祝詞のりととは、祭典さいてんに奉仕ほうしする神職しんしょくが神様かみさまに奏上そうじょうする言葉ことばであり、その内容ないようは神饌しんせん・幣帛へいはくへいはくを供そなえて、御ご神徳しんとくに対たいする称しょう辞じたたえごとを奏そうし、新あらたな恩おん頼よりゆきみたまのふゆを祈願きがんするというのが一般いっぱん的てきな形かたちといえます。
その起源きげんは古ふるく、記紀きき神話しんわにも天てんの岩屋いわやの段だんで、天照大御神あまてらすおおみかみがお隠かくれになられた天てんの岩屋いわやの前まえで天てん児じ屋や命いのちあめのこやねのみことが「布ぬの詔みことのり戸ど言げんふとのりとごと」を奏上そうじょうしたことが見みられます。また『延喜えんぎ式しきえんぎしき』巻まき八はちには現存げんそんする最古さいこのものとして朝廷ちょうていの祭儀さいぎに関かかわる二に十じゅう七なな編へんの祝詞のりとが収録しゅうろくされており、現在げんざいでも重視じゅうしされています。
我わが国くには、「言霊ことだまことだまの幸こうさきわう国くに」とも称しょうされるように、言霊ことだまに対たいする信仰しんこうが見みられます。言葉ことばには霊力れいりょくが宿やどり、口くちに出だされて述のべることにより、この霊力れいりょくが発揮はっきされると考かんがえられています。例たとえば忌いみ嫌きらわれる言葉ことばを話はなすと良よくないことが起おこり、逆ぎゃくに祝福しゅくふくの言葉ことばで状況じょうきょうが好転こうてんするというもので、婚儀こんぎなど祝儀しゅうぎの際さいに忌いみ言葉ことばを使つかわぬよう注意ちゅういを払はらうのも、こうした考かんがえによることなのです。
祝詞のりとには、こうした言霊ことだまに対たいする信仰しんこうが根底こんていにあるため、一いち字じ一いち句くに流麗りゅうれいで荘厳そうごんない回いまわしを用もちいて、間違まちがえることがないように慎重しんちょうに奏上そうじょうされます。
(『神道しんとういろは』234・235頁ぺーじ参照さんしょう)