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民主みんしゅ主義しゅぎ

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デモクラシーから転送てんそう
EIUによる2023ねん民主みんしゅ主義しゅぎ指数しすう地図ちず[1]あおもっと民主みんしゅてき指数しすう10)、あかもっと民主みんしゅてき指数しすう0)
2022ねん世界せかい民主みんしゅ主義しゅぎデ・ジュリ(法律ほうりつじょう状態じょうたい民主みんしゅ主義しゅぎ自称じしょうしていないのは、サウジアラビアアラブ首長しゅちょうこく連邦れんぽうカタールブルネイバチカンのみ。中国ちゅうごく北朝鮮きたちょうせん、ラオスは憲法けんぽう自国じこく人民じんみん民主みんしゅ主義しゅぎ国家こっか記載きさい

民主みんしゅ主義しゅぎ(みんしゅしゅぎ、えい: Democracyデモクラシー)とは、法律ほうりつ政策せいさく指導しどうしゃ国家こっか・その主要しゅよう事業じぎょう直接的ちょくせつてきまたは間接かんせつてきに「人民じんみん (people) 」によって決定けっていされる統治とうちシステム[2][3]現代げんだい民主みんしゅ主義しゅぎ国家こっかでは、人々ひとびと選挙せんきょけん行使こうししてみずからの代行だいこうしゃ代議員だいぎいん)をえらぶ。えらばれた各々おのおの代行だいこうしゃ自己じこ選出せんしゅつした人々ひとびと意思いし代行だいこうし、多数決たすうけつ法治ほうち主義しゅぎした権力けんりょく行使こうしする[4]日本にっぽんでは民主みんしゅせい民主みんしゅ政体せいたいなどともやくされる[5]

民主みんしゅ主義しゅぎという用語ようご古代こだいギリシャで「多数たすうしゃ支配しはい」を意味いみし、君主くんしゅ政治せいじ貴族きぞく政治せいじとの対比たいひ使用しようされた[3]。しかしその衆愚しゅうぐ政治せいじなどを意味いみする否定ひていてき用語ようごとして使用しようされつづけ、近代きんだいより肯定こうていてき概念がいねんとして復権ふっけんして、だいいち世界せかい大戦たいせんのちにはぜん世界せかい普及ふきゅうした[3]

民主みんしゅ主義しゅぎには直接ちょくせつ民主みんしゅせい間接かんせつ民主みんしゅせいがあり[3][2]、また自由じゆう主義しゅぎてき自由じゆう民主みんしゅ主義しゅぎ批判ひはんてきブルジョワ民主みんしゅ主義しゅぎ)のほかに、経済けいざいてき平等びょうどう重視じゅうしする社会しゃかい主義しゅぎプロレタリア民主みんしゅ主義しゅぎなども登場とうじょうした[6]

自由じゆう主義しゅぎこく定義ていぎする民主みんしゅ主義しゅぎと、権威けんい主義しゅぎこく定義ていぎする民主みんしゅ主義しゅぎ意味合いみあいがことなる。自由じゆう主義しゅぎこくによる民主みんしゅ主義しゅぎとは、個人こじん自由じゆう基軸きじくとしたほう支配しはいもとづくリベラル政治せいじ形態けいたいである。一方いっぽうで、権威けんい主義しゅぎこくによる民主みんしゅ主義しゅぎとは、民族みんぞく主義しゅぎ基軸きじくとし、政治せいじ結合けつごうした保守ほしゅてき政治せいじ形態けいたいである。

概説がいせつ

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デモクラシー

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「デモクラシー」(英語えいご: democracy)の語源ごげん古代こだいギリシア: δημοκρατίαdēmokratía、デーモクラティアー)で、これは「人民じんみん民衆みんしゅう大衆たいしゅう」などを意味いみする δでるたῆμος古代こだいギリシアラテンこぼし: dêmos、デーモス)と、「権力けんりょく支配しはい」などを意味いみする κράτος古代こだいギリシアラテンこぼし: kratos、クラトス)をわせたもので、「人民じんみん権力けんりょく」「民衆みんしゅう支配しはい」「国民こくみん主権しゅけん」などの意味いみ[7]

「デモクラシー」は、すぐれたひと貴族きぞく)による権力けんりょく支配しはい意味いみする「アリストクラティア」(貴族きぞくせい寡頭せいなどとやくされる)との対比たいひ使用しようされた。両者りょうしゃ権力けんりょくしゃ支配しはいしゃ多寡たか多数たすう少数しょうすうか)に注目ちゅうもくした用語ようごである。なお「アリストクラティア」( ἀριστοκρατία古代こだいギリシアラテンこぼし: aristokratía)は「すぐれたひと」を意味いみする ἄριστος古代こだいギリシアラテンこぼし: aristos、アリストス)と、 「権力けんりょく支配しはい」を意味いみするκράτοςわせたものである。

しかし、古代こだいギリシアの衰退すいたい以降いこうは「デモクラシー」のかたり衆愚しゅうぐ政治せいじ意味いみ使つかわれるようになり、古代こだいローマでは「デモクラシー」のかたり使用しようされず、王政おうせい廃止はいしして元老げんろういん市民しみん集会しゅうかい主権しゅけん体制たいせいは「共和きょうわせい」とばれた。

近代きんだい啓蒙けいもう主義しゅぎにより「デモクラシー」は、自由じゆう主義しゅぎ思想しそう用語ようごとしてふたた使つかわれるようになった(自由じゆう民主みんしゅ主義しゅぎ)。近代きんだい政治せいじ思想しそうじょうはじめて明確めいかくにデモクラシー要求ようきゅうおこなったのは、清教徒せいきょうと革命かくめいでのレヴェラーズ(Levellers平等びょうどう水平すいへい)であり[8]さらフランス革命かくめいにより君主くんしゅせい貴族きぞくせい神政しんせい政治せいじなどと対比たいひされ、また20世紀せいき以降いこう全体ぜんたい主義しゅぎとの対比たいひでも使用しようされることがえた。なお政治せいじがくでは、民主みんしゅ主義しゅぎ総称そうしょうは「権威けんい主義しゅぎ権威けんい主義しゅぎ政体せいたい)」とばれる。

民主みんしゅせい民主みんしゅせい

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日本語にほんごで「デモクラシー」は通常つうじょう、おもに政体せいたい場合ばあいは「民主みんしゅせい」、おもに制度せいど場合ばあいは「民主みんしゅせい」、おもに思想しそう理念りねん運動うんどう場合ばあいは「民主みんしゅ主義しゅぎ」などとわけけられている。 なお政治せいじがくでは、とく思想しそう理念りねん運動うんどう明確めいかくすために「民主みんしゅ主義しゅぎ」のカナ転写てんしゃである「デモクラティズム[9]」(えい: democratism[10])が使用しようされる場合ばあいもある。

なお、現代げんだいギリシャではδημοκρατία(ディモクラティア)は「民主みんしゅせい」をあらわすと同時どうじに「共和きょうわこく共和きょうわせい)」をあらわかたりでもあり、国名こくめいの「~共和きょうわこく」と場合ばあいにもδημοκρατίαがもちいられる。

民主みんしゅ」というかたり・「republic」など語義ごぎ混在こんざい

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[11]民主みんしゅという言葉ことばは、伝統でんとうてき中国語ちゅうごくご語義ごぎによれば「みんおも」すなわち君主くんしゅのことでありしょけいひだりでんられる用法ようほうである。これをdemocracyやrepublicに対置たいちさせる最初さいしょのものはウィリアム・マーティン(ちょう韪良)万国ばんこく公法こうほう(1863ねんまたは64ねん)であり、マーティンは a democratic republic を「民主みんしゅくに」と対訳たいやくしていた。しかしこのかんやくは、中国ちゅうごく日本にっぽんでそのしばらくられるようになる democracy と republic の概念がいねんたいする理解りかい、あるいはその訳述やくじゅつたいする混乱こんらん最初さいしょあらわれであった。マーティンより以前いぜん、イギリスのロバート・モリソンうまあやへりくだ)の「はなえい字典じてん」(1822ねん)は democracy を「すんで不可ふか無人むじん統率とうそつまた不可ふかじんらんかん」(合意ごういすることができず、ひとおおくカオスである)という文脈ぶんみゃく紹介しょうかいし、ヘンリー・メドハーストむぎおもえ)の「英華えいか字典じてん」(1847ねん)はややみ「衆人しゅうじんてきこくすべ衆人しゅうじんてきひとらんかんしょうみんろうけん」(衆人しゅうじんくにせい衆人しゅうじんによる統治とうち理論りろんひとおお道理どうりみだれていることをさすことがあり、少数しょうすうおろかなものこうけんもてあそぶさまをさすことがある)と解説かいせつする。さらにドイツのロブシャイド(そんとく)「英華えいか字典じてん」(1866ねん)は「民政みんせい衆人しゅうじん管轄かんかつ百姓ひゃくしょうろうけん」(みん政治せいじおおくのひと道理どうりとおそうとしたり批判ひはんしたりする、おおくののあるものこうけんもてあそぶ)と解説かいせつしていた。

19世紀せいき後半こうはん漢語かんごけん理解りかいはこのてんひとつにさだまっておらず、ちん力衛りきえによれば Democracy は「みん(たみ)がおも」という語義ごぎと「民衆みんしゅうあるじ(ぬし、すなわち民選みんせん大統領だいとうりょう)」という語義ごぎ混在こんざいしていたのである。一方いっぽう日本にっぽんでは democracy および republic にたいしては当初とうしょはシンプルで区別くべつなく対処たいしょしており、1862ねんほり達之たつゆきすけ作成さくせいした英和えいわ対訳たいやく袖珍しゅうちん辞書じしょでは democracy および republic いずれにも「共和きょうわ政治せいじ」の邦訳ほうやくてていた。これが万国ばんこく公法こうほう渡来とらいとその強力きょうりょく受容じゅようにより「民主みんしゅ」なるかたり併用へいよう混用こんよう時代じだいむかえることとなる。

理念りねんへの評価ひょうか独裁どくさい国家こっかにおける自称じしょう

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民主みんしゅ主義しゅぎ(デモクラシー、民主みんしゅせい民主みんしゅせい)は、組織そしき重要じゅうよう意思いし決定けっていを、その組織そしき構成こうせいいん人民じんみん民衆みんしゅう大衆たいしゅう国民こくみん)がおこなう、すなわ構成こうせいいん最終さいしゅう決定けっていけん主権しゅけん)をつという政体せいたい制度せいど政治せいじ思想しそうであるが、その概念がいねん理念りねん範囲はんい制度せいどなどは古代こだいよりおおくの主張しゅちょう議論ぎろんがある。

古代こだいギリシア民主みんしゅ主義しゅぎは、寡頭せい少数しょうすう支配しはい)にたいする人民じんみん支配しはい民衆みんしゅう支配しはい多数たすう支配しはい)であり、ほう支配しはい自由じゆう自治じち法的ほうてき平等びょうどうなどの概念がいねん関連かんれんしていた。しかしそのなが衆愚しゅうぐ政治せいじ意味いみするようになり、17世紀せいき以降いこう啓蒙けいもう主義しゅぎによる自由じゆう主義しゅぎ立場たちばからさい評価ひょうかされ、社会しゃかい契約けいやくろんにより国民こくみん主権しゅけん正統せいとうせい理念りねんとなり、名誉めいよ革命かくめいアメリカ独立どくりつ革命かくめいフランス革命かくめいなどのブルジョワ革命かくめいおおきな影響えいきょうあたえた。民主みんしゅ主義しゅぎ功利こうり主義しゅぎ経験けいけん主義しゅぎ立場たちばからも評価ひょうかされるが、同時どうじ古代こだいより多数たすうによる専制せんせいや、民衆みんしゅう支持しじ背景はいけい少数しょうすう独裁どくさいてんじる危険きけんせい存在そんざいする。

とりわけ民主みんしゅ主義しゅぎ理念りねんたいする評価ひょうかは、2つの世界せかい大戦たいせんをきっかけとして20世紀せいき激変げきへんした。だいいち世界せかい大戦たいせんそう力戦りきせんとなり、ドイツ帝国ていこくオーストリア=ハンガリー帝国ていこくロシア帝国ていこくなどでは帝政ていせい終焉しゅうえんした[12]だいいち世界せかい大戦たいせん、「世界せかいもっと民主みんしゅてき憲法けんぽう」とわれたヴァイマル憲法けんぽうしたドイツで、アドルフ・ヒトラーひきいるナチスとうがドイツ民族みんぞく危機ききうったえて1932ねん7がつドイツ国会こっかい選挙せんきょだい躍進やくしんし、さら国民こくみん投票とうひょうで「総統そうとう」となった。だい世界せかい大戦たいせんでは「民主みんしゅ主義しゅぎ全体ぜんたい主義しゅぎ対決たいけつ」という意味いみづけがとく途中とちゅうから参戦さんせんしたアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくによって強調きょうちょうされ、冷戦れいせん開始かいしは「全体ぜんたい主義しゅぎ」にソビエト連邦れんぽうスターリン主義しゅぎくわえられた[12]戦争せんそうちゅう銃後じゅうご女性じょせいふくおおくの国民こくみん戦争せんそう動員どういんされ、戦争せんそう貢献こうけんする以上いじょう政治せいじてき発言はつげんみとめられるべきとして、結果けっかとして選挙せんきょけん拡大かくだいにつながった[12]


こうして民主みんしゅ主義しゅぎ正当せいとうせいたかまり、もっと独裁どくさいてき国家こっかすら「みずからこそがしん民主みんしゅ主義しゅぎ体現たいげんしている」と主張しゅちょうするようになり、民主みんしゅ主義しゅぎ理念りねん否定ひていする体制たいせい事実じじつじょうなくなった反面はんめん、「民主みんしゅ主義しゅぎとはなにか」が曖昧あいまいともなっている[12]言論げんろんNPOによると、アジアでは民主みんしゅ主義しゅぎ後退こうたいしている。2021ねん時点じてんのエコノミスト・インテリジェンス・ユニット(EIU)の「民主みんしゅ主義しゅぎ指数しすう」によると、完全かんぜん民主みんしゅ主義しゅぎ国家こっか(Full democracies)に分類ぶんるいされるくには、日本にっぽん台湾たいわん韓国かんこくのみとなっている[13]

種類しゅるい

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民主みんしゅ主義しゅぎ代表だいひょうてき種類しゅるい分類ぶんるいには以下いかがあるが、その分類ぶんるい呼称こしょう時代じだい立場たちば観点かんてんなどにもよってことなり、おおくの議論ぎろん存在そんざいしている。

直接ちょくせつ民主みんしゅせい(direct democracy)

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スイス・グラールスしゅう州民しゅうみん集会しゅうかい。2014ねん

直接ちょくせつ民主みんしゅ主義しゅぎは、集団しゅうだん構成こうせいいんによる意思いし集団しゅうだん意思いし決定けっていに、より直接的ちょくせつてき反映はんえいされるべきとかんがえる。直接ちょくせつ民主みんしゅ主義しゅぎ究極きゅうきょく形態けいたいは、構成こうせいいん直接的ちょくせつてき集合しゅうごう議論ぎろんして決定けっていする形態けいたいであり、たか正統せいとうせいられる反面はんめんとくだい規模きぼ集団しゅうだんでは物理ぶつりてき制約せいやくや、構成こうせいいんたか知見ちけん負担ふたん必要ひつようとなる。また議員ぎいんなど代表だいひょうしゃ選出せんしゅつする形態けいたいでも有権者ゆうけんしゃ選択せんたく重視じゅうしされ、議員ぎいん信任しんにんされたのではなく有権者ゆうけんしゃ意思いし委任いにんされた存在そんざいであり、有権者ゆうけんしゃ意思いしはんする場合ばあいリコールさい選挙せんきょ対象たいしょうとなりうる。 

古代こだいアテナイ古代こだいローマではみんかい実施じっしされた。現代げんだいではイニシアチブ(国民こくみん発案はつあん住民じゅうみん発案はつあんなど)、レファレンダム(国民こくみん投票とうひょう住民じゅうみん投票とうひょうなど)、リコール(罷免ひめん)が直接ちょくせつ民主みんしゅ主義しゅぎもとづく制度せいどとされ、都市とし国家こっか伝統でんとうスイスアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくタウンミーティングなどでは構成こうせいいん参加さんかによる自治じち重視じゅうしされている。

間接かんせつ民主みんしゅせい(indirect democracy)

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2007ねんフランス大統領だいとうりょう選挙せんきょ投票とうひょうする女性じょせい

間接かんせつ民主みんしゅ主義しゅぎ代表だいひょう民主みんしゅ主義しゅぎ代議だいぎせい民主みんしゅ主義しゅぎ)は、主権しゅけんしゃである集団しゅうだん構成こうせいいん自分じぶん代表だいひょうしゃ議員ぎいん大統領だいとうりょうなど)を選出せんしゅつし、実際じっさい意思いし決定けっていまかせる方法ほうほう制度せいどである。主権しゅけんしゃによる意思いし決定けってい間接かんせつてきとなるが、知識ちしき意識いしきたか政治せいじてき活動かつどう可能かのう時間じかん費用ひようえられる人物じんぶつ選出せんしゅつすることが可能かのうとなる。選挙せんきょ制度せいどにもより、議員ぎいん位置いちづけ(支持しじしゃ選挙せんきょ代表だいひょうか、全体ぜんたい代表だいひょうか)、選挙せんきょ正当せいとうせい投票とうひょう価値かち平等びょうどうせい区割くわりなどの適正てきせいせい投票とうひょう集計しゅうけい検証けんしょうせいなど)、代表だいひょうしゃいたる)による決定けってい正当せいとうせい主権しゅけんしゃ意思いし世論せろん民意みんい)が反映はんえいされているか)などがつね議論ぎろんとなる。

自由じゆう民主みんしゅせい(Liberal democracy)

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自由じゆう民主みんしゅ主義しゅぎ自由じゆう主義しゅぎてき民主みんしゅ主義しゅぎ立憲りっけん民主みんしゅ主義しゅぎ)は、自由じゆう主義しゅぎによる民主みんしゅ主義しゅぎ人間にんげん理性りせい判断はんだん可能かのうであり、自由じゆうけん私的してき所有しょゆうけん参政さんせいけんなどの基本きほんてき人権じんけん自然しぜんけんであるとして、立憲りっけん主義しゅぎによる権力けんりょく制限せいげん権力けんりょく分立ぶんりつによる権力けんりょく区別くべつ分離ぶんり抑制よくせい均衡きんこう重視じゅうしする。古典こてんてきには、選出せんしゅつされた議員ぎいん全員ぜんいん代表だいひょうであり、理性りせいしたが議論ぎろん交渉こうしょうおこな決定けっていする自由じゆうつとかんがえる。

宗教しゅうきょう民主みんしゅ主義しゅぎ

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宗教しゅうきょうにおける民主みんしゅ主義しゅぎキリスト教きりすときょう民主みんしゅ主義しゅぎ会衆かいしゅうせい仏教ぶっきょう民主みんしゅ主義しゅぎイスラム民主みんしゅ主義しゅぎなど。

社会しゃかい主義しゅぎ関連かんれん民主みんしゅせい

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社会しゃかい主義しゅぎにおける民主みんしゅ主義しゅぎには、フェビアン協会きょうかいひとしによる社会しゃかい民主みんしゅ主義しゅぎ潮流ちょうりゅう民主みんしゅ社会しゃかい主義しゅぎマルクス・レーニン主義しゅぎ(いわゆる共産きょうさん主義しゅぎ)によるプロレタリア民主みんしゅ主義しゅぎ人民じんみん民主みんしゅ主義しゅぎしん民主みんしゅ主義しゅぎなどがある。

ジェファーソンりゅう民主みんしゅ主義しゅぎ

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アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく大統領だいとうりょうトーマス・ジェファーソンひとしによる民主みんしゅ主義しゅぎ共和きょうわせい自立じりつ重視じゅうしし、エリート主義しゅぎ反対はんたいし、政党せいとうせいよわ連邦れんぽうせいちいさな政府せいふ)を主張しゅちょうした。

ジャクソンりゅう民主みんしゅ主義しゅぎ

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アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく大統領だいとうりょうアンドリュー・ジャクソンひとしによる民主みんしゅ主義しゅぎ選挙せんきょけん土地とち所有しょゆうしゃからぜん白人はくじん男性だんせい拡大かくだいし、猟官りょうかんせい領土りょうど拡張かくちょうすすめた。

くさ民主みんしゅせい(Grassroots democracy)

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市民しみん運動うんどう住民じゅうみん運動うんどうなど一般いっぱん民衆みんしゅうによる民主みんしゅ主義しゅぎジェファーソンりゅう民主みんしゅ主義しゅぎ源泉げんせんとし、フランクリン・ルーズベルト提唱ていしょうした[14]

たたか民主みんしゅ主義しゅぎ防衛ぼうえいてき民主みんしゅ制度せいど,Defensive democracy)

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防衛ぼうえいてき民主みんしゅせい」とは、だい世界せかい大戦たいせんドイツひとし共産きょうさん主義しゅぎ(コミュニズム)やファシズムなど自由じゆう民主みんしゅせい否定ひていする言動げんどう自由じゆう権利けんりまではみとめない民主みんしゅ制度せいど。(西にし)ドイツ連邦れんぽう憲法けんぽう裁判所さいばんしょ判決はんけつなかで「自由じゆうてきには制限せいげん自由じゆうみとめない」とだんじて、ドイツ共産党きょうさんとうを1956ねんから強制きょうせい解散かいさんさせている[15]

歴史れきし

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古代こだいよりおおくの時代じだい地域ちいきあるいは共同きょうどうたいで、多様たよう合議ごうぎせいや、ほうルールもとづいた合意ごうい形成けいせい意思いし決定けってい存在そんざいしたが、一般いっぱんてきには民主みんしゅ主義しゅぎ(デモクラシー、民主みんしゅせい民主みんしゅせい)の起源きげん古代こだいギリシャおよび古代こだいローマとされ、また近代きんだいてき意味いみでの民主みんしゅ主義しゅぎは17世紀せいき以降いこう啓蒙けいもう思想しそう自由じゆう主義しゅぎ、それらの影響えいきょうけたフランス革命かくめいアメリカ独立どくりつ革命かくめいなどを形成けいせいされ、20世紀せいきおおくの諸国しょこく地域ちいき拡大かくだいした。

古代こだいギリシア

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アテナイ民主みんしゅ主義しゅぎちち」とばれるクレイステネスぞうオハイオしゅう議事堂ぎじどう

古代こだいギリシアアテナイでは、みんかいによる直接ちょくせつ民主みんしゅ主義しゅぎおこなわれた。みんかい参加さんかはアテナイ市民しみんけんぜん成人せいじん男性だんせいで、奴隷どれい女性じょせい移住いじゅうしゃ対象たいしょうがいであり、議論ぎろんのち多数決たすうけつ決定けっていされた。

アテナイでは王制おうせいから貴族きぞくせい移行いこうは、貴族きぞくアレオパゴス会議かいぎ元老げんろういん)による支配しはいおこなわれ、みんかい権限けんげん限定げんていてきであった。紀元前きげんぜん7世紀せいきドラコン従来じゅうらい不文法ふぶんほう成文せいぶんし、貴族きぞくによるほう知識ちしき独占どくせんくずされた。紀元前きげんぜん6世紀せいきソロン市民しみん奴隷どれいへの転落てんらく禁止きんしし、すべての市民しみんみんかい参加さんかすることをみとめる法律ほうりつ制定せいていした(ソロンの改革かいかく)ため、市民しみん奴隷どれい明確めいかく二分にぶんされ、以後いご市民しみんあいだにおける自由じゆう平等びょうどう保証ほしょうされた[16]つづいて紀元前きげんぜん5世紀せいきクレイステネス僭主せんしゅヒッピアス追放ついほうし、従来じゅうらい血縁けつえんによる部族ぶぞくせいから居住きょじゅうデーモス、デモクラシーの語源ごげんとなった)せいへの移行いこうひゃくにん評議ひょうぎかい設置せっちとうかた追放ついほう創設そうせつなど、民主みんしゅせい基礎きそ確立かくりつした。さら紀元前きげんぜん462ねんペリクレスひとしアレオパゴス会議かいぎ権限けんげん剥奪はくだつした。

しかしペルシア戦争せんそうソフィストひとし批判ひはん市民しみん裁判さいばんによりソクラテス処刑しょけいされると、弟子でしプラトン民主みんしゅ主義しゅぎ衆愚しゅうぐ政治せいじおちい危険きけんがあるとかんが哲人てつじん政治せいじ主張しゅちょうした。またアリストテレスろく政体せいたいろん主張しゅちょうし、ポリテイア(くにせい)では「ひとしいものをひとしくあつかう」ことが正義せいぎ本質ほんしつとし、市民しみんあいだ平等びょうどう相互そうご支配しはい政治せいじてき支配しはい)を重視じゅうししたが、主人しゅじん奴隷どれいたいする支配しはい主人しゅじんてき支配しはい)やおやたいする支配しはい王政おうせいてき支配しはい)は擁護ようごした[17]。これにたいしてのちストア自然しぜんほうによる奴隷どれいふくめたすべての人間にんげん平等びょうどういた[17]

アテナイをふく古代こだいギリシア衰退すいたいは、民主みんしゅ主義しゅぎ大衆たいしゅう支配しはい)は合理ごうりてき統治とうち形態けいたいではないとかんがえる時代じだいながつづいた。

古代こだいローマ

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レッジョ・エミリアにあるSPQR紋章もんしょう共和きょうわせいローマ主権しゅけんしゃである「元老げんろういんとローマの人民じんみん市民しみん)」をあらわす。

古代こだいローマでは、古代こだいギリシアで使つかわれたデモクラシーという言葉ことば衆愚しゅうぐ政治せいじ意味いみするとかんが使用しようしなかったが、共和きょうわせい移行いこう貴族きぞく中心ちゅうしん元老げんろういん平民へいみんみんかい意思いし決定けってい機関きかんとなり、ローマほう整備せいびされ、王政おうせい復活ふっかつ独裁どくさい防止ぼうしするために執政しっせいかんなどの政務せいむかん任期にんきとう制限せいげんされた。いわゆる帝政ていせいローマへの移行いこうも、名目めいもくじょう共和きょうわせいで、ローマ皇帝こうてい元首げんしゅプリンケプス)であった。

紀元前きげんぜん509ねん古代こだいローマはおう追放ついほう共和きょうわせいローマとなったが、貴族きぞく平民へいみん身分みぶん闘争とうそうつづき、紀元前きげんぜん494ねん 平民へいみん保護ほごするまもるみんかん創設そうせつされて拒否きょひけんあたえられ、紀元前きげんぜん287ねん ホルテンシウスほうみんかい独自どくじ立法りっぽう機関きかんとなったが、グラックス兄弟きょうだいなどの改革かいかく失敗しっぱいした。またローマ民権みんけん征服せいふく民族みんぞくなどに拡大かくだいされ、212ねんアントニヌスみことのりれい帝国ていこくないぜん自由じゆうみん成人せいじん男性だんせい)に拡大かくだいされた。

キケロ元老げんろういん統治とうち機関きかん)、執政しっせいかん元首げんしゅ)、みんかい議会ぎかい)を権力けんりょく分立ぶんりつかんがえた。近代きんだい以降いこう元老げんろういん上院じょういんみんかい下院かいんプリンケプス元首げんしゅとなり、ローマほうはヨーロッパほう普通ふつうほう、ユス・コムーネ)に影響えいきょうあたえた。

中世ちゅうせい

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中世ちゅうせいではローマ教会きょうかいなど宗教しゅうきょうてき権威けんい王権おうけん神授しんじゅせつなど絶対ぜったい王政おうせい支配しはいてきとなったが、ヨーロッパでは都市とし国家こっか古代こだいローマ影響えいきょう各地かくち商業しょうぎょう都市とし発達はったつなどもあり、多様たよう場所ばしょ形態けいたい選挙せんきょ君主くんしゅせい議会ぎかい自治じちなど民主みんしゅてき概念がいねん制度せいど存在そんざいした。古代こだいからのものもふくめ、おもれいには以下いかがある。

近代きんだい国家こっか成立せいりつ啓蒙けいもう思想しそう

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1215ねんつくられた、マグナ・カルタの認証にんしょうづけ写本しゃほん

13世紀せいきイングランド王国おうこくマグナ・カルタスコットランド王国おうこくアーブロース宣言せんげん王権おうけん制限せいげんさだめられた。16世紀せいき以降いこうジャック=ベニーニュ・ボシュエロバート・フィルマー王権おうけん神授しんじゅせつとなえて政治せいじ権力けんりょく教会きょうかい権力けんりょくからの独立どくりつ宣言せんげんし、ジャン・ボダンが「国家こっか主権しゅけんろん」をとなえ、1648ねん ヴェストファーレン条約じょうやくにより中世ちゅうせいとはことなる近代きんだいてき主権しゅけん国家こっか成立せいりつした[18]

17世紀せいき以降いこう啓蒙けいもう思想しそうによる自由じゆう主義しゅぎ主張しゅちょうされ、ヴォルテール自由じゆう主義しゅぎ人間にんげん平等びょうどう主張しゅちょうした。17世紀せいき清教徒せいきょうと革命かくめいでリヴェラベーズ(平等びょうどう)が「民主みんしゅ主義しゅぎ」の用語ようご使用しようして社会しゃかい契約けいやく普通ふつう選挙せんきょ要求ようきゅうした。また人民じんみん主権しゅけん理論りろんとして社会しゃかい契約けいやくろんとなえられた。ホッブス社会しゃかい契約けいやくろんは、権力けんりょく正統せいとうせいかみではなく支配しはいしゃである人民じんみんもとめたが、国民こくみんによる統治とうち構想こうそうしなかった。つぎジョン・ロック社会しゃかい契約けいやくろんは、さら国民こくみん抵抗ていこうけん革命かくめいけん)をみとめ、アメリカ独立どくりつ革命かくめい影響えいきょうあたえた[19]。またジャン・ジャック・ルソー社会しゃかい契約けいやくろんは、堕落だらくした文明ぶんめい社会しゃかい変革へんかくする方法ほうほうとして人民じんみん一般いっぱん意思いし公共こうきょう)を創出そうしゅつするとし、また代表だいひょうせい批判ひはん直接ちょくせつ民主みんしゅ主義しゅぎ理念りねん提示ていじ[20]のフランス革命かくめい影響えいきょうあたえた。モンテスキューはブルジョワジー、とく知識ちしき階級かいきゅう自由じゆう権力けんりょく専制せんせいからいかに保障ほしょうするかをかんがえ、権力けんりょく分立ぶんりつ形態けいたいとして三権分立さんけんぶんりつ構想こうそうした[21]

アメリカ独立どくりつ革命かくめい

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独立どくりつ宣言せんげん』(ジョン・トランブル

1775ねんアメリカ独立どくりつ革命かくめい発生はっせいした。きたアメリカのイギリス植民しょくみんでは、植民しょくみんへの重税じゅうぜい植民しょくみんからの輸入ゆにゅう規制きせいとうへの不満ふまんから、ミルトン、ハリントンロック理論りろんまなび、基本きほんてき人権じんけん代表だいひょうせい(「代表だいひょうなくして課税かぜいなし」)を確立かくりつした。1776ねん トーマス・ジェファーソン起草きそうしたアメリカ独立どくりつ宣言せんげんでは社会しゃかい契約けいやくろん人民じんみん主権しゅけん抵抗ていこうけん革命かくめいけん明文めいぶん政治せいじ原理げんりとして採用さいようされた。かく植民しょくみん憲法けんぽう制定せいていなど共和きょうわこくとしての制度せいどととのえ、タウンミーティングなど直接ちょくせつ民主みんしゅ主義しゅぎ伝統でんとう形成けいせいされていった。とくペンシルベニアバージニアひとし共和きょうわこく憲法けんぽうは、人民じんみん意思いし反映はんえい議会ぎかい優位ゆういつよし、連邦れんぽう強化きょうか専制せんせいつながるものとして警戒けいかいされた[22]

独立どくりつ戦争せんそう財政ざいせい危機きき無産むさん階級かいきゅう台頭たいとうによる政治せいじ不安ふあんなか有産ゆうさん階級かいきゅうかく植民しょくみん共和きょうわこく独立どくりつ自治じち見直みなおし、強力きょうりょく中央ちゅうおう連邦れんぽう政府せいふ樹立じゅりつかった。1787ねん採択さいたくアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく憲法けんぽうは、多数たすう権力けんりょくもまた警戒けいかいすべしとのかんがえから、権力けんりょく分立ぶんりつ徹底てってい社会しゃかい秩序ちつじょ安定あんてい重視じゅうしし、議会ぎかい二院にいんせい議会ぎかいから独立どくりつした強力きょうりょく大統領だいとうりょうによる行政ぎょうせいけん立法りっぽう優位ゆういする司法しほうけん確立かくりつした。この結果けっか、ブルジョワジー中心ちゅうしん体制たいせい確立かくりつした[22]。そのジェファーソンりゅう民主みんしゅ主義しゅぎジャクソンりゅう民主みんしゅ主義しゅぎが2だい潮流ちょうりゅうとなり、また大衆たいしゅう社会しゃかいによる議会ぎかい制度せいど形骸けいがいけてくさ民主みんしゅ主義しゅぎ提唱ていしょうされた。

われわれは、以下いか事実じじつ自明じめいのこととかんがえている。つまりすべてのひとまれながらにして平等びょうどうであり、すべてのひとかみよりおかされざるべき権利けんりあたえられている、その権利けんりには、生命せいめい自由じゆう、そして幸福こうふく追求ついきゅうふくまれている。その権利けんり保障ほしょうするものとして、政府せいふ国民こくみんのあいだにてられ、統治とうちされるものの同意どういがその正当せいとうちから根源こんげんとなる。そしていかなる政府せいふといえどもその目的もくてきはんするときには、その政府せいふ変更へんこうしたり、はいしたりして、あたらしい政府せいふちたてる国民こくみんとしての権利けんりをもつ。 — アメリカ独立どくりつ宣言せんげん (1776ねん)
これまで英国えいこくおうゆうしていたすべての憲法けんぽう権威けんいは、社会しゃかい全体ぜんたい共通きょうつう利益りえきのため契約けいやくによって人民じんみんから由来ゆらいし、人民じんみん保持ほじするものとなった。 — バージニア憲法けんぽう (1776ねん)

フランス革命かくめい

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フランス1793ねん憲法けんぽう

1789ねんからのフランス革命かくめいでは、1791ねん憲法けんぽう人民じんみん主権しゅけん一般いっぱん意思いし主権しゅけん分割ぶんかつ譲渡じょうと不可ふか明記めいきされた。さら1793ねん憲法けんぽうジャコバン憲法けんぽう)で、抵抗ていこうけん直接ちょくせつ民主みんしゅ主義しゅぎてき要素ようそなどルソーの影響えいきょうつよけた憲法けんぽう制定せいていされたが、施行しこうされずにわった。

ひとおよび市民しみん権利けんり宣言せんげん

  • だい1じょう 人間にんげんは、自由じゆうかつ権利けんりにおいて平等びょうどうとしてまれ、かつ生存せいぞんする。(後略こうりゃく
  • だい3じょう すべての主権しゅけん根源こんげんは、本質ほんしつてき国民こくみんにある。(後略こうりゃく
  • だい6じょう 法律ほうりつ一般いっぱん意思いし表明ひょうめいである。すべての市民しみんは、個人こじんてき、またはかれらの代表だいひょうしゃによって、その作成さくせい協力きょうりょくする権利けんりつ。(後略こうりゃく

憲法けんぽう[ちゅう 1]

  • だい11じょう 主権しゅけんは1つで、分割ぶんかつできず、ゆずわたすことができず、かつ時効じこうにもかからない。主権しゅけん国民こくみんぞくする。(後略こうりゃく
  • だい56じょう フランスには、法律ほうりつ権威けんい優越ゆうえつする権利けんり存在そんざいしない。国王こくおうは、法律ほうりつによってのみ統治とうちし、かつ国王こくおう服従ふくじゅう強要きょうようすることができるのは、ただ法律ほうりつにおいてのみである。 — フランス1791ねん憲法けんぽう[23]

人間にんげんおよび市民しみん権利けんり宣言せんげん

  • だい33じょう 圧政あっせいにたいする抵抗ていこうは、人間にんげんのほかの権利けんり当然とうぜん結果けっかである。

憲法けんぽう

  • だい7じょう 主権しゅけんしゃ人民じんみんは、フランス市民しみん総体そうたいである。
  • だい10じょう 主権しゅけんしゃ人民じんみんは、法律ほうりつ審議しんぎする。 — フランス1793ねん憲法けんぽう[24]

現代げんだい

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Polity IV プロジェクトの評価ひょうかで8てん以上いじょうとなったくにかず人口じんこう50まんにん以上いじょう)、1800ねんから2003ねんまで[25]

18世紀せいきから20世紀せいきにかけて、主要しゅよう各国かっこく男性だんせい普通ふつう選挙せんきょや、女性じょせいふくめた完全かんぜん普通ふつう選挙せんきょ普及ふきゅうした。とくだいいち世界せかい大戦たいせんだい世界せかい大戦たいせんそう力戦りきせんとなり女性じょせい社会しゃかい進出しんしゅつすすみ、また民族みんぞく自決じけつかかげて植民しょくみん独立どくりつつづき、多数たすう主権しゅけん国家こっか誕生たんじょうした。

19世紀せいき以降いこう社会しゃかい主義しゅぎ潮流ちょうりゅうなかより、従来じゅうらいのブルジョワ民主みんしゅ主義しゅぎ欺瞞ぎまんとして暴力ぼうりょく革命かくめいとなえる共産きょうさん主義しゅぎマルクス・レーニン主義しゅぎ)が登場とうじょうすると、共産きょうさん主義しゅぎ陣営じんえい資本しほん主義しゅぎ陣営じんえい帝国ていこく主義しゅぎ批判ひはんし、資本しほん主義しゅぎ陣営じんえい共産きょうさん主義しゅぎ陣営じんえい共産党きょうさんとういちとう独裁どくさい批判ひはんした。さらだいいち世界せかい大戦たいせん、イタリアではファシズムドイツではナチズム台頭たいとうし、国家こっか主義しゅぎ民族みんぞく主義しゅぎかかげて民主みんしゅ主義しゅぎ批判ひはんした。

2007ねん国際こくさい連合れんごう総会そうかいは9月15にちを「国際こくさい民主みんしゅ主義しゅぎデー」とし、すべての加盟かめいこくおよび団体だんたいたいして公的こうてき意識いしき向上こうじょうのための貢献こうけん感謝かんしゃする決議けつぎおこなった[26]

日本にっぽん民主みんしゅ主義しゅぎ

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日本にっぽん民主みんしゅ主義しゅぎ幕末ばくまつの「おおやけ輿論よろん」にはじまり[27]、その理想りそうしたに「おおやけ政体せいたい」を目指めざしててられたのが明治めいじ政府せいふであり、その指導しどう方針ほうしん慶応けいおうよんねんさんがつ箇条かじょう誓文せいもんかかげられた「ひろ会議かいぎおこまん公論こうろんけっすべし」という原則げんそくあらわれていた[27]明治めいじ政府せいふ公論こうろん尊重そんちょう四民しみん平等びょうどうだい方針ほうしんとし、徳川とくがわ時代じだい封建ほうけん時代じだいから民主みんしゅ主義しゅぎてき時代じだいへと前進ぜんしんした[28]

明治めいじ元年がんねん京都きょうと御所ごしょ紫宸殿ししんでんにて箇条かじょう誓文せいもん神前しんぜん奉告ほうこくした。 聖徳せいとく記念きねん絵画かいがかんぞう

自由じゆう民権みんけんによる運動うんどう自由じゆう民権みんけん運動うんどう)をて、明治めいじ政府せいふ箇条かじょう誓文せいもん精神せいしんもとづき、「大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう」を明治めいじ22(1889)ねん発布はっぷし、明治めいじ23(1890)ねんには帝国ていこく議会ぎかい開催かいさいした[29]

明治めいじ31(1898)ねんには憲政けんせいとう大隈おおくま重信しげのぶ総理そうり大臣だいじんとする政党せいとうないかく成立せいりつ[30]大正たいしょうなな(1918)ねんには平民へいみん出身しゅっしんはらたかし首班しゅはんとする政党せいとうないかく実現じつげん[31]大正たいしょう14(1925)ねんには25さい以上いじょう男子だんし全員ぜんいん選挙せんきょけんみとめる普通ふつう選挙せんきょ成立せいりつした[32]。 しかし、政党せいとうあいだあらそいがはげしくなり政党せいとう政治せいじ腐敗ふはいしたことと左翼さよく思想しそう台頭たいとうしてきたことにより、軍部ぐんぶちからつようになったこと、「問答もんどう無用むよう」の暴力ぼうりょく行為こうい相次あいつ日本にっぽん民主みんしゅ主義しゅぎ衰退すいたいかった[33]

昭和しょうわなな(1931)ねんにはいぬやしなえあつし首相しゅしょう海軍かいぐん青年せいねん将校しょうこう暗殺あんさつされるというテロが発生はっせいし(いち事件じけん[34]昭和しょうわ11(1936)ねんには陸軍りくぐん青年せいねん将校しょうこうらが主要しゅよう閣僚かくりょう襲撃しゅうげきし、内大臣ないだいじん斎藤さいとうみのる大蔵おおくら大臣だいじん高橋たかはし是清これきよ暗殺あんさつされる二・二六事件ににろくじけん発生はっせい[35]昭和しょうわ12(1937)ねんにちはな事変じへんにちちゅう戦争せんそう)がはじまると、軍閥ぐんばつ政治せいじ掌握しょうあくし、独裁どくさいてき制度せいど確立かくりつし、政党せいとう議会ぎかい無力むりょくとなった。戦争せんそう太平洋戦争たいへいようせんそうにまで拡大かくだいされ日本にっぽん滅亡めつぼうのふちにまでまれた[36]

終戦しゅうせん明治めいじ憲法けんぽうはあるてんまでは民主みんしゅてき政治せいじおこなたが、民主みんしゅ主義しゅぎてき様々さまざま問題もんだいふくんでいたために、これを根本こんぽんてき改正かいせいするとし、連合れんごうこく占領せんりょう昭和しょうわ21(1946)ねん日本国にっぽんこく憲法けんぽう公布こうふされ、よく昭和しょうわ22(1947)ねんの5がつ3にち施行しこうされた[37]


思想しそう

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民主みんしゅ主義しゅぎかんする思想しそう見解けんかい発言はつげんには多数たすうのものがあるが、世界せかいてき著名ちょめいなものには以下いかがある。

デマラトス

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紀元前きげんぜん5世紀せいきペルシア戦争せんそうさいペルシャ大王だいおうクセルクセス1せいと、ペルシャに亡命ぼうめいちゅうもとスパルタおうデマラトス対話たいわより。当時とうじ一般いっぱんてき専制せんせい政治せいじのペルシャおう統治とうち基本きほん原則げんそく恐怖きょうふであり、自由じゆうとは放任ほうにん状態じょうたい統制とうせいのとれない状態じょうたいかんがえるが、例外れいがいてきほう(ノモス)権威けんいした団結だんけつして自由じゆうとなえる市民しみんだんからなるポリスでは、ほうしたでの平等びょうどう関係かんけいまえた自治じちがあり、言論げんろんひとうごかす道具どうぐで、ポリスの自由じゆうにより市民しみん政治せいじ参加さんかできていた[38]

(クセルクセス1せい)デマラトスよ、いちせんへいがこれほどの大軍たいぐん相手あいてたたかうなど、そなたはなにという笑止しょうしなことをもうすのか。(中略ちゅうりゃく)それたのものたちが一人ひとり指揮しきしゃ采配さいはいもとにあるのではなく、ことごとくが一様いちよう自由じゆうであるとするならば、どうしてこれほどの大軍たいぐんかって対抗たいこうようか。(中略ちゅうりゃく一人ひとり統率とうそつにあれば、指揮しきかんおそれるしんから実力じつりょく以上いじょうちからしゅっそうし、むちおびやかされて寡勢をかえりみず大軍たいぐんかって突撃とつげきもしよう。しかしながら自由じゆう放任ほうにんしておけば、そのいずれもするはずがなかろう。
(デマラトス)かれらは自由じゆうであるとはいえ、いかなるてんにおいても自由じゆうであるともうすのではありません。かれらはほう(ノモス)もう主君しゅくんいただいておりまして、かれらがこれをこわれることは、殿しんがりのご家来けらい殿しんがりこわれるどころではないのでございます。いずれにせよかれらはこの主君しゅくんめいじるままに行動こうどういたしますが、この主君しゅくんめいじますことはつねひとつ、すなわちいかなる大軍たいぐんむかえてもけっしててきうしろをせることをゆるさず、あくまでもおのれ部署ぶしょにふみとどまっててきせいするかみずかたれるかせよ、ということでございます。 — ヘロドトス歴史れきし[38]

ペリクレス

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ペリクレス

紀元前きげんぜん5世紀せいき古代こだいアテナイ指導しどうしゃペリクレスによる葬送そうそう演説えんぜつより。多数たすうしゃ公平こうへい法的ほうてき平等びょうどう私生活しせいかつ自由じゆうほう支配しはいなどをポリスの理想りそう主張しゅちょうした。

われらの政体せいたい他国たこく制度せいど追従ついしょうするものではない。ひとの理想りそううのではなく、ひとをしてわがはんならわしめるものである。そのは、少数しょうすうしゃ独占どくせんはい多数たすうしゃ公平こうへいまもることをむねとして、民主みんしゅ政治せいじばれる。わがくににおいては、個人こじんあいだ紛争ふんそうしょうずれば、法律ほうりつさだめによってすべてのひと平等びょうどう発言はつげんみとめられる。だが一個人いっこじん才能さいのうひいでていることがかれば、無分別むふんべつなる平等びょうどうはい世人せじんみとめるそのひと能力のうりょくおうじて、おおやけたか地位ちいさづけられる。またたとえ貧窮ひんきゅうこそうとも、ポリスにえきをなすちからひとならば、まずしさゆえにみちざされることはない。われらはあくまで自由じゆうおおやけくすみちち、また日々ひびたがいに猜疑さいぎおそれることなく自由じゆう生活せいかつ享受きょうじゅしている。(中略ちゅうりゃくわたし生活せいかつにおいてわれらはたがいに掣肘せいちゅうくわえることはしない、だがことこうかんするときは、ほうおかいをふかじおそれる。とき政治せいじをあずかるものにしたがい、ほううやまい、とくにおかされたものすくおきてと、まんにん廉恥れんちしんぶさます不文ふぶんおきてとを、あつとうとぶことをわすれない。
まとめてえば、とうのポリス全体ぜんたいはギリシアじんうべき理想りそう顕現けんげんであり、われらいちにん一人ひとり市民しみんは、人生じんせいひろしょ活動かつどう通暁つうぎょうし、自由じゆうじん品位ひんいもたし、おのれ治世ちせい円熟えんじゅくすることができるとおもう。 — トゥキディデス戦史せんし[39]

プラトン

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紀元前きげんぜん4世紀せいきプラトン著作ちょさく国家こっか』で、国家こっか寡頭せいつぎ段階だんかい民主みんしゅせいだが、ぎた自由じゆうにより崩壊ほうかいして僭主せんしゅせいになるとし、理想りそうを「哲人てつじん政治せいじ」としるした[40]自由じゆう風潮ふうちょうがそのきわみにいたると無政府むせいふ状態じょうたいがはびこり、民衆みんしゅう指導しどうしゃなかから独裁どくさいしゃまれる[41]

民主みんしゅせい国家こっかの)人々ひとびと自由じゆうであり、その国家こっか行動こうどう自由じゆう言論げんろん自由じゆうちている。そこでは何人なんにん(なんぴと)も、自分じぶんのしたい放題ほうだいのことをすることがゆるされている、ということになるのではないか。(中略ちゅうりゃく)あまりにぎた自由じゆうは、個人こじん国家こっかわず、ぎた隷属れいぞく以外いがいのどこへも変化へんかしない。僭主せんしゅせいとは、民主みんしゅせい以外いがいくにせいからまれてくるものではないようだ。おもうに、極端きょくたん自由じゆうから、もっとおおきくもっとはげしい隷属れいぞくがあらわれてくるようだ。 — プラトン国家こっかだいはちかん[40]

アリストテレス

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アリストテレス

紀元前きげんぜん4世紀せいきアリストテレス著作ちょさく政治せいじがく』で政治せいじ体制たいせい支配しはいしゃかずと、共通きょうつう利益りえきにかなうかどうかで6政体せいたい分類ぶんるいした[42]。アリストテレスは現実げんじつ最善さいぜん政体せいたいはポリティア(ポリスのくにせい)とかんがえ、それは寡頭せい民主みんしゅせい混合こんごうしたもので、富者ふしゃ貧者ひんじゃ対立たいりつ調停ちょうてい主眼しゅがんいて選挙せんきょ抽選ちゅうせん併用へいようし、また支配しはい服従ふくじゅう両方りょうほう経験けいけんしたなかあいだ階層かいそう役割やくわり安定あんてい基礎きそいた[43]他方たほう民主みんしゅせいは「自由じゆうじんまれで財産ざいさんもの多数たすうであって支配しはいしゃである」政体せいたいだが、「わる政体せいたい」のなかでは「もっとわるくないもの」で、民主みんしゅせいではほう支配しはい確保かくほされるためにみんかい例外れいがいてきにのみひらかれることが大事だいじで、民衆みんしゅう農民のうみんならば権利けんりはあっても政治せいじ参加さんかする閑暇かんかいため民主みんしゅせい穏健おんけんなものとなるが、民衆みんしゅう職人しょくにん商人しょうにん日雇ひやといから場合ばあい民主みんしゅせい極端きょくたん形態けいたいおちいりやすい、としるした[42]。また民主みんしゅ政治せいじ前提ぜんてい条件じょうけんに「自由じゆう」、「政権せいけん権力けんりょく交代こうたい」、「平等びょうどう」、「多数決たすうけつ原理げんり」などをげた[44]

アリストテレスのろく政体せいたいろん [43]
一人ひとりによる支配しはい 少数しょうすうしゃによる支配しはい 多数たすうしゃによる支配しはい[ちゅう 2]
共通きょうつう利益りえきにかなう(い)政体せいたい バシレイア(basileia 王政おうせい アリストクラティア(aristokratia 貴族きぞくせい ポリテイア(politeia ポリスのくにせい共和きょうわせい
共通きょうつう利益りえきにかなわない(わるい)政体せいたい テュランニス(tyrannis 僭主せんしゅせい オリガルキア(oligarchia 寡頭せい デモクラティア(demokratia 民主みんしゅせい
民主みんしゅせいてきこくせい根本こんぽん原理げんり自由じゆうである。そして自由じゆうひとつは順番じゅんばん支配しはいされたり、支配しはいすることである。というのは民主みんしゅせいてきただし」は、ひと値打ねうちにおうじてではなくて、ひとかずおうじてひとしきものをつことであるが、(中略ちゅうりゃく大衆たいしゅう必然ひつぜんてき主権しゅけんものであり、また何事なにごとによらず、より多数たすうもの決定けっていすることが最終さいしゅうてきなものであり、またそれがただしいことである。(中略ちゅうりゃくつぎのようなことが民主みんしゅせいてきなことである - すなわちすべての人々ひとびとがもろもろの役人やくにんをすべてのひとから選挙せんきょすること、すべての人々ひとびと一方いっぽうにおいて個々ここひと支配しはいし、他方たほうにおいて個々ここひと順番じゅんばんにすべてのひと支配しはいすること、もろもろのやく財産ざいさん全然ぜんぜんその資格しかくとしないこと、あるいはできるだけ小額しょうがく資格しかくとすること、どう一人ひとりがどんなやくにも二度にどかないこと...(中略ちゅうりゃく貧乏びんぼう人々ひとびと裕福ゆうふく人々ひとびとよりもすこしもおお支配しはいあずからないこと、あるいはただ貧乏人びんぼうにんだけ主権しゅけんしゃであることなく、すべての人々ひとびとかずおうじてひとしくそうであることが、(中略ちゅうりゃく)そうであってこそくにせいには平等びょうどう自由じゆう存在そんざいすると人々ひとびとしんずるだろうからである。 — アリストテレス政治せいじがくだい6しょう[44]
国家こっか共同きょうどうたいでも中間ちゅうかんてき人々ひとびとによって支配しはいされているものが最善さいぜんであり、(中略ちゅうりゃく未熟みじゅく粗暴そぼう民主みんしゅせいからも寡頭せいからも独裁どくさいせいしょうじてくるものであるが、中間ちゅうかんてきくにせいやそれにちかいものからしょうじることははるかにすくない。 — アリストテレス政治せいじがくだい4かん だい11しょう[45]

ポリュビオス

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ポリュビオスは『歴史れきし』を執筆しっぴつし、ローマが短期間たんきかん覇権はけん確立かくりつした理由りゆう分析ぶんせきした。王政おうせい貴族きぞくせい民主みんしゅせいは、ながつづくと腐敗ふはい制度せいど老朽ろうきゅうによりそれぞれ僭主せんしゅせい・寡頭せい衆愚しゅうぐせい堕落だらくし、僭主せんしゅせい貴族きぞくにより打倒だとうされ、衆愚しゅうぐせい独裁どくさいしゃまねせるため、このろく政体せいたい永遠えいえん循環じゅんかんする(政体せいたい循環じゅんかんろん)。しかしローマじんは、単一たんいつ原理げんりもとづくかぎりいかなるくにせいおとろえるとかんがえ、執政しっせいかん元老げんろういんみんかいさん機関きかんにそれぞれ王政おうせいてき要素ようそ貴族きぞくせいてき要素ようそ民主みんしゅせいてき要素ようそになわせた政治せいじ体制たいせい構築こうちくすることで政治せいじ安定あんてい実現じつげんした、とかんがえた。アリストテレスは富者ふしゃ貧者ひんじゃ均衡きんこう重視じゅうしして寡頭せい民主みんしゅせい混合こんごうさせたくにせい(ポリテイア)を構想こうそうしたが、ポリュビオスはしょ機関きかん均衡きんこう強調きょうちょうした。この混合こんごう政体せいたいろん権力けんりょく分立ぶんりつろん)は以後いご政治せいじろん重要じゅうようなモデルとなった[16]

マルクス・トゥッリウス・キケロ

紀元前きげんぜん1世紀せいき共和きょうわせいローママルクス・トゥッリウス・キケロは、カエサルによる独裁どくさい警戒けいかいし、法治ほうち理念りねん中心ちゅうしんとした共和きょうわせい目指めざした。キケロは著作ちょさく法律ほうりつ』で、うしなわれつつある共和きょうわせい理念りねんストア自然しぜんほう思想しそうによって補強ほきょうし、個々ここ国家こっかではなくぜん人類じんるい包括ほうかつする理性りせい共同きょうどうたいこそがほう社会しゃかい基盤きばんとなるといた[46]市民しみん直接的ちょくせつてき政治せいじ参加さんか重視じゅうししたギリシアのデモクラシーにたいし、共和きょうわせいローマにおけるほうつうじての社会しゃかい参加さんかしめした[46]

マキャヴェッリ

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16世紀せいき ニッコロ・マキャヴェッリ著作ちょさく君主くんしゅろん』で現実げんじつ主義しゅぎてき政治せいじ理論りろん主張しゅちょうした。

大衆たいしゅうつねに、外見がいけんだけをて、また出来事できごと結果けっかだけで判断はんだんしてしまうものだ。 — ニッコロ・マキャヴェッリ君主くんしゅろんだい18しょう[47]

ホッブズ

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トマス・ホッブズ

17世紀せいき清教徒せいきょうと革命かくめい時代じだいトマス・ホッブズ従来じゅうらい王権おうけん神授しんじゅせつたいして社会しゃかい契約けいやくろんとなえ、権力けんりょく正統せいとうせい人民じんみんもとめた。ホッブスは著作ちょさくリヴァイアサン』で「人間にんげん人間にんげんとしての権利けんり」として自然しぜんけん主張しゅちょうし、すべての人間にんげんまれながらにして自由じゆう平等びょうどうだが、自然しぜん状態じょうたいまんにんまんにんたいする闘争とうそうのため、ほう支配しはい実現じつげんするために支配しはい服従ふくじゅう契約けいやくむすんだと主張しゅちょうし、基本きほんてき人権じんけんつながった[48]。ただしホッブスは、かく個人こじん自然しぜんけん行使こうしけんすべてを放棄ほうきして国家こっか主権しゅけんしゃ国王こくおう)にゆだねたとし、契約けいやくにより成立せいりつした国家こっかへの抵抗ていこうけん参政さんせいけん否定ひていした[49]

自然しぜんけんとは、各人かくじんが、かれ自身じしん自然しぜんすなわちかれ自身じしん生命せいめい維持いじするために、かれ自身じしんほっするままにかれ自身じしんちからもちいるという、各人かくじん自由じゆうである。したがって、かれ自身じしん判断はんだん理性りせいにおいて、そのためにもっと適当てきとうおもわれるあらゆることを、おこな自由じゆうである。 — トマス・ホッブズリヴァイアサンだい14しょう[48]
ジョン・ロック

17世紀せいき名誉めいよ革命かくめい時代じだいジョン・ロック著作ちょさく統治とうちろんとうで、人間にんげん自然しぜんけんつが、社会しゃかい秩序ちつじょまもるために国民こくみん信託しんたくにより政府せいふ設立せつりつしたのであり、かり政府せいふ国民こくみん意思いしはんする場合ばあいには抵抗ていこうけん革命かくめいけん行使こうしして政府せいふえることを可能かのうとした[50]。ロックは人間にんげん理性りせいにより自然しぜんほうしたがってきることが可能かのうであり、社会しゃかい契約けいやくにより自然しぜんけん一部いちぶ解釈かいしゃくけん)を国家こっかゆだねたが、それ以外いがい自然しぜんけん留保りゅうほしており、公権力こうけんりょく私人しじん生命せいめい自由じゆう財産ざいさん侵害しんがいする場合ばあいには統治とうち契約けいやく違反いはんとして抵抗ていこうしてたたか権利けんり肯定こうていした[51]。またハリントン提唱ていしょうした権力けんりょく分立ぶんりつせい発展はってんさせ、立法りっぽうけん行政ぎょうせいけん分離ぶんりし、立法りっぽうけんゆうする国会こっかい最高さいこうけんゆうすると主張しゅちょうし、イギリスで伝統でんとうてき形成けいせいされてきた立憲りっけん主義しゅぎ権力けんりょく分立ぶんりつ議会ぎかい主義しゅぎ社会しゃかい契約けいやくろんから理論りろんづけた[51]

ジャン=ジャック・ルソー

18世紀せいきジャン=ジャック・ルソー著作ちょさく人間にんげん不平等ふびょうどう起源きげんろん』、『エミール (ルソー)』、『社会しゃかい契約けいやくろん』などで、人間にんげん生来せいらい自由じゆうであるが、社会しゃかい秩序ちつじょのために社会しゃかい契約けいやくむすんで国家こっか成立せいりつしたため、その政府せいふ人民じんみん一般いっぱん意思いししたが必要ひつようがあるとした。一般いっぱん意思いしとは「ただ共通きょうつう利益りえきだけを考慮こうりょする」もので、特殊とくしゅ意思いし総和そうわである全体ぜんたい意思いしとはことなり、「つね公明正大こうめいせいだいであり、公共こうきょうてき功利こうりかっている」ものとした[52]主権しゅけん一般いっぱん意思いし行使こうしであり、譲渡じょうと分割ぶんかつや、一般いっぱん意思いしからの逸脱いつだつはできない。ルソーは主権しゅけんしゃである人民じんみん立法りっぽうけん行使こうしつづけるべきと主張しゅちょうし、代表だいひょうしゃ議員ぎいん)という発想はっそうを、中世ちゅうせい以来いらい政治せいじてき堕落だらく産物さんぶつとして批判ひはんした[53]。また、すべての政体せいたいには特色とくしょく欠点けってんがあるが、最低限さいていげん執行しっこうけん立法りっぽうけん分離ぶんり必要ひつようで、定期ていきてき集会しゅうかいにより政府せいふ形態けいたい執行しっこうしゃについて投票とうひょうめるべきとした[54]。ルソーの社会しゃかい契約けいやくろんはホッブスやロックとは大幅おおはばことなり、ギリシャのポリスを理想りそうとし、社会しゃかい契約けいやくによる変革へんかく不可能ふかのうとき天才てんさいてき立法りっぽうしゃ独裁どくさいによる一般いっぱん意思いし強制きょうせいてき創出そうしゅつをも提唱ていしょうしているが、代表だいひょうせい欺瞞ぎまん指摘してき直接ちょくせつ民主みんしゅ主義しゅぎ理念りねん提示ていじした[55]

人間にんげんまれながらにして自由じゆうであるが、しかしいたるところで鉄鎖てっさにつながれている。あるものは他人たにん主人しゅじんしんじているが、事実じじつかれ以上いじょう奴隷どれいである。国家こっかてき秩序ちつじょ神聖しんせい権利けんりで、のあらゆる権利けんり基礎きそをなしている。それにもかかわらず、この権利けんり自然しぜんから由来ゆらいするものでなく、したがっていくつかの合意ごういにもとづくものである。(中略ちゅうりゃく最強さいきょうしゃであっても、自己じこちから権利けんりに、かれたいする服従ふくじゅう義務ぎむえなかったならば、いつでも支配しはいしゃでいられるほど強力きょうりょくなわけではない。(中略ちゅうりゃく自己じこ保存ほぞんのためには、ちから集合しゅうごうしてちから総和そうわをつくって、障害しょうがい抵抗ていこう克服こくふくできるようにし、ただひとつの原動力げんどうりょくでこれらのちからうごかし、そろって作用さようさせるよりほかに方法ほうほうはない。 — ジャン=ジャック・ルソー社会しゃかい契約けいやくろんだい1へん[56]
(イギリスじんは)みずからが自由じゆうだとおもっているが、それはだい間違まちがいだ。かれらが自由じゆうなのは、議員ぎいん選挙せんきょするあいだだけのことで、議員ぎいんえらばれるやいなや、かれらは奴隷どれいとなる。(中略ちゅうりゃく主権しゅけんゆずわたすことができないとおな理由りゆうで、主権しゅけん代表だいひょうされることはできない。それは本質ほんしつてき一般いっぱん意思いしそんする。そして意思いし代表だいひょうされない。意思いし自分じぶんのものか、あるいは他人たにんのものである。その中間ちゅうかんはない。それゆえに、人民じんみん代議士だいぎし一般いっぱん意思いし代表だいひょうしているものでもないし、代表だいひょうすることもできない。かれらはその用達ようたしじんでしかない。かれらは決定的けっていてきなにものもめることはできない。人民じんみんだれ批准ひじゅんしなかった一切いっさい法律ほうりつ無効むこうである。それは法律ほうりつではない。 — ジャン=ジャック・ルソー[53]

モンテスキュー

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シャルル・ド・モンテスキュー

18世紀せいきシャルル・ド・モンテスキューおおくの統治とうち制度せいど比較ひかく研究けんきゅうし、ブルジョワジーとく知識ちしき階級かいきゅう自由じゆう権力けんりょく専制せんせいから保障ほしょうするために立法りっぽう行政ぎょうせい司法しほうどう一人物いちじんぶつまたは団体だんたい独占どくせんさせない権力けんりょく分立ぶんりつ三権分立さんけんぶんりつ)を構想こうそうした。さら立法りっぽう庶民しょみんいん貴族きぞくいんけ、行政ぎょうせい国王こくおうにない、司法しほう恣意しいはいした純粋じゅんすい理論りろんてき操作そうさであり権力けんりょくせいいとかんがえたため、庶民しょみんいん貴族きぞくいん君主くんしゅ三権さんけん当時とうじのブルジョワジー・貴族きぞく階級かいきゅう絶対ぜったい王権おうけんさんかいきゅう対応たいおうした[55]

リンカーン

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エイブラハム・リンカーン

エイブラハム・リンカーンは1863ねんゲティスバーグ演説えんぜつ有名ゆうめい以下いか演説えんぜつおこなった。

これらの勇敢ゆうかん父祖ふそたちの無駄むだにしないために、かみのもとであたらしい自由じゆうし、そして、人民じんみん人民じんみんによる人民じんみんのための政治せいじ統治とうちがこの地上ちじょうからうしなわれてしまわないようたからかに決意けついしなければならない。 — エイブラハム・リンカーン

ベンサム

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18世紀せいき後半こうはんから19世紀せいき前半ぜんはんにかけて、ジェレミ・ベンサム自然しぜんけん社会しゃかい契約けいやくなどの抽象ちゅうしょうてき理論りろんしりぞけ、功利こうり主義しゅぎ立場たちばから政治せいじ目標もくひょうを「最大さいだい多数たすう最大さいだい幸福こうふく」にき、国家こっか個人こじん安全あんぜん必要ひつよう限度げんど存在そんざいすべき必要ひつようわるとして、男子だんし普通ふつう選挙せんきょなどを提案ていあんした[57]

19世紀せいきジョン・スチュアート・ミルは、ベンサムとおなじく功利こうり主義しゅぎったが個人こじん精神せいしんてき自由じゆう重視じゅうしし、少数しょうすうしゃ自由じゆう抑圧よくあつする多数たすうしゃによる専制せんせい危惧きぐいだき、教養きょうようある人々ひとびと複数ふくすう投票とうひょうけんあたえる不平等ふびょうどう選挙せんきょや、少数しょうすうしゃ代表だいひょう選出せんしゅつしうる比例ひれい代表だいひょうせい提案ていあんした[58]

トクヴィル

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アレクシ・ド・トクヴィル

19世紀せいき アレクシ・ド・トクヴィルは、自由じゆう主義しゅぎてき政治せいじとして社会しゃかい主義しゅぎ急進きゅうしんてき共和きょうわ主義しゅぎ反対はんたいし、著作ちょさくアメリカのデモクラシー』で民主みんしゅ政治せいじ平等びょうどうせい評価ひょうかする半面はんめん個人こじん平等びょうどう集団しゅうだんてき匿名とくめいてき専制せんせい主義しゅぎにつながるという大衆たいしゅうデモクラシー傾向けいこう指摘してきした[59]

合衆国がっしゅうこくにおいてはだれでもほうしたがう(したがう)ことに一種いっしゅ個人こじんてき利益りえき見出みいだしているという事実じじつがある。今日きょう多数たすう)にぞくさないひとも、おそらく明日あしたにはそのれつにあるだろうという期待きたいがあるからである。 — アレクシ・ド・トクヴィルアメリカのデモクラシーだい6しょう[60]
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくでは)多数たすう疑念ぎねんいているかぎ議論ぎろんがあるが、しかしいったん断固だんことして多数たすう意見いけん表明ひょうめいすれば、各人かくじん沈黙ちんもくする。(中略ちゅうりゃく)(アメリカを支配しはいするちからは)わずかの非難ひなんにさえきずつき、すこしでもいたいところをつかれるとたけつ。(中略ちゅうりゃく多数たすうつねさんなかきている。(中略ちゅうりゃく精神せいしん自由じゆうがアメリカにはないからである。 — アレクシ・ド・トクヴィルアメリカのデモクラシーだい7しょう[59]

ジェファーソン

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だい3だいアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく大統領だいとうりょうトーマス・ジェファーソンは、共和きょうわせい発展はってんさせ、民主みんしゅ主義しゅぎ政治せいじてき機会きかい平等びょうどうとなえ、しゅう権限けんげん重視じゅうしして連邦れんぽう政府せいふ権限けんげん制限せいげん賛成さんせいした。

われわれの選良せんりょう信頼しんらいして、われわれの権利けんり安全あんぜんたいする懸念けねんわすれるようなことがあれば、それは危険きけんかんがちがいである。信頼しんらいはいつも専制せんせいおやである。自由じゆう政府せいふは、信頼しんらいではなく、猜疑さいぎにもとづいて建設けんせつせられる。われわれが権力けんりょく信託しんたくするをようする人々ひとびとを、制限せいげん政体せいたいによって拘束こうそくするのは、信頼しんらいではなく猜疑さいぎ由来ゆらいするのである。われわれ連邦れんぽう憲法けんぽうは、したがって、われわれの信頼しんらい限界げんかい確定かくていしたものにすぎない。権力けんりょくかんする場合ばあいは、それゆえ、ひとたいする信頼しんらいみみをかさず、憲法けんぽうくさりによって、非行ひこうおこなわぬように拘束こうそくする必要ひつようがある。 — ケンタッキーしゅうおよびバージニアしゅう決議けつぎ、1776ねん

レーニン

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ウラジーミル・レーニンは、著作ちょさく国家こっか革命かくめい』で、国家こっか階級かいきゅう対立たいりつとともに発生はっせいした支配しはい階級かいきゅう支配しはい階級かいきゅう抑圧よくあつのための機関きかんで、ブルジョワ議会ぎかい主義しゅぎなどのしょうブルジョア民主みんしゅ主義しゅぎ欺瞞ぎまんであり、社会しゃかい主義しゅぎ実現じつげんのためにはブルジョア国家こっか暴力ぼうりょく革命かくめいによって粉砕ふんさいしてプロレタリア独裁どくさいおこな必要ひつようがあり、その社会しゃかい主義しゅぎ国家こっかコミューンかた国家こっかで、そのもとで民主みんしゅ主義しゅぎはいっそう発展はってんし、さら共産きょうさん主義しゅぎ社会しゃかいへの移行いこうとともに国家こっか死滅しめつする主張しゅちょうした[61]

  • 支配しはい階級かいきゅうのどの成員せいいん議会ぎかい人民じんみん抑圧よくあつし、蹂躙じゅうりんするかを、すうねんにただいちめること - このてん議会ぎかいせい立憲りっけんこくをはじめもっと民主みんしゅてき共和きょうわこくにおいてもブルジョア議会ぎかい主義しゅぎしん本質ほんしつがある。(中略ちゅうりゃく議会ぎかい制度せいどからの活路かつろは、もちろん、代議だいぎ機関きかん選挙せんきょせい廃棄はいきにあるのではなく、代議だいぎ機関きかんをおしゃべり小屋こやから「行動こうどうてき団体だんたい転化てんかすることにある。「コンミューンは、議会ぎかいふうの団体だんたいではなくて、執行しっこうであると同時どうじ立法府りっぽうふでもある行動こうどうてき団体だんたいでなければならなかった。[62]
  • 国家こっか社会しゃかいにおいて生産せいさん手段しゅだん掌握しょうあくしたのちの、すなわち社会しゃかい主義しゅぎ革命かくめい時代じだいでは)この時期じきの「国家こっか」の政治せいじ形態けいたいがもっとも完全かんぜん民主みんしゅ主義しゅぎであることを、われわれはみなっている。(中略ちゅうりゃく民主みんしゅ主義しゅぎもまた国家こっかであり、したがって、国家こっか死滅しめつするときには民主みんしゅ主義しゅぎもまた消滅しょうめつする。(中略ちゅうりゃく)あらゆる国家こっかは、抑圧よくあつ階級かいきゅうを「抑圧よくあつするための特殊とくしゅちから」である。だから、あらゆる国家こっか不自由ふじゆうで、人民じんみんてきである[63] — ウラジーミル・レーニン国家こっか革命かくめい

ムッソリーニ

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ベニート・ムッソリーニ自由じゆう主義しゅぎ社会しゃかい主義しゅぎ両方りょうほう批判ひはんし、ファシズム提唱ていしょうした。

民主みんしゅ主義しゅぎ理論りろんじょううつくしく、実践じっせんじょうあやまり。諸君しょくんはいつかそのようなアメリカの姿すがたるだろう。 — ベニート・ムッソリーニ - 1928ねん

ヒトラー

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アドルフ・ヒトラー著書ちょしょ闘争とうそう』で、大衆たいしゅう理性りせいてきではなく、効果こうかてきプロパガンダによって操作そうさできる存在そんざいで、議会ぎかいせい民主みんしゅ主義しゅぎ欺瞞ぎまんであり、ドイツには指導しどうしゃ原理げんりによる指導しどうしゃ必要ひつよう主張しゅちょうした。権力けんりょく掌握しょうあくこう独裁どくさいおこない、国民こくみん投票とうひょうによる事後じご承認しょうにん多用たようした。

大衆たいしゅう圧倒的あっとうてき多数たすうは、冷静れいせい熟慮じゅくりょでなく、むしろ感情かんじょうてき感覚かんかくかんがえや行動こうどうめるという、女性じょせいてき素質そしつ態度たいどぬしである。だが、この感情かんじょう複雑ふくざつなものではなく、非常ひじょう単純たんじゅん閉鎖へいさてきなものなのだ。そこには、物事ものごと差異さい識別しきべつするのではなく、肯定こうてい否定ひていか、あいにくしみか、正義せいぎあくか、真実しんじつうそかだけが存在そんざいするのであり、半分はんぶんまさしく、半分はんぶんちがうなどということはけっしてありないのである。 — アドルフ・ヒトラー闘争とうそう


制度せいど

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少数しょうすうしゃ支配しはい集団しゅうだんでは制度せいど支配しはいしゃ効率こうりつ都合つごう次第しだいでもいが、多数たすうしゃ支配しはいである民主みんしゅ主義しゅぎでは多数たすうしゃによる支配しはい意思いし決定けってい)を実現じつげんし、独裁どくさい専制せんせい発生はっせい抑止よくしするための制度せいど必要ひつようとなるため、歴史れきしてきにも多数たすう理念りねん制度せいど議論ぎろん存在そんざいしている。近代きんだい国家こっか政治せいじ制度せいどろん近代きんだい政治せいじ思想しそう影響えいきょうけて、国民こくみん自由じゆうさまたげないための相互そうご牽制けんせい権力けんりょく分立ぶんりつ)、国民こくみんのための機関きかんであるという正統せいとうせい国民こくみん統合とうごうなどを目指めざしているが、具体ぐたいてき制度せいどかならずしも理論りろんてき産物さんぶつではなく、多様たよう伝統でんとう歴史れきし産物さんぶつでもある[64]

近代きんだい以前いぜん

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アテナイ有名ゆうめい葬送そうそう演説えんぜつをするペリクレスえがいた(19世紀せいき、Philipp Foltz)

古代こだいギリシアアテナイでは、市民しみん主権しゅけんしゃで、みんかい中心ちゅうしんとした直接ちょくせつ民主みんしゅ主義しゅぎおこなわれた。また僭主せんしゅなど独裁どくさい発生はっせい防止ぼうしとうかた追放ついほうなどがおこなわれた。共和きょうわせいローマでは、ローマ市民しみん主権しゅけんしゃで、元老げんろういんローマみんかい意思いし決定けってい機関きかんとなり、独裁どくさい発生はっせい防止ぼうし執政しっせいかん非常時ひじょうじ独裁どくさいかんひとし任期にんきせいとされた。13世紀せいき イングランド王国おうこくでは王権おうけん制限せいげんのためマグナ・カルタ制定せいていされ、立憲りっけん主義しゅぎ先駆せんくとなった。

議会ぎかい

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議会ぎかい主義しゅぎ

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議会ぎかい主義しゅぎ政治せいじてき主導しゅどうけん議会ぎかいあたえられる政治せいじ運営うんえい体制たいせいで、この場合ばあい議会ぎかいとは「国民こくみん代表だいひょう」とされる選挙せんきょされた議員ぎいんから会議かいぎたいであり、政治せいじてき主導しゅどうけんとは立法りっぽうけんさらには行政ぎょうせい監督かんとく権限けんげんである[64]中世ちゅうせい身分みぶんせい議会ぎかいは、国民こくみん代表だいひょうではなく諮問しもん機関きかんにすぎないため、議会ぎかい主義しゅぎにおける議会ぎかいではない。また、憲法けんぽうじょう議会ぎかい主導しゅどうけんみとめられていても、実際じっさい運用うんようじょう行政ぎょうせいけん制御せいぎょできない独裁どくさい国家こっかなどは議会ぎかい主義しゅぎえず、ぎゃく制度せいどじょう諮問しもん機関きかんでも議会ぎかい内閣ないかく選出せんしゅつする慣習かんしゅうができれば議会ぎかい主義しゅぎっているといえる[65]議会ぎかい中世ちゅうせいヨーロッパの各国かっこく貴族きぞく僧侶そうりょ平民へいみんなどの身分みぶんせい議会ぎかい定期ていきてき招集しょうしゅうされるようになったことはじまり、中世ちゅうせい封建ほうけん制度せいど崩壊ほうかい絶対ぜったい王政おうせい確立かくりつにより廃止はいしされ、ブルジョワ革命かくめいによる王政おうせい打倒だとう近代きんだい議会ぎかい誕生たんじょうした。ただしイギリスではブルジョワ革命かくめい比較的ひかくてきおだやかな進展しんてんにより、身分みぶんせい議会ぎかい国民こくみん代表だいひょうする近代きんだい議会ぎかい成長せいちょうした[65]

多数決たすうけつ原理げんり

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近代きんだい議会ぎかい個々人ここじん政治せいじてき主張しゅちょう調整ちょうせいすることにより社会しゃかい統合とうごうする機関きかんであり、その統合とうごう社会しゃかい全体ぜんたい代表だいひょうしゃである議員ぎいんたち自由じゆう理性りせいてき討論とうろん説得せっとく、そして妥協だきょうかさねによるが、現実げんじつ解決かいけつすべき政治せいじてき課題かだい緊急きんきゅうせいから意見いけん一致いっちられぬ場合ばあいには、集団しゅうだんてき意思いし決定けってい手段しゅだんとして、相対そうたいてき多数たすうしゃ意見いけん暫定ざんていてき議会ぎかい意思いしとされる[65]。しかし議会ぎかいによる統合とうごう観点かんてんより、多数たすう少数しょうすう差異さいつね相対そうたいてきとされて将来しょうらい状況じょうきょう変化へんか討論とうろん進展しんてんによる逆転ぎゃくてん可能かのうせい留保りゅうほされている必要ひつようがある。議会ぎかいせい採用さいようしていても、(a)相対そうたい主義しゅぎてき価値かちかん社会しゃかいへの浸透しんとう複数ふくすう価値かちかん承認しょうにんされうる社会しゃかい) (b)議員ぎいんとその背後はいご社会しゃかい構成こうせいいん一体いったいてき同質どうしつせい階級かいきゅう宗教しゅうきょうイデオロギーひとし対立たいりつはげしくない社会しゃかい) (c)理性りせいてきかつ客観きゃっかんてき判断はんだんができる議員ぎいん (d)意見いけん発表はっぴょう自由じゆうとその機会きかい均等きんとう、などの条件じょうけんそろわない場合ばあいには議会ぎかい主義しゅぎ変質へんしつまたは形式けいしきする[65]

代表だいひょうせい原理げんり

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近代きんだい議会ぎかい構成こうせいする議員ぎいんは「国民こくみん代表だいひょう」のため、かれらの意思いし国民こくみん全体ぜんたい意思いしとされるが、この「代表だいひょう」の意味いみはブルジョワ革命かくめいより根本こんぽんてき思想しそうてき対立たいりつがある[65]

イギリスのホイッグとう主張しゅちょうエマニュエル=ジョゼフ・シエイエスらによるフランス1791ねん憲法けんぽうなどが起源きげんかく議員ぎいんぜん国民こくみん代表だいひょうとしてぜん国民こくみんのために政治せいじ活動かつどうし、自分じぶん選挙せんきょ出身しゅっしん階級かいきゅうなどの利害りがいのためには活動かつどうしてはならないとかんがえ、リコールなどの直接ちょくせつ民主みんしゅ主義しゅぎてき制度せいど禁止きんしされる。この原理げんり代表だいひょうは、具体ぐたいてき現実げんじつ国民こくみん意思いしむすびついている必要ひつよういため、身分みぶんせい選挙せんきょ制限せいげん選挙せんきょにより選出せんしゅつされた議員ぎいんでも国民こくみん代表だいひょうできる[65]
起源きげん中世ちゅうせい身分みぶんせい議会ぎかいしょ身分みぶん代表だいひょうで、議員ぎいん地方ちほう代表だいひょうせい強調きょうちょうしたイギリスのトーリーとう道徳どうとくてき市民しみん直接ちょくせつ民主みんしゅせい人民じんみん集会しゅうかい一般いっぱん意思いし表示ひょうじすべしとしたルソー、その思想しそう反映はんえいしたフランスの1793ねん憲法けんぽうなどにれいられる。かく議員ぎいん現実げんじつ存在そんざいする一定いってい人民じんみんから委託いたくけた代表だいひょうで、議会ぎかい社会しゃかい全体ぜんたい縮図しゅくずとらえる。議員ぎいんすべ直接ちょくせつ普通ふつう選挙せんきょえらばれ、選出せんしゅつ母体ぼたい意思いし忠実ちゅうじつ議会ぎかい代弁だいべん主張しゅちょうすべきため、選出せんしゅつ母体ぼたい意思いしはんした場合ばあいはリコールがみとめられる。討論とうろんによる説得せっとく妥協だきょう困難こんなんなため、同質どうしつせいたかしょう共同きょうどうたいなど以外いがいでは採用さいようむずかしいが、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくタウンミーティングなどが精神せいしんいでいる[65]

二院にいんせい

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議会ぎかい政治せいじ母国ぼこくとされるイギリスでは、中世ちゅうせい身分みぶんせい議会ぎかい連続れんぞくてき近代きんだい議会ぎかい発展はってんした歴史れきしより貴族きぞくいん庶民しょみんいん二院にいんせいだが、二院にいんせい目的もくてき性格せいかく各国かっこくによりことなる[66]

  • 階級かいきゅうべつ - イギリス、かつてのプロイセンなど
  • 連邦れんぽうかくくに代表だいひょうによる一院いちいんくわえる - アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくスイスロシアなど
  • 選出せんしゅつ方法ほうほうもうけて「かず」と「」をかくいん代表だいひょうさせる - フランス、イタリア日本にっぽんなど
  • 立法りっぽう作用さよう慎重しんちょうにする - ノルウェー下院かいん議員ぎいんあいだ互選ごせんで4ぶんの1が上院じょういん議員ぎいんとなる)

二院にいんせい権力けんりょく分立ぶんりつ自由じゆう主義しゅぎ背景はいけいとした制度せいどであり、フランス革命かくめい社会しゃかい主義しゅぎコミューン理論りろんなど自由じゆう主義しゅぎよりも民主みんしゅ主義しゅぎ代表だいひょうする立場たちばからは批判ひはんされる。また政党せいとう発達はったつによる両院りょういん性格せいかく相違そうい減少げんしょうもあり、あらたに二院にいんせい採用さいようするくにすくない[66]

一院いちいんおな決議けつぎをするなら無用むようちが決議けつぎをするなら有害ゆうがい — エマニュエル=ジョゼフ・シエイエス (1789ねん)[66]

権力けんりょく分立ぶんりつ

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近代きんだい国家こっかはブルジョワ革命かくめい産物さんぶつのため、自由じゆう主義しゅぎ理念りねん専制せんせいてき権力けんりょくたいする警戒けいかいからなんらかの権力けんりょく分立ぶんりつ制度せいど採用さいようされているが、国家こっか運営うんえい行政ぎょうせい効率こうりつじょう立法りっぽうけん行政ぎょうせいけんきょうはたらけ要請ようせいされ、その調和ちょうわ課題かだいとなるが、各国かっこく沿革えんかく事情じじょうにより複数ふくすうのパターンがある[67]

  • 議院ぎいんないかくせい - 行政府ぎょうせいふ内閣ないかく)を議会ぎかい信任しんにんにより成立せいりつ存立そんりつさせ、議会ぎかいたいして責任せきにんわせる[67]
  • 大統領だいとうりょうせい - 行政府ぎょうせいふ大統領だいとうりょう)を独立どくりつして選挙せんきょし、直接ちょくせつ国民こくみんたいして責任せきにんわせる[67]
  • 議会ぎかい統治とうちせい - 行政府ぎょうせいふ完全かんぜん議会ぎかい従属じゅうぞくさせ、その責任せきにんみとめない (スイスなど)

議院ぎいんないかくせい

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イギリスの議会ぎかい設置せっちされているウェストミンスター宮殿きゅうでん

18世紀せいきのイギリスで形成けいせいされた。国王こくおう行政ぎょうせいけん次第しだい大臣だいじんうつり、1742ねん国王こくおう信認しんにんていたロバート・ウォルポール首相しゅしょう議会ぎかい不信任ふしんにんにより辞職じしょくし、大臣だいじん議会ぎかい信任しんにんなくしては在職ざいしょくできない慣習かんしゅう確立かくりつした。その連帯れんたい責任せきにん原則げんそく議会ぎかい首相しゅしょう指名しめいによる内閣ないかく成立せいりつ制度せいどなどが整備せいびされた[67]議院ぎいんないかくせいでは内閣ないかく成立せいりつ指名しめい内閣ないかく責任せきにん追及ついきゅうにおいて議会ぎかい内閣ないかくをコントロールし、内閣ないかく議会ぎかい解散かいさんにより議会ぎかいたいする選挙せんきょみん信任しんにんいうることで、両者りょうしゃあいだ抑制よくせい均衡きんこう成立せいりつする[67]。このようなイギリスがた議会ぎかい制度せいどウェストミンスターモデルともばれる。

  • 長所ちょうしょ - (1)議会ぎかい主義しゅぎ貫徹かんてつ達成たっせいできる (2)議会ぎかい内閣ないかくきょうはたらけ政策せいさく推進すいしんできる (3)内閣ないかく責任せきにん = 議会ぎかい多数たすう責任せきにん明瞭めいりょう国民こくみん選挙せんきょによる責任せきにん追及ついきゅう容易ようい[67]
  • 短所たんしょ - 議会ぎかい多数たすう内閣ないかく組織そしきするため、内閣ないかく予算よさん法案ほうあん容易ようい通過つうかし、野党やとう追及ついきゅう困難こんなん権力けんりょく分立ぶんりつ不十分ふじゅうぶんだい政党せいとうせいでは政権せいけん交代こうたいによる権力けんりょく分立ぶんりつでこの弊害へいがい緩和かんわ[67]

大統領だいとうりょうせい

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アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくホワイトハウス

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく政治せいじ体制たいせいとして創始そうしされた。大統領だいとうりょう国民こくみん間接かんせつ選挙せんきょ実質じっしつてきには直接ちょくせつ選挙せんきょ)により選出せんしゅつされ、任期にんきあいだ弾劾だんがい決議けつぎ成立せいりつのぞ免職めんしょくい。議会ぎかい大統領だいとうりょう責任せきにん追及ついきゅうできない反面はんめん大統領だいとうりょう議会ぎかい解散かいさんできない。また大統領だいとうりょう議会ぎかいへの法案ほうあん提出ていしゅつけんいが、議会ぎかい成立せいりつした法案ほうあん施行しこうへの拒否きょひけんがある(両院りょういんが3ぶんの2以上いじょう多数たすうさい可決かけつすれば拒否きょひにかかわらず成立せいりつ)。

  • 長所ちょうしょ - 徹底てっていした権力けんりょく分立ぶんりつぜん国民こくみんから直接ちょくせつえらばれるとのつよ正統せいとうせい背景はいけいにした、大統領だいとうりょうへの強力きょうりょく行政ぎょうせい権限けんげん集中しゅうちゅう[67]
  • 短所たんしょ - (1)立法府りっぽうふ行政府ぎょうせいふ対立たいりつによる効率こうりつ (2)失政しっせい責任せきにん大統領だいとうりょう議会ぎかい多数たすうしつけうことが可能かのう (3)民主みんしゅ主義しゅぎ定着ていちゃくこく大統領だいとうりょう独裁どくさいしゃ危険きけんせい[67]

アメリカがた純粋じゅんすい大統領だいとうりょうせい採用さいようするくにすくないが、儀礼ぎれい象徴しょうちょうてき大統領だいとうりょうせいはドイツ、イタリア、スイスなど多数たすうある。フランスは直接ちょくせつ国民こくみん投票とうひょうによってえらばれ、首相しゅしょう任命にんめいけん議会ぎかい解散かいさんけんなどの強大きょうだい権力けんりょくち、議院ぎいんないかくせい大統領だいとうりょうせい混合こんごう形態けいたいかんがえられる[67]

政党せいとう

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政党せいとうは、17世紀せいきのイギリス名誉めいよ革命かくめい前後ぜんごまれたトーリーとうホイッグとう最初さいしょとされるが、19世紀せいき後半こうはんまで政党せいとうはいわゆる貴族きぞく政党せいとう名望めいぼう政党せいとう)で、「財産ざいさん教養きょうよう」ある階層かいそうによるサロンてきなグループで、とく綱領こうりょう組織そしきたず、個々ここ議員ぎいんたいする拘束こうそくりょく非常ひじょうゆるかった[68]普通ふつう選挙せんきょ実施じっし現代げんだい大衆たいしゅう政党せいとう組織そしき政党せいとう)は、議員ぎいん以外いがいにも多数たすう一般いっぱん党員とういん全国ぜんこくてき組織そしきし、綱領こうりょう役割やくわり組織そしきそなえ、党費とうひにより財政ざいせいまかない、議員ぎいん党員とういん党議とうぎ拘束こうそくされ違反いはんには除名じょめいなどの罰則ばっそくもうけられているが、これら拘束こうそくは「議員ぎいんまった自由じゆう個人こじんとして討議とうぎ議決ぎけつする」との近代きんだい議会ぎかい主義しゅぎ原則げんそくからは本来ほんらいみとめられないため、ルソーワシントンジェファーソンらは政党せいとう否定ひていろんとなえた[68]

普通ふつう選挙せんきょすす近代きんだいブルジョワ国家こっかから現代げんだい大衆たいしゅう国家こっか変質へんしつすると、従来じゅうらいの「理性りせいてき個人こじん」とされた財産ざいさん教養きょうようあるブルジョワジーによる議会ぎかい主義しゅぎ形骸けいがいし、有権者ゆうけんしゃ候補者こうほしゃ政治せいじてき組織そしきする媒体ばいたいとして政党せいとう大衆たいしゅう政党せいとう)が登場とうじょうした。政党せいとう私的してき結社けっしゃとしてまれたが、一定いってい条件じょうけん((1)普通ふつう選挙せんきょせい議会ぎかい主義しゅぎ (2)複数ふくすう政党せいとうせい存在そんざい (3)党内とうない民主みんしゅ主義しゅぎ)をたす場合ばあいには公的こうてき役割やくわりたしているとえる[68]。また近代きんだい議会ぎかいせい民主みんしゅ主義しゅぎ自由じゆう委任いにんせい大衆たいしゅう社会しゃかいでは修正しゅうせい余儀よぎなくされ、有権者ゆうけんしゃ意思いしまさしく議会ぎかい反映はんえいさせるために選挙せんきょ制度せいどにおける人口じんこう比例ひれい重要じゅうようとなった[68]

政党せいとう混沌こんとんたる候補者こうほしゃぐんなか秩序ちつじょをもたらす。 — ジェームズ・ブライス近代きんだい民主みんしゅ政治せいじ[68]

利益りえき団体だんたい

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20世紀せいき著名ちょめい社会しゃかい運動うんどうであるアメリカ公民こうみんけん運動うんどう指導しどうしたマーティン・ルーサー・キング・ジュニア

利益りえき団体だんたい圧力あつりょく団体だんたい)は、政党せいとう以上いじょう近代きんだいてき議会ぎかい主義しゅぎからはなれており、特定とくてい利益りえき集団しゅうだんにより民意みんい政治せいじゆがめる存在そんざいとも批判ひはんされるが、議会ぎかい統合とうごう機関きかんとしての役割やくわり低下ていかともな大衆たいしゅう直接的ちょくせつてき要求ようきゅう議会ぎかい行政府ぎょうせいふはたらきかける側面そくめんつ。利益りえき団体だんたい発生はっせいは19世紀せいきのアメリカでのロビイストで、利益りえき団体だんたい機能きのうには、職能しょくのう代表だいひょうてき機能きのう政策せいさくたいするチェック機能きのう政治せいじ養成ようせい機能きのう団体だんたい構成こうせいいんへの教育きょういく機能きのう、などがある。利益りえき団体だんたい分類ぶんるいはR・T・マッケンジーによる以下いかの3分類ぶんるい一般いっぱんてきである[69]

議論ぎろん

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民主みんしゅ主義しゅぎ民主みんしゅせい民主みんしゅせい)にかんする議論ぎろんは、その用語ようご概念がいねん自体じたいかんする解釈かいしゃくふくめて多数たすう議論ぎろん存在そんざいするが、おも議論ぎろん要素ようそには以下いかがあり、かく要素ようそ相互そうご関連かんれんしている。

構成こうせいいん

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民主みんしゅ主義しゅぎでは集団しゅうだん重要じゅうよう意思いし決定けってい構成こうせいいんおこなうため、構成こうせいいん正統せいとうせい範囲はんいなどが議論ぎろんとなる。民主みんしゅ主義しゅぎ特定とくてい範囲はんいのもの(同質どうしつせい)を平等びょうどうあつかうため、ぜん人類じんるい範囲はんいとしないかぎり、その範囲はんいがいのもの(異質いしつせい)は区別くべつ排除はいじょすることになる[70]

古代こだいギリシアポリスでは、市民しみんはポリスの軍務ぐんむになえるものとされ、そのためじゅうそう歩兵ほへいなどの装備そうび軍務ぐんむ自費じひになえる、一定いってい資産しさん成人せいじん男性だんせい自由じゆうみんのみが市民しみんとされ、無産むさんしゃ奴隷どれい女性じょせいのポリスからの移住いじゅうしゃ子孫しそんなどは原則げんそくとして除外じょがいされた。しかしサラミスの海戦かいせんガレーせんしゅ貢献こうけんすると無産むさん市民しみん発言はつげんりょくたかめた。共和きょうわせいローマではローマ民権みんけん支配しはい民族みんぞく支配しはい地域ちいき徐々じょじょ拡大かくだいされ、アウグストゥス以降いこう兵役へいえき満期まんきぞく州民しゅうみん子供こどもにも拡大かくだいされ、さらアントニヌスみことのりれいマ帝国まていこくないぜん自由じゆうみん拡大かくだいされた。

近代きんだいのブルジョワ民主みんしゅ主義しゅぎによる議会ぎかいせい民主みんしゅ主義しゅぎでは、「理性りせい教養きょうよう市民しみん」が議会ぎかい議論ぎろん決定けっていするとされ、そのため「理性りせい教養きょうよう市民しみん」とされた有産ゆうさん階級かいきゅう成人せいじん男性だんせいのみが参政さんせいけん制限せいげん選挙せんきょおこなわれた。フランス人権じんけん宣言せんげんではすべての人間にんげん普遍ふへんてき人権じんけん平等びょうどうとされたが、以後いご無産むさんしゃ女性じょせい植民しょくみん住民じゅうみんなどは参政さんせいけんく、各国かっこく徐々じょじょ普通ふつう選挙せんきょ女性じょせい参政さんせいけん、あるいは植民しょくみん独立どくりつなどがすすんだ。またフランス革命かくめい以降いこうおおくの時代じだい地域ちいき言語げんご民族みんぞく宗教しゅうきょうなどの社会しゃかいてき同質どうしつせいによるナショナリズム統合とうごう理念りねんとした国民こくみん国家こっか普及ふきゅうしたが、その反面はんめんとして少数しょうすう民族みんぞく異教徒いきょうと外国がいこくじん難民なんみんなどへの差別さべつ排斥はいせき発生はっせいしている。現代げんだい現実げんじつてき民主みんしゅ主義しゅぎ国民こくみんてき同質どうしつせい原理げんりにより、国民こくみん意識いしき普遍ふへんてき人権じんけんより上位じょういにおかれている[70]現代げんだいでも一部いちぶ植民しょくみん保護ほごこく属領ぞくりょうなどでは本国ほんごくたいする参政さんせいけんい。外国がいこく人参にんじん政権せいけん範囲はんいくににより対応たいおうことなる。

代表だいひょうせい

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議会ぎかいせい民主みんしゅ主義しゅぎ代表だいひょうせい民主みんしゅ主義しゅぎ間接かんせつ民主みんしゅ主義しゅぎ)では、選挙せんきょ議員ぎいん位置いちづけについて複数ふくすう潮流ちょうりゅうがある[65]

アテナイでは、市民しみん全員ぜんいん参加さんかみんかいや、選出せんしゅつされた評議ひょうぎいんによるひゃくにん評議ひょうぎかいなどがあった。共和きょうわせいローマでは、元老げんろういんみんかいがあり、現在げんざい貴族きぞくいん上院じょういん)と庶民しょみんいん下院かいん)の起源きげんとなった。

代表だいひょうせい原理げんりには多数たすう議論ぎろんがある。間接かんせつ民主みんしゅ主義しゅぎ重視じゅうしする観点かんてんからは、有権者ゆうけんしゃ適切てきせつかんがえる人物じんぶつ投票とうひょうし、選出せんしゅつされた議員ぎいん大統領だいとうりょうぜん構成こうせいいん代表だいひょうとして信任しんにんされたとされ、自己じこ理性りせい知見ちけんしたが自由じゆう議論ぎろん決定けっていする。この観点かんてんからは、つぎ選挙せんきょまで議員ぎいん身分みぶん保証ほしょうされ、つぎ選挙せんきょまで民意みんい反映はんえい機会きかいもなく、選挙せんきょ制度せいど政党せいとう重視じゅうしされない。他方たほう直接ちょくせつ民主みんしゅ主義しゅぎ重視じゅうしする観点かんてんからは、理想りそう直接ちょくせつ参加さんかであるが、議員ぎいん選出せんしゅつする場合ばあいでも信任しんにんではなく限定げんていてき委任いにんであり、議員ぎいん有権者ゆうけんしゃ意思いしはんする場合ばあいにはリコールとうみとめられる。

近代きんだい自由じゆう主義しゅぎによるブルジョワ民主みんしゅ主義しゅぎでは権力けんりょくによる独裁どくさい警戒けいかいし、当初とうしょ選挙せんきょは「理性りせい教養きょうようある市民しみん」とされた有産ゆうさん階級かいきゅう成人せいじん男性だんせいのみによる制限せいげん選挙せんきょで、選出せんしゅつされた議員ぎいん全体ぜんたい代表だいひょうとして自由じゆう議論ぎろんでき、また権力けんりょく分立ぶんりつとして三権分立さんけんぶんりつ二院にいんせい採用さいようされた。この観点かんてんからは、普通ふつう選挙せんきょ無産むさん階級かいきゅうによる多数たすう支配しはい警戒けいかいされた。ルソーワシントンジェファーソンらは政党せいとう否定ひていろんとなえた[68]。しかし普通ふつう選挙せんきょ進展しんてんした大衆たいしゅう社会しゃかいとなり、階級かいきゅう対立たいりつなど社会しゃかい同質どうしつせい低下ていかして議会ぎかい形骸けいがい進展しんてんし、支持しじする勢力せいりょく議会ぎかいおくむために選挙せんきょ制度せいど政党せいとうさらには圧力あつりょく団体だんたい重要じゅうようせい増大ぞうだいした。

人民じんみん意思いし反映はんえい人民じんみん主権しゅけん)をより重視じゅうしする立場たちばからは、普通ふつう選挙せんきょ女性じょせい参政さんせいけんなど公民こうみんけん拡大かくだい議会ぎかい優越ゆうえつ議会ぎかい主義しゅぎ)、直接ちょくせつ民主みんしゅ主義しゅぎてき要素ようそイニシアティブリコールレファレンダム)などがとなえられる。ジャン=ジャック・ルソー議会ぎかいせい民主みんしゅ主義しゅぎ間接かんせつ民主みんしゅ主義しゅぎ)の欺瞞ぎまん主張しゅちょうし、フランス1793ねん憲法けんぽうジャコバン憲法けんぽう)は直接ちょくせつ民主みんしゅ主義しゅぎてき要素ようそ採用さいようした。またおおくのくに組織そしきで、とく重要じゅうよう意思いし決定けっていにはレファレンダムが併用へいようされるようになった。

ウラジーミル・レーニン前衛ぜんえいとう共産党きょうさんとう)が多数たすう労働ろうどうしゃ農民のうみん代表だいひょうするとしていちとう独裁どくさいおこなった(レーニン主義しゅぎとう指導しどうせい)。またアドルフ・ヒトラー自己じこをドイツ民族みんぞく指導しどうしゃ主張しゅちょうして独裁どくさいおこない(指導しどうしゃ原理げんり)、カール・シュミットアドルフ・ヒトラーもっと民主みんしゅ主義しゅぎてき評価ひょうかした。これらの独裁どくさい批判ひはんする立場たちば理念りねんには、自由じゆう主義しゅぎ多元たげん主義しゅぎ経験けいけん主義しゅぎ保守ほしゅ主義しゅぎや、ほう支配しはい権力けんりょく分立ぶんりつなどがある。

デモクラシーは古代こだいギリシアの政体せいたいろんいち分類ぶんるいとしてうまれ、自由じゆう平等びょうどう市民しみんによる相互そうご支配しはい本質ほんしつで、ぜん市民しみんによるみんかいでの意思いし決定けっていだけではなく、公職こうしょく抽選ちゅうせんにより、民衆みんしゅう裁判さいばんへの市民しみん参加さんか重視じゅうしされた[71]アリストテレスは、デモクラシーでは支配しはい服従ふくじゅう両方りょうほう経験けいけんすることが重要じゅうようとした[71]。これにたいして選挙せんきょ貴族きぞくせいてき制度せいどであり、選挙せんきょによって選出せんしゅつされた代表だいひょうしゃ意思いし決定けってい大幅おおはばれて、市民しみん代議士だいぎし政治せいじゆだねる近代きんだいのデモクラシーは「自由じゆうな寡頭せい」のめんもあり、おなじくデモクラシーとべるかは問題もんだいのこるが、しかし市民しみんによる自己じこ統治とうち理念りねん現代げんだいでも重要じゅうよう意味いみっている[71]

意思いし決定けってい方法ほうほう

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民主みんしゅ主義しゅぎ構成こうせいいん全体ぜんたいによる意思いし決定けっていのため、ぜん構成こうせいいんによる集会しゅうかいや、代表だいひょうしゃによる議会ぎかいのいずれの場合ばあいでも、合意ごうい形成けいせい方法ほうほう議論ぎろんとなる。

大別たいべつして以下いか決定けってい方式ほうしきがある。

  • 全会ぜんかい一致いっち - ぜん構成こうせいいんまたはぜん出席しゅっせきしゃ賛成さんせいをもってけっする。民主みんしゅ主義しゅぎ理念りねんじょう最大さいだい正統せいとうせいられる。かく構成こうせいいん拒否きょひけんつことと同等どうとう多数たすうによる専制せんせい懸念けねんいが、説得せっとく調整ちょうせい重要じゅうようとなり、対立たいりつふく議案ぎあんでは合意ごうい形成けいせい困難こんなんせいたかい。(国際こくさい連盟れんめい総会そうかい理事りじかい国連こくれん安保理あんぽり常任じょうにん理事りじこく拒否きょひけんなど)
  • 多数決たすうけつ過半数かはんすう) - ぜん構成こうせいいんまたはぜん出席しゅっせきしゃの、過半数かはんすうをもってけっする。効率こうりつてき意思いし決定けってい可能かのうだが、多数たすうによる専制せんせいとなり議会ぎかい形骸けいがいする、過半数かはんすう勝敗しょうはいかれるためわずかな状況じょうきょう変化へんかにより結論けつろんてんさんてんする、過半数かはんすう形成けいせいのためのきや取引とりひき重要じゅうようとなる、などの懸念けねんもある。(古代こだいアテナイのみんかいおおくの近代きんだい議会ぎかいにおける通常つうじょう立法りっぽうなど)
  • 多数決たすうけつ特別とくべつ多数たすう) - ぜん構成こうせいいんまたはぜん出席しゅっせきしゃの、過半数かはんすうよりもさらおお特定とくていかずなどをもってけっする。とく重要じゅうよう意思いし決定けってい慎重しんちょうおこな目的もくてき採用さいようされる(国際こくさい連合れんごう憲章けんしょう改正かいせい発議はつぎ[72]硬性こうせい憲法けんぽう改正かいせいなど)

一般いっぱんてきには、議論ぎろんによる説得せっとく妥協だきょう交渉こうしょうなどをつづけて全会ぜんかい一致いっちとなるまで合意ごうい形成けいせいはかこと理想りそうてきだが、意見いけん集約しゅうやく困難こんなん期限きげんもとめられる場合ばあいには多数決たすうけつ採用さいようされる。しかし多数決たすうけつは「多数たすうによる専制せんせい」(トグウィル)ともなり、とく階級かいきゅう民族みんぞくなど同質どうしつせいひく集団しゅうだんでは、多数たすう少数しょうすう固定こていし、議会ぎかいにおける実質じっしつてき審議しんぎ機能きのう低下ていかすると、民主みんしゅ主義しゅぎによる全体ぜんたい統合とうごう機能きのう形骸けいがいする。

また自由じゆう議論ぎろんには言論げんろん自由じゆう多元たげん主義しゅぎ情報じょうほう公開こうかいなどが前提ぜんていとなるため、形式けいしきてきには民主みんしゅ主義しゅぎでもこれら前提ぜんてい実質じっしつてきには不十分ふじゅうぶん場合ばあいには自由じゆう主義しゅぎてき民主みんしゅ主義しゅぎなどともばれる。自由じゆう主義しゅぎ多元たげん主義しゅぎ観点かんてんからは、複数ふくすう意見いけん存在そんざいして議論ぎろん選択せんたく余地よちがあること自体じたい健全けんぜんであり、説得せっとく状況じょうきょうによって現在げんざい少数しょうすう将来しょうらい多数たすうになる可能かのうせい確保かくほされていることが、議会ぎかい民主みんしゅ主義しゅぎ統合とうごう機能きのうには必要ひつようとなる。

古代こだいアテナイでは議論ぎろんおこなったのちに、決着けっちゃくしない場合ばあいには多数決たすうけつおこなわれた。モンテスキューは二院にいんせいによる慎重しんちょう審議しんぎ主張しゅちょうし、ルソーは人民じんみん主権しゅけん重視じゅうしして一院制いちいんせい主張しゅちょうした。おおくの近代きんだい憲法けんぽうでは、憲法けんぽう改正かいせいなど重要じゅうよう意思いし決定けっていには単純たんじゅん過半数かはんすうよりきびしい、半数はんすうえる成立せいりつ要件ようけんやレファレンダム要件ようけんなどがさだめられている。

独裁どくさいとの関連かんれん

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玉座ぎょくざのナポレオン1せいナポレオン・ボナパルトフランス革命かくめい戦争せんそうさいして軍事ぐんじ独裁どくさい政権せいけん樹立じゅりつし、国会こっかい議決ぎけつ国民こくみん投票とうひょうフランス人民じんみん皇帝こうてい即位そくいした。

民主みんしゅ主義しゅぎ独裁どくさい専制せんせいは、歴史れきしてきにも多数たすう議論ぎろん存在そんざいしている。古代こだいより民主みんしゅせい一部いちぶでは非常時ひじょうじにおける独裁どくさい制度せいどがあり、また人民じんみん意思いし実現じつげんには革命かくめい独裁どくさいなどもふくめた強権きょうけん必要ひつようとの主張しゅちょう存在そんざいする。他方たほう独裁どくさい実施じっししゃおおくは、非常ひじょう事態じたいにおける民主みんしゅ主義しゅぎ防衛ぼうえいなどを独裁どくさい理由りゆうとして主張しゅちょうしている。

古代こだいアテナイ民主みんしゅせいでは、独裁どくさい発生はっせいふせぐため公職こうしょく抽選ちゅうせんとうかた追放ついほうおこなわれた。ソクラテス市民しみんによる公開こうかい裁判さいばん死刑しけいになったのちプラトン民主みんしゅせい衆愚しゅうぐ政治せいじおちいるとかんがえて哲人てつじん政治せいじ主張しゅちょうし、アリストテレス民主みんしゅせい共和きょうわせい国政こくせい)が堕落だらくすると王政おうせい僭主せんしゅせい)になるとかんがえた。共和きょうわせいローマでは非常時ひじょうじ任期にんき限定げんてい独裁どくさいかん設置せっちできたが、カエサル民衆みんしゅう人気にんき背景はいけい終身しゅうしん独裁どくさいかんとなり帝政ていせいローマ基礎きそきずいた。

ロックモンテスキューらは独裁どくさいふせぐため権力けんりょく分立ぶんりつ主張しゅちょうしたが、ルソー人民じんみん主権しゅけんのためには強制きょうせいてきちから創出そうしゅつ必要ひつようとも主張しゅちょうした。フランス革命かくめいでは民衆みんしゅう支持しじ基盤きばんとするジャコバン恐怖きょうふ政治せいじおこない、ナポレオン・ボナパルト国会こっかい議決ぎけつ国民こくみん投票とうひょうて「フランス人民じんみん皇帝こうてい」となった。またバブーフ完全かんぜん平等びょうどう社会しゃかい実現じつげんのため私有しゆう財産ざいさんせい廃止はいし独裁どくさい主張しゅちょうし、ブランキカール・マルクス影響えいきょうあたえた。エドマンド・バークらはフランス革命かくめい批判ひはん保守ほしゅ主義しゅぎ潮流ちょうりゅうとなった。

マルクスは資本しほん主義しゅぎ社会しゃかいから社会しゃかい主義しゅぎ社会しゃかいへの過渡かとにはプロレタリア独裁どくさい必要ひつようとして独裁どくさい肯定こうていしたが、その独裁どくさい短期間たんきかんはげしくないとかんがえていた[73]。レーニンはブルジョワ民主みんしゅ主義しゅぎ欺瞞ぎまん批判ひはんし、社会しゃかい主義しゅぎ革命かくめいのちに「もっと完全かんぜん民主みんしゅ主義しゅぎ」が実現じつげんするとしるし、ロシア革命かくめいのちいちとう独裁どくさいおこない、やく10ねん共産きょうさん主義しゅぎ社会しゃかい実現じつげんすると約束やくそくしたが、1ねん約束やくそく撤回てっかいした[73]。レーニンの後継こうけいしゃとなったヨシフ・スターリンは「社会しゃかい主義しゅぎ建設けんせつすすむほど階級かいきゅう闘争とうそう激化げきかする」との階級かいきゅう闘争とうそう激化げきかろんかかげた(スターリニズム)。マルクス・レーニン主義しゅぎかかげる社会しゃかい主義しゅぎこく共産党きょうさんとう指導しどう政党せいとう憲法けんぽうとう明記めいきし、事実じじつじょういちとう独裁どくさいばれる。なおソ連それんなどのいちとうせいたいし、中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこくなどは統一とういつ戦線せんせん理論りろんもとづく複数ふくすう政党せいとうせいヘゲモニー政党せいとうせい)を採用さいよう人民じんみん民主みんしゅ主義しゅぎ(またはしん民主みんしゅ主義しゅぎ)としょうした[74]

だいいち世界せかい大戦たいせん、「世界せかいもっと民主みんしゅてき憲法けんぽう」とわれたヴァイマル憲法けんぽうしたドイツで、アドルフ・ヒトラーひきいるナチスとうがドイツ民族みんぞく危機ききうったえて1932ねん7がつドイツ国会こっかい選挙せんきょだい躍進やくしんし、さら国民こくみん投票とうひょうで「総統そうとう」となった。法学ほうがくしゃカール・シュミットは、独自どくじ法学ほうがく思想しそうによむて、だいいち大戦たいせんのヴァイマル共和きょうわせい議会ぎかいせい民主みんしゅ主義しゅぎ自由じゆう主義しゅぎ批判ひはんした。民衆みんしゅうのぞ政治せいじおこなうことこそが民主みんしゅ主義しゅぎかんがえ、アドルフ・ヒトラーをもっと民主みんしゅ主義しゅぎてき評価ひょうかした。ユダヤけいドイツじんエーリヒ・フロムは1941ねん亡命ぼうめいアメリカで、「近代きんだい社会しゃかいは、ぜん近代きんだいてき社会しゃかいきずなから個人こじん解放かいほうして一応いちおう安定あんていあたえたが、同時どうじ個人こじんてき自我じが実現じつげん、すなわち個人こじん知的ちてき感情かんじょうてき、また感覚かんかくてきしょ能力のうりょく表現ひょうげんという積極せっきょくてき意味いみにおける自由じゆうは、まだ獲得かくとくできず、かえって不安ふあんをつくりげた」とし、ドイツの世論せろん民衆みんしゅう自由じゆう民主みんしゅ主義しゅぎ体制たいせい否定ひてい支持しじしていった様相ようそうを「自由じゆうからの逃走とうそう」とんだ[75]戦後せんごのドイツ連邦れんぽう共和きょうわこくではファシズム・共産きょうさん主義しゅぎという自由じゆう民主みんしゅ制度せいど否定ひていする政党せいとう禁止きんしにしている[76]

自由じゆう主義しゅぎとの関連かんれん

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多数たすうによる支配しはい意味いみする民主みんしゅ主義しゅぎと、個人こじん自由じゆう最大限さいだいげん尊重そんちょうする自由じゆう主義しゅぎ緊張きんちょう関係かんけいにあることは、フランス革命かくめい以来いらいかえ強調きょうちょうされてきた[77]バンジャマン・コンスタンアレクシ・ド・トクヴィルジョン・スチュアート・ミルひとしは、次第しだい権力けんりょく増大ぞうだいさせ、道徳どうとくてき知的ちてき権威けんいさえも確保かくほしつつあった「民主みんしゅ主義しゅぎ」(のした政治せいじ支配しはいする多数たすう)の圧力あつりょくから、個人こじん自由じゆうまも自由じゆう主義しゅぎ視点してんより議論ぎろん展開てんかいした(自由じゆう民主みんしゅ主義しゅぎ)。他方たほうカール・シュミットは、ジャン=ジャック・ルソー一般いっぱん意思いしろんまえ、民主みんしゅ主義しゅぎ最終さいしゅうてきには一連いちれん同一どういつせい(ドイツ: Identität)の承認しょうにんによりつため、価値かち多元たげんせい前提ぜんていとする自由じゆう主義しゅぎ議会ぎかい民主みんしゅ主義しゅぎ妨害ぼうがい要素ようそで、官僚かんりょうにより形骸けいがいした議会ぎかいよりも、人民じんみん喝采かっさいにより支持しじけた独裁どくさいしゃによる民主みんしゅ主義しゅぎ人民じんみん主権しゅけんてき決断けつだん独裁どくさい)を提示ていじし、議会ぎかいせい間接かんせつ民主みんしゅ主義しゅぎ)をおぎな国民こくみん票決ひょうけつ国民こくみん発案はつあん直接ちょくせつ民主みんしゅ主義しゅぎ)を主張しゅちょうした[77]

世論せろん衆愚しゅうぐ政治せいじ

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民主みんしゅ主義しゅぎ構成こうせいいん人民じんみん民衆みんしゅう国民こくみん)による意思いし決定けっていであるため、構成こうせいいん全体ぜんたい意思いし世論せろん輿論よろん民意みんい人民じんみん意思いし)が反映はんえいされるべきだが、それがただしいまたは適切てきせつであるか、さらには世論せろんとは存在そんざい提示ていじ可能かのうなものか、などの議論ぎろんがある。

プラトンは民主みんしゅ主義しゅぎ衆愚しゅうぐ政治せいじおちいるとかんがえた。マキャベリやヒトラーは、大衆たいしゅうおろかであるとかんがえた。ロック、モンテスキュー、ジェファーソンなどは自由じゆう主義しゅぎ観点かんてんから多数たすうによる専制せんせい警戒けいかいし、権力けんりょく分立ぶんりつ必要ひつよう主張しゅちょうした。

ジェームズ・ブライス著書ちょしょ近代きんだい民主みんしゅ政治せいじ』で、近代きんだいデモクラシーでは「世論せろん」こそ政治せいじしたがわねばならない基準きじゅんとした。またジャン=ジャック・ルソーによる一般いっぱん意思いし理想りそうされた世論せろんえる[78]

しかしアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく選挙せんきょ予測よそくからはじまった世論せろん調査ちょうさ進歩しんぽもあり、1922ねん ウォルター・リップマン著作ちょさく世論せろん』で、世論せろん先入観せんにゅうかんによるステレオタイプてき思考しこう影響えいきょうされ、マスメディア現実げんじつには情報じょうほう意識いしきてき無意識むいしきてき取捨選択しゅしゃせんたくして大衆たいしゅうのステレオタイプてき思考しこう促進そくしんしており、世論せろん容易ようい操作そうさされ、変化へんかされるとべた[78]他方たほうポール・ラザースフェルド著書ちょしょ人々ひとびと選択せんたく』で、マスメディアによる投票とうひょうしゃへの影響えいきょう直接的ちょくせつてきではなく間接かんせつてきで、有権者ゆうけんしゃオピニオンリーダーとのパーソナル・コミュニケーションによりみずからの意思いし形成けいせいしていく、とべた[78]


関連かんれん項目こうもく

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 条文じょうぶん番号ばんごうへんべつではなく通番つうばん
  2. ^ 意訳いやくふくめ、政体せいたい民主みんしゅせいわる政体せいたい衆愚しゅうぐ政治せいじとする出典しゅってん存在そんざいする(浅羽あさば p57、など)。

出典しゅってん

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  11. ^ このこう、(ちん力衛りきえ民主みんしゅ」と「共和きょうわ」 : 近代きんだいちゅう概念がいねん形成けいせいとその相互そうご影響えいきょう」『成城大学せいじょうだいがく経済けいざい研究けんきゅうだい194ごう成城大学せいじょうだいがく経済けいざい学会がっかい、2011ねん11月、9-35ぺーじISSN 03874753NAID 110009557639 )から、「民主みんしゅ」というかたり履歴りれきについて解説かいせつする目的もくてき引用いんようした。
  12. ^ a b c d 宇野うのp194-195
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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 文部省もんぶしょう民主みんしゅ主義しゅぎ幻冬舎げんとうしゃ幻冬舎げんとうしゃ新書しんしょ〉、2020ねん11月5にち 
  • 前田まえだなお『本当ほんとうこえもとめて 野蛮やばん常識じょうしきうたがえ』SIBAA BOOKS、2024ねん

外部がいぶリンク

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