准 胝観音
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准 胝観音 平安 時代 の仏像 図 集 『図像 抄 』(十 巻 抄 )より -
准 胝観音 彫像
梵名
[由来
[概説
[真言 ・三昧 耶形・印
[真言
[三昧 耶形
[種子
[准 胝観音 の功徳
[善 無 畏 三蔵 の訳 による『七仏倶胝仏母心大准提陀羅尼法』(大正 蔵 №1078)には、「仏 いわく、この准 胝仏母 の真言 と印 契 の密 法 によって、十悪 罪 や五逆 罪 等 の一切 の重 い罪 を滅 して、よく一切 の善 法 を成就 し、さらには戒律 を具足 し、清廉 潔白 の身 となって、速 やかに心 の清浄 を得 る。もし、在家 の行人 がいて飲酒 や肉食 を断 つことなく、たとえ妻子 があったとしても、ただ、この准 胝仏母 を本尊 とすることで、あらゆる仏法 ・密 法 を成就 することができる」と説 かれている。地 婆 訶羅三藏 の訳 による『仏説 七倶胝仏母心大准提陀羅尼経』(大正 蔵 №1077)には、「もし、在家 の善男善女 らが『准 胝真言 』を唱 え、これを日々 に保 つことがあれば、その人 の家 には災難 や事故 、病気 等 による苦 しみが無 く、あらゆる行 いには行 き違 いや望 みが果 たせないということも無 く、その人 の言葉 は皆 が信用 して、よく聞 いてくれるようになる。また、幸福 に恵 まれず、才能 にも恵 まれない人 があって、密教 の才覚 もなく、僧 侶の修行 である『三 十 七 菩提 分 法 』という釈迦 の教 えに廻 りあうことができない人 がいたとしても、この准 胝観音 の『陀羅尼 法 』の伝授 を受 けることができたならば、速 やかに無上 の覚 りを得 ることができる。更 には、『准 胝真言 』を常 に記憶 にとどめ、よくこの真言 を唱 えて善行 となる戒律 を守 ることができれば、あらゆる願 いも成就 する」と説 かれている。[23]
禅 と准 胝観音
[- 『
無 門 関 』第 三 則 【倶胝竪 指 】(ぐていじゅし)より[24]
- 『
- 倶胝
和尚 (ぐていおしょう)は禅 における馬 祖 の法嗣 の大梅 禅 法 常 三 世 の法 孫 にあたる。この人 の正確 な名前 は伝 わっていないが、准 胝観音 を一心 に信仰 し修行 前 も、修行 をなし終 えてからも准 胝観音 の真言 を口 ずさむのが常 であったため、准 胝観音 の別名 である「七 倶胝仏 母 」から名前 を取 り、倶胝和尚 と呼 ばれた。この人 が寺 を構 えてそこの住職 をしていたところ、尼僧 が旅 姿 のまま土足 で上 がり込 んで来 て問答 を挑 み、「あなたが悟 りにかなった言葉 を言 えば笠 を取 りましょう」と迫 ったが、倶胝和尚 が何 も答 えられずにいると、尼僧 は吐 き捨 てるようにして袖 を払 って出 て行 ってしまった。倶胝和尚 は一山 の住職 がこれではと情 けなくなり悔 しさのあまり涙 して寝 たところ、「准 胝法」の特徴 の一 つでもある夢 告 によって夢 に神人 が現 れて、もうすぐこの寺 に生 きた菩薩 が現 れると告 げられた。その十 日 後 に天龍 老師 という人 が現 れて、その人 にわけを話 して教 えを請 うたところ、天龍 老師 はただ黙 って指 を一本 立 てられた。その指 を見 たとたんに、倶胝和尚 は落雷 に打 たれたようになってしまい、瞬時 に執着 に固 まっていた心 の底 が抜 け、無上 の覚 りを得 ることが出来 た。 - それ
以来 、倶胝和尚 は生涯 にわたって准 胝観音 の真言 を唱 えるかたわら、ただ指 を立 てるだけで弟子 や信徒 らを教化 したとされている。この第 三 則 の物語 を編集 者 の無 門 慧 開 は、「覚 りは指先 のことではない、しかし、そこが分 かれば皆 が釈迦牟尼 仏 となることができる」と批評 している。いわゆる中国 では、説法 印 を正面 で結 んで指 を立 てる姿 の准 胝観音 の仏像 が好 まれる理由 の一 つでもある。
また、
仏像 の作例
[寺院
[高野山 ・准 胝堂(和歌山 県 ) - 「准 胝観音 坐像 」。醍醐寺 上 醍醐 ・准 胝堂(京都 府 ) - 「准 胝観音 坐像 」、西国 三 十 三 所 ・第 11番 札所 、焼失 による修復 中 。聖護院 ・積善 院 凖提堂 (京都 府 ) - 「凖提観音 立像 」、五大 力 尊 ・役行者 霊 跡 札所 。観音 院 (京都 府 ) - 「准 胝観世音菩薩 立像 」・「准 胝観音 坐像 」。興福寺 (長崎 県 ) - 「准 胝観音 坐像 」、明 末 〜清 初 、17世紀 。長栄寺 (愛知 県 ) - 「準 提 観音 坐像 」、光 格 天皇 の中宮 欣子 内親王 御 賜 による伽羅 の香木 製 、江戸 時代 。地元 では豪 潮 長栄寺 とも呼 ばれる。語 歌 堂 (埼玉 県 ・横瀬 町 ) - 「准 胝観音 坐像 」、秩父 三 十 四 観音 霊場 ・第 5番 札所 。開 善 寺 (福岡 県 ) - 「准 胝観音 坐像 」。香 壽山 観音寺 (大阪 府 ) - 「准 胝観音 坐像 」。
その
泉涌寺 (京都 府 ) - 「準 提 観音 坐像 」、江戸 時代 。西明寺 (栃木 県 :六観音 ) - 「准 胝観音 立像 」、鎌倉 時代 。總持寺 (神奈川 県 ・横浜 市 鶴見 区 ) - 「準 提 観音 坐像 」。宝 戒寺(神奈川 県 ・鎌倉 市 ) - 「仏 母 准 胝観音 坐像 」、鎌倉 三 十 三 観音 霊場 ・第 2番 札所 。大 報恩寺 (京都 府 :六観音 ) - 「准 胝観音 立像 」、1224年 、肥後 別当 定 慶 作 。準 提 院 (台湾 ・高 雄市 ) - 「準 提 仏 母 坐像 」、高野山 真言宗 。興国 禅 寺 ・慈恩 堂 - 「準 提 観音 坐像 」、伊達 秩父 ・観音 霊場 第 一番 札所 。長久寺 (宮崎 県 :六観音 ) - 「准 胝観音 坐像 」、室町 時代 、1562年 作 。仁和寺 (奈良 県 )[注 10] - 「准 胝曼荼羅 図 」、唐本 白描 、平安 時代 、12世紀 。蓮華 堂 (千葉 県 ) - 「準 提 仏 母 坐像 」・「準 提 曼荼羅 」・「穢 跡 金剛 立像 」・「幻 化 網 曼荼羅 」他 、高野山 真言宗 。寒山寺 (中国 ・江蘇 省 蘇州 市 ) - 「準 提 仏 母 坐像 」、唐 代 (修復 済 )。
美術館 等
[脚注
[注釈
[- ^ ダーラニー(Dhāranī)は
女性 名詞 。 - ^ チュンダー
陀羅尼 (准 胝陀羅尼 ):「七 千 万 の正 等 覚 者 に帰命 する。オーム・チャレー・チュレー・チュンデー・スワーハー。」[15] - ^ セイロン
島 やタイ、インドネシアを始 めとする東南 アジア一帯 は、今日 では上座 部 仏教 やイスラム教 などで知 られるが、もともとは大乗 仏教 と、その後 に伝播 した密教 やヒンドゥー教 の文化 圏 でもあった。インドネシアには、さまざまな密教 遺跡 やヒンドゥー教 遺跡 が残 るが、東端 のバリ島 は、唯一 のヒンドゥー教 圏 として有名 であり、現在 は土着 の文化 となった「ケチャ」は有力 な観光 資源 となっている。 - ^
梵文 を Oṃ cale cūle cundi svāhā とし、中間 の三 語 を「遊行 尊 よ、頂 髻 尊 よ、清浄 尊 よ」と解 するものもある[22]。 - ^ ここでいう「
寶 瓶 」(ほうびょう)は、准 胝観音 の持物 である「如意 瓶 」を指 している。「如意 瓶 」は、「准 胝法」において道場 荘厳 用 の重要 な法 具 でもあり、三昧 耶形においては衆生 を潤 す方便 を司 る。 - ^ 「
金 剛 杵 」(こんごうしょ)は「五 鈷杵」(ごこしょ)とも呼 ばれる。「准 胝法」においては菩提心 を意味 し、五 鈷杵の中心 部分 に覚 りとしての種子 (しゅじ:密教 用語 )である梵字 の唵(オン)字 や阿 (ア)字 、吽 (フーム)字 を現出 するので、三昧 耶形においては智慧 を司 る。 - ^ 「
三 式 」(さんしき)は太 乙 神 数 ・奇 門 遁甲・六 壬 神 課 の三 つからなる古代 中国 の運命 学 の一 つで、隋 から唐 の時代 に完成 されたといわれていて、日本 にも飛鳥 時代 から平安 時代 に渡来 したとされている。袁了凡が「三 式 」を学 んだかどうかの史実 は確認 しがたいが、現在 の中国 の資料 にそのような伝説 が載 せられている。これは「三 式 」の中 の奇 門 遁甲が中国 では軍学 や兵 術 にも数 えられ、袁了凡が倭 寇を平定 し、朝鮮 出兵 を退 けたという史実 に対 して占 術 と結 びつけて仮託 されたものとも考 えられる。また、袁了凡が学 んだのは「三 式 」ではなく、『陰 騭録』には「易 の大家 である邵康節 先生 の秘伝 を受 け継 いだ孔 先生 」とあるところから、『皇 極 神 数 』(こうきょくしんすう;『邵子皇 極 経世 』のこと)や、『鉄 版 神 数 』(てっぱんしんすう)であるとする説 もある。『鉄板 神 数 』は清 代 に中国 で流行 した易学 であるが、日本 ではまだあまり知 られていない。その『鉄板 神 数 』のなかでも、「中州 派 」と呼 ばれる古流 派 は邵康節 の伝 とされ、江戸 時代 の日本 には『前 定 易 数 』の別名 で明代 の版本 が中国 密教 と共 に伝 わっていた。 - ^ ここでは
数 え年 なので、52歳 とする見方 もある。 - ^
説法 印 には2種類 ある。日本 式 の尊像 は両手 を開 いた、如来 もしくは菩薩 形 の説法 印 、中国 式 の尊像 は両手 の指 を組 んだ「准 胝根本 印 」とも呼 ばれる説法 印 を結 ぶ。 - ^
京都 にある仁和寺 ではない。
出典
[- ^ a b 「
准 胝観音 」 -大辞林 第 三 版 、三省堂 。 - ^
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佐藤 任 『密教 の神 々』平凡社 〈平凡社 ライブラリー〉、2009年 、99頁 。 - ^
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参考 文献
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