文化 ぶんか 景観 けいかん の例 れい : 京都 きょうと ・祇園 ぎおん
景観 けいかん (けいかん)とは、日常 にちじょう 生活 せいかつ において風景 ふうけい や景色 けしき の意味 いみ で用 もち いられる言葉 ことば である[1] 。植物 しょくぶつ 学者 がくしゃ がドイツ語 ご のLandschaft(ラントシャフト)の学術 がくじゅつ 用語 ようご としての訳語 やくご としてあてたもので、後 のち に地理 ちり 学 がく において使用 しよう されるようになった[2] 。辻村 つじむら 太郎 たろう 『景觀 けいかん 地理 ちり 學 がく 講話 こうわ 』によれば、三好 みよし 学 まなぶ が与 あた えた名称 めいしょう である[3] 。
字義 じぎ 的 てき にも一般 いっぱん 的 てき な用法 ようほう としても「景観 けいかん 」は英語 えいご のlandscape(ランドスケープ )に近接 きんせつ したことばであるが[注 ちゅう 1] 概念 がいねん としてはドイツ を中心 ちゅうしん としたヨーロッパ のLandschaftgeographie(景観 けいかん 地理 ちり 学 がく )の学派 がくは のものを汲 く んでいる[4] 。
田村 たむら 明 あきら によると、都市 とし の景 けい (街並 まちな み)や村落 そんらく の景 けい (例 たと えば屋敷 やしき 森 もり や棚田 たなだ 、漁港 ぎょこう )など人工 じんこう 的 てき な(人間 にんげん の手 て が加 くわ わった)景 けい を指 さ すことが多 おお いとしている。使用 しよう 領域 りょういき に関 かん して見 み ると、「景観 けいかん 」の語 かたり は行政 ぎょうせい ・司法 しほう や学術 がくじゅつ 的 てき な用語 ようご として使 つか われることが多 おお い[5] 。日本 にっぽん では2004年 ねん に景観 けいかん 法 ほう が制定 せいてい されたが、法律 ほうりつ 上 じょう 「景観 けいかん とは何 なに か」は定義 ていぎ されていない。学術 がくじゅつ 上 じょう は、前述 ぜんじゅつ の地理 ちり 学 がく や、ランドスケープデザイン学 がく 、都市 とし 工学 こうがく 、土木 どぼく 工学 こうがく 、社会 しゃかい 工学 こうがく 、造園 ぞうえん 学 がく 、建築 けんちく 学 がく 等 とう で扱 あつか われることが多 おお い。また、コーンウォールと西 にし デヴォンの鉱山 こうざん 景観 けいかん のように、世界 せかい 遺産 いさん レベルで取 と りこまれる場合 ばあい もある。
日常 にちじょう 語 ご としての景観 けいかん [ 編集 へんしゅう ]
国語 こくご 辞典 じてん では、以下 いか のように「景色 けしき 」・「眺 なが め」として景観 けいかん を説明 せつめい している。
①
風景 ふうけい 外観 がいかん 。けしき。ながめ。また、その
美 うつく しさ。
②自然 しぜん と人間 にんげん 界 かい のこととが入 い りまじっている現実 げんじつ のさま。
— 『広辞苑 こうじえん 』855ページ
①けしき。ながめ。
特 とく に、すぐれたけしき。
②〔ドイツ Landschaft〕人間 にんげん の視覚 しかく によってとらえられる地表 ちひょう 面 めん の認識 にんしき 像 ぞう 。山川 やまかわ ・植物 しょくぶつ などの自然 しぜん 景観 けいかん と、耕地 こうち ・交通 こうつう 路 ろ ・市街地 しがいち などの文化 ぶんか 景観 けいかん に分 わ けられる。
— 『大辞林 だいじりん 』768ページ
見 み る人 ひと を引 ひ きつける(すばらしい)ながめ。
— 『明鏡 めいきょう 国語 こくご 辞典 じてん 』523ページ
学術 がくじゅつ 用語 ようご としての景観 けいかん [ 編集 へんしゅう ]
景観 けいかん には地理 ちり 学 がく 的 てき 観点 かんてん 、風景 ふうけい 地 ち 計画 けいかく 論 ろん 的 てき 観点 かんてん 、工学 こうがく 的 てき 観点 かんてん など様々 さまざま な観点 かんてん がある[6] 。
「景観 けいかん 学 がく 」を打 う ち立 た てたオットー・シュリューター は、景観 けいかん を感覚 かんかく 的 てき 、特 とく に視覚 しかく 的 てき に捉 とら えられるものに限定 げんてい した[7] 。これは、景観 けいかん から目 め に見 み えない政治 せいじ や宗教 しゅうきょう などは景観 けいかん 形成 けいせい に関係 かんけい のない限 かぎ り除外 じょがい されることになった一方 いっぽう で、景観 けいかん を位置 いち ・大 おお きさや相互 そうご 関係 かんけい などから容易 ようい に扱 あつか えるようになった[7] 。その後 ご 、景観 けいかん が個々 ここ の景観 けいかん の構成 こうせい 要素 ようそ (=景観 けいかん 要素 ようそ )単独 たんどく で成立 せいりつ しているわけではなく、相互 そうご に関係 かんけい しながら景観 けいかん を形成 けいせい しているという考 かんが えが現 あらわ れ、生態 せいたい 学 がく 的 てき な観点 かんてん の重視 じゅうし が主張 しゅちょう された[8] 。
景観 けいかん を目 め に見 み えるものだけに限定 げんてい したとき、地理 ちり 学 がく が隣接 りんせつ 諸 しょ 科学 かがく を吸収 きゅうしゅう して発展 はってん する過程 かてい で不満 ふまん 分子 ぶんし となり、アメリカのフレッド・シェーファー (英語 えいご 版 ばん ) による地理 ちり 学 がく の「例外 れいがい 主義 しゅぎ 」[注 ちゅう 2] への批判 ひはん や計量 けいりょう 革命 かくめい を経 へ て、「景観 けいかん 」は地理 ちり 学 がく において重視 じゅうし されなくなった[10] 。代 か わって人文 じんぶん 主義 しゅぎ 地理 ちり 学 がく の台頭 たいとう と共 とも に「風景 ふうけい 」[注 ちゅう 3] が新 あたら しい用語 ようご として導入 どうにゅう された[12] 。しかし、地理 ちり 学 がく で下火 したび になった「景観 けいかん 」の語 かたり が建築 けんちく 学者 がくしゃ や都市 とし 計画 けいかく 家 か の間 あいだ で盛 さか んに使 つか われるようになったため、再 ふたた び地理 ちり 学界 がっかい に「景観 けいかん 」が復活 ふっかつ した[13] 。現在 げんざい は「騒音 そうおん 景観 けいかん 」 (noisescape) のような目 め に見 み えないものも景観 けいかん として扱 あつか われる[14] 。
中村 なかむら 和郎 かずお は『地域 ちいき と景観 けいかん 』の中 なか で、「景観 けいかん 」の概念 がいねん を以下 いか の5つにまとめた[15] 。
同時 どうじ に存在 そんざい し、相互 そうご に関連 かんれん し合 あ う、違 ちが う種類 しゅるい のものを一括 いっかつ して捉 とら えること
例 たと えば、漁港 ぎょこう に建 た つ灯台 とうだい 1基 き を切 き り取 と って「灯台 とうだい 景観 けいかん 」と呼 よ ぶのは不適切 ふてきせつ であり、灯台 とうだい の周囲 しゅうい にある堤防 ていぼう や製氷 せいひょう 施設 しせつ 、市場 いちば 、道路 どうろ 、漁船 ぎょせん 、集落 しゅうらく 、地形 ちけい などと合 あ わせて見 み る必要 ひつよう がある。この時 とき 、灯台 とうだい は漁港 ぎょこう の景観 けいかん を構成 こうせい するものの1つであり、「景観 けいかん 要素 ようそ 」と言 い える。
特有 とくゆう の形態 けいたい を持 も った一定 いってい の空間 くうかん
この意味合 いみあ いでは、景観 けいかん は「景色 けしき 」というよりは「地域 ちいき 」の意味 いみ を持 も つ[16] 。そのため、地理 ちり 学者 がくしゃ の飯 めし 本 もと 信之 のぶゆき はドイツ語 ご のLandschaftを「景 けい 域 いき 」と訳 やく すべきだと著書 ちょしょ 『政治 せいじ 地理 ちり 学 がく 』に記 しる している[17] 。一方 いっぽう 、辻村 つじむら 太郎 たろう は地域 ちいき の意味 いみ を景観 けいかん に含 ふく ませることを排除 はいじょ し、目 め に見 み えるものに限定 げんてい した[18] 。
渋谷 しぶや 駅前 えきまえ の景観 けいかん
空間 くうかん の大 おお きさには階層 かいそう 性 せい がある
例 たと えば渋谷 しぶや スクランブル交差点 こうさてん の周辺 しゅうへん の景観 けいかん は、渋谷 しぶや を構成 こうせい する景観 けいかん の1つであり、また渋谷 しぶや は東京 とうきょう を構成 こうせい する景観 けいかん の1つである。これを階層 かいそう 性 せい と言 い い、生物 せいぶつ の分類 ぶんるい で用 もち いられる門 もん ・綱 つな ・目 め ・科 か ・属 ぞく ・種 たね などに相当 そうとう する[17] 。
類型 るいけい (タイプ)もしくはモデル である
時間 じかん と共 とも に変化 へんか する
地理 ちり 学 がく における「景観 けいかん 」は一種 いっしゅ 独特 どくとく の専門 せんもん 用語 ようご として君臨 くんりん してきた[1] 。歴史 れきし 地理 ちり 学者 がくしゃ の千田 せんだ 稔 みのる は、重要 じゅうよう 概念 がいねん であるにもかかわらず、明確 めいかく に定義付 ていぎづ けられることなく今日 きょう に至 いた るものの、その曖昧 あいまい さが「景観 けいかん 」の語 かたり の自在 じざい 性 せい であり、地理 ちり 学 がく を豊 ゆた かにしてきたのではないか、と述 の べている[19] 。また、デレク・グレゴリー は「景観 けいかん はそれ自身 じしん の内部 ないぶ に、それを理解 りかい できる鍵 かぎ を持 も たない」と述 の べ[20] 、リチャード・ハーツホーン は1939年 ねん に、景観 けいかん (Landschaft) は複数 ふくすう の解釈 かいしゃく ができ、かつ地方 ちほう (area) や地域 ちいき (region) と意味合 いみあ いが同 おな じであることから、地理 ちり 学 がく 用語 ようご としては不要 ふよう とした[7] 。「地域 ちいき 」の概念 がいねん と同様 どうよう に「景観 けいかん 」の概念 がいねん も客観 きゃっかん 的 てき なものではなく、主観 しゅかん 的 てき なものであると主張 しゅちょう する学者 がくしゃ も存在 そんざい する[21] 。
自然 しぜん 景観 けいかん と文化 ぶんか 景観 けいかん [ 編集 へんしゅう ]
シュリューター以来 いらい 、景観 けいかん は自然 しぜん 景観 けいかん と文化 ぶんか 景観 けいかん の2つに分 わ けられてきた[22] 。しかしシュリューターは「自然 しぜん と人間 にんげん 社会 しゃかい が溶 と け合 あ ってつくられたもの」として文化 ぶんか 景観 けいかん を捉 とら えたため、単 たん なる自然 しぜん でも単 たん なる文化 ぶんか でもなく、自然 しぜん 景観 けいかん と文化 ぶんか 景観 けいかん に分 わ けること自体 じたい に矛盾 むじゅん が生 しょう じている[23] 。
アメリカ の地理 ちり 学者 がくしゃ ・カール・O・サウアー は、人間 にんげん 行動 こうどう は自然 しぜん 環境 かんきょう に制約 せいやく されるという環境 かんきょう 決定 けってい 論 ろん が支配 しはい 的 てき であった1920年代 ねんだい において、人間 にんげん が自然 しぜん 環境 かんきょう に働 はたら きかけることができるとして文化 ぶんか 地理 ちり 学 がく を打 う ち立 た てた[24] 。そしてサウアーは、景観 けいかん を人間 にんげん が手 て を入 い れていない「自然 しぜん 景観 けいかん 」と、手 て を入 い れた「文化 ぶんか 景観 けいかん 」の2つに分 わ け、文化 ぶんか 地理 ちり 学 がく とは自然 しぜん 景観 けいかん から文化 ぶんか 景観 けいかん への移行 いこう を説明 せつめい する学問 がくもん である、と定義 ていぎ した[25] 。サウアーはカリフォルニア大学 だいがく バークレー校 こう で教鞭 きょうべん を執 と り、そこで学 まな んだ研究 けんきゅう 者 しゃ らはバークレー学派 がくは と呼 よ ばれ、1960年代 ねんだい のアングロアメリカ の地理 ちり 学界 がっかい で一大 いちだい 派閥 はばつ を形成 けいせい した[25] 。バークレー学派 がくは はフィールドワーク を中心 ちゅうしん とした実地 じっち 調査 ちょうさ を指向 しこう し、目 め に見 み える景観 けいかん 要素 ようそ を重視 じゅうし した[26] 。
一方 いっぽう リチャード・ハーツホーンは、自然 しぜん 景観 けいかん とは完全 かんぜん に人間 にんげん の手 て の入 はい っていない地域 ちいき にのみ認 みと められるべきで、人間 にんげん の居住 きょじゅう 地域 ちいき (エクメーネ )に自然 しぜん 景観 けいかん は存在 そんざい しない、としてサウアーを批判 ひはん した[27] 。ただし、サウアーは自然 しぜん と文化 ぶんか を二 に 項 こう 対立 たいりつ 的 てき に捉 とら えたのではなく、人間 にんげん が現在 げんざい 見 み ることのできる景観 けいかん は文化 ぶんか 景観 けいかん であり、文化 ぶんか 景観 けいかん 形成 けいせい の前 まえ の景観 けいかん 、すなわち原 げん 景観 けいかん を自然 しぜん 景観 けいかん と規定 きてい したのである[27] 。
景観 けいかん 調査 ちょうさ ・景観 けいかん 観察 かんさつ は、フィールドワークの方法 ほうほう の1つである[28] 。カメラ で景観 けいかん を写真 しゃしん 撮影 さつえい ・ビデオ 撮影 さつえい する、観察 かんさつ により発見 はっけん した景観 けいかん 要素 ようそ を文字 もじ やスケッチ によって野 の 帳 ちょう (フィールドノート)に記録 きろく する、地図 ちず 上 うえ に書 か き込 こ む、といった調査 ちょうさ 手法 しゅほう を指 さ す[28] [29] 。特 とく に地理 ちり 学 がく においては地図 ちず で表現 ひょうげん することが多 おお く、具体 ぐたい 的 てき には土地 とち 利用 りよう を示 しめ すことで景観 けいかん を表現 ひょうげん する[29] 。景観 けいかん を観察 かんさつ することは、観察 かんさつ する場所 ばしょ の知識 ちしき を持 も ち合 あ わせていなくとも、その土地 とち の人 ひと と言葉 ことば が通 つう じなくとも、その場所 ばしょ の姿 すがた や現地 げんち の人 ひと の生 い き様 ざま を知 し ることが可能 かのう である[30] 。
景観 けいかん は視覚 しかく 的 てき な様相 ようそう であるが、ぼんやり眺 なが めれば良 よ いというものではない[31] 。地理 ちり 学者 がくしゃ の戸 と 所 しょ 隆 たかし は、景観 けいかん 観察 かんさつ の留意 りゅうい 点 てん として以下 いか の7つを挙 あ げた[29] 。
例外 れいがい ・偶然 ぐうぜん 的 てき な現象 げんしょう でなく、本質 ほんしつ 的 てき な現象 げんしょう を把握 はあく
現象 げんしょう の存在 そんざい 理由 りゆう を考 かんが える
機能 きのう 的 てき 観察 かんさつ の裏付 うらづ けを行 おこな う
地域 ちいき の構造 こうぞう は中心 ちゅうしん と周辺 しゅうへん から成 な ることに注意 ちゅうい
全体 ぜんたい と部分 ぶぶん の相互 そうご 関係 かんけい を把握 はあく
ベースマップ[注 ちゅう 4] を用意 ようい
観察 かんさつ 事項 じこう はすぐに記録 きろく し、当日 とうじつ 中 ちゅう にまとめる
地理 ちり 学 がく は視覚 しかく に負 お うところが大 おお きく[33] 、フィールドワークや野外 やがい 巡検 じゅんけん (field excursion) は地理 ちり 学 がく のカリキュラム 上 うえ 重視 じゅうし され、必修 ひっしゅう 科目 かもく であることが多 おお い[34] [35] 。アメリカのジョン・フレーザー・ハート (John Fraser Hart) は、1998年 ねん に「景観 けいかん の研究 けんきゅう は最 もっと も健全 けんぜん な地理 ちり 学 がく の出発 しゅっぱつ 点 てん である。地理 ちり 学者 がくしゃ の好奇心 こうきしん は何 なに よりもまず見 み えるものによって呼 よ び覚 さ まされる。」と述 の べ、日本 にっぽん の地理 ちり 学者 がくしゃ ・山本 やまもと 正三 しょうさん もその土地 とち に住 す む人々 ひとびと の現実 げんじつ の姿 すがた を捉 とら える上 うえ で景観 けいかん 観察 かんさつ が重要 じゅうよう である旨 むね を語 かた っている[30] 。地理 ちり 学 がく 系 けい の国際 こくさい 的 てき な学会 がっかい においても本 ほん 会議 かいぎ の前後 ぜんご に会場 かいじょう 周辺 しゅうへん で巡検 じゅんけん が行 おこな われ、世界 せかい の研究 けんきゅう 者 しゃ が議論 ぎろん し合 あ いながら景観 けいかん 調査 ちょうさ を行 おこな う機会 きかい が設 もう けられている[34] 。
しかしフィールドワークを重 かさ ねて観察 かんさつ 眼 め を育 そだ てることは、逆 ぎゃく に知覚 ちかく を狭 せば めてしまうおそれがあり、例 たと えばスイス で氷河 ひょうが 作用 さよう を受 う けた景観 けいかん の観察 かんさつ 眼 め を養 やしな ったアガシス (Agassiz) という学者 がくしゃ は、氷河 ひょうが 作用 さよう を受 う けていないはずのブラジル ・リオデジャネイロ 近隣 きんりん でも氷河 ひょうが 作用 さよう の痕跡 こんせき を見出 みいだ した、という出来事 できごと も起 お きている[36] 。
鳥越 とりこし 皓 あきら 之 これ ほか『景観 けいかん 形成 けいせい と地域 ちいき コミュニティ』では冒頭 ぼうとう で「ここでいう景観 けいかん (scenery) は、景色 けしき とか風景 ふうけい などとい換 いか えてもよい広 ひろ い意味 いみ で使 つか っている。」と言明 げんめい し、一般 いっぱん 用語 ようご としての用法 ようほう をとっている[5] 。鈴鹿 すずか 市 し の説明 せつめい によれば、景観 けいかん とは「景 けい 」(空間 くうかん 的 てき なものの存在 そんざい )と「観 かん 」(見 み る人 ひと の感 かん じる印象 いんしょう ・価値 かち 観 かん )の合成 ごうせい 語 ご であり、地域 ちいき の視覚 しかく 的 てき 特性 とくせい だという[37] 。
また社会 しゃかい 学者 がくしゃ の吉田 よしだ 民 みん 人 じん は、景観 けいかん は情報 じょうほう の一種 いっしゅ とみなすことができる、としている[5] 。景観 けいかん は常 つね に情報 じょうほう を発信 はっしん しており、人々 ひとびと が景観 けいかん に対 たい し感動 かんどう を覚 おぼ えることを情報 じょうほう の受信 じゅしん と考 かんが えることができる[38] 。この場合 ばあい 、情報 じょうほう の発信 はっしん 者 しゃ たる土地 とち ・構造 こうぞう 物 ぶつ などの所有 しょゆう 者 しゃ や管理 かんり 者 しゃ は、自 みずか ら情報 じょうほう を発信 はっしん しているという意識 いしき はなく、私有 しゆう ならば基本 きほん 的 てき に景観 けいかん を見 み る人 ひと (情報 じょうほう の受信 じゅしん 者 しゃ )に対 たい して配慮 はいりょ の義務 ぎむ はないと思 おも われている[39] 。
景観 けいかん 破壊 はかい に起因 きいん する景観 けいかん 論争 ろんそう は環境 かんきょう 権 けん の議論 ぎろん のテーマ の主要 しゅよう 課題 かだい であり、訴訟 そしょう の対象 たいしょう となることもある[5] 。
日本 にっぽん 民俗 みんぞく 建築 けんちく 学会 がっかい 編 へん 『日本 にっぽん の生活 せいかつ 環境 かんきょう 文化 ぶんか 大 だい 事典 じてん 』では、景観 けいかん は「自然 しぜん が作 つく る環境 かんきょう と建築 けんちく 物 ぶつ や道路 どうろ 、橋 はし などの土木 どぼく 建造 けんぞう 物 ぶつ によって構成 こうせい される」と記 しる している[40] 。また、同書 どうしょ では景観 けいかん を構成 こうせい する「脇役 わきやく 」として電柱 でんちゅう や街灯 がいとう 、火 ひ の見櫓 みやぐら などを挙 あ げ、これら脇役 わきやく は景観 けいかん 上 じょう 存在 そんざい 感 かん が大 おお きいものの、環境 かんきょう デザイン ・景観 けいかん 要素 ようそ として意識 いしき されることが少 すく ないと指摘 してき した[40] 。
国際 こくさい 連合 れんごう 教育 きょういく 科学 かがく 文化 ぶんか 機関 きかん (ユネスコ)が編集 へんしゅう した『人 ひと のつくった風景 ふうけい 』(原題 げんだい : The man-made landscape)では、景観 けいかん とは「地球 ちきゅう の表面 ひょうめん をさしたもの」であるとし、自然 しぜん の力 ちから により変化 へんか しやすく、また人間 にんげん 活動 かつどう の重大 じゅうだい 性 せい の高 たか まりにより、多大 ただい な影響 えいきょう を与 あた えているとした[41] 。造園 ぞうえん 学 がく における景観 けいかん の構成 こうせい 要素 ようそ は、大 おお きく3つに分 わ けることができる[42] 。
土地 とち そのもの
土地 とち は景観 けいかん を考 かんが える上 うえ で最大 さいだい の問題 もんだい にして最初 さいしょ の問題 もんだい である[43] 。地形 ちけい 、気候 きこう 、植生 しょくせい [注 ちゅう 5] 、土壌 どじょう が該当 がいとう する[43] 。
構造 こうぞう 物 ぶつ や建物 たてもの
土地 とち そのものの問題 もんだい よりは場所 ばしょ による差異 さい が小 ちい さいものの、完全 かんぜん に解決 かいけつ することは難 むずか しい[45] 。近隣 きんりん の環境 かんきょう (住環境 じゅうかんきょう ・土地 とち 利用 りよう など)、敷地 しきち 、家屋 かおく が該当 がいとう し、現存 げんそん するもののみならず将来 しょうらい 的 てき に建設 けんせつ されるであろうものまで視野 しや に入 い れる必要 ひつよう がある[46] 。
人々 ひとびと
建築 けんちく 物 ぶつ に住 す む人々 ひとびと も問題 もんだい となってくる[47] 。家族 かぞく 構成 こうせい 、住居 じゅうきょ 計画 けいかく 、収入 しゅうにゅう 、生活 せいかつ 態度 たいど が該当 がいとう するが、特 とく に子 こ ども がいる場合 ばあい は、子 こ どもの成長 せいちょう 過程 かてい で家族 かぞく の問題 もんだい や要求 ようきゅう が変化 へんか するため、柔軟 じゅうなん な対応 たいおう が必須 ひっす である[48] 。
建築 けんちく 学 がく ・都市 とし 計画 けいかく [ 編集 へんしゅう ]
日本 にっぽん の建設省 けんせつしょう (当時 とうじ )は1984年 ねん (昭和 しょうわ 59年 ねん )に『美 うつく しい国土 こくど 建設 けんせつ のために―景観 けいかん 形成 けいせい の理念 りねん と方向 ほうこう 』において、「景観 けいかん 」を、眺 なが められるもの(=モノ)としての「景 けい 」と、眺 なが める主体 しゅたい (=ヒト)としての「観 かん 」に分解 ぶんかい し、更 さら に「景 けい 」を地域 ちいき 性 せい [注 ちゅう 6] ・全体 ぜんたい 性 せい (総合 そうごう 性 せい )[注 ちゅう 7] ・公共 こうきょう 性 せい [注 ちゅう 8] に、「観 かん 」を多様 たよう 性 せい [注 ちゅう 9] ・生活 せいかつ 性 せい [注 ちゅう 10] ・参加 さんか 性 せい [注 ちゅう 11] に細分 さいぶん した[49] 。これに基 もと づいて、半田 はんだ 真理子 まりこ は、モノがあり、それを見 み る人 ひと が美 うつく しさ・快適 かいてき 性 せい ・潤 うるお いなどを感 かん じないものは景観 けいかん ではなく、地域 ちいき 住民 じゅうみん や土地 とち の風土 ふうど に合 あ ったものが景観 けいかん である、と述 の べた[50] 。土肥 どい 博 ひろし 至 いたり は景観 けいかん を「人間 にんげん が自 みずか らの周辺 しゅうへん の環境 かんきょう を理解 りかい し、認識 にんしき するひとつの方法 ほうほう 」であり、視覚 しかく から得 え られたものに特定 とくてい の意味 いみ や価値 かち を見出 みいだ そうとする態度 たいど であると記 しる している[51] 。これを現象 げんしょう 学 がく の言葉 ことば で言 い うと「体験 たいけん された空間 くうかん 」となり、実際 じっさい にその場 ば で景観 けいかん を見 み ずとも、過去 かこ の経験 けいけん や入手 にゅうしゅ した情報 じょうほう から景観 けいかん を思 おも い浮 う かべることができる[51] 。そのように各人 かくじん が思 おも い浮 う かべたものが景観 けいかん イメージ (イメージの景観 けいかん )と呼 よ ばれるものである[51] 。
フィレンツェの景観 けいかん
現代 げんだい は都市 とし や街路 がいろ 空間 くうかん を考 かんが える上 うえ で景観 けいかん が問 と われる時代 じだい である[52] 。東京 とうきょう や大阪 おおさか では建築 けんちく 基準 きじゅん 法 ほう など法 ほう の枠組 わくぐ みの中 なか で容積 ようせき 率 りつ などが規制 きせい されるため、建築 けんちく 物 ぶつ の高 たか さや規模 きぼ がそろっている[52] 。しかし、それは景観 けいかん を意識 いしき したものではなく、規制 きせい によって結果 けっか として統一 とういつ 的 てき な景観 けいかん が形成 けいせい されているに過 す ぎず、よく観察 かんさつ すれば色 いろ ・テクスチャー などは不 ふ 統一 とういつ で看板 かんばん や電柱 でんちゅう の配置 はいち も無造作 むぞうさ であり、雑然 ざつぜん とした街路 がいろ 空間 くうかん となっている[52] 。こうした状況 じょうきょう に対 たい して景観 けいかん をデザインしようという動 うご きは活発 かっぱつ になってきているが、「雰囲気 ふんいき のある個性 こせい 的 てき な街路 がいろ 空間 くうかん 」には、街路 がいろ 全体 ぜんたい で「等質 とうしつ な雰囲気 ふんいき 」を創 つく ろうという視点 してん と、ランドマーク などの記憶 きおく に留 と まるものによって個性 こせい 付 づ けしようとする視点 してん の2つが重要 じゅうよう である、と積田 つみた 洋 ひろし は述 の べた[53] 。積田 つみた は「等質 とうしつ 的 てき な雰囲気 ふんいき 」の例 れい としてフランス ・パリ のシャンゼリゼ通 どお り を、記憶 きおく に留 と まるものの例 れい としてイタリア ・フィレンツェ のサンタ・マリア・デル・フィオーレ大 だい 聖堂 せいどう (ドゥオモ)を挙 あ げている[53] 。
ケヴィン・リンチ は景観 けいかん の役割 やくわり について、以下 いか のように述 の べている[54] 。
異 こと なる景観 けいかん が他 た 集団 しゅうだん や象徴 しょうちょう 的 てき な場 ば の存在 そんざい を示 しめ す
例 たと えばパプアニューギニア のトロブリアンド諸島 しょとう ではジャングル や空 あ き地 ち に並 なら ぶ木立 きだち が村 むら の存在 そんざい やタブー とされる樹木 じゅもく のありかを示 しめ し、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 中西部 ちゅうせいぶ では巨大 きょだい な穀物 こくもつ 倉庫 そうこ が集落 しゅうらく の存在 そんざい を示 しめ している[55] 。
社会 しゃかい 的 てき な役割 やくわり を果 は たす
名称 めいしょう を与 あた えられた景観 けいかん は、集団 しゅうだん のコミュニケーション を可能 かのう とする共通 きょうつう の記憶 きおく や象徴 しょうちょう (シンボル)となる[55] 。例 たと えば、広島 ひろしま 市 し の原爆 げんばく ドーム は原子 げんし 爆 ばく 弾 だん の恐 おそ ろしさを知 し らしめる象徴 しょうちょう となっている。
景観 けいかん を象徴 しょうちょう により組織 そしき 化 か すると、人間 にんげん と環境 かんきょう の間 あいだ に安定 あんてい した関係 かんけい を作 つく り出 だ す
具体 ぐたい 例 れい を挙 あ げれば、見覚 みおぼ えのある景観 けいかん は人 ひと に心地 ここち よさや親近 しんきん 感 かん などをもたらすことがこれである[54] 。
セブン-イレブン 上川 かみかわ 層雲峡 そううんきょう 店 てん (2012年 ねん )
2015年 ねん (平成 へいせい 27年 ねん )3月 がつ 国土 こくど 交通省 こうつうしょう は景観 けいかん 法 ほう 制定 せいてい からの10年間 ねんかん で、景観 けいかん に対 たい する意識 いしき や取組 とりくみ はかなり普及 ふきゅう したが、まだまだ発展 はってん 途上 とじょう の地域 ちいき が残 のこ っていると分析 ぶんせき した[56] 。
景観 けいかん を巡 めぐ り議論 ぎろん となった事例 じれい [ 編集 へんしゅう ]
景観 けいかん の経済 けいざい 効果 こうか [ 編集 へんしゅう ]
観光 かんこう 地 ち の中 なか には伝統 でんとう 的 てき な建物 たてもの の再生 さいせい や、電線 でんせん の地中 ちちゅう 化 か などにより街並 まちな み を整備 せいび する動 うご きが見 み られる。観光 かんこう 客 きゃく 増加 ぞうか などの経済 けいざい 効果 こうか を挙 あ げる地域 ちいき もある[57] 。
例 れい
小布施 おぶせ 町 まち - 小布施堂 おぶせどう の新 しん 店舗 てんぽ 計画 けいかく を機会 きかい に、曳屋方式 ほうしき などで宮本 みやもと 常長 つねなが を中心 ちゅうしん に修 おさむ 景 けい 事業 じぎょう を実施 じっし し、経済 けいざい 効果 こうか をもたらす。
長浜 ながはま 市 し - 黒 くろ 壁 かべ スクエア を中心 ちゅうしん に古 ふる い街並 まちな みを整備 せいび 。
宮崎 みやざき 県 けん - 宮崎交通 みやざきこうつう の社長 しゃちょう であった岩切 いわきり 章太郎 しょうたろう が観光 かんこう 施策 しさく として編 あ み出 だ した沿道 えんどう に南国 なんごく の樹木 じゅもく フェニックス を植樹 しょくじゅ する方策 ほうさく は、県 けん の条例 じょうれい となって進 すす められ た。
倉敷 くらしき 市 し - 観光 かんこう 都市 とし というイメージに即 そく した景観 けいかん (倉敷 くらしき 美観 びかん 地区 ちく )を徹底 てってい してつくりだし効果 こうか をあげている。
由布 ゆう 市 し - 湯布院 ゆふいん は観光 かんこう 地 ち として早 はや くに景観 けいかん に取組 とりく み、経済 けいざい 効果 こうか を上 あ げてきた。
黒川 くろかわ 温泉 おんせん - 当地 とうち の旅館 りょかん 、神明 しんめい 館 かん の経営 けいえい 者 しゃ が岩 いわ をくりぬき露天風呂 ろてんぶろ を作 つく ったところ、これが大当 おおあ たりした[58] 。これを契機 けいき として、この経営 けいえい 者 しゃ の提案 ていあん で、各 かく 旅館 りょかん が自然 しぜん と調和 ちょうわ した露天風呂 ろてんぶろ を設 もう け、温泉 おんせん 街 がい から無秩序 むちつじょ な野立 のだち て看板 かんばん 類 るい を一掃 いっそう させ、温泉 おんせん 街 がい の町並 まちな みを古 ふる い湯治 とうじ 場 じょう の雰囲気 ふんいき に統一 とういつ させた。あたかも道路 どうろ が通路 つうろ 、それぞれの旅館 りょかん が小 しょう 部屋 へや であるかのような、街並 まちな みが形成 けいせい されている[58] 。
^ 中村 なかむら 一 はじめ は自著 じちょ の『風景 ふうけい をつくる: 現代 げんだい の造園 ぞうえん と伝統 でんとう 的 てき 日本 にっぽん 庭園 ていえん 』で、風景 ふうけい をlandscape I see,景観 けいかん をlandscape We seeとしている。
^ 地理 ちり 学 がく は法則 ほうそく の追求 ついきゅう よりも法則 ほうそく から外 はず れた例外 れいがい 的 てき な特性 とくせい を追 お う傾向 けいこう が強 つよ いとする主張 しゅちょう [9] 。
^ 千田 せんだ 稔 みのる は自身 じしん の考 かんが えとして、風景 ふうけい は各人 かくじん の精神 せいしん 構造 こうぞう に強 つよ く働 はたら きかけるものであり、自身 じしん に解 と く鍵 かぎ を持 も たない景観 けいかん と異 こと なり、風景 ふうけい 自身 じしん が「身体 しんたい 性 せい 」を持 も つと語 かた っている[11] 。
^ 現在 げんざい 位置 いち を確認 かくにん したり、観察 かんさつ した事柄 ことがら を記録 きろく したりするために用 もち いる、調査 ちょうさ の基礎 きそ (ベース)となる地図 ちず (マップ)。日本 にっぽん 国内 こくない で景観 けいかん 調査 ちょうさ を行 おこな う場合 ばあい 、農村 のうそん の調査 ちょうさ には2500分 ぶん の1都市 とし 計画 けいかく 図 ず や地籍 ちせき 図 ず 、国土 こくど 地理 ちり 院 いん ・林野庁 りんやちょう 撮影 さつえい の空中 くうちゅう 写真 しゃしん 、都市 とし の調査 ちょうさ には都市 とし 計画 けいかく 図 ず やゼンリン の住宅 じゅうたく 地図 ちず などを利用 りよう することが多 おお い[32] 。
^ 天然 てんねん の植生 しょくせい だけでなく、農業 のうぎょう による生産 せいさん 植物 しょくぶつ や観葉 かんよう 植物 しょくぶつ を含 ふく む[44] 。
^ 景観 けいかん は地域 ちいき によって個性 こせい がある。
^ 景観 けいかん は総合 そうごう 的 てき に捉 とら え、周囲 しゅうい との調和 ちょうわ を考 かんが える。
^ 景観 けいかん はすべて共有 きょうゆう 財産 ざいさん として捉 とら える。
^ 美 うつく しさの基準 きじゅん は人 ひと によって異 こと なる。
^ 日常 にちじょう 生活 せいかつ の中 なか にあることを重視 じゅうし する。
^ 各 かく 主体 しゅたい が参加 さんか して景観 けいかん を形成 けいせい する。
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