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太平御覽 : 文部八 - Chinese Text Project
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文部もんぶはち

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せい

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1 せい:
とうしょ》曰:とくむねせい中書ちゅうしょ麟德殿どのかいひゃく僚觀しんらく。仍令皇太子こうたいししょ以示ひゃく僚,其序曰:「ちん聞天とく莫大ばくだい於和,萬物ばんぶつ以生,きゅうこう乃敘。以中春之はるゆきくびためれいぶしぬの和之かずゆきせいとおるていそだてこうしきえん且歡,じゅん而舉,ぶたぞう於交泰之やすゆき義也よしやこんとしはなよしみゆきていけい君臣くんしんどうらくじつわがしんきん以聽政之まさゆきあまりさん音律おんりつ,播於絲竹いとたけいん於歌ぞう中和ちゅうわようさく中和ちゅうわらく教習きょうしゅうはじめ就,畢陳於茲。於是辟廣廷,臨內殿どのちょう大會たいかいしめせ群臣ぐんしん成文せいぶん威儀いぎゆうじょれいあまね歡浹,中心ちゅうしんよしみ上下じょうげこころざしどおり乾坤けんこんぜんかたつきかず莫甚焉。聊復なりへん,以言其志。曰:よしとしはじめ佳節かせつものはなとう仲春ちゅうしゅう乾坤けんこんすんであきらたいけむりけい含絪缊。とくあさげん貺,らくなりおもえ治人はるひと前庭ぜんていれつ鍾鼎,ひろ殿どののべ群臣ぐんしん八卦はっけ隨意ずいいまい五音ごいんでん曲新まがりあら;顧非《咸池》そう,庶葉《南風みなみかぜかおるしきえんれいしょじゅう,浹歡じょう必均;同和どうわりょうざい茲,萬國ばんこくまれおや。」
また曰:貞元さだもとろくねんがつつちのえたつついたち中和ちゅうわぶしえん百僚於曲江亭,じょうたまもの,曰:「ひがしはるへんうめやなぎまんぐうせい春光しゅんこう中和ちゅうかおさむがつれいぽうあずか天地てんちちょうふけたのしあになお,懿茲けいりょう。庶遂ていそだておんどう致寰うみやすし君臣くんしんなが終始しゅうし,交泰陰陽いんよう曲沼まがぬますいしんあおはなはやしももややかおるかちしょうしんじ歡,戒之ざいあら。」
また曰:貞元さだもとろくねんはるさんがつかのえ,百僚宴於曲江亭,じょう以賜,曰:「としうるうぶしはなばん,眾芳しげる暮春ぼしゅん。霽日天地あまちはるもと風景ふうけいしんみそぎいんでんきゅうぞく古今ここん歡此たついたりたのしざい同和どうわ絲竹いとたけ奚所ひねかおることしょうこころしゅうとしこりしんなに必尚ふけはる,浮觴きょく水濱みずはま。」
また曰:貞元さだもとななねんあきなながつみずのととりうえさいわいあきらけいてらじょ皇太子こうたいしざいさむらい進和しんわ兼題けんだい于壁,ひゃく僚畢,以班れつ焉。其後きょうちょういん薛玨,請皇太子たいししょじょうじょこくせき而填以金。
また曰:貞元さだもと九年春正月庚辰朔,じょう含元殿どの朝賀ちょうがれい畢,うえ退すさちょうかんぐん歸營きえい以示おさむしん,曰:「けんじとしもとついたち萬邦ばんぽう咸在にわはし旒揖ぐんきさきかい輦閱さだぶんくだり左右さゆううたて旆風うんせい。眷此つちのえたびぶしよしみりょうまことじゅん頒宴しょうまた以助ぶんけい。」
また曰:貞元さだもとじゅうねんあききゅうがつ戊子ぼし,以重えんはなむけたまものひゃく僚,おいしょうはつ九日ここのか以雨やめえん,及是かたかいえんうえ以賜百官ひゃっかん曰:「あめ霽霜肅,てんだかうん日明ひあがりしげるりんやめ墜葉,寒菊かんぎく仍舒さかえ。懿此あきぶしばんさらのべ遐賞じょういけだいれつこううたげ絲竹いとたけでんしんこえいたりたのしそと獎,浹歡同中どうちゅうまこと。庶敦朝野ちょうやえい使つかい風化ふうかきよし。」
また曰:とくそういたるきょうもと宣政のぶまさ殿どのさつおがめあきらためうえおもえあきら勛力,ためせいきのいさお,俾皇太子たいし勒于せきたて於渭きょうあずか天地てんち悠久ゆうきゅうぽうおお
また曰:とくむね以馬ひうち平河ひらかわちゅうみことのりたまもの上所かみところせん《宸扆》、《たい衡》めい并序,曰:「ちんごと讀上よみあげふるこれしょ,及唐、おそれさい君臣くんしんしょう聖賢せいけん同時どうじにちゆう孜孜ししこうろんいたりどうあるひね其鑒戒,ある諷以詠歌えいか,煥乎てん謨,百代ひゃくだいこれしきゆう以見けい沃之どう理化りかはし甚慕,而未のう逮也。ころれいしお節度せつどもりまれあきらちょぶんじょうけんじしょぶんまわしひね,聊為《君臣くんしん箴》ようこたえ其意。河東かわとうひとしどうふく元帥げんすいひうちかた請勒,貽厥きさきじんちん以文すんでこうまた備,たれしょらい裔,りょうしょ恧焉。おこりしゃしょういん有作ゆうさく,庶乎朝夕ちょうせき儆,且俾きさきだいわがゆう文武ふみたけ殿どの邦之くにゆきしん也。」其《宸扆めい》曰:「天生あもう烝人,せい本元ほんもとじゅん。嗜欲交馳,利害りがい糾紛。無主むしゅ乃亂,以君。きゅういき茫茫ぼうぼうまんじょう云云うんぬん備睹,みみなんへん聞。睹之聞之,はぎまたしんことしつ其源,みちどお莫親,とく其要,ぎょう如神。しつげんおもんみなに不正ふせい其身。とくようおもんみなにざいのうにんじんせいこれかたさきまこと其意。罔從なんじよく,罔載しかにせたいどうたかしとくもとひとしりつ。必信わかさむあつ無私むしぞう天地てんちかん而遂どおりひゃくおもんばか一致いっちにんじんじゅつかくとう其器,しゃたんしたがえちょうなんもとめ備,多士たしそうしゅう,眾材咸遂,而必にんにん而勿。以天下之したのためわが鑒,わが鑒斯あかり;以天下之したのしんためわがはかりごとわがはかりごとそくさとしもとめけんおもんみこう辨理べんりおもんみしらげぎゃくみみ咈心,必嘉乃誠。じゅんむね茍容,また察其じょう,斥去奸諛,ぜんかたただしさだ先人せんじん立言りつげんため代作だいさくほど諤諤がくがくしゃあきらおもんみおもんみしゃかたぶけけい以興ほろび,曷云其輕。うけたまわ天子てんしじんおっとあにたかむかしあきらおう,夙夜祇畏,馭朽ため戒,おさめ隍在こころざしかみすすむがいみつるてん匪假えき四海しかいためおっとあにとみむかしあきらおう勤儉きんけん固陋ころうかい罔飾,露臺ろだいやめ構,とおわざいんたくみめずらし禽怪じゅう敬之たかゆきまき天命てんめい必祐。よくれい必行,じゅんじんじょうよくまこと必著,清己きよみおもんばかこころおくいつわりこと必忠じょ。凡將有為ゆうい,靡不三思さんし喜怒きど以節,動靜どうせい以時,毫厘ある禍害かがいまたしたがえ,慢易於初,悔其曷追。けい不可ふかちょうたけ不可ふか恃,さくたくましりょく,厲階斯起。たれ旒蔽さとし,黈纟ふさがみみ,含弘こうだい以為くつがえこれ如天,あい如子,ひとししんかんじん率土そっと。嗟余寡昧,嗣守,寇戎こもきょう德化とっかまことぎょうぎょう兢兢きょうきょう,其敢以愉?俯察物情ぶつじょううえ稽典謨。さく斯式ごとおけ于座すみ。」其《たい衡銘》曰:「てんれつだいほしたれぞう於人;聖人せいじんそくてんまたたて輔臣。以翼以佐,ため衡為ひとし,如耳おうしん,如股肱ここううん是則これのり同體どうたい,孰云おや陰陽いんようしょう推,よんじょなりとし君臣くんしんしょう萬邦ばんぽうさく乂。かんどうふううんおうわかちぎり,以道ただしすくえつきぶんまわしけんじかえ必從なわきむ其用礪。みかどしゃもりおもんみすえとう,乃聞疇咨,仄陋あかりえき攵。洎乎ゆうおそれはちあがよし。爰迨いんあい于成生姜しょうがきばりょうかれおうみちくだりはかりごと臧。きみせいしんけんうんたいやすしかんだかすんできょうしょう、曹亦あきらあきられつわが,膺期而昌,鏟滅ぐんきょうとぎひら四方しほうおもんみまもる及英,けい辟封疆;曰房曰杜,維綱,またゆうせいちゅう謇昂のぼるえら茲眾ざい為國ためくに棟梁とうりょう蕩蕩とうとう巍巍ぎぎ邦家ほうか有光ありみつ知道ともみちはいきょうけい于時ぬしおも得失とくしつ乎臺輔。けい以文,ぬき以武,ためかた、邵,いれさくさるはじめぜっ維載ちょう,闕袞斯補,おもんみとく倚,おもんみざいもとめざい不易ふえきとくまたなんしゅうでんせついた筑,えびすわれしゃかぎにんうたぐ千載せんざいたれきゅうからだ於至こうなにひなびなんかたき?其惟あきらおう,必賴りょう弼。はぎ不德ふとくやみ於理じゅつたびしげるおこりせいけいしつ,遘茲艱屯,夙夜祗栗。翊我戴我,じつおもんみ勛賢,內熙庶績,そとそうじゅうれん威武いぶあげはかりごと猷日せん長城ちょうじょうあつさかい巨艦きょかんずみがわ同心どうしんどうとく,扶危顛。よしみなんじまことなんじしょうおもんみきさきしつどうまたしんはじむかし格言かくげんまきおわり如始,こうかなえつねみちかんむり俾伊でんかつせん厥美。さく鑒勒めいじ永代ながよただし。」ひろゆうみことのりいのち勒石於起どう西にしへんうえためだいがく
また曰:貞元さだもとじゅうねんうえ以聽政之まさゆきあまりふかおもえほん,乃著《けいせい箴》并序。じょ曰:「ちん以南いなんめん,勵精どう,雖及和平わへいさい臻玄いにしえふう。夙夜孜孜ししつとむもとめだるおっとやすじん以政,輔政以刑,ぶた為之ためゆき立中たつなか使つかいじんしたがえよく也。以務けん聽以しゃくぐんじょう庶官以咨どもつねつとむ不足ふそく而遏其過。我欲がよくじん矣,なお逮夫哉!しかまんつとむいん,必戒其失,聽政ひまつねこころざし所存しょぞん,聊綴斯文しぶん,庶乎儆。しかだいしらきすんで利欲りよくせいおもんみ辟御けんきょくさくほどしるべ仁政じんせいひとし以典けいめぐみ此下じん,致之和平わへいたてせいなに?必循道德どうとくしょうけいなに?必去はんこく以人したがえよく以枉きずじきひゃくおもんみさだ萬物ばんぶつさくしき。匪陽せい,匪陰なりひろしのり致慢,もうまた怨,しゃく于大猷,戒厥偏見へんけん,罔咈人志ひとし,罔興じん患。邇言必察,芻蕘必詢,たてまつわたししん,以誠其意;こう無情むじょう聽,おもえ其真。喜怒きどゆうぶし措置そちゆうりん以令肅如あきぎょう如春。邇憸じんしんがわげん,憸人そくはいせいがわげん乃惑聽。罔攻異端いたんまき乃出れい知人ちじん不易ふえきざいかん其行。事實じじつもとめほう乃因ほうなまへい聖哲せいてつ不為ふためしるべぶつるいじょう,以通其變;しょう天地てんちみち,咸盡其宜。きょう必明於順,どう必慮於違,以天くつがえこれとく日用にちよう不知ふちろくうま并馳,ざいかぎ銜策;五音ごいん并奏,ざい金石かねいし。茍去かいよこしまくだり蠻貊,いんじん而理,不易ふえきから堯赭ふくなつ禹泣辜,以弼于理,冀遷其愚。やすし吞舟,あにもとめ噬膚?おちいこれ於過,曰毒痡。てんかん孔明こうめい無臭むしゅう無聲むせい,罔載なんじにせ,必先なんじまことあり壤不ぼう太山たいざんかたぶけ,患生しょきゅうわざわいおこりしょけい作事さくじはかりごとはじめ,而戒于未がたちょうにんみちそん化育かいく,祇荷げん貺,さいわいきよしきゅうふく一夫かずおわかくつ深谷ふかやおもえせい其源,庶登于樸。かん于往躅,しょ以自勖。」
また曰:もりまれぜんしょう赴靈しゅうけんじからだようはちしょうしょぶんまわし諫。とくそうふかしおさめ,乃著《君臣くんしん箴》以賜。其詞曰:「おもんみ天惠てんけいじんおもんみ辟奉てんしたがえ諫則きよしきょうおもんみけんすめらぎりつゆうごく駿しゅんいのち不易ふえきそうまん以成つとむひとしろくごうこと致。一心いっしん不能ふのうどく鑒,一目いちもく不能ふのうしゅうじきもとめ哲人てつじんしきじょ在位ざいい。於戲!くんにんしん,必求いちとくしんことくん,咸思正直しょうじきなにけい沃之しょむべわた古今ここん而未とくりょう以讜げんしゃぎゃくみみ,讒諛しゃ伺側,下情かじょうつう而上聽已惑,俾夫ちゅうけんはい於凶慝。たとえかれ涇舟,ふけかじまたゆうあつものおさむおっとぜん。孰云こく自得じとくくつがえ車之くるまの軌,其懲而。こうしたますかずゆかり甘受かんじゅおもんみきみりょうまたしんとがめ;聞諸からし毗,牽裾きさきそくゆう禽息,竭忠碎首。つとむおもえけんじかえ以平いたいら可否かひ;勿謂なんきずほろ而彰;勿謂なんがいせき小成しょうせいだいごとゆうかくれ必見ひっけんれい既出きしゅつ而焉悔?つづみ鍾在みや聲聞しょうもん於外,浩然こうぜんわたるすいちんゆうもぐさはたさだ扆以虛心きょしん盡忠じんちゅう而納誨。ざいむかしきびちぎりじつただししゅん、禹;きん茲魏せいたすくわがぶん君臣くんしんとくこんいち宇。肆予寡昧,纘丕いとぐちしん哉鄰哉,しかつばさなんじ輔。こうあきはじめ肅,わがおもんみあげ,輟此禁衛きんえい殿しんがり大邦たいほうこい闕方甚,嘉言かげん乃昌,ぶんまわし諫,金玉きんぎょく其相。だかようにゅうとくかたそうかれ千慮せんりょ,備于はちしょうせんちちゆうごとおこりしゃしょういんゆうばんめいじしゅうゆう欹器,ある誡以ある警以ごと。披圖演義えんぎはつ于爾こころざしあずかかねきょう而高かかはた座右ざゆう而同おけひとみなゆうはつ,鮮慎厥終。なんじ其夙よるあきらちん躬。曰爾在外ざいがい,而爾まこと不通ふつう一言ひとことおう千里せんり攸同。しるべかれ遐俗,たちあまりよんさとしはなえびすおおせとく乃之こう既往きおうすんでらい懷賢やすかた忡忡,唱予なんじしきしめせふか衷。」
また曰:貞元さだもとちゅううえたまもの群臣ぐんしんかいえん于曲うえれいちゅう使つかいりゅうのぞみのぼるせん慰,うえたまもの曰:「れいふしあかつききよし霽,よん郊煙靄空。てん清白すずしろきよしきく黃金おうごんくさむら。寡德げん貺,じゅんきゅうひゃくこうあにふところ鍾樂,おもえあずか君臣くんしんどういたりざいちん肓,相成あいな始終しじゅう未知みちやすし衢詠,しょおおせおもんみねんゆたか。」
また曰:ちょう封建ほうけん來朝らいちょう覲,かえ鎮,とくむねたまもの曰:「まきまもるよせしょじゅうさいけんせいためせんふう淮甸,授鉞膺藩維。にゅう覲展遐戀,臨軒慰來おもえ忠誠ちゅうせいざい方寸ほうすん感激かんげき陳情ちんじょう報國ほうこくなんじしょなお,恤人。歡宴不盡ふじんなつけ車馬しゃばとうかえ穀雨こくうはたおうこうぎょうはるなおおそ。勿以千里せんりはるか,而云やめ。」
また曰:貞元さだもとじゅうはちねんきゅうがつたまものおさむしん及中しょ門下もんか兩省りょうしょうかんうたげ于故璘池ていせい豐年ほうねんけいきゅうにちしめせふところ以賜群臣ぐんしん,曰:「爽氣肅時れいはやころも聞朔おおとり重陽ちょうようゆう佳節かせつぶつ欣年ゆたかこうきよしくれ潭色,芬敷しんきくくさむらよしだる滿まん衢室,しげる吹凝けむりそらめぐみきゅう信吾しんごどうおもんみしかどう。推誠致玄天下てんかためこう。」
また曰:けんそう以天無事ぶじ留意りゅういてん》、《ふん》,まいらん前代ぜんだい興亡こうぼう得失とくしつことみなさんふく其言。また讀貞かんひらくもと實錄じつろくぶとむねせんかねきょうしょ》及《みかど范》上下じょうげへんげんむねせんひらくもと訓誡くんかい》,おもえまましぜん躅,とげさい尚書しょうしょ》、《春秋しゅんじゅうきさきでん》、《史記しき》、はん范《漢書かんしょ》、《三國志さんごくし》、《すすむしょ》、《晏子春秋しゅんじゅう》、《えつ春秋しゅんじゅう》、《しんじょ》、《せつえんとうしょ君臣くんしん行事ぎょうじためかめきょうしゃ集成しゅうせいじゅうよんへんいち曰《君臣くんしんどうごう》,曰《べんよこしませい》,さん曰《戒權倖》,よん曰《戒微行びこう》,曰《にんけんしん》,ろく曰《おさめちゅう諫》,なな曰《まき征伐せいばつ》,はち曰《まき刑法けいほう》,きゅう曰《おごやすし》,じゅう曰《たかし節儉せっけん》,じゅういち曰《獎忠じき》,じゅう曰《おさむ德政とくせい》,じゅうさん曰《諫畋りょう》,じゅうよん曰《ろく勛賢》。ぶんためじょう下卷げかんうえ自制じせい其目,曰:《前代ぜんだい君臣くんしん事跡じせき》。いたり以其書寫しょしゃ於屏ふうれつ御座ぎょざみぎふくちゅう使つかいほどぶんみき以書へい六扇至中書宣示宰臣李藩、裴垍,曰:「ちんきんせん此屏ふうつねしょ觀覽かんらんれい蹔將しめせきょう。」はんひとし上表じょうひょうしょう
また曰:ぶんむね嘗夏あずか學士がくし聯句れんくみかど曰:「ひとみな炎熱えんねつわがあいなつ日長ひなが。」やなぎ公權こうけんぞくこれ曰:「薰風くんぷうみなみらい殿しんがりかくせいほろりょう。」みかど嘉之よしゆき
また曰:裴度やましぶんむねちゅう使つかいたまもの曰:「ちゅうそうまち元老げんろう,識君恨不はや我家わがや柱石ちゅうせきおとろえゆうらいがくおか禱。」
また曰:ぶんそう開成かいせいちゅうさいわいりゅうくびかん內人さいはるあめうえ孜孜ししつとむへんれいぐんもちいたりあまさわ屢降,中外ちゅうがいかんえつうえうん:「ふううん際會さいかい雷雨らいうとげりゅうしげるこもへいむなしちんあやどうてんじつせいおもえややおかせきゅうなつぶしふくざい三春みはる。霡深たれしゅ闕,飄飖にゅうみどり墀。郊坰すんで沾足,きびきびゆうゆたかひゃく同憂どうゆうらくまんぽう佇雍熙。」おさむしん文武ぶんぶ百官咸有屬和。

2 せい:
いえ》曰:むかししゃしゅんだんげんきんみやつこ南風みなみかぜ,其語曰:「南風みなみかぜかおる兮,以解われみん慍兮;かおるふういたり貌也。南風みなみかぜこれ兮,以阜われみんざい兮。」どきとく其時。阜,もり

3 せい:
きよし天子てんしでん》曰:へいたつ天子てんしみなみゆう於黃しつおか天子てんし乃休,にちちゅう天子てんし北風きたかぜゆきゆうこおひと天子てんし作詩さくしさんしょう以哀みんあい,憫也。わが徂黃ちくいん閟寒,みかどおさむきゅうぎょうきゅうぎょうきゅう道也みちやつて曰:けいけいきゅうどう嗟我おおやけこうひゃく辟冢きょうすめらぎわが萬民ばんみんすめらぎ正也まさや旦夕たんせきゆるがせ忘。つねねん也。わが徂黃ちくいん閟寒,みかどおさむきゅうぎょう。嗟我おおやけこうひゃく辟冢きょうすめらぎわが萬民ばんみん旦夕たんせき勿窮。ゆうこうしゃ鵒,鵒,とりめいおと翩翩其飛。嗟我おおやけこう,勿則遷居。らく其寡,げんもりいちきょしょうらく如遷もとめやす也。禮樂れいがく其民。げんとう以禮らく其民。天子てんし曰:あまりいちにんそくいんいん于游らくすめらぎ萬民ばんみん。」

4 せい:
かんたけみかどしゅう》曰:たてまつくるまこう暴病,いちにちうえ甚悼,乃自ため

5 せい:
西京にしぎょう雜記ざっき》曰:はじめもと元年がんねんづる下太しもふとえきうえため曰:「づる兮下たてあきらはね肅肅しゅくしゅく兮行蹌蹌,きむためころも兮菊ため。唼喋荇,出入でいり蒹葭;顧菲うすうししかよしみさち。」

6 せい:
かんたけみかどかしわはり》曰:「日月じつげつ星辰せいしんよん。」はりおう曰:「驂駕したがえはりらい。」於是群臣ぐんしんかくいち

7 せい:
ぶんみかどてんろん·敘》曰:はつ平之ひらのもとただしたく弒主鴆后,とろけくつがえ王室おうしつ家家いえいえ思亂おもいみだれ人人ひとびと危。めいごうだい俠,富室ふむろきょうぞく,飄揚うんかい萬里ばんりしょう赴。兗、せん於滎かわ內之かぶとぐん於孟たくとげ遷大西都さいと長安ながやす,而山東大とうだいしゃれんぐんこくちゅうしゃ嬰城邑,小者こもの聚阡陌,百姓ひゃくしょう死亡しぼう,暴骨如莽ねんさいうえ以世かた擾亂じょうらんきょうあまりがくろくさい而知またきょうあまり騎馬きばはちさい而能騎射きしゃ矣。以少こう弓馬きゅうば,于今おとろえけんやすじゅうねんはじめてい冀州,貊獩みつげゆみつばめだいけんじ名馬めいばとき歲之としゆき暮春ぼしゅんゆみ燥手やわらくさあさじゅうこえあずかぞく兄子せこりょう于鄴西にし終日しゅうじつ獐鹿きゅう,雉兔さんじゅうまたがく擊劍げっけん。桓靈ゆうとら賁王こしよし斯術,河南かなんおもね其法於越,したがえおもねがく甚精。嘗與ひらとりこ將軍しょうぐんりゅう勛、奮威鄧展どもいん,聞展ぜんゆうしゅひじあかつき兵法ひょうほう,其能空手からてにゅう白刃はくじんどきしゅたけなわみみねつぽうしょく蔗,以蔗ためつえ下殿しもとのすう交,三中みなか其臂,左右さゆうだいわらいてん不平ふへいもとめさら為之ためゆきふくせい截其顙,すわちゅうおどろきかえすわわらい曰:「むかしけい使じゅん于意其故かた授秘じゅつまたすなお鄧將ぐん捐棄伎,さら受要道也みちや。」一坐盡歡。於它おどけろうことしょうところただ於彈棋略つき其巧。しょうためうえみやびこう書籍しょせき,雖在軍旅ぐんりょしゃくまき每每まいまいじょうしょう從容しょうようつねげんじんしょうこう學則がくそくおもえせん長則ながのりぜん忘,長大ちょうだい而能勤學きんがくしゃおもんみわれあずか袁伯ぎょうみみ以習《》、《ろん》,及長而備れき五經ごきょうよん、《ふみ》、《かん》、諸子しょしひゃくいえげん,靡不畢覽。

8 せい:
ぶんみかど芙蓉ふよう》曰:じょう輦夜ぎょうゆう逍遙しょうよう西園にしぞのそうみぞしょう灌溉,けいにょうどおりかわ。卑枝はらいぶたおさむじょう蒼天そうてん驚風きょうふう扶輪こしき飛鳥あすかしょうわがまえたんかすみ夾明がつはなぼし出雲いずもあいだ上天じょうてんたれこうさい五色ごしきいちなん鮮。壽命じゅみょうまつたかしだれのうとく神仙しんせん?遨游かい心意しんいやめおわりひゃくねん

9 せい:
ぶんみかどゆうえん》曰:おけしゅすわかく逍遙しょうよう臨華かみ飚自どおいたり左右さゆう芙蓉ふよう披。みどりちくうつ清水しみずあきらんかそけがけ月出つきであきらえんちゅうかんむり佩相追隨ついずいきゃくしたがえ南方なんぽうらいためわが吹參せんぎょなおふくうら聽者ちょうしゃうんつかれこうぶんいちなんあやぎぬしょう儒安あしためしょうしょうひろ殿どのかげすずめごえ愁北りん。眾賓かえしろ邑,なに以慰われしん

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