用しようされているほかなか短距離たんきょり路線ろせんのボーイング747-400運航うんこう路線ろせん一部いちぶは、2-2の配列はいれつ旧型きゅうがたフルフラットシート「JAL SKYSLEEPER」も使用しようしている。

サービス

資生堂しせいどう特製とくせい専用せんようアメニティセットや羽根はね布団ふとん用意よういされるほか、オーディオもボーズせいのノイズキャンセリングヘッドホン「クワイアットコンフォート2」が採用さいようされている。

機内きないしょくは、日本にっぽん料理りょうりが「京都きょうと料理りょうり芽生めむかい」、フランス料理りょうりは「日本にっぽんエスコフィエ協会きょうかい」が監修かんしゅうしたメニューが提供ていきょうされ、内容ないようのクラスにくらべグレードアップした内容ないようとなり、機内きないしょく事前じぜん予約よやくけているほか、10種類しゅるい以上いじょうのアラカルトメニューも用意よういされている。アルコールるいも、いも焼酎しょうちゅうもり伊蔵いぞうやシャンパーニュ・テタンジェ、ポル・ロジェやヴーヴ・クリコなどのさい高級こうきゅう銘柄めいがら提供ていきょうされる。

また、エグゼクティブクラスで提供ていきょうされる各種かくしゅ空港くうこうないサービスにくわえ、ファーストクラス専用せんようチェックインカウンターや空港くうこうラウンジが用意よういされるほか成田なりた国際こくさい空港くうこう関西国際空港かんさいこくさいくうこう中部ちゅうぶ国際こくさい空港くうこうなどからの帰国きこくのハイヤーによる無料むりょう送迎そうげいサービス(エリア指定していあり)も提供ていきょうされている。

地上ちじょうサービス

空港くうこうラウンジ

航空こうくうけん搭乗とうじょうクラスによって搭乗とうじょう出発しゅっぱつ空港くうこうのラウンジを利用りようできる。また、JALグローバルクラブ、JGCプレミア、JMBダイヤモンド、JMBサファイアのかく会員かいいんは、航空こうくうけん搭乗とうじょうクラスにかかわらず出発しゅっぱつ空港くうこうのラウンジを利用りようできる(利用りよう可能かのうなラウンジと入室にゅうしつ基準きじゅん空港くうこうごとことなる)。

  • サクララウンジ
  • サクララウンジannex
  • JALファーストクラスラウンジ
  • ファミリーサービスラウンジ
無料むりょうバスサービス

エコノミークラスの正規せいき割引わりびき運賃うんちん一部いちぶ運賃うんちんのぞく)以上いじょうのクラスおよびマイレージ特典とくてん利用りよう搭乗とうじょうした場合ばあい下記かきのバスサービスが無償むしょう利用りようできる。

  • 北京ぺきん首都しゅと国際こくさい空港くうこう-天津てんしんうち各所かくしょ
  • フランクフルト国際こくさい空港くうこうデュッセルドルフ市内しない(ホテル日航にっこうデュッセルドルフ)
  • アムステルダム・スキポール国際こくさい空港くうこうからアントウェルペン市内しないブリュッセル・ザベンタム国際こくさい空港くうこう、およびブリュッセル市内しない
JALファミリーサービス

日本人にっぽんじんビジネスマンおよびその家族かぞく海外かいがい赴任ふにん帰任きにん赴任ふにんちゅう家族かぞく訪問ほうもん空港くうこうにおける支援しえんサービスやファミリーサービス専用せんようチェックインカウンター、ならびに専用せんようラウンジの提供ていきょうなどをおこなっている。

身体しんたい障害しょうがいしゃ対応たいおう

上記じょうき「プライオリティ・ゲスト対応たいおう」を参照さんしょう

おも就航しゅうこう貨物かもつ便びんのぞく)

自社じしゃ機材きざい運行うんこうおよ自社じしゃ便びんめい旅客りょかく便びんでグループ機材きざいによる運行うんこう便びんふくむ。2008ねん11がつ現在げんざい


過去かこ定期ていき就航しゅうこう貨物かもつ便びんのぞく)

1970年代ねんだい中頃なかごろまでは航空機こうくうき航続こうぞく距離きょりみじかかったこともあり、給油きゅうゆのために最終さいしゅう目的もくてきまでに数箇所すうかしょ経由けいゆすることがおおく、協定きょうていにより有償ゆうしょう乗客じょうきゃく乗降じょうこうができない空港くうこう純粋じゅんすい給油きゅうゆ目的もくてきよせこうすることもおおかった。また、とく南回みなみまわりヨーロッパせんは、シベリア経由けいゆ北回きたまわりヨーロッパせん就航しゅうこう便数びんすうかぎられていたことや、中東ちゅうとう産油さんゆこくたいする関係かんけい構築こうちくという国策こくさくもあり、現在げんざいれていないみなみアジア中東ちゅうとう都市とし多数たすう寄港きこうしていた。



不定期ふていき便びん

東京とうきょう/成田なりたしんせんさい中部ちゅうぶ関西かんさい福岡ふくおか北九州きたきゅうしゅうなど日本にっぽん各地かくち空港くうこうからパラオモントリオールアンカレッジザグレブブダペストや、トロントなどへ不定期ふていき便びんまたはチャーター、プログラムチャちゃ便びんとして就航しゅうこうしている。

国内線こくないせん

路線ろせんもう

 
エアバスA300-600Rかた

設立せつりつ当初とうしょより国内線こくないせん運行うんこう東京とうきょう発着はっちゃく便びん中心ちゅうしんとした幹線かんせん中心ちゅうしんおこなわれていたが、1972ねん日本航空にほんこうくう全日本空輸ぜんにほんくうゆ東亜とうあ国内こくない航空こうくう(日本にほんエアシステム)の大手おおて3しゃたいして運輸省うんゆしょうより事業じぎょう路線ろせんて(いわゆる45/47体制たいせい)がおこなわれ、日本航空にほんこうくう国内こくない幹線かんせんじゅん幹線かんせん一部いちぶ運航うんこうてられることになった。

しかし1985ねんにこの事業じぎょう路線ろせんてが廃止はいしされ、地方ちほう発着はっちゃくカル線かるせんなどにも広範囲こうはんいにその路線ろせんもう拡大かくだいすることになる。さらに2002ねん日本にほんエアシステムと統合とうごうしてからは、国内線こくないせん日本航空にほんこうくうジャパン(きゅう日本にほんエアシステム)に譲渡じょうとするとともに日本にほんエアシステムの国際線こくさいせんいだが、2006ねん10がつ1にち同社どうしゃ合併がっぺいしたため、最終さいしゅうてききゅう両社りょうしゃ国内線こくないせんいちいで運行うんこうすることになった。その路線ろせん統廃合とうはいごう現在げんざい国内線こくないせん61拠点きょてん164路線ろせん運行うんこうしている(なお、一部いちぶ便びん子会社こがいしゃJALエクスプレス日本にっぽんトランスオーシャン航空こうくうジェイエア乗務じょうむいん機材きざい運航うんこうされている)。

2004ねん12月1にち羽田空港はねだくうこうだい2旅客りょかくターミナル開業かいぎょうともない、同年どうねん12月21にちからだい1旅客りょかくターミナル(西にし旅客りょかくターミナル)の南北なんぼくりょうウイングから搭乗とうじょうできるようになった。これにより中国ちゅうごく四国しこく九州きゅうしゅう沖縄おきなわ地方ちほうへの便びん搭乗とうじょうみなみウイング、北海道ほっかいどう東北とうほく北陸ほくりく近畿きんき地方ちほうへの便びん搭乗とうじょうきたウイングと方面ほうめんべつかれた。

運賃うんちん体系たいけい

新規しんき参入さんにゅう航空こうくう会社かいしゃ格安かくやす運賃うんちん対抗たいこうしてきているにもかかわらず、近年きんねんまでは、日本航空にほんこうくう全日空ぜんにっくう日本にほんエアシステムの大手おおて3しゃが「片方かたがたうごけばもう一方いっぽう追随ついずい」の結果けっか日本にっぽん航空こうくう業界ぎょうかい支配しはいする両社りょうしゃ運賃うんちん大差たいさはなく、その差額さがくすうひゃくえん程度ていどおさまっていたうえ、なぜか運賃うんちん改定かいてい両社りょうしゃとも数日すうじつ以内いないおこなわれていたことから、「事実じじつじょうカルテル」だと揶揄やゆされることもおおかった。

しかし、一時期いちじき国内線こくないせんにおける全日空ぜんにっくうとの差別さべつ運賃うんちんにまでおよび「片方かたがたうごけばもう一方いっぽう追随ついずい」というそれまでとはことなる状況じょうきょうになっていた(とく顕著けんちょれいとしては、全日空ぜんにっくうがバースデー割引わりびき廃止はいしして28にちまえまでの予約よやく実質じっしつどう運賃うんちんみの運賃うんちん設定せっていとなる「たびわり」を展開てんかいするのにたいし、日本航空にほんこうくうはバースデー割引わりびき維持いじしたまま、前述ぜんじゅつの「たびわり」と同系どうけいの28にちまえまでの予約よやく大幅おおはば割引わりびきの「さきとく割引わりびき」を新設しんせつするなど、運賃うんちんめんでこれまで個人こじんきゃく運賃うんちんよわかったとひょうされていた日本航空にほんこうくう全日空ぜんにっくうより優位ゆういつなど、様々さまざま戦略せんりゃく変化へんかられていた)。しかしその価格かかく競争きょうそう激化げきかによって、2007ねん現在げんざいではふたたおおきながなくなってしまっている。

なお、2008ねん4がつには「ビジネスきっぷ」を発売はつばいした。マイルが100%積算せきさんされ、最大さいだいで41%の割引わりびきとなる。搭乗とうじょう当日とうじつまで購入こうにゅうできることが特徴とくちょうである。なお、繁忙はんぼうでは往復おうふく運賃うんちん(ただし、往復おうふく運賃うんちん対象たいしょう期間きかんがい普通ふつう運賃うんちん)と同額どうがくになっており、文字通もじどお当日とうじつ購入こうにゅうするビジネス顧客こきゃくをターゲットとした運賃うんちんである。なお、予約よやく同時どうじにファーストクラスの予約よやくもできる。

ワンワールド加盟かめい会社かいしゃとのコードシェア

日本航空にほんこうくうおなじワンワールドに加盟かめいしているキャセイパシフィック航空こうくうやアメリカン航空こうくうなどとコードシェア運航うんこうおこなっているほか、ワンワールド加盟かめい航空こうくう会社かいしゃではないエミレーツ航空こうくうなどともコードシェア運航うんこうおこなっている。

新規しんき導入どうにゅう機材きざい

さらに今後こんご羽田空港はねだくうこう拡張かくちょうをにらみ、2007ねん2がつ22にちに、しん小型こがたとしてエンブラエルしゃブラジル)のベストセラーである「エンブラエル170」の導入どうにゅう方針ほうしん決定けっていした。確定かくてい10およびオプション5購入こうにゅう契約けいやくを2007ねんはるごろ締結ていけつし、ジェイエア運行うんこうしている路線ろせんへの投入とうにゅう予定よていしている[23]。また、ボーイング787を2008年度ねんどより国内線こくないせん随時ずいじ導入どうにゅうする予定よていである。

国内線こくないせん機内きないクラス

普通ふつうせきとクラスJ、ファーストクラスの3クラスせいっているが、路線ろせん機材きざいによっては普通ふつうせきとクラスJの2クラス、もしくは普通ふつうせきのみの1クラスとなっている。

普通ふつうせき
 
国内線こくないせん普通ふつうせき

国際線こくさいせんのエコノミークラスに相当そうとうする普通ふつうせきすべての機材きざい路線ろせん提供ていきょうされている。なお、機種きしゅ導入どうにゅう時期じきにより数種類すうしゅるいのシートが提供ていきょうされている。また、もと日本にほんエアシステムのボーイング777-200には個人こじんようテレビが装備そうびされているが、順次じゅんじ、ファーストクラス設定せってい機材きざい改修かいしゅうされ、そのさいにシートも交換こうかんされる予定よてい

クラスJ

普通ふつうせきほかにも、日本にほんエアシステムとの経営けいえい統合とうごう、「スーパーシート」「レインボーシート日本にほんエアシステム)」をもとに、日本航空にほんこうくうとしてははじめて国内線こくないせんへのミドルクラスの導入どうにゅうとして、通常つうじょう運賃うんちんにプラス一律いちりつ1,000えん利用りようできる中間ちゅうかんクラスである「クラスJ」を設置せっちした。はばひろいひじけを普通ふつうせきくらひろいシートが用意よういされ、独自どくじのサービスとしては、茶菓ちゃか無料むりょう配布はいふ厚手あつで毛布もうふ提供ていきょうなどとなっている。

現在げんざいは、マクドネル・ダグラスMD-81以外いがいすべての機材きざいに「クラスJ」と普通ふつうせきの2クラスが設定せっていされており、現在げんざいも、マクドネル・ダグラスMD-90を中心ちゅうしんせきすう設置せっち便びん拡充かくじゅうつづいている。シートえがわっていない機材きざいについては、従来じゅうらいのレインボーシートおよびスーパーシートをそのまま流用りゅうようしている。なお、どうクラスのシートはグッドデザインしょう受賞じゅしょうしている。

「クラスJ」(きゅう「レインボーシート」)は「通常つうじょう運賃うんちんにプラス一律いちりつ1,000えん」で普通ふつうせきくらひろ座席ざせきそらたびたのしむことができるというてん利用りようきゃくれられ、たか座席ざせき使用しようりつ維持いじしている。

ファーストクラス

「クラスJ」が好評こうひょう一方いっぽうで、全日空ぜんにっくうがスーパーシートを「スーパーシートプレミアム」に格上かくあげし専用せんよう運賃うんちん設定せっていするなど、これまで露骨ろこつなサービス相違そういひかえていた国内線こくないせんなか上級じょうきゅうクラスにおいて差別さべつうごきにいたったこともあり、団体だんたいきゃく家族かぞくれなどをけるビジネスマンや裕福ゆうふく個人こじん旅客りょかくなどの、利用りよう頻度ひんどおお比較的ひかくてき単価たんかたか路線ろせん利用りようする客層きゃくそうがANAの上級じょうきゅうクラスにながれることが懸念けねん材料ざいりょうとなっていた。そのため、これらの客層きゃくそう再度さいど獲得かくとくするため、国内線こくないせんにおける最上級さいじょうきゅうクラスとして2007ねん12月1にちから国内線こくないせんで「ファーストクラス」(きゅう「スーパーシート」)を復活ふっかつさせた。

当初とうしょ羽田はた伊丹線いたみせん就航しゅうこうしているボーイング777-200導入どうにゅうし、その段階だんかいてきけい15かく14せき設置せっちすすめており、2008ねん4がつ1にちには羽田はた福岡ふくおかせんに、同年どうねん6がつ1にちには羽田はたせんさいせんにも導入どうにゅうされている。料金りょうきん通常つうじょう運賃うんちんに8,000えん追加ついかとされている。

なお、すべての「ファーストクラス」導入どうにゅう機材きざいに「クラスJ」も併設へいせつされているものの、「ファーストクラス」はそのしつたかいサービスがたか評価ひょうかけて、「クラスJ」同様どうよう導入どうにゅう以降いこうたか搭乗とうじょうりつ獲得かくとくしている。

シート
 
国内線こくないせんファーストクラスシート
 
羽田空港はねだくうこうのファーストクラス専用せんようチェックインカウンター

機内きない最前さいぜんに、日本にっぽん航空こうくう会社かいしゃ国内線こくないせん専用せんようシートとしては最大さいだい専有せんゆうスペースをつ、前後ぜんごピッチ130cm、めんはば53cm、ひじはば33cm、最大さいだい42のリクライニングかくの、レッグレストとフットレストが装備そうびされたほんかわシートが設置せっちされる。また、この専用せんようシートは日本にっぽん航空こうくう会社かいしゃ国内線こくないせん専用せんようシートとしては唯一ゆいいつ大型おおがたパーティションをつほか、ノイズキャンセリング機能きのうきヘッドホンや専用せんようのスリッパ、ブランケット、クッションも提供ていきょうされる。

なお、全日空ぜんにっくう国内線こくないせん上級じょうきゅうクラス「プレミアムクラス」とちがい、装備そうび専有せんゆうスペースにがある複数ふくすう種類しゅるいのシートが提供ていきょうされる[24]のではなく、ファーストクラス専用せんようシートのみが提供ていきょうされる。

機内きないサービス

機内きないサービスは、国内こくない高級こうきゅうレストラン料亭りょうてい提携ていけいした機内きないしょくデザートを、朝食ちょうしょく昼食ちゅうしょく夕食ゆうしょくのどの時間じかんたい搭乗とうじょうしてもそれぞれの時間じかんたいごとのメニューから提供ていきょうし、このみのもの選択せんたくできる。なお、夕食ゆうしょくには「ミシュランガイド東京とうきょう2008年版ねんばん」でほし獲得かくとくした「ぶんとくやま」、「なだまん」、「アロマフレスカ」、「ラリアンス」、「エプバンタイユ」の5つの料亭りょうていやレストランとの提携ていけいメニューが提供ていきょうされる。また、すべてのメニューは10日とおかごとに変更へんこうされる。

ものはシャンパン「テタンジュ」や日本酒にほんしゅじゅんべいだい吟醸ぎんじょう うそさい」、人気にんきたか入手にゅうしゅむずかしいとわれる焼酎しょうちゅうもり伊蔵いぞう」などをグラスや陶器とうき提供ていきょうする。また、機内きないにおける上着うわぎあずかりサービスも提供ていきょうされる。

地上ちじょうサービス

出発しゅっぱつには専用せんようチェックインカウンターや「ダイヤモンド・プレミア ラウンジ」(羽田はた国際こくさい空港くうこう)、「サクララウンジ(それ以外いがい空港くうこう)」を用意よういするほか、専用せんようのセキュリティーゲートの利用りよう優先ゆうせん搭乗とうじょう手荷物てにもつ無償むしょう上限じょうげんの40キロへのげや到着とうちゃく手荷物てにもつ優先ゆうせん手渡てわたしサービス、区間くかんマイルの50%割増わりまし加算かさん提供ていきょうされる。

空港くうこうラウンジ

JALグローバルクラブ、JGCプレミア、JMBダイヤモンド、JMBサファイア会員かいいん、および「ラウンジクーポン」利用りようのJMBクリスタル会員かいいんは、搭乗とうじょうクラスにかかわらず出発しゅっぱつ空港くうこうのラウンジを利用りようできる(利用りよう可能かのうなラウンジと入室にゅうしつ基準きじゅん空港くうこうごとことなる)。

  • サクララウンジ
  • JALラウンジ
  • ダイヤモンド・プレミアラウンジ(羽田空港はねだくうこうだいいちターミナルのみ)

就航しゅうこう

日本航空にほんこうくう便びんめいによる就航しゅうこうのみを記載きさい。グループ会社かいしゃ便びんめいによる就航しゅうこうかくグループ会社かいしゃ項目こうもく参照さんしょう

 
中部ちゅうぶ国際こくさい空港くうこうのチェックインカウンター

2008ねん12がつ現在げんざい


貨物かもつ郵便ゆうびん

 
ボーイング747-400BCF

JALカーゴ (JALCARGO) は日本航空にほんこうくうグループの貨物かもつ運送うんそうサービスのブランドである。機体きたいに「JALCARGO」とマーキングされた貨物かもつによる運送うんそうのほか、旅客りょかく便びん搭載とうさいされるものもふくまれる。

日本航空にほんこうくうインターナショナルは貨物かもつ対象たいしょうとした航空こうくう連合れんごうWOW会員かいいんである。2005年度ねんどには[25]国内線こくないせん貨物かもつ338,443有償ゆうしょうトンキロ郵便ゆうびん85,519有償ゆうしょうトンキロ。国際線こくさいせん貨物かもつ4,541,293有償ゆうしょうトンキロ、郵便ゆうびん161,690トンキロの実績じっせきのこした。

なお、1990年代ねんだい中期ちゅうきから2000ねんごろまでは「JAL SUPER LOGISTICS」のブランドめい使用しようしていたが、そのJALカーゴにもどしている。

おも就航しゅうこう旅客りょかく便びん就航しゅうこうしていない就航しゅうこう

使用しよう機材きざい

  • ボーイング747-400F
  • ボーイング747-400BCF
  • ボーイング767-300F

コードシェア便びん/運送うんそう共同きょうどう引受ひきうけ

日本航空にほんこうくうグループない

 
日本にっぽんトランスオーシャン航空こうくうのボーイング737−400がた
 
日本にほんエアコミューターのサーブ340かた

◎JALグループは国際こくさい航空こうくう連合れんごう(アライアンス)「ワンワールド」に加盟かめいしているが、※のある航空こうくう会社かいしゃ経営けいえい施策しさくじょうワンワールドには加盟かめいしていない。

(「運送うんそう共同きょうどう引受ひきうけ」により全便ぜんびん日本航空にほんこうくうインターナショナルの便びんとして運航うんこう法人ほうじんめいとして表記ひょうきする以外いがい対外たいがいてきには「ジェイ・エア」を使用しよう

外部がいぶ提携ていけいさき

国際線こくさいせん

※ ◎は、ワンワールド加盟かめい、△は、スカイチーム加盟かめい、☆は、スターアライアンス加盟かめい会社かいしゃ

貨物かもつ便びん

 
ボーイング747-400F

◎はWOW加盟かめい、△はスカイチーム・カーゴ加盟かめい

  • スウエスト航空すうえすとこうくう(nwa cargo)△
  • ルフトハンザ・カーゴ◎
  • SASカーゴ◎
  • エールフランス(エールフランス・カーゴ)△
  • ブリティッシュ・エアラインズ
  • シンガポールエアラインズカーゴ◎
  • 中国ちゅうごく貨運航空こうくう中国ちゅうごく東方とうほう航空こうくう貨物かもつ部門ぶもん

運航うんこう機材きざい

これまでに世界せかい最大さいだいすうとなる合計ごうけい113発注はっちゅうするなど、ボーイング747シリーズ(現在げんざい運行うんこうしているのは−300と−400)が1970年代ねんだいから現在げんざいいたるまで日本航空にほんこうくう代表だいひょうする機材きざいとなっているが、さい新鋭しんえいくらべて燃費ねんぴなどの運行うんこうコストにおとることから、近年きんねん同機どうき引退いんたい貨物かもつへの改修かいしゅうすすんでいる。また、経年けいねんすす運航うんこうコストや整備せいびコストがかさむうえに、航空こうくう機関きかん必要ひつようなボーイング747-300や、日本にほんエアシステムからいだマクドネル・ダグラスMD-81やどうMD-87の退役たいえきいそがれている。2006年度ねんどから2008年度ねんどちゅうボーイング737「ネクストジェネレーション」を19新規しんき導入どうにゅうしており、国際線こくさいせんにも随時ずいじ投入とうにゅうする予定よていであるほか、すうねんちゅうボーイング787を4新規しんき導入どうにゅうし、その追加ついか導入どうにゅうする。

かく機材きざい詳細しょうさいについては、リンクさきにある航空機こうくうきのページを参照さんしょう

国際線こくさいせん

国際線こくさいせん機材きざいでは、ボーイング747シリーズを-300がたから順次じゅんじ退役たいえきさせるととも中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく路線ろせんなど近距離きんきょり路線ろせんけにボーイング737-800がたを、ちゅう長距離ちょうきょり路線ろせんにはボーイング777-300ER、767-300ERを順次じゅんじ導入どうにゅうしている。また、2008年度ねんどからはボーイング787も順次じゅんじ導入どうにゅうされる。

 
ボーイング747-400がた
 
ボーイング777-300
 
ボーイング767-300
  • ボーイング 737-800 …新型しんがた次世代じせだい小型こがた最初さいしょ国内線こくないせんのみで運用うんようされていたが近距離きんきょり国際線こくさいせんにも就航しゅうこうするようになった。国内線こくないせんではマクドネル・ダグラスしゃ機材きざい(MDシリーズ)とえられており、現在げんざいボーイングわされている購入こうにゅう契約けいやくでは、最終さいしゅうてきに40の737-800がた導入どうにゅうされる予定よてい(30確定かくてい発注はっちゅうし、10のオプション発注はっちゅうおこなっている)。
  • ボーイング747-400 …現在げんざい国際線こくさいせんにおける主力しゅりょく機材きざいであり、国際線こくさいせん国内線こくないせん両方りょうほうわせて34就航しゅうこうしている。おも長距離ちょうきょり路線ろせん投入とうにゅうされているが、一部いちぶでは777-200ERがたはたや777-300ERがた役割やくわりゆずり、活躍かつやく範囲はんい全盛期ぜんせいきくらべてせばまりつつある。
  • ボーイング 747-300/-300SR6(747-300がたと-300SRがた合計ごうけい) …通常つうじょうは473せき仕様しよう運航うんこうされる。日本航空にほんこうくうグループでは、この6ほかに、日本アジア航空にほんあじあこうくうで2JALウェイズで4けい12の747-300がた運用うんようされている。ちなみにこのグループ3しゃあいだで747-300がた12共用きょうよう機材きざいとして使用しようされている。なお、747-300SRがたについては、現在げんざい改修かいしゅうにより747-300がたとの差異さいはなくなっている。導入どうにゅう当時とうじ世界せかい最大さいだい旅客機りょかくきであり、日本にっぽん導入どうにゅうしたのは日本航空にほんこうくうグループだけであった。機体きたい経年けいねん国土こくど交通省こうつうしょう騒音そうおん規制きせいにより2009ねんまでには退役たいえきする予定よてい。この退役たいえきにより日本にっぽん航空こうくう会社かいしゃのフリートから旅客りょかくがたの「747クラシック」が完全かんぜん姿すがたす。
  • ボーイング 767-300ER …国内線こくないせんふくめて17の767-300ERがた就航しゅうこうしており、さらに5発注はっちゅうしている。なお、このかた同社どうしゃのシンボルとして長年ながねん君臨くんりんしてきた「鶴丸つるまる」の最終さいしゅう塗装とそう機体きたい番号ばんごう:JA603J)である。
  • ボーイング 767-300ローンチカスタマー) …国内線こくないせんふくめて22の767-300がた就航しゅうこうしている。
  • ボーイング 767-200 3 …近距離きんきょり国際線こくさいせん使つかわれており、今後こんごすうねんちゅう退役たいえき予定よてい
  • ボーイング 777-300ER (ローンチカスタマー) 7(6発注はっちゅうちゅう) …ボーイング777-200がたなら国際線こくさいせん主力しゅりょく機材きざいの1つである。通常つうじょうは292せき仕様しよう運航うんこうされる。おも従来じゅうらい747-400がた運航うんこうされていた長距離ちょうきょり路線ろせんとう代替だいたい投入とうにゅうされている。また国内線こくないせんにも国際線こくさいせん接続せつぞく便びんとして成田なりた-伊丹いたみにも投入とうにゅうされている[26][27]同社どうしゃ所有しょゆうの777で唯一ゆいいつ鶴丸つるまる塗装とそう経験けいけんが1かたである。
  • ボーイング 777-200ER 11 …ボーイング777-300ERがたなら国際線こくさいせん主力しゅりょく機材きざいの1つ。

国内線こくないせん

国内線こくないせん機材きざいでは、きゅう日本にほんエアシステムの機材きざい(マクドネルダグラスMD-87など)の退役たいえきすすめ、小規模しょうきぼ路線ろせんにはボーイング737-800がたを、中規模ちゅうきぼ以上いじょう路線ろせんにはボーイング777-200やボーイング777−300がた導入どうにゅうしている。なかでも羽田はた-しんせんさい那覇なはとうこう需要じゅよう路線ろせんには747-400Dかた運航うんこうされている。反対はんたいきゅう日本航空にほんこうくうれていなかった空港くうこうには、トーイングカーなどの地上ちじょう機材きざい対応たいおうしていないためボーイング747・777はれできない。2003ねん4がつきゅう日本航空にほんこうくうれが中止ちゅうしされた空港くうこうも、りょう機種きしゅよう地上ちじょう機材きざい撤収てっしゅうされたため同様どうようである。

  • ボーイング 737-800ぞう備中びっちゅう…ボーイングしゃしん中型ちゅうがた航空機こうくうきで、165せき(クラスJ:20せき/エコノミー:145せき)と置換おきか対象たいしょうのボーイング737-400やマグドネル・ダグラス87/81がたよりも座席ざせきすう増加ぞうかしているが、その一方いっぽう燃費ねんぴ向上こうじょうしており収益しゅうえきせいたかい。2008ねん4がつからはJEX所属しょぞくとしての導入どうにゅうすすんでいる。
 
ボーイング747-400D
  • ボーイング 747-400D 8 …国内線こくないせんけとしては最大さいだい規模きぼ機材きざい通常つうじょうは546せき仕様しよう(クラスJ:80せき/エコノミー:466せき)で運航うんこうされる。
  • ボーイング 767-200 3 …通常つうじょうはオールエコノミーの230せき仕様しよう運航うんこうされる。近距離きんきょり国際線こくさいせんにも使つかわれている。経年けいねんけて今後こんごすうねんちゅう退役たいえき予定よてい
  • ボーイング 777-300 7 …国内線こくないせん機材きざいとしては、747-400Dがたいでおおきな機材きざい座席ざせきすうは-400Dがたより1わりすくない500せき仕様しよう(クラスJ:78せき/エコノミー:422せき)で運航うんこうされている。
  • ボーイング 777-200 15 …きゅう日本航空にほんこうくうきゅう日本にほんエアシステムの両方りょうほう使用しようされていた機材きざい日本航空にほんこうくう出身しゅっしん機材きざいはファーストクラス設定せっていのために改修かいしゅうされ375せき(ファーストクラス:14せき/クラスJ:82せき/エコノミー:279せき仕様しようとなり、そうせきすうは397せきから減少げんしょうしたが、人気にんきのクラスJは6せきげんにとどめられた。また、日本にほんエアシステム出身しゅっしん機材きざいは、380せき(クラスJ:50せき/エコノミークラス:330せき)で、当時とうじのままとなっている。なおクラスJは日本にほんエアシステム時代じだいのスーパーシートとレインボーシートがそのまま使用しようされている。このかた国内線こくないせんとして最後さいごの「鶴丸つるまる塗装とそう機体きたい番号ばんごう:JA8985、愛称あいしょう:プロキオン)となった。
 
マクドネル・ダグラス MD-90
  • マクドネル・ダグラス MD-81 13 …きゅう日本にほんエアシステムからいだ機材きざいであり、この13ほかに5カル線かるせん子会社こがいしゃJALエクスプレス運航うんこうされている。通常つうじょうは163せき仕様しよう運航うんこうされる。2010ねんころまでに退役たいえき予定よていであり、後継こうけい機材きざいはボーイング737-800がた決定けっていしている。
  • マクドネル・ダグラス MD-90 16 …きゅう日本にほんエアシステムからいだ機材きざい正式せいしきなスペックはMD-90-30がたである。かつてきゅう日本にほんエアシステムが黒澤くろさわあきらがデザインした塗装とそう「7しょくにじ」をほどこし、運航うんこうしたことでも有名ゆうめい機材きざい通常つうじょうは150せき仕様しよう(クラスJ:18せき/エコノミー:132せき)で運航うんこうされる。
  • エアバスA300-600R 22 …きゅう日本にほんエアシステムからいだ機材きざい通常つうじょうは290せき仕様しよう(クラスJ:34せき/エコノミー:256せき)で運航うんこうされる。この機材きざいボーイング787おも短距離たんきょりけの787-3がたえられる予定よてい

貨物かもつ(JALカーゴ)

 
ボーイング747-400F

経年けいねんすすんでいるボーイング747-200Fかた退役たいえきさせ、北東ほくとうアジアや東南とうなんアジアの中小ちゅうしょう規模きぼ路線ろせんにはボーイング767-300Fかたを、だい規模きぼ路線ろせんにはボーイング747-400Fかた順次じゅんじ導入どうにゅうしている。

  • ボーイング 747-400F 6 …機首きしゅ貨物かもつようドアがもうけられたボーイング747-400がた貨物かもつ仕様しよう日本航空にほんこうくうでは、これまでのボーイング747-200Fかた後継こうけいとして、だい規模きぼ路線ろせんには747-400Fかたを、中小ちゅうしょう規模きぼ路線ろせんにはボーイング767-300Fかた導入どうにゅうしていく予定よてい。この型式けいしき発注はっちゅうは2のみで同社どうしゃによる新規しんき発注はっちゅうはない。同社どうしゃ所有しょゆうの747で唯一ゆいいつ鶴丸つるまる塗装とそう経験けいけんが1かたである。
  • ボーイング 747-400BCF 3将来しょうらいは8体制たいせい順次じゅんじ改修かいしゅう予定よてい) …同社どうしゃ保有ほゆう旅客りょかくがた747-400を貨物かもつがた転用てんようした仕様しよう。-400Fとのちがいはアッパーデッキが旅客りょかくがた同様どうようながいこと、機首きしゅ貨物かもつようドア(ノーズカーゴドア)をゆうしないことがげられる。また-400Fとくらべて航続こうぞく距離きょりそして構造こうぞうじょうから積載せきさいりょうがややおとる。自社じしゃ発注はっちゅう通算つうさん100となった747(747-400、機体きたい番号ばんごう:JA8915)も対象たいしょう現在げんざい廈門改修かいしゅう作業さぎょうちゅう
  • ボーイング 747-200F 6 …貨物かもつ専用せんようとして製造せいぞうされた機材きざいと、旅客りょかくようボーイング747-200がた貨物かもつ仕様しよう改造かいぞうした機材きざいがある。経年けいねんすすんでおり、順次じゅんじ前記ぜんきのボーイング747-400Fかたなどとえられる予定よてい今後こんご予定よていとしては、2008ねんまつに、3退役たいえきする予定よてい。このかたにはパンアメリカン航空こうくうから購入こうにゅうした中古ちゅうこ2ふくまれていた。またシンガポール航空こうくうから旅客りょかくがた中古ちゅうこ購入こうにゅう貨物かもつ改造かいぞうしたケースも1ある。
  • ボーイング 767-300F 3(2発注はっちゅうちゅう) …中小ちゅうしょう規模きぼ貨物かもつ路線ろせんよう導入どうにゅうされた機材きざい日本航空にほんこうくうでは、これまでボーイング747-200Fかた採算さいさんわなかった路線ろせんとく北東ほくとうアジアや東南とうなんアジア方面ほうめん路線ろせん中心ちゅうしんにこの機材きざい順次じゅんじ導入どうにゅうしていく予定よていすでに1納入のうにゅうされ、運航うんこう開始かいししている。(ちなみにこの767-300F初号しょごうは、軽量けいりょうねらってしろ塗装とそうおこなわないポリッシュド・スキンである)

発注はっちゅうちゅうでまだ初号しょごう納入のうにゅうされていない航空機こうくうき

  • ボーイング787-3がた 13発注はっちゅうちゅう …国内線こくないせんにおいてエアバスA300-600Rかたなどの後継こうけいとなる。
  • ボーイング787-8がた 22発注はっちゅうちゅう …国際線こくさいせんよう機材きざい通算つうさん生産せいさんすう500となる節目ふしめの787を受領じゅりょうすることになっており、これには特別とくべつ塗装とそうがなされる予定よてい

過去かこ運行うんこう機材きざい

 
DH.114 ヘロン(同型どうけい
 
ボーイング747-100B/SUD
  • マーチン2-0-2(ノースウェスト航空こうくうからのリース、委託いたく運航うんこう終了しゅうりょうにすべて返却へんきゃくされた)
  • ダグラスDC-3(フィリピン航空こうくうからのリース)
  • ダグラスDC-4B
    初期しょき国内外こくないがいせん使用しようされた。
  • デハビランド DH.114 ヘロン
    カル線かるせん旅客りょかく便びん使用しようするため購入こうにゅうしたが、乗員じょういん訓練くんれんのみに使用しようしその日本にっぽんヘリコプター(全日空ぜんにっくう)へ転売てんばいし、旅客りょかくようとして使用しようされた。
  • ダグラスDC-6B
    日本航空にほんこうくうはつ本格ほんかく長距離ちょうきょり国際線こくさいせん専用せんよう東京とうきょうオリンピックの聖火せいか輸送ゆそう機材きざいとしても使用しようされた。
  • ダグラスDC-7C
    DC-6Bの後継こうけいとして導入どうにゅうされ、「セブンシーズ」の愛称あいしょうばれた。
  • ダグラスDC-8-32/-53/-55/-61/-62
  • ボーイング727-100
  • 日本にっぽん航空機こうくうき製造せいぞうYS-11日本にっぽん国内こくない航空こうくうからのリース)
  • コンベア880
    ちゅう短距離たんきょり国際線こくさいせん容器ようきとして導入どうにゅうされたが、日本にっぽんはつ国内線こくないせんジェット機じぇっとき南回みなみまわりヨーロッパせんなどでも使用しようされた。
  • ボーイング 747-100B
日本にっぽん最初さいしょんだ747の型式けいしき意外いがいにもこの歴史れきしてきいちしたのは1号機ごうき(JA8101)ではなく2号機ごうき(JA8102)であった。
日本航空にほんこうくうがローンチカスタマーとなった国内線こくないせん仕様しようおよ近距離きんきょり国際線こくさいせん。ボーイングしゃ修理しゅうりミスにより歴史れきしのこだい惨事さんじとなった日本航空にほんこうくう123便びん墜落ついらく事故じこ事故じこ機体きたい記号きごう:JA8119)の型式けいしきである。事故じこ同社どうしゃSRは引退いんたいいられるかたち売却ばいきゃくとなり、スペース・シャトル輸送ゆそう航空機こうくうき機体きたい記号きごう:JA8117)、ボーイングしゃ金属きんぞく疲労ひろう試験しけん機体きたい記号きごう:JA8118)とうだい人生じんせいあゆんでいる。
世界せかいでも日本航空にほんこうくうが2(JA8170、JA8176)発注はっちゅうしただけという希少きしょう。300がた機体きたいに100がたのエンジンを装備そうびする。2006ねん10がつ31にち那覇なははつ羽田はたこうJL1926便びん最後さいご引退いんたいした。なお、このときの使用しようはJA8170で1994ねんから1年間ねんかん初代しょだい「ドリームエクスプレス」、1999ねんには「GLAY JUMBO」がほどこされた2特別とくべつ塗装とそう経験けいけんである。
 
1990ねんごろ伊丹空港いたみくうこう撮影さつえい
保有ほゆうのうちの1(JA8150)は日本にっぽん最後さいごのショートアッパーデッキの旅客りょかくがた747となる。2007ねん10がつ31にち金浦このうら-羽田はたせん8834便びん最後さいご引退いんたいした。この引退いんたいにより、同型どうけいはじめとしたショートアッパーデッキの旅客りょかくがた747は日本にっぽんでの37年間ねんかん運航うんこうまくじた。
このかた引退いんたいにより、日本にっぽん航空こうくう会社かいしゃ所有しょゆうから3はつエンジン旅客機りょかくき完全かんぜん姿すがたした。
スウエスト航空すうえすとこうくうへの納入のうにゅう機材きざいを-20とかんがえると、-40としては日本航空にほんこうくうローンチカスタマーアメリカトランス航空こうくうがごく少量しょうりょう購入こうにゅうしたが、-40を導入どうにゅうしたのはほぼ日本航空にほんこうくうのみ。ATAの機材きざいスウエスト航空すうえすとこうくう売却ばいきゃくされた)。現在げんざい一部いちぶアエロフロート・ロシア航空こうくう売却ばいきゃくされ、そのたかいエンジンパワーをかして貨物かもつとして使用しようされている。
  • マクドネル・ダグラスMD-11
日本航空にほんこうくうでは10ねんほどの活躍かつやくでDC-10よりのち導入どうにゅうされながらさき引退いんたいした短命たんめい機体きたい。2004ねん10がつ12にち香港ほんこん-成田なりたせん730便びん最後さいご引退いんたい。このときの使用しよう同社どうしゃ所有しょゆうなか唯一ゆいいつのサンアーク塗装とそうであったJA8582であった。鶴丸つるまる塗装とそう時代じだいのニックネームは「J-Bird」。最盛さいせいには10導入どうにゅうされ、退役たいえきぜんUPS売却ばいきゃくされ貨物かもつ転用てんようされた。このとき売却ばいきゃくされたMD-11は、現在げんざい貨物かもつとしてUPSで活躍かつやくちゅうである。
「フラワージェット」の愛称あいしょうがあり、機体きたいごとにはな愛称あいしょうがあった。ぜん機体きたいがJALエクスプレスに移管いかん
なお、1978ねんには当時とうじ南西なんせい航空こうくうから導入どうにゅうあいだもない737-200(JA8443)を夏季かきやく3ヶ月かげつあいだウェットリースしたことがある。
きゅう日本にほんエアシステムからいだ機材きざい退役たいえき時点じてん日本航空にほんこうくうインターナショナルが保有ほゆうしていた機材きざいなかでは最小さいしょう(134せき仕様しよう)であり、従来じゅうらいのMD-80シリーズの航空機こうくうきくら胴体どうたい大幅おおはば短縮たんしゅくされたことにより、離着陸りちゃくりく性能せいのう向上こうじょうしたことから、比較的ひかくてき滑走かっそうみじか路線ろせん活躍かつやくしてきた。しかし経営けいえい再建さいけんすすめるなかで、原油げんゆ価格かかく高騰こうとうなかで1座席ざせきたりの運行うんこうコストが相対そうたいてきたかいことから先輩せんぱいのMD-81よりもはやぜん退役たいえきさせることまった。2007ねん7がつに1オリエント・タイ航空こうくう売却ばいきゃくされたのを皮切かわきりに、最後さいごの1も2008ねん3がつ31にち南紀なんき白浜しらはま-羽田はたせん1386便びん最後さいご退役たいえきした。

なお、日本航空にほんこうくう発注はっちゅうしたボーイングしゃせい航空機こうくうき顧客こきゃく番号ばんごう(カスタマーコード)は46で、航空機こうくうき形式けいしきめいは747-446, 747-446D, 767-346, 777-246, 777-346ER などとなる。

オフィシャル・エアライン

日本にっぽんのフラッグシップ・キャリアであると同時どうじに、長年ながねんあいだ日本にっぽん航空こうくう会社かいしゃとして唯一ゆいいつ国際線こくさいせん運行うんこう会社かいしゃであったことなどから、オリンピック万国博覧会ばんこくはくらんかいなど、日本にっぽん歴史れきし節目ふしめとなるような数々かずかずのイベントのオフィシャル・エアラインとなっている。

またこれ以外いがいにも、東京とうきょうオリンピック聖火せいかギリシャから日本にっぽん国内こくないまで運送うんそうしたと同時どうじに、ほぼすべての運行うんこう機材きざいにロゴをれたほか、1999ねん以降いこうサッカー日本にっぽん代表だいひょうチームのオフィシャルサポーティングカンパニーとして、2002ねんと2006ねんサッカーワールドカップ特別とくべつ塗装とそう機材きざい運行うんこうした。

広告こうこく宣伝せんでん活動かつどう

設立せつりつしばらくのあいだ日本人にっぽんじん海外かいがい渡航とこう業務ぎょうむ渡航とこう制限せいげんされていたことから、外国がいこくにおける広告こうこく宣伝せんでん活動かつどうと、国内線こくないせん広告こうこくおもであったものの、高度こうど成長せいちょう只中ただなかの1964ねん観光かんこう目的もくてき海外かいがい旅行りょこう解禁かいきんされて以降いこうと、1970年代ねんだいにボーイング747がた導入どうにゅうされ座席ざせき供給きょうきゅうすう急増きゅうぞうして以降いこうは、増大ぞうだいする日本人にっぽんじん海外かいがい渡航とこうしゃすうにあわせて広告こうこく出稿しゅっこうりょう急増きゅうぞうした。また、毎年まいとし夏季かきおよびおぼん休暇きゅうかには、日本航空にほんこうくうグループ企業きぎょう合同ごうどうで、これらの繁忙はんぼうねらった沖縄おきなわキャンペーンや北海道ほっかいどうキャンペーンなどの大々的だいだいてきなキャンペーンがおこなわれる。

スポンサー

番組ばんぐみ

スポーツ関連かんれん

イベントなど

広告こうこく出演しゅつえんしゃ

1970年代ねんだい

1980年代ねんだい

1990年代ねんだい

2000年代ねんだい

ディズニーとの関係かんけい

Template:画像がぞう掲載けいさいについて(TDR)

東京とうきょうディズニーリゾートオフィシャルエアライン

日本航空にほんこうくうインターナショナルは、1983ねんから東京とうきょうディズニーリゾート(TDR)東京とうきょうディズニーランド(TDL)東京とうきょうディズニーシー(TDS)(こちらは2001ねん9月のグランドオープンから)の参加さんか企業きぎょうで「オフィシャルエアライン」である(2004ねん10月日本にほんエアシステムとの経営けいえい統合とうごうには、オフィシャルエアラインとしての広告こうこく権利けんり日本にっぽん国内こくないかぎられる関係かんけいじょう当時とうじJALグループの国内線こくないせん事業じぎょう会社かいしゃであった日本航空にほんこうくうジャパン名義めいぎ一時いちじうつったが、事業じぎょう会社かいしゃ再編さいへんにより同社どうしゃ合併がっぺいしたことで、ふたたびオフィシャルエアラインとなった)。

東京とうきょうディズニーリゾートの参加さんか企業きぎょうとして提供ていきょうしているのは、東京とうきょうディズニーランドの「スタージェット」と、東京とうきょうディズニーシーの「ブロードウェイ・ミュージックシアター」の2つの施設しせつである。

広告こうこくなどにおける展開てんかい

また、日本航空にほんこうくうジャルツアーズ)のパッケージツアー「JALSTAGE」で設定せっていされている「JALで東京とうきょうディズニーリゾート」では、羽田空港はねだくうこうとパークあいだ無料むりょう送迎そうげいバスをはじめ、ショー鑑賞かんしょうけんやディズニーキャラクターが使つかわれている景品けいひんなど、オフィシャルエアラインならではの特典とくてん用意よういされている。

日本航空にほんこうくうがディズニーのキャラクターを使用しようした広告こうこくは、このオフィシャルエアラインの権利けんりによるTDRのものと、おもなつふゆ設定せっていされるツアー(JAL SKIとう)であり、原則げんそくてき日本にっぽん国内こくないでの使用しようかぎられる。機内きないサービスとして子供こどもけに配布はいふされている景品けいひんでも、ディズニーキャラクターが使つかわれたものが用意よういされている。また、機体きたい全面ぜんめんにディズニーキャラクターがえがかれた特別とくべつ塗装とそうである「JALドリームエクスプレス」を就航しゅうこうさせたこともあるほか同機どうきのミニチュア模型もけい販売はんばいされていた。

HSST

 
HSST

1970年代ねんだい前半ぜんはんに、1970年代ねんだい後半こうはん開港かいこうする予定よていであった成田なりた国際こくさい空港くうこうへのアクセスのふだとして、日本航空にほんこうくう名古屋鉄道なごやてつどう中心ちゅうしんとなってHSST磁気じき浮上ふじょうしき鉄道てつどう)の開発かいはつすすめられた。その1985ねんおこなわれたつくば科学万博かがくばんぱくにも出展しゅってんされ、実際じっさい一般いっぱんきゃく搭乗とうじょうすることができた。

その開発かいはつすすめられていたものの、1978ねん成田なりた国際こくさい空港くうこう完成かんせい京成電鉄けいせいでんてつスカイライナーによる空港くうこうれ(空港くうこう敷地しきちないではあるが、ターミナルビルへのれではなかった)が実現じつげんしたことや、いで1991ねん石原いしはら慎太郎しんたろう運輸うんゆ大臣だいじん命令めいれいけてJR東日本ひがしにっぽん成田なりたエクスプレス運行うんこう開始かいしされ、あわせてスカイライナーの空港くうこうビルれが実現じつげんし、都内とないからの空港くうこうまでのアクセスが飛躍ひやくてき向上こうじょうしたこと。さらに日本航空にほんこうくう完全かんぜん民営みんえいけて、本業ほんぎょう直接ちょくせつ関連かんれんしていないうえに、採算さいさんれるかわからない事業じぎょう投資とうしすることをりやめたことなどから、開発かいはつ計画けいかくからの撤退てったい表明ひょうめい2000ねん正式せいしき撤退てったいした。

特別とくべつ政府せいふ専用せんよう

 
1989ねん竹下たけしたのぼる首相しゅしょう訪米ほうべい専用せんようとして使用しようされたマクドネル・ダグラスDC-10

上記じょうきのように、1950年代ねんだいより皇族こうぞく首相しゅしょう閣僚かくりょう海外かいがい公式こうしき訪問ほうもん国内こくない移動いどうさい日本航空にほんこうくう特別とくべつ頻繁ひんぱん使用しようされており、これをけて特別とくべつ専用せんよう機材きざいつね複数ふくすうられてあり、必要ひつようになったさいにはこれらの機材きざい特別とくべつとして運行うんこうされている。また、ハイジャックや邦人ほうじん誘拐ゆうかいなどの事件じけんさいしての特別とくべつやチャーター運航うんこうおこなわれていた。

なお、1992ねんにボーイング747-400がた2政府せいふ専用せんようとして導入どうにゅうされて以降いこうは、国際線こくさいせん運航うんこう経験けいけん整備せいび技術ぎじゅつりょく日本にっぽん航空こうくう会社かいしゃとしての国際線こくさいせんネットワークがみとめられ、政府せいふ専用せんよう国内外こくないがいにおける運航うんこうおよび整備せいび協力きょうりょく運航うんこうさき世界せかい各地かくちにおいてっている。

これにあわせて長距離ちょうきょり国際線こくさいせんにおける機内きないサービスの経験けいけんみとめられ、航空こうくう自衛隊じえいたい千歳基地ちとせきち所属しょぞく特別とくべつ航空こうくう輸送ゆそうたいだい701飛行ひこうたい空中くうちゅう輸送ゆそういんによる政府せいふ専用せんよう客室きゃくしつないでの各種かくしゅサービスの訓練くんれん委託いたくされており、頻繁ひんぱん羽田空港はねだくうこうない客室きゃくしつ乗務じょうむいん訓練くんれんセンターにおいて空中くうちゅう輸送ゆそういんたいする訓練くんれんおこなわれている。

エピソード

  • 1962ねんはつ北回きたまわりヨーロッパせん開設かいせつしたさいに、まんいち北極圏ほっきょくけん不時着ふじちゃくしたさいくまおそわれたときのことをかんがえ、機内きない拳銃けんじゅう搭載とうさいされていただけでなく、パイロットが実際じっさい射撃しゃげき訓練くんれんけた[28]
  • ビートルズ1966ねん来日らいにち日本にっぽん航空機こうくうきのタラップをりてくるときに、4にんのメンバー全員ぜんいんが「日本航空にほんこうくう」のロゴのはいった法被はっぴ着用ちゃくようしていたが、これは広告こうこくからの要請ようせいけて、乗務じょうむしていた客室きゃくしつ乗務じょうむいんが「日本にっぽん伝統でんとう衣装いしょう着用ちゃくようするとファンがよろこぶ」といって着用ちゃくようさせたものだった。このさいにこの法被はっぴ存在そんざいがあまりに有名ゆうめいになったこともあり、現在げんざい国際線こくさいせんのファーストクラスでは、このときのものとほぼおなじデザインの法被はっぴ乗客じょうきゃく提供ていきょうされている。
 
日本航空にほんこうくうのロゴをつけた日本にほんエアコミューターのYS-11がた
  • 1969ねん日本にっぽん国内こくない航空こうくうから日本航空にほんこうくう製造せいぞうYS-11がた1をウエットリースし、福岡ふくおか-釜山ぷさんせん投入とうにゅうやく1年間ねんかん運航うんこうした。なおこのさいにリースされたJA8717は、その日本にっぽん国内こくない航空こうくうもどされたのちもしばらくのあいだ日本航空にほんこうくう塗装とそう使用しようされ、その1971ねんおこなわれた日本にっぽん国内こくない航空こうくう東亜とうあ航空こうくうとの経営けいえい統合とうごうによる東亜とうあ国内こくない航空こうくうへの移籍いせきて、系列けいれつ会社かいしゃ日本にほんエアコミューターに移籍いせきされ、さらにその日本航空にほんこうくう親会社おやがいしゃ日本にほんエアシステムとの経営けいえい統合とうごうけて、ふたた日本航空にほんこうくうのロゴをつけて2006ねん9月30にち同型どうけい引退いんたいまでぶこととなる。
  • 1972ねん11月に発生はっせいしたシェレメーチエヴォ墜落ついらく事故じこくなった乗客じょうきゃく遺族いぞく提案ていあんにより、「この事故じこ悲劇ひげきわすれないで安全あんぜん運航うんこうおこなってほしい」とのねがいから、みどりじゅうをかたどった「安全あんぜんバッジ」がこの事故じこ以降いこうすべての日本航空にほんこうくう社員しゃいん制服せいふくけられることになった[29]。しかしこのバッジは、2002ねんおこなわれた日本航空にほんこうくうによる日本にほんエアシステムにたいする経営けいえい統合とうごうと、その合併がっぺいともな制服せいふく改変かいへん前後ぜんご廃止はいしされ、社員しゃいん身分みぶん証明しょうめいしょう一角いっかくにその記号きごうしるされることとなった。現在げんざい日本航空にほんこうくうのモスクワ支店してんでは、毎年まいとし事故じこになると社員しゃいん慰霊いれいかい犠牲ぎせいしゃ慰霊いれいおこなっている。
  • 1973ねん発生はっせいしたドバイ日航にっこうハイジャック事件じけん爆破ばくはされたボーイング747がたのこった尾翼びよく一部いちぶ部品ぶひんはその売却ばいきゃくされてKLMオランダ航空こうくう同型どうけい装着そうちゃくされた。しかしその同機どうき1977ねんスペインりょうカナリア諸島かなりあしょとうテネリフェとうにあるロス・ロデオス空港くうこう滑走かっそう路上ろじょうで2のボーイング747がた同士どうし衝突しょうとつした事故じこテネリフェ空港くうこうジャンボ機じゃんぼき衝突しょうとつ事故じこ)にうこととなった。
  • 1978ねん8がつに、太平洋たいへいよう路線ろせん就航しゅうこうするボーイング747がたの2かい客室きゃくしつラウンジ部分ぶぶん改修かいしゅうして、ながさ185.4センチ、はば68.5センチの寝台しんだいすうせき設置せっちした「スカイスリーパーサービス」を開始かいしした。なお、機内きない寝台しんだい設置せっちしたのはジェット機じぇっときとしてはつこころみであった[30]
  • かつて「目標もくひょう利益りえき142おくえん」を達成たっせいするために、全部ぜんぶしょ漬物つけものせき(※142と“いしに”の語呂合ごろあわせ)を配布はいふしたことがある。
  • 1980年代ねんだいにかけての日本航空にほんこうくうしゃくんは「お客様きゃくさまへの感謝かんしゃ仲間なかまへの共感きょうかん時代じだいへの挑戦ちょうせん」であったが、その社風しゃふうから社内しゃないでは「仲間なかまへの感謝かんしゃ時代じだいへの共感きょうかん、お客様きゃくさまへの挑戦ちょうせん」と酷評こくひょうされていた。
  • 1983ねんから1984ねんにかけて放映ほうえいされたテレビドラマスチュワーデス物語ものがたり放送ほうそう当時とうじ、ドラマのなか訓練くんれんせい実際じっさい着用ちゃくようしていたものとおなTてぃーシャツや帽子ぼうしが、機内きない「WINDS」(げんSKYWARDない通販つうはんコーナーで「スチュワーデス物語ものがたり公式こうしきグッズ」として個数こすう限定げんてい販売はんばいされていた[31]
  • 日清食品にっしんしょくひん共同きょうどうでオリジナルのカップめん、「うどんですかい(Udon de Sky)」を開発かいはつし、1992ねん6がつ1にちより長距離ちょうきょり路線ろせんのエグゼクティブクラスで提供ていきょう開始かいしした。気圧きあつひく機内きない調理ちょうり提供ていきょうされることから、普通ふつうのカップめんよりひく沸点ふってんでもめんもどるように工夫くふうらされている。
  • 篠山しのやまきのしん撮影さつえい担当たんとうし、実際じっさい乗務じょうむしている日本航空にほんこうくうグループの女性じょせい客室きゃくしつ乗務じょうむいんのみが登場とうじょうする「スチュワーデスカレンダー」を毎年まいとし作成さくせいしている。なお、このカレンダーへ登場とうじょうする女性じょせい客室きゃくしつ乗務じょうむいんおおくが自薦じせん他薦たせん可能かのう)であり、社内しゃないでは「自己じこ顕示けんじよくつよ女性じょせい客室きゃくしつ乗務じょうむいん象徴しょうちょう」とみなされており、そのためにこのカレンダーへ登場とうじょうすることにたいしての社内しゃないでの評価ひょうかかんばしいものではないうえ女性じょせい客室きゃくしつ乗務じょうむいんのみが登場とうじょうすることにたいする批判ひはんおおい。また、ふくすうかい自選じせんおこなうものが続出ぞくしゅつしたことにより、現在げんざいでは一度いちど落選らくせんすると再度さいど自薦じせん出来できないまりになっている。
  • なお、その国内線こくないせん国内線こくないせん機内きない販売はんばいのカタログにもおなじく実際じっさい乗務じょうむする女性じょせい客室きゃくしつ乗務じょうむいん(と男性だんせい客室きゃくしつ乗務じょうむいん)が毎号まいごうすうめいずつ登場とうじょうしていたが、こちらはすべ他薦たせんであった。現在げんざいきゅう日本航空にほんこうくう出身しゅっしんきゅう日本にほんエアシステム出身しゅっしん客室きゃくしつ乗務じょうむいんが1めいずつ登場とうじょうしている。
  • 社員しゃいんによるハンドベルチーム「ベルスター」があり、様々さまざまなイベントで演奏えんそうおこなっている。なお、ほかにも社員しゃいんによるバスケットボールチームの「JALラビッツ」がある。
  • 2007ねん11月26にち同年どうねん8がつ29にちカナダ・バンクスとうおき上空じょうくうで、観測かんそく史上しじょう最小さいしょううみごおり面積めんせき記録きろくした北極ほっきょくかいを、日本航空にほんこうくう機長きちょう写真しゃしん撮影さつえいしていたことがあきらかになった。急速きゅうそく進行しんこうしたうみごおりの「だい崩壊ほうかい」を鮮明せんめいにとらえており、航空機こうくうきからの同種どうしゅ写真しゃしんきわめてめずらしいといわれる。この写真しゃしんは、うみごおり現実げんじつ世界せかい発信はっしんしたもので、世界せかいにも衝撃しょうげきあたえた。[32]
  • 2008ねん6がつ現在げんざい日本航空にほんこうくうインターナショナルのパイロット客室きゃくしつ乗務じょうむいん地上職ちじょうしょくなどの職種しょくしゅべつに、会社かいしゃがわはん会社かいしゃがわふく合計ごうけい8もの労働ろうどう組合くみあいがあり、それぞれの組合くみあい経営けいえいがわあしい、乗客じょうきゃく存在そんざい無視むししたストライキはん会社かいしゃがわ組合くみあい要求ようきゅうするパイロットの業務ぎょうむともな移動いどうのファーストクラスやグリーンしゃハイヤー提供ていきょうなどの常識じょうしきはずれのこう待遇たいぐうが、経営けいえい改革かいかく経費けいひ削減さくげんによる業績ぎょうせき回復かいふくあしかせになっているとして、株主かぶぬしだけでなく乗客じょうきゃくからもおおくの批判ひはんけている(日本航空にほんこうくう組合くみあい問題もんだい参照さんしょう)。

日本航空にほんこうくう出身しゅっしん著名ちょめいじん

関連かんれん項目こうもく

サービス関連かんれん

制作せいさく協力きょうりょくテレビドラマ

制作せいさく協力きょうりょく映画えいが

事故じこ事件じけん関連かんれん

その

脚注きゃくちゅう

  1. ^ IATA http://www.iata.org/ps/publications/wats-passenger-km.htm
  2. ^ 「JALグループ50ねん航跡こうせき日本航空にほんこうくう広報こうほうデジタルアーカイブ・プロジェクトへん 2002ねん 日本航空にほんこうくう
  3. ^ 「エアライン Empires of the Sky」アンソニー・サンプソン だい谷内たにうち一夫かずお やく 早川書房はやかわしょぼう 1986ねん
  4. ^ 「JALグループ50ねん航跡こうせき日本航空にほんこうくう広報こうほうデジタルアーカイブ・プロジェクトへん 2002ねん 日本航空にほんこうくう
  5. ^ 「JALグループ50ねん航跡こうせき日本航空にほんこうくう広報こうほうデジタルアーカイブ・プロジェクトへん 2002ねん 日本航空にほんこうくう
  6. ^ 月刊げっかんエアライン」2007ねん4がつごう イカロス出版いかろすしゅっぱん
  7. ^ 「JALグループ50ねん航跡こうせき日本航空にほんこうくう広報こうほうデジタルアーカイブ・プロジェクトへん 2002ねん 日本航空にほんこうくう
  8. ^ 日本航空にほんこうくう事故じこ処理しょり担当たんとう山本やまもと善明よしあき 講談社こうだんしゃ+αあるふぁ新書しんしょ 2001ねん
  9. ^ 「オンリー・イエスタディ」P.106 石原いしはら慎太郎しんたろう 2008ねん 幻冬舎げんとうしゃ
  10. ^ これにより中華航空ちゅうかこうくう日本にっぽんれを中止ちゅうしした。
  11. ^ 「エアライン Empires of the Sky」アンソニー・サンプソン だい谷内たにうち一夫かずお やく 早川書房はやかわしょぼう 1986ねん
  12. ^ 『JAL、通期つうき経常けいじょうえき2.1ばいの440おくえん日本経済新聞にほんけいざいしんぶん「Nikkei Net」 http://company.nikkei.co.jp/news/news.cfm?Nik_Code=0030629&Page=1&Back_sid=IR_CT&genreCode=m3&newsId=d3l0605406&newsDate=20071106&RELEASE=2007/11/06
  13. ^ 月刊げっかんエアライン2008ねん6がつごう
  14. ^ さよなら「鶴丸つるまる」(http://www.jal.co.jp/tsurumaru/)
  15. ^ 日本航空にほんこうくう国際線こくさいせん時刻じこくひょう」2008ねん5がつ
  16. ^ 路線ろせん航空機こうくうきすう http://www.jal.com/ja/corporate/gaiyo/flight.html
  17. ^ "International Routes"「Top 25 Airlines, The Hot List 2008」 Conde Nast Traveler, Condé Nast Publications
  18. ^ 「Jetsetter」Departures, June 2008
  19. ^ "International Routes"「Top 25 Airlines, The Hot List 2008」 Conde Nast Traveler, Condé Nast Publications
  20. ^ 「ファディッシュ考現学こうげんがく田中たなか康夫やすおちょ 朝日新聞社あさひしんぶんしゃ 1990ねん
  21. ^ きゃくじょう組合くみあい(http://www.ne.jp/asahi/jal/cau/ey_ans1.htm)
  22. ^ http://www.travelvision.jp/modules/news1/article.php?storyid=36339&cid=2
  23. ^ 月刊げっかんエアライン」 2007ねん8がつごう イカロス出版いかろすしゅっぱん
  24. ^ 全日空ぜんにっくう「プレミアムクラスの座席ざせき使用しよう前後ぜんご間隔かんかく改修かいしゅうじょうきょうについて」https://www.ana.co.jp/dom/inflight/premiumclass/pc_inflight_s1.html
  25. ^ http://www.jal.com/ja/ir/finance/factbook/2006_03.xls
  26. ^ ボーイング747-400で運航うんこうされていたが、2006ねん3がつ31にちをもって伊丹空港いたみくうこうすべての3・4はつ有償ゆうしょう運用うんよう禁止きんしとなったためこれの代替だいたいとなった。
  27. ^ この区間くかんだけでも利用りよう可能かのうである。国内線こくないせんクラスJの料金りょうきんでファーストクラス、普通ふつうせき料金りょうきん前方ぜんぽうであればビジネスクラスを体感たいかんすることが出来できる。ただしサービスはあくまで国内線こくないせんようであるので国際線こくさいせん使用しようされるシートモニターとう使用しようできない。
  28. ^ 「DC-8 FOREVER—退役たいえき記念きねん!JAL DC-8のほん日本航空にほんこうくうパイロットへん 1987ねん
  29. ^ 「JALグループ50ねん航跡こうせき日本航空にほんこうくう広報こうほうデジタルアーカイブ・プロジェクトへん 2002ねん 日本航空にほんこうくう
  30. ^ 「JALグループ50ねん航跡こうせき日本航空にほんこうくう広報こうほうデジタルアーカイブ・プロジェクトへん 2002ねん 日本航空にほんこうくう
  31. ^ 「Winds」 1984ねん3がつごう
  32. ^ 読売よみうりONLINE 2007/11/26」http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20071126i305.htm

参考さんこう文献ぶんけん

  • 「4196にんのスチュワーデス―スチュワーデスのほん’85」深田ふかた祐介ゆうすけ 1985ねん 日本航空にほんこうくう
  • 「SKYWARD」JALブランドコミュニケーション 2006ねん12がつごう
  • 「DC-10/MD-11&L-1011」イカロス出版いかろすしゅっぱん 2000ねん ISBN 4871492753
  • 「クラシックエアライナーインジャパン」イカロス出版いかろすしゅっぱん 2005ねん ISBN 4871497240
  • マッハの恐怖きょうふ」(文庫ぶんこ柳田やなぎだ邦男くにお 新潮社しんちょうしゃ 1986ねん ISBN 4101249059
  • ぞく・マッハの恐怖きょうふ」(文庫ぶんこ柳田やなぎだ邦男くにお 新潮社しんちょうしゃ 1986ねん ISBN 4101249067
  • 死角しかく 巨大きょだい事故じこ現場げんば柳田やなぎだ邦男くにお 新潮社しんちょうしゃ 1988ねん ISBN 4101249083

外部がいぶリンク