自じ鏡かがみ流りゅう(じきょうりゅう)は、天和てんわ年間ねんかん(1681-1683)に多賀たが権けん内ない盛もり政せいが興おこした居合いあいの流派りゅうは。
多賀たがは新田にった宮みや流りゅうの和田わだ平助へいすけの高弟こうていで水戸みと藩はん士しだったが、脱藩だっぱんして江戸えどに移うつり住すみ自じ鏡かがみ流りゅうを開ひらいた。 江戸えどに師範しはん家かの山村さんそん家かがあり、山村さんそん家かは土浦つちうら藩はんの江戸えど藩邸はんてい用人ようにんの家柄いえがらだったことから、自じ鏡かがみ流りゅうも土浦つちうら藩はんに広ひろまり明治維新めいじいしんまで江戸えどと土浦つちうらで稽古けいこされた。 江戸えど後期こうきには、姫路ひめじ藩士はんしの高橋たかはし八はち助すけが江戸えどで山村さんそん司しを訪たずねて学まなんだことから、以後いご、姫路ひめじ藩はんにも伝つたわった。