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ほし新一しんいち

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ほし 新一しんいち
(ほし しんいち)
ほし新一しんいちつま香代子かよこ
S-Fマガジン』1963ねん12がつごう早川書房はやかわしょぼう)より
誕生たんじょう ほしおやいち
(1926-09-06) 1926ねん9月6にち
日本の旗 日本にっぽん東京とうきょう東京とうきょう本郷ほんごうあけぼのまち
げん東京とうきょう文京ぶんきょう本駒込ほんこまごめ
死没しぼつ (1997-12-30) 1997ねん12月30にち(71さいぼつ
日本の旗 日本にっぽん東京とうきょうみなと高輪たかなわ 東京船員保険病院とうきょうせんいんほけんびょういん
げんJCHO東京とうきょう高輪たかなわ病院びょういん
墓地ぼち 青山あおやま霊園れいえん
職業しょくぎょう 小説しょうせつSF作家さっか
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
活動かつどう期間きかん 1949ねん - 1996ねん
主題しゅだい ショートショートSF推理すいり小説しょうせつ時代じだい小説しょうせつ評伝ひょうでん
代表だいひょうさくいそっぷ』(1971ねん
ボッコちゃん』(1971ねん
おも受賞じゅしょうれき 日本にっぽん推理すいり作家さっか協会きょうかいしょう(1968ねん
日本にっぽんSF大賞たいしょう特別とくべつしょう(1998ねん
デビューさく セキストラ(1957ねん
配偶はいぐうしゃ ほし村尾むらお香代子かよこ
子供こども ほしユリカ(長女ちょうじょ
ほしマリナ次女じじょ
親族しんぞく ほしいちちち
小金井こがねいりょうせい外祖父がいそふ
小金井こがねい喜美子きみこ外祖母がいそぼ
もり鷗外大伯父おおおじ
出澤すざわさんふとし異母いぼけい
岡部おかべ三郎さぶろうおとうと義父ぎふ
公式こうしきサイト hoshishinichi.com
ウィキポータル 文学ぶんがく
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(ほし しんいち、本名ほんみょうほし おやいち1926ねん大正たいしょう15ねん9月6にち - 1997ねん平成へいせい9ねん12月30にち)は、日本にっぽん小説しょうせつSF作家さっか

ちち星薬科大学ほしやくかだいがく創立そうりつしゃほし製薬せいやく創業そうぎょうしゃほしいちもり鷗外母方ははかた大伯父おおおじにあたる。本名ほんみょうおやいちちちいちのモットー「親切しんせつだいいち」のりゃくである(おとうと名前なまえきょういちは「協力きょうりょく一致いっち」のりゃく)。ちち死後しご短期間たんきかんぼし製薬せいやく社長しゃちょうつとめたことがあり、日本にっぽん有名ゆうめい作家さっかとしては辻井つじいたかしことつつみ清二せいじならんで稀有けう東証とうしょう一部いちぶ上場じょうじょう企業きぎょう当時とうじ)の社長しゃちょう経験けいけんしゃである[注釈ちゅうしゃく 2]

膨大ぼうだい作品さくひんりょうでありながら、どの作品さくひんしつたかさをそなえていたところから「ショートショート掌編しょうへん小説しょうせつ)の神様かみさま」とばれているが、『明治めいじちち・アメリカ』、父親ちちおやちち恩人おんじん花井はない卓蔵たくぞうらをいた伝記でんき小説しょうせつ人民じんみんよわ官吏かんりつよ』などのノンフィクション作品さくひんもある。

また、小松こまつ左京さきょう筒井つつい康隆やすたかわせて「SF御三家ごさんけ」とばれる[3]

略歴りゃくれき[編集へんしゅう]

[編集へんしゅう]

1926ねん大正たいしょう15ねん)、東京とうきょう東京とうきょう本郷ほんごうあけぼのまちげん東京とうきょう文京ぶんきょう本駒込ほんこまごめ)にまれる。母方ははかた祖父そふ小金井こがねいりょうせいいえがある本郷ほんごう1945ねん昭和しょうわ20ねん)までそだつ。母方ははかた祖父母そふぼ帝国ていこく大学だいがく医科いかだい学長がくちょう解剖かいぼう学者がくしゃ小金井こがねいりょうせいもり鷗外いもうと小金井こがねい喜美子きみこである[注釈ちゅうしゃく 3]。また小説しょうせつ鈴木すずき俊平しゅんぺいちちいもうとまごしたがえおい)にあたる[5]

東京とうきょう女子じょし高等こうとう師範しはん学校がっこう附属ふぞく小学校しょうがっこうげんちゃ水女子大学みずじょしだいがく附属ふぞく小学校しょうがっこう)をて、東京とうきょう高等こうとう師範しはん学校がっこう附属ふぞく中学校ちゅうがっこうげん筑波大学つくばだいがく附属ふぞく中学校ちゅうがっこう高等こうとう学校がっこう)にすすむ。附属ふぞく中学ちゅうがく同期どうきには、づちでんまんぶん武蔵野むさしの大学だいがく名誉めいよ教授きょうじゅ)、今村いまむら昌平しょうへい映画えいが監督かんとく)、大野おおの公男きみおもと北海道情報大学ほっかいどうじょうほうだいがく学長がくちょう)、児玉こだますすむ映画えいが監督かんとく)、黒澤くろさわひろしもと日本興業銀行にほんこうぎょうぎんこう会長かいちょう)、星野ほしの英一ひでかず東京大学とうきょうだいがく名誉めいよ教授きょうじゅ)などがいた。

附属ふぞく中学ちゅうがく在学ざいがくちゅう1941ねん12月にたいべい開戦かいせんとなり、これにより英語えいご敵性てきせいとなること、敵性てきせいとして入試にゅうし科目かもくから除外じょがいされることを見越みこして英語えいごまった勉強べんきょうせず、教科きょうかちかられて要領ようりょうよくよんおさむきゅう旧制きゅうせい中学ちゅうがくは5ねんせい)で旧制きゅうせい官立かんりつ東京とうきょう高等こうとう学校がっこうげん東京大学とうきょうだいがく教養きょうよう学部がくぶおよ東京大学とうきょうだいがく教育きょういく学部がくぶ附属ふぞく中等ちゅうとう教育きょういく学校がっこう継承けいしょう)に入学にゅうがくした。このため秀才しゅうさいばれたが、戦後せんごになってから英語えいごりょく不足ふそくおぎなうため今日きょうとまりらん個人こじん授業じゅぎょうけ、さんざんくるしんだという。

高等こうとう学校がっこう在学ざいがくちゅうまん16さいときに1年間ねんかんりょう生活せいかつ経験けいけんした。当時とうじりょう生活せいかつについて、親友しんゆうきた杜夫もりお小松こまつ左京さきょうがしばしば旧制きゅうせい高校こうこうりょう生活せいかつなつかしんでいるのとは対照たいしょうてきに「不愉快ふゆかいきわまることばかりで、いまでもねむまえおもし、あたまがかっとなったりする」[6]、「はいってみてわかったことだが、この学校がっこうはとてつもなく軍事ぐんじしょくつよく、教師きょうしだけならまだしも、生徒せいとたちのおおくもそのムードに迎合げいごうしていたので、うんざりした。るものはもちろん、うものもだんだん不足ふそくしてくるし、学校がっこう全部ぜんぶくるっているし、まったく、どうしようもない日常にちじょうだった」[7]回想かいそうしている。

こうした感想かんそうについては、戦後せんご戦中せんちゅうちがい、よんおさむ進学しんがくほし若年じゃくねんだったこともおおきい。ほし高校こうこうも2ねんえているため、新制しんせい大学だいがく卒業そつぎょうしゃよりも1ねんはやまん21さい大学だいがく卒業そつぎょうしている[注釈ちゅうしゃく 4]

大学だいがく大学院だいがくいん時代じだい[編集へんしゅう]

1948ねん昭和しょうわ23ねん)、東京大学とうきょうだいがく農学部のうがくぶ農芸のうげい化学かがく卒業そつぎょうした[8]農芸のうげい学科がっかでの同級生どうきゅうせいには酒類しゅるい評論ひょうろん穂積ほづみ忠彦ただひこ俳優はいゆう穂積ほづみ隆信たかのぶあに)がいた[9]卒業そつぎょう論文ろんぶん固形こけいペニシリン培養ばいようについてであった。

高級こうきゅう官吏かんり採用さいよう試験しけんである高等こうとう試験しけん[注釈ちゅうしゃく 5]合格ごうかくしたが、内定ないていることに失敗しっぱいした。なおかつ役人やくにんぎらいのちち受験じゅけん発覚はっかくし、きびしく叱責しっせきされた。東大とうだい大学院だいがくいん進学しんがくし、坂口さかぐち謹一きんいちろうのもとで農芸のうげい化学かがく研究けんきゅうする。液体えきたいないでの澱粉でんぷん分解ぶんかい酵素こうそジアスターゼ生産せいさんなどをした。1950ねん昭和しょうわ25ねん)に大学院だいがくいん前期ぜんき修了しゅうりょうする[注釈ちゅうしゃく 6]修士しゅうし論文ろんぶんは「アスペルギルスぞくのカビのえきない培養ばいようによるアミラーゼ生産せいさんかんする研究けんきゅう」(アスペルギルスはコウジカビのこと)であった[11]

1949ねん昭和しょうわ24ねん)、同人どうじん「リンデン月報げっぽう」9がつごうにショートショートだい1さくきつねのためいき』を発表はっぴょうする。

ほし製薬せいやく時代じだい[編集へんしゅう]

1951ねん昭和しょうわ26ねん)、ちち急逝きゅうせいしたためどう大学院だいがくいん中退ちゅうたいし、会社かいしゃぐ。当時とうじほし製薬せいやく経営けいえい悪化あっかしており、経営けいえい破綻はたん会社かいしゃ大谷おおやよね太郎たろうゆずるまでその処理しょりわれた[12][8]。この過程かてい筆舌ひつぜつくしがたい辛酸しんさんをなめたほし自身じしんのちに「このすう年間ねんかんのことはおもしたくもない。わたしの性格せいかく閉鎖へいさてきなところがあるのは、そのためである」とかたっている。

会社かいしゃ手放てばなした直後ちょくご病床びょうしょうレイ・ブラッドベリの『火星かせい年代ねんだい火星かせいじん記録きろく)』をんで感銘かんめいける。この出会であいがなければSFのみちにはすすまなかっただろうと回顧かいこする。ほしきびしい現実げんじつ嫌気いやけし、空想くうそうてきな「そら円盤えんばん」に興味きょうみつようになる。たまたまちかくにあった「そら円盤えんばん研究けんきゅうかい」に参加さんかした。この研究けんきゅうかい三島みしま由紀夫ゆきお石原いしはら慎太郎しんたろうくわわっていたことでもられている。

ほし製薬せいやく退社たいしゃ作家さっかデビューまで浪人ろうにん生活せいかつつづくが、自宅じたくのこっていたうえに、星薬科大学ほしやくかだいがく非常勤ひじょうきん理事りじとして当時とうじ金額きんがく毎月まいつき10まんえん給付きゅうふされており、生活せいかつきゅうするようなことはなかった[注釈ちゅうしゃく 7]

作家さっかデビュー[編集へんしゅう]

1957ねん昭和しょうわ32ねん)、「そら円盤えんばん研究けんきゅうかい」でった柴野しばの拓美たくみらと日本にっぽんはつのSF同人どうじん宇宙塵うちゅうじん」を創刊そうかんする。だい2ごう発表はっぴょうした『セキストラ』が大下宇陀児おおしたうだる注目ちゅうもくされ[注釈ちゅうしゃく 8]当時とうじ江戸川えどがわ乱歩らんぽ責任せきにん編集へんしゅうつとめていた「宝石ほうせき」に転載てんさいされてデビューした[8]

1958ねん昭和しょうわ33ねん)には、多岐川たきがわきょう創設そうせつした若手わかて推理すいり小説しょうせつ親睦しんぼく団体だんたい他殺たさつクラブ」に、河野こうの典生のりお樹下じゅか太郎たろう佐野さのひろし竹村たけむらただししん水上みずかみつとむ結城ゆうき昌治しょうじ参加さんかした[14]。なお、「他殺たさつクラブ」については、佐野さのひろし自伝じでん『ミステリーとのはん世紀せいき』(小学館しょうがくかん)には、「1960ねん3がつ結成けっせい」とある(同書どうしょ、P.130)。

ほし直木賞なおきしょう候補こうほとなるきっかけをつくった『ヒッチコック・マガジン』。最初さいしょ作品さくひん掲載けいさいされた同誌どうし1960ねん1がつごう

1959ねん昭和しょうわ34ねん)11月21にち発売はつばい月刊げっかんヒッチコック・マガジン』1960ねん1がつごうに「年賀ねんがきゃく」が掲載けいさいされ、「文春ぶんしゅん漫画まんが読本とくほん」からも注文ちゅうもんがくる。『ヒッチコック・マガジン』8がつごう~11がつごう掲載けいさいされた「あめ」「そのころすな![注釈ちゅうしゃく 9]」「信用しんようある製品せいひん」「食事しょくじまえ授業じゅぎょう」と、『宝石ほうせき』9がつごう、11月ごう掲載けいさいされた「弱点じゃくてん」「生活せいかつ維持いじしょう」のけい6へんのショートショートで、だい44かい直木賞なおきしょう(1960ねん下半期しもはんき)の候補こうほとなる[15]。また、このとし横山よこやま光輝みつてる原作げんさく実写じっしゃばんテレビドラマ『鉄人てつじん28ごう』でSFアドバイザーとしてクレジットされた。

1961ねん昭和しょうわ36ねん)、医者いしゃむすめ小牧こまきバレエだんバレリーナだった村尾むらお香代子かよこ見合みあ結婚けっこんした。かみながいのが結婚けっこん決意けついするになったと後年こうねんかたった。

1963ねん昭和しょうわ38ねん)、福島ふくしま正実まさみ主導しゅどうによる日本にっぽんSF作家さっかクラブ創設そうせつ参加さんかした。同年どうねんどうクラブの一員いちいんとして、ウルトラシリーズだい1さくウルトラQ』の企画きかく会議かいぎくわわる。会議かいぎ同席どうせきした『変身へんしん』、『悪魔あくま』の脚本きゃくほん担当たんとうしゃ北澤きたざわ杏子きょうこ証言しょうげんによると、このにおいてはのち伝説でんせつとなるような飛躍ひやくした発想はっそう発言はつげんかれなかったとのことである。また、このとし福島ふくしま正実まさみ2人ふたりで、特撮とくさつ映画えいがマタンゴ』の原案げんあんにクレジットされているが、実際じっさいはほとんどタッチしていない。

SF小説しょうせつ巨匠きょしょうとして[編集へんしゅう]

以降いこう、40だいから50だいながら、SFかいでは「巨匠きょしょう長老ちょうろう」としてぐうされることになる。1976ねん昭和しょうわ51ねん)から1977ねん昭和しょうわ52ねん)まで「日本にっぽんSF作家さっかクラブ」の初代しょだい会長かいちょうつとめた。

1979ねん昭和しょうわ54ねん)、「ほし新一しんいちショートショート・コンテスト」の選考せんこう開始かいしする。(くわしくは#ほし新一しんいちショートショート・コンテスト参照さんしょう

1980ねん昭和しょうわ55ねん)、日本にっぽん推理すいり作家さっか協会きょうかいしょう選考せんこう委員いいんつとめる(昭和しょうわ56ねん1981ねん)まで)。

1983ねん昭和しょうわ58ねんあきに「ショート・ショート1001へん」を達成たっせいした。ただし、それまで関係かんけいふかかったかく雑誌ざっし一斉いっせいにショート・ショートを発表はっぴょうしたため、「1001へん」の作品さくひんはどれか特定とくていできないようにされている。

それ以降いこう著述ちょじゅつ活動かつどう極端きょくたんったが、過去かこ作品さくひん文庫ぶんこ再版さいはんされる都度つど、「ダイヤルをまわす(=ダイヤルしき電話でんわをかける)」とうの「現代げんだいにそぐわない記述きじゅつ」を延々えんえん改訂かいていつづけていた。

かねてより「んでみたいまち」に東京とうきょうみなと高輪たかなわげており[注釈ちゅうしゃく 10]はは死去しきょによる戸越とごし自宅じたく売却ばいきゃくともない、1993ねん平成へいせい5ねん)、高輪たかなわのマンションに転居てんきょした。

後年こうねん死去しきょ[編集へんしゅう]

1994ねん平成へいせい6ねん)に口腔こうくうがん診断しんだんされ、手術しゅじゅつける。

入退院にゅうたいいんかえしたのち1996ねん平成へいせい8ねん4がつ4にち自宅じたくたおれて東京慈恵会医科大学とうきょうじけいかいいかだいがく附属ふぞく病院びょういん入院にゅういん肺炎はいえん併発へいはつして人工じんこう呼吸こきゅう必要ひつよう状態じょうたいであったが、4がつ20日はつかには人工じんこう呼吸こきゅうはずすことができた。しかし4がつ22にち夜中よなか酸素さんそマスクがはずれ、呼吸こきゅう停止ていしおちいっているところを看護かんご発見はっけんされた。

自発じはつ呼吸こきゅう再開さいかいしたものの、それ以後いご意識いしきもどすことはなく、1997ねん平成へいせい9ねん12月30にち1823ふん高輪たかなわ東京船員保険病院とうきょうせんいんほけんびょういんげんJCHO東京とうきょう高輪たかなわ病院びょういん)であいだしつせい肺炎はいえんのために死去しきょした。71さいぼつ[17]

評価ひょうか[編集へんしゅう]

2007ねん平成へいせい19ねん)、死後しご10ねんにして、ほしのこしていた大量たいりょうのメモるいと130めいあまり関係かんけいしゃへのインタビューをもとにしたさいあい葉月はづき大部たいぶ評伝ひょうでんほししんいち いち〇〇いちをつくったひと』(新潮社しんちょうしゃ)が刊行かんこうされ、「ひょうひょうとした性格せいかく」とおもわれていたほし人間にんげんてき苦悩くのうや「子供こども作家さっか」とあつかわれていることへの不満ふまん家族かぞくとの確執かくしつ筒井つついなど後輩こうはい作家さっかへの嫉妬しっとなどが赤裸々せきららえがかれ、従来じゅうらいの「ほし新一しんいちぞうくつがえ内容ないよう衝撃しょうげきあたえた。

また、このしょでは初期しょきには直木賞なおきしょう落選らくせん名誉めいよめられるほどハイブロウ英語えいごばん[よう校閲こうえつ]存在そんざいとしてぐうされ、安部あべ公房こうぼう純文学じゅんぶんがくとSFのりょう分野ぶんや評価ひょうかされていた)のライバルしんをかきたてるほどであったほしが、のち大衆たいしゅうひろれられるにしたがって文学ぶんがくてき評価ひょうかともなわなくなってきた変遷へんせんえがされている。

ほし作品さくひん文庫ぶんこ解説かいせつには、SF作家さっか仲間なかま親友しんゆうともいえる交友こうゆうのあったきた杜夫もりお以外いがいにも、井上いのうえひさし大庭おおばみな鶴見つるみ俊輔しゅんすけ尾崎おざき秀樹ひでき奥野おくの健男たけお大物おおものならぶ(奥野おくのなどは本来ほんらい新潮しんちょう文庫ぶんこでの太宰だざいおさむ担当たんとう解説かいせつしゃである)。晩年ばんねん谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろうほし作品さくひん愛読あいどくしていたと石川いしかわ喬司たかし紹介しょうかいしており、またほしが「歴史れきしもの」を執筆しっぴつするにあたり、ほしから取材しゅざいけた池波いけなみ正太郎しょうたろうもそのしん境地きょうち開拓かいたく称賛しょうさんするなど、後述こうじゅつするSFファンの冷淡れいたんさにくらべると文壇ぶんだん内部ないぶでの評価ひょうかけっしてひくくはなかった。

受賞じゅしょう受賞じゅしょう候補こうほれき[編集へんしゅう]

星雲せいうんしょう[編集へんしゅう]

SFファンがえら年間ねんかんベストしょうである星雲せいうんしょう(1970ねん創設そうせつ)をほしいち受賞じゅしょうしていない。そのてい評価ひょうか事情じじょうについて筒井つつい康隆やすたかは、筒井つつい自身じしんほし真価しんかがわかるようになったのは30さいちかくなってからだったとべたのち星雲せいうんしょう母体ぼたいであるSFファン・グループは10代から20だい多数たすうめている(当時とうじはなし)ため、そういったわか世代せだいからショート・ショートというものがたいへんかるいものとられているのでは、と想像そうぞうしている[22]

ただし、1983ねんの「ショートショート1001へん達成たっせい」をに、よく1984ねんなつ日本にっぽんSF大会たいかいで、日本にっぽんSFファングループ連合れんごう会議かいぎ議長ぎちょう門倉かどくら純一じゅんいち提案ていあんで「星雲せいうんしょう特別とくべつしょう」を授賞じゅしょうすることとなる。実際じっさい授賞じゅしょうしきまでおこなわれたが、ほしがわ受賞じゅしょう拒否きょひし、「まぼろし星雲せいうんしょう」となった[23]

後年こうねん手塚てづか治虫おさむ矢野やのとおる米澤よねざわ嘉博よしひろ野田のだ昌宏まさひろ柴野しばの拓美たくみ小松こまつ左京さきょうらは死去しきょしたさい星雲せいうんしょう特別とくべつしょう受賞じゅしょうしたが、ほし死去しきょ授賞じゅしょうされなかった。だい39かい(2008ねん)において、さいあい葉月はづき評伝ひょうでんほししんいち いち〇〇いちをつくったひと』が星雲せいうんしょうノンフィクション部門ぶもん受賞じゅしょうした。

作品さくひん特徴とくちょう[編集へんしゅう]

ほし作品さくひんとくにショートショートは通俗つうぞくせい出来できかぎ排除はいじょされていて、具体ぐたいてき地名ちめいにんめいといった固有名詞こゆうめいしてこない。たとえば「100まんえん」とはかずに「大金たいきん」・「豪勢ごうせい食事しょくじを2かいすればえてしまうがく」などと表現ひょうげんするなど、地域ちいき社会しゃかい環境かんきょう時代じだい関係かんけいなくめるよう工夫くふうされている。さらに機会きかいあるごとに時代じだいにそぐわなくなった部分ぶぶん手直てなお[注釈ちゅうしゃく 11]しており、ほし晩年ばんねんまでこの作業さぎょうつづけていた。

はげしい暴力ぼうりょく殺人さつじんシーン、ベッドシーンの描写びょうしゃ非常ひじょうすくないが、このことについてほしは「希少きしょう価値かちねらっているだけで、べつ道徳どうとくてき主張しゅちょうからではない」「たんくのが苦手にがて」という説明せつめいをしている。

くわえて、時事じじ風俗ふうぞくあつかわない、当用漢字とうようかんじひょうにない漢字かんじもちいない、前衛ぜんえいてき手法しゅほう使つかわない、などの制約せいやくみずからにしていた。もちろん例外れいがいもあり、『まぐれ指数しすう』などは五輪ごりんまえ東京とうきょう雰囲気ふんいきがきめこまかく描写びょうしゃされた風俗ふうぞくユーモアミステリである。『ほら男爵だんしゃく現代げんだい冒険ぼうけん』も人名じんめい地名ちめい頻出ひんしゅつするが、人名じんめい意図いとてきにシンプルまたは奇妙きみょうなものが使つかわれている。

ショートショートの主人公しゅじんこうとしてよく登場とうじょうする「エヌ」などのは、ほし作品さくひん特徴とくちょうづけるキーワードとなっている。「エヌ」を「N」としないのは、アルファベットは、日本語にほんご文章ぶんしょうなか目立めだってしまうからだと本人ほんにんいている。疑問符ぎもんふ感嘆かんたん原則げんそく使つかわない。

しばしば未来みらい予見よけんしているかのような作品さくひん見受みうけられるが、いずれも発表はっぴょうされた時点じてんでは、なにをどう予見よけんしているのかはだれにも(あるいは本人ほんにんですら)からなかった。以下いかにそのれいげる。

こえあみ1970ねん
電話でんわせん経由けいゆする情報じょうほう血圧けつあつ体温たいおんなども感知かんちする)をコンピュータに管理かんりさせている。コンピュータはいたるところに設置せっちされ、すべてネットワークでつながっている。人間にんげんたちはきなとききな場所ばしょ必要ひつよう情報じょうほうしている(インターネット普及ふきゅうユビキタス社会しゃかい実現じつげん)。
おーい でてこーい(1958ねん
ある突然とつぜん出来できふかそこなしのあなに、生産せいさんすることだけかんがえていて、その始末しまつだれかんがえていなかった人間にんげんたちは、これさいわいとばかりに都会とかいのゴミや工場こうじょう排水はいすい放射ほうしゃせい廃棄はいきぶつなど、もの生産せいさんすることで発生はっせいした不用ふようなものをどんどんてていく(公害こうがい生態せいたいけい破壊はかい大量たいりょう消費しょうひ社会しゃかい[注釈ちゅうしゃく 12]
しろふくおとこ(1968ねん
戦争せんそうかんする事物じぶつ事象じしょうなどあらゆるものを封印ふういんしてねじげて管理かんりされた世界せかいえがく(表現ひょうげん自由じゆう言論げんろん自由じゆうなどにんだ監視かんし社会しゃかい有害ゆうがい情報じょうほう規制きせい児童じどうポルノほう改正かいせいなどにふくまれる単純たんじゅん所持しょじ規制きせい問題もんだいなど)。

作品さくひんは20言語げんご以上いじょう翻訳ほんやくされ[注釈ちゅうしゃく 13]世界中せかいじゅうまれている。

寓話ぐうわてき内容ないよう作品さくひんおおく、ほしみずからを「現代げんだいイソップ」としょうしていた(『いそっぷ』とだいした作品さくひんしゅうもある)。その柔軟じゅうなん発想はっそう的確てきかく事物じぶつ本質ほんしつをつかんだ視点してん冷静れいせいさからおおくの読者どくしゃ獲得かくとくしたほか、学校がっこう教科書きょうかしょ光村みつむら図書としょ出版しゅっぱん国語こくご 小学しょうがく5ねん』に掲載けいさいされた「おみやげ」、東京書籍とうきょうしょせきNEW HORIZON』に掲載けいさいされた「おーいでてこーい」(英語えいご教科書きょうかしょであるため、英訳えいやくされ「Can Anyone Hear Me?」のタイトルで収録しゅうろく)など)やテレビ番組ばんぐみ週刊しゅうかんストーリーランド』(「ころですのよ」など)・『にも奇妙きみょう物語ものがたり』(「おーい でてこーい」「ネチラタ事件じけん」など)の題材だいざい採用さいようされている。

評論ひょうろん浅羽あさば通明みちあき自身じしん評論ひょうろんなかほしのショートショートをしばしば引用いんようし、どんな時代じだいにおいても通用つうようするほし作品さくひんの「普遍ふへんてき人間にんげんせいへの批評ひひょう」を強調きょうちょうしている。

また、筒井つつい康隆やすたかほし作品さくひんについて、ストイシズムによる自己じこ規制きせいと、人間にんげんたいするふか理解りかいそこれぬ愛情あいじょう多元的たげんてき姿勢しせいが、かれ作品さくひん一種いっしゅ透明とうめいかんあたえているとひょうした。その一方いっぽう日本人にっぽんじん小説しょうせつにおいてよろこぶような、怨念おんねんのぞ趣味しゅみ現代げんだいへの密着みっちゃくかんやなまくささや攻撃こうげきせいうばわれ、結果けっかとして日本にっぽん評論ひょうろんにとってはほし作品さくひん評価ひょうかしづらくなり、ときとしてまとはずれな批評ひひょうをされることになったと指摘してきしている。ほし後期こうき作品さくひんにおいてその形式けいしきおおきく変化へんかさせたが、筒井つついはそのことにもれ、ほしすうじゅうすうひゃくおよ膨大ぼうだい対立たいりつ概念がいねん視点してんプロットギャグナンセンスのアイデアをっており、後期こうき作品さくひんられる「価値かち相対そうたい」「ラストいちぎょう価値かち転換てんかんによるテーマ集約しゅうやく排除はいじょ」といった変化へんかは、かれ視点してんのアイデアのうちのほんのいちれいぎないと評価ひょうかしている[25]

挿絵さしえおおくは真鍋まなべひろし和田わだまこと担当たんとうしている。真鍋まなべとはとく初期しょきからのめいコンビで、真鍋まなべ挿絵さしえほしがセレクトした『真鍋まなべひろしのプラネタリウム ほし新一しんいち挿絵さしえたち』というほんしている。

アメリカのいちコマ漫画まんが収集しゅうしゅうでもあり、それらをテーマべつ紹介しょうかいした『進化しんかしたさるたち』(ぜん2かん文庫ぶんこは3かん)というほん刊行かんこうしている。さらに官僚かんりょうかべかい、そしてやぶれたちちいちえがいた『人民じんみんよわ官吏かんりつよし』、明治めいじ時代じだい新聞しんぶんちん記事きじ紹介しょうかいした『夜明よあけあと』のようなSF以外いがい近代きんだいノンフィクションや『きまぐれ - 』ではじまるタイトルのエッセイしゅうなども多数たすうのこしている。

人物じんぶつ・エピソード[編集へんしゅう]

容貌ようぼう作風さくふうとは裏腹うらはらに、実生活じっせいかつでもギャグを連発れんぱつするなど「奇行きこうあるじ」とべる側面そくめんがあった。SF仲間なかまあつまりなど、ゆるせるでは奇人きじん変人へんじんぶりを遺憾いかんなく発揮はっきしていた。同行どうこうしている作家さっか仲間なかまおどろかせることもしばしばだったという。とく筒井つつい初期しょき短編たんぺんは、ほし座談ざだんでのギャグにおおきく影響えいきょうけているといわれる[26]。SF作家さっか仲間なかまたちと西新宿にししんじゅく台湾たいわん料理りょうりてんやまちんきょ』にあつまり、SFてき雑談ざつだんきょうじたが、なかでもほしの「異常いじょう発想はっそう毒舌どくぜつ発言はつげん」はそのなかでもぐんいていて、のSF作家さっかたちの回想かいそうぶんなどで神話しんわてきかたられている。その一部いちぶは『SF作家さっかオモロだい放談ほうだん』(いんなあとりっぷしゃ、1977ねん。のちに『おもろ放談ほうだん』(1981ねん)と改題かいだいされ角川かどかわ文庫ぶんこ収録しゅうろく)でむことができる。平井ひらい和正かずまさほし異常いじょう発言はつげんをテーマにした短編たんぺん小説しょうせつほし新一しんいち内的ないてき宇宙うちゅう(インナースペース)」を発表はっぴょうしており、作家さっか仲間なかまあつまると自然しぜんほし中心ちゅうしん話題わだいひろがっていた様子ようす描写びょうしゃされている。しかし、文庫ぶんこ解説かいせつとうでは(そだちがいいこともあり)しばしば紳士しんしてき人物じんぶつかれた。世代せだい生育せいいく環境かんきょうちかいこともあり、きた杜夫もりおとも親交しんこうふかかった[注釈ちゅうしゃく 14]

一方いっぽうで、礼節れいせついた人間にんげんには距離きょりいてせっしていた。そのため、『ヒッチコック・マガジン』の担当たんとう編集へんしゅうしゃで、ショート・ショート大家たいかとなるきっかけをつくった恩人おんじんでありながら、1965ねん山川やまかわ方夫まさお葬儀そうぎせきでのいなどから、ほし小林こばやし信彦のぶひこをひどくきらっており、1969ねん覆面ふくめん座談ざだんかい事件じけん関与かんよした稲葉いなば明雄あきお親友しんゆうという要素ようそくわわったことで、晩年ばんねん小林こばやしかおわせることもいやがっていた。小林こばやしがわは、企業きぎょうPRなどの高額こうがく仕事しごとえたほし原稿げんこうりょう問題もんだいで『ヒッチコック・マガジン』での執筆しっぴつを「勘弁かんべんしてほしい」とげてきたむねしるしている[27]

ほし製薬せいやく人手ひとでわたったのちながらく、星薬科大学ほしやくかだいがく評議ひょうぎいんという肩書かたがきがあった。なお、鮎川あいかわ哲也てつや推理すいり小説しょうせつ死者ししゃむちて』(1965ねん)では、執筆しっぴつ当時とうじ推理すいり文壇ぶんだん関係かんけいしゃ多少たしょう名前なまええて登場とうじょうしており、ほしも「星野ほしの新一しんいち」として登場とうじょうする。また登場とうじょう人物じんぶつのひとりが酒豪しゅごうのため、おとこにもかかわらず「ボッコちゃん」とばれている。また、手塚てづか治虫おさむ漫画まんがW3ワンダースリー』(1965ねん - 1966ねん)の主人公しゅじんこう・「ほし真一しんいち」の名前なまえかれ由来ゆらいする。ほし新一しんいち自身じしんは、手塚てづか息子むすこ手塚てづかしんにちなんでいる可能かのうせいかんがえていた[28]

三田みた文学ぶんがく』1970ねん10がつごうで、福島ふくしま正実まさみと「SFの純文学じゅんぶんがくとの出会であい」という対談たいだんをしたさいほしが「ネパールに、ヒューマニズムにえた外国がいこく医師いしだんんで病気びょうきなおし、死亡しぼうりつをさげた結果けっか人口じんこうえて貧民ひんみん多数たすう発生はっせいした。一種いっしゅのヒューマニズム公害こうがいえる」と発言はつげんしたところ、同席どうせきしていた編集へんしゅうしゃは「公害こうがい文学ぶんがくになるのですか?」「問題もんだいがあるのはわかりますが、どうして文学ぶんがくがそんなものに、こだわらないといけないのですか?」と応答おうとうをした。ほしは「文学ぶんがく想像そうぞうりょく拒否きょひするものだとはおもわなかった。ぼくが純文学じゅんぶんがくにあきたらなくなった理由りゆうがわかった」と発言はつげんした。SFてき発想はっそうたいする「純文学じゅんぶんがくがわ理解りかい」として、有名ゆうめいなエピソードである。

作品さくひんのアイデア同様どうよう作家さっかとは着眼ちゃくがんてんことなり、だい1かい奇想天外きそうてんがいSF新人しんじんしょう選考せんこう委員いいんとして、小松こまつ筒井つついがほとんど問題もんだいにしなかった新井あらい素子もとこの『あたしのなかの……』を強力きょうりょくにプッシュし(結果けっか佳作かさく入選にゅうせん)、作家さっかとして活躍かつやくしていくきっかけをつくった[29]。ただ一人ひとり選考せんこう委員いいんにんじたショートショート・コンクール(のちにショートショート・コンテストと名称めいしょう変更へんこう)からもすうせんにもおよ作品さくひんなかから、のちにプロとして確固かっこたる活躍かつやくをしていく作家さっか多数たすう発掘はっくつしており、その慧眼けいがんぶりを発揮はっきしつつ後進こうしんみちひらいている。とはいえ、ほし新一しんいちショートショート・コンテストとほぼどう時期じき募集ぼしゅう発表はっぴょうがあったショートショート・コンテスト「ビックリハウス」のエンピツしょう受賞じゅしょうさくについては「感性かんせい非常ひじょう重視じゅうしした作品さくひん」がえらばれており、ほしにすれば理解りかいおよばず、お手上てあげの状態じょうたいだったという[30]

生前せいぜん自己じこ作品さくひん映像えいぞう戯曲ぎきょくをほとんどゆるさなかった。アニメちかけた製作せいさく会社かいしゃガイナックス武田たけだ康廣やすひろに「自分じぶん作品さくひんがいじくられるのはぴらごめんだ。やるならおれんでからにしてくれ。それなら文句もんくわない」とことわっている。小松こまつはこのけんき、「ほしさんならそううだろう」と武田たけだかたり、自作じさくのテレビアニメ小松こまつ左京さきょうアニメ劇場げきじょう』を快諾かいだくしたという[31]例外れいがいてき短編たんぺんのいくつかが、アニメーション作家さっか岡本おかもとただしなりによって人形にんぎょうアニメーションとしてざい命中めいちゅう製作せいさくされている(#ほし新一しんいち作品さくひん映像えいぞう参照さんしょう)。

なお、作品さくひんにほとんど反映はんえいされていないため看過かんかされがちであるが、ほし化学かがく修士しゅうしごうち、その方面ほうめん著書ちょしょもある、れっきとした科学かがくしゃ出身しゅっしんSF作家さっかである。福島ふくしま正実まさみ著書ちょしょ未踏みとう時代じだい』で、ほし筒井つつい康隆やすたか小松こまつ左京さきょうらSF作家さっか仲間なかまで、稼動かどうしたばかりの東海とうかいだいいち原発げんぱつ見学けんがくったとき、ほし案内あんないやく技官ぎかんに「お土産みやげ原子げんしを1つけてください」とったというエピソードを披露ひろうしているが、ほしなりのジョークだとおもわれる[32]

また、「リスクもなくおおきなもうけがる」としょうして大量たいりょうひとから金銭きんせんあつめる詐欺さぎ行為こうい被害ひがいしゃについて、「だまされたものは、よくがくらんだものであり、すくってやる必要ひつようなどない」などと辛辣しんらつ内容ないようをエッセイにいていた[33]べつのエッセイしゅう『できそこない博物館はくぶつかん』では、「不渡ふわた手形てがたをつかまされれば、だれだって人間にんげん不信ふしんになる」といった一文いちぶんにすることができる。

身長しんちょう180センチという、大正たいしょうまれとしてはずばぬけた長身ちょうしんぬしであった。そのため、日本にっぽんSF作家さっかクラブには「ほし新一しんいちよりたか人間にんげん入会にゅうかいみとめない」という冗談じょうだん会則かいそくがあったが、これをはじめてやぶって入会にゅうかいしたのは田中たなかひかりである。

とくドイツ文学ぶんがく傾倒けいとうしたり滞在たいざいした経験けいけんがあるわけではないが、このくにえんふか人物じんぶつおお家系かけい[注釈ちゅうしゃく 15]影響えいきょうしているのか、ドイツびいきの感覚かんかくがあり、エッセイ「クマのオモチャ」では「ドイツを全面ぜんめんてき信用しんようしている」「いい意味いみでのおそれるべき民族みんぞくである」と手放てばなしにちか賛辞さんじていしていた。おなじくエッセイ「名前なまえ」では長女ちょうじょ名前なまえユリカを誕生たんじょうがつ7がつのドイツJuli ユーリ)から発想はっそうした経緯けいいつづっている(ともに『まぐれぼしのメモ』所収しょしゅう)。また、ほし作品さくひんには国籍こくせき明確めいかく外国がいこくじんはほとんど登場とうじょうしないが(そもそもどこのくにはなしかすらわからないものがおおい)、『ほら男爵だんしゃく現代げんだい冒険ぼうけん』の主人公しゅじんこう当然とうぜんドイツじんであり(ただし文中ぶんちゅうでドイツという言葉ことば使つかわれない。先祖せんぞはなしや、きゅう日本にっぽんぐん同盟どうめいこくほうばれたり、きていたヒトラー同胞どうほうとしてふるまうなどの間接かんせつ表現ひょうげんにとどまる)、『まぐれ指数しすう』にも重要じゅうよう脇役わきやく在日ざいにちドイツじん登場とうじょうしている。青年せいねんと、かなりのブランクを中年ちゅうねん以降いこうにもクラシック音楽おんがくあい聴していた。クラシックのなかもっときなきょくに、ベートーヴェン大公たいこうさん重奏じゅうそうきょく』をげ、コルトーティボーカザルス演奏えんそうばんあい聴していた[34]

小松こまつ左京さきょうによると、ほしには少年しょうねんあい傾向けいこうがあり、ひところはピーター(池畑いけはた慎之介しんのすけ)にげて「ピーターにわせてくれるんだったら、とにかくだい長編ちょうへんくとかね、つまらんこといってた」という[35]。そのごうひろみげていた時期じきもあり、「かれはね、一人ひとりささえまんじゅういながら、ごうひろみのテレビてんだそうですけど、鬼気ききせまるな」とも小松こまつ発言はつげんしている[36]

ウイスキーがきで、とくサントリーすみびんかく愛飲あいいんしていた。エジプト旅行りょこうさい免税めんぜいてんもとめたがあつかっておらず、仕方しかたなくオールドった。かくかれていなかったことを非常ひじょう残念ざんねんがり、「かくなんてめなかったな、むかしは」「めなかった。高級こうきゅうひんだったんだ。なかった。それが、いまじゃ、ああいうところいてないんだから。よろこぶべきことなのか、かなしむべきことなのか」と発言はつげんしている[37]

公立こうりつはこだて未来みらい大学だいがくは2012ねん9がつ6にちに「きまぐれ人工じんこう知能ちのうプロジェクト 作家さっかですのよ」の開始かいし発表はっぴょうした。松原まつばらひとし(はこだて未来みらい大学だいがく)、中島なかじま秀之ひでゆき(はこだて未来みらい大学だいがく学長がくちょう)、すみかおる(はこだて未来みらい大学だいがく)、迎山むかえやま和司かずし(はこだて未来みらい大学だいがく)、佐藤さとう名古屋大学なごやだいがく)、赤石あかし美奈みな法政大学ほうせいだいがく)の6にんでプロジェクトチームを結成けっせいした。ほし新一しんいちのショートショート作品さくひん解析かいせきおこない、プログラムてき体系たいけい生成せいせいアルゴリズム検討けんとうともトライ・アンド・エラー英語えいごばんかえし、人工じんこう知能ちのうによって2017ねんまでにほし新一しんいち作品さくひん同等どうとうかそれ以上いじょうのショートショートを自動じどう生成せいせいできるようにすることを目指めざしている[注釈ちゅうしゃく 16]瀬名せな秀明ひであき小説しょうせつ評価ひょうか方法ほうほう検討けんとうおこなうなどの顧問こもんつとめる。2015ねん9月には、自動じどう生成せいせいされたショートショートをだい3かいほし新一しんいちしょう応募おうぼしたことが発表はっぴょうされた[38][39]

ホシヅル[編集へんしゅう]

未来みらいにおけるづる進化しんかがたホシヅルし、サインわりにえがいていた。ほし死後しごかれ誕生たんじょう9月6にちは「ホシヅルの」とされ、友人ゆうじんSF作家さっかたちがたかってほししのかいもよおされる。2014ねん世田谷せたがや文学ぶんがくかんもよおされた「日本にっぽんSFてん」と日程にっていかさなったため、一般いっぱん来場らいじょうきゃくまねいた公開こうかい形式けいしきもよおされた。当日とうじつほしマリナらにより生前せいぜんのアルバム写真しゃしんによるプレゼンや新刊しんかん絵本えほん英語えいごでの朗読ろうどくがなされ、ホシヅルのケーキやほし新一しんいち等身とうしんだいパネルなどを関係かんけいしゃとともにかこみこのいわった[40]

家系かけい[編集へんしゅう]

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
小林こばやし又兵衛またべえ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
もりしずやすし
 
 
 
小金井こがねいりょうたち
 
こう
 
小林こばやし虎三とらぞうろう
 
小林こばやしつよし七郎しちろう
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
もり鷗外
 
三木みき竹二たけじ
 
喜美子きみこ
 
小金井こがねいりょうせい
 
桑木くわき厳翼げんよく
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ほしいちいもうと
 
内妻ないさい
 
ほしいち
 
せい
 
小金井こがねい良一りょういち
 
素子そし
 
岡部おかべ三郎さぶろう
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
むすめ
 
 
 
出澤すざわさんふとし
 
ほし新一しんいち
 
ほしきょういち
 
 
 
 
 
 
 
長女ちょうじょ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鈴木すずき俊平しゅんぺい
 
 
 
 
 
 
 
ほしマリナ

作品さくひん[編集へんしゅう]

  • 『エヌゆう園地えんちさんいち書房しょぼう新書しんしょ1966ねん のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ新潮しんちょう文庫ぶんこ 
  • くろひかり斎藤さいとう寿夫としお. 秋田あきた書店しょてん1966ねん昭和しょうわ41ねん))
    少年しょうねんけSF8へん収録しゅうろく。『ちぐはぐな部品ぶひん』にすうへん改稿かいこううえ収録しゅうろくされている。
  • まぐれロボット』和田わだまこと. 理論りろんしゃ1966ねん昭和しょうわ41ねん))のちに『きまぐれロボット』に改題かいだい。(角川かどかわ文庫ぶんこ
    どもけショートショートに童話どうわくわえたもの。
  • 妄想もうそう銀行ぎんこう新潮社しんちょうしゃ1967ねん のち文庫ぶんこ双葉ふたば文庫ぶんこ 
  • 盗賊とうぞく会社かいしゃ 現代げんだい寓話ぐうわしゅう日本経済新聞社にほんけいざいしんぶんしゃ1968ねん のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ新潮しんちょう文庫ぶんこ  
  • 『マイ国家こっか ショート・ショート』新潮社しんちょうしゃ新潮しんちょう小説しょうせつ文庫ぶんこ1968ねん のち新潮しんちょう文庫ぶんこ 
  • 午後ごご恐竜きょうりゅう』(1968ねん のちハヤカワ文庫ぶんこ新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • 『ひとにぎりの未来みらい新潮社しんちょうしゃ1969ねん のち文庫ぶんこ 
  • ころですのよ』未来みらいプロモーション(1969ねん のち文庫ぶんこ 
  • 宇宙うちゅうこえ毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ1969ねん のち角川かどかわ文庫ぶんこ
    小学生しょうがくせいけSF中編ちゅうへん
  • 『おみそれ社会しゃかい ほし新一しんいち短篇たんぺんしゅう講談社こうだんしゃ1970ねん のち文庫ぶんこ新潮しんちょう文庫ぶんこ  
  • こえあみ講談社こうだんしゃ1970ねん のち文庫ぶんこ角川かどかわ文庫ぶんこ 
    12しょうよりなるSF短編たんぺん連作れんさく長編ちょうへんなすこともできる。
  • 『ほら男爵だんしゃく 現代げんだい冒険ぼうけん新潮社しんちょうしゃ1970ねん のち文庫ぶんこ 
    「ほら男爵だんしゃく」ことミュンヒハウゼン男爵だんしゃく子孫しそん冒険ぼうけんえがく、連作れんさくたん編集へんしゅうほしはドイツびいきで、「まぐれ指数しすう」にも重要じゅうよう役割やくわり在日ざいにちドイツじん登場とうじょうさせている。ただし、こちらの内容ないよう完全かんぜん国籍こくせきふうである。
  • 『だれかさんの悪夢あくむ新潮社しんちょうしゃ1970ねん のち文庫ぶんこ 
  • いそっぷ』新潮社しんちょうしゃ1971ねん のち文庫ぶんこ
  • ボッコちゃん新潮しんちょう文庫ぶんこ1971ねん昭和しょうわ46ねん))
    人造じんぞう美人びじん』『ようこそ地球ちきゅうさん』のなかから19へんえらび、それにほかのたん編集へんしゅう収録しゅうろく作品さくひんくわえて50へんにまとめた自選じせんたん編集へんしゅう
  • 『なりそこない王子おうじ講談社こうだんしゃ1971ねん のち文庫ぶんこ新潮しんちょう文庫ぶんこ  
  • 『だれもらないくにで』新潮社しんちょうしゃ1971ねん昭和しょうわ46ねん))
    ろし長編ちょうへん少年しょうねんもの。のちに『ブランコのむこうで』と改題かいだいされた。(新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • 『さまざまな迷路めいろ新潮社しんちょうしゃ1972ねん のち文庫ぶんこ 
  • 『にぎやかな部屋へや新潮社しんちょうしゃ書下かきおろし新潮しんちょう劇場げきじょう1972ねん のち文庫ぶんこ 
    戯曲ぎきょくレーゼドラマとしてかれたが、舞台ぶたい上演じょうえんもされている。
  • 『ようこそ地球ちきゅうさん』(1972ねん 新潮しんちょう文庫ぶんこ
    自選じせんしゅうである『ボッコちゃん』に収録しゅうろくしなかった、『人造じんぞう美人びじん』と『ようこそ地球ちきゅうさん』(1961ねん昭和しょうわ36ねん))ののこりの42へんあつめたたん編集へんしゅう
  • 『ちぐはぐな部品ぶひん角川かどかわ文庫ぶんこ1972ねん昭和しょうわ47ねん))
  • 『おかしな先祖せんぞ講談社こうだんしゃ1972ねん のち文庫ぶんこ角川かどかわ文庫ぶんこ  
    ユーモアSF短編たんぺん10へん
  • 殿とのさまの新潮社しんちょうしゃ1972ねん のち文庫ぶんこ
    時代じだい小説しょうせつ7へん収録しゅうろくしたたん編集へんしゅう。「殿とのさまの」「ねずみ小僧こぞう次郎吉じろきち」「江戸えどからおとこ」「元禄げんろくいぬさわぎ」「かたきのくび」「はんさんだい」「かみしろ」。ばんによっては「やくよけ吉兵衛きちべえ」「しまからのさんにん」「道中どうちゅうすごろく」がくわえられる。
  • しろのなかのひと角川書店かどかわしょてん1973ねん のち文庫ぶんこ
    時代じだい小説しょうせつ5へん収録しゅうろくしたたん編集へんしゅう豊臣とよとみ秀頼ひでより由井ゆい正雪しょうせつ小栗おぐり忠順ただまさえがいた3さくと、吉良きら遺臣いしん黒潮くろしお良吉りょうきちある田舎いなか大名だいみょう勘定かんじょうかた部下ぶか主人公しゅじんこうにしたフィクション2さく「ああ吉良きら忠臣ちゅうしん」「薬草やくそう栽培さいばいほう」からなる。はん出版しゅっぱんしゃによっては家老がろう嫡男ちゃくなんこい春風しゅんぷうのあげく」とべい相場そうばあつかった「すずしいなつ」にえられる。
  • とうきたりなば』ハヤカワ文庫ぶんこ、1973
  • 『かぼちゃの馬車ばしゃ新潮社しんちょうしゃ1973ねん のち文庫ぶんこ 
  • 『ごたごた気流きりゅう講談社こうだんしゃ1974ねん のち文庫ぶんこ角川かどかわ文庫ぶんこ  
  • しろふくおとこ』ハヤカワ文庫ぶんこ1974ねん のち新潮しんちょう文庫ぶんこ 
  • よるのかくれんぼ』新潮社しんちょうしゃ1974ねん のち文庫ぶんこ 
  • 『おのぞみの結末けつまついんなあとりっぷしゃ1975ねん のち新潮しんちょう文庫ぶんこ 
  • 『たくさんのタブー』新潮社しんちょうしゃ1976ねん のち文庫ぶんこ 
  • 『どこかの事件じけん新潮社しんちょうしゃ1977ねん のち文庫ぶんこ 
  • 安全あんぜんのカード』新潮社しんちょうしゃ1978ねん のち文庫ぶんこ 
  • 『ご依頼いらいけん新潮社しんちょうしゃ1980ねん のち文庫ぶんこ 
  • 地球ちきゅうからおとこ角川書店かどかわしょてん1981ねん のち文庫ぶんこ 
  • 『ありふれた手法しゅほう新潮社しんちょうしゃ1981ねん のち文庫ぶんこ 
  • きょうゆめなど30』新潮社しんちょうしゃ1982ねん のち文庫ぶんこ 
  • 『どんぐり民話みんわかん新潮社しんちょうしゃ1983ねん のち文庫ぶんこ
  • 『これからの出来事できごと新潮社しんちょうしゃ1985ねん のち文庫ぶんこ 
  • たけ物語ものがたり角川かどかわ文庫ぶんこ1987ねん 現代げんだいやく
  • 『つねならぬはなし新潮社しんちょうしゃ1988ねん のち文庫ぶんこ 
    神話しんわてき物語ものがたりえがいたたん編集へんしゅう
  • 『やっかいな関係かんけい田中たなか靖夫やすお. あおりゅうしゃ, 1991.6
  • 天国てんごくからのみち新潮しんちょう文庫ぶんこ2005ねん
  • 『ふしぎなゆめ新潮しんちょう文庫ぶんこ2005ねん
  • 『つぎはぎプラネット』新潮しんちょう文庫ぶんこ2013ねん

エッセイしゅう[編集へんしゅう]

  • 『きまぐれぼしのメモ』読売新聞社よみうりしんぶんしゃ1968ねん のち角川かどかわ文庫ぶんこ 
  • 進化しんかしたさるたち』早川書房はやかわしょぼう1968ねん 
    アメリカのいちコマ漫画まんが紹介しょうかいとエッセイ。
  • しん進化しんかしたさるたち』早川書房はやかわしょぼう1968ねん 
    進化しんかしたさるたちの続編ぞくへん。のちにさい編集へんしゅうし、『進化しんかしたさるたち 1・2・3』の3さつでハヤカワ文庫ぶんこ、ついで新潮しんちょう文庫ぶんこされる。
  • 『きまぐれ博物はくぶつ河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ1971ねん のち角川かどかわ文庫ぶんこ 
  • 『きまぐれれき河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ1975ねん のち新潮しんちょう文庫ぶんこ 
  • 『きまぐれ体験たいけん紀行きこう講談社こうだんしゃ1978ねん のち文庫ぶんこ角川かどかわ文庫ぶんこ  
    ソ連それん東南とうなんアジア、香港ほんこん韓国かんこくとう旅行りょこう体験たいけんえがいたエッセイしゅう
  • 『できそこない博物館はくぶつかん徳間書店とくましょてん、1979 のち文庫ぶんこ新潮しんちょう文庫ぶんこ  
    小説しょうせつ発想はっそうについてのエッセイしゅう
  • 『きまぐれフレンドシップ』奇想天外きそうてんがいしゃ1980ねん のち集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ新潮しんちょう文庫ぶんこ  
  • 『きまぐれ読書どくしょメモ』実業之日本社じつぎょうのにほんしゃ1981ねん昭和しょうわ56ねん))
  • 『きまぐれエトセトラ』講談社こうだんしゃ1983ねん のち角川かどかわ文庫ぶんこ 
  • 『あれこれ好奇心こうきしん角川書店かどかわしょてん1986ねん のち文庫ぶんこ 
  • 『きまぐれ学問がくもんしょ角川かどかわ文庫ぶんこ1989ねん
  • 『きまぐれ遊歩道ゆうほどう新潮社しんちょうしゃ1990ねん のち文庫ぶんこ 

ノンフィクション[編集へんしゅう]

作品さくひんしゅう[編集へんしゅう]

  • ほし新一しんいち作品さくひん100』早川書房はやかわしょぼう世界せかいSF全集ぜんしゅう だい28かん〉、1969ねん7がつ20日はつかISBN 4-15-200028-7 
  • ほし新一しんいち作品さくひんしゅうぜん18かん 新潮社しんちょうしゃ1974ねん昭和しょうわ49ねん) - 1975ねん昭和しょうわ50ねん
  • ほし新一しんいちショートショート1001』ぜん3かん 新潮社しんちょうしゃ1998ねん平成へいせい10ねんISBN 4-10-319426-X
  • 『きまぐれぼしからの伝言でんごん』(まき眞司しんじへん徳間書店とくましょてん、2016ねん平成へいせい28ねん)) - 小説しょうせつ・エッセイ・翻訳ほんやく・インタビュー・対談たいだん講演こうえんなど

翻訳ほんやく[編集へんしゅう]

解説かいせつ[編集へんしゅう]

共著きょうちょ[編集へんしゅう]

ドラマ原作げんさく[編集へんしゅう]

ほし新一しんいちかんする作品さくひん[編集へんしゅう]

特集とくしゅう雑誌ざっしなど[編集へんしゅう]

  • 別冊べっさつしんひょうほし新一しんいち世界せかいしんひょうしゃ、1976ねん昭和しょうわ51ねん)12月(「76 AUTUMN」ごう。ただし表紙ひょうしには‘WIN’と表記ひょうき)。
    • 内容ないようは、本人ほんにんのエッセイ、ショートショート、インタビュー、対談たいだん作家さっかなどの寄稿きこう座談ざだんかい、グラビア(スナップ写真しゃしん収集しゅうしゅうぶつなど)、資料しりょうだい辞典じてん年譜ねんぷ作品さくひん目録もくろく書評しょひょう目録もくろくなど)
  • 『SF作家さっかオモロだい放談ほうだん』(いんなあとりっぷしゃ、1977ねん
    • 『おもろ放談ほうだん』(改題かいだい角川かどかわ文庫ぶんこ、1981ねん

ほし新一しんいち作品さくひん漫画まんが[編集へんしゅう]

ほし新一しんいち作品さくひん映像えいぞう[編集へんしゅう]

伝記でんき[編集へんしゅう]

  • さいあい葉月はづきほし新一しんいち いち〇〇いちをつくったひと新潮社しんちょうしゃ、2007ねん3がつISBN 978-4-10-459802-1 
    • さいあい葉月はづきほし新一しんいち いち〇〇いちをつくったひとじょう新潮社しんちょうしゃ新潮しんちょう文庫ぶんこ〉、2010ねん3がつISBN 978-4-10-148225-5  - 修正しゅうせい加筆かひつ人名じんめい索引さくいん年譜ねんぷ追加ついか
    • さいあい葉月はづきほし新一しんいち いち〇〇いちをつくったひとした新潮社しんちょうしゃ新潮しんちょう文庫ぶんこ〉、2010ねん3がつISBN 978-4-10-148226-2 

研究けんきゅう・エッセイ[編集へんしゅう]

  • さいあい葉月はづき『あのころの未来みらい ほし新一しんいち預言よげん新潮社しんちょうしゃ、2003ねん4がつISBN 4-10-459801-1 
    • さいあい葉月はづき『あのころの未来みらい ほし新一しんいち預言よげん新潮社しんちょうしゃ新潮しんちょう文庫ぶんこ〉、2005ねん9がつISBN 4-10-148222-5 
  • ほし新一しんいち空想くうそう工房こうぼうへようこそ』さいあい葉月はづき監修かんしゅう新潮社しんちょうしゃとんぼのほん〉、2007ねん11月。ISBN 978-4-10-602164-0 
  • 浅羽あさば通明みちあきほし新一しんいち思想しそう 予見よけん冷笑れいしょう賢慮けんりょのひと』筑摩書房ちくましょぼう筑摩ちくま選書せんしょ〉、2021ねん10がつISBN 978-4-480-01738-3

フィクション[編集へんしゅう]

  • 平井ひらい和正かずまさほし新一しんいち内的ないてき宇宙うちゅう(インナースペース)」(ショートショート) - 初出しょしゅつSFマガジン』1970ねん5がつごう

ほし新一しんいちショートショート・コンテスト[編集へんしゅう]

1979ねん昭和しょうわ54ねん)よりはじまったほし選考せんこうによるショートショート作品さくひんのコンテスト。発案はつあんしゃ講談社こうだんしゃ編集へんしゅうしゃ宇山うやま日出ひのでしん秀雄ひでお[45]毎年まいとし優秀ゆうしゅう作品さくひん単行本たんこうぼんとして出版しゅっぱんされている。ほし死後しご選者せんじゃおもねかたな田高たたかえ、マイナー・チェンジをかえしながら継続けいぞくちゅうである。受賞じゅしょうしゃなかでも江坂えさかゆう才能さいのう非常ひじょう評価ひょうかしており、ほし自身じしんは「唯一ゆいいつ弟子でし」とかんがえていて江坂えさか子供こどもづけおやにもなった。もっとも、いわゆるだい世代せだいのSF作家さっかたちには私的してき交遊こうゆうなどもつうじてほし弟子でし自認じにんしているものおおく、だいいち世代せだい後半こうはんぐみでも作風さくふうにまったく共通きょうつうてんのない平井ひらい和正かずまさ文庫ぶんこ解説かいせつ弟子でし宣言せんげんしている。

おも受賞じゅしょうしゃ[編集へんしゅう]

ほし新一しんいちしょう[編集へんしゅう]

2013ねんから日本経済新聞社にほんけいざいしんぶんしゃ主催しゅさいする公募こうぼ文学ぶんがくしょう

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ きた杜夫もりおとの対談たいだん「わが習作しゅうさく時代じだいとSF文学ぶんがくと」では、きた杜夫もりおからきな外国がいこく作家さっかかれ「シェクレー、ブラッドベリー、ハインライン、フレドリック・ブラウンもうまいし」とこたえている[2]
  2. ^ ただし、つつみ場合ばあい西武せいぶ経営けいえい参加さんか上場じょうじょうよりも創作そうさく活動かつどうはるかに先行せんこうしており、ほし場合ばあい完全かんぜん経営けいえいはなれたのちに創作そうさく活動かつどうはじまっている。
  3. ^ 次女じじょほしマリナはちちほし新一しんいち発想はっそう文体ぶんたい影響えいきょうあたえた人物じんぶつとして、かれ幼児ようじころからそだてた祖父母そふぼ小金井こがねいりょうきよし喜美子きみこ夫妻ふさいげている[4]
  4. ^ 当時とうじは、通常つうじょうなら帝国ていこく大学だいがく場合ばあいまん23さいでの卒業そつぎょうであったので、それにくらべてほしは2ねんはや卒業そつぎょうしたことになる。
  5. ^ のちの国家こっか公務員こうむいん上級じょうきゅう甲種こうしゅ試験しけんやIたね試験しけん現在げんざい国家こっか公務員こうむいん総合そうごうしょく試験しけんにあたる。
  6. ^ ただし、ほし自身じしんは「先日せんじつ東大とうだい大学院だいがくいん女性じょせいかいみょうなのがあるな)にばれ、はなしをした。修士しゅうし課程かていふたて、博士はかせ課程かてい在籍ざいせきひともいた。まいったね。それからわたしは、自分じぶん略歴りゃくれきから、大学院だいがくいんったことをけずるようにしている。学歴がくれき作品さくひんけるわけじゃない」とべている。[10]
  7. ^ その、1970ねんの『日本にっぽん紳士録しんしろくだい58はんにも「星薬科大ほしやっかだい理事りじ」との肩書かたがき記載きさいされている。
  8. ^ ただしさいあい葉月はづきは『ほししんいち いち〇〇いちをつくったひと』(新潮社しんちょうしゃ2007ねん平成へいせい19ねん))のpp.208-217で「矢野やのからしきりに『セキストラ』をむようすすめられた乱歩らんぽは、一読いちどくしてこれは傑作けっさくだとおもい『宝石ほうせき』に掲載けいさいすることをかんがえたが、自分じぶん責任せきにん編集へんしゅうをしている雑誌ざっし自分じぶん推薦すいせんするのではどうも具合ぐあいわるい。そこで乱歩らんぽ大下宇陀児おおしたうだる提灯ちょうちんもち(→※)を依頼いらいし、きゅうがつまつ発行はっこうじゅういちがつごうでデビューさせることになった」「大下おおした推賞すいしょうしたのは事実じじつであるとしても、大下おおしたが『発掘はっくつ』したというのは宣伝せんでんようの惹句で、矢野やののこしているとおり、乱歩らんぽから依頼いらいされた大下おおしたの『提灯ちょうちんもち』が、いつのまにか大下おおしたの『発掘はっくつ』という定説ていせつになってしまった」とべている。その根拠こんきょとして当事とうじしゃだった矢野やの証言しょうげんほか肝心かんじん大下おおした本人ほんにん推賞すいしょうぶんみじか一文いちぶんしか存在そんざいしないこと、それにして乱歩らんぽが『宝石ほうせき』の『セキストラ』末尾まつびしるしたルーブリック[よう校閲こうえつ]やく800ながく、作品さくひん具体ぐたいてき内容ないようにまで言及げんきゅうして絶賛ぜっさんしていることなどをげている。
    注記ちゅうき……「提灯ちょうちんもち」の一般いっぱんてき意味いみは、他人たにん手先てさき使つかわれて、そのひと長所ちょうしょ吹聴ふいちょうしてまわったりすること、または、それをするひとのこと[13]。ここでの「提灯ちょうちんもち」やく大下おおしたは、依頼いらいしゃ乱歩らんぽのことでなく、そのけてほしのことをめそやす役割やくわりとなっているので、一般いっぱんてき用例ようれいから拡大かくだいした意味いみほし意思いしにかかわらず、いわばほし代位だいいして乱歩らんぽほしのための手先てさきとして大下おおした使つか関係かんけい)でもちいられている。
  9. ^ a b 初出しょしゅつのタイトル。のちに収録しゅうろくされた作品さくひんしゅう悪魔あくまのいる天国てんごく』(中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ、1961ねん12がつおよび『ボッコちゃん』(新潮社しんちょうしゃ、1971ねん5がつ)において『誘拐ゆうかい』と改題かいだい
  10. ^ ほしは「高級こうきゅう住宅じゅうたくなのだろうが、高級こうきゅうさをひけらかさないところがいい」「戦前せんぜん本郷ほんごう屋敷やしきまちにも、そういうムードのとこがあった」とべている[16]
  11. ^ 電子でんし頭脳ずのう」を「コンピュータ」に、「ダイヤルをまわす」を「電話でんわをかける」になおすなど。
  12. ^ ほし新一しんいちは『きまぐれエトセトラ』「いわんとすること」で、執筆しっぴつ発表はっぴょう当時とうじ公害こうがいという言葉ことば概念がいねんもなく、公害こうがい問題もんだいむすびつけられたことでショートショートとしての面白おもしろさがそこなわれるとなげいている。
  13. ^ 1985ねん時点じてん英語えいごドイツフランス語ふらんすごイタリア中国ちゅうごくロシア朝鮮ちょうせんルーマニアポーランドチェコインドネシアウクライナノルウェーラトビアリトアニアベンガルセルビア・クロアチアマジャールアゼルバイジャンエスペラントの20言語げんご[24]
  14. ^ 2人ふたりとも父親ちちおや医薬いやくけい組織そしき製薬せいやく会社かいしゃ病院びょういん)のトップで東北とうほく出身しゅっしん欧米おうべい留学りゅうがく経験けいけんあり、母親ははおや東京とうきょうブルジョア出身しゅっしん東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく教授きょうじゅむすめだい病院びょういんむすめ)で、本人ほんにん東京とうきょうやま本郷ほんごう青山あおやま)にまれそだっている。
  15. ^ 外祖父がいそふ小金井こがねいりょうせい大伯父おおおじもり鴎外おうがいについては有名ゆうめいだが、ちちほしいち留学りゅうがく経験けいけんこそないものの、フリッツ・ハーバー訪日ほうにち援助えんじょをしたり、ベルリン工科こうか大学だいがく名誉めいよ教授きょうじゅ称号しょうごうおくられるほどのしんどくとして名高なだかい。医師いしである義父ぎふもドイツつうじた人物じんぶつである。
  16. ^ 5ねん以内いないにショートショートの公募こうぼ匿名とくめい応募おうぼして入賞にゅうしょうすることを目指めざすとしている。
  17. ^ したやく当時とうじ早川書房はやかわしょぼう編集へんしゅうしゃだった福島ふくしま正実まさみ南山みなみやまひろし常盤ひたち新平しんぺいらが担当たんとうしている。ほしによる訳者やくしゃあとがき(2005ねん再版さいはんでは割愛かつあいされている)では、たん協力きょうりょくしゃとして3にんへの謝辞しゃじかれているが、したやく事実じじつについて福島ふくしまらのもと同僚どうりょう内田うちだがエッセイのなか言及げんきゅうしている。
  18. ^ 作家さっか横田よこたじゅんわたるほし新一しんいちいたはなしでは、『さんじゅうねん』はほしいち箇条書かじょうがきでアイデアをしただけで、執筆しっぴつのほとんどは江見えみ水蔭すいいんによるものだったという。そのアイデアにしてもわずかだった[41]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ ほし新一しんいち「『心中しんちゅうの』に魅入みいられて」(『川端かわばた康成やすなり全集ぜんしゅうだい6かんだい7かい月報げっぽう)(新潮社しんちょうしゃ、1969ねん
  2. ^ きた杜夫もりお『マンボウ談話だんわしつ』p.183、講談社こうだんしゃ、1977ねん
  3. ^ 宮崎みやざき哲弥てつや『いまこそ「小松こまつ左京さきょう」をなおす』 NHK出版しゅっぱん新書しんしょ、2020、p.7
  4. ^ 中日新聞ちゅうにちしんぶん 2022ねん12月23にち夕刊ゆうかん、2めん
  5. ^ 『きまぐれ読書どくしょメモ』p.219(有楽うらく出版しゅっぱんしゃ昭和しょうわ56ねん(1981ねん))
  6. ^ ほし新一しんいち『きまぐれ読書どくしょメモ』p.20(有楽うらく出版しゅっぱんしゃ1981ねん昭和しょうわ56ねん))
  7. ^ 『きまぐれれき』p.225(新潮しんちょう文庫ぶんこ1979ねん昭和しょうわ54ねん))
  8. ^ a b c d 東宝とうほう特撮とくさつ映画えいがぜん 1983, p. 540, 「特撮とくさつ映画えいがスタッフ名鑑めいかん
  9. ^ 『きまぐれ読書どくしょメモ』(有楽うらく出版しゅっぱんしゃ)p.108
  10. ^ まぐれスターダスト』p.75(2000ねん出版しゅっぱん芸術げいじゅつしゃ)を参照さんしょう
  11. ^ ほし新一しんいち年譜ねんぷ」(『別冊べっさつしんひょうほし新一しんいち世界せかい」 76 AUTUMN』、しんひょうしゃ1976ねん昭和しょうわ51ねん))、p.202。
  12. ^ 人民じんみんよわ官吏かんりつよし』、『ほししんいち いち〇〇いちをつくったひと
  13. ^ "提灯持ちょうちんもち". 精選せいせんばん 日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん. コトバンクより2023ねん5がつ11にち閲覧えつらん
  14. ^ 探偵たんてい作家さっか雑誌ざっし団体だんたいしょうめい辞典じてん多岐川たきがわきょう
  15. ^ a b 直木賞なおきしょうのすべて」受賞じゅしょうさく候補こうほさく一覧いちらん非公式ひこうしきサイト) - ウェイバックマシン(2023ねん3がつ26にちアーカイブぶん
  16. ^ ほし新一しんいち『きまぐれ遊歩道ゆうほどう』pp.90-92(新潮しんちょう文庫ぶんこ、1996ねん)。
  17. ^ さいあい葉月はづきほししんいち いち〇〇いちをつくったひとじょう新潮社しんちょうしゃ新潮しんちょう文庫ぶんこ〉、2010ねん、pp.11-18。
  18. ^ 1968ねん だい21かい 日本にっぽん推理すいり作家さっか協会きょうかいしょう[リンク]
  19. ^ 1968ねん だい21かい 日本にっぽん推理すいり作家さっか協会きょうかいしょう妄想もうそう銀行ぎんこう』(文学ぶんがくしょう検索けんさくサイト) - ウェイバックマシン(2008ねん6がつ8にちアーカイブぶん
  20. ^ 日本にっぽんSF大賞たいしょう[リンク]
  21. ^ 日本にっぽんSF大賞たいしょうかくしょう受賞じゅしょう一覧いちらん日本にっぽんSF作家さっかクラブ) - ウェイバックマシン(2023ねん4がつ9にちアーカイブぶん
  22. ^ 『'60年代ねんだい日本にっぽんSFベスト集成しゅうせい』へのほし収録しゅうろくさく解放かいほう時代じだい」の解説かいせつ
  23. ^ [1]まき眞司しんじ「ぼくのSFファン修業しゅうぎょう時代じだいほし作品さくひん関係かんけいすることなど」
  24. ^ 深見ふかみだんほし新一しんいちおく読者どくしゃをもつ作家さっか」(新潮しんちょう文庫ぶんこ「たくさんのタブー」巻末かんまつ)より)
  25. ^ 『ボッコちゃん』解説かいせつ新潮社しんちょうしゃ
  26. ^ さいあい葉月はづきほし新一しんいち いち〇〇いちをつくったひとした)』新潮しんちょう文庫ぶんこ pp.161-163
  27. ^ 小林こばやし信彦のぶひこ『テレビの黄金おうごん時代じだい』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、2002ねん文庫ぶんこ2005ねん文庫ぶんこばんp.87
  28. ^ ほし新一しんいち文句もんくわすれた『W3』の主人公しゅじんこうめい」『朝日あさひジャーナル臨時りんじ増刊ぞうかん 手塚てづか治虫おさむ世界せかい朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1989ねん
  29. ^ だいいちかい奇想天外きそうてんがいSF新人しんじんしょう選考せんこうかい選考せんこう過程かてい”. 2009ねん2がつ7にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2008ねん6がつ20日はつか閲覧えつらん (『奇想天外きそうてんがい』1978ねん2がつごう新人しんじんしょう選考せんこう座談ざだんかい」より一部いちぶ抜粋ばっすい
  30. ^ 『きまぐれ読書どくしょメモ』(有楽うらく出版しゅっぱんしゃ)p.178
  31. ^ 武田たけだ康廣やすひろ『のーてんき通信つうしん エヴァンゲリオンをつくったおとこたち』ワニブックス、2002ねん、pp.120-121。
  32. ^ 福島ふくしま正実まさみ未踏みとう時代じだい 日本にっぽんSFをきずいたおとこ回想かいそうろく早川書房はやかわしょぼう〈ハヤカワ文庫ぶんこ JA 976〉、2009ねん12月9にちISBN 978-4-15-030976-3 
  33. ^ 『きまぐれ遊歩道ゆうほどう』(新潮しんちょう文庫ぶんこ)pp.111-112ほか
  34. ^ ほし新一しんいち『きまぐれ遊歩道ゆうほどう』p.76(新潮しんちょう文庫ぶんこ、1990ねん
  35. ^ きた杜夫もりお怪人かいじんとマンボウ』p.118(講談社こうだんしゃ、1977ねん
  36. ^ きた杜夫もりお怪人かいじんとマンボウ』p.119(講談社こうだんしゃ、1977ねん
  37. ^ 佐々木ささき清隆きよたか (1998ねん1がつ11にち). “さよならバーバリー(2)”. PAX PROJECT. 1999ねん2がつ24にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2023ねん4がつ25にち閲覧えつらん
  38. ^ だいかいほし新一しんいちしょう応募おうぼしました。” (2015ねん9がつ24にち). 2016ねん1がつ29にち閲覧えつらん
  39. ^ 成果せいか作品さくひん(きまぐれ人工じんこう知能ちのうプロジェクト 作家さっかですのよ) - ウェイバックマシン(2016ねん3がつ21にちアーカイブぶん
  40. ^ ホシヅルの@SFのくに”. 日本にっぽんSF作家さっかクラブ. 2014ねん12月29にち閲覧えつらん
  41. ^ 横田よこたじゅんわたる古書こしょワンダーランド2』平凡社へいぼんしゃ、2004ねん6がつ、163-164ぺーじISBN 978-4-582-83227-3 
  42. ^ にも奇妙きみょう物語ものがたりにも奇妙きみょう物語ものがたり ふゆ特別とくべつへん”. Fuji Television Network. 2024ねん4がつ6にち閲覧えつらん
  43. ^ "『ほし新一しんいち不思議ふしぎ不思議ふしぎ短編たんぺんドラマ』放送ほうそう決定けってい 水原みずはら希子のりこ永山ながやまあきらふとし高良こうら健吾けんご北山きたやま宏光ひろみつ出演しゅつえん". ORICON NEWS. oricon ME. 18 February 2022. 2022ねん2がつ18にち閲覧えつらん
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  45. ^ さいあい葉月はづきほし新一しんいちした)』(新潮しんちょう文庫ぶんこ)p.267

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]