この項目 こうもく では、広 ひろ く詩 し (英 えい : poetry, poem )について説明 せつめい しています。かつて単 たん に「詩 し 」と称 しょう された中国 ちゅうごく の最古 さいこ の詩篇 しへん については「詩経 しきょう 」をご覧 らん ください。
中国 ちゅうごく ・宋 そう 王朝 おうちょう の高 こう 宗 はじめ (1107-1187)による七言 しちごん 絶句 ぜっく 。絹張 きぬば りの扇 おうぎ に草 くさ 書体 しょたい で記 しる されている。
アルチュール・ランボー 『座 すわ り込 こ んだ奴等 やつら 』の草稿 そうこう
昔 むかし の詩 し
詩 し (し、うた、英 えい : poetry, poem ; 仏 ふつ : poésie, poème ; 独 どく : Gedicht )は、言語 げんご の表面 ひょうめん 的 てき な意味 いみ だけではなく美学 びがく 的 てき ・喚起 かんき 的 てき な性質 せいしつ を用 もち いて表現 ひょうげん される文学 ぶんがく の一 いち 形式 けいしき である。多 おお くの地域 ちいき で非常 ひじょう に古 ふる い起源 きげん を持 も つ。多 おお くは韻文 いんぶん で一定 いってい の形式 けいしき とリズムを持 も つが、例外 れいがい もある。一定 いってい の形式 けいしき に凝縮 ぎょうしゅく して言葉 ことば を収 おさ め、また効果 こうか 的 てき に感動 かんどう ・叙情 じょじょう ・ビジョンなどを表 あらわ すための表現 ひょうげん 上 じょう の工夫 くふう (修辞 しゅうじ 技法 ぎほう )が多 おお く見 み られる。詩 し は独立 どくりつ したものとして書 か かれる場合 ばあい も、詩劇 しげき ・聖歌 せいか ・歌詞 かし ・散文詩 さんぶんし などに見 み られるように他 た の芸術 げいじゅつ 表現 ひょうげん と結 むす び付 つ いた形 かたち で書 か かれる場合 ばあい もある。
英語 えいご のpoetry やpoem 、フランス語 ふらんすご のpoésie やpoème などの語 かたり は、「作 つく ること」を意味 いみ するギリシア語 ご ποίησις (poiesis )に由来 ゆらい し、技術 ぎじゅつ を以 もっ て作 つく り出 だ された言葉 ことば を意味 いみ した[1] 。漢字 かんじ の「詩 し 」は思 おも いや記憶 きおく を言葉 ことば にしたもので、特 とく に西 にし 周 あまね のころの古代 こだい 中国 ちゅうごく の歌謡 かよう を編纂 へんさん した詩編 しへん を指 さ した(のちに『詩経 しきょう 』と称 しょう される。漢詩 かんし も参照 さんしょう )[2] 。日本 にっぽん では明治 めいじ になるまでは「詩 し 」といえば漢詩 かんし を指 さ し、「歌 うた 」は日本 にっぽん 古来 こらい の歌謡 かよう から発 はっ したものを指 さ した。文学 ぶんがく の一 いち 形式 けいしき として「詩 し 」の語 かたり を使 つか うようになったのは、西洋 せいよう 文学 ぶんがく の影響 えいきょう から作 つく られた『新体詩 しんたいし 抄 しょう 』などを起源 きげん とする[3] 。
印刷 いんさつ 技術 ぎじゅつ が普及 ふきゅう した後 のち は詩 し の多 おお くは活字 かつじ で提供 ていきょう され「読 よ まれる」ようになった[注釈 ちゅうしゃく 1] が、詩 し は文字 もじ の発明 はつめい 以前 いぜん から存在 そんざい したとも言 い われ[4] 、韻文 いんぶん を朗唱 ろうしょう 、あるいは節 ふし を付 つ けて歌 うた うことが普通 ふつう であった。漢詩 かんし に節 ふし を付 つ けて詠 えい じるものは詩吟 しぎん と言 い う。幕末 ばくまつ 以降 いこう の日本 にっぽん では一時期 いちじき 流行 りゅうこう し、剣舞 けんぶ を伴 ともな う事 こと もあった。現代 げんだい では、詩 し を朗読 ろうどく することを特 とく にポエトリー・リーディング と呼 よ ぶことがある。作者 さくしゃ 本人 ほんにん による朗読 ろうどく 会 かい や、音楽 おんがく の演奏 えんそう とコラボレーションを行 おこな うなどの試 こころ みもある。
概説 がいせつ
詩 し および詩 し を巡 めぐ る議論 ぎろん には長 なが い歴史 れきし がある。アリストテレス の『詩学 しがく 』のような詩 し を定義 ていぎ する初期 しょき の試 こころ みでは、修辞 しゅうじ ・演劇 えんげき ・歌 うた ・喜劇 きげき などにおける話法 わほう の用 もち い方 かた に焦点 しょうてん を合 あ わせていた[5] 。後世 こうせい の試 こころ みでは、反復 はんぷく 、詩型 しけい 、韻 いん といった要素 ようそ に重点 じゅうてん が置 お かれ、詩 し を散文 さんぶん から区別 くべつ する美学 びがく が強調 きょうちょう された[6] 。20世紀 せいき 中葉 ちゅうよう 以降 いこう では、詩 し はより緩 ゆる やかに言語 げんご を用 もち いた根源 こんげん 的 てき な創造 そうぞう 活動 かつどう として定義 ていぎ されることもある[7] 。
詩 し では特有 とくゆう の形式 けいしき や決 き まり事 ごと を用 もち いることで言葉 ことば に別 べつ の意味 いみ を持 も たせたり感情 かんじょう 的 てき ・官能 かんのう 的 てき な反応 はんのう を引 ひ き起 お こしたりすることが多 おお い。類 るい 韻 いん 、頭韻 とういん 、オノマトペ 、韻律 いんりつ といった道具 どうぐ が音楽 おんがく 的 てき もしくは呪術 じゅじゅつ 的 てき な効果 こうか を生 う み出 だ すために用 もち いられる場合 ばあい もある。両義 りょうぎ 性 せい 、象徴 しょうちょう 、イロニー やその他 た の詩語 しご による文体 ぶんたい 的 てき 要素 ようそ はしばしば詩作 しさく 品 ひん に複数 ふくすう の解釈 かいしゃく を可能 かのう にする。
同様 どうよう に、隠喩 いんゆ ・直喩 ちょくゆ ・換喩 かんゆ は[8] それがなければ全 まった く別々 べつべつ であったイメージを共鳴 きょうめい させ、意味 いみ を重層 じゅうそう 化 か させ、それまで知覚 ちかく されなかった繋 つな がりを形成 けいせい する。同種 どうしゅ の共鳴 きょうめい は韻律 いんりつ や脚韻 きゃくいん のパターンによって個々 ここ の詩 し 行 ぎょう の間 あいだ にも存在 そんざい し得 え る。
詩 し の諸 しょ 形式 けいしき の中 なか には詩人 しじん が書 か く言語 げんご の特徴 とくちょう に呼応 こおう した特定 とくてい の文化 ぶんか やジャンル に固有 こゆう のものもある。ダンテ 、ゲーテ 、ミツキェヴィチ 、ルーミー のような詩人 しじん で詩 し をイメージすることに慣 な れた読者 どくしゃ は、詩 し を韻 いん を踏 ふ んだ詩 し 行 ぎょう と規則 きそく 的 てき な韻律 いんりつ で書 か かれたものと考 かんが えるかもしれないが[注釈 ちゅうしゃく 2] 、聖書 せいしょ の詩 し のようにリズムと音調 おんちょう を得 え るために別 べつ のアプローチを取 と る伝統 でんとう もある。現代 げんだい の詩 し の多 おお くは詩 し の伝統 でんとう に対 たい してある程度 ていど は批評 ひひょう 的 てき であり[9] 、音調 おんちょう の原則 げんそく そのもの(やその他 た のもの)と戯 じゃ れ、試 ため し、場合 ばあい によっては敢 あ えて韻 いん を踏 ふ まなかったり韻律 いんりつ を定 さだ めなかったりもする[10] [11] [注釈 ちゅうしゃく 3] 。今日 きょう のグローバル化 か した世界 せかい では、詩人 しじん たちはしばしば様式 ようしき 、技法 ぎほう 、形式 けいしき などをさまざまな文化 ぶんか や言語 げんご から借用 しゃくよう している。
詩 し の美 び や力 ちから や効果 こうか は様式 ようしき や技法 ぎほう や形式 けいしき だけによるものではない。偉大 いだい な詩 し は、まさにその言葉 ことば によって聴衆 ちょうしゅう や読者 どくしゃ に思考 しこう と力強 ちからづよ い感情 かんじょう を喚 よ び起 お こすことで他 た から抜 ぬ きん出 で る。たとえばハンガリーのヨージェフ・アティッラ のような詩人 しじん たちは、センテンスに結合 けつごう された言葉 ことば によって言葉 ことば 自体 じたい の意味 いみ の総和 そうわ よりも大 おお きな意味 いみ に到達 とうたつ する非凡 ひぼん な詩 し を書 か いている。そうした言葉 ことば の中 なか には日常 にちじょう 会話 かいわ で使 つか われる諺 ことわざ になったものもある。時代 じだい や文化 ぶんか が変 か われば言葉 ことば の意味 いみ も変化 へんか するので、詩 し の当初 とうしょ の美 び や力 ちから を味 あじ わうのは難 むずか しい。
歴史 れきし
アッカド語 ご で書 か かれたギルガメシュ叙事詩 じょじし の「大 だい 洪水 こうずい 」の石板 せきばん (BC2千年紀 せんねんき 頃 ごろ )
芸術 げいじゅつ の一 いち 形式 けいしき としての詩 し は文字 もじ の読 よ み書 か き よりも先 さき に存在 そんざい したとも考 かんが えられる[注釈 ちゅうしゃく 4] 。古代 こだい インド の『ヴェーダ 』(紀元前 きげんぜん 1700-1200年 ねん )やザラスシュトラ の『ガーサー 』(紀元前 きげんぜん 1200-900年 ねん )から『オデュッセイア 』(紀元前 きげんぜん 800-675年 ねん )に至 いた る古代 こだい の作品 さくひん の多 おお くは、前史 ぜんし 時代 じだい や古代 こだい の社会 しゃかい において記憶 きおく と口頭 こうとう による伝達 でんたつ を補助 ほじょ するために詩 し の形 かたち で作 つく られたものと思 おも われる[4] 。詩 し は文字 もじ を持 も つ文明 ぶんめい の大半 たいはん において最初 さいしょ 期 き の記録 きろく の中 なか に出現 しゅつげん しており、初期 しょき のモノリス ・ルーン石碑 せきひ ・石碑 せきひ などから詩 し の断片 だんぺん が発見 はっけん されている。
ヴァルミキ 。『ラーマーヤナ 』の作者 さくしゃ とされる
現存 げんそん する最古 さいこ の詩 し は紀元前 きげんぜん 三 さん 千年紀 せんねんき のシュメール (メソポタミア 、現 げん イラク )の『ギルガメシュ叙事詩 じょじし 』であり、粘土 ねんど 板 ばん や後 ご にはパピルス に楔形文字 くさびがたもじ で書 か かれていた[12] 。その他 た の古代 こだい の叙事詩 じょじし にはギリシア語 ご の『イーリアス 』と『オデュッセイア 』、アヴェスター語 ご の『ガーサー 』と『ヤスナ 』、古代 こだい ローマ の民族 みんぞく 叙事詩 じょじし 、ウェルギリウス の『アエネーイス 』、インドの『ラーマーヤナ 』と『マハーバーラタ 』などがある。
詩 し を詩 し として成立 せいりつ させている形式 けいしき 上 じょう の特徴 とくちょう は何 なに か、良 よ い詩 し と悪 わる い詩 し との分 わ かれ目 め は何 なに かを決定 けってい しようという古代 こだい の思索 しさく 家 か たちの努力 どりょく は「詩学 しがく 」――詩 し の美学 びがく 的 てき 研究 けんきゅう を生 う み出 だ した。古代 こだい 社会 しゃかい の中 なか には、中国 ちゅうごく の儒教 じゅきょう の五経 ごきょう の1つである『詩経 しきょう 』に見 み られるように審美 しんび 的 てき のみならず儀式 ぎしき 的 てき にも重要 じゅうよう な詩的 してき 作品 さくひん の規範 きはん を発達 はったつ させたものもあった。近年 きんねん でも、思索 しさく 家 か たちはチョーサー の『カンタベリー物語 ものがたり 』から松尾 まつお 芭蕉 ばしょう の『おくのほそ道 みち 』までの形式 けいしき 上 じょう の差異 さい や、タナハ の宗教 しゅうきょう 詩 し からロマンチック・ラブ 詩 し やラップ に至 いた るまでのコンテクスト 上 うえ の差異 さい を包括 ほうかつ できる定義 ていぎ を求 もと めて苦闘 くとう している[13] 。
コンテクストは詩学 しがく にとって、また詩 し のジャンル や形式 けいしき の発達 はったつ にとって決定的 けっていてき に重要 じゅうよう である。『ギルガメシュ叙事詩 じょじし 』やフェルドウスィー の『シャー・ナーメ 』[14] のような歴史 れきし 的 てき な出来事 できごと を叙事詩 じょじし として記録 きろく した詩 し は必然 ひつぜん 的 てき に長 なが く物語 ものがたり 的 てき になる一方 いっぽう で、典礼 てんれい のために用 もち いられる詩 し (聖歌 せいか 、詩篇 しへん 、スーラ 、ハディース )は霊感 れいかん を与 あた えるような調子 ちょうし を持 も ち、またエレジー や悲劇 ひげき は深 ふか い感情 かんじょう 的 てき な反応 はんのう を引 ひ き起 お こすことを意図 いと される。その他 た のコンテクストとしてはグレゴリオ聖歌 せいか 、公的 こうてき ・外交 がいこう 的 てき な演説 えんぜつ [注釈 ちゅうしゃく 5] 、政治 せいじ 的 てき レトリックや毒舌 どくぜつ [注釈 ちゅうしゃく 6] 、屈託 くったく のない童謡 どうよう やナンセンス詩 し 、さらには医学 いがく テクストなどもある[注釈 ちゅうしゃく 7] 。
ポーランドの美学 びがく 史家 しか ヴワディスワフ・タタルキェヴィチ (en:Władysław Tatarkiewicz ) は論文 ろんぶん 「詩 し の概念 がいねん 」において、事実 じじつ 上 じょう 「詩 し の2つの概念 がいねん 」であるところのものの進化 しんか を追跡 ついせき している。タタルキェヴィチは「詩 し 」という言葉 ことば が2つの別個 べっこ なものに適用 てきよう されており、この両者 りょうしゃ は、詩人 しじん ポール・ヴァレリー が観察 かんさつ したように、「ある地点 ちてん で結合 けつごう する。詩 し は……言語 げんご に基 もと づく芸術 げいじゅつ である。しかし詩 し にはまたより広 ひろ い意味 いみ もあり……それは明確 めいかく なものではないので定義 ていぎ が困難 こんなん である。詩 し はある種 しゅ の『精神 せいしん の状態 じょうたい 』を表現 ひょうげん する」[15] のだと指摘 してき している。
西洋 せいよう の伝統 でんとう
アリストテレス
古代 こだい の思索 しさく 家 か たちは詩 し を定義 ていぎ しその質 しつ を評価 ひょうか する手段 しゅだん として分類 ぶんるい を用 もち いた。とりわけ、アリストテレス 『詩学 しがく 』の現存 げんそん する断片 だんぺん は詩 し の3つのジャンル――叙事詩 じょじし 、喜劇 きげき 、悲劇 ひげき ――を記述 きじゅつ し、それぞれのジャンルでその基礎 きそ となる目的 もくてき に基 もと づき最高 さいこう 品位 ひんい の詩 し を見分 みわ けるための規則 きそく を展開 てんかい している[16] 。後世 こうせい の美学 びがく 者 しゃ たちは喜劇 きげき と悲劇 ひげき を劇詩 げきし の下位 かい ジャンルとして扱 あつか い、叙事詩 じょじし ・抒情詩 じょじょうし ・劇詩 げきし を3大 だい ジャンルとした。
ジョン・キーツ
アリストテレスの仕事 しごと はルネサンス 期 き のヨーロッパのみならず、イスラム黄金 おうごん 時代 じだい の中東 ちゅうとう 全域 ぜんいき [注釈 ちゅうしゃく 8] にも影響 えいきょう を及 およ ぼした[17] 。後 ご の詩人 しじん や美学 びがく 者 しゃ たちはしばしば詩 し を散文 さんぶん と区別 くべつ し、散文 さんぶん とは反対 はんたい のものであるとして詩 し を定義 ていぎ した。散文 さんぶん は概 おおむ ね、論理 ろんり 的 てき な説明 せつめい への傾向 けいこう と線形 せんけい 的 てき な物語 ものがたり 構造 こうぞう を持 も つ著作 ちょさく として理解 りかい されていた[注釈 ちゅうしゃく 9] 。
これは詩 し が非 ひ 論理 ろんり 的 てき であったり物語 ものがたり を持 も たなかったりすることを意味 いみ するのではなく、むしろ詩 し とは論理 ろんり 的 てき もしくは物語 ものがたり 的 てき な思考 しこう 過程 かてい に忙殺 ぼうさつ されることなく美 び や崇高 すうこう を表現 ひょうげん する試 こころ みなのである。イギリスのロマン主義 しゅぎ 詩人 しじん ジョン・キーツ はこの論理 ろんり からの脱出 だっしゅつ をネガティブ・ケイパビリティ (en:Negative Capability 、「消極 しょうきょく 的 てき 能力 のうりょく 」)と呼 よ んだ[18] [注釈 ちゅうしゃく 10] 。形式 けいしき は抽象 ちゅうしょう 的 てき なものであり意味 いみ 上 じょう の論理 ろんり とは別個 べっこ なものであるので、この「ロマン主義 しゅぎ 的 てき 」なアプローチは形式 けいしき を詩 し の成功 せいこう の鍵 かぎ となる要素 ようそ と見 み ていた。このアプローチは20世紀 せいき に至 いた るまで影響 えいきょう を残 のこ した。
この時期 じき にはまた、ヨーロッパの植民 しょくみん 地 ち 主義 しゅぎ の拡大 かくだい とそれに伴 ともな う世界 せかい 的 てき な交易 こうえき の増大 ぞうだい のためもあり、さまざまな詩 し の伝統 でんとう がさらに相互 そうご に影響 えいきょう を与 あた え合 あ った。翻訳 ほんやく のブームに加 くわ え、ロマン主義 しゅぎ の時期 じき には数 すう 多 おお くの古代 こだい の作品 さくひん が再 さい 発見 はっけん された。
20世紀 せいき の論争 ろんそう
アーチボルド・マクリーシュ
20世紀 せいき の文学 ぶんがく 理論 りろん には、散文 さんぶん と詩 し との対比 たいひ にはあまり重点 じゅうてん を置 お かず、単純 たんじゅん に言語 げんご を用 もち いて創造 そうぞう する者 もの としての詩人 しじん と、詩人 しじん が創造 そうぞう するものとしての詩 し に焦点 しょうてん を合 あ わせるものもあった。創造 そうぞう 者 しゃ としての詩人 しじん という基礎 きそ 的 てき な概念 がいねん は珍 めずら しいものではなく、現代 げんだい 詩人 しじん の中 なか には言葉 ことば による詩 し の創造 そうぞう と大工 だいく 仕事 しごと のような他 ほか の媒体 ばいたい による創造 そうぞう 活動 かつどう との間 あいだ に本質 ほんしつ 的 てき に区別 くべつ を置 お かない者 もの もいる[19] 。さらには詩 し を定義 ていぎ しようという試 こころ み自体 じたい が見当 けんとう 違 ちが いであるとして異議 いぎ を唱 とな える者 もの もあり、アーチボルド・マクリーシュ は自身 じしん の逆説 ぎゃくせつ 的 てき な詩 し 『詩論 しろん 』(en:Ars Poetica ) をこう結 むす んでいる:「詩 し は意味 いみ してはならない/存在 そんざい するのだ。」[注釈 ちゅうしゃく 11]
詩 し の定義 ていぎ や他 た の文学 ぶんがく ジャンルとの区別 くべつ を巡 めぐ る論争 ろんそう は詩 し の形式 けいしき の役割 やくわり を巡 めぐ る議論 ぎろん と表裏一体 ひょうりいったい である。20世紀 せいき 前半 ぜんはん に始 はじ まった詩 し の伝統 でんとう 的 てき な形式 けいしき と構造 こうぞう の拒絶 きょぜつ は、詩 し の伝統 でんとう 的 てき な定義 ていぎ や詩 し と散文 さんぶん の区別 くべつ (特 とく に散文詩 さんぶんし と詩的 してき 散文 さんぶん のような例 れい )の持 も つ目的 もくてき や意味 いみ の疑問 ぎもん 視 し と同時 どうじ に進行 しんこう した。数 かず 多 おお くの現代 げんだい 詩人 しじん は、伝統 でんとう 的 てき でない形式 けいしき や、伝統 でんとう 的 てき には散文 さんぶん と見 み 做されるような形式 けいしき を用 もち いて書 か いたが、その作品 さくひん には概 がい して詩語 しご や、韻律 いんりつ によらない手段 しゅだん で確立 かくりつ されたリズムやトーンが染 し み込 こ んでいた[20] 。現代 げんだい 派 は の中 なか にも詩 し の構造 こうぞう の衰退 すいたい に対 たい する形式 けいしき 主義 しゅぎ 的 てき な反動 はんどう があったが、こうした動 うご きでは古 ふる い形式 けいしき と構造 こうぞう の再生 さいせい だけでなく、新 あたら しい形式 けいしき 構造 こうぞう と統合 とうごう の開拓 かいたく にも焦点 しょうてん が当 あ てられていた[21] 。
さらに最近 さいきん では、ポストモダニズム はマクリーシュのコンセプトを全面 ぜんめん 的 てき に受 う け入 い れ、散文 さんぶん と詩 し との境界 きょうかい や、さらには詩 し の諸 しょ ジャンル間 あいだ の境界 きょうかい にも文化 ぶんか 的 てき な遺物 いぶつ としての意味 いみ しかないと見 み 做すようになっている。ポストモダニズムはモダニズム における詩人 しじん の創造 そうぞう 的 てき 役割 やくわり の強調 きょうちょう からさらに進 すす み、テクストの読者 どくしゃ の役割 やくわり を強調 きょうちょう (解釈 かいしゃく 学 がく )し、詩 し が読 よ まれるところの複雑 ふくざつ な文化 ぶんか 的 てき な網 あみ の目 め に光 ひかり を当 あ てた[22] 。今日 きょう では、世界中 せかいじゅう で、詩 し は他 た の文化 ぶんか や過去 かこ から形式 けいしき や詩語 しご を取 と り入 い れており、かつては例 たと えば西洋 せいよう の古典 こてん 体系 たいけい のような1つの伝統 でんとう の中 なか では理 り に適 かな っていた定義 ていぎ と分類 ぶんるい の試 こころ みにさらなる混乱 こんらん を引 ひ き起 お こしている。
要素 ようそ
韻律 いんりつ 論 ろん
韻律 いんりつ 論 ろん (en:Prosody ) は詩 し のメーター、リズム、イントネーション の研究 けんきゅう である。リズムとメーターは密接 みっせつ に関係 かんけい し合 あ うものであり、日本語 にほんご ではどちらも「韻律 いんりつ 」と訳 やく されることがあるが、別 べつ の概念 がいねん である[23] 。メーターは韻文 いんぶん の確立 かくりつ されたパターン(例 たと えば弱 じゃく 強 きょう 五 ご 歩 ほ 格 かく など)であるのに対 たい し、リズムは詩 し 行 ぎょう から実際 じっさい に結果 けっか として得 え られた音 おと である。従 したが って、詩 し 行 ぎょう のメーターは「イアンボス (強弱 きょうじゃく 格 かく )」であるといったように記述 きじゅつ されうるが、言語 げんご がどこで休止 きゅうし または加速 かそく を引 ひ き起 お こすか、いかにメーターが言語 げんご の他 ほか の要素 ようそ と相互 そうご 作用 さよう するかといったリズムの完全 かんぜん な記述 きじゅつ にはこれといった規定 きてい はない。韻律 いんりつ 論 ろん はまたより特定 とくてい 的 てき に、メーターを示 しめ すために詩 し 行 ぎょう を解析 かいせき することを指 さ す場合 ばあい もある。
リズム
ロビンソン・ジェファーズ
詩的 してき リズムを作 つく り出 だ すのに用 もち いられる方法 ほうほう は言語 げんご や詩 し の伝統 でんとう によってさまざまである。言語 げんご は、どのようにしてリズムが確立 かくりつ されるかによって、アクセント (強 つよ 勢 いきおい アクセント)、音節 おんせつ 、モーラ のいずれかに主 おも によるタイミング (en:isochrony ) のセットを持 も つとしてしばしば記述 きじゅつ されるが、それ以外 いがい にも複数 ふくすう の方面 ほうめん からの影響 えいきょう を受 う ける[24] 。日本語 にほんご はモーラ・タイミングの言語 げんご である。音節 おんせつ タイミングの言語 げんご にはラテン語 らてんご 、カタルーニャ語 ご 、フランス語 ふらんすご 、レオン語 ご 、ガリシア語 ご 、スペイン語 ご などがある。英語 えいご とロシア語 ご はアクセント・タイミングの言語 げんご である。ドイツ語 ご も概 おおむ ねアクセント・タイミングに含 ふく まれる。さまざまなイントネーション もリズムがどう感受 かんじゅ されるかに影響 えいきょう する。また高低 こうてい アクセント(ヴェーダ語 ご や古代 こだい ギリシア語 ご など)や声調 せいちょう などに依存 いぞん する場合 ばあい もある。声調 せいちょう 言語 げんご には中国 ちゅうごく 語 ご 、ベトナム語 ご 、リトアニア語 ご 、およびニジェール・コンゴ語族 ごぞく の大半 たいはん の言語 げんご が含 ふく まれる[25] 。
メーターによるリズムは一般 いっぱん 的 てき に、各行 かくこう の中 なか で強 つよ 勢 ぜい や音節 おんせつ を韻脚 いんきゃく と呼 よ ばれるパターンの反復 はんぷく に正確 せいかく に配置 はいち することを意味 いみ する。近代 きんだい の英 えい 詩 し では強 つよ 勢 ぜい のパターンが主 おも に韻脚 いんきゃく に違 ちが いを付 つ けるので、メーターによるリズムは専 もっぱ ら強 つよ 勢 いきおい ・非 ひ 強 きょう 勢 ぜい の音節 おんせつ (単独 たんどく 、またはエリジオン して)のパターンによって確立 かくりつ される。一方 いっぽう 、古典 こてん 語 ご では、メーターの単位 たんい は同様 どうよう であるが、強 つよ 勢 ぜい よりもむしろ母音 ぼいん の長短 ちょうたん がメーターを定義 ていぎ していた。古 こ 英語 えいご の詩 し は、各行 かくこう で音節 おんせつ 数 すう は不定 ふてい であるが強 つよ 勢 ぜい の数 かず は一定 いってい というメーターのパターンを用 もち いていた[26] 。
詩篇 しへん の内 うち の多 おお くも含 ふく む古代 こだい ヘブライ語 ご の聖書 せいしょ の詩 し での主要 しゅよう な道具 どうぐ は、連続 れんぞく する詩 し 行 ぎょう が文法 ぶんぽう 構造 こうぞう 、音声 おんせい 構造 こうぞう 、概念的 がいねんてき 内容 ないよう 、もしくはその全 すべ てにおいて互 たが いを反映 はんえい し合 あ う修辞 しゅうじ 構造 こうぞう であるパラレリズム であった。パラレリズムはアンティフォナ やコールアンドレスポンス といった実演 じつえん に適 てき しており、イントネーション によってさらに強化 きょうか されうるものであった。従 したが って、聖書 せいしょ の詩 し はメーターによる韻脚 いんきゃく にはあまり頼 たよ らず、行 こう ・フレーズ・センテンスといったより大 おお きな音 おと の単位 たんい に基 もとづ いてリズムを作 つく り出 だ していた。古典 こてん 的 てき な詩 し の形式 けいしき の中 なか には、タミル語 ご のヴェンパ (ヴェン調 ちょう 、en:Venpa )のように、(文脈 ぶんみゃく 自由 じゆう 文法 ぶんぽう として表 あらわ せるほどまでに)厳密 げんみつ な文法 ぶんぽう を持 も ちそれがリズムを確保 かくほ していたものもあった[27] 。漢詩 かんし では、強 つよ 勢 ぜい と並 なら んで声調 せいちょう がリズムを作 つく り出 だ す。中国 ちゅうごく の古典 こてん 詩 し は四声 しせい を区別 くべつ していた。平声 ひょうしょう 、上声 じょうせい 、去声 きょしょう 、入声 にっしょう である。他 た の分類 ぶんるい 法 ほう では中国 ちゅうごく 語 ご で最大 さいだい 8つ、ベトナム語 ご で6つの声 こえ があることもある。
近代 きんだい の西洋 せいよう 詩 し でリズムを作 つく り出 だ すのに使 つか われる正式 せいしき なメーターのパターンは、現代 げんだい では最早 もはや 支配 しはい 的 てき なものではない。自由 じゆう 詩 し の場合 ばあい 、リズムはしばしば規則 きそく 的 てき なメーターよりもより緩 ゆる やかなケイデンスの単位 たんい に基 もとづ いて構成 こうせい される。ロビンソン・ジェファーズ 、マリアン・ムーア 、ウィリアム・カルロス・ウィリアムズ は英 えい 詩 し に規則 きそく 的 てき な強 つよ 勢 いきおい メーターが不可欠 ふかけつ だという考 かんが え方 かた を拒絶 きょぜつ した代表 だいひょう 的 てき な詩人 しじん である[28] 。ジェファーズは強 つよ 勢 ぜい によるリズムに代 か わる選択肢 せんたくし としてスプラング・リズム を実験 じっけん した[29] 。
メーター
西洋 せいよう 詩 し の伝統 でんとう では、メーター は特徴 とくちょう となる韻脚 いんきゃく と、行 くだり あたりの脚 あし 数 すう によって分類 ぶんるい されるのが通例 つうれい である。「弱 じゃく 強 きょう 五 ご 歩 ほ 格 かく 」は1行 ぎょう につき5つの韻脚 いんきゃく から成 な り、支配 しはい 的 てき な韻脚 いんきゃく は「イアンボス 」(弱 じゃく 強 きょう 格 かく /短長 たんちょう 格 かく )である。このメーター方式 ほうしき は古代 こだい ギリシア詩 し に起源 きげん を持 も ち、ピンダロス やサッポー といった詩人 しじん たちやアテネ の偉大 いだい な悲劇 ひげき 作家 さっか たちに使 つか われた。同様 どうよう に、「強弱 きょうじゃく 弱 じゃく 六 ろく 歩 ほ 格 かく 」(長短 ちょうたん 短 たん 六 ろく 歩 ほ 格 かく )は1行 ぎょう につき6つの韻脚 いんきゃく から成 な り、支配 しはい 的 てき な韻脚 いんきゃく は「ダクテュロス 」(長短 ちょうたん 短 たん 格 かく /強弱 きょうじゃく 弱 じゃく 格 かく )である。長短 ちょうたん 短 たん 六 ろく 歩 ほ 格 かく はギリシア叙事詩 じょじし の伝統 でんとう 的 てき なメーターであり、ホメロス とヘーシオドス の作品 さくひん が現存 げんそん する最古 さいこ の例 れい である。後世 こうせい では、弱 じゃく 強 きょう 五 ご 歩 ほ 格 かく はウィリアム・シェイクスピア 、強弱 きょうじゃく 弱 じゃく 六 ろく 歩 ほ 格 かく はヘンリー・ワズワース・ロングフェロー によって用 もち いられている。
リラ を奏 かな でるホメロス 。フィリップ=ローラン・ロラン 作 さく (1812)
メーターはしばしば韻脚 いんきゃく の詩 し 行 ぎょう への配列 はいれつ に基 もとづ いて解析 かいせき される[30] 。英語 えいご では、各々 おのおの の韻脚 いんきゃく には強 つよ 勢 ぜい を持 も つ音節 おんせつ 1つと強 つよ 勢 ぜい を持 も たない1-2つの音節 おんせつ が含 ふく まれる。他 た の言語 げんご では、音節 おんせつ 数 すう や母音 ぼいん の長 なが さの組 く み合 あ わせが韻脚 いんきゃく の解析 かいせき 方法 ほうほう を決定 けってい する場合 ばあい もある。この場合 ばあい 、長 ちょう 母音 ぼいん を持 も つ1つの音節 おんせつ は短 たん 母音 ぼいん を持 も つ2つの音節 おんせつ と等価 とうか として扱 あつか われる。例 たと えば、古代 こだい ギリシア詩 し では、メーターは強 つよ 勢 ぜい ではなく音節 おんせつ の長 なが さのみに基 もとづ いていた。英語 えいご などの一部 いちぶ の言語 げんご では、強 つよ 勢 ぜい のある音節 おんせつ は概 がい してより大 おお きな声 こえ で、より長 なが く、より高 たか いピッチで発音 はつおん され、詩 し のメーターの基盤 きばん となる。古代 こだい ギリシアでは、これらの属性 ぞくせい はそれぞれ独立 どくりつ したものであった。長 ちょう 母音 ぼいん と、母音 ぼいん と2つ以上 いじょう の子音 しいん を持 も つ音節 おんせつ は実際 じっさい に凡 およ そ短 たん 母音 ぼいん の2倍 ばい の長 なが さを持 も っていたが、ピッチや強 つよ 勢 いきおい (アクセントによって決定 けってい される)は長 なが さには関係 かんけい しておらず、メーター上 じょう の役割 やくわり も持 も っていなかった。従 したが って、長短 ちょうたん 短 たん 六 ろく 歩 ほ 格 かく の詩 し 行 ぎょう は6つの小節 しょうせつ を持 も つ音楽 おんがく のフレーズのように考 かんが えることができ、それぞれには二 に 分 ふん 音符 おんぷ が1つと四 よん 分 ふん 音符 おんぷ が2つ(1つの長 なが い音節 おんせつ と2つの短 みじか い音節 おんせつ )もしくは二 に 分 ふん 音符 おんぷ が2つ(2つの長 なが い音節 おんせつ )含 ふく まれていた。2つの短 みじか い音節 おんせつ を1つの長 なが い音節 おんせつ に置 お き換 か えても同 おな じ長 なが さの韻脚 いんきゃく が得 え られるわけである。このような置 お き換 か えは、英語 えいご などのような強 つよ 勢 いきおい 言語 げんご では、同 おな じリズムの規則 きそく 性 せい はもたらさない。アングロ・サクソン族 ぞく の(頭韻 とういん 詩 し の)メーターでは、詩 し 行 ぎょう を構成 こうせい する要素 ようそ は韻脚 いんきゃく ではなく2つの強 つよ 勢 ぜい を含 ふく む半 はん 行 ぎょう であった[31] 。メーターの解析 かいせき はしばしば韻文 いんぶん の根底 こんてい にある基礎 きそ 的 てき ・根本 こんぽん 的 てき なパターンを明 あき らかにするが、強 つよ 勢 いきおい 、ピッチ、音節 おんせつ 長 ちょう などのさまざまな違 ちが いについては明 あき らかにしない[32] 。
メーターの定義 ていぎ の例 れい として、英語 えいご での弱 じゃく 強 きょう 五 ご 歩 ほ 格 かく では、各行 かくこう は5つの韻脚 いんきゃく から成 な り、各 かく 韻脚 いんきゃく はイアンボス (強 つよし 勢 ぜい のない音節 おんせつ に強 つよ 勢 ぜい のある音節 おんせつ が続 つづ く)である。個々 ここ の行 くだり を調 しら べる際 さい には、メーターの基本 きほん パターンの上 うえ にバリエーションがある場合 ばあい もある。例 たと えば、英 えい 詩 し の弱 じゃく 強 きょう 五 ご 歩 ほ 格 かく では最初 さいしょ の韻脚 いんきゃく は頻繁 ひんぱん に倒置 とうち されており、強 つよ 勢 ぜい が最初 さいしょ の音節 おんせつ に来 き ている[33] 。最 もっと もよく使 つか われる韻脚 いんきゃく の種類 しゅるい の一般 いっぱん 的 てき な名称 めいしょう は:
ヘンリー・ホリデー によるルイス・キャロル 『スナーク狩 か り 』のイラストレーション 。弱 じゃく 弱 じゃく 強 きょう 四 よん 歩 ほ 格 かく で書 か かれている。 "In the midst of the word he was try ing to say / In the midst of his laugh ter and glee / He had soft ly and su ddenly va nished away / For the snark was a boo jum, you see ."
イアンボス (iamb, 弱 じゃく 強 きょう 格 かく /短長 たんちょう 格 かく )
トロカイオス (trochee, 強弱 きょうじゃく 格 かく /長短 ちょうたん 格 かく )
ダクテュロス (dactyl, 強弱 きょうじゃく 弱 じゃく 格 かく /長短 ちょうたん 短 たん 格 かく )
アナパイストス (anapest, 弱 じゃく 弱 じゃく 強 きょう 格 かく /短 たん 短長 たんちょう 格 かく )
スポンデイオス (spondee, 強強 ごわごわ 格 かく /長長 ながなが 格 かく )
ピュリキオス (pyrrhic, 弱 じゃく 弱 じゃく 格 かく /短 たん 短 たん 格 かく ) - 稀 まれ 。通常 つうじょう 、強弱 きょうじゃく 弱 じゃく 六 ろく 歩 ほ 格 かく の終端 しゅうたん に用 もち いられる。
詩 し 行 ぎょう 中 ちゅう の韻脚 いんきゃく の数 かず はギリシア語 ご の用語 ようご を用 もち いて次 つぎ のように表 あらわ される:
二 に 歩 ほ 格 かく (dimeter)
三 さん 歩 ほ 格 かく (trimeter)
四 よん 歩 ほ 格 かく (tetrameter)
五 ご 歩 ほ 格 かく (pentameter)
六 ろく 歩 ほ 格 かく (hexameter)
七 なな 歩 ほ 格 かく (heptameter)
八 はち 歩 ほ 格 かく (octameter)
これらの他 ほか の韻脚 いんきゃく のタイプにも広範 こうはん に名前 なまえ が存在 そんざい しており、コリアンブ(choriamb, 強弱 きょうじゃく 弱 じゃく 強 きょう 格 かく /長短 ちょうたん 短長 たんちょう 格 かく )のような4音節 おんせつ のものまで存在 そんざい する。コリアンブは古代 こだい ギリシア・ローマの詩 し に由来 ゆらい している。トルコ語 ご やヴェーダ語 ご などのように、メーターの決定 けってい に強 つよ 勢 ぜい よりも(もしくは強 つよ 勢 ぜい に加 くわ えて)母音 ぼいん の長 なが さやイントネーション を用 もち いる言語 げんご でも、長音 ちょうおん と短音 たんおん の一般 いっぱん 的 てき な組 く み合 あ わせを記述 きじゅつ するイアンボスやダクテュロスと類似 るいじ した概念 がいねん が存在 そんざい することが多 おお い。
韻脚 いんきゃく のそれぞれタイプには、それ単独 たんどく で、もしくは他 た の韻脚 いんきゃく との組 く み合 あ わせによってある種 しゅ の「感覚 かんかく 」が伴 ともな う。例 たと えば、弱 じゃく 強 きょう 格 かく は英語 えいご で最 もっと も自然 しぜん なリズム形式 けいしき であり、総 そう じて繊細 せんさい だが安定 あんてい した韻文 いんぶん を形作 かたちづく る[34] 。他方 たほう 、強弱 きょうじゃく 弱 じゃく 格 かく はほとんど駆 か け足 あし で進 すす むような感 かん じを与 あた える。『クリスマスのまえのばん 』や『ドクター・スース 』に見 み られるように、弱 じゃく 弱 じゃく 強 きょう 格 かく は快活 かいかつ でコミックな感 かん じを作 つく り出 だ していると言 い われる[35] 。
メーターを記述 きじゅつ する上 じょう で、異 こと なった「韻脚 いんきゃく 」の多重 たじゅう 性 せい がどれほど有用 ゆうよう なものであるかについては議論 ぎろん がある。例 たと えばロバート・ピンスキー は、ダクテュロス(長短 ちょうたん 短 たん 格 かく )は古典 こてん 詩 し では重要 じゅうよう であったが、英語 えいご のダクテュロス(強弱 きょうじゃく 弱 じゃく 格 かく )詩 し は強弱 きょうじゃく 弱 じゃく 格 かく を極 きわ めて不規則 ふきそく にしか用 もち いておらず、ピンスキーによれば英語 えいご にとってより自然 しぜん であるところの弱 じゃく 強 きょう 格 かく と弱 じゃく 弱 じゃく 強 きょう 格 かく のパターンに基 もとづ いた方 ほう がより良 よ く記述 きじゅつ できると論 ろん じている[36] 。実際 じっさい のリズムは先述 せんじゅつ のような解析 かいせき されたメーターよりもずっと複雑 ふくざつ なものであり、多 おお くの学者 がくしゃ がこの複雑 ふくざつ 性 せい を分析 ぶんせき できる体系 たいけい を開拓 かいたく しようと努力 どりょく してきた。ウラジーミル・ナボコフ は、詩 し 行 ぎょう における強 つよし 勢 ぜい ・非 ひ 強 きょう 勢 ぜい の音節 おんせつ の規則 きそく 的 てき なパターンには話 はな し言葉 ことば の自然 しぜん なピッチから生 う まれるアクセントの別 べつ のパターンが重 かさ ね合 あ わされていると指摘 してき し、アクセントのない強 つよ 勢 ぜい をアクセントのある強 つよ 勢 ぜい から区別 くべつ するために "scud" という用語 ようご を用 もち いることを提言 ていげん した[37] 。
メーターのパターン
シェイクスピア の弱 じゃく 強 きょう 五 ご 歩 ほ 格 かく やホメロスの長短 ちょうたん 短 たん 六 ろく 歩 ほ 格 かく から多 おお くの童謡 どうよう で用 もち いられている弱 じゃく 弱 じゃく 強 きょう 四 よん 歩 ほ 格 かく まで、異 こと なった詩 し の伝統 でんとう やジャンルでは異 こと なったメーターが用 もち いられる傾向 けいこう にある。しかしながら、特定 とくてい の韻脚 いんきゃく や詩 し 行 ぎょう を強調 きょうちょう したり単調 たんちょう な反復 はんぷく を回避 かいひ したりするために、確立 かくりつ されたメーターから変化 へんか させることもまた一般 いっぱん 的 てき である。例 たと えば、韻脚 いんきゃく 内 ない で強 つよ 勢 ぜい が倒置 とうち されたり、カエスーラ (休止 きゅうし )が(時 とき として韻脚 いんきゃく や強 つよし 勢 ぜい の代 か わりに)置 お かれたり、行 くだり の最後 さいご の韻脚 いんきゃく に和 やわ らげる目的 もくてき で女性 じょせい 行末 ゆくすえ が置 お かれたり強調 きょうちょう し急 きゅう 止 とめ を作 つく り出 だ す目的 もくてき で強強 ごわごわ 格 かく が置 お かれたりする。弱 じゃく 強 きょう 五 ご 歩 ほ 格 かく のような一部 いちぶ のパターンは極 きわ めて規則 きそく 的 てき になりやすい一方 いっぽう で、強弱 きょうじゃく 弱 じゃく 六 ろく 歩 ほ 格 かく のような一部 いちぶ のパターンは極 きわ めて不規則 ふきそく になりやすい。規則 きそく 性 せい は言語 げんご によっても幅 はば がある。加 くわ えて、異 こと なった言語 げんご ではしばしば異 こと なったパターンが発達 はったつ し、たとえばロシア語 ご の弱 じゃく 強 きょう 四 よん 歩 ほ 格 かく は大抵 たいてい メーターの補強 ほきょう のためにアクセント使用 しよう の規則 きそく 性 せい を反映 はんえい するが、これは英語 えいご では行 おこな われないか行 おこな われても稀 まれ である[38] 。
アレクサンドル・プーシキン
一般 いっぱん 的 てき なメーターのパターンの例 れい を、それを用 もち いた代表 だいひょう 的 てき な詩人 しじん や詩作 しさく 品 ひん の例 れい と共 とも に以下 いか に挙 あ げる:
漢詩 かんし における五言 ごごん や七言 しちごん 、日本 にっぽん の五七調 ごしちちょう や七五調 しちごちょう もここに加 くわ えうるであろう。漢詩 かんし には声調 せいちょう に「平仄 ひょうそく 」と呼 よ ばれる規則 きそく がある。
脚韻 きゃくいん 、頭韻 とういん 、類 るい 韻 いん
古 こ 英語 えいご の叙事詩 じょじし 『ベーオウルフ 』は頭韻 とういん 法 ほう により書 か かれている。
脚韻 きゃくいん 、頭韻 とういん 、類 るい 韻 いん 、子 こ 音韻 おんいん は音声 おんせい の反復 はんぷく するパターンを作 つく り出 だ す方法 ほうほう である。これらは詩 し の独立 どくりつ した構造 こうぞう 要素 ようそ として、リズムパターンを補強 ほきょう するために、あるいはまた装飾 そうしょく 的 てき な要素 ようそ として使用 しよう されうる[注釈 ちゅうしゃく 14] 。
押韻 おういん とは、詩 し 行 ぎょう の末尾 まつび (脚韻 きゃくいん )もしくはその他 た の予測 よそく 可能 かのう な位置 いち (中間 ちゅうかん 韻 いん )に同一 どういつ (hard-rhyme) もしくは類似 るいじ (soft-rhyme) の音 おと を置 お くことである[44] 。言語 げんご によって押韻 おういん 構造 こうぞう の豊 ゆた かさには差 さ がある。例 たと えばイタリア語 ご は豊 ゆた かな押韻 おういん 構造 こうぞう を持 も ち、長大 ちょうだい な詩 し を少数 しょうすう の脚韻 きゃくいん の組 くみ で持続 じぞく させることができる。この豊 ゆた かさは規則 きそく 的 てき な形 かたち の語尾 ごび によるものである。英語 えいご は他 た 言語 げんご から借用 しゃくよう された不規則 ふきそく な語尾 ごび が多 おお いので押韻 おういん にはあまり富 と んでいない[45] 。押韻 おういん 構造 こうぞう の豊 ゆた かさはその言語 げんご でどのような詩 し の形式 けいしき が一般 いっぱん 的 てき に用 もち いられるかを決定 けってい する上 じょう で重要 じゅうよう な役割 やくわり を担 にな う[注釈 ちゅうしゃく 15] 。
頭韻 とういん と類 るい 韻 いん は初期 しょき のゲルマン語 ご 、ノルド語 ご 、古 こ 英語 えいご の詩 し を構成 こうせい する上 じょう で重要 じゅうよう な役割 やくわり を果 は たした。初期 しょき ゲルマン詩 し の頭韻 とういん パターンはその構造 こうぞう の主要 しゅよう 部分 ぶぶん としてメーターと頭韻 とういん を織 お り交 ま ぜることで、メーターのパターンによっていつき手 きて が頭韻 とういん が来 く ると期待 きたい するかを決定 けってい できるようにした。これは、近代 きんだい ヨーロッパ詩 し の大 だい 部分 ぶぶん で見 み られる、規則 きそく 的 てき ではなかったり、連 れん の全体 ぜんたい で完遂 かんすい はされなかったりする装飾 そうしょく 的 てき な頭韻 とういん の使用 しよう と対比 たいひ することができるであろう[46] 。頭韻 とういん は押韻 おういん 構造 こうぞう に富 と まない言語 げんご で特 とく に有用 ゆうよう である[注釈 ちゅうしゃく 16] 。類 るい 韻 いん は語頭 ごとう や語尾 ごび での似 に た音声 おんせい ではなく語 かたり 中 ちゅう の似 に た母音 ぼいん を用 もち いるものであり、スカルド詩 し で広 ひろ く用 もち いられたが、これはホメロスの時代 じだい にまで遡 さかのぼ る。英語 えいご では動詞 どうし が多 おお くのピッチを持 も つため、類 るい 韻 いん が漢詩 かんし の声調 せいちょう 要素 ようそ を緩 ゆる やかに喚起 かんき させることができるので漢詩 かんし の翻訳 ほんやく に有用 ゆうよう である。子音 しいん 韻 いん は1つの子音 しいん をセンテンスの至 いた る所 ところ で(語頭 ごとう だけではなく)反復 はんぷく するものである。子音 しいん 韻 いん は頭韻 とういん と比 ひ して微弱 びじゃく な効果 こうか しか引 ひ き起 お こさないので、構造 こうぞう 的 てき な要素 ようそ としての有用 ゆうよう 性 せい も低 ひく い。
『英 えい 詩 し への言語 げんご 学 がく 的 てき ガイド』(Longmans, 1969) においてジェフリー・リーチは韻 いん を6つの音声 おんせい パターンに分類 ぶんるい した。これらは、関係 かんけい する単語 たんご を構成 こうせい する部分 ぶぶん のうち1つまたは2つが変化 へんか しうる6つの可能 かのう な方法 ほうほう として定義 ていぎ されている。下表 かひょう では不変 ふへん の部分 ぶぶん は大文字 おおもじ /太字 ふとじ で表示 ひょうじ している。Cは子音 しいん 群 ぐん (1つの子音 しいん とは限 かぎ らない)を、Vは母音 ぼいん を現 あらわ す。
種別 しゅべつ
パターン
英語 えいご 例 れい 1
英語 えいご 例 れい 2
フランス語 ふらんすご 例 れい [注釈 ちゅうしゃく 17]
日本語 にほんご 例 れい (擬似 ぎじ 的 てき )
頭韻 とういん
C v c
gr eat/gr ow
s end/s it
pl ace/pl eur
め んこ/め だか
類 るい 韻 いん (母 はは 音韻 おんいん )
c V c
grea t/fai l
se nd/be ll
pla ce/fe mme
(めん こ/きん く)
子 こ 音韻 おんいん
c v C
great /meat
send /hand
place /tresse
---
逆 ぎゃく 韻 いん (Reverse Rhyme)
C V c
grea t/gra zed
se nd/se ll
pla ce/pla que
めん こ/めん つ
en:Pararhyme
C v C
gr eat /gr oat
s end /s ound
pl ace /pl usse
め んこ /め のこ
脚韻 きゃくいん
c V C
great /bait
send /bend
place /masse
めんこ /はんこ
共通 きょうつう する音素 おんそ が多 おお い押韻 おういん は「豊 ゆた か」であると言 い われる(言語 げんご の押韻 おういん 構造 こうぞう の豊 ゆた かさとは別 べつ の概念 がいねん )。例 たと えばフランス語 ふらんすご の agate /frégate は末尾 まつび の3音素 おんそ が共通 きょうつう なので豊 ゆた かであり、bijou /clou は母音 ぼいん 1音素 おんそ のみ共通 きょうつう なので貧 まず しい。aigre /tigre は子音 しいん 2音素 おんそ が共通 きょうつう であるが、このように母音 ぼいん が共通 きょうつう しないものは子音 しいん 韻 いん であり脚韻 きゃくいん とは見 み 做されない。
押韻 おういん 構成 こうせい
ダンテ とベアトリーチェが、天使 てんし に囲 かこ まれた光 ひかり の点 てん として現 あらわ された神 かみ を見 み ている。ギュスターヴ・ドレ による『神 かみ 曲 きょく 』天国 てんごく 篇 へん 28のイラストレーション 。
現代 げんだい ヨーロッパ諸語 しょご 、アラビア語 ご 、中国 ちゅうごく 語 ご を含 ふく む数 すう 多 おお くの言語 げんご で、バラッド ・ソネット ・二 に 行 ぎょう 連 れん といった詩 し の形式 けいしき を構成 こうせい する要素 ようそ として詩人 しじん たちは一定 いってい のパターンに沿 そ って脚韻 きゃくいん を用 もち いてきた。しかしながら、構造 こうぞう 的 てき な脚韻 きゃくいん の用法 ようほう はヨーロッパの伝統 でんとう の中 なか においてすら普遍 ふへん 的 てき なものではない。現代 げんだい の詩 し は伝統 でんとう 的 てき な押韻 おういん 構成 こうせい を避 さ けるものも多 おお い。古典 こてん ギリシア・ラテンの詩 し は押韻 おういん を行 おこな わなかった。脚韻 きゃくいん は中世 ちゅうせい 盛期 せいき (11-13世紀 せいき 頃 ごろ )に、部分 ぶぶん 的 てき にはアンダルス (今日 きょう のスペイン)のアラビア語 ご の影響 えいきょう 下 か でヨーロッパに移入 いにゅう された[47] 。アラビア語 ご の詩人 しじん たちは6世紀 せいき のアラビア文芸 ぶんげい の発達 はったつ 初期 しょき からその長大 ちょうだい なカスィーダ (en:qasida ) において大々的 だいだいてき に脚韻 きゃくいん を用 もち いていた。中国 ちゅうごく では紀元前 きげんぜん の『詩経 しきょう 』『楚 すわえ 辞 じ 』で既 すで に押韻 おういん が行 おこな われていた。押韻 おういん 構成 こうせい の一部 いちぶ は特定 とくてい の言語 げんご ・文化 ぶんか ・時代 じだい と結 むす び付 つ いたものとなり、一部 いちぶ はそれらを跨 またが って使用 しよう されるものとなった。詩 し の形式 けいしき の中 なか には王侯 おうこう 用 よう 詩形 しけい やルバーイイ のように明確 めいかく に定義 ていぎ された一貫 いっかん した押韻 おういん 構成 こうせい を持 も つものもある一方 いっぽう で、可変 かへん の押韻 おういん 構成 こうせい を持 も つものもある。
押韻 おういん 構成 こうせい の大半 たいはん は脚韻 きゃくいん の組 くみ に対応 たいおう する文字 もじ によって表 あらわ せる。例 たと えば四 よん 行 ぎょう 詩 し の第 だい 1・2・4行 ぎょう が韻 いん を踏 ふ み、第 だい 3行 ぎょう が踏 ふ まないとすると、この四 よん 行 ぎょう 詩 し は「a-a-b-a」の押韻 おういん 構成 こうせい を持 も つと言 い う。この押韻 おういん 構成 こうせい はルバーイイ形式 けいしき などで用 もち いられるものである[注釈 ちゅうしゃく 18] 。同様 どうよう に、「a-b-b-a」の四 よん 行 ぎょう 詩 し は(抱擁 ほうよう 韻 いん 、en:enclosed rhyme と呼 よ ばれ)、ペトラルカ 風 ふう ソネットなどの形式 けいしき で用 もち いられる[48] 。より複雑 ふくざつ な押韻 おういん 構成 こうせい の中 なか には、オッターヴァ・リーマ やテルツァ・リーマ のように「a-b-c」式 しき の構成 こうせい を離 はな れ、独自 どくじ の名前 なまえ を持 も つようになったものもある。さまざまな押韻 おういん 構成 こうせい の種類 しゅるい や方法 ほうほう については「押韻 おういん 構成 こうせい 」の項 こう を参照 さんしょう 。
オッターヴァ・リーマ
オッターヴァ・リーマ は最初 さいしょ の6行 ぎょう が「a-b」の押韻 おういん 構成 こうせい で、結 むす びの2行 ぎょう がそれに続 つづ き「a-b-a-b-a-b-c-c」の計 けい 8行 ぎょう からなる連 れん を用 もち いる押韻 おういん 構成 こうせい である。ジョヴァンニ・ボッカッチョ が最初 さいしょ に用 もち い、英雄 えいゆう 叙事詩 じょじし で発達 はったつ したが、また英雄 えいゆう を嘲笑 ちょうしょう する詩 し でも用 もち いられた。
テルツァ・リーマ
ダンテ の『神 かみ 曲 きょく 』[注釈 ちゅうしゃく 19] はテルツァ・リーマ で書 か かれている。各 かく 連 れん は3行 ぎょう から成 な り、その第 だい 1行 ぎょう と第 だい 3行 ぎょう が押韻 おういん し、第 だい 2行 ぎょう は次 つぎ の連 れん の第 だい 1・第 だい 3行 ぎょう と韻 いん を踏 ふ み鎖 くさり 韻 いん (en:chain rhyme ) を構成 こうせい する(つまり「a-b-a / b-c-b / c-d-c / ...」)。テルツァ・リーマは流 なが れがあり、進行 しんこう する感覚 かんかく を詩 し に付与 ふよ し、巧 たく みに用 もち いられれば前方 ぜんぽう ・後方 こうほう の双方 そうほう への動 うご きの感覚 かんかく を引 ひ き起 お こすことができる。必然 ひつぜん 的 てき に、テルツァ・リーマは(共通 きょうつう する語尾 ごび に富 と むイタリア語 ご のように)豊 ゆた かな押韻 おういん 構造 こうぞう を持 も つ言語 げんご の長大 ちょうだい な詩 し で用 もち いられる[49] 。
形式 けいしき
詩 し の形式 けいしき (詩型 しけい )はモダニズム やポストモダニズム の詩 し ではより柔軟 じゅうなん なものとなり、それ以前 いぜん の時代 じだい と比 くら べますます構造 こうぞう 化 か されないものとなり続 つづ けている。現代 げんだい の詩人 しじん の多 おお くは目 め に見 み える構造 こうぞう や形式 けいしき を避 さ け、自由 じゆう 詩 し で書 か くようになっている。それでも、詩 し は散文 さんぶん からその形式 けいしき によって区別 くべつ されるものであり続 つづ けている。基本 きほん 的 てき な詩 し の構造 こうぞう への何 なん らかの敬意 けいい は最 もっと も自由 じゆう な形 かたち の詩 し にあってさえも見出 みいだ される、そうした構造 こうぞう は無視 むし されているように見 み えるのではあるけれども。同様 どうよう に、古典 こてん 的 てき なスタイルで書 か かれた最良 さいりょう の詩 し であっても、重点 じゅうてん や効果 こうか の面 めん では厳密 げんみつ な形式 けいしき からは逸脱 いつだつ しているものである。
詩 し に用 もち いられる構造 こうぞう 的 てき な要素 ようそ (ユニット)のうち主要 しゅよう なものとしては行 くだり 、連 れん もしくは段落 だんらく (一定 いってい の行 くだり 数 すう を持 も たない連 れん )、連 れん や行 ぎょう の組 く み合 あ わせで構成 こうせい されるより大 おお きな編 へん (en:canto ) などがある。より広範 こうはん な視覚 しかく 的 てき 表現 ひょうげん やカリグラフィー などが用 もち いられることもある。これらの詩 し の形式 けいしき の基本 きほん 単位 たんい はしばしば結合 けつごう され、ソネット や俳句 はいく のような、「詩型 しけい 」や詩 し の様式 ようしき などと呼 よ ばれるより大 おお きな構造 こうぞう を形成 けいせい する。
行 くだり と連 れん
詩 し はしばしばページ上 じょう で複数 ふくすう の行 くだり に分割 ぶんかつ (改行 かいぎょう )される。これらの行 くだり はメーターの韻脚 いんきゃく 数 すう に基 もと づいていたり行末 ゆくすえ の押韻 おういん パターンを強調 きょうちょう していたりする。行 くだり は他 た の機能 きのう を持 も つこともあり、型通 かたどお りのメーターのパターンに従 したが って書 か かれていない場合 ばあい には特 とく にそうである。行 くだり によって、異 こと なった単位 たんい で表現 ひょうげん された思考 しこう を分離 ぶんり ・比較 ひかく ・対比 たいひ したり、調子 ちょうし の変化 へんか を強調 きょうちょう したりすることができる。
詩 し 行 ぎょう はしばしば連 れん (スタンザ )と呼 よ ばれる、含 ふく む行 くだり 数 すう によって名付 なづ けられる単位 たんい を構成 こうせい する。2行 ぎょう から成 な るものは二 に 行 ぎょう 連 れん 、以降 いこう 三 さん 行 ぎょう 連 れん 、四 よん 行 ぎょう 連 れん 、五 ご 行 ぎょう 連 れん 、六 ろく 行 ぎょう 連 れん 、八 はち 行 ぎょう 連 れん となる。これらの詩 し 行 ぎょう は互 たが いに韻 いん やリズムによって関連付 かんれんづ けられる場合 ばあい もそうでない場合 ばあい もある。例 たと えば、二 に 行 ぎょう 連 れん は同一 どういつ のメーターを持 も ち押韻 おういん する2つの行 くだり から成 な る場合 ばあい も、メーターのみを共有 きょうゆう する2行 ぎょう から成 な る場合 ばあい もある。関連付 かんれんづ けられた複数 ふくすう の二 に 行 ぎょう 連 れん や三 さん 行 ぎょう 連 れん が1つの連 れん の中 なか にある場合 ばあい も多 おお い。
アレクサンドル・ブローク の詩 し 『夜 よる 、通 とお り、街灯 がいとう 、ドラッグストア』。ライデン の壁 かべ 。
パラグラフ単位 たんい で構成 こうせい される詩 し もあり、こうした詩 し では確立 かくりつ したリズムを伴 ともな う規則 きそく 的 てき な押韻 おういん は用 もち いられず、詩 し の調子 ちょうし はパラグラフ形式 けいしき の中 なか で確立 かくりつ されたリズム、頭韻 とういん 、脚韻 きゃくいん などの集積 しゅうせき によって生 う み出 だ される。規則 きそく 的 てき な押韻 おういん とリズムが用 もち いられていた地域 ちいき であってでも、多 おお くの中世 ちゅうせい の詩 し はパラグラフ形式 けいしき で書 か かれていた。
多 おお くの詩型 しけい で、連 れん は連結 れんけつ されており、1つの連 れん の押韻 おういん 構成 こうせい やその他 た の構造 こうぞう 要素 ようそ が以降 いこう に続 つづ く連 れん のそれらを決定 けってい する。こうした連結 れんけつ された連 れん の例 れい として、最初 さいしょ の連 れん でリフレイン(ヴィラネルの場合 ばあい は複数 ふくすう のリフレイン)が確立 かくりつ され、以降 いこう の連 れん でそれを繰 く り返 かえ すガザル やヴィラネル などがある。連結 れんけつ された連 れん はまた詩 し をテーマ別 べつ の部分 ぶぶん に分離 ぶんり することにも使 つか われる。例 たと えば、頌歌 形式 けいしき でのストロペー 、アンティストロペー 、エポード はしばしば1つもしくは複数 ふくすう の連 れん に分離 ぶんり されている。このような場合 ばあい や、その他 た 構造 こうぞう が極 きわ めて規則 きそく 的 てき に作 つく られている場合 ばあい には、1つの連 れん が完全 かんぜん なセンテンスと纏 まと まりのある考 かんが えから成 な る1つの完成 かんせい した思考 しこう を形成 けいせい するのが普通 ふつう である。
いくつかの場合 ばあい 、特 とく に叙事詩 じょじし の形式 けいしき にあるような長大 ちょうだい で秩序 ちつじょ 立 た った詩 し の場合 ばあい には、連 れん そのものが厳密 げんみつ な規則 きそく に従 したが って構築 こうちく され、結合 けつごう される。スカルド詩 し では、「Dróttkvætt」(「君主 くんしゅ らしい詩 し 」。en:Alliterative verse 参照 さんしょう )の連 れん は8行 ぎょう から成 な り、各々 おのおの が頭韻 とういん もしくは類 るい 韻 いん により生 う み出 だ される3つの「リフト」(lifts) を持 も っていた。2-3の頭韻 とういん に加 くわ えて、奇 き 数 すう 行 ぎょう では子音 しいん の部分 ぶぶん 的 てき な韻 いん (母音 ぼいん は似 に ていない)が必 かなら ずしも語頭 ごとう とは限 かぎ らない位置 いち で踏 ふ まれ、偶数 ぐうすう 行 ぎょう では組 くみ となった音節 おんせつ が必 かなら ずしも語尾 ごび とは限 かぎ らない位置 いち で中間 ちゅうかん 韻 いん を踏 ふ んでいた。それぞれの半 はん 行 ぎょう は正確 せいかく に6つの音節 おんせつ から成 な り、各行 かくこう はトロカイオスで終 お わっていた。複数 ふくすう の Dróttkvætt の配置 はいち は、個々 ここ のそれの構成 こうせい に比 くら べれば遥 はる かに緩 ゆる やかな規則 きそく に基 もと づいていた。
視覚 しかく 表現 ひょうげん
徽宗 「芙蓉 ふよう 錦鶏 きんけい 図 ず 」(11世紀 せいき 頃 ごろ )。五言 ごごん 絶句 ぜっく の賛 さん がある
印刷 いんさつ 術 じゅつ の出現 しゅつげん 以前 いぜん から、詩 し の視覚 しかく 的 てき な外見 がいけん はしばしば詩 し に意味 いみ や深 ふか みを付与 ふよ していた。折 おり 句 く は詩 し 行 ぎょう の先頭 せんとう やその他 た の特定 とくてい の位置 いち にある文字 もじ によって意味 いみ を伝 つた えた。アラビア詩 し 、ヘブライ詩 し 、漢詩 かんし 、和歌 わか などでは、優美 ゆうび なカリグラフィー で書 か かれた詩 し の視覚 しかく 的 てき 表現 ひょうげん は多 おお くの詩 し において重要 じゅうよう な全体 ぜんたい 的 てき 効果 こうか を及 およ ぼしていた。
印刷 いんさつ 術 じゅつ が出現 しゅつげん すると、詩人 しじん たちは大量 たいりょう 生産 せいさん によってさらなる視覚 しかく 的 てき 表現 ひょうげん を操 あやつ れるようになった。視覚 しかく 的 てき 要素 ようそ は詩人 しじん の道具 どうぐ 箱 ばこ の重要 じゅうよう な部分 ぶぶん となり、多 おお くの詩人 しじん たちは視覚 しかく 的 てき 表現 ひょうげん を幅広 はばひろ い目的 もくてき に活用 かつよう しようとした。モダニズム 詩人 しじん の中 なか には、ページ上 じょう での個々 ここ の詩 し 行 ぎょう や詩 し 行 ぎょう の纏 まと まりの配置 はいち を詩 し の構成 こうせい の不可分 ふかぶん な一部 いちぶ とした者 もの もいた。時 とき としてこれは、さまざまな長 なが さの視覚 しかく 的 てき なカエスーラ を通 とお して詩 し のリズムを補 おぎな ったり、並置 へいち を作 つく り出 だ すことによって意味 いみ や多義 たぎ 性 せい やイロニー を際立 きわだ たせたり、また単純 たんじゅん に審美 しんび 的 てき に心地 ここち よい形 かたち を作 つく り出 だ したりした[50] 。最 もっと も極端 きょくたん な形 かたち としては、カリグラム や失 しつ 象徴 しょうちょう 筆記 ひっき (en:asemic writing ) のようなものまである[注釈 ちゅうしゃく 20] 。
詩語 しご
クリスティーナ・ロセッティ 『「ゴブリン・マーケット」とその他 た の詩 し 』(1862) のダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ によるイラストレーション。『ゴブリン・マーケット』では童謡 どうよう の形 かたち を取 と りながら複雑 ふくざつ な詩語 しご を駆使 くし した。「ゴブリンたちを見 み てはだめ/その果物 くだもの を買 か っちゃだめ/どんな土 ど に生 は やしてるんだか/その渇 かわ いた貪欲 どんよく な根 ね っこを?」
詩語 しご (en:poetic diction ; 詩 し の用語 ようご 法 ほう )は言語 げんご が使用 しよう される方式 ほうしき を扱 あつか う。音声 おんせい だけでなく、内在 ないざい する意味 いみ や、その音声 おんせい や詩型 しけい との相互 そうご 作用 さよう にも及 およ ぶ。多 おお くの言語 げんご や詩型 しけい は極 きわ めて独特 どくとく な詩語 しご を有 ゆう しており、詩 し のための独自 どくじ の文法 ぶんぽう や方言 ほうげん を持 も つまでに至 いた っている。これには20世紀 せいき 後半 こうはん の韻律 いんりつ 論 ろん で好 この まれたような通常 つうじょう の言葉 ことば 遣 づか いの厳密 げんみつ な使用 しよう から、中世 ちゅうせい やルネサンス期 き のマーカー(en:makar . スコットランドの詩人 しじん を指 さ す)などに見 み られる非常 ひじょう に華美 かび できらびやかな言語 げんご の用法 ようほう までの幅 はば がある。
詩語 しご には直喩 ちょくゆ や隠喩 いんゆ (メタファー )のような修辞 しゅうじ 技法 ぎほう やイロニー のような口調 くちょう なども含 ふく まれる[注釈 ちゅうしゃく 21] 。アリストテレス は『詩学 しがく 』において「何 なに よりも偉大 いだい なことは隠喩 いんゆ の名手 めいしゅ であることだ」と書 か いている[51] 。モダニズム の台頭 たいとう と共 とも に、詩人 しじん たちの一部 いちぶ は修辞 しゅうじ 技法 ぎほう に重 おも きを置 お かない詩語 しご を選 えら び、事柄 ことがら や経験 けいけん を直接 ちょくせつ 表現 ひょうげん し、口調 くちょう を探求 たんきゅう しようとした。他方 たほう で、シュールレアリスト たちは修辞 しゅうじ 技法 ぎほう をその極限 きょくげん まで推 お し進 すす め、誤 あやま 転用 てんよう を頻繁 ひんぱん に使用 しよう した。
寓話 ぐうわ (アレゴリー )は多 おお くの文化 ぶんか において詩語 しご の中核 ちゅうかく となっており、古典 こてん 期 き 、中世 ちゅうせい 盛期 せいき 、ルネサンス 期 き の西洋 せいよう で顕著 けんちょ であった[注釈 ちゅうしゃく 22] 。しかしながら詩 し は、全面 ぜんめん 的 てき にアレゴリー的 てき であるよりもむしろ、完全 かんぜん なアレゴリーを構築 こうちく することなしに言葉 ことば の意味 いみ や効果 こうか を深化 しんか させる象徴 しょうちょう や引喩 いんゆ を含 ふく むこともある。
詩語 しご の他 ほか の強力 きょうりょく な要素 ようそ としては鮮明 せんめい なイメージ を効果 こうか のために用 もち いることが挙 あ げられる。例 たと えば、予期 よき せぬ、あるいは有 あ り得 え ないイメージの並置 へいち はシュルレアリスム 詩 し (デペイズマン )や俳句 はいく で特 とく に強力 きょうりょく な要素 ようそ となっている。鮮明 せんめい なイメージはまたしばしば象徴 しょうちょう 性 せい にも満 み ちている。
詩語 しご の多 おお くで、(ホメロスの「薔薇色 ばらいろ の指 ゆび をした暁 あかつき (の女神 めがみ )」や「葡萄酒 ぶどうしゅ の濃 こ き海 うみ 」のような)短 みじか いフレーズやより長 なが いリフレイン のようにして、効果 こうか を得 え るための語句 ごく の反復 はんぷく が行 おこな われる。このような反復 はんぷく は詩 し に頌歌 の多 おお くで見 み られるような厳粛 げんしゅく な調子 ちょうし を付加 ふか し、あるいは言葉 ことば の文脈 ぶんみゃく が変 か わればイロニー を交 まじ えたりもする。例 たと えば、シェイクスピア 『ジュリアス・シーザー 』のアントニーの有名 ゆうめい なユーロジー では、アントニーが繰 く り返 かえ す「ブルータスは高貴 こうき な男 おとこ ゆえ」という言葉 ことば は真摯 しんし な調子 ちょうし から皮肉 ひにく が滲 にじ み出 で るものへと変化 へんか してゆく[52] 。
詩型 しけい
多 おお くの文化 ぶんか がそれぞれ独自 どくじ の詩型 しけい を発展 はってん させてきた。成熟 せいじゅく ・完結 かんけつ し、もしくは「広 ひろ く認 みと められた」詩型 しけい では、押韻 おういん 構成 こうせい やメーターやその他 た の要素 ようそ は一連 いちれん の規則 きそく に基 もと づく。エレジー のように比較的 ひかくてき ゆるやかな構成 こうせい 規則 きそく を持 も つものから、ガザル やヴィラネル のように高度 こうど に様式 ようしき 化 か された構造 こうぞう を持 も つものまでがある。以下 いか では複数 ふくすう の言語 げんご に跨 またが って広 ひろ く用 もち いられている詩型 しけい の一部 いちぶ を記述 きじゅつ する。
ソネット
ウィリアム・シェイクスピア
ソネット は時代 じだい を通 つう じて(西洋 せいよう 詩 し で)最 もっと も一般 いっぱん 的 てき な詩型 しけい であり、13世紀 せいき 頃 ごろ には14行 ぎょう から成 な り一式 いっしき の押韻 おういん 構成 こうせい と論理 ろんり 構造 こうぞう に従 したが う詩 し として成立 せいりつ していた。典型 てんけい 的 てき には、ソネットの最初 さいしょ の4行 ぎょう は「a-b-a-b」の押韻 おういん 構成 こうせい を取 と り、主題 しゅだい を導入 どうにゅう する。ソネットに纏 まつ わる慣習 かんしゅう はその歴史 れきし と共 とも に変化 へんか し、結果 けっか としてさまざまな異 こと なったソネット形式 けいしき が存在 そんざい する。伝統 でんとう 的 てき に、英語 えいご の詩人 しじん はソネットには弱 じゃく 強 きょう 五 ご 歩 ほ 格 かく を用 もち いる。特 とく にスペンサー風 ふう ソネット やシェイクスピア風 ふう ソネット が代表 だいひょう 的 てき である。ロマンス諸語 しょご では、十 じゅう 一 いち 音節 おんせつ 詩 し やアレクサンドラン (十 じゅう 二 に 音節 おんせつ 詩 し )が最 もっと も広 ひろ く使用 しよう されるメーターであるが、イタリアでは14世紀 せいき 以降 いこう ペトラルカ風 ふう ソネット が使用 しよう された。ソネットは恋愛 れんあい 詩 し と特 とく に結 むす び付 つ けられ、鮮明 せんめい なイメージに基 もと づく詩語 しご を用 もち いることが多 おお かったが、8行 ぎょう から6行 ぎょう へ、及 およ び最後 さいご の二 に 行 ぎょう 連 れん への移行 いこう に伴 ともな う転換 てんかん はまたソネットを数 すう 多 おお くの主題 しゅだい にとって使 つか いやすくダイナミックな形式 けいしき ともした。シェイクスピアの諸 しょ ソネットは英 えい 詩 し で最 もっと も有名 ゆうめい なものの1つであり、20作 さく が『Oxford Book of English Verse 』に収 おさ められている[53] 。
日本 にっぽん では明治 めいじ 以降 いこう 蒲原 かんばら 有明 ありあけ 、上田 うえだ 敏 さとし 、中原 なかはら 中也 ちゅうや 、立原 たちはら 道造 みちぞう などがソネットでの詩作 しさく を行 おこな ったほか、戦中 せんちゅう ・戦後 せんご にもマチネ・ポエティク の詩人 しじん たちが定型 ていけい 押韻 おういん 詩 し の試 こころ みとして押韻 おういん したソネットを集団 しゅうだん 的 てき に書 か いた。
セスティーナ
プロヴァンス のトルバドゥール たちを起源 きげん とするセスティーナ には6つのスタンザがあり、各々 おのおの が押韻 おういん しない6行 ぎょう から形成 けいせい され、最初 さいしょ のスタンザの各行 かくこう 末 まつ の単語 たんご が周期 しゅうき 的 てき なパターンで他 た のスタンザに再 さい 登場 とうじょう する。これを各 かく 語 かたり を2つずつ含 ふく む3行 ぎょう から成 な るスタンザが締 し め括 くく る。
ヴィラネル
W・H・オーデン
ヴィラネル (原義 げんぎ は「田園 でんえん 詩 し 」)は5つの三 さん 行 ぎょう 連 れん と末尾 まつび の四 よん 行 ぎょう 連 れん から成 な る19行 ぎょう 詩 し である。最初 さいしょ のスタンザの1行 ぎょう 目 め と3行 ぎょう 目 め に用 もち いられた2つのリフレインが以降 いこう のスタンザの末尾 まつび で交互 こうご に用 もち いられ、最後 さいご の四 よん 行 ぎょう 連 れん は両方 りょうほう のリフレインで締 し め括 くく られるのが特徴 とくちょう となっている。それ以外 いがい の各行 かくこう は「a-b」の交韻を持 も つ。19世紀 せいき 末 まつ 以降 いこう 、ディラン・トマス [54] 、W・H・オーデン [55] 、エリザベス・ビショップ [56] などに見 み られるように英 えい 詩 し でしばしば用 もち いられるようになった。全体 ぜんたい として既存 きそん の詩型 しけい が用 もち いられなくなる時代 じだい にあって、逆 ぎゃく に広 ひろ く用 もち いられるようになった詩型 しけい である[要 よう 出典 しゅってん ] 。
パントゥーン
パントゥーン (en:pantoum ) はヴィラネルに類似 るいじ した比較的 ひかくてき 稀 まれ な詩型 しけい である。四 よん 行 ぎょう 連 れん の連続 れんぞく により構成 こうせい されており、各 かく スタンザの2行 ぎょう 目 め と4行 ぎょう 目 め が次 つぎ のスタンザの1行 ぎょう 目 め と3行 ぎょう 目 め として繰 く り返 かえ される。
ロンドー
ロンドー は元々 もともと はフランスの詩型 しけい であり、2つの脚韻 きゃくいん を用 もち いた「5-4-6」の3連 れん 15行 ぎょう で書 か かれ、1行 ぎょう 目 め の冒頭 ぼうとう 部 ぶ がリフレインとして第 だい 2・第 だい 3連 れん の最後 さいご の行 くだり に用 もち いられる。
近体 きんたい 詩 し
杜 もり 甫 はじめ
近体 きんたい 詩 し は古典 こてん 中国 ちゅうごく 語 ご の四声 しせい (平声 ひょうしょう 、上声 じょうせい 、去声 きょしょう 、入声 にっしょう )を用 もち いた各 かく 二 に 行 ぎょう 連 れん での声調 せいちょう のパターンに基 もと づく中国 ちゅうごく の詩型 しけい である。近体 きんたい 詩 し の基本形 きほんけい は二 に 行 ぎょう 連 れん 4つの計 けい 8行 ぎょう (8句 く )から成 な り、第 だい 2・第 だい 3の二 に 行 ぎょう 連 れん の各行 かくこう は対句 ついく となっている律詩 りっし である。対句 ついく では、平行 へいこう 関係 かんけい にある行 くだり は対照 たいしょう 的 てき な内容 ないよう を持 も つが単語 たんご (漢字 かんじ )の間 あいだ の文法 ぶんぽう 関係 かんけい は同一 どういつ でなければならない。近体 きんたい 詩 し は豊 ゆた かな詩語 しご を持 も ち、引喩 いんゆ に満 み ちていることが多 おお く、歴史 れきし や政治 せいじ を含 ふく む幅広 はばひろ い主題 しゅだい に亘 わた っていた。8世紀 せいき 、唐 とう 王朝 おうちょう の杜 もり 甫 はじめ や李白 りはく などがこの詩型 しけい の達人 たつじん であった。律詩 りっし の他 ほか に、4行 ぎょう から成 な る絶句 ぜっく 、12行 ぎょう 以上 いじょう から成 な る排 はい 律 りつ などがあり、1行 ぎょう の文字数 もじすう が5文字 もじ の「五言 ごごん 」と7文字 もじ の「七言 しちごん 」があるなどのバリエーションがある。
近体 きんたい 詩 し 以前 いぜん から存在 そんざい した比較的 ひかくてき 自由 じゆう な漢詩 かんし の詩体 したい は古体 こたい 詩 し と呼 よ ばれ、楽 らく 府 ふ などの形式 けいしき がある。
短歌 たんか
柿本人麻呂 かきのもとのひとまろ
短歌 たんか は、「5-7-5 7-7」のパターンに構成 こうせい された5つの部分 ぶぶん から成 な る31の「音字 おんじ 」(モーラ と同一 どういつ の音韻 おんいん 単位 たんい )で作 つく られる日本 にっぽん の押韻 おういん しない詩 し (和歌 わか )の形式 けいしき である。前半 ぜんはん の「5-7-5」のフレーズ(上 かみ の句 く )と後半 こうはん の「7-7」のフレーズ(下 しも の句 く )の間 あいだ (もしくは他 た の位置 いち )で調子 ちょうし や題材 だいざい に転換 てんかん があるのが普通 ふつう である(句切 くぎ れ )。短歌 たんか は奈良 なら 時代 じだい には柿本人麻呂 かきのもとのひとまろ などの歌人 かじん によって詠 よ まれており、この時期 じき に日本 にっぽん は中国 ちゅうごく から借用 しゃくよう した形式 けいしき による詩 し が大半 たいはん であった時代 じだい から抜 ぬ け出 だ し始 はじ めた。短歌 たんか は当初 とうしょ は日本 にっぽん の定型 ていけい 詩 し (倭歌 やまとうた )のうち短 みじか いものであり、公 おおやけ の主題 しゅだい よりも個人 こじん 的 てき な主題 しゅだい を探求 たんきゅう するのに大 おお いに用 もち いられ、従 したが ってより形式 けいしき 張 は らない詩語 しご を有 ゆう した。13世紀 せいき までには短歌 たんか は日本 にっぽん の最 さい 有力 ゆうりょく な詩型 しけい となり、今日 きょう でも広 ひろ く詠 よ まれている。日本語 にほんご 以外 いがい の言語 げんご で短歌 たんか を書 か く詩人 しじん は31音 おと の規則 きそく は無視 むし する場合 ばあい が多 おお い。
連歌 れんが と呼 よ ばれる多人数 たにんずう による短歌 たんか の連作 れんさく も行 おこな われた。また短歌 たんか 形式 けいしき で風刺 ふうし ・皮肉 ひにく ・滑稽 こっけい を盛 も り込 こ んだものを狂歌 きょうか と呼 よ ぶ。
俳句 はいく
松尾 まつお 芭蕉 ばしょう 『おくのほそ道 みち 』のプレート
俳句 はいく は17世紀 せいき に俳諧 はいかい における連句 れんく の最初 さいしょ の句 く である「発句 ほっく 」から発展 はってん して形成 けいせい された、日本 にっぽん の大衆 たいしゅう 的 てき な押韻 おういん しない詩型 しけい である。俳句 はいく は「5-7-5」のパターンに構成 こうせい された3つの部分 ぶぶん から成 な る17音字 おんじ で作 つく られ、縦 たて 1行 ぎょう に書 か かれるのが普通 ふつう である。伝統 でんとう 的 てき に俳句 はいく は、通常 つうじょう は3つの部分 ぶぶん のいずれかの末尾 まつび に切 き れ字 じ と呼 よ ばれる流 なが れを切 き る語 かたり が置 お かれ、また季語 きご と呼 よ ばれる季 き 節 ぶし の言葉 ことば を1つ含 ふく む。俳句 はいく の最 もっと も有名 ゆうめい な唱道 しょうどう 者 しゃ は松尾 まつお 芭蕉 ばしょう (1644-1694) であった。芭蕉 ばしょう の句 く とその英訳 えいやく 例 れい (6-5-5の16音節 おんせつ となっている)[57] :
富士 ふじ の風 ふう や扇 おうぎ にのせて江戸 えど 土産 みやげ
the wind of Mt. Fuji
I've brought on my fan!
a gift from Edo
五 ご 七 なな 五 ご 形式 けいしき で、季語 きご や切 き れ字 じ の規則 きそく もなくより庶民 しょみん 的 てき な内容 ないよう を扱 あつか うものを川柳 せんりゅう と呼 よ ぶ。
ルバーイイ
ルバーイイ はアラビア 、ウルドゥー 、ペルシア 、アゼルバイジャン の詩人 しじん たちに用 もち いられる4行 ぎょう (四 よん 行 ぎょう 連 れん )の詩 し である。ペルシアの詩人 しじん ウマル・ハイヤーム はその『ルバイヤート 』(「ルバーイイ集 しゅう 」を意味 いみ する)で高名 こうみょう である。ウマル・ハイヤームのルバイヤートのエドワード・フィッツジェラルド による英訳 えいやく も有名 ゆうめい であり、日本 にっぽん へもまずフィッツジェラルド訳 やく からの重訳 じゅうやく により紹介 しょうかい された。ハイヤームのルバイヤートから一 いち 例 れい :
ペルシア語 ご 原文 げんぶん [58]
日本語 にほんご 訳 やく [59]
آن قصر که جمشید در او جام گرفت
ジャムシードが酒盃 しゅはい を手 て にした宮居 みやい は
آهو بچه کرد و شیر آرام گرفت
狐 きつね の巣 す 、鹿 しか のすみかとなりはてた。
بهرام که گور میگرفتی همه عمر
命 いのち のかぎり野 の 驢 うさぎうま を射 い たバハラームも、
دیدی که چگونه گور بهرام گرفت
野 の 驢 うさぎうま に踏 ふ みしだかれる身 み とはてた。
時 どき 調 ちょう
時 どき 調 ちょう は朝鮮 ちょうせん の詩人 しじん が用 もち いる短 みじか い音楽 おんがく 詩 し である。およそ14-16音節 おんせつ から成 な る3行 ぎょう で書 か かれ、合計 ごうけい 44-46音節 おんせつ となる。各行 かくこう の中間 ちゅうかん で休止 きゅうし が置 お かれるので、英語 えいご などでは3行 ぎょう ではなく6行 ぎょう で印刷 いんさつ されることもある。尹 いん 善 よし 道 どう (1587 - 1671) の作品 さくひん から:
中期 ちゅうき 朝鮮 ちょうせん 語 ご [60]
現代 げんだい 朝鮮 ちょうせん 語 ご
日本語 にほんご 訳 やく
내버디 멋치나 ᄒᆞ 니 수석과 송죽이라
내 벗이 몇인가하니 수석과 송죽이라
僕 ぼく に友達 ともだち が何人 なんにん いるかって? 水 みず に石 いし に、竹 たけ に松 まつ 。
동산의 ᄃᆞᆯ 오르니 긔더옥 반갑고야
동산에 달오르니 그 더욱 반갑도다
東 ひがし の丘 おか に昇 のぼ る月 つき も楽 たの しい仲間 なかま 。
두어라 이다ᄉᆞᆺ 밧긔 또더ᄒᆞ 야 머엇ᄒᆞ 리
두어라, 이 다섯 밖에 또 더해야 무엇하리
この5人 にん の仲間 なかま の他 ほか に、どんな楽 たの しみが要 い るというんだい?
頌歌
ホラティウス
頌歌 (頌詩、オード)はピンダロス [61] などの古代 こだい ギリシア詩人 しじん やホラティウス などのラテン詩人 しじん によって作 つく り出 だ された。ギリシア・ローマの影響 えいきょう を受 う けた数 すう 多 おお くの文化 ぶんか で頌歌の形式 けいしき が見出 みいだ される[注釈 ちゅうしゃく 23] 。頌歌は通常 つうじょう ストロペー 、アンティストロペー 、エポード の3つの部分 ぶぶん から成 な る。アンティストロペーは類似 るいじ した韻律 いんりつ 構造 こうぞう と、伝統 でんとう にもよるが、類似 るいじ した押韻 おういん 構造 こうぞう を持 も つ。対比的 たいひてき に、エポードは異 こと なった配置 はいち と構造 こうぞう で書 か かれる。頌歌はフォーマルな詩語 しご を持 も ち、概 がい して厳粛 げんしゅく な主題 しゅだい を取 と り扱 あつか う。ストロペーとアンティストロペーは主題 しゅだい を異 こと なった(しばしば相反 あいはん する)視点 してん から見 み ており、エポードでは両 りょう 視点 してん からより高 たか い水準 すいじゅん へと移行 いこう し、あるいはその根底 こんてい にある問題 もんだい を解決 かいけつ する。頌歌はしばしば2組 くみ の合唱 がっしょう 隊 たい (または2人 ふたり )で朗読 ろうどく もしくは詠唱 えいしょう されることを意図 いと しており、一方 いっぽう がストロペーを、もう一方 いっぽう がアンティストロペーを語 かた り、両者 りょうしゃ がエポードを語 かた る。時代 じだい と共 とも に、頌歌の形式 けいしき と構造 こうぞう には相当 そうとう なバリエーションが発達 はったつ したが、概 がい してピンダロスとホラティウスの頌歌の影響 えいきょう を残 のこ している。西洋 せいよう 以外 いがい で頌歌に類似 るいじ したものとしてペルシアのカスィーダ (en:qasida ) がある。
ガザル
ガザル (en:ghazel ; アラビア語 ご : ghazal , ペルシア語 ご : ghazel , トルコ語 ご : アゼルバイジャン語 ご : gazel , ウルドゥー語 ご : gazal , ベンガル語 ご : gozol 〔シレット 方言 ほうげん を含 ふく む〕)はアラビア、ペルシア、トルコ 、アゼルバイジャン 、ウルドゥー語 ご 、ベンガル語 ご の詩 し で共通 きょうつう して用 もち いられている形式 けいしき である。古典 こてん 的 てき な形式 けいしき では、ガザルは2行 ぎょう 目 め の終 お わりに共通 きょうつう のリフレイン を持 も つ押韻 おういん した5から15の二 に 行 ぎょう 連 れん で構成 こうせい される。このリフレインは1音節 おんせつ もしくは複数 ふくすう の音節 おんせつ から成 な り、その直前 ちょくぜん で押韻 おういん する。各行 かくこう は同一 どういつ のメーターを持 も つ。二 に 行 ぎょう 連 れん はそれぞれが完結 かんけつ した思考 しこう を持 も ち独立 どくりつ しており、ガザル全体 ぜんたい が「叶 かな わぬ愛 あい 」や神性 しんせい などの主題 しゅだい を試案 しあん する形 かたち になっていることが多 おお い。最後 さいご の二 に 行 ぎょう 連 れん に作者 さくしゃ の署名 しょめい が書 か かれるのが普通 ふつう である。
多 おお くの言語 げんご で長 なが い歴史 れきし を持 も つ他 ほか の詩型 しけい と同様 どうよう に、ガザルにもさまざまな変種 へんしゅ が形成 けいせい され、その中 なか にはウルドゥー語 ご のほとんど音楽 おんがく にも等 ひと しい詩語 しご を持 も つ形式 けいしき も含 ふく まれる。ガザルは伝統 でんとう 的 てき にスーフィズム との親和 しんわ 性 せい があり、数 すう 多 おお くのスーフィズム宗教 しゅうきょう の作品 さくひん がガザル形式 けいしき で書 か かれた。比較的 ひかくてき 規則正 きそくただ しいメーターとリフレインの使用 しよう は呪術 じゅじゅつ 的 てき な効果 こうか を生 う み出 だ し、これがスーフィズムの秘教 ひきょう 的 てき な主題 しゅだい を良 よ く補完 ほかん している。この形式 けいしき の達人 たつじん としては、13世紀 せいき ペルシアのコンヤ (現在 げんざい のトルコ )の詩人 しじん であったジャラール・ウッディーン・ルーミー がいる。
アクロスティック
Ι いおた Χ かい Θ しーた Υ うぷしろん Σ しぐま と彫 ほ られた石 いし
アクロスティック(後期 こうき ギリシア語 ご akrostichon < akros「先頭 せんとう 」 + stichos「詩 し 行 ぎょう 」)、「折 おり 句 く 」はアルファベットなどで書 か かれた詩 し やその他 た の書 か き物 もの で、各行 かくこう /段落 だんらく /その他 た の反復 はんぷく 構造 こうぞう の最初 さいしょ の文字 もじ /音節 おんせつ /単語 たんご を合 あ わせると別 べつ のメッセージとなるものである。この窮屈 きゅうくつ な形式 けいしき は、想起 そうき を簡単 かんたん にするための記憶 きおく 術 じゅつ として使 つか われたものであるのかもしれない。有名 ゆうめい なアクロスティックとして、ギリシア語 ご での神 かみ を称 たた える文句 もんく Ιησούς Χριστός, Θεού Υιός, Σωτήρ 「イエス・キリスト、神 かみ の子 こ 、救世主 きゅうせいしゅ 」がある。最初 さいしょ の文字 もじ を綴 つづ り合 あ わせると Ι いおた Χ かい Θ しーた Υ うぷしろん Σ しぐま となり、これはギリシア語 ご で「魚 さかな 」を意味 いみ した。よって、初期 しょき のキリスト教徒 きりすときょうと は頻繁 ひんぱん に魚 さかな を用 もち い、今日 きょう でもイエス・キリスト のシンボルとなっている[62] 。
日本 にっぽん の折 おり 句 く としては「かきつばた」を折 お り込 こ んだ伊勢物語 いせものがたり の和歌 わか 「か らころも き つつなれにし つ ましあれば は るばるきぬる た びをしぞおもふ」が高名 こうみょう である。今日 きょう では「縦 たて 読 よ み 」としても親 した しまれている。
カンツォーネ
イタリア語 ご で文字通 もじどお り「歌 うた 」を意味 いみ するカンツォーネ (複数 ふくすう 形 がた カンツォーニ)はイタリアもしくはプロヴァンス の歌 うた ・バラッド である。マドリガル に類似 るいじ した歌曲 かきょく のタイプを指 さ して使 つか われることもある。シンプルでメロディアスな曲 きょく も、特 とく にイタリア人 じん 以外 いがい によるものの場合 ばあい カンツォーネと呼 よ ばれる場合 ばあい がある。モーツァルト 『フィガロの結婚 けっこん 』のアリア 「恋 こい とはどんなものかしら 」が典型 てんけい 的 てき な例 れい の1つである。
カンツォーネは(曲 きょく に合 あ わせ)5-7スタンザで構成 こうせい され、最初 さいしょ のスタンザの押韻 おういん 構成 こうせい と行 くだり 数 すう (通常 つうじょう 7-20行 ぎょう )を引 ひ き継 つ ぐ。典型 てんけい 的 てき には各行 かくこう は11音節 おんせつ である。
四 よん 行 ぎょう 連 れん 詩 し
四 よん 行 ぎょう で構成 こうせい されるスタンザ 形式 けいしき の詩 し で「aabb」「abab」「abba」「abcb」などの押韻 おういん 構成 こうせい でなる。ヨーロッパの詩 し の中 なか で最 もっと も一般 いっぱん 的 てき なスタンザ形式 けいしき である。
リメリック
「a-a-b-b-a」の押韻 おういん 構成 こうせい の厳格 げんかく な形式 けいしき をもつ五 ご 行 ぎょう 詩 し で滑稽 こっけい 五 ご 行 ぎょう 詩 し 、五 ご 行 ぎょう 戯 おどけ 詩 し とも呼 よ ばれる。リメリックという名前 なまえ はアイルランド のリムリック県 けん (リメリック県 けん とも)から由来 ゆらい している。イギリスではエドワード・リア によって広 ひろ まった。
シンケイン
cinquain (シンケイン < フランス語 ふらんすご : cinq 「5」)はアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく の詩人 しじん アデレイド・クラプシー が考案 こうあん した詩型 しけい を特 とく に指 さ す。クラプシーの歿した翌年 よくねん の1915年 ねん に刊行 かんこう された全 ぜん 詩集 ししゅう に収 おさ められたのがその最初 さいしょ の例 れい である。シンケインは日本 にっぽん の俳句 はいく と短歌 たんか にその発想 はっそう を得 え ていた。
五 ご 行 ぎょう 連 れん 詩 し
五 ご 行 ぎょう 連 れん 詩 し (quintain , quintil ) は5行 ぎょう から成 な るパターンを用 もち いた詩 し 全般 ぜんぱん を指 さ す用語 ようご であるが、その中 なか でも特有 とくゆう の規則 きそく とガイドラインによって定義 ていぎ される特別 とくべつ な詩型 しけい が存在 そんざい する。他 た に、現代 げんだい 日本 にっぽん では「5行 ぎょう で書 か く」ことのみを規制 きせい とした五 ご 行 ぎょう 詩 し や五 ご 行 ぎょう 歌 か という詩型 しけい もある。
その他 た の形式 けいしき
ジョージ・ハーバート 『アナグラム』(1633)。写植 しゃしょく を活用 かつよう した具体 ぐたい 詩 し 。
以上 いじょう の他 ほか にも無数 むすう の詩 し の形式 けいしき が存在 そんざい する:
近 きん 現代 げんだい 日本 にっぽん の詩 し の分類 ぶんるい
萩原 はぎはら 朔太郎 さくたろう 。『月 つき に吠 ほ える 』(1917年 ねん )は口語 こうご 自由 じゆう 詩 し の可能 かのう 性 せい を大 おお きく拡 ひろ げた。
明治 めいじ 15年 ねん の『新体詩 しんたいし 抄 しょう 』に始 はじ まる明治 めいじ 時代 じだい の新体詩 しんたいし は、日本 にっぽん 古来 こらい の文語 ぶんご と七五調 しちごちょう によって西洋 せいよう 詩 し (poetry) を再現 さいげん しようと試 こころ み[63] 、同 おな じ明治 めいじ 期 き のうちに言文 げんぶん 一致 いっち 運動 うんどう によりその否定 ひてい を迎 むか える。このため文語 ぶんご を用 もち いるか否 ひ かで文語 ぶんご 詩 し と口語 こうご 詩 し 、七五調 しちごちょう などの音数律 おんすうりつ を用 もち いるか否 ひ かで定型 ていけい 詩 し と自由 じゆう 詩 し を区別 くべつ し、その組 く み合 あ わせで「文語 ぶんご 定型 ていけい 詩 し 」「文語 ぶんご 自由 じゆう 詩 し 」「口語 こうご 定型 ていけい 詩 し 」「口語 こうご 自由 じゆう 詩 し 」(行 くだり 分 わ け詩 し )の分類 ぶんるい が行 おこな われる[注釈 ちゅうしゃく 24] 。また明治 めいじ 以降 いこう の、従来 じゅうらい の和歌 わか ・俳句 はいく ・漢詩 かんし などではない西洋 せいよう 式 しき の詩 し を近代詩 きんだいし (新体詩 しんたいし を含 ふく む場合 ばあい と含 ふく まない場合 ばあい がある[64] )、戦後 せんご のそれを現代 げんだい 詩 し と呼 よ ぶ。短歌 たんか や俳句 はいく で音数律 おんすうりつ に従 したが わないものは自由 じゆう 詩 し ではなく自由 じゆう 律 りつ と呼 よ ばれる。
ジャンル
個々 ここ の形式 けいしき に加 くわ え、詩 し はさまざまなジャンル やサブジャンルによって捉 とら えられることも多 おお い。
詩 し のジャンルは概 がい して、主題 しゅだい 、スタイル、その他 た のより広範 こうはん な文学 ぶんがく 的 てき 特徴 とくちょう に基 もと づく詩 し の伝統 でんとう もしくは分類 ぶんるい である[65] 。ジャンルを文学 ぶんがく の自然 しぜん な形式 けいしき であると見 み 做す批評 ひひょう 家 か もいる[66] 。またジャンルを、異 こと なった作品 さくひん がいかに他 た の作品 さくひん と関連 かんれん し言及 げんきゅう するかの研究 けんきゅう であると見 み 做す批評 ひひょう 家 か もいる[67] 。
叙事詩 じょじし は広 ひろ く認 みと められるジャンルの1つであり、その時代 じだい の文化 ぶんか にとって英雄 えいゆう 的 てき もしくは重要 じゅうよう な性質 せいしつ の出来事 できごと に関 かん する長大 ちょうだい な詩 し としてしばしば定義 ていぎ される[68] 。抒情詩 じょじょうし も広 ひろ く認 みと められるジャンルであり、短 みじか く、美 うつく しい調子 ちょうし を持 も ち、観照 かんしょう 的 てき な傾向 けいこう を持 も つ。批評 ひひょう 家 か によってはより細 こま かいサブジャンルへと詩 し を分類 ぶんるい し、個々 ここ の詩 し は数多 かずおお くの異 こと なったジャンルに同時 どうじ に属 ぞく すると見 み 做されもする[注釈 ちゅうしゃく 25] 。多 おお くの場合 ばあい 、共通 きょうつう する伝統 でんとう の結果 けっか として、詩 し のジャンルは文化 ぶんか を超 こ えて同 おな じ特性 とくせい を見 み せる。
以下 いか に一般 いっぱん 的 てき なジャンルをいくつか記述 きじゅつ するが、ジャンルの分類 ぶんるい 、その特質 とくしつ の記述 きじゅつ 、そして詩 し をジャンルに分類 ぶんるい しようとする理由 りゆう そのものすらもさまざまな形 かたち を取 と りうる。
物語 ものがたり 詩 し
ジェフリー・チョーサー
物語 ものがたり 詩 し は物語 ものがたり を語 かた る詩 し のジャンルである。広義 こうぎ には叙事詩 じょじし も物語 ものがたり 詩 し に含 ふく まれるが、「物語 ものがたり 詩 し 」という用語 ようご はより小 ちい さな、概 がい してより人間 にんげん 的 てき 興味 きょうみ に訴 うった えるような作品 さくひん に用 もち いられることが多 おお い。
物語 ものがたり 詩 し は最 もっと も古 ふる い詩 し の種類 しゅるい であったかもしれない。多 おお くのホメロス 研究 けんきゅう 者 しゃ は、『イーリアス 』と『オデュッセイア 』が一 いち 晩 ばん の娯楽 ごらく により適 てき している個別 こべつ のエピソードに関 かん する短 みじか い物語 ものがたり 詩 し の編集 へんしゅう (コンピレーション )により構成 こうせい されたものであると結論 けつろん している。多 おお くの物語 ものがたり 詩 し ――スコットランド人 じん やイングランド人 じん のバラッド やスラヴ人 じん の英雄 えいゆう 詩 し など――は文字 もじ 使用 しよう 以前 いぜん の口承 こうしょう に起源 きげん を持 も つ実演 じつえん 詩 し (en:performance poetry ) である。メーター、頭韻 とういん 法 ほう 、ケニング などの詩 し を散文 さんぶん と区別 くべつ する要素 ようそ のいくつかはかつて伝統 でんとう 的 てき な物語 ものがたり を暗唱 あんしょう する吟遊詩人 ぎんゆうしじん たちの記憶 きおく 術 じゅつ として機能 きのう していたのではないかと推測 すいそく されている。
主要 しゅよう な物語 ものがたり 詩人 しじん としては、オウィディウス 、ダンテ・アリギエーリ 、ファン・ルイス 、ジェフリー・チョーサー 、ウィリアム・ラングランド 、ルイス・デ・カモンイス 、ウィリアム・シェイクスピア 、アレキサンダー・ポープ 、ロバート・バーンズ 、フェルナンド・デ・ロハス 、アダム・ミツキェヴィチ 、アレクサンドル・プーシキン 、エドガー・アラン・ポー 、アルフレッド・テニスン などがいる。
叙事詩 じょじし
『ラーマーヤナ 』よりランカの戦争 せんそう 。サヒブディン 画 が (1649-53)
叙事詩 じょじし は詩 し のジャンルの1つであり、また物語 ものがたり 文学 ぶんがく の主要 しゅよう な形式 けいしき の1つでもある。叙事詩 じょじし は持続 じぞく 的 てき な語 かた りにより英雄 えいゆう 的 てき もしくは神話 しんわ 的 てき な人物 じんぶつ (たち)の生涯 しょうがい と業績 ぎょうせき を物語 ものがた る。
叙事詩 じょじし の例 れい として、ホメロス の『イーリアス 』と『オデュッセイア 』、ウェルギリウス 『アエネーイス 』、『ローランの歌 うた 』、『ニーベルンゲンの歌 うた 』、ルイス・デ・カモンイス 『ウズ・ルジアダス 』、『わがシッドの歌 うた 』、『ギルガメシュ叙事詩 じょじし 』、『マハーバーラタ 』、ヴァルミキ (en:Valmiki )『ラーマーヤナ 』、フェルドウスィー 『シャー・ナーメ 』、ニザーミー 『ハムセ 』(「五 ご 部 ぶ 作 さく 」)、チベットの叙事詩 じょじし 『リン・ケサル大王 だいおう 伝 でん 』、アイヌ のユーカラ などがある。
西洋 せいよう では20世紀 せいき 初頭 しょとう 以降 いこう は叙事詩 じょじし や長 ちょう 詩 し 全般 ぜんぱん があまり書 か かれなくなったが、それでも若干 じゃっかん の重要 じゅうよう な叙事詩 じょじし は書 か かれ続 つづ けている。デレック・ウォルコット はその叙事詩 じょじし 『オメロス 』に主 おも によりノーベル文学 ぶんがく 賞 しょう を受賞 じゅしょう した[69] 。
劇詩 げきし
ゲーテ 『ファウスト 』、ファウストとグレートヒェン
劇詩 げきし は語 かた りもしくは歌 うた われるよう書 か かれた韻文 いんぶん の演劇 えんげき である。多 おお くの文化 ぶんか にさまざまな、また場合 ばあい によっては類似 るいじ した形式 けいしき で存在 そんざい する。韻文 いんぶん 劇 げき はサンスクリットやギリシアの叙事詩 じょじし のような初期 しょき の口誦 こうしょう 叙事詩 じょじし から発達 はったつ したものであるかもしれない[70] 。
韻文 いんぶん によるギリシア悲劇 ひげき は紀元前 きげんぜん 6世紀 せいき に遡 さかのぼ り、サンスクリット劇 げき の発達 はったつ に影響 えいきょう を与 あた えた可能 かのう 性 せい がある[71] 。同様 どうよう にインドの演劇 えんげき は中国 ちゅうごく の戯曲 ぎきょく の先触 さきぶ れとなった「変 へん 文 ぶん 」(zh:變 へん 文 ぶん )の韻文 いんぶん 劇 げき の発達 はったつ に影響 えいきょう を与 あた えた可能 かのう 性 せい がある[72] 。東 ひがし アジア の韻文 いんぶん 劇 げき には日本 にっぽん の能 のう (謡曲 ようきょく )もある。
ペルシア文学 ぶんがく の劇詩 げきし には、ニザーミー の著名 ちょめい な劇 げき 作品 さくひん 『ライラとマジュヌーン 』『ホスローとシーリーン 』[73] [74] 、フェルドウスィー の『ロスタムとソラブ 』などの悲劇 ひげき 、ジャラール・ウッディーン・ルーミー の『マスナヴィー 』、アサド・グルガニー の悲劇 ひげき 『ヴィスとラミン 』[75] 、Vahshi Bafqi の悲劇 ひげき 『Farhad』などがある。
西洋 せいよう では伝統 でんとう 的 てき に悲劇 ひげき と喜劇 きげき を二 に 大 だい 分野 ぶんや としてきた。韻文 いんぶん による悲劇 ひげき ではギリシア悲劇 ひげき の三 さん 大悲 だいひ 劇詩 げきし 人 じん (アイスキュロス 、ソポクレス 、エウリピデス )、後世 こうせい のシェイクスピア 、ジャン・ラシーヌ などがいる。喜劇 きげき ではアリストパネス やモリエール などが代表 だいひょう 的 てき であるが、「喜劇 きげき 」は必 かなら ずしも滑稽 こっけい さを前提 ぜんてい とはせず、ダンテ の『神 かみ 曲 きょく 』(La Divina Commedia) なども分類 ぶんるい 上 じょう は喜劇 きげき となる。ゲーテ 『ファウスト 』のようにどちらにも分類 ぶんるい されない劇詩 げきし も多 おお い。今日 きょう では戯曲 ぎきょく が韻文 いんぶん で書 か かれることは稀 まれ である。
風刺 ふうし 詩 し
ジョン・ウィルモット
詩 し は風刺 ふうし の強力 きょうりょく な媒体 ばいたい にもなりうる。韻文 いんぶん で表 あらわ された侮辱 ぶじょく の一 いち 撃 げき は、散文 さんぶん で言 い われもしくは書 か かれたものより格段 かくだん に強力 きょうりょく かつ記憶 きおく に残 のこ りやすいものになりうる。古代 こだい ローマ人 ひと は風刺 ふうし 詩 し の強 つよ い伝統 でんとう を有 ゆう しており、しばしば政治 せいじ 的 てき な目的 もくてき で書 か かれた。有名 ゆうめい な例 れい としては詩人 しじん ユウェナリス の風刺 ふうし 詩 し があり、その侮辱 ぶじょく は社会 しゃかい のあらゆる範囲 はんい を刺 さ した。
マヌエル・マリア・バルボサ・ド・ボカージェ
イギリスの風刺 ふうし の伝統 でんとう にも同 おな じことが言 い える。当時 とうじ の加熱 かねつ した政治 せいじ 状況 じょうきょう に巻 ま き込 こ まれ、かつての友人 ゆうじん であったホイッグ党 とう のトマス・シャドウェル に風刺 ふうし されたトーリー党 とう のジョン・ドライデン (最初 さいしょ の桂冠詩人 けいかんしじん )は、1682年 ねん に『マクフレクノー 』、副題 ふくだい 「真 しん の保守 ほしゅ プロテスタント 詩人 しじん T.S.の風刺 ふうし 」という、英語 えいご で書 か かれた息 いき の長 なが い罵詈 ばり 雑言 ぞうごん 作品 さくひん としては最 もっと も偉大 いだい なものの1つを著 あらわ した。この中 なか で、当時 とうじ 既 すで に故人 こじん であった実 じつ に凡庸 ぼんよう な詩人 しじん リチャード・フレクノー は「絶対 ぜったい 的 てき ナンセンスの全 すべ ての領域 りょういき の」支配 しはい 者 しゃ として「統治 とうち し、ウィットに対 たい する永遠 えいえん の戦争 せんそう を遂行 すいこう する」べく誰 だれ を自身 じしん の後継 こうけい 者 しゃ にすべきか熟考 じゅっこう していると描 えが かれた。
第 だい 2代 だい ロチェスター伯 はく のジョン・ウィルモット もまた17世紀 せいき イギリスの風刺 ふうし 詩 し の名手 めいしゅ であり、『人類 じんるい に対 たい する風刺 ふうし 』(1675) や『チャールズ2世 せい の風刺 ふうし 』などの容赦 ようしゃ ない風刺 ふうし で知 し られた。アレキサンダー・ポープ も風刺 ふうし 詩 し で知 し られ、『批評 ひひょう 論 ろん 』(1709) において批評 ひひょう 家 か たちをたしなめたのは有名 ゆうめい である。ドライデンとポープは叙事詩 じょじし の書 か き手 て であったので、その風刺 ふうし のスタイルも叙事詩 じょじし 的 てき なものであった。とはいえ、風刺 ふうし 詩 し にはこれといった決 き まった形式 けいしき はない。
イギリス以外 いがい での偉大 いだい な風刺 ふうし 詩人 しじん としてはポーランド のイグナツィ・クラシツキ (en:Ignacy Krasicki )、アゼルバイジャン のサビール 、ポルトガル のマヌエル・マリア・バルボサ・ド・ボカージェ などが挙 あ げられる。
日本 にっぽん でも平安 へいあん 時代 じだい より諷意 ふうい を含 ふく む狂歌 きょうか が書 か かれ、匿名 とくめい で狂歌 きょうか を掲示 けいじ して政治 せいじ 批判 ひはん などを行 おこな う「落首 らくしゅ 」の慣行 かんこう があった。一 いち 例 れい として寛政 かんせい の改革 かいかく を諷 ふう した「白河 しらかわ の清 せい きに魚 さかな のすみかねて もとの濁 にご りの田沼 たぬま こひしき」が知 し られている。現代 げんだい でも風刺 ふうし 的 てき な川柳 せんりゅう が広 ひろ く詠 よ まれている。
抒情詩 じょじょうし
クリスティーヌ・ド・ピザン
抒情詩 じょじょうし (叙情詩 じょじょうし )は叙事詩 じょじし や劇詩 げきし のように物語 ものがたり を語 かた ろうとするのではない、より個人 こじん 的 てき な性質 せいしつ のジャンルである。人物 じんぶつ とその行動 こうどう を描写 びょうしゃ するよりも、詩人 しじん 自身 じしん の感情 かんじょう や精神 せいしん 状態 じょうたい や知覚 ちかく を表現 ひょうげん する。西洋 せいよう の抒情詩 じょじょうし (英 えい : lyric poetry , 仏 ふつ : poésie lyrique )はリラ (lyre) を語源 ごげん とし、歌 うた うものであるという含意 がんい があるが、実際 じっさい の抒情詩 じょじょうし には純粋 じゅんすい に読 よ まれることを前提 ぜんてい としたものも多 おお い。日本 にっぽん の和歌 わか は文字通 もじどお り「歌 うた 」であり、その多 おお くが抒情詩 じょじょうし (もしくは風景 ふうけい のみを詠 うた う叙景 じょけい 詩 し )であった。
抒情詩 じょじょうし は古 ふる くから愛 あい を主題 しゅだい とするものとして知 し られてきたが、多 おお くの宮廷 きゅうてい 風 ふう 恋愛 れんあい (ミンネ )詩人 しじん たちはまた戦争 せんそう と平和 へいわ 、自然 しぜん と郷愁 きょうしゅう 、悲 かな しみと喪失 そうしつ などを扱 あつか う抒情詩 じょじょうし も書 か いた。中 なか でも15世紀 せいき フランスの抒情詩 じょじょうし 人 じん クリスティーヌ・ド・ピザン とシャルル・ド・ヴァロワ が高名 こうみょう である。霊 れい 性 せい や宗教 しゅうきょう 的 てき な主題 しゅだい も十字架 じゅうじか のヨハネ やアビラのテレサ のような神秘 しんぴ 主義 しゅぎ 抒情詩 じょじょうし 人 じん によって歌 うた われた。霊的 れいてき な経験 けいけん に基 もと づく抒情詩 じょじょうし の伝統 でんとう は後 ご のジョン・ダン 、ジェラード・マンリ・ホプキンス 、アントニオ・マチャード 、T・S・エリオット といった詩人 しじん たちにも受 う け継 つ がれている。
西洋 せいよう の抒情詩 じょじょうし で最 もっと も一般 いっぱん 的 てき な形式 けいしき は14行 ぎょう のソネットであり、ペトラルカ やシェイクスピア なども実践 じっせん したが、その他 た にも抒情詩 じょじょうし には途方 とほう に暮 く れるほどさまざまな形式 けいしき が見 み られ、押韻 おういん しないものも20世紀 せいき 以降 いこう 増加 ぞうか している。作者 さくしゃ 自身 じしん の感情 かんじょう や考 かんが えを入 い り組 く んだ形 かたち で取 と り扱 あつか う抒情詩 じょじょうし は詩 し の中 なか で最 もっと も一般 いっぱん 的 てき なジャンルとなっている。
明確 めいかく な形 かたち を持 も たない、より自由 じゆう なスタイルを取 と る者 もの もいる。たとえばラップ の歌詞 かし は、ビートを伴 ともな う詩 し であると考 かんが えられることもある。
エレジー
ウィリアム・アドルフ・ブグロー 『エレジー』(1899)
エレジー (哀歌 あいか 、挽歌 ばんか 、悲歌 ひか )は悲 かな しげな、憂鬱 ゆううつ もしくは哀調 あいちょう を帯 お びた詩 し であり、特 とく に死者 ししゃ のための哀悼 あいとう 詩 し (ラメント )または葬儀 そうぎ のための歌 うた を指 さ す。死者 ししゃ を悼 いた む詩 し は普遍 ふへん 的 てき なものであるが、エレジー (英 えい : elegy , 仏 ふつ : élégie ) という語 かたり は元来 がんらい はエレゲイア体 たい というメーターの種類 しゅるい を指 さ すもので、一般 いっぱん に喪 も の詩 し を表現 ひょうげん する。また作者 さくしゃ にとって不思議 ふしぎ もしくは神秘 しんぴ 的 てき と見 み えるものを表 あらわ すこともある。死 し や、より一般 いっぱん 的 てき に悲 かな しみ や、神秘 しんぴ 的 てき な何 なに かを表 あらわ したものとしてのエレジーは、抒情詩 じょじょうし の一種 いっしゅ として捉 とら えることも可能 かのう である。古代 こだい の歌 うた われる詩 し の伝統 でんとう に遡 さかのぼ る関連 かんれん 性 せい から、「エレジー」はまた、悲 かな しくもしくは陰鬱 いんうつ な性質 せいしつ であるのが普通 ふつう のある種 しゅ の音楽 おんがく 作品 さくひん のタイプも指 さ しうる。
エレジーは古代 こだい から書 か き続 つづ けられている。主要 しゅよう な作者 さくしゃ としては
セクストゥス・プロペルティウス 、ホルヘ・マンリケ 、ヤン・コハノフスキ 、チディオック・ティッチボーン 、エドマンド・スペンサー 、ベン・ジョンソン 、ジョン・ミルトン 、トマス・グレイ 、シャーロット・ターナー・スミス 、ウィリアム・カレン・ブライアント 、パーシー・ビッシュ・シェリー 、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 、イフゲニー・バラトゥインスキー 、アルフレッド・テニスン 、ウォルト・ホイットマン 、ルイ・ガレ 、アントニオ・マチャード 、フアン・ラモン・ヒメネス 、ウィリアム・バトラー・イェイツ 、ライナー・マリア・リルケ 、ヴァージニア・ウルフ 、フェデリコ・ガルシーア・ロルカ 、カマウ・ブラスウェイト などがいる。
「挽歌 ばんか 」という語 かたり は中国 ちゅうごく で棺 かん 車 しゃ を挽 ひ く時 とき に歌 うた われた歌 うた を指 さ した。日本 にっぽん では『萬葉集 まんようしゅう 』(8世紀 せいき 頃 ごろ )の3つの部立 ぶだ て(雑歌 ぞうか ・相聞 そうもん 歌 うた ・挽歌 ばんか )のうちの1つとなり、柿本人麻呂 かきのもとのひとまろ による皇族 こうぞく の死 し に際 さい しての多数 たすう の儀礼 ぎれい 的 てき な挽歌 ばんか と、妻 つま の死 し に際 さい しての悲痛 ひつう な挽歌 ばんか の双方 そうほう が収 おさ められている[76] 。『古今 ここん 和歌集 わかしゅう 』以降 いこう では「哀傷 あいしょう 歌 か 」として多 おお くの歌人 かじん により詠 よ まれ続 つづ けた。
寓話 ぐうわ 詩 し
イソップ寓話 ぐうわ より「ウサギとカメ 」。ミロ・ウィンター 画 が
寓話 ぐうわ は古代 こだい からある、ほぼどこにでも見 み られる文学 ぶんがく ジャンルであり、(常 つね にではないが)しばしば韻文 いんぶん で表現 ひょうげん される。人間 にんげん 化 か された動物 どうぶつ ・植物 しょくぶつ ・無生物 むせいぶつ ・自然 しぜん の力 ちから などを登場 とうじょう させ道徳 どうとく 的 てき な教訓 きょうくん を説明 せつめい する簡潔 かんけつ な物語 ものがたり である。寓話 ぐうわ 詩 し はさまざまなメーターと押韻 おういん 構成 こうせい を用 もち いてきた。例 たと えばイグナツィ・クラシツキ は『寓話 ぐうわ とたとえ話 はなし 』を13音節 おんせつ から成 な る押韻 おういん した二 に 行 ぎょう 連 れん で書 か いた。
重要 じゅうよう な寓話 ぐうわ 詩人 しじん にはアイソーポス (イソップ)(BC6世紀 せいき 中葉 ちゅうよう )、ヴィシュヌ・シャルマ (BC2世紀 せいき 頃 ごろ )、パイドロス (BC15-AD50)、マリー・ド・フランス (12世紀 せいき )、ロバート・ヘンリスン (1470-1500頃 ごろ 活躍 かつやく )、en:Biernat of Lublin (1465?-1529?)、ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ (1621-95)、イグナツィ・クラシツキ (1735-1801)、フェリックス・マリア・デ・サマニエゴ (1745-1801)、トマス・デ・イリアルテ (1750-1791)、イヴァン・クルィロフ (1769-1844)、アンブローズ・ビアス (1842-1914) などがいる。イソップの訳者 やくしゃ や継承 けいしょう 者 しゃ は全 すべ てこの半 なか ば伝説 でんせつ 的 てき な寓話 ぐうわ 作家 さっか に借 か りがある。
寓話 ぐうわ 詩 し の一 いち 例 れい として、イグナツィ・クラシツキ『寓話 ぐうわ とたとえ話 はなし 』(1779)から「仔 こ 羊 ひつじ と狼 おおかみ たち」を挙 あ げる。
ポーランド語 ご 原詩 げんし [77]
日本語 にほんご 訳 やく
Zawżdy znajdzie przyczynę, kto zdobyczy pragnie.
必要 ひつよう となればいつだって攻撃 こうげき には大義 たいぎ が見付 みつ かるもの。
Dwóch wilków jedno w lesie nadybali jagnię;
うろつく二人 ふたり の狼 おおかみ が森 もり で仔 こ 羊 ひつじ を追 お い詰 つ めて
Już go mieli rozerwać; rzekło: "Jakim prawem?"
飛 と びかかろうとするところ。仔 こ 羊 ひつじ は問 と うた「一体 いったい なんの権利 けんり があって?」
"Smacznyś, słaby i w lesie!" — Zjedli niezabawem.
「お前 まえ は旨 むね そうだし、弱 よわ いし、森 もり にいたから。」――狼 おおかみ たち難 なん なく羊 ひつじ を平 たい らげた。
散文詩 さんぶんし
シャルル・ボードレール 。ギュスターヴ・クールベ 画 が
散文詩 さんぶんし は散文 さんぶん と詩 し の両方 りょうほう の性質 せいしつ を見 み せる異種 いしゅ 交配 こうはい 的 てき なジャンルである。超 ちょう 短篇 たんぺん 小説 しょうせつ (ショートショート 、フラッシュフィクション〔en:flash fiction 〕)や随筆 ずいひつ との区別 くべつ が困難 こんなん な場合 ばあい もある。簡潔 かんけつ さ、隠喩 いんゆ の使用 しよう 、言語 げんご への格別 かくべつ な注意 ちゅうい などの理由 りゆう から詩 し と見 み 做される。
早期 そうき の散文 さんぶん の中 なか にも現代 げんだい の読者 どくしゃ に詩的 してき な印象 いんしょう を与 あた えるものがあるが、一般 いっぱん 的 てき には散文詩 さんぶんし はアロイジウス・ベルトラン 、シャルル・ボードレール 、アルチュール・ランボー 、ステファヌ・マラルメ などの(象徴 しょうちょう 派 は )詩人 しじん の実践 じっせん により19世紀 せいき フランスで起 お こったものと考 かんが えられている。
その後 ご 、このジャンルには数 すう 多 おお くの言語 げんご で注目 ちゅうもく に値 あたい する例 れい が現 あらわ れた:
フリオ・コルタサル
脚注 きゃくちゅう
注釈 ちゅうしゃく
^ 今日 きょう ではデジタルメディアの特性 とくせい を取 と り込 こ んだ詩 し (en:Digital poetry ) も行 おこな われ、また小説 しょうせつ 投稿 とうこう サイト など投稿 とうこう 形式 けいしき でインターネット に詩 し を載 の せる営 いとな みもある。
^ 逆 ぎゃく に日本 にっぽん の読者 どくしゃ の場合 ばあい 、適当 てきとう に行 くだり 分 わ けされた断片 だんぺん 的 てき な書 か き物 もの を想像 そうぞう するかもしれないが、(優 すぐ れたものであれば)そうした詩 し にも隠 かく れたリズムや音調 おんちょう があるものである。萩原 はぎはら 朔太郎 さくたろう 『詩 し の原理 げんり 』1928年 ねん 。http://www.aozora.gr.jp/cards/000067/files/2843_26253.html 。2009年 ねん 12月30日 にち 閲覧 えつらん 。「すべての詩 し は、必 かなら ずしも規約 きやく された形式 けいしき 韻文 いんぶん ではないけれども、しかもすべての詩 し は――自由 じゆう 詩 し でも定 てい 律詩 りっし でも――本質 ほんしつ 上 じょう に於 おい て音律 おんりつ を重要 じゅうよう 視 し し、それに表現 ひょうげん の生命 せいめい 的 てき 意義 いぎ を置 お いている。」
^ これらの出典 しゅってん から明 あき らかなように、(少 すく なくとも優 すぐ れた詩人 しじん の作品 さくひん においては)対比 たいひ やサプライズのような詩的 してき ではない効果 こうか を得 え たり不規則 ふきそく なリズムを詩的 してき に用 もち いたりといった詩的 してき な理由 りゆう があるものである。
^ 多 おお くの学者 がくしゃ 、とりわけホメロスの流儀 りゅうぎ やバルカン諸国 しょこく の口承 こうしょう 叙事詩 じょじし の研究 けんきゅう 者 しゃ たちは、初期 しょき の文書 ぶんしょ が大 おお きな詩 し のユニットを構築 こうちく するためのブロックとして繰 く り返 かえ し句 く を用 もち いるなどのより古 ふる い詩 し の伝統 でんとう の跡 あと をはっきりと示 しめ しているのではないかと示唆 しさ している。記憶 きおく の補助 ほじょ として筆記 ひっき が利用 りよう できるようになる前 まえ にはリズミカルで繰 く り返 かえ しのある形式 けいしき が長 なが い物語 ものがたり を記憶 きおく し再 ふたた び語 かた るのを容易 ようい にしたのであろう。
^ 例 たと えば、16世紀 せいき のアラブ世界 せかい では外交 がいこう の多 おお くは詩的 してき な形式 けいしき を通 つう じて行 おこな われた。See Natalie Zemon Davis. Trickster's Travels . Hill & Wang, (2006), ISBN 0809094355 .
^ 政治 せいじ 的 てき 毒舌 どくぜつ の例 れい としてはリベル(中傷 ちゅうしょう 文 ぶん )や、マルティアリス とカトゥルス の古典 こてん 的 てき エピグラム などがある。
^ 古代 こだい ギリシア では、医学 いがく や学問 がくもん 的 てき な作品 さくひん はしばしば韻文 いんぶん 形式 けいしき で書 か かれた。1500年 ねん 後 ご のイブン・スィーナー の医学 いがく 的 てき テクストの多 おお くも韻文 いんぶん であった。
^ イブン・ルシュド はアリストテレスの『詩学 しがく 』の、原典 げんてん の例文 れいぶん をアラビアの詩人 しじん たちのものに置 お き換 か えた注釈 ちゅうしゃく を著 あらわ した。 See, for example, W. F. Bogges. 'Hermannus Alemannus' Latin Anthology of Arabic Poetry,' Journal of the American Oriental Society, 1968, Volume 88, 657-70, and Charles Burnett, 'Learned Knowledge of Arabic Poetry, Rhymed Prose , and Didactic Verse from Petrus Alfonsi to Petrarch', in Poetry and Philosophy in the Middle Ages: A Festschrift for Peter Dronke . Brill Academic Publishers, (2001), ISBN 90-04-11964-7 .
^ 例 たと えば、イマヌエル・カント 『判断 はんだん 力 りょく 批判 ひはん 』(J.H.バーナード訳 やく 、p.131)では詩 し の自意識 じいしき 的 てき な抽象 ちゅうしょう と美 うつく しい形式 けいしき という性質 せいしつ は言葉 ことば による芸術 げいじゅつ の中 なか で最高 さいこう 位 い へと詩 し を引 ひ き上 あ げ、より論理 ろんり 的 てき ・物語 ものがたり 的 てき な散文 さんぶん はその下 した に来 く るものとされていた。
^ Negative Capability に適切 てきせつ な訳語 やくご を当 あ てるのは極 きわ めて困難 こんなん である。藤本 ふじもと 周一 しゅういち (3 2005). “John Keats: “Negative Capability”の「訳語 やくご 」をめぐる概念 がいねん の検証 けんしょう ” (pdf). 大阪 おおさか 経 けい 大 だい 論集 ろんしゅう 55 (6): 5 - 27. ISSN 04747909 . http://www.osaka-ue.ac.jp/gakkai/pdf/ronshu/2004/5506_ronko_fujimoto.pdf 2009年 ねん 12月2日 にち 閲覧 えつらん 。 .
^ "A poem should not mean / But be" 『詩論 しろん 』という題名 だいめい はホラティウス の同名 どうめい の評論 ひょうろん への言及 げんきゅう である。この詩 し は詩 し がどのようなものでなければならないかの宣言 せんげん を列挙 れっきょ し、この著名 ちょめい な2行 ぎょう で結 むす んでいる。[1]
^ 『失 しつ 楽園 らくえん 』の2つの版 はん がプロジェクト・グーテンベルク で利用 りよう できる。Project Gutenberg text version 1 and Project Gutenberg text version 2 .
^ ロシア語 ご 原典 げんてん [2] と、チャールズ・ジョンストンによる英訳 えいやく [3] が利用 りよう 可能 かのう 。英語 えいご 版 ばん ウィキペディアのEugene Onegin とNotes on Prosody の項目 こうもく およびその注釈 ちゅうしゃく にある、翻訳 ほんやく 上 じょう の問題 もんだい 点 てん や、ロシア語 ご と英語 えいご の弱 じゃく 強 きょう 四 よん 歩 ほ 格 かく の違 ちが いに関 かん する議論 ぎろん も参照 さんしょう 。
^ 脚韻 きゃくいん 、頭韻 とういん 、類 るい 韻 いん 、子 こ 音韻 おんいん はまた反復 はんぷく する音声 おんせい のパターンからは分離 ぶんり された意味 いみ をも持 も ちうる。例 たと えば、ジェフリー・チョーサー は古 こ 英語 えいご の詩 し を嘲笑 ちょうしょう し、人物 じんぶつ を時代遅 じだいおく れに見 み せるために過度 かど の頭韻 とういん を使用 しよう したし、クリストファー・マーロウ は"th", "f", "s"による頭韻 とういん と子音 しいん 韻 いん の組 く み合 あ わせを用 もち いて、女々 めめ しく描写 びょうしゃ したい人物 じんぶつ に舌足 したた らずに喋 しゃべ らせた。一 いち 例 れい として、マーロウ『タンバレイン大帝 たいてい 』の冒頭 ぼうとう のスピーチを見 み よ(Project Gutenberg )。
^ 日本語 にほんご はほぼ全 すべ てのモーラが開 ひらけ 音節 おんせつ で、全 すべ てで100種類 しゅるい 強 きょう しかないので単調 たんちょう になり押韻 おういん には適 てき さなかった(金田一 きんだいち 春彦 はるひこ 『日本語 にほんご の特質 とくしつ 』NHKブックス、1991年 ねん )。「日本語 にほんご の音韻 おんいん 」も参照 さんしょう 。
^ 日本語 にほんご でも藤原公任 ふじわらのきんとう の和歌 わか 「た きのおとは た えてひさしく な りぬれど な こそな がれて な ほきこえけれ」や島崎 しまざき 藤村 とうそん 『千曲川 ちくまがわ 旅情 りょじょう の歌 うた 』「こ もろなる こ じょうのほとり」のようにモーラ単位 たんい の頭韻 とういん 法 ほう が散見 さんけん される。
^ フランス詩 し 法 ほう では、place/masseのように末尾 まつび が無音 むおん のe で終 お わる韻 いん を女性 じょせい 韻 いん 、pleur/fleurのようにそれ以外 いがい で終 お わる韻 いん を男性 だんせい 韻 いん と呼 よ ぶ。両者 りょうしゃ を交互 こうご に配 はい する交韻を正則 せいそく とし、他 た に「a-a-b-b」と配 はい する平 ひら 韻 いん 、「a-b-b-a」と配 はい する抱擁 ほうよう 韻 いん がある(fr:rime 参照 さんしょう )。英 えい 詩 し では最後 さいご の音節 おんせつ にアクセントがあれば男性 だんせい 韻 いん 、なければ女性 じょせい 韻 いん (この場合 ばあい 2音節 おんせつ 以上 いじょう の押韻 おういん を求 もと められる)となる。
^ 実際 じっさい に、ウマル・ハイヤーム の『ルバイヤート 』の翻訳 ほんやく にあたって、エドワード・フィッツジェラルド は原詩 げんし の押韻 おういん 構成 こうせい を保持 ほじ しようと試 こころ みた。この翻訳 ほんやく はプロジェクト・グーテンベルクで利用 りよう できる[4] 。
^ ウィキソースに原典 げんてん 、英訳 えいやく あり。
^ モダニズム以前 いぜん のカリグラムの好例 こうれい として、ルイス・キャロル 『不思議 ふしぎ の国 くに のアリス 』での、鼠 ねずみ の話 はなし が長 なが い尻尾 しっぽ の形 かたち になっている詩 し がある。ウィキソースの原文 げんぶん 参照 さんしょう 。
^ 詩 し での象徴 しょうちょう 主義 しゅぎ と隠喩 いんゆ の用例 ようれい として良 よ く知 し られたものにサミュエル・テイラー・コールリッジ 『老 ろう 水夫 すいふ 行 ぎょう 』がある。水夫 すいふ に殺 ころ される信天翁 あほうどり は伝統 でんとう 的 てき に幸運 こううん の象徴 しょうちょう であり、その死 し には象徴 しょうちょう 的 てき な含意 がんい がある。
^ 『イソップ寓話 ぐうわ 』は紀元前 きげんぜん 500年 ねん 頃 ごろ に最初 さいしょ の記録 きろく が現 あらわ れて後 ご 、何 なん 度 ど となく韻文 いんぶん と散文 さんぶん の双方 そうほう で翻訳 ほんやく されてきた。時代 じだい を超 こ えた単体 たんたい のアレゴリー詩 し の情報 じょうほう 源 げん として恐 おそ らく最 もっと も豊 ゆた かなものであろう。その他 た の主要 しゅよう な例 れい として、13世紀 せいき フランスの詩 し 『薔薇 ばら 物語 ものがたり 』、ウィリアム・ラングランド の『農夫 のうふ ピアズの夢 ゆめ 』、17世紀 せいき フランスのジャン・ド・ラ・フォンテーヌ 『寓話 ぐうわ 集 しゅう 』[5] (イソップに影響 えいきょう されている)なども参照 さんしょう 。
^ ジョン・ドライデン によるホラティウスの頌歌の翻訳 ほんやく が、英語 えいご 圏 けん でのこの形式 けいしき の成立 せいりつ に特 とく に影響 えいきょう を持 も った。ただしドライデンはホラティウスが行 おこな わなかった押韻 おういん を訳詩 やくし で用 もち いている。
^ 福永 ふくなが 武彦 たけひこ らマチネ・ポエティク の詩人 しじん たちによるソネット などの押韻 おういん 定型 ていけい 詩 し の試 こころ みも存在 そんざい した。
^ シェイクスピアは『ハムレット 』においてそのような分析 ぶんせき を戯画 ぎが 化 か し、ジャンルが「悲劇 ひげき 詩 し 、喜劇 きげき 詩 し 、歴史 れきし 詩 し 、田園 でんえん 詩 し 、田園 でんえん 喜劇 きげき 詩 し 、歴史 れきし 田園 でんえん 詩 し 、悲劇 ひげき 歴史 れきし 詩 し 、悲劇 ひげき 喜劇 きげき 歴史 れきし 田園 でんえん 詩 し …」から成 な っていると書 か いた。
出典 しゅってん
^ 「(創造 そうぞう のうち)音楽 おんがく と韻律 いんりつ に関 かか わる物 もの のみがポイエーシスと呼 よ ばれ、この意味 いみ でのポイエーシスを有 ゆう する者 もの のみがポイエーテースと呼 よ ばれるのです。」(プラトン 『饗宴 きょうえん 』)
^ "詩 し 者 しゃ 、志 こころざし 之 これ 所 しょ 之 の 也。在 ざい 心 しん 為 ため 志 こころざし 、發言 はつげん 為 ため 詩 し 。" 「詩 し とは志 こころざし の赴 おもむ くところである。それが心 しん の中 なか にあるのが『志 こころざし 』、言葉 ことば として発 はっ したものが『詩 し 』である。」(『詩経 しきょう 』序 じょ )
^ 外山 とやま 正一 しょういち 、井上 いのうえ 哲次郎 てつじろう 、谷田部 やたべ 良吉 りょうきち 『新体詩 しんたいし 抄 しょう 』1882年 ねん 8月 がつ 。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/876377/1/7 。2023年 ねん 2月 がつ 26日 にち 閲覧 えつらん 。「均 ひとし シク是 ぜ レ志 こころざし ヲ言 げん フナリ、而シテ支 ささえ 那 な ニテハ之 の ヲ詩 し ト云 うん ヒ、本邦 ほんぽう ニテハ之 の ヲ歌 か ト云 うん ヒ、未 み ダ歌 か ト詩 し トヲ総称 そうしょう スルノ名 めい アルヲ聞カズ、此書ニ載 の スル所 しょ ハ、詩 し ニアラス、歌 うた ニアラス、而シテ之 の ヲ詩 し ト云 うん フハ、泰西 たいせい ノ「ポエトリー」ト云 うん フ語 ご 即 そく チ歌 か ト詩 し トヲ総称 そうしょう スルノ名 めい ニ当 とう ツルノミ、古 こ ヨリイハユル詩 し ニアラザルナリ」
^ a b For one recent summary discussion, see Frederick Ahl and Hannah M. Roisman. The Odyssey Re-Formed . Ithaca, New York: Cornell University Press, (1996), at 1-26, ISBN 0801483352 . Others suggest that poetry did not necessarily predate writing. See, for example, Jack Goody. The Interface Between the Written and the Oral . Cambridge, England: Cambridge University Press, (1987), at 98, ISBN 0521337941 .
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^ ロラン・バルト の評論 ひょうろん 「作者 さくしゃ の死 し 」(日本語 にほんご 訳 やく は『物語 ものがたり の構造 こうぞう 分析 ぶんせき 』ISBN 4-622-00481-X 所収 しょしゅう )を参照 さんしょう 。
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^ 財団 ざいだん 法人 ほうじん 新村 しんむら 出 いずる 記念 きねん 財団 ざいだん 編 へん 『広辞苑 こうじえん 』(第 だい 5版 はん )岩波書店 いわなみしょてん 、1998年 ねん 11月。ISBN 4-00-080111-2 。「広義 こうぎ には新体詩 しんたいし を含 ふく み、狭義 きょうぎ には文語 ぶんご 自由 じゆう 詩 し 以後 いご を指 さ す。」
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その他 た
関連 かんれん 項目 こうもく
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