中国 ちゅうごく 人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん (ちゅうごくじんみんかいほうぐん、拼音 : Zhōngguó rénmín jiěfàngjūn 、英語 えいご : People's Liberation Army )は、中国共産党 ちゅうごくきょうさんとう が指導 しどう する中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく の武装 ぶそう 力量 りきりょう である。(なお中国 ちゅうごく 人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん の中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく における公的 こうてき ・法的 ほうてき 位置 いち については後述 こうじゅつ の「#法的 ほうてき 規定 きてい 」を参照 さんしょう すること。)単 たん に日本 にっぽん などでは単 たん に「中国 ちゅうごく 軍 ぐん 」または「人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん 」、中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく 国内 こくない では「解放 かいほう 軍 ぐん 」[1] と略 りゃく されて呼 よ ばれている。中華民国 ちゅうかみんこく (台湾 たいわん )では「共 とも 軍 ぐん 」[2] 、「中共 ちゅうきょう 解放 かいほう 軍 ぐん 」と呼称 こしょう されている。中国共産党 ちゅうごくきょうさんとう の政党 せいとう 軍隊 ぐんたい 、対外 たいがい 的 てき には共産党 きょうさんとう の最高 さいこう 軍事 ぐんじ 指導 しどう 機関 きかん である中国共産党 ちゅうごくきょうさんとう 中央 ちゅうおう 軍事 ぐんじ 委員 いいん 会 かい の指揮 しき を受 う ける。軍 ぐん 種 しゅ は陸軍 りくぐん ・海軍 かいぐん ・空軍 くうぐん ・ロケット軍 ぐん ・戦略 せんりゃく 支援 しえん 部隊 ぶたい ・聯 れん 勤 つとむ 保障 ほしょう 部隊 ぶたい がある。また、正規 せいき 軍 ぐん たる中国 ちゅうごく 人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん とは別 べつ に、中国 ちゅうごく 民兵 みんぺい ・中国 ちゅうごく 人民 じんみん 武装 ぶそう 警察 けいさつ 部隊 ぶたい が中国共産党 ちゅうごくきょうさんとう 及 およ び中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく の武装 ぶそう 力量 りきりょう に定 さだ められている。
兵力 へいりょく
分列 ぶんれつ 行進 こうしん を行 おこな う中国人 ちゅうごくじん 民 みん 解放 かいほう 軍 ぐん の儀仗 ぎじょう 隊 たい
中国 ちゅうごく 人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん の人員 じんいん ・装備 そうび 数 すう ・組織 そしき 構成 こうせい 等 とう は、中国 ちゅうごく 政府 せいふ あるいは人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん 自身 じしん が情報 じょうほう 公開 こうかい に積極 せっきょく 的 てき でなく国防 こくぼう 白書 はくしょ も定期 ていき 的 てき には発行 はっこう されていない。2013年 ねん 4月 がつ に中国 ちゅうごく 国務 こくむ 院 いん は『中国 ちゅうごく 国防 こくぼう 白書 はくしょ :中国 ちゅうごく の武装 ぶそう 力 りょく の多様 たよう な運用 うんよう 』を発表 はっぴょう して、陸軍 りくぐん 機動 きどう 作戦 さくせん 部隊 ぶたい が85万 まん 人 にん 、海軍 かいぐん 23万 まん 5千 せん 人 にん 、空軍 くうぐん 39万 まん 8千 せん 人 にん とする兵員 へいいん 数 すう の概要 がいよう を公表 こうひょう した。陸軍 りくぐん 機動 きどう 作戦 さくせん 部隊 ぶたい は、18個 こ 集団 しゅうだん 軍 ぐん および軍 ぐん 区 く 直轄 ちょっかつ の独立 どくりつ 諸 しょ 兵科 へいか 連合 れんごう 師団 しだん (旅団 りょだん )に該当 がいとう し、国境 こっきょう 警備 けいび 部隊 ぶたい ・海岸 かいがん 防衛 ぼうえい 部隊 ぶたい ・軍事 ぐんじ 施設 しせつ 警備 けいび 部隊 ぶたい は含 ふく まないとしている。陸軍 りくぐん 機動 きどう 作戦 さくせん 部隊 ぶたい に該当 がいとう しない前記 ぜんき の各 かく 部隊 ぶたい の兵員 へいいん 数 すう は公表 こうひょう されず、したがって現役 げんえき 陸軍 りくぐん 全体 ぜんたい の兵員 へいいん 数 すう は明 あき らかにされていない。また第 だい 二 に 砲兵 ほうへい 、予備 よび 役 やく の兵員 へいいん 数 すう も公表 こうひょう されず、したがって人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん 全体 ぜんたい の現役 げんえき ・予備 よび 役 やく を含 ふく めた総 そう 兵員 へいいん 数 すう も本 ほん 国防 こくぼう 白書 はくしょ では明 あき らかにされていない。
イギリス国際 こくさい 戦略 せんりゃく 研究所 けんきゅうじょ が発行 はっこう した『2013年 ねん ミリタリーバランス』によると、2012年 ねん 11月時点 じてん の人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん の人員 じんいん 数 すう は、現役 げんえき 兵 へい は228万 まん 5千 せん 人 にん 、予備 よび 役 やく 51万 まん 人 にん と推定 すいてい されており、このことから世界 せかい 最大 さいだい の常備 じょうび 軍 ぐん とされている。この他 ほか に準 じゅん 軍事 ぐんじ 組織 そしき の人民 じんみん 武装 ぶそう 警察 けいさつ (武 たけ 警)が66万 まん 人 にん と推定 すいてい されている。これらの数 かず は2000年 ねん の値 ね と比較 ひかく すると現役 げんえき 兵 へい は2万 まん 5千 せん 人 にん 減 げん 、予備 よび 役 やく は+1万 まん ~-9万 まん 人 にん である。武 たけ 警は84万 まん 人 にん 減 げん であった。1982年 ねん に現在 げんざい の武 たけ 警が設置 せっち されてまもない時期 じき は、人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん が大 だい 規模 きぼ な人員 じんいん 数 すう の削減 さくげん を行 おこな った頃 ころ と一致 いっち する。武 たけ 警は、削減 さくげん された人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん 兵士 へいし を受 う け入 い れ、一時 いちじ は人員 じんいん が増加 ぞうか したものの、その後 ご に隊員 たいいん の定年 ていねん が進 すす み自然 しぜん 減 げん になったものと推察 すいさつ する。準 じゅん 軍事 ぐんじ 組織 そしき には他 た に中国 ちゅうごく 民兵 みんぺい があり、2011年 ねん の中国共産党 ちゅうごくきょうさんとう の発表 はっぴょう によると過去 かこ には3000万 まん 人 にん が所属 しょぞく しており、削減 さくげん された2011年 ねん においても人員 じんいん 800万 まん 人 にん を誇 ほこ る[3] 。
装備 そうび 等 とう
中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく 政府 せいふ は湾岸 わんがん 戦争 せんそう 、アフガニスタン戦争 せんそう 、イラク戦争 せんそう などでのアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 軍 ぐん による軍事 ぐんじ 的 てき 成果 せいか に影響 えいきょう されて、近年 きんねん は軍事 ぐんじ 兵器 へいき や軍事 ぐんじ システムや戦闘 せんとう スタイルの革新 かくしん に力 ちから を入 い れ、通常 つうじょう 兵器 へいき による軍事 ぐんじ 力 りょく も強力 きょうりょく になりつつある。2017年 ねん には第 だい 5世代 せだい 戦闘 せんとう 機 き のJ-20 が配備 はいび された。また、ロシアの兵器 へいき 輸出 ゆしゅつ 企業 きぎょう の重役 じゅうやく によれば中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく はインドとは違 ちが い陸上 りくじょう 兵器 へいき の近代 きんだい 化 か が進 すす んでいるため、陸上 りくじょう 兵器 へいき は地 ち 対空 たいくう ミサイル以外 いがい はほとんど輸入 ゆにゅう してくれないと語 かた っている[4] 。そして新式 しんしき 装備 そうび の絶対 ぜったい 数 すう は多 おお く、Su-27 /Su-30MKK シリーズは300機 き 以上 いじょう ある。これは日本 にっぽん や韓国 かんこく のF-15 保有 ほゆう 機 き 数 すう を凌駕 りょうが している。また、空軍 くうぐん 兵器 へいき の取引 とりひき においては完成 かんせい した機体 きたい を購入 こうにゅう する時代 じだい は終 お わり、エンジンやレーダーなどのような装備 そうび 単位 たんい で買 か う段階 だんかい になったと言 い われている。その象徴 しょうちょう がJ-10 である[5] 。
徽章 きしょう の由来 ゆらい
1927年 ねん 8月 がつ 1日 にち の南 みなみ 昌 あきら 蜂起 ほうき を建 けん 軍 ぐん 記念 きねん 日 び とし、軍 ぐん の徽章 きしょう には紅 べに 星 ぼし に「八一 やいち 」の字 じ が、軍旗 ぐんき は紅 べに 地 ち に黄色 おうしょく で星 ほし と「八 はち 一 いち 」の字 じ があしらわれている。
中国 ちゅうごく 人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん 空軍 くうぐん の曲技 きょくぎ 飛行 ひこう 隊 たい は八 はち 一 いち 飛行 ひこう 表 ひょう 演 えんじ 隊 たい (August 1st)、軍 ぐん のスポーツチームは八 はち 一足 ひとあし 球 だま 隊 たい 、八 はち 一 いち ロケッツ 、八 はち 一 いち 女子 じょし 排球 はいきゅう など、象徴 しょうちょう 的 てき な名称 めいしょう としても利用 りよう されている。
なお公式 こうしき サイトのURLもwww.81.cn/ である。
法的 ほうてき 規定 きてい
中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく 憲法 けんぽう 第 だい 93条 じょう には、「中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく 中央 ちゅうおう 軍事 ぐんじ 委員 いいん 会 かい が全国 ぜんこく の武力 ぶりょく (武装 ぶそう 力量 りきりょう )を領 りょう 導 しるべ する」との記載 きさい はあるが、中国 ちゅうごく 人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん を唯一 ゆいいつ の国軍 こくぐん と規定 きてい する条文 じょうぶん はない。中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく 国防 こくぼう 法 ほう 第 だい 22条 じょう では、「中国 ちゅうごく の武装 ぶそう 力量 りきりょう を構成 こうせい するのは中国 ちゅうごく 人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん 現役 げんえき 部隊 ぶたい と予備 よび 役 やく 部隊 ぶたい 、中国 ちゅうごく 人民 じんみん 武装 ぶそう 警察 けいさつ 部隊 ぶたい 、民兵 みんぺい 組成 そせい 」と規定 きてい され、その中 なか で中国 ちゅうごく 人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん 現役 げんえき 部隊 ぶたい については、国家 こっか の常備 じょうび 軍 ぐん であると規定 きてい されている。
憲法 けんぽう 第 だい 93条 じょう 第 だい 1項 こう では、「国家 こっか 中央 ちゅうおう 軍事 ぐんじ 委員 いいん 会 かい が全国 ぜんこく の武装 ぶそう 力 りょく を領 りょう 導 しるべ する」としているが、一方 いっぽう で憲法 けんぽう 前文 ぜんぶん に中国共産党 ちゅうごくきょうさんとう が国家 こっか を領 りょう 導 しるべ することが謳 うた われており、また国防 こくぼう 法 ほう では、「中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく の武装 ぶそう 力 りょく は中国共産党 ちゅうごくきょうさんとう の領 りょう 導 しるべ を受 う ける」、「武装 ぶそう 力 りょく の中 なか の共産党 きょうさんとう 組織 そしき は、党 とう 規約 きやく に従 したが って活動 かつどう する」とあるため、中国共産党 ちゅうごくきょうさんとう が軍事 ぐんじ を支配 しはい することになっている。中国共産党 ちゅうごくきょうさんとう 中央 ちゅうおう 軍事 ぐんじ 委員 いいん 会 かい と国家 こっか 中央 ちゅうおう 軍事 ぐんじ 委員 いいん 会 かい の構成 こうせい 員 いん は同一 どういつ であり、即 すなわ ち中国 ちゅうごく 人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん は実質 じっしつ 的 てき には国軍 こくぐん であると同時 どうじ に「党 とう の軍隊 ぐんたい 」「私兵 しへい 」であるとも言 い える。
軍事 ぐんじ 予算 よさん
中国 ちゅうごく は2024年度 ねんど の国防 こくぼう 予算 よさん を約 やく 1兆 ちょう 6,655億 おく 元 げん (34兆 ちょう 8000億 おく 円 えん )と発表 はっぴょう している[6] 。これは前年度 ぜんねんど 予算 よさん 額 がく から約 やく 7.2%の伸 の びとなる[6] 。
中国 ちゅうごく の公表 こうひょう 国防 こくぼう 予算 よさん は、1989年度 ねんど から2015年度 ねんど までほぼ毎年 まいとし 2桁 けた の伸 の び率 りつ を記録 きろく する急速 きゅうそく なペースで増加 ぞうか してきた。2016年度 ねんど 以降 いこう の伸 の び率 りつ は1桁 けた だが、公表 こうひょう 国防 こくぼう 予算 よさん の名目 めいもく 上 じょう の規模 きぼ は、1993年度 ねんど から30年間 ねんかん で約 やく 37倍 ばい 、2013年度 ねんど から10年間 ねんかん で約 やく 2.2倍 ばい となっている[7] 。
中国 ちゅうごく は、国防 こくぼう 建設 けんせつ を経済 けいざい 建設 けんせつ と並 なら ぶ重要 じゅうよう 課題 かだい と位置 いち づけており、経済 けいざい の発展 はってん に合 あ わせて、国防 こくぼう 力 りょく の向上 こうじょう のための資源 しげん 投入 とうにゅう を継続 けいぞく してきたと考 かんが えられるが、公表 こうひょう 国防 こくぼう 予算 よさん 増加 ぞうか 率 りつ が経済 けいざい 成長 せいちょう 率 りつ (国内 こくない 総 そう 生産 せいさん (GDP)増加 ぞうか 率 りつ )を上回 うわまわ る年 とし も少 すく なくない[7] 。中国 ちゅうごく は 「GDPに占 し める中国 ちゅうごく の国防 こくぼう 費 ひ の割合 わりあい はアメリカなどの軍事 ぐんじ 大国 たいこく と比 くら べて常 つね に低 ひく い」として国防 こくぼう 費 ひ は経済 けいざい 力 りょく にみあったものだと主張 しゅちょう しているが、中国 ちゅうごく 経済 けいざい の低迷 ていめい が続 つづ く状況 じょうきょう においても、2024年度 ねんど の国防 こくぼう 予算 よさん は昨年度 さくねんど と同 どう 水準 すいじゅん であり、軍備 ぐんび を増強 ぞうきょう する姿勢 しせい を鮮明 せんめい にしているほか、軍需 ぐんじゅ 産業 さんぎょう により雇用 こよう を生 う み出 だ し、経済 けいざい を支 ささ えるねらいも指摘 してき されている[8] 。
また、中国 ちゅうごく が国防 こくぼう 費 ひ として公表 こうひょう している額 がく は、実際 じっさい に軍事 ぐんじ 目的 もくてき に支出 ししゅつ している額 がく の一部 いちぶ にすぎないとみられ、世界 せかい 各国 かっこく の政府 せいふ や軍事 ぐんじ 研究 けんきゅう 機関 きかん は、「中国 ちゅうごく 政府 せいふ が、いわゆる中国 ちゅうごく 脅威 きょうい 論 ろん によって軍備 ぐんび 拡張 かくちょう が抑 おさ え込 こ まれることを警戒 けいかい して、軍事 ぐんじ 支出 ししゅつ が小 ちい さく見 み えるように操作 そうさ している」と指摘 してき されている。外国 がいこく からの装備 そうび 購入 こうにゅう 費 ひ や研究 けんきゅう 開発 かいはつ 費 ひ などは公表 こうひょう 国防 こくぼう 費 ひ に含 ふく まれていないとみられ、米 べい 国防省 こくぼうしょう の分析 ぶんせき によれば、2021年 ねん の中国 ちゅうごく の実際 じっさい の国防 こくぼう 支出 ししゅつ は公表 こうひょう 国防 こくぼう 予算 よさん よりも著 いちじる しく多 おお いとされる[7] 。
歴史 れきし
1921年 ねん に中華民国 ちゅうかみんこく で設立 せつりつ された中国共産党 ちゅうごくきょうさんとう は、一時 いちじ は中国 ちゅうごく 国民党 こくみんとう と協力 きょうりょく したが(第 だい 一 いち 次 じ 国共 こっきょう 合作 がっさく )、その後 ご 対立 たいりつ し、事実 じじつ 上 じょう の内戦 ないせん (第 だい 一 いち 次 じ 国共 こっきょう 内戦 ないせん )に突入 とつにゅう した[注釈 ちゅうしゃく 1] 。基本 きほん 的 てき に共産党 きょうさんとう は国民党 こくみんとう に対 たい して劣勢 れっせい であり、のちに「長 ちょう 征 ただし 」と呼称 こしょう する大 だい 撤退 てったい 行動 こうどう などを強 し いられもした。しかし、1937年 ねん に中華民国 ちゅうかみんこく と日本 にっぽん の間 あいだ で戦争 せんそう が起 お こると(日 にち 中 ちゅう 戦争 せんそう 、支 ささえ 那 な 事変 じへん )、再 ふたた び国民党 こくみんとう と手 て を結 むす び(第 だい 二 に 次 じ 国共 こっきょう 合作 がっさく )、国民 こくみん 革命 かくめい 軍 ぐん に編入 へんにゅう された八 はち 路 ろ 軍 ぐん や新 しん 四 よん 軍 ぐん として日本 にっぽん 軍 ぐん と戦 たたか った。しかし、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 のち に、敗戦 はいせん した日本 にっぽん の勢力 せいりょく がいなくなると1946年 ねん にはまた第 だい 二 に 次 じ 国共 こっきょう 内戦 ないせん が始 はじ まり、1947年 ねん には共産党 きょうさんとう 軍 ぐん は人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん の名称 めいしょう を使用 しよう し、国民 こくみん 革命 かくめい 軍 ぐん は中華民国 ちゅうかみんこく 国軍 こくぐん に改称 かいしょう した。日本 にっぽん との戦 たたか いで疲弊 ひへい していた国民党 こくみんとう 軍 ぐん はアメリカのハリー・S・トルーマン 政権 せいけん の援助 えんじょ 停止 ていし やソ連 それん のヨシフ・スターリン による共産党 きょうさんとう 軍 ぐん への支援 しえん で劣勢 れっせい となった。共産党 きょうさんとう 軍 ぐん が初 はじ めて保有 ほゆう した戦車 せんしゃ 功臣 こうしん 号 ごう はソ連 それん 赤軍 せきぐん が占領 せんりょう した満州 まんしゅう において、八 はち 路 ろ 軍 ぐん が日本 にっぽん 軍 ぐん から接収 せっしゅう したものだった。中国 ちゅうごく 人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん 空軍 くうぐん は捕虜 ほりょ となった日本 にっぽん 軍人 ぐんじん 、整備 せいび 士 し が満州 まんしゅう の日本 にっぽん 軍機 ぐんき を修理 しゅうり 、兵 へい を訓練 くんれん することで設立 せつりつ された(-1949)。また、捕虜 ほりょ となった日本 にっぽん の技術 ぎじゅつ 者 しゃ や看護 かんご 婦 ふ も多数 たすう 参加 さんか している(-1950)。
1949年 ねん 蔣介石 せき が南京 なんきん から台北 たいぺい へ脱出 だっしゅつ した。同年 どうねん の10月 がつ 1日 にち に中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく の建国 けんこく が宣言 せんげん された。以降 いこう 、中国共産党 ちゅうごくきょうさんとう が組織 そしき し育 そだ てた軍隊 ぐんたい として、今日 きょう でも共産党 きょうさんとう 組織 そしき と政治 せいじ 委員 いいん の指導 しどう 下 か にある。
国共 こっきょう 合作 がっさく から国共 こっきょう 内戦 ないせん 時 じ の構成 こうせい
元老 げんろう には十 じゅう 大元帥 だいげんすい と呼 よ ばれる代表 だいひょう 者 しゃ がいる。朱 しゅ 徳 いさお ・彭徳懐 ふところ ・林 はやし 彪 ぴょう ・劉 りゅう 伯 はく 承 うけたまわ ・賀 が 竜 りゅう ・陳 ちん 毅 あつし ・羅 ら 栄 さかえ 桓 ・徐 じょ 向 こう 前 まえ ・聶栄臻 ・葉 は 剣 つるぎ 英 えい で、老 ろう 総 そう (ラオゾン)という別称 べっしょう を呼 よ ばれる。
各 かく 軍 ぐん 管区 かんく へは、軍閥 ぐんばつ の影響 えいきょう 力 りょく を削 そ ぐ為 ため に各 かく 野戦 やせん 軍 ぐん より選出 せんしゅつ した部隊 ぶたい で混成 こんせい される。主力 しゅりょく に位置 いち される部隊 ぶたい は、権力 けんりょく 闘争 とうそう に勝 か ち残 のこ った第 だい 3野戦 やせん 軍 ぐん 系 けい 部隊 ぶたい があげられる。
組織 そしき
最高 さいこう 軍事 ぐんじ 指導 しどう 機関 きかん である中国共産党 ちゅうごくきょうさんとう 中央 ちゅうおう 軍事 ぐんじ 委員 いいん 会 かい の内部 ないぶ に弁 わきまえ 公 おおやけ 庁 ちょう をはじめとする15の機関 きかん があり、その下 した に陸軍 りくぐん 、海軍 かいぐん 、空軍 くうぐん 、ロケット軍 ぐん (元 もと 第 だい 二 に 砲兵 ほうへい 部隊 ぶたい )、戦略 せんりゃく 支援 しえん 部隊 ぶたい [10] 、聯 れん 勤 つとむ 保障 ほしょう 部隊 ぶたい および五 ご 大戦 たいせん 区 く が置 お かれている。
中央 ちゅうおう 軍事 ぐんじ 委員 いいん 会 かい
最高 さいこう 軍事 ぐんじ 指導 しどう 機関 きかん である中国共産党 ちゅうごくきょうさんとう 中央 ちゅうおう 軍事 ぐんじ 委員 いいん 会 かい は、中国共産党 ちゅうごくきょうさんとう の下部 かぶ 機関 きかん として設置 せっち される。国 くに の軍隊 ぐんたい としての形式 けいしき を整 ととの えるため、全国 ぜんこく 人民 じんみん 代表 だいひょう 大会 たいかい も中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく 中央 ちゅうおう 軍事 ぐんじ 委員 いいん 会 かい を下部 かぶ に設置 せっち するが、同一 どういつ の委員 いいん により構成 こうせい されるため、名称 めいしょう が異 こと なる同一 どういつ の機関 きかん である。
中央 ちゅうおう 軍事 ぐんじ 委員 いいん 会 かい は主席 しゅせき ・副 ふく 主席 しゅせき ・委員 いいん によって構成 こうせい される。 中央 ちゅうおう 軍事 ぐんじ 委員 いいん 会 かい 主席 しゅせき は、事実 じじつ 上 じょう 中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく (中国 ちゅうごく )の軍隊 ぐんたい である国家 こっか 武装 ぶそう 力量 りきりょう の最高 さいこう 司令 しれい 官 かん であり、国家 こっか 主席 しゅせき が兼任 けんにん する。中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく 憲法 けんぽう で人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん は中央 ちゅうおう 軍事 ぐんじ 委員 いいん 会 かい の指導 しどう 下 か にあると規定 きてい されているが国家 こっか 主席 しゅせき とは記載 きさい されていないためである。
主席 しゅせき : 習近平 ひらた
副 ふく 主席 しゅせき : 張 ちょう 又 また 侠
中央 ちゅうおう 軍事 ぐんじ 員 いん 会 かい の委員 いいん
主席 しゅせき :習近平 ひらた (中国共産党 ちゅうごくきょうさんとう 総 そう 書記 しょき 、国家 こっか 主席 しゅせき )
副 ふく 主席 しゅせき :
張 ちょう 又 また 侠 (陸軍 りくぐん 上 じょう 将 はた 、党 とう 中央 ちゅうおう 政治 せいじ 局 きょく 委員 いいん )
何 なに 衛 まもる 東 ひがし (陸軍 りくぐん 上 じょう 将 はた 、党 とう 中央 ちゅうおう 政治 せいじ 局 きょく 委員 いいん )
委員 いいん :
劉 りゅう 振立 ふりたて (陸軍 りくぐん 上 じょう 将 はた 、前 ぜん 聯合 れんごう 参謀 さんぼう 部 ぶ 参謀 さんぼう 長 ちょう )
苗 なえ 華 はな (海軍 かいぐん 上 じょう 将 はた 、政治 せいじ 工作 こうさく 部 ぶ 主任 しゅにん )
張 ちょう 昇 のぼる 民 みん (ロケット軍 ぐん 上 じょう 将 はた 、紀律 きりつ 検査 けんさ 委員 いいん 会 かい 書記 しょき )
直属 ちょくぞく 部門 ぶもん
中央 ちゅうおう 軍事 ぐんじ 委員 いいん 会 かい 直属 ちょくぞく 部門 ぶもん は、2016年 ねん 1月 がつ 11日 にち に七 なな 大部 たいぶ ・三箇 さんが 委員 いいん 会 かい ・五箇 ごか 直属 ちょくぞく 機構 きこう からなる15機関 きかん が発足 ほっそく したことで大幅 おおはば に改編 かいへん された。かつては中央 ちゅうおう 軍事 ぐんじ 委員 いいん 会 かい の下 した に、作戦 さくせん や指揮 しき を担当 たんとう する総 そう 参謀 さんぼう 部 ぶ 、人事 じんじ や政治 せいじ 教育 きょういく を担当 たんとう する総 そう 政治 せいじ 部 ぶ 、補給 ほきゅう を担当 たんとう する総 そう 後 ご 勤 つとむ 部 ぶ 、武器 ぶき の調達 ちょうたつ を担当 たんとう する総 そう 装備 そうび 部 ぶ の四 よん 総 そう 部 ぶ があり、その下 した に各 かく 軍 ぐん ・七 なな 大軍 たいぐん 区 く が位置 いち していた。
七 なな 大部 たいぶ は弁 わきまえ 公 おおやけ 庁 ちょう ・連合 れんごう 参謀 さんぼう 部 ぶ ・政治 せいじ 工作 こうさく 部 ぶ ・後 こう 勤 つとむ 保障 ほしょう 部 ぶ ・装備 そうび 発展 はってん 部 ぶ ・訓練 くんれん 管理 かんり 部 ぶ ・国防 こくぼう 動員 どういん 部 ぶ の七 なな 部局 ぶきょく をさす。弁 べん 公 おおやけ 庁 ちょう は日常 にちじょう 業務 ぎょうむ 、連合 れんごう 参謀 さんぼう 部 ぶ は作戦 さくせん 指揮 しき や戦略 せんりゃく 、政治 せいじ 工作 こうさく 部 ぶ は政治 せいじ 宣伝 せんでん 、後 こう 勤 つとむ 保障 ほしょう 部 ぶ は兵站 へいたん 計画 けいかく や政策 せいさく 、装備 そうび 発展 はってん 部 ぶ は武器 ぶき の開発 かいはつ や調達 ちょうたつ 、訓練 くんれん 管理 かんり 部 ぶ は訓練 くんれん や体育 たいいく 、国防 こくぼう 動員 どういん 部 ぶ は有事 ゆうじ のための動員 どういん 準備 じゅんび を担当 たんとう する。
三箇 さんが 委員 いいん 会 かい は紀律 きりつ 検査 けんさ 委員 いいん 会 かい ・政 せい 法 ほう 委員 いいん 会 かい ・科学 かがく 技術 ぎじゅつ 委員 いいん 会 かい の三 さん 委員 いいん 会 かい をさす。紀律 きりつ 検査 けんさ 委員 いいん 会 かい は綱紀 こうき の監察 かんさつ 、政 せい 法 ほう 委員 いいん 会 かい は軍 ぐん の司法 しほう 機関 きかん への指導 しどう 、科学 かがく 技術 ぎじゅつ 委員 いいん 会 かい は科学 かがく 技術 ぎじゅつ 指導 しどう を担当 たんとう する。
五箇 ごか 直属 ちょくぞく 機構 きこう は戦略 せんりゃく 規 ぶんまわし 画 が 弁 べん 公 おおやけ 室 しつ ・改革 かいかく 編制 へんせい 弁 べん 公 おおやけ 室 しつ ・国際 こくさい 軍事 ぐんじ 合作 がっさく 弁 べん 公 おおやけ 室 しつ ・審 しん 計 けい 署 しょ ・機関 きかん 事務 じむ 管理 かんり 総局 そうきょく の五 ご 部門 ぶもん をさす。戦略 せんりゃく 規 ぶんまわし 画 が 弁 べん 公 おおやけ 室 しつ は組織 そしき の建設 けんせつ 戦略 せんりゃく 、改革 かいかく 編制 へんせい 弁 べん 公 おおやけ 室 しつ は組織 そしき 改革 かいかく と管理 かんり 、国際 こくさい 軍事 ぐんじ 合作 がっさく 弁 べん 公 おおやけ 室 しつ は軍 ぐん の国際 こくさい 協力 きょうりょく 、審 しん 計 けい 署 しょ は財務 ざいむ 監査 かんさ 、機関 きかん 事務 じむ 管理 かんり 総局 そうきょく は内部 ないぶ 機関 きかん の事務 じむ 管理 かんり を行 おこな う。
戦域 せんいき 統合 とうごう 作戦 さくせん 指揮 しき 組織 そしき
4軍 ぐん 種 しゅ 2部隊 ぶたい は人員 じんいん の配備 はいび 、装備 そうび 調達 ちょうたつ 、訓練 くんれん などの建設 けんせつ ・管理 かんり (軍政 ぐんせい )を、5大戦 たいせん 区 く は割 わ り振 ふ られた地域 ちいき の戦略 せんりゃく ・戦役 せんえき レベルの統合 とうごう 作戦 さくせん 指揮 しき (軍令 ぐんれい )を担当 たんとう する[11] 。また国防 こくぼう 科学 かがく 技術 ぎじゅつ 大学 だいがく 、軍事 ぐんじ 科学 かがく 院 いん 、国防 こくぼう 大学 だいがく などが中央 ちゅうおう 軍事 ぐんじ 委員 いいん 会 かい 直属 ちょくぞく の軍 ぐん 区 く 級 きゅう 組織 そしき である。
戦 せん 区 く
戦 せん 区 く の管轄 かんかつ 域 いき [12]
2016年 ねん 2月 がつ 1日 にち に新設 しんせつ された軍 ぐん 管区 かんく 。従来 じゅうらい の七 なな 大軍 たいぐん 区 く を廃止 はいし し、戦略 せんりゃく 正面 しょうめん と民族 みんぞく 分布 ぶんぷ を考慮 こうりょ した五 ご 大戦 たいせん 区 く が設置 せっち された。従来 じゅうらい の大軍 たいぐん 区 く が担 にな っていた軍政 ぐんせい を、中央 ちゅうおう 軍事 ぐんじ 委員 いいん 会 かい に新設 しんせつ された国防 こくぼう 動員 どういん 部 ぶ が一括 いっかつ して担 にな い、戦 せん 区 く は中央 ちゅうおう 軍事 ぐんじ 委員 いいん 会 かい の統制 とうせい の下 した 、担当 たんとう する地域 ちいき の軍令 ぐんれい を担 にな う[11] 。
各 かく 軍 ぐん 種 しゅ 部隊 ぶたい の統合 とうごう 作戦 さくせん 指揮 しき のため、統合 とうごう 作戦 さくせん 指揮 しき 機構 きこう が各 かく 戦 せん 区 く に設置 せっち されている。これにより、これまで隷下 れいか の部隊 ぶたい に対 たい して指揮 しき 権 けん を有 ゆう していた各 かく 軍 ぐん 種 しゅ 司令 しれい 部 ぶ は軍政 ぐんせい を担当 たんとう する部署 ぶしょ となり、従来 じゅうらい 有 ゆう していた作戦 さくせん ・指揮 しき 権限 けんげん が減少 げんしょう した[13] 。
5大戦 たいせん 区 く はそれぞれ東部 とうぶ 戦 せん 区 く 、南部 なんぶ 戦 せん 区 く 、西部 せいぶ 戦 せん 区 く 、北部 ほくぶ 戦 せん 区 く 、および中部 ちゅうぶ 戦 せん 区 く と名 な づけられ、それぞれの戦 せん 区内 くない の各 かく 軍 ぐん 種 しゅ の各 かく 部隊 ぶたい は戦 せん 区 く 連合 れんごう 指揮 しき 部 ぶ の指揮 しき 下 か に入 はい るとしている。例 たと えば海軍 かいぐん においては、北海 ほっかい 艦隊 かんたい は北部 ほくぶ 戦 せん 区 く の、東海 とうかい 艦隊 かんたい は東部 とうぶ 戦 せん 区 く の、南海 なんかい 艦隊 かんたい は南部 なんぶ 戦 せん 区 く の連合 れんごう 指揮 しき 部 ぶ の指揮 しき 下 か に入 はい るとしている。空軍 くうぐん においては、戦 せん 区 く 毎 ごと に戦 せん 区 く 空軍 くうぐん が新 あら たに新設 しんせつ され、それぞれの戦 せん 区 く 連合 れんごう 指揮 しき 部 ぶ の指揮 しき 下 か に入 はい る[14] [15] 。
軍 ぐん 種 しゅ
行進 こうしん する中国 ちゅうごく 人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん の三軍 さんぐん (陸 りく ・海 うみ ・空 そら )儀仗 ぎじょう 隊 たい
陸軍 りくぐん
軍旗 ぐんき
99A式 しき 戦車 せんしゃ
人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん 陸軍 りくぐん は1927年 ねん 8月 がつ 1日 にち の南 みなみ 昌 あきら 蜂起 ほうき をもって創立 そうりつ とする。13個 こ の合成 ごうせい 集団 しゅうだん 軍 ぐん と4個 こ の独立 どくりつ 合成 ごうせい 師団 しだん で構成 こうせい され、それぞれ5大戦 たいせん 区 く に所属 しょぞく している。現役 げんえき 兵 へい は96.5万 まん 人 にん であり、世界 せかい 最大 さいだい 規模 きぼ の陸軍 りくぐん である。
従来 じゅうらい は陸軍 りくぐん の軍 ぐん 区 く 司令 しれい 官 かん が、管内 かんない 所属 しょぞく の空軍 くうぐん ・海軍 かいぐん 部隊 ぶたい の指揮 しき 権 けん を有 ゆう しており、陸軍 りくぐん が他 た の軍 ぐん 種 しゅ に対 たい して優位 ゆうい な組織 そしき 形態 けいたい であったが、2015年 ねん 12月31日 にち に「陸軍 りくぐん 司令 しれい 部 ぶ 」が新設 しんせつ され、陸軍 りくぐん は空軍 くうぐん ・海軍 かいぐん と同列 どうれつ に位置付 いちづ けられた。
2023年 ねん 現在 げんざい 、約 やく 4,480台 だい の主力 しゅりょく 戦車 せんしゃ 、1,250台 だい の軽 けい 戦車 せんしゃ 、4000門 もん の自 じ 走 はし 砲 ほう 、1320門 もん の多連装 たれんそう ロケット砲 ほう 、320機 き の攻撃 こうげき ヘリコプターなどの装備 そうび を保有 ほゆう している。
海軍 かいぐん
軍旗 ぐんき
遼寧 りょうねい
中国 ちゅうごく 人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん 海軍 かいぐん は1949年 ねん 4月 がつ 23日 にち に創立 そうりつ 、水上 みずかみ 艦艇 かんてい 部隊 ぶたい ・潜水 せんすい 艦 かん 部隊 ぶたい ・海軍 かいぐん 航空 こうくう 兵 へい (海兵 かいへい 隊 たい )・沿岸 えんがん 防衛 ぼうえい 陸上 りくじょう 部隊 ぶたい の5兵種 へいしゅ で構成 こうせい され、部隊 ぶたい は海軍 かいぐん 司令 しれい 部 ぶ のほか、北海 ほっかい ・東海 とうかい ・南海 なんかい の3個 こ 艦隊 かんたい 司令 しれい 部 ぶ に所属 しょぞく する。現役 げんえき 兵 へい は約 やく 29万 まん 人 にん で、うち海軍 かいぐん 航空 こうくう 兵 へい 26,000人 にん 、陸戦 りくせん 隊 たい 40,000人 にん を擁 よう する。2023年 ねん 時点 じてん で、航空 こうくう 母艦 ぼかん 3隻 せき 、弾道 だんどう ミサイル原子力 げんしりょく 潜水 せんすい 艦 かん 7隻 せき 、攻撃 こうげき 型 がた 原子力 げんしりょく 潜水 せんすい 艦 かん 9隻 せき 、通常 つうじょう 動力 どうりょく 型 がた 潜水 せんすい 艦 かん 48隻 せき 、駆逐 くちく 艦 かん 50隻 せき 、フリゲート50隻 せき 、ドック型 がた 揚陸 ようりく 艦 かん 8隻 せき 、強襲 きょうしゅう 揚陸 ようりく 艦 かん 3隻 せき を含 ふく む約 やく 370隻 せき の艦艇 かんてい を保有 ほゆう しており、総トン数 そうとんすう ではアメリカに次 つ いで世界 せかい 第 だい 2位 い 、艦艇 かんてい 数 すう では世界 せかい 第 だい 1位 い である。さらに2025年 ねん までに400隻 せき の配備 はいび を検討 けんとう している。
空軍 くうぐん
軍旗 ぐんき
J-20戦闘 せんとう 機 き
中国 ちゅうごく 人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん 空軍 くうぐん は1949年 ねん 11月12日 にち に創立 そうりつ 、航空 こうくう 兵 へい ・地 ち 対空 たいくう ミサイル兵 へい ・レーダー兵 へい ・空挺 くうてい 兵 へい ・電子 でんし 対抗 たいこう 兵 へい 等 とう の保障 ほしょう 部隊 ぶたい の5兵種 へいしゅ で構成 こうせい され、空軍 くうぐん 司令 しれい 部 ぶ および5大戦 たいせん 区 く に所属 しょぞく する。現役 げんえき 兵 へい は39.5万 まん 人 にん で、空挺 くうてい 部隊 ぶたい 3-4万 まん 人 にん を擁 よう する。
2023年 ねん 時点 じてん で、爆 ばく 撃 げき 機 き 220機 き 、戦闘 せんとう 攻撃 こうげき 機 き 2070機 き 、早期 そうき 警戒 けいかい 機 き 52機 き 、輸送 ゆそう 機 き 70機 き を含 ふく む機 き の作戦 さくせん 機 き を保有 ほゆう しており、数 すう 的 てき にアジア最大 さいだい 、世界 せかい では第 だい 3位 い の規模 きぼ である。2017年 ねん にはアジア初 はつ となる第 だい 5世代 せだい ジェット戦闘 せんとう 機 き J-20の運用 うんよう を開始 かいし しており、量 りょう とともに質 しつ も向上 こうじょう している。
ロケット軍 ぐん
1966年 ねん 7月 がつ 1日 にち に独立 どくりつ 兵種 へいしゅ 第 だい 二 に 砲兵 ほうへい として創立 そうりつ 。2015年 ねん 12月31日 にち 、第 だい 二 に 砲兵 ほうへい からロケット軍 ぐん へ改称 かいしょう した。
地上 ちじょう 発射 はっしゃ 長距離 ちょうきょり 巡航 じゅんこう ミサイル 、短距離 たんきょり 弾道 だんどう ミサイル から大陸 たいりく 間 あいだ 弾道 だんどう ミサイル まで幅広 はばひろ く保有 ほゆう している。設立 せつりつ 当初 とうしょ は、核弾頭 かくだんとう を搭載 とうさい した弾道 だんどう ミサイルによる先制 せんせい 不 ふ 使用 しよう の核 かく 反撃 はんげき 力 りょく としての性格 せいかく が強 つよ かったが、第 だい 三 さん 次 じ 台湾 たいわん 海峡 かいきょう 危機 きき の頃 ころ から命中 めいちゅう 精度 せいど の高 たか い通常 つうじょう 弾頭 だんとう 搭載 とうさい の短距離 たんきょり 弾道 だんどう ミサイル、準 じゅん 中距離 ちゅうきょり 弾道 だんどう ミサイル の開発 かいはつ 、大量 たいりょう 保有 ほゆう を志向 しこう し急激 きゅうげき に戦力 せんりょく を増強 ぞうきょう している。2000年代 ねんだい 以後 いご は、長距離 ちょうきょり 巡航 じゅんこう ミサイルもラインナップに加 くわ わっている。
部隊 ぶたい
戦略 せんりゃく 支援 しえん 部隊 ぶたい
2015年 ねん 12月31日 にち に新設 しんせつ された。編成 へんせい や指揮 しき 関係 かんけい などの詳細 しょうさい は公表 こうひょう されていないが、情報 じょうほう 心理 しんり 戦 せん ・宇宙 うちゅう 戦 せん 、サイバー戦 せん 、電子 でんし 戦 せん を統括 とうかつ する、中央 ちゅうおう 軍事 ぐんじ 委員 いいん 会 かい 直轄 ちょっかつ の部隊 ぶたい である。
聯 れん 勤 つとむ 保障 ほしょう 部隊 ぶたい
2016年 ねん 9月 がつ 13日 にち に新設 しんせつ された。後方 こうほう 支援 しえん 体制 たいせい を統合 とうごう 化 か することで、戦略 せんりゃく ・作戦 さくせん レベルでの兵站 へいたん の効率 こうりつ 化 か を目指 めざ す部隊 ぶたい である。
諜報 ちょうほう 活動 かつどう ・政治 せいじ 工作 こうさく
三 さん 戦 せん (世論 せろん 戦 せん ・心理 しんり 戦 せん ・法律 ほうりつ 戦 せん )
2003年 ねん 12月5日 にち 、中国 ちゅうごく 人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん 政治 せいじ 工作 こうさく 条例 じょうれい が修正 しゅうせい され、解放 かいほう 軍 ぐん に「三 さん 戦 せん 」の任務 にんむ を与 あた えることが明記 めいき された。三 さん 戦 せん とは、世論 せろん 戦 せん 、心理 しんり 戦 せん 、法律 ほうりつ 戦 せん の3つの戦術 せんじゅつ を指 さ す。経済 けいざい ・文化 ぶんか 交流 こうりゅう を通 つう じて世論 せろん 誘導 ゆうどう あるいは分断 ぶんだん 工作 こうさく し、敵 てき の戦闘 せんとう 意思 いし を削 そ ぎ、戦 たたか わずして中国 ちゅうごく に屈服 くっぷく するよう仕向 しむ けるものを目的 もくてき としている[16] 。
輿 こし 論戦 ろんせん は、中国 ちゅうごく の軍事 ぐんじ 行動 こうどう に対 たい する大衆 たいしゅう および国際 こくさい 社会 しゃかい の支持 しじ を築 きず くとともに、敵 てき が中国 ちゅうごく の利益 りえき に反 はん するとみられる政策 せいさく を追求 ついきゅう することのないよう、国内 こくない および国際 こくさい 世論 せろん に影響 えいきょう を及 およ ぼすことを目的 もくてき とする[注釈 ちゅうしゃく 2] 。ニュース ・メディア などの報道 ほうどう 、映画 えいが 、テレビ 番組 ばんぐみ 、書籍 しょせき などによる世論 せろん 形成 けいせい が手段 しゅだん とされる[17] 。世論 せろん 戦 せん の特徴 とくちょう としては中国共産党 ちゅうごくきょうさんとう 上層 じょうそう 部 ぶ からのトップダウン 方式 ほうしき による指令 しれい [17] 、敵 てき の意思 いし を削 そ ぐためにメッセージを先取 さきど りして「兵馬 へいば の動 うご く前 まえ に世論 せろん はすでに動 うご いている」という形 かたち をとって提示 ていじ するのが目指 めざ され[17] 、放送 ほうそう 局 きょく からインターネット ユーザーまで利用 りよう できる手段 しゅだん をすべて使 つか うこと[17] などが挙 あ げられる。
心理 しんり 戦 せん は、敵 てき の軍人 ぐんじん およびそれを支援 しえん する文民 ぶんみん に対 たい する抑止 よくし ・衝撃 しょうげき ・士気 しき 低下 ていか を目的 もくてき とする心理 しんり 作戦 さくせん を通 つう じて、敵 てき が戦闘 せんとう 作戦 さくせん を遂行 すいこう する能力 のうりょく を低下 ていか させようとする[18] 。
法律 ほうりつ 戦 せん は、国際 こくさい 法 ほう および国内 こくない 法 ほう を利用 りよう して、国際 こくさい 的 てき な支持 しじ を獲得 かくとく するとともに、中国 ちゅうごく の軍事 ぐんじ 行動 こうどう に対 たい する予想 よそう される反発 はんぱつ に対処 たいしょ する[19] 。
心理 しんり 戦 せん も法律 ほうりつ 戦 せん も効果 こうか を高 たか めるために世論 せろん 戦 せん が利用 りよう される[17] 。
三 さん 戦 せん については情報 じょうほう の流出 りゅうしゅつ が少 すく なく、具体 ぐたい 的 てき な事例 じれい は明 あき らかにされていないが、同志社大学 どうししゃだいがく 教授 きょうじゅ の浅野 あさの 亮 あきら は尖閣諸島 せんかくしょとう への進出 しんしゅつ は三 さん 戦 せん の一環 いっかん としている[20] 。また岡崎 おかざき 久 ひさ 彦 は日本 にっぽん に対 たい して中国 ちゅうごく が歴史 れきし 認識 にんしき 、特 とく に日 にち 中 ちゅう 戦争 せんそう ・太平洋戦争 たいへいようせんそう などの戦争 せんそう 認識 にんしき に関 かん して宣伝 せんでん 工作 こうさく (プロパガンダ )が行 おこな われているとして、「日本 にっぽん は昔 むかし 、中国 ちゅうごく に悪 わる いことをした」という戦争 せんそう に結 むす びついた主張 しゅちょう は中国 ちゅうごく 国民 こくみん に訴 うった えやすく、また第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん での「反 たん ファシズム 戦争 せんそう の勝利 しょうり 」という図式 ずしき を強調 きょうちょう することで連合 れんごう 国 こく であったアメリカに「第 だい 二 に 次 じ 大戦 たいせん 中 ちゅう の連帯 れんたい 意識 いしき を思 おも い起 お こさせる効果 こうか を狙 ねら ったもの」と指摘 してき している[17] 。ただし、当時 とうじ アメリカと連合 れんごう していたのは蔣介石 せき 率 ひき いる国民党 こくみんとう の南京 なんきん 国民 こくみん 政府 せいふ である。
2012年 ねん 11月にアメリカのヘリテージ財団 ざいだん 研究 けんきゅう 員 いん ディーン・チェン(Dean Cheng)はこのような中国 ちゅうごく の戦略 せんりゃく に対抗 たいこう してアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく も世論 せろん 外交 がいこう をさらに行 おこな うべきであるとして、中国 ちゅうごく へ外国 がいこく 人 じん 記者 きしゃ に対 たい して相互 そうご 主義 しゅぎ にもとづいてビザ提供 ていきょう するよう要求 ようきゅう することを提案 ていあん している[17] [21] 。アメリカでは中国人 ちゅうごくじん 記者 きしゃ が数 すう 百 ひゃく 人 にん 活動 かつどう しているのに対 たい して、中国 ちゅうごく ではアメリカ人 じん 記者 きしゃ は大 おお きく規制 きせい されている[17] 。
サイバー攻撃 こうげき
中国 ちゅうごく 政府 せいふ は人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん がサイバー攻撃 こうげき に関与 かんよ していることを繰 く り返 かえ し否定 ひてい しているが、複数 ふくすう のメディアにより以下 いか の事件 じけん が報 ほう じられている(en:Chinese intelligence activity in other countries も参照 さんしょう )。
陸 りく 水 すい 信号 しんごう 部隊 ぶたい の関与 かんよ
2010年 ねん 7月 がつ 6日 にち に、米国 べいこく の調査 ちょうさ 機関 きかん メディアス・リサーチは、「中国 ちゅうごく ・サイバー・スパイと米国 べいこく の国家 こっか 安全 あんぜん 保障 ほしょう 」を発表 はっぴょう 、同 どう 報告 ほうこく 書 しょ のなかで、2009年 ねん から2010年 ねん にかけて米国 べいこく の政府 せいふ ・軍 ぐん 機関 きかん や民間 みんかん 企業 きぎょう に対 たい して頻発 ひんぱつ したサイバー攻撃 こうげき の発信 はっしん 源 げん は中国 ちゅうごく 人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん 海南 かいなん 島 とう 基地 きち の陸 りく 水 すい 信号 しんごう 部隊 ぶたい (隊員 たいいん 数 すう は約 やく 1100人 にん )であるとした[27] 。IPアドレスをはじめ、各種 かくしゅ データの分析 ぶんせき より分析 ぶんせき され、発信 はっしん 源 げん は「海南 かいなん テレコム」と認定 にんてい されたが、この海南 かいなん テレコムは事実 じじつ 上 じょう 、陸 りく 水 すい 信号 しんごう 部隊 ぶたい と同一 どういつ である[27] 。サイバー攻撃 こうげき の標的 ひょうてき は米国 べいこく や台湾 たいわん の軍事 ぐんじ 関連 かんれん 施設 しせつ 、チベット関連 かんれん 施設 しせつ であった。また同 どう 報告 ほうこく 書 しょ は、陸 りく 水 すい 信号 しんごう 部隊 ぶたい は中国 ちゅうごく 人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん 総 そう 参謀 さんぼう 部 ぶ 第 だい 3部 ぶ の指揮 しき 下 か で育成 いくせい されたサイバー戦争 せんそう 用 よう 部隊 ぶたい とした。
中国 ちゅうごく 政府 せいふ は政府 せいふ は無関係 むかんけい と主張 しゅちょう したが、中国 ちゅうごく 政府 せいふ に自国 じこく 内 ない からのサイバー攻撃 こうげき の調査 ちょうさ を実施 じっし し、その結果 けっか を米国 べいこく に伝 つた えるよう求 もと める決議 けつぎ 案 あん が米国 べいこく 議会 ぎかい 上院 じょういん に提出 ていしゅつ された。[27]
日本 にっぽん へのサイバー攻撃 こうげき
また、2010年 ねん 9月に日本 にっぽん の政府 せいふ 系 けい 機関 きかん に対 たい して行 おこな われた中国 ちゅうごく からのサイバー攻撃 こうげき について、警察庁 けいさつちょう は「サイバーテロ の脅威 きょうい はますます現実 げんじつ のものになっている」と警戒 けいかい 感 かん を示 しめ し[28] 、日本 にっぽん だけでなく米国 べいこく などの各国 かっこく 機関 きかん に対 たい して行 おこな われた一連 いちれん のサイバー攻撃 こうげき に関 かん して、「米国 べいこく の民間 みんかん 機関 きかん が、単一 たんいつ で最大 さいだい の発信 はっしん 源 げん は中国 ちゅうごく の海南 かいなん 島 とう に拠点 きょてん を置 お く中国 ちゅうごく 人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん の部隊 ぶたい と断定 だんてい した」と指摘 してき した。更 さら に、中国 ちゅうごく の情報 じょうほう 収集 しゅうしゅう 活動 かつどう について、「諸 しょ 外国 がいこく にて違法 いほう な活動 かつどう を行 おこな っている」と言及 げんきゅう した。「日本 にっぽん 国内 こくない でも防衛 ぼうえい 関連 かんれん 企業 きぎょう や先端 せんたん 科学 かがく 技術 ぎじゅつ 保有 ほゆう 企業 きぎょう 、研究 けんきゅう 機関 きかん に中国人 ちゅうごくじん 留学生 りゅうがくせい や中国人 ちゅうごくじん 研究 けんきゅう 者 しゃ を派遣 はけん するなどして、巧妙 こうみょう かつ多様 たよう な手段 しゅだん で情報 じょうほう 収集 しゅうしゅう 活動 かつどう を行 おこな っている」と警戒 けいかい 感 かん を示 しめ した[29] 。
グーグル攻撃 こうげき
2010年 ねん 1月 がつ 13日 にち 、中国 ちゅうごく で中国 ちゅうごく 政府 せいふ に批判 ひはん 的 てき な政治 せいじ 活動 かつどう 家 か が所有 しょゆう するGmail アカウントに対 たい して中国 ちゅうごく 国内 こくない からInternet Explorer の脆弱 ぜいじゃく 性 せい を利用 りよう した攻撃 こうげき を受 う けていたことをGoogle が公式 こうしき ブログで告白 こくはく 、攻撃 こうげき した一部 いちぶ ユーザーが中国 ちゅうごく 政府 せいふ であったため中国 ちゅうごく 政府 せいふ の検閲 けんえつ についても反発 はんぱつ し中国 ちゅうごく から検索 けんさく 事業 じぎょう の撤退 てったい を示唆 しさ した[30] [31] 。
中国 ちゅうごく 外務省 がいむしょう スポークスマンは「国内 こくない の法律 ほうりつ に従 したが うしかない」と述 の べるも、ヒラリー・クリントン アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 国務 こくむ 長官 ちょうかん は「サイバー攻撃 こうげき に対 たい して説明 せつめい を求 もと める」とした[32] 。なお、Internet Explorerはこの攻撃 こうげき に使 つか われた脆弱 ぜいじゃく 性 せい が問題 もんだい となり、オーストラリア 政府 せいふ 機関 きかん が同 どう 攻撃 こうげき に対 たい する脆弱 ぜいじゃく 性 せい が無 な い他 ほか ブラウザ への推奨 すいしょう を進 すす めるといった異例 いれい の事態 じたい に発展 はってん 、特 とく にGoogleは中国 ちゅうごく ユーザーに利用 りよう 者 しゃ が多 おお いInternet Explorer 6 のブラウザに対 たい してのサポートを同年 どうねん 3月 がつ で打 う ち切 き った[31] 。
Google社 しゃ は中国 ちゅうごく 政府 せいふ と交渉 こうしょう を重 かさ ねたが[33] 、2010年 ねん 3月 がつ 23日 にち にGoogleは中国 ちゅうごく 国内 こくない から検索 けんさく 事業 じぎょう を撤退 てったい 、中国 ちゅうごく (google.cn)にアクセスすると検閲 けんえつ のない香港 ほんこん (google.com.hk)に飛 と ぶようになった。ただし、中国 ちゅうごく 国内 こくない から香港 ほんこん の当該 とうがい サイトで中国 ちゅうごく 政府 せいふ の規制 きせい しているキーワードを検索 けんさく すると接続 せつぞく が出来 でき なくなるなど、中国 ちゅうごく 当局 とうきょく による規制 きせい が行 おこな われていると一部 いちぶ のメディアで報道 ほうどう された[34] [33] 。
2010年 ねん 12月には、ウィキリークス が公開 こうかい をした米 べい 外交 がいこう 公電 こうでん により、一連 いちれん のグーグル 攻撃 こうげき は中国 ちゅうごく 政府 せいふ が行 おこな ったもので、攻撃 こうげき を統括 とうかつ したのは周 しゅう 永 えい 康 やすし と李 り 長春 ちょうしゅん であったことが判明 はんめい した[35] 。
中国 ちゅうごく 国防 こくぼう 部 ぶ による認知 にんち
2011年 ねん 5月25日 にち 、中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく 国防 こくぼう 部 ぶ の耿雁生 せい 報道 ほうどう 官 かん は、定例 ていれい 記者 きしゃ 会見 かいけん において広東 かんとん 省 しょう 広州 こうしゅう 軍 ぐん 区 く のサイバー軍 ぐん に関 かん する質問 しつもん を受 う け、その存在 そんざい を認 みと め[36]
[37] 、中国 ちゅうごく 軍 ぐん のインターネットセキュリティーの水準 すいじゅん 向上 こうじょう が目的 もくてき と説明 せつめい した。
中国 ちゅうごく 網 もう は「国防 こくぼう 部 ぶ は「『ネット藍 あい 軍 ぐん 』はいわゆる『ハッカー部隊 ぶたい 』ではなく、国防 こくぼう 当局 とうきょく が自 みずか らの必要 ひつよう に基 もと づき臨時 りんじ 創設 そうせつ したネット防衛 ぼうえい 訓練 くんれん 機関 きかん だ。国際 こくさい 社会 しゃかい は行 い き過 す ぎた解釈 かいしゃく をすべきでない」と回答 かいとう した。」とし、あくまでアメリカが設立 せつりつ した点 てん と防衛 ぼうえい 用 よう である点 てん を強調 きょうちょう する事 こと で、アメリカ側 がわ の攻撃 こうげき 用 よう だと示唆 しさ した。なお、アメリカ側 がわ は中国 ちゅうごく 側 がわ からの攻撃 こうげき に対応 たいおう するために米 べい サイバー軍 ぐん を立 た ち上 あ げている[38] と主張 しゅちょう している。
2011年 ねん 11月3日 にち 、米国 べいこく の国家 こっか 防諜 ぼうちょう 局 きょく は報告 ほうこく 書 しょ 「サイバー空間 くうかん で米国 べいこく の経済 けいざい 機密 きみつ を盗 ぬす む外国 がいこく スパイ」を議会 ぎかい に提出 ていしゅつ し、そのなかで中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく は「世界 せかい で最 もっと も活発 かっぱつ かつ執拗 しつよう な経済 けいざい スパイ」とし、他 た ロシアを含 ふく め、スパイ活動 かつどう の実行 じっこう 者 しゃ として非難 ひなん した[39] 。
軍事 ぐんじ 戦略 せんりゃく ・軍事 ぐんじ 外交 がいこう ・発言 はつげん
台湾 たいわん 問題 もんだい と核 かく 攻撃 こうげき 発言 はつげん
1989年 ねん に発生 はっせい した六 ろく 四 よん 天安門 てんあんもん 事件 じけん で米国 べいこく をはじめとした主要 しゅよう 国 こく はこぞって中国 ちゅうごく の人権 じんけん 状況 じょうきょう を非難 ひなん し、米国 べいこく は高 こう レベル交流 こうりゅう を中止 ちゅうし し、対 たい 中 ちゅう 武器 ぶき 禁輸 きんゆ 及 およ び経済 けいざい 制裁 せいさい を課 か した。こうした米 べい 中 ちゅう 関係 かんけい の悪化 あっか をうけて、1995年 ねん 、中国 ちゅうごく 人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん 副 ふく 総 そう 参謀 さんぼう 長 ちょう の熊 くま 光 こう 楷中将 ちゅうじょう は、「もし米国 べいこく が台湾 たいわん に介入 かいにゅう したら、中国 ちゅうごく は核 かく ミサイルでロサンゼルスを破壊 はかい する。米国 べいこく は台北 たいぺい よりロサンゼルスを心配 しんぱい した方 ほう がよい」と、台湾 たいわん 海峡 かいきょう での武力 ぶりょく 紛争 ふんそう に米国 べいこく が介入 かいにゅう した場合 ばあい 、中国 ちゅうごく はロサンゼルスに対 たい して核 かく 攻撃 こうげき する可能 かのう 性 せい があると表明 ひょうめい した[40] [41] 。
翌 よく 1996年 ねん 中華民国 ちゅうかみんこく 総統 そうとう 選挙 せんきょ に際 さい して、中国 ちゅうごく は台湾 たいわん 海峡 かいきょう においてミサイル 演習 えんしゅう を行 おこな い、台湾 たいわん を恫喝 どうかつ した。米国 べいこく は2つの空母 くうぼ 機動 きどう 部隊 ぶたい を派遣 はけん 、第 だい 三 さん 次 じ 台湾 たいわん 海峡 かいきょう 危機 きき が危 あや ぶまれたが、1997年 ねん に江沢民 こうたくみん の訪米 ほうべい が実現 じつげん し、1985年 ねん に結 むす ばれた平和 へいわ 的 てき な核 かく 協力 きょうりょく 協定 きょうてい で合意 ごうい [42] 。1998年 ねん にはビル・クリントン 大統領 だいとうりょう が訪中 ほうちゅう したことで台湾 たいわん 海峡 かいきょう の緊張 きんちょう は緩和 かんわ された。その後 ご 、人権 じんけん ・核 かく 不 ふ 拡散 かくさん などの協議 きょうぎ が行 おこな われ、米 べい 中 ちゅう 関係 かんけい は改善 かいぜん した。
2001年 ねん 4月 がつ 1日 にち 、米 べい 軍 ぐん 偵察 ていさつ 機 き と中国 ちゅうごく の戦闘 せんとう 機 き が空中 くうちゅう 衝突 しょうとつ 事故 じこ (海南 かいなん 島 とう 事件 じけん )が発生 はっせい するが、米 べい 中 ちゅう 関係 かんけい は緊張 きんちょう するものの悪化 あっか しなかった。
上海 しゃんはい 協力 きょうりょく 機構 きこう
2001年 ねん 6月 がつ 15日 にち に中国 ちゅうごく は、西側 にしがわ 諸国 しょこく を警戒 けいかい するロシア や中央 ちゅうおう アジア諸国 しょこく とともに安全 あんぜん 保障 ほしょう 機関 きかん 「上海 しゃんはい 協力 きょうりょく 機構 きこう 」 (SCO ) を発足 ほっそく させて、西側 にしがわ を牽制 けんせい 。その後 ご 、上海 しゃんはい 協力 きょうりょく 機構 きこう には中立 ちゅうりつ 国 こく のモンゴル や米国 べいこく の同盟 どうめい 国 こく であるパキスタン と友好国 ゆうこうこく インドも参加 さんか 、米国 べいこく と対立 たいりつ するイラン も参加 さんか した。同 どう 機構 きこう 加盟 かめい 国 こく はしばしば共同 きょうどう 軍事 ぐんじ 演習 えんしゅう を行 おこな い、2005年 ねん には中 ちゅう ロ共同 きょうどう 軍事 ぐんじ 演習 えんしゅう 、露 ろ 印 しるし 共同 きょうどう 軍事 ぐんじ 演習 えんしゅう を行 おこな い、同 どう 2005年 ねん には、米 べい 軍 ぐん が中央 ちゅうおう アジアから撤退 てったい するように要求 ようきゅう した。
2007年 ねん に中印 なかいん 共同 きょうどう 軍事 ぐんじ 演習 えんしゅう が実施 じっし されたものの、インドと米国 べいこく は2006年 ねん に、パキスタンが中国 ちゅうごく の技術 ぎじゅつ 提供 ていきょう により核 かく 武装 ぶそう を進 すす めつつあるため、米 べい 印 しるし 原子力 げんしりょく 協力 きょうりょく 協定 きょうてい (Indo-US civilian nuclear agreement ) を締結 ていけつ している。日本 にっぽん も西側 にしがわ 陣営 じんえい として2006年 ねん 11月には麻生 あそう 太郎 たろう 外相 がいしょう が「自由 じゆう と繁栄 はんえい の弧 こ 」政策 せいさく を打 う ち出 だ し、2007年 ねん 8月 がつ には安倍晋三 あべしんぞう 首相 しゅしょう が訪 おとずれ 印 しる して日 にち 印 しるし の安全 あんぜん 保障 ほしょう ・防衛 ぼうえい 分野 ぶんや での協力 きょうりょく を確認 かくにん している[43] 。
台湾 たいわん 問題 もんだい の再燃 さいねん と朱 しゅ 成 しげる 虎 とら 発言 はつげん
2005年 ねん 3月14日 にち 、台湾 たいわん が公式 こうしき に独立 どくりつ 宣言 せんげん をするならば中国 ちゅうごく は軍事 ぐんじ 力 りょく を用 もち いて阻止 そし することを定 さだ めた反 はん 分裂 ぶんれつ 国家 こっか 法 ほう が中国 ちゅうごく で制定 せいてい された。
2005年 ねん 7月 がつ 14日 にち に、朱 しゅ 成 しげる 虎 とら 少将 しょうしょう が香港 ほんこん で『ウォール・ストリート・ジャーナル 』や『フィナンシャル・タイムズ 』など各国 かっこく の報道 ほうどう 機関 きかん を前 まえ に、アメリカ が台湾 たいわん 有事 ゆうじ に介入 かいにゅう した場合 ばあい 、中国 ちゅうごく は核 かく 戦争 せんそう も辞 じ さないと発言 はつげん した[41] 。発言 はつげん は以下 いか の通 とお り。
「我々 われわれ (中国 ちゅうごく )は核兵器 かくへいき の先制 せんせい 攻撃 こうげき により中国 ちゅうごく 以外 いがい の人口 じんこう を減 へ らすと共 とも に自民 じみん 族 ぞく を温存 おんぞん させる事 こと に力 ちから を注 そそ ぐべきで、この核 かく 戦争 せんそう 後 ご に百 ひゃく 年 ねん 余 あま りの屈辱 くつじょく に満 み ちた歴史 れきし を清算 せいさん し未来永劫 みらいえいごう この地球 ちきゅう を支配 しはい する様 よう に成 な るだろう。世界 せかい の人口 じんこう は無制限 むせいげん に迅速 じんそく に増加 ぞうか している。今世紀 こんせいき 中 ちゅう に爆発 ばくはつ 的 てき 増加 ぞうか の極限 きょくげん に到達 とうたつ するはずだ。しかし地球 ちきゅう 上 じょう の資源 しげん は有限 ゆうげん なのだから、核 かく 戦争 せんそう こそ人口 じんこう 問題 もんだい を解決 かいけつ するもっとも有効 ゆうこう で速 はや い方法 ほうほう である。中国 ちゅうごく 政府 せいふ は全力 ぜんりょく で核兵器 かくへいき の開発 かいはつ に取 と り組 く んでおり、十 じゅう 年 ねん 以内 いない には地球 ちきゅう 上 じょう の半数 はんすう 以上 いじょう の人口 じんこう を消滅 しょうめつ させるだけの核兵器 かくへいき を装備 そうび することが可能 かのう である。中国 ちゅうごく は西安 しーあん 以東 いとう の全 ぜん 都市 とし が焦土 しょうど となる事 こと を覚悟 かくご している。米国 べいこく も数 すう 百 ひゃく の都市 とし が破壊 はかい される事 こと を覚悟 かくご しなければならない」
「もしアメリカが中国 ちゅうごく と台湾 たいわん との軍事 ぐんじ 紛争 ふんそう に介入 かいにゅう し、ミサイルや誘導 ゆうどう 兵器 へいき を中国 ちゅうごく 領土 りょうど 内 ない の標的 ひょうてき に向 む けて発射 はっしゃ すれば、中国 ちゅうごく は核兵器 かくへいき で反撃 はんげき する。現在 げんざい の軍事 ぐんじ バランスでは中国 ちゅうごく はアメリカに対 たい する通常 つうじょう 兵器 へいき での戦争 せんそう を戦 たたか い抜 ぬ く能力 のうりょく はないからだ」
「アメリカが中国 ちゅうごく の本土 ほんど 以外 いがい で中国 ちゅうごく 軍 ぐん の航空機 こうくうき や艦艇 かんてい を通常 つうじょう 兵器 へいき で攻撃 こうげき する場合 ばあい でも、中国 ちゅうごく 側 がわ からのアメリカ本土 ほんど 核 かく 攻撃 こうげき は正当 せいとう 化 か される。(アメリカによる攻撃 こうげき の結果 けっか )、中国 ちゅうごく 側 がわ は西安 しーあん 以東 いとう のすべての都市 とし の破壊 はかい を覚悟 かくご せねばならない。しかしアメリカも数 すう 百 ひゃく の都市 とし の中国 ちゅうごく 側 がわ による破壊 はかい を覚悟 かくご せねばならない」
— 朱 しゅ 成 しげる 虎 とら 、2005年 ねん 7月 がつ 14日 にち [44] [45]
2005年 ねん 7月 がつ 15日 にち 、この朱 しゅ 成 しげる 虎 とら 少将 しょうしょう 発言 はつげん に対 たい してアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 国務省 こくむしょう スポークスマン のショーン・マコーマック は、「極 きわ めて無責任 むせきにん で、中国 ちゅうごく 政府 せいふ の立場 たちば を代表 だいひょう しないことを希望 きぼう する。非常 ひじょう に遺憾 いかん 」と非難 ひなん し[41] 、7月 がつ 22日 にち にはアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 下院 かいん は、発言 はつげん 撤回 てっかい と朱 しゅ 成 しげる 虎 とら 少将 しょうしょう の罷免 ひめん を求 もと める決議 けつぎ を採決 さいけつ した[46] 。中国 ちゅうごく 政府 せいふ はのちに公式 こうしき 見解 けんかい ではないと発表 はっぴょう したが、これについて台湾 たいわん 高等 こうとう 政策 せいさく 研究 けんきゅう 協会 きょうかい 執行 しっこう 長官 ちょうかん 楊念祖 そ (中国語 ちゅうごくご 版 ばん ) は、「核 かく 攻撃 こうげき 発言 はつげん はアメリカと日本 にっぽん に向 む けられたものであり、中国 ちゅうごく 政府 せいふ はこの発言 はつげん で、米 べい 日 にち 両国 りょうこく の反応 はんのう を試 ため し、両国 りょうこく の態度 たいど を探 さぐ りたいのだろう」という見解 けんかい を示 しめ した[41] 。
太平洋 たいへいよう 分割 ぶんかつ 管理 かんり 構想 こうそう
2007年 ねん 5月 がつ にアメリカ太平洋軍 たいへいようぐん 総 そう 司令 しれい 官 かん 、ティモシー・J・キーティング [47] 海軍 かいぐん 大将 たいしょう が訪中 ほうちゅう した際 さい 、中国 ちゅうごく 海軍 かいぐん 幹部 かんぶ から、ハワイ を基点 きてん に米 べい 中 ちゅう が太平洋 たいへいよう の東西 とうざい を「分割 ぶんかつ 管理 かんり 」する構想 こうそう を提案 ていあん されていた事 こと が2008年 ねん の上院 じょういん 軍事 ぐんじ 委員 いいん 会 かい 公聴 こうちょう 会 かい で明 あき らかにされた[48] 。中国 ちゅうごく 海軍 かいぐん 幹部 かんぶ は、中国 ちゅうごく が航空 こうくう 母艦 ぼかん を保有 ほゆう した場合 ばあい 、ハワイ以東 いとう を米国 べいこく が、ハワイ以西 いせい を中国 ちゅうごく が管理 かんり する事 こと で合意 ごうい したいと申出 もうしで た[48] 。キーティング司令 しれい 官 かん は「冗談 じょうだん だとしても、人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん の戦略 せんりゃく 構想 こうそう を示 しめ すもの」とした。なおキーティング司令 しれい 官 かん は提案 ていあん 者 しゃ を伏 ふ せたが、2007年 ねん 5月 がつ 時点 じてん で中国 ちゅうごく 海軍 かいぐん の呉 ご 勝利 かつとし 司令 しれい 官 かん と会談 かいだん している[48] 為 ため 、この発言 はつげん は呉 ご 司令 しれい 官 かん に可能 かのう 性 せい が高 たか い。
また2007年 ねん 8月 がつ には、中国 ちゅうごく 軍 ぐん による太平洋 たいへいよう 分割 ぶんかつ 管理 かんり 提案 ていあん について、米 べい 政府 せいふ 内 ない の親中 しんちゅう 派 は 内 うち で提案 ていあん に前向 まえむ きな姿勢 しせい を示 しめ す者 もの も有 あ ったと報道 ほうどう されている[49] [48] 。
2012年 ねん 11月、ヒラリー・クリントン 米 べい 国務 こくむ 長官 ちょうかん は中国 ちゅうごく と南シナ海 みなみしなかい の領有 りょうゆう 権 けん 問題 もんだい について協議 きょうぎ した際 さい 、中国 ちゅうごく 側 がわ の高官 こうかん の1人 ひとり が「(中国 ちゅうごく は)ハワイ の領有 りょうゆう 権 けん を主張 しゅちょう する事 こと もできる」と発言 はつげん し、これに対 たい してヒラリー長官 ちょうかん は「やってみてください。我々 われわれ は仲裁 ちゅうさい 機関 きかん で領有 りょうゆう 権 けん を証明 しょうめい する。これこそ貴方 あなた がたに求 もと める対応 たいおう だ」と応 おう じた事 こと を明 あき らかにした[50] 。
オバマ政権 せいけん
2008年 ねん アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 大統領 だいとうりょう 選挙 せんきょ に民主党 みんしゅとう 候補 こうほ で勝利 しょうり し、第 だい 44代 だい アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 大統領 だいとうりょう に就任 しゅうにん したバラク・オバマ は外交 がいこう 政策 せいさく では当初 とうしょ 「親中 しんちゅう 派 は 」と見 み られていたため、米 べい 中 ちゅう 両国 りょうこく の友好 ゆうこう 関係 かんけい の緊密 きんみつ 化 か が期待 きたい された。
オバマ大統領 だいとうりょう は、同年 どうねん 11月 がつ に訪中 ほうちゅう して胡錦濤 こきんとう 軍事 ぐんじ 委員 いいん 会 かい 主席 しゅせき と会談 かいだん 、共同 きょうどう 声明 せいめい で「米 べい 中 ちゅう の戦略 せんりゃく 的 てき 相互 そうご 信頼 しんらい の構築 こうちく と強化 きょうか 」を謳 うた い、G2 (チャイメリカ )という二 に 大 だい 大国 たいこく を意味 いみ する言葉 ことば が謳 うた われ[51] 、米 べい 中 ちゅう 接近 せっきん が演出 えんしゅつ された。この当時 とうじ は、オバマ大統領 だいとうりょう は会談 かいだん などで中国 ちゅうごく 国内 こくない の人権 じんけん 問題 もんだい やチベット自治 じち 区 く 、新疆 しんきょう ウイグル自治 じち 区 く 、国内 こくない における少数 しょうすう 民族 みんぞく への弾圧 だんあつ や民族 みんぞく 浄化 じょうか 政策 せいさく などへの批判 ひはん を控 ひか え、中国 ちゅうごく 側 がわ の自制 じせい を期待 きたい していた。
しかし中国 ちゅうごく はその後 ご も、南沙 なんさ 諸島 しょとう 問題 もんだい などで周辺 しゅうへん 諸国 しょこく に積極 せっきょく 的 てき な軍事 ぐんじ 行動 こうどう をとり、中国 ちゅうごく におけるアメリカ寄 よ りの民主 みんしゅ 化 か 活動 かつどう 家 か 劉 りゅう 暁 あきら 波 なみ へのノーベル平和 へいわ 賞 しょう 授与 じゅよ への妨害 ぼうがい 介入 かいにゅう など、毅然 きぜん とした態度 たいど を取 と り続 つづ けた。
アメリカ側 がわ も、2010年 ねん 以降 いこう 台湾 たいわん への兵器 へいき 売却 ばいきゃく の決定 けってい 、ダライ・ラマ14世 せい とオバマとの会談 かいだん を実施 じっし するなど、方向 ほうこう 転換 てんかん しつつあるという見方 みかた も有 あ る。
ただし、オバマは中国 ちゅうごく を経済 けいざい 的 てき なパートナー国 こく であるとも宣言 せんげん しており、米 べい 中 ちゅう 関係 かんけい の緊密 きんみつ 化 か は必要 ひつよう だとも述 の べていた。
米 べい 中 ちゅう 関係 かんけい の緊張 きんちょう
2011年 ねん 1月 がつ 14日 にち には米 べい 紙 し ワシントン・ポスト においてアメリカ政界 せいかい の重鎮 じゅうちん であるヘンリー・キッシンジャー 元 もと 米 べい 国務 こくむ 長官 ちょうかん が「米 べい 中 ちゅう は冷戦 れいせん を避 さ けなければならない」と述 の べ、米 べい 中 ちゅう が冷戦 れいせん 状態 じょうたい に入 はい りつつあると警鐘 けいしょう を鳴 な らす記事 きじ が掲載 けいさい された。キッシンジャーは米 べい 中 ちゅう が冷戦 れいせん 状態 じょうたい に入 はい った場合 ばあい 、「核 かく 拡散 かくさん や環境 かんきょう 、エネルギー、気候 きこう 変動 へんどう など、地球 ちきゅう 規模 きぼ で解決 かいけつ が必要 ひつよう な問題 もんだい について、国際 こくさい 的 てき に(米 べい 中 ちゅう の)どちらに付 つ くかの選択 せんたく を迫 せま ることになり、各地 かくち で摩擦 まさつ が発生 はっせい する」と述 の べた[52] 。
2011年 ねん 11月9日 にち 、アメリカ国防総省 こくぼうそうしょう は「エアシー・バトル 」(空 そら ・海 うみ 戦闘 せんとう )と呼 よ ばれる特別 とくべつ 部局 ぶきょく の創設 そうせつ 、中国 ちゅうごく の軍拡 ぐんかく に対 たい する新 あら たな対 たい 中 ちゅう 戦略 せんりゃく の構築 こうちく に乗 の り出 だ していることが明 あき らかとなった。この構想 こうそう には中国 ちゅうごく 以外 いがい の国 くに は対象 たいしょう に入 はい っていないとアメリカ側 がわ は事実 じじつ 上 じょう 認 みと めており、米 べい 政府 せいふ 高官 こうかん は「この新 しん 戦略 せんりゃく は米国 べいこく の対 たい 中 ちゅう 軍事 ぐんじ 態勢 たいせい を東西 とうざい 冷戦 れいせん スタイルへと変 か える重大 じゅうだい な転換 てんかん 点 てん となる」と述 の べた[53] 。
2014年 ねん には環太平洋 かんたいへいよう 合同 ごうどう 演習 えんしゅう (リムパック )に参加 さんか して米 べい 中 ちゅう 合同 ごうどう 演習 えんしゅう を行 おこな うも、中国 ちゅうごく から情報 じょうほう 収集 しゅうしゅう 艦 かん 「北極星 ほっきょくせい 」が派遣 はけん されたことは物議 ぶつぎ を醸 かも した[54] 。
米 べい 軍 ぐん のオーストラリア駐留 ちゅうりゅう
アジア太平洋 たいへいよう 経済 けいざい 協力 きょうりょく (APEC)首脳 しゅのう 会議 かいぎ の3日 にち 後 ご の2011年 ねん 11月16日 にち 、オバマ米 まい 大統領 だいとうりょう はオーストラリア 北部 ほくぶ への米 べい 海兵 かいへい 隊 たい 駐留 ちゅうりゅう 計画 けいかく を発表 はっぴょう し、2012年 ねん から米 べい 軍 ぐん がダーウィン などに半年 はんとし 交代 こうたい で駐留 ちゅうりゅう 、豪州 ごうしゅう 軍 ぐん と共同 きょうどう 訓練 くんれん や演習 えんしゅう を実施 じっし し、最終 さいしゅう 的 てき に2500人 にん の駐留 ちゅうりゅう を目指 めざ すとし、海上 かいじょう 交通 こうつう 路 ろ (シーレーン )確保 かくほ を狙 ねら った米 べい 軍 ぐん 配備 はいび を進 すす め、中国 ちゅうごく への牽制 けんせい を行 おこな った[55] 。
豪州 ごうしゅう は米国 べいこく が東 ひがし アジア有事 ゆうじ として想定 そうてい していた台湾 たいわん 海峡 かいきょう や朝鮮半島 ちょうせんはんとう などから距離 きょり があり、これまで拠点 きょてん としての重要 じゅうよう 度 ど は低 ひく かったが、中国 ちゅうごく から直接 ちょくせつ の軍事 ぐんじ 攻撃 こうげき は受 う けにくいこと、また南シナ海 みなみしなかい 、インド洋 いんどよう へのアクセスにおいて戦略 せんりゃく 的 てき な位置付 いちづ けが高 たか まったとされる[55] 。
これに対 たい して中国 ちゅうごく 政府 せいふ は中国共産党 ちゅうごくきょうさんとう 機関 きかん 紙 し ・人民日報 じんみんにっぽう 系 けい の英字 えいじ 紙 し 『グローバル・タイムズ』を通 つう じて「豪州 ごうしゅう は中国 ちゅうごく をバカにしてはならない。中国 ちゅうごく の安全 あんぜん 保障 ほしょう を弱体 じゃくたい 化 か させているのに、それと切 き り離 はな して経済 けいざい 協力 きょうりょく を進 すす めることはできない。越 こ えてはならない一線 いっせん がある」と批判 ひはん した[56] 。
またインドネシア のマルティ・ナタレガワ外相 がいしょう は、米 べい 軍 ぐん の豪州 ごうしゅう 駐屯 ちゅうとん について、中国 ちゅうごく の反発 はんぱつ を生 う むとして危険 きけん 性 せい を指摘 してき した[57] 。
「第 だい 一 いち 列島 れっとう 線 せん 」構想 こうそう
左 ひだり が第 だい 一 いち 列島 れっとう 線 せん 、右 みぎ が第 だい 二 に 列島 れっとう 線 せん
米 べい 議会 ぎかい 諮問 しもん 機関 きかん 「米 べい 中 ちゅう 経済 けいざい 安全 あんぜん 保障 ほしょう 見直 みなお し委員 いいん 会 かい 」年次 ねんじ 報告 ほうこく 書 しょ は2011年 ねん 11月16日 にち 、中国 ちゅうごく が東 ひがし アジアにおける有事 ゆうじ の際 さい 、奇襲 きしゅう 攻撃 こうげき や先制 せんせい 攻撃 こうげき で米 べい 軍 ぐん の戦力 せんりょく を低下 ていか させ、日本 にっぽん 周辺 しゅうへん を含 ふく む東シナ海 ひがししなかい までの海洋 かいよう 権益 けんえき を支配 しはい する戦略 せんりゃく を中国 ちゅうごく 軍 ぐん は持 も っていると指摘 してき した[58] 。また中国 ちゅうごく 軍 ぐん は、指揮 しき 系統 けいとう をコンピューターに依存 いぞん する米 べい 軍 ぐん の弱点 じゃくてん を突 つ く形 かたち でサイバー攻撃 こうげき を仕掛 しか ける作戦 さくせん や、南シナ海 みなみしなかい や東シナ海 ひがししなかい での紛争 ふんそう では対 たい 艦 かん 弾道 だんどう ミサイルや巡航 じゅんこう ミサイルによって、九州 きゅうしゅう ―沖縄 おきなわ ―台湾 たいわん ―フィリピンを結 むす ぶ第 だい 一 いち 列島 れっとう 線 せん [59] を規準 きじゅん に防衛 ぼうえい 戦線 せんせん をとり、かつ米 べい 軍 ぐん 等 とう を含 ふく む他国 たこく の介入 かいにゅう を阻害 そがい する作戦 さくせん があるとも指摘 してき した[58] 。
第 だい 一 いち 列島 れっとう 線 せん はもともと1982年 ねん に鄧小平 こだいら の意向 いこう を受 う けて、中国 ちゅうごく 人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん 海軍 かいぐん 司令 しれい 官 かん ・劉華清 りゅうかせい (1989年 ねん から1997年 ねん まで党 とう 中央 ちゅうおう 軍事 ぐんじ 委員 いいん 会 かい 副 ふく 主席 しゅせき )が打 う ち出 だ した構想 こうそう で、2010年 ねん までに第 だい 一 いち 列島 れっとう 線 せん 内部 ないぶ (近海 きんかい )の制 せい 海 うみ 確保 かくほ をし、2020年 ねん までに第 だい 二 に 列島 れっとう 線 せん 内部 ないぶ の制海権 せいかいけん 確保 かくほ をし、2040年 ねん までに航空 こうくう 母艦 ぼかん 建造 けんぞう によって、米 べい 海軍 かいぐん による太平洋 たいへいよう 、インド洋 いんどよう の独占 どくせん 的 てき 支配 しはい を阻止 そし し、米 べい 海軍 かいぐん と対等 たいとう な海軍 かいぐん を持 も つというものであった[60] 。
2011年 ねん 12月25日 にち の日 にち 中 ちゅう 首脳 しゅのう 会談 かいだん では、中国 ちゅうごく 側 がわ が中国 ちゅうごく 包囲 ほうい 網 もう を切 き り崩 くず すために懐柔 かいじゅう するとみられ[61] 、実際 じっさい 、日 にち 中 ちゅう で高級 こうきゅう 事務 じむ レベル海洋 かいよう 協議 きょうぎ の開設 かいせつ と海上 かいじょう 捜索 そうさく ・救助 きゅうじょ 協定 きょうてい (SAR協定 きょうてい )の締結 ていけつ で合意 ごうい した[62] 。なお12月17日 にち (発表 はっぴょう は19日 にち )には北朝鮮 きたちょうせん の金 きむ 正日 じょんいる 書記 しょき の死去 しきょ をうけて、周辺 しゅうへん 諸国 しょこく は緊張 きんちょう していた。
2012年 ねん 1月 がつ 5日 にち 、オバマ大統領 だいとうりょう は5日 にち 、アジア太平洋 たいへいよう 地域 ちいき での軍事 ぐんじ 的 てき なプレゼンスを強化 きょうか する内容 ないよう の新 しん 国防 こくぼう 戦略 せんりゃく 「米国 べいこく の世界 せかい 的 てき リーダーシップの維持 いじ と21世紀 せいき の国防 こくぼう の優先 ゆうせん 事項 じこう 」を発表 はっぴょう した[63] 。新 しん 戦略 せんりゃく 文書 ぶんしょ では中国 ちゅうごく とイランを名指 なざ し、サイバー攻撃 こうげき やミサイル開発 かいはつ などの非対称 ひたいしょう 的 てき 手段 しゅだん で米国 べいこく に対抗 たいこう していると指摘 してき 、中国 ちゅうごく について軍事 ぐんじ 力 りょく 増強 ぞうきょう の意図 いと の透明 とうめい 化 か を求 もと めたうえで、オバマ大統領 だいとうりょう は演説 えんぜつ で「第 だい 二 に 次 じ 大戦 たいせん やベトナム戦争 せんそう の後 のち のように、軍 ぐん を将来 しょうらい への準備 じゅんび もない状態 じょうたい にする失敗 しっぱい は許 ゆる されない。米 べい 軍 ぐん を機動 きどう 的 てき かつ柔軟 じゅうなん に、あらゆる有事 ゆうじ に対応 たいおう できるようにする」と述 の べ、米国 べいこく が安全 あんぜん 保障 ほしょう を主導 しゅどう する決意 けつい を示 しめ した[63] 。これに対 たい して中国 ちゅうごく 政府 せいふ 系 けい メディアは警戒 けいかい 感 かん を示 しめ した[64] 。
2013年 ねん 5月 、中華民国 ちゅうかみんこく 総統 そうとう であった李 り 登輝 とうき は、「(中国 ちゅうごく は)周辺 しゅうへん 国 こく への内政 ないせい や領土 りょうど 干渉 かんしょう を繰 く り返 かえ すことによって、自分 じぶん たちの力 ちから を誇示 こじ しているのである。こうした中国 ちゅうごく の動 うご きを説明 せつめい するのに、私 わたし は『成金 なりきん 』という言葉 ことば をよく使 つか う。経済 けいざい 力 りょく を背景 はいけい に、ベトナム から西 にし 沙 すな 諸島 しょとう を奪 うば い、南沙 なんさ 諸島 しょとう でフィリピン が領有 りょうゆう していた地域 ちいき に手 て を出 だ し、そして日本 にっぽん 領土 りょうど である尖閣諸島 せんかくしょとう の領海 りょうかい 、領空 りょうくう 侵犯 しんぱん を繰 く り返 かえ す中国 ちゅうごく は、札束 さつたば の力 ちから で威張 いば り散 ち らす浅 あさ ましい『成金 なりきん 』の姿 すがた そのものである」と中国 ちゅうごく を批判 ひはん しつつ[65] 、中国 ちゅうごく 人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん は、陸軍 りくぐん には覇権 はけん を拡張 かくちょう する道 みち がないため、海軍 かいぐん を強化 きょうか することに努 つと めているが、日本 にっぽん の同盟 どうめい 国 こく であるアメリカ軍 ぐん を恐 おそ れているため、現在 げんざい のところ尖閣諸島 せんかくしょとう に軍事 ぐんじ 侵攻 しんこう する可能 かのう 性 せい は低 ひく いが、尖閣諸島 せんかくしょとう 周辺 しゅうへん の領海 りょうかい ・領空 りょうくう 侵犯 しんぱん を繰 く り返 かえ して日本 にっぽん に揺 ゆ さぶりをかけて、日本 にっぽん が怯 ひる んだ隙 すき に、尖閣諸島 せんかくしょとう の「共同 きょうどう 管理 かんり 」を突破口 とっぱこう にして、太平洋 たいへいよう に進出 しんしゅつ することを狙 ねら っており、従 したが って中国 ちゅうごく による尖閣諸島 せんかくしょとう の「共同 きょうどう 管理 かんり 」の申 もう し出 で は断固 だんこ 拒絶 きょぜつ すべきであると述 の べている[65] 。
その他 た
日 にち 中 ちゅう 交流 こうりゅう
1977年 ねん から鄧小平 こだいら の提唱 ていしょう により元 もと 陸 りく 将 すすむ の三岡 みつおか 健次郎 けんじろう が中国 ちゅうごく 政経 せいけい 懇談 こんだん 会 かい を設立 せつりつ して以来 いらい 、自衛隊 じえいたい と中国 ちゅうごく 人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん の退役 たいえき 者 しゃ 間 あいだ では交流 こうりゅう 事業 じぎょう が中断 ちゅうだん なく続 つづ いている[66] 。
また、毛沢東 もうたくとう の要請 ようせい [67] を受 う けて元 もと 大日本帝国 だいにっぽんていこく 陸軍 りくぐん 中将 ちゅうじょう の遠藤 えんどう 三郎 さぶろう が創設 そうせつ した「日 にち 中 ちゅう 友好 ゆうこう 元 もと 軍人 ぐんじん の会 かい 」[68] や中国 ちゅうごく 人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん に属 ぞく した元 もと 日本人 にっぽんじん 兵士 へいし [69] [70] による中国 ちゅうごく 人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん 関係 かんけい 者 しゃ との交流 こうりゅう 活動 かつどう もかねてからあった。
日本 にっぽん 財団 ざいだん 初代 しょだい 会長 かいちょう の笹川 ささかわ 良一 りょういち が設立 せつりつ した笹川 ささかわ 日 にち 中 ちゅう 友好 ゆうこう 基金 ききん による佐官 さかん 級 きゅう の交流 こうりゅう は2001年 ねん から始 はじ まっている[71] 。
中国 ちゅうごく 人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん 中 ちゅう 青年 せいねん 将校 しょうこう 研修 けんしゅう 団 だん の受 う け入 い れ(2005年 ねん 8月 がつ 22日 にち )
中国 ちゅうごく 人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん 交響 こうきょう 楽団 がくだん 日本 にっぽん 初 はつ 公演 こうえん (2007年 ねん 10月 がつ 7日 にち )
中国 ちゅうごく 人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん 佐官 さかん 級 きゅう 訪日 ほうにち 研修 けんしゅう 団 だん の受 う け入 い れ(2007年 ねん 10月 がつ 25日 にち )
中国 ちゅうごく 人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん ミサイル駆逐 くちく 艦 かん 「深 ふか 圳 」東京 とうきょう 湾 わん に親善 しんぜん 入港 にゅうこう (2007年 ねん 11月28日 にち [72] )
中国 ちゅうごく 人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん 練習 れんしゅう 艦 かん 「鄭 てい 和 かず 」江田島 えたじま と呉 ご に入港 にゅうこう (2009年 ねん 11月[73] )
中国 ちゅうごく 人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん ミサイル駆逐 くちく 艦 かん 太 ふとし 原 はら 、横須賀 よこすか に親善 しんぜん 入港 にゅうこう (2019年 ねん 10月 がつ 10日 とおか [74] )
中台 ちゅうたい 交流 こうりゅう
国共 こっきょう 内戦 ないせん で対峙 たいじ した台湾 たいわん の中華民国 ちゅうかみんこく 国軍 こくぐん 関係 かんけい 者 しゃ と人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん の間 あいだ では黄埔軍 こうほぐん 校 こう 同 どう 学会 がっかい などを通 つう じて活発 かっぱつ に交流 こうりゅう が行 おこな われており、2011年 ねん 6月 がつ 6日 にち に北京 ぺきん で両 りょう 軍 ぐん の交流 こうりゅう 行事 ぎょうじ が行 おこな われた際 さい に出席 しゅっせき した国防 こくぼう 大学 だいがく 初代 しょだい 学長 がくちょう の夏 なつ 瀛洲(中国語 ちゅうごくご 版 ばん ) 二 に 級 きゅう 上 じょう 将 しょう ら中華民国 ちゅうかみんこく 国軍 こくぐん の退役 たいえき 将校 しょうこう が「われわれ国軍 こくぐん も共産党 きょうさんとう 軍 ぐん もともに同 おな じ中国 ちゅうごく 軍 ぐん 」「歴史 れきし 的 てき 任務 にんむ と使命 しめい である中台 ちゅうたい 統一 とういつ のためにともに頑張 がんば ろう」と席上 せきじょう で発言 はつげん してこれを人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん 少将 しょうしょう の羅 ら 援 が称賛 しょうさん したことは台湾 たいわん で当時 とうじ の馬 うま 英 えい 九 きゅう 中華民国 ちゅうかみんこく 総統 そうとう が「困惑 こんわく している」とする声明 せいめい を出 だ すに至 いた る大 おお きな騒 さわ ぎとなった[75] [76] 。2016年 ねん 11月11日 にち にも北京 ぺきん で開催 かいさい された孫 まご 文 ぶん 生誕 せいたん 150周年 しゅうねん 記念 きねん 式典 しきてん に招 まね かれた夏 なつ 瀛洲二 に 級 きゅう 上 じょう 将 しょう ら中華民国 ちゅうかみんこく 国軍 こくぐん の退役 たいえき 将校 しょうこう 団 だん が中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく の国歌 こっか である「義勇軍 ぎゆうぐん 進行 しんこう 曲 きょく 」の演奏 えんそう の際 さい に起立 きりつ したことが台湾 たいわん で物議 ぶつぎ を醸 かも し、羅 ら 援少将 しょうしょう は「先祖 せんぞ を忘 わす れ、国家 こっか を分裂 ぶんれつ させ、統一 とういつ という歴史 れきし の流 なが れに逆 さか らう者 もの は罰 ばっ すべきだ」とこれを擁護 ようご した[77] 。
脚注 きゃくちゅう
注釈 ちゅうしゃく
^ ただし、国共 こっきょう 両者 りょうしゃ だけが戦闘 せんとう 行為 こうい をしていたわけではなく、中国 ちゅうごく 大陸 たいりく 全体 ぜんたい が軍閥 ぐんばつ の群雄割拠 ぐんゆうかっきょ による争乱 そうらん 状態 じょうたい であった。
^ 防衛 ぼうえい 白書 はくしょ は、米 べい 国防省 こくぼうしょう 「中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく の軍事 ぐんじ 力 りょく に関 かん する年次 ねんじ 報告 ほうこく 」を元 もと に記載 きさい している。
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参考 さんこう 文献 ぶんけん
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