蓄音機ちくおんき

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蓄音器ちくおんきから転送てんそう
ろうかんしき蓄音機ちくおんき
Graphpphone 1897ねんColumbia Phonograph しゃから発表はっぴょうされた家庭かていよう蓄音機ちくおんき広告こうこく聴診ちょうしんのようなイアホンをもちいて回転かいてんする円筒えんとう記録きろくされた擦過さっかおん直接ちょくせつ機構きこう

蓄音機ちくおんき蓄音器ちくおんき(ちくおんき、アメリカ英語えいご: Phonographイギリス英語えいご: Gramophone)は、狭義きょうぎには、駆動くどう再生さいせい増幅ぞうふく機構きこう電気でんき一切いっさい使つかわない機械きかいしき蓄音機ちくおんきをいう[1]広義こうぎには、駆動くどうおと増幅ぞうふく電気でんきおこな電気でんきしき蓄音機ちくおんきふくめる[2]

機械きかいしき蓄音機ちくおんき[編集へんしゅう]

発明はつめい[編集へんしゅう]

ろうかんしき蓄音機ちくおんきの2号機ごうきうつるエジソン(1878ねん4がつ

19世紀せいきなかば、会話かいわ演奏えんそうなんらかの機械きかいてき手段しゅだんにより記録きろく再生さいせいする録音ろくおん再生さいせい機器きき開発かいはつ欧米おうべい各地かくちこころみられるようになった[3]

1857ねん、フランスじんエドゥアール=レオン・スコット・ド・マルタンヴィル (Édouard-Léon Scott de Martinville) が発明はつめいしたフォノトグラフが、おと記憶きおくする装置そうち最古さいこのものである。実際じっさい波形はけい記録きろくしているが、当時とうじ技術ぎじゅつでそれをおととして再生さいせいする手段しゅだんはなかった。[よう出典しゅってん]

1877ねん12月、トーマス・エジソンが、おとによる空気くうき振動しんどうはりさきから回転かいてんする円筒えんとうじくいたすずはくきざんで録音ろくおんし、この凹凸おうとつはりさきひろって再生さいせいするすずはくしきフォノグラフ発明はつめいした(ティン・フォイルいち号機ごうき製作せいさく[3][4]。この空気くうき振動しんどうはりさき振動しんどうとのあいだ物理ぶつりてき情報じょうほうをやりりするアイデアはLPレコードにまでがれる[3]

エジソンは1878ねん1がつにエジソン・スピーキング・フォノグラフしゃ設立せつりつ[4]。しかし、最初さいしょのフォノグラフは周波数しゅうはすう特性とくせいせまく、SNわるく、再生さいせいかえすとSNきゅう低下ていかするというきわめて不十分ふじゅうぶん精度せいどのものであった[3]。その、エジソンは白熱はくねつ電球でんきゅう開発かいはつ集中しゅうちゅうし、フォノグラフの研究けんきゅう開発かいはつはしばらく抛擲ほうてきされた[3]

その1888ねんグラハム・ベル研究所けんきゅうじょチャールズ・サムナー・テンターらによる蓄音機ちくおんき改良かいりょうこころみられたが、すずはくわり、記録きろく媒体ばいたいろうませたル紙るがみ円筒えんとう(ワックス・シリンダー)をもちいるものだった[3][4]同機どうき開発かいはつって激怒げきどしたエジソンはおなじようにろうかんもちいる改良かいりょう開発かいはつするようになった[3][4][5]

これに先立さきだってエミール・ベルリナー(Emile Berliner)は1887ねん亜鉛あえん円盤えんばんよこれのみぞきざ蓄音機ちくおんき開発かいはつして円盤えんばん(ディスク)しき蓄音機ちくおんき誕生たんじょうした[3]

駆動くどうめんでは1895ねんから1896ねんにかけてゼンマイ(Spring motor)しきフォノグラフが開発かいはつされた(エジソン・スプリングモーターしき蓄音機ちくおんき[4]

欧米おうべいでの普及ふきゅう[編集へんしゅう]

1890年代ねんだいになると蓄音機ちくおんき学術がくじゅつ目的もくてき様々さまざま言語げんご芸能げいのう録音ろくおんするのに利用りようされるようになった[3]

アメリカでは1890ねん人類じんるい学者がくしゃのJesse Walter Fewkesがパサマクォディ(Passamaquoddy Indians)のうた物語ものがたりをエジソンのろうかんしき録音ろくおん録音ろくおんしている[3]。また、1895ねんから1897ねんにはFrancis La Flesche と Alice Cunningham FletcherがOmaha Indiansのうたろうかん記録きろくした[3]。20世紀せいきになるとFrances Densmoreが1907ねんから1940年代ねんだい初頭しょとうにかけてアメリカ先住民せんじゅうみんぞくうたかたりを収録しゅうろくする活動かつどうおこなった[3]

一方いっぽう、ヨーロッパでは19世紀せいきから20世紀せいきにかけて本格ほんかくてき録音ろくおんアーカイブズが設立せつりつされるようになった[3]。1899ねんにはオーストリアのウィーンに世界せかい最初さいしょ録音ろくおんアルヒーフが創設そうせつされ、比較ひかく方言ほうげんがく民族みんぞく言語げんごがく民族みんぞく音楽おんがくがく資料しりょう音源おんげん収録しゅうろくおこなうようになった[3]。1900ねんにはドイツのベルリンにも録音ろくおんアルヒーフが開設かいせつされ、世界せかいしょ音楽おんがくおも対象たいしょうとする録音ろくおん活動かつどうはじめた[3]

1900ねんパリ万国博覧会ばんこくはくらんかいでは、パリ人類じんるい学会がっかい同地どうちおとずれた世界せかい各国かっこく人々ひとびと対象たいしょう録音ろくおんおこない、録音ろくおん博物館はくぶつかん Musée phonographique のプロジェクトを展開てんかいした[3]

日本にっぽんでの普及ふきゅう[編集へんしゅう]

日本にっぽんはじめて蓄音機ちくおんき上陸じょうりくしたのは1877ねん明治めいじ10ねん)に横浜よこはま輸入ゆにゅうしょうによってもたらされた[6]

1907ねん明治めいじ40ねん)には松本まつもとたけ一郎いちろう日米にちべい蓄音機ちくおんき製造せいぞう株式会社かぶしきがいしゃ創立そうりつし、1910ねん明治めいじ43ねん)4がつ国産こくさん蓄音器ちくおんきだい1ごう「ニッポノホン」の製造せいぞう販売はんばい開始かいしした[6][2]同社どうしゃは1910ねん10がつ日本にっぽん蓄音器ちくおんき商会しょうかいとして法人ほうじんされた(日本にほんコロムビア[6]普及ふきゅうすすんだのは蓄音機ちくおんき製造せいぞうする会社かいしゃえた昭和しょうわ初期しょきのことである[2]

日本にっぽん独自どくじ装置そうちとして、1937ねん昭和しょうわ12ねん日本にっぽんフィルモンしゃながさ13 m、はば35 mmのセルロイドけい素材そざいのベルトのりょうはし接続せつぞくしてエンドレスにし、そこにおとみぞきざんだフィルモンおとたいからレコードはりおと再生さいせいする装置そうちフィルモン」をしている。(日本にっぽんでは蓄音器ちくおんきくことがおおかった)

電気でんきしき蓄音機ちくおんきでん蓄)[編集へんしゅう]

エレクトロニクスの進歩しんぽ真空しんくうかん小型こがた性能せいのう向上こうじょうともない、レコードはりうごきを電気でんき信号しんごう変換へんかんして増幅ぞうふくし、スピーカーらす「電気でんきしき蓄音機ちくおんき」すなわち「でん蓄」が登場とうじょうした(順序じゅんじょとしては駆動くどうけい電化でんかのほうがおそかった)。

LPレコードはレコードのみぞこまかくなったうえに、材質ざいしつポリ塩化えんかビニルとなってSPばんのようなつよはりあつえられなくなったことから、電気でんきしきでないと再生さいせいできない。ステレオレコードにいたっては、原理げんりじょう電気でんき信号しんごうもちいる方式ほうしきでしか再生さいせいはほぼ不可能ふかのうである。オーディオ機器ききのコンポーネントにより、レコードから電気でんき信号しんごうし、ライン出力しゅつりょく増幅ぞうふくするところあたりまでの装置そうち独立どくりつさせてレコードプレーヤーとするようになった。

また、でん蓄のかたりは、レコードばんをはみださせてぎりぎりおおきさのターンテーブルと、そのままスピーカーを駆動くどうできるアンプを内蔵ないぞうしたいわゆる「ポータブルでん蓄」が普及ふきゅうし、昭和中しょうわなかにはトランジスタされて一般いっぱん家庭かていにもひろ普及ふきゅうしたことから、オーディオ機器ききなかで「レコードプレーヤー」のかたり一般いっぱんてきになったのちも、「ポータブルでん蓄」にそのめていた。

現在げんざいでは北海道大学ほっかいどうだいがく伊福部いふくべいたるらにより、光線こうせんによる接触せっしょくろうかん再生さいせい装置そうち開発かいはつされている(金属きんぞくせいゆうがた再生さいせい可能かのうである)。

アーカイブ[編集へんしゅう]

トマス・エディソン国立こくりつ歴史れきし公園こうえん
エジソンが作製さくせいした蓄音機ちくおんき展示てんじする博物館はくぶつかん実験じっけんとう実験じっけん装置そうちなどがあり、初期しょき録音ろくおん資料しりょう一部いちぶ公開こうかいしている[3]
アメリカ議会ぎかい図書館としょかん
ヒューカス(Jesse Walter Fewkes)による1890ねん録音ろくおんやラ・フレッシュとうによる1895~97ねん録音ろくおんなど最初さいしょ録音ろくおん資料しりょう保有ほゆうしている[3]
シラキュース大学だいがくベルファー音響おんきょうアーカイブ
ろうかん22,000ほんなどを所蔵しょぞうする全米ぜんべい有数ゆうすうだい規模きぼ録音ろくおんアーカイブ[3]
カリフォルニア大学だいがくサンタバーバラこうろうかん保存ほぞん・デジタルプロジェクト
同校どうこう図書館としょかんであるDonald C. Davidson Libraryの特別とくべつコレクションをあつかう Department of Special Collections にあるろうかんのデジタルのプロジェクト[3]
オーストリア科学かがくアカデミー録音ろくおんアルヒーフ
1899ねん設立せつりつされた録音ろくおんアルヒーフで、その初期しょき録音ろくおんコレクションは1999ねん世界せかい記録きろく遺産いさん登録とうろくされた[3]
ベルリン録音ろくおんアルヒーフ
ベルリン民族みんぞくがく博物館はくぶつかんないにある録音ろくおんアルヒーフで1999ねん世界せかい記録きろく遺産いさん登録とうろくされた[3]
だいえい図書館としょかん音響おんきょうアーカイブ
1955ねん私設しせつだいえい録音ろくおん音響おんきょう研究所けんきゅうじょとして設立せつりつされ、1983ねんだいえい図書館としょかん帰属きぞくとなったアーカイブで、ろうかんとう初期しょき録音ろくおん資料しりょうぐん保有ほゆうしている[3]
福井ふくい県立けんりつこども歴史れきし文化ぶんかかん
かつてはオーディオテクニカのフォノギャラリーが世界せかい有数ゆうすうのコレクションをほこっていたが、2014ねん3がつに、その大半たいはん福井ふくい県立けんりつこども歴史れきし文化ぶんかかん寄贈きぞうされた。

記念きねん[編集へんしゅう]

日本にっぽんオーディオ協会きょうかいは、12月6にちおとさだめた。これは、エジソン1877ねん12月蓄音機ちくおんきによる録音ろくおん再生さいせい実験じっけん成功せいこうさせたことにちなむ。なお、このとき録音ろくおんされたものは『メリーさんのひつじ (Mary Had a Little Lamb)』である。

エジソンの実験じっけん以前いぜんにもおと記録きろくすること自体じたい成功せいこうしていたが、再生さいせいながらく不可能ふかのうだった。2008ねんになって、フォノトグラフによって1860ねん4がつ9にち記録きろくされたフランス民謡みんようつきひかりに (Au Clair de la Lune)』を、コンピュータ解析かいせきによって再生さいせいすることに成功せいこうした。フランス科学かがくアカデミーはこれを「人類じんるい最古さいこ録音ろくおん」としている[7]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 篠塚しのづか義弘よしひろ関西大学かんさいだいがく博物館はくぶつかんのSPレコードコレクションについて」『阡陵 : 関西大学かんさいだいがく博物館はくぶつかん彙報いほうだい79かん、2019ねん9がつ30にち、12-13ぺーじ 
  2. ^ a b c 蓄音機ちくおんき”. 野々市ののいち. 2022ねん11月20にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 清水しみず康行やすゆき欧米おうべい録音ろくおんアーカイブズ―初期しょき日本語にほんご録音ろくおん資料しりょう所蔵しょぞう機関きかん中心ちゅうしんに―」『国文こくぶん目白めじろ 田中たなかいさお教授きょうじゅ退任たいにん記念きねんごう ; 田中たなかいさお教授きょうじゅ退任たいにん記念きねん特集とくしゅう』、日本女子大学にほんじょしだいがく国語こくご国文こくぶん学会がっかい、2011ねん2がつ、19-29ぺーじ 
  4. ^ a b c d e 大阪芸術大学おおさかげいじゅつだいがく所蔵しょぞう蓄音機ちくおんきデザイン調査ちょうさ研究けんきゅう』のための基礎きそ資料しりょう作成さくせい”. 大阪芸術大学おおさかげいじゅつだいがく. 2022ねん11月20にち閲覧えつらん
  5. ^ ろうかんしき蓄音機ちくおんき
  6. ^ a b c ニッポノホン”. 川崎かわさき. 2022ねん11月20にち閲覧えつらん
  7. ^ AFP通信つうしん記事きじ

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]