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オートバイ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
自動じどうりんしゃから転送てんそう
自動車じどうしゃ > オートバイ
世界せかいもっとおおくの台数だいすうれているオートバイであるホンダスーパーカブシリーズ。(写真しゃしんはその初代しょだいモデル・1958ねんしき
インド人々ひとびとがオートバイに様子ようす

オートバイとは、原動機げんどうき搭載とうさいした、おも二輪車にりんしゃ和製わせい英語えいごである[1][注釈ちゅうしゃく 1]

日本にっぽんでは自動じどうりんしゃ(じどうにりんしゃ)や単車たんしゃ(たんしゃ)[2][注釈ちゅうしゃく 2]バイク (bike) もおなじものをす。また、車検しゃけん必要ひつよう排気はいきりょう125cc以下いか原動機げんどうきづけ自転車じてんしゃをミニバイクとしょうすることもある。

英語えいごけんではmotorcycleモーターサイクル)またはmotorbikeモーターバイク)、みじか表現ひょうげんする場合ばあいmotoモト)などともばれる[注釈ちゅうしゃく 3]

原動機げんどうきづけりんしゃ構造こうぞう流用りゅうようして製造せいぞうされた、さんりん以上いじょうものトライクぜん地形ちけい対応たいおうしゃなど)も、オートバイの一種いっしゅふくめられる。

概要がいよう

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2つの車輪しゃりん前後ぜんご配置はいちして、ガソリンエンジン電気でんきモーターといった原動機げんどうきによって走行そうこうするものす。自転車じてんしゃ原動機げんどうきそなえたもので、原動機げんどうき動力どうりょくのみで走行そうこうすることができるものもふくめてこのようにぶこともある。

基本きほんてきにはりんのものをしているが、サイドカーそなえてさんりんになっているものや、エンジンりんしゃをベースにして開発かいはつ改造かいぞうされてできた三輪車さんりんしゃおよび、ときよんりんいちりん)も広義こうぎの「オートバイ」にふくめる場合ばあいがある。

呼称こしょう

オートバイというかたアメリカ英語えいごautobike」に由来ゆらいする和製わせい英語えいごである[3]1902ねん明治めいじ35ねん)にアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくからエンジン自転車じてんしゃ「トーマス」が輸入ゆにゅうされた当時とうじ英語えいご同様どうように「モーターサイクル」とばれていたが、1923ねん大正たいしょう12ねん)に月刊げっかんオートバイ』が発売はつばいされて以来いらい、「オートバイ」というかた日本人にっぽんじんひろ認知にんちされるようになったという意見いけんがある[4]

ただし日本語にほんごでは、に「自動じどうりんしゃ[1]」「単車たんしゃ[1]」などともばれている[注釈ちゅうしゃく 4]。「バイク」ともばれる。

なお前述ぜんじゅつ雑誌ざっし『オートバイ』にたいして、ライバルとして月刊げっかんモーターサイクリスト』が存在そんざいしており、かつては『モトライダー』『サイクルワールド』『ビッグバイク』『モトラッド』など、「オートバイ」以外いがい呼称こしょう使用しようしている専門せんもん多数たすう存在そんざいした。日本にっぽん法令ほうれいでは「自動じどうりんしゃ」(や、原動機げんどうき搭載とうさいあきらかにかる文脈ぶんみゃくでは「二輪車にりんしゃ」も)がもちいられる。自動車じどうしゃ検査けんさしょうにおいて「車体しゃたい形状けいじょうめい」として登場とうじょうするケースはある。[注釈ちゅうしゃく 5]

英語えいごたんbikeバイクうとりんしゃ全般ぜんぱんすものの、どちらかというと自転車じてんしゃbicycle[注釈ちゅうしゃく 6]略語りゃくごとして使つかわれる場合ばあいおおいという意見いけんもあるが、1970年代ねんだいごろイギリスには『Bike Magazine』(1971ねん創刊そうかん)や『Classic Bike』(1978ねん創刊そうかん)、またアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくでも『Dirt Bike』(1993ねん創刊そうかん)や『Hot Bike』(1994ねん創刊そうかん)などの雑誌ざっし創刊そうかんされており、くわえてモータースポーツでもスーパーバイク世界せかい選手権せんしゅけん(1988ねん~)やAMAスーパーバイクといった大会たいかいめいがあることからもかるように、1970ねんや1980年代ねんだいでも「bike」という英語えいごは「原動機げんどうき搭載とうさい二輪車にりんしゃ」も「自転車じてんしゃ」も、つまり両方りょうほうしていた。

単車たんしゃ」はサイドカーけたものを「がわしゃき」とぶのにたいして、サイドカーをけていないオートバイ単体たんたい言葉ことばとしてもちいられていたが、サイドカーが希少きしょうなものとなった現在げんざいも「単車たんしゃ」という言葉ことばのこっている。なお、中国ちゅうごくでもりんしゃ意味いみ単車たんしゃという言葉ことば存在そんざいする。川崎かわさき航空機こうくうき工業こうぎょうのちに川崎重工業かわさきじゅうこうぎょう二輪車にりんしゃ部門ぶもんげんカワサキモータース)は、1987ねん5がつ組織そしき改正かいせいまで「単車たんしゃ事業じぎょう」としょうしていた[5]

自動じどうりんしゃについては「原動機げんどうき」を意味いみする「motor」をくわえて「motorbike」、あるいは「motorcycle」とばれることがおおい。

オートバイとスクーターにかんして、区別くべつから包含ほうがん関係かんけいへの変化へんか

なお1988ねん出版しゅっぱんされた百科ひゃっか事典じてんでは「日本にっぽんでは…(中略ちゅうりゃく)…、またスクーターはオートバイの範疇はんちゅうふくめないのがふつうである」とかれたが[6]、2012ねん時点じてんでは、様々さまざま文献ぶんけんやメーカーのホームページにおいて、スクーターも「オートバイ」の範疇はんちゅうふくまれるように変化へんかした、と指摘してきされている[7]

2012ねん時点じてんで、日本にっぽんのオートバイメーカーやオートバイ雑誌ざっしでは、道路どうろ運送うんそう車両しゃりょうほう規定きていされた排気はいきりょう道路どうろ交通こうつうほう規定きていされた車両しゃりょう区分くぶん免許めんきょ区分くぶん、ギアシフトが自動じどう手動しゅどうかによる区分くぶんなどをもちいてオートバイを分類ぶんるいし、「オートバイ」にスクーターるいふくめることが一般いっぱんてきとなっている[注釈ちゅうしゃく 7][8][注釈ちゅうしゃく 8][注釈ちゅうしゃく 9][注釈ちゅうしゃく 10]

普及ふきゅう

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オートバイの普及ふきゅうじょうきょう 2002ねん
あおがオートバイで、水色みずいろよんりん自動車じどうしゃ単位たんいひゃくまんだい。オートバイの台数だいすうおおじゅんでトップから20かこくインド中国ちゅうごく日本にっぽんインドネシアタイイタリア…といったじゅんになっている。人口じんこう赤色あかいろせん(2002ねん)。
2002ねん時点じてん各国かっこくのオートバイとよんりん自動車じどうしゃ保有ほゆう台数だいすう割合わりあいあおがオートバイ。水色みずいろよんりん自動車じどうしゃえんおおきさは人口じんこうあらわす。

20世紀せいき自動車じどうしゃよんりん)とともにオートバイは個人こじん移動いどう手段しゅだんとしておおきく普及ふきゅうした。自動車じどうしゃは2010ねんには10おくだい世界せかい保有ほゆうされており、6.9にんあたり1だい割合わりあいとなっている。 オートバイの保有ほゆう台数だいすう(2011ねんまたは2012ねん)はぜん世界せかいやく2おくから4おく[9]だい推定すいていされており、中国ちゅうごくやく1おくだい(1だいあたり13にん以下いかどう)、インドネシアやく7598まんだい(3にん/だい)、インド5192まんだい(20にん/だい[10]タイ1924まんだい(4にん/だい)、台湾たいわん(中華民国ちゅうかみんこく)1514まんだい(1.5にん/だい[注釈ちゅうしゃく 11])、日本にっぽん1199まんだい(11にん/だい)、マレーシア1059まんだい(3にん/だい)、イタリア858まんだい(7にん/だい)となっている[11]台湾たいわん、インドネシア、マレーシア、タイは普及ふきゅうりつ非常ひじょうたか道路どうろはオートバイであふれている。とりわけ世界せかい人口じんこうやく35%をめるインド・中国ちゅうごく人口じんこうちょう大国たいこくであってそれなりの台数だいすうとなっているが、同時どうじ国土こくど広大こうだいなので、東南とうなんアジアほどのオートバイ天国てんごくではない。

オートバイは中国ちゅうごくやインドでの保有ほゆうりつ向上こうじょう見込みこまれ、世界せかい保有ほゆう台数だいすうは2010ねんやく4おくだいから2030ねんには9おくだいたっすると推定すいていされている[9]統計とうけいてきにはインドと中国ちゅうごくにおけるオートバイの台数だいすう突出とっしゅつしておおい。インドや中国ちゅうごくではオートバイはほとんどが実用じつよう目的もくてき使つかわれている[注釈ちゅうしゃく 12]

中国ちゅうごくでは1985ねん北京ぺきん政府せいふはじめてのオートバイ禁止きんしれい発表はっぴょうされており[12]、2019ねん中国ちゅうごくではやく190のからオートバイ禁止きんしれいている[13]

先進せんしんこく台数だいすう相対そうたいてきちいさいが、こう価格かかくたい車種しゃしゅれており、モータースポーツもさかんで、趣味しゅみ道楽どうらくとしてたのしむひとおおい。

インドや東南とうなんアジア諸国しょこくでも所得しょとく水準すいじゅん向上こうじょうしているので、富裕ふゆうそう中産ちゅうさん階級かいきゅうたんなる移動いどう手段しゅだんとしてではなく趣味しゅみせいたかいオートバイを購入こうにゅうするようになっている。日系にっけいメーカー各社かくしゃもデザインせいたかめた製品せいひん投入とうにゅうするようになっている[14]

2018ねんあらたに販売はんばいされた自動じどうりんしゃは5736まんだいで、前年ぜんねんよりやく6%えた(ヤマハ発動機やまははつどうきによる推計すいけい)。日本経済新聞社にほんけいざいしんぶんしゃ推定すいていによる企業きぎょうべつシェア上位じょういは、1本田技研工業ほんだぎけんこうぎょう(ホンダ)、3ヤマハ発動機やまははつどうき日本にっぽん企業きぎょうが、2と4-5はインド企業きぎょうヒーロー・モトコープバジャージ・オートTVSモーター)がめている[15]

歴史れきし

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(うえ)1885ねんにダイムラーしゃつくったオートバイ・Reitwagenレプリカ
(した)Reitwagen設計せっけい
1885ねん8がつ29にち作成さくせい、メルセデス・ベンツ博物館はくぶつかん

世界せかいのオートバイ

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1863ねんフランス発明はつめいのルイ-ギヨーム・ペローが蒸気じょうき機関きかん動力どうりょくとする二輪車にりんしゃ考案こうあんして特許とっきょ取得しゅとくし、1873ねんオーストリアウィーン開催かいさいされたウィーン万博ばんぱく出品しゅっぴんしたものがオートバイの原型げんけいといわれている。しかし、蒸気じょうき機関きかん時代じだいから実用じつようされていた鉄道てつどう自動車じどうしゃ船舶せんぱくたいしてオートバイや飛行機ひこうきつね動力どうりょく確保かくほしなければ体勢たいせい維持いじできないという共通きょうつう課題かだいがあり、活発かっぱつ開発かいはつ運用うんようがなされるのはゴットリープ・ダイムラーによって内燃ないねん機関きかん発明はつめいがなされてからのことだった[16]1883ねん最初さいしょのガソリン機関きかん製作せいさく成功せいこう1885ねん特許とっきょ取得しゅとく1886ねん実地じっち運転うんてん成功せいこうした[16]補助ほじょきで、かんがかたによってはよんりんしゃともべる車体しゃたい搭載とうさいされたエンジンは、たてがたシリンダー、Fがた配置はいちのバルブ、自動じどうあつしき吸入きゅうにゅうバルブ、ねつかんがた点火てんか装置そうちといった技術ぎじゅつもちいられており、それまでは高性能こうせいのうなガス・エンジンなどでもまいぶん200回転かいてん程度ていどであった回転かいてんすうを、一挙いっきょに4ばいまいぶん800回転かいてん程度ていどまでげた[16]。この排気はいきりょう260cc4ストロークのエンジンは、出力しゅつりょく0.5ps最高さいこう速度そくど6-12km/h程度ていどのものであった[17]。また、当時とうじりんしゃ自転車じてんしゃ)の技術ぎじゅつ開発かいはつがオートバイの開発かいはつ先駆さきがけて活発かっぱつであって、車体しゃたい構成こうせい基礎きそ技術ぎじゅつであるスポークホイールチューブタイヤベアリングチェーンスプロケットハンドルといった技術ぎじゅつ完成かんせいいきたっしていて、それがそのまま転用てんようできた。さらに、ひとがまたがって搭乗とうじょうするので基準きじゅん算出さんしゅつしやすく、車体しゃたい設計せっけい方針ほうしんさだめやすい[注釈ちゅうしゃく 13]といったてんがオートバイの開発かいはつ進度しんどはやめるうえ非常ひじょう有利ゆうりにはたらいた[16]

20世紀せいき初頭しょとうのアメリカでは、マーケル、ポープ、カーチス、ミッチェル、ワグナー、オリエント、ローヤルなどといったオートバイメーカーが存在そんざいし、これにすこおくれてハーレー、インディアン、リーディング・スタンダード、ヘンダーソン、エキセルシャー、エースなどといったメーカーが創立そうりつされた[18]現存げんそんするメーカーによる製品せいひんれいとしては、1903ねん、ウイリアム・ハーレーとアーサー・ダビッドソンによって創業そうぎょうされたハーレーダビッドソンしゃ発売はつばいした、自転車じてんしゃにエンジンを搭載とうさいしたモペッドがなどがげられる。

開発かいはつ活発かっぱつおこなわれていたオートバイにたいして、どう時期じき発生はっせいした飛行機ひこうき技術ぎじゅつ開発かいはつは、どう1903ねんライト兄弟きょうだいによって動力どうりょく飛行ひこう成功せいこうしてからも産業さんぎょうにまで拡大かくだいされるにはさらなる時間じかんようした[19]飛行機ひこうき黎明れいめいにあっては、航空機こうくうき必要ひつようとされる小型こがた軽量けいりょうなエンジンという条件じょうけんは、鉄道てつどう船舶せんぱくなど小型こがたよりこう出力しゅつりょく優先ゆうせんする内燃ないねん機関きかんとはコンセプトがことなっていたので、同様どうよう大型おおがたむずかしく、さきんじて開発かいはつすすんでいたオートバイの技術ぎじゅつから転用てんようされるものがすくなくなかった[19]。なかには、フランスのアンザーニしゃなどオートバイの製造せいぞうおこなっていた企業きぎょうなか航空機こうくうきエンジン開発かいはつ着手ちゃくしゅするものもあらわれた。アンザーニしゃ開発かいはつしたWがたさん3気筒きとうエンジンは、出力しゅつりょく25ps、パワーウェイトレシオ2.5ps/kgを発生はっせいし、これをんだブレリオ単葉たんよう飛行機ひこうき1909ねんドーバー海峡かいきょう横断おうだん成功せいこうした[19]1907ねんには競技きょうぎかいとしてマンとうにおけるオートバイレース開催かいさいされており、そこではデイしき2ストローク機関きかんエンジン小型こがたてきした特性とくせい利用りようしたスコットしき2ストロークガソリンエンジンを搭載とうさいしたオートバイが4ストロークエンジンとならんで注目ちゅうもくあつめた[16]

飛行機ひこうきさきんじて開発かいはつおこなわれていたオートバイであったが、直後ちょくご発生はっせいするだいいち世界せかい大戦たいせん(1914ねん-1918ねん)において飛行機ひこうき有用ゆうようせい認識にんしきされ、国家こっか規模きぼでこの開発かいはつおこなわれるようになったために、その立場たちばぎゃくにする[19]。オートバイから転用てんようされた諸々もろもろ技術ぎじゅつ[注釈ちゅうしゃく 14]は、それを下地したじとして飛行機ひこうき分野ぶんや技術ぎじゅつ革新かくしんおこなわれ、以降いこうレシプロエンジン開発かいはつ花形はながた動力どうりょくジェットエンジン移行いこうするまで飛行機ひこうきであり、ぎゃく輸入ゆにゅうされるようなかたちでオートバイにさい転用てんようされることとなった[19]

それまでのオートバイは、アメリカのブリッグス・ストラットンしゃ開発かいはつしたスミスモーター[注釈ちゅうしゃく 15]という自転車じてんしゃ装着そうちゃくする動力どうりょく装置そうちのような機構きこう簡便かんべんさから一定いってい評価ひょうかていたが、車軸しゃじくたいして推進すいしん装置そうちがずれていることや部品ぶひん精度せいどひくいために、速度そくどがるとハンドルがれだすといった状況じょうきょうであった。始動しどう容易よういにするために圧力あつりょく開放かいほうするデコンプレッサーが装着そうちゃくされているなど、快適かいてきせいたいする試行錯誤しこうさくごはみられるものの、始動しどう方式ほうしきしがけクラッチ変速へんそくフロントブレーキ装着そうちゃくされていなかったので[注釈ちゅうしゃく 16]運用うんよう転倒てんとうせずに走行そうこうするにはたか技術ぎじゅつ要求ようきゅうされた。また、キャブレターぬのにガソリンをませ、そこを空気くうきとおることによって混合こんごうつくるといった非常ひじょう原始げんしてきなものであった[19]くわえて、メーカーによる独自どくじ規格きかく乱立らんりつし、操縦そうじゅう方法ほうほうちがいが顕著けんちょであった。代表だいひょうてきれいではアメリカのハーレーとインディアンのあいだではおな動作どうさをするための装置そうち左右さゆうぎゃく装着そうちゃくされているなど、他社たしゃ製品せいひん操作そうさするためにはまたあらたな技能ぎのう習得しゅうとく必要ひつようであった[18]

だいいち世界せかい大戦たいせんでは、オートバイは戦闘せんとう従事じゅうじする各国かっこく軍隊ぐんたいにおいて通信つうしん斥候せっこうようとして運用うんようされた。これにくわえ、敵陣てきじんむために鉄板てっぱんなどで周囲しゅういおおった装甲そうこうオートバイも考案こうあんされた。しかし、オートバイの装甲そうこう小回こまわりがきくオートバイの利点りてんおも装甲そうこうによってうしなわれたうえてきじゅう火力かりょくにはあまりにも脆弱ぜいじゃくだったので早々そうそう断念だんねんされ、兵器へいきとして発展はってんすることはなかった。なお、同様どうよう発想はっそうもとづくオートバイの兵器へいきは、やく100ねんにロシアぐんウクライナ戦線せんせんふたたこころみるが成功せいこうするにはいたらなかった[20]だい世界せかい大戦たいせん(1939ねん-1945ねん)では、オートバイはサイドカーけた将校しょうこう移動いどう手段しゅだんや、偵察ていさつ部隊ぶたいなどの機動きどう部隊ぶたい装備そうびとして利用りようされた。

だい世界せかい大戦たいせんには、日本にっぽん航空機こうくうきなどを製造せいぞうしていたメーカーがオートバイ製造せいぞう参入さんにゅうし、コストパフォーマンスたか製品せいひん輸出ゆしゅつして市場いちば拡大かくだいした。とくにアジアけんでは商用しょうようてい価格かかくモデルを中心ちゅうしんにシェアがたかい。ヨーロッパの伝統でんとうてきなブランドは趣味しゅみせいたか高級こうきゅう路線ろせんにシフトすることでけをはかったが、日本にっぽんメーカーが高性能こうせいのうモデルを発売はつばいしたので競合きょうごうするようになった。

中国ちゅうごくでは国内こくない多数たすうのメーカーが存在そんざいし、庶民しょみんものとして自転車じてんしゃともにオートバイが利用りようされていたが、近年きんねんでは環境かんきょう規制きせい強化きょうかによって排出はいしゅつ規制きせい厳格げんかくされ、ガソリンエンジンを搭載とうさいしたオートバイの保有ほゆう乗入のりいれが禁止きんしされた都市としきんげん」の指定していえている[21]上海しゃんはいなどの大都市だいとしではガソリンエンジンを搭載とうさいするオートバイはナンバープレート発行はっこうに450まんえんという懲罰ちょうばつてき金額きんがくされることや、電動でんどうオートバイや電動でんどう自転車じてんしゃのレンタル・充電じゅうでん設備せつび各所かくしょ設置せっちされていて利便りべんせいたかいので、都市としでは電動でんどう事実じじつじょう完了かんりょうしている[22]

韓国かんこく都市としでは、道路どうろ事情じじょう運賃うんちんひくいバス路線ろせん発達はったつしているので、オートバイは市民しみん移動いどう手段しゅだんとしてはほとんどもちいられないが、普通ふつう自動車じどうしゃ運転うんてん免許めんきょで125ccまで運転うんてんできるのでアルバイト配達員はいたついんがオートバイでデリバリーする文化ぶんか(ペダル文化ぶんか)が発達はったつしており、日本にっぽんせいのオートバイがおお利用りようされている[23]国内こくないメーカーはデーリムモーターS&Tモータースの2しゃ大手おおてであるが、日本にっぽんをはじめとした輸入ゆにゅうしゃのほうがシェアがたかい。

2020年代ねんだいには世界せかいてき環境かんきょう規制きせい強化きょうかによって電気でんき自動車じどうしゃ普及ふきゅうすると予想よそうされており、オートバイでも電動でんどうすすんでいる[24][25]

日本にっぽんのオートバイの歴史れきし

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三共さんきょうによって生産せいさんされていた「りくおう
富士産業ふじさんぎょう戦後せんごまもなく生産せいさんしたラビットスクーター
カブFがた
日本にっぽんのオートバイが世界せかい通用つうようすることを証明しょうめいしたホンダ・ロードレーサー RC142

日本にっぽんにおける最古さいこのオートバイの記録きろくとしては、明治維新めいじいしんによる近代きんだいすすめられるなかで、1898ねん明治めいじ31ねん)にむらさき義彦よしひこたてて、製作せいさくした車輌しゃりょう写真しゃしんのこされているが[注釈ちゅうしゃく 17]明治めいじにはオートバイは道楽どうらくといった認識にんしきで、富国強兵ふこくきょうへい国是こくぜした国産こくさんすすめられたほか産業さんぎょう比較ひかくすると特別とくべつ注力ちゅうりょくがなされることはなかった[18]。そのため、わずかながらひとれるようになりだしたオートバイはほぼすべてが輸入ゆにゅうしゃであり、開発かいはつ製造せいぞう個人こじん小規模しょうきぼおこなわれるにすぎなかった。

1909ねん明治めいじ42ねん)に島津しまつならぞうはつ国産こくさんしゃであるNSごう製造せいぞう[26]。その1910ねん明治めいじ43ねん)に山田やまだもりかんドイツのNSU製品せいひん輸入ゆにゅう販売はんばい)や山口やまぐち勝蔵かつぞうてんイギリストライアンフ、アメリカのインディアンの輸入ゆにゅう販売はんばい)といったオートバイ専門せんもん輸入ゆにゅうしょう創立そうりつされ、1917ねん大正たいしょう6ねん)に大倉商事おおくらしょうじがハーレーの輸入ゆにゅう開始かいしした[注釈ちゅうしゃく 18]。その島津しまつならぞうはいったん航空こうくう業界ぎょうかい転身てんしんし、9気筒きとう回転かいてんがた空冷くうれい80馬力ばりきエンジンを帝国ていこく飛行ひこう協会きょうかいでのコンテストに出品しゅっぴんして1とう受賞じゅしょうするなどの実績じっせきのこした[18]三井物産みついぶっさん取締役とりしまりやくつとめたやま本条ほんじょう太郎たろうにより、その当時とうじ航空こうくう事業じぎょうはもはや個人こじん運営うんえいできる規模きぼ太刀打たちうちできる産業さんぎょうではない、といった助言じょげんけて自動車じどうしゃ学校がっこう設立せつりつするも、大阪おおさかそう台数だいすう200だい時代じだいにあって4年間ねんかんで300めいのエンジニアを輩出はいしゅつするなど迷走めいそうし、自動車じどうしゃ学校がっこう1922ねん大正たいしょう11ねん)に閉鎖へいさにあう[18]。こうした紆余曲折うよきょくせつのちにオートバイ開発かいはつ復帰ふっきし、航空こうくう業界ぎょうかいつちかった技術ぎじゅつ応用おうようしたエーロ・ファーストごうを3ねん完成かんせいさせる。搭載とうさいされた633cc、4ストロークサイドバルブたん気筒きとうエンジンは6.5ps、最高さいこう速度そくど40km/hを実現じつげんした[18]。このまま事業じぎょう画策かくさくしていたが、世界せかい情勢じょうせい悪化あっかやニューヨーク株式かぶしき市場いちば暴落ぼうらくはしはっする世界せかい恐慌きょうこうきょうによる影響えいきょうから計画けいかく難航なんこうし、1930ねん昭和しょうわ5ねん)には廃業はいぎょう余儀よぎなくされる[18]結局けっきょく日本にっぽんはじめてオートバイの量産りょうさん商品しょうひん実現じつげんされるのは1933ねん昭和しょうわ8ねん)のアサヒごうAがたであった[18]。この車両しゃりょう1914ねん大正たいしょう3ねん)に宮田みやた製作所せいさくしょ製作せいさくし、一部いちぶが「くろバイ」として警察けいさつ納入のうにゅうされていた車両しゃりょう発展はってんさせたもので、2ストローク175cc、たん気筒きとうエンジンを搭載とうさい最大さいだい出力しゅつりょくは5psだった。翌年よくねん1934ねん昭和しょうわ9ねん)に増加ぞうか試作しさく13だい翌々年よくよくねん1935ねん昭和しょうわ10ねん)4がつから量産りょうさん体勢たいせいはいり、販売はんばい価格かかく標準ひょうじゅんひん340えん特級とっきゅうひん370えんで、生産せいさんりょうは1937ねん昭和しょうわ12ねん)から1939ねん昭和しょうわ14ねん)の期間きかん月産げっさん150だい製造せいぞうしていた[18]

以後いごだい世界せかい大戦たいせんした日本にっぽんで「りくおう」のみが生産せいさんされるようになるまでには、「りくおう」のほかに「アサヒごう」「JACごう[注釈ちゅうしゃく 19]」「SSDごう[注釈ちゅうしゃく 20]」「あいこくごう[注釈ちゅうしゃく 21]」「キャブトン[注釈ちゅうしゃく 22]」「リツリンごう[注釈ちゅうしゃく 23]」「くろがねごう[注釈ちゅうしゃく 24]」「メグロごう[注釈ちゅうしゃく 25]」などが存在そんざいしていた[18]

戦況せんきょう長期ちょうき悪化あっかによってオートバイ産業さんぎょう軍需ぐんじゅひん製造せいぞう転換てんかんせねばならなくなり、りくおう内燃ないねんだけがオートバイを製造せいぞうしていた。同社どうしゃ三共さんきょう系列けいれつ企業きぎょうであり、1931ねん昭和しょうわ6ねん)にハーレー・ダビッドソンの輸入ゆにゅう販売はんばいぎょうとして設立せつりつされた[18]。その国産こくさんながれのなか同社どうしゃ専務せんむつとめた永井ながい信二郎しんじろう生産せいさん体制たいせい確立かくりつするためにアメリカ、ミルウォーキーのハーレー・ダビッドソン工場こうじょう設備せつび調達ちょうたつのため渡米とべいする。本国ほんごくアメリカからエンジニアを招聘しょうへいし、100めい程度ていど従業じゅうぎょういん機械きかい設備せつびととのえて、1935ねん昭和しょうわ10ねん)に自社じしゃ生産せいさんのハーレー・ダビッドソンが品川しながわ工場こうじょうはじめて完成かんせいした[18]りくおう名称めいしょう由来ゆらい永井ながい信二郎しんじろう母校ぼこうである慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがくの『わか』のフレーズ「りく王者おうじゃ」にちなんでつけられたという[18]。しかし次第しだい十分じゅうぶん資材しざい確保かくほむずかしくなり、1937ねん昭和しょうわ12ねんごろから製造せいぞうおこなっていた帝国ていこく陸軍りくぐんよう九七式側車付自動二輪車1943ねん昭和しょうわ18ねん)には月産げっさん90だい程度ていど製造せいぞうされていたが、戦争せんそう末期まっきには月産げっさん50だい減少げんしょうした[18]

だい世界せかい大戦たいせん終戦しゅうせん日本にっぽん軍用ぐんよう軍用ぐんようしゃ製造せいぞうしていた企業きぎょうアメリカぐん中心ちゅうしんとして連合れんごう国軍こくぐん占領せんりょう政策せいさく実行じっこうしたGHQ(SCAP)によって航空機こうくうき自動車じどうしゃ製造せいぞう禁止きんしされ、所属しょぞくしていた技術ぎじゅつしゃたちはその技術ぎじゅつかすもとめていた[27]一式いっしきせんはやぶさよんしきせん疾風しっぷうといった陸軍りくぐんられる中島なかじま飛行機ひこうき源流げんりゅうち、戦後せんご解体かいたい平和へいわ産業さんぎょう転換てんかんさせられた富士産業ふじさんぎょう(のSUBARU)もその1つであったが、1945ねん昭和しょうわ20ねん当時とうじ日本にっぽん駐留ちゅうりゅうしていた連合れんごうぐんんだアメリカのパウエルしきやイギリスのコルギしきといったスクーター簡素かんそ車体しゃたいが、材料ざいりょう十分じゅうぶん確保かくほできない状況じょうきょうつくれる製品せいひんとして富士産業ふじさんぎょう技術ぎじゅつしゃ関心かんしんあつめ、規制きせいゆるかったオートバイ業界ぎょうかい技術ぎじゅつしゃ流入りゅうにゅうはじめたためである[27]。しかしながら敗戦はいせんこうあいだもない日本にっぽん国内こくないでは開発かいはつはじまったものの材料ざいりょう不足ふそくでさらに材料ざいりょう調達ちょうたつ自体じたいがほぼ不可能ふかのうちかいという状況じょうきょう非常ひじょう深刻しんこくで、一時いちじ海軍かいぐんである「銀河ぎんが」のをタイヤに転用てんようしたり、ピストン周辺しゅうへんダットサン部品ぶひん流用りゅうようしたりするなど、新規しんき部品ぶひんすら製造せいぞうできない状況じょうきょうなか試作しさくひんつくられた[27]1946ねん昭和しょうわ21ねん)のなつ試作しさく完成かんせいし、同年どうねん11がつからラビットスクーターS1として発売はつばいされた。定価ていかは11,000えん程度ていどであった。これは交通こうつう不便ふべん終戦しゅうせん直後ちょくごにあって歓迎かんげいされ、月産げっさん300だいから500だい程度ていど生産せいさんされることとなった[27]

それから半年はんとしきゅう三菱重工業みつびしじゅうこうぎょうけいちゅう日本にっぽん重工じゅうこう(実質じっしつ三菱自工みつびしじこう[注釈ちゅうしゃく 26])はアメリカのサルスベリーしきをモデルにシルバーピジョン開発かいはつし、これら2だい終戦しゅうせん直後ちょくご日本にっぽんせいスクーターの双璧そうへきとなった<[27]。ラビットが好調こうちょうきをせ、戦前せんぜんのオートバイメーカーも製造せいぞう再開さいかい目指めざなか1948ねん昭和しょうわ23ねん)に発足ほっそくした日本にっぽん小型こがた自動車じどうしゃ工業こうぎょうかいによりGHQ官庁かんちょうとの交渉こうしょう様々さまざま規制きせい撤廃てっぱい成功せいこうし、オートバイ産業さんぎょう有望ゆうぼうであるとの認識にんしきひろまり、新規しんき参入さんにゅうするメーカーもおおあらわれた[27]新明和しんめいわ興業こうぎょう昌和まさかずなど名前なまえのこ企業きぎょう存在そんざいしたが、社名しゃめいかかげながら実状じつじょうとしては自転車じてんしゃ軒先のきさきつきすうだい製造せいぞうする程度ていど個人こじんてんおおかった。1953ねんには113しゃ参入さんにゅうして製造せいぞう会社かいしゃすう全盛期ぜんせいきむかえるが、1955ねん経済けいざいきょう直面ちょくめんすると既存きそんのメーカーをふくむ137しゃ撤退てったい技術ぎじゅつりょく資金しきんともなわない業者ぎょうしゃ一気いっき淘汰とうたされた[28]

一方いっぽうスクーター高額こうがく購入こうにゅうすることができなかったそう中心ちゅうしん自転車じてんしゃよう補助ほじょ動力どうりょく、バイクモーターの需要じゅようたかまり、みづほ自動車じどうしゃ製作所せいさくしょがビスモーター[注釈ちゅうしゃく 27]発売はつばいし、本田技研工業ほんだぎけんこうぎょう日本にっぽん陸軍りくぐんはらげの軍事ぐんじ無線むせんよう小型こがたエンジン[注釈ちゅうしゃく 28]をベースに開発かいはつかさね、のちホンダ・カブFがた通称つうしょう「バタバタ」)を1952ねん昭和しょうわ27ねん)に発売はつばいする[29]。こういったバイクモーターの流行りゅうこう商機しょうき見出みいだし、スズキもオートバイ製造せいぞう開始かいしした。

群雄割拠ぐんゆうかっきょ時代じだいにあって名前なまえるにはレース活動かつどう典型てんけいで、1950ねん昭和しょうわ25ねんごろ復活ふっかつはじめたレースはこういったメーカーの競争きょうそうとして利用りようされるようになっていった[27]当時とうじオートレースじょう存在そんざいしていたがサーキット存在そんざいせず、レースは最初さいしょ競馬けいばじょう運動うんどうじょう、のちに公道こうどうおこなわれるようになっていった[27]。まず口火くちびったのは1953ねん昭和しょうわ28ねん3月21にちおこなわれた名古屋なごやTTレース浜松はままつ静岡しずおかあいだレース、富士山ふじさん本宮ほんぐう浅間あさま大社たいしゃから富士宮ふじのみや登山とざんどうを2ごうまで走破そうはする富士ふじ登山とざんレース、そして国内こくないレースの最高峰さいこうほうとして浅間あさま火山かざんレースなどがおこなわれるようになった[30]戦中せんちゅう戦闘せんとうようプロペラなどを製造せいぞうしていたヤマハ設備せつび平和へいわてき利用りよう方法ほうほうとしてオートバイ製作せいさく着手ちゃくしゅ後発こうはつメーカーである知名度ちめいどひくさをこうしたレースでたかめようと、YA-1浅間あさま火山かざんレースへ参加さんかさせ、125ccクラスで上位じょうい独占どくせんするといった功績こうせきのこした。こうしてレース活動かつどうねつびるにつれ、高速こうそく走行そうこうてきさず、指示しじ標識ひょうしきりない不十分ふじゅうぶんなコースや警察けいさつとの連携れんけい不足ふそく問題もんだいになり、専用せんようのコース新設しんせつもとめるこえこたえるかたち浅間あさま高原こうげん自動車じどうしゃテストコース開設かいせつへと業界ぎょうかいうごした[30]当時とうじ国産こくさんしゃるとホンダ・カブFがたで50cc1ps/3,500rpm、シルバーピジョンは150cc3馬力ばりきたいするドイツせいオートバイ、クライドラーK50は50ccで2.5ps/5,000rpmを発揮はっき[注釈ちゅうしゃく 29]国産こくさんオートバイにたい海外かいがいせいオートバイの性能せいのう圧倒的あっとうてきで、こうしたレース活動かつどう名前なまえ目的もくてきのほか、海外かいがいのオートバイにいつく技術ぎじゅつ開発かいはつすすめるとしても活躍かつやくした[27]

こうしてオートバイはたんなる移動いどう手段しゅだんではないという認識にんしきひろまりだすと、当時とうじ好景気こうけいきあいまって消費しょうひしゃによる峻別しゅんべつはじまった。三種さんしゅ神器じんぎばれる電化でんか製品せいひん家庭かていひろがりをせるなか最低限さいていげん移動いどう手段しゅだんとして提案ていあんされたバイクモーターの需要じゅようはなくなり、これらの製品せいひんしゅとして製造せいぞうしていたメーカーがまず打撃だげきけた[29][注釈ちゅうしゃく 30]。あるいは戦前せんぜん戦後せんごでオートバイの流行りゅうこうおおきくわったことも影響えいきょうおおきく、戦前せんぜんにおいてはアメリカンが人気にんきであったが、戦後せんごになりイギリスやドイツなどの車両しゃりょう人気にんきとなり、戦後せんご勃興ぼっこうしたメーカーにくらべ、戦前せんぜんから存在そんざいしたメーカーほどこの流行りゅうこうらえた車両しゃりょう開発かいはつかるのがおくれた[31][注釈ちゅうしゃく 31]。また、当時とうじ流行りゅうこうであったトライアンフやDKWなどのヨーロッパせい車両しゃりょう外観がいかんすものの、ただ鈍重どんじゅうなだけで走行そうこう性能せいのうともなわない車両しゃりょう製造せいぞうしていたメーカーは、レースにおける実績じっせきうらづけされた車両しゃりょうくらべてえらばれることはなかった。くわえて、戦後せんご統制とうせいであっても自分じぶんたち技術ぎじゅつ設備せつび行使こうしできる分野ぶんやとして、規制きせいゆるかったためにオートバイ産業さんぎょうえらんだメーカーには、統制とうせいかれたことや好景気こうけいきけて、本業ほんぎょう復帰ふっき、あるいは産業さんぎょう商機しょうきもとめて転業てんぎょうする企業きぎょうすくなくなかった[32][注釈ちゅうしゃく 32]目黒めぐろ製作所せいさくしょ1960ねん昭和しょうわ35ねん)に業績ぎょうせき悪化あっかから川崎重工かわさきじゅうこうとの提携ていけいおこなうものの改善かいぜんせず、1964ねん昭和しょうわ39ねん)にそのまま吸収きゅうしゅうされるかたち戦前せんぜんからつづいていた企業きぎょうすべ消滅しょうめつすることとなった[31]

こうした過当かとう競争きょうそうは、販売はんばい車両しゃりょう性能せいのう向上こうじょう量産りょうさん体勢たいせい拡大かくだいへとつながっていく。1958ねん昭和しょうわ33ねん)に発売はつばいされたスーパーカブ対抗たいこう車種しゃしゅが2.5ps程度ていど時代じだい空冷くうれい4ストロークOHV49ccエンジンから4.5psを発揮はっきし、なおかつ55,000えんてい価格かかくで、当時とうじ事業じぎょう規模きぼおおきくえるほどの月産げっさん5まんだい標榜ひょうぼうし、業界ぎょうかい構造こうぞうおおきくえた[32]有力ゆうりょくメーカーはどう価格かかくたい対抗たいこう車種しゃしゅ販売はんばいし、対抗たいこうしうる性能せいのう販売はんばい体制たいせい実現じつげんできない企業きぎょう撤退てったい余儀よぎなくされた[32]1959ねん昭和しょうわ34ねん)、このいきおいそのままに、ホンダは独自どくじ精密せいみつ加工かこう技術ぎじゅつかした並列へいれつ気筒きとうエンジン採用さいようしてマンとうTT参戦さんせんし、1961ねん昭和しょうわ36ねん)に優勝ゆうしょう達成たっせいする[33]外国がいこくせいオートバイの後塵こうじんはいつづけてきた日本にっぽんのオートバイが世界一せかいいちになった瞬間しゅんかんであった。ホンダの偉業いぎょうけじと国内こくない各社かくしゃ相次あいついでロードレース世界せかい選手権せんしゅけん参加さんかはじめ、日本にっぽんしゃ国際こくさい舞台ぶたいでの勝利しょうり常態じょうたいする[33]よく1962ねん昭和しょうわ37ねん)に国内こくないはつ全面ぜんめん舗装ほそうのサーキットとして完成かんせいした鈴鹿すずかサーキットでロードレース世界せかい選手権せんしゅけん開催かいさいされ、このとしのマニュファクチャラーズ・ランキングでは5部門ぶもんちゅう4部門ぶもん日本にっぽんぜいせいする。こうした権威けんいあるレースでの実績じっせき日本にっぽんせいオートバイの輸出ゆしゅつすすめ、日本にっぽんはオートバイ大国たいこく仲間入なかまいりをたした。

日本にっぽんにおけるオートバイの生産せいさん台数だいすうおよび輸出ゆしゅつ台数だいすう推移すいい[33]
年度ねんど 生産せいさん台数だいすう 輸出ゆしゅつ台数だいすう 輸出ゆしゅつ比率ひりつ 輸出ゆしゅつ金額きんがく
1963 (昭和しょうわ38) 1,926,970 400,385 20.8 69,308
1964 (昭和しょうわ39) 2,110,335 592,739 28.1 101,630
1965 (昭和しょうわ40) 2,212,784 868,754 39.3 163,033
1966 (昭和しょうわ41) 2,447,391 976,360 39.9 180,358
1967 (昭和しょうわ42) 2,241,847 944,168 42.1 143,406
1968 (昭和しょうわ43) 2,251,335 1,136,636 50.5 184,312
1969 (昭和しょうわ44) 2,576,873 1,298,866 50.4 230,902
1970 (昭和しょうわ45) 2,947,672 1,737,602 58.9 370,327
1971 (昭和しょうわ46) 3,400,502 2,278,513 67.0 569,028
1972 (昭和しょうわ47) 3,565,246 2,437,185 68.4 774,608
1973 (昭和しょうわ48) 3,763,127 2,492,147 66.2 958,394
1974 (昭和しょうわ49) 4,509,420 3,240,466 71.9 1,473,434
1975 (昭和しょうわ50) 3,802,547 2,690,801 70.8 1,241,415
1976 (昭和しょうわ51) 4,235,112 2,922,254 69.0 1,294,894
1977 (昭和しょうわ52) 5,577,359 3,916,197 70.2 1,966,411
1978 (昭和しょうわ53) 5,999,929 3,749,415 62.5 2,166,193
日本にっぽんにおけるオートバイの輸出ゆしゅつ金額きんがく推移すいい[33]
輸出ゆしゅつ金額きんがくせんドル) 69,308 101,630 163,033 180,358 143,406 184,312 230,902 370,327 569,028 774,608 958,394 1,473,434 1,241,415 1,294,894 1,699,411 2,166,193
年度ねんど 1963
(昭和しょうわ38)
1964
(S39)
1965
(S40)
1966
(S41)
1967
(S42)
1968
(S43)
1969
(S44)
1970
(S45)
1971
(S46)
1972
(S47)
1973
(S48)
1974
(S49)
1975
(S50)
1976
(S51)
1977
(S52)
1978
(S53)

しかし、モータリゼーション到来とうらいとともに自動車じどうしゃ実用じつようてきものとして普及ふきゅうすると、オートバイは一部いちぶ業務ぎょうむようのぞいて趣味しゅみものとしてあつかわれるようになり、販売はんばい台数だいすう頭打あたまうちになった。1980年代ねんだい前半ぜんはんになると、ヤマハが業界ぎょうかい1をホンダからうばおうとして、日本にっぽんのみならずアメリカをも舞台ぶたいにしてHY戦争せんそうきた。この競争きょうそうのなかで、ラインナップがえるとともに価格かかく競争きょうそうすすみ、さらに1980年代ねんだい後半こうはんからは好景気こうけいきバブル景気けいき)もかさなり、1990年代ねんだい前半ぜんはんにかけて日本にっぽんにバイクブームがおとずれた。しかし、このバイクブームから暴走ぼうそうぞく全国ぜんこく各地かくちえ、危険きけん走行そうこう騒音そうおん交通こうつう事故じこ社会しゃかい問題もんだいとなった。それによってさんない運動うんどう代表だいひょうされるような「バイク=危険きけんもの暴走ぼうそうぞく」という社会しゃかい認識にんしきつよくなり、バブル崩壊ほうかいともにバイクブームも急速きゅうそく終息しゅうそくかった。

1990年代ねんだい東南とうなんアジアを中心ちゅうしんとする発展はってん途上とじょうこく市場いちば拡大かくだいし、2000年代ねんだいには海外かいがいでの日本にっぽん国内こくない車種しゃしゅ生産せいさん増加ぞうかした。

21世紀せいき国内こくない需要じゅようは、原動機げんどうきづけ自転車じてんしゃからよんりんしゃへの消費しょうひしゃのシフトや、都市としでの路上ろじょう駐車ちゅうしゃまり強化きょうかはいガス規制きせい強化きょうかきょうなどにともない、ピークたいして市場いちば大幅おおはば縮小しゅくしょうこった。またさんない運動うんどう後遺症こういしょうもしばしば言及げんきゅうされており、ホンダ社長しゃちょう八郷やさと隆弘たかひろは、「82ねんには328まんだいだった日本にっぽん二輪車にりんしゃ市場いちばが、2018ねんには8ぶんの1にまで減少げんしょうしたおおきな要因よういんとして『さんない運動うんどう』がおおきく影響えいきょうしている」とべている[34]

2020年代ねんだいごろより国内こくないメーカーでは需要じゅよう減少げんしょう世界せかいてき環境かんきょう規制きせい強化きょうか対応たいおうするため、電動でんどうオートバイ普及ふきゅうけてうごいているが、電気でんき自動車じどうしゃのような充電じゅうでん規格きかくあらそ[35]ふせぐため共通きょうつうなど協調きょうちょう路線ろせんうごいている[24][36]

業界ぎょうかい団体だんたいとしては、日本にっぽん自動車じどうしゃ工業こうぎょうかい自工会じこうかい)がバイクも所管しょかんするほか、バイクにとくした日本にっぽん二輪車にりんしゃ普及ふきゅう安全あんぜん協会きょうかいきょう)がある。大手おおて4しゃ国内こくない販売はんばい台数だいすうは1982ねんやく328まんだいをピークに、2015ねんやく37まんだいった。このため業界ぎょうかい団体だんたいかくメーカー、部品ぶひんであるタイヤ製造せいぞうするブリヂストン中古ちゅうこしゃ販売はんばいバイクおう&カンパニーといった流通りゅうつう企業きぎょう需要じゅよう喚起かんきんでおり、若者わかもののバイクばなれに歯止はどめをかけるためアニメ(『ばくおん!!』)のコラボも展開てんかいしている。日本にっぽんでは8がつ19にちが「バイクの」とされている[37]

趣味しゅみものとしての需要じゅよう減少げんしょうしたものの、配達はいたつ業務ぎょうむでの用途ようと依然いぜんとして根強ねづよい。また、緊急きんきゅう機動きどうせい見直みなおされて、救急きゅうきゅう消防しょうぼうでの利用りようあらたに着目ちゃくもくされている。

オートバイ製造せいぞうたずさわった日本にっぽん企業きぎょう

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日本にっぽんのオートバイメーカーや工場こうじょうは、戦後せんご復興ふっこう移動いどう手段しゅだんとしてのたか需要じゅようから、おおくの零細れいさい企業きぎょう参入さんにゅうしたが技術ぎじゅつ価格かかく競争きょうそう激化げきかにより大手おおてメーカーが有利ゆうりとなり、零細れいさいのみらなず中小ちゅうしょうメーカーもえていった。2021ねん現在げんざいでは、ホンダヤマハスズキカワサキの4しゃ収束しゅうそくしている[24]

基本きほん構造こうぞう

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オートバイの構造こうぞうは、その歴史れきしのなかで様々さまざま形態けいたいあらわれ、変遷へんせんしてきた。ここでは現在げんざい市販しはんされているりんのオートバイとして一般いっぱんてきなものをしめす。したがって、いくつかの車種しゃしゅには例外れいがいがあり、とくさんりんのものについては構造こうぞうおおきくことなるれいもある。

オートバイの構成こうせい要素ようそ機能きのうおおきくけると、フレーム、エンジンクラッチトランスミッション(ギアボックス)、タイヤホイールブレーキサスペンションなどに大別たいべつされる[6]

前後ぜんご役割やくわりとしては前輪ぜんりん操舵そうだこう駆動くどう一般いっぱんてきであるが、前輪ぜんりん操舵そうだ駆動くどう両方りょうほうになうものもある[注釈ちゅうしゃく 33]。エンジンの位置いち前輪ぜんりんこうあいだ搭載とうさいされるものが一般いっぱんてきである。前輪ぜんりん駆動くどうのものはフロントホイールない(インホイールエンジン)やフロントフォークに搭載とうさいされる。エンジンが発生はっせいした出力しゅつりょくはまず1だん減速げんそくされたのちに、クラッチを変速へんそくつたえられる[6]

運転うんてん操作そうさは、みぎグリップがスロットルみぎレバーがまえブレーキみぎペダルがこうブレーキ、ひだりレバーがクラッチ、ひだりペダルがギアチェンジという構成こうせい現在げんざいでは一般いっぱんてきである。ただし、イギリスしゃでは伝統でんとうてき右足みぎあしでギアチェンジ、左足ひだりあしのちブレーキ操作そうさおこな車種しゃしゅおおく、一時期いちじき燃料ねんりょうタンクのひだりわき操作そうさするシフトレバーがある車種しゃしゅおおかった。

スクーターかんしては、構造こうぞう操作そうさなどに特徴とくちょうがある。

エンジン

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エンジンは通常つうじょう車体しゃたいフレーム固定こていされている(駆動くどう一体いったいになっているスクーターなどはエンジンがスイングアームの一部いちぶとなり可動かどうする場合ばあいがある)。チェーン、またはづけベルトドライブ(駆動くどう)のものはクランクシャフト車体しゃたい進行しんこう方向ほうこうたいして横向よこむ搭載とうさいされる。このうち直列ちょくれつエンジンは、二輪車にりんしゃ特有とくゆう表現ひょうげんである「並列へいれつエンジン」ともばれる。一方いっぽうシャフトドライブの車種しゃしゅおおくはたてきエンジン採用さいようしている。

コスト削減さくげんやオートバイのキャラクターを維持いじするなどの観点かんてんから、キャブレター空冷くうれい2ストロークなどのよんりん乗用車じょうようしゃではうしなわれた技術ぎじゅつが、昨今さっこん排気はいきガス規制きせい影響えいきょう以前いぜんよりは減少げんしょうしてはいるものの現在げんざい改良かいりょうかさねながら採用さいようされつづけている。

2021ねん現在げんざいではガソリンエンジン主流しゅりゅうであるが、電動でんどうのみを搭載とうさいした電動でんどうオートバイ、また内燃ないねん機関きかん電動でんどうわせたハイブリッドシステム搭載とうさいモデルも販売はんばいされている。近年きんねん水素すいそ燃料ねんりょうエンジン研究けんきゅうおこなわれている[36]

駆動くどうけい

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基本きほん構造こうぞうかりやすいれい
エンジンおよびトランスミッションケース、およびその周囲しゅういフレームしめす。エンジンと一体いったいとなったトランスミッションケースがフレームに直接ちょくせつ固定こていされている。写真しゃしんのフレームはアルミ押出おしだしざいのダブルクレードル形式けいしき

マニュアルトランスミッションくるま運転うんてんしゃ速度そくど負荷ふかおうじたギアのわせえら機構きこうで、マニュアルしゃやミッションしゃ(しかしトランスミッションがないオートバイは通常つうじょうない)ともばれる。クラッチ操作そうさ必要ひつようとなるが、トルクコンバーターもちいたものや、湿式しっしきいたクラッチなどをもちいたオートマチックトランスミッションくるまがある。

クラッチは、エンジンオイルひたされていて複数ふくすう摩擦まさつめん湿式しっしきいたクラッチのほかBMW水平すいへい対向たいこうエンジンくるまモト・グッツィなど、たてきエンジン車種しゃしゅ乾式かんしきたんいたクラッチ、競技きょうぎ車両しゃりょうやイタリアのドゥカティ一部いちぶでは乾式かんしきいたクラッチ、また自動じどう遠心えんしんクラッチなどが存在そんざいしている。

オートバイのトランスミッションは、エンジンのクランクケース一体いったいになったケースにおさめられている場合ばあいおおく、4ストロークエンジン車種しゃしゅではエンジンオイルがトランスミッション(と湿式しっしきいたクラッチ)の潤滑じゅんかつねている。トランスミッションは4だんから6だん程度ていど変速へんそく段数だんすう車種しゃしゅおお[6]

トランスミッションから車軸しゃじく動力どうりょくトルク)を伝達でんたつする手段しゅだんには、ローラーチェーン[6]プロペラシャフト(シャフトドライブ)、づけベルト(オートマチックトランスミッションを採用さいようするオートバイ)などが使用しようされる。

あしまわ

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ホイールは、チューブレスタイヤを使用しようする車種しゃしゅではアルミダイカストせいの「キャストホイール」を採用さいようしているモデルがおおい。一方いっぽうリムハブをワイヤースポークでつないだホイールを採用さいようする車種しゃしゅもある[6]

ブレーキには自転車じてんしゃ同様どうようバンドブレーキリムブレーキも当初とうしょられたが、自動車じどうしゃおな仕組しくみドラムブレーキがそれらにってわった。ドラムにたいするブレーキシューきで自己じこサーボ効果こうか発揮はっきする方向ほうこうことなるため、フロントをツーリーディング、リアをリーディング&トレーリングとするわせがおおい。1970年代ねんだいすえにはスポーツしゃからディスクブレーキ普及ふきゅうはじめ、スポーツしゃ以外いがいにも採用さいようひろがっている。

サスペンションは、走行そうこうちゅう路面ろめんからの衝撃しょうげき吸収きゅうしゅうさせ、車輪しゃりんをつねに路面ろめん接触せっしょくさせ、操縦そうじゅうせい安定あんていせい寄与きよしている[6]前輪ぜんりんテレスコピックフォークがほとんどで、こうスイングアーム(もしくはユニットスイングアーム)がおおい。

種類しゅるい

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多種たしゅ多様たようなタイプが存在そんざいするが、用途ようとべつとしては、舗装ほそうみち走行そうこうてきしたオンロードモデル、舗装ほそう走行そうこうてきしたオフロードモデル、市街地しがいちでの使用しよう想定そうていされたタウンユースモデル、その特殊とくしゅなモデルなどに分類ぶんるいされる。

法規ほうき

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普通ふつう自動車じどうしゃ免許めんきょ取得しゅとくするさい追加ついか講習こうしゅうけることで小型こがた自動じどうりんしゃ相当そうとう免許めんきょ同時どうじ取得しゅとくできるくにもある。

日本にっぽん

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日本にっぽんにおけるオートバイにかんする運転うんてん免許めんきょ交通こうつう規制きせいなどの法規ほうきそくについては下記かき関連かんれん項目こうもく参照さんしょう

なお、オートバイは使用しようずみ自動車じどうしゃさい資源しげんとうかんする法律ほうりつ自動車じどうしゃリサイクルほう)の対象たいしょうがいであるが、2004ねん10がつから日本にっぽんメーカ4しゃ国外こくがい製品せいひん主要しゅようインポータ12しゃ自主じしゅてきなリサイクルシステムを開始かいししている[38]。(ハーレーダビッドソンジャパンのみ、この枠組わくぐみとはべつ独自どくじのリサイクルシステムを構築こうちくしている[39]

オートバイの事故じこ

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オートバイで転倒てんとうすると、なすすべもなくからだ地面じめんにさらされる。

オートバイ特有とくゆう車体しゃたい構造こうぞうにより、交通こうつう事故じこ形態けいたい発生はっせいする傷害しょうがい独特どくとく性質せいしつそなえる。

オートバイは自動車じどうしゃ一般いっぱんくらべると、乗員じょういん車体しゃたい構造こうぞうおおわれておらず、接地せっち面積めんせきせま制動せいどう利用りようできるちからちいさい。とく二輪車にりんしゃ静止せいし状態じょうたいでは自立じりつ困難こんなんである[注釈ちゅうしゃく 34]。そのにも特有とくゆう性質せいしつにより自動車じどうしゃ一般いっぱんとはことなる危険きけんせいっている。運転うんてん免許めんきょ教習きょうしゅうをはじめとする安全あんぜん運転うんてん講習こうしゅうでは、オートバイ特有とくゆう特性とくせい理解りかいして危険きけん自覚じかくすれば、事故じこかくりつげることができると指導しどうされている。

乗員じょういん車体しゃたい構造こうぞうによっておおわれていないことは、衝突しょうとつさい乗員じょういん直接ちょくせつ対象たいしょうぶつ衝突しょうとつする危険きけんせいがあるほか、くるまじょうからほうされた乗員じょういんじゅう三重みえ衝突しょうとつまれやすい。

二輪車にりんしゃ停車ていしゃ乗員じょういんあしささえる必要ひつようがあり、停車ていしゃちゅうにバランスをくずして転倒てんとうし、事故じこいた事例じれいもある。走行そうこうちゅう二輪車にりんしゃジャイロ効果こうかによって自立じりつしているが、速度そくどひくいときはジャイロ効果こうかちいさく不安定ふあんていなため、ふらつきによる事故じこ発生はっせいする事例じれいがある。比較的ひかくてき軽度けいどのスリップでバランスをくずして転倒てんとうしやすく、たか速度そくど走行そうこうしていて転倒てんとうする場合ばあいおおいことから、事故じこいたった場合ばあいもっと危険きけん転倒てんとうである。そのため、教習きょうしゅう講習こうしゅうではすべりやすい路面ろめん状況じょうきょうについてとく指導しどうしている。スリップしやすい路面ろめん状況じょうきょうつぎのようなものがある。

  • 路面ろめん飛散ひさんしたすな砂利じゃり火山灰かざんばい水溜みずたまり
  • いたじょう路上ろじょう落下らっかぶつ
  • 工事こうじ現場げんば路面ろめんかれる鉄板てっぱん鉄製てつせいマンホールぶた側溝そっこうぶた橋梁きょうりょうとくれているとごくはしすべりやすい)
  • 舗装ほそう道路どうろ
  • オイルるい飛散ひさん
  • 路面ろめん標示ひょうじ

オートバイは交通こうつうくらべて車体しゃたいちいさいことからオートバイの存在そんざい自体じたい見落みおとされやすいうえ遠近えんきんかん錯覚さっかくしょうじて実際じっさいよりもとおくにあると認識にんしきされたり、実際じっさい速度そくどよりおそかんじられることがおおい。交通こうつう渋滞じゅうたいれつ左側ひだりがわ直進ちょくしんするオートバイや交差点こうさてん直進ちょくしんちゅうのオートバイと右折うせつ車両しゃりょう衝突しょうとつ事故じこ(いわゆるみぎちょく事故じこ)のおおくは相手あいて車両しゃりょう運転うんてんしゃがオートバイを見落みおとしたことによるものである。ほかにもオートバイのほう自動車じどうしゃよりも通行つうこうりょうすくない、自動車じどうしゃ形状けいじょうちがうなどの理由りゆう相手あいて車両しゃりょう運転うんてんしゃ自動車じどうしゃにばかりられやすくなるという理由りゆう見落みおとされやすいのにくわえて、とく夜間やかんは、ぜんあきらとう照度しょうどひく車種しゃしゅおおいことから、さらに見落みおとされやすくなる傾向けいこうにある。

一方いっぽうで、自動車じどうしゃ一般いっぱんよりも天候てんこう悪化あっか安全あんぜん運行うんこうおおきく影響えいきょうおよぼすことも特徴とくちょうである。自動車じどうしゃ一般いっぱん車両しゃりょうワイパーくも装置そうち装備そうびしているのが通常つうじょうであるが、ヘルメットシールドやゴーグルでこれらをそなえた製品せいひんまれである。くわえて夜間やかん雨天うてんは、シールドなどにいた雨粒あまつぶ対向たいこうしゃのライトが乱反射らんはんしゃするため、視界しかいきわめてわるくなる。あるいは、身体しんたいれたりえたりすることで運転うんてんしゃ注意ちゅういりょく運動うんどう能力のうりょく低下ていかして事故じこ危険きけんせい増加ぞうかする。

このほか、進路しんろ変更へんこうしのさいのオートバイの機敏きびんうごきを周囲しゅうい運転うんてんしゃ予測よそくできないというてん事故じこ原因げんいんひとつとしてげられる事例じれいや、渋滞じゅうたいのすりちゅう停車ていしゃ車両しゃりょうがドアをひらいて衝突しょうとつする事例じれいもある。

事故じこによる外傷がいしょう特徴とくちょう

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衝突しょうとつ事故じこでは乗員じょういんされて対象たいしょうぶつ直接ちょくせつ衝突しょうとつすることがおおく、頭部とうぶ外傷がいしょうによる死亡しぼうもっとたかい。ヘルメット着用ちゃくよう義務ぎむされていなかった時代じだいは、頭部とうぶ外傷がいしょうによる死亡しぼうが6わり[40]現在げんざい日本にっぽんふくめて義務ぎむされたくに地域ちいきでも、依然いぜんとして頭部とうぶ損傷そんしょう死亡しぼう原因げんいんの4わりである[41]とく初心しょしん運転うんてんしゃほど頭部とうぶ顔面がんめんふくむ)の損傷そんしょうによって死亡しぼうするりつたか[42]

いでおおいのがからだみき損傷そんしょうによる死亡しぼうであり、ことに胸部きょうぶ外傷がいしょうによる死亡しぼうおおい。Krausら[43]研究けんきゅうによると、一本いっぽん肋骨あばらぼねが2箇所かしょ以上いじょう骨折こっせつするとフレイルチェストばれる症状しょうじょうこして呼吸こきゅう困難こんなんになったり、肋骨あばらぼね胸骨きょうこつ骨折こっせつによりしん停止ていし有効ゆうこう心臓しんぞうマッサージをすることができない場合ばあいがあるほか、れた肋骨あばらぼね胸郭きょうかくない臓器ぞうき腹腔ふくこうない臓器ぞうききずつけられる危険きけんせいがある。たとえば、はいきずつけると緊張きんちょうせい気胸ききょう開放かいほうせい気胸ききょうこす。あるいは、心臓しんぞう大動脈だいどうみゃくきずつければしつせいショックによる死亡しぼうりつ非常ひじょうたかくなる。また、肝臓かんぞう脾臓ひぞうきずつけた場合ばあい緊急きんきゅう開腹かいふく手術しゅじゅつ必要ひつよう重傷じゅうしょうとなる。このことから、どう研究けんきゅうでは、胸部きょうぶプロテクターの普及ふきゅうはかることを推奨すいしょうしている。

一方いっぽう四肢しし外傷がいしょうだけでいたることはすくないが(ただし大腿だいたい動脈どうみゃくなどを損傷そんしょうするとおもとくとなる場合ばあいがある)、ひざひじなどは軽微けいび転倒てんとうでも骨折こっせつなどの骨格こっかく傷害しょうがい場合ばあいおおい。

日本にっぽん事故じこ統計とうけい

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日本にっぽんでのオートバイ利用りようしゃ増加ぞうかとオートバイの性能せいのう向上こうじょうともない、1989ねんには2575にん死者ししゃるにおよんだ。「だい2交通こうつう戦争せんそう」とわれた。社会しゃかいてきにもオートバイ事故じこへの対策たいさく注目ちゅうもくされるようになり、様々さまざま対策たいさくたれた結果けっか、オートバイ事故じこによる死亡しぼうしゃすうは1989ねん以降いこう減少げんしょうつづけ、2006ねんには1119にんとなった。(これはだい2交通こうつう戦争せんそうといわれた1989ねん(2575にん)の半数はんすう以下いかだい1交通こうつう戦争せんそうわれた1964ねん(3762にん)の3ぶんの1以下いかである[44]。)

社会しゃかいてき対策たいさく

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オートバイによる事故じこでは頭部とうぶへの負傷ふしょうするかくりつたかいことから、おおくのくに地域ちいきでは法規ほうきによって乗車じょうしゃちゅうヘルメット着用ちゃくよう義務ぎむづけられている。

視認しにんせい改善かいぜんするために、おおくのくにではエンジン始動しどうちゅうはオートバイのヘッドライトが点灯てんとうする構造こうぞうであることを法規ほうきやメーカーの自主じしゅ規制きせいによってさだめている。日本にっぽんにおいても、1980年代ねんだいからぜんあきらとう昼間ひるま点灯てんとう推奨すいしょうされるようになった。これにこたえて、ヘッドライトスイッチ廃止はいしのメーカー自主じしゅ規制きせいが1993ねんよりはじまり、1998ねん道路どうろ運送うんそう車両しゃりょうほうにより法規ほうきされた。

オートバイメーカーは、各社かくしゃより安全あんぜんなオートバイの実現じつげん目指めざして開発かいはつおこなっている。たとえば、本田技研工業ほんだぎけんこうぎょうはオートバイにエアバッグ装備そうび[注釈ちゅうしゃく 35]し、ドイツBMWはオートバイにシートベルト装備そうびして[注釈ちゅうしゃく 36]衝突しょうとつ乗員じょういん空中くうちゅうにはねばされることを抑止よくし、あるいは低減ていげんできる車種しゃしゅ販売はんばいした。

オートバイ用品ようひん改良かいりょうおこなわれていて、たとえば、ヘルメットは事故じこさい頚椎けいついにできるだけちからをかけずにがせられる手段しゅだんもう[注釈ちゅうしゃく 37]、ジャケットはかわツナギのほかにもしん素材そざいによるパッドきのものや、エアバッグ内蔵ないぞうしたものが販売はんばいされている。ひじかたひざのプロテクターは普及ふきゅうりつひくく、胸部きょうぶのプロテクターを着用ちゃくようしているユーザーはほとんどいなかったが、しろバイたい配備はいびされているもの民生みんせい発売はつばいされて認知にんちがりつつある[45]。ヨーロッパではCEマーク取得しゅとくしないと販売はんばいできず、モーターサイクル装具そうぐ基準きじゅんとしてかた前腕ぜんわんひじしりずねようプロテクターのEN1621-1:1997、脊椎せきついプロテクターようのEN1621-2:2003がある。それぞれで衝撃しょうげき吸収きゅうしゅうりょく規定きていされていて、EN1621-1:1997の場合ばあい衝撃しょうげきを30%吸収きゅうしゅうして7わり軽減けいげんし、EN1621-2:2003の場合ばあい衝撃しょうげきを64%吸収きゅうしゅうしてやく3ぶんの1に軽減けいげんするLevel1、衝撃しょうげきを80%吸収きゅうしゅうしてやく5ぶんの1に軽減けいげんするLevel2とされている。日本にっぽんではプロテクターの販売はんばい規格きかくはないが、全国ぜんこくりんしゃ用品ようひん連合れんごうかい独自どくじ安全あんぜん基準きじゅん作成さくせいすることを発表はっぴょうした。また日本にっぽんでは2018ねん10がつから発売はつばいされるバイクについて、ABS(アンチロック・ブレーキ・システム)が義務ぎむされた。

このほかにも、行政ぎょうせい、オートバイのメーカーや業界ぎょうかい団体だんたい、オートバイ雑誌ざっしなどによってユーザーにたいする啓発けいはつ活動かつどうおこなわれている。オートバイ愛好あいこう団体だんたいにも、自主じしゅてきなイベントなどをつうじて啓発けいはつ活動かつどうおこなっているところがある。こういった活動かつどうには、たんに「事故じここさない」「事故じこわない」といった予防よぼうさくだけではなく、救護きゅうご技術ぎじゅつ習得しゅうとくなどの対応たいおうさくふくんだ講習こうしゅうおこなれいもある[46]

日本にっぽん脊髄せきずい基金ききん統計とうけい (1990 - 1992) によると、日本にっぽん脊髄せきずい損傷そんしょう事故じこ原因げんいんのうち、やく14%がオートバイによる事故じこである(よんりん事故じこやく20%)。死亡しぼうりつたかくないものの、救急きゅうきゅう救命きゅうめい医師いし頚椎けいつい保護ほご重要じゅうようする。これははじ症状しょうじょうであっても頚部けいぶうごかすことによって脊髄せきずい損傷そんしょう誘発ゆうはつし、重度じゅうど傷害しょうがいってしまうことがあるからである。

おもなオートバイ専用せんよう装備そうび

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騒音そうおん

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自動じどうりんしゃは、エンジンをこう回転かいてんにする操作そうさおおく、また愛好あいこう一部いちぶには、こう回転かいてんのエンジンおんこのものもいる。

しかし住宅じゅうたくがい道路どうろなどでこう回転かいてん甲高かんだかいエンジンおん発生はっせいさせることは、愛好あいこうでない人々ひとびとにとっては苦痛くつうとなり問題もんだいされる(騒音そうおん問題もんだい)。

また、構造こうぞうやマフラーの性能せいのう不足ふそく起因きいんして騒音そうおん発生はっせいする場合ばあいがある。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ なお『大辞泉だいじせん』では「ガソリン機関きかんによる動力どうりょくはし二輪車にりんしゃ」とされたが、2012ねん時点じてんではガソリン機関きかんだけでなく、モーターガスタービン動力どうりょくとする製品せいひん市販しはんされている。
  2. ^ 自動じどうりんしゃ」は日本にっぽん道路どうろ交通こうつうほうでの用語ようごかた。「単車たんしゃ」のほうは法律ほうりつ用語ようごではなく、(昭和しょうわ時代じだい人々ひとびとこのんで使つかった)日常にちじょう
  3. ^ パリ・ダカールラリー創始そうししたフランス語ふらんすごけん人々ひとびとmotocyclette(モトシクレット)やmoto(モト)とび、日常にちじょうでは一般いっぱんみじかくmoto(モト)とぶほうがこのまれ、現在げんざいのダカール・ラリー競技きょうぎでも二輪車にりんしゃ部門ぶもんをmoto(モト)と分類ぶんるいしている。
  4. ^ 原動機げんどうききの二輪車にりんしゃ全体ぜんたいを「オートバイ」と総称そうしょうすることは完全かんぜん定着ていちゃくしているわけではない[よう出典しゅってん]
  5. ^ 「オートバイ」というかたりたんなる俗称ぞくしょうひとつにぎず、原動機げんどうききの二輪車にりんしゃ全体ぜんたい言葉ことばとしてもちいるのにてきさない[よう出典しゅってん]」という意見いけんひともいる。
  6. ^ bi」は「2」を意味いみする接頭せっとうで「cycle」は「しめす。いずれもラテン語らてんご由来ゆらいする。
  7. ^ また、ヤマハ発動機やまははつどうきのウェブサイトでは、2012ねん3がつ29にち時点じてんで、Motorcyclesのページないおおきく「スポーツバイク」「スクーター」「競技きょうぎよう」の3つをてている[1]が、「スポーツバイク」のなかに、TMAX(=スクーター タイプ)もふくめている[2]
  8. ^ スズキのホームページでは、2012ねん3がつ29にち時点じてんで、「二輪車にりんしゃ」というタイトルのページをつくり、そこで排気はいきりょうべつおおきくけ、かく排気はいきりょうなかに、スクーターもふくめて表示ひょうじした。[3]
  9. ^ 週刊しゅうかんバイクTV』は、オートバイにかんする番組ばんぐみであるが、各社かくしゃ大型おおがたスクーターの紹介しょうかい頻繁ひんぱんっている。
  10. ^ あるいは「オートバイ」という用語ようご最初さいしょからけ、「motorcycles」「二輪車にりんしゃ」という用語ようごもちいてスクーターもふくめて様々さまざまなタイプのそれを説明せつめい紹介しょうかいしている。
  11. ^ 出典しゅってん記載きさいがないので、記載きさいされている台数だいすう台湾たいわんぺーじ人口じんこうから算出さんしゅつ
  12. ^ 発展はってん途上とじょうこくでは、よんりん自動車じどうしゃ庶民しょみん年収ねんしゅう比較ひかくして高額こうがくなので、オートバイが購入こうにゅうされる。発展はってん途上とじょうこく都市としでは、オートバイは交通こうつう渋滞じゅうたいをすりけやすいという利点りてんもあり、とく重要じゅうよう交通こうつう手段しゅだんである。
  13. ^ 人体じんたい基準きじゅんにするので、黎明れいめいから現代げんだいいたるまでおよそ全長ぜんちょう200cm、はば70cm、たかさ80cm程度ていどくるまかくもちいられている。
  14. ^ 代表だいひょうてき転用てんよう技術ぎじゅつとして、サイドバルブ機構きこうOHV機構きこうに、自動じどうあつしきバルブが機械きかい駆動くどうしきに、鋳鉄ちゅうてつシリンダーはがねせいけずしに、鋳鉄ちゅうてつピストン鋳造ちゅうぞうまたは鍛造たんぞうアルミニウム移行いこうしたことや、オイルリングの装着そうちゃくげられる。
  15. ^ 60×60mm、180ccの空冷くうれい4ストロークたん気筒きとうエンジンは、回転かいてん速度そくど2000rpmまでまわり、出力しゅつりょく公証こうしょう1.5psを発揮はっきした。
  16. ^ フロントブレーキや使つかってのクラッチ操作そうさにはのちボーデンケーブル英語えいごばんもちいられ、これは現代げんだいにおいても同様どうよう機構きこうもちいた車種しゃしゅ存在そんざいする。
  17. ^ 1896ねん明治めいじ29ねん)に十文字じゅうもんじ信介しんすけ十文字じゅうもんじ大元おおもと実兄じっけい)が石油せきゆ発動はつどう自転車じてんしゃ輸入ゆにゅうして丸ノ内まるのうち試乗しじょう國民こくみん新聞しんぶん1896ねん1がつ26にち新聞しんぶん集成しゅうせい明治めいじ編年史へんねんしだいきゅうかん国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん近代きんだいデジタルライブラリー)。
  18. ^ 1935ねん昭和しょうわ10ねん)までに日本にっぽんにはAJS、アリエル、ダグラス、BSA、JAP、ノートン、ラッジ、サンビーム、トライアンフ、ヴェロセット(以上いじょうイギリス)、モトグッチイタリア)、クリーブランド(アメリカ)、BMW(ドイツ)といった各国かっこくのオートバイが輸入ゆにゅうされていた。
  19. ^ 1928ねん昭和しょうわ3ねん)、日本にっぽん自動車じどうしゃ蒔田まきた鉄司てつじ設計せっけいした250cc、空冷くうれい2ストロークエンジンを搭載とうさいした車両しゃりょう
  20. ^ 1930ねん昭和しょうわ5ねん)に宍戸ししど兄弟きょうだい製作せいさくした350cc、および500ccエンジンを搭載とうさいした車両しゃりょう
  21. ^ 1934ねん昭和しょうわ9ねん東京とうきょうモーター用品ようひん製造せいぞう組合くみあい会員かいいんによる共同きょうどう製作せいさく車両しゃりょう。エンジン設計せっけいはJACごうおなじく蒔田まきた鉄司てつじ
  22. ^ 1927ねん昭和しょうわ2ねん愛知あいちけん犬山いぬやまのみづほ自動車じどうしゃ製作所せいさくしょ製作せいさくした車両しゃりょう。キャブトンとは、Come And Buy To Osaka Nakagawaの頭文字かしらもじならべたものであり、もともとは大阪おおさか中川なかがわ幸四郎こうしろう商店しょうてん設計せっけいした車両しゃりょうであった。
  23. ^ 1936ねん昭和しょうわ11ねん)にプロレーサーとしても活躍かつやくした栗林くりばやし経営けいえいする栗林くりばやし部品ぶひんてん製作せいさくした車両しゃりょう同社どうしゃ1928ねん昭和しょうわ3ねん創業そうぎょう1933ねん昭和しょうわ8ねん)にヴィリアースしゃせい2ストロークエンジンを搭載とうさいした車両しゃりょう製作せいさくし、1936ねん昭和しょうわ11ねん)には500cc、4ストロークエンジンを搭載とうさいした車両しゃりょう製作せいさくした。
  24. ^ 1937ねん昭和しょうわ12ねん)、日本にっぽん内燃ないねん会社かいしゃ製作せいさくした1296cc、4ストロークVがた2気筒きとう大型おおがたエンジン搭載とうさいし、最高さいこう出力しゅつりょくは12psにたっした。エンジン設計せっけい蒔田まきた鉄司てつじくるまめい同氏どうし名前なまえにちなむ。
  25. ^ 1936ねん昭和しょうわ11ねん)、目黒めぐろ製作所せいさくしょ製作せいさく販売はんばいした車両しゃりょう目黒めぐろ製作所せいさくしょ1923ねん大正たいしょう12ねん)に村田むらたのべ鈴木すずき高広たかひろめいによって創業そうぎょうされ、当初とうしょ変速へんそくやエンジンの製造せいぞうおこなっていた。この車両しゃりょうでは500cc、4ストロークOHVたん気筒きとうエンジンを日本にっぽんはじめて搭載とうさいしていた。
  26. ^ ちゅう日本にっぽん重工じゅうこう戦後せんご財閥ざいばつ解体かいたいにより3しゃ分割ぶんかつされた三菱重工業みつびしじゅうこうぎょう自動車じどうしゃ部門ぶもんのちちゅう日本にっぽん重工じゅうこうしん三菱重工みつびしじゅうこうとなり、のちに3しゃ合併がっぺいし、ふたた三菱重工業みつびしじゅうこうぎょうとなる。しん三菱重工みつびしじゅうこう実質じっしつじょう三菱自動車工業みつびしじどうしゃこうぎょう前身ぜんしんともいえるめんっており、ミニカミニキャブいしずえとなった三菱みつびし・360成功せいこう契機けいきりん・オートさんりんよんりんメーカーへとかじることとなる。
  27. ^ 2ストローク42×45mm、62ccのエンジンで1.2馬力ばりき発揮はっきした。
  28. ^ 戦時せんじちゅう使つかわれた無線むせん電源でんげんようの2ストローク発電はつでんおおくはトーハツ製造せいぞう納品のうひんしていた。
  29. ^ また、国産こくさんしゃにはないスリーブレスアルミメッキシリンダーといった技術ぎじゅつもちいられていた。
  30. ^ 。ビスモーターを他社たしゃ先駆さきが発売はつばいしたみづほは需要じゅよう変化へんか戦前せんぜんからの実績じっせきがあった350ccたん気筒きとうや600cc気筒きとうエンジンを搭載とうさいした車両しゃりょう市場いちばおくすが、当時とうじ流行りゅうこうからはおおきすぎた。こうした市場いちばとの乖離かいりによる業績ぎょうせき不振ふしんや、晩年ばんねんのなりふりかまわぬ小型車こがたしゃ発売はつばいなどはブランドイメージの低下ていか拍車はくしゃをかけ、最盛さいせいであった1954ねん昭和しょうわ29ねん)のわずか2ねん倒産とうさん
  31. ^ 戦中せんちゅう唯一ゆいいつオートバイを製造せいぞうしていたりくおうも1960ねん昭和しょうわ35ねん)に倒産とうさんしたが、最後さいご販売はんばいしたりくおうACがた空冷くうれい4ストロークOHV345ccたん気筒きとう最大さいだい出力しゅつりょく18ps/4,750rpm シャフトドライブで最高さいこう速度そくど120km/h 車両しゃりょう重量じゅうりょう180kgのドイツしゃのような車両しゃりょうであった。
  32. ^ 戦前せんぜん川西かわにし航空機こうくうき終戦しゅうせん新明和しんめいわ興業こうぎょう改名かいめい航空機こうくうきつちかった技術ぎじゅつもとにバイクモーターを手始てはじめにオートバイ事業じぎょう参入さんにゅうしたが、新進しんしんオートバイメーカーの躍進やくしん業績ぎょうせき悪化あっか1963ねん昭和しょうわ38ねん)に18ねんのオートバイ事業じぎょうまくろす。
  33. ^ 画像がぞうは、ウィキメディア・コモンズの「Category:Motorcycles with FWD (front wheel drive 前輪ぜんりん駆動くどうのモーターサイクル」を参照さんしょう
  34. ^ 乗員じょういんあしささえる、スタンドを使用しようする、乗員じょういんがバランスをる、補助ほじょ使つかうなどの方法ほうほう必要ひつようである。
  35. ^ 2006ねんから、北米ほくべい生産せいさんのアメリカンツアラー「ゴールドウィング」を皮切かわきりに装備そうびされた。
  36. ^ C1装備そうびして発売はつばいし、ヨーロッパの一部いちぶくにではヘルメット着用ちゃくよう義務ぎむ例外れいがいとしてあつかわれる車種しゃしゅとなった。
  37. ^ ヘルメットリムーバーまたエアジャッキの要領ようりょうでヘルメットをあたまからくツールも開発かいはつされており、ヘルメットリムーバーにおいてはロードレースなどの競技きょうぎかい義務ぎむされつつある。

出典しゅってん

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 富塚とみつかきよし日本にっぽんのオートバイの歴史れきし。 : 二輪車にりんしゃメーカーの興亡こうぼう記録きろく。』(しんていばんはつ三樹みき書房しょぼう、2001ねんISBN 9784895222686 
  • 愛車あいしゃの「絶対ぜったい安心あんしん保管ほかんじゅつ」『Big Machine』だい80かん内外出版社ないがいしゅっぱんしゃ、2002ねん2がつ、42-79ぺーじ雑誌ざっし07695-2。 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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