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風呂 ふろ (ふろ)とは、身体 しんたい の洗浄 せんじょう や温浴 おんよく ・入浴 にゅうよく するための設備 せつび 。浴室 よくしつ ・浴場 よくじょう ともいう。
元々 もともと は衛生 えいせい 上 じょう の必要 ひつよう 性 せい や、宗教 しゅうきょう 的 てき 観念 かんねん から古 ふる くから水 みず のある場所 ばしょ で水浴 すいよく を行 おこな ってきたが、温泉 おんせん を利用 りよう した寒冷 かんれい を払拭 ふっしょく するためや、一層 いっそう の新陳代謝 しんちんたいしゃ や老廃 ろうはい 物 ぶつ の除去 じょきょ や排出 はいしゅつ をするため、温 あたた かい水 みず や蒸気 じょうき を利用 りよう して、温泉 おんせん のない場所 ばしょ でも温浴 おんよく が行 おこな われるようになった。
5000年 ねん 前 まえ のインダス文明 ぶんめい のモヘンジョ=ダロ や都市 とし の中心 ちゅうしん に大 だい 規模 きぼ な公衆 こうしゅう 浴場 よくじょう が完備 かんび していた。
風呂 ふろ の起源 きげん として現在 げんざい 確認 かくにん されるものでは紀元前 きげんぜん 4000年 ねん のころメソポタミア で、払 はら い清 きよ めの沐浴 もくよく のための浴室 よくしつ が作 つく られ、紀元前 きげんぜん 2000年 ねん 頃 ころ には薪 たきぎ を使用 しよう した温水 おんすい の浴室 よくしつ が神殿 しんでん に作 つく られていた。同時 どうじ にギリシア文明 ぶんめい では、現在 げんざい のオリンピック 精神 せいしん の元 もと となった「健全 けんぜん な精神 せいしん は健全 けんぜん な肉体 にくたい に宿 やど られかし」との考 かんが えから、スポーツ施設 しせつ に付帯 ふたい して沐浴 もくよく のための大 だい 規模 きぼ な公衆 こうしゅう 浴場 よくじょう としての水風呂 みずぶろ が作 つく られていた。紀元前 きげんぜん 100年 ねん のロ ろ ーマ帝国 まていこく の時代 じだい になると、古代 こだい ローマの公衆 こうしゅう 浴場 よくじょう として知 し られる豪華 ごうか な公衆 こうしゅう 浴場 よくじょう と、湯 ゆ を沸 わ かす際 さい の熱 ねつ を利用 りよう したハイポコースト という床 ゆか 暖房 だんぼう 設備 せつび が発達 はったつ し、地中海 ちちゅうかい 世界 せかい では現在 げんざい の日本 にっぽん でも見 み られるような、社交 しゃこう 場 じょう としての男女 だんじょ 混浴 こんよく の公衆 こうしゅう 浴場 よくじょう が楽 たの しまれていた。ハドリアヌス帝 みかど の頃 ころ に男女 だんじょ 別 べつ 浴 よく になった[1] 。
モヘンジョダロ の大 だい 浴場 よくじょう
しかし、キリスト教 きりすときょう の浸透 しんとう にともない裸 はだか で同一 どういつ の場所 ばしょ に集 つど うことが忌避 きひ され、廃 すた れていった[2] 。ロ ろ ーマ帝国 まていこく の領土 りょうど を受 う け継 つ いだヨーロッパ の地 ち では、13世紀 せいき 頃 ころ までは、辺境 へんきょう の地 ち であっても入浴 にゅうよく 習慣 しゅうかん が普及 ふきゅう していたが、教会 きょうかい に行 い くための清 しん めとして、大 おお きめの木 き 桶 おけ に温水 おんすい を入 い れて身 み を簡単 かんたん にすすぐ行水 ぎょうずい の様 よう なものだった。都心 としん においては公衆 こうしゅう 浴場 よくじょう があり、住民 じゅうみん は週 しゅう に1・2度 ど 程度 ていど 、温水 おんすい 浴 よく や蒸 む し風呂 ぶろ を楽 たの しんだといわれる。しかし、男女 だんじょ 混浴 こんよく であったため、みだらな行為 こうい や売春 ばいしゅん につながり、それにキリスト教 きりすときょう の観念 かんねん が加 くわ わり廃 すた れていった[要 よう 出典 しゅってん ] 。それに拍車 はくしゃ をかけるように、14世紀 せいき にはペスト の流行 りゅうこう により、公衆 こうしゅう 浴場 よくじょう はもちろんのこと入浴 にゅうよく 自体 じたい も「ペスト菌 きん を積極 せっきょく 的 てき に体 からだ に取 と り込 こ んでしまう」といった間違 まちが った解釈 かいしゃく がなされ、風呂 ふろ といった習慣 しゅうかん 自体 じたい が忌避 きひ され、地中海 ちちゅうかい やヨーロッパから風呂 ふろ 文化 ぶんか が縮小 しゅくしょう していった。
一方 いっぽう 、かつてのロ ろ ーマ帝国 まていこく 領 りょう の東部 とうぶ に当 あ たる中近東 ちゅうきんとう では入浴 にゅうよく 文化 ぶんか が受 う け継 つ がれ、ハンマーム と呼 よ ばれる公衆 こうしゅう 浴場 よくじょう が住民 じゅうみん の社交 しゃこう 場 じょう としての役割 やくわり を担 にな っていた。
紀元前 きげんぜん 2600年 ねん 頃 ころ のインダス文明 ぶんめい のモヘンジョダロや、ハラッパー 等 ひとし の都市 とし には大 だい 規模 きぼ な公衆 こうしゅう 浴場 よくじょう が完備 かんび していた。
古代 こだい インド 十 じゅう 六 ろく 大国 たいこく のマガダ国 こく の首都 しゅと 王 おう 舎 しゃ 城 じょう (現 げん ・ビハール州 しゅう ラージギル )にあった仏教 ぶっきょう 最初 さいしょ の寺院 じいん である竹林 たけばやし 精舎 しょうじゃ の近 ちか くに、温泉 おんせん がある仏教 ぶっきょう 僧院 そういん (Tapodarama) があった。湯治 とうじ を目的 もくてき としていたと思 おも われる。現在 げんざい 、跡地 あとち にはヒンドゥー 寺院 じいん が建 た てられているが、温泉 おんせん は今 いま も健在 けんざい である。
ヨーロッパでは医学 いがく の進歩 しんぽ に伴 ともな い、18世紀 せいき には「入浴 にゅうよく が積極 せっきょく 的 てき に病原菌 びょうげんきん を体 からだ に取 と り込 こ む」といった解釈 かいしゃく が否定 ひてい され、むしろ健康 けんこう の上 うえ で好 この ましいと見 み なされるようになった。それに伴 ともな い遠隔 えんかく であった入浴 にゅうよく の習慣 しゅうかん が積極 せっきょく 的 てき に行 おこな われるようになったが、温水 おんすい に浸 つ かる風呂 ふろ ではなくシャワー として温水 おんすい を浴 あ びる習慣 しゅうかん が普及 ふきゅう していった。現在 げんざい の欧米 おうべい でも浴槽 よくそう のない風呂場 ふろば もあり、温水 おんすい の風呂 ふろ に浸 つ かるのは月 つき に1・2度 ど 程度 ていど が一般 いっぱん 的 てき となっている。
相国寺 しょうこくじ の浴室 よくしつ 『宣明 のぶあき 』(応 おう 永 なが 7年 ねん (1400年 ねん ) 頃 ごろ の創建 そうけん 。現在 げんざい のものは慶長 けいちょう 4年 ねん (1596年 ねん ) の再建 さいけん )
温泉 おんせん を利用 りよう した風呂 ふろ の例 れい 大深 おおふか 温泉 おんせん
野外 やがい 入浴 にゅうよく セット2型 がた (陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい )
もともと日本 にっぽん では神道 しんとう の風習 ふうしゅう で、川 かわ や滝 たき で行 おこな われた沐浴 もくよく の一種 いっしゅ と思 おも われる禊 みそぎ (みそぎ)の慣習 かんしゅう が古 ふる くより行 おこな われていたと考 かんが えられている[3] 。
仏教 ぶっきょう が伝来 でんらい した時 とき 、建立 こんりゅう された寺院 じいん には湯 ゆ 堂 どう 、浴 よく 堂 どう とよばれる沐浴 もくよく のための施設 しせつ が作 つく られた。もともとは僧尼 そうに のための施設 しせつ であったが、仏教 ぶっきょう においては病 やまい を退 しりぞ けて福 ぶく を招来 しょうらい するものとして入浴 にゅうよく が奨励 しょうれい され、『仏説 ぶっせつ 温室 おんしつ 洗 あらい 浴 よく 衆 しゅ 僧 そう 経 けい 』と呼 よ ばれる経典 きょうてん も存在 そんざい し、施 ほどこせ 浴 よく によって一般 いっぱん 民衆 みんしゅう への開放 かいほう も進 すす んだといわれている。特 とく に光明皇后 こうみょうこうごう が建設 けんせつ を指示 しじ し、貧困 ひんこん 層 そう への入浴 にゅうよく 治療 ちりょう を目的 もくてき としていたといわれる法華寺 ほっけじ の浴 よく 堂 どう は有名 ゆうめい である。当時 とうじ の入浴 にゅうよく は湯 ゆ につかるわけではなく、薬草 やくそう などを入 い れた湯 ゆ を沸 わ かしその蒸気 じょうき を浴 よく 堂 どう 内 ない に取 と り込 こ んだ蒸 む し風呂 ぶろ 形式 けいしき であった。風呂 ふろ は元来 がんらい 、蒸 む し風呂 ぶろ を指 さ す言葉 ことば と考 かんが えられており、現在 げんざい の浴槽 よくそう に身体 しんたい を浸 つ からせるような構造 こうぞう 物 ぶつ は、湯屋 ゆや ・湯殿 ゆどの などといって区別 くべつ されていた。
平安 へいあん 時代 じだい になると寺院 じいん にあった蒸 む し風呂 ぶろ 様式 ようしき の浴 よく 堂 どう の施設 しせつ を上級 じょうきゅう の公家 くげ の屋敷 やしき 内 ない に取 と り込 こ む様式 ようしき が現 あらわ れる。『枕草子 まくらのそうし 』などにも、蒸 む し風呂 ぶろ の様子 ようす が記述 きじゅつ されている。次第 しだい に宗教 しゅうきょう 的 てき 意味 いみ が薄 うす れ、衛生 えいせい 面 めん や遊興 ゆうきょう 面 めん での色彩 しきさい が強 つよ くなったと考 かんが えられている。
鎌倉 かまくら 時代 ときよ には東大寺 とうだいじ 復興 ふっこう に尽力 じんりょく した重 じゅう 源 みなもと による施 ほどこせ 浴 よく にて鉄 てつ 湯船 ゆぶね が見 み られる。これは南都 なんと 焼討 やきうち で焼失 しょうしつ した東大寺 とうだいじ 伽藍 がらん の再建 さいけん のため巨木 きょぼく の用材 ようざい を求 もと めた重 じゅう 源 みなもと が1186年 ねん 頃 ころ に周防 すおう 国 こく に至 いた り、木材 もくざい 伐 き り出 だ しに従事 じゅうじ する人夫 にんぷ の為 ため に行 おこな われた湯 ゆ 施行 しこう である。重 じゅう 源 げん が開山 かいさん した阿弥陀寺 あみだじ の旧 きゅう 鉄 てつ 湯舟 ゆぶね 残欠 ざんけつ は渡 わたり 宋 そう 経験 けいけん のある重 じゅう 源 げん が南 みなみ 宋 そう で知 し り得 え たものを国内 こくない で再現 さいげん したもので[4] 、
キッチン・バス工業 こうぎょう 会 かい ではこれを長州 ちょうしゅう 風呂 ふろ の元祖 がんそ と紹介 しょうかい している[5] 。現存 げんそん する鉄 てつ 湯船 ゆぶね は1197年 ねん に大仏 だいぶつ 鋳造 ちゅうぞう に従事 じゅうじ していた河内 かわうち 鋳物 いもの 師 し の草部 くさかべ 是 ぜ 助 すけ らにより東大寺 とうだいじ に奉納 ほうのう された物 もの 、1290年 ねん に同 おな じく河内 かわうち 鋳物 いもの 師 し の山河 さんが 貞清 さだきよ による物 もの が成相寺 せいしょうじ と智恩寺 ちおんじ にみられる。
浴槽 よくそう にお湯 ゆ を張 は り、そこに体 からだ を浸 つ けるというスタイルがいつ頃 ごろ 発生 はっせい したかは不明 ふめい である。古 ふる くから桶 おけ に水 みず を入 い れて体 からだ を洗 あら う行水 ぎょうずい というスタイルと、蒸 む し風呂 ぶろ が融合 ゆうごう してできたと考 かんが えられている。この入浴 にゅうよく 方法 ほうほう が一般 いっぱん 化 か したのは江戸 えど 時代 じだい に入 はい ってからと考 かんが えられている。戸棚 とだな 風呂 ふろ と呼 よ ばれる下半身 かはんしん のみを浴槽 よくそう に浸 つ からせる風呂 ふろ が登場 とうじょう 。慶長 けいちょう 年間 ねんかん の終 お わり頃 ころ に、すえ風呂 ふろ 、または水 みず (すい)風呂 ふろ と呼 よ ばれる全身 ぜんしん を浴槽 よくそう に浸 つ からせる風呂 ふろ が登場 とうじょう した。入浴 にゅうよく の始 はじ めは風呂 ふろ に入 はい る前 まえ に「かけ湯 ゆ 」をして、湯船 ゆぶね に入 はい った後 のち に全身 ぜんしん を洗 あら い、風呂 ふろ から上 あ がる時 とき にお湯 ゆ を浴 あ びて「あがり湯 ゆ 」で体 からだ を清 きよ める様式 ようしき が広 ひろ く習慣 しゅうかん 化 か されている。
日本語 にほんご の風呂 ふろ の語源 ごげん は、2説 せつ ある。
もともと「窟 くつ 」(いわや)や「岩室 いわむろ 」(いわむろ)の意味 いみ を持 も つ室 しつ (むろ)が転 てん じたという説 せつ
抹茶 まっちゃ を点 た てる際 さい に使 つか う釜 がま の「風炉 ふろ 」から来 き たという説 せつ
英語 えいご の"bath"は、イギリス にある温泉 おんせん 場 じょう の街 まち の名前 なまえ 、バース (Bath)が語源 ごげん という俗説 ぞくせつ があるが、日本 にっぽん の「温泉 おんせん 町 まち 」という地名 ちめい と同様 どうよう 、温泉 おんせん があるから"Bath"と呼 よ ばれるようになったのである。英語 えいご "bath"にあたる「温浴 おんよく 」もしくは「温 あたた めること」を意味 いみ する名詞 めいし はゲルマン古語 こご に既 すで にあり、さらに遡 さかのぼ れば遠 とお く印 しるし 欧 おう 祖語 そご に由来 ゆらい すると考 かんが えられる。
名古屋 なごや 城 じょう 本丸 ほんまる 御殿 ごてん の風呂 ふろ 屋形 やかた 、裏側 うらがわ にある竈 かまど から蒸気 じょうき を供給 きょうきゅう する蒸 む し風呂 ぶろ
一遍 いっぺん 上人 しょうにん の開 ひら いた蒸 む し湯 ゆ 跡 あと の前 まえ に建 た つ現在 げんざい の鉄輪 てつりん むし湯 ゆ
蒸 む し風呂 ぶろ (むしぶろ)は、蒸気 じょうき により体 からだ を蒸 む らす風呂 ふろ である。前述 ぜんじゅつ のように、日本 にっぽん では元来 がんらい 風呂 ふろ という場合 ばあい はこれを指 さ していた。蒸気 じょうき が豊富 ほうふ な温泉 おんせん でもよく見 み られ、大分 おおいた 県 けん 別府 べっぷ 市 し の鉄輪 てつりん 温泉 おんせん にある鉄輪 てつりん むし湯 ゆ は一遍 いっぺん 上人 しょうにん が施 ほどこせ 浴 よく のために開 ひら いたものとされる。温泉 おんせん で熱 ねっ せられた床 ゆか の上 うえ には石菖 せきしょう という薬草 やくそう を敷 し きつめ高温 こうおん で蒸 ふか す状態 じょうたい にして、テルペン (鎮痛 ちんつう 効果 こうか がある)を成分 せいぶん とする芳香 ほうこう を放出 ほうしゅつ させて、皮膚 ひふ や呼吸 こきゅう 器 き から体内 たいない に吸収 きゅうしゅう するようにして利用 りよう する。箱 はこ 型 がた の1人 ひとり 用 よう 蒸 む し風呂 ぶろ は、特 とく に箱 はこ 蒸 む し風呂 ぶろ と呼 よ ばれる。蒸気 じょうき を使 つか わない乾式 かんしき のものも含 ふく めてサウナ風呂 ふろ とも呼 よ ばれるが、狭義 きょうぎ のサウナ (英 えい : sauna bath ) はフィンランド 式 しき の乾式 かんしき のもののみを指 さ す。
また人 ひと が入 はい るためのものではないが、漆器 しっき に塗 ぬ った漆 うるし を乾燥 かんそう させる室 しつ (むろ)である漆 うるし 風呂 ふろ も蒸 む し風呂 ふろ の一種 いっしゅ である。
岩 いわ 風呂 ふろ (いわぶろ)、もしくは石風呂 いしふろ (いしぶろ)は、主 おも に日本 にっぽん の瀬戸内海 せとないかい など海岸 かいがん 地帯 ちたい にあった蒸 む し風呂 ぶろ である[6] 。天然 てんねん の石窟 せっくつ などの密閉 みっぺい された岩穴 いわあな の中 なか で火 ひ を焚 た いて熱 ねっ し、水気 みずけ を与 あた えることで蒸気 じょうき 浴 よく や熱気 ねっき 浴 よく をする[6] 。
入浴 にゅうよく 時 じ は裸 はだか にはならず、着衣 ちゃくい のまま茣蓙 ござ に座 すわ るか寝 ね そべる[7] 。
伝統 でんとう 的 てき な石 いし 風呂 ふろ は高度 こうど 経済 けいざい 成長 せいちょう 期 き に入 はい ると順次 じゅんじ 姿 すがた を消 け し、一部 いちぶ 地域 ちいき で残存 ざんそん したものについては有形 ゆうけい 民俗 みんぞく 文化財 ぶんかざい に指定 してい された[6] 。
海辺 うみべ の風呂 ふろ と山間 さんかん 地 ち の風呂 ふろ では蒸気 じょうき を起 お こす方法 ほうほう に違 ちが いがある。海辺 うみべ の風呂 ふろ では適当 てきとう な温度 おんど になったところで灰 はい の上 うえ に海藻 かいそう や海水 かいすい で濡 ぬ らした莚 むしろ (むしろ)を引 ひ く。川 かわ 沿 ぞ いの風呂 ふろ は真水 まみず で濡 ぬ らした稲 いね 藁 わら と菖蒲 しょうぶ を敷 し いて蒸気 じょうき を起 お こした[8] 。
釜 がま 風呂 ふろ (かまぶろ)は、主 おも に日本 にっぽん 列島 れっとう の内陸 ないりく 部 ぶ で広 ひろ まった蒸 む し風呂 ぶろ である。特 とく に京都 きょうと の八 はち 瀬 せ の竈 かまど 風呂 ふろ が代表 だいひょう 的 てき 。岩 いわ で直径 ちょっけい 2m程度 ていど のドーム型 がた に組 く んだ下 した 側 がわ に小 ちい さな入口 いりくち がある構成 こうせい 。最初 さいしょ にドーム内 ない で火 ひ を焚 た き熱 ねっ する。加熱 かねつ 後 ご に換気 かんき を行 おこな い、塩水 えんすい で濡 ぬ らした莚 むしろ を引 ひ いて、その上 うえ に人 ひと が横 よこ たわる形 かたち で入浴 にゅうよく をした。
五右衛門風呂 ごえもんぶろ (ごえもんぶろ)は、日本 にっぽん の風呂 ふろ の種類 しゅるい の1つ。安土 あづち 桃山 ももやま 時代 じだい の盗賊 とうぞく 石川 いしかわ 五右衛門 ごえもん が京都 きょうと の三条 さんじょう 河原 かわはら で釜茹 かまゆ で の刑 けい に処 しょ せられたことが、名称 めいしょう の由来 ゆらい である。
『東海道 とうかいどう 中 ちゅう 膝栗毛 ひざくりげ 』には小田原 おだわら の宿屋 やどや で、弥次 やじ さん喜多 きた さんが五右衛門風呂 ごえもんぶろ に入 はい る話 はなし がある。そこでは当時 とうじ の五右衛門風呂 ごえもんぶろ の構造 こうぞう について「土釜 どがま のうえに直接 ちょくせつ 風呂 ふろ の桶 おけ を据 す え、底 そこ 板 ばん は上 うえ に浮 う いている。入浴 にゅうよく 時 じ は底 そこ 板 ばん を足 あし で底 そこ に沈 しず めて入 はい る。薪 たきぎ が少 すく なくて済 す み、経済 けいざい 的 てき である」と説明 せつめい し、上方 かみがた の形式 けいしき であったとしている[注釈 ちゅうしゃく 1] 。弥次喜多 やじきた はこの風呂 ふろ の入 い り方 がた を知 し らず、底 そこ 板 ばん をとりのけて入 にゅう ろうとしたため釜 がま 底 そこ に触 ふ れて足 あし を火傷 かしょう し、悩 なや んだ末 すえ に便所 べんじょ 下駄 げた をはいて風呂 ふろ に入 はい る。喜多 きた さんは下駄 げた で踏 ふ みつけたあげく、釜 がま を壊 こわ して大 だい 恥 はじ をかく。
江戸 えど 時代 じだい の『守 まもり 貞 さだ 漫稿 』の居 きょ 風呂 ふろ の条 じょう に、「京 きょう 坂 ざか 専用 せんよう は桶 おけ に底 そこ を付 ふ せず代 かわ ㆑ 之 これ に平 ひら 釜 がま を用 もちい ひ土 ど 竈 かまど の上 うえ に置 おけ ㆑ 之 これ で薪 たきぎ 及 およ び古 こ 材 ざい 古 こ 器機 きき 朽木 くちき 之 の 類 るい 焚㆑ 之 これ 故 ゆえ に湯屋 ゆや に不 ふ ㆑ 与 あずか ㆑ 之 これ 也此風呂 ふろ を五右衛門風呂 ごえもんぶろ と号 ごう ることは昔 むかし の五右衛門 ごえもん なる者 もの 油 あぶら 煮 に の刑 けい 俗 ぞく の釜 がま 煮 に と云 うん ふに行 くだり るると云 うん 伝 でん へ理 り 相似 そうじ たるを以 もっ て也」という。
2014年 ねん 11月 がつ 現在 げんざい 、五右衛門風呂 ごえもんぶろ は唯一 ゆいいつ の生産 せいさん メーカーである広島 ひろしま 県 けん の大和重工 だいわじゅうこう で鋳鉄 ちゅうてつ 製 せい のものが生産 せいさん されている。厳密 げんみつ には、全部 ぜんぶ が鉄 てつ でできているものは「長州 ちょうしゅう 風呂 ふろ 」と呼 よ び、五右衛門風呂 ごえもんぶろ は縁 えん が木 き 桶 おけ で底 そこ のみ鉄 てつ のものを指 さ す。厚 あつ い鋳鉄 ちゅうてつ 製 せい のため、比較的 ひかくてき 高 たか い保温 ほおん 力 りょく が期待 きたい できる。
かつての日本 にっぽん の風呂場 ふろば
日本 にっぽん 式 しき 風呂 ふろ 桶 おけ (五右衛門風呂 ごえもんぶろ 、長州 ちょうしゅう 風呂 ふろ )と洗 あら い場 ば 。洗 あら い場 ば に置 お かれているのは、脚 あし つきのたらいと脚 あし つきの洗面 せんめん 桶 おけ 。洗 あら い場 ば からは一段 いちだん 上 あ がった風呂 ふろ 桶 おけ にまたいで入 はい る。風呂 ふろ 桶 おけ の縁 えん は、桶 おけ からあふれた湯 ゆ が洗 あら い場 ば 側 がわ に流 なが れ落 お ちるように、一段 いちだん 下 さ がったしつらえになっている。画面 がめん 右側 みぎがわ の壁 かべ には、上段 じょうだん に薪 たきぎ をくべる穴 あな と下段 げだん に薪 たきぎ が燃 も えた後 のち の灰 はい を掻 か き出 だ す穴 あな が穿 うが たれている。この例 れい では火勢 かせい が落 お ちないよう、レンガ を穴 あな に挿 さ し込 こ んで蓋 ぶた をする構造 こうぞう になっている。水道 すいどう がない時代 じだい は外部 がいぶ から湯桶 ゆとう に水 みず をくみ入 い れたり、入浴 にゅうよく 後 ご の風呂 ふろ 桶 おけ の残 のこ り湯 ゆ を外 そと へ運 はこ び出 だ したり、外部 がいぶ で汚 よご れた足 あし を洗 あら い流 なが せるよう、洗 あら い場 ば から一 いち 段 だん 下 さ がった部分 ぶぶん は土間 どま のたたきになっている。
ドラム缶 どらむかん 風呂 ふろ [ 編集 へんしゅう ]
ドラム缶 どらむかん 風呂 ふろ (ドラムかんぶろ)は、日本 にっぽん の風呂 ふろ の種類 しゅるい の1つで、空 あ いたドラム缶 どらむかん を廃品 はいひん 利用 りよう して風呂 ふろ として使用 しよう したものであり、五右衛門風呂 ごえもんぶろ の亜種 あしゅ である。石 いし を積 つ んで作 つく った釜 かま の上 うえ に置 お いたドラム缶 どらむかん に水 みず を満 み たし、底部 ていぶ を釜 がま の火 ひ で熱 ねっ してお湯 ゆ にする。入浴 にゅうよく は五右衛門風呂 ごえもんぶろ と同様 どうよう に、木 き の蓋 ぶた を踏 ふ んで入 はい るか、あるいは下駄 げた を履 は いて入 はい るかである。第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 中 なか には燃料 ねんりょう の空 あ き缶 かん など素材 そざい が調達 ちょうたつ しやすいことから戦地 せんち でよく作 つく られ、戦後 せんご も簡易 かんい な風呂 ふろ として内風呂 うちぶろ のない家庭 かてい も多 おお かった昭和 しょうわ 40年代 ねんだい (≒1965年 ねん - 1975年 ねん )頃 ごろ までは一般 いっぱん 家庭 かてい でもしばしば行 おこな われていた。現在 げんざい でも、ボーイスカウト や子供 こども 会 かい などの行事 ぎょうじ 、あるいは宿泊 しゅくはく 施設 しせつ の娯楽 ごらく として野外 やがい でドラム缶 どらむかん 風呂 ふろ に入浴 にゅうよく できるようなドラム缶 どらむかん 加工 かこう 品 ひん (底部 ていぶ に水 みず 抜 ぬ き用水 ようすい 栓 せん が付 つ いている)が市販 しはん されている。
木 き 桶 おけ 風呂 ふろ (鉄砲 てっぽう 風呂 ふろ )[ 編集 へんしゅう ]
木 き 桶 おけ 風呂 ふろ (2003年 ねん 撮影 さつえい )
木 き 桶 おけ 風呂 ふろ に浸 つ かる様子 ようす (1911年 ねん )
日本 にっぽん の風呂 ふろ の1つで、ヒノキ を用 もち いた大型 おおがた の小判 こばん 型 がた 木 き 桶 おけ に、火 ひ を焚 た くため鋳物 いもの 製 せい の釜 がま と煙突 えんとつ が付属 ふぞく する形状 けいじょう をしている。煙突 えんとつ のついた釜 がま の形状 けいじょう が鉄砲 てっぽう に似 に ているため、「鉄砲 てっぽう 風呂 ふろ 」と呼 よ ばれることもある。江戸 えど 時代 じだい から存在 そんざい したが、一般 いっぱん に普及 ふきゅう したのは明治 めいじ 時代 じだい から大正 たいしょう 時代 じだい にかけてと言 い われている。右 みぎ の写真 しゃしん のものは二 に 重 じゅう 構造 こうぞう の釜 がま に浴槽 よくそう 内 ない の水 みず を対流 たいりゅう 循環 じゅんかん させる、現在 げんざい の追 お い焚 た き型 がた の風呂 ふろ 沸 わ かし器 き と同様 どうよう の構造 こうぞう の比較的 ひかくてき 新 あたら しい型 かた である。原型 げんけい は浴槽 よくそう 内 ない に沈 しず めた金属 きんぞく 筒 とう に火 ひ のついた薪 たきぎ や炭 すみ を入 い れて湯 ゆ を加 か 温 あつし するものであった。湯船 ゆぶね と一体 いったい 構造 こうぞう とした釜 がま と煙突 えんとつ により直接 ちょくせつ 加 か 温 あつし する型 かた も存在 そんざい した。過渡 かと 期 き には、木 き 桶 おけ の鉄砲 てっぽう 風呂 ふろ の熱源 ねつげん をガスバーナー に置 お き換 か えたり、逆 ぎゃく に写真 しゃしん の物 もの のような薪 たきぎ 焚 た きの釜 がま にFRP 製 せい の浴槽 よくそう を組 く み合 あ わせた例 れい など、近代 きんだい 日本 にっぽん の家庭 かてい の風呂 ふろ の発達 はったつ 史 し を見 み ることができる。現在 げんざい では五右衛門風呂 ごえもんぶろ と同 おな じく見 み られる機会 きかい は少 すく ない。
明治 めいじ 時代 じだい から1950年代 ねんだい まで使 つか われ[9] 、初期 しょき の団地 だんち [注釈 ちゅうしゃく 2] にも使 つか われた。構造 こうぞう は鉄砲 てっぽう 風呂 ふろ にガスバーナーを取 と り付 つ けただけのものであった。高価 こうか なために普及 ふきゅう しなかった。 主 おも に浴室 よくしつ 内 ない 吸排気 はいき タイプがほとんどで[注釈 ちゅうしゃく 3] 、中毒 ちゅうどく 事故 じこ が多発 たはつ した。[10]
1958年 ねん 、伊奈 いな 製 せい 陶 すえ (現 げん LIXIL )がFRPと循環 じゅんかん 釜 がま を組 く み合 あ わせた「ポリバス」を発売 はつばい 。浴槽 よくそう は、高温 こうおん にも耐 た えられ、保温 ほおん 性 せい も良 よ く[11] 木 き 桶 おけ 風呂 ふろ に代 か わるものとなった。以降 いこう 、他社 たしゃ の参入 さんにゅう やバランス釜 がま の組 く み合 あ わせにより、全国 ぜんこく の団地 だんち や家庭 かてい に普及 ふきゅう した。
ユニットバス
壁 かべ ・天井 てんじょう ・浴槽 よくそう ・床 ゆか を工場 こうじょう で成型 せいけい しておき、現場 げんば に搬入 はんにゅう して組 く み立 た てる風呂 ふろ 。洗面 せんめん 台 だい やトイレ と一体 いったい 型 がた となっているものもあるが、排泄 はいせつ に用 もち いるトイレを風呂 ふろ と一体化 いったいか することを不衛生 ふえいせい と見 み なす価値 かち 観 かん が日本 にっぽん では主流 しゅりゅう である。そのため、西洋 せいよう 式 しき のホテル 以外 いがい では、低 てい 所得 しょとく 者 しゃ 向 む け住宅 じゅうたく などへの設置 せっち がある程度 ていど であり、日本 にっぽん で流通 りゅうつう しているユニットバスはそのほとんどが風呂 ふろ トイレ分離 ぶんり 型 がた である。第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 前 まえ のアメリカ では特許 とっきょ が取 と られたが、普及 ふきゅう しなかった。日本 にっぽん では1960年代 ねんだい 半 なか ばにホテルを皮切 かわき りとして1970年代 ねんだい 半 なか ばより、集合 しゅうごう 住宅 じゅうたく 向 む けに大量 たいりょう かつ容易 ようい に組 く み立 た てられる浴室 よくしつ として普及 ふきゅう した。最初 さいしょ に大量 たいりょう 納入 のうにゅう されたのは、1964年 ねん の東京 とうきょう オリンピック に向 む けて突貫 とっかん 工事 こうじ が行 おこな われていた、東京 とうきょう のホテルニューオータニ からの発注 はっちゅう で作 つく られた東洋 とうよう 陶器 とうき (現 げん ・TOTO )の製品 せいひん である[12] 。初期 しょき の製品 せいひん は繊維 せんい 強化 きょうか プラスチック (FRP) 製 せい の浴槽 よくそう が主流 しゅりゅう であったが、素材 そざい の開発 かいはつ が進 すす んだ1980年代 ねんだい 以降 いこう ではポリエステル樹脂 じゅし やアクリル樹脂 じゅし を用 もち いた人工 じんこう 大理石 だいりせき 浴槽 よくそう や、保温 ほおん 性 せい の高 たか いステンレス 浴槽 よくそう を用 もち いたものも出現 しゅつげん した。
噴流 ふんりゅう 式 しき 泡 あわ 風呂 ふろ [ 編集 へんしゅう ]
ジャクージの一 いち 例 れい
浴槽 よくそう 内 ない に勢 いきお いのある泡 あわ を出 だ す風呂 ふろ を「噴流 ふんりゅう 式 しき 泡 あわ 風呂 ふろ 」と言 い うが、一般 いっぱん には「ジェットバス 」「ジャクージ」「ジャクジー」「ジャグジー(日本語 にほんご の「蛇口 じゃぐち 」由来 ゆらい の誤読 ごどく )」などと呼 よ ばれる。浴槽 よくそう 内 ない を照 て らす照明 しょうめい を備 そな えるものもある。
「噴流 ふんりゅう 式 しき 泡 あわ 風呂 ふろ 」は、イタリア系 けい アメリカ人 じん のJacuzzi(イタリア語 ご 発音 はつおん : [jaˈkuttsi] ヤク ッツィ、英語 えいご 発音 はつおん : [ʤəˈkuːzi] ジャクー ズィ)兄弟 きょうだい が起 お こした会社 かいしゃ ジャクージ社 しゃ (英語 えいご 版 ばん ) の3代目 だいめ Roy Jacuzziが1968年 ねん に開発 かいはつ したWhirlpool tub(渦 うず 流 りゅう 浴 よく 桶 おけ )が初 はじ めてとされる。その後 ご 、各国 かっこく でJacuzziが「噴流 ふんりゅう 式 しき 泡 あわ 風呂 ふろ 」全般 ぜんぱん を指 さ す一般 いっぱん 名詞 めいし となっていった。
当該 とうがい 風呂 ふろ の問題 もんだい 点 てん [ 編集 へんしゅう ]
ノーリツ 、松下電工 まつしたでんこう (現 げん ・パナソニック )、東陶機器 とうとうきき (現 げん ・TOTO )、日立化成工業 ひたちかせいこうぎょう (現 げん ・ハウステック )、INAX (現 げん ・LIXIL )が製造 せいぞう ・販売 はんばい したジェット噴流 ふんりゅう 装置 そうち を備 そな えた浴槽 よくそう で、入浴 にゅうよく 中 ちゅう に何 なん らかのトラブル(事故 じこ )が発生 はっせい した例 れい が報告 ほうこく された。なかでも、INAXやノーリツが製造 せいぞう ・販売 はんばい したジェット噴流 ふんりゅう 装置 そうち を備 そな えた浴槽 よくそう に至 いた っては、前者 ぜんしゃ が1992年 ねん に、後者 こうしゃ が2000年 ねん に、それぞれ死亡 しぼう 事故 じこ を発生 はっせい させてしまったという事例 じれい もある。[13] [14] [15] [16]
その名 な の通 とお り、お湯 ゆ の代 か わりに水 みず を張 は った風呂 ふろ である。夏場 なつば 、暑 あつ いときに入 はい ることが多 おお い。また、サウナ に入 はい った後 のち に汗 あせ を引 ひ かせるために入 はい ることもある。
江戸 えど 時代 じだい の農村 のうそん では、風呂 ふろ といえば、水風呂 みずぶろ =桶 おけ の中 なか での行水 ぎょうずい であったとされ、各地 かくち に残 のこ されている道中 どうちゅう 日記 にっき や本陣 ほんじん 文書 ぶんしょ には「水風呂 みずぶろ 二 ふた つ」や「水風呂 みずぶろ 三 さん 個 こ 」といった記述 きじゅつ がみられ、行水 ぎょうずい 用 よう の桶 おけ と推測 すいそく される[17] 。『大和 やまと 名所 めいしょ 図会 ずえ 』(寛政 かんせい 3年 ねん )には桶 おけ の中 なか にいる子供 こども に母親 ははおや が行水 ぎょうずい させる絵 え が見 み られる。
住宅 じゅうたく の浴室 よくしつ [ 編集 へんしゅう ]
住宅 じゅうたく 用 よう 浴槽 よくそう は、洋式 ようしき ・和式 わしき ・和洋折衷 わようせっちゅう 式 しき の3種類 しゅるい に分類 ぶんるい される。洋式 ようしき は長 なが さ1400 mm - 1600 mmで長 なが く、深 ふか さ400 mm - 450 mmで浅 あさ い。和式 わしき は長 なが さ800 mm - 1200 mmで短 みじか く、深 ふか さは450 mm - 650 mmと深 ふか い。これは入浴 にゅうよく 方法 ほうほう の違 ちが いによるもので、体 からだ を伸 の ばして洗 あら う洋式 ようしき と、肩 かた まで湯 ゆ につかる和式 わしき の違 ちが いの表 あらわ れである。単純 たんじゅん に浴槽 よくそう を大 おお きくすれば両用 りょうよう に耐 た えるが、必要 ひつよう な湯量 ゆりょう が増 ふ えるため、中間 ちゅうかん 的 てき な大 おお きさである和洋折衷 わようせっちゅう 式 しき がよく使 つか われる[18] 。
浴槽 よくそう が深 ふか い場合 ばあい 、入 はい る際 さい に足 あし を高 たか く上 あ げなければならず危険 きけん である。浴槽 よくそう の設置 せっち 方法 ほうほう には埋 う め込 こ み式 しき ・半 はん 埋 う め込 こ み式 しき ・据 す え置 お き式 しき がある。浴槽 よくそう の設置 せっち 方法 ほうほう もまたぐ高 たか さを抑 おさ える半 はん 埋 う め込 こ み式 しき が最 もっと も安全 あんぜん である。
住宅 じゅうたく の浴室 よくしつ は、床下 ゆかした からの害虫 がいちゅう の侵入 しんにゅう や湿気 しっけ によるカビ の繁殖 はんしょく を防 ふせ ぐため、通常 つうじょう は床下 ゆかした 空間 くうかん が設 もう けられるが、タイル を貼 は るような浴室 よくしつ は浴槽 よくそう の埋 う め込 こ みや耐 たい 水性 すいせい のある床 ゆか 仕上 しあ げを行 おこな うため、直接 ちょくせつ 地面 じめん に接 せっ して作 つく られる。冬 ふゆ でも高温 こうおん 多湿 たしつ の状態 じょうたい が維持 いじ される浴室 よくしつ 回 まわ りは、カビや害虫 がいちゅう (例 たと えばシロアリ )の温床 おんしょう になりやすい。これらの害 がい を食 く い止 と めるためには、日頃 ひごろ から点検 てんけん を行 おこな うことや点検 てんけん が可能 かのう な作 つく りにしておくことが重要 じゅうよう である。ユニットバス の場合 ばあい 、通常 つうじょう は地面 じめん から離 はな れた状態 じょうたい で設置 せっち されるため、直接 ちょくせつ 地面 じめん と接 せっ していないが、やはり高温 こうおん 多湿 たしつ の状態 じょうたい が起 お こるため、同様 どうよう の注意 ちゅうい は必須 ひっす である。
入浴 にゅうよく 後 ご は換気扇 かんきせん を回 まわ しておくのが望 のぞ ましい[19] 。
都市 とし 部 ぶ では狭小 きょうしょう 地 ち を有効 ゆうこう 利用 りよう するため、上 うえ 階 かい に浴室 よくしつ を設置 せっち することがある。木造 もくぞう 住宅 じゅうたく の場合 ばあい 、木材 もくざい の伸縮 しんしゅく によって防水 ぼうすい 層 そう が破断 はだん することが十分 じゅうぶん 考 かんが えられ、漏水 ろうすい には十分 じゅうぶん 注意 ちゅうい が必要 ひつよう である。
浴室 よくしつ 関係 かんけい では、へちま ・バスチェア、湯 ゆ ・桶 おけ (ゆおけ)・足 あし ふきマット・お風呂 ふろ ブーツ・石 せっ けん類 るい ・シャンプー 類 るい ・それらを置 お く台 たい など、数 すう 多 おお くの品目 ひんもく が使用 しよう される。
浴室 よくしつ は洗濯 せんたく 物 もの を干 ほ す場所 ばしょ としても使 つか われる。浴室 よくしつ 乾燥 かんそう 機 き を設置 せっち ・運転 うんてん することで浴室 よくしつ 内 ない の空気 くうき を乾燥 かんそう させ、悪天候 あくてんこう や花粉 かふん の付着 ふちゃく といった心配 しんぱい をすることなく洗濯 せんたく 物 ぶつ を乾 かわ かすことができる。熱源 ねつげん は電気 でんき もしくはガス が用 もち いられ、性能 せいのう やイニシャルコスト (初期 しょき 費用 ひよう )・ランニングコスト といった面 めん で一長一短 いっちょういったん である[20] [21] 。
列車 れっしゃ における風呂 ふろ [ 編集 へんしゅう ]
列車 れっしゃ で風呂 ふろ 設備 せつび が設 もう けられているケースは少 すく なく、『TRAIN SUITE 四季 しき 島 とう 』『TWILIGHT EXPRESS 瑞 みず 風 ふう 』といった豪華 ごうか な寝台 しんだい 列車 れっしゃ に見 み られる程度 ていど である。過去 かこ に運行 うんこう されていた列車 れっしゃ では『夢 ゆめ 空間 くうかん 』にも存在 そんざい した。ちなみにシャワーや足湯 あしゆ といったレベルでは『サンライズ瀬戸 せと 』『サンライズ出雲 いずも 』『とれいゆ つばさ (現在 げんざい 運行 うんこう 終了 しゅうりょう )』や、近畿日本鉄道 きんきにほんてつどう の観光 かんこう 列車 れっしゃ 『つどい』などの例 れい がある。
風呂 ふろ の種類 しゅるい ・形態 けいたい
入浴 にゅうよく 方法 ほうほう
設備 せつび 機器 きき としての風呂 ふろ
日本 にっぽん の入浴 にゅうよく に関連 かんれん する衣服 いふく 等 とう の習慣 しゅうかん
比喩 ひゆ 、喩 たと え
起源 きげん
同音 どうおん 異 こと 語 ご
漆器 しっき に塗 ぬ った漆 うるし (うるし)を乾燥 かんそう させるために、専用 せんよう の部屋 へや や空間 くうかん を蒸気 じょうき で満 み たした施設 しせつ 。ムロ(室 しつ )ともいう
風炉 ふろ 。茶道 さどう において湯 ゆ をわかす炉 ろ 。もしくは冶金 やきん でるつぼ を加熱 かねつ する装置 そうち 。
^ 構造 こうぞう について詳 くわ しく書 か いてあるのは当時 とうじ 関西 かんさい ではあったが、江戸 えど ではまだ一般 いっぱん 的 てき でなかったからだろう(小林 こばやし 祥次 しょうじ 郎 ろう 『人名 じんめい ではない人名 じんめい 録 ろく 』勉 つとむ 誠 まこと 出版 しゅっぱん 2014年 ねん p .58-60)。
^ 主 おも に荻窪 おぎくぼ 団地 だんち など。
^ CF式 しき というタイプで、逆風 ぎゃくふう 止 どめ がある。台風 たいふう などの強風 きょうふう で立 た ち消 ぎ えしないように(ガス漏 も れ防止 ぼうし )排気 はいき ガスを風 ふう 圧 あつ で浴室 よくしつ 内 ない へ逃 に がす方式 ほうしき 。また換気扇 かんきせん などを使用 しよう すると室内 しつない が負 ふ 圧 あつ になるために浴室 よくしつ 内 ない に一酸化 いっさんか 炭素 たんそ が漏 も れ出 だ し中毒 ちゅうどく になる ため危険 きけん 。現在 げんざい は新規 しんき 設置 せっち はやむを得 え ない場合 ばあい を除 のぞ き禁止 きんし 。