宮沢 賢治
(みやざわ けんじ) | |
---|---|
1896 | |
1933 | |
| |
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( ( | |
1918 | |
ジャンル |
SF |
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『 『 『 『ポラーノの 『グスコーブドリの 『よだかの 『セロ 『 | |
デビュー |
『 |
トシ、シゲ、クニ( | |
生涯
[幼少 期 ・少年 期
[1896
3
1909
1914
盛岡 高等 農林 学校 、国 柱 会
[1915
12月26
家出 上京 、農 学校 教員 へ
[1921
12月3
1922
詩集 と童話 出版
[1924
羅 須地人 協会
[1926
12月2
この
1928
東北 砕石 工場 技師 、死
[1930
1932
1933
作品 と評価
[しかし
また、
1998
人物 像
[幼少 期 の伝説
[生誕 の約 2ヶ月 前 である1896年 6月 15日 に三陸 地震 津波 が、誕生 直後 にも陸 羽 地震 が発生 した。清六 は、賢治 の生 まれた年 は東北 地方 に災害 が多 く、「それは雨 や風 や天候 を心配 し、あらゆる生物 の幸福 を祈 って、善意 を燃 やし続 けた賢治 の生涯 が、容易 ならぬ苦難 に満 ちた道 であるのをも暗示 しているような年 であった(兄 賢治 の生涯 )」と述懐 している[110]。また、1933年 (没年 )の3月 3日 に「三陸 沖 地震 」(理科 年表 No.325)が発生 し、大 きな災害 をもたらした。地震 直後 に詩人 の大木 実 (1913年 -1996年 )へ宛 てた見舞 いの礼状 [111]には、「海岸 は実 に悲惨 です」と津波 の被害 について書 いている[112]。尋常 小学校 時代 、赤 いシャツを着 てきた同級生 が皆 に囲 まれ「メッカシ(めかしこんでいる)」とからかわれていた。賢治 は間 に入 り「おれも赤 シャツ着 てくるからいじめるならおれをいじめてくれ」とかばった[113]。- メンコで
遊 んでいた時 、仲間 の一人 がメンコを追 って指 を馬車 にひかれ出血 した。賢治 は「いたかべ、いたかべ」と言 いながらその指 を吸 ってやった[113]。 - いたずらをした
罰 として水 を満杯 にした茶碗 を持 って廊下 に立 たされていた生徒 がいた。先生 の用 で廊下 に出 た賢治 は「ひどいだろう、大変 だろう」と茶碗 の水 を飲 み干 してやった[113]。 尋常 小学校 2年 の時 、4人 の小学生 が豊沢川 に流 され2人 が亡 くなった。子供 を捜索 する船 の明 かりを大勢 の人 が集 まり豊沢 橋 の上 から見守 っていた。賢治 も同級生 が流 されたと聞 いてこれを見 ており、のちに創作 のモチーフとなった[10]。
科学
[音楽
[ベートーヴェンやドヴォルザークの
食生活 と菜食 主義
[恋愛 ・性愛 観
[新鮮 な野 の食卓 にだな、露 のようにおりてきて、あいさつをとりかわし、一 椀 の給仕 をしてくれ、すっと消 え去 り、またあくる朝 やってくるといったような女性 なら、ぼくは結婚 してもいいな。時 にはおれのセロの調子 はずれをなおしてくれたり、童話 や詩 をきいてくれたり、レコードの全 楽章 を辛抱強 くかけてくれたりするんなら申 し分 がない。 — (『宮沢 賢治 の肖像 』)[136]
その他
[- 1916
年 春 、盛岡 高等 農林 学校 の寮 の親睦 会 で寸劇 が企画 され、当時 1年生 だった保阪 嘉 内 が脚本 を書 いた戯曲 『人間 のもだえ』が上演 された。2年生 で室長 でもあった賢治 は「全知 の神 ダークネス」役 を演 じ、嘉 内 自身 も「全能 の神 アグニ」を演 じた。この嘉 内 の脚本 に現 れる「修羅 」というキーワードは、『春 と修羅 』に代表 される後 の賢治 の作品 のキーワードでもある「修羅 」という言葉 に影響 を与 えたとされる[144][145]。
家族
[祖父 ・喜助 - 1840
年 9月5日 生 - 1917年 9月16日 没 (享年 77) - 「
石 に金具 を着 せたような堅物 」で家業 を熱心 に手伝 っていたが、分家 してからは古着 屋 兼 質屋 を細々 と営 んでいた。この店 は「宮 右 」から分家 (かまどわけ)したので「宮 右 かまど」と呼 ばれた。 祖母 ・キン- 1851
年 4月 9日 生 - 1913年 3月12日 没 (享年 61) 紫波 郡 日詰 町 (現 ・紫波 町 )の関家 から嫁 ぐ。関家 は富裕 で、囲碁 ・将棋 や琴 、三味線 など芸事 が好 きだったが、キンは質実 剛健 な性格 だった。賢治 の弟 の清六 は、賢治 の童話 や詩 に現 れた一 面 はキンの持 っていた芸術 的 素質 から来 たものが多 いようだと述 べている[151]。父 ・政次郎 (まさじろう)- 1874
年 2月 23日 生 - 1957年 12月1日 没 (享年 83) 喜助 から受 け継 いだ家業 を盛 り立 て、「宮澤 商店 」を栄 えさせる。仏教 に関心 が深 く、自費 で「花巻 仏教 会 」を作 って地元 の人 たちに毎年 仏教 講習 会 を催 した。また民生 委員 、調停 委員 を長 く務 め、800件 もの紛争 をまとめた功績 で藍綬 褒章 を受章 している[152]。「自分 は仏教 を知 らなかったら三井 ・三菱 くらいの財産 を作 れただろう」と語 っていたという[153]。母 ・イチ(旧姓 ・宮澤 )- 1877
年 1月 15日 生 - 1963年 6月30日 没 (享年 86) - イチの
実家 の宮澤 家 も藤井 将 監 の子孫 で、イチの父 (賢治 の祖父 )・善治 の店 は「宮 善 」と呼 ばれた。雑貨 商 などで巨 万 の富 を築 き、花巻 銀行 、花巻温泉 、岩手 軽便鉄道 などの設立 に尽力 した[7][注釈 10]。慈愛 に満 ちた人柄 で幼 い賢治 に添 い寝 しながら「ひとというものは、ひとのために、何 かしてあげるために生 まれてきたのス」とい聞 かせていたという[155]。 妹 ・トシ- 1898
年 11月5日 生 - 1922年 11月27日 没 (享年 24) 子供 の頃 から成績 優秀 で、岩手 県立 花巻 高等 女学校 でも4年間 首席 、卒業 式 では総代 として答辞 を務 める。卒業 後 、東京 の日本女子大 学校 家政学部 予 科 に入学 する。女学校 卒業 前 に音楽 教師 との恋 の噂 の記事 が地元 の新聞 に掲載 されたことに傷 つき、実家 を離 れる進学 が許可 されたのではないかと言 われる[156]。女子大 卒業 前 に入院 するが、卒業 を認 められる。体調 が回復 してから母校 の花巻 女学校 教諭 心得 として英語 と家事 を担当 するが、翌年 喀血 、以後 は療養 生活 を送 る[157]。1922年 11月27日 午後 8時 30分 死去 [56]。24歳 だった。妹 ・シゲ- 1901
年 6月18日 生 - 1987年 9月20日 没 (享年 86) 弟 ・清六 - 1904
年 4月 1日 生 - 2001年 6月12日 没 (享年 97) 賢治 に代 わって家業 を継 ぎ、建築 材料 の卸売 ・小売 りやモーター・ラジオを扱 う「宮沢 商会 」を開業 、賢治 が嫌 っていた古着 商 からの転換 を果 たす[158]。賢治 亡 き後 は、託 された原稿 の出版 に奔走 、全集 や研究 書 の編纂 に関 わった[159]。妹 ・クニ- 1907
年 3月4日 生 - 1981年 1月 12日 没 (享年 73)
略 年譜
[- 1896
年 (明治 29年 )- 8
月 27日 -岩手 県 稗貫 郡 里川口 村 川口 町 303番地 (後 の花巻 町 大字 里 川口 第 一 二 地割 字 川口 町 295番地 、現 ・花巻 市 豊沢 町 4丁目 11番地 )にて、父 政次郎 、母 イチの長男 として生 まれる。
- 8
- 1898
年 (明治 31年 )- 11月5
日 -妹 トシが生 まれる。
- 11月5
- 1901
年 (明治 34年 )- 6月18
日 -妹 シゲが生 まれる。
- 6月18
- 1903
年 (明治 36年 )- 4
月 -花巻 川口 尋常 高等 小学校 に入学 。
- 4
- 1904
年 (明治 37年 )- 4
月 1日 -弟 清六 が生 まれる。
- 4
- 1907
年 (明治 40年 )- 3月4
日 -妹 クニが生 まれる。
- 3月4
- 1909
年 (明治 42年 )- 4
月 -岩手 県立 盛岡 中学校 (現 ・盛岡第一高等学校 )に入学 、寄宿舎 「自彊 (じきょう)寮 」に入寮 。
- 4
- 1914
年 (大正 3年 )- 3月 -
盛岡 中学校 卒業 。 - 4
月 -肥厚 性 鼻炎 で岩手 病院 で入院 ・手術 。手術 後 も発熱 が続 き、5月 末 まで入院 。 退院 後 、家 の手伝 いをしていたが、進学 を許 され、受験 勉強 に励 む。
- 3月 -
- 1915
年 (大正 4年 )- 4
月 -盛岡 高等 農林 学校 (現 ・岩手大学 農学部 )に首席 で進学 、寄宿舎 「自 啓 寮 」に入寮 。
- 4
- 1916
年 (大正 5年 )- 3月 -
農学 第 2部 (農芸 化学 専攻 )でただ一人 の特待 生 に選 ばれ、授業 料 免除 。
- 3月 -
- 1917
年 (大正 6年 )- 7
月 -同 じ学校 の保阪 嘉 内 らと同人 誌 『アザリア』創刊 。短歌 などを発表 。
- 7
- 1918
年 (大正 7年 )- 3月13
日 -保阪 嘉 内 が除籍 処分 。 - 3月15
日 -盛岡 高等 農林 学校 を卒業 。研究生 として引 き続 き在籍 、稗貫 郡 の土 性 調査 を行 う。 - 4
月 28日 -徴兵 検査 で第 二 乙種 合格 、兵役 免除 。 - 6月30
日 -肋膜炎 と診断 され、土 性 調査 終了 次第 、退学 を希望 。 - 12月26
日 -妹 のトシが肺炎 で東京 の病院 に入院 、母 と上京 して看病 する。
- 3月13
- 1919
年 (大正 8年 )萩原 朔太郎 の詩集 『月 に吠 える』に出会 う。東京 で人造 宝石 の製造 販売 事業 を計画 するが、父 の反対 にあう。- 3月3
日 - トシ退院 、岩手 に戻 る。家業 を手伝 う。
- 1920
年 (大正 9年 )- 5
月 20日 -研究生 を卒業 。 - 10月 -
国 柱 会 に入信 。父 に改宗 をせまる。
- 5
- 1921
年 (大正 10年 )- 1
月 23日 -上京 、国 柱 会 本部 を訪問 。本郷 菊坂 町 に下宿 、働 きながら多 くの童話 を執筆 。 - 8
月 - トシ病気 のため帰郷 。 - 12月3
日 -稗貫 農 学校 (後 の花巻 農 学校 )教師 となる。
- 1
- 1922
年 (大正 11年 )- 1
月 -雑誌 『愛国 婦人 』12月 号 、1月 号 に『雪 渡 り』発表 。 - 11月27
日 - トシ、病死 。
- 1
- 1924
年 (大正 13年 )- 4
月 20日 -詩集 『春 と修羅 』を自費 出版 。 - 12月1
日 -童話 集 『注文 の多 い料理 店 』を刊行 。
- 4
- 1925
年 (大正 14年 )- 7
月 -詩人 の草 野心 平 の同人 誌 『銅鑼 』に参加 。作品 を発表 。
- 7
- 1926
年 (大正 15年 )- 3月31
日 -花巻 農 学校 を依願 退職 。 - 4
月 -花巻 町 下根子 桜 の別宅 にて独居 自炊 。私塾 「羅 須地人 協会 」を設立 。 - 12月2
日 -上京 。セロ、タイプライター、オルガン、エスペラント語 を習 う。高村 光太郎 宅 を訪問 。年末 に帰郷 。
- 3月31
- 1927
年 (昭和 2年 )- 2
月 1日 - 『岩手 日報 』夕刊 で賢治 の活動 が紹介 されるが、社会 主義 教育 と疑 われ警察 の聴取 を受 ける。以後 、羅 須地人 協会 の集会 は不定期 になった。
- 2
- 1928
年 (昭和 3年 )- 6
月 -農業 指導 のため伊豆 大島 の伊藤 七雄 を訪問 。 - 8
月 10日 -過労 で倒 れ、両側 肺 湿潤 と診断 される。実家 に戻 り療養 。
- 6
- 1930
年 (昭和 5年 )- 5月 -
東北 砕石 工場 主 の鈴木 東蔵 の訪問 を受 ける。
- 5月 -
- 1931
年 (昭和 6年 )- 2
月 21日 -体調 回復 し、東北 砕石 工場 技師 となる。石灰 肥料 の宣伝 販売 を担当 。 - 9
月 20日 -商品 売 り込 みのため上京 中 に発熱 で倒 れ、旅館 で家族 に遺書 を書 く。 - 9月28
日 -花巻 に帰 り、再 び療養 生活 を送 る。 - 11月 -
手帳 に『雨 ニモマケズ』を書 く。
- 2
- 1932
年 (昭和 7年 )- 3月 - 「
児童 文学 」第 二 冊 に『グスコーブドリの伝記 』発表 。
- 3月 - 「
- 1933
年 (昭和 8年 )- 9月21
日 -急性 肺炎 のため死去 (享年 37)。戒名 「真金 院 三 不日 賢 善 男子 」。
- 9月21
作品 一覧
[童話
[※は
- 『
銀河 鉄道 の夜 』 - 『
風 の又 三郎 』 - 『ポラーノの
広場 』 - 『グスコーブドリの
伝記 』※
童話 集 『注文 の多 い料理 店 』※所収 - 『
蛙 のゴム靴 』 - 『
蜘蛛 となめくぢと狸 』[注釈 11] - 『
貝 の火 』 - 『よだかの
星 』 - 『カイロ
団長 』 - 『フランドン
農 学校 の豚 』 - 『ツェねずみ』
- 『クンねずみ』
- 『
鳥 箱 先生 とフウねずみ』 - 『
雁 の童子 』 - 『
雪 渡 り』※ - 『やまなし』※
- 『
氷河 鼠 の毛皮 』※ - 『シグナルとシグナレス』※
- 『オツベルと
象 』※ - 『ざしき
童子 のはなし』※ - 『
猫 の事務所 』※ - 『ビジテリアン
大祭 』 - 『
土 神 と狐 』 - 『
楢ノ木 大学 士 の野宿 』 - 『マリヴロンと
少女 』 - 『タネリはたしかにいちにち
噛 んでいたようだった』 - 『
虔 十 公園 林 』 - 『なめとこ
山 の熊 』 - 『
北 守将 軍 と三 人 兄弟 の医者 』※ - 『セロ
弾 きのゴーシュ』 - 『さるのこしかけ』
- 『
祭 の晩 』 - 『
税務署 長 の冒険 』[注釈 12]
詩
[- 『
心象 スケッチ春 と修羅 』所収 - 『
序 』 - 『
屈折 率 』 - 『
春 と修羅 』 - 『
真空 溶媒 』 - 『
小岩井 農場 』 - 『
岩手山 』 - 『
高原 』 - 『
原 体 剣舞 連 』 - 『
永訣 の朝 』 - 『
無声 慟哭 』 - 『
青森 挽歌 』
- 『
- 「
春 と修羅 第 二 集 」所収 - 『
一 六 五輪 峠 』 - 『
一 九 晴天 恣意 』 - 『
一 六 六 薤 露 青 』 - 『
三 一 三 産業 組合 青年 会 』 - 『
三 一 四 〔夜 の湿気 と風 がさびしくいりまじり〕』(逐次 形態 での題 は『業 の花 びら』) - 『
三 八 四 告別 』
- 『
- 「
春 と修羅 第 二 集 補遺 」所収 - 『
葱 嶺 (パミール)先生 の散歩 』
- 『
- 「
春 と修羅 第 三 集 」所収 - 『
七 〇九 春 』 - 『
一 〇〇八 〔土 も掘 るだろう〕』 - 『
一 〇八 二 〔あすこの田 はねえ〕』 - 『
一 〇二 〇野 の師父 』 - 『
一 〇二 一 和風 は河谷 いっぱいに吹 く』 - 『
一 〇八 八 〔もうはたらくな〕』
- 『
- 「
口語 詩 稿 」所収 - 『
第 三 芸術 』 - 『
火祭 』 - 『
牧歌 』 - 『
地主 』 - 『
夜 』
- 『
- 「
疾 中 」所収 - 『
病床 』 - 『
眼 にて云 う』 - 『〔
丁 丁 丁 丁 丁 〕』 - 『〔
風 がおもてで呼 んでいる〕』 - 『〔
疾 いま革 まり来 て〕』 - 『〔
手 は熱 く足 はなゆれど〕』 - 『
夜 』
- 『
- 「
補遺 詩篇 I」所収 - 『〔
雨 ニモマケズ〕』
- 『〔
- 「
文語 詩 稿 五 十 篇 」所収 - 『〔いたつきてゆめみなやみし〕』
- 『〔
水 と濃 きなだれの風 や〕』
- 「
文語 詩 稿 一 百 篇 」所収 - 「
文語 詩 未定稿 」所収 - 『
星 めぐりの歌 』 - 『
精神 歌 』 - 『ポラーノの
広場 のうた』 - 『
双子 の星 』
水彩 画
[※
- 『
日輪 と山 』 - 『
月夜 のでんしんばしら』 - 『
手 の幽霊 』または『ケミカル・ガーデン』 - 『ミミズク』
- 『ネコ』
- 『
赤 玉 』
その他
[- 『
手紙 四 』 - 『
農民 芸術 概論 綱要 』 - 『
竜 と詩人 』
全集
[- 『
宮澤 賢治 全集 』文 圃堂(1934年 - 1935年 )全 3巻 - 『
宮澤 賢治 全集 』十字屋 書店 (1939年 - 1944年 )全 6巻 別巻 1- 1・2・3
巻 目 は、文 圃堂版 全集 の紙型 を引 き継 ぎ作成 。
- 1・2・3
- 『
宮澤 賢治 全集 』筑摩書房 (1956年 - 1958年 )全 11巻 別巻 1 - 『
宮澤 賢治 全集 』筑摩書房 (1967年 - 1969年 )全 12巻 別巻 1 - 『
校本 宮澤 賢治 全集 』筑摩書房 (1973年 - 1977年 )全 14巻 (全 15冊 ) - 『
新 修 宮沢 賢治 全集 』筑摩書房 (1979年 - 1980年 )全 16巻 別巻 1- 『
校本 』版 を基 に、新 たに編纂 した普及 版 全集 。
- 『
- 『
宮沢 賢治 全集 』筑摩書房 〈ちくま文庫 〉(1985年 ‐ 1986年 、1995年 )全 10巻 。9・10巻 目 は1995年刊 - 『【
新 】校本 宮澤 賢治 全集 』筑摩書房 (1995年 - 2009年 )全 16巻 別巻 1(全 19冊 ) - 『
宮沢 賢治 コレクション』(2016年 - 2018年 )全 10巻 、生誕 120年 記念 出版
宮沢 賢治 を題材 にした作品
[※
- 『
雨 ニモマケズ』
- 『
宮沢 賢治 』
- 1993
年 にヘクトから、スーパーファミコン向 けで発売 されたアドベンチャーゲーム[注釈 13]。イーハトーヴォを舞台 に賢治 童話 の主人公 と交流 しながら賢治 の手帳 を探 す。
- 『
夜叉 鴉 』
- 『「
銀河 鉄道 の夜 」の旅 〜1923宮沢 賢治 サハリン紀行 の謎 』
- 1995
年 のドキュメンタリー。制作 :テレコムスタッフ/TBS。1995年度 ギャラクシー奨励 賞 、第 13回 (1996年 ) ATP賞 テレビグランプリ ベスト20番組 をそれぞれ受賞 。
- 『ACT
宮沢 賢治 』
- 『
賢治 のほほえみ』
- 『
宮沢 賢治 銀河 の旅 びと[165]』
- 1996
年 のドキュメンタリードラマ。NHK総合 テレビが8月 24日 に放送 。
- 『
宮澤 賢治 その愛 』
- 『
賢治 が笑 った〜ぼくらのイーハトーブ冒険 記 〜[166]』
- 『
宮沢 賢治 の食卓 』
- 『
思 い出 食堂 』(2014年 15号 ~2017年 32号 、少年画報社 )に不定期 で連載 されたグルメ漫画 。宮沢 賢治 の昔 当時 の食事 事情 を描 く。作者 は漫画 家 の魚 乃目三 太 。漫画 原作 のもとにWOWOWのドラマWで連続 ドラマ化 された。主演 は鈴木 亮平 。
- 『
銀河 鉄道 の父 』
- 『
愁 いの王 -宮澤 賢治 -』
吉田 重 滿 による日本 の長編 映画 。
顕彰 施設
[宮沢 賢治 記念 館 [167]- もりおか
啄木 ・賢治 青春 館 桜 地 人 館 石 と賢治 のミュージアム斉藤 征 義 記念 宮沢 賢治 ライブラリ「虔 十 庵 (けんじゅうあん)」
関連 項目
[地理 関係
[人物
[森荘 已 池 草野 心 平 -賢治 再 評価 に最 も尽力 した人物 。ただし交際 は文通 が主 で、生前 に面識 を得 ることはなかった。高村 光太郎 -草野 を通 じて生前 の賢治 と交際 があり、死後 の著作 刊行 に協力 。戦時 中 には賢治 の弟 清六 のつてで花巻 に疎開 している。斎藤 宗次郎 -賢治 と親交 のあったクリスチャン。『雨 ニモマケズ』のモデル説 がある。関 豊太郎 -盛岡 高等 農林 学校 での指導 教官 。藤原 嘉藤 治 -花巻 高等 女学校 の音楽 教員 で、音楽 を通 じて親交 を結 ぶ。松田 甚次郎 -賢治 の感化 を受 け、郷里 の山形 県 で農村 振興 を実践 した人物 。賢治 没 後 に『宮沢 賢治 名作 選 』を出版 した。佐々木 喜 善 -民俗 学 の研究 家 。賢治 とは晩年 に交流 があった。田中 智學 -国 柱 会 の指導 者 。金子 七郎 兵衛 -盛岡 藩 勘定 奉行 で、賢治 から見 て曾々祖父 (父方 の祖母 の祖父 )に当 たる。- ヘンリー・タッピング -
賢治 は盛岡 での学生 時代 に英語 や聖書 の講義 を受 ける。
その他
[法華経 国 柱 会 - エスペラント
宮沢 賢治 賞 ・イーハトーブ賞 -花巻 市 が実施 している表彰 事業 。安 浄 寺 (花巻 市 ) -宮沢 賢治 が子 どもの頃 に訪 れている真宗 大谷 派 の寺院 で、死没 後 に一 度 埋葬 されて、遺体 を日蓮宗 身 照寺 に改葬 した。代々 、宮沢 家 の檀家 先 だった。教 浄 寺 -盛岡 市 にある時宗 の寺 で、政次郎 の許 しを得 た賢治 は下宿 先 として、3ヶ月 間 、盛岡 高等 農林 学校 の入学 の勉学 に励 んで合格 したエピソードがある。日本 の小説 家 一覧 - ファンタジー
作家 一覧 児童 文学 作家 一覧
脚注
[注釈
[- ^
献呈 写真 の自筆 記入 日付 による[1]。 - ^
佐藤 隆房 は旧暦 7月 19日 出生 、旧暦 8月 1日 に旧暦 で届 けを出 したための間違 いと推測 している[4]。 - ^
千葉 一 幹 は、賢治 が「如来 寿 量 品 」の中 の「良 医 病 子 」(毒 を飲 んだ子供 が父 の作 った解毒 剤 を飲 めず、「父 が死 んだ」と嘘 を聞 かされ、正気 に戻 って薬 を飲 んだという寓話 )に自身 を重 ね、不幸 は自分 が飛躍 する契機 になると読 み取 ったのではないかと推測 している[22]。 - ^
文信 社 には、太平洋戦争 後 に釜石 市 長 となった鈴木 東 民 がおり、当時 の模様 を「筆耕 のころの賢治 」(筑摩書房 版 宮澤 賢治 全集 別巻 『宮澤 賢治 研究 』、1958年 )として書 き残 している。 - ^ 「
雨 ニモマケズ手帳 」に高知 尾 から「法華 文学 」の制作 を勧 められたというメモが残 っているが、高知 尾 によればそのような記憶 はなく、ただ法華経 修行 は出家 することではなく、農家 は鋤 鍬 、商人 はソロバン、文学 者 はペンを持 ってそれぞれの道 で法華経 を広 めるのが正 しい修行 と説 いたという[45]。 - ^
跡地 はカザルスホールとなり、その位置 はホールの舞台 中央 付近 と推測 されている[86]。 - ^ のちに
棟方 はこの仕事 の記憶 がほとんどないと回想 している[89]。 - ^
原子 朗 編 の『新 宮澤 賢治 語彙 辞典 』(東京書籍 、1999年 )の「レコード」の項 では「ポリドールの社長 からレコードがよく売 れるので、花巻 の高喜 商店 に問 い合 わせがあり、町 一番 のコレクター賢治 の名 を挙 げたところ、社長 から賢治 あてに感謝 状 がきた」とある。 - ^
一 例 として山内 修 (編 )『作家 読本 宮沢 賢治 』(河出書房新社 、1989年 )には「『宮澤 まき(一族 )』と言 えば花巻 を壟断 する一大 勢力 であった」という記載 がある[150]。 - ^
実際 は「尽力 」というより「協力 」と言 った方 が正確 である[149]。花巻 銀行 は善治 が役員 に招 かれただけ、岩手 軽便鉄道 も株主 として協力 した程度 という[149][154]。ただし、経営 状態 が悪化 した花巻 銀行 が1915年 に再建 された際 には善治 の息子 ・恒治 (イチの弟 )が中心 となった[149]。 - ^ のちに
推敲 後 『洞 熊 学校 を卒業 した三 人 』と改題 [160]。 - ^ 1923
年 (大正 12年 )6月 に、岩手 県 和賀 郡 湯田村 (現 ・西 和賀 町 )で密造 酒 摘発 中 の花巻 税務署 職員 が村人 から暴行 を受 けた事件 があり、当該 作品 はこの事件 をモデルにしたとされる[161][162]。密造 酒 #日本 における密造 酒 の歴史 も参照 。 - ^ メーカーの
公称 ジャンルはRPGとなっている。
出典
[- ^ 『
新 校本 宮澤 賢治 全集 第 16巻 (下 )補遺 ・資料 補遺 ・伝記 資料 篇 』筑摩書房 、2001年 、p.303 - ^ a b 「
盛岡 高等 農林 学校 第 13回 得業 証書 授与 式 」『官報 』1918年 3月 19日 、2016年 9月 21日 閲覧 。(左 ページ左下 隅 ) - ^
加藤 道理 『常用 国語 便覧 』(改訂 )浜島 書店 、2010年 2月 3日 、343、354頁 。ISBN 978-4-8343-1000-9。 - ^ a b
作家 読本 1989, p. 12. - ^
堀尾 1991, pp. 25. - ^
作家 読本 1989, p. 14. - ^ a b
作家 読本 1989, p. 13. - ^
千葉 2014, p. 38. - ^
作家 読本 1989, p. 17. - ^ a b
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[宮沢 賢治 記念 館 -花巻 市 ホームページ日本 と子 どもの文学 (宮沢 賢治 )宮沢 賢治 学会 イーハトーブセンター森 羅 情報 サービス -賢治 の大半 の作品 のテキストを掲載 している。宮沢 賢治 「遺書 (2通 )」 - ARCHIVE宮沢 賢治 :作家 別 作品 リスト -青空 文庫 宮沢 賢治 (日本 詩人 愛唱 歌集 ) - ウェイバックマシン(2019年 3月 31日 アーカイブ分 ) - 「どの詩 に誰 が作曲 したか」や宮沢 原作 の「オペラ、音楽 劇 、ミュージカル」など。聖人 ・宮沢 賢治 宮沢 賢治 の宇宙 石 と賢治 のミュージアム -一関 市 -一関 市 東山 町 - それからの
宮沢 賢治 館 - ジョヴァンニ安東 サイト内 の宮沢 賢治 特集 宮沢 賢治 生誕 100年 特集 - NHK放送 史 火 の鳥 ・アイーダ…宮沢 賢治 が愛 した音楽 、CDで復刻 へ(読売新聞 2021年 4月 15日 記事 )