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太平御覽 : 兵部四十三 - Chinese Text Project
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兵部ひょうぶよんじゅうさん

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決戰けっせんちゅう

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1 決戰けっせんちゅう:
こう漢書かんしょ》曰:賈復あずか五校戰於真定,大破たいはふくきずかさ甚。光武みつたけだいおどろき曰:「わが所以ゆえんれい賈復べつしょうしゃため其輕てき果然かぜんしつわれ名將めいしょう。聞其ざい孕,なまおんな耶,我子わがこめとこれなまおとこ耶,わがおんなよめれい其憂妻子さいし也。」ふくびょうひろいよいよ追及ついきゅう光武みつたけ於薊,そう甚歡。
また曰:銚期したがえげきおうろうはた皃宏りゅうたてまつ於鉅鹿下かのした皃,奚反。先登せんとうおちいじんころせじゅう餘人よにんかさちゅうがくいきどおふくせんなお正也まさやとげ大破たいは
また曰:まつり遵與けいしょしょうみなみげきひろのういやしんかしわはな蠻中ぞくひがしかん》曰:かしわはな,聚名。いしゆみちゅう遵口,ほら出血しゅっけつりゅう。眾見遵傷,やや引退いんたい,遵呼しかとめ士卒しそつせんみなばいとげ大破たいは
また曰:みかどざい魯,聞耿弇為ちょうあゆみところおさむ往救いたりちんしゅんいい弇曰:「げきとりこへいもり且閉營休,以須じょうらい。」弇曰:「輿こし且到,臣子しんしとうげきうし釃酒以待百官ひゃっかんはんよく以賊とりこのこ君父くんぷ耶?」乃出兵しゅっぺい大戰たいせんだん及昏,ふく大破たいは殺傷さっしょう無數むすう城中じょうちゅうみぞ塹皆滿まん
また曰:岑彭せい公孫こうそんじゅつ,乃令ぐんちゅうつのおさむ浮橋うきはし先登せんとうしゃ授上しょう。於是へん將軍しょうぐん魯奇應募おうぼ而前。とき大風おおふうきょうきゅう,彭、せん還流かんりゅう而上,ちょくおき浮橋うきはし,而攢ばしらかぎ不能ふのうぞく漢書かんしょ》曰:ときてん東風こち,其攢ばしらゆうはんかぎせんとうじょうぜいことたたかえいん炬焚ふう急火きゅうかもりきょうろうくずししょう。彭復悉軍順風じゅんぷう并進,しょむかいまえしょくへい大亂たいらん溺死できししゃすうせんにん
また曰:ちょうあゆみおさむ耿弇營,あずかりゅう歆等せん。弇升王宮おうきゅう瑰臺もち臨淄もとひとしこくしょそくひとし王宮おうきゅう中有ちゅううたまきだい也。《ひがしかんさく瑰臺。歆等ほこさき交,乃引精兵せいびょう以橫突步じん于東城下じょうか大破たいは矢中やなか弇股,以佩がたな截之,左右さゆう無知むちしゃ
また曰:袁紹使きょくあんおさむ公孫こうそん瓚,紹在じゅうすう,聞瓚やめやぶはつくらいきおもんみまもるちょう強弩きょうどすうじゅうちょうだい戟士ひゃくもとじん。瓚散へいせんそついたりかこえすうじゅうしゃ雨下うかゆたか扶紹,使つかい卻入そらかき。紹脫かぶと鍪抵,曰:「大丈夫だいじょうぶとうぜん,而返逃垣墻間耶?」促使しょいしゆみ并發,きず瓚騎。眾不知ふち紹,頗稍引卻。かいきょく來迎らいごう乃散退すさ
また曰:鄧禹還長安ながやすちょうはじめよるはたするど入城にゅうじょうかさねあかまゆちゅうほこぬき胛。胛,じょうりょうわきあいだまたうたておさむしょ營堡,ため流矢ながれやしょげきみないくいたり于死。
また曰:賈復したがえじょうげきあお犢於しゃいぬ大戰たいせんいたりちゅうぞくじんけん卻。光武みつたけつたえ召復曰:「吏士みなひだるただし朝飯あさめし。」ふく曰:「さきやぶこれしかこうしょくみみ。」於是はね先登せんとうなお也。おりため旌。將軍しょうぐんさきしょ先登せんとうさきてき也。ところこうみな靡,ぞく敗走はいそうしょしょう咸服其勇。
また曰:ちんしゅんあきらはい強弩きょうど將軍しょうぐんしょこうみなやぶ曰:「せんはたつき如此,あにゆうゆう乎?」

2 決戰けっせんちゅう:
こころざし》曰:毌丘儉字仲恭ちゅうきょうゆうみきさくためかそけしゅう刺史ししりょう將軍しょうぐん。儉以だか驪數おかせ叛,とくしょぐんげんうさぎ從道つぐみちすべり討之。王宮おうきゅうはたぎゃくぐんにえ水上すいじょう大戰たいせんみや連破れんぱはし。儉遂たばかかくるまとうきゅうやまほふこううららしょくびとりこ以千すう使つかいげんうさぎ太守たいしゅおう頎追,沃沮せんあまりさといたり肅慎かいこくせききのいさおかんきゅうやまめいたいしろ
また曰:だいぐんがらす桓反,以任じょうおうあきらため北中きたじゅうろうしょうぎょう驍騎將軍しょうぐん。臨發,ふとし誡彰曰:「きょため父子ふし,受事ため君臣くんしんどう以王ほう從事じゅうじしか其誡。」あきらきたせいにゅう涿郡かい,叛胡すうせんそついたり兵馬へいばしゅうおもんみゆう步卒ほそつせんにんすうひゃくひき用田ようだけい固守こしゅようすきとりこ乃散退すさあきらおいせんえびすおうつる而倒しゃぜんきさきしょうぞくせん過半かはんあきらよろいちゅうすう意氣いきえきこうじょうかち逐北,いたり於乘しんまつあんじょうけんめいぞくだいぐん今北いまきたとりこきょごうためじょういぬいぐんだいひゃくあまりさとちょうふみしょしょうみな以為しんわたるとおつかれまた節度せつどとくだい不可ふかふかすすむのこれいけいてきあきら曰:「りつ專行せんこうおもんみ利所ききどころざいなん節度せつど乎?えびすはしとおおい必破,したがえれいたててきりょうはた也。」とげ上馬かみうまれいぐん中後なかごしゃ。一日一夜與虜相及,げき大破たいは斬首ざんしゅなま以千すうあきら乃倍つねだいたまもの將士しょうし將士しょうしえつとき鮮卑大人おとな軻比のうしょうすうまん觀望かんぼう強弱きょうじゃくあきら力戰りきせんしょこうみなやぶ,乃請ふく北方ほっぽう悉平。ときふとしざい長安ながやす召彰,あきらだい鄴。太子たいしいいあきら曰:「きょうしん有功ゆうこう今西いまにし見上みかみ,勿宜。」あきらいた,如太子たいしげんかえりこうしょしょうふとしもちあきら須曰:「須兒竟大可用かよう。」
また曰:龐德あずか曹仁討關とくたむろ樊北じゅうかいてん霖雨じゅうにちかんすい暴溢,樊下平地ひらちろくたけとくあずかしょしょう避水じょうつつみはね乘船じょうせんおさむ,以大せんよんめん堤上つつみのうえとく披甲ゆみきょはつ將軍しょうぐんただしおききょくはたただしちょうとうほっくだとくみなおさむこれたいらだん力戰りきせんいたりなかおさむえききゅうとくいいとくはたなりなん曰:「われ聞良はたおびえ以茍まぬかれ烈士れっし毀節以求せい今日きょうわが也。」せんえきいかいよいよたけし,而水ひたもり,吏士みなくだとくあずか麾下きかはた一人ひとりはくにん,彎弓でんとう小船こぶねほしかえじん營。水盛みずもりせんくつがえしつ弓矢ゆみやどくだきせん覆水ふくすいちゅうため所得しょとくたて而不跪。はねいい曰:「きょうけいざいかんちゅう我欲がよく以卿ためはたはやくだなにため?」とくののしはね曰:「豎子じゅしなにいいくだ也!おうたいかぶとひゃくまん天下てんかなんじりゅう備庸ざいみみあにのうてき耶!わがやすしため國家こっかおに不為ふため賊將ぞくしょう也。」とげためしょころせ

3 決戰けっせんちゅう:
こころざし》曰:まごけん討黃よこりょうこうむおきはさみもり沔口,以栟櫚大きずなけいせきため磴,うえゆうせんにん,以弩交射,雨下うかぐんとくまえただしかさねあずかりょうすべ俱為前部ぜんぶかくしょう敢死ひゃくにんりょうよろいだいはやぶねせん突入とつにゅうこうむおき,裹身以刀斫兩きずなこうむおきよこりゅう大兵だいひょうとげすすむ便びん開門かいもんはしへいおいこれ明日あした大會たいかいけん舉觴ぞくかさね曰:「今日きょうだんきずなこう。」

4 決戰けっせんちゅう:
すすむしょ》曰:りゅうあつしとう誅桓げんへいいたりちくさとげん使其將すめらぎはじめじきはじめこばめあつしぐんぐう於江じょう,臨陣はじめしんいたりらくきょうまたじきくびげんだい懼,使つかい桓謙、なに澹之たむろくつがえ舟山ふなやまあつしとうぐんいたり蔣山,ひろし使羸弱るいじゃく登山とざんちょう旗幟きしげんこれはかえき危懼きくけんとう士卒しそつ北府きたごじん懼伏ひろし,莫敢ひろしあずかあつし等分とうぶんためすうたいしん突謙ひねみなことたたかえ不一ふいつとうひゃくどき東北とうほくふうきゅうあつしぐん放火ほうかけむりちりちょうたかしつづみ噪之おん震駭しんがいきょう邑,けんとうしょぐんいち奔散。
また曰:しゅうところおさむひとしまんねんろく陌。はたたたかえしょ軍人ぐんじんしょくひとしおう肜促いのちそくすすむ,而絕其後繼こうけいところ必敗,曰:「世事せじやめさくかん西戎せいじゅうあかざ藿甘粱黍,かついのちおわり。」げん畢而せんだん及暮,斬首ざんしゅまんけいつるぜっつき左右さゆうすすむ退すさしょあんけん曰:「此是われこうぶし授命にちなに退すさこれため!且古しゃりょうしょう受命じゅめい,鑿凶もん以出,ぶたゆうしん退すさ也。こんしょぐんまけしんじいきおい不振ふしんわがため大臣だいじん,以身殉國じゅんこくまた乎!」とげ力戰りきせん而歿。
また曰:あきら將軍しょうぐんしゅ伺隨とうただし討杜弢有ことこういし勒夏口之くちのせん,伺用てつめん自衛じえい,以弩てきしゃぞくだいそちすうにんみなころせこれぞく挽船上岸かみきし,於水邊みずべさくじん。伺逐水上すいじょう以邀ちゅう其脛,氣色けしき不變ふへんしょぐんひろいたりぞくつぶせ追擊ついげきみな棄船とうすい死者ししゃたいはんぞくよるかえちょうすな,伺追いたりがま圻,及而はんどお將軍しょうぐんあか幢曲ぶた
また曰:しゅ伺、りゅう浚與ていよじせん楊口るい。伺常しょ調ちょういしゆみゆるがせ噤不はつ,伺甚あく。及賊おさむおちい北門きたもん,伺退入船いりふねはつ,浚開しょ船底ふなそこ,以木掩之,めいためせん械。伺既いれぞく舉鋌擿伺,伺逆接ぎゃくせつ鋌,はん以擿ぞくぞくはし上船じょうせんだい喚云:「ぞくそちざいきた!」伺從船底ふなそこ沉行じゅう,乃免。

5 決戰けっせんちゅう:
また》曰:りゅう曜使其將軍平ぐんぺいさきおかちゅうはくりつ勁騎ついひねやすやすあずか壯士そうし十餘騎於陜中格戰,やす左手ひだりてななしゃく大刀たち右手みぎてたけはちへびほこきん交則がたなほこ俱發,輒害ろくにんとおすなわちたいそう鞬,左右さゆうはせ而走。たいらさきまた壯健そうけんぜっじんいさむとし如飛,あずかやす搏戰,さん交,だつ其蛇ほこ而退。かい日暮ひぐれあめ甚,やす棄馬,あずか左右さゆうろくにん山嶺さんれい,匿于けい澗。翌日よくじつひろとげ不知ふち所在しょざいかいれんはじめ霽,輒振よびのべあおひろ其徑あとやす于澗きょく。隴上曰:「隴上壯士そうしゆうひねやすたけはちへびほこ左右さゆう槃。せんはじめさん交失へびほこためわがそと援而懸あたま西にしりゅうみずひがしりゅうかわ,一去不還奈子何!」りゅう曜命らく
また曰:禿かぶろはつ傉檀つい赫連勃勃ぼつぼつぜんしゃしゃしゃちゅう勃勃ぼつぼつひだりひじ勃勃ぼつぼつ乃勒眾逆げきはいつい奔八じゅうあまりさと殺傷さっしょうまんけい大將たいしょうじゅう餘人よにん,以為きょうかんごう髑髏しゃれこうべだい」,かえ于嶺きた
また曰:ぜんしん苻堅ため姚萇しょおさむ。苻堅りつへいおさむ姚萇,みなこくほこさきよろいためきゅうしめせ以戰ためこころざしまいせん以長槊鉤ため方圓ほうえんだいじんゆうあつうすしたがえちゅう分配ぶんぱい故人こじんためせんしょむかいまえ
また曰:きさきちょうさい閔之らんせき琨及ちょう舉、おうあきらりつななまん鄴。いし閔帥千餘拒之城北,閔執兩刃りょうばほこはせげきみなおうほこさき摧潰,きゅうさんせん。琨等大敗たいはいかえり于冀しゅう
また曰:しゅ善戰ぜんせんにんあるとい。伺答:「諸人もろびと以舌げきぞく,伺惟以刀みみ。」またとい曰:「將軍しょうぐんぜんきさきげきぞくなに以每とくしょう耶?」伺曰:「りょうてきどもたいおもんみとうにんかれ不能ふのうしのべわがのうしのべ以勝みみ。」
また曰:しゅうおとずれ討江沔間ぞくもり曾。おとずれゆう眾八せんしんいたりちょうよう。曾銳甚盛,おとずれ曰:「先人せんじんゆうだつひとしんぜんはかりごと也。」使つかい將軍しょうぐんひさしとくひだり甄,もとあさとくみぎ甄,おとずれりょうちゅうぐん高張たかはり旗幟きし。曾果先攻せんこう左右さゆう甄。曾勇かんむり三軍さんぐんおとずれ甚惡於陣きさきしゃ雉以やす眾心。れい小將こしょうちょうたねりょう其父あまりへいぞくひだり甄,力戰りきせんはい而復あいたねはせつげきゅうおとずれいかしかれい更進こうしんたねごう哭,かえたたかえたついたりさるりょう甄皆はいおとずれせん精銳せいえいはちひゃくにんくだりしゅいん,敕不とく妄動もうどう,聞鼓おん乃進。ぞくいたりさんじゅうおとずれおや將士しょうしみなあがおど奔赴,曾遂だいつぶせころせせん餘人よにんとげていかん沔。
また曰:りゅうひろし舉兵きさきしん姚泓,おう鎮惡ためぜんほこさきぐんいたり渭橋,鎮惡しょじょうみなこうむおきしょうかん,鎮惡とうがん。渭水りゅうきゅう,倏忽あいだしょかん悉逐ながれとき泓屯ぐんざい長安ながやす城下じょうかなおすうまんにん。鎮惡なで慰士そつ曰:「きょう諸人もろびと并家在江あるえみなみ,此是長安ながやす門外もんがいいえまん,而舫じょう衣糧いりょう并已逐流あにふく有生ゆうせいけい耶?おもんみよろしせん以立大功たいこうしかのりのこるい矣。」乃身さき士卒しそつ。眾亦ふく退路たいろ,莫不あが踴爭さき。泓眾いち奔潰,そくおちい長安ながやすじょう

6 決戰けっせんちゅう:
ちぇひろしじゅうろくこく春秋しゅんじゅう》曰:ぜんしん苻堅はたおうたけし討前つばめ慕容暐。暐遣はた慕容ひょうたむろ於潞かわ以拒もうあずかひょうしょう裨將かくけい以銳そつせんしたがえ間道かんどうひょう營后,はた山起やまおこししょう輜重しちょう。暐懼,使つかいゆずるひょう,催之せんもうひょううりすい鬻薪,なで將士しょうし有可ゆかじょうこれかいひょうまたもとめせん,乃陳于潞ばら,而誓眾曰:いまあずか諸君しょくん深入ふかいりぞくむべかくつとむすすむ不可ふか退すさ也。すなお戮力行間ぎょうかん報恩ほうおんすなお受爵明君めいくんあさけい父母ちちははこれしつまた乎!「眾皆いさむ奮,やぶがま棄糧,大呼たいこきおいしんもう睹評眾也,あくいい鄧羌曰:」今日きょうこと將軍しょうぐん莫可以捷,將軍しょうぐん其勉。「羌曰:」わか以司隸見あずかしゃおおやけ以為。「もう曰:」此非われこれしょ及,必以本郡ほんぐ太守たいしゅまんこうしょうしょ。「羌不えつ而退。にわか而,へい交,もう召之,羌寢而弗おうもうはせ就許。羌於だいいんちょうちゅうあずかちょう蠔、じょしげるとう蠔,なな吏切。またがうまうんほこはせにゅうひょうぐん出入でいりすうよん傍若無人ぼうじゃくぶじん,搴旗はた搴,きょ輦反。殺傷さっしょう甚眾。せん及日ちゅうひょう大敗たいはい,俘斬まん

7 決戰けっせんちゅう:
裴子そうりゃく》曰:ひだり將軍しょうぐんりゅうやすし聞虜寇壽とらろうりつななせんにんらい赴。とりこいたりしゃはちまんかんれいぐんちゅう曰:「顧望しゃ斬首ざんしゅうたてしゃあし。」みな用命ようめいぞく死者ししゃまんあまりりゅうぼつくるぶし流矢ながれやぬき頸,墮馬

8 決戰けっせんちゅう:
そうしょ·鄧琬でん》曰:いんこうたむろぐんかささぎしゅう。沈沖いいとうあきら曰:「むかしこう梟將きょうしょう一戰いっせん便びんこうあずかぞく合戰かっせんまいたたかえつね以鼓ぶたずいぐんちゅう人相にんそういい曰:『いんみつるへいいいはた矣。』いまあずかぞく交鋒,而以あらわよく斃得乎?」
また曰:でん弘之ひろゆきなかすずしにせ太子たいし。赫連瑰率したがえかさね長安ながやす弘之ひろゆきりょうせん大破たいは。瑰又しょう渭南,弘之ひろゆきまた于寡わたりやぶ瑰,ぞくひゃく。及義ひがし,赫連ふつふつ傾國けいこくつい躡,于青どろ大戰たいせん弘之ひろゆきしゃぬきかぶと胄,かんむり三軍さんぐんじんはい陷沒かんぼつふつふつ逼令くだ弘之ひろゆき不為ふためこごめ也。

9 決戰けっせんちゅう:
また高祖こうそ》曰:于時きたはじめかえ傷痍しょういふく戰士せんしざいすうせんぞく眾十あまりまん舳艫じくろわた千里せんりはじめあきらしょかずらちょうじん懼,よくよう天子てんしみかど曰:「こん兵士へいし雖少,なおあしいちせんわか其克ずみしんぬしどうきゅう,如其しかふくのう草間くさまもとむかつわれけいけつ矣。」
また曰:薛安都北とほくせいいたり陜下,たて突騎,眾軍患之。やすいか甚,乃脫かぶと鍪,かい所帶じょたいよろいおもんみちょ絳衲りょうまち衫,うままたそうはせにゅうぞくじんもう咆𠷺,しょこう無敵むてきとう其鋒しゃおう而倒。如是にょぜすうよんまいいれ,眾無披靡。
また曰:高祖こうそ義軍ぎぐんしんいたりくつがえ舟山ふなやまひがしちょううたぐへい以油帔冠かぶぬの滿山まんざんだにみかどさきはせこれはたみなことたたかえ不一ふいつとうひゃく呼聲よびごえどう天地てんちいんふうたてけむり焰張てんけんとう大敗たいはい

10 決戰けっせんちゅう:
ひとししょ》曰:薛安討魯爽。及沈慶之よしゆきずみこうやす望見ぼうけん爽,便びんおどうま大呼たいこちょく往刺應手おうしゅ而倒。左右さゆう范雙爽首。爽世ふくろうたけし,咸云まんにんてきやす單騎たんき直入なおいりこれ而返,時人じじんみなうんせきはねかおりょう不足ふそく也。

11 決戰けっせんちゅう:
はりしょ》曰:大同だいどうはつぐんふくかこえみなみていもりふところよういのちだい三子嶷帥二百人與魏前鋒戰于光道寺溪。矢中やなか其目,しつてきじん交槊はたいたり,嶷斬其いちおど而上,はせ以歸。嶷旅りょくぜっじん便びんうまよしいちにちせんななはちごうしょ佩霜あきらしゅゆみよんせき餘力よりょくはんいとまといほこあやか長二ちょうじたけ同心どうしん敢死ひゃくななじゅうにんまい殺傷さっしょうすうひゃくにんてきじんはばかこれごうためもりあや
また曰:ほうけいかこえおうそうべん於巴りょうもとみかど乃引そうゆう於獄,はいためかり武節ぶせつもう將軍しょうぐんふう新市しんいちけんこうれい援僧べん將行まさゆき,泣下,いい其子玘曰:「なんじひらきしゅしろもんわれとしのり吉則よしのり由朱ゆみきょうそくゆかり白也はくや。」もとみかど聞而たけしこれ
また曰:蔡道はんためよう戍主,おさむ蠻錫じょうはんため蠻困。馮根ねんじゅうろくすくいひき交戰こうせんひさげそうけん左右さゆう奮擊,殺傷さっしょう甚多。みちはん以免,ゆかり知名ちめい
また曰:たけみかどまぐさりょうひがし,昏遣大將たいしょうおうちんこくもりへい朱雀すざくもん,眾號じゅうまん。及戰,りょうたけしぐん引卻,おうしげるひきたんかたな直前ちょくぜんそとせい韋欣けいいさむつとむぜっじんてつまとい槊,つばさしげ而進,大破たいはしげ勛第いち,欣慶力也りきや

12 決戰けっせんちゅう:
ひねしょ》曰:たけみかどにゅう援建鄴,もりそうあかりためぜんほこさきあずか蔡路やしなえせん南野みなみのそうあかりきずたけみかどはせすくい,以所乘馬じょうば援僧あきらあきら上馬かみうまふくすすむころせすうじゅうにんよし而乘とげはいやしなえ

13 決戰けっせんちゅう:
みなみ》曰:ちんすすむしょう訶隨とくあきらてっずみこうおさむしんぐんときひとし大將たいしょうじょうやぶえびすとうりつじゅうまん來援らいえん,其前たいゆうあおあたまさいかく大力だいりきこれごうみな身長しんちょうはちしゃく膂力りょりょく絕倫ぜつりん,其鋒甚銳。またゆう西域せいいきえびすじんみょう弓矢ゆみやつるきょはつ,眾軍ゆうはばかこれ。及將せんあきらとおるいい訶曰:「わか殪此えびすのりかれぐんだつくんゆうせきちょうこれめいかおりょう矣。」訶曰:「すなおとく識其形狀けいじょう。」あきらとおる乃召降じん有識ゆうしきえびすしゃうん:「えびすちょ絳衣はながわそうゆみりょうはしこつ弭。」あきらてっひと覘伺,えびすざいじん,仍自しゃくしゅいん訶,訶飲訖,はせおきひとしぐんえびす挺身ていしん出陣しゅつじんまえじゅう,彀弓未發みはつ訶遙擲銑鋧,正中せいちゅう其額,應手おうしゅ而仆。ひとしぐん大力だいりきじゅうあまり人出ひとでせん訶又これ。於是ひとし退すさはし

14 決戰けっせんちゅう:
しょ》曰:りょ羅漢らかんちちゆたかしんしゅう羅漢らかんずいさむらい。隴右氐楊なんとうりつ眾數まん寇上邽,しんじんおう。鎮將もとあたま羅漢らかんぜんきょうとう西城にししろろうれい羅漢らかんなんとうたいはた及兵じゅうさんにんおうつる而殪。ぞく眾轉もり羅漢らかんしんけい曰:「こんまた不出ふしゅつせんしめせてき以弱,眾情攜貳,大事だいじ矣。」あたま善之よしゆきそく簡千餘騎令羅漢出戰。羅漢らかんあずかしょさく大呼たいこちょくおきなんとうぐん,眾皆披靡。ころせがたとう左右さゆうたいはちにんなんとうだいおどろき
また曰:宇文うぶんのべけいことぶき體貌たいぼうさきがけがん眉目びもく疏朗。なが平中たいらなかしゃく褐奉あさ請,ちょくきさき員外いんがいつねさむらい。以父ぶくおいみことのり聽隨さむらいざい瀛州。ぞく大乘だいじょう妖黨突入とつにゅうしゅうじょうのべりつやつきゃくせん死者ししゃすうにんじゅうかさぞく乃少退すさ,而縱火燒ひたきときかくぶくざい內,のべ突火而入,だきぶく出外ではずれささえたい灼爛,はつつきため燼。於是勒眾與ぞく苦戰くせんぞく乃散はし。以此しょう
また曰:ちょう遐為滎陽太守たいしゅときしょう衍將せん琕率眾攻圍こういてきしろ,戍主でんぶん驥嬰じょう固守こしゅ。以遐ためべつはたあずかりゅうおもえとうすくいつぎ於鮑こう朐城じゅうなつしき,厲涉長驅ちょうくはたいたりてきしろせん琕見遐營るい就,みちらいぎゃくせんおもえりつ彭沛眾,もちじん奔退。遐孤ぐん奮擊,どくやぶせん琕,其直かく將軍しょうぐんぐんぬし魯生。せん琕先ぶんぐん於朐じょう西にし,阻水れつしがらみ,以圍かたじょう。遐身潛行せんこうかんすい深淺しんせんゆいくさためいかだ,銜枚よるしんやぶろくしがらみとげかいかりかたじょうかこえすすむすくい朐城,みやこただしあきらりつ大軍たいぐんまましこれいく而文驥力竭,以城くだぞく,眾軍大崩おおくずれあきら棄其ぶしでんけい而走,おもんみ遐獨にぎふし而還。

URN: ctp:taiping-yulan/312