沢田 研二(さわだ けんじ、1948年6月25日 - )は、日本の歌手、俳優、作詞・作曲家。ザ・タイガース、PYGのボーカル(PYGは萩原健一とのツインボーカル)。両親の実家がある鳥取県鳥取市生まれで京都府京都市育ち。本名:澤田 研二(読み同じ)。ニックネームはジュリー(由来は沢田本人が女優のジュリー・アンドリュースのファンだったため)[4]。妻は田中裕子。前妻は伊藤エミ。身長171cm。血液型A型。
1960年代後半のグループ・サウンズ全盛期から最前線で活躍し、ソロとしてのシングル総売上は1,241万枚を記録(1982年から1991年までの9年間は歴代1位の座を保つ[5]。アルバムも合わせた総売上は約1,572万枚)。ザ・タイガース、PYG時代も含めたシングルの総売上は1,668万枚に上る。HMVによる日本史上最高のトップポップスアーティスト100にて17位に選ばれた[6]。
来歴
生い立ち
1948年6月25日、両親の実家がある鳥取県岩美郡津ノ井村(現:鳥取市津ノ井)で出生[7]。戸籍上の名前では、“研”という文字の右下に点がある。当時、父親が舞鶴市内の火薬研究所の取引先に勤務しており、二番目の子だったため「研二」と命名された[8]、この他に妹がいる[9]。京都市立第三錦林小学校、同・岡崎中学校卒業後、1964年4月、京都府立鴨沂高等学校入学、後に同校を中退。
なお、同じ高校の同学年に女優の大信田礼子がいた。少年時代はプロ野球選手に憧れ、選手では川上哲治、藤尾茂が好きだった。中学では野球部のキャプテンを務め、ポジションは一塁手。京都市大会で4位になり、京都府大会に進出したが、ここで負けたことで野球選手の夢は諦めたという[10]。高校では空手部に所属[10]。
ザ・タイガース期
京都のダンス喫茶「田園」でドアボーイのアルバイトをしている時にサンダースに声をかけられ、17歳の沢田はローディー兼ボーカリストになった。そのステージを見たサリーとプレイボーイズのサリー(岸部修三=現・岸部一徳)からリード・ボーカルとして誘われ、翌年の元日に沢田はサリーとプレイボーイズに正式加入、グループ名は「ファニーズ」と改めた。
ファニーズは、大阪のジャズ喫茶「ナンバ一番」に出演した際に、上条英男、スパイダクション(現・田辺エージェンシー)、そして共演したロック歌手の内田裕也からも声をかけられた。しかし具体的な話が進まなかったため、当時リーダーであった瞳みのるが東京・代々木上原の内田裕也宅を訪ね、瞳の熱意の甲斐あってメンバー全員が渡辺プロと契約。上京後、ザ・ヒットパレードのプロデューサーであったすぎやまこういちによって、テレビ番組の出演直前に「ザ・タイガース」と新たに名付けられる[11])。この時、内田に『沢ノ井謙』と言う芸名を勧められたが、沢田は本名でやりたいと拒否している[4]。
ザ・タイガース 人気爆発 - 解散
1967年2月5日にシングル「僕のマリー」でデビュー。セカンド・シングル「シーサイド・バウンド」で人気が爆発し、続く「モナリザの微笑」、そして「君だけに愛を」で一気にグループ・サウンズ (GS) の頂点へと躍り出る。とりわけ端整な容姿を持った沢田は、貴公子的存在として10代の少女や20代の女性を中心に熱狂的な人気を獲得した。
1968年8月12日にザ・タイガースが後楽園球場で開催した「真夏の夜の祭典」は、日本で初めてのスタジアムコンサート[12]。なお、ソロとしてのスタジアムコンサートは田園コロシアム(ザ・タイガース、PYGとしても開催)、大阪スタヂアム、ナゴヤ球場、横浜スタジアム、東京ドーム、京セラドーム大阪で開催している。
1969年3月1日、アメリカの音楽雑誌の中でも歴史が長く、最も権威ある音楽雑誌の一つ『ローリング・ストーン』[13] (Vol.28) の表紙に登場。日本版が刊行される前の同誌において、日本人が表紙を飾ったのは、これが最初で最後だった。
1971年1月24日、日本武道館で行われた「ザ・タイガース ビューティフル・コンサート」でグループは解散した。
PYG期
ザ・タイガースの解散後、沢田は1971年2月1日、新たなバンド・PYGに参加する。英米で結成されたクリームやブラインド・フェイスのようなスーパー・グループで、ザ・スパイダースから井上堯之と大野克夫、ザ・テンプターズから萩原健一、大口広司、ザ・タイガースから沢田と岸部修三という6人のメンバーによって結成された。このバンドは沢田と萩原によるツインボーカルで、井上、大野、岸部ら作詞や作曲、演奏ができる技巧派が揃い、本格的なニューロックを目指した[14]。
しかし、日本ではまだ反体制のジャンルとされていたロックを、当時最大手の芸能事務所だった渡辺プロダクションの所属ミュージシャンが演奏することに対し、「商業主義」「芸能界が創り出したもの」として、コンサートではPYGにトマトや空き缶を投げつける聴衆もいた[15]。
ソロ活動 - 全盛期
1971年11月1日発売のシングル「君をのせて」でソロデビューしたが、オリコン週間チャートでの最高位は23位、累計売上は10万枚だった。GSの先輩であったザ・ワイルドワンズの加瀬邦彦プロデュースの下、長く音楽ランキングトップ10にチャートインし続けた沢田のソロ活動のスタートであった。
1972年3月11日発売の「許されない愛」がオリコン最高位4位を記録し、ソロとして初のオリコントップ10入りを果たした。一方、PYGのもう1人のボーカルである萩原健一の俳優活動が本格化してPYGは実質的に形骸化、他のメンバーは沢田のバックバンド 井上堯之バンドとして活動していくことになった。またテレビドラマ「太陽にほえろ!」第20話に犯人役でゲスト出演し、マカロニ刑事の萩原健一に撃たれ死ぬ役を演じた。(番組の企画段階では殿下役としてキャスティングされていた[16]。)
1973年4月21日発売の「危険なふたり」が65万枚を売り上げソロ初のオリコン1位を獲得、第4回日本歌謡大賞を受賞(歌謡大賞歴代最高視聴率の47.4%を記録)し、ソロとしての人気を確固たるものとした。この作品以降、斬新なファッションが確立されることになった。翌1974年には「追憶」が58万枚を売り上げ2曲目のオリコン1位を獲得した。同年7月21日、日比谷野外音楽堂でのコンサートを皮切りに「Julie Rock'nTour」と題し日本で初めての全国ツアーを行った(16都市34公演)[17]。以降も2019年まで毎年、全国ツアーを決行した。(2020年は疫病の蔓延により全公演が中止。2021年から再開している。)
1975年1月にはシングル「愛の逃亡者 THE FUGITIVE」でイギリス、「MON AMOURE JE VIENS DU BOUT DU MONDE」(日本語版「巴里にひとり」)でフランスに進出。フランスでは週間ラジオチャートでトップ4に入るヒットとなった[18]。さらに20万枚のヒットとなり、フランスのゴールデンディスク賞を日本人として初めて受賞する。以降、1978年にかけてフランス、イギリス、ドイツ、ベルギー等でシングル盤を発売した。また、1974年にハワイ、1977年・1978年にグアム、1979年にシンガポール、1980年・1982年に香港でそれぞれコンサートを開催している。
1975年6月4日、7年間の交際を経てザ・ピーナッツの伊藤エミ(当時34歳)と結婚[19]。同年7月20日、比叡山延暦寺で結婚式を行った。同日に開催した比叡山フリーコンサートにおいて夫婦揃ってステージに上がり、ファンに対して結婚報告を行った。二人の間には後に長男が生まれている[20]。
1975年8月21日に発売された「時の過ぎゆくままに」は5週連続オリコン1位、累計売上92万枚を記録し、沢田にとって最大のヒット曲となった。同曲は、沢田との仕事を熱望していた久世光彦が渡辺プロダクションに企画書を持ち込んだ3億円事件をテーマに製作されたTBSドラマ「悪魔のようなあいつ」の挿入歌として使用され大ヒットとなった。主演の沢田が歌う劇中歌でもあった。なお、共演した岸部修三はこのドラマの放映開始から間もなく井上堯之バンドを脱退、後に岸部一徳と改名し俳優の道を進んだ。
1975年12月、沢田は東京駅新幹線ホームにて出迎えの女性ファンの行動をなじった同駅職員に頭突きを加え、書類送検される。
1976年5月、沢田は新幹線の車内で乗客とトラブルを起こし、暴行事件を起こす(いもジュリー事件)。 こちらは被害者が示談より、沢田に対する書類送検は行われたものの起訴猶予以下が相当とされ、不起訴処分となった。この影響で沢田は1ヶ月間謹慎した。
同年9月に久世光彦(小谷夏名義)作詞、沢田作曲の「コバルトの季節の中で」を発売。同12月、武道館で初のコンサート。この年、NHK紅白歌合戦、賞レースは暴行事件の影響で全て辞退した。
1977年5月に発売された「勝手にしやがれ」は、オリコン週間チャート1位を獲得。5週にわたって1位を獲得した。この曲で、第19回日本レコード大賞を受賞。受賞シーンでは、萩原健一や岸部一徳などのザ・タイガース・PYG時代からの仲間が駆けつけた(レコード大賞で歴代最高視聴率の50.8%も記録)。その他第8回日本歌謡大賞(視聴率46.3%)など、同年の主要な賞レースを独占した。
ヴィジュアル期 - 黄金期
1974年の「Julie Rock'nTour」でインディアンのようなチークをしたり、1975年の比叡山フリーコンサートでブルーのラメ入りのアイシャドウをするなど化粧はステージでは行っていたが、お茶の間に流れる一般のテレビ番組では控えていた。しかし沢田はこれまでの意識を変え、1977年の「さよならをいう気もない」では金色のキャミソールを着て歌唱した。以降、ヴィジュアルを重視したスタイルをエスカレートさせていく[21]。
1978年に発売された「サムライ」では、刺青風の模様が施されたシースルーの上にナチスのロゴが入った軍服を羽織り、「LOVE (抱きしめたい)」ではスタジオに雨を降らせ、血で染まった包帯を手に巻くなど、前述のようにヴィジュアルはどんどん奇抜な方向に進んでいった[22]。
同年発売の「ダーリング」では、日本有線大賞を受賞し沢田自身5曲目のオリコン1位を獲得した。「LOVE (抱きしめたい)」は第20回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。
同年の第29回NHK紅白歌合戦では、ロック・ポップス歌手として初めての大トリをつとめる(対抗の女性歌手は山口百恵)。この1978年を例にとると、年間のテレビ出演700本以上、ラジオ300本、取材300本、地方公演100日に上った。
この年のシングルの売上は、「サムライ」52万枚、「LOVE(抱きしめたい)」48万枚、「ダーリング」44万枚であり、様々な大ヒット作を世に送った。
1979年に発売された「カサブランカ・ダンディ」ではウイスキーを口にふくんで霧のように吹く演出が大きな話題となり約40万枚のセールスを記録。同曲でTBS系列の歌番組「ザ・ベストテン」で前年のダーリングにつぎ1位を獲得したが、西城秀樹の28枚目のシングル「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」大ヒット中だったため同曲での1位獲得は1週のみとなり、ザ・ベストテンでの1位獲得は同曲で最後となった。
「OH! ギャル」では当時日本ではまだ珍しい、マニキュアを爪に施し、マレーネ・ディートリヒをオマージュしたメイクをした。
1980年1月1日に発売された「TOKIO」では、電飾が施されたスーツを身に纏い、パラシュートを背負って歌唱する奇抜なパフォーマンスが大きな話題を呼んだ。
同年の「恋のバッド・チューニング」では青や金色のカラーコンタクトを装着するパフォーマンスをみせた。井上堯之バンドのリーダー井上堯之は、グラマラスなコスチュームに走る沢田についていけず、井上堯之バンドは80年1月24日に解散した。沢田は同年4月に胃潰瘍で1ヶ月間入院した。
「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」では、沢田自身作曲のシングルとしては最高の36万枚のセールスを記録。「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」は、ザ・ベストテンで最高位3位、オリコンで最高位6位を記録した。同曲でオリコントップテン以内ランクイン、ザ・ベストテンへの出演は最後となった。
ソロ活動と並行して1981年1月、ザ・タイガースが瞳みのるを除くメンバーで10年ぶりに再結成。GS時代に縁のあった日劇が取り壊されることとなり、最後の日劇ウエスタンカーニバルに出演するためだったが、これを契機に同年秋、「ザ・タイガース同窓会」と銘打った企画で11年ぶりにシングル「十年ロマンス」を発売、翌年に発売された2枚目となるシングル「色つきの女でいてくれよ」は約42万枚を売り上げる大ヒットを記録した。また、武道館を含む全国ツアーも行った。
第34回NHK紅白歌合戦では、アダム&ジ・アンツ風ジャングル・ビートの「晴れのちBLUE BOY」で金杯を獲得。軍服にサーチライトを装着したコスチュームで登場した。
俳優としては1979年に公開された映画『太陽を盗んだ男』で原子爆弾を作る理科教師を演じ、第4回報知映画賞でグランプリにあたる作品賞と主演男優賞を受賞、キネマ旬報読者選定邦画ベストテン第1位に選ばれた。日本アカデミー賞では主演男優賞にノミネートされた。1981年に天草四郎役で主演した映画『魔界転生』は、観客動員数200万人、配給収入10億5千万円を記録した[23]。
独立期
1985年1月からの半年間の休養を経て、沢田はデビュー以来所属してきた渡辺プロダクションから独立。渡辺プロダクション傘下の"株式会社ココロ"を設立し、レコード会社もポリドールから東芝EMIに移籍した。
同年6月に自叙伝『我が名は、ジュリー』(玉村豊男編 / 中央公論社)を刊行。8月発売の移籍第1弾の作品は、沢田自身が作詞・作曲したシングル「灰とダイヤモンド」。新たなバックバンドとしてチト河内を中心にCO-CóLOを結成。アルバムでは「架空のオペラ」をリリース。
1985年に日米合作映画「Mishima: A Life In Four Chapters」(日本未公開)で劇中劇「鏡子の家」に出演、カンヌ映画祭に緒形拳らと共に出席。同作品は最優秀芸術貢献賞を受賞。
1987年1月、伊藤エミに慰謝料18億1,800万円を支払い、離婚[19]。1986年8月から伊藤と別居していた沢田は、1982年の映画『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』で共演した田中裕子と不倫関係にあった[19]。田中とは1989年11月に出雲大社で再婚することとなる[19]。1987年3月に京都公演中のステージから転落し、左肘骨折・肋骨打撲で1ヶ月間入院。
1986年の「CO-CóLO 1 〜夜のみだらな鳥達〜」をはじめとしたCO-CóLOの3部作は、沢田の作詞した作品を技巧派のバンドメンバーがダークなメロディラインで曲を作った。音楽関係者の評価は変わらず高かったが、当時のミュージックシーンには受け入れられなかった。1988年、3年間活動を共にしCO-CóLOは解散。
1989年、EXOTICSのメンバーだった吉田建をプロデューサーに迎え、村上'ポンタ'秀一を加えて新バンドJAZZ MASTERを結成し、アルバムでは「彼は眠れない」を発表。同年、10年間に渡って継続する音楽劇 ACTシリーズがスタート。横浜アリーナで行われたタイガースメモリアルクラブバンドのコンサートに参加した。同年末の「第40回NHK紅白歌合戦」ではシングル「DOWN」の他、ザ・タイガースとしても出場し、「花の首飾り」と「君だけに愛を」のヒットメドレーを披露した。同番組の出場者としては初めて同一回で2度出場した。1991年、デビュー25周年を記念してCD化されていなかった旧譜が東芝EMIより発売。25周年にちなみ、NHK-BS2では5日間計25時間の特集番組「美しき時代の偶像」が放送された。
1992年から、「懐メロ歌手ではない現役の歌手だから」という理由で、沢田は音楽番組での過去の映像の放映を許可しなくなる(2001年以降は解禁している)。
1994年、「HELLO」で5年ぶりに紅白歌合戦に出場。1995年、沢田は「これからは、自分のやりたい音楽を、やりたいようにやっていきたい」とセルフ・プロデュースを宣言し、23年ぶりのセルフ・プロデュースアルバム「sur←」を発表した。以降、現在に至るまで一貫して沢田自身がアルバムのプロデュースを手掛けている。
1997年には岸部一徳、森本太郎とともにユニット"TEA FOR THREE"を結成し、「君を真実に愛せなくては他の何も続けられない」を発表。
1980〜90年代にかけて俳優としてはNHKの連続テレビ小説「はね駒」や大河ドラマ「山河燃ゆ」「琉球の風」、映画「カポネ大いに泣く」「夢二」ほか、フジテレビ「プロ野球ニュース」の準レギュラーとして出演した。
2000年以降
2001年、過去の映像の放映を解禁。同時にテレビの音楽番組に復帰し、フジテレビ「新常識クイズ!目からウロコ」の司会も担当するなど積極的なメディア露出を行ったが、「テレビはもう自分の居場所ではなかった」として翌年からは再びテレビ露出をセーブ。
2002年、自主レコードレーベルとなるJULIE LABELを設立。このレーベルからリリースされた沢田のオリジナル・アルバムには、目玉焼きやホットケーキといった独特のパッケージ・デザインが施されている。
2005年には、ポリドール在籍時代のアルバム21タイトルと3枚のベスト・アルバムのリマスター盤が相次いで再発売され、そのうちベスト盤「ロイヤル・ストレート・フラッシュ」がオリコンの邦楽アルバムTOP50にランクインした。
2008年、還暦を記念して、初の二大ドームコンサート「人間60年・ジュリー祭り」を開催し、東京ドーム、京セラドーム大阪両日で5万4,000人を集めた。このうち、数曲において1000人のコーラス隊を従え、約6時間半でフルコーラス80曲を歌いきるという圧巻のステージを敢行。このコンサートは、第21回ミュージック・ペンクラブ音楽賞のコンサート・パフォーマンス賞を受賞。
2010年、長年プロデューサーだった加瀬邦彦とともにザ・ワイルド・ワンズと組んで『ジュリー with ザ・ワイルドワンズ』を結成[24]。シングル『渚でシャララ』、アルバム『JULIE with THE WILD ONES』を発表し、全国ツアーを行った[25]。第23回ミュージック・ペンクラブ音楽賞コンサート・パフォーマンス賞「JULIE with THE WILD ONES LIVE “僕達ほとんどいいんじゃあない”」 受賞。
2011年、長年交流を絶っていた元ザ・タイガースの瞳みのるが40年ぶりに芸能界に復帰。岸部一徳、森本太郎らタイガースのメンバーと共に、全国33都市38公演に及ぶ沢田の全国ツアー「沢田研二 LIVE 2011~2012」にゲストとして帯同した。ツアー最終日の2012年1月24日、会場となった日本武道館には岸部四郎も参加し、1971年1月24日で解散した時のメンバーが再集結したメモリアルコンサートとなった[26]。
2012年3月11日、前年の同日に起こった東日本大震災被災地への祈りを込めたミニアルバム「3月8日の雲」を発表した。以降、毎年3月11日に「祈り」をテーマにした新曲を発表している。
2013年12月3日、44年ぶりとなるオリジナルメンバーによるザ・タイガースのコンサートを日本武道館において行った[27]。12月27日のツアーファイナルは、東京ドームに45,000人を動員。この時も岸部四郎が登場し、初めて6人によるザ・タイガース全員の集結が実現した。
2017年7月16日、自身の芸能生活50周年を記念した全国ツアー「沢田研二 50周年記念LIVE 2017-2018」をNHKホール公演を皮切りにスタート。50周年にちなんで往年のヒット曲から最新の楽曲まで50曲をワンコーラスずつ歌った。
2018年7月から2019年2月にかけて、アリーナクラス10公演を含む全67公演に及ぶ大規模な古希記念ライブツアー「沢田研二 70YEARS LIVE 『OLD GUYS ROCK』」を開催した[28]。なお、当該ツアー中、10月17日に予定されていたさいたまスーパーアリーナでの公演が観客が少ないことを理由に開演直前になって急遽中止になるというトラブルが発生した。今ツアーから、サポートメンバーはギタリストの柴山和彦のみの体制となり、リズムボックス等の機材も一切使用しないスタイルを取っている。
2020年、全27公演の全国ツアーが予定されていたが、新型コロナウイルス感染症感染拡大防止の為、全公演が中止となった。また、同年3月発売のシングル「Help!Help!Help!Help!」がオリコン週間シングルランキングで20位となり、「灰とダイヤモンド」以来35年ぶりのTOP20入りとなった。
同年5月、映画『キネマの神様』(2021年公開)で、新型コロナウイルス感染症による肺炎で死去した志村けんの代役として主演する事が明かされた。沢田の映画出演は『幸福のスイッチ』以来15年ぶり[29]。
同年12月、新型コロナウイルス感染症の収束が見えない現状を踏まえ、ファンクラブ「澤會」を解散すると公式サイトで発表した。
2021年、ソロ活動50周年を記念したライブ「沢田研二 2021 ソロ活動50周年LIVE『BALLADE』」を東名阪で開催した。また、同年9月から11月まで全12公演の追加公演を予定。
エピソード
- 2000年11月、雑誌『日経エンタテインメント!』誌上での特集「J-POP巨人列伝-20世紀を駆け抜けた10人」において、第2位に沢田が選出された(第1位は美空ひばり)[30]。
- 朴一は著書「僕たちのヒーローはみんな在日だった…芸能・スポーツ界のKパワー」で、イニシャルながらも沢田のことを在日韓国・朝鮮人であると虚偽の決めつけ記事を掲載した。沢田が過去に「李花幻(いいかげん)」というペンネームで作詞・作曲していたことも誤解を招くきっかけとなった。これに対し沢田は、著書「我が名は、ジュリー」(中央公論社)に戸籍謄本のコピーを掲載し、日本国籍であると記しており、朴の主張は誤りである。
- 独立後のコンサートでは、1985年以降の楽曲をメインに、4~5曲ほどのヒット曲を織り交ぜる形で歌っている(2008年の還暦を記念したドーム公演「人間60年・ジュリー祭り」や、2017年のデビュー50周年ツアー等、キャリアを総括するコンサートでは、一部例外もある)。
- 父親は戦前、衣笠貞之助の付き人をしていた。
- 普段は関西弁である。
- 歌唱時マイクは基本的に左手で持つ。
- ザ・タイガース時代に運転免許の取得を試み、挫折したが、1979年に主演した映画『太陽を盗んだ男』で運転シーンがあったため、このシーンのために仕事の合間を縫って上北沢自動車学校に通い取得した。
- 2012年12月14日、第46回衆議院議員総選挙に東京8区から立候補した、山本太郎の応援演説に駆けつけた。
- 2018年のコンサート中止の際の、囲み取材の容姿が、カーネル・サンダースに似ていると主にネット上で話題になる。
- 2019年、萩原健一の死去に際して、同年5月のコンサートの中で「俺はあいつが大好きだ」と発言し、その死を悼んだ。
- 志村けんとは盟友とも言える関係で志村やザ・ドリフターズとのコント他、志村との舞台やラジオ番組には積極的に出演した。
- 2019年末から個人事務所の社長に岸部一徳が就任した[31]。
楽曲
カバー
その他
ディスコグラフィ
シングル
アルバム
ソロデビュー以来、毎年必ず新作アルバムを発表し、他に例を見ない連続記録といわれた[37]。
2014年3月26日には『JULIE』〜『NON POLICY』、2015年9月16日にはEMI所属時代に発売されたアルバムのうち『架空のオペラ』〜『HELLO』がユニバーサルミュージックからSHM-CDとして再発売された(『sur←』〜『新しい想い出 2001』は個人レーベルJULIE LABELから再発売されている[38])。
ミニアルバム
2008年まで毎年行ってきたアルバム制作を縮小し、2009年からは4〜6曲程度収録したミニアルバムを発表するようになった。2012年からは、前年の東日本大震災をきっかけに「祈り」をテーマにした楽曲を制作しており、作詞は全て沢田が手がけている。
ベスト・アルバム
ライブ・アルバム
その他作品
ライブ・テレビ出演映像作品
ソロデビュー以降、恒例の東京・大阪を中心とした正月コンサートと、全国ツアーを行っている。以下、映像化されたものを記す。
-
|
発売日・放映年
|
題名
|
媒体
|
収録
|
備考
|
1 |
1980年7月21日 |
JULIE PRESENTS'80 BAD TUNING |
VHS、β |
1980年5月24日 横浜スタジアム |
2002年VHSのみ再発
|
2 |
1983年3月10日 |
JULIE CONCERT TOUR'83 MIS CAST |
VHS、β |
|
2003年VHSのみ再発
|
3 |
1991年3月 |
KENJI SAWADA With Jazz Master |
VHS、DVD |
1990年10月28日 一橋大学学園祭 |
DVDは数量限定
|
4 |
1992年1月16日 |
武道館コンサート ジュリーマニア |
VHS、DVD |
1991年10月11日 日本武道館 |
|
5 |
1992年7月 |
A SAINT IN THE NIGHT |
VHS、DVD |
1992年2月22日 NHKホール |
DVDは数量限定
|
6 |
1994年4月25日 |
REALLY LOVE YA!! |
VHS、DVD |
1994年1月6日 渋谷公会堂 |
|
7 |
1995年1月5日 |
ZU ZU Songs |
VHS、DVD |
1994年10月2日 渋谷公会堂 |
|
8 |
1996年6月 |
あんじょうやりや |
VHS、DVD |
1996年3月8日 ティアラこうとう |
|
9 |
1997年6月 |
Concert Tour 96 and 97 愛まで待てない |
VHS、DVD |
1997年2月8日 パルテノン多摩 |
|
10 |
1997年10月 |
tour'97 サーモスタットな夏 |
VHS、DVD |
1997年10月18日 日比谷野外音楽堂 |
|
11 |
1998年6月 |
ROYAL STRAIGHT FLUSH |
VHS、DVD |
1998年1月6日 渋谷公会堂 |
|
12 |
1999年1月 |
1998 ROCKAN' TOUR |
VHS、DVD |
1998年10月3日 松戸森のホール21 |
DVDは数量限定
|
13 |
1999年5月 |
1999正月コンサート |
VHS、DVD |
1999年1月9日 渋谷公会堂 |
DVDは数量限定
|
14 |
2000年3月 |
いい風よ吹け |
VHS、DVD |
1999年11月14日 東京厚生年金会館 |
DVDは数量限定
|
15 |
2000年6月 |
祝・2000年正月大運動会 |
VHS、DVD |
2000年1月8日 渋谷公会堂 |
DVDは数量限定
|
16 |
2000年12月 |
耒タルベキ素敵 |
VHS、DVD |
2000年9月24日 渋谷公会堂 |
DVDは数量限定
|
17 |
2001年4月 |
21世紀初三大都市公演 |
VHS、DVD |
2001年1月6日 渋谷公会堂 |
DVDは数量限定
|
18 |
2002年 |
新しい想い出 |
VHS、DVD |
2001年12月8日 大宮ソニックシティ |
DVDは数量限定
|
19 |
2002年9月 |
糸車のレチタティーボ |
VHS、DVD |
2002年1月7日 渋谷公会堂 |
DVDは数量限定
|
20 |
2002年11月12日 |
快傑ジュリーの冒険 |
VHS、DVD |
フジテレビ番組『クイズドレミファドン』出演時の映像を収録(1976年-1987年、全28話) |
|
21 |
2003年7月 |
忘却の天才 |
VHS、DVD |
2002年10月26日 府中の森芸術劇場 |
DVDは数量限定
|
22 |
2003年7月 |
LOVE & PEACE |
VHS、DVD |
2003年1月7日 渋谷公会堂 |
DVDは数量限定
|
23 |
2004年3月 |
明日は晴れる |
VHS、DVD |
2003年11月3日 大宮ソニックシティ |
DVDは数量限定
|
24 |
2004年7月 |
爛漫甲申演唱会 |
VHS、DVD |
2004年1月18日 渋谷公会堂 |
DVDは数量限定
|
25 |
2005年5月25日 |
CROQUEMADAME & HOTCAKES |
DVD |
2004年11月6日 大宮ソニックシティ |
|
26 |
2005年6月1日 |
師走 RomantiX |
DVD |
2004年12月25日 東京国際フォーラム ホールA |
|
27 |
2006年5月15日 |
greenboy |
DVD |
2005年11月19日 大宮ソニックシティ |
|
28 |
2007年5月3日 |
ワイルドボアの平和 |
DVD |
2006年1月14日 渋谷C.C.Lenmonホール |
|
29 |
2008年2月2日 |
生きてたらシアワセ |
DVD |
2007年10月13日 渋谷C.C.Lenmonホール |
|
30 |
2009年6月25日 |
人間60年・ジュリー祭り |
DVD |
2008年12月3日 東京ドーム |
4枚組DVD
|
31 |
2011年12月21日 |
沢田研二 in 夜のヒットスタジオ |
DVD |
フジテレビ番組『夜のヒットスタジオ』出演時の映像を収録(1975年5月5日-1990年2月21日、全102回) |
6枚組DVD
|
32 |
2012年6月29日 |
沢田研二 LIVE 2011〜2012 ゲスト:瞳みのる・森本太郎・岸部一徳 |
DVD |
2012年1月24日 日本武道館
|
|
33
|
2020年12月4日
|
沢田研二 BEST OF NHK DVD-BOX
|
DVD
|
NHK出演時の映像を収録
|
5枚組DVD
|
34
|
2021年4月28日
|
沢田研二 TBS PREMIUM COLLECTION
|
DVD
|
ザ・ベストテン出演映像を含むTBS出演時の映像を収録
|
7枚組DVD
|
舞台映像作品
1989年から1998年まで続いた音楽劇「ACT」シリーズ(演出・加藤直)では、ほぼ1人芝居で哲学的な内容を演じている。9枚組のCD全集が発売されている。
-
|
公演年
|
題名
|
媒体
|
公演場所・収録日・その他
|
備考
|
1 |
1977年 |
ロックオペラ・ハムレット |
レコード |
1977年6月29日-30日 NHKホール |
|
2 |
1990年 |
ACT BORIS VIAN |
VHS、DVD |
1990年3月7日-27日 東京グローブ座・新神戸オリエンタル劇場 |
夭折したフランスの芸術家を演じた1人芝居
|
3 |
1991年 |
ACT NINO ROTA |
VHS、DVD |
1991年3月3日-24日 東京グローブ座・神戸オリエンタル劇場 |
フェデリコ・フェリーニ監督の音楽を務めた作曲家がモチーフ
|
4 |
1992年 |
ACT SALVADOR DALI |
VHS、DVD |
1992年3月4日-22日 東京グローブ座・神戸オリエンタル劇場 |
スペインの幻影的な作風で知られる画家ダリがモチーフ。助演:篠井英介
|
5 |
1993年 |
ACT SHAKESPEARE |
VHS、DVD |
1993年3月公演 東京グローブ座・神戸オリエンタル劇場 |
音楽は例年のcobaに加えてドラム村上“PONTA”秀一、ベース高橋ゲタ夫が参加。
|
6 |
1994年 |
ACT エディット・ピアフ |
VHS、DVD |
1994年東京グローブ座・新神戸オリエンタル劇場で6-7月公演 |
フランスのシャンソン歌手エディツト・ピアフの生涯を歌と芝居でえがく
|
7 |
1995年 |
ACT BUSTER KEATON |
VHS、DVD |
1995年6月-7月 東京グローブ座、新神戸オリエンタル劇場で全22公演 |
喜劇役者パスター・キートンがモチーフ
|
8 |
1996年 |
DORA 100万回生きたねこ(共演:山瀬まみなど) |
CD |
1996年6月に東京芸術劇場でスタートし、国内全88公演+フランス公演 |
演出・振付:フィリップ・ドゥクフレ
|
9 |
1996年 |
ACT 宮沢賢治 |
VHS、DVD |
1996年11月14日東京グローブ座で収録、新神戸オリエンタル劇場などで 全21公演 |
ベートーベンの「運命」に「雨にも負けず…」と詩をのせて歌った
|
10 |
1997年 |
ACT ELVIS PRESLEY |
VHS、DVD |
1997年5月15日東京グローブ座で収録。神戸オリエンタル劇場をあわせて全21公演 |
ロックの王様プレスリーがモチーフ
|
11 |
1998年 |
ブルーエンジェル(共演:鈴木砂羽) |
CD |
1998年2月-3月 シアターコクーン全61公演 |
ロイヤル・シェイクスピアカンパニー初演、映画にもなった「嘆きの天使」の翻訳ミュージカル
|
12 |
1998年 |
ACT むちゃくちゃでごじゃりまするがな |
VHS、DVD |
1998年11月19日収録。東京グローブ座など全21公演 |
|
13 |
1999年 |
ミュージカル ザ・近松(共演:高嶺ふぶき、茂山宗彦、伊藤蘭らで再演) |
VHS、DVD |
1999年2月27日 日生劇場。全32公演 |
演出:大谷亮介
|
14 |
2001年 |
音楽劇 いつかヴァスコ・ダ・ガマのように(共演:藤山直美) |
VHS、DVD |
2001年9月-10月 シアターコクーンなど東京・名古屋・大阪で全40公演 |
演出:久世光彦
|
15 |
2002年 |
風狂伝'02(共演:緒形拳、小松政夫ら) |
VHS、DVD |
2002年6月28日 東京ル・テアトル銀座、大阪ドラマシティで全33公演 |
演出:久世光彦
|
16 |
2003年 |
沢田・志村の「さあ、殺せ!」(共演:志村けん) |
VHS、DVD |
2003年 シアターコクーン |
演出:久世光彦
|
17 |
2004年 |
歌劇 人情酸漿蛍(共演:石田えり) |
DVD |
2004年7月-9月 シアターコクーンなど |
演出:久世光彦
|
18 |
2005年 |
センセイの鞄(共演:坂井真紀) |
DVD |
2005年8月-9月、シアターコクーンをはじめ東京・神戸・名古屋で公演。 |
演出:久世光彦、原作:川上弘美
|
19 |
2006年 |
音楽劇モダン出世双六 天国を見た男(共演:南野陽子) |
DVD |
2006年 東京芸術劇場収録、シアタードラマシティ・名鉄ホールで全27公演 |
演出:マキノノゾミ
|
20 |
2008年 |
音楽劇ぼんち(共演:土居裕子など) |
DVD |
2008年4月19日 東京紀伊國屋サザンシアター収録。全28公演 |
演出:マキノノゾミ
|
21 |
2009年 |
探偵〜哀しきチェイサー(共演:伊藤蘭) |
DVD |
2009年4月 東京紀伊國屋サザンシアター収録。公演は東京・大阪で26公演 |
演出:マキノノゾミ
|
22 |
2010年 |
新・センセイの鞄(共演は富田靖子) |
DVD |
2010年4月3日 東京紀伊國屋サザンシアターで収録 |
演出:マキノノゾミ。全26公演
|
23 |
2012年 |
お嬢さんお手上げだ(共演:朝倉みかん) |
DVD |
2012年4月 東京紀伊國屋サザンシアターなど全30公演 |
演出:マキノノゾミ
|
24 |
2013年 |
探偵〜哀しきチェイサー・雨だれの挽歌(共演:南野陽子) |
DVD |
2013年3月〜5月 東京紀伊國屋サザンシアターなど全35公演 |
演出:マキノノゾミ
|
25 |
2014年 |
悪名〜The Badboys Return!(共演:いしのようこ) |
DVD |
2014年3月〜5月 東京紀伊國屋サザンシアターなど全34公演 |
演出:マキノノゾミ
|
26 |
2015年 |
お嬢さんお手上げだ・明治編(共演:那海) |
DVD |
2015年3月〜5月 東京紀伊國屋サザンシアターなど全44公演 |
演出:マキノノゾミ
|
27 |
2017年 |
大悪名〜The Badboys Last Stand!(共演:南野陽子、いしのようこ、土居裕子、那海) |
CD |
2017年5月〜6月 東京芸術劇場など全22公演 |
演出:マキノノゾミ
|
提供した楽曲、カバーされた楽曲
「沢田研二が作詞、もしくは作曲して他歌手に提供した楽曲一覧」と、「他歌手による、沢田研二・カバー楽曲の一覧」について。
受賞歴
●1972年
第14回日本レコード大賞 歌唱賞『許されない愛」
第5回日本有線大賞 優秀賞「許されない愛」
●1973年
第4回日本歌謡大賞 大賞『危険なふたり』
第15回日本レコード大賞 大衆賞「危険なふたり」
第6回日本有線大賞 歌唱賞「危険なふたり」
●1974年
第16回日本レコード大賞 歌唱賞『追憶』
●1975年
第4回FNS歌謡祭 下期優秀歌唱賞『時の過ぎゆくままに』
第1回あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭
年間話題賞「時の過ぎゆくままに」
第6回日本歌謡大賞 放送音楽賞「時の過ぎゆくままに」
フランスにてゴールデンディスク賞「MON AMOURE JE VIENS DU BOUT DU MONDE」(日本語版「巴里にひとり」)
●1977年
第19回日本レコード大賞 大賞『勝手にしやがれ』
第8回日本歌謡大賞 大賞
「勝手にしやがれ」
第8回日本歌謡大賞 放送音楽賞
「勝手にしやがれ」
第10回日本有線大賞 大賞
「勝手にしやがれ」
77あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭
ゴールデングランプリ
「勝手にしやがれ」
第6回東京音楽祭国内大会
ゴールデンカナリー賞「勝手にしやがれ」
第6回東京音楽祭世界大会
銀賞「勝手にしやがれ」
●1978年
第11回日本有線大賞 大賞『ダーリング』
第7回FNS歌謡祭・グランプリ『LOVE (抱きしめたい)』
'78あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭・ゴールデングランプリ「LOVE (抱きしめたい)」
第11回全日本有線放送大賞・大賞 「LOVE (抱きしめたい)」
第20回日本レコード大賞 最優秀歌唱賞「LOVE(抱きしめたい)」
第9回日本歌謡大賞 放送音楽賞「LOVE(抱きしめたい)」
●1979年
第21回日本レコード大賞 金賞『カサブランカ・ダンディ』
第8回FNS歌謡祭・優秀歌謡音楽賞 「カサブランカ・ダンディ」
第8回東京音楽祭国内大会・ゴールデンカナリー賞 『OH! ギャル』
第8回東京音楽祭世界大会・外国審査員団特別賞「OH!ギャル」
第10回日本歌謡大賞 放送音楽賞『ロンリー・ウルフ』
第4回報知映画賞主演男優賞 沢田研二『太陽を盗んだ男』
●1980年
第22回日本レコード大賞 金賞『酒場でDABADA』
第11回日本歌謡大賞 放送音楽賞「酒場でDABADA」
●1981年
第23回日本レコード大賞 金賞『ス・ト・リ・ッ・パ・ー』
第12回日本歌謡大賞 放送音楽賞「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」
●1982年
第24回日本レコード大賞 金賞『6番目のユ・ウ・ウ・ツ』
第24回日本レコード大賞企画賞 ザ・タイガース 企画者・沢田研二
第13回日本歌謡大賞 放送音楽賞「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」
●1983年
第25回日本レコード大賞 特別金賞
『きめてやる今夜』
第14回日本歌謡大賞 放送音楽プロデューサー連盟賞「きめてやる今夜」
第9回あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭・最優秀歌唱賞 「きめてやる今夜」
●1991年
第2回日本ジュエリーベストドレッサー賞 受賞
●2007年 第16回 日本映画批評家大賞 主演男優賞 沢田研二『幸福のスイッチ』
●2008年 第21回ミュージック・ペンクラブ音楽賞 ポピュラー部門コンサート・パフォーマンス賞「沢田研二 還暦記念コンサート 人間60年 ジュリー祭り」
●2010年 第23回ミュージック・ペンクラブ音楽賞 ポピュラー部門録音・録画作品賞「JULIE WITH THE WILD ONES/ジュリー with ザ・ワイルドワンズ」
第23回ミュージック・ペンクラブ音楽賞 ポピュラー部門コンサート・パフォーマンス賞「JULIE with THE WILD ONES LIVE “僕達ほとんどいいんじゃない”」
●2011年 第24回ミュージック・ペンクラブ音楽賞 ポピュラー部門コンサート・パフォーマンス賞「沢田研二Live2011−12ゲスト:瞳みのる・森本太郎・岸部一徳」
出演作品・出演番組
沢田研二が出演したテレビ番組、ラジオ番組、CM、映画、テレビドラマ、舞台、NHK紅白歌合戦出場歴について記載する。
著書・関連本
- 『ザ・スター沢田研二』(スポーツニッポン・石原信一著)- 1977年発売
- 『沢田研二写真集 僕の中の男たち』(ワールドレジャー・稲腰功一撮影)- 1977年発売
- 『ジョイナス=ブックス 沢田研二』(バンダイ出版事業部)- 1977年発売、表紙は「憎みきれないろくでなし」の衣装。
- 『水の皮膚』(パルコ出版)- 1980年発売、石岡瑛子プロデュースの写真集。
- 『我が名は、ジュリー』(中央公論社・沢田研二著、玉村豊男 編集) - 1985年6月に大型本、1986年12月に文庫本発売。
- 『Paradis,Paradis』(リトルモア)- 2002年2月発売。クリスチャン・ディオールのポスターや、タカラのCMでシーナ・イーストンなどの衣装を担当した早川タケジの衣装・スタイリング・アートディレクションを集大成した大型本。内容は、ほぼ80%以上、沢田の衣装写真である。
- 『JULIE by TAKEJI HAYAKAWA – 早川タケジによる沢田研二』(SLOGAN・早川タケジ著、熊谷朋哉 編集)- 2021年発売予定。
脚注
関連項目
人物
外部リンク
|
---|
シングル |
|
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
その他 | |
---|
|
---|
アルバム |
|
---|
スタジオ・アルバム | |
---|
EP | |
---|
ベスト・アルバム |
- 沢田研二 GLORIUS 20
- パーフェクト
- 沢田研二 パーフェクト14
- FOREVER 〜沢田研二ベスト・セレクション〜
- 沢田研二大全集
- Kenji Sawada Nice Songs 勝手にしやがれ
- Rock'n Julie with Tigers
- ダーリング・Julie
- ROYAL STRAIGHT FLUSH
- 沢田研二大全集
- 酒場でDABADA
- 沢田研二大全集
- 沢田研二作品集
- ROYAL STRAIGHT FLUSH[2]
- ジュリー・CMソング・コレクション
- 沢田研二大全集
- ROYAL STRAIGHT FLUSH[3]
- 全曲集〜灰とダイヤモンド
- Julie Special A面コレクション
- 我が名は、ジュリー
- SUPER BEST
- A SAINT IN THE NIGHT
- 沢田研二 B面コレクション
- AFTERMATH
- Royal Straight Flush 1971-1979
- Royal Straight Flush 1980-1996
- Distortion Love
- Cocolo Nooto
|
---|
ライブ・アルバム |
- JULIE III SAWADA KENJI RECITAL
- JULIE V 沢田研二 日生リサイタル
- JULIE VII THE 3rd 沢田研二リサイタル
- 沢田研二比叡山フリーコンサート
- 沢田研二リサイタル ハムレット・イン・ジュリー
- JULIE ROCK'N TOUR '78 田園コロシアムライブ
- JULIE ROCK'N TOUR '79
- 架空のオペラ '86
- '91 武道館コンサート "JULIE MANIA"
- 沢田研二 ライブセレクション
- 人間60年・ジュリー祭り
|
---|
ボックス・セット |
- ACT大全集
- ロイヤル・ストレート・フラッシュ 1 2 3
|
---|
その他 |
- サヨナラ日劇ウエスタン・カーニバル VOL3
- YOKOHAMAスーパーオペラ“海光”公演記念盤
- DORA〜100万回生きたネコ
|
---|
カテゴリ |
|
---|
映像作品 | |
---|
バラエティ番組 | |
---|
ドラマ | |
---|
映画 | |
---|
ラジオ | |
---|
関連人物 | |
---|
関連項目 | |
---|
カテゴリ |
|
---|
メンバー | |
---|
シングル | |
---|
アルバム |
THE TIGERS ON STAGE - 世界はボクらを待っている - ヒューマン・ルネッサンス - THE TIGERS AGAIN - 自由と憧れと友情 - ザ・タイガース・サウンズ・イン・コロシアム - ザ・タイガース・フィナーレ - THE TIGERS 1982 - A-LIVE - サヨナラ日劇ウエスタン・カーニバル
|
---|
出演映画 | |
---|
所属事務所/レコード会社 | |
---|
関連人物・項目 | |
---|
メンバーの関連項目 |
|
---|
シングル |
|
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
その他 | |
---|
|
---|
アルバム |
|
---|
スタジオ・アルバム | |
---|
EP | |
---|
ベスト・アルバム |
- 沢田研二 GLORIUS 20
- パーフェクト
- 沢田研二 パーフェクト14
- FOREVER 〜沢田研二ベスト・セレクション〜
- 沢田研二大全集
- Kenji Sawada Nice Songs 勝手にしやがれ
- Rock'n Julie with Tigers
- ダーリング・Julie
- ROYAL STRAIGHT FLUSH
- 沢田研二大全集
- 酒場でDABADA
- 沢田研二大全集
- 沢田研二作品集
- ROYAL STRAIGHT FLUSH[2]
- ジュリー・CMソング・コレクション
- 沢田研二大全集
- ROYAL STRAIGHT FLUSH[3]
- 全曲集〜灰とダイヤモンド
- Julie Special A面コレクション
- 我が名は、ジュリー
- SUPER BEST
- A SAINT IN THE NIGHT
- 沢田研二 B面コレクション
- AFTERMATH
- Royal Straight Flush 1971-1979
- Royal Straight Flush 1980-1996
- Distortion Love
- Cocolo Nooto
|
---|
ライブ・アルバム |
- JULIE III SAWADA KENJI RECITAL
- JULIE V 沢田研二 日生リサイタル
- JULIE VII THE 3rd 沢田研二リサイタル
- 沢田研二比叡山フリーコンサート
- 沢田研二リサイタル ハムレット・イン・ジュリー
- JULIE ROCK'N TOUR '78 田園コロシアムライブ
- JULIE ROCK'N TOUR '79
- 架空のオペラ '86
- '91 武道館コンサート "JULIE MANIA"
- 沢田研二 ライブセレクション
- 人間60年・ジュリー祭り
|
---|
ボックス・セット |
- ACT大全集
- ロイヤル・ストレート・フラッシュ 1 2 3
|
---|
その他 |
- サヨナラ日劇ウエスタン・カーニバル VOL3
- YOKOHAMAスーパーオペラ“海光”公演記念盤
- DORA〜100万回生きたネコ
|
---|
カテゴリ |
|
---|
映像作品 | |
---|
バラエティ番組 | |
---|
ドラマ | |
---|
映画 | |
---|
ラジオ | |
---|
関連人物 | |
---|
関連項目 | |
---|
カテゴリ |
|
|
---|
カテゴリ |
|
---|
第11回 - 第20回 (1969年 - 1978年) | |
---|
第21回 - 第30回 (1979年 - 1988年) | |
---|
第31回 - 第40回 (1989年 - 1998年) | |
---|
第41回 - 第50回 (1999年 - 2008年) | |
---|
第51回 - 第60回 (2009年 - 2018年) | |
---|
第61回 - (2019年 - ) | |
---|
|
|
---|
第1回 - 第10回 (1968年 - 1977年) | |
---|
第11回 - 第20回 (1978年 - 1987年) | |
---|
第21回 - 第30回 (1988年 - 1997年) | |
---|
第31回 - 第40回 (1998年 - 2007年) | |
---|
第41回 - 第50回 (2008年 - 2017年) | |
---|
|
---|
|
1991年からはショータイム形式に変更 |
|
---|
1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|
大: 大トリ 究極: 究極の大トリ |
|
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|
|
|
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|
※2017年度は授賞式中止
|
|
---|
10代 | |
---|
20代 | |
---|
30代 | |
---|
40代 | |
---|
50代 | |
---|
60代 以上 | |
---|
男性 | |
---|
特別 賞 | |
---|
*は複数回の受賞。男性は1992年から、60代以上は97年から、10代は99年から対象 |
|
---|
全般 | |
---|
国立図書館 | |
---|
学術データベース | |
---|
芸術家 | |
---|
その他 | |
---|
- ^ “第25回 大里洋吉 氏 | Musicman”. 音楽業界総合情報サイト | Musicman. 2021年4月9日閲覧。