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太平御覽 : 逸民部三 - Chinese Text Project
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1 逸民いつみんさん:
おうかくれすすむしょ》曰:龔壯瑋,ともえ西人せいじん也。いさぎよおのれもりあずかさとじん譙秀ひとしめいちち叔為とくしょがいたけし積年せきねんじょちからじゃく不能ふのう復仇ふっきゅう。及李ことぶき戍漢ちゅうあずかゆういやとくまご也,たけしよくかりことぶき以報,乃說ことぶき曰:「ふし下若しもわかのう并有西土せいどしょうはん於晉,にん必樂したがえ。且舍しょう就大,以危えきやす莫大ばくだいこれさく也。」ことぶきしかこれとげりつ眾討はて克之かつゆきことぶきなおかさねにせごうよくかんたけしちかいつかまつまいないのこいちしょ受。たけし上書うわがきせつことぶき歸順きじゅんまこと天心てんしんおう人望じんぼうひさし為國ためくにはんぶくりゅう子孫しそんことぶき不納ふのうたけしいいひゃくぎょうほん莫大ばくだい忠孝ちゅうこうすんでかりことぶきころせわたしかたきやめゆき覃使其歸朝きちょう,以明臣節しんせつことぶきすんでしたがえたけしとげしょうみみろうまたうんせいぶつ終身しゅうしんふくいたり成都せいとおもんみけんこう經典きょうてん,覃思文章ぶんしょういたりぜいそつ
また曰:かん績字きょうひとし廣陵こうりょうじん也。さき避世きょ於吳よしみきょうちちけんつかまつ至大しだいおおとり臚。績少こう文學ぶんがく,以潛退すさためみさお布衣ふい蔬食,當世とうせいゆかりひがし并宗けい焉。つかさおうしるべ聞其めい,辟以ためじょう就。咸康まつかい稽內あな愉上疏薦みことのり以安しゃたば帛征しょう老病ろうびょうそつ於家。
また曰:譙秀もと彥,ともえ西人せいじん也。しょう而靜だま交於天下でんかはたみだれあずかぜっ人事じんじ,雖內がいそうちかしあいぐん察孝かどしゅう秀才しゅうさいみな就。及李ゆうよりどころともえしょく,慕秀めいたば帛安しゃせいみなおうつねかんむりかわべん弊衣へいい,躬耕やまやぶきさき避難ひなん宕渠,鄉里きょうり宗族そうぞく憑之しゃ以百すう秀年ひでとしはちじゅう,眾人ほっだい負擔ふたんしゅう曰:「かくゆう老弱ろうじゃくとうさき營護。われ氣力きりょくなおあしこらえあに以垂くちこれねんるい諸君しょくん也?」ねんきゅうじゅうあまりそつ
また曰:からし謐字叔重,隴西狄道じん也。しょう有志ゆうしなお博學はくがくぜんぞくぶんせい恬靜,妄交ゆう。召拜太子たいし舍人とねり諸王しょおう文學ぶんがくるいせいおこりえいよしみまつぼつ于劉さとしはいふとなか大夫たいふ固辭こじ受。またれきせきりゅう,并不おう辟命。雖處みだれこれちゅう,頹然高邁こうまいさかえとぎ蔑如べつじょ也。及冉閔僣みだれふく備禮,せいためふとしつね。謐遺閔書,いんしょく而卒。
また曰:さくかさねえら敦煌とんこうじん也。むなししずか好學こうがくおうしゅうぐんめいじ,舉孝れん賢良けんりょう方正ほうせいみな以疾ゆうおもえ於陰じゅつちょ天文てんもん地理ちりじゅうへんしょ啟發けいはつあずか當世とうせい交通こうつうある獨語どくごどくわらいある長嘆ちょうたん涕泣ていきゅうある請問不言ふげん敦煌とんこう太守たいしゅかげ澹奇而造焉,けい忘返,而嘆曰:「さく先生せんせい碩德せきとくめい儒,以咨大義たいぎ。」澹欲ぎょうきょうしゃれい,請為さんろうかいびょうそつねんななじゅうきゅう
また曰:楊軻,天水てんすいじん也。しょうこのみえき》,ちょう而不めと學業がくぎょう精微せいびやしなえすうひゃく常食じょうしょく粗飯そはん飲水のみみずころもたん褐。ひと不堪ふかん其憂,而軻悠然ゆうぜん自得じとく。疏賓きゃくおとむね嘗交也。雖受業じゅぎょう門徒もんと入室にゅうしつ弟子でし莫得おやごとよく所論しょろん授入しつ弟子でしれい遞相せん授。りゅう曜僣ごうせいおがめぶとつね,軻固辭こじおこり,曜亦けい而不逼。とげかくれ於隴やま。及曜為石ためし勒所とりこしんじんひがし徙,軻留長安ながやすいしりゅう嗣位,備玄纁束帛安しゃ征之まさゆき。軻以やましやめさこ乃發。すんでりゅうはい與語よご不言ふげん有司ゆうし以軻倨傲きょごう,請從だい不敬ふけいろんりゅうどるしたがえしもみことのりにん軻所ひさしつねゆかくつがえ以布はだか其中,したしとねしとね。潁川荀鋪,好奇こうき也,みやつこ而談けい,軻瞑こたえしきはつ軻被,其形,だいわらい。軻神體しんたい頹然,おどろきいかこれじょう。于時咸以ためこげさき有能ゆうのうりょう深淺しんせん也。きさきじょう疏陳きょうおもえもとめかえりゅうおく以安しゃがまかえりしんしゅう,仍教授きょうじゅぜっ
また曰:公孫こうそんおおとり鸞,上谷うえたにじん也。かくれ於昌はじむきゅう城山しろやまふゆころもたんぬのゆか彈琴だんきん吟詠ぎんえい陶然とうぜん自得じとくひと咸異,莫能はか也。慕容暐以やすしゃせいいたり鄴。及見暐,不言ふげんはい衣食いしょく舉動如在きゅうしろ賓客ひんきゃくづくり請,鮮得あずかげんすうねんびょうそつ
また曰:公孫こうそんながじょうたいらじん也。しょう而好がく,恬虛,かくれ於平かく南山みなみやまめと妻妾さいしょうしょ墾植そくころもしょく吟詠ぎんえいいわおあいだ,忻然自得じとくねん逾九じゅうみさおひさし虧。あずか公孫こうそんおおとり俱被慕容暐征いたり鄴,王公おうこうやめづくりあずかげん。雖經たかしかん盛暑せいしょ端然たんぜん自若じじゃくいちさいあまりいつわりきょう,暐送ひらくるわきさき苻堅またはた備禮せいなん其年耆路とお,乃遣使致問,いたりそつけんふか悼之。
また曰:ちょうただしきょちゅう山人さんじん也。えい嘉之よしゆきなんかくれ太山たいざん,恬靜寡欲かよくきよしきょふく,餐芝えさせきおさむしるべやしなえこれほうふゆ缊袍,なつのりたいさくはし拱若しかばねきんしょてきおさむ經典きょうてんすすむきょうただし以至どうきょ無為むいむね。其居たかしいわお幽谷ゆうこく,鑿池ためくつしつ弟子でしまた以窟ちゅうろくじゅう五日いつか一朝いっちょう。其教以形以言,弟子でし授業じゅぎょうかんがた而退。立道たつみちだん于窟じょうまいだん朝拜ちょうはい食用しょくようかわら,鑿石ためがま左右さゆうきょじん饋之衣食いしょくいちしょ受。としざい頤,而視聽しちょう爽。苻堅使つかいせい乃至ないし長安ながやすけんたまもの衣冠いかん曰:「としくちはつ落,不堪ふかん衣冠いかん,請以ふくにゅう謁。」したがえこれきさきけんやすしゃおくこれぎょうたち華山かざん,嘆曰:「わが東岳あずまだけ道士どうし,歿於西岳にしたけいのち也,奈何いかん!」ぎょうじゅう,及關而死。けん謚安どう先生せんせい
また曰:石垣いしがきひろしまごうん北海ほっかいげきじんきょていしょめと妻妾さいしょう產業さんぎょうしょくもとめころも必粗へいあるゆうのこ其衣ふく,受而ほどこせじんひとゆうそう,輒杖さくつるしみち遠近えんきんゆうさむあつ,必在其中。ある同日どうじつども,咸皆焉。姚萇みだれ,莫知しょおわり
また曰:かくうけたまわきゅう洛陽らくようじん也。ろくせいせいかんやすじゅんおおやけはち辟,おおやけしゃせいみな就。せい及荷,せい以經がく致位。あきらきわむぐんせきとくぜん史書ししょおうしゅうぐんいのちちょう祚遣使者ししゃ以安しゃたば帛征ため博士はかせさいしゅきさきじょう疏乞還,祚以やすしゃがま送還そうかんちょうわき東山ひがしやまとしはちじゅうそつ,謚曰げんとく先生せんせい
また曰:祁嘉あなまろうどさけいずみじん也。しょう清貧せいひん好學こうがくねんじゅうあまりよるゆるがせまど中有ちゅううごえよび曰:「祁孔まろうどかくれ去來きょらい修飾しゅうしょく人間にんげん甚苦不可ふか諧,所得しょとく銖,しょ如山がけ。」だん而逃西にしいたる敦煌とんこうがくかん誦書。ひん衣食いしょくため書生しょせいみやこよう自給じきゅうとげはくどおり經傳けいでんせいきわむ大義たいぎ,而教授きょうじゅ門生もんせいひゃく餘人よにんちょうしげるはなただしため儒林さいしゅつねいいため先生せんせい而不めい。竟以ことぶきおわり
また曰:瞿硎先生せんせいしゃとく姓名せいめいまた不知ふちなんもとじん也。泰和やすかずまつつねきょせんじょうぐんかい山中さんちゅうやまゆう瞿硎,いん以名焉。だい司馬しば桓溫つね往造すんでいたり先生せんせい鹿しか裘,すわ于石しつかみ忤色。ゆたか及僚すうじゅうにんみな莫測,乃命ふく滔為めいじさん,竟卒於山ちゅう
また曰:そう纖字れいぶん敦煌とんこうじん也。しょうゆうとおみさお,沉靜あずか交,かくれ於酒泉南せんなんさんさけいずみ太守たいしゅ岌,こう尚之なおゆき也,威儀いぎ鐃鼓,みやつこ焉。纖高ろうじゅうかくこばめ而不。岌嘆曰:「めい聞而不可ふかとくおおせ而形不可ふかかんわれ乃今而後先生せんせい人中ひとなか龍也たつや。」題詩だいし於石かべ曰:「がけひゃくたけあおかべまんひろ蓊郁,蔚若鄧林;其人如玉,維國琛;しつ邇人遐,じつろうわがしん。」纖注《論語ろんご》及為頌數萬言まんげんとしはちじゅう篤學とくがく倦。ちょう祚復使者ししゃ備禮せいため太子たいしとも,逼喻甚切。纖喟しか嘆曰:「とくそうせいざいなに敢稽停あかりいのち。」とげいたりしゅうとぞう。祚遣其太子たいしふとし以執ともれいづくり,纖稱やましおくのこいちみな受。きさきそつ,謚曰げんきょ先生せんせい
また曰:鄧粲,ちょうすなじん也。しょう以高いさぎよ著名ちょめいあずか南陽なんようりゅう驎之、みなみぐんりゅうしょうおおやけ同志どうしともぜん,并不おうしゅうぐん辟命。荊州刺史しし桓公かんこう卑辭あつれい,請粲ためべつつばらよしみ其好けん,乃起應召おうしょう。驎之、なおおおやけいいつばら曰:「きょう道學どうがくふか,眾所推懷,ゆるがせしかあらためぶしまことしつ所望しょもう。」つばらこたえ曰:「足下あしもといい有志ゆうし於隱而未知みちかくれおっとかくれためどうあさまたかくれまたかくれかくれはつざい不在ふざい於物。おおやけとう以難。」
また曰:汜騰敦煌とんこうじん。舉孝れんじょろうちゅうぞく天下でんか兵亂へいらんかんかえ太守たいしゅちょう閟造閉門へいもんれいのこいちしょ受。嘆曰:「われ亂世らんせい而能ひん,乃可以免。」家財かざいじゅうまん以施宗族そうぞく柴門さいもん灌園,きんしょ自適じてき刺史ししちょう軌征ため司馬しばあが曰:「もん一杜其可開乎!」固辭こじやまいそつ
また曰:おうちょう文字もじとくいくこうかんじんしょう以才がく知名ちめい放蕩ほうとう不羈ふきしゅうぐん辟為べつ,乃微ふく竊出,舉州莫知しょきさき於成都市としちゅう蹲踞そんきょ而坐,嚙胡もちしょく刺史しし其不,乃禮これ。於是閉門へいもんもり交人ましとごとちょつうげんけいよんかん文言もんごんぞう可用かよう以為卜筮ぼくぜい

2 逸民いつみんさん:
すすむ中興ちゅうこうしょ》曰:おそれなかやすし好學こうがくはくいにしえちゅうむねはつ鎮江ひだりうえ疏薦おおやけしゃせいいたりつかさそら循每いちまい,輒經しん宿やどうん不能ふのうはか也。かんみかど以為つねさむらいまたおこり永和えいわはつはた禘太びょうおうゆう遞毀,尚書しょうしょろうじょぜんまい咨焉。しょちょすうじゅう萬言まんげん
また曰:こうもと詢,げん丹陽たんようもとげんとおゆう,并治だかつかまつ。詢有才藻さいそうのうきよしげんげん山居さんきょふくしょくこころざしもとめ仙道せんどうゆうかい稽,臨海りんかいさんちかい不歸ふき,乃與しょれいあらためてききさきにゅう深山みやま,莫知しょとめある以為ますせん
また曰:翟湯道深どうしんひろじんこう而後しょく,凡有饋贈,いちしょ受。庾亮こも以國博士はかせせいおこりそうきゅう,遵湯みさおまさこう弋釣。及長,ふくりょうひとあるといそう曰:「といがいせいこと,而先生せんせいやめ其一,なに也?」そう曰:「りょう自我じがつりものさきぶし其甚しゃ。且問むさぼえさ吞釣,あにわが哉?」時人じじん以為ごと晚節ばんせつまたふくつり端坐たんざ蓽門,すすまめ飲水のみみずせい辟皆就。そう矯,矯子ほうたまもの,并征いたりせいゆうかくれくだり
また曰:かくこぼしちょうしょういえ于臨がわ世事せじおもんみ以魚りょうため娛。嘗以しゃりょうみち逢病じん,以車おくこれ徒步とほ而返。庾亮こもおおやけしゃせい就。しょう舡歸たけあきら,庾翼躬往づくり,以翻せん狹小きょうしょうよく引入大船おおぶねこぼし曰:「使つかいくん以民ひな賤而はずかしめ臨之,此固野人やじんふね也。」とげ肯。つばさ俯屈にゅう其船ちゅう終日しゅうじつ而去。
また曰:まご略字りゃくじぶんくれじんしょうつくだ於野,にんゆうかり其稻しゃりゃく避之。すんで而刈いち擔,おくあずかこれさとじんかん愧。終日しゅうじつ屢空,怡然自足じそく,辟命みな就。つまおそれあずかじょ也,しょう稟伯ふうともやす儉約けんやく
また曰:なにおとまんりんやしなえこころざし衡門,交人ましとごとゆたかやくあずか鄰鄉共之ともゆきしきせいおこり。桓溫とう琦縣さかいさん,喟然嘆曰:「此山みなみ有人ゆうじん焉,何某なにぼう真正しんしょう是也これや!」
また曰:すえあわしょせいふとしじょうただしまご也。まさよしみ仙道せんどうねんじゅうろく便服べんぷくしょくぜっだに。於山中立ちゅうりつしょう草屋くさやしつらえしょうゆか獨坐どくざきゅう入山にゅうざんこうしゃ,輒移わたり澗水,莫得ちかこれ本州ほんしゅう秀才しゅうさいあわ聞,とげ逃羅けん山中さんちゅう終身しゅうしんかえし,莫知しょおわり
また曰:范宣すくななお隱遁いんとんひろし綜眾しょせい辟并おう。雖閑居かんきょ屢空,つねとぎこうためぎょう諷誦ふうしょうこえゆうわかひとし魯。

URN: ctp:taiping-yulan/503