前川まえかわ國男くにお

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前川まえかわ国男くにおから転送てんそう
前川まえかわ國男くにお
生誕せいたん 1905ねん明治めいじ38ねん5月14にち
新潟にいがたけん新潟にいがた中央ちゅうおう学校町通がっこうちょうどおり2ばんまち
死没しぼつ (1986-06-26) 1986ねん6月26にち(81さいぼつ
東京とうきょうみなと虎ノ門とらのもん
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
出身しゅっしんこう 東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく
職業しょくぎょう 建築けんちく
受賞じゅしょう 日本にっぽん建築けんちく学会がっかいしょう作品さくひんしょう
(1953ねん・1955ねん・1956ねん・1961ねん・1962ねん・1966ねん)
日本にっぽん建築けんちく学会がっかいしょう大賞たいしょう(1968ねん
日本にっぽん芸術げいじゅついんしょう(1974ねん
所属しょぞく 前川まえかわ建築けんちく設計せっけい事務所じむしょ
建築けんちくぶつ 東京文化会館とうきょうぶんかかいかん
東京海上火災とうきょうかいじょうかさいビル

前川まえかわ 國男くにお(まえかわ くにお、1905ねん5月14にち - 1986ねん6月26にち[1])は、日本にっぽん建築けんちく

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

ル・コルビュジエアントニン・レーモンドもとまなび、モダニズム建築けんちく旗手きしゅとして、だい世界せかい大戦たいせん日本にっぽん建築けんちくかいをリードした。丹下たんげ健三けんぞう木村きむら俊彦としひこ前川まえかわ事務所じむしょ出身しゅっしんであった。

近代きんだい建築けんちく最初さいしょした西にしヨーロッパからみればぜん近代きんだいてきであった日本にっぽんに、真正しんせい近代きんだい建築けんちく根付ねつかせるという使命しめいみずからにすことから、前川まえかわ國男くにお出発しゅっぱつした。日本にっぽん日本にっぽん建築けんちくかい当時とうじ先進せんしん地域ちいきどう水準すいじゅん技術ぎじゅつてき土台どだい経済けいざいてき下部かぶ構造こうぞうまたは生産せいさん社会しゃかいてきしょ条件じょうけんそなえるべきであり、もしそれが先行せんこうあるいは並行へいこうして実現じつげんされなければ、日本にっぽん近代きんだい建築けんちくせかけだけの偽物にせものにとどまるしかないであろうと、前川まえかわかんがえた。

だい世界せかい大戦たいせんなか直後ちょくご資材しざい統制とうせいわった1950年代ねんだい前川まえかわは「日本にっぽん相互そうご銀行ぎんこう本店ほんてん」をはじめとするしょ作品さくひんによって「テクニカル・アプローチ」のはんしめし、日本にっぽんにおける近代きんだい建築けんちく技術ぎじゅつてきしょ課題かだい克服こくふく直接的ちょくせつてきかつ間接かんせつてき寄与きよした。

しかしその設計せっけい作品さくひんは、初期しょきおよび中期ちゅうきにおいてさえ、均等きんとうラーメン構造こうぞう工業こうぎょう機能きのう主義しゅぎひとしによって特徴付とくちょうづけられる(いわゆる国際こくさい様式ようしきの)たんなる近代きんだい建築けんちくというよりは、「ひかりしたわされた諸々もろもろのヴォリュームの巧緻こうち精確せいかく壮麗そうれい遊戯ゆうぎ」(ル・コルビュジエ)とみなすことができ、人間にんげんてき尺度しゃくど民俗みんぞくてきまたは土着どちゃくてきあたたかみを兼備けんびしている。

1960年代ねんだいなか以降いこう前川まえかわ産業さんぎょう社会しゃかいとそれをささえる合理ごうり主義しゅぎのいくつかの側面そくめんにきわめて批判ひはんてきになったが、近代きんだい運動うんどう理想りそう最良さいりょう部分ぶぶん最後さいごまで放棄ほうきしなかった。なによりも強調きょうちょうするべきことは、前川まえかわはその生涯しょうがいとお建築けんちく職能しょくのう職業しょくぎょう倫理りんり確立かくりつのために尽力じんりょくしたと[2]

経歴けいれき[編集へんしゅう]

受賞じゅしょう[編集へんしゅう]

おも作品さくひん[編集へんしゅう]

木村産業研究所
木村きむら産業さんぎょう研究所けんきゅうじょ
自邸(江戸東京たてもの園に移築)
自邸じてい江戸えど東京とうきょうたてものえん移築いちく
EXPO'70パビリオン(旧鉄鋼館)
EXPO'70パビリオンきゅう鉄鋼てっこうかん
埼玉県立博物館(現・埼玉県立歴史と民俗の博物館)
埼玉さいたま県立けんりつ博物館はくぶつかんげん埼玉さいたま県立けんりつ歴史れきし民俗みんぞく博物館はくぶつかん
東京海上日動ビルディング本館(旧・東京海上ビルディング本館)
東京とうきょう海上かいじょう日動にちどうビルディング本館ほんかんきゅう東京とうきょう海上かいじょうビルディング本館ほんかん
ケルン市立東洋美術館。内庭に流政之による禅庭。前川が関わった国立西洋美術館がユネスコ世界遺産になったのを機に、当美術館も2012年より保護されている。[7]
ケルン市立しりつ東洋とうよう美術館びじゅつかん内庭うちにわながれ政之まさゆきによるぜんにわ前川まえかわかかわった国立こくりつ西洋せいよう美術館びじゅつかんユネスコ世界せかい遺産いさんになったのをに、とう美術館びじゅつかんも2012ねんより保護ほごされている。[7]
建造けんぞうぶつめい とし 所在地しょざいち 状態じょうたい 指定してい 備考びこう1
/財団ざいだん法人ほうじん木村きむら産業さんぎょう研究所けんきゅうじょ 1932ねん昭和しょうわ7ねん 02青森あおもりけん弘前ひろさき 重要じゅうよう文化財ぶんかざい[8]DOCOMOMOせん[9]
/自邸じてい 1942ねん昭和しょうわ17ねん 13東京とうきょう小金井こがねい 移築いちく
/プレモス住宅じゅうたく 1949ねん昭和しょうわ24ねん 現存げんそんせず 木造もくぞう組立くみた住宅じゅうたく
/きゅう日本にっぽん相互そうご銀行ぎんこう本店ほんてん 1952ねん昭和しょうわ27ねん 13東京とうきょう中央ちゅうおう 現存げんそんせず 日本にっぽん建築けんちく学会がっかいしょう、DOCOMOMOせん[9]
/青森あおもり県立けんりつ弘前中央高等学校ひろさきちゅうおうこうとうがっこう講堂こうどう 1954ねん昭和しょうわ29ねん 02青森あおもりけん弘前ひろさき DOCOMOMOせん[9]
/MIDビル 1954ねん昭和しょうわ29ねん 13東京とうきょう新宿しんじゅく
/NHK富士見ヶ丘ふじみがおかクラブハウス 1954ねん昭和しょうわ29ねん 13東京とうきょう杉並すぎなみ 現存げんそんせず
/神奈川かながわ県立けんりつ図書館としょかんおと楽堂がくどう 1954ねん昭和しょうわ29ねん 14神奈川かながわけん横浜よこはま 日本にっぽん建築けんちく学会がっかいしょう、DOCOMOMOせん[9] 神奈川かながわ県立けんりつ図書館としょかんについては2022ねん9がつにオープンするしんむねあらたに本館ほんかんとなり、それに先立さきだって前川まえかわ設計せっけいしたきゅう本館ほんかんは2022ねん4がつから「前川まえかわ國男くにおかん」に名称めいしょう変更へんこうされる[10]
/国際こくさい文化ぶんか会館かいかん 1955ねん昭和しょうわ30ねん 13東京とうきょうみなと 日本にっぽん建築けんちく学会がっかいしょう、DOCOMOMOせん[9] 共同きょうどう設計せっけい坂倉さかくらじゅんさん吉村よしむら順三じゅんぞう
/福島ふくしまけん教育きょういく会館かいかん 1956ねん昭和しょうわ31ねん 07福島ふくしまけん福島ふくしま DOCOMOMOせん[9]
/岡山おかやまけん庁舎ちょうしゃ 1957ねん昭和しょうわ32ねん 33岡山おかやまきた DOCOMOMOせん[9]
/公団こうだん阿佐ヶ谷あさがや団地だんち 1958ねん昭和しょうわ33ねん 13東京とうきょう杉並すぎなみ 現存げんそんせず
/晴海はるみ高層こうそうアパート 1958ねん昭和しょうわ33ねん 13東京とうきょう中央ちゅうおう 一部いちぶ移築いちく保存ほぞん[1]
/弘前ひろさき市役所しやくしょ 1958ねん昭和しょうわ33ねん 02青森あおもりけん弘前ひろさき 登録とうろく有形ゆうけい文化財ぶんかざい
/ブリュッセル万国博ばんこくはく日本にっぽんかん 1958ねん昭和しょうわ33ねん ベルギー 現存げんそんせず
/世田谷せたがや区民くみん会館かいかん世田谷せたがや区役所くやくしょ 1959ねん昭和しょうわ34ねん 13東京とうきょう世田谷せたがや DOCOMOMOせん[9]
/学習院大学がくしゅういんだいがく中央ちゅうおう教室きょうしつピラミッド校舎こうしゃ 1960ねん昭和しょうわ35ねん 13東京とうきょう豊島としま 現存げんそんせず
/学習院大学がくしゅういんだいがくきた1号館ごうかんきゅう文学部ぶんがくぶとう)・みなみ2号館ごうかん 1960ねん昭和しょうわ35ねん 13東京とうきょう豊島としま
/学習院大学がくしゅういんだいがく大学だいがく図書館としょかん 1960ねん昭和しょうわ35ねん 13東京とうきょう豊島としま 大学だいがく図書館としょかん機能きのうは2023ねん移転いてんどう年度ねんどちゅう耐震たいしん改修かいしゅう工事こうじとあわせて外観がいかん竣工しゅんこう当時とうじ姿すがたもどし「かすみ会館かいかん記念きねん学習がくしゅういんミュージアム」に改修かいしゅうする計画けいかく[11]
/京都きょうと会館かいかん 1960ねん昭和しょうわ35ねん 26京都きょうと左京さきょう だいいちホール
以外いがい現存げんそん
日本にっぽん建築けんちく学会がっかいしょう、BCSしょう、DOCOMOMOせん[9] げん:ロームシアター京都きょうと
/東京文化会館とうきょうぶんかかいかん 1961ねん昭和しょうわ36ねん 13東京とうきょう台東たいとう DOCOMOMOせん[9]
/国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん本館ほんかん 1961ねん昭和しょうわ36ねん 13東京とうきょう千代田ちよだ
/岡山おかやまけん総合そうごう文化ぶんかセンター 1961ねん昭和しょうわ36ねん 33岡山おかやまけん岡山おかやま げん岡山おかやまけん天神山てんじんやま文化ぶんかプラザ
/神奈川かながわ県立けんりつ青少年せいしょうねんセンター 1962ねん昭和しょうわ37ねん 14神奈川かながわけん横浜よこはま DOCOMOMOせん[12]
/林原はやしばら美術館びじゅつかん 1963ねん昭和しょうわ37ねん 33岡山おかやまきた
/紀伊國屋きのくにやビルディング 1964ねん昭和しょうわ39ねん 13東京とうきょう新宿しんじゅく DOCOMOMOせん[9]

東京とうきょう選定せんてい歴史れきしてき建造けんぞうぶつ[13]

/弘前ひろさき市民しみん会館かいかん 1964ねん昭和しょうわ39ねん 02青森あおもりけん弘前ひろさき
/世田谷せたがや郷土きょうど資料しりょうかん 1964ねん昭和しょうわ39ねん 13東京とうきょう世田谷せたがや
/じゃビル 1965ねん昭和しょうわ40ねん 13東京とうきょう中央ちゅうおう 現存げんそんせず 日本にっぽん建築けんちく学会がっかいしょう
/神奈川かながわ婦人ふじん会館かいかん 1965ねん昭和しょうわ40ねん 14神奈川かながわけん横浜よこはま DOCOMOMOせん[12]
/埼玉会館さいたまかいかん 1966ねん昭和しょうわ41ねん 11埼玉さいたまけんさいたま 登録とうろく有形ゆうけい文化財ぶんかざい DOCOMOMOせん[12]
/日本にっぽん万国博覧会ばんこくはくらんかい鉄鋼てっこうかん 1970ねん昭和しょうわ45ねん 27大阪おおさか吹田すいた げん・EXPO'70パビリオン
/日本にっぽん万国博覧会ばんこくはくらんかい自動車じどうしゃかん 1970ねん昭和しょうわ45ねん 27大阪おおさか吹田すいた 現存げんそんせず
/弘前ひろさき市立しりつ病院びょういん 1971ねん昭和しょうわ46ねん 02青森あおもりけん弘前ひろさき
/埼玉さいたま県立けんりつ博物館はくぶつかん 1971ねん昭和しょうわ46ねん 11埼玉さいたまけんさいたま 毎日まいにち芸術げいじゅつしょう日本にっぽん芸術げいじゅついんしょう、2002ねん日本にっぽん建築けんちく協会きょうかい25ねんしょう[14] げん埼玉さいたま県立けんりつ歴史れきし民俗みんぞく博物館はくぶつかん
/東京とうきょう海上かいじょうビルディング本館ほんかん 1974ねん昭和しょうわ49ねん 13東京とうきょう千代田ちよだ 現存げんそんせず のち東京とうきょう海上かいじょう日動にちどうビルディング本館ほんかん
/東京とうきょう美術館びじゅつかん 1975ねん昭和しょうわ50ねん 13東京とうきょう台東たいとう
/ケルン市立しりつ東洋とうよう美術館びじゅつかん 1976ねん昭和しょうわ51ねん ドイツケルン
/弘前ひろさき市立しりつ博物館はくぶつかん 1976ねん昭和しょうわ51ねん 02青森あおもりけん弘前ひろさき
/熊本くまもと県立けんりつ美術館びじゅつかん 1977ねん昭和しょうわ52ねん 43熊本くまもとけん熊本くまもと 2006ねん日本にっぽん建築けんちく協会きょうかい25ねんしょう大賞たいしょう[15]、DOCOMOMOせん[9]
/白河しらかわ文化ぶんかセンター 1977ねん昭和しょうわ52ねん 07福島ふくしまけん白河しらかわ
/山梨やまなし県立けんりつ美術館びじゅつかん  1978ねん昭和しょうわ53ねん 19山梨やまなしけん甲府こうふ
/福岡ふくおか美術館びじゅつかん 1979ねん昭和しょうわ54ねん 40福岡ふくおか中央ちゅうおう
/藤枝ふじえだ市立しりつ図書館としょかん 1979ねん昭和しょうわ54ねん 22静岡しずおかけん藤枝ふじえだ
/国立こくりつ西洋せいよう美術館びじゅつかん新館しんかん 1979ねん昭和しょうわ54ねん 13東京とうきょう台東たいとう
/白河しらかわ歴史れきし民俗みんぞく資料しりょうかん 1979ねん昭和しょうわ54ねん 07福島ふくしまけん白河しらかわ
/弘前ひろさきみどり相談そうだんしょ 1980ねん昭和しょうわ55ねん 02青森あおもりけん弘前ひろさき
/埼玉さいたま県立けんりつ自然しぜん博物館はくぶつかん 1981ねん昭和しょうわ56ねん 11埼玉さいたまけん長瀞ながとろまち げん埼玉さいたま県立けんりつ自然しぜん博物館はくぶつかん
/宮城みやぎけん美術館びじゅつかん 1981ねん昭和しょうわ56ねん 04宮城みやぎけん仙台せんだい
/熊本くまもと県立けんりつ劇場げきじょう 1982ねん昭和しょうわ57ねん 43熊本くまもとけん熊本くまもと
/国際基督教大学こくさいきりすときょうだいがく湯浅ゆあさ八郎はちろう記念きねんかん 1982ねん昭和しょうわ57ねん 13東京とうきょう三鷹みたか
/学習がくしゅういん女子じょし大学だいがく図書館としょかん 1982ねん昭和しょうわ57ねん 13東京とうきょう新宿しんじゅく
/弘前ひろさき斎場さいじょう 1983ねん昭和しょうわ58ねん 青森あおもりけん弘前ひろさき 2009ねん日本にっぽん建築けんちく協会きょうかい25ねんしょう[16]
/国立音楽大学くにたちおんがくだいがく講堂こうどう 1983ねん昭和しょうわ58ねん 13東京とうきょう国立こくりつ
/横浜よこはまちゅう区役所くやくしょ 1983ねん昭和しょうわ58ねん 14神奈川かながわけん横浜よこはま
/新潟にいがた美術館びじゅつかん 1985ねん昭和しょうわ60ねん 15新潟にいがたけん新潟にいがた
/石垣いしがき市民しみん会館かいかん 1985ねん昭和しょうわ60ねん 47沖縄おきなわけん石垣いしがき
/国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん新館しんかん 1986ねん昭和しょうわ61ねん 13東京とうきょう千代田ちよだ
/東京大学とうきょうだいがく山上さんじょう会館かいかん 1986ねん昭和しょうわ61ねん 13東京とうきょう文京ぶんきょう

エピソード[編集へんしゅう]

建築けんちくてきプロムナード[編集へんしゅう]

ル・コルビュジエが映画えいがキュビスム絵画かいがアラブ建築けんちくひとし原理げんり研究けんきゅうしながら考案こうあんした内部ないぶ交通こうつうシステム。建築けんちく富永とみながゆずるによれば、前川まえかわ作品さくひんにおける建築けんちくてきプロムナードは、初期しょきおよび中期ちゅうきにおいては、ル・コルビュジエのつよ影響えいきょうにあり、シトロアン住宅じゅうたくにみられるようなけをとおしての垂直すいちょくてき運動うんどう重視じゅうししていた。しかし、ル・コルビュジエの没年ぼつねんでもあった1965ねん以降いこうとく後期こうき美術館びじゅつかんぐんにおいては、「あるしゅ音楽おんがくてきなリズム」あるいは緩急かんきゅう変化へんかともな水平すいへい方向ほうこう運動うんどう相対そうたいてきつよまり、造園ぞうえん書道しょどうとも関連かんれんするとかんがえられる「一筆ひとふでき」のプランとともに日本にっぽんてき空間くうかん把握はあくもとづく独自どくじ建築けんちくてきプロムナードを完成かんせいさせた。

ル・コルビュジエの散策さんさくでは、来訪らいほうしゃあゆみをすすめるにつれ、様々さまざまなパースペクティヴ(遠近えんきんかん)が継起けいきしながら展開てんかいする。それは「えず変化へんかみ、おもいがけず、ときとしておどろきをあたえる諸々もろもろ様相ようそう」を提供ていきょうし、ひかり薄暗うすくらがりをつくしたり、突然とつぜん建物たてもの外部がいぶかってひらかれたパースペクティヴのなかに来訪らいほうしゃんだりする、おおくの仕掛しかけにちている。

後期こうき前川まえかわ作品さくひんにも同様どうよう特徴とくちょうのこっているといえるが、富永とみなが的確てきかく指摘してきするように、「水平すいへい雁行がんこうしながら増殖ぞうしょくするLがたかべ」が「生活せいかつかんのある細部さいぶしょ要素ようそ」とともに空間くうかん連続れんぞくせい構成こうせいしており、同時どうじにまた、この連続れんぞくせいは「時間じかんてき経過けいかのなかできる現象げんしょう意図いとした緻密ちみつなデザイン」につらぬかれている。それはたん来訪らいほうしゃ外部がいぶかわせるだけでなく、風景ふうけいぶしうつろいをみ、うつむための背景はいけい、つまりそれ自身じしん目立めだつことをのぞまないひかえめな装置そうちとして構想こうそうされているのである。このような建築けんちくてきプロムナードは来訪らいほうしゃをせわしなくあるかせつづけるわりに、そこここでまらせ、たたずませ、いこくつろぎながら「自分じぶんもどすこと」を可能かのうにする。富永とみながはそれを「かべをめぐる目的もくてきのないたび漂泊ひょうはく)の空間くうかん」とび、建築けんちくクリストファー・アレグザンダーの「無名むめいしつ」についての哲学てつがくてき省察せいさつ関連付かんれんづける。このようにして富永とみながは、後期こうき前川まえかわ國男くにおが「人生じんせいはかなさ」に対峙たいじして建築けんちくのなかにもとめた「永遠えいえん」が、たんに「みタイルの耐久たいきゅうせい」のみに還元かんげんされるわけではないことを示唆しさしている[18]

今野こんの政憲まさのり, 大川おおかわ三雄みつお 建築けんちく前川まえかわ國男くにおの「エスプラナード」の形成けいせい過程かていかんするいち考察こうさつ (PDF) (『平成へいせい25年度ねんど日本にっぽん大学だいがく理工学部りこうがくぶ 学術がくじゅつ講演こうえんかいろん文集ぶんしゅう』)によると、エスプラナード、あるいは、いこいの広場ひろばばれる外部がいぶ空間くうかん存在そんざいする。

前川まえかわ事務所じむしょ出身しゅっしん建築けんちく構造こうぞう[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 前川まえかわ國男くにお作品さくひんしゅう刊行かんこうかい前川まえかわ國男くにお作品さくひんしゅう 建築けんちく方法ほうほう Ⅱ』美術びじゅつ出版しゅっぱんしゃ、1990ねん8がつ30にち、81ぺーじ 
  2. ^ 建築けんちく雑誌ざっしの『プロセスアーキテクチュア』43ごう前川まえかわ國男くにお 近代きんだい日本にっぽん建築けんちく源流げんりゅう」(PROCESS Architecture 1984ねん1がつごう)にもくわしい。
  3. ^ 宮内みやうち嘉久よしひさ前川まえかわ國男くにお 賊軍ぞくぐんしょう晶文社しょうぶんしゃ、2005ねん、14ぺーじISBN 4-7949-6683-0 
  4. ^ a b c d 【みちものがたり】建築けんちく前川まえかわ國男くにおのみち(青森あおもりけん弘前ひろさき)「ければ賊軍ぞくぐんたたか巨匠きょしょう抵抗ていこうしながら到達とうたつした境地きょうち朝日新聞あさひしんぶん朝刊ちょうかんBe(土曜日どようび別刷べつづり)2019ねん6がつ6にち、6-7めん。2019ねん6がつ21にち閲覧えつらん
  5. ^ 中田なかた準一じゅんいち前川まえかわさん、すべて自邸じていでやってたんですね』あきらこくしゃ、2015ねん、10ぺーじISBN 978-4-395-32040-0 
  6. ^ 朝日新聞あさひしんぶん』1974ねん4がつ10日とおか東京とうきょう本社ほんしゃ発行はっこう朝刊ちょうかん、18ぺーじ
  7. ^ ArchitekturMuseum für Ostasiatische Kunst
  8. ^ 重要じゅうよう文化財ぶんかざい建造けんぞうぶつ)の指定していについて
  9. ^ a b c d e f g h i j k l DOCOMOMO. “registration”. docomomo. 2019ねん3がつ5にち閲覧えつらん
  10. ^ 神奈川かながわ県立けんりつ図書館としょかん新本しんぽんかん、9月オープンへ げん本館ほんかんは4がつから「前川まえかわ國男くにおかん」に ロゴのデザインもリニューアル 東京とうきょう新聞しんぶん、2022ねん3がつ29にち閲覧えつらん
  11. ^ 前川まえかわ建築けんちく図書館としょかん外観がいかん復元ふくげん/記念きねんミュージアムへ23年度ねんどない工事こうじ着手ちゃくしゅ/学習がくしゅういん. 建設けんせつ通信つうしん新聞しんぶん. (2023ねん4がつ21にち). オリジナルの2023ねん4がつ29にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20230429233115/https://www.kensetsunews.com/archives/817249 2023ねん4がつ30にち閲覧えつらん 
  12. ^ a b c DOCOMOMO. “2017年度ねんど DOCOMOMO Japan 選定せんてい作品さくひん”. docomomo. 2019ねん3がつ5にち閲覧えつらん
  13. ^ 紀伊國屋きのくにやビルディングが東京とうきょう選定せんてい歴史れきしてき建造けんぞうぶつ選定せんてい”. ほんの「いま」がわかる 紀伊國屋きのくにや書店しょてん. 2019ねん3がつ5にち閲覧えつらん
  14. ^ http://www.jia.or.jp/member/award/25years/2002/main.htm
  15. ^ http://www.jia.or.jp/member/award/25years/2006/main.htm
  16. ^ http://www.jia.or.jp/member/award/25years/2009/main.htm
  17. ^ a b c d e f まるうちのシンボル「東京とうきょう海上かいじょう日動にちどうビル」解体かいたいへ 皇居こうきょ周辺しゅうへんはつちょう高層こうそうビル」『東京とうきょう新聞しんぶん』、2021ねん4がつ4にち2021ねん4がつ7にち閲覧えつらん
  18. ^ くわしくは『前川まえかわ國男くにお 現代げんだいとの対話たいわ』(松隈まつぐまようへんろく耀社)を参照さんしょう

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • いち建築けんちく信条しんじょう宮内みやうち嘉久よしひさへん晶文社しょうぶんしゃ、1981ねんオンデマンドはん2007ねん)- 著書ちょしょ
  • 建築けんちく前夜ぜんや 前川まえかわ國男くにお文集ぶんしゅうどう文集ぶんしゅう編集へんしゅう委員いいんかいへん而立じりつ書房しょぼう、1996ねん
  • 前川まえかわ國男くにお 賊軍ぞくぐんしょう宮内みやうち嘉久よしひさ晶文社しょうぶんしゃ、2005ねん)- 伝記でんき
  • 前川まえかわさん、すべて自邸じていでやってたんですね 前川まえかわ國男くにおのアイデンティティー中田なかた準一じゅんいちあきらこくしゃ、2015ねん
  • 前川まえかわ國男くにお 現代げんだいとの対話たいわ』(松隈まつぐまようへんろく耀社、2006ねん)- 14めい論集ろんしゅう

評伝ひょうでん図録ずろく[編集へんしゅう]

  • 建築けんちく前夜ぜんや 前川まえかわ國男くにおろん松隈まつぐまようみすず書房しょぼう、2016ねん)- ぜん半生はんせい研究けんきゅう伝記でんき
  • 建築けんちく 前川まえかわ國男くにお仕事しごと美術びじゅつ出版しゅっぱんしゃ、2006ねん)- 「生誕せいたん100ねん 前川まえかわ國男くにお建築けんちくてん図録ずろく改訂かいてい
  • 前川まえかわ國男くにお作品さくひんしゅう 建築けんちく方法ほうほう宮内みやうち嘉久よしひさへん美術びじゅつ出版しゅっぱんしゃ、1990ねん)- 2さつぐみ大著たいちょ
  • 『SD スペースデザイン』「特集とくしゅう 前川まえかわ國男くにおのこした空間くうかん」(鹿島かしま出版しゅっぱんかい、1992ねん4がつごう)- 雑誌ざっし特集とくしゅう
  • 前川まえかわ國男くにお弟子でしたちはかたる(前川まえかわ國男くにお建築けんちく設計せっけい事務所じむしょOB有志ゆうし建築資料研究社けんちくしりょうけんきゅうしゃ建築けんちくライブラリー〉、2006ねん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]