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{{Infobox 両国関係|日仏|Japan|France|日本|フランス}} |
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{{Infobox 両国関係|日仏|Japan|France}} |
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'''日仏関係'''(にちふつかんけい、{{lang-fr|Relations Franco–Japonaises}})では、[[日本]]と[[フランス]]の両国関係について総合的に述べる。 |
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'''日仏関係'''(にちふつかんけい、{{lang-fr|Relations Franco–Japonaises}})では、[[日本]]と[[フランス]]の両国関係について総合的に述べる。 |
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==概説== |
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==概説== |
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日仏関係の歴史は17世紀初頭にまで遡り、[[スペイン]]から海路[[ローマ]]に向かっていた日本の[[慶長遣欧使節]]が1615年に南フランスに上陸したことに始まる。 |
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日仏関係の歴史は[[17世紀]]初頭にまで遡り、[[スペイン帝国|スペイン]]から海路[[ローマ]]に向かっていた日本の[[慶長遣欧使節]]が[[1615年]]に南フランスに上陸したことに始まる。 |
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およそ2世紀に渡る[[鎖国]]政策が解かれ、両国は[[19世紀]]後半以降[[軍事]]・[[経済]]・[[法律]]・[[芸術]]分野において重要な関係を築いていった。[[江戸幕府]]は[[ジュール・ブリュネ]]ら[[軍事顧問|軍事顧問団]]を通じて軍備の近代化を進め、明治政府も陸軍兵制にフランス式を導入した。またその後も日本はさまざまな分野で特に[[ルイ=エミール・ベルタン]]は[[大日本帝国海軍]]の創設期において[[造船]]産業の発展に寄与し、また[[法令]]の整備などについても[[ギュスターヴ・エミール・ボアソナード]]などフランスの支援を受けていた。その後の日仏関係は他国との関係に左右され、[[第二次世界大戦]]では両国軍が交戦し、戦後はフランス政府による日本占領への間接的関与も起こったが、外交関係の回復後は概ね良好な関係を維持している。ただし時として経済・文化面での不満が特にフランス側から提起される事象もある。 |
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およそ2世紀に渡る[[鎖国]]政策が解かれ、両国は[[19世紀]]後半以降[[軍事]]・[[経済]]・[[法律]]・[[芸術]]分野において重要な関係を築いていった。[[江戸幕府]]は[[ジュール・ブリュネ]]ら[[軍事顧問|軍事顧問団]]を通じて軍備の近代化を進め、明治政府も[[大日本帝国陸軍|陸軍]]兵制にフランス式を導入した。またその後も日本はさまざまな分野で特に[[ルイ=エミール・ベルタン]]は[[大日本帝国海軍]]の創設期において[[造船]]産業の発展に寄与し、また[[法令]]の整備などについても[[ギュスターヴ・エミール・ボアソナード]]など[[フランス第三共和政|フランス]]の支援を受けていた。ただし、明治政府([[大日本帝国]])は[[戊辰戦争]]や[[普仏戦争]]の結果を受け、イギリス([[イギリス帝国]])や[[ドイツ帝国]]の方が近代化モデルに好適と考え、フランスの影響は両国と比較すると相対的に小さくなった。 |
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その後の日仏関係は他国との関係に左右され、[[第二次世界大戦]]では両国軍が交戦し、戦後は[[フランス第四共和政|フランス政府]]による日本占領への間接的関与も起こったが、外交関係の回復後は概ね良好な関係を維持している。ただし時として経済・文化面での不満が特にフランス側から提起される事象もある。 |
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フランスは近代芸術において日本の[[美術]]すなわち[[ジャポニスム]]に感化されている点があり、また[[印象派]]などに影響を与えた。またフランスで繁栄した[[絹織物]]産業は日本の支援を受けていた。一方で日本でもフランス文化は幅広く受容され、[[フランス語]]は大学での第2外国語などで幅広く学ばれている。 |
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フランスは近代芸術において日本の[[美術]]すなわち[[ジャポニスム]]に感化されている点があり、また[[印象派]]などに影響を与えた。またフランスで繁栄した[[絹織物]]産業は日本の支援を受けていた。一方で日本でも[[フランス文化]]は幅広く受容され、特に絵画や彫刻を顕著に、日本の美術は若手から大家まで数多くの芸術家が現地渡航や知識の摂取などで強烈な影響をフランスから受け、これは映画やファッションなど芸術分野の全般に及んだ。また、国際法や国際組織では[[フランス語]]が[[英語]]と並んで主流となっている側面もあり、大学での第2外国語などではフランス語が幅広く学ばれている。 |
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== 両国の比較 == |
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== 両国の比較 == |
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| '''[[人口]]''' |
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| 1億2711万人(2015年<ref>[https://www.stat.go.jp/data/kokusei/2015/kekka/pdf/gaiyou.pdf 平成27年国勢調査人口速報集計 結果の概要] - 2016年2月26日</ref>) |
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| 1億2614万6000人(2020年10月<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.stat.go.jp/data/kokusei/2020/kekka/pdf/summary_01.pdf|title=令和2年国勢調査 人口等基本集計 結果の要約|date=2021-11-30|publisher=総務省|format=PDF|accessdate=2022-03-09|archiveurl=https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11969009/www.stat.go.jp/data/kokusei/2020/kekka/pdf/summary_01.pdf|archivedate=2021-12-01|url-status=live}}</ref>) |
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| 6633万人(2016年<ref name="Basic data of France by MOFAJ">[https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/france/data.html フランス基礎データ | 外務省]</ref>) |
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| 6706万人(2020年1月<ref name="Basic data of France by MOFAJ">{{Cite web|和書|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/france/data.html|title=フランス共和国基礎データ|date=2021-03-17|work=国・地域|publisher=外務省|accessdate=2022-03-11|archiveurl=https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11778108/www.mofa.go.jp/mofaj/area/france/data.html|archivedate=2021-10-01|url-status=live}}</ref>) |
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| '''国土面積''' |
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| '''国土面積''' |
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| 37万7972平方キロメートル<ref>[http://www.stat.go.jp/data/nihon/pdf/16nikkatu.pdf 日本の統計2016 第1章~第29章 | 総務省統計局]</ref> |
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| 37万7975平方キロメートル<ref>{{Cite book|url=https://www.stat.go.jp/data/nihon/pdf/22nihon.pdf|title=日本の統計2022|chapter=第1章 国土・気象|page=2|date=2022年3月|publisher=総務省統計局|format=PDF|accessdate=2022-03-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220309042516/https://www.stat.go.jp/data/nihon/pdf/22nihon.pdf|archivedate=2022年3月9日|url-status=live}}</ref> |
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| 54万4000平方キロメートル<ref name="Basic data of France by MOFAJ"></ref> |
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| 54万4000平方キロメートル<ref name="Basic data of France by MOFAJ" /> |
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| '''[[首都]]''' |
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| '''[[首都]]''' |
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| '''最大都市''' |
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| '''最大都市''' |
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| [[東京]] |
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| [[東京都区部]] |
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| [[パリ]] |
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| [[パリ]] |
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| '''[[政体]]''' |
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| '''[[政体]]''' |
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| [[議院内閣制]]、立憲君主国{{efn|解釈が異なる見解については、[[立憲君主制#注釈|立憲君主制]]の項にある注釈の中の記載を参照。}} |
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| 議院内閣制 立憲君主国 |
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| 半大統領制 共和国 |
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| [[半大統領制]]、[[共和国]] |
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| '''[[公用語]]''' |
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| '''[[公用語]]''' |
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| '''[[国内総生産|GDP]](名目)''' |
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| '''[[国内総生産|GDP]](名目)''' |
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| 5兆648億7300万[[アメリカ合衆国ドル|米ドル]](2020年<ref name="GDP Ranking">{{Cite web|url=https://databank.worldbank.org/data/download/GDP.pdf|title=Gross domestic product 2020|date=2021-10-29|publisher=世界銀行|language=en|format=PDF|accessdate=2022-03-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220305223725/https://databank.worldbank.org/data/download/GDP.pdf|archivedate=2022-03-05|url-status=live}}</ref>) |
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| 4兆1162億4200万米ドル(2015年<ref name="IMF"></ref>) |
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| 2兆6030億400万米ドル(2020年<ref name="GDP Ranking" />) |
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| 2兆4226億4900万米ドル(2015年<ref name="IMF">[http://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2015/02/weodata/weorept.aspx?pr.x=70&pr.y=7&sy=2015&ey=2020&scsm=1&ssd=1&sort=country&ds=.&br=1&c=512%2C668%2C914%2C672%2C612%2C946%2C614%2C137%2C311%2C962%2C213%2C674%2C911%2C676%2C193%2C548%2C122%2C556%2C912%2C678%2C313%2C181%2C419%2C867%2C513%2C682%2C316%2C684%2C913%2C273%2C124%2C868%2C339%2C921%2C638%2C948%2C514%2C943%2C218%2C686%2C963%2C688%2C616%2C518%2C223%2C728%2C516%2C558%2C918%2C138%2C748%2C196%2C618%2C278%2C624%2C692%2C522%2C694%2C622%2C142%2C156%2C449%2C626%2C564%2C628%2C565%2C228%2C283%2C924%2C853%2C233%2C288%2C632%2C293%2C636%2C566%2C634%2C964%2C238%2C182%2C662%2C453%2C960%2C968%2C423%2C922%2C935%2C714%2C128%2C862%2C611%2C135%2C321%2C716%2C243%2C456%2C248%2C722%2C469%2C942%2C253%2C718%2C642%2C724%2C643%2C576%2C939%2C936%2C644%2C961%2C819%2C813%2C172%2C199%2C132%2C733%2C646%2C184%2C648%2C524%2C915%2C361%2C134%2C362%2C652%2C364%2C174%2C732%2C328%2C366%2C258%2C734%2C656%2C144%2C654%2C146%2C336%2C463%2C263%2C528%2C268%2C923%2C532%2C738%2C944%2C578%2C176%2C537%2C534%2C742%2C536%2C866%2C429%2C369%2C433%2C744%2C178%2C186%2C436%2C925%2C136%2C869%2C343%2C746%2C158%2C926%2C439%2C466%2C916%2C112%2C664%2C111%2C826%2C298%2C542%2C927%2C967%2C846%2C443%2C299%2C917%2C582%2C544%2C474%2C941%2C754%2C446%2C698%2C666&s=NGDPD%2CPPPGDP&grp=0&a= Report for Selected Countries and Subjects | International Monetary Fund] {{en icon}}</ref>) |
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| '''[[軍事費|防衛費]]''' |
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| '''[[軍事費|防衛費]]''' |
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| 491億米ドル(2020年<ref name="SIPRI">{{Cite journal|url=https://www.sipri.org/sites/default/files/2021-04/fs_2104_milex_0.pdf|title=Trends in World Military Expenditure, 2020|journal=SIPRI Fact Sheet|date=April 2021|publisher=[[ストックホルム国際平和研究所]]|language=en|format=PDF|accessdate=2022-03-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220308094719/https://www.sipri.org/sites/default/files/2021-04/fs_2104_milex_0.pdf|archivedate=2022年3月8日|url-status=live}}</ref>) |
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| 409億米ドル(2015年<ref name="SIPRI"></ref>) |
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| 527億米ドル(2020年<ref name="SIPRI" />) |
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| 509億米ドル(2015年<ref name="SIPRI">[http://books.sipri.org/files/FS/SIPRIFS1604.pdf SIPRI Fact Sheet, April 2016] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20160420171221/http://books.sipri.org/files/FS/SIPRIFS1604.pdf |date=2016年4月20日 }} {{en icon}} - 2016年4月</ref>) |
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== 日仏関係史 == |
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== 日仏関係史 == |
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=== 18世紀以前 === |
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=== 18世紀以前 === |
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[[Image:Iwai Yozaemon, armatura di samurai, 1580-90 ca.jpg|left|thumb|150px|家康からオランダへ贈られた甲冑であるが、ルイ14世がオランダを侵攻した際の戦利品としてフランスに持ち帰り、東国を知る象徴としてベルサイユ宮殿の天井画にこの甲冑が描かれている]] |
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[[Image:Faxicura.jpg|left|thumb|150px|17世紀にフランスを訪れた支倉常長]] |
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[[Image:Hasekura_Tsunenaga_Portrait_by_Raphael_Sadeler_II_1615.png|left|thumb|150px|17世紀にフランスを訪れた支倉常長]] |
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* 1615年 - [[仙台藩]]の[[伊達政宗]]がローマに派遣した[[慶長遣欧使節]]の[[支倉常長]]が[[サントロペ]]に上陸、この出来事がフランスと日本の初めての接触とされる。 |
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* 1600年代から1610年代 - 同年代作製の日本甲冑がフランスに4領現存する。形式から[[徳川家康]]が贈ったものと見られる。ただし、そのうちの最も知られているヴェルサイユ宮殿の鏡の廊下に描かれている甲冑は、[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]がゲント(当時オランダ戦争を繰り広げていた)からの戦利品であることが天井画に記されており、甲冑の現物はパリのアンヴァリッド廃兵院(軍事博物館)にあることから、フランスとの直接的関係があるものではないが、当時の為政者であるルイ14世が日本を意識していたことを示す史料と考えることができる。ちなみにこれらの鎧は徳川家康と秀忠についていた甲冑師・岩井与左衛門の作品であることがわかるが、施された蒔絵の鶴丸紋から、森家、蒲生家あたりの由来が推察される。 |
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* 1619年 - フランスの[[ユグノー]]の家に生まれた[[フランソワ・カロン]]が[[オランダ東インド会社]]社員として日本に着任。フランス出身の人物が日本を訪れたのはこれが最初である。カロンは20年間日本に滞在し[[カピタン|商館長]]にまで出世し、帰国後の1664年に[[フランス東インド会社]]の設立時の社長となる。カロンは日本との交易も計画したが、これは実現しなかった<ref>日本は[[鎖国]]中であり[[カソリック]]国との交流は禁じられていたが、当時のフランス経済とくに海上交易においては、[[プロテスタント]]に分類されるユグノーの役割が大きかった([[ユグノー#ユグノーとフランス経済史]])。</ref>。 |
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* 1615年 - [[仙台藩]]主[[伊達政宗]]がローマに派遣した慶長遣欧使節の[[支倉常長]]が[[サントロペ]]に上陸、この出来事がフランスと日本の初めての接触とされる。 |
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* 1636年 - フランス・[[ドミニコ会]]の宣教師{{仮リンク|ギヨーム・クルテ|fr|Guillaume Courtet }}が日本に上陸する。クルテは[[江戸幕府]]が発した1613年の禁教令に反し、秘密裏に布教活動を行っていた。その後拘束、拷問を受け、1637年9月29日に[[薩摩藩]]の[[鹿児島]]で死亡した。 |
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* [[1619年]] - フランスの[[ユグノー]]の家に生まれた[[フランソワ・カロン]]が[[オランダ東インド会社]]社員として日本に着任。フランス出身の人物が日本を訪れたのはこれが最初である。カロンは20年間日本に滞在し[[カピタン|商館長]]にまで出世し、帰国後の[[1664年]]に[[フランス東インド会社]]の設立時の社長となる。カロンは日本との交易も計画したが、これは実現しなかった<ref>日本は[[鎖国]]中であり[[カソリック]]国との交流は禁じられていたが、当時のフランス経済とくに海上交易においては、[[プロテスタント]]に分類されるユグノーの役割が大きかった([[ユグノー#ユグノーとフランス経済史]])。</ref>。 |
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* 1640年から1780年までフランス人が日本を訪れたという記録は残っていない。 |
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* [[1636年]] - フランス・[[ドミニコ会]]の宣教師{{仮リンク|ギヨーム・クルテ|fr|Guillaume Courtet }}が日本に上陸する。クルテは江戸幕府が発した[[1613年]]の[[禁教令]]に反し、秘密裏に布教活動を行っていた。その後拘束、拷問を受け、[[1637年]][[9月29日]]に[[薩摩藩]]の[[鹿児島]]で死亡した。 |
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* 1787年 - [[ラ・ペルーズ伯ジャン=フランソワ・ド・ガロー|ラ・ペルーズ]]が日本の海域を航海する。ラ・ペルーズは[[琉球]]を訪れ、また[[北海道]]と[[樺太|サハリン]]の間にある海峡にその名がつけられた([[宗谷海峡]]のこと。国際的な正式名称は'''ラ・ペルーズ海峡'''である)。 |
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* [[1640年]]から[[1780年]]まで[[フランス人]]が日本を訪れたという記録は残っていない。 |
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* 1794年 - 1789年開始の[[フランス革命]]に関する情報が、[[長崎市|長崎]]・[[出島]]の[[オランダ商館]]が提出した[[オランダ風説書]]によって徳川幕府に伝えられる。 |
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* [[1787年]] - [[ラ・ペルーズ伯ジャン=フランソワ・ド・ガロー|ラ・ペルーズ]]が日本の海域を航海する。ラ・ペルーズは[[琉球王国|琉球]]を訪れ、また[[蝦夷地]]と[[樺太]]の間にある海峡にその名がつけられた([[宗谷海峡]]のこと。国際的な正式名称は'''ラ・ペルーズ海峡'''である)。 |
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* [[1794年]] - [[1789年]]開始の[[フランス革命]]に関する情報が、[[長崎市|長崎]]・[[出島]]の[[オランダ商館]]が提出した[[オランダ風説書]]によって幕府に伝えられる。 |
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=== 19世紀 === |
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=== 19世紀 === |
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* 1808年 - 出島のオランダ商館長[[ヘンドリック・ドゥーフ]]が日本人5人に対して[[フランス語]]を教える。 |
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* [[1808年]] - 出島のオランダ商館長[[ヘンドリック・ドゥーフ]]が[[日本人]]5人に対してフランス語を教える。 |
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* 1810年 - [[フランス帝国]]([[フランス第一帝政]])皇帝の[[ナポレオン・ボナパルト]]、オランダ本国([[ホラント王国]])を制圧して自らの[[フランス帝国]]に併合(-1814年)。出島のオランダ商館はフランスに従わず、オランダの商館として活動を継続。 |
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* [[1810年]] - [[フランス帝国]]([[フランス第一帝政]])皇帝の[[ナポレオン・ボナパルト]]、オランダ本国([[ホラント王国]])を制圧して自らのフランス帝国に併合(-[[1814年]])。出島のオランダ商館はフランスに従わず、オランダの商館として活動を継続。 |
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[[File:NapoleonStHelenaJapanesePrint.jpg|thumb|250px|セントヘレナで囚われの身のナポレオン(当時の日本の挿絵)]] |
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[[File:NapoleonStHelenaJapanesePrint.jpg|thumb|250px|セントヘレナで囚われの身のナポレオン(当時の日本の挿絵)]] |
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* 1844年 - 4月28日、アルクメネ号に搭乗した[[フォルニール=ドゥプラン]]大佐率いるフランス海軍の探検隊が[[沖縄諸島|沖縄]]([[琉球王国]])に到達する。交易は拒否されたが、[[テオドール=オギュスタン・フォルカード]]神父と通訳1人が沖縄に残る。 |
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* [[1844年]] - アルクメネ号に搭乗したフォルニール=ドゥプラン[[大佐]]率いる[[フランス海軍]]の探検隊が琉球に到達する。交易は拒否されたが、[[テオドール=オギュスタン・フォルカード]][[神父]]と通訳1人が琉球に残る。 |
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* 1846年 - 海軍少将{{仮リンク|ジャン=バティスト・セシール|fr|Jean-Baptiste Cécille}}が[[長崎港|長崎]]に到達するが、上陸を拒否される。 |
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* [[1846年]] - {{仮リンク|ジャン=バティスト・セシール|fr|Jean-Baptiste Cécille}}[[少将|海軍少将]]が長崎に到達するが、上陸を拒否される。 |
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[[Image:FirstJapaneseMission1862.JPG|thumb|250px|第1回遣欧使節(1862年)]] |
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[[Image:Bunkyu Japanese Embassy to Europe Matsudaira Takenouchi Kyogoku Shibata 1862.png|thumb|250px|第1回遣欧使節(1862年)]] |
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* 1855年 - <!-- アメリカ海軍の[[マシュー・ペリー]]による日本開国を受けて、10月15日、[[日仏和親条約]]を締結。-->11月24日、フランスは沖縄との間で条約を締結。 |
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* [[1855年]] - <!-- アメリカ海軍の[[マシュー・ペリー]]による日本開国を受けて、10月15日、[[日仏和親条約]]を締結。-->11月24日、フランスは琉球との間で条約を締結。 |
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* 1858年 - [[江戸]]においてフランスと日本(徳川幕府)との間での最初の条約となる[[日仏修好通商条約]]が調印され(フランス代表は[[ジャン・バティスト・ルイ・グロ|グロ男爵]])、両国間の外交関係が開設される([[不平等条約]])。 |
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* [[1858年]] - [[江戸]]においてフランスと日本との間での最初の条約となる[[日仏修好通商条約]]が調印され(フランス代表は[[ジャン・バティスト・ルイ・グロ]])、両国間の外交関係が開設される([[不平等条約]])。 |
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* 1859年 - 初代フランス特命全権公使[[ギュスターヴ・デュシェーヌ・ド・ベルクール]]が来日する。 |
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* [[1859年]] - 初代フランス特命全権公使[[ギュスターヴ・デュシェーヌ・ド・ベルクール]]が来日する。 |
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* 1862年 - 幕府により[[竹内保徳]]を長とする第1回遣欧使節([[文久遣欧使節]])が派遣される。 |
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* [[1862年]] - 幕府により[[竹内保徳]]を長とする第1回遣欧使節([[文久遣欧使節]])が派遣される。 |
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* 1863年 - 幕府が第2回遣欧使節([[横浜鎖港談判使節団]])に[[池田長発]]を正使として派遣。翌年6月20日、[[パリ約定]]を結ぶ。 |
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* [[1863年]] - 幕府が第2回遣欧使節([[横浜鎖港談判使節団]])に[[池田長発]]を正使として派遣。翌年[[6月20日]]、[[パリ約定]]を結ぶ。 |
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* 1864年 - 在日フランス公使として[[レオン・ロッシュ]]が来日する。[[下関戦争]]が起こる。11月、[[レオンス・ヴェルニー]]が来日し、[[横須賀海軍工廠]]の建設に着手する。初の[[仏和辞典]]として『仏語明要』が執筆される。[[カトリック教会]]・[[パリ外国宣教会]]の[[ベルナール・プティジャン]][[司祭]]が長崎に[[大浦天主堂]]を建造。 |
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* [[1864年]] - 在日フランス公使として[[レオン・ロッシュ]]が来日する。[[下関戦争]]が起こる。[[11月]]、[[レオンス・ヴェルニー]]が来日し、[[横須賀海軍工廠]]の建設に着手する。初の[[仏和辞典]]として『仏語明要』が執筆される。[[カトリック教会]][[パリ外国宣教会]]の[[ベルナール・プティジャン]][[司祭]]が長崎に[[大浦天主堂]]を建造。 |
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* 1865年 - 4月、[[横浜仏語伝習所]]が開校。実質的な校長は、ロッシュの通訳である[[メルメ・カション]]である。9月、[[柴田剛中]]が[[横須賀海軍工廠]]建設の準備のためフランスを訪問し、[[フランス軍事顧問団 (1867-1868)|軍事顧問団]]を日本に送ることに同意。倒幕を目指す薩摩藩などとの関係を強化するイギリス([[ハリー・パークス]]公使)に対抗し、フランスの徳川幕府支援が徐々に強まる。大浦天主堂で日本人の[[隠れキリシタン]]が約250年ぶりに発見。 |
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* [[1865年]] - [[横浜仏語伝習所]]が開校。実質的な校長は、ロッシュの通訳である[[メルメ・カション]]である。[[9月]]、[[柴田剛中]]が[[横須賀海軍工廠]]建設の準備のため[[フランス第二帝政|フランス]]を訪問し、[[フランス軍事顧問団 (1867-1868)|軍事顧問団]]を日本に送ることに同意。[[倒幕運動|倒幕]]を目指す薩摩藩などとの関係を強化する[[グレートブリテン及びアイルランド連合王国|イギリス]]([[ハリー・パークス]]公使)に対抗し、フランスの対幕府支援が徐々に強まる。大浦天主堂で日本人の[[隠れキリシタン]]が約250年ぶりに発見。 |
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[[Image: JulesBrunet.jpg|thumb|250px|1867年、第1回遣日フランス軍使節団が送られる。前列右から2人目がジュール・ブリュネ。]] |
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[[Image:Members of French Military Mission to Japan in 1867.png|thumb|250px|1867年、第1回遣日フランス軍使節団が送られる。前列右から2人目がジュール・ブリュネ。]] |
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[[ファイル:在フランス日本公使館印.png|thumb|right|200px|在フランス日本公使館の印(明治時代初期)]] |
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[[ファイル:在フランス日本公使館印.png|thumb|right|200px|在フランス日本公使館の印(明治時代初期)]] |
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* [[1867年]] |
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* 1867年 - 1月12日、遣日[[フランス軍事顧問団 (1867-1868)|フランス軍事顧問団]]が横浜に到着する。代表団には[[ジュール・ブリュネ]]が含まれていた。日本は[[パリ万国博覧会 (1867年)|パリ万博]]に代表団を派遣する。その際、幕府とは別に[[薩摩藩]]と[[佐賀藩]]が独自に出展し、特に薩摩藩の独自行動が目立つ[http://www.pref.kagoshima.jp/pr/gaiyou/rekishi/bakumatu/paris.html]。薩摩藩の顧問として博覧会で活躍したフランス人[[シャルル・ド・モンブラン]]伯爵が、鉱山技師[[ジャン・フランシスク・コワニエ|フランソワ・コワニエ]]を薩摩に連れてきたが、コワニエは翌年には新政府に雇われ[[生野銀山]]開発を任される。9月、[[浦上四番崩れ]]をめぐり、ロッシュ公使と将軍[[徳川慶喜]]が[[大坂城]]で話し合う。 |
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** [[1月12日]]、遣日[[フランス軍事顧問団 (1867-1868)|フランス軍事顧問団]]が[[横浜市|横浜]]に到着する。代表団には[[ジュール・ブリュネ]]が含まれていた。 |
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* 1868年 - 1月11日、[[神戸事件]]が発生する。[[明石市|明石]]において[[岡山藩]]士450人とフランス海軍兵との間で戦闘となり、[[神戸市]]中心部を外国軍部隊が占拠する事態となる。3月8日、[[デュプレクス]]号の乗組員であるフランス水兵11人が殺害される[[堺事件]]が起こる。新政府は、外交顧問だったモンブラン伯爵を、幕府が任命していた[[ポール・フリューリ・エラール]]に代えて、パリ駐在の日本総領事に任命する。[[戊辰戦争]]の進展に伴い、フランス本国([[フランス第二帝政]]政府)が[[佐幕派]]支援政策を見直し、ロッシュが罷免されて帰国。同年、現在の[[フランス国立東洋言語文化研究所]]で日本語学科が開設され、[[レオン・ド・ロニー]]が初代教授に就任。 |
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** 日本は[[パリ万国博覧会 (1867年)|パリ万国博覧会]]に代表団を派遣する。その際、幕府とは別に薩摩藩と[[佐賀藩]]が独自に出展し、特に薩摩藩の独自行動が目立つ[http://www.pref.kagoshima.jp/pr/gaiyou/rekishi/bakumatu/paris.html]。薩摩藩の顧問として博覧会で活躍したフランス人[[シャルル・ド・モンブラン]][[伯爵]]が、鉱山技師[[ジャン・フランシスク・コワニエ|フランソワ・コワニエ]]を薩摩に連れてきたが、コワニエは翌年には新政府に雇われ[[生野銀山]]開発を任される。 |
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* 1869年 - [[ジュール・ブリュネ]]ら、元徳川幕府のフランス人軍事顧問団が元幕臣[[榎本武揚]]について[[蝦夷共和国]]の設立を支援し(フランス式軍制を採用)、[[箱館戦争]]で明治政府軍と戦って敗北する。 |
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** 9月、[[浦上四番崩れ]]をめぐり、ロッシュ公使と[[征夷大将軍|将軍]][[徳川慶喜]]が[[大坂城]]で話し合う。 |
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* 1870年 - [[アンリ・プレグラン]]が日本初となる[[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]、[[銀座]]、[[横浜市|横浜]]でのガス灯設置の指揮を執る。パリのモンブラン伯爵が総領事を解任され、代わって少弁務使[[鮫島尚信]]が欧州に向かった。 |
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* [[1868年]] |
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* 1872年 - 鮫島尚信が初代フランス公使となる。鮫島に雇用されたイギリス人[[フレデリック・マーシャル]]が日本情報の発信を開始。明治政府の[[岩倉使節団]]が[[フランス第三共和政|第三共和政]]成立直後のフランスを訪問。[[ポール・ブリュナー]]により日本初の近代絹糸工場である[[富岡製糸場]]が開設される。[[京都]][[西陣]]の職人である[[佐倉常七]]、[[井上伊兵衛]]、[[吉田忠七]]が[[リヨン]]に渡航し、翌年[[ジャカード織機]]を持ち帰る。[[フランス軍事顧問団 (1872-1880)|第二次フランス軍事顧問団]]が派遣される。フランス人修道女が横浜で[[孤児院]]を設置し、後の[[学校法人横浜雙葉学園|横浜雙葉学園]]や東京の[[学校法人雙葉学園|雙葉学園]]の源流となる。 |
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** [[1月11日]]、[[神戸事件]]が発生する。[[明石市|明石]]において[[岡山藩]]士450人とフランス海軍兵との間で戦闘となり、[[神戸市|神戸]]中心部を外国軍部隊が占拠する事態となる。 |
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* 1873年 - 法学者[[ギュスターヴ・エミール・ボアソナード]]が近代法体系の構築を支援するために日本に派遣される([[司法卿]][[江藤新平]]は[[不平等条約]]改正を急ぐ余りフランス[[民法]]を翻訳して日本民法として施行しようとしたが、さすがにボアソナードらの反対で実現しなかった)。フランスなど欧米諸国の強い要求に応じ、日本(明治政府)が江戸時代からのキリスト教禁止令を解除。 |
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** 2月18日(旧暦1月25日)、フランスを含む諸外国は[[戊辰戦争]]における局外中立を申し合わせて決定。ロッシュは個人の資格で旧幕府を支援。 |
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* 1874年 - フランス軍事顧問団の協力により、[[市谷]]の[[陸軍士官学校 (日本)|陸軍士官学校]]が設立される。 |
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** [[3月8日]]、[[デュプレクス]]号の乗組員であるフランス水兵11人が殺害される[[堺事件]]が起こる。新政府は、外交顧問だったモンブラン伯爵を、幕府が任命していたポール・フリューリ・エラールに代えて、[[パリ]]駐在の日本総領事に任命する。 |
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* 1878年 - [[パリ万国博覧会 (1878年)|パリ万博]]に日本政府が出展。多くの[[工芸品]]が出展され、当時隆盛の[[ジャポニスム]]に影響を与える。 |
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** 戊辰戦争の進展、特にイギリスが支援する新政府側の優勢に伴い、フランス本国が対幕府支援政策を見直し、ロッシュが罷免されて帰国。 |
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* 1882年 - [[馬車鉄道]]がフランスから導入され、[[浅草]]を中心に[[新橋 (東京都港区)|新橋]]-[[上野 (台東区)|上野]]間を結ぶ。<!--ルートは要確認-->[[中江兆民]]が[[ジャン=ジャック・ルソー]]の『[[社会契約論]]』の訳書『[[民約訳解]]』を出版し、[[自由民権運動]]の気運を高める。画家[[ジョルジュ・ビゴー]]が来日し、日本社会や[[欧化政策]]を[[風刺画]]で描く(1899年離日)。 |
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** 同年、現在の[[フランス国立東洋言語文化研究所]]で日本語学科が開設され、[[レオン・ド・ロニー]]が初代教授に就任。 |
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* 1884年 - 遣日フランス軍使節団が送られる。[[黒田清輝]]が渡仏(-1893年)。日本の[[洋画]]の基礎を築く。 |
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* [[1869年]] - [[ジュール・ブリュネ]]ら、元幕府のフランス人軍事顧問団が元幕臣[[榎本武揚]]について[[蝦夷共和国]]の設立を支援し(フランス式軍制を採用)、[[箱館戦争]]で明治政府軍と戦って敗北する。局外中立が解除され、明治政府とフランス帝国が正式に外交交渉を開始。 |
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* [[1870年]] - [[アンリ・プレグラン]]が日本初となる[[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]、[[銀座]]、横浜での[[ガス灯]]設置の指揮を執る。パリのモンブラン伯爵が総領事を解任され、代わって少弁務使[[鮫島尚信]]が[[ヨーロッパ|欧州]]に向かった。 |
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* 1871年 - 普仏戦争の敗北でフランス帝国([[フランス第二帝政]])が崩壊し、フランス共和国([[フランス第三共和政]])が成立。日仏間の外交条約は継続される。 |
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* [[1872年]] - 鮫島尚信が初代フランス公使となる。鮫島に雇用された[[イギリス人]][[フレデリック・マーシャル]]が日本情報の発信を開始。明治政府の[[岩倉使節団]]が第三共和政成立直後のフランスを訪問。[[ポール・ブリューナ]]により日本初の近代絹糸工場である[[富岡製糸場]]が開設される。[[京都]][[西陣]]の職人である佐倉常七、井上伊兵衛、吉田忠七が[[リヨン]]に渡航し、翌年[[ジャカード織機]]を持ち帰る。[[フランス軍事顧問団 (1872-1880)|第二次フランス軍事顧問団]]が派遣される。フランス人修道女が横浜で[[孤児院]]を設置し、後の[[学校法人横浜雙葉学園|横浜雙葉学園]]や東京の[[学校法人雙葉学園|雙葉学園]]の源流となる。 |
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* [[1873年]] - [[法学者]]ギュスターヴ・エミール・ボアソナードが近代法体系の構築を支援するために日本に派遣される([[司法卿]][[江藤新平]]は[[不平等条約]]改正を急ぐ余りフランス[[民法]]を翻訳して日本民法として施行しようとしたが、さすがにボアソナードらの反対で実現しなかった)。フランスなど[[欧米|欧米諸国]]の強い要求に応じ、日本(明治政府)が江戸時代からの[[キリスト教]]禁止令を解除。 |
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* [[1874年]] - フランス軍事顧問団の協力により、[[市谷]]の[[陸軍士官学校 (日本)|陸軍士官学校]]が設立される。 |
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* [[1878年]] - [[パリ万国博覧会 (1878年)|パリ万博]]に日本政府が出展。多くの[[工芸品]]が出展され、当時隆盛の[[ジャポニスム]]に影響を与える。 |
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* [[1882年]] - [[馬車鉄道]]がフランスから導入され、[[浅草]]を中心に[[新橋 (東京都港区)|新橋]]-[[上野 (台東区)|上野]]間を結ぶ。<!--ルートは要確認-->[[中江兆民]]が[[ジャン=ジャック・ルソー]]の『[[社会契約論]]』の訳書『[[民約訳解]]』を出版し、[[自由民権運動]]の気運を高める。画家[[ジョルジュ・ビゴー]]が来日し、日本社会や[[欧化政策]]を[[風刺画]]で描く([[1899年]]離日)。 |
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* [[1884年]] - 遣日[[フランス軍]]使節団が送られる。[[黒田清輝]]が渡仏(-[[1893年]])。日本の[[洋画]]の基礎を築く。 |
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[[Image:Japan1898Panhard.jpg|thumb|250px|1898年、日本で初めて自動車パナール・ルヴァッソールが走る。]] |
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[[Image:Japan1898Panhard.jpg|thumb|250px|1898年、日本で初めて自動車パナール・ルヴァッソールが走る。]] |
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* 1886年 - フランス海軍技師[[ルイ=エミール・ベルタン]]のもと[[大日本帝国海軍]]が増強され、また[[呉海軍工廠|呉]]と[[佐世保海軍工廠|佐世保]]の[[海軍工廠]]建設の指揮を執り、[[日清戦争]]での日本の勝利に寄与する。 |
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* [[1886年]] - フランス海軍技師[[ルイ=エミール・ベルタン]]のもと日本海軍が増強され、また[[呉海軍工廠|呉]]と[[佐世保海軍工廠|佐世保]]の[[海軍工廠]]建設の指揮を執り、[[日清戦争]]での日本の勝利に寄与する。 |
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* 1888年 - フランス人宣教師による暁星学校、後の[[暁星中学校・高等学校]]が設立される。 |
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* [[1888年]] - フランス人宣教師により暁星学校(現・[[暁星中学校・高等学校]])が設立される。 |
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* 1891年 - [[露仏同盟]]の交渉開始。[[シベリア鉄道]]の建設資金がフランス資本により賄われ、[[日露戦争]]で[[ロシア帝国]]を支える。 |
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* [[1891年]] - [[露仏同盟]]の交渉開始。[[シベリア鉄道]]の建設資金がフランス資本により賄われ、[[日露戦争]]で[[ロシア帝国|ロシア]]を支える。 |
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* 1895年 - [[三国干渉]]。フランスは[[ロシア帝国]]・[[ドイツ帝国]]と共に日本の[[遼東半島]]領有を阻止。 |
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* [[1895年]] - [[三国干渉]]。フランスはロシア、[[ドイツ帝国|ドイツ]]と共に日本の[[遼東半島]]領有を阻止。 |
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* 1898年 - 日本初の自動車[[パナール・ルヴァッソール]]が持ち込まれる。 |
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* [[1898年]] - 日本初の自動車[[パナール・ルヴァッソール]]が持ち込まれる。 |
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* 1900年 - [[義和団の乱]]で、日仏両国はともに八ヶ国連合軍に参加し、[[清朝]]の首都[[北京市|北京]]を占領。 |
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* [[1900年]] - [[義和団の乱]]で、日仏両国はともに八ヶ国連合軍に参加し、[[清]]の首都[[北京市|北京]]を占領。 |
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=== 20世紀前半(1945年以前) === |
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=== 20世紀前半(1945年以前) === |
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* 1904年 - [[日露戦争]]勃発。フランスはロシアに融資しつつ、同年締結の[[英仏協商]]にも配慮して中立を維持。東京帝国大学(現在の[[東京大学]])内に仏蘭西文学科が設置。 |
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* [[1904年]] - 日露戦争勃発。フランスはロシアに融資しつつ、同年締結の[[英仏協商]]にも配慮して中立を維持。東京帝国大学(現・[[東京大学]])内に仏蘭西文学科が設置。 |
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* 1905年 - [[日本海海戦]]。フランスは極東へ回航中の[[バルチック艦隊]]を[[カムラン湾]]などでの補給で支援。日露戦争終結。 |
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* [[1905年]] - [[日本海海戦]]。フランスは[[極東]]へ回航中の[[バルチック艦隊]]を[[カムラン湾]]などでの補給で支援。日露戦争終結。 |
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* 1906年 - 初代{{仮リンク|駐日フランス公使のリスト|en|List of Ambassadors of France to Japan|label=駐日フランス大使}}{{仮リンク|オーギュスト・ジェラール|fr|Auguste Gérard}}が着任。 |
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* [[1906年]] - 初代{{仮リンク|駐日フランス公使のリスト|en|List of Ambassadors of France to Japan|label=駐日フランス大使}}{{仮リンク|オーギュスト・ジェラール|fr|Auguste Gérard}}が着任。 |
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* 1907年 - [[日仏協約]]締結。中国([[清]])における日本([[満州]]・[[内蒙古]]・[[福建省]])とフランス([[広東省]]・[[広西省]]・[[雲南省]])の利権を相互に承認。日本政府はベトナム人による[[東遊運動]]を抑圧。 |
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* [[1907年]] - [[日仏協約]]締結。[[中国]](清)における日本([[満洲|満州]]・[[内蒙古]]・[[福建省]])とフランス([[広東省]]・[[広西省]]・[[雲南省]])の利権を相互に承認。日本政府は[[ベトナム人]]による[[東遊運動]]を抑圧。 |
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* 1909年 - 自動車に牽引された複葉[[グライダー]]が日本で初めて飛行する。この飛行は[[海軍大尉]][[相原四郎]]とフランス[[海軍中尉]]{{仮リンク|ル・プリウール|fr|Yves Le Prieur}}の協力のもと、上野で行われた。 |
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* [[1909年]] - 自動車に牽引された複葉[[グライダー]]が日本で初めて飛行する。この飛行は[[相原四郎]][[大尉|海軍大尉]]とフランス[[中尉|海軍中尉]]{{仮リンク|ル・プリウール|fr|Yves Le Prieur}}の協力のもと、上野で行われた。 |
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* 1910年 - [[陸軍中将]][[徳川好敏]]がフランスで飛行士訓練を受け、[[ファルマン III|アンリ・ファルマン機]]で飛行する。[[トヨタ自動車]]創業者[[豊田佐吉]]が紡績技術を学ぶためフランスに渡る。 |
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* [[1910年]] - [[徳川好敏]][[中将|陸軍中将]]がフランスで飛行士訓練を受け、[[ファルマン III|アンリ・ファルマン機]]で飛行する。[[トヨタグループ]]創業者の[[豊田佐吉]]が紡績技術を学ぶためフランスに渡る。 |
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* 1911年 - [[日仏通商航海条約]]調印。同年の[[日米通商航海条約]]を受け、[[関税自主権]]の回復で[[不平等条約]]改正が完了。 |
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* [[1911年]] - 日仏通商航海条約調印。同年の[[日米通商航海条約]]を受け、[[関税自主権]]の回復で不平等条約改正が完了。 |
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* 1912年 - 画家の[[藤田嗣治]]が渡仏。パリの芸術界で成功を収める。 |
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* [[1912年]] - 画家の[[藤田嗣治]]が渡仏。パリの芸術界で成功を収める。 |
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* 1913年 - 東京でフランス語教室が開講され、翌1914年に[[アテネ・フランセ]]と命名。以後、日本でのフランス語教育の中心組織として機能する。 |
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* [[1913年]] - 東京でフランス語教室が開講され、翌[[1914年]]に[[アテネ・フランセ]]と命名。以後、日本でのフランス語教育の中心組織として機能する。 |
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* 1914年 - [[第一次世界大戦]]。日本とフランスは共に連合国側で戦う。 |
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* 1914年 - [[第一次世界大戦]]。日本とフランスは共に[[連合国 (第一次世界大戦)|連合国]]側で戦う。 |
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* [[1917年]] - 日本海軍が巡洋艦[[明石 (防護巡洋艦)|明石]]などを[[地中海]]に派遣し、フランスなどの軍事行動を支援。 |
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* 1916年 - フランスの[[哲学者]]・[[神学者]]・[[詩人]]のポール・リシャール博士は、たまたま[[旅行]]で日本を訪れ、その後4年間日本に滞在したが、その時に作った『日本の児童に』と題する詩に、日本の7つの栄誉と使命を挙げた<ref>{{Cite book|和書 |author=[[黄文雄 (評論家)|黄文雄]]|url=|title=大日本帝国の真実―西欧列強に挑んだ理想と悲劇 |series= |publisher=[[扶桑社]] |date=2005-07-01 |isbn=4594049729 |page=304|quote=}}</ref>。 |
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* [[1918年]] - 第一次世界大戦終結。遣日フランス軍使節団が送られる。[[十月革命]]後の[[ロシア内戦]]に日仏両国も参加([[対ソ干渉戦争]])。フランスは[[ヨーロッパロシア|ヨーロッパ・ロシア]]北部で[[1920年]]まで、日本は[[シベリア出兵]]として[[1922年]](北樺太撤兵は[[1925年]])まで出兵を継続したが、[[ボリシェヴィキ]]政権(後の[[ソビエト連邦]])の打倒には失敗。 |
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# 独り自由を失わなかった[[アジア]]唯一の民よ。貴国こそ自由をアジアに与えるべきだ。 |
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* [[1919年]] - 日仏両国、[[パリ講和会議]]に参加し、[[ヴァイマル共和政|ドイツ]]と[[ヴェルサイユ条約]]を締結。日本の首席全権は[[ソルボンヌ大学]][[留学]]の経験がある元[[内閣総理大臣|首相]]の[[西園寺公望]]。 |
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# かつて他国に[[奴隷|隷属]]しなかった世界唯一の民よ。すべての隷属の民のために立つのは貴国の任務だ。 |
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# かつて滅ぼされたことのない唯一の民よ。すべての人類の[[幸福]]の敵を滅ぼすのは貴国の使命だ。 |
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# 新しい[[科学]]と古い[[知恵]]と[[ヨーロッパ]]の思想とアジアの精神とを自己の中で統合している唯一の民よ。これら二つの世界を融合するのは貴国の任務だ。 |
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# 流血の歴史のない[[宗教]]を持つ唯一の民よ。一切の神々を統一してさらに神聖な真理を発揮するのは貴国であろう。 |
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# 建国以来一系の天皇を永遠に奉戴する唯一の民よ。貴国は万国に対し、人がみな天の子であり、天を永遠の君主とする一つの[[帝国]]を建設すべきことを教えるために生まれてきた。 |
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# 万国に優って統一性のある民よ。貴国は未来の統一に貢献するために生まれ、また[[戦士]]として人類の[[平和]]を促すために生まれてきた。 |
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* 1917年 - [[大日本帝国海軍|日本海軍]]が巡洋艦[[明石 (防護巡洋艦)|明石]]などを地中海に派遣し、フランスなどの軍事行動を支援。 |
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* 1918年 - 第一次世界大戦終結。遣日フランス軍使節団が送られる。[[十月革命]]後の[[ロシア内戦]]に日仏両国も参加([[対ソ干渉戦争]])。フランスは[[ヨーロッパ・ロシア]]北部で1920年まで、日本は[[シベリア出兵]]として1922年(北樺太撤兵は1925年)まで出兵を継続したが、[[ボリシェヴィキ]]政権(後の[[ソビエト連邦]])の打倒には失敗。 |
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* 1919年 - 日仏両国、[[パリ講和会議]]に参加し、ドイツと[[ヴェルサイユ条約]]を締結。日本の首席全権は[[ソルボンヌ大学]][[留学]]の経験がある元[[内閣総理大臣|首相]]の[[西園寺公望]]。 |
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* 1920年 - [[国際連盟]]発足。日仏両国は[[常任理事国 (国際連盟)|常任理事国]]として参加。 |
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* 1920年 - [[国際連盟]]発足。日仏両国は[[常任理事国 (国際連盟)|常任理事国]]として参加。 |
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* 1921年 - 摂政宮裕仁親王(後の[[昭和天皇]])の欧州歴訪で、フランスも訪れる。実業家で[[川崎造船所]]社長の[[松方幸次郎]]がパリを訪問し、フランスの美術品を自らの「[[松方コレクション]]」に加え始める。 |
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* [[1921年]] - [[摂政|摂政宮]]裕仁親王(後の[[昭和天皇]])の[[皇太子裕仁親王の欧州訪問|欧州歴訪]]で、フランスも訪れる。実業家で[[川崎造船所]]社長の[[松方幸次郎]]がパリを訪問し、フランスの美術品を自らの「[[松方コレクション]]」に加え始める。 |
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* 1924年 - 3月7日、[[渋沢栄一]]の尽力で[[日仏会館]]設立。同年、フランスから日本への初飛行がなされる。 |
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* [[1924年]] - [[渋沢栄一]]の尽力で[[日仏会館]]設立。同年、フランスから日本への初飛行がなされる。[[1924年パリオリンピック|パリオリンピック]]が開催され、[[1924年パリオリンピックの日本選手団|日本選手団]]は[[アマチュアレスリング]]のフリースタイル・フェザー級で[[内藤克俊]]が銅メダルを獲得。同大会で唯一の日本人メダリスト。 |
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* 1925年 - 日本からフランスへの初飛行がなされる。 |
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* 1925年 - 日本からフランスへの初飛行がなされる。 |
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* 1929年 - [[薩摩治郎八]](バロン薩摩)、[[パリ日本館|パリでの日本人留学生宿泊研修施設]]を建設した功績で[[レジオンドヌール勲章]]を受賞する。同年、芸術家の[[岡本太郎]]が渡仏。後にパリのソルボンヌ大学に入学し、哲学・民俗学などを学ぶ。 |
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* [[1929年]] - [[薩摩治郎八]](バロン薩摩)、[[パリ日本館|パリでの日本人留学生宿泊研修施設]]を建設した功績で[[レジオンドヌール勲章]]を受賞する。同年、芸術家の[[岡本太郎]]が渡仏。後にパリのソルボンヌ大学に入学し、[[哲学]]・[[民俗学]]などを学ぶ。 |
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* 1933年 - [[満州事変]]に関する[[リットン調査団]]にフランスは委員を派遣し、その報告書採択でフランスはイギリス・ドイツなどと共に賛成。唯一反対した日本は国際連盟脱退を通告。初のフランス[[留学|政府給費留学]]生が日本から渡航。フランス直輸入の[[アール・デコ]]様式による[[朝香宮]]邸(現[[東京都庭園美術館]])が完成。 |
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* [[1933年]] - [[満洲事変|満州事変]]に関する[[リットン調査団]]にフランスは委員を派遣し、その報告書採択でフランスは[[イギリス]]、ドイツなどと共に賛成。唯一反対した日本は国際連盟脱退を通告。初のフランス[[留学|政府給費留学]]生が日本から渡航。フランス直輸入の[[アール・デコ]]様式による[[朝香宮]]邸(現[[東京都庭園美術館]])が完成。 |
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* [[1935年]] - [[川石酒造之助]]がパリで[[柔道]]の指導を開始。フランスにおける柔道普及の始祖となる。 |
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* 1940年 - 6月、[[第二次世界大戦]]でパリを占領されたフランス([[フランス第三共和政]])が[[ナチス・ドイツ]]に降伏し、[[ヴィシー政権]](フランス国)が成立。日本はヴィシー政権を承認。この際に岡本太郎が日本へ帰国。9月、日本軍がヴィシー政権下の[[フランス領インドシナ]]北部に進み、[[仏印進駐]]が開始。当初は戦闘が発生したが、フランス植民地統治を認める形で日本は軍事行動を可能にする。 |
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* [[1940年]] - [[6月]]、[[第二次世界大戦]]でパリを占領されたフランスが[[ナチス・ドイツ]]に降伏し、[[ヴィシー政権]](フランス国)が成立。日本はヴィシー政権を承認。この際に[[岡本太郎]]が日本へ帰国。[[9月]]、日本軍がヴィシー政権下の[[フランス領インドシナ]]北部に進み、[[仏印進駐]]が開始。当初は戦闘が発生したが、フランス植民地統治を認める形で日本は軍事行動を可能にする。 |
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* 1941年 - 7月28日、日本軍がフランス領インドシナ南部への進駐を開始。アメリカ・イギリスの強い反発を招く。12月8日に[[太平洋戦争]]([[大東亜戦争]])開始。[[シャルル・ド・ゴール]]を中心とした[[自由フランス]]国民委員会が対日宣戦布告をしたが、実際の戦闘は発生せず、ヴィシー政権支配下のインドシナ植民地に日本軍が引き続き駐留。 |
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* [[1941年]] - [[7月28日]]、日本軍がフランス領インドシナ南部への進駐を開始。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、イギリスの強い反発を招く。[[12月8日]]に[[太平洋戦争]]開始。[[シャルル・ド・ゴール]]を中心とした[[自由フランス]]国民委員会が対日宣戦布告をしたが、実際の戦闘は発生せず、ヴィシー政権支配下のインドシナ植民地に日本軍が引き続き駐留。 |
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* 1944年 - 連合国軍のフランス上陸作戦によりヴィシー政権が崩壊。ド・ゴール首班の[[フランス共和国臨時政府]]はフランス領インドシナへの日本軍進駐を認めた協定を無効と宣言。 |
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* 1945年 - 3月11日、現地の日本軍が[[ベトナム帝国]]などを樹立して[[ベトナム]]・[[ラオス]]・[[カンボジア]]をフランスから分離し、フランス領インドシナ軍を日本軍が制圧([[明号作戦]])。同年8月14日に日本が[[ポツダム宣言]]受諾を決定し通告。日本軍の武装解除が進む中[[ベトナム八月革命|ベトナム8月革命]]が開始され、後の[[第一次インドシナ戦争]]へつながる。9月2日に日本のポツダム宣言受諾による[[降伏文書]]調印にフランス臨時政府代表が参加。同年12月にフランスは占領下の日本を管理する[[極東委員会]]に参加したが、軍隊派遣による日本占領には参加せず。 |
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* [[1944年]] - 連合国軍のフランス上陸作戦によりヴィシー政権が崩壊。ド・ゴール首班の[[フランス共和国臨時政府]]はフランス領インドシナへの日本軍進駐を認めた協定を無効と宣言。 |
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* [[1945年]] - [[3月11日]]、現地の日本軍が[[ベトナム帝国]]などを樹立してベトナム、ラオス、カンボジアをフランスから分離し、フランス領インドシナ軍を日本軍が制圧([[明号作戦]])。同年[[8月14日]]に日本が[[ポツダム宣言]]受諾を決定し通告。日本軍の武装解除が進む中、[[ベトナム八月革命|ベトナム8月革命]]が開始され、後の[[第一次インドシナ戦争]]へつながる。[[9月2日]]に日本のポツダム宣言受諾による[[日本の降伏文書|降伏文書]]調印にフランス臨時政府代表が参加。同年[[12月]]にフランスは占領下の日本を管理する[[極東委員会]]に参加したが、軍隊派遣による日本占領には参加せず。 |
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=== 20世紀後半(1945年以降) === |
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=== 20世紀後半(1945年以降) === |
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[[File:Kinema-Junpo-1959-July-Special-3.jpg|thumb|220px|<small>1959年6月、読売ホールで第2回「[[フランス映画祭 (日本)|フランス映画祭]]」が開催された。歓迎パーティーで日本の女優たちに囲まれる[[ミレーヌ・ドモンジョ]]<ref name="kima-junpo195907special"/>。</small>]] |
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* 1946年から1950年 ベトナムの[[サイゴン]]で、[[BC級戦犯|B級・C級戦争犯罪者]]の裁判が行われる<ref>難波ちづる, [http://www.archives.go.jp/about/publication/kita/pdf/kita41_p079.pdf 国立公文書館所蔵の「サイゴン裁判」関係資料について], [http://www.archives.go.jp/about/publication/kita/041.html 北の丸:第41号 (平成20年12月)]</ref>。 |
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[[File:Eiga-Hyoron-1966-July-1.jpg|thumb|220px|{{small|[[溝口健二]]の墓参りをする[[ジャン=リュック・ゴダール]](1966年5月4日、京都市)}}]] |
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* 1946年 - 作家の[[志賀直哉]]、「日本の国語をフランス語に」と提案する(ただし、志賀本人はフランス語が話せなかった<ref>また、志賀は[[当用漢字]]や[[現代仮名遣い]]には嫌悪感を示していた。[[阿川弘之]]「志賀直哉」下巻P196~、[[新潮文庫]]。</ref>)。 |
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* [[1946年]]~[[1950年]] ベトナムの[[サイゴン]]で、[[BC級戦犯|B級・C級戦争犯罪者]]の裁判が行われる<ref>難波ちづる, [http://www.archives.go.jp/about/publication/kita/pdf/kita41_p079.pdf 国立公文書館所蔵の「サイゴン裁判」関係資料について], [http://www.archives.go.jp/about/publication/kita/041.html 北の丸:第41号 (平成20年12月)]</ref>。 |
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* 1948年 - [[極東国際軍事裁判]]。フランスは[[判事]]と[[検察官]]を送ったが、顕著な影響力は発揮できずに終わる。 |
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* 1946年 |
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* 1951年 - [[日本国との平和条約]](サンフランシスコ講和条約)により、日本とフランスの間の戦争状態が終結。 |
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** ベトナム独立戦争([[第一次インドシナ戦争]])開始。一部の[[残留日本兵]]は[[ベトミン]]に協力して独立戦争を支援。 |
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* 1951年 - 10月[[アリアンスフランセーズ]](在日フランス協会)が復活、10月25日に再開式を実施。本部は横浜フランス領事館に置かれた<ref>「フランス協会復活」『朝日新聞』昭和26年10月21日</ref>。 |
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** [[作家]]の[[志賀直哉]]、「日本の[[国語]]をフランス語に」と提案する(ただし、志賀本人はフランス語が話せなかった<ref>また、志賀は[[当用漢字]]や[[現代仮名遣い]]には嫌悪感を示していた。[[阿川弘之]]「志賀直哉」下巻P196~、[[新潮文庫]]。</ref>)。 |
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* 1952年 - 日本の独立回復により、両国間の国交が回復。[[エールフランス]]が[[パリ]]-[[東京]]([[東京国際空港]]〈羽田空港〉)路線を就航する。 |
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** フランス柔道柔術連盟(のちの[[フランス柔道柔術剣道及び関連武道連盟]]。通称フランス柔道連盟。)設立。 |
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* 1953年 - フランス政府により、[[BC級戦犯]]38名が[[恩赦]]された。日本政府側は、これに感謝決議を行った<ref>{{Cite web |date=1953-2-6 |url=http://www.sangiin.go.jp/japanese/san60/s60_shiryou/ketsugi/016-17-1.html |title= フランス共和国の戦犯特赦に対する感謝決議|publisher=[[参議院]] |accessdate=2013-04-30}}</ref>。4月、日仏文化協定が調印され、日仏会館を中心とした文化交流の推進、戦後にフランス政府が差し押さえた[[松方コレクション]]の一部返還と日本国内での展示施設となる[[国立西洋美術館]]<ref>調印当時の仮称は「フランス美術館」。</ref>の建設などで合意<ref name=":0">[[台東区]]公式サイト、「国立西洋美術館を世界遺産に」ページ内、「[http://www.city.taito.lg.jp/sekaiisan/le_1oitachi.html 国立西洋美術館の生い立ち]」。2017年1月8日閲覧。</ref>。 |
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* [[1948年]] - [[極東国際軍事裁判]]。フランスは[[判事]]と[[検察官]]を送ったが、顕著な影響力は発揮できずに終わる。 |
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* 1954年 - [[カンヌ国際映画祭]]で[[地獄門]]([[大映]]配給、[[衣笠貞之助]]監督)がグランプリを受賞。 |
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* [[1951年]] |
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* 1955年 - 国立西洋美術館の基本設計者となった[[ル・コルビュジエ]]<ref>ル・コルビュジエはスイス出身だが、長くパリで活動していた。</ref>が来日し、東京・[[上野恩賜公園]]の建設予定地を視察。実際の設計はル・コルビュジエの弟子の[[前川國男]]らが担当<ref name=":0" />。藤田嗣治がフランス国籍を取得し、その後日本国籍を放棄してフランスで病没。 |
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** 4月28日、[[日本国との平和条約]](サンフランシスコ講和条約)の締結により、日本とフランスの間の戦争状態が終結。 |
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* 1957年 - フランスの映画監督[[イヴ・シャンピ]]と日本の女優[[岸惠子]]が結婚。岸は1975年の離婚後もパリに居住し、日本とフランスの文化交流に活躍する。 |
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** 10月、[[アリアンスフランセーズ]](在日フランス協会)が復活、[[10月25日]]に再開式を実施。本部は横浜フランス領事館に置かれた<ref>「フランス協会復活」『朝日新聞』昭和26年10月21日</ref>。 |
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* 1958年 - 6月、[[京都市]]とパリが両国間初の[[姉妹都市]]協定を締結。同年にソルボンヌ大学日本語学科卒の[[フランソワーズ・モレシャン]]が来日。[[NHK教育テレビジョン|NHK]]の[[フランス語会話]]出演などを通じ、在日フランス人文化人の先駆者となる。 |
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** 12月、第1回[[ヨーロッパ柔道選手権大会]]がフランスで開催され、[[講道館]]館長の[[嘉納履正]]が視察。 |
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* 1959年 - 6月、国立西洋美術館が一般公開され、松方コレクションも展示<ref name=":0" /><ref>[[フィンセント・ファン・ゴッホ]]の『[[ファンゴッホの寝室]]』などの一部コレクション作品は戦時賠償の結果としてフランス政府の所有権が確定。</ref>。 |
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* [[1952年]] |
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* 1963年 - 日本、[[部分的核実験停止条約]]を批准。フランスは調印を拒否し、核兵器開発を継続。同年に俳優[[アラン・ドロン]]が初来日し、人気を博する。 |
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** 日本の[[独立]]回復により、両国間の国交が回復。[[エールフランス]]がパリ-[[東京]]([[東京国際空港]]〈羽田空港〉)路線を就航する。 |
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* 1966年 - [[森村桂]]がフランスの[[海外領土]]・[[ニューカレドニア]]への旅行記『[[天国にいちばん近い島]]』を出版。同じくフランス海外領土の[[タヒチ]]を含む南太平洋地域への観光旅行ブームの源流となる。 |
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** 5月26日 - フランス政府がBC級戦犯38名に対し特赦を行った。 |
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* 1971年 - 昭和天皇、歴代[[天皇]]としては初、自身は50年ぶりのフランス訪問(ヨーロッパ各国訪問)。[[三越]]、日本資本として初めてパリに百貨店を開業。 |
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** 12月 - [[全日本柔道連盟]]が[[国際柔道連盟]]に加盟。フランスなどが整備を進めた国際組織が柔道発祥国の日本を迎え入れる形となり、嘉納履正が同連盟会長に就任。 |
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* 1972年 - フランスがイギリスと共同開発した[[超音速旅客機]]の[[コンコルド]]、羽田空港へ初飛来。[[日本航空]]が購入を検討したが、最終的には採算性の問題で見送る。[[フランス革命]]を題材にした[[池田理代子]]の漫画、[[ベルサイユのばら]]の連載が開始。 |
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* [[1953年]] |
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* 1974年 - [[ルーブル美術館]]所蔵の[[モナ・リザ]]、東京・上野の[[東京国立博物館]]で展示。4月20日から6月10日までの51日間の会期中に約150万人が訪れ、大ブームになる。[[宝塚歌劇団]]が池田理代子の原作(1972年)を基にしたミュージカル「[[ベルサイユのばら (宝塚歌劇)|ベルサイユのばら]]」を初演し、大ヒットとなる。 |
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** 2月6日 - 日本政府は、前年の特赦に対する感謝決議を行った<ref>{{Cite web|和書|date=1953-2-6 |url=https://www.sangiin.go.jp/japanese/san60/s60_shiryou/ketsugi/016-17-1.html |title= フランス共和国の戦犯特赦に対する感謝決議|publisher=[[参議院]] |accessdate=2013-04-30}}</ref>。 |
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* 1975年 - フランスの[[ヴァレリー・ジスカール・デスタン]]大統領が提唱した第1回[[主要国首脳会議|先進国首脳会議]](サミット)がフランスの[[ランブイエ]]で開催され、日本の[[三木武夫]]首相も参加。 |
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** [[4月]] - 日仏文化協定が調印され、日仏会館を中心とした文化交流の推進、戦後にフランス政府が差し押さえた[[松方コレクション]]の一部返還と日本国内での展示施設となる[[国立西洋美術館]]<ref>調印当時の仮称は「フランス美術館」。</ref>の建設などで合意<ref name=":0">[[台東区]]公式サイト、「国立西洋美術館を世界遺産に」ページ内、「[http://www.city.taito.lg.jp/sekaiisan/le_1oitachi.html 国立西洋美術館の生い立ち]」。2017年1月8日閲覧。</ref>。 |
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* 1977年 - ファッションデザイナーの[[森英恵]]、自らの[[オートクチュール]]ブランドショップ、「ハナエ・モリ・パリ」を出店し、アジア人で初めて高級衣装店組合{{仮リンク|シャンブル・サンディカ|fr|Chambre syndicale de la couture parisienne}}に加盟(2004年に森が引退して脱退)。 |
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** 10月18日から28日にかけて、第1回「[[フランス映画祭 (日本)|フランス映画祭]]」がユニフランス・フィルムの主催により、東京都、[[大阪市]]、[[京都市]]で開催された。[[アンドレ・カイヤット]]、[[ジェラール・フィリップ]]、[[シモーヌ・シモン]]が映画祭に参加するため来日した<ref name="star195401">『スタア』1954年1月号。</ref>。 |
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* 1978年 - [[ルイ・ヴィトン]]、日本初の店舗を東京・[[銀座]]に開業。 |
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* [[1954年]] - [[第7回カンヌ国際映画祭]]で『[[地獄門]]』([[大映]]配給、[[衣笠貞之助]]監督)がグランプリを受賞。 |
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* 1980年 - [[シャンソン]]の女王と称された[[越路吹雪]]が病没。 |
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* [[1955年]] - [[国立西洋美術館]]の基本設計者となった[[ル・コルビュジエ]]<ref>ル・コルビュジエはスイス出身だが、長くパリで活動していた。</ref>が来日し、東京・[[上野恩賜公園]]の建設予定地を視察。実際の設計はル・コルビュジエの弟子の[[前川國男]]らが担当<ref name=":0" />。[[藤田嗣治]]がフランス国籍を取得し、その後日本国籍を放棄してフランスで病没。 |
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* 1979年 - 第5回東京サミットで、フランスの最高権力者としてジスカール・デスタン大統領が史上初めて訪日。 |
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* [[1957年]] - フランスの[[映画監督]][[イヴ・シャンピ]]と日本の女優[[岸惠子]]が結婚。岸は[[1975年]]の離婚後もパリに居住し、日本とフランスの文化交流に活躍する。 |
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* 1981年 - [[実用フランス語技能検定試験]]開始。 |
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* [[1958年]] - [[京都市]]とパリが両国間初の[[姉妹都市]]協定を締結。同年にソルボンヌ大学日本語学科卒の[[フランソワーズ・モレシャン]]が来日。[[NHK教育テレビジョン|NHK]]の[[フランス語会話]]出演などを通じ、在日フランス人文化人の先駆者となる。 |
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* 1982年 - 10月、フランスの[[フランソワ・ミッテラン]]政権は対日貿易赤字拡大への対抗措置として日本からの[[ビデオデッキ]]通関業務を[[ポワチエ]]の税関に限定して行い、事実上の輸入制限を実施。[[トゥール・ポワティエ間の戦い]]の再現とも言われ、日本政府は[[関税および貿易に関する一般協定|GATT]]に提訴。1980年代前半の日本製品の対仏輸出拡大に端を発した経済摩擦が異文化の衝突にまで拡大した象徴例となる。 |
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* [[1959年]] |
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* 1983年 - 4月、日仏政府間合意により日本製ビデオデッキ通関のポワチエ税関限定利用が終了。以後、日本メーカーのフランス進出が促進される。フランスの総合ファッション企業[[エルメス]]、[[西武百貨店]]との[[合弁]]会社「エルメスジャポン」を設立し日本に進出(後にエルメスの完全[[子会社]]化)。 |
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** 国立西洋美術館が一般公開され、松方コレクションも展示<ref name=":0" /><ref>[[フィンセント・ファン・ゴッホ]]の『[[ファンゴッホの寝室]]』などの一部コレクション作品は戦時賠償の結果としてフランス政府の所有権が確定。</ref>。 |
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* 1984年 - 第1回 日仏文化サミット(開催地:日本)※ フランスの情報文化省と朝日新聞の共催 |
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** 6月8日から13日にかけて、第2回フランス映画祭がユニフランス、日本映画海外普及協会、外国映画輸入配給協会の主催により、東京都の読売ホールで開催された。[[ジュリアン・デュヴィヴィエ]]と[[ミレーヌ・ドモンジョ]]が映画祭に参加するため来日した<ref name="kima-junpo195907special">『[[キネマ旬報]]』1959年7月夏の特別号。</ref><ref name="eiga-hyron195907">『[[映画評論 (雑誌)|映画評論]]』1959年7月号。</ref>。 |
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* 1986年 - 第2回 日仏文化サミット(開催地:フランス)※ フランスの情報文化省と朝日新聞の共催 |
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* 1960年 - エールフランスが[[大相撲]]の幕内最高優勝商品としてフランス旅行招待を提供(毎年1月場所のみ)。1966年までの授与中に[[佐田の山晋松]]・[[柏戸剛]]・[[大鵬幸喜]]の各横綱がフランスを訪問。 |
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* 1986年 - [[大相撲]]、初のパリ公演を実施。相撲愛好者([[好角家]])で知られる[[ジャック・シラク]]市長の招きで実現。 |
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* [[1963年]] |
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* 1980年代後半 - フランス産[[赤ワイン]]の新酒[[ボジョレ・ヌーボー]]が日本でブームとなる。 |
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** 日本、[[部分的核実験停止条約]]を批准。フランスは調印を拒否し、[[核兵器]]開発を継続。 |
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* 1988年 - 3月、アニメ『[[ドラゴンボール (アニメ)|ドラゴンボール]]』がフランスで放送開始され大ヒット。以来『ドラゴンボール』はフランスでアニメ・漫画と現在でも親しまれている。 |
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** 4月1日から10日にかけて、第3回フランス映画祭が[[東京商工会議所|東商]]ホールで開催された。[[フランソワ・トリュフォー]]、[[アラン・ドロン]]、[[マリー・ラフォレ]]、[[セルジュ・ブールギニョン]]、[[アレクサンドラ・スチュワルト]]、[[アルベール・ラモリス]]らが映画祭に参加するため来日した<ref>『映画ストーリー』1963年6月号、雄鶏社。</ref>。 |
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* 1990年 - [[大友克洋]]の漫画『[[AKIRA (漫画)|AKIRA]]』がフランスで刊行され大ヒット。この成功を機に、様々な日本の漫画作品の翻訳出版が行なわれるようになる。 |
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* 1964年 - 10月10日から24日にかけて[[1964年東京オリンピック|東京オリンピック]]開催。[[1964年東京オリンピックのフランス選手団|フランス選手団]]は[[オリンピックの馬術競技|馬術競技]]総合の[[障害飛越競技]]個人で[[ピエール・ドリオラ]]が同選手団で唯一の金メダル、選手団全体では15個のメダルを獲得。 |
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* 1991年 - [[エディット・クレッソン]]が12代目フランス共和国首相に就任(1991年5月15日から1992年4月2日)。前任の欧州問題相時代から通商問題を軸にした対日強硬派で知られ、「日本人は黄色い[[アリ]]」「[[ウサギ]]小屋のような小さいアパートに住んでいる」など[[人種差別]]とも取れる発言を続けて在フランス日本大使館から抗議を受ける。 |
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* [[1966年]] |
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* 1993年 - 横浜で第1回[[フランス映画祭 (横浜)|フランス映画祭横浜]]が開催。韓国[[高速鉄道]](2004年、[[韓国高速鉄道|KTX]]として開業)の国際入札でフランスの[[TGV]]方式が日本の[[新幹線]]方式を抑えて受注。以後、日仏間の高速鉄道輸出競争が激化。 |
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** 2月1日から14日、および3月14日から27日にかけて、「世界前衛映画祭」が草月会館ホールで開催された。プログラムはシネマテーク・フランセーズの[[アンリ・ラングロワ]]によって選定され、上映プリントもシネマテーク・フランセーズ所有のものが多く使われた。ラングロワは映画祭に参加するため来日した<ref>「座談会 フィルムの幻影に憑かれて―アンリ・ラングロワ氏に聞く」 『[[映画評論 (雑誌)|映画評論]]』1966年5月号、82-87頁。</ref>。 |
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* 1995年 - 5月、シラクがフランス大統領に就任。在任中に何度も日本を訪問し、両国関係の緊密化をもたらす。6月、フランスが南太平洋の[[ムルロア環礁]]で核実験を実施。日本国内では[[武村正義]][[大蔵大臣]]がタヒチでの抗議デモに参加し、フランス製品ボイコットや文化交流の縮小などの対仏批判が広がるが、長期化せずに沈静。 |
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** 4月28日から5月8日にかけて、[[ジャン=リュック・ゴダール]]が日本に滞在。日本未公開の『[[男性・女性]]』の特別上映会が開催された<ref name="kinema-junpo196606early">[[柴田駿]]、[[白井佳夫]]「ゴダール監督の日本の10日間」 『キネマ旬報』1966年6月上旬号、50-54頁。</ref>。 |
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* 1996年 - フランスのシラク大統領が国賓として訪日。[[シャルル・デュトワ]]、フランス圏の[[指揮者]]として初めて[[NHK交響楽団]]の常任指揮者に就任(ただしデュトワは[[スイス]]人)。 |
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** 5月8日から28日にかけて、[[ロラン・バルト]]が日本に滞在。バルトはこの後も、1967年3月5日-4月5日、同年12月18日-1968年1月19日と、計3回たてつづけに日本を訪れている<ref name="inagashigemi20040320">{{Cite web|和書| author=稲賀繁美 | url=https://inagashigemi.jpn.org/uploads/pdf/040320housoudaigaku14.pdf | title=ロラン・バルト あるいは「虚構」としての日本 | publisher=放送大学 | date=2004-3-20 | accessdate=2023-8-22 }}</ref>。 |
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* 1997年 - 4月、「フランスにおける日本年」はじまる(98年3月まで)。同年、[[パリ日本文化会館]]が創設される。 |
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** 9月18日から10月16日にかけて、[[ジャン=ポール・サルトル]]と[[シモーヌ・ド・ボーヴォワール]]が日本に滞在<ref name="mita-hyoron20160101">{{Cite web|和書|author=[[朝吹亮二]] |url=https://www.mita-hyoron.keio.ac.jp/foreign-visitors/201601-1.html | title=サルトル、ボーヴォワール:義塾を訪れた外国人 | publisher=三田評論 | date=2016-1-1 | accessdate=2023-8-22 }}</ref>。 |
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* 1998年 - 3月、「日本におけるフランス年」はじまる(99年3月まで)。6月、[[サッカー日本代表]]がフランスで開催された[[FIFAワールドカップ]]・[[1998 FIFAワールドカップ|第16回大会]]に出場。多数の日本人がフランスに渡航したが、チケット問題なども発生。大会後にフランス人の[[フィリップ・トルシエ]]、日本代表監督に就任。 |
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** 10月11日から19日にかけて、第4回フランス映画祭が東商ホールと草月ホールで開催された。[[クロード・ルルーシュ]]、[[マリー=フランス・ピジェ]]、[[ジャン=ルイ・トランティニャン]]、パスカル・オードレ、ジャック・シャリエらが映画祭に参加するため来日した<ref>『映画情報』1966年12月号、[[国際情報社]]、「フランス映画祭華やかに開幕」。</ref><ref>『映画評論』1966年12月号、81-94頁、「フランス映画は衰退したか」。</ref>。 |
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* 1999年 - フランスの自動車会社である[[ルノー]]、[[日産自動車]]の株式を44.4%取得し、経営権を確保。ルノー副社長の[[カルロス・ゴーン]]が日産の最高執行責任者(COO)に就任し、大規模なリストラを含む経営再建(「日産リバイバルプラン」)に着手。 |
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** [[森村桂]]がフランスの[[海外領土]][[ニューカレドニア]]への旅行記『[[天国にいちばん近い島]]』を出版。同じくフランス海外領土の[[タヒチ]]を含む南太平洋地域への観光旅行ブームの源流となる。 |
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* 2000年 - シラクの肝煎りで、大相撲の幕内最高優勝力士にフランス大統領杯(ジャック・シラク杯)の授与が開始。9月、[[シドニーオリンピック]]の柔道男子100kg超級決勝で[[ダビド・ドゥイエ]]が[[篠原信一]]を下した試合を巡って誤審問題が発生。両国間の感情的な対立に発展したが、篠原が敗北を潔く受け入れ、訪日経験が豊富なドゥイエが自国民に対し自制を求める声明を出した事で沈静化。フランスの大手小売業[[カルフール]]が日本に進出(2005年に[[イオン (企業)|イオン]]へ日本法人を譲渡)。パリで開かれた第1回「[[Japan Expo]]」で日本の漫画・アニメ・ゲームなどのサブカルチャーが紹介され、その後も毎年継続。 |
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* 1968年 - [[1968年グルノーブルオリンピック|グルノーブル冬季オリンピック]]開催。[[1968年グルノーブルオリンピックの日本選手団|日本選手団]]からはメダル獲得ないし入賞はなし。 |
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* [[1971年]] - 昭和天皇、歴代天皇としては初、自身は50年ぶりのフランス訪問(ヨーロッパ各国訪問)。[[三越]]、日本資本として初めてパリに百貨店を開業。 |
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* [[1972年]] - フランスがイギリスと共同開発した[[超音速旅客機]]の[[コンコルド]]、羽田空港へ初飛来。[[日本航空]]が購入を検討したが、最終的には採算性の問題で見送る。フランス革命を題材にした[[池田理代子]]の漫画、[[ベルサイユのばら]]の連載が開始。 |
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|
* [[1974年]] - [[ルーブル美術館]]所蔵の[[モナ・リザ]]が[[東京国立博物館]]で展示。[[4月20日]]から[[6月10日]]までの51日間の会期中に約150万人が訪れ、大ブームになる。[[宝塚歌劇団]]が池田理代子の原作(1972年)を基にしたミュージカル「[[ベルサイユのばら (宝塚歌劇)|ベルサイユのばら]]」を初演し、大ヒットとなる。 |
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* 1975年 - フランスの[[ヴァレリー・ジスカール・デスタン]][[共和国大統領 (フランス)|大統領]]が提唱した第1回[[主要国首脳会議|先進国首脳会議]](サミット)がフランスの[[ランブイエ]]で開催され、日本の[[三木武夫]]首相も参加。 |
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* [[1977年]] - ファッションデザイナーの[[森英恵]]、自らの[[オートクチュール]]ブランドショップ、「ハナエ・モリ・パリ」を出店し、アジア人で初めて高級衣装店組合{{仮リンク|シャンブル・サンディカ|fr|Chambre syndicale de la couture parisienne}}に加盟([[2004年]]に森が引退して脱退)。 |
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* [[1978年]] - [[ルイ・ヴィトン]]、日本初の店舗を東京・銀座に開業。 |
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* [[1980年]] - [[シャンソン]]の女王と称された[[越路吹雪]]が病没。 |
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* [[1979年]] - [[第5回先進国首脳会議|第5回東京サミット]]で、フランスの最高権力者としてジスカール・デスタン大統領が史上初めて訪日。 |
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* [[1981年]] - [[実用フランス語技能検定試験]]開始。 |
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* [[1982年]] - フランスの[[フランソワ・ミッテラン]]政権は対日貿易赤字拡大への対抗措置として日本からの[[ビデオデッキ]]通関業務を[[ポワチエ]]の税関に限定して行い、事実上の輸入制限を実施。[[トゥール・ポワティエ間の戦い]]の再現とも言われ、日本政府は[[関税及び貿易に関する一般協定|GATT]]に提訴。[[1980年代]]前半の日本製品の対仏輸出拡大に端を発した経済摩擦が異文化の衝突にまで拡大した象徴例となる。 |
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|
* [[1983年]] - 日仏政府間合意により日本製ビデオデッキ通関のポワチエ税関限定利用が終了。以後、日本メーカーのフランス進出が促進される。フランスの総合ファッション企業[[エルメス]]、[[西武百貨店]]との[[合弁事業|合弁]]会社「エルメスジャポン」を設立し日本に進出(後にエルメスの完全[[子会社]]化)。 |
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* [[1984年]] - 第1回日仏文化サミット(開催地:日本)※ フランスの情報文化省と[[朝日新聞社]]の共催 |
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* [[1986年]] - 第2回日仏文化サミット(開催地:フランス)※ フランスの情報文化省と朝日新聞の共催。[[大相撲]]、初のパリ公演を実施。相撲愛好者([[好角家]])で知られる[[ジャック・シラク]]市長の招きで実現。 |
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* 1980年代後半 - フランス産[[赤ワイン]]の新酒[[ボジョレーワイン|ボジョレ・ヌーボー]]が日本でブームとなる。 |
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* [[1988年]] - アニメ『[[ドラゴンボール (アニメ)|ドラゴンボール]]』がフランスで放送開始され大ヒット。以来『ドラゴンボール』はフランスでアニメ・漫画と現在でも親しまれている。 |
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* [[1990年]] - [[大友克洋]]の漫画『[[AKIRA (漫画)|AKIRA]]』がフランスで刊行され大ヒット。この成功を機に、様々な日本の漫画作品の翻訳出版が行なわれるようになる。 |
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* [[1991年]] - [[エディット・クレッソン]]が12代目[[フランスの首相|フランス首相]]に就任(1991年[[5月15日]]から[[1992年]][[4月2日]])。前任の欧州問題相時代から通商問題を軸にした対日強硬派で知られ、「日本人は黄色い[[アリ]]」「[[ウサギ]]小屋のような小さい[[アパート]]に住んでいる」など[[人種差別]]とも取れる発言を続けて在フランス日本大使館から抗議を受ける。 |
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* [[1993年]] - 横浜で第1回「[[フランス映画祭 (日本)|フランス映画祭横浜]]」が開催。[[大韓民国|韓国]][[高速鉄道]](2004年、[[韓国高速鉄道|KTX]]として開業)の国際入札でフランスの[[TGV]]方式が日本の[[新幹線]]方式を抑えて受注。以後、日仏間の高速鉄道輸出競争が激化。 |
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* [[1995年]] |
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** 5月、ジャック・シラクがフランス大統領に就任。在任中に何度も日本を訪問し、両国関係の緊密化をもたらす。 |
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** 6月、フランスが南太平洋の[[ムルロア環礁]]で[[核実験]]を実施。日本国内では[[武村正義]][[財務大臣|蔵相]]がタヒチでの抗議[[デモ活動|デモ]]に参加し、フランス製品ボイコットや文化交流の縮小などの対仏批判が広がるが、長期化せずに沈静。 |
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* [[1996年]] - シラク大統領が国賓として訪日。[[シャルル・デュトワ]]、フランス圏の[[指揮者]]として初めて[[NHK交響楽団]]の常任指揮者に就任(ただしデュトワは[[スイス]]人)。 |
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* [[1997年]] - [[4月]]、「フランスにおける日本年」はじまる([[1998年|98年]][[3月]]まで)。同年、[[パリ日本文化会館]]が創設される。 |
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* 1998年 - 3月、「日本におけるフランス年」はじまる([[1999年|99年]]3月まで)。6月、[[サッカー日本代表]]がフランスで開催された[[FIFAワールドカップ]]・[[1998 FIFAワールドカップ|第16回大会]]に出場。多数の日本人がフランスに渡航したが、チケット問題なども発生。大会後にフランス人の[[フィリップ・トルシエ]]、日本代表監督に就任。 |
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* 1999年 - フランスの自動車会社である[[ルノー]]、[[日産自動車]]の株式を44.4%取得し、経営権を確保。ルノー副社長の[[カルロス・ゴーン]]が日産の最高執行責任者(COO)に就任し、大規模な[[リストラ]]を含む経営再建(「日産リバイバルプラン」)に着手。 |
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* [[2000年]] - シラクの肝煎りで、大相撲の幕内最高優勝力士にフランス大統領杯(ジャック・シラク杯)の授与が開始。[[9月]]、[[シドニーオリンピック]]の柔道男子100kg超級決勝で[[ダビド・ドゥイエ]]が[[篠原信一]]に勝利した試合を巡って誤審問題が発生し物議を醸した。両国間の感情的な対立に発展したが篠原が敗北を潔く受け入れ訪日経験が豊富なドゥイエが自国民に対し、自制を求める声明を出した事で沈静化した。フランスの大手小売業[[カルフール]]が日本に進出([[2005年]]に[[イオン (企業)|イオン]]へ日本法人を譲渡)。パリで開かれた第1回「[[Japan Expo]]」では日本の漫画・アニメ・ゲームなどのサブカルチャーが紹介され、その後も毎年継続している。 |
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=== 21世紀 === |
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=== 21世紀 === |
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* 2001年 - カルロス・ゴーンが日産自動車の社長兼最高経営責任者(CEO)に就任。両国間の製鉄会社協力として、[[新日本製鐵]]と[[ユジノール]](2002年から[[アルセロール]]、2006年から[[アルセロール・ミッタル]])が技術提携を開始。 |
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* [[2001年]] - カルロス・ゴーンが日産自動車の[[社長]]兼最高経営責任者(CEO)に就任。両国間の製鉄会社協力として、[[新日本製鐵]]とユジノール(2002年から[[アルセロール]]、[[2006年]]から[[アルセロール・ミッタル]])が技術提携を開始。 |
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* 2002年 - 6月、フィリップ・トルシエが率いたサッカー日本代表、韓国との共催となった[[2002 FIFAワールドカップ|W杯日韓大会]]でベスト16に進出。大会後にトルシエは退任。 |
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* [[2002年]] - フィリップ・トルシエ率いるサッカー日本代表、韓国との共催となった[[2002 FIFAワールドカップ|W杯日韓大会]]でベスト16に進出。大会後にトルシエは退任。 |
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* 2004年 - 9月、[[松井大輔]]がフランスサッカーリーグ2部([[リーグ・ドゥ]])の[[ル・マンUC]]に入団、その後の活躍を『le soleil du Mans(ル・マンの太陽)』と称賛される。同年、同リーグの[[グルノーブル・フット38]]を日本の[[インデックス・ホールディングス|インデックス]]社が買収。 |
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* 2004年 - [[松井大輔]]がフランスサッカーリーグ2部([[リーグ・ドゥ]])の[[ル・マンUC]]に入団、その後の活躍を『le soleil du Mans(ル・マンの太陽)』と称賛される。同年、同リーグの[[グルノーブル・フット38]]を日本の[[インデックス・ホールディングス|インデックス]]社が買収。 |
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* 2005年 - 6月、国際熱[[核融合]]実験炉([[ITER]])の建設地がフランス南部の[[カダラッシュ]]に決定。立地を激しく争っていた日本の[[青森県]][[六ヶ所村]]には関連施設として2007年に「国際核融合エネルギー研究センター」([[国際核融合材料照射施設]])が開所される。 |
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* 2005年 - 国際熱[[核融合]]実験炉([[ITER]])の建設地がフランス南部の[[カダラッシュ]]に決定。立地を激しく争っていた日本の[[青森県]][[六ヶ所村]]には関連施設として[[2007年]]に「国際核融合エネルギー研究センター」([[国際核融合材料照射施設]])が開所される。 |
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* 2007年 |
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* 2007年 - シラクが大統領を退任。後任の[[ニコラ・サルコジ]]は相撲批判などで知られる。シラクが日本の東京相和銀行(現在の[[東京スター銀行]])に約50億円の口座を持つという不正蓄財疑惑などが指摘されるが、本人が否定。 |
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** シラクが大統領を退任。後任の[[ニコラ・サルコジ]]は相撲批判などで知られ、大統領就任後に発した相撲への中傷発言などを経てフランス大統領杯が廃止される。 |
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* 2008年 - 日仏修好150周年行事が開催。 |
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** シラクが日本の東京相和銀行(現在の[[東京スター銀行]])に約50億円の口座を持つという不正蓄財疑惑などが指摘されるが、本人が否定。 |
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* 2009年 - フランス政府が池田理代子に[[レジオンドヌール勲章|レジオン・ドヌール勲章シュバリエ章]]を授与。「ベルサイユのばら」などを通じた両国間の文化交流への貢献が理由。 |
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* [[2008年]] - 日仏修好150周年行事が開催。 |
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* 2010年 - 8月14日、フランスの極右政党である[[国民戦線 (フランス)|フランス国民戦線]]の[[ジャン=マリー・ル・ペン]]党首が日本の[[一水会 (思想団体)|一水会]]の招待で東京の[[靖国神社]]を参拝。9月に三越パリ店が閉店。10月に日仏会館が[[公益財団法人]]に移行。 |
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* [[2009年]] - フランス政府が池田理代子に[[レジオンドヌール勲章|レジオン・ドヌール勲章シュバリエ章]]を授与。「ベルサイユのばら」などを通じた両国間の文化交流への貢献が理由。 |
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* 2011年 - 3月11日、[[東日本大震災]]発生。3月31日、サルコジ大統領が訪日。[[福島第一原子力発電所事故]]に対するフランスからの支援を約束し、同行したフランスの原子力企業、[[アレヴァ]]社の[[アンヌ・ロベルジョン]]社長兼CEOは専門家の派遣や高濃度放射能汚染水の処理などでの協力を伝える<ref>「[[東日本大震災に対するヨーロッパ諸国の対応]]」も参照。</ref>。5月、フランス北部の[[ドーヴィル]]での[[第37回主要国首脳会議|主要国首脳会議]](サミット)に日本の[[菅直人]]首相が参加。8月、[[髙島屋]]パリ店が閉店し、パリから日系百貨店が消滅。 |
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* [[2010年]] - 8月14日、フランスの[[極右]]政党である[[国民連合 (フランス)|国民戦線]](現・国民連合)の[[ジャン=マリー・ル・ペン]]党首が日本の[[右翼]]団体[[一水会 (思想団体)|一水会]]の招待で東京の[[靖国神社]]を参拝。9月に三越パリ店が閉店。10月に日仏会館が[[公益財団法人]]に移行。 |
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* 2012年 - サルコジ大統領が退任し、後任に[[フランソワ・オランド]]が就任。 |
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* [[2011年]] |
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* 2013年 - オランド大統領、国賓として日本を訪問。同形式でのフランス大統領訪日は17年ぶり。福島原発事故後は初となる、フランスの再処理工場から福井県の[[高浜発電所]]への[[MOX燃料]]輸送を実施。 |
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** 3月11日、[[東北地方太平洋沖地震]]([[東日本大震災]])が発生。太平洋南東部の[[フランス領ポリネシア]]では[[マルキーズ諸島]]で3m、[[タヒチ島]]で40cmの津波を観測。 |
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* 2015年 - [[ヴァヒド・ハリルホジッチ]]<ref>日本サッカー協会での登録名はフランス語読みの「ヴァイッド・ハリルホジッチ」。</ref>、サッカー日本代表監督に就任。出身地は[[ボスニア・ヘルツェゴビナ]]だが、トルシエに続く2人目のフランス国籍監督となる。 |
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** [[3月31日]]、サルコジ大統領が訪日。[[福島第一原子力発電所事故]]に対するフランスからの支援を約束し、同行したフランスの原子力企業、[[アレヴァ]]社の[[アンヌ・ロベルジョン]]社長兼CEOは専門家の派遣や高濃度放射能汚染水の処理などでの協力を伝える<ref>「[[東日本大震災に対するヨーロッパ諸国の対応]]」も参照。</ref>。 |
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* 2016年 - 7月、[[第42回先進国首脳会議]]「伊勢志摩サミット」開催。オランド大統領が来日して会議に参加。同月、国立西洋美術館が[[世界遺産]]に認定。8月、[[リオデジャネイロオリンピック]]の柔道男子100kg超級決勝でフランスの[[テディ・リネール]]が日本の[[原沢久喜]]を下して金メダルを獲得。10月、パリ文化会館内に三越が小規模店舗の「ジャパンショップ」を開店。 |
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** 5月、フランス北部の[[ドーヴィル]]での[[第37回主要国首脳会議|主要国首脳会議]](サミット)に日本の[[菅直人]]首相が参加。 |
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* 2018年 - 10月17日、安倍首相がフランスを訪問し、マクロン大統領と首脳会談を実施<ref>{{Cite web |date=2018-10-18 |url= https://japanese.joins.com/article/207/246207.html|title= 文氏「北朝鮮制裁緩和」要請2日後…仏大統領、安倍氏と「制裁強化」で一致|publisher=中央日報 |accessdate=2018-10-19}}</ref>。 |
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** 7月、駐日フランス大使館の提案により、大相撲で優勝力士に対し日仏友好杯の贈呈が開始。フランス政府からの授与は大統領杯廃止以来4年ぶり。 |
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** 8月、[[髙島屋]]パリ店が閉店し、パリから日系百貨店が消滅。 |
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* [[2012年]] - サルコジ大統領が退任し、後任に[[フランソワ・オランド]]が就任。 |
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* [[2013年]] - オランド大統領、国賓として日本を訪問。同形式でのフランス大統領訪日は17年ぶり。福島原発事故後は初となる、フランスの再処理工場から福井県の[[高浜発電所]]への[[MOX燃料]]輸送を実施。 |
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* 2014年 - 第1回日仏外務・防衛閣僚会合(2+2)をパリで開催。以後、毎年ないし2-3年に一回程度の開催で断続的に開催。 |
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* [[2015年]] - [[ヴァイッド・ハリルホジッチ]]<ref>日本サッカー協会での登録名はフランス語読みの「ヴァイッド・ハリルホジッチ」。</ref>、サッカー日本代表監督に就任。出身地は[[ボスニア・ヘルツェゴビナ]]だが、トルシエに続く2人目のフランス国籍監督となる。 |
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* [[2016年]] - 7月、[[第42回先進国首脳会議]]「伊勢志摩サミット」開催。オランド大統領が来日して会議に参加。同月、国立西洋美術館が[[世界遺産]]に認定。[[8月]]、[[2016年リオデジャネイロオリンピック|リオデジャネイロオリンピック]]の[[柔道]]男子100kg超級決勝でフランスの[[テディ・リネール]]が日本の[[原沢久喜]]を下して金メダルを獲得。10月、パリ文化会館内に三越が小規模店舗の「ジャパンショップ」を開店。 |
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* [[2018年]] |
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** 5月、[[第71回カンヌ国際映画祭]]で『[[万引き家族]]』が[[パルム・ドール]]を受賞。 |
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** 10月、仏大統領候補だった[[フランソワ・アスリノ]]が早稲田大学と京都大学で講演・討論<ref>https://iwj.co.jp/wj/open/archives/433472</ref><ref>https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20180924/</ref>。 |
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** 10月17日、[[安倍晋三]]首相がフランスを訪問し、[[エマニュエル・マクロン]]大統領と首脳会談を実施<ref>{{Cite web|和書|date=2018-10-18 |url= https://japanese.joins.com/article/207/246207.html|title= 文氏「北朝鮮制裁緩和」要請2日後…仏大統領、安倍氏と「制裁強化」で一致|publisher=中央日報 |accessdate=2018-10-19}}</ref>。 |
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* 2020年 |
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** 5月12日、[[新型コロナウイルス感染症の世界的流行 (2019年-)]]にともない、フランス政府は日本からの入国を禁止<ref name=":1">{{Cite web |url=https://www.jetro.go.jp/biznews/2020/07/e2650e518033296e.html |title=日本を含む域外13カ国からの入国規制を解除、14日間の隔離を求めず |access-date=2024-05-14 |publisher=[[ジェトロ]] |author=山崎あき |date=2020-07-07}}</ref>。 |
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** 7月1日、フランス政府は日本からの入国を許可。同日から日本航空による東京 - パリ間の直行便が運行再開<ref name=":1" />。 |
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== 現在の日仏関係 == |
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== 現在の日仏関係 == |
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[[Image:Jacques Chirac.jpg|thumb|140px|フランスのジャック・シラク大統領]] |
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[[Image:Jacques Chirac.jpg|thumb|140px|フランスのジャック・シラク大統領。]] |
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近年のフランスは日本との通商面や文化面での交流を強めている。一部ではこの関係が強まったことはフランスのジャック・シラク元大統領が親日家であったためとの見方を持っている。シラクは国家元首としては最多とされる40回以上の訪日経験を持ち、日本について精通している。フランスでは輸出奨励運動 ''Le Japon, c'est possible'' (ル・ジャポン・セ・ポシブル、日本語で「日本、それは可能である」)が行われ、また人材交流として[[外国語青年招致事業]]も盛んである。また[[パリ日本文化会館]]も開設されている。 |
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近年のフランスは、日本との通商面や文化面での交流を強めている。一部ではこの関係が強まったことはフランスの[[ジャック・シラク]]元大統領が親日家であったためとの見方を持っている。シラク大統領は、[[元首|国家元首]]としては最多とされる40回以上の訪日経験を持ち、日本について精通している。フランスでは輸出奨励運動 ''Le Japon, c'est possible'' (ル・ジャポン・セ・ポシブル、日本語で「日本、それは可能である」)が行われ、人材交流としては[[外国語青年招致事業]]も盛んである。このほか、[[パリ日本文化会館]]も開設されている。 |
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ただしシラクの日本への傾倒には反対派からの批判が強く、上記の秘密口座疑惑に加え[[隠し子]]の存在も噂として流される事態となった。この反動もあり、保守派の[[国民運動連合]]から[[2007年フランス大統領選挙]]に勝利しながらシラクへの批判を続けていた[[ニコラ・サルコジ]]は2004年に「相撲は知的なスポーツでは無い」と語ったとして日本の[[平林博]]駐フランス大使に釈明する事態を招き、同大統領選挙の決選投票で敗れた[[セゴレーヌ・ロワイヤル]]は日本の[[アニメ]]に対し暴力的で性表現が多いという批判を続けるなど<ref>ただし、ロワイヤルは日本の[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]の[[福島瑞穂]]党首との会談(両者とも女性)で「日本の女性は大変でしょう」と語り、クレッソンの人種差別主義とは一線を画した。</ref>、クレッソンの「アリ発言」に続いて[[社会党 (フランス)|フランス社会党]]の有力政治家による日本への厳しい姿勢が報じられた。一方で[[国民連合 (フランス)|フランス国民戦線]]のナンバー2(全国委員)を長く勤めた[[ブルーノ・ゴルニッシュ]]は日本留学を経験して日本人と結婚するなど、特にフランス政界での対日観は非常に多様で、時として上記のような舌禍も起こる不安定さをはらんでいる。また日本の政財界でフランスへの留学・赴任経験を持つ人物は、特に第二次世界大戦後はアメリカやイギリスと比較すると少ない<ref>留学例としては東京大学の助手から[[パリ大学]]の助手となり、フランスの政治・外交を研究した[[舛添要一]]が挙げられる。舛添はフランス人女性と結婚したが離婚し、帰国後に[[大蔵省]]から[[フランス国立行政学院]](ENA)へ派遣留学の経験を持っていた[[片山さつき]]と再婚したが、その後再び離婚している。また、[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]会長となった[[山之内秀一郎]]も1969年に国鉄から[[国際鉄道連合]](UIC)へ出向し、パリに在住した経験を持つ。</ref>。 |
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ただし、シラク大統領の日本への傾倒には反対派からの批判が強く、上記の秘密口座疑惑に加え[[隠し子]]の存在も噂として流される事態となった。この反動もあり、保守派の[[国民運動連合]]から[[2007年フランス大統領選挙]]に勝利しながらシラクへの批判を続けていた[[ニコラ・サルコジ]]が2004年、「日本の相撲は知的な[[スポーツ]]では無い。」と語ったとして日本の[[平林博]]駐フランス大使に釈明する事態を招き、同大統領選挙の決選投票で敗れた[[セゴレーヌ・ロワイヤル]]も日本の[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]に対して暴力的で性表現が多いという批判を続けるなど<ref>ただし、ロワイヤルが日本の[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]の[[福島瑞穂]]党首との会談(両者とも女性)で「日本の女性は大変でしょう」と語り、クレッソンの人種差別主義とは一線を画した。</ref>、クレッソンの「アリ発言」に続いて[[社会党 (フランス)|フランス社会党]]の有力政治家による日本への厳しい姿勢が報じられた。一方でフランス国民戦線のナンバー2(全国委員)を長く勤めた[[ブルーノ・ゴルニッシュ]]は日本留学を経験して日本人と結婚するなど、特にフランス政界での対日観は非常に多様で、時として上記のような舌禍も起こる不安定さをはらんでいる。また日本の政財界でフランスへの留学・赴任経験を持つ人物は、特に第二次世界大戦後はアメリカやイギリスと比較すると少ない<ref>留学例としては東京大学の助手から[[パリ大学]]の助手となり、フランスの政治・外交を研究した[[舛添要一]]が挙げられる。舛添はフランス人女性と結婚したが離婚し、帰国後に[[大蔵省]]から[[フランス国立行政学院]](ENA)へ派遣留学の経験を持っていた[[片山さつき]]と再婚するも、その後再び離婚している。また[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]会長となった[[山之内秀一郎]]も1969年に国鉄から[[国際鉄道連合]](UIC)へ出向し、パリに在住した経験を持つ。</ref>。 |
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なおパリ在住の文化史家である[[竹下節子]]もその著書のなかで、フランスは日本が歴史上主要国のなかで直接戦火を交えていない国であることを指摘している<ref>竹下(2006)</ref>。ただし、実際には第二次世界大戦末期の明号作戦で日本軍がフランス領インドシナ軍と交戦し、これを制圧している他、フランス艦隊は下関戦争にも参加している。 |
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なお、パリ在住の文化史家でもある[[竹下節子]]もその著書のなかで、フランスは日本が歴史上主要国のなかで直接戦火を交えていない国であることを指摘している<ref>竹下(2006)</ref>。ただし、実際には第二次世界大戦末期の明号作戦で日本軍がフランス領インドシナ軍と交戦しこれを制圧している他、フランス艦隊は下関戦争にも参加している。 |
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=== 分野別 === |
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=== 分野別 === |
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==== 国際協力 ==== |
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==== 国際協力 ==== |
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国際協力の分野ではフランスと日本は共同で[[ジブチ]]・[[マダガスカル]]・[[ウガンダ]]などの国での[[ヒト免疫不全ウイルス|HIV]]や発育不全といった危機的な健康問題にも取り組んでいる。しかし、フランスが[[欧州連合|ヨーロッパ連合]]に同化するにつれ、日本を含むヨーロッパ以外の国々との関係が疎かになりつつある。 |
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国際協力の分野では、フランスと日本は共同で[[ジブチ]]、[[マダガスカル]]、[[ウガンダ]]などの国での[[ヒト免疫不全ウイルス|HIV]]や発育不全といった危機的な健康問題にも取り組んでいる。しかし、フランスが[[欧州連合|ヨーロッパ連合]]に同化するにつれ、日本を含むヨーロッパ以外の国々との関係が疎かになりつつある。 |
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==== 文化 ==== |
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==== 文化 ==== |
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日本とフランスでは相互に[[芸術]]と[[料理]]の分野で影響し合っている。日本ではテレビ番組である「[[料理の鉄人]]」などに見られるように、[[フランス料理]]が日本の料理界に大きな位置を占めている。フランスではアニメが人気を集めているが、外国文化の流入に対し強い警戒心を持つフランスは[[スクリーンクォータ]]の一種である「ブロードバンドクオータ」を実施し<ref>これがロワイヤルによる日本アニメ批判にもつながる。なお、スクリーンクオータは[[アメリカ合衆国の映画]]([[ハリウッド]]映画)の上映を制限する保護主義政策。</ref>、テレビ局での日本製アニメの放送時間はドイツなどと比較すると少ない<ref>[[日本貿易振興機構]](JETRO)市場開拓部輸出促進課 2005年3月 [http://www.jetro.go.jp/world/europe/fr/reports/05001223 「フランスにおける日本アニメを中心とするコンテンツの浸透状況」]</ref>。 |
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日本とフランスでは相互に芸術と料理の分野で影響し合っている。日本では、テレビ番組である「[[料理の鉄人]]」などに見られるように[[フランス料理]]が日本の料理界に大きな位置を占めている。フランスではアニメが人気を集めているが、外国文化の流入に対し強い警戒心を持つフランスは[[スクリーンクォータ]]の一種である「ブロードバンドクオータ」を実施し<ref>これがロワイヤルの日本アニメ批判にもつながっている。なお、スクリーンクオータは[[アメリカ合衆国の映画]]([[ハリウッド]]映画)の上映を制限する保護主義政策。</ref>、テレビ局での日本製アニメの放送時間は[[ドイツ]]などと比較すると少ない<ref>[[日本貿易振興機構]](JETRO)市場開拓部輸出促進課 2005年3月 [http://www.jetro.go.jp/world/europe/fr/reports/05001223 「フランスにおける日本アニメを中心とするコンテンツの浸透状況」]</ref>。 |
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また日本の娯楽においても[[中世]]・[[ルネサンス]]期・[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]時代・[[世界大戦]]期といったフランスの歴史的な人物や設定がモデルとなっていることもある。[[日本画]]や[[浮世絵]]の純粋さと、フランスの視覚芸術の近代性と気品は、絵画という創作分野において融合されている。これは日本人にフランスへの関心や親近感を高め、その貢献を認められた池田理代子にフランス政府から[[レジオンドヌール勲章|レジオン・ドヌール勲章シュバリエ章]]が授与された事もあった。 |
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また、日本の娯楽においても[[中世]]・[[ルネサンス]]期・ナポレオン時代・世界大戦期といったフランスの歴史的な人物や設定がモデルとなっていることもある。[[日本画]]や[[浮世絵]]の純粋さと、フランスの視覚芸術の近代性と気品は、絵画という創作分野において融合されている。これは日本人にフランスへの関心や親近感を高め、その貢献を認められた池田理代子にフランス政府からレジオン・ドヌール勲章シュバリエ章が授与された事もあった。 |
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==== 科学技術 ==== |
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==== 科学技術 ==== |
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[[科学技術]]の分野でも両国は[[原子力]]エネルギー生成の分野において緊密な協力関係を構築している。2005年6月にフランスと日本は[[コンコルド]]の後継となる次世代型[[超音速輸送機|超音速商業飛行機]]の開発で協力することを発表した<ref>[http://www.meti.go.jp/press/20050614003/1-onnsokuryokakuki-set.pdf 日仏航空機産業による超音速旅客機に関する共同研究について] 経済産業省 2005年6月14日(PDF形式)</ref>。これらの協力関係の一方で世界各国への高速鉄道や[[原子力発電所]]の受注では激しい競争関係にあり<ref>一例として、ベトナムにおける原子力発電所や[[ベトナム高速鉄道計画|高速鉄道計画]]での競争が挙げられる。出典:朝日新聞2010年1月17日付 [http://www.asahi.com/business/topics/economy/TKY201001160416.html ベトナム、原発導入急ぐ 東南アジア初、受注狙う日仏]</ref>、ITERではフランスが誘致合戦に勝利した。 |
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[[科学技術]]の分野でも日仏両国は[[原子力]]エネルギー生成の分野において緊密な協力関係を構築している。2005年6月、フランスと日本は[[コンコルド]]の後継となる次世代型[[超音速輸送機|超音速商業飛行機]]の開発で協力することを発表した<ref>[http://www.meti.go.jp/press/20050614003/1-onnsokuryokakuki-set.pdf 日仏航空機産業による超音速旅客機に関する共同研究について] 経済産業省 2005年6月14日(PDF形式)</ref>。これらの協力関係の一方で世界各国への高速鉄道や[[原子力発電所]]の受注では激しい競争関係にあり<ref>一例として、ベトナムにおける原子力発電所や[[ベトナム高速鉄道計画|高速鉄道計画]]での競争が挙げられる。出典:朝日新聞2010年1月17日付 [http://www.asahi.com/business/topics/economy/TKY201001160416.html ベトナム、原発導入急ぐ 東南アジア初、受注狙う日仏]</ref>、ITERではフランスが誘致合戦に勝利した。 |
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==== スポーツ ==== |
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[[大相撲]]の[[本場所]]では在日フランス大使館より日仏友好杯<ref>2000年に当時の[[ジャック・シラク|シラク大統領]]が「フランス共和国大統領杯」として創設したもの。</ref>が贈られる<ref>[http://www.ambafrance-jp.org/article8067 横綱白鳳に日仏友好杯を贈呈] - [http://www.ambafrance-jp.org 在日フランス大使館]</ref>。 |
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[[大相撲]]の[[本場所]]では、在日フランス大使館より日仏友好杯<ref>2000年に当時の[[ジャック・シラク|シラク大統領]]が「フランス共和国大統領杯」として創設したもの。</ref>が贈られる<ref>[http://www.ambafrance-jp.org/article8067 横綱白鳳に日仏友好杯を贈呈] - [http://www.ambafrance-jp.org 在日フランス大使館]</ref>。 |
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== 人物 == |
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* [[ジョルジュ・ビゴー]] |
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* [[ジョルジュ・ビゴー]] |
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* [[ポール・クローデル]] |
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* [[ポール・クローデル]] |
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* [[フランソワ・アスリノ]] |
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* [[レオン・ド・ロニー]] |
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* [[シャルル・ド・モンブラン]] |
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* [[アンドレ・ザ・ジャイアント]] |
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* [[フィリップ・トルシエ]] |
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* [[カルロス・ゴーン]] |
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=== フランスに関係する日本人 === |
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=== フランスに関係する日本人 === |
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* [[永井荷風]] |
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* [[永井荷風]] |
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* [[村上英俊]] |
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* [[村上英俊]] |
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* [[吉田義男]] |
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== 脚注 == |
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== 脚注 == |
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=== 注釈 === |
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=== 出典 === |
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* [[日本の国際関係]] |
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* [[日本の国際関係]] |
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* [[駐日フランス大使館]]、[[在京都フランス総領事館]]、[[在大阪・神戸フランス総領事館]] |
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* [[駐日フランス大使館]]、[[在京都フランス総領事館]]、[[在大阪・神戸フランス総領事館]] |
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* [[在フランス日本国大使館]]、{{仮リンク|在ストラスブール日本国総領事館|fr|Consulat général du Japon à Strasbourg}}、[[在マルセイユ日本国総領事館]]、[[在リヨン領事事務所]] |
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* [[在フランス日本国大使館]]、{{仮リンク|在ストラスブール日本国総領事館|fr|Consulat général du Japon à Strasbourg}}、[[在マルセイユ日本国総領事館]]、[[在ヌメア領事事務所]]、[[在リヨン領事事務所]] |
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== 外部リンク == |
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== 外部リンク == |
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* [https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/france/index.html 最近のフランス情勢及び日仏関係] (外務省) |
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* [https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/france/index.html 最近のフランス情勢及び日仏関係] (外務省) |
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* [http://www.ambafrance-jp.org/spip.php?rubrique7 在日フランス大使館] |
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* [http://www.ambafrance-jp.org/spip.php?rubrique7 在日フランス大使館] |
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* [http://www.fr.emb-japan.go.jp/jp/ 在フランス日本国大使館] |
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* [https://www.fr.emb-japan.go.jp/jp/ 在フランス日本国大使館] |
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* [http://www.mcjp.fr/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E/ パリ日本文化会館] |
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* [http://www.mcjp.fr/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E/ パリ日本文化会館] |
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* [http://www.mfjtokyo.or.jp/ (財)日仏会館・日仏協会] |
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* [http://www.mfjtokyo.or.jp/ (財)日仏会館・日仏協会] |