ヒンドゥー・ナショナリズム (英 えい : Hindu nationalism )とは、主 おも にインド において有力 ゆうりょく なヒンドゥー教 きょう に基 もと づく政治 せいじ 思想 しそう で、インドの歴史 れきし における精神 せいしん 的 てき 、文化 ぶんか 的 てき 伝統 でんとう に基礎 きそ を置 お くナショナリズム 的 てき な考 かんが え方 かた である。
注意 ちゅうい すべき点 てん として、日本 にっぽん のマスコミ報道 ほうどう では、後述 こうじゅつ するヒンドゥトヴァ (हिन्दुत्व )と一体 いったい となって「ヒンドゥー至上 しじょう 主義 しゅぎ (supremacy of Hindu beliefs)」と呼 よ ばれることが多 おお いが、日本 にっぽん 以外 いがい の国 くに では「ヒンドゥー民族 みんぞく 主義 しゅぎ 」(Hindu nationalism)が一般 いっぱん 的 てき である。特 とく にヨーロッパ 諸国 しょこく がインドを植民 しょくみん 地 ち 化 か し英 えい 領 りょう インド帝国 ていこく に至 いた るなかで、これへの疑問 ぎもん として形成 けいせい [1] されていった経緯 けいい をもち、その活動 かつどう にはイギリス当局 とうきょく への武装 ぶそう 闘争 とうそう [2] から非 ひ 暴力 ぼうりょく ・市民 しみん 的 てき 不 ふ 服従 ふくじゅう まで[3] を広 ひろ く含 ふく んできた。現在 げんざい もマハトマ・ガンディー とは別 べつ 系統 けいとう の社会 しゃかい 思想 しそう として無視 むし できない数 かず の支持 しじ 者 しゃ ・支持 しじ 団体 だんたい を有 ゆう している。
インドにおける最大 さいだい 与党 よとう 、インド人民 じんみん 党 とう の事実 じじつ 上 じょう の母体 ぼたい である、民族 みんぞく 義勇 ぎゆう 団 だん (RSS)がヒンドゥー・ナショナリズムにおける最大 さいだい 組織 そしき であり、ガンディーを売国奴 ばいこくど 、またガンディーを暗殺 あんさつ した人物 じんぶつ を英雄 えいゆう とするなどの歴史 れきし 修正 しゅうせい や、非 ひ ヒンドゥー教徒 きょうと や相反 あいはん する考 かんが えを持 も つ者 もの の弾圧 だんあつ や暗殺 あんさつ を行 おこな っている[4] [5] [6] [7] [8] [9] 。第 だい 18代 だい インド首相 しゅしょう であるナレンドラ・モディ もRSSの元 もと 活動 かつどう 家 か として知 し られている[10] [11] 。
ヒンドゥー・ナショナリストのスローガン は「Desh ke gaddaron ko Goli maro(国 くに の裏切 うらぎ り者 もの を撃 げき て )」[12] [13] [14] [15] 。
「ヒンドゥー」 Hindu の語源 ごげん は、サンスクリット でインダス川 がわ を意味 いみ する sindhu が古代 こだい ペルシア で転訛 てんか したもの。「(ペルシアから見 み て)インダス川 がわ 対岸 たいがん に住 す む人々 ひとびと 」の意味 いみ で用 もち いられていたものが、インドに逆 ぎゃく 輸入 ゆにゅう され、定着 ていちゃく した。インド植民 しょくみん 地 ち 時代 じだい に大 だい 英 えい 帝国 ていこく 側 がわ がインド土着 どちゃく の民族 みんぞく 宗教 しゅうきょう を包括 ほうかつ 的 てき に示 しめ す名称 めいしょう として採用 さいよう したことから、この呼称 こしょう が広 ひろ まった。
シヴァージーの像 ぞう
ヒンドゥー教 きょう では、解脱 げだつ へ三 みっ つの道 みち を説 と いており、それは知識 ちしき (ジャニャーナ)の道 みち 、宗教 しゅうきょう 的 てき 義務 ぎむ を遂行 すいこう する行為 こうい (カルマ)の道 みち 、そして信愛 しんあい (バクティ)である。バクティ とは、もともと夫 おっと と妻 つま のような、契約 けいやく や約束 やくそく によらない人間 にんげん 同士 どうし の信愛 しんあい を示 しめ した言葉 ことば であり、これを神 かみ との関係 かんけい にまで拡大 かくだい し、最高 さいこう 神 しん に帰依 きえ すれば最高 さいこう 神 しん の恩寵 おんちょう によって救 すく われるとしたのがバクティ運動 うんどう である。7世紀 せいき 頃 ころ に南 みなみ インド から始 はじ まり、インド全土 ぜんど にひろまったバクティ運動 うんどう は、伝統 でんとう 的 てき な宗教 しゅうきょう 儀式 ぎしき を無視 むし し、カースト 制度 せいど にも無関心 むかんしん なためにバラモン 階級 かいきゅう を悩 なや ませ、そのため長 なが い間 あいだ バラモンに反対 はんたい されていたことは疑 うたが いない。後代 こうだい にはバクティ運動 うんどう 自体 じたい がより正統 せいとう 的 てき なものになり、ヒンドゥー教 きょう の主流 しゅりゅう となった。
デリー・スルターン朝 あさ によって北 きた インド のイスラーム 化 か が進 すす むにつれ、南 みなみ インド のヴィジャヤナガル王国 おうこく は隣接 りんせつ するイスラーム王朝 おうちょう ・ビジャープル王国 おうこく などとも闘 たたか いながら、ヒンドゥー教 きょう 意識 いしき を強 つよ めていった。
ムガル帝国 ていこく の下 した ではアクバル が宗教 しゅうきょう に対 たい して寛容 かんよう な政策 せいさく を採 と ったこともあったが、アウラングゼーブ のヒンドゥー教 きょう はじめ他 た 宗教 しゅうきょう への厳 きび しい弾圧 だんあつ 政策 せいさく がかえって反発 はんぱつ を呼 よ び、シヴァージー によるヒンドゥー教徒 きょうと のマラーター王国 おうこく 建国 けんこく やラージプート の抵抗 ていこう などを招 まね き、のちに彼 かれ らは衰退 すいたい していくムガル帝国 ていこく よりも新 あら たな征服 せいふく 者 しゃ であるイギリス に対抗 たいこう するようになっていく。
19世紀 せいき のヒンドゥー教 きょう 改革 かいかく [ 編集 へんしゅう ]
スワーミー・ ダーヤーナンダ
19世紀 せいき に入 はい ると、そうした武力 ぶりょく 抵抗 ていこう ばかりでなく、ヒンドゥー教 きょう を通 つう じた精神 せいしん 的 てき ・文化 ぶんか 的 てき な社会 しゃかい 改革 かいかく の運動 うんどう が起 お きるようになる。その初期 しょき のものがブラフモ・サマージ であった。
ベンガル人 じん のラーム・モーハン・ローイ によって開始 かいし されたこの運動 うんどう は、古代 こだい のウパニシャッド を時代 じだい に応 おう じた合理 ごうり 主義 しゅぎ 的 てき なものに再 さい 構成 こうせい することに努 つと め、偶像 ぐうぞう 崇拝 すうはい や宗教 しゅうきょう 的 てき 習慣 しゅうかん を欠 か いた一神教 いっしんきょう を信 しん じ、カースト 差別 さべつ や女性 じょせい 差別 さべつ を批判 ひはん [16] 。
続 つづ いてアーリヤ・サマージ がスワーミー・ダーヤーナンダ (英語 えいご 版 ばん ) によって設立 せつりつ され、キリスト教 きりすときょう 、イスラム教 いすらむきょう 、さらにはヒンドゥー教 きょう 内部 ないぶ の幼児 ようじ 婚 こん の習慣 しゅうかん やバラモン批判 ひはん に踏 ふ み込 こ み、団体 だんたい そのものは社会 しゃかい 改革 かいかく を目的 もくてき としていたがインド独立 どくりつ 運動 うんどう の革命 かくめい 家 か や政治 せいじ 的 てき リーダー を輩出 はいしゅつ した。
ヴィヴェーカーナンダ(中央 ちゅうおう のターバンの人物 じんぶつ 。1893年 ねん の世界 せかい 宗教 しゅうきょう 会議 かいぎ にて)
そしてラーマクリシュナ の主要 しゅよう な弟子 でし であるヴィヴェーカーナンダ が普遍 ふへん 宗教 しゅうきょう を説 と いて物質 ぶっしつ 主義 しゅぎ を批判 ひはん 、ヒンドゥー教 きょう の新 しん 境地 きょうち を開 ひら いた。
この思想 しそう はマハトマ・ガンディー の社会 しゃかい 思想 しそう であるガンディー主義 しゅぎ やサルヴパッリー・ラーダークリシュナン (後 ご の第 だい 2代 だい インド大統領 だいとうりょう )の思想 しそう の基礎 きそ となったが、いっぽう今日 きょう におけるヒンドゥー・ナショナリズムの源泉 げんせん ともなった[1] 。ある民族 みんぞく 義勇 ぎゆう 団 だん (RSS)の活動 かつどう 家 か は「ヴィヴェーカーナンダはRSSの『バガヴァッド・ギーター 』だ」と言 い ったという。
20世紀 せいき 初頭 しょとう のヒンドゥー・ナショナリズムの創始 そうし [ 編集 へんしゅう ]
インディア・ハウスが活動 かつどう した建物 たてもの (ロンドン)
具体 ぐたい 的 てき にヒンドゥー・ナショナリズムが始 はじ まるのは1905年 ねん 、イギリスの著名 ちょめい な社会 しゃかい 主義 しゅぎ 者 もの ヘンリー・ハインドマン が発起人 ほっきにん [17] となったロンドン の活動 かつどう 家 か グループインディア・ハウス (英語 えいご 版 ばん ) においてであり、ここはヒンドゥー・ナショナリズムとインドの共産 きょうさん 主義 しゅぎ との接点 せってん となった[18] 。ここを基盤 きばん にヴィナーヤク・ダーモーダル・サーヴァルカル (英語 えいご 版 ばん ) はラーマヤーナ を引 ひ き合 あ いに暴力 ぼうりょく ・武力 ぶりょく を含 ふく んだ独立 どくりつ 闘争 とうそう を説 と き、いっぽうガンディーは非 ひ 暴力 ぼうりょく の社会 しゃかい 改革 かいかく 運動 うんどう を主張 しゅちょう した。
サーヴァルカルは自 みずか らの概念 がいねん をヒンドゥトヴァ (हिन्दुत्व )として提唱 ていしょう し(パンフレット を刊行 かんこう したのは1923年 ねん )、また政治 せいじ 団体 だんたい (政党 せいとう )ヒンドゥー・マハーサバー (英語 えいご 版 ばん ) (हिन्दू महासभा 、ヒンドゥー大 だい 会議 かいぎ といった意味 いみ )を創始 そうし している(1915年 ねん )。
Lal-Bal-Palと呼 よ ばれた3人 にん 、左 ひだり からラーイ、ティラク、パール
またインド国民 こくみん 会議 かいぎ 派 は においてもLal-Bal-Pal (英語 えいご 版 ばん ) と呼 よ ばれた3人 にん 、アーリヤ・サマージ の影響 えいきょう を受 う けたパンジャーブ人 じん のラーラー・ラージパト・ラーイ (英語 えいご 版 ばん ) 、インド中部 ちゅうぶ のバール・ガンガーダル・ティラク (それまでにガネーシュ・フェスティバル やシヴァージー 祭典 さいてん の組織 そしき 化 か に成功 せいこう していた)、ベンガル人 じん のビーピーン・チャンドラ・パール (英語 えいご 版 ばん ) らの急進 きゅうしん 派 は が台頭 たいとう してスワデーシー (国産 こくさん 品 ひん 愛用 あいよう )運動 うんどう や、1905年 ねん のベンガル分割 ぶんかつ 令 れい [注釈 ちゅうしゃく 1] などに激 はげ しい抗議 こうぎ 運動 うんどう を展開 てんかい した。オーロビンド・ゴーシュ が政治 せいじ 活動 かつどう をしたのもこの時期 じき である。
ガンディー(左 ひだり )がヒンドゥー・ナショナリストと名乗 なの ったことはない。いっぽうチャンドラ・ボース(右 みぎ )は社会 しゃかい 主義 しゅぎ の源泉 げんせん をヴィヴェーカーナンダに求 もと めた。
サーヴァルカルや「Lal-Bal-Pal 」と呼 よ ばれた3人 にん は激 はげ しい反 はん イギリス的 てき な姿勢 しせい をみせたと同時 どうじ に、インドの土着 どちゃく 性 せい としてヒンドゥーの側面 そくめん を強調 きょうちょう したのが大 おお きな特徴 とくちょう であった。しかしこうした急進 きゅうしん 派 は の態度 たいど は1906年 ねん に結成 けっせい されたムスリム連盟 れんめい などと軋轢 あつれき を生 しょう じさせる。さらに第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん の後 のち に独立 どくりつ 運動 うんどう の主導 しゅどう 権 けん を握 にぎ り、独自 どくじ の指導 しどう で国民 こくみん 会議 かいぎ 派 は の統一 とういつ を回復 かいふく したマハトマ・ガンディー が自 みずか らをヒンドゥー・ナショナリストと位置 いち づけたことはなく、ダルマ (Dharma , धर्म , )と「ラーマ・ラージヤ」(Rama Rajya , राम राज्य , 「ラーマ の支配 しはい 」の意味 いみ )を自身 じしん の社会 しゃかい 的 てき ・政治 せいじ 的 てき 哲学 てつがく として信 しん じたうえでアヒンサー (不 ふ 殺生 せっしょう )に基 もと づく非 ひ 暴力 ぼうりょく かつ平和 へいわ 主義 しゅぎ 的 てき な市民 しみん 的 てき 不 ふ 服従 ふくじゅう 路線 ろせん を採 と り、また広 ひろ げていた[注釈 ちゅうしゃく 2] 。こうしたガンディーの姿勢 しせい に飽 あ き足 た らないひとりにスバス・チャンドラ・ボース がいたが、彼 かれ はインドの社会 しゃかい 主義 しゅぎ の源泉 げんせん をヴィヴェーカーナンダ に求 もと めていた[19] 。
ヒンドゥー・ナショナリズムとナチス・ドイツ [ 編集 へんしゅう ]
RSS並 なら びに現在 げんざい のインドにおけるヒンドゥー至上 しじょう 主義 しゅぎ は、アドルフ・ヒトラー 及 およ びナチス・ドイツ を踏襲 とうしゅう しているとされる[20] [21] 。インドでは英国 えいこく 支配 しはい から脱却 だっきゃく する中 なか でナチスを仲間 なかま とみなした経緯 けいい があり、インドではヒトラー人気 にんき が高 たか く、ヒトラー崇拝 すうはい を忌避 きひ する欧米 おうべい の認識 にんしき が共有 きょうゆう されていないため、看板 かんばん やコスプレ、ガンジーとヒトラーの友情 ゆうじょう を描 えが いた映画 えいが も存在 そんざい する[20] 。また、「ヒトラーアイスクリーム 」や「ヒトラーカフェ 」なども存在 そんざい する[22] 。ヒトラーの自伝 じでん 「我 わ が闘争 とうそう 」はインドで今 いま もベストセラーとなっている[22] 。経済 けいざい 政治 せいじ 週刊 しゅうかん 誌 し が発行 はっこう した2012年 ねん の研究 けんきゅう 論文 ろんぶん では、この本 ほん はベストセラーであり、著名 ちょめい な出版 しゅっぱん 社 しゃ を含 ふく む十 じゅう 数 すう 社 しゃ がヒトラーの回想 かいそう 録 ろく をインドで印刷 いんさつ していると述 の べた[22] 。
RSSのメンバーであったナレンドラ・モディ が2001年 ねん にグジャラート州 しゅう 首相 しゅしょう に就任 しゅうにん した後 のち 、「至高 しこう の英雄 えいゆう ヒトラー 」「ナチス の偉業 いぎょう 」というセクションが入 はい った教科書 きょうかしょ が採択 さいたく され、その後 ご ヒトラーやナチスを愛 あい する人々 ひとびと が更 さら に増加 ぞうか していったとされている[21] 。またモディ政権 せいけん におけるナチズム に対 たい するシンパシーはイスラム教徒 きょうと をユダヤ系 けい と見立 みた ててのものであるとされており、イスラエルがイスラム教徒 きょうと の敵 てき ということでモディ政権 せいけん は親 しん イスラエルあり、共 とも にイスラム教徒 きょうと の弾圧 だんあつ を行 おこな っている[23] 。
メディア研究 けんきゅう センター(CMS)の創設 そうせつ 者 しゃ 兼 けん 会長 かいちょう であるN・バスカラ・ラオは、「インド人 じん の大 だい 部分 ぶぶん は、ヒトラーが実際 じっさい にはどういう人物 じんぶつ だったのか、ホロコースト が何 なに を意味 いみ するのかを知 し りません。彼 かれ らは、ブランドイメージ としてヒトラーを使用 しよう することの長期 ちょうき 的 てき な影響 えいきょう と、それがもたらす文化 ぶんか を理解 りかい していません」とを語 かた っている[22] 。
新型 しんがた コロナウイルス流行 りゅうこう 時 じ [ 編集 へんしゅう ]
2020年 ねん に新型 しんがた コロナウイルス がインド国内 こくない にて感染 かんせん 拡大 かくだい した際 さい 、ヒンドゥー至上 しじょう 主義 しゅぎ を掲 かか げる国政 こくせい 与党 よとう (インド人民 じんみん 党 とう )には、イスラム教徒 きょうと がウイルスを利用 りよう して「コロナジハード(聖戦 せいせん )」を仕掛 しか けていると主張 しゅちょう した政治 せいじ 家 か も現 あらわ れた[24] 。また、「イスラム教徒 きょうと はヒンドゥー教徒 きょうと を攻撃 こうげき するためにウイルスを広 ひろ めた」という投稿 とうこう やイスラム嫌悪 けんお を煽 あお る画像 がぞう の拡散 かくさん がSNS上 じょう で相次 あいつ いだ[24] 。一部 いちぶ 地域 ちいき では、イスラム教徒 きょうと の立 た ち入 い りも制限 せいげん されるなどの嫌 いや がらせが発生 はっせい するなどの問題 もんだい が起 お こった[24] 。
インド独立 どくりつ から現況 げんきょう まで [ 編集 へんしゅう ]
民族 みんぞく 義勇 ぎゆう 団 だん と印 しるし パ分離 ぶんり 独立 どくりつ [ 編集 へんしゅう ]
RSSの創設 そうせつ 者 しゃ 、 K.B.ヘードゲーワール
荒廃 こうはい したソムナート寺院 じいん (1869年 ねん )
そうしたなかでサーヴァルカルの思想 しそう を発展 はってん させ 民族 みんぞく 義勇 ぎゆう 団 だん (Rashtriya Swayamsevak Sangh(RSS) 、राष्ट्रीय स्वयंसेवक संघ , 民族 みんぞく 奉仕 ほうし 団 だん とも訳 やく される)を設立 せつりつ したのがナグプール の医師 いし ケーシャヴ・バリラーム・ヘードゲーワール (英語 えいご 版 ばん ) であった。一時期 いちじき 、国民 こくみん 会議 かいぎ 派 は に所属 しょぞく した彼 かれ だったが1925年 ねん に離脱 りだつ しRSSを創設 そうせつ 。
しかし以後 いご しばらくは親 しん イギリス的 てき なムスリム連盟 れんめい に対 たい し、国民 こくみん 会議 かいぎ 派 は 主導 しゅどう の反 はん イギリス闘争 とうそう に足並 あしな みをそろえて参加 さんか することが多 おお かった。とはいえRSSがカーストを克服 こくふく しヒンドゥー教徒 きょうと の統合 とうごう をめざすには共通 きょうつう の敵 てき を必要 ひつよう とした。それがムスリムであった[25] 。
こうして先 さき のムスリム連盟 れんめい との軋轢 あつれき もあり、RSSそしてヒンドゥー・ナショナリスト全般 ぜんぱん に反 はん ムスリムの色彩 しきさい がさらに強 つよ くなっていき、政教 せいきょう 分離 ぶんり ・世俗 せぞく 主義 しゅぎ でムスリムとの融和 ゆうわ を方針 ほうしん とする国民 こくみん 会議 かいぎ 派 は との溝 みぞ も次第 しだい に深 ふか まっていく。
ガンディー暗殺 あんさつ で訴追 そつい された人々 ひとびと 。中央 ちゅうおう が実行 じっこう 犯 はん のN.ゴードセー、その左 ひだり の帽子 ぼうし をかぶった人物 じんぶつ がV.D.サーヴァルカル。
このようななかでヒンドゥー・ナショナリストを大 おお きく動揺 どうよう させ、また彼 かれ らの不安 ふあん が的中 てきちゅう する形 かたち となったのが第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご 、1947年 ねん のインド・パキスタン分離 ぶんり 独立 どくりつ であった。サーヴァルカルやヒンドゥー・マハーサバーらはガンディーをジンナー やムスリム連盟 れんめい に妥協 だきょう し、インドの分裂 ぶんれつ を招 まね くと激 はげ しく批判 ひはん した[26] [27] 。また、サーヴァルカルは当時 とうじ イスラエル を建国 けんこく してイスラム教 いすらむきょう 諸国 しょこく の反感 はんかん を買 か っていたシオニズム を支持 しじ してムスリムへの対決 たいけつ 姿勢 しせい を強 つよ めた[28] [29] 。
しかしガンディーが翌 よく 48年 ねん に暗殺 あんさつ されると、実行 じっこう 犯 はん のナートゥーラーム・ゴードセー がヒンドゥー・マハーサバーの党員 とういん だったため、今度 こんど はヒンドゥー・ナショナリストが轟々 ごうごう たる非難 ひなん にさらされることとなり、RSSも結社 けっしゃ 禁止 きんし となった。しかしRSSとしては暗殺 あんさつ 計画 けいかく に加 くわ わっていなかったことが証明 しょうめい され[30] 、同 どう 団体 だんたい への禁止 きんし 措置 そち は撤回 てっかい されている。またゴードセーは死刑 しけい となり、サーヴァルカルは釈放 しゃくほう されたものの、その活動 かつどう は事実 じじつ 上 じょう 制限 せいげん された。
こうしてヒンドゥー・ナショナリストはインド政界 せいかい において陽 ひ の当 あ たらない位置 いち に追 お いやられたが、いっぽうで国民 こくみん 会議 かいぎ 派 は 政権 せいけん は一定 いってい の配慮 はいりょ も示 しめ し、シヴァ の聖地 せいち でありながらアウラングゼーブ の弾圧 だんあつ により荒廃 こうはい していたソームナート (英語 えいご 版 ばん ) (現 げん ・グジャラート州 しゅう )の寺院 じいん をジュナーガド 併合 へいごう の際 さい にヴァッラブバーイー・パテール 副 ふく 首相 しゅしょう の主導 しゅどう で再建 さいけん するなどもしている。
インドの首相 しゅしょう となった A.B.ヴァージペーイー (パジパイ)
RSS団 だん 員 いん の正装 せいそう
その後 ご 、RSSは代々 だいだい のインド国民 こくみん 会議 かいぎ 派 は 政権 せいけん の影 かげ で野党 やとう 的 てき 勢力 せいりょく として拡大 かくだい し、またヒンドゥトヴァ の理念 りねん を深 ふか めていった。そして活動 かつどう を社会 しゃかい 運動 うんどう や宗教 しゅうきょう 、政治 せいじ に広 ひろ げ、政党 せいとう としては1951年 ねん にインド大衆 たいしゅう 連盟 れんめい (英語 えいご 版 ばん ) を結成 けっせい (のちジャナタ党 とう への参加 さんか を経 へ て現在 げんざい のインド人民 じんみん 党 とう となる)、宗教 しゅうきょう としては世界 せかい ヒンドゥー協会 きょうかい (英語 えいご 版 ばん ) 、その他 た 労働 ろうどう 運動 うんどう や学生 がくせい 運動 うんどう 、スワデーシー 運動 うんどう や農民 のうみん ・協同 きょうどう 組合 くみあい 団体 だんたい 、シンクタンク などを有 ゆう し、総合 そうごう 的 てき な陣容 じんよう をそろえている。これをサン・パリヴァール (英語 えいご 版 ばん ) (संघ परिवार , 英訳 えいやく は Family of Associations で「諸 しょ 団体 だんたい の一家 いっか 」といった意味 いみ )という。
ヒンドゥー・ナショナリストは国民 こくみん 会議 かいぎ 派 は が紡 つむ いできたガンディーからジャワハルラール・ネルー 、インディラ・ガンディー の線 せん に沿 そ った独立 どくりつ インドの歴史 れきし に対 たい し、これに右派 うは ・タカ派 は 的 てき な立 た ち位置 いち から異議 いぎ を唱 とな えてきたグループである。そして、むしろ近年 きんねん になって1992年 ねん のアヨーディヤー のバーブリー・マスジド 破壊 はかい 事件 じけん および連 つら なる暴動 ぼうどう や、1996年 ねん (ただし13日間 にちかん のみ)と1998年 ねん から2004年 ねん にかけてアタル・ビハーリー・ヴァージペーイー (パジパイ)がインド人民 じんみん 党 とう から首相 しゅしょう となったように、その動向 どうこう に世界 せかい から注目 ちゅうもく が集 あつ まるようになっている。
^ 分割 ぶんかつ 令 れい は1911年 ねん に撤回 てっかい されるものの東 ひがし ベンガル で多数 たすう 派 は となれるムスリム には有利 ゆうり であり、さらに国民 こくみん 会議 かいぎ 派 は を分裂 ぶんれつ させたため、ここにヒンドゥー・ナショナリズムとムスリムのあいだにくさびを打 う ち込 こ むイギリスの狙 ねら いは一定 いってい の成功 せいこう を見 み せたともいえる。
^ もっとも、こうしたガンディーの路線 ろせん はムスリムからは「あまりにヒンドゥー的 てき である」として警戒 けいかい されて後 ご の印 しるし パ分断 ぶんだん の要因 よういん となり、またアンベードカル ら不可 ふか 触 さわ 民 みん からも「ヒンドゥーの欠陥 けっかん を脱 だっ しきれていない」と批判 ひはん され、新 しん 仏教 ぶっきょう 運動 うんどう につながる。
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