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太平御覽 : 兵部五十七 - Chinese Text Project
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兵部ひょうぶじゅうなな

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とりこ

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1 とりこ:
すすむしょ·》曰:りゅう曜光祿ろく大夫たいふゆうとおあずか氐羌あまりせんあまりゆうおごいろどおこう其無備,よるちかい眾,蓐食,晨大ふうふるえきりどお曰:「てんさんわが也。」躬先士卒しそつ,掃壁而出,おそあきらくつがえこれなまとりこあまり,悉俘其眾。

2 とりこ:
せきにせごと》曰:りゅう曜躬りょう將士しょうしじゅうななまん眾,だい舉征勒。勒養子生こなじためまもる將軍しょうぐんりょうさんせんにん鎮洛きん墉城。曜攻せいじょう不能ふのう不覺ふかく勒軍そついたりてんあかつき,曜軍とうおさむ金城きんじょう,勒軍いれせいあずか曜軍しょうぐうそく交戰こうせん,曜軍大破たいはとうさきとりこ曜身。

3 とりこ:
さんじゅうこく春秋しゅんじゅう》曰:ちょうちゅうぐんりゅうひろし悉眾おさむつばめ。眾咸諫曰:「こん往亡兵家へいかしょ。」ひろし曰:「わが往,かれほろびよし孰大焉。」乃命悉登,とげ克之かつゆきつばめおう慕容ちょうはしつい焉。ひろしせめ其不くだこれざいちょう神色しんしょく自若じじゃくことおもんみ以母たくりゅうたかしせん而已。しょうかたとう曰:「美哉みや,其言也。以言必已おやおわり忘孝,いいじんしょう,其言也善,しん乎!」

4 とりこ:
さん國典こくてんりゃく》曰:ほうけいひるいき夜行やこうおいぐんやや逼。使つかいいい慕容紹宗曰:「けいわかとりこおおやけふくなん所用しょよう?」紹宗乃緩
また曰:きたひとしひらめにんじょうおうおとよりどころ冀州,あずかこうやすしおうたかし召募しょうぼとくよんまん餘人よにん,以拒ぐんひとしおうけんりつ眾討,仍令ふとしじょうしゅ手書しゅしょあずか湝曰:「朝廷ちょうていぐうぬき甚厚,諸王しょおう恙,叔若しゃくかぶとのりところゆう。」湝不納ふのう及。大開おおひらきしょうつの出金しゅっきん帛。沙門しゃもんもとめためせんしゃまたすうせんにんこう湝間はかりごとにん以白于憲,乃集ひとしこれきゅうしょうへんしめせ曰:「われしょそうしゃだい不在ふざいなんじとういまかえそくたかしわが使つかい。」乃與湝書曰:「一木いちき大廈たいかさん諫可以逃ほろしょうほうふくしゅうだいこうはくすわえたまものせいかんあさへい交命使古今ここんどおりてん俟終所望しょもういく!」湝得しょ沉之於井。けんいたりしん,湝陣於城みなみけん登張とばりみみ冢以もちにわか而,湝領ぐんじょうしょう顧,とげ以眾おん諧降。湝大いかころせ其妻明日あしたふくせんけんとげやぶこれ,俘斬さんまんにん,湝被とりこけんはいよびためおとうと

5 とりこ:
きた》曰:きさきもとはるか遷左こう祿ろく大夫たいふ,仍領まもるぐんとき冀州沙門しゃもんほうけいすんでため妖幻,とげせつ渤海じんはくごうしたがえこれかえりはく招率きょうじん,推法けいためおうほうけい以歸はくためじゅうじゅう菩薩ぼさつひら軍司ぐんじていかんおうごう大乘だいじょうころせいちにんしゃためいちじゅう菩薩ぼさつころせじゅうにんしゃためじゅうじゅう菩薩ぼさつまたごうきょうやくれいじんふく父子ふし兄弟きょうだいあい知識ちしきおもんみ殺害さつがい為事しごと。於是聚眾ころせ阜城れいやぶ渤海ぐん殺害さつがい吏人。刺史しししょうたからきょうけんちょうちぇはく驎討はい于煮なつめじょうはく驎戰ぼつきょう眾遂もり所在しょざいほふめつてらしゃ僇尼そう,焚燒けいぞううん新佛あらぼとけ出世しゅっせ除去じょきょ眾魔。みことのり以遙ため使ぶしとくきたせいしょ軍事ぐんじりつじゅうまん以討ほうけいしょうりつおさむはるかはるか擊破げきははるか輔國將軍しょうぐんちょう虬等とりこほうけい并尼めぐみあきらとうこれつてくび京師けいしきさきとりこはく,戮於都市とし

6 とりこ:
こうしゅうしょ》曰:裴寬あずかあずまたかしはた彭樂まことせん于新じょういんきずとりこいたり河陰かいんひとしぶんじょうひろし舉止しょう於占たいぶんじょう甚賞こといいひろし曰:「きょう三河そうごかんむりぶたざい識如此,わが必使きょう富貴ふうきせきちゅうひんせまなんそく,勿懷こと也。」いんかいくさりづけかんあつ其禮。ひろし乃裁しょ氈夜たてすが而出,いんとく遁還於太ふとし顧謂諸公しょこう曰:「けんするどあるゆう其人,疾風しっぷう勁草,さいさむかたけん。裴寬ためだかきよし如此厚遇こうぐう,乃能おかせわが,雖古竹帛ちくはく所載しょさいなに以加。」
また曰:ふとしりょうもとみかど使つかい請舊以定疆界。また連結れんけつ於齊おさい言辭げんじもと慢。ふとし曰:「古人こじんゆうごとてんこれしょ棄,だれのうきょう?其蕭繹之いい乎。」ふゆじゅうがつみずのえいぬはしらこく于謹、中山なかやまこうまもる大將軍だいしょうぐん楊忠、韋孝ひろしとうまん討之。十一月じゅういちがつみずのとずみ於漢,中山なかやまこうまもるあずか楊忠りつするどさきたむろ其城よりどころ江津ごうつ以備其逸。かぶとさる,謹至こうりょうれつ營圍もりからし進攻しんこうじょう,其日克之かつゆきとりこはりもとみかどころせこれ,并虜其百官及士民以歸。ぼつため奴婢ぬひしゃじゅうあまりまん,其免しゃひゃくあまりたてしょう詧為はりぬしきょこうりょうためつけいさお
また曰:ほう莫陳たかしずい拔岳征討せいとう,以功じょたてたけし將軍しょうぐんしたがえだけいれせきやぶまん俟丑やつたかしあずかけい逐北,いたり涇長あな及之。ぞく未成みせいれつたかし單騎たんきにゅうぞくちゅう,於馬上生わぶとりこうしやつ。於是大呼たいこ,眾悉披靡,莫敢とうこれきさきしゅうとげやぶこれたけ以丑やつしょ乘馬じょうば寶劍ほうけんきんたいしょう
また曰:ひろかい稽人。はやごと詧,以敢いさむ聞。汑口之くちのやくさき力戰りきせん,及華こうぐんはいためあきらてっしょとりこはたくだこれこう辭色じしょく不屈ふくつとげ被害ひがい
また曰:やなぎひのきじょきょう華陽かようぐんもりあん康人やすひと眾寶謀反ぼうほん連結れんけつとうあずかはたかこえしゅうじょう,乃相いい曰:「嘗聞やなぎくんいさみ悍,其鋒不可ふかとうこんすんで在外ざいがいぽうためわれ腹心ふくしんやめ也,如先げき。」とげかこえひのきぐんぐんじょう卑下ひげ眾寡じゃくにんもりこれ備,連戰れんせんせきじゅうにち士卒しそつ僅有そんしゃ,於是りょくこごめじょうおちいじゅうすうかさとげためぞくしょすんで而眾たからとうしんかこえひがしやなしゅう,乃縛ひのきおけ城下じょうかよくれいさそえせつ城中じょうちゅうひのき大呼たいこ曰:「ぐんぞく烏合うごう糧食りょうしょくやめ罄,ぎょうそく退散たいさんかくむべつとむこれ。」眾寶だいいか,乃臨ひのき以兵曰:「はやさらなんじやめなんじ便びん就戮矣。」ひのきもりぶし不變ふへんとげがい。棄尸水中すいちゅうにんみな為之ためゆき流涕りゅうてい

7 とりこ:
ずいしょ》曰:かんおうりょうさくらん也,煬帝しょうはつかそけ州兵しゅうへい以討とき竇抗ためかそけしゅうそうかんみかどいか其有貳心ふたごころもんにんしゃ於楊もともとしんゆう,授上大將軍だいしょうぐんはい廣州こうしゅう刺史ししはせいたりかそけしゅうとめでんしゃ召募しょうぼとくせん餘人よにんこう恃素とうとあずかあいゆうひとさとしこれこうにちこうしたがえ鐵騎てっき千來詣子雄所,ゆうふくかぶと請與しょういんとりここうとげはつかそけ州兵しゅうへいさん萬自陘以討諒。ときりょう大將軍だいしょうぐんりゅうけんりゃくつばめちょうせいおさむ陘,あいぐう於抱犢山力戰りきせんやぶこれ,遷幽しゅうそうかん
また曰:どく楷字おさむそく不知ふちなんもとじん也。本姓ほんせいちちたむろしたがえひとし神武じんむみかどあずかしゅうせん於沙えんひとしはい績,いんためばしらこくどくしんしょとりこはいためきゅう使しんややとく親近しんきんいんたまものせいどく。楷少謹厚きんこう便びんろう槊,ため宇文うぶんまもる執刀しっとうるいてんしゃ將軍しょうぐん。其後すうしたがえ征伐せいばつたまもの爵廣おもねけんこう,邑せん

8 とりこ:
とうしょ》曰:長平ながだいおう叔良驃騎りゅうかんげき薛仁はて,卻為しょはいかん歿於ぞくかん不知ふちなんもとじんはつ以本かん鎮涇しゅうためじんはてしょかこえかんこばめせん久之ひさゆき城中じょうちゅうかてつきしょくかんころせ以分士卒しそつかんいちしょ啖,おもんみこつしる木屑きくず而自しょくしろたれおちいしゃすう矣。會長かいちょうたいらおう叔良援兵えんぺいいたりひとしはてほどけかんじあずか叔良ふくせんいんためぞくしょとりこ
また曰:おうこうさとし鎮潞しゅうりゅうくろ闥來おさむぎょうさとしれきてい出兵しゅっぺいこばめせんげきぞくやぶこれすんで而憩於野,設備せつびぞく而掩左右さゆうみな遁,いんためくろ闥所とりこ,竟不はいくろ闥怒これ臨死りんし西向にしむき而言曰:「くだりさとだいから忠臣ちゅうしん也,すなお陛下へいか知之ともゆき。」高祖こうそ聞而つう惜焉。
また曰:りゅうゆずる檢校けんぎょう并州そうかん,突汗厥可あせ俱檢とく勒以しょせんにんわが并州,甚為みん患。ぜんそうかんなかぶん不能ふのうせいせいゆずるいたかん,以計とりこはせ使以聞,高祖こうそだいえつよしみ嘆久
また曰:きょうたからよしみ武德ぶとくはつはいたけまもる大將軍だいしょうぐんひろため鉞將ぐんりゅうたけししゅうすすむえい往來おうらいすずめねずみだに高祖こうそれいたからよしみげきえいすう以輕へい挑戰ちょうせんたからよしみへいざいせっえいけい遁。如此しゃ再三さいさんたからよしみ悉眾以遂伏兵ふくへいはつぐんとげ大敗たいはいたからよしみためぞくしょとりこきさき逃歸にげかえいたりあずか裴寂こばめそうきん對戰たいせんはじめごうさび棄軍而走,へいとげだいつぶせたからよしみふくためぞくしょとりこ高祖こうそはつ聞其ぼつ也,泣曰:「たからよしみ烈士れっし,必不せいくだ。」たまもの其家ぶつせんだんべいさんひゃくせきたからよしみきさきはかりごとぞくこと泄遇がい臨死りんし西向にしむき大言たいげん曰:「しんじょう陛下へいかほふつぶせしょ甘心かんしんただし敗軍はいぐん九泉きゅうせんしょ恨。」及賊退すさ高祖こうそ使つかいむかえ其柩,謚曰:「つよし」。
また曰:つねしゅう節度せつど使たからしん使じんいいしゅ滔曰:「われ聞朱こう貌如しんやすとく而識すなおいん繢事以觀,乎?」滔乃其形以示にしきころもきんかぎ甚偉。たからしんかか於射どういのちしょしょう熟視じゅくし,曰:「しゅこうしん神人しんじん也。」他日たじつ出獵しゅつりょうたからしんみつせんせいそつこう,戒其はた曰:「かれ貌如しゃどうしょかかしゃ。」ぐんかたどもごとあいおそれ,而卒へん暴至,滔駭しかあずかせん於瓦きょうてきころもふく,以不識免。
また曰:蔡州賊將ぞくしょうしげる琳,以文じょうしがらみへいさん千降李愬。愬從しゅう琳於新興しんこうしがらみとげ以琳眾攻くれぼうなつ四月庚寅朔辛卯,愬奏いたり嵖岈さんとりこ賊將ぞくしょうやなぎみなととうにんひかりがおはいもとすみさんまん於偃じょう,其將ちょうはくりょう奔於蔡州,ころせ其卒じゅうさんせんひきうつわかぶとさんまん。其甲じょう悉畫さく雷公らいこう北斗星ほくとせいぶんまたうんはややぶ城北しろきたぐんきゅうきゅう如律れい」。

9 とりこ:
しゅう》曰:すめらぎはじめあきらせいはいにゅう滁州,ふとし皇帝こうてい麾兵わたるすい逾城而入,つき戮其とうなまとりこあきら及其にせいのちかん姚鳳とうおく於行ざいむね召見あきら曰:「しんりょく備矣,よく暫坐。」及坐,また曰:「しんよく暫臥。」俟命而臥,神色しんしょく自若じじゃくむねまたふくよう。乃言曰:「しん盡忠じんちゅう於本こくじつ以甲へいいさみおびえ不敵ふてきしんはやごとすすむあさ,屢將へいあずかちぎりしょう如天あさ此日かぶともりさくしゃ退すさもり滁州,いいてんへい便びんのう逾城おさむ,如履平地ひらちしんりょくしょ就擒みみ。」いんもりたたえぶと武勇ぶゆうむねいのちしゃくたまもの衣服いふくたい鞍馬あんばきさき數日すうじつあきら以金かさひろそつ於洛あきらほん驍將ぎょうしょうからそう宗之むねゆきもとぎょういんあきら而敗焉。あきら有名ゆうめい於天

とりこかすめ

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1 とりこかすめ:
ひだりでん》曰:ていさいあしそちぬるこれむぎあきまたなるしゅう禾。

2 とりこかすめ:
こう漢書かんしょ》曰:馮異いいなえもえ曰:「こんしょしょうみな壯士そうしこごめおこり暴橫。どくゆうりゅう將軍しょうぐんしょいたとりこかすめかん其言舉止,いさおじん也,以歸。」なえもえ曰:「死生しせいどういのちけいしたがえけい。」
また曰:郅惲いたりいおりこういんぐうせきいしゆみ將軍しょうぐんでんしゅんひがし徇揚しゅうしゅん聞惲めい,乃禮請上うえため將兵しょうへいちょう,授以軍政ぐんせい。惲乃ちかい眾曰:「掩人不備ふびきゅうじん於厄;とくだんじん肢體したいはだかじん形骸けいがい淫婦いんぷおんな。」しゅんぐんなおはつ冢陳しかばね掠奪りゃくだつ百姓ひゃくしょう。惲諫しゅん曰:「むかしぶんおうしのぶ白骨はっこつたけおう以天えきいちにんいのちりょ春秋しゅんじゅう》曰:たけおう紂至まぐろすい,紂使にかわ鬲候しゅうもんたけおう曰:」なんにちいたり?「たけおう曰:」はた以甲子日ねのひいたり。「にかわ鬲行。てん大雨おおあめにちよる不休ふきゅうたけおうやましこう輟,ぐん吏諫たけおう曰:」われやましぎょう以救にかわ鬲之也。「のう天地てんちおうかつしょう如林たび天地てんちおういいよるあめどめ、畢陳、白魚しらうお入舟いりふねこれるいかつ勝也かつやしょういんごう也。たび,眾也。如林,げん眾多。《尚書しょうしょ》曰:たけおう紂,紂率其旅若林わかばやしかい牧野ぼくや將軍しょうぐん如何いか法文ほうぶんおう而犯ぎゃく天地てんちきんきずじんがいぶつしいたげ及枯しかばねつみ神明しんめいこんしゃてんあらためせい以全いのちすなお將軍しょうぐんおやりつ士卒しそつおさむきずそう,哭所ざん暴,以明將軍しょうぐん本意ほんい也。」したがえこれ百姓ひゃくしょう悅服えっぷくしょこうみな

3 とりこかすめ:
すすむしょ》曰:宮人みやびとはじめ玖弟ちょう并為成都せいとおう穎所嬖寵。ちょうりょうまん人為じんいしょうとくたたかえたてへいだいかすめりくろく其主しゃちょうしょう鐵騎てっき百餘人直入機麾下奪之,顧謂曰:「むじなやつのうさくとく?」司馬しばまごごくすすむころせ不能ふのうようちょう宣言せんげん於眾曰:「りくはたはん。」
また曰:めぐみみかどまつ,妖賊りゅうかしわおこり於東おひがし萊,おうわたるりつ僮從かしわほろびいれちょう廣山ひろやまため群盜ぐんとうわたるけんりゃく,凡有しょかすめ必預成敗せいばい,舉無のこさく弓馬きゅうば迅捷,膂力りょりょくひと青土おうづちごうためひょう。」

4 とりこかすめ:
じゅうろくこく春秋しゅんじゅう》曰:みなみすずか禿かぶろはつ傉檀きたりょう沮渠こうむへりくだ於姑臧,いたりばん禾苕藋,苕,聊切。藋,つるしきりかすめせん。其將くつすすむ曰:「陛下へいか轉戰てんせん千里せんりぜんかんじん。徙戶資財しざいみつる溢衢むべばいどうゆうはやたびたかし崄。こうむへりくだぜん於用へい眾習せんわかけいぐんそついたりわれ不慮ふりょ大敵たいてきがい逼,徙戶內攻,危道也みちや。」まもるじょうりょくのべ曰:「わが軍勢ぐんぜいかたもり將士しょうし勇氣ゆうきばいかれいきおいあい及。わかばいどうゆう,必捐棄資ざいしめせじん以弱,けい也。」にわか而昏きり風雨ふううこうむへりくだぐんだいいたり,傉檀大敗たいはい而還。

5 とりこかすめ:
さん國典こくてんりゃく》曰:ひとししゅ以契はんふさがおやせいいたり於平しゅう其西どうちょくゆびちょうややつかさはんらくりつせいせん東道とうどうおもむき青山あおやまこうしろおおかみじょう安德あんとくおうかん軌,りつせいよんせんだん其走つい奔至于遼すいひとししゅはつ袒身,晝夜ちゅうやいきぎょうせんあまりさとおもんみ食肉しょくにく飲水のみみずたけしわたる厲,おや山嶺さんれいため士卒しそつさき指揮しき奮擊,大破たいはとりこじゅうまんくち

6 とりこかすめ:
しょ》曰:すみかげおう新城しんじょう頗有武略ぶりゃくくら莫奚おかせ擾,みことのり新城しんじょうりつ眾討新城しんじょう乃多ためどくしゅぞくやや逼,使つかい棄營而去。ぞくいたり而競いん,聊無しょ備。とげ簡輕いんよいたてげき,俘馘甚多。
また曰:天水てんすいはりかいもり東城とうじょうはかりごとよく逃遁。さきふう敕文じゅう塹於東城とうじょうそとだんぞく走路そうろ夜中よなかかい乃陳はしごあが塹而走。敕文さきげんへい於塹がいこばめしたがえよるいたりだん。敕文はかりごと於眾曰:「こまししなお,而況於人。ぞく眾知生路いくじにん致死ちし,必傷眾,えきたいらわかひらき其生ぞく必上はなれしん克之かつゆきえき矣。」眾咸以為しか。敕文以白とらはた宣告せんこくぞく眾曰:「わかのうくだはら其生いのち。」おうくだしゃろくひゃく餘人よにん會知かいち人心じんしん沮壞,於是ぶん遁。敕文たてあが躡,死者ししゃ大半たいはん。俘獲よんせんひゃくくち

7 とりこかすめ:
こうしゅうしょ》曰:拔岳ふくなんじしゅたかしこうまん俟丑やつときうしやつりつだい眾圍歧州,くだりだいじょうおそ菩薩ぼさつとうこう武功ぶこうみなみわたり渭水,てんこうもちだけりつ赴之。たけさきりつげき退すさはしたけ號令ごうれい:「ぞく下馬げばしゃみな聽殺。」ぞく顧見便びん悉投にわか而虜さんせん餘人よにん人馬じんばのことげとりこ菩薩ぼさつくだそつまんあまり,并收其輜重しちょううしやつ棄歧しゅうはしあん定平さだへいてい

8 とりこかすめ:
ずいしょ》曰:みなみやすしえびす爨玩はいこんしゅう刺史ししすんで而復叛,とげ以史まんさいため行軍こうぐんそうかんりつ眾擊にゅう蜻蛉とんぼおと精靈せいれいかわけいろう揀,しょう勃弄、だい勃弄,いたり于南ちゅうぞくぜんさるたむろよりどころ要害ようがい萬歲ばんざいみな擊破げきはくだりすうひゃくしょかずらあきらきのいさお碑銘ひめい,其背曰:「萬歲ばんざいこれしょうしゃ此。」萬歲令左右倒其碑而進,わたり西にしかわ入渠にゅうきょ濫川,ぎょうせんあまりさとやぶさんじゅうとりこ男女だんじょまんくちしょえびすだい懼,使つかい請降,けんじあきらたまみちすん。於是勒美ずいとく。萬歲遣使馳奏,請將玩入朝にゅうちょうみことのりもと
また曰:たち奚長孺與烏丸からすま軌圍ちんすすむあきらとおる於呂おろはりひね驍將ぎょうしょうりゅうけいりつ勁勇ななせんらいため聲援せいえん,軌令ちょう孺逆こばめこれちょう孺於車輪しゃりんすうひゃくけい以大せき,沉之清水しみずれんこしきしょう以待。けいぐんいたり船艦せんかん礙輪とくすすむちょう儒乃たてへい水陸すいりく俱發,大敗たいはい,俘數せんにん
また曰:しゅうほうなおはつつかまつひねひねしゅうちんすすむ樊猛ずみこう討之。ほうなおきょくとくかんろういつわりためおのれ,奔于ひねにせつげもう曰:「ほうなおへいすなおくだにんみな竊議つきよく叛還。わかとくぐんらい,必無しゃとう於陣たおせほこみみ。」もう以為しか,引師急進きゅうしんほうなお乃佯ためかしこ懼,于江きょくもうひねへい挑戰ちょうせんほうなおさきふくけいはやぶね于浦ちゅうまたふく精銳せいえい於古むらきたちょう旗幟きしむかえりゅうこばめこれせんすうごうにせ退すさとうがんとう古村こむらたけししゃふね逐之,ほうひさしまた疾走しっそうぎょうすうあずか村北むらきたぐんごうふくぜんげきたけしもう退すさはしふねすんで而浦ちゅうふくはやぶね其舟かじたてあまね旗幟きしもう於是大敗たいはい,僅以めんとりこはちせんにん

URN: ctp:taiping-yulan/326