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| 画像 がぞう 解説 かいせつ = 撮影 さつえい の様子 ようす <br />(1/25の模型 もけい による再現 さいげん )
| 画像 がぞう 解説 かいせつ = 撮影 さつえい の様子 ようす <br />(1/25の模型 もけい による再現 さいげん )
| 監督 かんとく = [[ベルナルド・ベルトルッチ]]
| 監督 かんとく = [[ベルナルド・ベルトルッチ]]
| 脚本 きゃくほん = ベルナルド・ベルトルッチ<br />[[マーク・ペプロー]]
| 脚本 きゃくほん = ベルナルド・ベルトルッチ<br />マーク・ペプロー
| 製作 せいさく = [[ジェレミー・トーマス]]
| 製作 せいさく = [[ジェレミー・トーマス]]
| 製作 せいさく 総 そう 指揮 しき = [[ジョン・デイリー (プロデューサー)|ジョン・デイリー]]
| 製作 せいさく 総 そう 指揮 しき = [[ジョン・デイリー (プロデューサー)|ジョン・デイリー]]
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| 音楽 おんがく = [[坂本 さかもと 龍一 りゅういち ]]<br />[[デイヴィッド・バーン]]<br />[[蘇 そ 聡 さとし ]]
| 音楽 おんがく = [[坂本 さかもと 龍一 りゅういち ]]<br />[[デイヴィッド・バーン]]<br />[[蘇 そ 聡 さとし ]]
| 撮影 さつえい = [[ヴィットリオ・ストラーロ]]
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| 編集 へんしゅう = [[ガブリエラ・クリスティアーニ]]
| 編集 へんしゅう = {{仮 かり リンク| ガブリエラ・クリスティアーニ|it|Gabriella Cristiani}}
| 製作 せいさく 会社 かいしゃ = {{Plainlist|
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* [[:en:Recorded Picture Company|レコーデッド・ピクチャー]]
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* [[:en:Hemdale Film Corporation|ヘムデール・フィルム]]
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| 配給 はいきゅう = {{flagicon|USA}} [[コロンビア ピクチャーズ]]<br />{{flagicon|Japan}} [[松竹 しょうちく 富士 ふじ ]]
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| 公開 こうかい = {{flagicon|USA}}
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年 ねん ]][[11月20
日 にち ]]
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Japan}}
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* {{flagicon|JPN}} [[1987年 ねん ]][[10月 がつ 4日 にち ]]([[第 だい 2回 かい 東京国際映画祭 とうきょうこくさいえいがさい |2nd]] [[東京国際映画祭 とうきょうこくさいえいがさい |TIFF]] {{R|2nd 1987}}){{R|Release Date}}
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| 上映 じょうえい 時間 じかん = 163分 ふん (劇場 げきじょう 公開 こうかい 版 ばん )<br />219分 ふん (オリジナル全長 ぜんちょう 版 ばん )
| 上映 じょうえい 時間 じかん = 163分 ふん (劇場 げきじょう 公開 こうかい 版 ばん )<br />219分 ふん (オリジナル全長 ぜんちょう 版 ばん )
| 製作 せいさく 国 こく = {{ITA}}<br />{{PRC}}<br />{{GBR}}<br />{{FRA}}<ref name="Co-producing country"/><br />{{USA}}<ref name="THE LAST EMPEROR">{{cite web|url=https://www2017.iffamacao.com/films/special-presentation/the-last-emperor/ |title=The Last Emperor (1987) |work=IFFANMACAO |language=英語 えいご |accessdate=2020年 ねん 7月 がつ 24日 にち }}</ref>
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| 次 つぎ 作 さく =
| 次 つぎ 作 さく =
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『'''ラストエンペラー'''』({{Lang-en-short|''The Last Emperor''}}、{{Lang-zh-short|''末代 まつだい 皇帝 こうてい ''}}、{{Lang-it-short|''L'ultimo imperatore''}})は、[[1987年 ねん ]]公開 こうかい の[[イタリア]]・[[中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく ]]・[[イギリス]]・[[フランス]]・[[アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく ]]の合作 がっさく による<ref name="Co-producing country">{{Cite web|url=http://lumiere.obs.coe.int/web/film_info/?id=15935|title=The Last Emperor|website=[[:en:Lumiere (database)|LUMIERE]](リュミエール・データベース)|publisher=[[:en:European Audiovisual Observatory|欧州 おうしゅう オーディオビジュアル・オブザーバトリー]]|accessdate=2020-04-02}}</ref><ref name="THE LAST EMPEROR">{{cite web|url=https://www2017.iffamacao.com/films/special-presentation/the-last-emperor/ |title=The Last Emperor (1987) |work=IFFANMACAO |language=英語 えいご |accessdate=2020年 ねん 7月 がつ 24日 にち }}</ref>、[[清 きよし |清朝 せいちょう ]]最後 さいご の[[皇帝 こうてい (中国 ちゅうごく )|皇帝 こうてい ]]で後 のち に[[満 みつる 州 しゅう 国 くに 皇帝 こうてい ]]となった[[愛 あい 新 しん 覚 さとし 羅 ら 溥儀 ふぎ ]]の生涯 しょうがい を描 えが いた[[歴史 れきし 映画 えいが ]]である。
『'''ラストエンペラー'''』({{Lang-en-short|''The Last Emperor''}}、{{Lang-zh-short|''末代 まつだい 皇帝 こうてい ''}}、{{Lang-it-short|''L'ultimo imperatore''}})は、[[1987年 ねん ]]公開 こうかい の[[イタリア]]・[[中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく ]]・[[イギリス]]・[[フランス]]・[[アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく ]]の合作 がっさく による<ref name="Co-producing country">{{Cite web|url=http://lumiere.obs.coe.int/web/film_info/?id=15935|title=The Last Emperor|website=[[:en:Lumiere (database)|LUMIERE]](リュミエール・データベース)|publisher=[[:en:European Audiovisual Observatory|欧州 おうしゅう オーディオビジュアル・オブザーバトリー]]|accessdate=2020-04-02}}</ref><ref name="THE LAST EMPEROR">{{cite web|url=https://www2017.iffamacao.com/films/special-presentation/the-last-emperor/ |title=The Last Emperor (1987) |work=IFFANMACAO |language=英語 えいご |accessdate=2020年 ねん 7月 がつ 24日 にち }}</ref>、[[清 きよし |清朝 せいちょう ]]最後 さいご の[[皇帝 こうてい (中国 ちゅうごく )|皇帝 こうてい ]]で後 のち に[[満 みつる 洲 しま 国 くに 皇帝 こうてい ]]となった[[愛 あい 新 しん 覚 さとし 羅 ら 溥儀 ふぎ ]]の生涯 しょうがい を描 えが いた[[叙事詩 じょじし 的 てき 映画 えいが ]]・ [[歴史 れきし 映画 えいが ]]である。
== 概要 がいよう ==
== 概要 がいよう ==
溥儀 ふぎ の自伝 じでん 『わが半生 はんせい 』を原作 げんさく に、[[ベルナルド・ベルトルッチ]]が[[映画 えいが 監督 かんとく |監督 かんとく ]]、[[脚本 きゃくほん ]]を兼任 けんにん した。メインキャストである溥儀 ふぎ の青年 せいねん 時 じ 以降 いこう の役 やく は、[[香港 ほんこん ]]生 う まれの中国 ちゅうごく 系 けい [[アメリカ]]人 にん 俳優 はいゆう の[[ジョン・ローン]]が演 えん じた。
溥儀 ふぎ の自伝 じでん 『わが半生 はんせい 』を原作 げんさく に、[[ベルナルド・ベルトルッチ]]が[[映画 えいが 監督 かんとく |監督 かんとく ]]、[[脚本 きゃくほん ]]を兼任 けんにん した。メインキャストである溥儀 ふぎ の青年 せいねん 時 じ 以降 いこう の役 やく は、[[香港 ほんこん ]]生 う まれの中国 ちゅうごく 系 けい [[アメリカ]]人 にん 俳優 はいゆう の[[ジョン・ローン]]が演 えん じた。
[[西 にし 太 ふとし 后 きさき ]]による溥儀 ふぎ に対 たい する清朝 せいちょう 皇帝 こうてい 指名 しめい と崩御 ほうぎょ を描 えが く[[1908年 ねん ]]からスタートし、所々 ところどころ に[[第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん ]]後 ご に建国 けんこく された中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく での「[[戦犯 せんぱん ]]」[[収容 しゅうよう 所 しょ ]]での尋問 じんもん 場面 ばめん を挟 はさ みつつ、[[中華民国 ちゅうかみんこく ]]の下 した での皇帝 こうてい と、[[日本 にっぽん ]]の協力 きょうりょく を得 え て[[満 みつる 州 しゅう 国 くに ]]の皇帝 こうてい になり、退位 たいい し[[ソビエト連邦 れんぽう ]]に抑留 よくりゅう された後 のち 、[[文化 ぶんか 大 だい 革命 かくめい ]]のさなかに一 いち 市民 しみん として死去 しきょ する[[1967年 ねん ]]までの出来事 できごと をメインに溥儀 ふぎ の人生 じんせい を描 えが く。
[[西 にし 太 ふとし 后 きさき ]]による溥儀 ふぎ に対 たい する清朝 せいちょう 皇帝 こうてい 指名 しめい と崩御 ほうぎょ を描 えが く[[1908年 ねん ]]からスタートし、所々 ところどころ に[[第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん ]]後 ご に建国 けんこく された中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく での「[[戦犯 せんぱん ]]」[[収容 しゅうよう 所 しょ ]]での尋問 じんもん 場面 ばめん を挟 はさ みつつ、[[中華民国 ちゅうかみんこく (1912年 ねん -1949年 ねん )|中華民国 ちゅうかみんこく ]]の下 した での皇帝 こうてい と、[[日本 にっぽん ]]の協力 きょうりょく を得 え て[[満 みつる 洲 しま 国 くに ]]の皇帝 こうてい になり、退位 たいい し[[ソビエト連邦 れんぽう ]]に抑留 よくりゅう された後 のち 、[[文化 ぶんか 大 だい 革命 かくめい ]]のさなかに一 いち 市民 しみん として死去 しきょ する[[1967年 ねん ]]までの出来事 できごと をメインに溥儀 ふぎ の人生 じんせい を描 えが く。
歴史 れきし 的 てき 事実 じじつ には重 おも きをおいておらず、大胆 だいたん な創作 そうさく が随所 ずいしょ に盛 も り込 こ まれている。清朝 せいちょう 及 およ び満 まん 州 しゅう 国 くに を舞台 ぶたい にした映画 えいが であるが、中国 ちゅうごく 系 けい アメリカ人 じん 俳優 はいゆう が主 おも なキャストを占 し めており、主 おも な台詞 せりふ は[[英語 えいご ]]であったり、独自 どくじ の脚色 きゃくしょく も多 おお い。
歴史 れきし 的 てき 事実 じじつ には重 おも きをおいておらず、大胆 だいたん な創作 そうさく が随所 ずいしょ に盛 も り込 こ まれている。清朝 せいちょう 及 およ び満 まん 洲 しま 国 くに を舞台 ぶたい にした映画 えいが であるが、中国 ちゅうごく 系 けい アメリカ人 じん 俳優 はいゆう が主 おも なキャストを占 し めており、主 おも な台詞 せりふ は[[英語 えいご ]]であるなど 、独自 どくじ の脚色 きゃくしょく も多 おお い。
[[紫 むらさき 禁城 きんじょう |故 こ 宮 みや ]]で世界 せかい 初 はつ のロケーションを行 おこな われたことが公開 こうかい 前 まえ から大 おお きな話題 わだい を呼 よ んだ。観光 かんこう 名所 めいしょ として一 いち 日 にち 5万 まん 人 にん が訪 おとず れる故 こ 宮 みや を、[[中国共産党 ちゅうごくきょうさんとう ]]政府 せいふ の全面 ぜんめん 協力 きょうりょく により数 すう 週間 しゅうかん 借 か り切 き って撮影 さつえい が行 おこな われた。色彩 しきさい 感覚 かんかく 豊 ゆた かなベルトルッチの映像 えいぞう 美 び は圧巻 あっかん の一語 いちご に尽 つ きると高 たか い評価 ひょうか を受 う けた。特 とく に故 こ 宮 みや 太 ふとし 和 かず 殿 どの での即位 そくい 式 しき の荘厳 しょうごん 、華麗 かれい なシーンは映画 えいが 史 し に残 のこ る有名 ゆうめい なシーンとなった。
[[紫 むらさき 禁城 きんじょう |故 こ 宮 みや ]]で世界 せかい 初 はつ のロケーションを行 おこな われたことが公開 こうかい 前 まえ から大 おお きな話題 わだい を呼 よ んだ。観光 かんこう 名所 めいしょ として一 いち 日 にち 5万 まん 人 にん が訪 おとず れる故 こ 宮 みや を、[[中国共産党 ちゅうごくきょうさんとう ]]政府 せいふ の全面 ぜんめん 協力 きょうりょく により数 すう 週間 しゅうかん 借 か り切 き って撮影 さつえい が行 おこな われた。色彩 しきさい 感覚 かんかく 豊 ゆた かなベルトルッチの映像 えいぞう 美 び は圧巻 あっかん の一語 いちご に尽 つ きると高 たか い評価 ひょうか を受 う けた。特 とく に故 こ 宮 みや 太 ふとし 和 かず 殿 どの での即位 そくい 式 しき の荘厳 しょうごん 、華麗 かれい なシーンは映画 えいが 史 し に残 のこ る有名 ゆうめい なシーンとなった。
[[第 だい 60回 かい アカデミー賞 しょう ]][[アカデミー作品 さくひん 賞 しょう |作品 さくひん 賞 しょう ]]<ref name="movie">[[#外部 がいぶ リンク|外部 がいぶ リンクに映像 えいぞう ]]</ref>並 なら びに第 だい 45回 かい [[ゴールデングローブ賞 しょう 作品 さくひん 賞 しょう (ドラマ部門 ぶもん )|ゴールデン・グローブ賞 しょう ドラマ部門 ぶもん 作品 さくひん 賞 しょう ]]受賞 じゅしょう 作品 さくひん 。一方 いっぽう で、他 ほか にも中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく で同 おな じテーマの[[火 ひ 龍 りゅう (映画 えいが )|映画 えいが ]]や[[ラストエンペラー (テレビドラマ)|テレビドラマ]]が作 つく られた上 うえ 、当時 とうじ は同国 どうこく 政府 せいふ による外国 がいこく 映画 えいが の上映 じょうえい ・放映 ほうえい 規制 きせい が現在 げんざい より厳 いかめ しかったこともあり、アカデミー賞 しょう 作品 さくひん 賞 しょう を受賞 じゅしょう した作品 さくひん であるにもかかわらず、映画 えいが の舞台 ぶたい となった中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく での知名度 ちめいど は高 たか くない。
[[1987年 ねん ]]の[[第 だい 2回 かい 東京国際映画祭 とうきょうこくさいえいがさい ]]クロージング上映 じょうえい で初 はつ 公開 こうかい され<ref name="2nd 1987">{{Cite web|url=http://history.tiff-jp.net/ja/overviews?no=2|title=OVERVIEW - 2nd 1987 FESTIVAL|website=TIFF HISTORY - 東京 とうきょう 国際 こくさい 映画 えいが 祭 さい の輝 かがや かしき軌跡 きせき をたどる|publisher=[[ユニジャパン]]|accessdate=2023-05-19}}</ref>、 [[第 だい 60回 かい アカデミー賞 しょう ]][[アカデミー作品 さくひん 賞 しょう |作品 さくひん 賞 しょう ]]<ref name="movie">[[#外部 がいぶ リンク|外部 がいぶ リンクに映像 えいぞう ]]</ref>並 なら びに第 だい 45回 かい [[ゴールデングローブ賞 しょう 作品 さくひん 賞 しょう (ドラマ部門 ぶもん )|ゴールデン・グローブ賞 しょう ドラマ部門 ぶもん 作品 さくひん 賞 しょう ]]を 受賞 じゅしょう した<ref name="imdb awards">{{Cite web|url=https://www.imdb.com/title/tt0093389/awards/|title=The Last Emperor - Awards(Academy Awards, USA / Golden Globes, USA)|website=[[IMDb]]|accessdate=2023-05-20}}</ref> 。一方 いっぽう で、他 ほか にも中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく で同 おな じテーマの[[火 ひ 龍 りゅう (映画 えいが )|映画 えいが ]]や[[ラストエンペラー (テレビドラマ)|テレビドラマ]]が作 つく られた上 うえ 、当時 とうじ は同国 どうこく 政府 せいふ による外国 がいこく 映画 えいが の上映 じょうえい ・放映 ほうえい 規制 きせい が現在 げんざい より厳 いかめ しかったこともあり、アカデミー賞 しょう 作品 さくひん 賞 しょう を受賞 じゅしょう した作品 さくひん であるにもかかわらず、映画 えいが の舞台 ぶたい となった中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく での知名度 ちめいど は高 たか くない。
後 のち に219分 ぶん のオリジナル全長 ぜんちょう 版 ばん も[[VHS]]や[[DVD]]、[[Blu-ray Disc|ブルーレイ]]のソフトで発表 はっぴょう された。[[2011年 ねん ]]からは2年 ねん をかけて劇場 げきじょう 公開 こうかい 版 ばん フィルムを全面 ぜんめん 修復 しゅうふく 。[[2013年 ねん ]]の[[第 だい 66回 かい カンヌ国際映画祭 かんぬこくさいえいがさい ]]クラシック部門 ぶもん で「[[立体 りったい 映画 えいが |3D]]版 ばん 」として上映 じょうえい され<ref name="Rétrospective 2013">{{Cite web|url=https://www.festival-cannes.com/retrospective/2013/|title=Rétrospective - 2013|website=Festival de Cannes|accessdate=2023-05-20}}</ref><ref>{{Cite web|author=Debra Kaufman, Creative COW Magazine|url=https://3droundabout.com/2013/06/10265/prime-focus-brings-the-last-emperor-into-3d.html|title=Prime Focus Brings The Last Emperor into 3D|website=3Droundabout|date=2013-06-26|accessdate=2023-05-21}}</ref>、イタリア公開 こうかい {{R|Release Date}}を経 へ てブルーレイ化 か された。[[2015年 ねん ]]の第 だい 18回 かい [[上海 しゃんはい 国際 こくさい 映画 えいが 祭 さい ]]においても、3D版 ばん が中国 ちゅうごく で初 はつ 公開 こうかい された<ref name="SIFF18">{{Cite news|author=編集 へんしゅう KN|url=http://j.people.com.cn//n/2015/0507/c206603-8888600.html|title=上海 しゃんはい 国際 こくさい 映画 えいが 祭 さい 、3D版 ばん 「ラストエンペラー」が中国 ちゅうごく 初 はつ 登場 とうじょう へ|work=[[人民 じんみん 網 もう |人民 じんみん 網 もう 日本語 にほんご 版 ばん ]]|publisher=[[人民日報 じんみんにっぽう 社 しゃ ]]|date=2015-05-07|accessdate=2023-05-20}}</ref>。[[2023年 ねん ]][[1月 がつ 6日 にち ]]には日本 にっぽん で「劇場 げきじょう 公開 こうかい 版 ばん [[4096×2160|4K]][[レストア]]」が公開 こうかい され<ref>{{Cite web|和書 わしょ |url=https://12cinemarelay.com/|title=12ヶ⽉連続 れんぞく 名作 めいさく 上映 じょうえい プロジェクト「12ヶ⽉のシネマリレー」|website=12ヶ⽉のシネマリレー|date=2022|accessdate=2023-05-20}}</ref><ref name="TFC 12months">{{Cite web|和書 わしょ |url=https://www.tfc.co.jp/news/2022/06/2197.html|title=『ラストエンペラー』ほか名作 めいさく 12作品 さくひん を上映 じょうえい !「12ヶ月 かげつ のシネマリレー」を8月 がつ より開催 かいさい !|website=TFC 東北新社 とうほくしんしゃ |publisher=[[東北新社 とうほくしんしゃ ]]|date=2022-06-23|accessdate=2023-05-20}}</ref>{{Refnest|group="注 ちゅう "|2023年 ねん 3月 がつ の坂本 さかもと 龍一 りゅういち 逝去 せいきょ により、4月 がつ から追加 ついか 上映 じょうえい が実施 じっし された<ref>{{Cite web|和書 わしょ |url=https://spice.eplus.jp/articles/317539|title=坂本 さかもと 龍一 りゅういち さん関連 かんれん 作 さく を上映 じょうえい する『Ryuichi Sakamoto Premium Collection』 『ラストエンペラー』がラインナップに追加 ついか |website=SPICE|publisher=[[イープラス]]|date=2023-04-21|accessdate=2023-05-20}}</ref><ref>{{Cite tweet|author=12ヶ月 かげつ のシネマリレー|user=12cinemarelay|number=1646422975535796226|title=【上映 じょうえい のお知 し らせ】 坂本 さかもと 龍一 りゅういち さんが音楽 おんがく を担当 たんとう された『ラストエンペラー 劇場 げきじょう 公開 こうかい 版 ばん 4Kレストア』『シェルタリング・スカイ』の上映 じょうえい が全国 ぜんこく の映画 えいが 館 かん で決定 けってい しました。|date=2023-04-13|accessdate=2023-05-20}}</ref>。}}、イギリスで[[2月 がつ 13日 にち ]]に[[ドルビービジョン]]のHDR技術 ぎじゅつ を採用 さいよう した[[Ultra HD Blu-ray|4K Ultra HDブルーレイ]]が発売 はつばい された<ref>{{Cite web|和書 わしょ |author=堀切 ほりきり 日出 ひので 晴 はる |url=https://online.stereosound.co.jp/_ct/17587776|title=アカデミー賞 しょう 9冠 かん の名作 めいさく が4K化 か 『ラストエンペラー』【海外 かいがい 盤 ばん Blu-ray発売 はつばい 情報 じょうほう 】 - UK盤 ばん 『ラストエンペラー』 2023年 ねん 2月 がつ 13日 にち リリース|website=Stereo Sound ONLINE|publisher=株式会社 かぶしきがいしゃ [[ステレオサウンド]]|date=2022-11-28|accessdate=2023-05-20}}</ref>。
後 のち に219分 ぶん のオリジナル全長 ぜんちょう 版 ばん も[[VHS]]や[[DVD]]、[[Blu-ray Disc|ブルーレイ]]のソフトで発表 はっぴょう された。[[2011年 ねん ]]からは2年 ねん をかけて劇場 げきじょう 公開 こうかい 版 ばん フィルムを全面 ぜんめん 修復 しゅうふく 。[[2013年 ねん ]]の[[カンヌ国際映画祭 かんぬこくさいえいがさい ]]で「3D版 ばん 」として公開 こうかい され、イタリアにてブルーレイ化 か された。
== あらすじ ==
== あらすじ ==
[[画像 がぞう :ShikinjyoTsuro.jpg|right|thumb|200px|作中 さくちゅう 、溥儀 ふぎ が自転車 じてんしゃ で走 はし った場所 ばしょ ]]
[[画像 がぞう :ShikinjyoTsuro.jpg|right|thumb|200px|作中 さくちゅう 、溥儀 ふぎ が自転車 じてんしゃ で走 はし った場所 ばしょ ]]
[[1950年 ねん ]]、[[第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん ]]の終結 しゅうけつ による満 みつる 州 しゅう 国 くに の崩壊 ほうかい と[[国共 こっきょう 内戦 ないせん ]]の終結 しゅうけつ により、[[共産 きょうさん 主義 しゅぎ 国 こく ]]である[[中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく ]]の一 いち 都市 とし となった[[ハルビン駅 えき ]]の構内 こうない 。5年間 ねんかん にわたる[[ソビエト連邦 れんぽう ]]での抑留 よくりゅう を解 と かれ、中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく に送還 そうかん された「[[戦犯 せんぱん ]]」達 たち がごった返 がえ すなか、列 れつ から外 はず れた1人 ひとり の男 おとこ が[[洗面 せんめん 所 しょ ]]で[[自殺 じさつ ]]を試 こころ みる。その男 おとこ は、監視 かんし 人 じん の手 て により一命 いちめい を取 と り留 と めるものの、薄 うす れ行 ゆ く意識 いしき の中 なか で幼 おさな い日々 ひび の頃 ころ を思 おも い出 だ していた。この男 おとこ こそ、[[清 きよし |清朝 せいちょう ]]最後 さいご の皇帝 こうてい にして[[満 みつる 州 しゅう 国 くに ]]の皇帝 こうてい であり、紀元前 きげんぜん 以来 いらい から続 つづ く中国 ちゅうごく 王朝 おうちょう の最後 さいご の皇帝 こうてい たる'''「ラスト・エンペラー」'''、すなわち、'''[[愛 あい 新 しん 覚 さとし 羅 ら 溥儀 ふぎ ]]'''である。
[[1950年 ねん ]]、[[第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん ]]の終結 しゅうけつ による満 みつる 洲 しま 国 くに の崩壊 ほうかい と[[国共 こっきょう 内戦 ないせん ]]の終結 しゅうけつ により、[[共産 きょうさん 主義 しゅぎ 国 こく ]]である[[中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく ]]の一 いち 都市 とし となった[[ハルビン駅 えき ]]の構内 こうない 。5年間 ねんかん にわたる[[ソビエト連邦 れんぽう ]]での抑留 よくりゅう を解 と かれ、中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく に送還 そうかん された「[[戦犯 せんぱん ]]」達 たち がごった返 がえ すなか、列 れつ から外 はず れた1人 ひとり の男 おとこ が[[洗面 せんめん 所 しょ ]]で[[自殺 じさつ ]]を試 こころ みる。その男 おとこ は、監視 かんし 人 じん の手 て により一命 いちめい を取 と り留 と めるものの、薄 うす れ行 ゆ く意識 いしき の中 なか で幼 おさな い日々 ひび の頃 ころ を思 おも い出 だ していた。この男 おとこ こそ、[[清 きよし |清朝 せいちょう ]]最後 さいご の皇帝 こうてい にして[[満 みつる 洲 しま 国 くに ]]の皇帝 こうてい であり、紀元前 きげんぜん 以来 いらい から続 つづ く中国 ちゅうごく 王朝 おうちょう の最後 さいご の皇帝 こうてい たる'''「ラスト・エンペラー」'''、すなわち、'''[[愛 あい 新 しん 覚 さとし 羅 ら 溥儀 ふぎ ]]'''である。
[[1908年 ねん ]][[11月14日 にち ]]、北京 ぺきん 。[[清 きよし |清朝 せいちょう ]]第 だい 11代 だい 皇帝 こうてい ・'''[[光 ひかり 緒 いとぐち 帝 みかど ]]'''の崩御 ほうぎょ に伴 ともな い、長 ちょう きに渡 わた って清朝 せいちょう の最高 さいこう 実力 じつりょく 者 しゃ として君臨 くんりん してきた'''[[西 にし 太 ふとし 后 きさき ]]'''は溥儀 ふぎ を[[紫 むらさき 禁城 きんじょう ]]へ呼 よ び出 だ す。事態 じたい を察知 さっち した溥儀 ふぎ の実母 じつぼ '''福 ぶく 晋 すすむ 幼 よう 蘭 らん '''は、乳母 うば の'''アーモ'''に溥儀 ふぎ を託 たく す。物々 ものもの しい様子 ようす の宮中 きゅうちゅう で、溥儀 ふぎ は動 どう じることなく、無邪気 むじゃき に「お家 いえ に帰 かえ れる?」と繰 く り返 かえ すばかりであった。瀕死 ひんし の西 にし 太 ふとし 后 きさき は、溥儀 ふぎ を皇帝 こうてい に指名 しめい して崩御 ほうぎょ する。即位 そくい 式 しき の日 ひ 、家臣 かしん たちが[[三 さん 跪九叩頭 こうとう の礼 れい ]]で新 しん 皇帝 こうてい に拝礼 はいれい する最中 さいちゅう 、溥儀 ふぎ は[[コオロギ]]の鳴 な き声 ごえ を追 お って列 れつ 中 ちゅう を歩 ある き回 まわ る。そして居場所 いばしょ を突 つ き止 と めると、コオロギを入 い れ物 もの ごと教育 きょういく 係 がかり の'''陳 ちん 宝 たから 琛'''から譲 ゆず り受 う ける。
[[1908年 ねん ]][[11月14日 にち ]]、北京 ぺきん 。[[清 きよし |清朝 せいちょう ]]第 だい 11代 だい 皇帝 こうてい ・'''[[光 ひかり 緒 いとぐち 帝 みかど ]]'''の崩御 ほうぎょ に伴 ともな い、長 ちょう きに渡 わた って清朝 せいちょう の最高 さいこう 実力 じつりょく 者 しゃ として君臨 くんりん してきた'''[[西 にし 太 ふとし 后 きさき ]]'''は溥儀 ふぎ を[[紫 むらさき 禁城 きんじょう ]]へ呼 よ び出 だ す。事態 じたい を察知 さっち した溥儀 ふぎ の実母 じつぼ '''福 ぶく 晋 すすむ [[ 幼 よう 蘭 らん ]] '''は、乳母 うば の'''アーモ'''に溥儀 ふぎ を託 たく す。物々 ものもの しい様子 ようす の宮中 きゅうちゅう で、溥儀 ふぎ は動 どう じることなく、無邪気 むじゃき に「お家 いえ に帰 かえ れる?」と繰 く り返 かえ すばかりであった。瀕死 ひんし の西 にし 太 ふとし 后 きさき は、溥儀 ふぎ を皇帝 こうてい に指名 しめい して崩御 ほうぎょ する。即位 そくい 式 しき の日 ひ 、家臣 かしん たちが[[三 さん 跪九叩頭 こうとう の礼 れい ]]で新 しん 皇帝 こうてい に拝礼 はいれい する最中 さいちゅう 、溥儀 ふぎ は[[コオロギ]]の鳴 な き声 ごえ を追 お って列 れつ 中 ちゅう を歩 ある き回 まわ る。そして居場所 いばしょ を突 つ き止 と めると、コオロギを入 い れ物 もの ごと教育 きょういく 係 がかり の'''[[ 陳 ちん 宝 たから 琛]] '''から譲 ゆず り受 う ける。
再 ふたた び1950年 ねん 、一命 いちめい を取 と り留 と めた溥儀 ふぎ は、中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく の戦犯 せんぱん として[[撫 なで 順 じゅん ]]の[[政治 せいじ 犯 はん ]][[収容 しゅうよう 所 しょ ]]([[撫 なで 順 じゅん 戦犯 せんぱん 管理 かんり 所 しょ ]])に送 おく られる。'''収容 しゅうよう 所長 しょちょう '''は溥儀 ふぎ を助 たす けた男 おとこ だった。そこで待 ま っていたのは「戦犯 せんぱん 」としての[[自己 じこ 批判 ひはん ]]の強要 きょうよう や要人 ようじん の立場 たちば を奪 うば われた生活 せいかつ 習慣 しゅうかん だった。そこで溥儀 ふぎ は強 つよ い口調 くちょう で詰 つ め寄 よ る尋問 じんもん 官 かん や厳 きび しくも善良 ぜんりょう な所長 しょちょう を相手 あいて に、孤独 こどく で不遇 ふぐう だった私生活 しせいかつ を「すべては、(空虚 くうきょ な)[[儀式 ぎしき ]]でしかなかった」と振 ふ り返 かえ り、過去 かこ を回想 かいそう していく。
再 ふたた び1950年 ねん 、一命 いちめい を取 と り留 と めた溥儀 ふぎ は、中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく の戦犯 せんぱん として[[撫 なで 順 じゅん ]]の[[政治 せいじ 犯 はん ]][[収容 しゅうよう 所 しょ ]]([[撫 なで 順 じゅん 戦犯 せんぱん 管理 かんり 所 しょ ]])に送 おく られる。'''収容 しゅうよう 所長 しょちょう '''は溥儀 ふぎ を助 たす けた男 おとこ だった。そこで待 ま っていたのは「戦犯 せんぱん 」としての[[自己 じこ 批判 ひはん ]]の強要 きょうよう や要人 ようじん の立場 たちば を奪 うば われた生活 せいかつ 習慣 しゅうかん だった。そこで溥儀 ふぎ は強 つよ い口調 くちょう で詰 つ め寄 よ る尋問 じんもん 官 かん や厳 きび しくも善良 ぜんりょう な所長 しょちょう を相手 あいて に、孤独 こどく で不遇 ふぐう だった私生活 しせいかつ を「すべては、(空虚 くうきょ な)[[儀式 ぎしき ]]でしかなかった」と振 ふ り返 かえ り、過去 かこ を回想 かいそう していく。
62行 ぎょう 目 め :
79行 ぎょう 目 め :
日本 にっぽん の庇護 ひご 下 か 、[[天津 てんしん ]]での生活 せいかつ は、軍閥 ぐんばつ との交渉 こうしょう はあったものの、総 そう じて楽 たの しいものだった。溥儀 ふぎ と婉容は「ヘンリーとエリザベス」となり、社交 しゃこう 界 かい でも注目 ちゅうもく の的 てき だった。一方 いっぽう 、文 ぶん 繡は紫 むらさき 禁城 きんじょう の外 そと では(社会 しゃかい 的 てき に)妻 つま として認 みと められず、孤独 こどく な思 おも いから離婚 りこん を望 のぞ んでいた。ダンスパーティーの最中 さいちゅう 、[[蔣介石 せき ]]の[[上海 しゃんはい クーデター|上海 しゃんはい 制圧 せいあつ ]]のニュースが伝 つた えられ、居合 いあ わせた欧米 おうべい 人 じん らが拍手 はくしゅ 喝采 かっさい する中 なか 、輪 わ から外 はず れた溥儀 ふぎ らに'''[[甘粕 あまかす 正彦 まさひこ ]]'''が「日本 にっぽん 公使館 こうしかん へお越 こ し下 くだ さい」と誘 さそ いかける。文 ぶん 繡は車中 しゃちゅう で離婚 りこん の意思 いし を告白 こくはく し、混乱 こんらん の中 なか ついに出奔 しゅっぽん する。文 ぶん 繍と入 い れ替 か わりに、友 とも を失 うしな った婉容の護衛 ごえい のため「東洋 とうよう の宝石 ほうせき 」(eastern jewel)こと'''[[川島 かわしま 芳子 よしこ ]]'''が現 あらわ れる。彼女 かのじょ は溥儀 ふぎ の遠縁 とおえん であり、あらゆる情報 じょうほう に通 つう じていた。彼女 かのじょ は清朝 せいちょう の陵墓 りょうぼ ('''[[清 せい 東陵 とうりょう ]]''')が国民党 こくみんとう により[[清 せい 東陵 とうりょう #東陵 とうりょう 事件 じけん |盗掘 とうくつ ]]され、西 にし 太 ふとし 后 きさき の遺体 いたい が切 き り刻 きざ まれたというニュースをもたらし、溥儀 ふぎ を激 はげ しく憤慨 ふんがい させる。そして芳子 よしこ は、婉容にアヘンを勧 すす める。
日本 にっぽん の庇護 ひご 下 か 、[[天津 てんしん ]]での生活 せいかつ は、軍閥 ぐんばつ との交渉 こうしょう はあったものの、総 そう じて楽 たの しいものだった。溥儀 ふぎ と婉容は「ヘンリーとエリザベス」となり、社交 しゃこう 界 かい でも注目 ちゅうもく の的 てき だった。一方 いっぽう 、文 ぶん 繡は紫 むらさき 禁城 きんじょう の外 そと では(社会 しゃかい 的 てき に)妻 つま として認 みと められず、孤独 こどく な思 おも いから離婚 りこん を望 のぞ んでいた。ダンスパーティーの最中 さいちゅう 、[[蔣介石 せき ]]の[[上海 しゃんはい クーデター|上海 しゃんはい 制圧 せいあつ ]]のニュースが伝 つた えられ、居合 いあ わせた欧米 おうべい 人 じん らが拍手 はくしゅ 喝采 かっさい する中 なか 、輪 わ から外 はず れた溥儀 ふぎ らに'''[[甘粕 あまかす 正彦 まさひこ ]]'''が「日本 にっぽん 公使館 こうしかん へお越 こ し下 くだ さい」と誘 さそ いかける。文 ぶん 繡は車中 しゃちゅう で離婚 りこん の意思 いし を告白 こくはく し、混乱 こんらん の中 なか ついに出奔 しゅっぽん する。文 ぶん 繍と入 い れ替 か わりに、友 とも を失 うしな った婉容の護衛 ごえい のため「東洋 とうよう の宝石 ほうせき 」(eastern jewel)こと'''[[川島 かわしま 芳子 よしこ ]]'''が現 あらわ れる。彼女 かのじょ は溥儀 ふぎ の遠縁 とおえん であり、あらゆる情報 じょうほう に通 つう じていた。彼女 かのじょ は清朝 せいちょう の陵墓 りょうぼ ('''[[清 せい 東陵 とうりょう ]]''')が国民党 こくみんとう により[[清 せい 東陵 とうりょう #東陵 とうりょう 事件 じけん |盗掘 とうくつ ]]され、西 にし 太 ふとし 后 きさき の遺体 いたい が切 き り刻 きざ まれたというニュースをもたらし、溥儀 ふぎ を激 はげ しく憤慨 ふんがい させる。そして芳子 よしこ は、婉容にアヘンを勧 すす める。
再 ふたた び1950年代 ねんだい 、溥儀 ふぎ が自発 じはつ 的 てき に満 まん 州 しゅう 国 くに 皇帝 こうてい になろうとしたか否 ひ か、激 はげ しい尋問 じんもん が行 おこな われる。溥儀 ふぎ 自身 じしん は告白 こくはく には「日本 にっぽん に誘拐 ゆうかい された」と記 しる したが、ジョンストンは『紫 むらさき 禁城 きんじょう の黄昏 たそがれ 』に溥儀 ふぎ が望 のぞ んだと記 しる していた。そして、かつて使用人 しようにん であった'''大 だい 李 り '''も天津 てんしん 出立 しゅったつ 前日 ぜんじつ に荷造 にづく りをしたと告白 こくはく していた。当時 とうじ 、溥儀 ふぎ は満 まん 州 しゅう 国 くに の支配 しはい 者 しゃ の家系 かけい に生 う まれた自分 じぶん 抜 ぬ きで満 まん 州 しゅう 国 くに の成立 せいりつ はあり得 え ないと考 かんが えていた。清朝 せいちょう 復活 ふっかつ に魅 み かれる溥儀 ふぎ に対 たい し、婉容や陳 ひね 宝 たから 琛は慎重 しんちょう な姿勢 しせい を示 しめ す。所長 しょちょう は事実 じじつ を思 おも い出 だ せ、と『紫 むらさき 禁城 きんじょう の黄昏 たそがれ 』を溥儀 ふぎ の目 め の前 まえ に置 お く。
再 ふたた び1950年代 ねんだい 、溥儀 ふぎ が自発 じはつ 的 てき に満 まん 洲 しま 国 くに 皇帝 こうてい になろうとしたか否 ひ か、激 はげ しい尋問 じんもん が行 おこな われる。溥儀 ふぎ 自身 じしん は告白 こくはく には「日本 にっぽん に誘拐 ゆうかい された」と記 しる したが、ジョンストンは『紫 むらさき 禁城 きんじょう の黄昏 たそがれ 』に溥儀 ふぎ が望 のぞ んだと記 しる していた。そして、かつて使用人 しようにん であった'''大 だい 李 り '''も天津 てんしん 出立 しゅったつ 前日 ぜんじつ に荷造 にづく りをしたと告白 こくはく していた。当時 とうじ 、溥儀 ふぎ は満 まん 洲 しま 国 くに の支配 しはい 者 しゃ の家系 かけい に生 う まれた自分 じぶん 抜 ぬ きで満 まん 洲 しま 国 くに の成立 せいりつ はあり得 え ないと考 かんが えていた。清朝 せいちょう 復活 ふっかつ に魅 み かれる溥儀 ふぎ に対 たい し、婉容や陳 ひね 宝 たから 琛は慎重 しんちょう な姿勢 しせい を示 しめ す。所長 しょちょう は事実 じじつ を思 おも い出 だ せ、と『紫 むらさき 禁城 きんじょう の黄昏 たそがれ 』を溥儀 ふぎ の目 め の前 まえ に置 お く。
[[Image:Puyi-Manchukuo.jpg|right|200px|thumb|満 まん 洲 しゅう 国 こく 皇帝 こうてい 時代 じだい の溥儀 ふぎ ]]
[[Image:Puyi-Manchukuo.jpg|right|200px|thumb|満 まん 洲 しゅう 国 こく 皇帝 こうてい 時代 じだい の溥儀 ふぎ ]]
[[1934年 ねん ]]に、溥儀 ふぎ はついに満 みつる 州 しゅう 国 くに 皇帝 こうてい となる。告 つげ 天 てん 礼 れい が行 おこな われた後 のち 、即位 そくい を祝 いわ う舞踏 ぶとう 会 かい の最中 さいちゅう 、婉容は涙 なみだ を流 なが しながら蘭 らん の花 はな を食 た べる<ref group="注 ちゅう ">無残 むざん に毟 むし られ食 た べられる蘭 らん は満 まん 州 しゅう を象徴 しょうちょう する花 はな であり、美貌 びぼう の妃 ひ が流 なが す涙 なみだ に満 まん 州 しゅう 国 くに の運命 うんめい が暗示 あんじ される。</ref>異常 いじょう な様子 ようす を示 しめ す。溥儀 ふぎ は婉容をたしなめるが、彼女 かのじょ は溥儀 ふぎ には日本 にっぽん の傀儡 かいらい でしかない現状 げんじょう が見 み えていないと言 い い、何故 なぜ もう自分 じぶん を抱 いだ かないのか抗議 こうぎ する。溥傑の横 よこ で客人 きゃくじん から挨拶 あいさつ を受 う ける'''[[嵯峨 さが 浩 ひろし ]]'''<ref group="注 ちゅう ">史実 しじつ では溥傑と浩 ひろし の結婚 けっこん は1937年 ねん である。</ref>が身重 みおも なのを見 み やり、自分 じぶん も彼女 かのじょ のように子供 こども が欲 ほ しいと訴 うった えるが、溥儀 ふぎ は婉容を抱 いだ かないのはアヘン中毒 ちゅうどく が理由 りゆう だと説明 せつめい し、訪日 ほうにち にも連 つ れて行 い かないと告 つ げる。宴 うたげ を中座 ちゅうざ した婉容は、芳子 よしこ の導 みちび きでアヘンと同性愛 どうせいあい 関係 かんけい に溺 おぼ れていく。
[[1934年 ねん ]]に、溥儀 ふぎ はついに満 みつる 洲 しま 国 くに 皇帝 こうてい となる。告 つげ 天 てん 礼 れい が行 おこな われた後 のち 、即位 そくい を祝 いわ う舞踏 ぶとう 会 かい の最中 さいちゅう 、婉容は涙 なみだ を流 なが しながら蘭 らん の花 はな を食 た べる<ref group="注 ちゅう ">無残 むざん に毟 むし られ食 た べられる蘭 らん は満 まん 洲 しま を象徴 しょうちょう する花 はな であり、美貌 びぼう の妃 ひ が流 なが す涙 なみだ に満 まん 洲 しま 国 くに の運命 うんめい が暗示 あんじ される。</ref>異常 いじょう な様子 ようす を示 しめ す。溥儀 ふぎ は婉容をたしなめるが、彼女 かのじょ は溥儀 ふぎ には日本 にっぽん の傀儡 かいらい でしかない現状 げんじょう が見 み えていないと言 い い、何故 なぜ もう自分 じぶん を抱 いだ かないのか抗議 こうぎ する。溥傑の横 よこ で客人 きゃくじん から挨拶 あいさつ を受 う ける'''[[嵯峨 さが 浩 ひろし ]]'''<ref group="注 ちゅう ">史実 しじつ では溥傑と浩 ひろし の結婚 けっこん は1937年 ねん である。</ref>が身重 みおも なのを見 み やり、自分 じぶん も彼女 かのじょ のように子供 こども が欲 ほ しいと訴 うった えるが、溥儀 ふぎ は婉容を抱 いだ かないのはアヘン中毒 ちゅうどく が理由 りゆう だと説明 せつめい し、訪日 ほうにち にも連 つ れて行 い かないと告 つ げる。宴 うたげ を中座 ちゅうざ した婉容は、芳子 よしこ の導 みちび きでアヘンと同性愛 どうせいあい 関係 かんけい に溺 おぼ れていく。
日本 にっぽん で歓迎 かんげい を受 う けた溥儀 ふぎ が帰国 きこく すると、満 みつる 州 しゅう 国内 こくない の様子 ようす が異様 いよう だった。皇帝 こうてい 御用 ごよう 掛 かけ となった'''[[吉岡 よしおか 安直 あんちょく ]]'''の命令 めいれい で禁衛 きんえい 隊 たい は武装 ぶそう 解除 かいじょ され、[[国務 こくむ 総理 そうり 大臣 だいじん ]]'''[[鄭 てい 孝 たかし 胥]]'''(Zhèng Xiàoxū)は息子 むすこ の暗殺 あんさつ を機 き に隠棲 いんせい し(=辞職 じしょく に追 お い込 こ まれ)、代 か わって軍政 ぐんせい 部 ぶ 大臣 だいじん '''[[張 ちょう 景 けい 恵 めぐみ ]]'''(Zhāng Jǐnghuì)が[[関東軍 かんとうぐん ]]の推薦 すいせん の元 もと 、溥儀 ふぎ から後任 こうにん の承認 しょうにん を得 え ようとしていた。御前 ごぜん 会議 かいぎ の場 ば で、溥儀 ふぎ は自分 じぶん のあずかり知 し れないところで決 き められていた張 ちょう の首相 しゅしょう 就任 しゅうにん を認 みと めないばかりか、諸 しょ 外国 がいこく からも承認 しょうにん されつつある独立 どくりつ 国 こく として日本 にっぽん のみならず各国 かっこく と対等 たいとう な関係 かんけい を築 きず こうと話 はな すが、甘粕 あまかす 、吉岡 よしおか や関東 かんとう 軍 ぐん の息 いき のかかった大臣 だいじん たちは次々 つぎつぎ に退席 たいせき する。
日本 にっぽん で歓迎 かんげい を受 う けた溥儀 ふぎ が帰国 きこく すると、満 みつる 洲 しま 国内 こくない の様子 ようす が異様 いよう だった。皇帝 こうてい 御用 ごよう 掛 かけ となった'''[[吉岡 よしおか 安直 あんちょく ]]'''の命令 めいれい で禁衛 きんえい 隊 たい は武装 ぶそう 解除 かいじょ され、[[国務 こくむ 総理 そうり 大臣 だいじん ]]'''[[鄭 てい 孝 たかし 胥]]'''(Zhèng Xiàoxū)は息子 むすこ の暗殺 あんさつ を機 き に隠棲 いんせい し(=辞職 じしょく に追 お い込 こ まれ)、代 か わって軍政 ぐんせい 部 ぶ 大臣 だいじん '''[[張 ちょう 景 けい 恵 めぐみ ]]'''(Zhāng Jǐnghuì)が[[関東軍 かんとうぐん ]]の推薦 すいせん の元 もと 、溥儀 ふぎ から後任 こうにん の承認 しょうにん を得 え ようとしていた。御前 ごぜん 会議 かいぎ の場 ば で、溥儀 ふぎ は自分 じぶん のあずかり知 し れないところで決 き められていた張 ちょう の首相 しゅしょう 就任 しゅうにん を認 みと めないばかりか、諸 しょ 外国 がいこく からも承認 しょうにん されつつある独立 どくりつ 国 こく として日本 にっぽん のみならず各国 かっこく と対等 たいとう な関係 かんけい を築 きず こうと話 はな すが、甘粕 あまかす 、吉岡 よしおか や関東 かんとう 軍 ぐん の息 いき のかかった大臣 だいじん たちは次々 つぎつぎ に退席 たいせき する。
出席 しゅっせき 者 しゃ が誰 だれ もいない晩餐 ばんさん 会 かい の席 せき で、婉容は溥儀 ふぎ に懐妊 かいにん を告 つ げる。相手 あいて は満 まん 州 しゅう 人 ひと の男 おとこ で、溥儀 ふぎ のためにもなると話 はな す。そこへ甘粕 あまかす と吉岡 よしおか が現 あらわ れ、張 ちょう 首相 しゅしょう 任命 にんめい 承認 しょうにん のサインをするよう迫 せま る。溥儀 ふぎ は皇后 こうごう の懐妊 かいにん を告 つ げ、満 みつる 州 しゅう 国 くに の後継 こうけい 者 しゃ が誕生 たんじょう すると強気 つよき に出 で るが、甘粕 あまかす は逆 ぎゃく に相手 あいて の男 おとこ の名 な を溥儀 ふぎ に教 おし える。溥儀 ふぎ は承認 しょうにん のサインをせざるを得 え なくなり、以後 いご も日本 にっぽん に有利 ゆうり な内容 ないよう の勅 みことのり 令 れい を承認 しょうにん させられ、傀儡 かいらい となることを余儀 よぎ なくされる。やがて婉容は出産 しゅっさん するが、生 う まれた子 こ はすぐ殺害 さつがい され婉容は静養 せいよう のため皇宮 こうぐう を離 はな れる。溥儀 ふぎ は彼女 かのじょ を必死 ひっし で追 お うが、婉容を乗 の せた車 くるま が出 で た直後 ちょくご 、宮殿 きゅうでん の門 もん は溥儀 ふぎ の目 め の前 まえ で閉 と ざされた。その様子 ようす を見 み ていた甘粕 あまかす と芳子 よしこ は指 ゆび を絡 から めあうのだった。その晩 ばん 、相手 あいて であった溥儀 ふぎ の運転 うんてん 手 しゅ は密 ひそ かに暗殺 あんさつ された。
出席 しゅっせき 者 しゃ が誰 だれ もいない晩餐 ばんさん 会 かい の席 せき で、婉容は溥儀 ふぎ に懐妊 かいにん を告 つ げる。相手 あいて は満 まん 洲 しま 人 ひと の男 おとこ で、溥儀 ふぎ のためにもなると話 はな す。そこへ甘粕 あまかす と吉岡 よしおか が現 あらわ れ、張 ちょう 首相 しゅしょう 任命 にんめい 承認 しょうにん のサインをするよう迫 せま る。溥儀 ふぎ は皇后 こうごう の懐妊 かいにん を告 つ げ、満 みつる 洲 しま 国 くに の後継 こうけい 者 しゃ が誕生 たんじょう すると強気 つよき に出 で るが、甘粕 あまかす は逆 ぎゃく に相手 あいて の男 おとこ の名 な を溥儀 ふぎ に教 おし える。溥儀 ふぎ は承認 しょうにん のサインをせざるを得 え なくなり、以後 いご も日本 にっぽん に有利 ゆうり な内容 ないよう の勅 みことのり 令 れい を承認 しょうにん させられ、傀儡 かいらい となることを余儀 よぎ なくされる。やがて婉容は出産 しゅっさん するが、生 う まれた子 こ はすぐ殺害 さつがい され婉容は静養 せいよう のため皇宮 こうぐう を離 はな れる。溥儀 ふぎ は彼女 かのじょ を必死 ひっし で追 お うが、婉容を乗 の せた車 くるま が出 で た直後 ちょくご 、宮殿 きゅうでん の門 もん は溥儀 ふぎ の目 め の前 まえ で閉 と ざされた。その様子 ようす を見 み ていた甘粕 あまかす と芳子 よしこ は指 ゆび を絡 から めあうのだった。その晩 ばん 、相手 あいて であった溥儀 ふぎ の運転 うんてん 手 しゅ は密 ひそ かに暗殺 あんさつ された。
再 ふたた び1950年代 ねんだい 、戦犯 せんぱん たちに対 たい し[[中国共産党 ちゅうごくきょうさんとう ]]視点 してん での歴史 れきし 映画 えいが が放映 ほうえい される。大日本帝国 だいにっぽんていこく は満 まん 州 しゅう で侵略 しんりゃく の足場 あしば を固 かた め、[[第 だい 二 に 次 じ 上海 しゃんはい 事変 じへん |上海 しゃんはい での無 む 差別 さべつ 爆 ばく 撃 げき ]]、[[南京 なんきん 事件 じけん |南京 なんきん での20万 まん 人 にん 以上 いじょう の虐殺 ぎゃくさつ ]]、[[真珠湾 しんじゅわん 攻撃 こうげき |真珠湾 しんじゅわん 奇襲 きしゅう ]]、そして満 みつる 州 しゅう における[[731部隊 ぶたい |細菌 さいきん 戦 せん のための人体 じんたい 実験 じっけん ]]に[[里見 さとみ 甫 はじめ |アヘン生産 せいさん ]]――満 みつる 州 しゅう 国 くに 皇帝 こうてい として日本 にっぽん の傀儡 かいらい に甘 あま んじる自分 じぶん の映像 えいぞう が流 なが れたとき、溥儀 ふぎ は思 おも わず立 た ち上 あ がる。
再 ふたた び1950年代 ねんだい 、戦犯 せんぱん たちに対 たい し[[中国共産党 ちゅうごくきょうさんとう ]]視点 してん での歴史 れきし 映画 えいが が放映 ほうえい される。大日本帝国 だいにっぽんていこく は満 まん 洲 しま で侵略 しんりゃく の足場 あしば を固 かた め、[[第 だい 二 に 次 じ 上海 しゃんはい 事変 じへん |上海 しゃんはい での無 む 差別 さべつ 爆 ばく 撃 げき ]]、[[南京 なんきん 事件 じけん |南京 なんきん での20万 まん 人 にん 以上 いじょう の虐殺 ぎゃくさつ ]]、[[真珠湾 しんじゅわん 攻撃 こうげき |真珠湾 しんじゅわん 奇襲 きしゅう ]]、そして満 みつる 洲 しま における[[731部隊 ぶたい |細菌 さいきん 戦 せん のための人体 じんたい 実験 じっけん ]]に[[里見 さとみ 甫 はじめ |アヘン生産 せいさん ]]――満 みつる 洲 しま 国 くに 皇帝 こうてい として日本 にっぽん の傀儡 かいらい に甘 あま んじる自分 じぶん の映像 えいぞう が流 なが れたとき、溥儀 ふぎ は思 おも わず立 た ち上 あ がる。
1945年 ねん 8月 がつ 15日 にち 、日本 にっぽん の敗戦 はいせん により、満 みつる 州 しゅう 国 くに は滅亡 めつぼう し、溥儀 ふぎ は再 ふたた び皇帝 こうてい を退位 たいい した。甘粕 あまかす は拳銃 けんじゅう で自決 じけつ し、溥儀 ふぎ は溥傑の勧 すす めにより日本 にっぽん への亡命 ぼうめい を図 はか る。出立 しゅったつ 直前 ちょくぜん 、皇宮 こうぐう に戻 もど ってきた婉容と再会 さいかい するが、アヘンの中毒 ちゅうどく 症状 しょうじょう で変 か わり果 は てた姿 すがた の彼女 かのじょ はもはや溥儀 ふぎ と顔 かお を合 あ わせようとはしなかった。そして亡命 ぼうめい の途上 とじょう 、侵攻 しんこう してきたソ連 それん 軍 ぐん に捕 とら えられたのであった。
1945年 ねん 8月 がつ 15日 にち 、日本 にっぽん の敗戦 はいせん により、満 みつる 洲 しま 国 くに は滅亡 めつぼう し、溥儀 ふぎ は再 ふたた び皇帝 こうてい を退位 たいい した。甘粕 あまかす は拳銃 けんじゅう で自決 じけつ し、溥儀 ふぎ は溥傑の勧 すす めにより日本 にっぽん への亡命 ぼうめい を図 はか る。出立 しゅったつ 直前 ちょくぜん 、皇宮 こうぐう に戻 もど ってきた婉容と再会 さいかい するが、アヘンの中毒 ちゅうどく 症状 しょうじょう で変 か わり果 は てた姿 すがた の彼女 かのじょ はもはや溥儀 ふぎ と顔 かお を合 あ わせようとはしなかった。そして亡命 ぼうめい の途上 とじょう 、侵攻 しんこう してきたソ連 それん 軍 ぐん に捕 とら えられたのであった。
溥儀 ふぎ は、共産党 きょうさんとう 政府 せいふ が用意 ようい したあらゆる「告白 こくはく 」に一転 いってん して署名 しょめい を行 おこな った。その中 なか には溥儀 ふぎ が知 し るはずのなかったハルビンでの生体 せいたい 実験 じっけん に関 かん するものもあった。そんな溥儀 ふぎ に所長 しょちょう は自分 じぶん のしたことにだけ責任 せきにん を取 と るように注意 ちゅうい し、「今度 こんど は卑屈 ひくつ になるのか」と詰 つま るが、溥儀 ふぎ は「私 わたし を自殺 じさつ から助 たす けたのは、あなたたちも私 わたし を利用 りよう したいからだろう」とい返 いかえ した。所長 しょちょう は「利用 りよう されるのはそんなにいやなことか」と、溥儀 ふぎ の心情 しんじょう の変化 へんか を感 かん じ取 と っていた。[[1959年 ねん ]]に特赦 とくしゃ 令 れい 第 だい 一 いち 号 ごう により、溥儀 ふぎ は収容 しゅうよう 所 しょ を出所 しゅっしょ する。
溥儀 ふぎ は、共産党 きょうさんとう 政府 せいふ が用意 ようい したあらゆる「告白 こくはく 」に一転 いってん して署名 しょめい を行 おこな った。その中 なか には溥儀 ふぎ が知 し るはずのなかったハルビンでの生体 せいたい 実験 じっけん に関 かん するものもあった。そんな溥儀 ふぎ に所長 しょちょう は自分 じぶん のしたことにだけ責任 せきにん を取 と るように注意 ちゅうい し、「今度 こんど は卑屈 ひくつ になるのか」と詰 つま るが、溥儀 ふぎ は「私 わたし を自殺 じさつ から助 たす けたのは、あなたたちも私 わたし を利用 りよう したいからだろう」とい返 いかえ した。所長 しょちょう は「利用 りよう されるのはそんなにいやなことか」と、溥儀 ふぎ の心情 しんじょう の変化 へんか を感 かん じ取 と っていた。[[1959年 ねん ]]に特赦 とくしゃ 令 れい 第 だい 一 いち 号 ごう により、溥儀 ふぎ は収容 しゅうよう 所 しょ を出所 しゅっしょ する。
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! [[テレビ朝日 てれびあさひ ]]版 ばん
! [[テレビ朝日 てれびあさひ ]]版 ばん
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| [[愛 あい 新 しん 覚 さとし 羅 ら 溥儀 ふぎ ]] || [[ジョン・ローン]] || |[[松橋 まつはし 登 のぼる ]] ||
| [[愛 あい 新 しん 覚 さとし 羅 ら 溥儀 ふぎ ]] || [[ジョン・ローン]] || |[[松橋 まつはし 登 のぼる ]]
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| [[婉容]] || [[ジョアン・チェン]] || [[佳 けい 那 な 晃子 あきこ ]] ||
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| [[レジナルド・ジョンストン]] || [[ピーター・オトゥール]] || [[井上 いのうえ 孝雄 たかお ]] ||
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甘粕 あまかす 正彦 まさひこ ]] || colspan="2" | [[
坂本 さかもと 龍一 りゅういち ]]
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戦犯 せんぱん 収容 しゅうよう 所 しょ 所長 しょちょう || [[
英 えい 若 わか 誠 まこと ]] || [[
小林 こばやし 昭二 しょうじ ]]
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英 えい 若 わか 誠 まこと ]] || [[
小林 こばやし 昭二 しょうじ ]]
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| [[
陳 ちん 宝 たから 琛]](
溥儀 ふぎ の
教育 きょういく 係 がかり ) || [[ヴィクター・ウォン]] || [[
久米 くめ 明 あきら ]]
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陳 ちん 宝 たから 琛]](
溥儀 ふぎ の
教育 きょういく 係 がかり ) || [[ヴィクター・ウォン]] || [[
久米 くめ 明 あきら ]]
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| 大 だい 李 り (溥儀 ふぎ の
召使 めしつかい ) || [[デニス・ダン
]] || [[池田 いけだ 勝 まさる ]] || [[
田中 たなか 亮一 りょういち ]]<ref>[https://www.aoni.co.jp/search/tanaka-ryoichi.html
株式会社 かぶしきがいしゃ 青 あお 二 に プロダクションによる
公式 こうしき プロフィール] </ref>
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| [[
西 にし 太 ふとし 后 きさき ]] ||
{{仮 かり リンク| リサ・ルー
|zh|Lisa Lu}} || [[
初井 はつい 言 げん 榮 さかえ ]]
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甘粕 あまかす 正彦 まさひこ ]] || colspan="2" | [[
坂本 さかもと 龍一 りゅういち ]]
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| 溥儀 ふぎ (3歳 さい ) || [[リチャード・ヴゥ]] || [[森川 もりかわ 浩 ひろし 雅 みやび ]] ||
| [[川島 かわしま 芳子 よしこ ]] || {{仮 かり リンク|マギ ー・ハン|en|Maggie Han}} || [[戸田 とだ 恵子 けいこ ]]
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| 戦犯 せんぱん 収容 しゅうよう 所 しょ 尋問 じんもん 官 かん || {{仮 かり リンク|リック・ヤング|en|Ric Young}} || [[古川 ふるかわ 登志夫 としお ]]
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溥儀 ふぎ (8歳 とし ) ||
[[タイジャー・
ツゥ
ウ]] ||
[[浪 なみ 川 かわ 大輔 だいすけ ]] ||
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| 溥儀 ふぎ (15歳 さい ) || [[ウー・タオ]] || [[草尾 くさお 毅 あつし ]] ||
| 大 だい 李 り (溥儀 ふぎ の召使 めしつかい ) || {{仮 かり リンク|デニス ・ダン|en|Denis Dun}} || [[池田 いけだ 勝 まさる ]]
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溥儀 ふぎ (3 歳 とし ) ||
リチ ャー
ド ・
ヴ ゥ ||
森 もり 川 かわ 浩 ひろし 雅 みやび
| イースタン・ジュエル([[川島 かわしま 芳子 よしこ ]]) || [[マギー・ハン]] || [[戸田 とだ 恵子 けいこ ]] ||
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| 戦犯 せんぱん 収容 しゅうよう 所 しょ 尋問 じんもん 官 かん || [[リック・ヤング]] || [[古 ふる 川 かわ 登志夫 としお ]] ||
| 溥儀 ふぎ (8歳 さい ) || タイジャー ・ツゥウ || [[浪 なみ 川 かわ 大輔 だいすけ ]]
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| [[文 ぶん 繡]](第 だい 二 に 皇 すめらぎ 妃 ひ ) || [[ヴィヴィアン・ウー]] || [[土井 どい 美加 みか ]] ||
| 溥儀 ふぎ (15歳 さい ) || ウー・タオ || [[草尾 くさお 毅 あつし ]]
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| [[張 ちょう 謙 けん 和 わ ]] || [[ケイリー=ヒロユキ・タガワ]] || ||
| [[張 ちょう 謙 けん 和 わ ]] || [[ケイリー=ヒロユキ・タガワ]] || [[山内 やまうち 雅人 まさと ]]
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| 大足 おおあし (宦官 かんがん ) || [[チャン・リャンピン]] || ||
| アーモ (溥儀 ふぎ の乳母 うば ) || イェード ・ゴー || [[小宮 こみや 和枝 かずえ ]]
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| 猫背 ねこぜ (宦官 かんがん ) || [[フアン・ウェンジェ]] || ||
| [[文 ぶん 繡]] (第 だい 二 に 皇 すめらぎ 妃 ひ ) || [[ヴィヴィ アン・ウー ]] || [[土井 どい 美加 みか ]]
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| [[吉岡 よしおか 安直 あんちょく ]] || colspan="2" | [[池田 いけだ 史 ふみ 比 ひ 古 いにしえ ]] ||
| [[吉岡 よしおか 安直 あんちょく ]] || colspan="2" | 池田 いけだ 史 ふみ 比 ひ 古 いにしえ
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| アーモ(溥儀 ぎ の乳母 うば ) || [[イェード・ゴー]] || [[小宮 こみや 和枝 かずえ ]] ||
| [[愛 あい 新 しん 覚 さとし 羅 ら 溥傑 すぐる |溥傑]] || rowspan="2"|ファン ・グァン || [[田中 たなか 亮一 りょういち ]]
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| 溥傑(
老人 ろうじん ) || [[
林 はやし 一夫 かずお ]]
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西 にし 太 ふとし 后 きさき ]] ||
[[リサ・ルー
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初井 はつい 言 げん 榮 さかえ ]]
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| 溥傑(7歳 さい ) || ヘンリー・キィ || [[合 ごう 野 の 琢 みがく 真 しん ]]
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| [[
菱刈 ひしかり 隆 たかし ]] || [[
高松 たかまつ 英郎 ひでお ]] ||
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| [[幼 よう 蘭 らん |瓜 ふり 爾 しか 佳 けい 氏 し ]](溥儀 ふぎ の母 はは ) || リャン・ドン || [[高島 たかしま 雅 みやび 羅 ら ]]
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日本人 にっぽんじん 通訳 つうやく || [[
立花 たちばな ハジメ]] ||
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| [[愛 あい 新 しん 覚 さとし 羅 ら 溥傑|溥傑]] || rowspan="2"|[[ファン・グァン]] || [[田 た 中 なか 亮一 りょういち ]] ||
| [[隆裕 たかひろ 太 ふとし 后 きさき ]] ([[光 ひかり 緒 いとぐち 帝 みかど ]]の[[皇后 こうごう ]]) || スー ン・フ ァイケイ || [[京 きょう 田 た 尚子 しょうこ ]]
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| [[張 ちょう 景 けい 恵 めぐみ ]] || チェン・シュ || [[田村 たむら 錦 にしき 人 じん ]]
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| 溥傑(
老人 ろうじん ) || [[
林 はやし 一夫 かずお ]]
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| 溥傑(7歳 とし ) || [[ヘンリー・キィ]] || [[合 ごう 野 の 琢 みがく 真 しん ]] ||
| [[文 ぶん 繡]](13 歳 とし )|| ウ ー・ジュン || [[渕崎 ふちざき ゆり子 こ ]]
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日本人 にっぽんじん 医師 いし || [[
生田 いくた 朗 あきら ]] || [[
大滝 おおたき 進矢 しんや ]]
| 溥傑(14歳 さい ) || [[アルヴィン・ライリーIII]] || ||
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| [[愛 あい 新 しん 覚 さとし 羅 ら 載 の 灃|醇 あつし 親王 しんのう ]](溥儀 ふぎ の父 ちち ) || [[バシル・パオ]] || ||
| 大足 おおあし (宦官 かんがん ) || チャン ・リャンピン ||
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| [[文 ぶん 繡]](13歳 さい )|| [[ウー・ジュン]] || [[渕崎 ふちざき ゆり子 こ ]] ||
| 猫背 ねこぜ (宦官 かんがん ) || フアン・ ウェン ジェ ||
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| [[
菱刈 ひしかり 隆 たかし ]] || [[
高松 たかまつ 英郎 ひでお ]] ||
| [[隆裕 たかひろ 太 ふとし 后 きさき ]] ([[光 ひかり 緒 いとぐち 帝 みかど ]]の[[皇后 こうごう ]])|| [[スーン・ファイケイ]] || [[京田 きょうだ 尚子 しょうこ ]] ||
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日本人 にっぽんじん 通訳 つうやく || [[
立花 たちばな ハジメ]] ||
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太 たい 妃 ひ ||
[[シャオ・ルーチェン
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[[リー・グアンリー
]]||
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| 瓜 ふり 爾 しか 佳 けい 氏 し (溥儀 ぎ の母 はは ) || [[リャン・ドン]] || [[高島 たかしま 雅 みやび 羅 ら ]] ||
| 溥傑 すぐる (14歳 さい ) || アルヴィ ン・ライリーIII ||
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| [[愛 あい 新 しん 覚 さとし 羅 ら 載 の 灃|醇 あつし 親王 しんのう ]](溥儀 ふぎ の父 ちち ) || バシル・パオ ||
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内務 ないむ 府 ふ 大臣 だいじん ||
[[ジャン・シーレン
]] ||
[[山内 やまうち 雅人 まさと ]] ||
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太 たい 妃 ひ || シャオ・ルーチェン<br>[[リー・ユー]] <br>リー・グアンリー
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| [[馮
玉祥 ぎょくしょう ]]
軍 ぐん の
将官 しょうかん ||
[[スー・トンルイ
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内務 ないむ 府 ふ 大臣 だいじん || ジャン・シーレン ||
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日本人 にっぽんじん 医師 いし || [[
生田 いくた 朗 あきら ]] || [[
大滝 おおたき 進矢 しんや ]]
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| [[馮
玉祥 ぎょくしょう ]]
軍 ぐん の
将官 しょうかん || スー・トンルイ
| 満州 まんしゅう 国 こく 経済 けいざい 部 ぶ 大臣 だいじん || [[リー・フーシェン]] || ||
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| [[嵯峨 さが 浩 ひろし ]] || [[チェン・シューヤン]] || ||
| 満 まん 洲 しゅう 国 こく 経済 けいざい 部 ぶ 大臣 だいじん || リー ・フー シェ ン ||
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| [[鄭 てい 孝 たかし 胥]] || [[ユー・シホン]] || ||
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| [[張 ちょう 景 けい 恵 めぐみ ]] || [[チェン・シュ]] || [[田村 たむら 錦 にしき 人 じん ]] ||
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| [[袁世凱]] || [[ヤン・パオツォン]] || ||
| [[袁世凱]] || ヤン・パオツォン ||
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| 近衛 このえ 兵隊 へいたい 長 ちょう || [[陳 ひね 凱歌 がいか ]](カメオ出演 しゅつえん ) || ||
| 近衛 このえ 兵隊 へいたい 長 ちょう || [[陳 ひね 凱歌 がいか ]](カメオ出演 しゅつえん ) ||
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| [[昭和 しょうわ 天皇 てんのう ]] || [[チャン・リンムー]] || -<ref group="注 ちゅう ">登場 とうじょう シーンは公開 こうかい 時 じ から全 すべ てカットされた。</ref> ||
| [[昭和 しょうわ 天皇 てんのう ]] || チャン・リンムー || 公開 こうかい 時 じ カット <ref group="注 ちゅう ">登場 とうじょう シーンは公開 こうかい 時 じ から全 すべ てカットされた。</ref>
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| 兵士 へいし || ? || [[秋元 あきもと 羊 ひつじ 介 かい ]] ||
| ナレーション ||{{N/A}} || [[金内 かなうち 吉男 よしお ]]
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不明 ふめい <br>その
他 た || ||
[[納谷 なや 六朗 ろくろう ]]<br>[[大塚 おおつか 芳忠 よしただ ]]<br>[[秋元 あきもと 羊 ひつじ 介 かい ]]<br> [[
大宮 おおみや 悌二 ていじ ]]<br>[[
塚田 つかだ 正 ただし 昭 あきら ]]<br>[[
斎 とき 藤 ふじ 昌 あきら ]]<br>[[
羽村 はむら 京子 きょうこ ]]<br>[[
荒川 あらかわ 太郎 たろう ]]<br>[[
江原 えばら 正 ただし 士 し ]]<br>[[
村松 むらまつ 康雄 やすお ]]<br>[[
寺島 てらしま 幹夫 みきお ]]<br>[[
小島 こじま 敏彦 としひこ ]]<br>梶野 かじの 博司 ひろし <br>[[
井上 いのうえ 和彦 かずひこ (
声優 せいゆう )|
井上 いのうえ 和彦 かずひこ ]]<br>
小森 こもり 彰 あきら <br>[[
有本 ありもと 欽隆]]<br>[[
筈見 はずみ 純 じゅん ]]<br>[[
北村 きたむら 弘一 こういち ]]<br>[[星野 ほしの 充 たかし 昭 あきら ]]<br>[[
鶴 つる ひろみ]]<br>[[
津田 つだ 英三 えいぞう ]]<br>[[
立木 たちき 文彦 ふみひこ ]]<br>[[石田 いしだ 彰 あきら ]]<br>[[
子安 こやす 武人 たけひと ]]<br>
菊 きく 池 いけ 毅 あつし <br>[[岡 おか のりこ ]]
| 看守 かんしゅ || ? || [[大塚 おおつか 芳忠 よしただ ]] ||
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| 看守 かんしゅ || ? || [[星野 ほしの 充 たかし 昭 あきら ]] ||
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| 紅衛兵 こうえいへい || ? || [[石田 いしだ 彰 あきら ]] ||
| colspan="2" |演出 えんしゅつ || [[福永 ふくなが 莞爾 かんじ ]]
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| colspan="2"| 翻訳 ほんやく || 進藤 しんどう 光 ひかり 太 ふとし
| ニュース映画 えいが ナレーション || ? || [[小島 こじま 敏彦 としひこ ]] ||
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| colspan="2"| 効果 こうか || リレーション
| ツアーガイド || ? || [[岡 おか のりこ]] ||
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| colspan="2"| 調整 ちょうせい || 小野 おの 敦志 あつし
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不明 ふめい <br>その
他 た || || [[
大宮 おおみや 悌二 ていじ ]]<br>[[
塚田 つかだ 正 ただし 昭 あきら ]]<br>[[
斉 ひとし 藤 ふじ 昌 あきら ]]<br>[[
羽村 はむら 京子 きょうこ ]]<br>[[
荒川 あらかわ 太郎 たろう ]]<br>[[
江原 えばら 正 ただし 士 し ]]<br>[[
村松 むらまつ 康雄 やすお ]]<br>[[
寺島 てらしま 幹夫 みきお ]]<br>[[
梶野 かじの 博司 ひろし ]]<br>[[
井上 いのうえ 和彦 かずひこ (
声優 せいゆう )|
井上 いのうえ 和彦 かずひこ ]]<br>
[[小森 こもり 彰 あきら ]]<br>[[
有本 ありもと 欽隆]]<br>[[
筈見 はずみ 純 じゅん ]]<br>[[
北村 きたむら 弘一 こういち ]]<br>[[
鶴 つる ひろみ]]<br>[[
津田 つだ 英三 えいぞう ]]<br>[[
立木 たちき 文彦 ふみひこ ]]<br>[[
子安 こやす 武人 たけひと ]]<br>
[[菊 きく 地 ち 毅 あつし ]]
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| ナレーション || || [[金内 かなうち 吉男 よしお ]] ||
| colspan="2" |制作 せいさく || [[東北新社 とうほくしんしゃ ]]
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| colspan="2"|解説 かいせつ ||[[淀川 よどがわ 長治 ながはる ]]
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| colspan="2"|初回 しょかい 放送 ほうそう || [[1989年 ねん ]][[4月 がつ 2日 にち ]]・[[4月 がつ 3日 にち |3日 にち ]]・[[4月 がつ 4日 にち |4日 にち ]]<br />『[[日曜 にちよう 洋画 ようが 劇場 げきじょう ]]』
|}
|}
※日本語 にほんご 吹替はオリジナル全長 ぜんちょう 版 ばん を約 やく 1分 ぶん のカット<ref group="注 ちゅう ">薄儀 はくぎ が収容 しゅうよう 所 しょ でニュース映画 えいが を視聴 しちょう する場面 ばめん で、日本 にっぽん 軍 ぐん の生物 せいぶつ 兵器 へいき 使用 しよう に関 かん する説明 せつめい とアヘン生産 せいさん 工場 こうじょう を説明 せつめい する部分 ぶぶん のみをカットしている。</ref>のみで放送 ほうそう <ref>{{Cite news|author=株式会社 かぶしきがいしゃ スター・チャンネル|title=『ラストエンペラー[オリジナル全長 ぜんちょう 版 ばん ]』1989年 ねん 放送 ほうそう の「日曜 にちよう 洋画 ようが 劇場 げきじょう 」吹替版 ばん <ソフト未 み 収録 しゅうろく >34年 ねん ぶり2度目 どめ の超 ちょう 貴重 きちょう な放送 ほうそう &配信 はいしん が決定 けってい !|publisher=PR TIMES|date=2023-01-19|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000792.000008010.html|accessdate=2023-01-19}}</ref>。
* テレビ朝日 てれびあさひ 版 ばん :初回 しょかい 放送 ほうそう 1989年 ねん 4月 がつ 2日 にち 、3日 にち 、4日 にち 『[[日曜 にちよう 洋画 ようが 劇場 げきじょう ]]』※オリジナル全長 ぜんちょう 版 ばん を本編 ほんぺん ノーカット放送 ほうそう <ref group="注 ちゅう ">「テレビ朝日 てれびあさひ 開局 かいきょく 30周年 しゅうねん 特別 とくべつ 企画 きかく 」として3日間 にちかん に分 わ けて放映 ほうえい 。オリジナル全長 ぜんちょう 版 ばん がテレビ放送 ほうそう されるのは世界 せかい 初 はつ のことであった。</ref>。
: *「テレビ朝日 てれびあさひ 開局 かいきょく 30周年 しゅうねん 特別 とくべつ 企画 きかく 」として3日間 にちかん に分 わ けて放映 ほうえい 。オリジナル全長 ぜんちょう 版 ばん がテレビ放送 ほうそう されるのは世界 せかい 初 はつ のことであった。
:*キングレコード発売 はつばい の特別 とくべつ 盤 ばん BDには、正味 しょうみ 約 やく 140分 ふん 程度 ていど の短縮 たんしゅく 版 ばん を収録 しゅうろく <ref>{{Cite web|和書 わしょ |url=https://www.kingrecords.co.jp/cs/g/gKIXF-847/|title=ラストエンペラー 特別 とくべつ 版 ばん 映画 えいが (ビデオ) KING RECORDS OFFICIAL SITE|accessdate=2023-1-23 }}</ref>。また、2023年 ねん 2月 がつ 以前 いぜん のテレビ朝日 てれびあさひ 版 ばん での放送 ほうそう においても短縮 たんしゅく 版 ばん を使用 しよう していた。
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※日本語 にほんご 吹替は上記 じょうき の
他 た 、デニス・ダン
を [[
田中 たなか 亮一 りょういち ]]
が吹 ふ き替 か えたものもある <ref>[https://www.aoni.co.jp/search/tanaka-ryoichi.html
株式会社 かぶしきがいしゃ 青 あお 二 に プロダクションによる
公式 こうしき プロフィール] </ref>
。
== スタッフ ==
== スタッフ ==
201行 ぎょう 目 め :
223行 ぎょう 目 め :
* 衣装 いしょう :[[ジェームズ・アチソン|ジェーム<ins>ズ</ins>・ア<ins>チ</ins>ソン]]
* 衣装 いしょう :[[ジェームズ・アチソン|ジェーム<ins>ズ</ins>・ア<ins>チ</ins>ソン]]
* 制作 せいさく 協力 きょうりょく :李 り 文 ぶん 達 たち ([[愛 あい 新 しん 覚 さとし 羅 ら 溥儀 ふぎ |溥儀 ふぎ ]]の自伝 じでん 『わが半生 はんせい 』の共著 きょうちょ 者 しゃ )、[[愛 あい 新 しん 覚 さとし 羅 ら 溥傑]]、郭 かく 布 ぬの 羅 ら 潤 じゅん 麒([[婉容]]の実弟 じってい )、[[愛 あい 新 しん 覚 さとし 羅 ら 毓セン|愛 あい 新 しん 覚 さとし 羅 ら 毓{{lang|zh|嶦}}]]
* 制作 せいさく 協力 きょうりょく :李 り 文 ぶん 達 たち ([[愛 あい 新 しん 覚 さとし 羅 ら 溥儀 ふぎ |溥儀 ふぎ ]]の自伝 じでん 『わが半生 はんせい 』の共著 きょうちょ 者 しゃ )、[[愛 あい 新 しん 覚 さとし 羅 ら 溥傑]]、郭 かく 布 ぬの 羅 ら 潤 じゅん 麒([[婉容]]の実弟 じってい )、[[愛 あい 新 しん 覚 さとし 羅 ら 毓セン|愛 あい 新 しん 覚 さとし 羅 ら 毓{{lang|zh|嶦}}]]
=== 日本語 にほんご 版 ばん ===
'''テレビ朝日 てれびあさひ 版 ばん '''
* 演出 えんしゅつ :[[福永 ふくなが 莞爾 かんじ ]]
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* 効果 こうか :リレーション
/東上 とうじょう 別 べつ 符 ふ 精 せい
* 制作 せいさく :[[東北新社 とうほくしんしゃ ]]
== 評価 ひょうか ==
== 評価 ひょうか ==
1987年度 ねんど の[[アカデミー賞 しょう ]]では『[[恋 こい の手 て ほどき]]』以来 いらい となる、ノミネートされた9部門 ぶもん ([[アカデミー作品 さくひん 賞 しょう |作品 さくひん 賞 しょう ]]<ref name="movie">[[#外部 がいぶ リンク|外部 がいぶ リンクに映像 えいぞう ]]</ref>、[[アカデミー監督 かんとく 賞 しょう |監督 かんとく 賞 しょう ]]<ref name="movie"/>、[[アカデミー撮影 さつえい 賞 しょう |撮影 さつえい 賞 しょう ]]、[[アカデミー脚色 きゃくしょく 賞 しょう |脚色 きゃくしょく 賞 しょう ]]、[[アカデミー編集 へんしゅう 賞 しょう |編集 へんしゅう 賞 しょう ]]、[[アカデミー録音 ろくおん 賞 しょう |録音 ろくおん 賞 しょう ]]、[[アカデミー衣裳 いしょう デザイン賞 しょう |衣裳 いしょう デザイン賞 しょう ]]、[[アカデミー美術 びじゅつ 賞 しょう |美術 びじゅつ 賞 しょう ]]、[[アカデミー作曲 さっきょく 賞 しょう |作曲 さっきょく 賞 しょう ]]<ref name="movie"/>)全 すべ てでの受賞 じゅしょう を達成 たっせい した。
1987年度 ねんど の[[アカデミー賞 しょう ]]では『[[恋 こい の手 て ほどき]]』以来 いらい となる、ノミネートされた9部門 ぶもん ([[アカデミー作品 さくひん 賞 しょう |作品 さくひん 賞 しょう ]]<ref name="movie">[[#外部 がいぶ リンク|外部 がいぶ リンクに映像 えいぞう ]]</ref>、[[アカデミー監督 かんとく 賞 しょう |監督 かんとく 賞 しょう ]]<ref name="movie"/>、[[アカデミー撮影 さつえい 賞 しょう |撮影 さつえい 賞 しょう ]]、[[アカデミー脚色 きゃくしょく 賞 しょう |脚色 きゃくしょく 賞 しょう ]]、[[アカデミー編集 へんしゅう 賞 しょう |編集 へんしゅう 賞 しょう ]]、[[アカデミー録音 ろくおん 賞 しょう |録音 ろくおん 賞 しょう ]]、[[アカデミー衣裳 いしょう デザイン賞 しょう |衣裳 いしょう デザイン賞 しょう ]]、[[アカデミー美術 びじゅつ 賞 しょう |美術 びじゅつ 賞 しょう ]]、[[アカデミー作曲 さっきょく 賞 しょう |作曲 さっきょく 賞 しょう ]]<ref name="movie"/>)全 すべ てでの受賞 じゅしょう を達成 たっせい した{{R|imdb awards}} 。
特 とく に[[日本 にっぽん ]]においては、溥儀 ふぎ や満 まん 州 しゅう 国 くに という日本人 にっぽんじん にとって非常 ひじょう に近 ちか い題材 だいざい を描 えが いた内容 ないよう であったことで幅広 はばひろ い年齢 ねんれい 層 そう を引 ひ きつけたことと、[[高松 たかまつ 英郎 ひでお ]]や[[立花 たちばな ハジメ]]などの日本人 にっぽんじん 俳優 はいゆう が多 おお く出演 しゅつえん し、さらに甘粕 あまかす 正彦 まさひこ 役 やく 兼 けん 音楽 おんがく プロデューサーとして参加 さんか した坂本 さかもと 龍一 りゅういち が、日本人 にっぽんじん として初 はじ めてアカデミー賞 しょう 作曲 さっきょく 賞 しょう を受賞 じゅしょう <ref name="movie"/>したことなど、様々 さまざま な要因 よういん が大 だい ヒットに繋 つな がった。
特 とく に[[日本 にっぽん ]]においては、溥儀 ふぎ や満 まん 洲 しま 国 くに という日本人 にっぽんじん にとって非常 ひじょう に近 ちか い題材 だいざい を描 えが いた内容 ないよう であったことで幅広 はばひろ い年齢 ねんれい 層 そう を引 ひ きつけたことと、[[高松 たかまつ 英郎 ひでお ]]や[[立花 たちばな ハジメ]]などの日本人 にっぽんじん 俳優 はいゆう が多 おお く出演 しゅつえん し、さらに甘粕 あまかす 正彦 まさひこ 役 やく 兼 けん 音楽 おんがく プロデューサーとして参加 さんか した坂本 さかもと 龍一 りゅういち が、日本人 にっぽんじん として初 はじ めてアカデミー賞 しょう 作曲 さっきょく 賞 しょう を受賞 じゅしょう <ref name="movie"/>したことなど、様々 さまざま な要因 よういん が大 だい ヒットに繋 つな がった。
==事実 じじつ との相違 そうい 点 てん ==
==事実 じじつ との相違 そうい 点 てん ==
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* 溥儀 ふぎ が紫 むらさき 禁城 きんじょう から城 しろ 外 がい へ出 で ようと屋根 やね に上 のぼ った際 さい に頭 あたま を打 う ち、これをきっかけにメガネをかけるようになったのは史実 しじつ ではない。
* 溥儀 ふぎ が紫 むらさき 禁城 きんじょう から城 しろ 外 がい へ出 で ようと屋根 やね に上 のぼ った際 さい に頭 あたま を打 う ち、これをきっかけにメガネをかけるようになったのは史実 しじつ ではない。
* 婉容が川島 かわしま 芳子 よしこ と同性愛 どうせいあい 関係 かんけい にあったように描 えが かれているが、このような事実 じじつ はない。
* 婉容が川島 かわしま 芳子 よしこ と同性愛 どうせいあい 関係 かんけい にあったように描 えが かれているが、このような事実 じじつ はない。
* ジョンストンが帰国 きこく する際 さい 、溥儀 ふぎ が自 みずか ら天津 てんしん 港 こう まで見送 みおく った事実 じじつ はない。史実 しじつ では、ジョンストンが天津 てんしん の溥儀 ふぎ 寓居 ぐうきょ 「静 せい 園 えん 」を訪 おとず れ暇乞 いとまご いをした。
* ジョンストンが帰国 きこく する際 さい 、溥儀 ふぎ が自 みずか ら天津 てんしん 港 こう まで見送 みおく った事実 じじつ はない。史実 しじつ では、ジョンストンが天津 てんしん の溥儀 ふぎ 寓居 ぐうきょ 「静 せい 園 えん 」を訪 おとず れ暇乞 いとまご いをした。なおその後 ご も溥儀 ふぎ とジョンストンは再会 さいかい している 。
* 満 みつる 州 しゅう 国 くに 建国 けんこく 時 じ 、溥儀 ふぎ は執政 しっせい に就任 しゅうにん し、2年 とし 後 ご に皇帝 こうてい に即位 そくい したが、この史実 しじつ は省略 しょうりゃく されている。
* 満 みつる 洲 しま 国 くに 建国 けんこく 時 じ 、溥儀 ふぎ は執政 しっせい に就任 しゅうにん し、2 年 とし 後 ご に皇帝 こうてい に即位 そくい したが、この史実 しじつ は省略 しょうりゃく されている。
* 史実 しじつ の[[嵯峨 さが 浩 ひろし ]]は溥儀 ふぎ の満 まん 州 しゅう 国 くに 皇帝 こうてい 即位 そくい 関連 かんれん 行事 ぎょうじ に参列 さんれつ していない。即位 そくい 式 しき は[[1934年 ねん ]]に挙行 きょこう され、溥傑と浩 ひろし の結婚 けっこん は[[1937年 ねん ]]。
* 史実 しじつ の[[嵯峨 さが 浩 ひろし ]]は溥儀 ふぎ の満 まん 洲 しま 国 くに 皇帝 こうてい 即位 そくい 関連 かんれん 行事 ぎょうじ に参列 さんれつ していない。即位 そくい 式 しき は[[1934年 ねん ]]に挙行 きょこう され、溥傑と浩 ひろし の結婚 けっこん は[[1937年 ねん ]]。
* 舞踏 ぶとう 会 かい シーンを撮影 さつえい した[[満 みつる 州 しゅう 国 くに 皇宮 こうぐう ]]の同 どう 徳 いさお 殿 どの は[[1938年 ねん ]]竣工 しゅんこう で、溥儀 ふぎ の即位 そくい 当時 とうじ には存在 そんざい しない。
* 舞踏 ぶとう 会 かい シーンを撮影 さつえい した[[満 みつる 洲 しま 国 くに 皇宮 こうぐう ]]の同 どう 徳 いさお 殿 どの は[[1938年 ねん ]]竣工 しゅんこう で、溥儀 ふぎ の即位 そくい 当時 とうじ には存在 そんざい しない。
* 甘粕 あまかす 正彦 まさひこ は[[隻腕 せきわん ]]となっているが、実際 じっさい は両 りょう 腕 うで ともあった。隻腕 せきわん という設定 せってい は監督 かんとく の発案 はつあん によるもので、坂本 さかもと は右腕 うわん を背中 せなか に縛 しば り付 つ けての撮影 さつえい であった。
* 甘粕 あまかす 正彦 まさひこ は[[隻腕 せきわん ]]となっているが、実際 じっさい は両 りょう 腕 うで ともあった。隻腕 せきわん という設定 せってい は監督 かんとく の発案 はつあん によるもので、坂本 さかもと は右腕 うわん を背中 せなか に縛 しば り付 つ けての撮影 さつえい であった。
* 甘粕 あまかす 正彦 まさひこ が溥儀 ふぎ の監視 かんし 役 やく となっているが、実際 じっさい この役目 やくめ は吉岡 よしおか 安直 あんちょく が行 おこな っていた。
* 甘粕 あまかす 正彦 まさひこ が溥儀 ふぎ の監視 かんし 役 やく となっているが、実際 じっさい この役目 やくめ は吉岡 よしおか 安直 あんちょく が行 おこな っていた。
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* [[張 ちょう 景 けい 恵 めぐみ ]]は[[麻薬 まやく ]]取引 とりひき に暗躍 あんやく した実績 じっせき を買 か われて国務 こくむ 総理 そうり 大臣 だいじん になったという設定 せってい だが、このような事実 じじつ はない。
* [[張 ちょう 景 けい 恵 めぐみ ]]は[[麻薬 まやく ]]取引 とりひき に暗躍 あんやく した実績 じっせき を買 か われて国務 こくむ 総理 そうり 大臣 だいじん になったという設定 せってい だが、このような事実 じじつ はない。
* 婉容の出産 しゅっさん した娘 むすめ は誕生 たんじょう 後 ご すぐに注射 ちゅうしゃ 器 き で毒殺 どくさつ されているが、史実 しじつ では溥儀 ふぎ の命 いのち を受 う けた従者 じゅうしゃ がボイラーに放 ほう り込 こ んで殺害 さつがい していた。
* 婉容の出産 しゅっさん した娘 むすめ は誕生 たんじょう 後 ご すぐに注射 ちゅうしゃ 器 き で毒殺 どくさつ されているが、史実 しじつ では溥儀 ふぎ の命 いのち を受 う けた従者 じゅうしゃ がボイラーに放 ほう り込 こ んで殺害 さつがい していた。
* 婉容が出産 しゅっさん 後 ご 、療養 りょうよう と称 しょう して帝 みかど 宮 みや から連 つ れ出 だ されるが、史実 しじつ では満 まん 州 しゅう 国 くに 崩壊 ほうかい まで帝 みかど 宮 みや で生活 せいかつ していた。
* 婉容が出産 しゅっさん 後 ご 、療養 りょうよう と称 しょう して帝 みかど 宮 みや から連 つ れ出 だ されるが、史実 しじつ では満 まん 洲 しま 国 くに 崩壊 ほうかい まで帝 みかど 宮 みや で生活 せいかつ していた。
* 溥傑は溥儀 ふぎ の釈放 しゃくほう の翌年 よくねん に戦犯 せんぱん 刑務所 けいむしょ より出所 しゅっしょ したが、このことには触 ふ れられていない。
* 溥傑は溥儀 ふぎ の釈放 しゃくほう の翌年 よくねん に戦犯 せんぱん 刑務所 けいむしょ より出所 しゅっしょ し、自由 じゆう に面会 めんかい でき たがこのことには触 ふ れられていない。
* 晩年 ばんねん の溥儀 ふぎ が[[中国 ちゅうごく 人民 じんみん 政治 せいじ 協商 きょうしょう 会議 かいぎ ]]全国 ぜんこく 委員 いいん を務 つと めたことには一切 いっさい 触 ふ れられず、庭師 にわし として死 し んだことになっている。
* 釈放 しゃくほう 後 ご の1960年 ねん に 溥儀 ふぎ が政 せい 協 きょう 第 だい 4期 き 文 ぶん 史 し 研究 けんきゅう 委員 いいん 会 かい 専門 せんもん 委員 いいん や [[中国 ちゅうごく 人民 じんみん 政治 せいじ 協商 きょうしょう 会議 かいぎ ]]全国 ぜんこく 委員 いいん ([[国会 こっかい 議員 ぎいん ]]に相当 そうとう ) を務 つと めたことには一切 いっさい 触 ふ れられず、北京 ぺきん 植物 しょくぶつ 園 えん の庭師 にわし として死 し んだことになっている。
== エピソード ==
== エピソード ==
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* 溥儀 ふぎ の即位 そくい 式 しき では[[満 まん 洲 しゅう 語 ご ]]が用 もち いられている。
* 溥儀 ふぎ の即位 そくい 式 しき では[[満 まん 洲 しゅう 語 ご ]]が用 もち いられている。
* 甘粕 あまかす 正彦 まさひこ 役 やく 兼 けん 音楽 おんがく プロデューサーで坂本 さかもと 龍一 りゅういち <ref group="注 ちゅう ">[[1988年 ねん ]]に坂本 さかもと 龍一 りゅういち が[[東京 とうきょう ]]などで同 どう 作品 さくひん をテーマにしたコンサートを開催 かいさい している。</ref>が参加 さんか 。坂本 さかもと がベルトルッチ監督 かんとく から音楽 おんがく についてのオファーを請 う けるのは、撮影 さつえい が終了 しゅうりょう して半年 はんとし も後 ご のことだった。
* 甘粕 あまかす 正彦 まさひこ 役 やく 兼 けん 音楽 おんがく プロデューサーで坂本 さかもと 龍一 りゅういち <ref group="注 ちゅう ">[[1988年 ねん ]]に坂本 さかもと 龍一 りゅういち が[[東京 とうきょう ]]などで同 どう 作品 さくひん をテーマにしたコンサートを開催 かいさい している。</ref>が参加 さんか 。坂本 さかもと がベルトルッチ監督 かんとく から音楽 おんがく についてのオファーを請 う けるのは、撮影 さつえい が終了 しゅうりょう して半年 はんとし も後 ご のことだった。
* キャストとして[[昭和 しょうわ 天皇 てんのう ]]が登場 とうじょう する想定 そうてい で撮影 さつえい が進 すす められ、来日 らいにち した溥儀 ふぎ を東京 とうきょう 駅 えき ホームで出迎 でむか える大 だい 礼服 れいふく 姿 すがた や溥儀 ふぎ と対面 たいめん する後 うし ろ姿 すがた のシーンがスチール写真 しゃしん に残 のこ されているが、公開 こうかい 版 ばん 、ディレクターズカット版 ばん とも登場 とうじょう シーンは全 すべ てカットされた。
* キャストとして[[昭和 しょうわ 天皇 てんのう ]]が登場 とうじょう する想定 そうてい で撮影 さつえい が進 すす められ<ref>{{Cite web|和書 わしょ |author=吉川 よしかわ 慧 とし |url=https://www.buzzfeed.com/jp/keiyoshikawa/rasutoenperakarasaretanosinberutoruttigasitatoha|title=「ラストエンペラー」から消 け された“幻 まぼろし のシーン”とは|website=BuzzFeed|publisher=[[BuzzFeed Japan]]|date=2018-11-27|accessdate=2023-05-20}}</ref> 、来日 らいにち した溥儀 ふぎ を東京 とうきょう 駅 えき ホームで出迎 でむか える大 だい 礼服 れいふく 姿 すがた や溥儀 ふぎ と対面 たいめん する後 うし ろ姿 すがた のシーンがスチール写真 しゃしん に残 のこ されているが、公開 こうかい 版 ばん 、ディレクターズカット版 ばん とも登場 とうじょう シーンは全 すべ てカットされた。
* 日本 にっぽん での劇場 げきじょう 公開 こうかい に際 さい しては、配給 はいきゅう 元 もと の[[松竹 しょうちく 富士 ふじ ]]が「溥儀 ふぎ が中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく の収容 しゅうよう 所 しょ で、『日本 にっぽん 軍 ぐん が行 おこな った生体 せいたい 実験 じっけん 』『日本 にっぽん 軍 ぐん が軍費 ぐんぴ にしたアヘン生産 せいさん 工場 こうじょう 』『日本 にっぽん 軍 ぐん による[[南京 なんきん 事件 じけん |南京 なんきん 大 だい 虐殺 ぎゃくさつ ]]』<ref group="注 ちゅう ">その映像 えいぞう 自体 じたい は実際 じっさい の南京 なんきん 大 だい 虐殺 ぎゃくさつ の映像 えいぞう ではなく、国共 こっきょう 内戦 ないせん 時 じ の映像 えいぞう や他 た の映画 えいが のシーン。</ref>のニュースフィルムを見 み せられるシーン」を問題 もんだい 視 し し、ベルトルッチ監督 かんとく に削除 さくじょ を依頼 いらい した<!-- <ref name="asahi19889124" /> -->。しかし、ベルトルッチが前者 ぜんしゃ 2場面 ばめん しかカットしなかったため、日本 にっぽん 側 がわ は「南京 なんきん 大 だい 虐殺 ぎゃくさつ のシーン」をベルトルッチ監督 かんとく に無断 むだん でカットした<!-- <ref name="asahi19889124" /> -->。宣伝 せんでん 試写 ししゃ 会 かい を見 み た映画 えいが 人 じん がベルトルッチに連絡 れんらく し、そのためベルトルッチ監督 かんとく から抗議 こうぎ され、公開 こうかい する作品 さくひん は監督 かんとく 修正 しゅうせい 版 ばん にするとの条件 じょうけん がついた<ref name="asahi19889124">『シネフロント』136号 ごう 、p.28(朝日新聞 あさひしんぶん 、1988年 ねん 1月 がつ 24日 にち 分 ぶん の記事 きじ の引用 いんよう )</ref>。
* 日本 にっぽん での劇場 げきじょう 公開 こうかい に際 さい しては、配給 はいきゅう 元 もと の[[松竹 しょうちく 富士 ふじ ]]が「溥儀 ふぎ が中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく の収容 しゅうよう 所 しょ で、『日本 にっぽん 軍 ぐん が行 おこな った生体 せいたい 実験 じっけん 』『日本 にっぽん 軍 ぐん が軍費 ぐんぴ にしたアヘン生産 せいさん 工場 こうじょう 』『日本 にっぽん 軍 ぐん による[[南京 なんきん 事件 じけん |南京 なんきん 大 だい 虐殺 ぎゃくさつ ]]』<ref group="注 ちゅう ">その映像 えいぞう 自体 じたい は実際 じっさい の南京 なんきん 大 だい 虐殺 ぎゃくさつ の映像 えいぞう ではなく、国共 こっきょう 内戦 ないせん 時 じ の映像 えいぞう や他 た の映画 えいが のシーン。</ref>のニュースフィルムを見 み せられるシーン」を問題 もんだい 視 し し、ベルトルッチ監督 かんとく に削除 さくじょ を依頼 いらい した<!-- <ref name="asahi19889124" /> -->。しかし、ベルトルッチが前者 ぜんしゃ 2場面 ばめん しかカットしなかったため、日本 にっぽん 側 がわ は「南京 なんきん 大 だい 虐殺 ぎゃくさつ のシーン」をベルトルッチ監督 かんとく に無断 むだん でカットした<!-- <ref name="asahi19889124" /> -->。宣伝 せんでん 試写 ししゃ 会 かい を見 み た映画 えいが 人 じん がベルトルッチに連絡 れんらく し、そのためベルトルッチ監督 かんとく から激怒 げきど され、松竹 しょうちく 富士 ふじ はベルトルッチ 監督 かんとく の条件 じょうけん を呑 の んだ <ref name="asahi19889124">『シネフロント』136号 ごう 、p.28(朝日新聞 あさひしんぶん 、1988年 ねん 1月 がつ 24日 にち 分 ぶん の記事 きじ の引用 いんよう )</ref>。
== ロケ地 ち ・撮影 さつえい スタジオ ==
== ロケ地 ち ・撮影 さつえい スタジオ ==
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* [[頤和園 えん ]]:紫 むらさき 禁城 きんじょう 内 ない の庭園 ていえん 場面 ばめん
* [[頤和園 えん ]]:紫 むらさき 禁城 きんじょう 内 ない の庭園 ていえん 場面 ばめん
* 北京 ぺきん 電 でん 影 かげ 制 せい 片 へん 廠 しょう :醇 あつし 親王 しんのう 府 ふ 、西 にし 太 ふとし 后 きさき 寝所 ねどこ のセット
* 北京 ぺきん 電 でん 影 かげ 制 せい 片 へん 廠 しょう :醇 あつし 親王 しんのう 府 ふ 、西 にし 太 ふとし 后 きさき 寝所 ねどこ のセット
* [[満 みつる 州 しゅう 国 くに 皇宮 こうぐう ]]同 どう 徳 いさお 殿 どの ・萊薰門 もん :満 みつる 州 しゅう 国 くに 宮廷 きゅうてい (舞踏 ぶとう 会 かい 会場 かいじょう となる玄関 げんかん 大広間 おおひろま )
* [[満 みつる 洲 しま 国 くに 皇宮 こうぐう ]]同 どう 徳 いさお 殿 どの ・萊薰門 もん :満 みつる 洲 しま 国 くに 宮廷 きゅうてい (舞踏 ぶとう 会 かい 会場 かいじょう となる玄関 げんかん 大広間 おおひろま )
* [[大連 たいれん 港 こう ]]第 だい 二 に 埠頭 ふとう 船客 せんきゃく 待合 まちあい 所 しょ :天津 てんしん 港 こう でのジョンストンとの離別 りべつ 場面 ばめん
* [[大連 たいれん 港 こう ]]第 だい 二 に 埠頭 ふとう 船客 せんきゃく 待合 まちあい 所 しょ :天津 てんしん 港 こう でのジョンストンとの離別 りべつ 場面 ばめん
* [[大連 たいれん 中山 ちゅうざん 広場 ひろば ]]:天津 てんしん の夜景 やけい (背景 はいけい は旧 きゅう 横浜 よこはま 正金 しょうきん 銀行 ぎんこう 大連 たいれん 支店 してん )
* [[大連 たいれん 中山 ちゅうざん 広場 ひろば ]]:天津 てんしん の夜景 やけい (背景 はいけい は旧 きゅう 横浜 よこはま 正金 しょうきん 銀行 ぎんこう 大連 たいれん 支店 してん )
* [[チネチッタ]]:[[撫 なで 順 じゅん 戦犯 せんぱん 管理 かんり 所 しょ ]]、満 みつる 州 しゅう 国 くに 宮廷 きゅうてい (御前 ごぜん 会議 かいぎ 室 しつ ・皇帝 こうてい 執務 しつむ 室 しつ ・大 だい 食堂 しょくどう )のセット
* [[チネチッタ]]:[[撫 なで 順 じゅん 戦犯 せんぱん 管理 かんり 所 しょ ]]、満 みつる 洲 しま 国 くに 宮廷 きゅうてい (御前 ごぜん 会議 かいぎ 室 しつ ・皇帝 こうてい 執務 しつむ 室 しつ ・大 だい 食堂 しょくどう )のセット
* {{仮 かり リンク|パラッツォ・デイ・コングレッシ|it|Palazzo dei Congressi (Salsomaggiore Terme)}}:天津 てんしん のダンスパーティー会場 かいじょう
* {{仮 かり リンク|パラッツォ・デイ・コングレッシ|it|Palazzo dei Congressi (Salsomaggiore Terme)}}:天津 てんしん のダンスパーティー会場 かいじょう
* 北海 ほっかい 植物 しょくぶつ 園 えん :溥儀 ふぎ が勤務 きんむ する植物 しょくぶつ 園 えん
* 北海 ほっかい 植物 しょくぶつ 園 えん :溥儀 ふぎ が勤務 きんむ する植物 しょくぶつ 園 えん
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== 受賞 じゅしょう ==
== 受賞 じゅしょう ==
* [[第 だい 60回 かい アカデミー賞 しょう ]]:[[アカデミー作品 さくひん 賞 しょう |作品 さくひん 賞 しょう ]]<ref name="movie">[[#外部 がいぶ リンク|外部 がいぶ リンクに映像 えいぞう ]]</ref>、[[アカデミー監督 かんとく 賞 しょう |監督 かんとく 賞 しょう ]]<ref name="movie"/>、[[アカデミー撮影 さつえい 賞 しょう |撮影 さつえい 賞 しょう ]]、[[アカデミー脚色 きゃくしょく 賞 しょう |脚色 きゃくしょく 賞 しょう ]]、[[アカデミー編集 へんしゅう 賞 しょう |編集 へんしゅう 賞 しょう ]]、[[アカデミー録音 ろくおん 賞 しょう |録音 ろくおん 賞 しょう ]]、[[アカデミー衣裳 いしょう デザイン賞 しょう |衣裳 いしょう デザイン賞 しょう ]]、[[アカデミー美術 びじゅつ 賞 しょう |美術 びじゅつ 賞 しょう ]]、[[アカデミー作曲 さっきょく 賞 しょう |作曲 さっきょく 賞 しょう ]]<ref name="movie"/>
* [[第 だい 60回 かい アカデミー賞 しょう ]]{{R|imdb awards}} :[[アカデミー作品 さくひん 賞 しょう |作品 さくひん 賞 しょう ]]<ref name="movie">[[#外部 がいぶ リンク|外部 がいぶ リンクに映像 えいぞう ]]</ref>、[[アカデミー監督 かんとく 賞 しょう |監督 かんとく 賞 しょう ]]<ref name="movie"/>、[[アカデミー撮影 さつえい 賞 しょう |撮影 さつえい 賞 しょう ]]、[[アカデミー脚色 きゃくしょく 賞 しょう |脚色 きゃくしょく 賞 しょう ]]、[[アカデミー編集 へんしゅう 賞 しょう |編集 へんしゅう 賞 しょう ]]、[[アカデミー録音 ろくおん 賞 しょう |録音 ろくおん 賞 しょう ]]、[[アカデミー衣裳 いしょう デザイン賞 しょう |衣裳 いしょう デザイン賞 しょう ]]、[[アカデミー美術 びじゅつ 賞 しょう |美術 びじゅつ 賞 しょう ]]、[[アカデミー作曲 さっきょく 賞 しょう |作曲 さっきょく 賞 しょう ]]<ref name="movie"/>
* 第 だい 45回 かい [[ゴールデングローブ賞 しょう 作品 さくひん 賞 しょう (ドラマ部門 ぶもん )|ゴールデン・グローブ賞 しょう :ドラマ部門 ぶもん 作品 さくひん 賞 しょう ]]、[[ゴールデングローブ賞 しょう 監督 かんとく 賞 しょう |監督 かんとく 賞 しょう ]]、[[ゴールデングローブ賞 しょう 脚本 きゃくほん 賞 しょう |脚本 きゃくほん 賞 しょう ]]、[[ゴールデングローブ賞 しょう 作曲 さっきょく 賞 しょう |作曲 さっきょく 賞 しょう ]]
* 第 だい 45回 かい [[ゴールデン・グローブ賞 しょう ]]{{R|imdb awards}}: [[ゴールデングローブ賞 しょう 作品 さくひん 賞 しょう (ドラマ部門 ぶもん )|ドラマ部門 ぶもん 作品 さくひん 賞 しょう ]]、[[ゴールデングローブ賞 しょう 監督 かんとく 賞 しょう |監督 かんとく 賞 しょう ]]、[[ゴールデングローブ賞 しょう 脚本 きゃくほん 賞 しょう |脚本 きゃくほん 賞 しょう ]]、[[ゴールデングローブ賞 しょう 作曲 さっきょく 賞 しょう |作曲 さっきょく 賞 しょう ]]
== テーマパーク ==
== テーマパーク ==
* [[栃木 とちぎ 県 けん ]]の[[テーマパーク]]「[[東武 とうぶ ワールドスクウェア]]」では、1/25サイズで作 つく られた故 こ 宮 みや で映画 えいが の撮影 さつえい 風景 ふうけい を再現 さいげん している。
* [[栃木 とちぎ 県 けん ]]の[[テーマパーク]]「[[東武 とうぶ ワールドスクウェア]]」では、1/25サイズで作 つく られた故 こ 宮 みや で映画 えいが の撮影 さつえい 風景 ふうけい を再現 さいげん している<ref>{{Cite web|和書 わしょ |url=https://www.tobuws.co.jp/exhibit/worldheritage/asia_zone/forbidden_city.html|title=故 こ 宮 みや |website=東武 とうぶ ワールドスクウェア|accessdate=2023-05-22}}</ref> 。
==関連 かんれん 書籍 しょせき ==
==関連 かんれん 書籍 しょせき ==
* 写真 しゃしん 集 しゅう 『ラストエンペラー』 [[坂本 さかもと 龍一 りゅういち ]]編 へん 本 ほん 本堂 ほんどう 、1988年 ねん 4月 がつ
* 写真 しゃしん 集 しゅう 『ラストエンペラー』 [[坂本 さかもと 龍一 りゅういち ]]編 へん 本 ほん 本堂 ほんどう 、[[ 1988年 ねん ]] 4月 がつ <ref>{{Cite tweet|author=東京 とうきょう 印 しるし 書 しょ 館 かん |user=t_inshokan|number=1643871964229140480|title=#坂本 さかもと 龍一 りゅういち 氏 し に関 かん する大変 たいへん 貴重 きちょう なものが、当社 とうしゃ のアーカイブから発見 はっけん されました。坂本 さかもと 龍一 りゅういち 氏 し が編集 へんしゅう した #写真 しゃしん 集 しゅう 『#ラストエンペラー』です。|date=2023-04-06|accessdate=2023-05-20}}</ref>
== 脚注 きゃくちゅう ==
== 脚注 きゃくちゅう ==
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[[Category:紫 むらさき 禁城 きんじょう を題材 だいざい とした作品 さくひん ]]
[[Category:紫 むらさき 禁城 きんじょう を題材 だいざい とした作品 さくひん ]]
[[Category:長春 ちょうしゅん を舞台 ぶたい とした作品 さくひん ]]
[[Category:長春 ちょうしゅん を舞台 ぶたい とした作品 さくひん ]]
[[Category:吉林 きつりん 省 しょう を舞台 ぶたい とした映画 えいが 作品 さくひん ]]
[[Category:ベルナルド・ベルトルッチの監督 かんとく 映画 えいが ]]
[[Category:ベルナルド・ベルトルッチの監督 かんとく 映画 えいが ]]
[[Category:アカデミー賞 しょう 作品 さくひん 賞 しょう 受賞 じゅしょう 作 さく ]]
[[Category:アカデミー賞 しょう 作品 さくひん 賞 しょう 受賞 じゅしょう 作 さく ]]
『ラストエンペラー 』(英 えい : The Last Emperor 、中 なか : 末代 まつだい 皇帝 こうてい 、伊 い : L'ultimo imperatore )は、1987年 ねん 公開 こうかい のイタリア ・中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく ・イギリス ・フランス ・アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく の合作 がっさく による[7] [8] 、清朝 せいちょう 最後 さいご の皇帝 こうてい で後 のち に満 まん 洲 しゅう 国 こく 皇帝 こうてい となった愛 あい 新 しん 覚 さとし 羅 ら 溥儀 ふぎ の生涯 しょうがい を描 えが いた叙事詩 じょじし 的 てき 映画 えいが ・歴史 れきし 映画 えいが である。
溥儀 ふぎ の自伝 じでん 『わが半生 はんせい 』を原作 げんさく に、ベルナルド・ベルトルッチ が監督 かんとく 、脚本 きゃくほん を兼任 けんにん した。メインキャストである溥儀 ふぎ の青年 せいねん 時 じ 以降 いこう の役 やく は、香港 ほんこん 生 う まれの中国 ちゅうごく 系 けい アメリカ 人 ひと 俳優 はいゆう のジョン・ローン が演 えん じた。
西 にし 太 ふとし 后 きさき による溥儀 ふぎ に対 たい する清朝 せいちょう 皇帝 こうてい 指名 しめい と崩御 ほうぎょ を描 えが く1908年 ねん からスタートし、所々 ところどころ に第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 のち に建国 けんこく された中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく での「戦犯 せんぱん 」収容 しゅうよう 所 しょ での尋問 じんもん 場面 ばめん を挟 はさ みつつ、中華民国 ちゅうかみんこく の下 した での皇帝 こうてい と、日本 にっぽん の協力 きょうりょく を得 え て満 まん 洲 しゅう 国 こく の皇帝 こうてい になり、退位 たいい しソビエト連邦 れんぽう に抑留 よくりゅう された後 のち 、文化 ぶんか 大 だい 革命 かくめい のさなかに一 いち 市民 しみん として死去 しきょ する1967年 ねん までの出来事 できごと をメインに溥儀 ふぎ の人生 じんせい を描 えが く。
歴史 れきし 的 てき 事実 じじつ には重 おも きをおいておらず、大胆 だいたん な創作 そうさく が随所 ずいしょ に盛 も り込 こ まれている。清朝 せいちょう 及 およ び満 まん 洲 しゅう 国 こく を舞台 ぶたい にした映画 えいが であるが、中国 ちゅうごく 系 けい アメリカ人 じん 俳優 はいゆう が主 おも なキャストを占 し めており、主 おも な台詞 せりふ は英語 えいご であるなど、独自 どくじ の脚色 きゃくしょく も多 おお い。
故 こ 宮 みや で世界 せかい 初 はつ のロケーションを行 おこな われたことが公開 こうかい 前 まえ から大 おお きな話題 わだい を呼 よ んだ。観光 かんこう 名所 めいしょ として一 いち 日 にち 5万 まん 人 にん が訪 おとず れる故 こ 宮 みや を、中国共産党 ちゅうごくきょうさんとう 政府 せいふ の全面 ぜんめん 協力 きょうりょく により数 すう 週間 しゅうかん 借 か り切 き って撮影 さつえい が行 おこな われた。色彩 しきさい 感覚 かんかく 豊 ゆた かなベルトルッチの映像 えいぞう 美 び は圧巻 あっかん の一語 いちご に尽 つ きると高 たか い評価 ひょうか を受 う けた。特 とく に故 こ 宮 みや 太 ふとし 和 かず 殿 どの での即位 そくい 式 しき の荘厳 しょうごん 、華麗 かれい なシーンは映画 えいが 史 し に残 のこ る有名 ゆうめい なシーンとなった。
1987年 ねん の第 だい 2回 かい 東京国際映画祭 とうきょうこくさいえいがさい クロージング上映 じょうえい で初 はつ 公開 こうかい され[3] 、第 だい 60回 かい アカデミー賞 しょう 作品 さくひん 賞 しょう [11] 並 なら びに第 だい 45回 かい ゴールデン・グローブ賞 しょう ドラマ部門 ぶもん 作品 さくひん 賞 しょう を受賞 じゅしょう した[12] 。一方 いっぽう で、他 ほか にも中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく で同 おな じテーマの映画 えいが やテレビドラマ が作 つく られた上 うえ 、当時 とうじ は同国 どうこく 政府 せいふ による外国 がいこく 映画 えいが の上映 じょうえい ・放映 ほうえい 規制 きせい が現在 げんざい より厳 いかめ しかったこともあり、アカデミー賞 しょう 作品 さくひん 賞 しょう を受賞 じゅしょう した作品 さくひん であるにもかかわらず、映画 えいが の舞台 ぶたい となった中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく での知名度 ちめいど は高 たか くない。
後 のち に219分 ぶん のオリジナル全長 ぜんちょう 版 ばん もVHS やDVD 、ブルーレイ のソフトで発表 はっぴょう された。2011年 ねん からは2年 ねん をかけて劇場 げきじょう 公開 こうかい 版 ばん フィルムを全面 ぜんめん 修復 しゅうふく 。2013年 ねん の第 だい 66回 かい カンヌ国際映画祭 かんぬこくさいえいがさい クラシック部門 ぶもん で「3D 版 はん 」として上映 じょうえい され[5] [13] 、イタリア公開 こうかい [4] を経 へ てブルーレイ化 か された。2015年 ねん の第 だい 18回 かい 上海 しゃんはい 国際 こくさい 映画 えいが 祭 さい においても、3D版 ばん が中国 ちゅうごく で初 はつ 公開 こうかい された[6] 。2023年 ねん 1月 がつ 6日 にち には日本 にっぽん で「劇場 げきじょう 公開 こうかい 版 ばん 4K レストア 」が公開 こうかい され[14] [2] [注 ちゅう 1] 、イギリスで2月 がつ 13日 にち にドルビービジョン のHDR技術 ぎじゅつ を採用 さいよう した4K Ultra HDブルーレイ が発売 はつばい された[17] 。
作中 さくちゅう 、溥儀 ふぎ が自転車 じてんしゃ で走 はし った場所 ばしょ
1950年 ねん 、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん の終結 しゅうけつ による満 まん 洲 しゅう 国 こく の崩壊 ほうかい と国共 こっきょう 内戦 ないせん の終結 しゅうけつ により、共産 きょうさん 主義 しゅぎ 国 こく である中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく の一 いち 都市 とし となったハルビン駅 えき の構内 こうない 。5年間 ねんかん にわたるソビエト連邦 れんぽう での抑留 よくりゅう を解 と かれ、中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく に送還 そうかん された「戦犯 せんぱん 」達 たち がごった返 がえ すなか、列 れつ から外 はず れた1人 ひとり の男 おとこ が洗面 せんめん 所 しょ で自殺 じさつ を試 こころ みる。その男 おとこ は、監視 かんし 人 じん の手 て により一命 いちめい を取 と り留 と めるものの、薄 うす れ行 ゆ く意識 いしき の中 なか で幼 おさな い日々 ひび の頃 ころ を思 おも い出 だ していた。この男 おとこ こそ、清朝 せいちょう 最後 さいご の皇帝 こうてい にして満 まん 洲 しゅう 国 こく の皇帝 こうてい であり、紀元前 きげんぜん 以来 いらい から続 つづ く中国 ちゅうごく 王朝 おうちょう の最後 さいご の皇帝 こうてい たる「ラスト・エンペラー」 、すなわち、愛 あい 新 しん 覚 さとし 羅 ら 溥儀 ふぎ である。
1908年 ねん 11月14日 にち 、北京 ぺきん 。清朝 せいちょう 第 だい 11代 だい 皇帝 こうてい ・光 ひかり 緒 いとぐち 帝 みかど の崩御 ほうぎょ に伴 ともな い、長 ちょう きに渡 わた って清朝 せいちょう の最高 さいこう 実力 じつりょく 者 しゃ として君臨 くんりん してきた西 にし 太 ふとし 后 きさき は溥儀 ふぎ を紫 むらさき 禁城 きんじょう へ呼 よ び出 だ す。事態 じたい を察知 さっち した溥儀 ふぎ の実母 じつぼ 福 ぶく 晋 すすむ 幼 よう 蘭 らん は、乳母 うば のアーモ に溥儀 ふぎ を託 たく す。物々 ものもの しい様子 ようす の宮中 きゅうちゅう で、溥儀 ふぎ は動 どう じることなく、無邪気 むじゃき に「お家 いえ に帰 かえ れる?」と繰 く り返 かえ すばかりであった。瀕死 ひんし の西 にし 太 ふとし 后 きさき は、溥儀 ふぎ を皇帝 こうてい に指名 しめい して崩御 ほうぎょ する。即位 そくい 式 しき の日 ひ 、家臣 かしん たちが三 さん 跪九叩頭 こうとう の礼 れい で新 しん 皇帝 こうてい に拝礼 はいれい する最中 さいちゅう 、溥儀 ふぎ はコオロギ の鳴 な き声 ごえ を追 お って列 れつ 中 ちゅう を歩 ある き回 まわ る。そして居場所 いばしょ を突 つ き止 と めると、コオロギを入 い れ物 もの ごと教育 きょういく 係 がかり の陳 ちん 宝 たから 琛 から譲 ゆず り受 う ける。
再 ふたた び1950年 ねん 、一命 いちめい を取 と り留 と めた溥儀 ふぎ は、中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく の戦犯 せんぱん として撫 なで 順 じゅん の政治 せいじ 犯 はん 収容 しゅうよう 所 しょ (撫 なで 順 じゅん 戦犯 せんぱん 管理 かんり 所 しょ )に送 おく られる。収容 しゅうよう 所長 しょちょう は溥儀 ふぎ を助 たす けた男 おとこ だった。そこで待 ま っていたのは「戦犯 せんぱん 」としての自己 じこ 批判 ひはん の強要 きょうよう や要人 ようじん の立場 たちば を奪 うば われた生活 せいかつ 習慣 しゅうかん だった。そこで溥儀 ふぎ は強 つよ い口調 くちょう で詰 つ め寄 よ る尋問 じんもん 官 かん や厳 きび しくも善良 ぜんりょう な所長 しょちょう を相手 あいて に、孤独 こどく で不遇 ふぐう だった私生活 しせいかつ を「すべては、(空虚 くうきょ な)儀式 ぎしき でしかなかった」と振 ふ り返 かえ り、過去 かこ を回想 かいそう していく。
収容 しゅうよう 所 しょ では、実弟 じってい の溥傑 と再会 さいかい する。紫 むらさき 禁城 きんじょう を出 で ることが認 みと められず、宦官 かんがん ら大人 おとな にかしずかれて育 そだ った溥儀 ふぎ にとって、溥傑は初 はじ めて出会 であ った同 どう 世代 せだい の子供 こども であり、大切 たいせつ な存在 そんざい となった。しかしながら、乳母 うば のアーモからは依然 いぜん として乳離 ちばな れできず、溥傑の目 め を盗 ぬす んでアーモの乳房 ちぶさ に顔 かお をうずめる。その様子 ようす を、先帝 せんてい の妃 ひ (太 ふとし 妃 ひ )たちが見 み ていた。ある日 ひ 、溥傑が皇帝 こうてい しか許 ゆる されないはずの黄色 きいろ い衣服 いふく を着 き ていたことから、兄弟 きょうだい 喧嘩 けんか となる。溥傑は「兄 あに 上 じょう は皇帝 こうてい じゃない」と言 い い、すでに辮髪 べんぱつ もしない洋服 ようふく の新 あたら しい「皇帝 こうてい 」 がいると話 はな す。溥儀 ふぎ は皇帝 こうてい である証明 しょうめい に、宦官 かんがん に命令 めいれい して墨汁 ぼくじゅう を飲 の ませるが、溥傑は自動車 じどうしゃ に乗 の った大 だい 総統 そうとう 袁世凱 が、新 あら たな皇帝 こうてい として君臨 くんりん する姿 すがた を見 み せる。ショックを受 う け、宦官 かんがん らに問 と いただすが誰 だれ も事実 じじつ を言 い おうとせず、ようやく教育 きょういく 係 がかり の陳 ひね から「紫 むらさき 禁城 きんじょう の外 そと では皇帝 こうてい ではないが、紫 むらさき 禁城 きんじょう の中 なか では皇帝 こうてい である 」と説明 せつめい を受 う ける。そしてアーモは太 ふとし 妃 ひ たちによって紫 むらさき 禁城 きんじょう を追放 ついほう され、溥儀 ふぎ は強引 ごういん に駕 が 籠 かご に乗 の せられた彼女 かのじょ を必死 ひっし で追 お うが、見失 みうしな ってしまう。アーモは乳母 うば 以上 いじょう に、初恋 はつこい の女性 じょせい だった。
再 ふたた び1950年代 ねんだい 、収容 しゅうよう 所 しょ 所長 しょちょう は溥儀 ふぎ の過去 かこ を知 し るため、家庭 かてい 教師 きょうし だったレジナルド・ジョンストン が記 しる した『紫 むらさき 禁城 きんじょう の黄昏 たそがれ 』[注 ちゅう 2] を開 ひら く。学生 がくせい のデモ(五 ご 四 よん 運動 うんどう )で物々 ものもの しい北京 ぺきん 市街 しがい を経 へ て、ジョンストンは紫 むらさき 禁城 きんじょう へ赴 おもむ く。城内 きうち は城 しろ 外 がい と打 う って変 か わって旧態 きゅうたい 依然 いぜん としており、伝統 でんとう や慣習 かんしゅう がそのまま息 いき づいていた。10代になった溥儀 ふぎ は知的 ちてき 好奇心 こうきしん 旺盛 おうせい で、盛 さか んに城 しろ 外 がい へ出 で たがっていた。ジョンストンは家庭 かてい 教師 きょうし として、勉強 べんきょう だけでなく城 しろ 外 がい の知識 ちしき や常識 じょうしき を溥儀 ふぎ に与 あた え、溥儀 ふぎ にとって信頼 しんらい できる師 し となる。1921年 ねん 、溥儀 ふぎ の実母 じつぼ が逝去 せいきょ し(アヘンを飲 の み込 こ んでの自殺 じさつ )、溥儀 ふぎ は母 おも や弟 おとうと に会 あ おうと自転車 じてんしゃ で城 しろ 外 がい へ出 で ようとするが、衛兵 えいへい に妨 さまた げられる。さらに城 しろ 外 がい へ出 で ようと屋根 やね に上 のぼ った際 さい 、視力 しりょく の低下 ていか に気 き づき、西洋 せいよう 人 じん の医師 いし から「眼鏡 めがね をかけないと失明 しつめい する」と診断 しんだん される。太 たい 妃 ひ や内務 ないむ 府 ふ 大臣 だいじん は反対 はんたい するが、ジョンストンは眼鏡 めがね を認 みと めないなら、紫 むらさき 禁城 きんじょう の腐敗 ふはい を新聞 しんぶん を通 つう じて世界 せかい に伝 つた えるとい返 いかえ す。
眼鏡 めがね を認 みと められた溥儀 ふぎ が最初 さいしょ に見 み たものは、お妃 ひ 候補 こうほ たちの写真 しゃしん であった。しかし溥儀 ふぎ の意向 いこう は通 とお らず、太 ふとし 妃 ひ たちによって17歳 さい の婉容 が皇后 こうごう に、12歳 さい の文 ぶん 繡 が淑 よし 妃 ひ (第 だい 2皇 すめらぎ 妃 ひ 、側室 そくしつ )に選 えら ばれる。古式 こしき ゆかしい婚礼 こんれい が行 おこな われ、婉容と文 ぶん 繡は友情 ゆうじょう を結 むす ぶ。溥儀 ふぎ は婉容を古風 こふう な女 おんな だと思 おも っていたが、実際 じっさい には溥儀 ふぎ の理想 りそう 通 どお り、外国 がいこく 語 ご が話 はな せてダンスが踊 おど れる「モダンな妻 つま 」であった。溥儀 ふぎ は2人 ふたり でオックスフォードへ留学 りゅうがく したいという夢 ゆめ を語 かた り、婉容も彼 かれ を気 き に入 い り好 す きになりそうだと、互 たが いに好 こう 印象 いんしょう を抱 いだ く。
再 ふたた び1950年代 ねんだい 、溥儀 ふぎ は日本 にっぽん と接近 せっきん した経緯 けいい と理由 りゆう を激 はげ しく詰問 きつもん される。成長 せいちょう した溥儀 ふぎ は、もはや城 しろ 外 がい への脱出 だっしゅつ ではなく改革 かいかく を志 こころざ すようになっていた。その始 はじ まりは辮髪 べんぱつ の断髪 だんぱつ と、宦官 かんがん らの不正 ふせい (宝物 ほうもつ の盗難 とうなん )を露呈 ろてい させるための美術 びじゅつ 品目 ひんもく 録 ろく 作成 さくせい であった。ある夜 よる 、不安 ふあん を感 かん じた婉容は自 みずか ら溥儀 ふぎ の寝所 ねどこ を訪 おとず れる。さらに文 ぶん 繡も現 あらわ れ、3人 にん で仲 なか 睦 むつ まじく過 す ごすが、屋外 おくがい では炎 ほのお が燃 も え盛 さか っていた。一部 いちぶ の宦官 かんがん らが、証拠 しょうこ 隠滅 いんめつ のため宝物殿 ほうもつでん に放火 ほうか したのであった。溥儀 ふぎ は激怒 げきど し、共和 きょうわ 国軍 こくぐん の支援 しえん も得 え て1000名 めい 以上 いじょう の宦官 かんがん を全 すべ て追放 ついほう する。日本 にっぽん への接近 せっきん が決定的 けっていてき となったのは1924年 ねん 、北京 ぺきん 政変 せいへん だった。溥儀 ふぎ を対象 たいしょう としたクーデターで、溥儀 ふぎ ら一族 いちぞく は1時間 じかん 以内 いない の退去 たいきょ を命 めい じられる。ついに溥儀 ふぎ は紫 むらさき 禁城 きんじょう を離 はな れることとなった。ジョンストンはイギリス大使館 たいしかん へ連絡 れんらく して庇護 ひご を求 もと めるが、国際 こくさい 問題 もんだい になることを恐 おそ れ受 う け入 い れず、結局 けっきょく 溥儀 ふぎ に手 て を差 さ し伸 の べたのは、同 どう 世代 せだい の天皇 てんのう もおり親近 しんきん 感 かん もあった大日本帝国 だいにっぽんていこく のみだった。
日本 にっぽん の庇護 ひご 下 か 、天津 てんしん での生活 せいかつ は、軍閥 ぐんばつ との交渉 こうしょう はあったものの、総 そう じて楽 たの しいものだった。溥儀 ふぎ と婉容は「ヘンリーとエリザベス」となり、社交 しゃこう 界 かい でも注目 ちゅうもく の的 てき だった。一方 いっぽう 、文 ぶん 繡は紫 むらさき 禁城 きんじょう の外 そと では(社会 しゃかい 的 てき に)妻 つま として認 みと められず、孤独 こどく な思 おも いから離婚 りこん を望 のぞ んでいた。ダンスパーティーの最中 さいちゅう 、蔣介石 せき の上海 しゃんはい 制圧 せいあつ のニュースが伝 つた えられ、居合 いあ わせた欧米 おうべい 人 じん らが拍手 はくしゅ 喝采 かっさい する中 なか 、輪 わ から外 はず れた溥儀 ふぎ らに甘粕 あまかす 正彦 まさひこ が「日本 にっぽん 公使館 こうしかん へお越 こ し下 くだ さい」と誘 さそ いかける。文 ぶん 繡は車中 しゃちゅう で離婚 りこん の意思 いし を告白 こくはく し、混乱 こんらん の中 なか ついに出奔 しゅっぽん する。文 ぶん 繍と入 い れ替 か わりに、友 とも を失 うしな った婉容の護衛 ごえい のため「東洋 とうよう の宝石 ほうせき 」(eastern jewel)こと川島 かわしま 芳子 よしこ が現 あらわ れる。彼女 かのじょ は溥儀 ふぎ の遠縁 とおえん であり、あらゆる情報 じょうほう に通 つう じていた。彼女 かのじょ は清朝 せいちょう の陵墓 りょうぼ (清 せい 東陵 とうりょう )が国民党 こくみんとう により盗掘 とうくつ され、西 にし 太 ふとし 后 きさき の遺体 いたい が切 き り刻 きざ まれたというニュースをもたらし、溥儀 ふぎ を激 はげ しく憤慨 ふんがい させる。そして芳子 よしこ は、婉容にアヘンを勧 すす める。
再 ふたた び1950年代 ねんだい 、溥儀 ふぎ が自発 じはつ 的 てき に満 まん 洲 しゅう 国 こく 皇帝 こうてい になろうとしたか否 ひ か、激 はげ しい尋問 じんもん が行 おこな われる。溥儀 ふぎ 自身 じしん は告白 こくはく には「日本 にっぽん に誘拐 ゆうかい された」と記 しる したが、ジョンストンは『紫 むらさき 禁城 きんじょう の黄昏 たそがれ 』に溥儀 ふぎ が望 のぞ んだと記 しる していた。そして、かつて使用人 しようにん であった大 だい 李 り も天津 てんしん 出立 しゅったつ 前日 ぜんじつ に荷造 にづく りをしたと告白 こくはく していた。当時 とうじ 、溥儀 ふぎ は満 まん 洲 しゅう 国 こく の支配 しはい 者 しゃ の家系 かけい に生 う まれた自分 じぶん 抜 ぬ きで満 まん 洲 しゅう 国 こく の成立 せいりつ はあり得 え ないと考 かんが えていた。清朝 せいちょう 復活 ふっかつ に魅 み かれる溥儀 ふぎ に対 たい し、婉容や陳 ひね 宝 たから 琛は慎重 しんちょう な姿勢 しせい を示 しめ す。所長 しょちょう は事実 じじつ を思 おも い出 だ せ、と『紫 むらさき 禁城 きんじょう の黄昏 たそがれ 』を溥儀 ふぎ の目 め の前 まえ に置 お く。
満 まん 洲 しゅう 国 こく 皇帝 こうてい 時代 じだい の溥儀 ふぎ
1934年 ねん に、溥儀 ふぎ はついに満 まん 洲 しゅう 国 こく 皇帝 こうてい となる。告 つげ 天 てん 礼 れい が行 おこな われた後 のち 、即位 そくい を祝 いわ う舞踏 ぶとう 会 かい の最中 さいちゅう 、婉容は涙 なみだ を流 なが しながら蘭 らん の花 はな を食 た べる[注 ちゅう 3] 異常 いじょう な様子 ようす を示 しめ す。溥儀 ふぎ は婉容をたしなめるが、彼女 かのじょ は溥儀 ふぎ には日本 にっぽん の傀儡 かいらい でしかない現状 げんじょう が見 み えていないと言 い い、何故 なぜ もう自分 じぶん を抱 いだ かないのか抗議 こうぎ する。溥傑の横 よこ で客人 きゃくじん から挨拶 あいさつ を受 う ける嵯峨 さが 浩 ひろし [注 ちゅう 4] が身重 みおも なのを見 み やり、自分 じぶん も彼女 かのじょ のように子供 こども が欲 ほ しいと訴 うった えるが、溥儀 ふぎ は婉容を抱 いだ かないのはアヘン中毒 ちゅうどく が理由 りゆう だと説明 せつめい し、訪日 ほうにち にも連 つ れて行 い かないと告 つ げる。宴 うたげ を中座 ちゅうざ した婉容は、芳子 よしこ の導 みちび きでアヘンと同性愛 どうせいあい 関係 かんけい に溺 おぼ れていく。
日本 にっぽん で歓迎 かんげい を受 う けた溥儀 ふぎ が帰国 きこく すると、満 まん 洲 しゅう 国内 こくない の様子 ようす が異様 いよう だった。皇帝 こうてい 御用 ごよう 掛 かけ となった吉岡 よしおか 安直 あんちょく の命令 めいれい で禁衛 きんえい 隊 たい は武装 ぶそう 解除 かいじょ され、国務 こくむ 総理 そうり 大臣 だいじん 鄭 てい 孝 たかし 胥 (Zhèng Xiàoxū)は息子 むすこ の暗殺 あんさつ を機 き に隠棲 いんせい し(=辞職 じしょく に追 お い込 こ まれ)、代 か わって軍政 ぐんせい 部 ぶ 大臣 だいじん 張 ちょう 景 けい 恵 めぐみ (Zhāng Jǐnghuì)が関東軍 かんとうぐん の推薦 すいせん の元 もと 、溥儀 ふぎ から後任 こうにん の承認 しょうにん を得 え ようとしていた。御前 ごぜん 会議 かいぎ の場 ば で、溥儀 ふぎ は自分 じぶん のあずかり知 し れないところで決 き められていた張 ちょう の首相 しゅしょう 就任 しゅうにん を認 みと めないばかりか、諸 しょ 外国 がいこく からも承認 しょうにん されつつある独立 どくりつ 国 こく として日本 にっぽん のみならず各国 かっこく と対等 たいとう な関係 かんけい を築 きず こうと話 はな すが、甘粕 あまかす 、吉岡 よしおか や関東 かんとう 軍 ぐん の息 いき のかかった大臣 だいじん たちは次々 つぎつぎ に退席 たいせき する。
出席 しゅっせき 者 しゃ が誰 だれ もいない晩餐 ばんさん 会 かい の席 せき で、婉容は溥儀 ふぎ に懐妊 かいにん を告 つ げる。相手 あいて は満 まん 洲 しゅう 人 じん の男 おとこ で、溥儀 ふぎ のためにもなると話 はな す。そこへ甘粕 あまかす と吉岡 よしおか が現 あらわ れ、張 ちょう 首相 しゅしょう 任命 にんめい 承認 しょうにん のサインをするよう迫 せま る。溥儀 ふぎ は皇后 こうごう の懐妊 かいにん を告 つ げ、満 まん 洲 しゅう 国 こく の後継 こうけい 者 しゃ が誕生 たんじょう すると強気 つよき に出 で るが、甘粕 あまかす は逆 ぎゃく に相手 あいて の男 おとこ の名 な を溥儀 ふぎ に教 おし える。溥儀 ふぎ は承認 しょうにん のサインをせざるを得 え なくなり、以後 いご も日本 にっぽん に有利 ゆうり な内容 ないよう の勅 みことのり 令 れい を承認 しょうにん させられ、傀儡 かいらい となることを余儀 よぎ なくされる。やがて婉容は出産 しゅっさん するが、生 う まれた子 こ はすぐ殺害 さつがい され婉容は静養 せいよう のため皇宮 こうぐう を離 はな れる。溥儀 ふぎ は彼女 かのじょ を必死 ひっし で追 お うが、婉容を乗 の せた車 くるま が出 で た直後 ちょくご 、宮殿 きゅうでん の門 もん は溥儀 ふぎ の目 め の前 まえ で閉 と ざされた。その様子 ようす を見 み ていた甘粕 あまかす と芳子 よしこ は指 ゆび を絡 から めあうのだった。その晩 ばん 、相手 あいて であった溥儀 ふぎ の運転 うんてん 手 しゅ は密 ひそ かに暗殺 あんさつ された。
再 ふたた び1950年代 ねんだい 、戦犯 せんぱん たちに対 たい し中国共産党 ちゅうごくきょうさんとう 視点 してん での歴史 れきし 映画 えいが が放映 ほうえい される。大日本帝国 だいにっぽんていこく は満 まん 洲 しゅう で侵略 しんりゃく の足場 あしば を固 かた め、上海 しゃんはい での無 む 差別 さべつ 爆撃 ばくげき 、南京 なんきん での20万 まん 人 にん 以上 いじょう の虐殺 ぎゃくさつ 、真珠湾 しんじゅわん 奇襲 きしゅう 、そして満 まん 洲 しゅう における細菌 さいきん 戦 せん のための人体 じんたい 実験 じっけん にアヘン生産 せいさん ――満 まん 洲 しゅう 国 こく 皇帝 こうてい として日本 にっぽん の傀儡 かいらい に甘 あま んじる自分 じぶん の映像 えいぞう が流 なが れたとき、溥儀 ふぎ は思 おも わず立 た ち上 あ がる。
1945年 ねん 8月 がつ 15日 にち 、日本 にっぽん の敗戦 はいせん により、満 まん 洲 しゅう 国 こく は滅亡 めつぼう し、溥儀 ふぎ は再 ふたた び皇帝 こうてい を退位 たいい した。甘粕 あまかす は拳銃 けんじゅう で自決 じけつ し、溥儀 ふぎ は溥傑の勧 すす めにより日本 にっぽん への亡命 ぼうめい を図 はか る。出立 しゅったつ 直前 ちょくぜん 、皇宮 こうぐう に戻 もど ってきた婉容と再会 さいかい するが、アヘンの中毒 ちゅうどく 症状 しょうじょう で変 か わり果 は てた姿 すがた の彼女 かのじょ はもはや溥儀 ふぎ と顔 かお を合 あ わせようとはしなかった。そして亡命 ぼうめい の途上 とじょう 、侵攻 しんこう してきたソ連 それん 軍 ぐん に捕 とら えられたのであった。
溥儀 ふぎ は、共産党 きょうさんとう 政府 せいふ が用意 ようい したあらゆる「告白 こくはく 」に一転 いってん して署名 しょめい を行 おこな った。その中 なか には溥儀 ふぎ が知 し るはずのなかったハルビンでの生体 せいたい 実験 じっけん に関 かん するものもあった。そんな溥儀 ふぎ に所長 しょちょう は自分 じぶん のしたことにだけ責任 せきにん を取 と るように注意 ちゅうい し、「今度 こんど は卑屈 ひくつ になるのか」と詰 つま るが、溥儀 ふぎ は「私 わたし を自殺 じさつ から助 たす けたのは、あなたたちも私 わたし を利用 りよう したいからだろう」とい返 いかえ した。所長 しょちょう は「利用 りよう されるのはそんなにいやなことか」と、溥儀 ふぎ の心情 しんじょう の変化 へんか を感 かん じ取 と っていた。1959年 ねん に特赦 とくしゃ 令 れい 第 だい 一 いち 号 ごう により、溥儀 ふぎ は収容 しゅうよう 所 しょ を出所 しゅっしょ する。
1967年 ねん 、文化 ぶんか 大 だい 革命 かくめい の嵐 あらし が吹 ふ き荒 あ れようとしていた折 おり 、一介 いっかい の庭師 にわし として植物 しょくぶつ 園 えん に職 しょく を得 え ていた溥儀 ふぎ は、紅衛兵 こうえいへい のデモの中 なか に罪人 ざいにん として引 ひ き回 まわ され晒 さら し者 しゃ にされているかつての収容 しゅうよう 所 しょ 所長 しょちょう の姿 すがた を見 み つける。紅衛兵 こうえいへい に話 はな しかけ懸命 けんめい に庇 かば おうとする溥儀 ふぎ であったが、徒労 とろう に終 お わり所長 しょちょう は連 つ れ去 さ られていく。
溥儀 ふぎ はその足 あし で街 まち をさすらい、博物館 はくぶつかん として一般 いっぱん 公開 こうかい されている紫 むらさき 禁城 きんじょう へ、そしてかつては自分 じぶん のものだった玉座 ぎょくざ へと赴 おもむ く。そこには彼 かれ の顔 かお も知 し らない博物館 はくぶつかん の守衛 しゅえい の子供 こども がひとりいるだけだった。玉座 ぎょくざ への立入 たちいり をとがめる子供 こども に「昔 むかし ここに住 す んでいた」と語 かた る。溥儀 ふぎ は皇帝 こうてい だった証拠 しょうこ として、幼 おさな い頃 ころ 玉座 ぎょくざ の隅 すみ に隠 かく し持 も っていたコオロギの壷 つぼ を手渡 てわた す。そして子 こ どもが目 め を上 あ げたとき、そこにはもう溥儀 ふぎ の姿 すがた はなかった。
時代 じだい は移 うつ り、1987年 ねん (公開 こうかい 当時 とうじ の「現在 げんざい 」)。歴史 れきし を直接 ちょくせつ に知 し らない国内外 こくないがい から訪 おとず れた大勢 おおぜい の観光 かんこう 客 きゃく たちが紫 むらさき 禁城 きんじょう を訪 おとず れ、騒 さわ がしさの中 なか 、20年 ねん 前 まえ に亡 な くなった過去 かこ の皇帝 こうてい 溥儀 ふぎ の玉座 ぎょくざ を眺 なが めるのだった。
※日本語 にほんご 吹替はオリジナル全長 ぜんちょう 版 ばん を約 やく 1分 ぶん のカット[注 ちゅう 6] のみで放送 ほうそう [18] 。
「テレビ朝日 てれびあさひ 開局 かいきょく 30周年 しゅうねん 特別 とくべつ 企画 きかく 」として3日間 にちかん に分 わ けて放映 ほうえい 。オリジナル全長 ぜんちょう 版 ばん がテレビ放送 ほうそう されるのは世界 せかい 初 はつ のことであった。
キングレコード発売 はつばい の特別 とくべつ 盤 ばん BDには、正味 しょうみ 約 やく 140分 ふん 程度 ていど の短縮 たんしゅく 版 ばん を収録 しゅうろく [19] 。また、2023年 ねん 2月 がつ 以前 いぜん のテレビ朝日 てれびあさひ 版 ばん での放送 ほうそう においても短縮 たんしゅく 版 ばん を使用 しよう していた。
※日本語 にほんご 吹替は上記 じょうき の他 ほか 、デニス・ダンを田中 たなか 亮一 りょういち が吹 ふ き替 か えたものもある[20] 。
1987年度 ねんど のアカデミー賞 しょう では『恋 こい の手 て ほどき 』以来 いらい となる、ノミネートされた9部門 ぶもん (作品 さくひん 賞 しょう [11] 、監督 かんとく 賞 しょう [11] 、撮影 さつえい 賞 しょう 、脚色 きゃくしょく 賞 しょう 、編集 へんしゅう 賞 しょう 、録音 ろくおん 賞 しょう 、衣裳 いしょう デザイン賞 しょう 、美術 びじゅつ 賞 しょう 、作曲 さっきょく 賞 しょう [11] )全 すべ てでの受賞 じゅしょう を達成 たっせい した[12] 。
特 とく に日本 にっぽん においては、溥儀 ふぎ や満 まん 洲 しゅう 国 こく という日本人 にっぽんじん にとって非常 ひじょう に近 ちか い題材 だいざい を描 えが いた内容 ないよう であったことで幅広 はばひろ い年齢 ねんれい 層 そう を引 ひ きつけたことと、高松 たかまつ 英郎 ひでお や立花 たちばな ハジメ などの日本人 にっぽんじん 俳優 はいゆう が多 おお く出演 しゅつえん し、さらに甘粕 あまかす 正彦 まさひこ 役 やく 兼 けん 音楽 おんがく プロデューサーとして参加 さんか した坂本 さかもと 龍一 りゅういち が、日本人 にっぽんじん として初 はじ めてアカデミー賞 しょう 作曲 さっきょく 賞 しょう を受賞 じゅしょう [11] したことなど、様々 さまざま な要因 よういん が大 だい ヒットに繋 つな がった。
事実 じじつ との相違 そうい 点 てん [ 編集 へんしゅう ]
史実 しじつ を元 もと に製作 せいさく されているが、演出 えんしゅつ のために脚色 きゃくしょく された部分 ぶぶん が多 おお く史実 しじつ とは違 ちが う点 てん が複数 ふくすう みられる。
ソ連 それん 軍 ぐん の捕虜 ほりょ となった溥儀 ふぎ が自殺 じさつ 未遂 みすい を起 お こした事実 じじつ はない。
西 にし 太 ふとし 后 きさき が溥儀 ふぎ を召見したのは1908年 ねん 10月 がつ 20日 はつか で、崩御 ほうぎょ したのはそれから26日 にち 後 ご の11月15日 にち である(映画 えいが では召見中 ちゅう に崩御 ほうぎょ )。
西 にし 太 ふとし 后 きさき の崩御 ほうぎょ シーンはセットによる撮影 さつえい で、実際 じっさい に西 にし 太 ふとし 后 きさき が崩御 ほうぎょ したのは紫 むらさき 禁城 きんじょう ではなく、西 にし 苑 えん (現在 げんざい の中 ちゅう 南海 なんかい )に建 た てられた儀 ぎ 鸞殿(現 げん ・懐 ふところ 仁 じん 堂 どう )内 ない の福 ぶく 昌 あきら 殿 どの 。龍 りゅう が柱 はしら に巻 ま き付 つ いた内装 ないそう なども美術 びじゅつ チームの創作 そうさく 。
溥儀 ふぎ が紫 むらさき 禁城 きんじょう から城 しろ 外 がい へ出 で ようと屋根 やね に上 のぼ った際 さい に頭 あたま を打 う ち、これをきっかけにメガネをかけるようになったのは史実 しじつ ではない。
婉容が川島 かわしま 芳子 よしこ と同性愛 どうせいあい 関係 かんけい にあったように描 えが かれているが、このような事実 じじつ はない。
ジョンストンが帰国 きこく する際 さい 、溥儀 ふぎ が自 みずか ら天津 てんしん 港 こう まで見送 みおく った事実 じじつ はない。史実 しじつ では、ジョンストンが天津 てんしん の溥儀 ふぎ 寓居 ぐうきょ 「静 せい 園 えん 」を訪 おとず れ暇乞 いとまご いをした。なおその後 ご も溥儀 ふぎ とジョンストンは再会 さいかい している。
満 まん 洲 しゅう 国 こく 建国 けんこく 時 じ 、溥儀 ふぎ は執政 しっせい に就任 しゅうにん し、2年 ねん 後 ご に皇帝 こうてい に即位 そくい したが、この史実 しじつ は省略 しょうりゃく されている。
史実 しじつ の嵯峨 さが 浩 ひろし は溥儀 ふぎ の満 まん 洲 しゅう 国 こく 皇帝 こうてい 即位 そくい 関連 かんれん 行事 ぎょうじ に参列 さんれつ していない。即位 そくい 式 しき は1934年 ねん に挙行 きょこう され、溥傑と浩 ひろし の結婚 けっこん は1937年 ねん 。
舞踏 ぶとう 会 かい シーンを撮影 さつえい した満 まん 洲 しゅう 国 こく 皇宮 こうぐう の同 どう 徳 いさお 殿 どの は1938年 ねん 竣工 しゅんこう で、溥儀 ふぎ の即位 そくい 当時 とうじ には存在 そんざい しない。
甘粕 あまかす 正彦 まさひこ は隻腕 せきわん となっているが、実際 じっさい は両 りょう 腕 うで ともあった。隻腕 せきわん という設定 せってい は監督 かんとく の発案 はつあん によるもので、坂本 さかもと は右腕 うわん を背中 せなか に縛 しば り付 つ けての撮影 さつえい であった。
甘粕 あまかす 正彦 まさひこ が溥儀 ふぎ の監視 かんし 役 やく となっているが、実際 じっさい この役目 やくめ は吉岡 よしおか 安直 あんちょく が行 おこな っていた。
甘粕 あまかす 正彦 まさひこ が川島 かわしま 芳子 よしこ と恋愛 れんあい 関係 かんけい にあったように描 えが かれているが、このような事実 じじつ はない。
甘粕 あまかす 正彦 まさひこ は切腹 せっぷく して自決 じけつ する筋書 すじが きになっていたが、これに強 つよ い違和感 いわかん を持 も った坂本 さかもと が監督 かんとく を説得 せっとく し、拳銃 けんじゅう 自殺 じさつ に変更 へんこう された。史実 しじつ 上 じょう の甘粕 あまかす は服毒 ふくどく 自殺 じさつ した。
勅 みことのり 令 れい に署名 しょめい する際 さい 、溥儀 ふぎ は万年筆 まんねんひつ を使用 しよう しているが、史実 しじつ では皇帝 こうてい の署名 しょめい は毛筆 もうひつ を使用 しよう していた。
鄭 てい 孝 たかし 胥 は息子 むすこ が共産 きょうさん ゲリラに暗殺 あんさつ されたため国務 こくむ 総理 そうり 大臣 だいじん を辞任 じにん し、僧院 そういん に籠 こも ったとの説明 せつめい があるが、実際 じっさい は日本 にっぽん (関東軍 かんとうぐん )を批判 ひはん する発言 はつげん を行 おこな ったため、解任 かいにん に近 ちか い形 かたち で辞任 じにん に追 お い込 こ まれ、死去 しきょ まで自宅 じたく で軟禁 なんきん に近 ちか い状態 じょうたい に置 お かれた。なお、鄭 てい の長男 ちょうなん である鄭 てい 垂 たれ は父 ちち の辞任 じにん より2年 ねん 前 まえ に急死 きゅうし している。
張 ちょう 景 けい 恵 めぐみ は麻薬 まやく 取引 とりひき に暗躍 あんやく した実績 じっせき を買 か われて国務 こくむ 総理 そうり 大臣 だいじん になったという設定 せってい だが、このような事実 じじつ はない。
婉容の出産 しゅっさん した娘 むすめ は誕生 たんじょう 後 ご すぐに注射 ちゅうしゃ 器 き で毒殺 どくさつ されているが、史実 しじつ では溥儀 ふぎ の命 いのち を受 う けた従者 じゅうしゃ がボイラーに放 ほう り込 こ んで殺害 さつがい していた。
婉容が出産 しゅっさん 後 ご 、療養 りょうよう と称 しょう して帝 みかど 宮 みや から連 つ れ出 だ されるが、史実 しじつ では満 まん 洲 しゅう 国 こく 崩壊 ほうかい まで帝 みかど 宮 みや で生活 せいかつ していた。
溥傑は溥儀 ふぎ の釈放 しゃくほう の翌年 よくねん に戦犯 せんぱん 刑務所 けいむしょ より出所 しゅっしょ し、自由 じゆう に面会 めんかい できたがこのことには触 ふ れられていない。
釈放 しゃくほう 後 ご の1960年 ねん に溥儀 ふぎ が政 せい 協 きょう 第 だい 4期 き 文 ぶん 史 し 研究 けんきゅう 委員 いいん 会 かい 専門 せんもん 委員 いいん や中国 ちゅうごく 人民 じんみん 政治 せいじ 協商 きょうしょう 会議 かいぎ 全国 ぜんこく 委員 いいん (国会 こっかい 議員 ぎいん に相当 そうとう )を務 つと めたことには一切 いっさい 触 ふ れられず、北京 ぺきん 植物 しょくぶつ 園 えん の庭師 にわし として死 し んだことになっている。
陳 ちん 凱歌 がいか が紫 むらさき 禁城 きんじょう の近衛 このえ 兵 へい 隊長 たいちょう 役 やく として、溥儀 ふぎ が収監 しゅうかん されていた当時 とうじ の戦犯 せんぱん 収容 しゅうよう 所 しょ 副 ふく 所長 しょちょう (後 のち に所長 しょちょう )だった金 きむ 源 はじめ が溥儀 ふぎ に特赦 とくしゃ を知 し らせる共産党 きょうさんとう 幹部 かんぶ 役 やく として、それぞれカメオ出演 しゅつえん している。
溥儀 ふぎ の即位 そくい 式 しき では満 まん 洲 しゅう 語 ご が用 もち いられている。
甘粕 あまかす 正彦 まさひこ 役 やく 兼 けん 音楽 おんがく プロデューサーで坂本 さかもと 龍一 りゅういち [注 ちゅう 7] が参加 さんか 。坂本 さかもと がベルトルッチ監督 かんとく から音楽 おんがく についてのオファーを請 う けるのは、撮影 さつえい が終了 しゅうりょう して半年 はんとし も後 ご のことだった。
キャストとして昭和 しょうわ 天皇 てんのう が登場 とうじょう する想定 そうてい で撮影 さつえい が進 すす められ[21] 、来日 らいにち した溥儀 ふぎ を東京 とうきょう 駅 えき ホームで出迎 でむか える大 だい 礼服 れいふく 姿 すがた や溥儀 ふぎ と対面 たいめん する後 うし ろ姿 すがた のシーンがスチール写真 しゃしん に残 のこ されているが、公開 こうかい 版 ばん 、ディレクターズカット版 ばん とも登場 とうじょう シーンは全 すべ てカットされた。
日本 にっぽん での劇場 げきじょう 公開 こうかい に際 さい しては、配給 はいきゅう 元 もと の松竹 しょうちく 富士 ふじ が「溥儀 ふぎ が中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく の収容 しゅうよう 所 しょ で、『日本 にっぽん 軍 ぐん が行 おこな った生体 せいたい 実験 じっけん 』『日本 にっぽん 軍 ぐん が軍費 ぐんぴ にしたアヘン生産 せいさん 工場 こうじょう 』『日本 にっぽん 軍 ぐん による南京 なんきん 大 だい 虐殺 ぎゃくさつ 』[注 ちゅう 8] のニュースフィルムを見 み せられるシーン」を問題 もんだい 視 し し、ベルトルッチ監督 かんとく に削除 さくじょ を依頼 いらい した。しかし、ベルトルッチが前者 ぜんしゃ 2場面 ばめん しかカットしなかったため、日本 にっぽん 側 がわ は「南京 なんきん 大 だい 虐殺 ぎゃくさつ のシーン」をベルトルッチ監督 かんとく に無断 むだん でカットした。宣伝 せんでん 試写 ししゃ 会 かい を見 み た映画 えいが 人 じん がベルトルッチに連絡 れんらく し、そのためベルトルッチ監督 かんとく から激怒 げきど され、松竹 しょうちく 富士 ふじ はベルトルッチ監督 かんとく の条件 じょうけん を呑 の んだ[22] 。
ロケ地 ち ・撮影 さつえい スタジオ [ 編集 へんしゅう ]
^ 2023年 ねん 3月 がつ の坂本 さかもと 龍一 りゅういち 逝去 せいきょ により、4月 がつ から追加 ついか 上映 じょうえい が実施 じっし された[15] [16] 。
^ 溥儀 ふぎ の身辺 しんぺん に関 かん する歴史 れきし 的 てき 資料 しりょう として評価 ひょうか が高 たか い。映画 えいが 公開 こうかい 当時 とうじ 、日本 にっぽん では1935年版 ねんばん を最後 さいご に絶版 ぜっぱん 状態 じょうたい だった。
^ 無残 むざん に毟 むし られ食 た べられる蘭 らん は満 まん 洲 しゅう を象徴 しょうちょう する花 はな であり、美貌 びぼう の妃 ひ が流 なが す涙 なみだ に満 まん 洲 しゅう 国 こく の運命 うんめい が暗示 あんじ される。
^ 史実 しじつ では溥傑と浩 ひろし の結婚 けっこん は1937年 ねん である。
^ 登場 とうじょう シーンは公開 こうかい 時 じ から全 すべ てカットされた。
^ 薄儀 はくぎ が収容 しゅうよう 所 しょ でニュース映画 えいが を視聴 しちょう する場面 ばめん で、日本 にっぽん 軍 ぐん の生物 せいぶつ 兵器 へいき 使用 しよう に関 かん する説明 せつめい とアヘン生産 せいさん 工場 こうじょう を説明 せつめい する部分 ぶぶん のみをカットしている。
^ 1988年 ねん に坂本 さかもと 龍一 りゅういち が東京 とうきょう などで同 どう 作品 さくひん をテーマにしたコンサートを開催 かいさい している。
^ その映像 えいぞう 自体 じたい は実際 じっさい の南京 なんきん 大 だい 虐殺 ぎゃくさつ の映像 えいぞう ではなく、国共 こっきょう 内戦 ないせん 時 じ の映像 えいぞう や他 た の映画 えいが のシーン。
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