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愛染明王あいぜんみょうおう

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愛染あいぞめから転送てんそう
愛染明王あいぜんみょうおう(『図像ずぞうしょう』〈じゅうかんしょう〉より)
木造もくぞう愛染明王あいぜんみょうおう坐像ざぞう 東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかんぞう内山うちやま永久寺えいきゅうじきゅうぞう鎌倉かまくら時代ときよ、13世紀せいき重要じゅうよう文化財ぶんかざい
愛染明王あいぜんみょうおう仏像ぶつぞう彙 1783ねん

愛染明王あいぜんみょうおう(あいぜんみょうおう : rāgarāja[1])は、仏教ぶっきょう信仰しんこう対象たいしょうであり、密教みっきょう特有とくゆう憤怒ふんぬしょうおもとするみことかくである明王みょうおうひとつ。愛染あいぜんおうとも[1]

概説がいせつ[編集へんしゅう]

きむつよし薩埵Vajrasattva)の化身けしんで、通常つうじょうは17みことときに37みこと眷属けんぞくとする[1]

異名いみょう[編集へんしゅう]

さとしぜん』には、愛染明王あいぜんみょうおう異名いみょうとして「吒枳おう」をげ、『みょう吉祥きっしょう平等びょうどう秘密ひみつ最上さいじょうかんもんだいきょうおうけい』(大正たいしょうぞうNo.1192)には、吒枳おうが「だいあい明王みょうおう」とやくされている。

また『瑜祇けい』における“愛染あいぜんおういちこころあきら”が「ウン・タキ・ウン・ジャク」(うん 吒 からたち うん 惹入聲にっしょう )とあるので、那須なす政隆まさたかは吒枳明王みょうおう(Țaki)を愛染明王あいぜんみょうおうであるとしている[2][ちゅう 1][4]

みつごう[編集へんしゅう]

愛染明王あいぜんみょうおうみつごうは『はなれあい金剛こんごう』である[5] [ちゅう 2][ちゅう 3]。ここでの「はなれ」は生死せいしごうとなる因子いんし煩悩ぼんのう渇愛はなれる意味いみで、「あい」は菩提ぼだいさとり)のみょうはてあいする意味いみであるので[5]、『はなれあい金剛こんごう』は「愛欲あいよく煩悩ぼんのう)をはなれ、大欲たいよく変化へんかせしむ」の意味いみとなる[6]

尊容そんよう信仰しんこう[編集へんしゅう]

木造もくぞう愛染明王あいぜんみょうおう坐像ざぞう 東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかんぞう内山うちやま永久寺えいきゅうじきゅうぞう鎌倉かまくら時代じだい、13世紀せいき重要じゅうよう文化財ぶんかざい

愛染明王あいぜんみょうおういちめんろくひじ明王みょうおうおなじく忿怒ふんどしょうであり、あたまには獅子ししかんむりをかぶり、たからびんうえいたはちすはなうえ結跏趺坐けっかふざすわるという、大変たいへん特徴とくちょうある姿すがたをしている。そのしょく真紅しんくであり、後背こうはい日輪にちりん背負せおって表現ひょうげんされることがおおい。

みやつこぞう形態けいたいとしては、きん現代げんだい自由じゆう発想はっそう描画びょうが造形ぞうけいのぞすくなくとも日本にっぽんにおいては、前述ぜんじゅつのとおり座像ざぞうあらわされることが圧倒的あっとうてきおおく、立像りつぞうは、彫刻ちょうこくでは和歌山わかやまけんかわ円福寺えんぷくじ所蔵しょぞうする江戸えど時代じだい作例さくれいと、山梨やまなしけん甲斐かいてんさわてら山門さんもん二天にてんぞうたいとなるのは摩利まりささえてん立像りつぞう)を江戸えど時代じだいぞう、「目黒めぐろ不動ふどう」と通称つうしょうされる東京とうきょう目黒めぐろ瀧泉寺たきせんじ本堂ほんどう安置あんちぞう本尊ほんぞん須弥壇しゅみだんかって左側ひだりがわ唐破風からはふ防護ぼうごガラスきのがんない安置あんち照明しょうめい十分じゅうぶんでなく礼拝れいはい位置いちからも距離きょりがあるためぞうよう判然はんぜんとしないが、江戸えど初期しょきくだらない時期じきさくとされる)がられる[ちゅう 4]

また、『瑜祇けいだいひんしるされる(げしゅ)である「しゅうぼしひかりるがごとし」の部分ぶぶん再現さいげんしたてんかってゆみ容姿ようしみやつこぞう存在そんざいし、高野山こうのやま金剛峯寺こんごうぶじつたえられる「てんゆみ愛染明王あいぜんみょうおうぞう」や、京都きょうと木津川きづがわ山城やましろまち神童しんどうてらぞう山梨やまなしけん甲州こうしゅう塩山しおやまひかりてらぞうなどが著名ちょめいである。さらには、日蓮にちれんふでつたえる「愛染あいぜん不動ふどうかん」のうまはちひじぞうや、両頭りょうとうなど異形いぎょう容姿ようしえがかれた図像ずぞう現存げんそんする。

愛染明王あいぜんみょうおう信仰しんこうは「恋愛れんあい縁結えんむすび・家庭かてい円満えんまん」などをつかさどるふつとしてふるくからおこなわれており、また「愛染あいぜん藍染あいぞめ」と解釈かいしゃくし、染物そめもの織物おりもの職人しょくにん守護しゅごぼとけとしても信仰しんこうされている。さらに愛欲あいよく否定ひていしない[8]ことから、ふるくは遊女ゆうじょ現在げんざいでは水商売みずしょうばい女性じょせい信仰しんこう対象たいしょうにもなっている。

日蓮にちれんけいしょ宗派しゅうはまつられる「だい曼荼羅まんだら本尊ほんぞん」では、題目だいもく南無妙法蓮華経なむみょうほうれんげきょう」の右側みぎがわ不動明王ふどうみょうおうたね「カーン」が、左側ひだりがわ愛染明王あいぜんみょうおうたね「ウーン」が配置はいちされている。また寺院じいん本堂ほんどうでは「三宝さんぼうみこと」の周囲しゅうい配置はいちされるふつ菩薩ぼさつ祖師そしぞうなどとならび、不動明王ふどうみょうおうぞう相対あいたいして愛染明王あいぜんみょうおうぞう配置はいちされる。

なお日蓮にちれん曼荼羅まんだらにおける不動明王ふどうみょうおう生死せいしそく涅槃ねはんあらわし、これにたい愛染明王あいぜんみょうおう煩悩ぼんのうそく菩提ぼだいあらわしているとされる。

軍神ぐんしんとしての愛染明王あいぜんみょうおうへの信仰しんこうから直江なおえけんつづけかぶとあい文字もじをあしらったともかんがえられている[9]

愛染明王あいぜんみょうおう功徳くどく[編集へんしゅう]

ほんちかい功徳くどく[編集へんしゅう]

いわゆる愛染明王あいぜんみょうおう姿すがた特徴とくちょうは、いちめんさんもくろくひじで、頭上ずじょうには獅子ししかんむりいただき、かんむりうえには鈷鉤ていて、その赤色あかいろたからびんうえにある紅蓮ぐれん蓮華れんげに、日輪にちりんにしてすわっている。これらのそうしめすその象徴しょうちょうてき意味いみ以下いかのようになる。[10]

  • さか日輪にちりんを「もり日輪にちりん」とい、日輪にちりんほとけのもつ無上むじょうきよし菩提心ぼだいしんあらわし、さかほのおさとし煩悩ぼんのうもとづく執着しゅうちゃく愛欲あいよくをことごとくくし、その「愛染あいぞめ三昧さんまい」の禅定ぜんじょう不退転ふたいてんとなるふつ勇猛ゆうもうしんであることをあらわしている。
  • 頭上ずじょう獅子ししかんむりいただき、かみ逆立さかだてて怒髪どはつてんくさまをあらわすのは、百獣ひゃくじゅうおうである獅子ししえるとあらゆる猛獣もうじゅうもすぐにしずかになるたとえのように、憤怒ふんぬいかりのそう獅子吼ししくによって諸々もろもろ怨敵おんてき降伏ごうぶくして、一切衆生いっさいしゅじょう救済きゅうさいすることをあらわしている。
  • かんむりうえ鈷鉤ているのは、衆生しゅじょう本有ほんゆう(ほんぬ)の五智ごちまして、邪欲じゃよくてさせてただしい方向ほうこうへとみちびくことを意味いみし、愛染明王あいぜんみょうおうだいあい[ちゅう 5]衆生しゅじょうしんり、仏法ぶっぽう真実しんじつ体得たいとくせしめることをあらわしている。
  • いちめんさんもく身体しんたい赤色あかいろであり、そのしょく華鬘けまん荘厳しょうごんするてんは、みっつのほう般若はんにゃ解脱げだつ意味いみし、世俗せぞくめんにおいては仁愛じんあい知恵ちえ勇気ゆうきみっつのとくあらわす。身体しんたいあかかがやいているのは、愛染明王あいぜんみょうおうだいあいだい慈悲じひとがその身体しんたいからあふれていることを意味いみし、五色ごしき華鬘けまんでその荘厳しょうごんするのは、五智ごち如来にょらい大悲だいひとく愛染明王あいぜんみょうおうもまたそのそなえていることを意味いみし、りょうみみよこからびるてんたい[ちゅう 6]は、「おう三昧さんまい」に安住あんじゅうして如来にょらい大法たいほうである真理しんりおしえをくことをあらわしている。
  • ろくひじとしてろくほんあるのは、六道ろくどう輪廻りんね衆生しゅじょうすく意味いみをもつ。また、左右さゆうだいいちふたつで「息災そくさい」をあらわしていて、左手ひだりて鈷鈴は、般若はんにゃ智恵ちえおとひびきにより衆生しゅじょう驚愕きょうがくさせて、ゆめごときこのまよいから覚醒かくせいさせることをあらわし、右手みぎて鈷杵は、衆生しゅじょう本有ほんゆう五智ごち理解りかい体得たいとくさせて、愛染明王あいぜんみょうおうさとりへと到達とうたつせしめることをあらわしている。[11]
  • 左右さゆうだいふたつで「敬愛けいあい」と「融和ゆうわ」とをあらわしていて、左手ひだりてゆみ右手みぎて)は、ふたつでひとつのはたらきをするので、この人々ひとびとたがいに協力きょうりょくして敬愛けいあい和合わごう精神せいしんおもんじ、ふつおしえを実践じっせんする菩薩ぼさつとしての円満えんまん境地きょうちいたることを意味いみしている。また、愛染明王あいぜんみょうおう弓矢ゆみやは、大悲だいひによって衆生しゅじょうしんにある差別さべつにくしみのたねとし、菩提心ぼだいしん安住あんじゅうせしめることを意味いみし、そしてはなたれるとすぐに目標もくひょう到達とうたつすることから、愛染明王あいぜんみょうおうへの降魔ごうまじょわざわい男女だんじょ縁結えんむす[12]における祈念きねん効果こうかはやあらわれることをもあらわしている。
  • 左右さゆうだいさんふたつで人生じんせいまよいや煩悩ぼんのうによるくるしみの世界せかいはらう「増益ぞうえき」と「降伏ごうぶく」とをあらわしていて、左手ひだりてこぶしにぎるのは、そのなかあま宝珠ほうしゅかくっていて、これは衆生しゅじょうもとめるあらゆるたから財産ざいさんや、生命せいめいはぐくむことを意味いみしていて、右手みぎてあかじき蓮華れんげ(みふれんげ)は、それらの衆生しゅじょう財産ざいさん生命せいめいうばおうとする「よん[ちゅう 7][14]たいして、大悲だいひむちるい、調伏ちょうぶくすることをあらわしている。
  • 愛染明王あいぜんみょうおうすわっている紅蓮ぐれん蓮華れんげは、「愛染あいぞめ三昧さんまい」の瞑想めいそうからしょうじるだいあい境地きょうち実現じつげんさせた密教みっきょうてき極楽浄土ごくらくじょうど意味いみしていて、そのしたにあるたからびんは、仏法ぶっぽう無限むげんたからである三宝さんぽうかもし、けいりつろん三蔵さんぞうぞうすることをあらわしている。また、その周囲しゅうい宝珠ほうしゅ花弁はなびら乱舞らんぶするのは、愛染明王あいぜんみょうおう三宝さんぽう無尽蔵むじんぞう福徳ふくとくゆうすることを意味いみしている。

愛染明王あいぜんみょうおうじゅう大願たいがん[編集へんしゅう]

さらに、愛染明王あいぜんみょうおう一切衆生いっさいしゅじょう諸々もろもろ苦悩くのうからすくうためにじゅう広大こうだい誓願せいがんはっしているとされ、その内容ないよう以下いかのようになる。[15]

  1. 智慧ちえゆみ方便ほうべんを以って、衆生しゅじょうあい尊敬そんけいしんあたえて、幸運こううんさづける。
  2. しきしん加持かじしてぜんいんへと転換てんかんし、衆生しゅじょう善果ぜんかとくせしめる。
  3. むさぼり・いかり・おろかさのさんどく煩悩ぼんのうくだいて、しん浄化じょうかし、きよししんじ菩提心ぼだいしん)をこさしめる。
  4. 衆生しゅじょう諸々もろもろよこしままなしんや、驕慢きょうまんしんはなれさせて、「せい」へとかわせる。
  5. 他人たにんとのあらそいごとの悪縁あくえんだんじて、安穏あんのんらせるようにする。
  6. 諸々もろもろ病苦びょうくや、天災てんさい苦難くなんのぞいて、信心しんじんするひと天寿てんじゅまっとうさせる。
  7. 貧困ひんこん飢餓きが苦悩くのうのぞいて、無量むりょう福徳ふくとくあたえる。
  8. 悪魔あくま鬼神きじん邪神じゃしんによるくるしみや、やく(やく)をはらって、安楽あんらくらせるようにする。
  9. 子孫しそん繁栄はんえいと、家運かうん上昇じょうしょう信心しんじんするひと一家いっかまもって、幸福こうふくえんをもたらす。
  10. 前世ぜんせい悪業あくごう(カルマ)のむくいを浄化じょうかするだけでなく、信心しんじんするひと死後しご極楽ごくらく往生おうじょうさせる。
  11. 女性じょせいあいあたえてえんむすび、結婚けっこん善根ぜんこんとなる子供こどもさづける。
  12. 女性じょせい出産しゅっさんくるしみをやわらげ、そののために信心しんじんすれば、子供こどもには福徳ふくとく愛嬌あいきょうさづける。

たねしるし真言しんごん[編集へんしゅう]

たね[編集へんしゅう]

  • ウーン (hűṃ、हूं)[16]
  • ウン(hhuṃ) [17]

しるし[編集へんしゅう]

  • 愛染明王あいぜんみょうおう根本こんぽんしるし[16]

真言しんごん[編集へんしゅう]

  • オン・マカラギャ・バゾロウシュニシャ・バザラサトバ・ジャク・ウン・バン・コク[18]
Oṃ mahārāga vajroṣṇīṣa vajrasattva jaḥ hūṃ vaṃ hoḥ[19]
  • ウン・タキ・ウン・ジャク (いちこころあきら)[2]
うん(引)吒枳うん(引)入聲にっしょう[2]
Hūṃ ṭaki hūṃ jaḥ[ちゅう 8]
  • ウン・タキ・ウン・ジャク・シッジ[20]
うん吒枳うん惹悉[20]
Hūṃ ṭaki hūṃ jaḥ siddhi[19]

愛染明王あいぜんみょうおう起源きげん[編集へんしゅう]

平岡ひらおかりゅうじんは『密教みっきょうけい軌の金剛こんごう薩埵の研究けんきゅう』のなかで、これを「タキ = よくよく自性じしょう)」と、「フン = 憤怒ふんぬ」と、「ジャク = (よく憤怒ふんぬの)両者りょうしゃかぎ招し」とやくし、「タキ・フン・ジャク」の真言しんごんを「一切いっさい世間せけんすべての有情うじょうよく憤怒ふんぬきよめる」とやくしたうえで、この「とく金剛こんごうしゅ」をきむつよし薩埵の「愛染あいぞめ三昧さんまい」の化身けしんで、愛染明王あいぜんみょうおう同様どうよう姿すがたであるとしている[21]。また、栂尾つがおさちくもは『おもむき研究けんきゅう』のなかで、『おもむきけい』の主題しゅだいである秘密ひみつについてれ、「よくさわあい・慢」におけるきむつよし薩埵の「秘密ひみつ三昧ざんまい」は愛染明王あいぜんみょうおう姿すがたであるとし、『おもむきけい』の本尊ほんぞん愛染明王あいぜんみょうおうならないとしている[22]

愛染明王あいぜんみょうおう不動明王ふどうみょうおう[編集へんしゅう]

日本にっぽんでは、この不動明王ふどうみょうおう愛染明王あいぜんみょうおうりょうみことまつ形式けいしきが1338ねんごろ成立せいりつした文観もんかんの『三尊合行秘次第』[ちゅう 9]はじまるとするせつがある[23]。このせつもとづくならば、現在げんざい広島ひろしまけんにある円光寺えんこうじ明王みょうおういん福山ふくやま[ちゅう 10]は、大同だいどう2ねん(807ねん)に空海くうかい開基かいきしたとつたえているが、このてら境内けいだいにある五重塔ごじゅうのとう国宝こくほう)は貞和さだかず4ねん(1348ねん)に建立こんりゅうされ、はつそう大日如来だいにちにょらい本尊ほんぞんとして左右さゆう不動明王ふどうみょうおう愛染明王あいぜんみょうおうまつっているので、日本にっぽんにおけるその初期しょきれいとしてげることが出来できる。ただ、文観もんかん自身じしんはこのしょ書写しょしゃしたとしており、密教みっきょう事相じそううえでは『三尊合行秘次第』の本尊ほんぞんとなる如意宝珠にょいほうじゅ特殊とくしゅかたちをしていて「みつかん宝珠ほうしゅ[24]ともばれ、如意宝珠にょいほうじゅかたちした鈷杵をはいした舎利しゃりとう仏舎利ぶっしゃりれたものであるところから、これを如意輪観音にょいりんかんのん三昧ざんまい耶形であるとして、空海くうかい直弟子じきでしあた観心寺かんしんじ檜尾ひのきお僧都そうずじつめぐみや、醍醐寺だいごじ開祖かいそみなもと大師だいしせいたから口伝くでんにまでさかのぼろうとするかんがかたもある[25]

ちなみに、高野山こうのやまには空海くうかい請来しょうらいになる品物しなもの保管ほかんしている「瑜祇とう」という建造けんぞうぶつがある。このは、愛染明王あいぜんみょうおうおなじく『瑜祇けい』を典拠てんきょとしているが、その正式せいしき名称めいしょうは「きむつよしみね楼閣ろうかく瑜祇とう」で、高野山こうのやま真言宗しんごんしゅう総本山そうほんざんである金剛峯寺こんごうぶじは、この「瑜祇とう」に由来ゆらいする。[26]

寺院じいん[編集へんしゅう]

愛染明王あいぜんみょうおう守護しゅごみこと明王みょうおうなどのちからのあるみこと挌をわき念持仏ねんじぶつとすること)としてまつられることがおおいが、以下いかのように本尊ほんぞんとしているれい存在そんざいする。

愛染明王あいぜんみょうおう本尊ほんぞんとする寺院じいん
その愛染明王あいぜんみょうおうまつ代表だいひょうてき寺院じいん

美術館びじゅつかんとう[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 木村きむら秀明ひであきは『まぼろしもうタントラのしょみこと』のなかで「吒枳おう」を愛染明王あいぜんみょうおうであるとしている。[3]
  2. ^ しろたからこうしょう』には「はなれあい金剛こんごうすなわ愛染明王あいぜんみょうおうなり」としている。
  3. ^ しろたからこうしょう』(びやくほうくしょう)は『しろたからこう鈔』とも表記ひょうきし、13世紀せいき東寺とうじかんさとしいんあきらぜんたから蓮華寺れんげじあきらみことによる共著きょうちょとして、真言しんごん密教みっきょうにおける事相じそう図像ずぞう百科ひゃっか事典じてんであり、167かんからなる。あきらぜん西院さいいんりゅうのうぜんより伝法でんぼう灌頂け、のち東寺とうじ長者ちょうじゃ(にのちょうじゃ)をつとめ、1279ねんには東寺とうじ菩提ぼだいいん開山かいさんとなった人物じんぶつ
  4. ^ 福井ふくいけん小浜おばま円照寺えんしょうじ所蔵しょぞうする立像りつぞうがあるが、当初とうしょ千手観音せんじゅかんのんとしてみやつこぞうされたものであることが判明はんめいしている [7]
  5. ^ 一口ひとくちに「愛欲あいよく」とうが、世俗せぞくにおけるあいよく密教みっきょう智慧ちえほのおであるさとしによって浄化じょうかし、それらが昇華しょうかされてふつさとしもとづくはたらきとなったものを「だいあい」または「大欲たいよく」という。なお、ここでう「大欲たいよく」とは、だいらく思想しそうられる『おもむきけいとうかれるものをしている。
  6. ^ りょうみみわきから前方ぜんぽうびるケープじょう装飾そうしょく一般いっぱんに、身体しんたいかる羽衣はごろもてんころもび、こちらはてんたいという。
  7. ^ よん」とは、五蘊ごうん煩悩ぼんのう死魔しま天魔てんまよっつをいう[13]
  8. ^ 吒枳はṬaki[2]
  9. ^ 『三尊合行秘次第』は、別名べつめい『一二寸合行秘次第』ともいう。
  10. ^ 円光寺えんこうじは、開基かいきとき名称めいしょうは「つねぶくてら」という。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c 真鍋まなべしゅんあきら愛染明王あいぜんみょうおう」 - 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)
  2. ^ a b c d 那須なす政隆まさたか瑜伽ゆがだいきょうおうけい所説しょせつ曼荼羅まんだらについて』(さとしやまがくほう)、pp.49-50、1937ねん
  3. ^ 「『まぼろしもうタントラのしょみこと曼荼羅まんだら構成こうせいみこと」、pp.121-122。
  4. ^ 川崎かわさき一洋かずひろだいこく時代じだい密教みっきょうにおけるはちだい明王みょうおう信仰しんこう』(密教みっきょう図像ずぞう だい26ごう)、pp.55-56。
  5. ^ a b 密教みっきょうだい辞典じてん』、「愛染明王あいぜんみょうおう」、p5。
  6. ^ 図説ずせつ真言しんごん密教みっきょうのほとけ』、「愛染明王あいぜんみょうおう」、p137、p140、pp.145-146。
  7. ^ 福井ふくい県立けんりつ若狭わかさ歴史れきし博物館はくぶつかんる。 2023ねん5がつ4にち閲覧えつらん
  8. ^ きの一義かずよし ちょ愛染明王あいぜんみょうおう」、『じゅうななふつ浄土じょうど』(光風こうふう出版しゅっぱんしゃ)、pp218-220。
  9. ^ 【イチからかる】直江なおえけんつづけ信義しんぎある智将ちしょう」にのこなぞ (3/4ページ) 産経さんけいニュース 2009.5.6
  10. ^ 愛染明王あいぜんみょうおう国宝こくほう由来ゆらいえん霊験れいけん』(駒形山こまがたやま妙高みょうこうてら)、pp.3-6。
  11. ^ それぞれの持物もちものについては『愛染明王あいぜんみょうおうる』(あわ交社)、pp.59-63、pp.96-103を参照さんしょうのこと。
  12. ^ きの一義かずよし ちょ愛染明王あいぜんみょうおう」、『じゅうななふつ浄土じょうど』(光風こうふう出版しゅっぱんしゃ)、p218。
  13. ^ 榎本えのもと正明まさあき」 - しん浄土宗じょうどしゅうだい辞典じてん
  14. ^ きの一義かずよし ちょ愛染明王あいぜんみょうおう」、『じゅうななふつ浄土じょうど』(光風こうふう出版しゅっぱんしゃ)、pp217-218。
  15. ^ 西国さいごく愛染あいぜんじゅうなな霊場れいじょう巡礼じゅんれい』(朱鷺とき書房しょぼう)、序文じょぶんpp.3-4。
  16. ^ a b しるし真言しんごんほん』、学研がっけん、2004ねん2がつ、p.118。
  17. ^ 綜芸しゃ編集へんしゅう 『梵字ぼんじ入門にゅうもん』  綜芸しゃ 1967ねん p21
  18. ^ 正木まさきあきら密教みっきょうせいなる呪文じゅもん』ビイング・ネット・プレス、2019ねん、p162
  19. ^ a b 坂内ばんない龍雄たつお真言しんごん陀羅尼だらに」、平河ひらかわ出版しゅっぱんしゃ、2017ねん4がつだい30さつ、p.210。
  20. ^ a b 坂内ばんない龍雄たつお真言しんごん陀羅尼だらに」、平河ひらかわ出版しゅっぱんしゃ、2017ねん4がつだい30さつ、p.375。
  21. ^ 密教みっきょうけい軌の金剛こんごう薩埵の研究けんきゅう』(永田文昌堂ながたぶんしょうどう)、「3、『くださんせい軌におけるきむつよし薩埵』」、pp.271-281。
  22. ^ おもむきけい研究けんきゅう』(密教みっきょう文化ぶんか研究所けんきゅうじょ)、「別冊べっさつ」、pp.5-11。
  23. ^ 「『文観もんかん著作ちょさく聖教せいきょうさい発見はっけんさんみことあい行法ぎょうほうのテクスト布置ふちとその位相いそう」(名古屋大学なごやだいがく文学ぶんがく研究けんきゅう)、p120。
  24. ^ 「『密教みっきょう工芸こうげい神秘しんぴのかたち」(奈良なら国立こくりつ博物館はくぶつかん)、p17-図版ずはん10、p62-図版ずはん10、p63-図版ずはん11。
  25. ^ 両頭りょうとう愛染あいぜん曼荼羅まんだら成立せいりつかんするいち考察こうさつ』(印度いんどがく佛教ぶっきょうがく研究けんきゅうだいろくじゅうかんだいごう)、pp.615-618。
  26. ^ 高野たかのさん』(総本山そうほんざん 金剛峯寺こんごうぶじ)、p21。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 那須なす政隆まさたか ちょ瑜伽ゆがだいきょうおうきょう所説しょせつ曼荼羅まんだらについて』、さとしやまがくほうしんだい11かん)、昭和しょうわ12ねん(1937ねんかん
  • 木村きむら秀明ひであき ちょ 「『まぼろしもうタントラのしょみこと曼荼羅まんだら構成こうせいみこと」、密教みっきょうがく研究けんきゅうだい21ごう)、1989年刊ねんかん
  • 川崎かわさき一洋かずひろ ちょだいこく時代じだい密教みっきょうにおけるはちだい明王みょうおう信仰しんこう』、密教みっきょう図像ずぞうだい26ごう)、平成へいせい19ねん(2007ねんかん
  • 密教みっきょうだい辞典じてん編纂へんさんかい あまね 「『密教みっきょうだい辞典じてん』 - 縮刷しゅくさつばん - 」、法蔵館ほうぞうかん昭和しょうわ62ねん(1987ねんかん
  • 田村たむらたかしあきら ちょ図説ずせつ真言しんごん密教みっきょうのほとけ』、朱鷺とき書房しょぼう、1990年刊ねんかん
  • 平岡ひらおかりゅうじん ちょ密教みっきょうけい軌の金剛こんごう薩埵の研究けんきゅう』、永田文昌堂ながたぶんしょうどう平成へいせい24ねん(2012ねんかん
  • せい慈園 へん弘法大師こうぼうだいし空海くうかいとうだい密教みっきょう』、法蔵館ほうぞうかん、2005年刊ねんかん
  • かぎ和田わだ聖子せいこ ちょ 「『両頭りょうとう愛染明王あいぜんみょうおう成立せいりつかんするいち考察こうさつきむ胎不図像ずぞうてき表現ひょうげん中心ちゅうしんに」、印度いんどがく佛教ぶっきょうがく研究けんきゅうだいろくじゅうかんだいごう平成へいせい24ねん(2012ねんかん
  • 水原みずはら堯栄 ちょ邪教じゃきょう立川たちかわりゅう研究けんきゅう』、ちょんただししゃ書籍しょせき、1923年刊ねんかん
    • 水原みずはら堯栄 ちょ邪教じゃきょう立川たつかわりゅう研究けんきゅう』、日本にっぽん仏教ぶっきょう新聞しんぶんしゃ昭和しょうわ33ねん(1958ねんかん。[ 上記じょうきさい版本はんぽん
    • 水野みずの堯栄 ちょ邪教じゃきょう立川たつかわりゅう研究けんきゅう』、富山とやま書店しょてん昭和しょうわ43ねん(1968ねんかん。[ 上記じょうき復刊ふっかん
  • 真鍋まなべしゅんあきら ちょ邪教じゃきょう立川たちかわりゅう』、筑摩書房ちくましょぼう、1999年刊ねんかん
    • 真鍋まなべしゅんあきら ちょ邪教じゃきょう立川たちかわりゅう』(ちくま学芸がくげい文庫ぶんこ)、筑摩書房ちくましょぼう、2002年刊ねんかん。[ 上記じょうきさい版本はんぽん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]