家いえのおまつりには、神棚かみだなや正月しょうがつ、お盆ぼん、お彼岸ひがんなどのほかに忘わすれてはならない大切たいせつなものがあります。日常にちじょうの祖先そせんのまつりです。日本人にっぽんじんは、古来こらい、人ひとは亡なくなってもこの世よにとどまって、いつでも子孫しそんを見守みまもってくれている存在そんざいだと考かんがえてきました。だからこそ、日本人にっぽんじんは祖先そせんをおまつりしてきたわけです。現代げんだいに生いきる我々われわれも共有きょうゆうする考かんがえ方かたでしょう。
家庭かていでの先祖せんぞのおまつりは、神棚かみだなとは別べつに御霊みたま舎しゃみたまや(祖そそ霊れい舎しゃれいしゃ)で行おこないます。祖先そせんの霊れいが鎮しずまる御霊代みたましろみたましろを納おさめるところです。御霊代みたましろには、一般いっぱん的てきに霊れい璽れいじが用もちいられます。これは、仏式ぶっしきでいえば位牌いはいいはいにあたります。霊れい璽には蓋ぶたがついていますが、通常つうじょうは蓋ぶたをしたままおまつりし、命日めいにちや年とし祭さいなど特別とくべつのおまつりのときには外はずすこともあります。
年とし祭さいとは、特別とくべつな年としの命日めいにちのおまつりで、亡なくなって満まん1年ねん、2年ねん、3年ねん、5年ねん、10年ねん、以降いこう10年ねんごとに行おこなうのが一般いっぱん的てきです。普通ふつうは50年ねんで「まつりあげ」となり、故人こじんの御霊みたまは清きよめられて神様かみさまのもとに帰かえるといわれます。年とし祭さいの日ひには、親戚しんせきや故人こじんと親したしかった人ひとを呼よび、神職しんしょくにおまつりをしてもらいます。
御霊みたま舎しゃは、神棚かみだなとは別べつのところに設もうけるようにしますが、家いえの間取まどりの関係かんけいで、神棚かみだなの下したや神棚かみだなの隣となりに設もうけることもあります。神棚かみだなの下したに設もうける場合ばあいには、御霊みたま舎しゃは上半身じょうはんしんの高たかさに設もうけます。神棚かみだなの隣となりに設もうける場合ばあいには、御霊みたま舎しゃの高たかさをやや低ひくくするか、それができない場合ばあいには、神棚かみだなに向むかって左ひだりに設もうけるのがよいでしょう。
お供そなえ物ものは神棚かみだなのおまつりと同様どうようです。お参まいりも、神棚かみだなにお参まいりした後のちに同おなじ方法ほうほうでお参まいりします。御霊みたま舎しゃに必要ひつような祭器さいき具ぐは、神かみ具ぐ店てんで求もとめることができます。御霊みたま舎しゃを設もうける場合ばあいには、神社じんじゃにお願ねがいしてお祓はらいしてもらうといいでしょう。
「暑あつさ寒さむさも彼岸ひがんまで」の言葉ことばどおり、彼岸ひがんは季き節ぶしの変かわり目めであると同時どうじに、また、祖先そせんをまつる大切たいせつな行事ぎょうじでもあります。
彼岸ひがんは、春分しゅんぶんの日ひ(3月がつ21日にち頃ごろ)と秋分しゅうぶんの日ひ(9月がつ23日にち頃ごろ)をはさんだ前後ぜんごの3日間にちかんずつ、計けい7日間にちかんのことで、それぞれ春はる彼岸ひがん、秋あき彼岸ひがんと言いい、彼岸ひがんの最初さいしょの日ひを「彼岸ひがんの入いり」、最後さいごの日ひを「彼岸ひがんの明あけ」、春分しゅんぶん・秋分しゅうぶんの日ひを「彼岸ひがんの中日ちゅうにち」と言いいます。
彼岸ひがんには、お墓参はかまいりをする習慣しゅうかんがあり、祖先そせんの霊れいを家いえに迎むかえる盆ぼんとは違ちがって、祖先そせんに会あいにゆく行事ぎょうじとしての色彩しきさいが濃こいようです。
彼岸ひがんは、日本にっぽんにしかない行事ぎょうじで、豊作ほうさくに欠かかすことのできない太陽たいようをまつり、祖そ霊れいの加護かごを祈いのる古ふるくからの儀礼ぎれいと結むすびついたものと言いわれています。 彼岸ひがんには、「おはぎ」や「ぼたもち」を供そなえ、お下さがりとして食しょくします。「おはぎ(御萩おはぎ)」は萩はぎの餅もちの略称りゃくしょう、「ぼたもち」は牡丹餅ぼたもちで、いずれも同おなじものですが、春はるの牡丹ぼたん、秋あきの萩はぎと季き節ぶしの花はなにたとえて呼よぶところに、日本人にっぽんじんらしい感性かんせいがうかがわれます。
春分しゅんぶん・秋分しゅうぶんの日ひは、いずれも国民こくみんの祝日しゅくじつで、春分しゅんぶんの日ひは「自然しぜんをたたえ、生物せいぶつをいつくしむ」、「秋分しゅうぶんの日ひ」は「祖先そせんをうやまい、なくなった人々ひとびとをしのぶ」とされていますが、かつては春季しゅんきしゅんき皇霊こうれい祭さいこうれいさい・秋季しゅうきしゅうき皇霊こうれい祭さいこうれいさいという祭日さいじつでした。
今いまでも、宮中きゅうちゅうでは春季しゅんき皇霊こうれい祭さい・秋季しゅうき皇霊こうれい祭さいが行おこなわれ、神武じんむ天皇てんのうを始はじめ歴代れきだい天皇てんのう・皇族こうぞくの御霊みたまがおまつりされます。
春分しゅんぶん・秋分しゅうぶんの日ひは、天文学てんもんがく的てきには太陽たいようが黄き経けいこうけい0度ど(春分しゅんぶん点てん)、180度ど(秋分しゅうぶん点てん)を通過つうかする日ひで、太陽たいようが真ま東ひがしから昇のぼり、真ま西にしに沈しずむことから、祖先そせんとの交流こうりゅうに相応ふさわしい日ひと考かんがえられてきたのでしょう。
盆ぼんは、旧暦きゅうれき7月がつ15日にちを中心ちゅうしんに行おこなわれる祖先そせんをまつる行事ぎょうじで、7月がつ13日にち夕方ゆうがたの迎むかえ火びに始はじまり、7月がつ16日にちの送おくり火びに終おわります。
一般いっぱんに盆ぼんとは、盂蘭盆うらぼんうらぼんの略りゃくとされ、盂蘭盆うらぼんには梵語ぼんごぼんごで倒たおせ懸がかさかさづりになっているのを救すくうという意味いみがあり、あの世よで非常ひじょうな苦くるしみを受うけている死者ししゃを供養くようし救すくう仏教ぶっきょう行事ぎょうじとされています。
しかし、供そなえ物ものを載のせる容器ようきを日本にっぽんの古語こごで「ボン」と言いったことから盆ぼんになったという説せつもあり、盆ぼん行事ぎょうじは、日本にっぽんに古ふるくからあった祖そ霊祭たままつりの名残なごりであろうとも考かんがえられています。
関東かんとう地方ちほうでは7月がつ15日にちに行おこなわれることが多おおいようですが、関西かんさいなどの西日本にしにほんでは月遅つきおくれの8月がつ15日にちに行おこなうところが多おおく、「おがら」と呼よばれる麻あさの茎くきや麦藁むぎわら、松まつの割わり木きなどを焼やく迎むかえ火び・送おくり火びの風習ふうしゅうは、江戸えど時代じだいに盛さかんになったと言いわれています。
また、盆踊ぼんおどりは、本来ほんらい、祖先そせんの霊れいを慰なぐさめ送おくり出だすためのもので、あの有名ゆうめいな阿波あわ踊おどりも盆踊ぼんおどりの一ひとつです。
正月しょうがつや盆ぼんなど祖先そせんの霊れいは年中ねんじゅういく度ども子孫しそんのもとを訪おとずれます。正月しょうがつ棚たなや盆ぼん棚だなぼんだな(先祖せんぞ棚だな)はその際さいに祖先そせんを迎むかえる場所ばしょで、神棚かみだなや御霊みたま舎しゃみたまやの原型げんけいとも考かんがえられています。