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シュルレアリスム

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シュール・レアリズムから転送てんそう
シュルレアリスムの出版しゅっぱんしゃ「オ・サン・パレイユ」で開催かいさいされたマックス・エルンストてん(1921ねん5がつ2にち):ひだりから同社どうしゃ創設そうせつしゃルネ・イルソム、バンジャマン・ペレ、セルジュ・シャルシューヌフランス語ふらんすごばんフィリップ・スーポー(上部じょうぶ)、ジャック・リゴーフランス語ふらんすごばんさかさま)、アンドレ・ブルトン

シュルレアリスム[ちゅう 1]ふつ: surréalisme[ちゅう 2]えい: surrealism[ちゅう 3])は、せんあいだフランスこった作家さっかアンドレ・ブルトン中心ちゅうしんとする文学ぶんがく芸術げいじゅつ運動うんどうである。すでに1919ねんから最初さいしょのシュルレアリスムのこころみである自動じどう記述きじゅつおこなわれていたが、1924ねんにブルトンが『シュルレアリスム宣言せんげん』を発表はっぴょうし、運動うんどう本格ほんかくてきはじまった。ブルトンはこの宣言せんげんでシュルレアリスムを「口頭こうとう記述きじゅつ、そののあらゆる方法ほうほうによって、思考しこうしんうごきを表現ひょうげんしようとする純粋じゅんすいしんてきオートマティスム理性りせいによる監視かんしをすべて排除はいじょし、美的びてき道徳どうとくてきなすべての先入せんにゅうからはなれた、思考しこうり」と定義ていぎした[1]。シュルレアリスムはジークムント・フロイト精神せいしん分析ぶんせきカール・マルクス革命かくめい思想しそう思想しそうてき基盤きばんとし、無意識むいしき探求たんきゅう表出ひょうしゅつによる人間にんげん全体ぜんたいせい回復かいふく目指めざした。ブルトンのほか、ルイ・アラゴンポール・エリュアールフィリップ・スーポーバンジャマン・ペレらの詩人しじん中心ちゅうしんとする文学ぶんがく運動うんどうとしてはじまったが、ジョルジョ・デ・キリコマックス・エルンストらの画家がかマン・レイらの写真しゃしん参加さんかし、1920年代ねんだいまつごろからスペインベルギーからもサルバドール・ダリルイス・ブニュエルルネ・マグリットカミーユ・ゲーマンスフランス語ふらんすごばんらが参加さんか分野ぶんやもダリとブニュエルの『アンダルシアのいぬ』に代表だいひょうされる映画えいがなどをふく多岐たきにわたる芸術げいじゅつ運動うんどう発展はってんした。

一方いっぽう、フランスのシュルレアリスムが日本にっぽんにおいて前衛ぜんえい芸術げいじゅつとして発展はってんげたのは1930年代ねんだい以降いこうのことであり、以後いご、ブルトンが提唱ていしょうした無意識むいしき探求たんきゅうという本来ほんらい目的もくてきからはなれ、「現実離げんじつばなれした奇抜きばつ幻想げんそうてき芸術げいじゅつ」という意味いみで「シュール」という日本にっぽん独自どくじ概念がいねん表現ひょうげんまれることになった[2]

歴史れきし[編集へんしゅう]

1910年代ねんだい詩集ししゅうアルコール英語えいごばん 』(1913ねん)によってフランスおおきく[3]美術びじゅつ評論ひょうろんキュビスムの画家がかたち英語えいごばん』(1913ねん)によってピカソブラックピカビアデュシャンらの前衛ぜんえい芸術げいじゅつ支持しじしたギヨーム・アポリネールは、アンドレ・ブルトン、フィリップ・スーポーピエール・ルヴェルディら、のちにシュルレアリスト運動うんどう牽引けんいんすることになる若手わかて作家さっかをつなぐ役割やくわりたした[4]。1917ねん初演しょえんされ、一大いちだいスキャンダルをこした、ジャン・コクトー台本だいほんエリック・サティ音楽おんがくパブロ・ピカソ舞台ぶたい芸術げいじゅつレオニード・マシーン振付ふりつけによる前衛ぜんえいバレエパラード』を支持しじし、プログラムをいたのもアポリネールであった。かれはこのプログラムではじめて「シュルレアリスム」という言葉ことばもちいた[5]。さらに、よく1918ねんにはシュルレアリスム演劇えんげき先駆せんくとなったかれ自身じしん戯曲ぎきょく『ティレジアスの乳房ちぶさ』が上演じょうえんされた[6]。 シュルレアリスム運動うんどう牽引けんいんしたブルトン、アラゴン、エリュアール、スーポー、バンジャマン・ペレらは1910年代ねんだいまつから1920年代ねんだい初頭しょとうにかけてこった文学ぶんがく芸術げいじゅつ運動うんどうダダイスムにも参加さんかしていた。ブルトン、アラゴン、スーポーが創刊そうかんした「はん文学ぶんがく」の文学ぶんがく雑誌ざっしリテラチュール文学ぶんがく)』には、1920ねんトリスタン・ツァラをはじめとしおおくのダダイストが寄稿きこうし、ダダイスムの機関きかん役割やくわりになっていたが[7]、1921ねんごろからブルトンとツァラが対立たいりつし、運動うんどう内部ないぶ分裂ぶんれつにつながった。根本こんぽんてきには、既成きせい秩序ちつじょ破壊はかいし、すべてを無意味むいみしようとするダダイストと、むしろ無意味むいみ、あるいは従来じゅうらい無意味むいみとされてきたゆめ無意識むいしきのなかに意味いみいだそうとするのちのシュルレアリストの思想しそうてき対立たいりつであった[8]

カール・ヴァン・ヴェクテンによるダリ(ひだり)とマン・レイの肖像しょうぞう写真しゃしん(1934ねんアメリカ議会ぎかい図書館としょかんくら

1924ねん10がつパリ7グルネルどおフランス語ふらんすごばんに「シュルレアリスム研究所けんきゅうじょ」が設立せつりつされ、ブルトンの『シュルレアリスム宣言せんげん』が刊行かんこうされた。かれ本書ほんしょはじめて「シュルレアリスム」に明確めいかく定義ていぎあたえた(上述じょうじゅつ)。シュルレアリスムの思想しそうてき基盤きばんはフロイトとマルクスにあった。フロイト『ゆめ判断はんだん』が発表はっぴょうされたのは1900ねんのことであり、医学いがくせいであったブルトンは、フロイトの精神せいしん分析ぶんせきにおけるゆめ世界せかい現実げんじつ世界せかい睡眠すいみん状態じょうたい覚醒かくせい状態じょうたい関係かんけい関心かんしんいだき、無意識むいしき探求たんきゅう人間にんげん全体ぜんたいせい回復かいふく人間にんげん解放かいほう可能かのうせいいだした[9][10]同年どうねん12がつにブルトン、アラゴン、ペレ、ピエール・ナヴィルによって機関きかんシュルレアリスム革命かくめい』が創刊そうかんされた。本誌ほんしでは、催眠さいみん実験じっけん自動じどう記述きじゅつゆめ記述きじゅつなどによる無意識むいしき表現ひょうげん、「優美ゆうび屍骸しがい」、コラージュフロッタージュデカルコマニーデペイズマン技法ぎほうなど、シュルレアリスムのおもなテーマがすべてげられた[11][12]参加さんかした文学ぶんがくしゃはブルトン、アラゴン、エリュアール、スーポー、ペレのほか、アントナン・アルトーレーモン・クノールネ・クルヴェルルネ・シャールロベール・デスノスミシェル・レリス芸術げいじゅつルイス・ブニュエルジャン・アルプマックス・エルンストジョルジョ・デ・キリコパウル・クレーオスカー・ココシュカサルバドール・ダリイヴ・タンギーパブロ・ピカソフランシス・ピカビアジョルジュ・ブラックルネ・マグリットアンドレ・マッソンジョアン・ミロマン・レイピエール・ロワらであった[11][12]

『シュルレアリスム革命かくめいだい8ごう表紙ひょうし(1926ねん12がつ)- フォト・モンタージュまたは「」による作品さくひん[13]

『シュルレアリスム革命かくめいは、ブルトンの「シュルレアリスムだい宣言せんげん」が掲載けいさいされた1929ねん12月15にちづけだい12ごうをもっておわりかんとなった。この時点じてんまでに、運動うんどう内部ないぶでの方針ほうしん不一致ふいっち対立たいりつによって脱会だっかいするもの、あるいはブルトンに除名じょめいされたものすくなくなかった。スーポー、デスノス、レリス、アルトーらであり、かれらは、アラゴン、エリュアール、ブルトン、ペレらが1927ねんフランス共産党きょうさんとう入党にゅうとうしたのにたいして、政党せいとうかかわることは拒否きょひした[14]。こうして、共産きょうさん主義しゅぎへの傾倒けいとうふかめたシュルレアリストは、『シュルレアリスム革命かくめいおわりかん翌年よくねんの1930ねん後続こうぞく革命かくめい奉仕ほうしするシュルレアリスムフランス語ふらんすごばん創刊そうかんした。だが、この雑誌ざっしは1933ねんにわずか6ごうおわりかんとなった。内部ないぶ対立たいりつ激化げきかしたからであり、その一因いちいんは、アラゴンが社会しゃかい主義しゅぎリアリズム転向てんこうしたことであった。運動うんどう自体じたい左傾さけいしたものの、シュルレアリスムが文学ぶんがく芸術げいじゅつ革命かくめいまるか、社会しゃかい革命かくめい発展はってんさせるか、ファシズム台頭たいとうしただい世界せかい大戦たいせん前夜ぜんやにあって状況じょうきょう一層いっそう複雑ふくざつであった[15][16]

また、『革命かくめい奉仕ほうしするシュルレアリスム』後続こうぞくで、シュルレアリスムの美術びじゅつ雑誌ざっしとしても重要じゅうようなのは『ミノトールフランス語ふらんすごばん』であった。アルベール・スキラフランス語ふらんすごばん発行はっこうじんテリアードフランス語ふらんすごばん美術びじゅつ主幹しゅかんとして1933ねん6がつ創刊そうかんされた同誌どうしは、1937ねんだい10ごうからブルトン、エリュアール、デュシャンらが編集へんしゅう委員いいんとして参加さんかし、事実じじつじょう、シュルレアリスムの雑誌ざっしとなり、オーストリア画家がかヴォルフガング・パーレンドイツ人形にんぎょう作家さっか写真しゃしんハンス・ベルメールベルギー画家がかポール・デルヴォーチリ画家がかロベルト・マッタスイス彫刻ちょうこくいえアルベルト・ジャコメッティらの作品さくひん掲載けいさいされた[13][17]

だい大戦たいせん勃発ぼっぱつし、ナチス・ドイツがフランスを占領せんりょうすると、おおくのシュルレアリストが米国べいこく亡命ぼうめいした。これは、フランスのユダヤじんはんナチ運動うんどういえらを米国べいこく疎開そかいさせるために結成けっせいされた緊急きんきゅう救助きゅうじょ委員いいんかい (ERC) によって派遣はけんされたヴァリアン・フライフランス語ふらんすごばん尽力じんりょくによるものであり[18]、エルンストやデュシャンのように、美術びじゅつひん蒐集しゅうしゅう資産しさんペギー・グッゲンハイムフランス語ふらんすごばんから個人こじんてき支援しえんけて渡米とべいしたシュルレアリストもいた[19]かれらは戦時せんじちゅうにニューヨークを拠点きょてんとして活動かつどうすることになり、米国べいこく画家がからもシュルレアリスムの運動うんどう参加さんかした。アメリカでひろがりをせたシュルレアリスムは、抽象ちゅうしょう表現ひょうげん主義しゅぎ誕生たんじょうにおいて重要じゅうよう役割やくわりたすことになった[20]

1946ねん亡命ぼうめいさき米国べいこくから帰国きこくしたブルトンは、1947ねん7がつ7にちから9がつ30にちまでパリのマーグ画廊がろうフランス語ふらんすごばんだい6かい国際こくさいシュルレアリスムてん開催かいさいした[13]。この展覧てんらんかいには、デュシャン、エルンスト、タンギー、ミロ、アルプ、ピエール・ロワ、パウル・クレー、ヴィクトル・ブローネル、ヴォルフガング・パーレン、ハンス・ベルメール、ロベルト・マッタら戦前せんぜんからのシュルレアリストのほか、ヴィフレド・ラムアーシル・ゴーキーマルセル・ジャンフランス語ふらんすごばんフレデリック・キースラーケイ・セージドロテア・タニングトワイヤンらの作品さくひん多数たすう展示てんじされ、シュルレアリスムのだい規模きぼ回顧かいこてんとなった[21]

1966ねんにブルトンが死去しきょした。これにより、シュルレアリスムの詩人しじんジャン・シュステルフランス語ふらんすごばんが、1969ねんに『ル・モンドに「だいよんのうた」とだいする記事きじ掲載けいさいして運動うんどう終結しゅうけつ宣言せんげんした[22][23]。この宣言せんげんは、日本にっぽんでも「だいよんのうた - 宣言せんげんかたちで」として1970ねん12月の『美術びじゅつ手帖てちょうだい336ごう邦訳ほうやく掲載けいさいされた[24]。だが、シュステルのこの宣言せんげん反対はんたいするシュルレアリスムの詩人しじんヴァンサン・ブーヌールフランス語ふらんすごばん美術びじゅつ評論ひょうろん造形ぞうけい作家さっかジャン=ルイ・ベドゥアンフランス語ふらんすごばんらは活動かつどう継続けいぞくした。以後いご個々ここ制作せいさく活動かつどうとはべつ機関きかん刊行かんこうなどをつづけ、のシュルレアリストにがれている[ちゅう 4]一方いっぽう他国たこくひろがったシュルレアリスムはシュステルの宣言せんげん影響えいきょうけることなく、独自どくじ活動かつどう展開てんかいした。

2024ねん、1924ねんにブルトンが『シュルレアリスム宣言せんげん』を発表はっぴょうしてから100ねんとなる節目ふしめとしむかえる[25]

各国かっこくのシュルレアリスム[編集へんしゅう]

スペイン[編集へんしゅう]

1920年代ねんだいにはフランス国外こくがいでもブルトンらの影響えいきょうのもとに、あるいは独自どくじ前衛ぜんえい文学ぶんがく芸術げいじゅつ運動うんどうこった。1927ねんスペイン詩人しじんフェデリコ・ガルシーア・ロルカラファエル・アルベルティビセンテ・アレイクサンドレルイス・セルヌーダスペインばんらによって結成けっせいされた27ねん世代せだい[26]隠喩いんゆ諧謔かいぎゃくもちいたあたらしい表現ひょうげん形式けいしきグレゲリーアスペインばん」をしたラモン・ゴメス・デ・ラ・セルナスペインばん[ちゅう 5]、しばしばシュルレアリスムの影響えいきょう指摘してきされるが、直接ちょくせつ運動うんどうかかわったわけではない[27]。スペインからは、かれらと親交しんこうふかかった画家がかサルバドール・ダリ映画えいが監督かんとくルイス・ブニュエルが1920年代ねんだいまつごろにシュルレアリスムの運動うんどう参加さんかし、さらに画家がかオスカル・ドミンゲスは1930年代ねんだいはいってから参加さんかした。フロイトがダリに出会であったのは1938ねんのことであった。この出会であいは、シュルレアリスムにたいするフロイトの認識にんしきえるほどのものであり、かれシュテファン・ツヴァイクへの手紙てがみに「わたしはシュルレアリストに守護しゅご聖人せいじんあおがれていたが、それまではかれらのことをまったくの狂人きょうじんだとおもっていた(アルコール含有がんゆうりょううなら狂気きょうき95%程度ていど)。このスペインじん若者わかもの純真じゅんしん熱狂ねっきょうてきなまなざし、そしてうたが余地よちのない卓越たくえつした技術ぎじゅつりょくわたし認識にんしきえた」といている[28]

スペイン - メキシコ - オーストリア[編集へんしゅう]

一方いっぽう、1936ねんスペイン内戦ないせんしたバルセロナでバンジャマン・ペレに出会であってわたりぼとけし、シュルレアリスムの運動うんどう参加さんかした画家がかレメディオス・ヴァロは、だい大戦たいせんちゅうにペレとともにメキシコ亡命ぼうめいし、同地どうちったイングランドまれの画家がか小説しょうせつレオノーラ・キャリントンとともに神秘しんぴ思想しそう先住民せんじゅうみん神話しんわ伝説でんせつ影響えいきょうつよ画風がふうによって1940年代ねんだい以降いこうのメキシコのシュルレアリスムを牽引けんいんした[29]一方いっぽう、メキシコ文学ぶんがくにおけるシュルレアリスムを代表だいひょうするのはノーベル文学ぶんがくしょう受賞じゅしょうした詩人しじんオクタビオ・パスである[30]。また、大戦たいせんちゅうにメキシコに亡命ぼうめいし、同地どうち拠点きょてんとして活動かつどうした画家がかに、オーストリア出身しゅっしんのヴォルフガング・パーレンがいる。独自どくじのシュルレアリスム技法ぎほうフュマージュ」をしたパーレンは1930年代ねんだい後半こうはんにパリでブルトンらと活動かつどうともにし、37ねんから38ねんにかけて国際こくさいシュルレアリスムてんなどに代表だいひょうさく発表はっぴょう[31][32]、シュルレアリスムの美術びじゅつ雑誌ざっし『ミノトール』にも作品さくひん発表はっぴょうした。

このほか、大戦たいせんちゅうのシュルレアリストの亡命ぼうめいにより、アルゼンチンチリブラジルなど南米なんべい各国かっこくにシュルレアリスムの運動うんどうひろがった。

イングランド - メキシコ[編集へんしゅう]

キャリントンがシュルレアリスム運動うんどう参加さんかするきっかけとなったのは、1936ねんにロンドンのニューバーリントン・ギャラリーで開催かいさいされた国際こくさいシュルレアリスムてん英語えいごばんで、エルンスト、ダリ、デ・キリコ、マグリットらの作品さくひん出会であったこと、とくどう展覧てんらんかい英国えいこくがわ主催しゅさいしゃ一人ひとりハーバート・リード編纂へんさんした『シュルレアリスム』に掲載けいさいされたエルンストの作品さくひん《ナイチンゲールにおびやかされる二人ふたり子供こども》に衝撃しょうげきけたことであった[33][34]彼女かのじょよく1937ねんわたりぼとけして、エルンストのもとにせた。国際こくさいシュルレアリスムてん出展しゅってんするほか、文学ぶんがく作品さくひんは1940ねんにブルトンが編纂へんさんしたシュルレアリスムの傑作けっさくしゅうくろいユーモア選集せんしゅう』に掲載けいさいされた[35][36]

なお、国際こくさいシュルレアリスムてんは、1936ねんのロンドン、だい規模きぼ回顧かいこてんとなった1947ねんのパリのほか、1938ねんにパリおよびアムステルダム、1940ねんにメキシコで開催かいさいされた[30]

ベルギー[編集へんしゅう]

ベルギーのフランス語ふらんすごけんでは、1924ねん、『シュルレアリスム革命かくめい創刊そうかんとほぼ同時どうじに、「ベルギーのブルトン」ともわれる詩人しじんポール・ヌージェフランス語ふらんすごばん[37]詩人しじんマルセル・ルコントフランス語ふらんすごばん作家さっかカミーユ・ゲーマンスとともにシュルレアリスムの機関きかんコレスポンダンスフランス語ふらんすごばん』を創刊そうかんした[37]。これに先立さきだって、べつ機関きかん創刊そうかんくわだてていた画家がかのルネ・マグリットと作家さっか画家がかE・L・T・メザンスフランス語ふらんすごばん、および詩人しじんポール・コリネフランス語ふらんすごばんルイ・スキュトネールフランス語ふらんすごばん[38]作曲さっきょくアンドレ・スーリー[39]作家さっか写真しゃしんマルセル・マリエンフランス語ふらんすごばんらがヌージュらと合流ごうりゅうし、ベルギー・シュルレアリスムフランス語ふらんすごばん牽引けんいんした。画家がかのポール・デルヴォーもこの運動うんどう一時期いちじき参加さんかするが、直接ちょくせつフランスのシュルレアリスム運動うんどう参加さんかしたマグリットとちがって、ベルギーで活動かつどうつづけながら、シュルレアリスムてん出展しゅってんしていた[40]

一方いっぽう共産きょうさん主義しゅぎとのかかわりにおいては、1932ねんにブルトンに出会であってシュルレアリスムに「啓示けいじ」をいだした詩人しじんアシール・シャヴェフランス語ふらんすごばんが1934ねんラ・ルヴィエールでシュルレアリストのグループ「リュプチュールフランス語ふらんすごばん分裂ぶんれつ)」を結成けっせいした。これは詩作しさく社会しゃかい改革かいかくによる人間にんげん解放かいほう目指めざ運動うんどうであった[41]

チェコスロバキア[編集へんしゅう]

スーポー(ひだり)とネズヴァル(プラハにて、1927ねん

チェコスロバキアでは、1924ねん、フランスの『シュルレアリスム革命かくめい、ベルギーの『コレスポンダンス』創刊そうかんいちにして、芸術げいじゅつ連盟れんめいデヴィエトシルフランス語ふらんすごばん参加さんかしていた美術びじゅつ評論ひょうろんコラージュ作家さっかカレル・タイゲヴィーチェスラフ・ネズヴァル[ちゅう 6]中心ちゅうしんとなって前衛ぜんえい芸術げいじゅつ運動うんどうポエティスムフランス語ふらんすごばん」がこった[42]。1927ねんには、フィリップ・スーポーがプラハロートレアモンかんする講演こうえんおこない、これにふか感銘かんめいけたタイゲがスーポーの協力きょうりょくて、ロートレアモンの『マルドロールのうた』のチェコわけ出版しゅっぱんすることになった[43][ちゅう 7]。スーポーはすでに前年ぜんねん、フランス共産党きょうさんとうへの入党にゅうとうをめぐってブルトンらと対立たいりつし、「文学ぶんがくてきすぎる」という理由りゆう除名じょめいされていたが[44]無名むめいのままぼっした詩人しじんロートレアモンの『マルドロールのうた』を最初さいしょ発掘はっくつし、ブルトン、アラゴンに紹介しょうかいしたのはスーポーであり[45]、こうして、ポエティスムの運動うんどうはシュルレアリスムの運動うんどう連動れんどうすることになった。

ルーマニア[編集へんしゅう]

ルーマニアで詩人しじんイラリエ・ヴォロンカルーマニアばんとともにダダイスムの雑誌ざっし『75 H.P』を創刊そうかんした画家がかヴィクトル・ブローネルは、同国どうこく前衛ぜんえい詩人しじんらが結成けっせいしたドイツ表現ひょうげん主義しゅぎロシア構成こうせい主義しゅぎ、ダダイスム、シュルレアリスムなどの前衛ぜんえい芸術げいじゅつ運動うんどう参加さんかし、この運動うんどう機関きかん『ウヌ (Unu)』(1928ねん創刊そうかん、1935ねんおわりかん)に作品さくひん掲載けいさいしていた[46][47][48]。すでに1903ねんわたりぼとけし、フランスで美術びじゅつ教育きょういくけた同郷どうきょうじんコンスタンティン・ブランクーシ出会であったのは1930ねんわたりぼとけしたときのことであり、このときイヴ・タンギーをかいしてデ・キリコとブルトンに出会であったかれは、1931ねんにシュルレアリスムに参加さんかした。だい大戦たいせんちゅうもユダヤじんであるにもかかわらず亡命ぼうめいかなわず、ニューヨークでの活動かつどうには参加さんかせず、やがてブルトンを中心ちゅうしんとする運動うんどうからははなれるが、生涯しょうがいにわたってシュルレアリストであった[49][50]

ユーゴスラビア[編集へんしゅう]

ユーゴスラビアでは詩人しじん画家がかマルコ・リスティッチ英語えいごばんはやくも1925ねんに『シュルレアリスム革命かくめい寄稿きこうした[51]。1926ねんから27ねんにかけてパリに滞在たいざいしてブルトンらシュルレアリストと親交しんこうふかめ、コラージュ作品さくひん発表はっぴょうし、帰国きこくにシュルレアリスム運動うんどう開始かいしし、複数ふくすう機関きかん創刊そうかん。ユーゴスラビアを代表だいひょうするシュルレアリストとして文学ぶんがく芸術げいじゅつ作品さくひん発表はっぴょうつづけた[52][53]

日本にっぽん[編集へんしゅう]

日本にっぽんにおけるシュルレアリスムの紹介しょうかいは、1927ねん瀧口たきぐち修造しゅうぞう刊行かんこうしたシュルレアリスムアンソロジー最初さいしょとされる[30]。また、ブルトン、エリュアールらと交友こうゆうのあった山中さんちゅうなまが1933ねん巴里ぱり東京とうきょう新興しんこう美術びじゅつてん開催かいさいし、1937ねん瀧口たきぐち修造しゅうぞうとの共同きょうどう企画きかく、『みづゑ』の後援こうえんによる海外かいがいちょう現実げんじつ主義しゅぎ作品さくひんてん開催かいさいした。これは、エルンスト、タンギー、ミロ、ピカソ、ハンス・ベルメール、マン・レイ、マグリット、デ・キリコ、インドリヒ・スティルスキーヘンリー・ムーアポール・ナッシュなど各国かっこくのシュルレアリストの作品さくひん377てんあつめただい規模きぼ展覧てんらんかいであり、日本にっぽんのシュルレアリスム運動うんどうにおける重要じゅうよう契機けいきとなった[54](「日本にっぽんにおけるシュルレアリスム参照さんしょう)。

ドイツ[編集へんしゅう]

なお、とりわけドイツではファシズムの台頭たいとうともなっておおくの作家さっかがフランスに亡命ぼうめいした。ドイツから亡命ぼうめいしたシュルレアリスムの画家がかのうち、エルンストとハンス・ベルメールの作品さくひんは1937ねんにドイツ各地かくち巡回じゅんかいした退廃たいはい芸術げいじゅつてん出品しゅっぴんされたうえに、ゲシュタポにより一時いちじレ・ミル収容しゅうようしょ拘留こうりゅうされた[55][56]

概念がいねん技法ぎほう[編集へんしゅう]

シュルレアリスムのおも概念がいねんじょう重要じゅうようなのは、1938ねんにパリで国際こくさいシュルレアリスムてん開催かいさいされたさいにブルトンとエリュアールの共編きょうへんによって刊行かんこうされた『シュルレアリスム簡約かんやく辞典じてん』である[57]

オートマティスム[編集へんしゅう]

シュルレアリスムの基本きほん概念がいねんオートマティスムであり、オートマティスムは本来ほんらい生理学せいりがく精神せいしん医学いがく用語ようごであったが、ブルトンは「理性りせいによる監視かんしをすべて排除はいじょし、美的びてき道徳どうとくてきなすべての先入せんにゅうからはなれた、思考しこうり」というしんてきオートマティスムとしてさい定義ていぎした。これは言語げんご自動じどう記述きじゅつだけでなく、絵画かいが表現ひょうげんにおいても同様どうようであり、たとえば、アンドレ・マッソンは人為じんいてきトランス状態じょうたいで「自動じどうデッサン」を制作せいさく[58](1924ねんから25ねんにかけて『シュルレアリスム革命かくめい発表はっぴょう[59]、イヴ・タンギーは、制作せいさく完全かんぜん自由じゆうになっておもいがけない表現ひょうげんまれるように、事前じぜん下絵したええがくことはなかった[60]。また、偶然ぐうぜんせいねらったコラージュ、フロッタージュ、デカルコマニーなどの技法ぎほう意識いしき介入かいにゅう排除はいじょして、無意識むいしき表出ひょうしゅつさせようというこころみである[60]実際じっさい言語げんご自動じどう記述きじゅつ直接的ちょくせつてきであるのにたいして、絵画かいが場合ばあいえが行為こうい・イメージにおいて意識いしき介在かいざいするため、ピエール・ナヴィルは「絵画かいがのオートマティスムは不可能ふかのうである」とかたっていた[58]

最初さいしょ自動じどう記述きじゅつこころみは、シュルレアリスムの運動うんどう本格ほんかくてきはじまるまえの1919ねんにブルトンとスーポーによっておこなわれた。フロイトの自由じゆう連想れんそうほう影響えいきょうけた自動じどう記述きじゅつは、理性りせい制御せいぎょされない純粋じゅんすい思考しこう表現ひょうげんするために、できるだけ無意識むいしきちか状態じょうたいかんでくる言葉ことばけてった。次第しだいにその速度そくどげることで、主語しゅご主体性しゅたいせい)が排除はいじょされ、内容ないよう前後ぜんご脈絡みゃくらくのない抽象ちゅうしょうてき言葉ことばやイメージの連続れんぞくになる。スーポーとブルトンはこの実験じっけん毎日まいにち8あいだから10あいだにわたってった[61][62]。この結果けっか同年どうねん10がつから12月の『リテラチュール』だい8ごうからだい10ごう)に「磁場じば」として発表はっぴょうされ[63][64][65]よく1920ねんにシュルレアリスムの出版しゅっぱんしゃオ・サン・パレイユフランス語ふらんすごばんから刊行かんこうされた[66]自動じどう記述きじゅつ著書ちょしょとしては、1930ねんにエリュアールとブルトンによって発表はっぴょうされた『原罪げんざい宿やどり』も重要じゅうようである[67]。ここには自動じどう記述きじゅつこころみとして、神経しんけい衰弱すいじゃく疑似ぎじしょう実験じっけん強烈きょうれつ偏執狂へんしゅうきょう疑似ぎじしょう実験じっけん全身ぜんしん麻酔ますい疑似ぎじしょう実験じっけん表現ひょうげん錯乱さくらん疑似ぎじしょう実験じっけんはやはつせい痴呆ちほうしょう疑似ぎじしょう実験じっけんなどについて記述きじゅつされ[68]表紙ひょうしにはダリのエロティックな掲載けいさいされた[69]。だが、一方いっぽうで、こうした自動じどう記述きじゅつこころみは、おおくの場合ばあい催眠さいみん状態じょうたいおこなわれたため、危険きけんともなうものであった。1922ねん9がつおこなわれた催眠さいみん実験じっけんは、バンジャマン・ペレ、ルネ・クルヴェル、ロベール・デスノスが被験者ひけんしゃになり、催眠さいみん状態じょうたいはいった3にん参加さんかしゃ質問しつもんこたえるという霊媒れいばい実験じっけん心霊しんれい実験じっけん)をしたこころみであった。この様子ようすについてブルトンが「霊媒れいばい登場とうじょう」とだいする一種いっしゅ報告ほうこくしょき、『リテラチュール』だい2シリーズだい6ごう(1922ねん11月)に掲載けいさいした[70][71]。だが、催眠さいみん実験じっけん睡眠すいみん実験じっけん)がエスカレートすると、被験者ひけんしゃ自分じぶん自身じしん参加さんかしゃ危害きがいくわえるおそれがでてきた。クルヴェルは自殺じさつくわだてようとし、デスノスは周囲しゅうい友人ゆうじんナイフっておそいかかったという[72]。こうした危険きけんせいは、はなれじんしょう幻覚げんかくともな危険きけんとともに、ブルトンみずからが1934ねんの『ミノトール』だい3・4合併がっぺいごう掲載けいさいの「自動じどうメッセージ」とだいする記事きじあきらかにし[73]事実じじつじょう、これ以後いご自動じどう記述きじゅつ実験じっけんおこなわれなくなった[74]

不気味ぶきみなもの[編集へんしゅう]

フロイトが1919ねんあらわしたしょうろんウンハイムリッヒドイツばん」(不気味ぶきみなもの)は、「驚愕きょうがくをもたらすもの、不安ふあんをかきてるもの、ぞっとするようなおそろしさをあたえるもの」として[75]、シュルレアリスムの重要じゅうよう概念がいねんひとつである。フロイトはこの論文ろんぶんで、ドイツ・ロマン作家さっかE・T・A・ホフマン短編たんぺん小説しょうせつ砂男すなお』をれいげて分析ぶんせきしている[76]。ハンス・ベルメールが手足てあし切断せつだんされた不気味ぶきみ魅力みりょくてき人形にんぎょう球体きゅうたい関節かんせつ人形にんぎょう)をつくるきっかけとなったのも、ホフマンのこの作品さくひんもとづいてジャック・オッフェンバック作曲さっきょくしたオペラ『ホフマン物語ものがたり』に登場とうじょうする自動じどう人形にんぎょうオランピアに触発しょくはつされてのことであった[77]。マグリットの最初さいしょのシュルレアリスム作品さくひんとされるのは1926ねん制作せいさくの《まよえる騎手きしゅ》であるが[78]、1926ねんから27ねんにかけて制作せいさくされた作品さくひんとりべる少女しょうじょ》や《殺意さついそら》には「気持きもちをかきみだすような」とりのイメージ[79]とくながとりんだとりおおえがかれている。また、《とりべる少女しょうじょ》の副題ふくだいは「快楽かいらく」であり、同郷どうきょうじん詩人しじんヌージェは、マグリットはこの作品さくひんでフロイトの快楽かいらく原則げんそくをさらに探求たんきゅうし、「快楽かいらく残虐ざんぎゃくさ」をえがいているという[79]

アルフレッド・ジャリソポクレスの『オイディプスおう』に着想ちゃくそういた演劇えんげきユビュおう』(1896ねん刊行かんこう)は、シュルレアリスムの先駆せんく不条理ふじょうり演劇えんげき先駆せんくとされる作品さくひんであり[80]、ミロの一連いちれんの「ユビュ」作品さくひん[81]、エルンストの《オイディプスおう》(1922ねん)、《ユビュ皇帝こうてい》(1923ねん)など、人間にんげんしん混沌こんとんとした未知みち領域りょういき、グロテスクで不気味ぶきみ形象けいしょうとしてシュルレアリストがかえげた題材だいざいである[82]写真しゃしんドラ・マールのフォト・モンタージュ作品さくひん《ユビュおう肖像しょうぞう》(1936ねん)では、アルマジロ胎児たいじったネガフィルム使つかい、ぞうのような形象けいしょうにより不気味ぶきみさが強調きょうちょうされている[83]。ヴィクトル・ブローネルの水彩すいさい《K奇妙きみょう事例じれい》(1934ねん)も「ユビュおう」に着想ちゃくそう作品さくひんで、当時とうじ欧州おうしゅう台頭たいとうしつつあった独裁どくさいしゃ不気味ぶきみ形象けいしょうとしてブルトンに絶賛ぜっさんされた(おなねん油彩ゆさい《ヒトラー》も発表はっぴょうしている)[49][84][85]おなじく1934ねん制作せいさく油彩ゆさい《K集中しゅうちゅうりょく》ではさらにふとった男性だんせい裸体らたいセルロイドせいちいさい人形にんぎょうをたくさんけて不気味ぶきみさを強調きょうちょうしている[86]

このほか、ピカソがえがいた牛頭ごず人身じんしん怪物かいぶつミノタウロス」、アンドレ・マッソンのおなじく「ミノタウロス」や恍惚こうこつ状態じょうたい神託しんたくげた「ピューティアー」、または迷宮めいきゅうのモチーフ、ミロが1935ねんから1936ねんにかけて制作せいさくした一連いちれん絵画かいが変身へんしん』などの神話しんわ伝説でんせつ形象けいしょう・モチーフが無意識むいしき表象ひょうしょうとしてげられている。

また、女性じょせい眼球がんきゅう剃刀かみそりるシーンではじまるブニュエルとダリの『アンダルシアのいぬ』(1928ねん)は、「不気味ぶきみなもの」をもっと強力きょうりょく表現ひょうげんした映画えいがとして、ヒッチコック監督かんとく作品さくひんとくに『とり』(1963ねん)などに影響えいきょうあたえることになる[87]

客観きゃっかんてき偶然ぐうぜん[編集へんしゅう]

デペイズマン[編集へんしゅう]

シュルレアリストによって発掘はっくつされたロートレアモンの『マルドロールのうた英語えいごばん』(1868ねん)の一節いっせつ解剖かいぼうだいじょうのミシンとこうもりがさ偶然ぐうぜん出会であい(のようにうつくしい)」は、デペイズマンことなった環境かんきょうしょうじる違和感いわかん不安ふあんかん驚異きょうい)のれいとしてげられることがおおく、シュルレアリスムではデ・キリコマグリットエルンスト作品さくひん特徴とくちょうとされる[88]一方いっぽうで、ロシア・フォルマリズムシクロフスキーによって提唱ていしょうされた異化いかちか概念がいねんでもあり[88]、ブルトンはこれを「客観きゃっかんてき偶然ぐうぜんフランス語ふらんすごばん」の概念がいねんとして提唱ていしょうした。すなわち、偶然ぐうぜんによる2つのものの接近せっきん出会であいによって「現実げんじつなかひそちょう現実げんじつ露呈ろていし、不可思議ふかしぎ驚異きょうい)が現出げんしゅつする」瞬間しゅんかんである[89]

コラージュ[編集へんしゅう]

エルンストが《ちかづく思春期ししゅんき……(すばる)》(1921ねん)などおおくの作品さくひんもちいたコラージュ技法ぎほうもこのような発想はっそうもとづいている。キュビスムのコラージュ(パピエ・コレ)とシュルレアリスムのコラージュのちがいは、パピエ・コレでは、あらかじめ意図いとされた視覚しかくてき効果こうかがあり、そのために複数ふくすう要素ようそわせるのにたいして、エルンストのコラージュは、あらかじめ意図いとされたものではなく、既存きそん印刷物いんさつぶつ写真しゃしんわせることで、その偶然ぐうぜんせいによってされるおどろきや詩的してきイメージが重要じゅうようになることである[90]。エルンストは絵画かいがとしてだけでなく、コラージュ作品さくひん小説しょうせつわせて「ロマン・コラージュ(コラージュ小説しょうせつ)」として発表はっぴょうした[ちゅう 8]。こうしたエルンストのコラージュについてアラゴンは「挑戦ちょうせんする絵画かいが」とだいする評論ひょうろん発表はっぴょうした[90]。パピエ・コレ、コラージュの発想はっそうからのちモンタージュアサンブラージュ技法ぎほうまれることになる[91]

フロッタージュ、グラッタージュ[編集へんしゅう]

客観きゃっかんてき偶然ぐうぜん」の概念がいねんもとづいてエルンストがした技法ぎほうは、このほかにもフロッタージュ(こすりし)、グラッタージュけずし)などがある。フロッタージュは、木目もくめいた床板とこいたから着想ちゃくそう技法ぎほうで、いたいしなどの表面ひょうめん直接ちょくせつてて、その凹凸おうとつ鉛筆えんぴつなどでこすり方法ほうほうである。《ぜん都市とし》(1934ねん)などがこの技法ぎほうえがかれている[92]

フロッタージュの応用おうようであるグラッタージュは、キャンバスうえ数種類すうしゅるい絵具えのぐ層状そうじょうかさね、これを凹凸おうとつのある物体ぶったいうえせ、つぎパレットナイフ絵具えのぐそうけずって、ぬりそう物体ぶったい模様もよううつ技法ぎほうである。代表だいひょうさくに《もりばと》(1927ねん)がある[93]

デカルコマニー[編集へんしゅう]

同様どうよう発想はっそうによるデカルコマニー転写てんしゃ)は、1936ねんの『ミノトール』発表はっぴょうされたオスカル・ドミンゲス作品さくひん最初さいしょのものとされる[94]。2つりにしたかみ絵具えのぐれ、ふたたひらいて偶発ぐうはつてき模様もよう方法ほうほうであり、これを絵画かいが応用おうようすると、支持しじたい基底きていざい)や絵具えのぐ性質せいしつによってことなった効果こうかしょうじる[95]

優美ゆうび屍骸しがい[編集へんしゅう]

優美ゆうび屍骸しがい」は絵画かいが文学ぶんがく両方りょうほうにおいておこなわれた共同きょうどう制作せいさくである。言葉ことばによる場合ばあいは、たとえば4にんがそれぞれ任意にんいえらんだ主語しゅご述語じゅつご目的もくてき補語ほごわせる。素描そびょう場合ばあいは、かみを4つりにしてつなぎしるしだけけ、各自かくじさきえがかれたないで順番じゅんばんに(つなぎしるしから)つづきをえがいていくという方法ほうほうである。「優美ゆうび屍骸しがい」という言葉ことばは、5にんがそれぞれえらんだ言葉ことばわせてできた「優美ゆうび屍骸しがいあたらしい葡萄酒ぶどうしゅむ(Le cadavre / exquis / boira / le vin / nouveau)」によるものである[96]。『シュルレアリスム革命かくめいだい9・10合併がっぺいごう(1927ねん10がつ、テーマ「自動じどう記述きじゅつ」)には、言葉ことばによる「優美ゆうび屍骸しがい作品さくひんのほか、素描そびょう作品さくひんも5てん掲載けいさいされ[97]、これ以後いごおもにエルンスト、マッソン、ブルトン、タンギー、ブローネル、マックス・モリーズフランス語ふらんすごばんジャック・エロルドフランス語ふらんすごばんらによって制作せいさくされた[96][98]。また、1948ねんにはポルトガルのシュルレアリスムの画家がかアントニオ・ドミンゲス、フェルナンド・アゼヴェド、アントニオ・ペドロ、モニーツ・ペレイラによって油彩ゆさいによる「優美ゆうび屍骸しがい」の大作たいさく(150 x 180 cm)が発表はっぴょうされた[99]

さらに造形ぞうけいにおいても、テーブルに女性じょせい頭部とうぶ切断せつだんされたヴェール多面体ためんたい配置はいちしたジャコメッティの《テーブル》[100]オオカミ実際じっさいにはキツネ)の剥製はくせい頭部とうぶをテーブルの前後ぜんご固定こていしたブローネルの代表だいひょうさくおおかみ-テーブル》(1939ねん)など、客観きゃっかんてき偶然ぐうぜん、デペイズマン、あるいは「不気味ぶきみなもの」をあらわす作品さくひん制作せいさくされた[101]

その技法ぎほう[編集へんしゅう]

シュルレアリスムの技法ぎほうとしては、このほか、ヴォルフガング・パーレン考案こうあんしたフュマージュ、ダリ独自どくじの「偏執狂へんしゅうきょうてき批判ひはんてき方法ほうほうフランス語ふらんすごばん」、また、シュルレアリスム独自どくじ技法ぎほうではないがダリやマグリットの作品さくひん特徴とくちょうとしてげられるトロンプ・ルイユ(だまし[102]などがある。フュマージュれたキャンバス(のち水彩すいさい絵具えのぐえがいたキャンバス)の表面ひょうめんろうそくけむりいぶしてくろあとける技法ぎほうであり、幻影げんえい亡霊ぼうれいゆめなどを表現ひょうげんするオートマティスムの技法ぎほうとして、ダリも作品さくひん一部いちぶ使用しようしている[103][104]

ダリの偏執狂へんしゅうきょうてき批判ひはんてき方法ほうほうは、フロイトの精神せいしん分析ぶんせきリヒャルト・フォン・クラフト=エビングの『性的せいてき精神病せいしんびょうしつPsychopathia sexualis)』にふか関心かんしんいていたダリが、これらを独自どくじ解釈かいしゃくして1930年代ねんだい絵画かいが理論りろんとして提唱ていしょうしたものであり、オートマティスムとは対照たいしょうてきに、技巧ぎこうてき緻密ちみつ表現ひょうげんである[105]

トロンプ・ルイユ作品さくひん多数たすう制作せいさくしたのは16世紀せいきイタリア画家がかジュゼッペ・アルチンボルドであり、その奇抜きばつさ、独創どくそうせいによって20世紀せいきになってから、おもにシュルレアリストによって発掘はっくつさい評価ひょうかされた画家がかである[13]

なお、絵画かいがにおけるオートマティスムは、抽象ちゅうしょう表現ひょうげん主義しゅぎアンフォルメルなどの絵画かいが運動うんどう、さらにはアクション・ペインティングなどの表現ひょうげん様式ようしきむきかっけとなった[58]

シュルレアリスムの先駆せんくしゃ[編集へんしゅう]

シュルレアリスムの先駆せんくしゃ、シュルレアリスムに影響えいきょうあたえた作家さっか画家がか、またはシュルレアリストによって発掘はっくつさい評価ひょうかされた作家さっか画家がかは、おもドイツ・ロマン主義しゅぎ幻想げんそう文学ぶんがく幻想げんそう絵画かいが象徴しょうちょう主義しゅぎゴシック美術びじゅつゴシック小説しょうせつ作家さっかまたは画家がか、および当時とうじ異色いしょくとされたイタリア・ルネサンス一部いちぶ画家がかである。文学ぶんがくについては、『シュルレアリスム革命かくめい、『ミノトール』などのシュルレアリスム運動うんどう機関きかん、およびブルトンが1940ねん編纂へんさんした『くろいユーモア選集せんしゅうフランス語ふらんすごばん』で紹介しょうかいされた。画家がかについてもこれらの機関きかんのほか、かく作家さっか評論ひょうろん随筆ずいひつ発表はっぴょうしている。たとえばスーポーの『ウィリアム・ブレイク』(1928ねん)、『パオロ・ウッチェロ』(1929ねん)、『ロートレアモン』(1946ねん)、エリュアールの『芸術げいじゅつ論集ろんしゅう』(ぜん3かん、1952-54ねん[106]、ブルトンの『ちょう現実げんじつ主義しゅぎ絵画かいが』(1928ねん)などである[107]

作家さっか[編集へんしゅう]

画家がか[編集へんしゅう]

日本にっぽんにおけるシュルレアリスム[編集へんしゅう]

概要がいよう[編集へんしゅう]

尾澤おざわ辰夫たつおふでかも1938ねん

日本にっぽんにおけるシュルレアリスムは1920年代ねんだい後半こうはんにまずはにおいて開花かいかし、1930年代ねんだい美術びじゅつへと波及はきゅうした[よう出典しゅってん]

詩人しじんでは、冨士原ふじわら清一せいいち西脇にしわき順三郎じゅんざぶろう瀧口たきぐち修造しゅうぞう北園きたぞの克衛かつえ友部ともべ正人まさとともかわかずき棚夏針手たなかはりてなど。小説しょうせつでは安部あべ公房こうぼうすぐれた作品さくひんのこしている。

画家がかには、古賀こが春江はるえ福沢ふくさわ一郎いちろう阿部あべ金剛こんごう北脇きたわきのぼる三岸みぎし好太郎こうたろう米倉よねくら壽仁としひと岡本おかもとからたか靉光あいみつ寺田てらだ政明まさあき鎌田かまた正蔵しょうぞうすぎちょんただし大塚おおつかこう矢崎やさき博信ひろのぶ浅原あさはら清隆きよたか小山田おやまだ二郎じろう西村にしむら元三もとぞうろう山下やましたきく植月うえつき英俊ひでとしなどがいる。 写真しゃしんでは、山本やまもと悍右などがいる。

漫画まんがさかいでは、不条理ふじょうり漫画まんがといわれ、つげ義春よしはるねじしき1968ねん月刊げっかんガロ』6がつ増刊ぞうかんごう発表はっぴょう)によってはじめてシュルレアリスムてき表現ひょうげん可能かのうせいひらかれ[よう出典しゅってん]漫画まんがかいのみならずおおくの知識ちしきじん芸術げいじゅつなどに多大ただい影響えいきょうあたえるとともに全共闘ぜんきょうとう世代せだい圧倒的あっとうてき支持しじ[よう出典しゅってん]

日本にっぽんにおけるシュルレアリスムは、ネオ・ダダ系譜けいふにある雑誌ざっし『ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム』(1924ねん-1926ねん[108])から北園きたぞの克衛かつえ稲垣足穂いながきたるほ宇留かわたいりょが、冨士原ふじわら清一せいいちの『れつ』に合流ごうりゅうして日本にっぽん最初さいしょのシュルレアリスム専門せんもん雑誌ざっし薔薇ばら魔術まじゅつ学説がくせつ』(1927ねん-1928ねん冨士原ふじわら清一せいいち主宰しゅさい[109] )が創刊そうかんされるなど、初期しょきにおいてダダからのながれが重要じゅうよう役割やくわりはたした。

また、愛知あいちけんでは文化ぶんかじんあいだでシュルレアリスムが流行りゅうこう[110]とく愛知あいちけん名古屋なごやはシュルレアリストの拠点きょてんとなっていた。その理由りゆうとして、愛知あいちけん在住ざいじゅう詩人しじんである山中さんちゅうなまがフランスのシュルレアリストと書簡しょかん交流こうりゅうしており[110]愛知あいちけんにはフランスのシュルレアリスムの情報じょうほう直接ちょくせつもたらされていたことがげられる[110]おなじく愛知あいちけん在住ざいじゅう画家がかであった下郷しもごうひつじゆうも、山中さんちゅうなま感化かんかされてシュルレアリスムに傾倒けいとう[110]、やがて愛知あいちけんのシュルレアリストの中心ちゅうしん人物じんぶつとなっていった[110]当地とうちにおけるシュルレアリスムの興隆こうりゅうは、のちに「名古屋なごやのシュルレアリスム」としょうされる一大いちだいムーブメントとなった。名古屋なごやのシュルレアリスムの系譜けいふつらなるものとしては、画家がか尾澤おざわ辰夫たつおらがいる。

俗語ぞくごとしてのシュルレアリスム[編集へんしゅう]

1990年代ねんだい末期まっきごろから、日本にっぽんのメディアや俗語ぞくごにおいて「シュール」であるということは、ちょう現実げんじつ主義しゅぎ意味いみから逸脱いつだつして「ナンセンス」「不条理ふじょうり」であるという意味いみ使つかわれるようになった。あくまで「シュールな」「シュールだ」というように略称りゃくしょうでのみ使つかわれ、本来ほんらいのシュルレアリスムからは独立どくりつしたべつ概念がいねんとしてあつかわれている。

研究けんきゅう[編集へんしゅう]

  • 近年きんねん日本にっぽんにおいてシュールレアリスム研究けんきゅうおよ大学だいがくにおけるシュールレアリスムの講義こうぎならびに実技じつぎ自由じゆう連想れんそうほうもちいたディスカッションをふくむ)をおこなっている人物じんぶつとして多田ただ夏雄なつおげられる。著書ちょしょとしてシュールレアリスムろんぶんぼし芸術げいじゅつ大学だいがく紀要きよう)。
  • シュールレアリスム研究けんきゅう 黒沢くろさわ義輝よしてる戦前せんぜん日本にっぽんにおけるシュールレアリスム研究けんきゅう第一人者だいいちにんしゃである[よう出典しゅってん]
  • メディアアートの講義こうぎにおいてデペイズマンなどシュルレアリスムの技法ぎほう解説かいせつおこなっている人物じんぶつとして中野なかのけいがいる[よう出典しゅってん]

関連かんれん文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 鈴木すずき雅雄まさおはやし道郎みちお『シュルレアリスム美術びじゅつかたるために』(水声すいせいしゃ、2011)ISBN 9784891768348
  • 酒井さかいけん『シュルレアリスム : わりなき革命かくめい』(中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ中公新書ちゅうこうしんしょ〉、 2011)ISBN 9784121020949
  • 谷川たにがわ渥『シュルレアリスムのアメリカ』(みすず書房しょぼう、2009)ISBN 9784622074090
  • 速水はやみゆたか『シュルレアリスム絵画かいが日本にっぽん : イメージの受容じゅよう創造そうぞう』(日本にっぽん放送ほうそう出版しゅっぱん協会きょうかい、2009)ISBN 9784140911358
  • 鈴木すずき雅雄まさお『シュルレアリスム、あるいは痙攣けいれんする複数ふくすうせい』(平凡社へいぼんしゃ、2007)ISBN 9784582702743
  • 巌谷いわや國士くにお『シュルレアリスムとはなにか』(筑摩書房ちくましょぼう〈ちくま学芸がくげい文庫ぶんこ〉、2002)ISBN 4480086781
  • アンドレ・ブルトン『シュルレアリスム宣言せんげんけるさかな』(巖谷いわや國士くにおやく岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ文庫ぶんこ〉、1992)ISBN 4003259017
  • アンドレ・ブルトン『ナジャ』(巖谷いわや國士くにおやく岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ文庫ぶんこ〉、2003)ISBN 4003259025
  • アンドレ・ブルトン『魔術まじゅつてき芸術げいじゅつ 普及ふきゅうばん』(巖谷いわや國士くにお谷川たにがわ渥ほかやく河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2002、新版しんぱん2017)ISBN 430927904X
  • アンドレ・ブルトン『ちょう現実げんじつ主義しゅぎ宣言せんげん』(生田いくた耕作こうさくやく中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ中公ちゅうこう文庫ぶんこ〉、1999)ISBN 412203499X
  • 水声すいせい通信つうしん:20 思想しそうのなかのシュルレアリスム 』(水声すいせいしゃ、2007ねん)
  • 水声すいせい通信つうしん:23 シュルレアリスム美術びじゅつをどうかたるか』(水声すいせいしゃ、2008ねん)
  • 水声すいせい通信つうしん:25 シュルレアリスム美術びじゅつはいかにして可能かのうか』(水声すいせいしゃ、2008ねん)
  • 巖谷いわや國士くにおへん 『ユリイカ 批評ひひょう そう特集とくしゅうダダ・シュルレアリスムの21世紀せいき』、2016ねん8がつ臨時りんじ増刊ぞうかんごう青土おうづちしゃ
  • 巌谷いわや國士くにおへん 『ユリイカ シュルレアリスム』、1993ねん8がつ臨時りんじ増刊ぞうかんごう青土おうづちしゃ
  • さわただしひろし和田わだ博文ひろぶみへん日本にっぽんのシュールレアリスム』(世界せかい思想しそうしゃ、1995ねん

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 日本にっぽんでは「ちょう現実げんじつ主義しゅぎ」のほか、カタカナ表記ひょうきフランス語ふらんすご英語えいご発音はつおん混同こんどうされ「シュールレアリスム」、「シュールリアリスム」、「シュールレアリズム」、「シュールリアリズム」、「シュルレアリズム」、「シュルリアリズム」、「シュルリアリスム」などの表記ひょうきれがある。
  2. ^ フランス語ふらんすご発音はつおん: [sy(ʁ)ʁealism]
  3. ^ 英語えいご発音はつおん: [səˈri(ə)lɪz(ə)m]
  4. ^ ジャン=ルイ・ベドゥアンの邦訳ほうやくには、著書ちょしょ『シュルレアリスムの20ねん 1939-1959』(三好みよし郁朗いくろうわけ法政大学ほうせいだいがく出版しゅっぱんきょく(りぶらりあ選書せんしょ)1971ねん)のほか、かれ編纂へんさんした『アンドレ・ブルトン』(稲田いなだ三吉さんきち笹本ささもとたかしともやく思潮しちょうしゃ(セリ・ポエティク)1969ねん)、『ブルトン詩集ししゅう』(稲田いなだ三吉さんきち笹本ささもとたかしどもやく思潮しちょうしゃ、1974ねん)がある。
  5. ^ ラモン・ゴメス・デ・ラ・セルナの邦訳ほうやくには、『グレゲリーアしょう』(2007ねん)、『乳房ちぶさしょう』(2008ねん)、『サーカス ― えもわれぬうつくしさの、きらびやかにして、永遠えいえんなる』(2018ねん)などがある。いずれも平田ひらたわたるやく関西大学かんさいだいがく出版しゅっぱん関西大学かんさいだいがく東西とうざい学術がくじゅつ研究所けんきゅうじょ訳注やくちゅうシリーズ)。
  6. ^ ヴィーチェスラフ・ネズヴァルは『せい夜想曲やそうきょく - チェコ・シュルレアリスムの〈エロス〉と〈ゆめ〉』(赤塚あかつかわかやくふう濤社、2015ねん)やゴシック小説しょうせつ少女しょうじょヴァレリエと不思議ふしぎいち週間しゅうかん』(赤塚あかつかわかやくふう濤社、2014ねん)をあらわしている。
  7. ^ 最初さいしょ邦訳ほうやくは、1952ねん青柳あおやぎ瑞穂みずほ翻訳ほんやくにより木馬もくばしゃから刊行かんこうされた。
  8. ^ 邦訳ほうやくに『ひゃくとうおんな』(1996ねん)、『カルメル修道しゅうどうかいにゅうろうとしたある少女しょうじょゆめ』(1996ねん)、『慈善じぜん週間しゅうかんまたはななだい元素げんそ』(1997ねん)がある。いずれも、巌谷いわや国士くにおわけ河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ河出かわで文庫ぶんこかん

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ André Breton (1985) (フランス語ふらんすご). Manifestes du surréalisme. Folio. Gallimard. p. 36 
  2. ^ シュルレアリスムと絵画かいが”. ポーラ美術館びじゅつかん (2022ねん6がつ14にち). 2020ねん3がつ11にち閲覧えつらん
  3. ^ 浅野あさのあきら解説かいせつ」、浅野あさのあきらへん『フランス詩集ししゅう白鳳はくほうしゃ、1986ねん、200ぺーじ
  4. ^ 歴史れきし - 1887-1930 カフェ・ド・フロールでのシュルレアリスムの誕生たんじょう”. Café de Flore. 2020ねん3がつ12にち閲覧えつらん
  5. ^ 窪田くぼた般彌. “アポリネール”. コトバンク. 小学しょうがくかん日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)』. 2020ねん3がつ16にち閲覧えつらん
  6. ^ 《ティレジアスの乳房ちぶさ”. コトバンク. 2020ねん3がつ16にち閲覧えつらん
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