自然しぜん破壊はかい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

自然しぜん破壊はかい(しぜんはかい)とは、人間にんげんヒト)によってくわえられることがない、あるがままの状態じょうたいのもの(すなわち自然しぜん)に、人間にんげんくわえて破壊はかいしてしまうことである。人間にんげん直接的ちょくせつてきくわえて破壊はかいすること(森林しんりん伐採ばっさいなど)もあれば、人間にんげん活動かつどうによって間接かんせつてき影響えいきょうけて破壊はかいいたる(大気たいき汚染おせん気候きこう変動へんどうなど)こともある。

「あるがままの自然しぜん」に人間にんげん介入かいにゅうさせること自体じたいが「あるがままの自然しぜん」ではないとみなし、人間にんげんくわえてしまうことそのものをすこともあれば、「人間にんげんくわえた自然しぜん」さえも利用りようできない状態じょうたいにまで破壊はかいされてしまう場合ばあいもあるが、いずれにしても人間にんげん都合つごうによって自然しぜんえられてしまうことにはわりはない。

環境かんきょう問題もんだいひとつであり、環境かんきょう破壊はかい表現ひょうげんすることもある[1]

人工じんこうてき環境かんきょう改変かいへん[編集へんしゅう]

すくなくとも農耕のうこうはじまってからは、ヒトはその生活せいかつ人工じんこうてきつくり、人為じんいてき植物しょくぶつ栽培さいばいし、すうしゅえらばれた動物どうぶつをその周囲しゅうい飼育しいくする、といったことをおこなってきた。さらにその周囲しゅうい自然しぜん環境かんきょうたいしても、だいなりしょうなり影響えいきょうあたえ、自分じぶんたちがみやすいように改変かいへんしてきた。里山さとやまなどもそのれいである。

しかし、19世紀せいきはいって産業さんぎょう革命かくめい工業こうぎょう)が先進せんしんこく本格ほんかくしてだい規模きぼ工業こうぎょう発達はったつすると、原料げんりょう廃棄はいきぶつりょうがそれまでとは比較ひかくにならないほどにおおきくなった。また、20世紀せいきはいると、機械きかいなどの発達はったつによってその作業さぎょう能力のうりょく格段かくだんおおきくなった。そのため、それ以前いぜんとはくらべものにならないほど自然しぜん改変かいへんする場合ばあい規模きぼ速度そくどおおきくなった。それによって浮上ふじょうしたのがこの問題もんだいである。

指摘してきされる背景はいけい[編集へんしゅう]

環境かんきょう保護ほごろんしゃ指摘してきしているところでは、産業さんぎょう革命かくめいくわわった大半たいはんくにキリスト教きりすときょうくにであったことから堀川ほりかわきょうキリスト教きりすときょうてき伝統でんとう自然しぜん破壊はかいかんする議論ぎろんをするじょうでのどころになっているのではないかという。『旧約きゅうやく聖書せいしょ』にはかみ言葉ことばとして人間にんげんに「んでおおくなり、ちて、それをしたがわせよ。そして、うみさかなてんものうえのあらゆるもの服従ふくじゅうさせよ(『創世そうせい』1せつ28しょう)」という記述きじゅつがあり、自然しぜん支配しはいするという西洋せいようじん曲解きょっかい影響えいきょうあたえていると、リン・ホワイトはレイチェル・カーソン沈黙ちんもくはる出版しゅっぱんの5ねん1967ねん主張しゅちょうした。フレデリック・ターナーはさらに、ユダヤきょうキリスト教きりすときょう発祥はっしょうであるパレスチナ荒野あらの荒々あらあらしさとの対立たいりつから「人類じんるいはまさにそのにおいて自然しぜん世界せかい支配しはいしようとするゆめ設定せっていした」とし、それが『旧約きゅうやく聖書せいしょ』に反映はんえいされたのだという。この傍証ぼうしょうとしてははん乾燥かんそう地域ちいきでの牧畜ぼくちく人間にんげん管理かんりしょくつよめんげられる。

これらの指摘してきにはいちめん真実しんじつはあるかもしれない。だが、事実じじつ関係かんけいとしてはキリスト教きりすときょう教義きょうぎよりも利潤りじゅん追求ついきゅう資本しほん主義しゅぎ膨張ぼうちょうおおきな役割やくわりたしたというのがただしいであろう[2]

自然しぜん破壊はかいへの意識いしき[編集へんしゅう]

前述ぜんじゅつの『沈黙ちんもくはる出版しゅっぱん以降いこう環境かんきょう破壊はかい意識いしきするながれが、世論せろん形成けいせいし、自然しぜん破壊はかい原因げんいんられる異常いじょう気象きしょう多発たはつするなど、環境かんきょう改変かいへん人間にんげん意図いとしない事態じたいこす事例じれい明確めいかくになってきた。このため、過剰かじょう環境かんきょう破壊はかいすすめば、いま以上いじょう人間にんげんがその代償だいしょうけることをつながると危惧きぐし、人間にんげん経済けいざい活動かつどうなどの利己りこてきいによる自然しぜん破壊はかい阻止そししようと主張しゅちょうするもの出現しゅつげんしてきた。

その反面はんめん地球ちきゅうにはまだおおくの自然しぜんのこされているとし、多少たしょう破壊はかい人間にんげん利益りえき追求ついきゅう経済けいざい活動かつどうのためにはやむをないと主張しゅちょうするものもいる。

ただし、環境かんきょう破壊はかいがそれ自体じたいによる景観けいかん破壊はかいや、その行為こういによる想定そうていがい災害さいがい公害こうがい人間にんげん利益りえきそこね、結果けっかてき一部いちぶ人々ひとびと利益りえきため無関係むかんけい人々ひとびと損害そんがいこうむるといった外部がいぶせいをもたらす可能かのうせい考慮こうりょすれば、それは経済けいざい活動かつどうたいしてもマイナスにはたらき、前述ぜんじゅつ主張しゅちょう如何いかなる場合ばあい免罪めんざいになるとはいえない。

このように、個々ここ自然しぜん破壊はかいたいするへの意識いしきたかまってきてはいるものの、人間にんげん活動かつどうそのものにかかわる問題もんだいであり、一筋縄ひとすじなわにはかないのが現状げんじょうで、現在げんざい自然しぜん破壊はかいすすつづけている。

自然しぜん破壊はかいれいこりうる問題もんだい[編集へんしゅう]

対応たいおう対策たいさく[編集へんしゅう]

だい規模きぼ環境かんきょう破壊はかいを、ジェノサイドわせた造語ぞうごで「エコサイド」とび、ジェノサイドなどと同様どうよう国際こくさいほううえ犯罪はんざいとして位置いちづけ、国際こくさい刑事けいじ裁判所さいばんしょ(ICC)における訴追そつい処罰しょばつ対象たいしょうにするべきだとする国際こくさいほう学者がくしゃらもいる[1]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b エコサイドはさばけるか 環境かんきょう破壊はかいいつ国際こくさい犯罪はんざい」に毎日新聞まいにちしんぶん朝刊ちょうかん2021ねん7がつ2にち3めん(2021ねん8がつ12にち閲覧えつらん
  2. ^ デイヴィッド・アーノルド『環境かんきょう人間にんげん歴史れきししん評論ひょうろん、1999ねん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]