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エレクトロ・ポップ

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エレクトロ・ポップ
Electropop
様式ようしきてき起源きげん
文化ぶんかてき起源きげん
使用しよう楽器がっき
派生はせいジャンル
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エレクトロ・ポップえい: Electropop)は、1980年代ねんだい初頭しょとう最初さいしょ流行りゅうこうしたエレクトロニック・ミュージックいち形式けいしき。エレクトロ・ポップは、電子でんしおん重点じゅうてんいたシンセポップ派生はせいジャンルとされている[3]。エレクトロ・ポップは、2000年代ねんだい人気にんき復活ふっかつし、多数たすうのアーティストに影響えいきょうあたえた[3]

歴史れきし

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1980年代ねんだい初頭しょとうヒューマン・リーグソフト・セルゲイリー・ニューマンジョン・フォックスウルトラヴォックススティーヴ・ストレンジヴィサージらが、エレクトロ・ポップの楽曲がっきょく発表はっぴょうはじめた[4]かれらの先輩せんぱいかくたる1970年代ねんだいエレクトロ・ポップのれいとしては、ジョルジオ・モロダードナ・サマーの「アイ・フィール・ラブ」などがあげられる。英国えいこくひともこのジャンルにかかわり、デヴィッド・ボウイベルリン時代じだいのアルバム、『英雄えいゆう夢語ゆめがたり (ヒーローズ)』と『ロウ』の影響えいきょうけた。ほかに影響えいきょうあたえたのは、ドイツテクノ・グループ、クラフトワークである。また、複数ふくすうのグループがニューヨークのシンセ・パンク・グループ、スーサイドからもインスピレーションをかんじていた。「ニューヨーク・タイムズのジョン・パレルスは、エレクトロ・ポップが派生はせいジャンル、チルウェイヴもとになったと分析ぶんせきしている[2]。またエレクトロ・ポップからはアップリフティング・トランス派生はせいしている[2]

エレクトロ・ポップのバンドは、ドイツのクラウトロックのバンド、ノイ!、クラスター、カンからも影響えいきょうけていた。『ローリング・ストーンのライター、Parke Putergaughは1983ねんに、Mやヒューマン・リーグがこのジャンルに貢献こうけんし、だいブリティッシュ・インヴェイジョン一部いちぶになったとの記事きじいている[5]

ヨーロッパには実験じっけんてき前衛ぜんえいてき電子でんし音楽おんがく歴史れきしがあるが、エレクトロ・ポップのような流行りゅうこう音楽おんがくは、前衛ぜんえい音楽おんがくからはあまり影響えいきょうけていない。だが、前衛ぜんえいてき電子でんし音楽おんがく伝統でんとうは、「BBCラジオ・音響おんきょうワークショップ」や「ロンドン電子でんし音楽おんがくスタジオ」のような組織そしきにおいて10ねん以上いじょうにわたり技術ぎじゅつてき専門せんもん知識ちしき蓄積ちくせきした。それらの組織そしきは、シンセ・ロックの先駆せんくしゃたち、たとえばブライアン・イーノロキシー・ミュージックタンジェリン・ドリームピンク・フロイド仕事しごと後押あとおしした。

エレクトロ・ポップは1970年代ねんだいわりから1980年代ねんだいはじめの英国えいこく音楽おんがくプレスにおいて、ミック・ファレンらによって批判ひはんされた。エレクトロ・ポップは、そのシンセ・サウンドが1980年代ねんだい初頭しょとうのイギリスにおけるニューロマンティック・ムーブメントとも密接みっせつかかわりっている。また、初期しょきエレクトロ・ポップは、サンプラー使用しよう要素ようそをもった、ニュー・オーダー記念きねんすべき1983ねんのシングル「ブルー・マンデー」によってわった。エレクトロ・ポップは、1980年代ねんだい後半こうはんレイヴ・カルチャーにとっては、懐古かいこ趣味しゅみ対象たいしょうとなる場合ばあいもあった。

米国べいこく黒人こくじん音楽おんがくにおいても、ジョージ・クリントンPファンクロジャー&ザップのようなミュージシャンは、R&Bファンクにエレクトロニクス導入どうにゅうした独特どくとくのスタイルのサウンドを追究ついきゅうした。のちデトロイト・テクノのジャンルも登場とうじょうした。また、ニューヨークのアフリカ・バンバータもクラフトワークをサンプリングすることによって、ヒップホップのエレクトロ・スタイルを発明はつめいした。またMの「ポップ・ミューヂック」やリップスの「ファンキータウン」のような、よりポップなだいヒットきょくまれた。YMOテクノ・ポップもシーンに貢献こうけんした。

1990年代ねんだいには、ケミカル・ブラザーズファットボーイ・スリム、ゴールディー、トリッキーダフト・パンクモービーらが登場とうじょうした。エレクトロ・ポップは2000年代ねんだいはじめにエレクトロクラッシュ・ムーブメントとしてリバイバルした。それはルーク・スレーターのようなアーティストと、ロンドンのナイトクラブによって、ダンスシーンを牽引けんいんした。

ロンドン、ニューヨーク、ベルリン、そしてミシガンしゅうのエレクトロクラッシュ・シーンからおおくのエレクトロ・ポップ・ミュージシャンが登場とうじょうし、2000年代ねんだい初頭しょとうから現在げんざいにいたるまでアルバムをつくつづけた。レディトロンドラゴネット英語えいごばんエレン・エイリアンレディー・ガガなどがそのれいである。

2008ねんから2009ねんにかけ、ブリトニー・スピアーズの「ウーマナイザー」「スリー☆禁断きんだんのラヴ・エクスタシー」、レディー・ガガの「ジャスト・ダンス」「ポーカー・フェイス」などのエレクトロ・ポップ調ちょう楽曲がっきょくBillboard Hot 100において1獲得かくとくし、エレクトロ・ポップは米国べいこくのポピュラー・ミュージックの人気にんきジャンルのひとつになった。

K-POPにおいてもKARA少女しょうじょ時代じだいTWICEらがエレクトロ・ポップを一部いちぶ採用さいようするケースがられた。また国籍こくせきIZ*ONE日本にっぽんNiziUなどもエレクトロ・ポップを使用しようした。

おもなアーティスト

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ Pareles, Jon (2010ねん3がつ21にち). “Spilling Beyond a Festival's Main Courses”. The New York Times (The New York Times Company). https://www.nytimes.com/2010/03/22/arts/music/22sxsw2.html 2020ねん12月21にち閲覧えつらん 
  2. ^ a b c “Spilling Beyond a Festival’s Main Courses”. The New York Times (The New York Times Company). (2010ねん3がつ22にち). https://www.nytimes.com/2010/03/22/arts/music/22sxsw2.html 2020ねん12月21にち閲覧えつらん 
  3. ^ a b Jones 2006, p. 107.
  4. ^ BBC Wales – Music – Steve Strange – Biography BBC Cymru Wales 2022ねん2がつ14にち閲覧えつらん
  5. ^ Anglomania: The Second British Invasion”. Rolling Stone. 2020ねん12月2にち閲覧えつらん

洋書ようしょ

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  • Depeche Mode & The Story of Electro-Pop, Q/Mojo magazine collaboration, 2005.
  • Electronic Music: The Instruments, the Music & The Musicians by Andy Mackay, of Roxy Music (Harrow House, 1981)
  • Jones, Hollin (2006). Music Projects with Propellerhead Reason: Grooves, Beats and Styles from Trip Hop to Techno. PC Publishing. ISBN 978-1-870775-14-4. https://books.google.com/books?id=nOrhiSrz-OkC&pg=PA107 

関連かんれん項目こうもく

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