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太平御覽 : 兵部三十五 - Chinese Text Project
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兵部ひょうぶさんじゅう

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征伐せいばつちゅう

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1 征伐せいばつちゅう:
史記しき》曰:はた繆公れい內史廖以おんならくはちのこえびすおう。繆公またすう使つかい人間にんげんようよしあまりとげくだしんそう繆公以客れいれいもん戎之えびすの
また曰:ちょうよんせんくに,其人習兵,不可ふか也。
また曰:魯君もん柳下やぎしためぐみひとししためぐみ而有憂色ゆうしょく,曰:「われ聞伐こく不問ふもんじんじん,此言なんいたり於我哉?」
また曰:のきながえときかみみのりおとろえ諸侯しょこうしょうおかせ暴虐ぼうぎゃく百姓ひゃくしょう,而神みのりどるのうせい。於是のきながえ乃集よう干戈かんか,以征とおる諸侯しょこうある來賓らいひんしたがえ。而蚩ゆうさいため暴,莫能
また曰:たまもの弓矢ゆみや斧鉞ふえつ使つかいとく征伐せいばつため西伯さいはく
また曰:西伯さいはくすんでそつしゅうたけしおうひがしいたりはじめ諸侯しょこう叛殷,かいしゅうしゃはちひゃく諸侯しょこうみな曰:「紂可。」
また曰:たけおうためぶんおうおも車中しゃちゅうたけおう自稱じしょう太子たいしはつげん奉文ともゆきおう以伐,敢自せん
また曰:たけおうへんつげ諸侯しょこう曰:「いんゆう重罪じゅうざい不可ふか畢罰。」じょひろちゅううんいちさくめつ

2 征伐せいばつちゅう:
漢書かんしょ·郊祀こころざし》曰:むかしひとし桓公かんこうよくふうぜんいいかんなか曰:「寡人きたやまえびすちく西にしたばけんしゃうえ卑耳やまみなみ召陵,のぼり熊耳ゆうじさん,以望江漢こうかんへい車之くるまのかいさん,而乘車之くるまのかいろくとげきゅうごう諸侯しょこういちただし天下でんかむかしさんだい受命じゅめいまたなに以異乎?」

3 征伐せいばつちゅう:
またひろでん》曰:天子てんしためまんさと而伐,ろく其過。

4 征伐せいばつちゅう:
また匈奴きょうどでん》曰:ひがしえびすきょう聞冒ひたすらころせちち自立じりつ,乃使使いいおかせひたぶる欲得よくとくたん于閼おかせひたぶるとい左右さゆう左右さゆうみないか曰:「ひがしえびす無道むどう,乃求閼氏,請擊。」おかせひたぶる曰:「奈何いかんあずかひと鄰愛いち女子じょし乎?」とげところあい閼氏あずかこれひがしえびすいよいよおごおかせひたぶるとげひがししゅう襲擊しゅうげきひがしえびすひがしえびすはつけいおかせひたぶる不為ふため備。及冒ひたぶる以兵いたり大破たいはめつひがしえびすおう

5 征伐せいばつちゅう:
こう漢書かんしょ》曰:みかど以關ちゅう未定みてい,而鄧禹久すすむへいしも敕曰:「つかさ,堯也;ほろびぞく,桀也。長安ながやす吏人,遑遑しょむべ以時しん討,鎮慰西京にしぎょうけい百姓ひゃくしょうしん。」禹猶ぜん,乃分遣ぶんけん將軍しょうぐんべつおさむ上郡かみごおりしょけんさらせいへい引穀,かえりいたり大要たいよう大要たいようけんめい

6 征伐せいばつちゅう:
こころざし》曰:ふとし祖父そふかさかんかえ譙,以董たくみだれ避難ひなん瑯邪,ためとうけんしょがいふとしこころざしざい復仇ふっきゅうひがし
また曰:景元かげもとよんねん,鄧艾しょくかげ平行へいこう無人むじんななひゃくあまりさと,鑿山どおりどうさくきょうかく山高やまたかたにふかしいたりゆう艱險。もぐさ以旃裹,推轉而下。將士しょうしみなよじえんがけ魚貫おにき而進。

7 征伐せいばつちゅう:
おうかくれすすむしょ》曰:ふとしかん元年がんねんりゅう驤將ぐんおう浚等おさむけんひらめ丹陽たんようじょう克之かつゆきひがしげき西陵せいりょう以下いかつき拔其じょうとりこ將帥しょうすい。於是上下じょうげしょぐん同時どうじ并進,くれじんくだしゃまんけい丞相じょうしょうちょう悌及まもるぐんまごふるえあずかあげしゅう刺史しししゅう浚等せん於板きょうやぶこれ。臨陳悌、ふるえくび,浚遂泛舟東下ひがししもしょれきみなたいらぐんいたりまぐさりょうあきらめんばく輿こし舁將其太まい浚降。乃收其圖せきみなよしくれしょおけじょ虐政ぎゃくせいしめせ簡易かんい百姓ひゃくしょうだいえつ。乃赦天下でんか改元かいげんためふとやすし天下てんかだいにち

8 征伐せいばつちゅう:
すすむしょ》曰:せんおうやぶちょう魯,請魏たけ便びん討劉備。たけ曰:「ひとわかあし既得きとく隴,ふく欲得よくとくしょく也。」
また曰:王羲之おうぎしあずかかい稽王箋,ちんいんひろしむべきた,并論時事じじ

9 征伐せいばつちゅう:
またせん》曰:鎮東大將軍だいしょうぐんしょかずら誕殺あげしゅう刺史ししらく綝,以淮みなみさくみだれしゃ請速これみかど曰:「われとうあずか四方しほうどうちから全勝ぜんしょうせい。」乃表曰:「むかし黥布叛逆はんぎゃくかんおやせい;隗囂たがえもど光武みつたけ西にしみな所以ゆえん奮楊赫斯,ふるえ曜威武也たけや。」

10 征伐せいばつちゅう:
また天文てんもんこころざし》曰:まいりじゅうほしいち曰參おもかりまたためてんごくしゅころせ

11 征伐せいばつちゅう:
また《馮紞でん》曰:はつはかりごと,紞與賈充、荀勖どうとも不可ふかひらめ,紞內ふところ慚懼。

12 征伐せいばつちゅう:
また》曰:慕容たれせい長子ちょうししょしょう咸諫,以慕ようながゆう釁,れんとしせいやく士卒しそつつかれだる,請俟他年たねんたれはたしたがえこれ,及聞慕容德之のりゆきさくわらい曰:「われけいけつ矣。ふくとめぞく以累子孫しそん也。」乃發ななまん其丹おう慕容瓚、りゅうちょうたかしおさむながおとうとささえ于晉

13 征伐せいばつちゅう:
きた》曰:慕容紹宗討侯けい於渦ときけいぐん甚盛,はつ聞韓軌往討之,曰:「啖豬ちょう小兒しょうに。」聞高だけ往,曰:「此兵しらげ凡人ぼんじんみみ。」しょしょうけい。及聞紹宗いたり,扣鞍曰:「だれきょう鮮卑小兒しょうにかい紹宗らいわかしかこうおう耶?」及與けいせんしょはたしきはい肯先しゃ。紹宗麾兵みちすすむしょしょうしたがえこれいん大捷たいしょう

14 征伐せいばつちゅう:
さん國典こくてんりゃく》曰:しゅうはり,于謹大軍たいぐん于樊、鄧,たけおうりつぐんかいつてげき于梁曰:「つげりょう文武ふみたけ眾官:おっとさくこくしゃ罔弗以禮しん為本ためもとおもんみしかこんしゅ往遭こうけいぎゃくらんはじめじつゆいわが國家こっか以鄰援。こんそう背德はいとくとうぞくだかよう,引厥使じんおけ堂宇どうう,傲我王命おうめい,擾我じんわが皇帝こうていかさねてんどる敢以やすしぶんいのち眾軍,たてまつ楊廟りゃく凡眾じゅうまんちょく指江さしえりょう。」ちょうしげるはりおもとまこう,內外誡嚴,あさ昏霧,かた歇。はりぬしおやえびす百官ひゃっかん并甲胄,したがえ於禊いんどうあいだ公私こうし仗。大風おおふう拔木。おう琛既いたりせき梵,未見みけんぐん,乃馳しょほう羅漢らかん曰:「われいたり梵境。」じょう恬然てんぜんぜん曰:「ところげんみな兒戲じぎみみ。」羅漢らかんにゅうけいはりおもうたぐこれ庚午こうごつづけこう百官以戎服聽。

15 征伐せいばつちゅう:
こうしゅうしょ》曰:建德けんとくねんふゆじゅうがつみかどいい群臣ぐんしん曰:「ちん去歲きょさいぞくゆう疹疾,とげとくかつひら逋寇。ぜんぞくにゅうさかい,備見敵情てきじょうかんかれぎょう,殆同兒戲じぎまた聞其朝政ちょうせい昏亂,政由まさよし群小ぐんしょう百姓ひゃくしょう嗷然,あさはかりごとゆう天與てんよおそれ貽后悔。わかふくどう往年おうねんぐんかわがいちょくためなでそむけ扼其のどしかすすむしゅう本高もとだか歡所おこり,鎮攝ようじゅうこん往攻かれ來援らいえんわれげんぐん以待,げき必克。しかじょう破竹はちくいきおいつづみゆき而東,そく以窮其窟あなこん同文どうぶん軌。」しょしょうすなおぎょうみかど曰:「しゃごとほろ不可ふかしつ矣。わかゆう沮吾ぐんしゃちんとう以軍ほうさい。」おのれとりみかどそうえびすひがし。以越おうもりためみぎ一軍いちぐんそうかん,杞國こうあきらためみぎぐんそうかんずいこくおおやけ楊堅ためみぎ三軍さんぐんそうかん,譙王儉為ひだり一軍いちぐんそうかん大將軍だいしょうぐん竇恭ためひだりぐんそうかんひとしおうけんちんおうじゅんためまえぐん
また曰:じょうちゅういのち宇文うぶんまもるみつる眾伐ひとし。於是せいじゅう四軍及左右廂散隸及秦隴、ともえしょくへいしょしげる國之くにゆきじゅうまんにんじゅうがつみかど於廟廷授まもる斧鉞ふえつだしぐんいたり潼關,乃遣ばしらこくじょうおそ迥率精兵せいびょうじゅうまんためぜんほこさき大將軍だいしょうぐんけんけいせんおさむかつしゅうひろ以洛かこえかいまた引軍退すさ。楊標於軹せき戰沒せんぼつまもる於是はん。以無こうあずかしょしょう稽首請罪,みかどどるせめ也。
また曰:建德けんとくよんねんあきなながつたけみかど召大將軍しょうぐん以上いじょう文德ふみのり殿どのみかど曰:「ふとし祖神そしんたけ膺運,創造そうぞうおうはじめへいしょ臨,ゆうせいせんただかれにせひとしなおふところ跋扈ばっこ。雖復えびすしゃ屢駕,而大勛未しゅうちん以寡昧,纂承おおとりいとぐち,往以せいけんおさむしょ措懷。おやらんまん便びんひがし討。あくころも菲食,つくろえきのえおさむへいすうねんやめらい戰備せんびややあし。而偽ぬし昏虐,ほしいままぎょう無道むどう暴除みだれ,斯實其時。こんよくすうどう出兵しゅっぺい水陸すいりくけんしんきたこばめだいくだりみちひがし扼黎けんわかおさむ拔河かげ,兗、そくはせげきじょうしかやしなえするどとおる,以待其至。ただしとくいちせんのりやぶこれ必矣。王公おうこう以為なん如?」群臣ぐんしん咸稱ぜんちょううしみことのり曰:「こういんいのちよりどころゆう汾、漳,擅假名器めいき歷年れきねん永久えいきゅうちん以亭どく為心いしん,遵養みそとげあつし聘好,つとむいきはじむもと。而彼ふところわる悛,ひろごとおかせ軼,げんまけしんじ,竊邑ぞう奸。往者おうしゃぐんむべ,釁由かれはじめへいきょう汾曲,こと非我ひがさき。此獲俘囚ふしゅうれいおくあいつぎかれしょかかわ,曾無一反いったん以淫けい妄逞,どくしげるきょうひとし、魯軫殄悴あいかそけ、并企らいもちすんでみつるあくみのり,眾叛おやはなれゆういちえびすなに以大じょうこんしろぞうざいたつ涼風すずかぜ戒節,厲兵つめ暴,時事じじおもんみよろしちんとう親御おやごろく,龔行天罰てんばつ。庶憑祖宗そそうれい將士しょうしちからふうはせきゅうゆうでん掃八纮。可分かぶんいのち眾軍,ゆび進發しんぱつ。」以柱こくひねおうじゅんためぜん一軍いちぐんそうかん,滎陽公司こうしけしなんためまえぐんそうかんていこく公達きんだち奚震ためぜん三軍さんぐんそうかんえつおうもりため一軍いちぐんそうかんしゅうあきらおおやけこう莫陳瓊為ぐんそうかんちょうおう招為三軍さんぐんそうかんひとしおうけんりつまんおもむきはじむずいこくおおやけ楊堅、こうやすしこう薛回ふねさん萬自渭入河,はしらこくはりこくおおやけこう莫陳芮率眾一まんまもりふとし行道ぎょうどうさるこくおおやけきよしさんまんまもり河陽かわようどう常山つねやまこう于翼眾まん出陳しゅっちんなんじみずのえうまうえおやりつろくぐん,眾ろくまんちょくゆび河陰かいんはちがつみずのとにゅう于齊さかいきん踐苗稼,はんしゃ以軍ほう從事じゅうじ

16 征伐せいばつちゅう:
ずいしょ》曰:ちぇ仲方なかがたため虢州刺史しし上書うわがきろんひねさく曰:「しん謹案すすむふとしかん元年がんねんとしざいかのえすすむ武平ぶへいくれいたりいまひらけすめらぎろくねん歲次さいじ丙午ひのえうまごうさんひゃくなな。《春秋しゅんじゅうたからいぬいうん:」王者おうじゃさんひゃくねんいち蠲法。「ごうさんひゃくこれいい備矣。ちんくさ竊,おこり於丙いたりこん丙午ひのえうままたうまためおき陰陽いんようむかしちょうゆうげん曰:」ちん,顓頊ぞくためすいとしざいうずら以滅。「またうん:」しゅうたけしおうかつしょうふうえびすこう滿まん於陳。「いたり魯昭きゅうねんちんわざわい裨灶,曰:」とし五及鶉火而後陳亡,すわえ克之かつゆき。「すわえ祝融しゅくゆうこれ也,ためただしふくめつひねひねうけたまわしゅんきさきしゅんうけたまわ顓頊,雖太としひだりぎょうさいぼしまたてんうずらとしひねぞくさいほろびつちのえうまこれねん,媯虞うんつきあと雖殊,こうごとべつすめらぎあさうん相承そうしょうかんとく而王,國號こくごうためずいあずかすわえどうぶんすわえただしうまためうずらためうずらくびさるためじつ沉,とりためだいはりすんでとうしゅうはたすすむちょうこれぶんわかとう此分はつへいとく歲之としゆきすけ,以今りょういにしえほろびうたぐ也。しんいいうま未申ひつじさるとり,并是すうきょくぶた聞天如地如人きょうぬしせいしんりょうへいきょう國富こくふどううえ回心かいしんにんかみようちぎりひねすんでぬし昏於じょうみん讟於けわしひゃくかた,眾非きゅう國之くにゆきなつみずのといんからしひさし不能ふのうりつどく此島えびす而稽てん討!ふく朝廷ちょうていゆうひろしはかりごとただし芻蕘所見しょけん,冀申營爛爝。いまおもんみ須武あきらやめ,蘄、かず、滁、かたうみとうしゅうさらじょう精兵せいびょうみつ營渡けいえきしんじじょう、荊、もと、郢等しゅうそくづくりふねかじはりぜいためすいせんしょくかん二江ふたえ其上りゅう水路すいろようおき,必爭これしょぞく雖於りゅうあたま、荊門、のぶしゅう公安こうあんともえりょうかくれなつくび、蘄口、ぼんじょうおけせんしかおわり聚漢こうかいこう,以水せんだいけつわかぞく必以上流じょうりゅうゆうぐんれい精兵せいびょう赴援しゃ下流かりゅうしょしょうそく須擇便びん橫渡よこわたし。如擁眾自衛じえい上江うわえ水軍すいぐんぎょう以前いぜん。雖恃きゅうけんとく以為かたゆうさんひゃくえつへいおん不能ふのう自立じりつ。」上覽じょうらん而大えつてんもとしゅう刺史ししせい入朝にゅうちょう仲方なかがたいんめんひね經略けいりゃくうえ善之よしゆきたまもの以御ほう褲,并雜いろどりひゃくだんしん開府かいふ而遣。及大舉伐ひね,以仲かたため行軍こうぐんそうかんりつへいあずかしんかい
また曰:ひらきすめらぎきゅうねんだい舉伐ひね,以賀わか弼為行軍こうぐんそうかんはた渡江とのえ,酹酒而咒曰:「弼親うけたまわびょうりゃくとお國威こくいつみつるしみんじょきょう剪暴。上天じょうてん長江ちょうこう,鑒其わか此。如使ぶくぜんいん大軍たいぐんわたる;如事ゆう乖違,とくそうこう魚腹ぎょふくちゅう且不恨。」
また曰:いさおはやしずいゆう天下でんかまいさんひらひねけいはちねんくるまこうどうしゅうとくりん以疾したがえ。敕書おいしょきさきふでちゅううん:「ひねごとよろしずい也。」だか颎因使入京にゅうきょううえ穎曰:「とくりんわか患未こらえくだりむべいたりたく其方りゃく。」高祖こうそ以之づけすすむおうきさきかえざい途中とちゅう高祖こうそ以馬むちみなみゆびうん:「まちひらひね訖,かい七寶しっぽうそういむこう使つかい山東さんとう及之しゃ。」

17 征伐せいばつちゅう:
とうしょ》曰:武德ぶとくはつはたおうひがし討王たかし連年れんねんした宿やど使於野。高祖こうそ以兵ひさ在外ざいがいよくはん中書ちゅうしょれいふうとくつねそう曰:「たかしとく雖多,而羈縻相ぞく,其所用命ようめいしゃおもんみ洛陽らくよう一城かずき而已。けい盡力じんりょくきゅうやぶざい旦夕たんせきいまわかかえへいぞくぜい必振,さらしょう連結れんけつきさき必難わかじょう其已おとろえやぶこれ必矣。」高祖こうそしたがえ其議。及平たかし高祖こうそ顧謂侍臣じしん曰:「ちんはつきょうへいひがし討,眾議ゆう不同ふどうおもんみしんおう請行,とくつね贊成さんせい此計,ちょうはなどうすすむたけまた以加。」
また曰:こうたかしぶんしょくりょう兵馬へいばおおとりしょうはすたにもと奕領兵馬へいば駱谷どう赴梓しゅう應接おうせつとうはためぐみおうもちい司馬しば錯之さく以伐しょくかん光武みつたけ使つかいくれかん公孫こうそんじゅつ司馬しばぶんおう使鄧艾りゅうぜんすすむきよしみかど使桓溫じんそうたけしみかど使しゅよわいせき譙縱,りょうたけしみかど使鄧元おこりりゅうれん周太しゅうた使じょうおそ迥平肅記,ずいぶんみかど使はり睿平おうけんけんそういのちだかたかし文平ぶんぺいりゅう辟。はたいたる元和げんなきゅうしょく,四為水軍泝江而上,おもんみはたあずか鄧艾、じょうおそ迥、りょう睿及たかしぶんざいはすだに、駱谷出師すいしりょう討不廷。

18 征伐せいばつちゅう:
司馬しば兵法ひょうほう》曰:おう霸之所以ゆえん諸侯しょこうしゃろく:以土地形ちけい諸侯しょこうれつしょう也,そう諸侯しょこう優劣ゆうれつ而封以地,とくこう受土ひろとくしょう受土しょう也。以政れいひら諸侯しょこう王者おうじゃ道德どうとく善政ぜんせい教訓きょうくん諸侯しょこう平均へいきん以禮しんゆい諸侯しょこうけんきょうあいめぐみ接待せったい諸侯しょこうかんいのちまことしんじ,以治民心みんしん以材力說りきせつ諸侯しょこうざいのう也。ちからしゃにんじゅうはんのうこらえぶつ理事りじ高力こうりきまさる諸侯しょこうえつらいかくおさむ其職にん以謀じん維諸こう維,もち也。諸侯しょこう遠方えんぽうらいたてまつ制令せいれいおご佚自せんたてまきはく維持いじとくこれ兵革へいかくふく諸侯しょこうどう患同以合諸侯しょこうあかりやく有功ゆうこうしょうおごいんしたがえばつ所以ゆえんあい諸侯しょこう也。しょうだい以和諸侯しょこう也。使つかいしょう國事こくじ大國たいこくしつ尊卑そんぴじょ,以協諸侯しょこう也。かい所以ゆえん發禁はっきん三者恐禁命不行以亂風化,はつ九伐三禁以申敕之。しのげじゃくはん寡則沮之,あなどじゃくおかせ寡,のりよんめんそぎ其地。ぞくきずじんそくこれ,暴內簡外そく疆之,げん諸侯しょこう內與臣下しんか無禮ぶれい暴虐ぼうぎゃくそとけい慢小じん恤誠きんのりおけそら墠無じん野荒のあらみんのりそぎまけかたふくそくおかせこれぞくころせ其親そく正之まさゆきもとぎゃく人倫じんりんのりおさむころせ也。ころせ其君そくざんつきざんめつ其首あくやからるい也。はんれい政則まさのりもりあなど王者おうじゃ法則ほうそくもりふさがいのちあずか鄰國交通こうつうそと內亂、禽獸きんじゅうぎょうそくめつ諸侯しょこう淫亂いんらん夫人ふじんりん,內外べつあずか禽獸きんじゅう同行どうこう不可ふか以示百姓ひゃくしょうのり誅滅ちゅうめつつき矣。

19 征伐せいばつちゅう:
孫子まごこ》曰:おっと大國たいこくそく其兵眾不とく聚,たけし於敵のり交不とくあいみなしつ矣。こと天下でんか交,やしなえ天下でんかこれけん霸主しゃゆい天下でんか諸侯しょこう交,けん交者也。しんおのれわたしぜっ天下でんか交,だつ天下てんかこれけん,以威德いとくしんおのれ私欲しよくたけし於敵其國拔而其城隳也。無法むほうかかこうれいげんぐん法令ほうれいおうあずかほどこせがか也。《司馬しばほう》曰:「てきさくちかい,瞻功さくしょう。」此之いい也。おかせさんぐん眾,わか使つかいいちにんはんしゃよう也。言明げんめいばつ雖用眾,わか使つかいいちにん也。
また曰:やす能動のうどうおさむ其所あい我欲がよくせんてき雖高るい深溝ふかみぞとくあずかわがせんしゃおさむ其所必救也。ぜっ糧道りょうどうまもり歸路きろおさむ其君ぬし上兵かみへいはかりごとてきはじめゆうしつらえはかりごとこれえき其次交。れいあい

20 征伐せいばつちゅう:
春秋しゅんじゅうせつ題辭だいじ》曰:しゃわたるじんこく內行ゆうしょ壞。これためげんはい也。

21 征伐せいばつちゅう:
白虎びゃっこどおり》曰:王者おうじゃ受命じゅめいしつさきぶんさき改正かいせいついたちなにしつげん天命てんめいやめ使みん誅無どうさきぶんげん天命てんめいやめなりため王者おうじゃさき改正かいせいついたち也。文者もんじゃさき其文,しつしゃさき其質也。論語ろんご》曰:「しょうくつ敢用げんおす,敢昭つげ于皇てん上帝じょうてい。」此謂桀,つげてん也。《》曰:「いのち此文おう」,げん誅伐ちゅうばつ也。

22 征伐せいばつちゅう:
れい》曰:桀,たけおう紂,也。

23 征伐せいばつちゅう:
尚書しょうしょ》曰:こんおもんみきょうぎょうてんばっ。此言ひらけゆう扈也。

24 征伐せいばつちゅう:
王制おうせい》曰:たまもの弓矢ゆみや,乃得せん征伐せいばつはんおう誅者也。大夫たいふ將兵しょうへい,必不御者ぎょしゃよくもり其威,使つかい士卒しそつ一意いちいけいこころただし聞將軍令ぐんれい聞君いのち也,あかり進退しんたいざい大夫たいふ也。
また曰:誅者なんいい也?誅猶せめ也。誅其じんせめ其罪,ごく其過あく

25 征伐せいばつちゅう:
春秋しゅんじゅう》曰:すわえけんさそえ蔡侯はんころせ于申。《つて》曰:「誅君之子ゆきこだて。討者なんいい也?討猶じょ也,よくげんしんとう掃除そうじくんぞく也。」

26 征伐せいばつちゅう:
春秋しゅんじゅう》曰:まもるこうころせしゅう吁于濮。《つて》曰:「其稱じんなに?討賊やめ也。しゃなんいい于也。げんほしげき也。」

27 征伐せいばつちゅう:
尚書しょうしょ敘》曰:たけおう紂,せいしゃなんいい也?せいなお正也まさやよくげん其正輕重けいちょうたて誕,以示東征とうせい,誅祿はじめ也。せんしゃなんいい也?

28 征伐せいばつちゅう:
尚書しょうしょ大傳だいでん》曰:せんしゃはばかおどろき也。
また曰:諸侯しょこうよし天子てんしめいじとくどう眾起へい。誅不義ふぎしゃ所以ゆえんきょうみきじゃくえだみこと天子てんし卑諸こう也。

29 征伐せいばつちゅう:
論語ろんご》曰:天下てんか有道ありみちのり禮樂れいがく征伐せいばつ天子てんし天下でんか無道むどうのり禮樂れいがく征伐せいばつ諸侯しょこう也。

URN: ctp:taiping-yulan/304