メビウスの帯 おび 。一 ひと つの面 めん と一 ひと つの辺 あたり を持 も つメビウスの帯 おび は位相 いそう 幾何 きか 学 がく で研究 けんきゅう される対象 たいしょう の一種 いっしゅ 。
∞ は無限 むげん を示 しめ す記号 きごう である。
ウロボロス、循環 じゅんかん 性 せい (悪循環 あくじゅんかん ・永劫 えいごう 回帰 かいき )、永続 えいぞく 性 せい (永遠 えいえん ・円運動 えんうんどう ・死 し と再生 さいせい ・破壊 はかい と創造 そうぞう )、始原 しげん 性 せい (宇宙 うちゅう の根源 こんげん )、無限 むげん 性 せい (不老不死 ふろうふし )、完全 かんぜん 性 せい (全知全能 ぜんちぜんのう )など、意味 いみ する
神奈川大学 かながわだいがく 横浜 よこはま キャンパス碑 ひ 「メビウス”永遠 えいえん ”」
無限 むげん 革命 かくめい 論 ろん (むげんかくめいろん)とは、人間 にんげん の実存 じつぞん を哲学 てつがく の中心 ちゅうしん におく実存 じつぞん 主義 しゅぎ 思想 しそう 的 てき 立場 たちば から出発 しゅっぱつ して、中国 ちゅうごく 明朝 みんちょう 末期 まっき の東 ひがし 林学 りんがく 派 は の経世 けいせい 致用の学 がく (学問 がくもん は現実 げんじつ の社会 しゃかい 問題 もんだい 解決 かいけつ の為 ため に用 もち いなければならないとする思想 しそう )と結 むす びつき、またサルトル のマルクス主義 まるくすしゅぎ の評価 ひょうか と同様 どうよう に、マルクス主義 まるくすしゅぎ の革命 かくめい の理論 りろん を実存 じつぞん 主義 しゅぎ に取 と り入 い れ、人間 にんげん の現実 げんじつ 実存 じつぞん の為 ため に現実 げんじつ の社会 しゃかい 問題 もんだい を無限 むげん に改革 かいかく してゆくべきとする思想 しそう 。
主 おも に神奈川大学 かながわだいがく 人文 じんぶん 学会 がっかい 及 およ び、神奈川大学 かながわだいがく 人 じん 文学 ぶんがく 研究所 けんきゅうじょ 在籍 ざいせき の哲学 てつがく 者 しゃ ・比較 ひかく 文明 ぶんめい 学者 がくしゃ らによって主張 しゅちょう されている。保守 ほしゅ 主義 しゅぎ と進歩 しんぽ 主義 しゅぎ の衝突 しょうとつ が「久遠 くおん 」、「永遠 えいえん 回帰 かいき 」や「永遠 えいえん 」や「無限 むげん 」に繰 く り返 かえ されるという思想 しそう が特徴 とくちょう である。[1]
実存 じつぞん 主義 しゅぎ (じつぞんしゅぎ、フランス語 ふらんすご : existentialisme、英語 えいご : existentialism)は、人間 にんげん の実存 じつぞん を哲学 てつがく の中心 ちゅうしん におく思想 しそう 。本質 ほんしつ 存在 そんざい (essentia)に対 たい する現実 げんじつ 存在 そんざい (existentia)の優位 ゆうい を説 と く思想 しそう とされている。横濱 よこはま 専門 せんもん 学校 がっこう (神奈川大学 かながわだいがく )では京都大学 きょうとだいがく 出身 しゅっしん の実存 じつぞん 主義 しゅぎ 哲学 てつがく 者 しゃ (京都 きょうと 学派 がくは )の信太 しだ 正三 しょうさん がフリードリヒ・ニーチェ を研究 けんきゅう (著書 ちょしょ 『ニイチェ研究 けんきゅう 実存 じつぞん と革命 かくめい 』創 そう 文 ぶん 社 しゃ 1956年 ねん 等 とう )、やはり京都 きょうと 大学 だいがく で哲学 てつがく を専攻 せんこう した草薙 くさなぎ 正夫 まさお は日本 にっぽん で最 もっと も早期 そうき にカール・ヤスパース の思想 しそう を研究 けんきゅう し(著書 ちょしょ 『実存 じつぞん 哲学 てつがく の根本 こんぽん 問題 もんだい 現代 げんだい におけるヤスパース哲学 てつがく の意義 いぎ 』創 そう 文 ぶん 社 しゃ 1962年 ねん 等 とう )、1951年 ねん 2月 がつ 23日 にち (2月 がつ 23日 にち はヤスパースの誕生 たんじょう 日 び )武藤 むとう 光 ひかり 朗 ろう 、鈴木 すずき 三郎 さぶろう 、金子 かねこ 武蔵 むさし と共 とも に「日本 にっぽん ヤスパース協会 きょうかい 」を創立 そうりつ し、神奈川大学 かながわだいがく に教授 きょうじゅ として在籍 ざいせき した[2] 。
永劫 えいごう 回帰 かいき (えいごうかいき、ドイツ語 ご : Ewig Wiederkehren)とは、フリードリヒ・ニーチェ の思想 しそう で、『ツァラトゥストラはこう語 かた った 』においてはじめて提唱 ていしょう された。「時間 じかん は無限 むげん であり、物質 ぶっしつ は有限 ゆうげん である」という前提 ぜんてい に立 た ち、無限 むげん の時間 じかん の中 なか で有限 ゆうげん の物質 ぶっしつ を組 く み合 あ わせたものが世界 せかい であるならば、現在 げんざい の世界 せかい が過去 かこ に存在 そんざい し、あるいは将来 しょうらい も再度 さいど 全 まった く同 おな じ組 く み合 あ わせから構成 こうせい される可能 かのう 性 せい について示唆 しさ している。
経験 けいけん が一 いち 回 かい 限 かぎ り繰 く り返 かえ されるという世界 せかい 観 かん ではなく、超人 ちょうじん 的 てき な意思 いし によってある瞬間 しゅんかん とまったく同 おな じ瞬間 しゅんかん を次々 つぎつぎ に、永劫 えいごう 的 てき に繰 く り返 かえ すことを確立 かくりつ するという思想 しそう である。ニーチェは『この人 ひと を見 み よ』で、永劫 えいごう 回帰 かいき を「およそ到達 とうたつ しうる最高 さいこう の肯定 こうてい の形式 けいしき 」と述 の べている。ニーチェは積極 せっきょく 的 てき ニヒリズムを肯定 こうてい し、永劫 えいごう 回帰 かいき の思想 しそう の下 した 、自 みずか らを創造 そうぞう 的 てき に展開 てんかい していく、鷲 わし の勇気 ゆうき と蛇 へび の知恵 ちえ を備 そな えた「超人 ちょうじん 」になることをすすめた。第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご 、サルトル らによって世界 せかい 的 てき に広 ひろ がった実存 じつぞん 主義 しゅぎ は、普遍 ふへん 的 てき ・必然 ひつぜん 的 てき な本質 ほんしつ 存在 そんざい に相対 そうたい する、個別 こべつ 的 てき ・偶然 ぐうぜん 的 てき な現実 げんじつ 存在 そんざい の優越 ゆうえつ を主張 しゅちょう 、もしくは優越 ゆうえつ となっている現実 げんじつ の世界 せかい を肯定 こうてい してそれとのかかわりについて考察 こうさつ する思想 しそう であるとされる(「実存 じつぞん は本質 ほんしつ に先立 さきだ つ 」)。がさらに発展 はってん して、本質 ほんしつ はこうだが現実 げんじつ はこうであり、本質 ほんしつ 優位 ゆうい を積極 せっきょく 的 てき に肯定 こうてい せずに、現在 げんざい の現実 げんじつ をもってそれをどう解決 かいけつ していくべきなのかを積極 せっきょく 的 てき に考 かんが える現実 げんじつ 改革 かいかく の思想 しそう へとつながる。
実存 じつぞん 主義 しゅぎ (あるいは現象 げんしょう 学 がく 的 てき 存在 そんざい 論 ろん )をマルクス主義 まるくすしゅぎ の内部 ないぶ に包摂 ほうせつ [ 編集 へんしゅう ]
サルトルは講演 こうえん 『実存 じつぞん 主義 しゅぎ はヒューマニズムであるか』(著作 ちょさく 物 ぶつ 『実存 じつぞん 主義 しゅぎ とは何 なに か』)の中 なか で「実存 じつぞん は本質 ほんしつ に先立 さきだ つ」、「人間 にんげん は自由 じゆう という刑 けい に処 しょ せられている」と言 い い切 き り、無 む 神 かみ 論 ろん 的 てき 実存 じつぞん 主義 しゅぎ を進 すす める中 なか で、自 みずか らのアンガージュマン<engagement>(社会 しゃかい 参加 さんか )の実践 じっせん を通 とお して、しだいに社会 しゃかい 的 てき 歴史 れきし 的 てき 状況 じょうきょう に対 たい する認識 にんしき を深 ふか め、マルクス主義 まるくすしゅぎ を評価 ひょうか するようになっていく。『存在 そんざい と無 む 』に続 つづ く哲学 てつがく 的 てき 主著 しゅちょ 『弁証法 べんしょうほう 的 てき 理性 りせい 批判 ひはん 』は、実存 じつぞん 主義 しゅぎ (あるいは現象 げんしょう 学 がく 的 てき 存在 そんざい 論 ろん )をマルクス主義 まるくすしゅぎ の内部 ないぶ に包摂 ほうせつ することによって、史的 してき 唯物 ゆいぶつ 論 ろん の再 さい 構成 こうせい を目指 めざ したものだった。
神 かみ の内在 ないざい 化 か -神 かみ の死 し の神学 しんがく [ 編集 へんしゅう ]
ニーチェのことばである「神 かみ は死 し んだ」(ここにいう神 かみ とはイエスキリスト )は、1960年代 ねんだい になり、公民 こうみん 権 けん 運動 うんどう が盛 さか んな時代 じだい のアメリカ の神学 しんがく 者 もの たちが使 つか うようになり、無 む 神 かみ 論 ろん も広 ひろ まったが、一方 いっぽう で、アメリカ人 じん のキリスト教 きりすときょう 神学 しんがく 者 しゃ トマス・アルタイザー はエモリー大学 だいがく で教 おし えている間 あいだ に、1965年 ねん と1966年 ねん の二 に 回 かい 雑誌 ざっし 記事 きじ に『神 かみ は死 し んだか?』を発表 はっぴょう (後 のち に出版 しゅっぱん される)。「この歴史 れきし の中 なか に神 かみ が全 まった く内在 ないざい 化 か している。」として「神 かみ の内在 ないざい 化 か 」を述 の べたのであった。
京都 きょうと 学派 がくは 哲学 てつがく からの神奈川大学 かながわだいがく への影響 えいきょう [ 編集 へんしゅう ]
上記 じょうき は世界 せかい の実存 じつぞん 主義 しゅぎ 哲学 てつがく の流 なが れであるが、日本 にっぽん でも実存 じつぞん 主義 しゅぎ が研究 けんきゅう される。横濱 よこはま 専門 せんもん 学校 がっこう (神奈川大学 かながわだいがく )では京都大 きょうとだい 学 がく の実存 じつぞん 主義 しゅぎ 哲学 てつがく 者 しゃ (京都 きょうと 学派 がくは )を講師 こうし 、教授 きょうじゅ に積極 せっきょく 的 てき に招 まね いていたので、1953年 ねん 、人文 じんぶん 科学 かがく に関 かん する学術 がくじゅつ を研究 けんきゅう し社会 しゃかい 一般 いっぱん の文化 ぶんか 的 てき 進歩 しんぽ に貢献 こうけん するために神奈川大学 かながわだいがく 人文 じんぶん 学会 がっかい が設立 せつりつ 、機関 きかん 誌 し 『人文 じんぶん 研究 けんきゅう 』を発行 はっこう 、京都 きょうと 大学 だいがく 系 けい 哲学 てつがく 者 しゃ 信太 しだ 正三 しょうさん 、草薙 くさなぎ 正夫 まさお などが活躍 かつやく 。京都 きょうと 学派 がくは 哲学 てつがく 者 しゃ 高山 たかやま 岩男 いわお は海軍 かいぐん の言論 げんろん 報告 ほうこく 会 かい 理事 りじ に居 い た廉 かど で公職 こうしょく 追放 ついほう 命令 めいれい を受 う け、浜名 はまな 湖畔 こはん で隠遁 いんとん 生活 せいかつ を送 おく っていたがヘーゲル 哲学 てつがく の弁証法 べんしょうほう を用 もち いて、西田 にしだ 幾多郎 きたろう の「場 ば 」の理論 りろん 、田辺 たなべ 元 はじめ の「種 たね 」の理論 りろん 、和 かず 辻 つじ 哲郎 てつろう の禅 ぜん の研究 けんきゅう ・仏教 ぶっきょう 哲学 てつがく 等 ひとし の京都 きょうと 学派 がくは 哲学 てつがく を基礎 きそ にして、1951年 ねん 独自 どくじ に高山 たかやま 哲学 てつがく の根本 こんぽん 原理 げんり 『場所 ばしょ 的 てき 論理 ろんり と呼応 こおう の原理 げんり 』を発表 はっぴょう 。後 ご 、1952年 ねん 神奈川大學 かながわだいがく 創設 そうせつ 者 しゃ 米田 よねだ 吉盛 よしもり の要請 ようせい で神奈川大学 かながわだいがく 法 ほう 経学 けいがく 部 ぶ 教授 きょうじゅ に就任 しゅうにん 、東京 とうきょう 久我山 くがやま に越 こ した。高山 たかやま 岩男 いわお は神奈川大學 かながわだいがく 在籍 ざいせき 中 ちゅう ~在籍 ざいせき 後 ご にかけて、1956年 ねん 『中立 ちゅうりつ の過去 かこ と現在 げんざい 』、1959年 ねん 『保守 ほしゅ 主義 しゅぎ と進歩 しんぽ 主義 しゅぎ 』、1961年 ねん 『国際 こくさい 的 てき 中立 ちゅうりつ の研究 けんきゅう 』等 とう を著述 ちょじゅつ 発表 はっぴょう 。高山 たかやま 岩男 いわお は右翼 うよく にも左翼 さよく にも傾倒 けいとう しない中立 ちゅうりつ を模索 もさく したが、戦後 せんご 日本 にっぽん ではマルクス主義 まるくすしゅぎ が流行 はや り、神奈川大學 かながわだいがく でもマルキスト、トロツキストの理論 りろん が実存 じつぞん 主義 しゅぎ と結 むす びつく。
東 ひがし 林学 りんがく 派 は ・経世 けいせい 致用の学 まなべ 、水戸 みと 学 がく [ 編集 へんしゅう ]
一方 いっぽう 、経世 けいせい 致用の学 がく は、学問 がくもん は現実 げんじつ の社会 しゃかい 問題 もんだい 解決 かいけつ の為 ため に用 もち いなければならないとする思想 しそう であり、中国 ちゅうごく 明朝 みんちょう 末期 まっき の東 ひがし 林 りん 党 とう (東 ひがし 林学 りんがく 派 は )に端 はし を発 はっ し、朱 しゅ 舜 しゅん 水 すい が江戸 えど 時代 じだい の日本 にっぽん の水戸 みと 藩 はん 水戸 みと 学 まなぶ に影響 えいきょう を与 あた え、戦前 せんぜん より日本 にっぽん の儒教 じゅきょう 思想 しそう にも浸透 しんとう した考 かんが えであった。[3] 水戸 みと 学 がく の藤田 ふじた 東湖 とうこ の漢詩 かんし 『回天 かいてん 詩史 しし 』では「回天 かいてん 」、即 すなわ ち「天 てん を回転 かいてん させる、天下 てんか の形勢 けいせい を変 か える」という思想 しそう が見 み える。水戸 みと 学 がく は「愛 あい 民 みん 」「敬天 けいてん 愛人 あいじん 」「尊王 そんのう 攘夷 じょうい 」等 とう の思想 しそう で知 し られる。
1929年 ねん に保守 ほしゅ 中道 ちゅうどう の昭和 しょうわ 期 き の政治 せいじ 家 か 米田 よねだ 吉盛 よしもり の設立 せつりつ した横濱 よこはま 専門 せんもん 学校 がっこう (神奈川大学 かながわだいがく )は、経世 けいせい 実用 じつよう (経世 けいせい 致用の学 がく )を学風 がくふう とし日本 にっぽん 文化 ぶんか の伝統 でんとう を守 まも る質実 しつじつ 剛健 ごうけん の精神 せいしん 及 およ び海外 かいがい の精神 せいしん 文化 ぶんか を積極 せっきょく 進取 しんしゅ する精神 せいしん を重 おも んじていた。神奈川大学 かながわだいがく 横浜 よこはま 図書館 としょかん には徳川 とくがわ 光圀 みつくに 編 へん 『舜 しゅん 水 すい 先生 せんせい 文集 ぶんしゅう 』(正徳 まさのり 5年 ねん (1715年 ねん )、朱 しゅ 舜 しゅん 水 すい 研究 けんきゅう の最 さい 重要 じゅうよう 文献 ぶんけん )が所蔵 しょぞう されている。[4] [5] 西洋 せいよう の思想 しそう である実存 じつぞん 主義 しゅぎ と、東洋 とうよう の思想 しそう である経世 けいせい 致用の学 がく の結 むす び付 つ く土壌 どじょう があった。
神奈川大学 かながわだいがく の学風 がくふう と東 ひがし 林 りん 党 とう (東 ひがし 林学 りんがく 派 は )の共通 きょうつう 点 てん は、
などである。
神奈川大学 かながわだいがく 建 けん 学 がく 精神 せいしん の神髄 しんずい 解明 かいめい [ 編集 へんしゅう ]
高山 たかやま 岩男 いわお は1963年 ねん に神奈川大学 かながわだいがく 創設 そうせつ 者 しゃ 米田 よねだ 吉盛 よしもり の要請 ようせい で『神奈川大学 かながわだいがく の建 けん 学 がく 精神 せいしん の神髄 しんずい 解明 かいめい 』を纏 まと め、その中 なか で、質実 しつじつ 剛健 ごうけん (保守 ほしゅ )精神 せいしん と積極 せっきょく 進取 しんしゅ (革命 かくめい )精神 せいしん の両 りょう 精神 せいしん がダイナミックに衝突 しょうとつ する事 こと により真 しん の進歩 しんぽ が齎 もたら されると論 ろん じている。
質実 しつじつ 剛健 ごうけん (保守 ほしゅ )と、積極 せっきょく 進取 しんしゅ (革命 かくめい )は、一見 いっけん 、矛盾 むじゅん する精神 せいしん であるが、その矛盾 むじゅん が衝突 しょうとつ し、真 しん の進歩 しんぽ が齎 もたら されるとするのは、高山 たかやま 岩男 いわお の「場所 ばしょ 的 てき 理論 りろん と呼応 こおう の原理 げんり 」(課題 かだい →解決 かいけつ )にも対応 たいおう している。
思想 しそう の衝突 しょうとつ の理論 りろん [ 編集 へんしゅう ]
1965年 ねん 、神奈川大学 かながわだいがく 人 じん 文学 ぶんがく 研究所 けんきゅうじょ 所長 しょちょう だった草薙 くさなぎ 正夫 まさお は『神奈川大学 かながわだいがく 人 じん 文学 ぶんがく 研究所 けんきゅうじょ 報 ほう 発刊 はっかん のことば1965. 3. 25』で次 つぎ の要点 ようてん を指摘 してき している。[6]
日本 にっぽん の学問 がくもん 的 てき 使命 しめい は特 とく に重大 じゅうだい である
日本 にっぽん はインド仏教 ぶっきょう (インド文明 ぶんめい )と儒教 じゅきょう (シナ文明 ぶんめい )との対決 たいけつ (衝突 しょうとつ )が歴史 れきし 的 てき に現実 げんじつ に起 お き、生 い きてきた国 くに であり、さらに明治 めいじ 以後 いご 東洋 とうよう 文明 ぶんめい と西洋 せいよう 近代 きんだい 文明 ぶんめい と対決 たいけつ (衝突 しょうとつ )を続 つづ けてきた国 くに である。
日本 にっぽん 民族 みんぞく が単 たん に西洋 せいよう 近代 きんだい 文明 ぶんめい の模倣 もほう と追従 ついしょう に甘 あま んじることなく独自 どくじ の文化 ぶんか 的 てき 創造 そうぞう を企 くわだ てようとするならばまず我 わ が国 くに における現在 げんざい の東洋 とうよう 文明 ぶんめい と西洋 せいよう 近代 きんだい 文明 ぶんめい との対決 たいけつ (衝突 しょうとつ )の決算 けっさん を行 おこな うことが先決 せんけつ 問題 もんだい である
ダイナミックな思想 しそう の衝突 しょうとつ の現実 げんじつ 化 か -反米 はんべい 主義 しゅぎ の世界 せかい 的 てき 潮流 ちょうりゅう [ 編集 へんしゅう ]
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご の冷戦 れいせん 下 か 、「パクス・アメリカーナ」の時代 じだい が本格 ほんかく 的 てき に始 はじ まり、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく の政府 せいふ や大 だい 企業 きぎょう が「世界 せかい の保安 ほあん 官 かん 」「世界 せかい の警察官 けいさつかん 」を自認 じにん し、「資本 しほん 主義 しゅぎ (自由 じゆう 主義 しゅぎ )陣営 じんえい の防衛 ぼうえい 」を名目 めいもく に、諸 しょ 外国 がいこく に対 たい して政治 せいじ ・軍事 ぐんじ ・経済 けいざい ・社会 しゃかい など諸々 もろもろ 面 めん で介入 かいにゅう を行 おこ ない、アメリカ企業 きぎょう が世界 せかい の大衆 たいしゅう 文化 ぶんか に大 おお きな影響 えいきょう 力 りょく を行使 こうし するようになる。1960年 ねん 代 だい ベトナム戦争 せんそう の泥沼 どろぬま 化 か 長期 ちょうき 化 か の中 なか で、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく に反発 はんぱつ し厭 いや 悪 あく する感情 かんじょう や主張 しゅちょう 、いわゆる、反米 はんべい 主義 しゅぎ (英 えい : Anti-Americanism)が巻 ま き起 お こった。神奈川大学 かながわだいがく 内 ない でも実際 じっさい に「思想 しそう の衝突 しょうとつ 」が起 お きたのである。
1968年 ねん 神奈川大学 かながわだいがく でも佐世保 させぼ エンタープライズ寄港 きこう 阻止 そし 闘争 とうそう を切 き っ掛 か けに学生 がくせい 運動 うんどう が起 お こり、学生 がくせい と教授 きょうじゅ 團 だん が討論 とうろん 会 かい を開 ひら くなど、混乱 こんらん 状態 じょうたい になった。
また、1970年 ねん には極右 きょくう 民族 みんぞく 派 は (反米 はんべい 保守 ほしゅ )の神奈川大学 かながわだいがく 学生 がくせい の一部 いちぶ が、現行 げんこう の日本国 にっぽんこく 憲法 けんぽう はアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく に押 お し付 つ けられた憲法 けんぽう であるとして、改憲 かいけん と自衛隊 じえいたい の決起 けっき (クーデター )を呼 よ び掛 か ける「三島 みしま 事件 じけん 」に参加 さんか するなど反米 はんべい 主義 しゅぎ が具体 ぐたい 的 てき 、物理 ぶつり 的 てき 行動 こうどう にエスカレートしていった。
比較 ひかく 文明 ぶんめい 論 ろん [ 編集 へんしゅう ]
神川 かみかわ 正彦 まさひこ は神奈川大学 かながわだいがく に教授 きょうじゅ として在籍 ざいせき し、また山本新 やまもとしん (文明 ぶんめい 学者 がくしゃ ) は、イギリスの歴史 れきし 学者 がくしゃ アーノルド・J・トインビー 研究 けんきゅう の第一人者 だいいちにんしゃ として、『文明 ぶんめい の変動 へんどう と構造 こうぞう 』(創 そう 文 ぶん 社 しゃ 、1961年 ねん )を著 あらわ して、比較 ひかく 文明 ぶんめい 論 ろん の学問 がくもん 領域 りょういき を確立 かくりつ した。[7]
神奈川大学 かながわだいがく 人 じん 文学 ぶんがく 研究所 けんきゅうじょ [ 編集 へんしゅう ]
1963年 ねん 、人文 じんぶん 学 がく 研究 けんきゅう 領域 りょういき 相互 そうご の活発 かっぱつ な研究 けんきゅう 活動 かつどう を支援 しえん することを目的 もくてき に神奈川大学 かながわだいがく の付属 ふぞく 研究所 けんきゅうじょ として設立 せつりつ された神奈川大学 かながわだいがく 人 じん 文学 ぶんがく 研究所 けんきゅうじょ において実存 じつぞん 主義 しゅぎ 哲学 てつがく 研究 けんきゅう や現実 げんじつ の社会 しゃかい 問題 もんだい 改善 かいぜん の為 ため の革命 かくめい に関 かん する研究 けんきゅう 論文 ろんぶん やポストコロニアル理論 りろん 等 ひとし の論文 ろんぶん が多数 たすう 発表 はっぴょう されている。
松山 まつやま 正男 まさお は神奈川大学 かながわだいがく 人文 じんぶん 研究所 けんきゅうじょ 研究 けんきゅう 叢書 そうしょ 、『聖 きよし と俗 ぞく のドラマ』、勁草書房 しょぼう 、pp.6-85、1993年 ねん 「鈴木 すずき 正三 しょうさん の聖俗 せいぞく 一致 いっち 説 せつ 」という論文 ろんぶん の中 なか で、武士 ぶし から曹洞宗 そうとうしゅう の僧侶 そうりょ になった江戸 えど 時代 じだい 初期 しょき 旗本 はたもと 鈴木 すずき 正三 しょうさん が日常 にちじょう の労働 ろうどう を重視 じゅうし していることを指摘 してき し、労働 ろうどう を通 とお して人 ひと は修行 しゅぎょう し向上 こうじょう してゆくと述 の べている。
神奈川大学 かながわだいがく 人文 じんぶん 学会 がっかい [ 編集 へんしゅう ]
1953年 ねん 、神奈川大学 かながわだいがく 人文 じんぶん 学会 がっかい は「人文 じんぶん 科学 かがく に関 かん する学術 がくじゅつ を研究 けんきゅう 」し、「社会 しゃかい 一般 いっぱん の文化 ぶんか 的 てき 進歩 しんぽ に貢献 こうけん 」するために設立 せつりつ 。外国 がいこく 語 ご 学部 がくぶ および人間 にんげん 科学 かがく 部 ぶ に所属 しょぞく する教員 きょういん 、および、これら人文 じんぶん 系 けい 学部 がくぶ ・大学院 だいがくいん ・ゼミナールにおいて学修 がくしゅう する学生 がくせい (学生 がくせい 会員 かいいん として学部 がくぶ 会 かい を運営 うんえい )によって構成 こうせい 大学 だいがく 本体 ほんたい から独立 どくりつ した組織 そしき となり哲学 てつがく 研究 けんきゅう の場 ば となっている。[8] 小野地 おのち 健 けん は、日本 にっぽん 各地 かくち に伝 つた わる八 はち 百 ひゃく 比丘尼 びくに 伝承 でんしょう (人魚 にんぎょ 伝承 でんしょう )を研究 けんきゅう し、不老不死 ふろうふし や日本人 にっぽんじん の死生 しせい 観 かん を研究 けんきゅう した[9] 。神奈川大学 かながわだいがく 上原 うえはら 雅文 まさふみ らの人文 じんぶん 学会 がっかい の共同 きょうどう 研究 けんきゅう グループ「自然 しぜん 観 かん の東西 とうざい 比較 ひかく 」の『古事記 こじき 』『日本書紀 にほんしょき 』『風土記 ふどき 』『万葉集 まんようしゅう 』の自然 しぜん 観 かん (原始 げんし 神道 しんとう )の研究 けんきゅう もあり、西洋 せいよう 哲学 てつがく がギリシア以来 いらい の哲学 てつがく 的 てき 概念 がいねん を使用 しよう して様々 さまざま な思想 しそう を考察 こうさつ してきた伝統 でんとう があるに比 ひ して、中江 なかえ 兆民 ちょうみん が「我 わが 日本 にっぽん 古 いにしえ より今 いま に至 いた る哲学 てつがく 無 な し」(『一 いち 年 ねん 有半 ゆうはん 』)と言 い ったとされるが、日本 にっぽん では(中国 ちゅうごく をはじめアジア諸国 しょこく でも)、一貫 いっかん した概念 がいねん の歴史 れきし の積 つ み上 あ げがなかったとし、西洋 せいよう の超越 ちょうえつ 観念 かんねん との「比較 ひかく 」を行 おこな うための前提 ぜんてい としての、東洋 とうよう の神 かみ ・仏 ふつ や天 てん などの超越 ちょうえつ 観念 かんねん に対 たい する一貫 いっかん した研究 けんきゅう をする必要 ひつよう があるとし、まずは日本 にっぽん で展開 てんかい してきた自然 しぜん 観 かん を、つまり「自然 しぜん 」・「超越 ちょうえつ 観念 かんねん 」・「人間 にんげん 」という三 さん 項 こう の体系 たいけい の中 なか での自然 しぜん の意味 いみ を、歴史 れきし 的 てき に叙述 じょじゅつ しようと試 こころ みている。
葦原 よしわら 中国 ちゅうごく (あしはらのなかつくに)は、磐根 いわね (いはがね)・木 き (こ)株 かぶ (かぶ)・草葉 くさば (かやのは)も猶 なお (なほ)し能 のう く言 げん 語 かたり ものいふ。夜 よる は煙火 えんか (ほへ)の 若 わか (もころ)に喧 やかまし 響 ひびき (おとな)ひ、昼 ひる は五月 ごがつ 如( さばへな)す彿騰(わきあが)る。 — (『日本書紀 にほんしょき 』神代 かみよ 下 か 第 だい 九 きゅう 段 だん 一 いち 書 しょ 第 だい 六 ろく )(151 頁 ぺーじ )
彼 かれ の地 ち (葦原 よしわら 中国 ちゅうごく )に、多 た (さは)に蛍火 ほたるび なす光 ひか る神 かみ と声 こえ (さばへ)なす 邪神 じゃしん ( あしきかみ)と有 あ り。復 ふく (また)、草木 くさき みな能 のう く 言 げん 語 ご ( ものいふ)こと有 あ り。 — (『日本書紀 にほんしょき 』神代 かみよ 下 か 第 だい 九 きゅう 段 だん 正文 せいぶん )
昔 むかし 者 しゃ (むかし)、この川 かわ の西 にし に荒 すさ ぶる神 かみ 有 あ り。路 みち (みち)行 ぎょう (ゆ)く人 ひと 多 た (さは)に殺害 さつがい (こ ろ)され、半 なか ばは凌 しのげ しのぎ、半 なか ばは殺 ころ しにき。 — (『肥前 ひぜん 国 こく 風土記 ふどき 』)
などの、『日本書紀 にほんしょき 』、『風土記 ふどき 』などの文献 ぶんけん に、光 ひか る神 かみ 、邪神 じゃしん ( あしきかみ) 、荒 こう ぶる神 かみ などの自然 しぜん への畏怖 いふ の対象 たいしょう となる神 かみ が登場 とうじょう すると指摘 してき し、岩 いわ ・草木 くさき のわき上 あ がるような(「彿騰わきあがる」)威力 いりょく を持 も った存在 そんざい の様態 ようたい が、「神 かみ 」「邪神 じゃしん 」と表現 ひょうげん され、意味 いみ づけを逸脱 いつだつ した不可思議 ふかしぎ な「もの 」の様態 ようたい が「神 かみ 」と捉 とら えられており(古語 こご 「もののけ」の「もの」に近 ちか い))。人々 ひとびと は意味 いみ づけられた自然 しぜん 物 ぶつ の背後 はいご に、意味 いみ づけ以前 いぜん の「もの」を想定 そうてい し、それを「神 かみ 」と名付 なづ けた のであろうと推察 すいさつ している。[10] (隙間 すきま の神 かみ (すきまのかみ、英 えい : God of the gaps)、現時点 げんじてん で科学 かがく 知識 ちしき で説明 せつめい できない部分 ぶぶん 、すなわち「隙間 すきま 」に神 かみ が存在 そんざい するとする見方 みかた の理論 りろん を参照 さんしょう )
宗教 しゅうきょう の必要 ひつよう 性 せい [ 編集 へんしゅう ]
高山 たかやま 岩男 いわお は神奈川大学 かながわだいがく 教授 きょうじゅ 職 しょく 在籍 ざいせき 当時 とうじ 、『宗教 しゅうきょう はなぜ必要 ひつよう か』 創 そう 文 ぶん 社 しゃ 1953年 ねん (フォルミカ選書 せんしょ )、『現代 げんだい の不安 ふあん と宗教 しゅうきょう 』 創 そう 文 ぶん 社 しゃ 1955年 ねん で、宗教 しゅうきょう の必要 ひつよう 性 せい について論 ろん じている。
インド哲学 てつがく ・仏教 ぶっきょう 哲学 てつがく の輪廻 りんね 転生 てんせい との比較 ひかく [ 編集 へんしゅう ]
神奈川大学 かながわだいがく に在籍 ざいせき した湯田 ゆだ 豊 ゆたか はインド哲学 てつがく ・仏教 ぶっきょう 哲学 てつがく における輪廻 りんね 転生 てんせい と実存 じつぞん 哲学 てつがく とを比較 ひかく し、カルマ の法則 ほうそく による輪廻 りんね 転生 てんせい では、我々 われわれ の存在 そんざい は刑罰 けいばつ であり、最終 さいしゅう 的 てき に輪廻 りんね の苦行 くぎょう から逃 のが れる事 こと を願 ねが うのに対 たい して、実存 じつぞん 哲学 てつがく の「永遠 えいえん の回帰 かいき 」は逃亡 とうぼう 不可能 ふかのう であるとする。(湯田 ゆだ 豊 ゆたか 神奈川大学 かながわだいがく 教授 きょうじゅ ・論文 ろんぶん 「永遠 えいえん の回帰 かいき 、および輪廻 りんね 」1987年 ねん より)
ポストコロニアル理論 りろん 研究 けんきゅう ・社会 しゃかい 問題 もんだい 改革 かいかく [ 編集 へんしゅう ]
2016年 ねん には作家 さっか 目 め 取 と 真 ま 俊 しゅん を招待 しょうたい して神奈川大学 かながわだいがく 人 じん 文学 ぶんがく 研究所 けんきゅうじょ 主催 しゅさい 講演 こうえん 会 かい 「沖縄 おきなわ ・辺野古 へのこ で起 お きていること見 み たこと、考 かんが えたこと」と題 だい し、沖縄 おきなわ の米 べい 軍 ぐん 基地 きち 建設 けんせつ 反対 はんたい 運動 うんどう に関 かん する講演 こうえん 会 かい を開催 かいさい している。
神奈川大学 かながわだいがく のポストコロニアル理論 りろん の研究 けんきゅう や現実 げんじつ の社会 しゃかい 問題 もんだい の改善 かいぜん の活動 かつどう は、実存 じつぞん 主義 しゅぎ の思想 しそう の影響 えいきょう を受 う けており、現在 げんざい においてもその傾向 けいこう はある。
神奈川大学 かながわだいがく には多様 たよう な研究 けんきゅう 者 しゃ がおり、信太 しだ 正三 しょうさん の無限 むげん 革命 かくめい の理論 りろん でいう<(無限 むげん )革命 かくめい >や、高山 たかやま 岩男 いわお の呼応 こおう の原理 げんり に現 あらわ れる「課題 かだい →解決 かいけつ 」や、神奈川大学 かながわだいがく 建 けん 学 がく 精神 せいしん でいう「思想 しそう 」の<衝突 しょうとつ >が起 お きている。しかし、それによって「真 しん の進歩 しんぽ 」が理論 りろん 上 じょう 齎 もたら されるとする。
カルチュラル・スタディーズ・民俗 みんぞく 資料 しりょう 学 がく ・民俗 みんぞく 学 がく 研究 けんきゅう [ 編集 へんしゅう ]
神奈川大学 かながわだいがく には渋沢 しぶさわ 敬三 けいぞう の民俗 みんぞく 学 がく 研究 けんきゅう が引継 ひきつ がれ常民 じょうみん 文化 ぶんか 研究所 けんきゅうじょ が設置 せっち され、1993年 ねん に日本 にっぽん における歴史 れきし 学 がく ・民俗 みんぞく 学 がく のさらに新 あら たな領域 りょういき を開拓 かいたく するために民俗 みんぞく 資料 しりょう 学 がく 研究 けんきゅう 科 か が設置 せっち された。歴史 れきし 研究 けんきゅう や民俗 みんぞく 研究 けんきゅう の基礎 きそ には必 かなら ず資料 しりょう が存在 そんざい するが、その資料 しりょう を適切 てきせつ に扱 あつか い活用 かつよう する技法 ぎほう を身 み につけ、資料 しりょう を分析 ぶんせき して<日本 にっぽん 社会 しゃかい を究明 きゅうめい する >事 こと を目的 もくてき としている。[11]
福田 ふくだ アジオ の民俗 みんぞく 学 がく 、民俗 みんぞく 資料 しりょう 学 がく 研究 けんきゅう 、中島 なかじま 三千男 みちお の 神 かみ (神道 しんとう ) と明治 めいじ 政府 せいふ (国家 こっか )の宗教 しゅうきょう 政策 せいさく の研究 けんきゅう 、国家 こっか 神道 しんとう 体制 たいせい の確立 かくりつ 過程 かてい 研究 けんきゅう 、網野 あみの 善彦 よしひこ や橘川 きつかわ 俊 しゅん 忠 ただし の研究 けんきゅう 、縄文 じょうもん アニミズム (精霊 せいれい 信仰 しんこう )時代 じだい ~アイヌ 民俗 みんぞく 学 がく の研究 けんきゅう 、中島 なかじま 三千男 みちお 海外 かいがい 神社 じんじゃ 研究 けんきゅう などの研究 けんきゅう がある。神奈川大学 かながわだいがく 特 とく 任 にん 教授 きょうじゅ 近藤 こんどう 好和 よしかず は日本 にっぽん の古代 こだい ~中世 ちゅうせい の武具 ぶぐ と、西洋 せいよう の武具 ぶぐ (甲冑 かっちゅう 等 とう )について比較 ひかく 研究 けんきゅう した。[12]
世界 せかい ではカルチュラル・スタディーズ と理解 りかい される学問 がくもん 分野 ぶんや の研究 けんきゅう も行 おこな っている、例 たと えば2013年 ねん には神奈川大学 かながわだいがく 主催 しゅさい 国際 こくさい シンポジウム Transform, Transfigure, Transcend: Translation in Cultural Studies「変形 へんけい 、変容 へんよう 、超越 ちょうえつ ― カルチュラル・スタディーズと翻訳 ほんやく 」として、講演 こうえん 会 かい を開催 かいさい 。
神 かみ (神道 しんとう ) 、古 こ 神道 しんとう の自然 しぜん のもの全 すべ てには神 かみ が宿 やど っているとする八 はち 百 ひゃく 万 まん の神 かみ や神 かみ 奈備 の考 かんが え方 かた は「神 かみ の内在 ないざい 化 か 」である(汎神論 はんしんろん 参照 さんしょう )。またスピノザ が提唱 ていしょう した神 かみ 即 そく 自然 しぜん (deus sive natura) の概念 がいねん (この自然 しぜん とは、植物 しょくぶつ のことではなく、人 ひと や物 ぶつ も含 ふく めたすべてのこと)に代表 だいひょう される非 ひ 人格 じんかく 的 てき な神 かみ 概念 がいねん も汎神論 はんしんろん とされる。神奈川大学 かながわだいがく 教授 きょうじゅ 工藤 くどう 喜作 きさく は1967年 ねん 「スピノザ の汎神論 はんしんろん 研究 けんきゅう 」で筑波大学 つくばだいがく 文学 ぶんがく 博士 はかせ 。
生 い き神 がみ 信仰 しんこう 研究 けんきゅう [ 編集 へんしゅう ]
筑波大学 つくばだいがく 退官 たいかん 後 ご 、神奈川大学 かながわだいがく に教授 きょうじゅ として在籍 ざいせき した宮田 みやた 登 のぼる は、日本人 にっぽんじん には人 ひと を神 かみ に祀 まつ る習俗 しゅうぞく (生 い き神 がみ 信仰 しんこう )があると研究 けんきゅう している。(宮田 みやた 登 のぼる 著 ちょ 『生 い き神 がみ 信仰 しんこう 』塙 はなわ 書房 しょぼう 〈塙 はなわ 選書 せんしょ 〉、1970年 ねん )また博士 はかせ 論文 ろんぶん は「ミロク信仰 しんこう の研究 けんきゅう 日本 にっぽん における伝統 でんとう 的 てき メシア観 かん 」であり日本人 にっぽんじん の伝統 でんとう 的 てき メシア 思想 しそう ・弥勒菩薩 みろくぼさつ 信仰 しんこう を研究 けんきゅう 。
宗教 しゅうきょう 多元 たげん 主義 しゅぎ [ 編集 へんしゅう ]
日本人 にっぽんじん は、八百万 やおよろず の神 かみ 々の信仰 しんこう を持 も つ為 ため 、元来 がんらい 、宗教 しゅうきょう 多元 たげん 主義 しゅぎ だとする指摘 してき がある。神奈川大学 かながわだいがく に在籍 ざいせき した宮嶋 みやじま 俊一 しゅんいち は宗教 しゅうきょう 多元 たげん 主義 しゅぎ (Religious Pluralism)について研究 けんきゅう している。
伝統 でんとう 継承 けいしょう [ 編集 へんしゅう ]
神奈川大学 かながわだいがく では神道 しんとう 系 けい の行事 ぎょうじ も行 おこな っており、神奈川大学 かながわだいがく 工学部 こうがくぶ 機械 きかい 工学科 こうがっか 開設 かいせつ 時 じ よりの伝統 でんとう 行事 ぎょうじ 「ふいご祭 まつ り」(金山 かなやま 神社 じんじゃ 信仰 しんこう )を横浜 よこはま キャンパス23号館 ごうかん 機械 きかい 工作 こうさく センターにて毎年 まいとし 11月 がつ に執 と り行 おこな っている。[13] またキャンパス再 さい 開発 かいはつ の土木 どぼく 工事 こうじ 、建設 けんせつ 工事 こうじ 前 まえ には神道 しんとう 式 しき の地鎮祭 じちんさい を執 と り行 おこな う。[14]
神奈川大学 かながわだいがく 学内 がくない の宗教 しゅうきょう 禁止 きんし [ 編集 へんしゅう ]
しかし、一方 いっぽう で、神奈川大学 かながわだいがく では特定 とくてい 宗教 しゅうきょう の布教 ふきょう 活動 かつどう は禁止 きんし されている為 ため 、神奈川大学 かながわだいがく が特定 とくてい 宗教 しゅうきょう を布教 ふきょう する事 こと はないとされる。[15]
神奈川大学 かながわだいがく 体育 たいいく 会 かい では、応援 おうえん 歌 か の名称 めいしょう 、歌詞 かし や応援 おうえん 幕 まく のスローガンに「久遠 くおん の覇者 はしゃ 」という単語 たんご を使用 しよう している例 れい が見 み られる。「久遠 くおん の覇者 はしゃ 」とは実存 じつぞん 主義 しゅぎ の「永劫 えいごう 回帰 かいき 」や「無限 むげん 革命 かくめい 論 ろん 」に通 つう ずる。神奈川大学 かながわだいがく アメフト部 ぶ 部室 ぶしつ に掲 かか げられるスローガン「何事 なにごと も永遠 えいえん の理想 りそう に勝 まさ る今日 きょう の実業 じつぎょう 」は同様 どうよう に実存 じつぞん 主義 しゅぎ に通 つう じ創部 そうぶ 者 しゃ アメフト部 ぶ OB会長 かいちょう 永田 ながた 氏 し の言葉 ことば とされる。[16]
科学 かがく によるアプローチ、生命 せいめい 、物質 ぶっしつ 、光 ひかり 、無限 むげん 、確 かく 率 りつ 、位相 いそう 等 とう の研究 けんきゅう [ 編集 へんしゅう ]
一方 いっぽう 、神奈川大学 かながわだいがく 理学部 りがくぶ ・工学部 こうがくぶ では、吉田 よしだ 稔 みのる 工学部 こうがくぶ 教授 きょうじゅ 「構成 こうせい 的 てき 場 じょう の理論 りろん 」研究 けんきゅう 、阿部 あべ 吉弘 よしひろ 理学部 りがくぶ 教授 きょうじゅ 「無限 むげん 集合 しゅうごう 論 ろん 」研究 けんきゅう 、酒井 さかい 政美 まさみ 理学部 りがくぶ 教授 きょうじゅ 「位相 いそう 幾何 きか 学 がく (トポロジー) 」研究 けんきゅう など数学 すうがく 、物理 ぶつり を通 とお して、無限 むげん や、確 かく 率 りつ 、次元 じげん について研究 けんきゅう する。神奈川大学 かながわだいがく では理学部 りがくぶ 、工学部 こうがくぶ に、物質 ぶっしつ 、生命 せいめい 等 とう 様々 さまざま な研究 けんきゅう する研究 けんきゅう 機関 きかん を設 もう けて生命 せいめい の謎 なぞ を研究 けんきゅう している。
神奈川大学 かながわだいがく 工学部 こうがくぶ 素粒子 そりゅうし 物理 ぶつり 学 がく の三田 みた 一郎 いちろう 教授 きょうじゅ は、「ウロボロス 」に例 たと え宇宙 うちゅう の構造 こうぞう を説明 せつめい する。「科学 かがく と神 かみ 」と題 だい して、大 おお きな蛇 へび ウロボロス が自 みずか らの尾 お を銜 くわ える姿 すがた によって、宇宙 うちゅう の成 な り立 た ちは、ビッグバン~現在 げんざい の私 わたし たちの世界 せかい ~ビッグバン直後 ちょくご の素粒子 そりゅうし の世界 せかい という大 おお きなループ構造 こうぞう にあり、「大 おお きな宇宙 うちゅう と小 ちい さな素粒子 そりゅうし はつながっている。」と説明 せつめい する[17]
神奈川大学 かながわだいがく 学長 がくちょう を務 つと めた宇宙 うちゅう 物理 ぶつり 学者 がくしゃ 桜井 さくらい 邦 くに 朋 とも は、著書 ちょしょ 『宇宙 うちゅう には意志 いし がある―最新 さいしん 科学 かがく がついに解明 かいめい 』『命 いのち は宇宙 うちゅう 意志 いし から生 う まれた』等 とう で、物理 ぶつり 学 がく では、自然 しぜん 法則 ほうそく とその中 なか に現 あらわ れる物理 ぶつり 定数 ていすう が求 もと められている値 ね とごくわずかでも異 こと なれば人類 じんるい はおろか、地球 ちきゅう も惑星 わくせい も恒星 こうせい も存在 そんざい しえなかった。(・宇宙 うちゅう の膨張 ぼうちょう 力 りょく と万有引力 ばんゆういんりょく (重力 じゅうりょく )の関係 かんけい の適度 てきど さ ・宇宙 うちゅう にある物理 ぶつり 定数 ていすう の絶妙 ぜつみょう と思 おも える設定 せってい (例 れい 、陽子 ようし と電子 でんし を結合 けつごう するために不可欠 ふかけつ な電磁 でんじ 的 てき 相互 そうご 作用 さよう が少 すこ しでも違 ちが っていたら、生命 せいめい に必要 ひつよう な元素 げんそ は作 つく られない。炭素 たんそ 原子 げんし は沢山 たくさん の手 て をもっているおかげで様々 さまざま に富 と んだ分子 ぶんし を構成 こうせい できるが、少 すこ しでも数値 すうち が違 ちが っていたら生命 せいめい にとって好都合 こうつごう な炭素 たんそ はできなかったetc。)
)現在 げんざい の状況 じょうきょう 、「人類 じんるい の誕生 たんじょう は、宇宙 うちゅう の進化 しんか から必然 ひつぜん 的 てき に生 う み出 だ された結果 けっか なのではないか」とし、「宇宙 うちゅう は、人 ひと を生 う み出 だ すために作 つく られた」という驚 おどろ くべき人間 にんげん 原理 げんり 説 せつ に共鳴 きょうめい している。(宇宙 うちゅう 原理 げんり も参照 さんしょう 。)
神奈川大学 かながわだいがく 横浜 よこはま キャンパス1号館 ごうかん 学生 がくせい 掲示 けいじ ホール脇 わき 噴水 ふんすい の中心 ちゅうしん に聳 そび え立 た つモニュメントは『メビウス”永遠 えいえん ”』(メビウスの帯 おび は1周 しゅう して戻 もど ってくると向 む きが逆転 ぎゃくてん しているという性質 せいしつ を有 ゆう していることから、無限 むげん ループ構造 こうぞう を持 も つプロット(ループもの)や登場 とうじょう 人物 じんぶつ がなんらかの経験 けいけん を経 へ て考 かんが えをあらためて過去 かこ (あるいは元 もと いた場所 ばしょ )に戻 もど る際 さい の比喩 ひゆ 。)。2002年 ねん 設置 せっち 1998年 ねん の創立 そうりつ 70周年 しゅうねん 記念 きねん 事業 じぎょう で宮 みや 陵 りょう 会 かい 及 およ び後援 こうえん 会 かい より寄贈 きぞう 。
京都大学 きょうとだいがく 哲学 てつがく 者 しゃ 西田 にしだ 幾多郎 きたろう の「絶対 ぜったい 矛盾 むじゅん 的 てき 自己 じこ 同一 どういつ 論 ろん 」(「過去 かこ と未来 みらい とが現在 げんざい において互 たが いに否定 ひてい しあいながらも結 むす びついて、現在 げんざい から現在 げんざい へと働 はたら いていく」)や、鈴木 すずき 大拙 だいせつ の「即 そく 非 ひ の論理 ろんり 」(「Aは非 ひ Aであり、それによってまさにAである」)、田辺 たなべ 元 はじめ の「種 たね の理論 りろん 」らの京都 きょうと 学派 がくは は、東洋 とうよう の思想 しそう と西洋 せいよう の思想 しそう の比較 ひかく から日本人 にっぽんじん 独自 どくじ の思想 しそう を考 かんが えたが、京都 きょうと 学派 がくは 四天王 してんのう 高山 たかやま 岩男 いわお 、京都 きょうと 大学 だいがく で哲学 てつがく を専攻 せんこう した草薙 くさなぎ 正夫 まさお 、信太 しだ 正三 しょうさん 、一橋大学 ひとつばしだいがく の哲学 てつがく 者 しゃ 武藤 むとう 光 ひかり 朗 ろう 、東京大学 とうきょうだいがく の神川 かみかわ 正彦 まさひこ らは、経世 けいせい 実用 じつよう を学風 がくふう とする横濱 よこはま 専門 せんもん 学校 がっこう (神奈川大学 かながわだいがく )で教授 きょうじゅ の職 しょく を得 え て、神奈川大学 かながわだいがく 人文 じんぶん 学会 がっかい で、ニーチェ 、カール・ヤスパース 研究 けんきゅう などの実存 じつぞん 主義 しゅぎ に関 かん する論文 ろんぶん を発表 はっぴょう してゆく中 なか で、神奈川大学 かながわだいがく の学風 がくふう であった経世 けいせい 実用 じつよう (経世 けいせい 致用の学 がく )の考 かんが え方 かた と結 むす びつき、また、サルトルがマルクス主義 まるくすしゅぎ を評価 ひょうか したのと同様 どうよう に、神奈川大学 かながわだいがく でも風早 かざはや 八 はち 十 じゅう 二 に 、美濃部 みのべ 亮吉 りょうきち らのマルクス主義 まるくすしゅぎ の影響 えいきょう があったことから、マルクス やトロツキー の革命 かくめい 論 ろん (トロツキーの永続 えいぞく 革命 かくめい 論 ろん )との比較 ひかく をし、人間 にんげん の現実 げんじつ 実存 じつぞん の為 ため に現実 げんじつ の社会 しゃかい 問題 もんだい を無限 むげん に改革 かいかく してゆくべきとする無限 むげん 革命 かくめい の思想 しそう が生 う まれた。1952年 ねん より神奈川大学 かながわだいがく に在籍 ざいせき した高山 たかやま 岩男 いわお は1963年 ねん に神奈川大学 かながわだいがく 創設 そうせつ 者 しゃ 米田 よねだ 吉盛 よしもり の要請 ようせい で『神奈川大学 かながわだいがく の建 けん 学 がく 精神 せいしん の神髄 しんずい 解明 かいめい 』を纏 まと め、その中 なか で、質実 しつじつ 剛健 ごうけん (保守 ほしゅ )精神 せいしん と積極 せっきょく 進取 しんしゅ (革命 かくめい )精神 せいしん の両 りょう 精神 せいしん がダイナミックに衝突 しょうとつ する事 こと により真 しん の進歩 しんぽ が齎 もたら されると論 ろん じている。米田 よねだ 吉盛 よしもり の提唱 ていしょう した「質実 しつじつ 剛健 ごうけん 」と「積極 せっきょく 進取 しんしゅ 」神大 しんだい 建 けん 学 がく 精神 せいしん の主張 しゅちょう は、高山 たかやま 岩男 いわお により「衝突 しょうとつ により進歩 しんぽ する」と哲学 てつがく 的 てき 裏付 うらづ けを得 え た。
「無限 むげん 革命 かくめい 」の名称 めいしょう は信太 しだ 正三 しょうさん が著書 ちょしょ 『永遠 えいえん 回帰 かいき と遊戯 ゆうぎ の哲学 てつがく ニーチェにおける無限 むげん 革命 かくめい の論理 ろんり 』勁草書房 しょぼう (哲学 てつがく 思想 しそう 叢書 そうしょ )1969年 ねん の中 なか で用 もち いている。
また武藤 むとう 光 ひかり 朗 ろう は著書 ちょしょ 『社会 しゃかい 科学 かがく におけるプロレタリアと実存 じつぞん マルクスとウェーバー』、『マルクス主義 まるくすしゅぎ と実存 じつぞん 哲学 てつがく 』の中 なか で、プロレタリアと実存 じつぞん 主義 しゅぎ の接近 せっきん を試 こころ みる。
保守 ほしゅ 精神 せいしん も重 おも んじ、日本 にっぽん 古来 こらい の伝統 でんとう 文化 ぶんか の研究 けんきゅう も疎 おろ かにせず、最終 さいしゅう 的 てき に保守 ほしゅ 中道 ちゅうどう で在 あ る点 てん で、キューバ革命 かくめい 政権 せいけん や毛沢東 もうたくとう 派 は (毛沢東 もうたくとう の文化 ぶんか 大 だい 革命 かくめい はエスカレートし従来 じゅうらい の宗教 しゅうきょう (仏教 ぶっきょう 等 とう )をマルクス主義 まるくすしゅぎ に基 もと づき否定 ひてい し破壊 はかい した)学生 がくせい 運動 うんどう を応援 おうえん し左派 さは 陣営 じんえい であったサルトルや、トロツキーの永続 えいぞく 革命 かくめい 論 ろん とは立場 たちば を異 こと にする。
関係 かんけい する著名 ちょめい 人 じん [ 編集 へんしゅう ]
哲学 てつがく 者 しゃ ・思想家 しそうか ・研究 けんきゅう 者 しゃ [ 編集 へんしゅう ]
米田 よねだ 吉盛 よしもり (神奈川大学 かながわだいがく 創立 そうりつ 者 しゃ ・政治 せいじ 家 か )-質実 しつじつ 剛健 ごうけん と積極 せっきょく 進取 しんしゅ 、中正 ちゅうせい 堅実 けんじつ の神大 しんだい 精神 せいしん 考案 こうあん 者 しゃ
草薙 くさなぎ 正夫 まさお (神奈川大学 かながわだいがく ・京都 きょうと 大学 だいがく )-ヤスパース研究 けんきゅう
信太 しだ 正三 しょうさん (神奈川大学 かながわだいがく ・京都 きょうと 大学 だいがく )-ニーチェ研究 けんきゅう
高山 たかやま 岩男 いわお (神奈川大学 かながわだいがく ・京都 きょうと 大学 だいがく )-『場所 ばしょ 的 てき 理論 りろん と呼応 こおう の原理 げんり 』
武藤 むとう 光 ひかり 朗 ろう (神奈川大学 かながわだいがく )-マルクス主義 まるくすしゅぎ と実存 じつぞん 哲学 てつがく
工藤 くどう 喜作 きさく (神奈川大学 かながわだいがく ・筑波大学 つくばだいがく )-1967年 ねん 「スピノザ の汎神論 はんしんろん 研究 けんきゅう 」
湯田 ゆだ 豊 ゆたか (神奈川大学 かながわだいがく )-インド哲学 てつがく と実存 じつぞん 哲学 てつがく の比較 ひかく
上原 うえはら 雅文 まさふみ (神奈川大学 かながわだいがく )-自然 しぜん 観 かん の東西 とうざい 比較 ひかく
小林 こばやし 孝吉 こうきち (神奈川大学 かながわだいがく )『神奈川大学 かながわだいがく 評論 ひょうろん 』創刊 そうかん 以来 いらい 編集 へんしゅう 専門 せんもん 委員 いいん -内村 うちむら 鑑三 かんぞう などキリスト教 きりすときょう 神学 しんがく を研究 けんきゅう
宮田 みやた 登 のぼる (神奈川大学 かながわだいがく ・筑波大学 つくばだいがく )国立 こくりつ 歴史 れきし 民俗 みんぞく 博物館 はくぶつかん 客員 きゃくいん 教授 きょうじゅ 。民俗 みんぞく 学者 がくしゃ 。「ミロク信仰 しんこう 」「生 い き神 がみ 信仰 しんこう 」や天皇 てんのう 制 せい に関 かん する研究 けんきゅう
松山 まつやま 正男 まさお (神奈川大学 かながわだいがく )-「鈴木 すずき 正三 しょうさん の聖俗 せいぞく 一致 いっち 説 せつ 」
研究 けんきゅう 者 しゃ (実学 じつがく )[ 編集 へんしゅう ]
上記 じょうき 外 がい の実存 じつぞん 哲学 てつがく 者 しゃ ・思想家 しそうか [ 編集 へんしゅう ]
九鬼 くき 周造 しゅうぞう (京都大学 きょうとだいがく )-江戸 えど 時代 じだい の日本人 にっぽんじん の思想 しそう 、「粋 いき 」(いき)を実存 じつぞん 哲学 てつがく と比較 ひかく 研究 けんきゅう
西部 せいぶ 邁 (東京大学 とうきょうだいがく )-1980年代 ねんだい より高度 こうど 大衆 たいしゅう 社会 しゃかい ・アメリカニズム批判 ひはん と西欧 せいおう 流 りゅう 保守 ほしゅ 思想 しそう の擁護 ようご
小説 しょうせつ 家 か ・劇 げき 作家 さっか [ 編集 へんしゅう ]
三島 みしま 由紀夫 ゆきお -戦後 せんご 日本 にっぽん の在 あ り方 かた に疑問 ぎもん を持 も ち、日本国 にっぽんこく 憲法 けんぽう 改正 かいせい の為 ため のクーデター(三島 みしま 事件 じけん )は思想 しそう の左右 さゆう は違 ちが えど現実 げんじつ の改革 かいかく を訴 うった えたものである。小説 しょうせつ 『絹 きぬ と明察 めいさつ 』でハイデガー 『存在 そんざい と時間 じかん 』(桑木 くわき 務 つとむ 訳 やく 岩波 いわなみ 文庫 ぶんこ 1961の語尾 ごび をかえたものと思 おも われる)を引用 いんよう 、参照 さんしょう し、輸入 ゆにゅう 思想 しそう と日本 にっぽん 主義 しゅぎ の交錯 こうさく を描 えが いている。また、小説 しょうせつ 『豊饒 ほうじょう の海 うみ 』4部 ぶ 作 さく は人間 にんげん の実存 じつぞん に迫 せま る話 はなし である。
福田 ふくだ 恆 ひさし 存 そん - 早 はや い時期 じき からサルトルを日本 にっぽん に紹介 しょうかい するものの、実存 じつぞん 主義 しゅぎ には批判 ひはん 的 てき であった
安部 あべ 公房 こうぼう -『壁 かべ (小説 しょうせつ ) 』(かべ)(「S・カルマ氏 し の犯罪 はんざい 」「バベル ばべる の塔 とう の狸 たぬき 」「赤 あか い繭 まゆ 」「洪水 こうずい 」「魔法 まほう のチョーク」「事業 じぎょう 」)の3部 ぶ (6編 へん ))では有機物 ゆうきぶつ と無機物 むきぶつ 、あるいは「名前 なまえ 」といった情報 じょうほう の世界 せかい を比較 ひかく 。
大江 おおえ 健三郎 けんざぶろう -初期 しょき の著作 ちょさく 『死者 ししゃ の奢 おご り 』等 とう には実存 じつぞん 主義 しゅぎ 哲学 てつがく 者 しゃ サルトルの影響 えいきょう 。
埴谷 はにや 雄 ゆう 高 だか -代表 だいひょう 作 さく 『死靈 しりょう 』では、「虚 きょ 體 たい 」の思想 しそう を持 も ち「自 じ 同 どう 律 りつ 」に懐疑 かいぎ を抱 いだ く主人公 しゅじんこう が登場 とうじょう 。
椎名 しいな 麟三 りんぞう -代表 だいひょう 作 さく 『深夜 しんや の酒宴 しゅえん 』、初期 しょき は実存 じつぞん 主義 しゅぎ 作家 さっか である、1950年 ねん にキリスト教 きりすときょう 作家 さっか に転向 てんこう 。埴谷 はにや 雄 ゆう 高 だか から批判 ひはん された。キリスト経 けい 転向 てんこう 後 ご の代表 だいひょう 著作 ちょさく 1955年 ねん 『美 うつく しい女 おんな 』
目 め 取 と 真 ま 俊 しゅん -沖縄 おきなわ の在 ざい 日米 にちべい 軍 ぐん 基地 きち 問題 もんだい や沖縄 おきなわ の暴力団 ぼうりょくだん にからむ若者 わかもの の姿 すがた を描 えが いた長編 ちょうへん 小説 しょうせつ を描 えが く。
政治 せいじ 活動 かつどう 家 か [ 編集 へんしゅう ]
神奈川大学 かながわだいがく 人文 じんぶん 学会 がっかい 機関 きかん 誌 し 『人文 じんぶん 研究 けんきゅう 』各号 かくごう
草薙 くさなぎ 正夫 まさお 『実存 じつぞん 哲学 てつがく の根本 こんぽん 問題 もんだい 現代 げんだい におけるヤスパース哲学 てつがく の意義 いぎ 』 創 そう 文 ぶん 社 しゃ 1962年 ねん
信太 しだ 正三 しょうさん 『永遠 えいえん 回帰 かいき と遊戯 ゆうぎ の哲学 てつがく ニーチェにおける無限 むげん 革命 かくめい の論理 ろんり 』勁草書房 しょぼう (哲学 てつがく 思想 しそう 叢書 そうしょ ) 1969年 ねん
信太 しだ 正三 しょうさん 『ニイチェ研究 けんきゅう 実存 じつぞん と革命 かくめい 』創 そう 文 ぶん 社 しゃ 1956年 ねん
武藤 むとう 光 ひかり 朗 ろう 『社会 しゃかい 科学 かがく におけるプロレタリアと実存 じつぞん マルクスとウェーバー』理想 りそう 社 しゃ 1950年 ねん
武藤 むとう 光 ひかり 朗 ろう 『マルクス主義 まるくすしゅぎ と実存 じつぞん 哲学 てつがく 』 春秋 しゅんじゅう 社 しゃ 1948年 ねん
高山 たかやま 岩男 いわお 『実存 じつぞん 哲學 てつがく の話 はなし 』 宝 たから 文 ぶん 館 かん 1949年 ねん
高山 たかやま 岩男 いわお 『場所 ばしょ 的 てき 論理 ろんり と呼応 こおう の原理 げんり 』1951年 ねん
高山 たかやま 岩男 いわお 『中立 ちゅうりつ の過去 かこ と現在 げんざい 』1956年 ねん
高山 たかやま 岩男 いわお 『保守 ほしゅ 主義 しゅぎ と進歩 しんぽ 主義 しゅぎ 』1959年 ねん
高山 たかやま 岩 いわ ]『国際 こくさい 的 てき 中立 ちゅうりつ の研究 けんきゅう 』1961年 ねん
山本新 やまもとしん (文明 ぶんめい 学者 がくしゃ ) 、信太 しだ 正三 しょうさん 共編 きょうへん 『伝統 でんとう と変革 へんかく 』 創 そう 文 ぶん 社 しゃ 1961 (神奈川 かながわ 叢書 そうしょ )
山本新 やまもとしん (文明 ぶんめい 学者 がくしゃ ) 『文明 ぶんめい の変動 へんどう と構造 こうぞう 』 創 そう 文 ぶん 社 しゃ 1961
神奈川大学 かながわだいがく 人文 じんぶん 研究所 けんきゅうじょ 研究 けんきゅう 叢書 そうしょ 、松山 まつやま 正男 まさお 著 ちょ 『聖 きよし と俗 ぞく のドラマ』、勁草書房 しょぼう 、pp.6-85、1993年 ねん 3月 がつ 31日 にち
中島 なかじま 三千男 みちお 「共同 きょうどう 研究 けんきゅう 報告 ほうこく 「明治 めいじ 憲法 けんぽう 体制 たいせい 」の確立 かくりつ と国家 こっか のイデオロギ-政策 せいさく :国家 こっか 神道 しんとう 体制 たいせい の確立 かくりつ 過程 かてい 」『日本 にっぽん 史 し 研究 けんきゅう 』第 だい 176号 ごう 、日本 にっぽん 史 し 研究 けんきゅう 会 かい 、1977年 ねん 4月 がつ 、166-191頁 ぺーじ 、ISSN 03868850 、NAID 40002929164 。