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太平御覽 : 皇親部十七 - Chinese Text Project
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すめらぎおやじゅうなな

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諸王しょおう

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1 諸王しょおう:
こころざし》曰:鄧哀おうおきあお舒。しょうさとし察岐嶷,なまろくさい智慧ちえしょ及,ゆうわか成人せいじんさとしまごけん曾致きょぞうふとしよくとも其斤じゅうおとずれこれぐん,咸莫のう其理。おき曰:「おけかたどだい舡之じょう,而刻其水きすいこんしょいたりしょうぶつ以載のりこう可知かち矣。」ふとしだいえつとき軍國ぐんこく多事たじようけい嚴重げんじゅうふとし馬鞍まぐら在庫ざいこ,而為ねずみしょかじくら吏懼必死ひっしよくめん縛首しばりくびざいなお懼不めんおきいい曰:「まちさんにちしか。」おき於是以刃穿ほじたんころも,如鼠かじしゃ,謬為失意しつい,貌有愁色しゅうしょくふとしといおきたい曰:「世俗せぞく以為ねずみかじころもしゃ,其主不吉ふきつこんたん衣見えみかじ以憂戚。」ふとし曰:「此妄言ぼうげんみみところ也。」にわか而庫吏以齧くら聞,ふとしわらい曰:「ころもざいがわなおかじきょうくらかかはしら乎?」いちしょといおき仁愛じんあい識達,みな此類也。ふとしすうたい群臣ぐんしんしょうじゅつゆうよくでんとしじゅうさんびょうそつふとしおやため請命。及亡,あい甚。ぶんみかどひろし慰太ふとし曰:「此我不幸ふこう,而汝曹之幸也ゆきや。」
また曰:ちゅう山王さんのう袞,けんやすじゅういちねんふう平鄉たいらごうこうしょう好學こうがくねんじゅうさいのうぞくぶんまい讀書どくしょ文學ぶんがく左右さゆうつねおそれ以精りょくためびょうすう諫止しかせいしょらく不能ふのうはい也。
また曰:らくりょうおうしげるせい傲狠,しょうちょう於太。及文みかどまたどくおうふとし元年がんねん,徙封聊城こう,其年ためおうみことのり曰:「むかしぞうためしいたげいたり甚,而舜なおほうゆう庳。きんかん淮南ワイナン、阜陵,みなため亂臣らんしん逆子さかご而錫ゆうおそれけん上古じょうこぶんあきらみかどぎょう於前だい,斯皆あつし敘親おやあつ義也よしや。聊城こうしげるしょう閑禮きょうながつとむ善道ぜんどう先帝せんてい以為いにしえたて諸侯しょこう也,みないのち賢者けんじゃひめせいゆう未必みひつこうしゃ以獨おうしげる太皇太后たいこうたいこうすう以為ごと。如聞しげるごろしょう悔昔こんふうしげため聊城おう,以慰太皇太后たいこうたいこう流下りゅうかねん。」
また曰:にんじょうたけしおうあきらぶんしょうぜん膂力りょりょくひとかく猛獸もうじゅう險阻けんそかずしたがえ征伐せいばつこころざし慷慨こうがいふとしつねそもそも,曰:「なんじ不念ぶねん讀書どくしょ慕聖どう,而好じょう汗馬かんば擊劍げっけん,此一おっともちいなにあし也!」ある諫彰讀書どくしょあきらいい左右さゆう曰:「大丈夫だいじょうぶいちためまもる、霍,はたじゅうまんはせ沙漠さばくえびす狄,たてこうけんごうみみなにのうため博士はかせ耶?」
また曰:ひねおもえおうしょくけんとしじゅうさい讀誦とくしょう》、《ろん》及辭すうじゅうまんことぜんぞくぶんふとし嘗視其文,いいうえ曰:「なんじ倩人みみ。」うえ跪曰:「げんためろんしたひつ成章せいしょう,顧當めんこころみ奈何いかん倩人?」鄴銅すずめだい新成しんせいふとし悉將諸子しょしとうだい使つかいかくためうえ援筆りつなりかんふとし甚異せい簡易かんい不治ふち威儀いぎ輿こし服飾ふくしょくなお華麗かれいまいすすむ難問なんもんおうごえ而對,とく寵愛ちょうあい

2 諸王しょおう:
しょくこころざし》曰:魯王ひさしおおやけはつながにく宦人あきらあきらすんで信任しんにん用事ようじ,構永於後ぬしやや疏外ひさしいたりとく朝見ちょうけんしゃじゅうねん

3 諸王しょおう:
くれしょ》曰:南陽なんようおうかずこう譴之ちょうすなぎょうかぶらゆうかささぎ于帆檣,官僚かんりょう聞之みなむご,以為檣非久安ひさやすぞうあるげんかささぎゆうつむゆきるいこう,以致爵位しゃくいげんこんおう至德しとく茂行しげゆきとうふくこく,儻神れい以此つげ寤人乎!

4 諸王しょおう:
こころざし》曰:魯王霸,かず同母どうぼおとうと也。ため太子たいし,霸為魯王,寵愛ちょうあいたかしとくあずかこところかず、霸不きよし聲聞しょうもん於權みみけん禁斷きんだん往來おうらいかり以精がく
また曰:ひとしおう奮,あげきょたけあきらけん薨,ふとしでんしょかずらつとむよく諸王しょおうしょこうはま兵馬へいば,徙奮於豫あきら。奮怒,したがえいのちまたかずえつ法度はっとつとむじょう箋諫曰:「帝王ていおうみことあずかてん同位どうい以家天下でんかしん父兄ふけい大王だいおうむべうえおもんみぶとはくじゅんちちこころざしちゅうねんかわあいだけんじおう東海とうかいおうきょう恭敬きょうけいふししたとうそんそもそもおごほしいままあららん以為警戒けいかい。」

5 諸王しょおう:
すすむしょ》曰:安平あびらけんじおうまこと受禪じゅぜんため太宰だざい一門いちもんさんせい同時どうじじゅうにんふうおう二人ふたり世子せいし父子ふしごく人臣じんしん子孫しそん咸居大官たいかんそく旌旗せいきぶし鉞,にゅうのりてん蟬袞冕,自公じこうぞくちょうはじめゆう也。享年きょうねんきゅうじゅうしか而夙よるしげるきょうつねゆうくつ冰之懼。
また曰:安平あびらおうまことたけみかど以孚明德めいとくぞくみこととうせんきょうためぐんきさきさくそくとげ備置かんぞく焉。また以孚內有親戚しんせきそとゆう交游,惠下えげこれ,而經ようゆたかたてまつきぬせんひき。及元かいみことのりまこと輿こししゃ上殿かみどのみかど於階むかえはいすんですわみかどおやたてまつ上壽じょうじゅ,如家じんれいみかどごとはいまこと跪而どめまたきゅう以云はは輦、あおぶたしゃまこと雖見みことちょう以為さかえつねゆう憂色ゆうしょく
また曰:安平あびらけんじおうまことせいどおり,以貞しろ自立じりつ嘗有怨於じんひねとめいんたけ有名ゆうめい於海內,嘗罹ざい譴,まこと往省とげあずかどう處分しょぶんしょくだんしゃしょう焉。
また曰:平原ひらはらおうみきりょうせんみかどふとしはじめ元年がんねんふう平原へいげんおう,邑一せんさんひゃくよんねんきゅう鼓吹こすい、駙馬ひき使つかいふくさむらい中之なかのふくみき不治ふち國事こくじ,雖有爵祿しゃくろくわか不在ふざい所得しょとく俸秩,みなせき腐爛ふらんひとしおう冏為ちょうすなおう乂所ころせみき哭之あいいい左右さゆう曰:「宗室そうしつうたておとろえただ此兒さい,而復がいしたがえこん殆矣!」
また曰:ぶんみかどくずれひとしおう攸率れいあいうえ以攸至孝しこう毀甚。ねんがつ文明ぶんめい皇太后こうたいごう親臨しんりんしょう攸,攸瘠ちりすみ,貌不可ふか識,ふとしきさきとめ慰撫いぶ旬日じゅんじつかえなかみことのりつとむ攸曰:「わかまんいち以他やましはたふく如何いかむべ遠慮えんりょふかおもえ不可ふかせんもり一意いちい,以陷於不孝ふこうわかふくしたがえ往言,とうひと監守かんしゅ飲食いんしょく。」
また曰:たけみかど乂,つかまつけいふうちょうすなおうせいはて厲,ゆうだんはつ入洛にゅうらくいい成都せいとおう曰:「天下てんか先帝せんていこれぎょうおうむべ維之。」ひとしおう冏已いたり,聞義げんしゃみなはばかこれ
また曰:成都せいとおう穎,あきらたけみかどはいたむろこうじょうつねさむらい形狀けいじょう神明しんめいしょう不知ふちしょ
また曰:りょうたかしおう肜,せんみかどはい大將軍だいしょうぐんりょう西戎せいじゅうこうじょうよし大會たいかいおう銓曰:「わが從兄じゅうけいため尚書しょうしょれい不能ふのう啖大臠。」銓知肜求ため尚書しょうしょれいとう曰:「しも邳王ためれいあずか天下てんかども嚼啖だい臠,なんおおやけざい此獨嚼。」肜曰:「長安ながやすだい臠誰耶?」銓答:「播是。」肜曰:「われ吏,隱忍いんにんみみ。」銓曰:「天下てんかみな王家おうけ吏,王法おうほうふくぎょう耶?」
また曰:ひとしおう攸好がく倦,ひとしょみなためまもるとき迭有すいひでりのり租秩,賤以にぎわい國人くにびと,須豐ねん收入しゅうにゅうほんじきふとしかんさんねんみことのりひとしおう攸當出方でかただけとげなで其國,加都かつとくあおしゅうぞうふうずみみなみぐん,備物てんさくしつらえのきかからくろく佾之まいたまもの鉞朝しゃじょう輿こしふく

6 諸王しょおう:
すすむあき》曰:ひとしおう冏輔せい以牛しゅ郊勞,平原ひらはらおうみきどくひゃくぜに于懷

7 諸王しょおう:
すすむ中興ちゅうこうしょ》曰:譙王すすむ鎮湘しゅういたりたけあきらしゃく軍備ぐんびおうあつしあつしいんえんしゅういいすすむ曰:「大王だいおうみやびもとけいしょうざい也。」すすむ曰:「おおやけつきみみあんともなまりがたな不能ふのういちわり!」すすむ以敦ほしはか其情,はつ此言。あつしはていいぜにおおとり曰:「かれ不知ふち懼而がく壯語そうご,此之なにのうため。」聽丞鎮。
また曰:たけりょうおう晞為桓溫所收しょしゅう忠敬ちゅうけいおう少子しょうし也,はいきさきしん安王やすおう遵初ふうしんやすしおうねんじゅう,受拜流涕りゅうていあいかん左右さゆう將軍しょうぐん桓伊嘗造遵,遵恕門人もんじん曰:「なんつう桓氏?」門人もんじん曰:「桓伊あずか桓溫疏宗,そういや。」遵曰:「我聞がもんじんせい便びんよくころせこれきょうしょ桓乎!」ゆかりしょうしょうさと察。及長,輒凡退ぼんたいふく名望めいぼう

8 諸王しょおう:
すすむ百官ひゃっかんひょう》曰:おういにしえごう也,なついんしゅうしょうおうきむ璽龜ぼたん,纁朱綬,あさふくとおゆうかんむり,佩山げんだま

9 諸王しょおう:
沈約《そうしょ》曰:彭城おう義康よしやすせいこう吏職,銳意えいい文案ぶんあん,糾剔是非ぜひ。凡所ひねそうにゅう不可ふかぽうはく并委義康よしやす授用,ゆかり朝野ちょうや輻輳ふくそういきおいかたぶけ天下でんか義康よしやすまたつよいきゆうたゆ倦。
また曰:みなみぐんおう義宣よしのぶため荊州刺史しししろ晳,よし須眉,ちょうななしゃくすん腰帶こしおびじゅうかこえ畜嬪媵,きさきぼうせんあまりあまおうなすうひゃく男女だんじょよんじゅうにんたかしかざり綺麗きれい費用ひよういんひろ
また曰:江夏えなつおうよしきょうせい嗜不つねあずかときうつりへんはじめいたりおわり,屢遷だいたくあずかひとゆう款,こうまたおわり。而奢侈無あい財寶ざいほうぜん廢帝はいていきょうもと無道むどうきょうもとけいとうはかりごとよく廢立はいりつ永光ながみつ元年がんねんはちがつ廢帝はいていおやりつ羽林はばやしへい於第がい,并其よんねんじゅうさんだんおりきょうささえたい分裂ぶんれつちょう,挑取眼睛がんせい,以蜜づけいいためおにちまき
また曰:衡陽おうよしため荊州刺史ししさき臨川りんせんおうよしけい在任ざいにんともえしょくらん擾,たび應接おうせつ空虛くうきょ躬行きゅうこう節儉せっけん蓄財ちくざいしょうようすう年間ねんかんかえふく充實じゅうじつたいぬしぞくゆたかははろうひん以充やしなえとげことわ食肉しょくにくあい其志,きゅうゆたかまい月白つきしろまい斛、ぜにいちせん,并制ゆたか啖肉。もとつたなしょうえ聽使餘人よにんしょけいごとただ自署じしょめい而已。じゅういちねんしるしためとくみなみじょ兗徐あお冀幽ろくしゅうしょ軍事ぐんじみなみ兗州刺史ししとうぶねこれにちとばりちょうふくしょおうずい刺史しししゃ,悉留,荊楚以為美談びだん
また曰:かつらようおうきゅう范進そらきゅう范素凡訥,しょうかい不為ふため諸兄しょけいしょぐうふとしそうつねゆび左右さゆうじんいいおうけいぶん曰:「きゅう人才じんさい及此,以我おとうとなま使つかい富貴ふうき釋氏しゃくしすなおなま王家おうけりょうゆう以也。」
また曰:たてひらせん簡王ひろしきゅうぶんみかどだいなな也。しょう而閑もとあつし好文よしふみせきふとし寵愛ちょうあいことつねためりつだい雞籠さんつき山水さんすいけんたいらこくこう他國たこくいちかい
また曰:晉平しんぺいおうきゅうゆうむさぼいんこうざいしょくざい荊州れつしょ財貨ざいか。以短ぜにいちひゃくみんとうもとめ白米はくまいいち斛,みなれいてっしろわかおりしゃ,悉簡。糴此まいますいちひゃく至時よしときまた受米,平米へいべいせめぜに。凡諸もとめみな如此。

10 諸王しょおう:
しょうあらわひとししょ》曰:竟陵王子おうじりょううんえいすくななおれいざいこうきょうたぐこれかたぶけ賓客ひんきゃく天下てんかざいがくみなゆうしゅう焉。

11 諸王しょおう:
しょ》曰:河南かなんおう平原へいげんはいひとししゅう刺史ししぜん於懷なであたりみんしゃせん有餘ゆうよときとししきとうひとしみん饑饉ききん平原ひらはら以私まいさんせんあまり斛為かゆ,以全みんいのちきたしゅう戍卒いちせん餘人よにんかえしゃみなきゅうかて百姓ひゃくしょう咸稱えい州民しゅうみんかんしこりとう千餘人詣闕訟之,高祖こうそらん而嘉嘆。
また曰:にんじょうおうきよしどうきょうしょう好學こうがくぶん明太めんたいきさき引見いんけん,誡勵,顧謂中書ちゅうしょれいおき曰:「此兒風神ふうじんしゅうはつとくおん閑婉,當為とうい宗室そうしつ領袖りょうしゅう。」きさきため中書ちゅうしょれいあらため授尚しょしょう頤使いし庾蓽來朝らいちょう,蓽見きよし音韻おんいん遒雅,風儀ふうぎ秀逸しゅういついい主客しゅかくろうちょうつね曰:「往魏にんじょう以武たたえこんにんじょう乃以ぶん美也みや。」
また曰:安定あんていおうきゅうしょう而聰としだんゆうしょうくるまみなみりょうだい司馬しば高祖こうそちかし行軍こうぐんぐうきゅうさん盜人ぬすっと徇於ぐんはたこれゆうみことのり赦之。きゅう曰:「陛下へいかしんろく跋涉ばっしょう野次やじぐんぎょうはじめなんじやめゆう奸切,如其なに以息ぬすめ,請必行刑ぎょうけい,以肅奸匿。」みことのり曰:「だい司馬しばけんまことおう如是にょぜただし因緣いんねんかいちん聞王しゃからだまたおうゆう非常ひじょうさわ,雖違軍法ぐんぽうとく原之はらの。」きゅう乃奉みことのり高祖こうそいい馮誕曰:「だい司馬しばいわお而秉ほう諸君しょくん不可ふかまき。」於是ろくぐん肅然しゅくぜん
また曰:永昌えいしょうおうけん姿すがた貌魁たけしぜん弓馬きゅうばたち兵法ひょうほうしょ征戰せいせんつねゆう大功たいこう才藝さいげいひねとめ桓王,而智りゃくひと
また曰:臨淮おう彧,ぶんわかしょうゆうざいがくほまれ甚美。さむらいちゅうちぇひかり彧,退すさ而謂じん曰:「くろあたま三公みつきみとう此人也。」瑯琊おう誦,有名人ゆうめいじん也,みる嘗不心醉しんすい忘疲。
また曰:東平とうへいおうただしけん扶。せい耿介,ゆう氣節きせつ高祖こうそいい曰:「叔父おじ必能けい社稷しゃしょくただし輔朕躬,こん改名かいめいためただし。」むね即位そくい茹皓はじめゆうちょう,百寮微憚之。そう曾於そお山陵さんりょうかえみことのりただし陪乘ばいじょうまたいのちあきらとうしゃあきら褰裳しょうじょうただし諫止,せいそう推之れい當時とうじたけし其忠謇。
また曰:廣陵こうりょうおう叔翻。しょう而聰としゆう斷獄だんごくたたえりょう廷尉。こうそうみゆきだいあずかしょおとうとげん曰:「ちんさくおや受民訟,はじめ知廣ともひろりょうあかりりょう。」咸陽おう禧對曰:「しんねんため廣陵こうりょうけいあきらため廣陵こうりょうおとうと。」高祖こうそ曰:「わがためなんじけいなんじためこんなんじふくなん恨。」
また曰:彭城おう勰,さんしょう而岐嶷,姿すがたせいぐん。勰生而母はんそつ。及有しょけいもとめついふくぶん明太めんたいきさきもと,乃毀やせさんねん不參ふさんきちけい高祖こうそだいさとし而耽がくしゃ晝夜ちゅうやひろし綜經まさこうぞくぶんしたがえせい沔北,やぶ新野しんの南陽なんよう高祖こうそれい勰為ぬの,勰辭曰:「しん聞露ぬのしゃぬの四海しかい耳目じもく必須ひっすしめせ天下でんか。以臣小才こさいあに大用おおゆう。」高祖こうそ曰:「ただし為之ためゆき。」及就,ゆうるいみかどぶんゆうしゃ,咸謂ふで高祖こうそ曰:「なんじ所為しょいしゃにんいいわれせいあにそくおとうとだれ能辯のうべん。」

12 諸王しょおう:
きた》《ひとししょ》曰:安德あんとくおうのべむねぶんじょうだいははちんこうやすしおう伎也。のべむねおさなため文宣ふみのぶしょやしなえねんじゅうなおおけばらじょうれいおぼれやめひとしなかだき曰:「可憐かれんとめゆういち。」といほっさくなんおうたい曰:「よくおき天王てんのう。」文宣ふみのぶとい楊愔,愔曰:「天下てんか此郡めいすなお使つかいやす於德。」於是ふう安德あんとく焉。

13 諸王しょおう:
ずいしょ》曰:楊雄,高祖こうそぞく也。はつふうきよし漳王。じんことぶきはつ高祖こうそ曰:「きよし漳之めいまこと聲望せいぼう。」いのち職方しょくかたしん地圖ちずうえゆび安德あんとくぐん以示群臣ぐんしん曰:「此號あしためめいとく相稱そうしょう。」於是あらためふう安德あんとくおう

14 諸王しょおう:
とうしょ》曰:きのおうまことためかいしゅう刺史ししまきしょう好學こうがくちょう於文吏,皇族こうぞくちゅうあずかひとしおうさだひとしめい時人じじんごうためこし

15 諸王しょおう:
賈誼《しょ》曰:こう皇帝こうていぶん天下でんか以封有功ゆうこうしんたんしゃ如蝟而起,こう皇帝こうてい以為不可ふか不義ふぎ諸侯しょこうそら其國,たて諸子しょし洛陽らくよう上東じょうとうもんそと諸子しょし畢王而天乃安。

16 諸王しょおう:
蔡邕《獨斷どくだん》曰:かんせい皇子おうじふうためおう,其實諸侯しょこう也。しゅうまつ諸侯しょこうあるしょうおう以王ごうそうめい諸侯しょこう法律ほうりつみな曰列こう天子てんし大社たいしゃ,以五しょくためだん皇子おうじふうため王者おうじゃ,受天たいしゃ,以所ふうこれかたしょく東方とうほう受青,南方みなかた受赤,以其かたしょく。藉以白茅ちがや歸國きこく以立社稷しゃしょくいいちがや

王妃おうひ

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1 王妃おうひ:
史記しき》曰:ちょうおうとも以諸りょおんなためきさきどるあいあいひめしょりょおんな妒怒,讒之ふとしきさき,誣以ざいふとしきさきいか,以故召趙おうちょうおういたるおけていいのち衛士えじかこえおさむどるあずかしょくちょうおうかつえ,乃歌曰:「しょりょ用事ようじ兮劉危,さこおびえ王侯おうこう兮強授我すんで妒兮誣我以惡,讒女らんこく兮上曾不寤。」

2 王妃おうひ:
ぞく漢書かんしょ》曰:らくやすひね夫人ふじんこうしつ皇帝こうていはは也。いえほんぐんしょう以伎にゅうこう王家おうけとくみゆきなましつみかどはり冀欲せん國權こっけんれいみかどははとくいたり京都きょうとまたみかどたん祚,以外いがいいえちょうみかどはい夫人ふじんため王妃おうひ

3 王妃おうひ:
范曄《こう漢書かんしょ》曰:ただしたくおけひろのうおう於閣じょう使つかいろうちゅうれい儒進鴆。おう乃與つまからひめ及宮人別にんべつすわしゃみな歔欷きょきおういいひめ曰:「きょう王者おうじゃいきおいふくため吏民つま自愛じあいしたがえ此長!」とげいんやく而死,ねんじゅうはちからひめ,潁川じん也。おう薨,歸鄉ききょうさとちちよくよめひめちかいもと。及李傕破長安ながやすへいしょう關東かんとうりゃくとくひめ。傕因よくつま聽,而終尚書しょうしょ賈詡知之ともゆき,以狀しろけんじみかどみかど聞感愴,乃下みことのりむかえひめおけえんちゅう使つかいさむらい中持なかもちぶしはいためひろのう王妃おうひ

4 王妃おうひ:
こころざし》曰:中山なかやまきょうおう袞得びょうみことのりふとやましまたふと、沛王りん并就しょうやまし
また曰:彭城おうよりどころけんやすじゅうろくねんふう范陽こう。以環たい彭城じん,徙封彭城。

5 王妃おうひ:
こころざし》曰:しゅまごけんしゃ夫人ふじんかい山陰さんいんじん也。ちち煚。けん聘以ため愛幸あいこうゆうちょうきさきけんおさめしゅうとまごじょよくれいしゃ肯,ゆかりしつこころざしはやそつ
また曰:くれおうまごけんじょ夫人ふじんくれぐんとみはるじん也。祖父そふしんあずかけんちちけんしょうおやけん以妹つましんなま琨。琨生夫人ふじんはつてきどうぐんりくひさしなおそつけんため討虜將軍しょうぐんざい,娉以ためきさきはは養子ようしとうこうけん遷移せんい,以夫じん妒忌,はいところくれせきじゅうねんひろそつ

6 王妃おうひ:
臧榮いとぐちすすむしょ》:賈充前妻ぜんさいせいじょ荃、濬。禁錮きんこかい,荃等屢請たかしむかい其母,而父はん充當じゅうとう鎮關ちゅうたむろぐん城西じょうさいためきょうちょう,受百かんはなむけ。荃、濬遂突出とっしゅつ於坐ちゅう叩頭こうとう流血りゅうけつ,訴充并陳せつぐんきゃく以母おうかえこれ。荃是ひとしけんじおうこれ,眾賓みなおどろきおこりだしたかし甚愧愕。

7 王妃おうひ:
すすむ中興ちゅうこうしょ》曰:うみ西にし皇后こうごう庾氏,どう憐,つかさそら冰女也。はつためうみ西にし王妃おうひうみ西にし即位そくいはいため皇后こうごう泰和やすかず元年がんねんくずしそうけいたいらりょううみ西にしこう夫人ふじん
また曰:簡文皇后こうごうおうらんひめきさき以冠ぞくふとしそうおさむ焉。はつためかい稽王生子おいご道生どうしょうため世子せいし。并失ふとそうきさき及道せい俱被かそけはい,以憂薨。れつむね踐祚せんそついみこと曰順皇后こうごう
また曰:ちゅうむねははたいなつこうこうひめいちどう镮。たい為恭ためちか王妃おうひなまちゅうむねおう薨,ちゅうむね嗣立,たたえおうふとしえいよしみ元年がんねん,薨,かえそう瑯琊。
また曰:もとけい皇后こうごうおそれ孟母もうぼすみがいじんなか宗之むねゆきためおうおさめきさきためえいよしみろくねん,薨。
また曰:やすしけんじ皇后こうごう褚氏,ひるだいでん裒之おんな也。きさき以名にゅうため瑯琊王妃おうひなまこうきよし皇帝こうてい

8 王妃おうひ:
しょうあらわひとししょ》曰:ずいぐん王子おうじたかしうんきょうめと尚書しょうしょれいおう儉女ためうえ以子たかしのうぞくぶんいい儉曰:「我家わがやひがしおもね重出じゅうしゅつじつためすめらぎしげるへい。」

9 王妃おうひ:
しょ》曰:げんただしためふとそうただしきょう河南かなん中正ちゅうせいそう親王しんのう及始しげる、二王蕃妻悉有妃號,而三蕃已下皆謂妻,じょうとくどうためめい,而下如五品已上有命婦之號,竊以ためうたぐ。」みことのり曰:「おっと於朝,つまさかえ於室,婦人ふじんじょうしょうくだしたがえおっと。三蕃既啟王封,めいまた同等どうとうつましゃひとし也,於紀ひとししたがえれい。」三蕃王妻名號始定。
また曰:陽平ようへいおうあらわみことのり曰:「あらわ所生しょせいおや,誕育懿胤,がたしげるこくははえんたかよしちょ春秋しゅんじゅう》。授陽ひらたおうふとし,以申典例てんれい。」

URN: ctp:taiping-yulan/151