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大相撲おおずもうれい6ねん3がつ場所ばしょ

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大相撲おおずもうれい6ねん3がつ場所ばしょ
エディオンアリーナ大阪(大阪府立体育会館)
基本きほん情報じょうほう
会場かいじょう エディオンアリーナ大阪おおさか大阪おおさか府立ふりつ体育たいいく会館かいかん
番付ばんづけ発表はっぴょう 2024ねん2がつ26にち
開催かいさい期間きかん 2024ねん3がつ10日とおか - 3月24にち(15日間にちかん
かくだん優勝ゆうしょうさんしょう
幕内まくうち最高さいこう優勝ゆうしょう みこと富士ふじわたる輝也てるや(13しょう2はい
十両じゅうりょう優勝ゆうしょう 水戸みとりゅうきよしこれ(12しょう3はい
幕下まくした優勝ゆうしょう かぜけんひさしいむふとし(7せん全勝ぜんしょう
さんだん優勝ゆうしょう 長村おさむら晃宏あきひろ(7せん全勝ぜんしょう
じょだん優勝ゆうしょう とち丸正まるしょうてん(7せん全勝ぜんしょう
序ノ口じょのくち優勝ゆうしょう 千代ちよだいきばはた(7せん全勝ぜんしょう
殊勲賞しゅくんしょう みこと富士ふじわたる輝也てるやはつ受賞じゅしょう
敢闘かんとうしょう みこと富士ふじわたる輝也てるやはつ受賞じゅしょう
だいさとたいてる(2かい
技能ぎのうしょう みこと富士ふじわたる輝也てるや(はつ受賞じゅしょう)
だいさとたいてる(2かい
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大相撲おおずもうれい6ねん3がつ場所ばしょ(おおずもうれいわろくねん3がつばしょ)は、2024ねんれい6ねん3がつ10日とおかから3月24にちまでの15日間にちかん日本にっぽん大阪おおさか大阪おおさか浪速なにわエディオンアリーナ大阪おおさか大阪おおさか府立ふりつ体育たいいく会館かいかん開催かいさいされた大相撲おおずもう本場所ほんばしょである。

概要がいよう[編集へんしゅう]

3がつ場所ばしょかんするとき系列けいれつ
  • 2024ねん1がつ31にち
    • 日本にっぽん相撲すもう協会きょうかい臨時りんじ理事りじかい番付ばんづけ編成へんせい会議かいぎひらき、関脇せきわけきんわか大関おおぜき昇進しょうしん決定けってい。これにより、しん大関おおぜききんわか誕生たんじょうした[1]
  • 2024ねん2がつ23にち
    • もと幕内まくうちきたあおほう後輩こうはい力士りきしへの暴力ぼうりょく行為こうい問題もんだいけ、コンプライアンス委員いいんかいが「引退いんたい勧告かんこく相当そうとう」としたうえで、日本にっぽん相撲すもう協会きょうかいきたあおおおとりから提出ていしゅつされていた引退いんたいとどけ受理じゅりした[2]
  • 2024ねん2がつ26にち
    • 番付ばんづけ発表はっぴょう
      • ひがし前頭まえがしら17まいとなったみこと富士ふじは、はつ土俵どひょうから所要しょよう9場所ばしょでのしん入幕にゅうまくとなった。所要しょよう9場所ばしょでのしん入幕にゅうまくは、平成へいせい24ねん11月場所ばしょつねさいわいりゅうならんで1タイとなった(とし6場所ばしょせいとなった1958ねん以降いこうづけでの入門にゅうもんしゃのぞく)[3]
      • ひがしじゅうりょう14まいとなったきた磻磨は、37さい6かげつ29にち番付ばんづけ発表はっぴょう時点じてん)で、戦後せんご2高齢こうれい昇進しょうしんとなった。きた磻磨は自身じしん9度目どめ十両じゅうりょう昇進しょうしんであり、この回数かいすうまれぜんりゅうなら史上しじょう1タイのおおさとなった[3]
  • 2024ねん2がつ29にち
    • しん弟子でし検査けんさ
      • 学生がくせい卒業そつぎょう時期じきかさなりねん6場所ばしょもっと志願しがんしゃおおい3がつ場所ばしょでは2023ねんの33にん下回したまわり、義務ぎむ教育きょういく修了しゅうりょう受検じゅけん資格しかく定着ていちゃくした1973ねん以降いこう最少さいしょう更新こうしんする27にんもうみにとどまった[4]

番付ばんづけ星取表ほしとりひょう[編集へんしゅう]

あか文字もじ優勝ゆうしょう力士りきし成績せいせき

幕内まくうち[編集へんしゅう]

東方とうほう 番付ばんづけ 西方せいほう
備考びこう 成績せいせき 力士りきしめい 力士りきしめい 成績せいせき 備考びこう
2しょう5はい8きゅう あきら富士ふじ 横綱よこづな
5しょう10はい 霧島きりしま 大関おおぜき 豊昇ほうしょうりゅう 11しょう4はい
8しょう6はい1きゅう 景勝けいしょう 大関おおぜき きんわか 10しょう5はい しん大関おおぜき
6しょう9はい 大栄おおえしょう 関脇せきわけ わか元春もとはる 9しょう6はい さい関脇せきわけ
さい小結こむすび 9しょう6はい おもねほのお 小結こむすび 錦木にしきぎ 3しょう12はい さい小結こむすび
6しょう9はい 宇良うら 前頭まえがしら1 あさ乃山 9しょう6はい
8しょう7はい 熱海あたみ富士ふじ 前頭まえがしら2 明生あきお 6しょう9はい
7しょう8はい おうほう 前頭まえがしら3 りゅうかち 5しょう10はい
8しょう7はい しょうざる 前頭まえがしら4 平戸ひらどかい 9しょう6はい
7しょう8はい みどり富士ふじ 前頭まえがしら5 だいさと 11しょう4はい 敢闘かんとうしょう技能ぎのうしょう
2しょう3はい10きゅう けんしょう 前頭まえがしら6 ごうやま 10しょう5はい
6しょう7はい2きゅう 金峰山きんぷさん 前頭まえがしら7 たまわし 7しょう8はい
9しょう6はい 阿武あぶさき 前頭まえがしら8 髙安 11しょう4はい
6しょう9はい きた勝富かつとみ 前頭まえがしら9 きんかちほう 8しょう7はい
8しょう7はい 正代しょうだい 前頭まえがしら10 御嶽みたけかい 9しょう6はい
7しょう8はい 一山ひとやまほん 前頭まえがしら11 佐田さたうみ 8しょう7はい
9しょう6はい 湘南しょうなん乃海 前頭まえがしら12 島津しまつうみ 0しょう4はい11きゅう
6しょう9はい りゅうでん 前頭まえがしら13 よしうみ 7しょう8はい
さい入幕にゅうまく 8しょう7はい にしき富士ふじ 前頭まえがしら14 きたわか 3しょう12はい さい入幕にゅうまく
6しょう9はい 妙義みょうぎりゅう 前頭まえがしら15 おおかみみやび 7しょう8はい さい入幕にゅうまく
5しょう10はい 遠藤えんどう 前頭まえがしら16 だい奄美あまみ 7しょう8はい さい入幕にゅうまく
しん入幕にゅうまく
優勝ゆうしょう
殊勲賞しゅくんしょう敢闘かんとうしょう技能ぎのうしょう
13しょう2はい みこと富士ふじ 前頭まえがしら17

じゅうりょう[編集へんしゅう]

東方とうほう 番付ばんづけ 西方せいほう
備考びこう 成績せいせき 力士りきしめい 力士りきしめい 成績せいせき 備考びこう
8しょう7はい どき疾風しっぷう じゅうりょう1 たから富士ふじ 8しょう7はい
6しょう9はい ひがし白龍はくりゅう 十両じゅうりょう2 水戸みとりゅう 12しょう3はい
引退いんたい[ちゅう 1] (番付ばんづけ記載きさいのみ) きたあおほう 十両じゅうりょう3 ともふう 9しょう6はい
7しょう8はい てる 十両じゅうりょう4 おう勝馬かつま 11しょう4はい
9しょう6はい 武将ぶしょうやま 十両じゅうりょう5 白熊しろくま 7しょう6はい2きゅう
4しょう11はい はく鷹山ようざん 十両じゅうりょう6 千代ちよしょう 9しょう6はい
7しょう8はい えい乃海 十両じゅうりょう7 だいしょうおおとり 10しょう5はい
9しょう6はい あさべにりゅう 十両じゅうりょう8 獅司 8しょう7はい
5しょう10はい 志摩しまうみ 十両じゅうりょう9 たませいおおとり 6しょう9はい
7しょう8はい むらさきかみなり 十両じゅうりょう10 わか隆景たかかげ 9しょう6はい さいじゅうりょう
6しょう9はい おう勝海かつうみ 十両じゅうりょう11 あおやま 7しょう8はい
1しょう14はい きんめぐみこう 十両じゅうりょう12 對馬つしまよう 7しょう8はい さいじゅうりょう
6しょう9はい てん空海くうかい 十両じゅうりょう13 はくさくらほう 8しょう7はい さいじゅうりょう
さいじゅうりょう 4しょう11はい きた磻磨 十両じゅうりょう14 千代ちよさかえ 8しょう7はい

優勝ゆうしょうあらそ[編集へんしゅう]

春場所はるばしょは、あきら富士ふじ途中とちゅう休場きゅうじょう大関おおぜきじんほしりこぼすなか初日しょにちからだいさとみこと富士ふじ平幕ひらまくりょうが6連勝れんしょうだいさとは7にち阿武あぶさきやぶれるも、そのほしばした。

みこと富士ふじ平成へいせい23ねん技量ぎりょう審査しんさ場所ばしょさきがけきよし以来いらいとなるしん入幕にゅうまくでの中日ちゅうにちしを達成たっせい。9にちには小結こむすびおもねほのお一方いっぽうてきし、9連勝れんしょうとした。

10日とおかには、みこと富士ふじと8しょう1はいだいさと直接ちょくせつ対決たいけつまれ、みこと富士ふじ勝利しょうり。この時点じてんで10せん全勝ぜんしょうみこと富士ふじを8しょう2はい大関おおぜききんわか平幕ひらまくだいさとかたちとなった。

11にちには、みこと富士ふじきんわか対戦たいせんまれ、みこと富士ふじがもろしのかたちをつくり、勝利しょうりした。これによりしん入幕にゅうまくでの初日しょにちからの連勝れんしょう記録きろく大鵬たいほうならぶこととなった。

12にちみこと富士ふじ大関おおぜき豊昇ほうしょうりゅう対戦たいせんまれ、みこと富士ふじむも、土俵際どひょうぎわ小手こてゆたか昇龍しょうりゅう勝利しょうりみこと富士ふじは1はいとなった。一方いっぽう、2はいだいさときんわか小手こてげでやぶれ、3はい後退こうたいほしわらず、1はいみこと富士ふじを3はい豊昇ほうしょうりゅうきんわかだいさとごうやま展開てんかいとなった。

13にちには、関脇せきわけわか元春もとはるみこと富士ふじりでやぶり、1はいをキープ。だいさと関脇せきわけ大栄おおえしょうやぶり、3はいまもった。豊昇ほうしょうりゅうごうやま直接ちょくせつ対決たいけつ豊昇ほうしょうりゅうせいしたが、きんわかカド番かどばん脱出だっしゅつをかける景勝けいしょうたいし、まわしをとるも、おくやぶれ、優勝ゆうしょうあらそいから脱落だつらくした。

14にちてば優勝ゆうしょうとなるみこと富士ふじであったが、あさ乃山みぎよっつのかたちゆるし、られ2はい後退こうたい。さらにそのさいあしいためるアクシデントも発生はっせいした。だいさとおもねほのおやぶり3はいまもり、優勝ゆうしょうあらそいにのこるものの、豊昇ほうしょうりゅう強引ごういんげが墓穴ぼけつり、きんわかやぶれ、やく力士りきし優勝ゆうしょうあらそいから完全かんぜん脱落だつらく。2はいみこと富士ふじを3はいだいさといかけるかたちわった。

千秋楽せんしゅうらくみこと富士ふじ強行きょうこう出場しゅつじょうし、ごうやま対戦たいせんひだりよっつのかたちをつくり、ごうやまたてて、最後さいごたお勝利しょうりした。これにより110ねんぶりとなるしん入幕にゅうまく力士りきし優勝ゆうしょうまった。

備考びこう[編集へんしゅう]

  • みこと富士ふじ優勝ゆうしょうは、1914ねん5がつ場所ばしょ両國りょうこく勇治郎ゆうじろう以来いらい、110ねんぶりのしん入幕にゅうまく優勝ゆうしょうとなった。ただし1914ねん当時とうじ新聞しんぶんしゃによる優勝ゆうしょうがく掲額けいがくおこなわれていたのみであり、1926ねん個人こじん優勝ゆうしょう制度せいど正式せいしき導入どうにゅうとしてははつのことである。はつ土俵どひょうからのはつ優勝ゆうしょう所要しょよう場所ばしょすうは10場所ばしょであり、これまで1であった貴花田たかはなだあさあおりゅうの24場所ばしょおおきく更新こうしんした。また青森あおもりけん出身しゅっしん力士りきし幕内まくうち優勝ゆうしょうは、1997ねん11月場所ばしょ貴ノ浪たかのなみ以来いらいやく27ねんぶりとなった。
  • さんしょうは、敢闘かんとうしょうだいさとみこと富士ふじ、さらに技能ぎのうしょうだいさとみこと富士ふじ受賞じゅしょう殊勲賞しゅくんしょう優勝ゆうしょう力士りきしあたえられることとなり、優勝ゆうしょうめたみこと富士ふじ受賞じゅしょうし、さんしょうトリプル受賞じゅしょうたした。どういち場所ばしょさんしょうすべて受賞じゅしょうするのは2000ねん11月のきん光喜みつよし以来いらいやく24ねんぶり6にんしん入幕にゅうまく力士りきしでは1973ねん9がつだいにしき以来いらいやく51ねんぶり2にんである。
  • じゅうりょうあさべにりゅうわか隆景たかかげ初日しょにちから連勝れんしょうつづけるも、とも後半こうはん失速しっそく。14にち終了しゅうりょう時点じてんで3はい水戸みとりゅうを4はいおう勝馬かつまだいしょうおおとりかたちであった。水戸みとりゅう千秋楽せんしゅうらくはくさくらほうやぶり、12しょう3はい優勝ゆうしょうめた。
  • 千秋楽せんしゅうらくむすびの一番いちばん霧島きりしまきんわか一番いちばんにおいて、霧島きりしま土俵際どひょうぎわ上手じょうずをうち、とも土俵どひょうがい転落てんらくした。38だい木村きむらしょうすけ軍配ぐんばいきんわかにあげるものの、物言ものいいがつき、霧島きりしま勝利しょうりとなった。木村きむらしょうすけ襲名しゅうめい以来いらいはつ軍配ぐんばいちがえとなり、八角はっかく理事りじちょう進退伺しんたいうかがい提出ていしゅつ理事りじちょうからは慰留いりゅうされた。
  • きたあおほう番付ばんづけ発表はっぴょうまえの2がつ23にち引退いんたいとどけ受理じゅりされたが、番付ばんづけ編成へんせい会議かいぎであったため、3がつ場所ばしょ番付ばんづけには名前なまえのこり、ひがしじゅうりょう3まいとなった[5]
  • ぜん場所ばしょつづき、取組とりくみ編成へんせい時点じてん在籍ざいせきしている関取せきとり全員ぜんいん出場しゅつじょうしている状態じょうたい初日しょにちむかえた。しかし、番付ばんづけにおける関取せきとり定員ていいんは70にん偶数ぐうすうなのにたいし、引退いんたいしたきたあおおおとり名前なまえ番付ばんづけじゅうりょう力士りきしとしてのこったため、初日しょにち関取せきとり出場しゅつじょうしゃ奇数きすうとなり、初日しょにちからじゅうりょうたい幕下まくした対戦たいせんまれた(千代ちよさかえてんあきらおおとり)。
  • 最終さいしゅうてきにはさい出場しゅつじょうしゃふくめて8にん関取せきとり休場きゅうじょうした。このうちしょうざる金峰山きんぷさん白熊しろくまえい乃海の4にんさい出場しゅつじょうし、しょうざるえい乃海については不戦敗ふせんぱい翌日よくじつ土俵どひょうがったことで、星取表ほしとりひょうに「や」のしるし記録きろくされないかたちとなった。
  • とう場所ばしょより、本場所ほんばしょでの取組とりくみちゅう力士りきし負傷ふしょう重大じゅうだい事故じこそなえ、土俵どひょうちかくに救急きゅうきゅう救命きゅうめい常駐じょうちゅうさせた。つぎとお早速さっそく出動しゅつどう事例じれい発生はっせいした。
    • 3にち(12にち)のぜん相撲すもうで、土俵どひょう転落てんらく後頭部こうとうぶ強打きょうだした肥後ひごひかり状態じょうたい救急きゅうきゅう救命きゅうめい確認かくにんし、大事だいじって救急きゅうきゅう搬送はんそうとなった。
    • 4にち(13にち)の幕内まくうち取組とりくみで、けんしょうが、平戸ひらどかい上手じょうずやぶれたさい、ゴリゴリとおとてて古傷ふるきずひだりひざいためて土俵どひょうじょううごけなくなり、場内じょうない騒然そうぜんとし、親方おやかたしゅとも救急きゅうきゅう救命きゅうめいけつけて救護きゅうご作業さぎょうちからそそいだ。けんしょう自力じりきがれず車椅子くるまいす搬送はんそうされ、結局けっきょく翌日よくじつから途中とちゅう休場きゅうじょうとなった。
  • 番付ばんづけ発表はっぴょうまえ不祥事ふしょうじにより引退いんたいしたきたあおおおとりのほか、番付ばんづけ発表はっぴょう場所ばしょまえにはもとじゅうりょうさんだんけい天海てんかいが、場所ばしょちゅうにはもと幕内まくうち幕下まくしたあきらきょう引退いんたいした。また場所ばしょ終了しゅうりょう番付ばんづけ編成へんせい会議かいぎで、最高さいこう幕下まくした以下いかの14にん引退いんたい発表はっぴょうされ、このうち最高さいこう幕下まくしたいさむあきら海龍かいりゅう隠岐おき富士ふじの3にんが、にしきふう以来いらい9ねんぶりに世話人せわにんとして新規しんき採用さいようされた。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 場所ばしょまえの2がつ23にちづけ引退いんたいした。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ きんわか大関おおぜき昇進しょうしん正式せいしき決定けってい 祖父そふもと横綱よこづなきんさくらちちもと関脇せきわけきんわか 千葉ちばけん出身しゅっしん69ねんぶり」『スポーツ報知ほうち』、2024ねん1がつ31にち2024ねん2がつ26にち閲覧えつらん
  2. ^ 幕内まくうちきたあおほう引退いんたいとどけ受理じゅり 後輩こうはい力士りきしへの暴力ぼうりょく行為こうい日本にっぽん相撲すもう協会きょうかい理事りじかい確認かくにん」『日刊にっかんスポーツ』、2024ねん2がつ23にち2024ねん2がつ26にち閲覧えつらん
  3. ^ a b 春場所はるばしょしん番付ばんづけちょう乃山がさんやく目前もくぜん筆頭ひっとうだいさと関取せきとりしゅ最多さいた10まい番付ばんづけアップ/平幕ひらまく以下いか関取せきとりへん」『日刊にっかんスポーツ』、2024ねん2がつ26にち2024ねん2がつ26にち閲覧えつらん
  4. ^ しん弟子でし検査けんさ春場所はるばしょワーストの27にん 松井まついそうなぎじん受験じゅけん サンスポ 2024/02/29 18:17 (2024ねん3がつ1にち閲覧えつらん)
  5. ^ 春場所はるばしょ番付ばんづけ発表はっぴょう暴行ぼうこう事件じけん引退いんたいきたあおほうひがしじゅうりょう3まい自主じしゅ引退いんたい”のため抹消まっしょうせずそのまま記載きさい」『スポニチアネックス』、2024ねん2がつ26にち2024ねん2がつ26にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]