バチカン市 し 国 こく 南東 なんとう 端 はし にあるカトリック教会 きょうかい の総本山 そうほんざん サン・ピエトロ大 だい 聖堂 せいどう
カトリック教会 きょうかい (カトリックきょうかい、ラテン語 らてんご : Ecclesia Catholica )は、ローマ教皇 きょうこう を最高 さいこう 指導 しどう 者 しゃ として全 ぜん 世界 せかい に13億 おく 人 にん 以上 いじょう の信徒 しんと を有 ゆう する[ 1] 、キリスト教 きりすときょう 最大 さいだい の教派 きょうは 。その中心 ちゅうしん をローマ の司教 しきょう 座 ざ (聖 せい 座 ざ 、ローマ教皇 きょうこう 庁 ちょう )に置 お くことから、ローマ教会 きょうかい 、ローマ・カトリック教会 きょうかい とも呼 よ ばれる[ 2] 。
カトリック教会 きょうかい 自身 じしん による「カトリック」の定義 ていぎ は、教会 きょうかい 憲章 けんしょう (Lumen Gentium[ 3] )にみられる「使徒 しと の筆頭 ひっとう 者 しゃ ペトロ の後継 こうけい 者 しゃ (ローマ教皇 きょうこう )と使徒 しと の後継 こうけい 者 しゃ たち(司教 しきょう )によって治 おさ められる「唯一 ゆいいつ の、聖 せい なる、公 おおやけ 同 どう (カトリック)の 、使徒 しと 的 てき な教会 きょうかい 」(ニケア・コンスタンチノープル信条 しんじょう )という表現 ひょうげん に最 もっと もよく表 あらわ されている。1054年 ねん の大 だい シスマ による東西 とうざい 教会 きょうかい の分裂 ぶんれつ 以前 いぜん の教会 きょうかい で、ニカイア信条 しんじょう 、ニカイア・コンスタンティノポリス信条 しんじょう およびカルケドン信条 しんじょう を信仰 しんこう する教会 きょうかい (アリウス派 は などの異端 いたん の対義語 たいぎご という意味 いみ 。正統 せいとう 教義 きょうぎ ともいう)を指 さ してカトリックと呼 よ ぶこともある[ 注 ちゅう 1] 。
キリスト教 きりすときょう 諸 しょ 教派 きょうは の成立 せいりつ の概略 がいりゃく を表 あらわ す樹 き 形 がた 図 ず 。さらに細 こま かい分類 ぶんるい 方法 ほうほう と経緯 けいい があり、この図 ず はあくまで概略 がいりゃく である。
「カトリック 」の語源 ごげん はギリシア語 ご の「カトリケー(καθολική :普遍 ふへん 的 てき 、世界 せかい 的 てき )」の形容詞 けいようし 「カトリコス(καθολικος )[ 注 ちゅう 2] 」に由来 ゆらい し、ラテン語 らてんご では「カトリクス(Catholicus )」と表記 ひょうき される[ 4] 。この言葉 ことば は、成文 せいぶん 化 か されて現在 げんざい まで伝 つた わるものとしては「ニカイア・コンスタンティノポリス信条 しんじょう 」および「使徒 しと 信条 しんじょう 」に典拠 てんきょ があり、前者 ぜんしゃ ではラテン語 らてんご : unam, sanctam, catholicam et apostolicam Ecclesiam (英語 えいご : (In) one, holy, catholic and apostolic Church ;唯一 ゆいいつ の、聖 せい なる、普遍 ふへん の 、使徒 しと 的 てき な教会 きょうかい 〔を〕)[ 注 ちゅう 3] 、後者 こうしゃ ではラテン語 らてんご : sanctam Ecclesiam catholicam (聖 せい なる普遍 ふへん の教会 きょうかい 〔を〕)と記 しる されている。
ただし「カトリック」(普遍 ふへん 的 てき )を自認 じにん ・自称 じしょう するキリスト教 きりすときょう の教派 きょうは は他 ほか にもあり(後述 こうじゅつ )、「カトリック」の語彙 ごい は教派 きょうは 名 めい にとどまらない概念 がいねん を指 さ すこともある。
カトリック教会 きょうかい の教 おし えによれば、教会 きょうかい とは単 たん なる人間 にんげん 的 てき な組織 そしき ではなく、約 やく 2000年 ねん 前 まえ にパレスチナ で誕生 たんじょう した初代 しょだい 教会 きょうかい の伝統 でんとう を継続 けいぞく する人々 ひとびと の集 あつ まりというだけでもなく、本質 ほんしつ 的 てき には「神 かみ から来 く るもの」であるとする[ 5] 。
「ローマ・カトリック」以外 いがい の「カトリック教会 きょうかい 」[ 編集 へんしゅう ]
前述 ぜんじゅつ のように、1054年 ねん の大 だい シスマ による東西 とうざい 教会 きょうかい の分裂 ぶんれつ 以前 いぜん の教会 きょうかい で、ニカイア信条 しんじょう 、ニカイア・コンスタンティノポリス信条 しんじょう およびカルケドン信条 しんじょう を信仰 しんこう する教会 きょうかい を指 さ して「カトリック 」と呼 よ ぶこともある。この場合 ばあい は現在 げんざい のカトリック教会 きょうかい と正教会 せいきょうかい (Orthodox Church)を含 ふく む。ただし、これはカトリック教会 きょうかい 側 がわ の見方 みかた であって、正教会 せいきょうかい は東西 とうざい 教会 きょうかい 分裂 ぶんれつ 以前 いぜん の教会 きょうかい を指 さ して「正教会 せいきょうかい 」と呼 よ ぶ。
カトリック教会 きょうかい も東方 とうほう 正教会 せいきょうかい も、東西 とうざい 教会 きょうかい の分裂 ぶんれつ 以前 いぜん の教会 きょうかい の直接 ちょくせつ の正統 せいとう な後継 こうけい 者 しゃ を自認 じにん していること、そして「カトリック」も「オーソドックス」もいずれもが東西 とうざい 教会 きょうかい 分裂 ぶんれつ 以前 いぜん の教会 きょうかい においても重要 じゅうよう な概念 がいねん であったためにいずれの見解 けんかい も誤 あやま りではなく、自 みずか らの重視 じゅうし する概念 がいねん に由来 ゆらい する教会 きょうかい 名 めい の方 ほう を過去 かこ の教会 きょうかい 名 めい にも当 あ てはめるために、このような事象 じしょう が必然 ひつぜん 的 てき に生 しょう じている。
現在 げんざい のカトリック教会 きょうかい と正教会 せいきょうかい のいずれもが自 みずか らの「カトリック」(普遍 ふへん 性 せい )と「オーソドックス」(正 ただ しい讃 さん 美 び )を自覚 じかく しており、この2つは排他 はいた 的 てき 概念 がいねん ではないことには注意 ちゅうい が必要 ひつよう である。
イングランド国教 こっきょう 会 かい の流 なが れを汲 く むアングリカン・チャーチ の東 ひがし アジア での名称 めいしょう 「聖 せい 公会 こうかい 」は「聖 せい なる公 おおやけ 同 どう の教会 きょうかい 」(英 えい : Holy Catholic Church )という意味 いみ であり[ 6] 、その他 た の国々 くにぐに の聖 せい 公会 こうかい も、公 おおやけ 同 どう (catholic)かつ使徒 しと 継承 けいしょう (apostolic)の教会 きょうかい を自認 じにん している。また、聖 せい 公会 こうかい 内部 ないぶ の一 いち 傾向 けいこう を指 さ す「ハイ・チャーチ 」(高 こう 教 きょう 会派 かいは )は、「アングロ・カトリック 」(英 えい : Anglo-Catholicism )とも呼 よ ばれている。
さらに、ネストリウス派 は の流 なが れを汲 く むアッシリア東方 とうほう 教会 きょうかい の正式 せいしき 名称 めいしょう は「聖 せい なる使徒 しと 継承 けいしょう ・公 おおやけ 同 どう のアッシリア東方 とうほう 教会 きょうかい 」(英 えい : Holy Apostolic Catholic Assyrian Church of the East )である[ 7] 。
東方 とうほう 教会 きょうかい の伝統 でんとう 的 てき な独自 どくじ の典礼 てんれい 様式 ようしき や各地 かくち の典礼 てんれい 言語 げんご などの諸 しょ 風習 ふうしゅう を維持 いじ し、総 そう 大司教 だいしきょう (羅 ら : Patriarcha )を首座 しゅざ として一定 いってい の自治 じち 権 けん を認 みと められつつ、ローマ教皇 きょうこう の首位 しゅい 権 けん を認 みと めて教皇 きょうこう 庁 ちょう の傘下 さんか に入 はい り、教義 きょうぎ としてはローマ・カトリック教会 きょうかい と同一 どういつ となった教会 きょうかい である東方 とうほう 典礼 てんれい カトリック教会 きょうかい の諸 しょ 教会 きょうかい がある。
その中 なか には、正教会 せいきょうかい (いわゆるギリシャ正教 せいきょう )から分離 ぶんり ・帰一 きいつ したウクライナ東方 とうほう カトリック教会 きょうかい やメルキト・ギリシャ典礼 てんれい カトリック教会 きょうかい (英語 えいご 版 ばん ) など、非 ひ カルケドン派 は 正教会 せいきょうかい の流 なが れを汲 く むコプト典礼 てんれい カトリック教会 きょうかい など、さらにレバノン を中心 ちゅうしん として信徒 しんと を有 ゆう し単 たん 意 い 論 ろん 教会 きょうかい の流 なが れを汲 く むマロン典礼 てんれい カトリック教会 きょうかい (マロン派 は )や、ネストリウス派 は の流 なが れを汲 く むカルデア典礼 てんれい カトリック教会 きょうかい など、様々 さまざま な東方 とうほう 教会 きょうかい を母体 ぼたい とした教会 きょうかい がある。
「ローマ・カトリック教会 きょうかい 」と言 い った場合 ばあい 、これら東方 とうほう 典礼 てんれい カトリック教会 きょうかい を含 ふく まない、ラテン典礼 てんれい (英語 えいご 版 ばん ) [ 注 ちゅう 4] を用 もち いてローマ教皇 きょうこう 庁 ちょう の直属 ちょくぞく にある狭義 きょうぎ のカトリック教会 きょうかい を指 さ して用 もち いられる。
他 ほか にも、「カトリック」を自称 じしょう ・自認 じにん しながらローマ教皇 きょうこう の首位 しゅい 権 けん に属 ぞく しない教派 きょうは は、復古 ふっこ カトリック教会 きょうかい 、ポーランド・カトリック教会 きょうかい 、リベラル・カトリック教会 きょうかい 、中国 ちゅうごく 天主教 てんしゅきょう 愛国 あいこく 会 かい など独立 どくりつ カトリック教会 きょうかい の諸 しょ 教会 きょうかい があり、これらと区別 くべつ する意味 いみ でも「ローマ・カトリック教会 きょうかい 」と呼 よ ばれる。
東方 とうほう 教会 きょうかい (正教会 せいきょうかい および東方 とうほう 諸 しょ 教会 きょうかい )と区別 くべつ するため、カトリック教会 きょうかい とプロテスタント 教会 きょうかい を総称 そうしょう して西方 せいほう 教会 きょうかい と呼 よ ぶ場合 ばあい もある。その中 なか で、最近 さいきん はあまり見 み かけないが、日本語 にほんご 表記 ひょうき において、宗教 しゅうきょう 改革 かいかく 後 のち にヨーロッパ で生 う まれたプロテスタント教会 きょうかい を「新教 しんきょう 」、それ以前 いぜん から存在 そんざい するカトリック教会 きょうかい を「旧教 きゅうきょう 」と呼 よ ぶ用法 ようほう もある[ 8] が、カトリック教会 きょうかい の側 がわ が「旧教 きゅうきょう 」を自称 じしょう したことはなく、近年 きんねん はあまり使用 しよう されない。
日本 にっぽん ではかつてcatholic Churchを「公 おおやけ 教会 きょうかい 」と訳 やく し、組織 そしき 名 めい として「天主 てんしゅ 公 こう 教会 きょうかい 」(てんしゅこうきょうかい)、「日本 にっぽん 天主 てんしゅ 公 こう 教 きょう 教団 きょうだん 」と称 しょう していた。これは1884年 ねん (明治 めいじ 17年 ねん )から1959年 ねん (昭和 しょうわ 34年 ねん )まで神 かみ のことを日本 にっぽん のカトリック教会 きょうかい では「天主 てんしゅ 」と呼 よ んで教 おし えていたためで、聖堂 せいどう を「天主堂 てんしゅどう 」(例 れい 大浦 おおうら 天主堂 てんしゅどう )、カテキズム を「公 おおやけ 教 きょう 要理 ようり 」とする表現 ひょうげん も使 つか われたが、大正 たいしょう から昭和 しょうわ 初期 しょき にかけてカタカナの「カトリック」を冠 かん した新聞 しんぶん 社 しゃ ・定期 ていき 刊行 かんこう 物 ぶつ が現 あらわ れ、1948年 ねん (昭和 しょうわ 23年 ねん )以降 いこう はカトリック表記 ひょうき が公的 こうてき に採用 さいよう されている[ 9] 。
なお、日本語 にほんご でカソリック と表記 ひょうき されることもあるが、カトリックを表 あらわ す、ギリシャ語 ご のκαθολικος のθ しーた とラテン語 らてんご のCatholicus のth の部分 ぶぶん の発音 はつおん の表記 ひょうき の違 ちが い[ 10] でしかない。
現在 げんざい ではカトリック中央 ちゅうおう 協議 きょうぎ 会 かい が公式 こうしき 表記 ひょうき としていないので、日本 にっぽん のカトリック教会 きょうかい 側 がわ が「カソリック」という表記 ひょうき ・呼称 こしょう を使用 しよう することは通常 つうじょう はない。
第 だい 2バチカン公 こう 会議 かいぎ (1962年 ねん -1965年 ねん )は、カトリック教会 きょうかい に大 おお きな転換 てんかん をもたらした。従来 じゅうらい 、ローマ・カトリック教会 きょうかい (東方 とうほう 典礼 てんれい カトリック教会 きょうかい を除 のぞ く)では典礼 てんれい 言語 げんご としてラテン語 らてんご (教会 きょうかい ラテン語 らてんご )しか用 もち いられなかったが、これ以降 いこう は各国 かっこく 語 ご の典礼 てんれい が認 みと められるようになった。また、ミサ の形式 けいしき にも変革 へんかく があり、一 いち 例 れい としては、従来 じゅうらい 聖職 せいしょく 者 しゃ が祭壇 さいだん に向 む かい会衆 かいしゅう に背 せ を向 む けて司式 ししき する「背面 はいめん 司式 ししき 」であったのが、聖 ひじり 卓 たく を挟 はさ んで会衆 かいしゅう に向 む き合 あ って司式 ししき する「対面 たいめん 司式 ししき 」となった。これらの変革 へんかく された典礼 てんれい 様式 ようしき は、「新 あたら しいミサ (ノブス・オルド)」と呼 よ ばれる。それ以前 いぜん の典礼 てんれい 様式 ようしき はトリエント・ミサ と呼 よ ばれ、聖 せい ピオ十 じゅう 世 せい 会 かい などはこれを堅持 けんじ している。
無 む 原罪 げんざい の御 ご 宿 やど り
イエス・キリスト の母 はは ・聖母 せいぼ マリア は子供 こども を宿 やど した時 とき に原罪 げんざい が潔 きよし められた、という意味 いみ ではなく、「マリアはその存在 そんざい の最初 さいしょ (母 はは アンナ の胎内 たいない に宿 やど った時 とき )から原罪 げんざい を免 まぬか れていた」という信仰 しんこう [ 注 ちゅう 5] [ 注 ちゅう 6] 。
聖母 せいぼ の被 ひ 昇天 しょうてん
聖母 せいぼ マリアは、その人生 じんせい の終 お わりに、肉体 にくたい のままで天国 てんごく にあげられたという信仰 しんこう 。
煉獄 れんごく
神 かみ の恵 めぐ みと神 かみ との親 した しい交 まじ わりとを保 たも ったまま死 し んで、永遠 えいえん の救 すく いは保証 ほしょう されているものの、天国 てんごく の喜 よろこ びにあずかるために必要 ひつよう な聖 ひじり 性 せい を得 え るように浄化 じょうか (清 きよ め)の苦 くる しみを受 う ける人々 ひとびと の魂 たましい が行 い くとされる、天国 てんごく と地獄 じごく の間 あいだ の世界 せかい 。
教皇 きょうこう の首位 しゅい 権 けん
ローマ教皇 きょうこう は、全 ぜん 世界 せかい のキリスト教 きりすときょう の司教 しきょう たちの中 なか で、最 もっと も権威 けんい を持 も っていて、天国 てんごく の鍵 かぎ [ 注 ちゅう 7] を受 う け継 つ いでいるとされる。教会 きょうかい の外 そと にいる者 もの は聖霊 せいれい の恵 めぐ みを受 う けられず、もしそこから離 はな れてしまえば聖霊 せいれい の恵 めぐ みを得 え ることができないとされている。一方 いっぽう で、「カトリック教会 きょうかい と縁 えん のない人々 ひとびと が救 すく われないというわけではない」ということを、現代 げんだい の教皇 きょうこう たちは述 の べている。現在 げんざい の教皇 きょうこう フランシスコ及 およ び好感 こうかん を持 も たれている司祭 しさい たちは過去 かこ のキリストの教義 きょうぎ を好 す きなように変 か えられるような神様 かみさま を超 こ える権力 けんりょく を持 も っている考 かんが え方 かた が普及 ふきゅう しつつある。[独自 どくじ 研究 けんきゅう ? ]
教皇 きょうこう 不可 ふか 謬説
ローマ教皇 きょうこう が「信仰 しんこう および道徳 どうとく に関 かん する事柄 ことがら について教皇 きょうこう 座 ざ (エクス・カテドラ)から厳 おごそ かに宣言 せんげん する場合 ばあい 、その決定 けってい は聖霊 せいれい の導 みちび きに基 もと づくものとなるため、正 まさ しく決 けっ して誤 あやま りえない」という教義 きょうぎ のこと。教皇 きょうこう ピウス12世 せい の「聖母 せいぼ の被 ひ 昇天 しょうてん 」に関 かん する宣言 せんげん には、「もしこれらのことを疑 うたが い、否定 ひてい する発言 はつげん を行 おこな うものはカトリック教会 きょうかい の信仰 しんこう から離 はな れているとみなされる」とした。第 だい 1バチカン公 こう 会議 かいぎ で決議 けつぎ されたこの教義 きょうぎ に反対 はんたい する者 もの は、分離 ぶんり して復古 ふっこ カトリック教会 きょうかい を結成 けっせい した。
他 た 教派 きょうは にも一部 いちぶ 類似 るいじ があるが特 とく にカトリック教会 きょうかい で強調 きょうちょう される教義 きょうぎ [ 編集 へんしゅう ]
全 ぜん 実体 じったい 変化 へんか 説 せつ
ミサ 中 なか の聖 せい 変化 へんか によって、捧 ささ げられたパン とぶどう酒 しゅ の全 ぜん 実体 じったい (the whole substance )が、パンとぶどう酒 しゅ という偶有 ぐうゆう 性 せい [ 14] (外観 がいかん )のみを残 のこ して、イエス・キリストの霊魂 れいこん と神性 しんせい を持 も った聖体 せいたい ・聖 せい 血 ち へと、「真実 しんじつ に(truly)、実際 じっさい に(really)、実体 じったい 的 てき に(substantially)」変化 へんか (Transsubstantiation)するという説 せつ [ 15] 。
聖 せい 変化 へんか した聖体 せいたい は、ミサ中 ちゅう に領 りょう 食 しょく (聖体 せいたい 拝領 はいりょう )する以外 いがい でも、聖体 せいたい 賛美 さんび 式 しき などでキリストの臨在を示 しめ すものとして拝礼 はいれい の対象 たいしょう に用 もち いられる。
また、パンまたはぶどう酒 しゅ のどちらかの形態 けいたい (外観 がいかん )のみ(単形 たんけい 色 しょく )の聖体 せいたい 拝領 はいりょう で、聖体 せいたい の秘跡 ひせき として有効 ゆうこう であるとする。多 おお くのローマ・カトリック教会 きょうかい では、聖職 せいしょく 者 しゃ を除 のぞ く一般 いっぱん 信徒 しんと はパンのみを拝領 はいりょう する。使用 しよう するパンについて、ローマ・カトリック教会 きょうかい では、専用 せんよう に作 つく られた酵母 こうぼ なしの無 む 発酵 はっこう パン(「ホスチア 」と呼 よ ばれるもの)の使用 しよう を義務 ぎむ とする。
なお、東方 とうほう 典礼 てんれい カトリック教会 きょうかい では、東方 とうほう 教会 きょうかい (正教会 せいきょうかい ・東方 とうほう 諸 しょ 教会 きょうかい )の伝統 でんとう を受 う け継 つ いで、プロスフォラ と呼 よ ばれる、専用 せんよう に作 つく られた発酵 はっこう パンを使用 しよう し、水 みず で割 わ ったぶどう酒 しゅ に浸 ひた して、それを匙 さじ ですくって拝領 はいりょう する。
奇跡 きせき があるという教 きょう 説 せつ
カトリック教会 きょうかい には、公認 こうにん 、未 み 公認 こうにん 、または非 ひ 公認 こうにん のあらゆる奇跡 きせき があるとされる。
カトリック教会 きょうかい の教 きょう 説 せつ (教 おし え)は「聖書 せいしょ と聖 ひじり 伝 つたえ 」という言葉 ことば であらわされるように、旧約 きゅうやく 聖書 せいしょ 、新約 しんやく 聖書 せいしょ およびイエス・キリスト と使徒 しと の教 おし えに由来 ゆらい し、教父 きょうふ たちによって研鑽 けんさん され、多 おお くの議論 ぎろん を経 へ て公 おおやけ 会議 かいぎ などによって確立 かくりつ されてきたものである。使徒 しと 信条 しんじょう およびニケア・コンスタンチノープル信条 しんじょう を信条 しんじょう としている[ 16] 。特 とく に宗教 しゅうきょう 改革 かいかく 以降 いこう 、トリエント公 こう 会議 かいぎ においてカトリック教会 きょうかい の教義 きょうぎ が整理 せいり され、再 さい 確認 かくにん された。さらに現代 げんだい では第 だい 2バチカン公 こう 会議 かいぎ でも現代 げんだい に生 い きる教会 きょうかい として教義 きょうぎ の意味 いみ を見直 みなお した[ 注 ちゅう 8] 。
カトリック教会 きょうかい においては、ヒエロニムス 以来 いらい 何 なん 度 ど となく改訂 かいてい されてきた、ヴルガータ と呼 よ ばれる後期 こうき ラテン語 らてんご 訳 わけ 聖書 せいしょ が公式 こうしき な聖書 せいしょ とされてきた。現在 げんざい は各国 かっこく 語 ご に翻訳 ほんやく されている。カトリック教会 きょうかい で聖書 せいしょ 正 せい 典 てん に含 ふく まれる諸 しょ 文書 ぶんしょ を最終 さいしゅう 的 てき に決定 けってい した公 おおやけ 会議 かいぎ はトリエント公 こう 会議 かいぎ である。カトリック教会 きょうかい が正 せい 典 てん とする旧約 きゅうやく 聖書 せいしょ には、七 なな 十 じゅう 人 にん 訳 やく 聖書 せいしょ には含 ふく まれていたがヘブライ語 ご のマソラ本文 ほんぶん に含 ふく まれていない文書 ぶんしょ がある。それらは第 だい 二 に 正 せい 典 てん という語 かたり で指 さ される場合 ばあい もあるが、正 せい 典 てん に含 ふく めている。
日本語 にほんご 訳 やく 聖書 せいしょ においても、かつてカトリック教会 きょうかい とプロテスタント諸派 しょは では異 こと なる翻訳 ほんやく による聖書 せいしょ を用 もち いてきた。しかし、第 だい 2バチカン公 こう 会議 かいぎ 以降 いこう の世界 せかい でのカトリックとプロテスタントによる聖書 せいしょ の共同 きょうどう 翻訳 ほんやく という流 なが れを受 う けて、日本 にっぽん でも両者 りょうしゃ による共同 きょうどう 翻訳 ほんやく 作業 さぎょう が始 はじ められた。その成果 せいか が初 はじ めて形 かたち になったのが『共同 きょうどう 訳 やく 聖書 せいしょ 』であり、表記 ひょうき などの問題 もんだい 点 てん を改善 かいぜん したものが、現在 げんざい 日本 にっぽん のカトリック教会 きょうかい で公式 こうしき に用 もち いられている『新 しん 共同 きょうどう 訳 やく 聖書 せいしょ 』である。なお、『新 しん 共同 きょうどう 訳 やく 聖書 せいしょ 』では、上記 じょうき 旧約 きゅうやく 聖書 せいしょ の第 だい 二 に 正 せい 典 てん の部分 ぶぶん を、これを正 せい 典 てん に含 ふく めないプロテスタントなど他 た 教派 きょうは へ配慮 はいりょ して「旧約 きゅうやく 聖書 せいしょ 続編 ぞくへん 」という名称 めいしょう で掲載 けいさい している。
『カトリック教会 きょうかい のカテキズム 』は教典 きょうてん などの信仰 しんこう の公式 こうしき な説明 せつめい 書 しょ である。
「唯一 ゆいいつ の教会 きょうかい 」という世界 せかい 観 かん [ 編集 へんしゅう ]
カトリック教会 きょうかい においては、自 じ 派 は を「唯一 ゆいいつ の教会 きょうかい 」だとする世界 せかい 観 かん がある[ 注 ちゅう 9] 。この世界 せかい 観 かん は、父 ちち なる神 かみ とその右 みぎ に座 ざ するイエス 、聖母 せいぼ マリア や聖人 せいじん たちのとりなし[ 注 ちゅう 10] 、天国 てんごく の鍵 かぎ を管理 かんり するペトロ、信者 しんじゃ たちの集 つど う天国 てんごく 等 とう で構成 こうせい されている[ 注 ちゅう 11] 。こうした世界 せかい 観 かん に基 もと づく組織 そしき 構造 こうぞう がペトロの権威 けんい を引 ひ き継 つ ぐローマ教皇 きょうこう という現実 げんじつ の人間 にんげん を中心 ちゅうしん に展開 てんかい されている。
現在 げんざい のローマ教皇 きょうこう フランシスコ
ローマ教皇 きょうこう とは、カトリック教会 きょうかい の総 そう 代表 だいひょう 者 しゃ で、全 ぜん カトリック教会 きょうかい の裁 たっ 治 ち 権 けん と統治 とうち 権 けん を持 も つものである(日本語 にほんご では「法王 ほうおう 」と呼 よ ばれることも多 おお いが、カトリック教会 きょうかい での正式 せいしき 名称 めいしょう は「教皇 きょうこう 」であり、「法王 ほうおう 」というい方 いかた は日本 にっぽん 国 こく にとってのバチカン市 し 国 こく の首長 しゅちょう を表 あらわ す外交 がいこう 用語 ようご でしかない)。ローマ教皇 きょうこう は使徒 しと ペトロ による使徒 しと 座 ざ の後継 こうけい 者 しゃ であり、現在 げんざい はローマにあるバチカン に居住 きょじゅう する。ローマを首都 しゅと とするイタリア 政府 せいふ と教皇 きょうこう 庁 ちょう の関係 かんけい については「ローマ問題 もんだい 」「ラテラノ条約 じょうやく 」を参照 さんしょう 。
枢機卿 すうききょう 団 だん は、教皇 きょうこう 庁 ちょう で働 はたら く高位 こうい 聖職 せいしょく 者 しゃ や世界 せかい の重要 じゅうよう な司教 しきょう 区 く の司教 しきょう たちの中 なか から教皇 きょうこう によって任命 にんめい される。教皇 きょうこう 選挙 せんきょ (コンクラーヴェ )に参加 さんか できるのは80歳 さい 未満 みまん の枢機卿 すうききょう である。
司教 しきょう は使徒 しと たちの後継 こうけい 者 しゃ であり、教 おし え、聖 ひじり 化 か し、統治 とうち する務 つと めを与 あた えられた者 もの であるとされる。ローマ教皇 きょうこう もまた司教 しきょう の一人 ひとり であるが、使徒 しと ペトロの権能 けんのう を引 ひ き継 つ いでいるとみなされ、司教 しきょう 団 だん の中 なか における特別 とくべつ な地位 ちい を認 みと められている。なお、東方 とうほう 教会 きょうかい では「総 そう 主教 しゅきょう 」や「カトリコス 」と呼 よ ばれる者 もの が名誉 めいよ 上 じょう の最高 さいこう 位 い 聖職 せいしょく 者 しゃ ・かつまた自 みずか らに直属 ちょくぞく する教会 きょうかい の首長 しゅちょう であり、さらに府 ふ 主教 しゅきょう 、大 だい 主教 しゅきょう などが各国 かっこく の教会 きょうかい の首長 しゅちょう となっている場合 ばあい がある。
司教 しきょう の本来 ほんらい の職務 しょくむ は、教区 きょうく の責任 せきにん 者 しゃ として教区 きょうく 内 ない の教会 きょうかい を統治 とうち することで、キリストの代理 だいり 者 しゃ として、司祭 しさい ・助祭 じょさい の協力 きょうりょく を得 え て司 つかさ 牧 まき の務 つと めを果 は たすものとされている[ 19] 。通常 つうじょう の司教 しきょう (教区 きょうく 司教 しきょう )のほかに、(大司教 だいしきょう など職務 しょくむ の多 おお い)司教 しきょう を補佐 ほさ するために「協 きょう 働 はたらけ 司教 しきょう 」や「補佐 ほさ 司教 しきょう 」が任命 にんめい されることがある[ 20] 。
司教 しきょう 会議 かいぎ については後述 こうじゅつ 。
司祭 しさい と助祭 じょさい は司教 しきょう の職務 しょくむ を補助 ほじょ している。司祭 しさい には、教区 きょうく に属 ぞく する教区 きょうく 司祭 しさい (かつて「在俗 ざいぞく 司祭 しさい 」とも呼 よ ばれた)と、修道 しゅうどう 会 かい に属 ぞく する修道 しゅうどう 司祭 しさい とがあり、どちらにも属 ぞく さないフリーの司祭 しさい というものは存在 そんざい しない。
また、教皇 きょうこう パウロ6世 せい の時代 じだい まで、守門 すもん 、読師、祓 はらい 魔 ま 師 し 、侍 さむらい 祭 さい という下級 かきゅう 聖職 せいしょく (下級 かきゅう 品 ひん 級 きゅう )および副 ふく 助祭 じょさい という聖職 せいしょく 位階 いかい が存在 そんざい したが、1972年 ねん 8月 がつ 15日 にち に発布 はっぷ された自発 じはつ 教 きょう 令 れい 「ミニステリア・クエダム」によって1973年 ねん に廃止 はいし され、現代 げんだい では聖体 せいたい 奉仕 ほうし 者 しゃ と祭壇 さいだん 奉仕 ほうし 者 しゃ の2つの「奉仕 ほうし 職 しょく 」に改 あらた められて、かつてのような聖職 せいしょく 位階 いかい として扱 あつか われることはなくなった[ 21] 。
カトリック教会 きょうかい の聖職 せいしょく 者 しゃ (司教 しきょう ・司祭 しさい ・助祭 じょさい )は、独身 どくしん の男性 だんせい に限 かぎ られ、叙 じょ 階 かい の秘跡 ひせき を受 う けることでその地位 ちい に就 つ く。
カトリック教会 きょうかい の洗礼 せんれい を受 う けた者 もの 、または他 た 教派 きょうは から転籍 てんせき して堅 けん 信 しん を受 う けた者 もの は、信徒 しんと と呼 よ ばれる。
信者 しんじゃ 数 すう 、カトリック信徒 しんと の分布 ぶんぷ [ 編集 へんしゅう ]
人口 じんこう に占 し めるカトリック信徒 しんと の比率 ひりつ (色 いろ が濃 こ くなるほど比率 ひりつ が高 たか い)
全 ぜん 世界 せかい に存在 そんざい する(洗礼 せんれい を受 う けた)カトリック信徒 しんと の総数 そうすう は12億 おく 人 にん に上 のぼ るとみられている。カトリック信徒 しんと は世界中 せかいじゅう に存在 そんざい しているが、特 とく に多 おお いのはヨーロッパとアメリカ大陸 あめりかたいりく である。2000年 ねん 度 ど の統計 とうけい では、南北 なんぼく アメリカに5億 おく 2000万 まん 人 にん 、ヨーロッパに2億 おく 8000万 まん 人 にん 、アフリカ に1億 おく 3000万 まん 人 にん 、アジア に1億 おく 700万 まん 人 にん 、オセアニア に800万 まん 人 にん である[ 22] 。
ヨーロッパでカトリック信徒 しんと の多 おお いのは「ラテン諸国 しょこく 」といわれる国々 くにぐに 、フランス 、イタリア、スペイン 、ポルトガル 、アンドラ 、モナコ 、サンマリノ が該当 がいとう する。非 ひ ラテン諸国 しょこく ではオーストリア 、ベルギー 、クロアチア 、チェコ 、ハンガリー 、アイルランド 、リトアニア 、マルタ 、ポーランド 、スロバキア 、スロベニア 、ルクセンブルク 、リヒテンシュタイン である。ドイツ 、オランダ 、スイス および北 きた アイルランド はカトリックとプロテスタントがほぼ同数 どうすう である。
アメリカ大陸 あめりかたいりく では特 とく に中南米 ちゅうなんべい に信徒 しんと が多 おお く、特 とく に多 おお いのはメキシコ 、ブラジル 、アルゼンチン 、コロンビア 、パラグアイ である。歴史 れきし 的 てき 背景 はいけい については「スペインによるアメリカ大陸 あめりかたいりく の植民 しょくみん 地 ち 化 か 」「ポルトガルによるアメリカ大陸 あめりかたいりく の植民 しょくみん 地 ち 化 か 」を参照 さんしょう 。
アジアについても同様 どうよう な理由 りゆう で、旧 きゅう スペイン領 りょう のフィリピン 、旧 きゅう ポルトガル領 りょう の東 ひがし ティモール にカトリック信徒 しんと が多 おお い。
ブラジルでのミサにおける教皇 きょうこう ベネディクト16世 せい
カトリック教会 きょうかい の信仰 しんこう 生活 せいかつ の中心 ちゅうしん にあるのは、聖体 せいたい 祭儀 さいぎ のミサ である。ミサの中 なか で信者 しんじゃ は聖体 せいたい の秘跡 ひせき を受 う ける(聖体 せいたい 拝領 はいりょう )。主 おも 日 び (日曜日 にちようび [ 注 ちゅう 12] )と守 まも るべき祝日 しゅくじつ にミサにあずかることは、信徒 しんと としての務 つと めであるとされている。
ミサ以外 いがい の重要 じゅうよう な典礼 てんれい 行為 こうい としては「聖 ひじり 務 つとむ 日課 にっか 」が挙 あ げられ、修道院 しゅうどういん などで必 かなら ず行 おこな われている。これは本来 ほんらい 「時 どき 課 か の祈 いの り」という意味 いみ で、一 いち 日 にち の各 かく 時間 じかん を祈 いの りを捧 ささ げることで聖 ひじり 化 か することが目的 もくてき である。日課 にっか の中 なか で特 とく に重要 じゅうよう なのは、ラウズとヴェスパ(ヴェスペレ)と呼 よ ばれる朝 あさ の祈 いの りと晩 ばん の祈 いの りである。これらに加 くわ えていくつかの祈 いの りが一 いち 日 にち の中 なか で行 おこな われる(かつて九 きゅう 時 じ 課 か 、六 ろく 時 じ 課 か 、三 さん 時 じ 課 か と呼 よ ばれた)。それ以外 いがい に読書 どくしょ 課 か という祈 いの りもあり、そこでは祈 いの りと共 とも に、聖書 せいしょ 朗読 ろうどく と聖人 せいじん 伝 でん や古典 こてん 的 てき な著作 ちょさく が読 よ まれる。聖 ひじり 務 つとむ 日課 にっか の中心 ちゅうしん となるのは旧約 きゅうやく 聖書 せいしょ の詩編 しへん である。
現代 げんだい のカトリック教会 きょうかい のミサの中 なか では、主 おも 日 び と教会 きょうかい 祝日 しゅくじつ には、福音 ふくいん 書 しょ 朗読 ろうどく と福音 ふくいん 以外 いがい の聖書 せいしょ 朗読 ろうどく が二 ふた つ(主 おも に旧約 きゅうやく 聖書 せいしょ と使徒 しと 書 しょ )の合 あ わせて三 みっ つが朗読 ろうどく される。それ以外 いがい の平日 へいじつ のミサでは、福音 ふくいん 書 しょ 朗読 ろうどく と福音 ふくいん 以外 いがい の聖書 せいしょ 箇所 かしょ の二 ふた つが朗読 ろうどく される。
カトリック教会 きょうかい は伝統 でんとう 的 てき に7つの秘跡 ひせき (サクラメント )を認 みと めている。秘跡 ひせき とは、神 かみ の恵 めぐ み を実際 じっさい にもたらす感覚 かんかく 的 てき しるしで、イエス・キリストによって制定 せいてい され、教会 きょうかい に委 ゆだ ねられたものである。下記 かき の数字 すうじ は、『カトリック教会 きょうかい のカテキズム 』(CCC)において説明 せつめい がある箇所 かしょ の項目 こうもく 番号 ばんごう を表 あらわ すもので、詳細 しょうさい に関 かん しては各 かく 項目 こうもく の記述 きじゅつ あるいは『カトリック教会 きょうかい のカテキズム』の該当 がいとう 箇所 かしょ を参照 さんしょう [ 23] 。
神 かみ は全 すべ てのキリスト者 しゃ に対 たい して聖 きよし 性 せい に向 む かうようにとお呼 よ びかけになった。聖 ひじり 性 せい とは何 なに にもまして神 かみ を愛 あい し、神 かみ ゆえに人々 ひとびと を愛 あい し、人々 ひとびと に仕 つか えることである――とされている。聖 ひじり パウロは、エフェソの初代 しょだい のキリスト者 しゃ (鍛冶屋 かじや や店主 てんしゅ 、家事 かじ 従業 じゅうぎょう 員 いん や料理人 りょうりにん 、労働 ろうどう 者 しゃ からなる人々 ひとびと など)に、神 かみ は「天地 てんち 創造 そうぞう の前 まえ から、私 わたし たちを愛 あい され、ご自分 じぶん の前 まえ で聖 せい なる者 もの 、汚 よご れのない者 もの にしようと」(『エフェソの信徒 しんと への手紙 てがみ 』1,4)、キリストにおいて私 わたし たちをお選 えら びになったと保証 ほしょう している。第 だい 2バチカン公 こう 会議 かいぎ で、「どのような身分 みぶん と地位 ちい にあっても、全 すべ てのキリスト者 しゃ がキリスト教 きりすときょう 的 てき 生活 せいかつ の完成 かんせい と完全 かんぜん な愛 あい に至 いた るように召 め されている」(バチカン公 こう 会議 かいぎ 、『教会 きょうかい 憲章 けんしょう 』40)と述 の べられた。
この聖 ひじり 性 せい への普遍 ふへん 的 てき な召 め し出 だ しの一部 いちぶ として、キリスト者 しゃ は誰 だれ でも、人々 ひとびと に仕 つか え、人々 ひとびと をキリストに近 ちか づけるために呼 よ ばれている。 いわゆる「霊的 れいてき 」な仕事 しごと に従事 じゅうじ している人 ひと たちばかりでなく、あらゆる真 ま っ当 とう な世 よ の中 なか の仕事 しごと と活動 かつどう に従事 じゅうじ している人 ひと たちが、キリストの教 おし えを自 みずか らの模範 もはん と言葉 ことば で広 ひろ げていくように呼 よ ばれているのです。神 かみ はすべてのキリスト者 しゃ が「教会 きょうかい の使命 しめい の証人 しょうにん 、生 い きる道具 どうぐ となるよう」(『教会 きょうかい 憲章 けんしょう 』33)招 まね いておられる――とされている。
「全 すべ ての信者 しんじゃ は神 かみ の救 すく いの計画 けいかく がどんな時代 じだい にも、あらゆる国々 くにぐに のあらゆる人々 ひとびと にまで届 とど くよう働 はたら くべき」(『教会 きょうかい 憲章 けんしょう 』33)であることを、全 すべ てのカトリック信者 しんじゃ は知 し るべきである。「自分 じぶん の毎日 まいにち の活動 かつどう を、神 かみ との一致 いっち の機会 きかい 、御 ご 旨 むね の到達 とうたつ の機会 きかい 、人々 ひとびと への奉仕 ほうし の機会 きかい 、キリストにおける神 かみ との交 まじ わりに人々 ひとびと を導 みちび く機会 きかい と見 み なすよう」(『信徒 しんと の召命と使命 しめい 』17)、神 かみ は信徒 しんと である男女 だんじょ をお呼 よ びになっている。現代 げんだい の聖人 せいじん たちは信徒 しんと の信仰 しんこう 生活 せいかつ や使命 しめい に関 かん しては次 つぎ のように語 かた っている:「あなたがキリストを尋 たず ね、キリストに出会 であ い、キリストを愛 あい するように」(聖 きよし ホセマリア・エスクリバー 『道 みち 』382)[ 25] 。同様 どうよう 、 教皇 きょうこう ヨハネ・パウロ二世 よはねぱうろにせい によると、「信徒 しんと は聖 ひじり 性 せい への召 め し出 だ しに気 き づき、何 なに よりも拒 こば むことのできない義務 ぎむ としてそれを生 い きなければ」ならない(『信徒 しんと の召命と使命 しめい 』17)。
地域 ちいき の司教 しきょう たちは定期 ていき 的 てき に会合 かいごう を開 ひら いて、様々 さまざま な問題 もんだい について討議 とうぎ する。これを司教 しきょう 会議 かいぎ (シノドス )という。シノドスでは典礼 てんれい などの問題 もんだい に関 かん しては決議 けつぎ することが出来 でき るが、特定 とくてい の司教 しきょう の処遇 しょぐう に関 かん してなどの決議 けつぎ のためには、有 ゆう 資格 しかく 司教 しきょう の3分 ぶん の2以上 いじょう の同意 どうい と教皇 きょうこう 庁 ちょう の裁可 さいか が必要 ひつよう とされている。
世界 せかい 司教 しきょう 会議 かいぎ について、教皇 きょうこう フランシスコ は2023年 ねん から構成 こうせい や運営 うんえい 方法 ほうほう を改革 かいかく することを決 き めた。司教 しきょう 以外 いがい に教皇 きょうこう が一般 いっぱん 信徒 しんと など70人 にん を選 えら んで半数 はんすう は女性 じょせい とするほか、これとは別 べつ に修道 しゅうどう 女 おんな 5人 にん が参加 さんか し、いずれも投票 とうひょう 権 けん を行使 こうし できる[ 26] 。
現代 げんだい では従来 じゅうらい の聖職 せいしょく 者 しゃ 至上 しじょう 主義 しゅぎ の修正 しゅうせい が図 はか られていて、「神 かみ の民 みん の教会 きょうかい 論 ろん 」により、全 すべ ての信徒 しんと がキリストの祭司 さいし 職 しょく にあずかっていて教会 きょうかい の宣教 せんきょう 活動 かつどう 、典礼 てんれい 活動 かつどう 、司 つかさ 牧 まき 活動 かつどう を遂行 すいこう する者 もの であるとされている。この信徒 しんと の使命 しめい は「信徒 しんと 使徒 しと 職 しょく 」と呼 よ ばれている[ 27] 。
カトリック教会 きょうかい では、以下 いか に列挙 れっきょ した21の公 おおやけ 会議 かいぎ に特別 とくべつ な権威 けんい を付与 ふよ している。
公 おおやけ 会議 かいぎ の位置付 いちづ けはキリスト教 きりすときょう 各 かく 教派 きょうは によって異 こと なっており、東方 とうほう 正教会 せいきょうかい (ギリシャ正教 せいきょう )では最初 さいしょ の7つの公 おおやけ 会議 かいぎ のみを認 みと めており、東方 とうほう 諸 しょ 教会 きょうかい のうち非 ひ カルケドン派 は では最初 さいしょ の3つのみを認 みと めている。さらにネストリウス派 は の諸 しょ 教会 きょうかい (アッシリア東方 とうほう 教会 きょうかい など)は最初 さいしょ の2つしか認 みと めていない。
特 とく に第 だい 2バチカン公 こう 会議 かいぎ は、現代 げんだい のカトリック教会 きょうかい の方向 ほうこう 性 せい を大 おお きく変 か えた重要 じゅうよう な公 おおやけ 会議 かいぎ だったといえる。この公 おおやけ 会議 かいぎ を機 き にカトリック教会 きょうかい は典礼 てんれい の改革 かいかく を行 おこな い、エキュメニズム の推進 すいしん を目標 もくひょう に掲 かか げた。カトリック教会 きょうかい は、この第 だい 2バチカン公 こう 会議 かいぎ において「本人 ほんにん の側 がわ に落 お ち度 ど がないままに、キリストの福音 ふくいん と教会 きょうかい を知 し らずにいて、なおかつ、誠実 せいじつ な心 しん を持 も って神 かみ を求 もと め、良心 りょうしん の命令 めいれい を通 とお して認 みと められる神 かみ の意志 いし を、恩恵 おんけい の働 はたら きのもとに、行動 こうどう をもって実践 じっせん しようと努 つと めている人 ひと は、永遠 えいえん の救 すく いに達 たっ することができる」という従来 じゅうらい とは異 こと なる見解 けんかい を示 しめ した[ 28] 。
教義 きょうぎ についての他 た 教派 きょうは との関係 かんけい [ 編集 へんしゅう ]
カトリック教会 きょうかい では、1054年 ねん の正教会 せいきょうかい との分裂 ぶんれつ (東西 とうざい 教会 きょうかい の分裂 ぶんれつ )や、それよりもはるかに古 ふる いエフェソ公 こう 会議 かいぎ やカルケドン公 こう 会議 かいぎ における分裂 ぶんれつ であっても、実際 じっさい に分裂 ぶんれつ の直接 ちょくせつ の原因 げんいん となったのは、本質 ほんしつ 的 てき なことではなく些細 ささい な教義 きょうぎ 論争 ろんそう であると捉 とら えている。それをよく示 しめ すのは、1994年 ねん 11月に発布 はっぷ された『キリスト理解 りかい におけるカトリック教会 きょうかい とアッシリア東方 とうほう 教会 きょうかい の共同 きょうどう 宣言 せんげん (英語 えいご 版 ばん ) [ 29] 』である。これはカトリック教会 きょうかい の教皇 きょうこう ヨハネ・パウロ2世 せい とアッシリア東方 とうほう 教会 きょうかい の総 そう 主教 しゅきょう マル・ディンハ4世 せい (英語 えいご 版 ばん ) の間 あいだ で調印 ちょういん された。アッシリア東方 とうほう 教会 きょうかい とカトリック教会 きょうかい の分裂 ぶんれつ は、431年 ねん のエフェソ公 こう 会議 かいぎ で争 あらそ われた「テオトコス論争 ろんそう 」という聖母 せいぼ マリア の称号 しょうごう をめぐる論争 ろんそう が原因 げんいん となっている。これは「神 かみ の母 はは 」と「キリストの母 はは 」という称号 しょうごう のどちらが正 ただ しいかということが論議 ろんぎ となったものである。『共同 きょうどう 宣言 せんげん 』では「どちらの呼 よ び方 かた も同 おな じ信仰 しんこう を表明 ひょうめい したものであり、両 りょう 教会 きょうかい は互 たが いの典礼 てんれい と信心 しんじん を尊重 そんちょう する」と述 の べている。
さらに難 むずか しいのは正教会 せいきょうかい との合同 ごうどう 問題 もんだい である。カトリック教会 きょうかい 側 がわ では、カトリック教会 きょうかい と正教会 せいきょうかい が合同 ごうどう するためには、教義 きょうぎ の問題 もんだい よりも互 たが いの伝統 でんとう に関 かん する問題 もんだい が大 おお きな障害 しょうがい となっていると考 かんが えている。たとえば、ローマ教皇 きょうこう の首位 しゅい 権 けん をどう評価 ひょうか するかという問題 もんだい や、互 たが いの典礼 てんれい や信心 しんじん における差異 さい をどう尊重 そんちょう しあうかという問題 もんだい になっているとする。一方 いっぽう 、正教会 せいきょうかい の側 がわ からは、対立 たいりつ はフィリオクェ問題 もんだい という基本 きほん 的 てき 教義 きょうぎ の不一致 ふいっち にあり、首位 しゅい 権 けん や不可 ふか 謬権の問題 もんだい もたんなる伝統 でんとう の問題 もんだい ではなく教義 きょうぎ 上 じょう の問題 もんだい と捉 とら えている(アメリカ正教会 せいきょうかい の研究 けんきゅう 版 ばん 新約 しんやく 聖書 せいしょ では、一致 いっち の主 おも な障害 しょうがい を、フィリオクエ問題 もんだい と教皇 きょうこう 不可 ふか 謬権であると指摘 してき している)。また東方 とうほう 側 がわ からは十字軍 じゅうじぐん 問題 もんだい や東方 とうほう 布教 ふきょう などのカトリックからの姿勢 しせい に対 たい する反発 はんぱつ もある。カトリック教会 きょうかい で用 もち いられる「教導 きょうどう 権 けん 」という言葉 ことば は、信徒 しんと を教 おし え導 みちび く権威 けんい のことを示 しめ している。この権威 けんい は神学 しんがく 者 しゃ のものではなく、司教 しきょう たちのものである。カトリックの理解 りかい では、人々 ひとびと がある教 おし えを自分勝手 じぶんがって に理解 りかい すると必 かなら ず矛盾 むじゅん や対立 たいりつ が生 しょう じることになると考 かんが える。ユダヤ人 じん の教育 きょういく において、指導 しどう 者 しゃ がトーラー を声 こえ に出 だ して読 よ みながら、覚 おぼ えさせるという伝統 でんとう があるが、これはヘブライ語 ご の文章 ぶんしょう は母音 ぼいん が表記 ひょうき されていないため、様々 さまざま な読 よ み方 かた が可能 かのう であったためだが、そこにおいては口伝 くでん が文章 ぶんしょう を確定 かくてい させる。これがカトリック教会 きょうかい が聖書 せいしょ と同様 どうよう に聖 ひじり 伝 つたえ (聖 せい なる伝承 でんしょう )を尊重 そんちょう することのたとえとして用 もち いられる。
カトリック教会 きょうかい と、プロテスタントの諸 しょ 教会 きょうかい との間 あいだ での教義 きょうぎ 的 てき な差異 さい は、東方 とうほう 教会 きょうかい よりさらに大 おお きい。プロテスタントは、カトリック教会 きょうかい が使徒 しと 本来 ほんらい の教 おし えを歪 ゆが めてきたと考 かんが えてきた。一方 いっぽう カトリック教会 きょうかい 側 がわ は、2007年 ねん の『教会 きょうかい 論 ろん のいくつかの側面 そくめん に関 かん する問 と いに対 たい する回答 かいとう 』において「16世紀 せいき の宗教 しゅうきょう 改革 かいかく から生 う まれたキリスト教 きりすときょう 共同 きょうどう 体 たい (プロテスタント)は、使徒 しと 継承 けいしょう による司祭 しさい 職 しょく の秘跡 ひせき を欠 か くため、カトリックの教 おし えによれば、固有 こゆう の意味 いみ で『教会 きょうかい 』と呼 よ ぶことはできない」としている[ 30] 。
他方 たほう 、エキュメニズム (教会 きょうかい 合同 ごうどう 運動 うんどう )の進展 しんてん が皆無 かいむ というわけではなく、たとえば日本 にっぽん 聖書 せいしょ 協会 きょうかい によって1987年 ねん (昭和 しょうわ 62年 ねん )に刊行 かんこう された『新 しん 共同 きょうどう 訳 やく 聖書 せいしょ 』は、日本 にっぽん におけるカトリック関係 かんけい 者 しゃ とプロテスタント諸派 しょは の関係 かんけい 者 しゃ らの共同 きょうどう 作業 さぎょう によって翻訳 ほんやく され編集 へんしゅう されたものである(ただし新 しん 共同 きょうどう 訳 やく 聖書 せいしょ に日本 にっぽん 正教会 せいきょうかい は参加 さんか していない)。また日本 にっぽん におけるカトリック教会 きょうかい では、2000年 ねん (平成 へいせい 12年 ねん )2月 がつ 15日 にち から日本 にっぽん 聖 せい 公会 こうかい と同 おな じ「主 おも の祈 いの り 」の日本語 にほんご 翻訳 ほんやく が使用 しよう されている[ 31] 。
宗教 しゅうきょう 改革 かいかく 以来 いらい 、プロテスタントから、教皇 きょうこう の首位 しゅい 権 けん ・使徒 しと 継承 けいしょう 性 せい に対 たい して「『聖書 せいしょ 』の曲解 きょっかい 、根拠 こんきょ なき伝承 でんしょう (聖 ひじり 伝 つたえ )に基 もと づくもの」と批判 ひはん されている。同様 どうよう にプロテスタントが『聖書 せいしょ 』に根拠 こんきょ を持 も たないと主張 しゅちょう する「秘跡 ひせき 」や「マリア崇敬 すうけい ・聖人 せいじん 崇敬 すうけい [ 注 ちゅう 13] 」について批判 ひはん を受 う ける。歴史 れきし 的 てき には、カトリック教会 きょうかい が封建 ほうけん 領主 りょうしゅ として君臨 くんりん したこと、宗教 しゅうきょう 改革 かいかく の端緒 たんしょ を開 ひら いたマルティン・ルター によって、聖 せい 遺物 いぶつ 崇敬 すうけい ・贖宥状 じょう (免罪 めんざい 符 ふ )発行 はっこう を批判 ひはん されたが、対抗 たいこう 改革 かいかく によって中止 ちゅうし された。一方 いっぽう 、改革 かいかく の中 なか で原理 げんり 主義 しゅぎ 的 てき 姿勢 しせい が強 つよ まって「禁書 きんしょ 目録 もくろく 」の作成 さくせい がなされたが、このような動 うご きは学問 がくもん の自由 じゆう や言論 げんろん の自由 じゆう を求 もと める学者 がくしゃ と衝突 しょうとつ を招 まね いた。
啓蒙 けいもう 主義 しゅぎ 者 もの にとっては、カトリック教会 きょうかい による社会 しゃかい 生活 せいかつ の支配 しはい は克服 こくふく すべき課題 かだい であった。フランス革命 かくめい ではマクシミリアン・ロベスピエール が宗教 しゅうきょう を廃止 はいし し、「理性 りせい 」(あるいは、「最高 さいこう 存在 そんざい 」)に対 たい する崇拝 すうはい をそれまでの宗教 しゅうきょう に代 か わるものと位置付 いちづ け、「理性 りせい の祭典 さいてん 」を行 おこ なった。このような過程 かてい を経 へ て、カトリック教会 きょうかい は寛容 かんよう 政策 せいさく に転換 てんかん し、信徒 しんと や聖職 せいしょく 者 しゃ が他 た 宗教 しゅうきょう の祭祀 さいし ・儀式 ぎしき に列席 れっせき することも認 みと められるようになった。しかし、21世紀 せいき においても(プロテスタントの保守 ほしゅ 的 てき な教会 きょうかい 同様 どうよう に)胎児 たいじ も含 ふく めた、かけがえのない生命 せいめい を尊重 そんちょう するという崇高 すうこう な理念 りねん に基 もと づき人工 じんこう 授精 じゅせい や妊娠 にんしん 中絶 ちゅうぜつ 、避妊 ひにん 、同性愛 どうせいあい (ただし、同性愛 どうせいあい 的 てき 行為 こうい は禁 きん じられるが、同性愛 どうせいあい 的 てき 性 せい 志向 しこう 自体 じたい は否定 ひてい されない)、ES細胞 さいぼう 研究 けんきゅう への反対 はんたい 姿勢 しせい は変 か えておらず、この点 てん を批判 ひはん されることがある(ただしこれらについては他 た 教派 きょうは やプロライフ の関係 かんけい 者 しゃ にも賛成 さんせい する者 もの がおり、賛成 さんせい 者 しゃ とカトリック教会 きょうかい が連携 れんけい することもある。一 いち 例 れい としてマンハッタン宣言 せんげん を参照 さんしょう )。「妊娠 にんしん 中絶 ちゅうぜつ の支持 しじ 者 しゃ には聖体 せいたい の秘跡 ひせき の授与 じゅよ を制限 せいげん すべきだ」という教会 きょうかい 関係 かんけい 者 しゃ の発言 はつげん が物議 ぶつぎ を醸 かも しており、一種 いっしゅ の教条 きょうじょう 主義 しゅぎ とも揶揄 やゆ されている[誰 だれ ? ] 。
なお、プロテスタントや聖 せい 公会 こうかい の中 なか には“教会 きょうかい 内 ない における女性 じょせい の首位 しゅい 権 けん ”(女性 じょせい 聖職 せいしょく 者 しゃ または女性 じょせい 牧師 ぼくし )を認 みと める教会 きょうかい もあるが、カトリック教会 きょうかい では女性 じょせい は司祭 しさい に叙 じょ 階 かい されない。教義 きょうぎ 上 じょう 、聖職 せいしょく 者 しゃ になれるのは男性 だんせい 信者 しんじゃ に限 かぎ られている。フェミニスト の中 なか にはこれに対 たい する批判 ひはん を行 おこな う者 もの もいるが、カトリック教会 きょうかい 側 がわ はあくまでも教義 きょうぎ に基 もと づく制度 せいど であるから「女性 じょせい 蔑視 べっし 」ではないと説明 せつめい している。また、聖職 せいしょく 者 しゃ には世俗 せぞく の権力 けんりょく は一切 いっさい 存在 そんざい しないので「女性 じょせい 差別 さべつ 」とは言 い いがたい、との説明 せつめい もあるが、国 くに や地域 ちいき 、組織 そしき によっては、聖職 せいしょく 者 しゃ が世俗 せぞく 的 てき な権力 けんりょく 行使 こうし に関 かか わったり、その言動 げんどう が世俗 せぞく の権力 けんりょく に大 おお きな影響 えいきょう を及 およ ぼしたりする例 れい もあり、至当 しとう とは言 い えない。また、かつては女性 じょせい 助祭 じょさい 、旧約 きゅうやく 聖書 せいしょ 時代 じだい には女性 じょせい 預言 よげん 者 しゃ も存在 そんざい したこともあり、この制度 せいど が復活 ふっかつ することがないとは言 い えない。
カトリック教会 きょうかい が影響 えいきょう した出来事 できごと [ 編集 へんしゅう ]
異教徒 いきょうと や非 ひ カトリック圏 けん に対 たい する事柄 ことがら [ 編集 へんしゅう ]
正統 せいとう 派 は 信仰 しんこう と異端 いたん 信仰 しんこう 関連 かんれん [ 編集 へんしゅう ]
バチカンの国家 こっか 財政 ざいせい 管理 かんり を行 おこな う組織 そしき である「宗教 しゅうきょう 事業 じぎょう 協会 きょうかい 」のこと[ 編集 へんしゅう ]
2013年 ねん 5月22日 にち 、独立 どくりつ 機関 きかん の聖 せい 座 ざ 財務 ざいむ 情報 じょうほう 監視 かんし 局 きょく は、2012年 ねん の金融 きんゆう 取引 とりひき において6件 けん のマネーロンダリング の疑 うたが いがあると発表 はっぴょう した。2013年 ねん 6月 がつ 28日 にち には、現金 げんきん 4千 せん 万 まん ユーロ (約 やく 52億 おく 円 えん )を無 む 申告 しんこく でスイスからイタリアに運 はこ ぼうとしたとして、スカラーノ司祭 しさい がイタリア警察 けいさつ に逮捕 たいほ された。2013年 ねん 7月 がつ 1日 にち には、幹部 かんぶ 2人 にん が辞任 じにん に追 お い込 こ まれた事件 じけん があった。
聖職 せいしょく 者 しゃ による児童 じどう への性的 せいてき 虐待 ぎゃくたい 問題 もんだい [ 編集 へんしゅう ]
2002年 ねん 、米国 べいこく 『ボストン・グローブ 』紙 し に報 ほう じられたことをきっかけに、孤児 こじ 院 いん や学校 がっこう 、神学校 しんがっこう での神父 しんぷ による神学 しんがく 生 せい などの未成年 みせいねん 者 しゃ を含 ふく む少年 しょうねん 少女 しょうじょ に対 たい する性的 せいてき 虐待 ぎゃくたい 事件 じけん が世界中 せかいじゅう で発覚 はっかく した。多 おお くの訴訟 そしょう が起 お こされ、多数 たすう の聖職 せいしょく 者 しゃ の失職 しっしょく に繋 つな がった。同時 どうじ にローマ教皇 きょうこう 庁 ちょう による度重 たびかさ なる隠蔽 いんぺい や問題 もんだい の聖職 せいしょく 者 しゃ に対 たい する処分 しょぶん の甘 あま さも明 あか るみになり、教皇 きょうこう 退任 たいにん を求 もと めるデモや、バチカンと教皇 きょうこう を被告 ひこく とした訴訟 そしょう が世界 せかい 各地 かくち で起 お きた。近年 きんねん におけるカトリック教会 きょうかい の評判 ひょうばん の大 おお きな失 しつ 落を招 まね いた。
2010年 ねん 3月、『ニューヨーク・タイムズ 』が、ベネディクト16世 せい 自身 じしん が枢機卿 すうききょう 在任 ざいにん 時代 じだい 、司祭 しさい による虐待 ぎゃくたい 事件 じけん をもみ消 け していたという疑惑 ぎわく を報 ほう じたことにつき教皇 きょうこう 側 がわ が強 つよ く反発 はんぱつ したことから、同年 どうねん 3月28日 にち には英国 えいこく 首都 しゅと ロンドン で教皇 きょうこう の退位 たいい を要求 ようきゅう する抗議 こうぎ デモが行 おこな われた。
また、近年 きんねん 一部 いちぶ の聖職 せいしょく 者 しゃ が児童 じどう に対 たい して性的 せいてき 虐待 ぎゃくたい をしていた事実 じじつ が判明 はんめい し、カトリック教会 きょうかい の一大 いちだい スキャンダルに発展 はってん している。
全般 ぜんぱん 国立 こくりつ 図書館 としょかん 学術 がくじゅつ データベース芸術 げいじゅつ 家 か その他 た