部落 問題
概要 [編集 ]
1961
しかし、
1968
しかしながら、
「部落 」の概念 [編集 ]
しかし、「
2011
ただしその
また、
居住 者 の移動 [編集 ]
また、
1976
こうして
また、
呼称 の変遷 [編集 ]
なお、
ただし「
この
なお、「
たとえば、
なお、
歴史 [編集 ]
起源 [編集 ]
なお、
身分 制度 の廃止 [編集 ]
1870
一 、一 昨 辰 年 八 月 元 右 衛門 より供奉 の願書 差上 げ奉 り候 節 、由緒 有 増 申上 げ奉 り候 通 り、私 共 類 村 の義 、在 昔 は奥羽 の土民 に御座 候 。尤 も其辺総 て東夷 (蝦夷 )と称 せられ、王化 に復 し奉 らざる者 もこれあり、遂 に日本 武 尊 御 征伐 あらせらる其 の御 凱陣の砌 、御 連 れ帰 り、扈従 し奉 り候 処 、伊勢神宮 に御 留置 きなされ、夫 より当時 の帝 御 鳳 闕左右 に近 づかせられ候 事 、日本書紀 にも御座 候 。
一 、応神 帝 国境 を御 定 め玉 ひし時 、針 間 国 神崎 郡 瓦 村 崗辺にて青菜 の其川 より流 れ下 るを伊 許 自 別命 を以 て御 求 め遊 ばされ候 処 、日本 武 尊 に復帰 しものに付 、帝 更 に尊 の前 功 を御 思慕 あらせられ、命 を以 て姓 佐伯 直 を賜 ひ、其復帰 しものの君 と遊 ばされ候 由 。姓氏 録 等 に相 見 へ、其時より佐伯 部 と相成 り候 様 存 じ奉 り候 。
一 、仁徳 帝 御 時 御 憎 しみを蒙 り五 ヶ国 へ散乱 、其後安康 帝 皇子 の帳 内 、私 達 祖先 佐伯 部 仲子 、近江 国 来 田 綿 蚊屋 野 え供奉 、終 に忠 死 仕 り候 事 も御座 候 。且、仁賢 帝 の御代 、国 郡 に散 亡 の佐伯 部 を御 捜求 あらせられ候 事 等 も書 紀 に相 見 へ申 し候 。
一 、猶 又 、古 より今 に至 り小 法師 と相 唱へ、私 村 内 より平常 両人 或 は三 人 、御用 多端 に向 ひ候 時 は八 人 迄 相 詰 め、御苑 の掃除 役 仰付 けさせらるるの刻 、御 築地 内 に部屋 下 置 かれ日々 同所 へ出勤 、御 扶持 方 頂戴 、其外年始 ・八朔 は未明 より麻 上下 にて御 紋 (菊 紋 )付 箱提灯 を持 たせ、式 礼 、献上 物 いたし、下 され物 も御座 候 。又 、御 奏者 所 に於 いて青緡 銭 三 貫 文 、又 、長橋 御 局 に於 いて白木綿 一 疋是 を拝領 、且御台所 にては御 雑煮 頂戴 、七 日 七草 餅 、十 五 日 には小豆 粥 、其外五 日 、六 日 、十 四 日 には穂 長 汁 頂戴 。尚 又 、例年 季冬 には箒 料 として銀 六 十 七 匁 七 分 下 置 かれ、其他、諸家 様 御 献上 米 等 これあり候 得 ば、一々 御 配分 も仰付 けられ、猶 、五節句 には御 酒肴 、御 亥 の子 には御 玄 猪 箱入 りの牡丹餅 、花栗 、其外とも頂戴 仕 る。御 煤払 の節 は忝 けなくも内殿 の御前 にて御 式 あらせられ候 て、厚 おかべ、味噌 懸 豆腐 、土器 にて八 枚 銘々 へ下 し賜 り候 。其砌にも、御酒 も下 され候 得 共 、私 共 一同 の者 右 同様 下 され物 等 相 願 ひ候 儀 には御座 なく候 。猶 又 、御 大礼 の節 吉凶 共 下 され物 御座 候 。
一 、年頭 の節 、小 法師 より差上 げ奉 り候 藁 箒 の儀 は、御殿 内 において例年 正月 二 日 早朝 御 式 あらせられ候 御 餝付の御 一品 に相 備り候 と承 り候 由 。尤 も是迄 年始 ・八朔 には献上 物 いたし候 者 は数 家 御座 候 得 共 、昨 (明治 二 年 )巳 の春 より多分 御 廃止 に相成 り、然 る処 、右 小 法師 より差上 げ奉 り候 藁 箒 の儀 は旧例 の通 り献上 仕 り候 様 御沙汰 に付 、相 替 らず献納 仕 り候 。然 る処 、昨 巳 冬 御沙汰 これあり候 には、例年 正月 二 日 差上 げ奉 る藁 箒 の内 、御 上様 へ献上 いたし候 七 つ子 と唱へ候 分 、東京 に御 廻 はしに相成 り候 間 、十二月 十 二 日 迄 差上 げ奉 るべき様 仰付 け為 し下 し、日限 相違 なく献納 仕 り候 。猶 、其外五 つ子 と唱へ候 分 は例年 の通 り正月 二 日 早朝 献上 仕 り候 儀 に御座 候 。一 、諸国 神祭 には旧例 を以 て間 々私 共 類 村 のもと二 衣 を着 け罷出 で候 儀 に御座 候 。是 等 往昔 の余 風 残 りこれあり候 儀 かと相 見 へ申 し候 。右 の通 りに御座 候 処 、私 共 類 村 のもの多分 殺 業 を嗜 み来 り、然 る処 、仏説 御 国内 に蔓延 候 時 より世上 専 ら殺生 を悪 み、終 に足利 御 執政 の比 、誰 となく穢 多 の字 を付 け候 様 成 り行 き候 由 、且、閑田耕 筆 には穢 多 と唱ふは餌 取 りし字 とに、之 れ又 、和名 抄 には屠 者 恵 止 利 と記 し、人倫 漁猟 之 部 に加 へ御座 候 。然 而時は穢 多 と申 すは屠 者 にて、則 ち方今 の漁師 にて、他 にもこれあり候 を穢 多 と申 し候 へば人外 異物 の如 く賤められ、殊 に市 交も追 々衰微 仕 り候 は実 に残念 の至 りと類 村 共 何 れも悲観 罷 在 り候 。前条 の通 り、往昔 は佐伯 部 と迄 仰付 けられ、自分 微 功 も相 立 て候 を、近年 は穢 多 と迄 汚名 を受 け、方今 上 を犯 し下 を妨 げ、凶暴 ・悪 戻 もこれなく、却て或 は仁義 ・忠孝 の心 を勉励 仕 り候 ものもこれあり候 へ共 、市中 の交 りも絶果 て候 様 成 り行 き、歎かわ敷 く存 じ奉 り候 。然 る処 、今般 御 復古 、有難 くも衆 庶の御 撫育 を専 一 に遊 ばせられ感 戴至極 、殊 に旧弊 御 一 洗 の折 柄 、私 共 類 村 に至 りて迄 、素 より神州 の生 民 に候 処 、却て穢 多 の名 これあり候 は何 共 歎かわ敷 く存 じ奉 り候 。獣類 に合 わせて皮 角 の品 取扱 ひ渡世 仕 り候 者 も御座 候 得 共 、是 又 、恐 れ乍ら御国 用 の一端 にも相成 り申 すべき哉。且、田舎 向 きにては多分 農業 而已にて右 様 の品 取扱 ひいたし候 もの一向 御座 なく候 。何卒 往古 の如 く穢 多 の身分 を省 き、士民 同様 に御 取扱 ひ下 せられ度 く、伏 して歎願 奉 り候 。万 の一 御 容 許 成 下 せられ候 はば、一統 何 れも蘇生 致 し候 心地 にて御 髙恩猶 如何 許 り歟有難 き仕合 せに存 じ奉 るべく候 。以上 。
一 、鉄道 の儀 、御所 開 遊 ばされ候 皆 、下 賤の身 迄 も御 国益 感 戴奉 り候 に附 きては、類 村 共 元来 奥羽 の土民 に御座 候 所 、妄行の者 もこれある故 歟、何 の頃 より遂 に穢 多 の汚名 を請来 り、賤者と雖も、素 より御 国民 の故 か、類 村 の者共 慙愧 致 さざる間 迚は御座 なく候 。し乍 ら今日 迄 相続 仕 り候 て復古 御一新 に逢ひ奉 り候 儀 は、又 以 て幸甚 の至 に存 じ奉 り候 。此御時 に当 り、何 を歟、微 忠 をも尽 くし、一度 汚名 を雪 ぐべしと日夜 心魂 を動 し居 り、且又、兼 ねて御 国 恩 に報 じ奉 るべき儀 もと打 過 ぎ居 り候 折 柄 、鉄道 の儀 を拝承 仕 り、これに仍て御 当地 並 びに大阪 渡辺 其外類 村 同志 の者 申合 せ、京 より伏見 迄 の所 、路 途 の失費 献金 仕 り度 く、其法、先 づ山城 ・大和 ・河内 ・和泉 ・摂津 ・紀井 ・丹波 ・近江 ・播磨 にて五 百 か村 斗 りこれある重立 ち候 もの、一 村 弐 百 人 此ものより相応 の出金 仕 り、其他小 躬のものは運送 等 の人足 に差出 し、猶 其余諸国 類 村 に至 る迄 法 の如 く致 させ候 はば恙なく成就 致 すべき哉。御 許容 にも相成 り候 得 ば早々 取 懸 り申 し度 く、就 いては類 村 汚名 の儀 廃 させられ、往古 の如 く奥羽 の民 同様 に御 取扱 ひ成 下 され間 歎き哉と竊に願望 仕 り居 り候 。尤 も此儀、御 当地 は勿論 、渡辺 村 におゐても兼 ねて志願 の儀 に御座 候 。猶 其他類 村 に至 る迄 會 て汚名 の儀 相 歎き居 り候 に付 、元 の如 く奥羽 の民 同様 に成 下 され候 はば、献金 に付 聊 かも異存 決 して御座 なく候 。然 り乍ら何 分 にも下 賤の者 迚斯 くの如 きの事 を願 上 げ奉 るの儀 、恐 入 り奉 るの儀 と差 扣居 り候 。然 りと雖も方今 言 路 御 洞察 にも相成 り、誠 に悪 を去 り善 に向 ふは人倫 の道 と多罪 を願 りみず、類 村 伝来 の書 相 添へ、此段懇願 奉 り候 。万々一 御 採用 にも相成 り候 歟、右 雑言 の程 咎 めさせられずんば同志 のもの重々 有難 き仕合 わせに存 じ奉 り候 。以上 。
1871
しかし、
そのため
これに
また
また
1896
ある
第 二 次 世界 大戦 以前 の差別 が契機 となった主 な事件 [編集 ]
的 ヶ浜 事件 (1922年 )烏 淵 村 役場 襲撃 事件 (1923年 )高崎 区 裁判所 襲撃 事件 (1923年 )水 国 事件 (1923年 )世良田 村 事件 (1925年 )福岡 連隊 差別 事件 (1926年 )天皇 直訴 事件 (1927年 )徳川 事件 (1928年 )
戦前 の地域 特徴 [編集 ]
ただし
重要 なことは、部落 の貧困 化 は差別 問題 とはまったく別 のところからやってきたことにある。それが、松方 デフレ政策 にほかならない。1877
年 (明治 10年 )に勃発 した西南 戦争 で、明治 政府 は最強 のプロ戦闘 集団 である薩摩 武士 を相手 に多額 の軍費 を使 い、不換紙幣 を乱発 したために、悪性 のインフレに見舞 われた。その解決 のために、松方 正義 大蔵 卿 が急激 な紙幣 整理 というハードランディング方式 をとったために、一挙 にデフレになり、部落 の製造 業 が壊滅 的 打撃 を受 けたのである。
決 して、部落 が狙 い撃 ちされて被害 をこうむったわけではなく、また差別 されて貧乏 になったわけでもない。解放 令 は、江戸 時代 の解放 論 が抜擢 解放 (行 ないが良 かったり、社会 に功績 のあった者 から順 に身分 を引 き上 げる)とい漸進 的 方式 であったのに対 して、明治 政府 の出 した解放 令 は即時 無条件 全面 解放 という画期的 なものであり、明治 政府 が青臭 いまでに革命 的 であったことを物語 っている。部落 の貧困 化 は、そうした解放 令 とはまったく時期 も原因 もことなることにより引 き起 こされたのである[41]。
此長田 村 につきて調査 せるも血族 結婚 の数 は実 に一 割 二 分 の多 きに達 せるなり。
概 して早婚 早熟 にして女 は十 二 三 歳 の頃 より男 は十 五 六 歳 にして異性 を知 る。
現 に余 が聞 き知 れるには十 三 歳 にして姙娠せる女 のありしが如 きは実 に驚 くべき事実 といふべし。
近親 従兄 妹 の婚姻 は普通 にして中 には叔父 姪 、叔母 甥 の関係 に及 べる者 稀 ならずと聞 く。
と
ただし、
『
それから更 に部落 には早婚 の弊 があり、十 七 八 の少年 や十 三 四 の未 だ乳臭 い小娘 だと思 つてゐると意外 にも二 人 は人 の親 で蝶々 髷 の小 さい母親 が赤 ん坊 を抱 いてゐたと云 ふ悲惨 な話 をよく耳 にした。
部落 民 に子供 の多 い事 生 れた子供 が兎角 不完全 である事 などは是 等 の関係 で略 想像 する事 が出来 るが、又 一 面 には部落 民 の女 に貞操 観念 の薄 いこと、従 つて男女 の野合 が多 いこと、殊 に大阪 の特殊 部落 に於 て此の風習 が盛 んな事 は全 く想像 の外 で淫猥 な極彩色 の浮世絵 に描 かれた有 りの儘の事実 を最 も赤裸々 に見 る事 が出来 る。(略 )尤 もこれは普通 の細民 部落 にも多 い現象 だが殊 に社会 と隔絶 して自由 の天地 を局限 された特殊 民 は常 に娯楽 が少 く、仲間 同志 が互 に密集 して淋 しい心 を慰 め合 ふといふ特有 の風習 から男女 の接近 する機会 が多 く、又 同居 を好 んで赤 の他人 の男女 が雑然 と狭 い一家 に起臥 を続 けてゐる事 が如何 に彼等 の醜悪 な劣情 を唆る事 であらう。部落 の下級 民 の間 に全 く貞操 観念 が爪 の垢 ほどもなく、更 に甚 だしいのは親子 姦 、兄妹 姦 といふあるまじき不倫 が行 はれるのも敢て珍 しくないといふに至 つては戦慄 せざるを得 ない。[47]
軍隊 と部落 民 [編集 ]
その
選挙 権 付与 [編集 ]
1925
戦前 の部落 解放 運動 [編集 ]
水平 社 運動 [編集 ]
このような
もっとも
「
そして「
「
明治 四 年 の布令 によって解放 された吾 々の頭上 には、今度 は新 平民 の名称 を附 され、尚 近頃 は少数 同胞 などの名称 に代 っている。實質 が變化 しなければ名称 は問題 ではない。歴史 は絶対 に消 されぬ。エタが華族 になり、華族 がエタの名称 に代 っても、吾 等 に対 する賤視観念 が除 かれねば、華族 のエタが卑 しめられ、エタの華族 が尊敬 せられる、寧 ろ吾 々は、明 らかに穢 多 であると標榜 して、堂々 と社会 を濶歩し得 る輝 きの名 にしたい。」と主張 する者 が多数 を占 め、結局 、名称 によって吾 々が解放 せられるものではない。今 の世 の中 に賎 称 とされている「特殊 部落 」の名称 を、反對 に尊称 たらしむるまでに、不断 の努力 をすることで喝采 の中 に綱領 通 り保存 されることになった。この間 殆んど一時 間 有余 、口角 泡 を飛 ばして議論 を闘 はした。
しかし
1933
戦前 の同和 教育 開始 [編集 ]
1942
戦後 の部落 解放 運動 [編集 ]
戦後 の同和 対策 事業 [編集 ]
オールロマンス
「同和 対策 審議 会 」答申 [編集 ]
1960
1969
このように、
「
1982
1987
教科書 の無償 化 運動 [編集 ]
1961
この
八鹿 高校 事件 [編集 ]
1974
この
同和 事業 に関 わる不正 ・腐敗 [編集 ]
とりわけ1981
2008
また、
これは
これは、
「
2009
2003
この
同和 対策 事業 前後 と諸 問題 [編集 ]
結婚 差別 [編集 ]
また
なお、
就職 差別 [編集 ]
1975
差別 とされた表現 の例 [編集 ]
1950年代 [編集 ]
- 1956
年 (昭和 31年 )1月 、小説 家 石上 玄 一郎 が『朝日新聞 』文化 欄 に発表 した評論 の中 で「文壇 には、特殊 部落 的 偏狭 さがみちみちている」と記述 。これに対 して部落 解放 同盟 が朝日新聞社 を糾弾 。朝日新聞社 は「今後 、部落 問題 をタブー視 せず、前向 きに差別 の現実 を書 く」ことを約束 した[71]。この結果 、朝日新聞 は1年 後 の人権 週間 に『部落 三 百 万 人 の訴 え』と題 する連載 記事 を掲載 した[72]。
1960年代 [編集 ]
- 1962
年 (昭和 37年 )、小説 家 灰 谷 健次郎 が短編 小説 『笑 いの影 』(『新潮 』1962年 12月号 )で被 差別 部落 出身 の中学生 による暴力 ・セックス・強姦 ・殺生 ・犬 食 文化 などを描 く。この作品 における、被 差別 部落 出身 の中学生 のセリフ「どうせオレたちは差別 教育 を受 けて、ドカチン(土方 )か、アンパン(日雇 )になるんだ。センコにおべんちゃらをして泣 きついて、せいぜい町 工場 に就職 させてもらうんじゃわりにあう話 やない。暴 れるだけ暴 れてよオ、したいことをして出 ていってやる」などが部落 解放 同盟 から「少年 非行 を通 して権力 の姿 を浮 き彫 りにするという図式 を装 いつつ、その実 やたらと暴力 的 な行動 と、やたらと猟奇 的 な行動 を、卑俗 な興味 の中 で描 こうとした」「いわれもない差別 の中 に生 きている人 たちの実態 が何 もなく、恣意 的 にしかも偏見 に満 ちて描 かれている」と批判 され、糾弾 に至 った[73]。 - 1962
年 (昭和 37年 )7月 、劇画 家 平田 弘史 が劇画 『血 だるま剣法 』(日 の丸 文庫 )で江戸 時代 の被 差別 部落 出身 剣士 の復讐 を描 く。このため、「部落 民 を残酷 な人々 と描 くことで部落 解放 運動 をゆがめている」などの理由 により部落 解放 同盟 大阪 府 連合 会 の糾弾 を受 け、同書 は発売 後 1カ月 で回収 ・絶版 に追 い込 まれた[74]。 - 1967
年 (昭和 42年 )1月 と2月 、小説 家 で精神 科 医 のなだいなだが『毎日新聞 』朝刊 の人生 相談 欄 『悩 みのコーナー』にて、結婚 差別 を受 けたという部落 出身 女性 の投書 に対 して「部落 民 という考 えは、内部 の劣等 感 によって支 えられている」「小 さなつまらぬ悩 みだ」と回答 したところ、部落 解放 同盟 が糾弾 に乗 り出 した。 - 1967
年 (昭和 42年 )1月 、NHK連続 テレビ小説 『おはなはん』(脚本 は小野田 勇 )の中 で、駅前 の肉屋 のある地域 を指 して「柄 の悪 いところ」「こわいところ」という台詞 を使 い、その「こわいところに乗 り込 む主人公 」を勇敢 な女性 に見立 てた場面 が部落 解放 同盟 中央 本部 から問題 視 され、NHKが糾弾 を受 けた[72]。 - 1968
年 (昭和 43年 )、日本 社会党 の中央 理論 誌 『月刊 社会党 』10月 号 に「社会党 中央 執行 委員 会 では通 ずるかも知 れないが、普通 の感覚 を持 ち合 わせているものには奇異 をさえ覚 える。中執委 は特殊 部落 かと頭 をかしげざるを得 ない」との文章 が登場 。筆者 の松井 恒子 は日教組 本部 調査 部 副 部長 で社会党 員 であった。これに対 して部落 解放 同盟 は社会党 委員 長 の成田 知巳 に抗議 し、反省 と陳謝 の回答 を得 た[75]。 - 1969
年 (昭和 44年 )、経済 学者 大内 兵衛 が、岩波書店 刊行 の雑誌 『世界 』3月 号 に論文 「東大 は滅 してはならない」を発表 。この論文 における「大学 という特殊 部落 の構造 」という表現 が部落 解放 同盟 によって追及 され、執筆 者 大内 と岩波書店 が糾弾 を受 けた。『世界 』3月 号 は回収 処分 となり、編集 部 と大内 が同誌 の4・5月 号 に謝罪 文 を発表 [76]。 - 1969
年 (昭和 44年 )、評論 家 竹中 労 が、『週刊 明星 』連載 の「書 かれざる美空 ひばり」で「ひばりの歌声 は差別 の土壌 から生 まれて下層 社会 に共鳴 の音波 を広 げたこと、あたかもそれは、世阿弥 、出雲 のお国 が賎民 階級 から身 を起 こした河原者 の系譜 をほうふつとさせる。……ひばりが下層 社会 の出身 であると書 くことは『差別 文書 』であるのか」と書 き、部落 解放 同盟 大阪府連 に糾弾 された。
1970年代 [編集 ]
- 1970
年 (昭和 45年 )、児童 文学 者 今 江 祥智 が長篇 童話 『ひげのあるおやじたち』(福音館書店 )の中 に非人 を登場 させ、「非人 たちは、いつもどこか死人 のにおいがした」(pp.112-113)、非人 部落 の描写 として「なんともかともいえぬにおいが、下 のほうからむっとのぼってきたのだった。目 のなかにまでしみるようなにおいだった」(p.116)などと記述 。これらの表現 が部落 差別 を助長 しているとされたため、今江 は部落 解放 同盟 から糾弾 を受 け、1971年 (昭和 46年 )4月 、『日本 児童 文学 』誌 に「わたしの中 の"差別 "」と題 する反省 文 を発表 。『ひげのあるおやじたち』は直 ちに絶版 ・回収 ・裁断 処分 となり、2008年 (平成 20年 )に『ひげがあろうが なかろうが』に併録 される形 で解放 出版 社 から復刊 されるまで公刊 されなかった。 - 1973
年 (昭和 48年 )7月 19日 、司会 者 玉置 宏 がフジテレビのワイドショー『3時 のあなた』にて「芸能 界 は特殊 部落 だ」と発言 したところ、1973年 (昭和 48年 )8月 16日 、部落 解放 同盟 が玉置 とフジテレビと関西 テレビを相手取 って確認 ・糾弾 会 を開 いた。玉置 は謝罪 し、テレビ局 側 は部落 問題 解決 のための番組 作 りを約束 した。 - 1973
年 (昭和 48年 )4月 1日 、日本 テレビ『ドキュメント73』の「この若 き官僚 たち」の中 で、出席 した外務省 アメリカ局 北米 二 課 の谷内 正太郎 が「われわれを特殊 部落 的 にみてもらいたくない」と発言 [77]。このことが部落 解放 同盟 から問題 視 され、4月 19日 、日本 テレビ本社 で糾弾 会 が開 かれた[77]。7月13日 、日本 テレビ側 が部落 解放 同盟 中央 本部 に自己 批判 書 を提出 [77]。日本 テレビは反省 の意味 で、12月9日 、『ドキュメント73』の枠 で結婚 差別 問題 (住吉 結婚 問題 )をとりあげた「あるたたかいの記録 」を放映 した[77]。この住吉 結婚 問題 は、部落 出身 の女性 が結婚 差別 で自殺 したとされる事件 であったが、女性 の婚約 者 側 は「遺書 により初 めて部落 出身 と知 った」と主張 しており、本当 に差別 事件 だったかどうかは疑問 がもたれていた[77]。しかし番組 の内容 はあくまで部落 解放 同盟 の立場 にたったものであった[77]。このため、部落 解放 同盟 正常 化 連 (当時 )の中西 義雄 は、12月12日 、日本 テレビに「事実無根 のデマ報道 」との抗議 を申 し入 れている[77]。 - 1973
年 (昭和 48年 )9月 、映画 評論 家 の淀川 長治 が『サンケイ新聞 』のインタビュー記事 にて、自 らの庶民 性 を示 す証 として、両親 から近寄 らないよう言 われていた「特殊 な部落 にある銭湯 にはいったこともあった」、「この貧 しい人 たちと液体 で結 ばれたと思 ったのにねぇ」という経験 を語 ったところ、部落 解放 同盟 が「両親 の差別 意識 を肯定 するとともに、自 らのエリート意識 をさらけ出 すもの」「エセ・ヒューマニズム」(宮原 良雄 )と反撥 し、糾弾 に至 った[78]。この事件 の後 、サンケイ新聞 社 は1974年 (昭和 49年 )11月から1975年 (昭和 50年 )3月 にかけて、部落 問題 の特集 記事 として『シリーズ・差別 』を大阪 本社 発行 の朝刊 に連載 した。部落 解放 同盟 は、部落 解放 同盟 大阪 府 連合 会 制作 による狭山 事件 告発 映画 『狭山 の黒 い雨 』を部落 問題 の視点 から批評 するよう淀川 に要求 した。 - 1974
年 (昭和 49年 )、大正製薬 の強壮 ドリンク剤 「リポビタンD」の広告 のキャッチフレーズが「ヨッ! お疲 れさん」から「ヨォ! お疲 れさん」に変更 された[79]。「ヨッ」が被 差別 部落 民 の蔑称 である「四 つ」に通 じるため、関西 の被 差別 部落 関係 者 から抗議 があり、あわてた大正製薬 が広告 取扱 店 の電通 に改稿 を求 めたというのが真相 であった[79]。 - 1974
年 (昭和 49年 )1月 、共同通信 による記事 が福岡 の『夕刊 フクニチ』に掲載 された[80]。記事 の内容 は森 敦 の『月山 』を紹介 するもので、「密造 酒 をつくり飲 み交 わす雪 に閉 ざされた部落 の人々 の生活 は外界 の俗世間 とは隔絶 した別世界 である」と書 かれていた[80]。この「部落 」は被 差別 部落 の意味 ではなかったが、部落 解放 同盟 八幡 地 協 が差別 表現 として問題 視 。『フクニチ』の編集 局長 が八幡 地 協 に呼 び出 され、「掲載 したフクニチの姿勢 が問題 だ」「社長 を呼 べ」「部落 は被 差別 部落 と同一 語 だ」「おまえは被 差別 者 か。そうでなければ差別 者 だ」などと吊 るし上 げを受 け、掲載 紙 の回収 を迫 られる事態 に発展 した[80]。 - 1977
年 (昭和 52年 )、作家 の臼井 吉見 が展望 に連載 した『事故 のてんまつ』に、川端 康成 の家政 婦 や川端 自身 について被 差別 部落 出身 を想起 させる描写 をしたため、川端 家 からは販売 差止 め仮処分 の民事 訴訟 が提起 されると共 に、部落 解放 同盟 からは糾弾 を受 けた[81]。 - 1977
年 (昭和 52年 )12月14日 、日本 社会党 委員 長 の飛鳥 田 一雄 が日本 テレビの『おはようニュースワイド』で「国会 が特殊 部落 のようにならなければよいが」と発言 [82]。これに対 し部落 解放 同盟 が抗議 し、一 度 は社会党 から陳謝 を得 たものの納得 せず、さらに2年間 にわたって抗議 を続 け、1979年 11月23日 、飛鳥 田 が部落 解放 同盟 主催 の「松本 治一郎 死去 13年 記念 集会 」で謝罪 講演 を行 い、その全文 を社会党 機関 紙 『社会新報 』に掲載 することでようやく一応 の決着 をみた[82]。 - 1979
年 (昭和 54年 )8月 、曹洞宗 宗務 総長 で全日本 仏教 会 理事 長 (当時 )の町田 宗夫 が、米国 ニュージャージー州 プリンストンにおける第 3回 世界 宗教 者 平和 会議 にて、「日本 に部落 差別 はない」「部落 解放 を理由 に何 か騒 ごうとしている者 がいる」「政府 も自治体 もだれも差別 はしていない」と発言 。このことが部落 解放 同盟 から「部落 解放 運動 の全面 否定 」とされ、糾弾 に至 った。これをきっかけとして同和 問題 にとりくむ宗教 教団 連帯 会議 が1981年 に結成 された。
1980年代 [編集 ]
- 1981
年 (昭和 56年 )2月 、政治 学者 で東京大学 社会 科学 研究所 教授 (当時 )の有賀 弘 が、ベルリン自由 大学 における日本 学 研究 室 の金子 マーティン講師 (当時 )の部落 問題 に関 する研究 発表 に対 し、「部落 問題 は東日本 にはない。西日本 にはあるが、それは部落 解放 同盟 と日本 共産党 との同和 予算 をめぐる金銭 上 のトラブル」「日本語 の部落 という言葉 は、村落 とか集落 とかいう一般 名詞 であって何 も差別 を意味 するものではない」と発言 。このことが部落 解放 同盟 の糾弾 を招 いた。 - 1982
年 (昭和 57年 )、俳優座 がブレヒト原作 『屠殺 場 の聖 ヨハンナ』を上演 した折 、「屠殺 」という表現 が部落 差別 とされ、改題 してもなお激 しい糾弾 に遭 い、上演 は困難 を極 めた。 - 1984
年 5月24日 、日本 テレビ系 『ルックルックこんにちは』でゲストの政治 評論 家 の宮川 隆義 が「国会 は特殊 部落 のようなもの」と発言 。部落 解放 同盟 から糾弾 を受 けた[83]。 - 1986
年 (昭和 61年 )、『旅 の手帖 』誌 (弘 済 出版 )が山陰 観光 キャンペーンの記事 で「ミニ独立 国 」へ「税金 」を払 うと特産 品 が送 られてくる企画 を紹介 。金額 によって「くにびき」「オロチ」などと名付 けられた金額 別 のコースを「平民 向 け」「富豪 向 け」「大 富豪 向 け」と記 した表現 が島根 県 当局 によって「『平民 』など差別 的 な表現 」とされ、出版 社 への抗議 や雑誌 の回収 に至 った。この事件 は部落 解放 同盟 広島 県 連合 会 発行 の『部落 解放 ひろしま』5号 (1986年 12月 )でも論評 抜 きに肯定 的 紹介 がなされたが、「『平民 』が『庶民 』とでもいいかえられておれば、問題 化 しなかったのであろうが、笑止 の沙汰 である」「本来 、解放 同盟 が差別 の矮小 化 として注意 を喚起 すべきところ」[84]という批判 を呼 んだ。 - 1987
年 1月 19日 、日本 テレビ系 『11PM』にて、早坂 茂三 が「永田町 という特殊 部落 」と発言 。部落 解放 同盟 中央 本部 から糾弾 を受 けた[83]。 - 1987
年 10月5日 、フジテレビ系 『おはよう!ナイスデイ』にて、映画 監督 の斎藤 耕一 が「大学 のような特殊 部落 」と発言 。フジテレビ社長 の日枝 久 ともども部落 解放 同盟 から糾弾 を受 け、フジテレビは部落 解放 同盟 の意向 に沿 って「部落 差別 の現在進行形 」と題 する番組 を放映 させられた[83]。 - 1988
年 (昭和 63年 )、山口 県 新南陽 市 当局 が同和 事業 執行 の必要 から市営 住宅 に関 する条例 を改 め、市営 住宅 の入居 資格 における「寡婦 、引揚者 、炭鉱 離職 者 」という従来 の制限 に「その他 の社会 的 に特殊 な条件下 にある者 」という条項 を加 えた。これが部落 解放 同盟 から「部落 民 を特殊 な者 として差別 した表現 」と問題 視 されて糾弾 に発展 、市 当局 者 は「結果 的 に同和 地区 の人々 にとって痛 みを感 じるような表現 になったのは遺憾 」と陳謝 し、条例 を改 めた[85]。これに対 して灘 本 昌久 は、「水平 社 時代 であれば絶対 に糾弾 されなかったこと」「『特殊 』という言葉 に、これほどこだわることは驚 くほかない。『特殊 』の代 わりに、『特別 』とでも書 いておけばよかったのだろうか。これを差別 事件 として麗々 しく取 り上 げた『解放 新聞 』の記事 は、運動 史上 の汚点 のひとつである」と批判 した[86]。 - 1989
年 (平成 元年 )10月 、ニュースキャスターの筑紫哲也 がTBS『ニュース23』の第 1回 目 の放送 でビートたけしと対談 し、アメリカ軍 がコロンビアの麻薬 密売 を取 り締 まる麻薬 戦争 について「いま麻薬 の値段 を吊 り上 げたら、ニューヨークの街 も多分 屠殺 場 だね」と発言 した。当時 、公 の場 で使 われる差別 的 な言葉 が問題 となっていたため(批判 的 な意味 で言葉 狩 りとも呼 ばれた)、筑紫 は「屠殺 場 」という言葉 の使 い方 が不適切 だったとして翌日 に謝罪 をした。しかし一部 の屠場 労組 から抗議 があり、部落 解放 同盟 も加 わっての糾弾 会 が合計 9回 にわたって行 われた[87][注釈 3]。 - 1989
年 (平成 元年 )、岩波 新書 の『報道 写真 家 』(桑原 史 成 )における「戦場 という異常 な状況 下 では牛 や豚 など家畜 の屠殺 と同 じような感覚 になる」という記述 における「屠殺 」の語句 が問題 とされ、回収 処分 となった。
1990年代 [編集 ]
- 1991
年 、月刊 誌 『山 と溪谷 』1月 号 (山 と溪谷社 )の連載 企画 「論争 のうちとそと──第 13回 ・田淵 行男 ?安曇 野 のナチュラリスト」(筆者 は近藤 信行 )の中 に「山岳 写真 家 という『特殊 部落 』の住人 」など、4ヶ所 で「特殊 部落 」の語 が使 われていることが問題 視 され、同社 は部落 解放 同盟 から糾弾 を受 けた[88]。 - 1991
年 9月30日 、経済 学者 の村田 昭治 は日本 テレビ『EXテレビ』にコメンテーターとして登場 し、「デパートの中 で、宣伝 部 だけが特殊 部落 だというイメージをつくっちゃったら駄目 なんですね」と発言 。村田 と日本 テレビは部落 解放 同盟 から糾弾 を受 け、謝罪 と反省 文 提出 に追 い込 まれた[83]。 - 1996
年 (平成 8年 )、講談社 が発行 した少女 漫画 誌 『別冊 フレンド』3月 号 の連載 漫画 『勉強 しまっせ』(みやうち沙 矢 )の中 に大阪 市 西成 区 が登場 。西成 について、副 編集 長 の手 により「大阪 の地名 。気 の弱 い人 は近 づかない方 が無難 なトコロ」との解説 が付 された。このため、みやうちと講談社 は部落 解放 西成 区民 共闘 会議 などに糾弾 された。
2000年代 [編集 ]
- 2004
年 (平成 16年 )、代々木 ゼミナール講師 (古文 担当 )の吉野 敬介 が講義 の中 で「鑑別 所 にランクってあるんです……俺 なんか暴走 族 の特攻隊 長 のとき、入 ってんだよ。鑑別 所 に入 った瞬間 に、天皇陛下 級 なの、ほんとに……レイプとかな、強姦 なんかで入 っちゃった日 にゃ、な、エタ・ヒニンだ。ほんとに」などと発言 。このため吉野 と代々木 ゼミナール法人 総括 本部 長 ら計 6人 が共 に部落 解放 同盟 から糾弾 を受 け、吉野 は反省 文 の提出 を、代々木 ゼミナールは「人権 研修 」の実施 などを要求 された[89]。 - 2005
年 (平成 17年 )、テレビ朝日 系 の番組 「サンデープロジェクト」において、ハンナン偽装 食肉 事件 に関 する報道 VTRの放映 の直前 に生放送 中 のスタジオ内 で田原 総一朗 が「この人 (浅田 満 )をやらないマスコミが悪 いんですよ。この人 が被 差別 部落 のなんとかといってね、恐 ろしがっている。何 にも恐 ろしくない。本当 はね。それを大谷 さんがやるんだよね。この人 は被 差別 部落 をタブー視 しないからできる」と発言 し、それを受 ける形 で高野 孟 が「大阪 湾 に浮 くかもしれない」、うじきつよしが「危 ないですよ2人 とも」と発言 。これらの発言 を部落 解放 同盟 が「部落 への強烈 な予断 と偏見 を視聴 者 に植 えつける」ものと位置 づけたため、糾弾 に至 った(サンデープロジェクト糾弾 事件 )。 - 2009
年 (平成 21年 )、朝日新聞 の社員 が2ちゃんねるの掲示板 で差別 的 な書 き込 みをしたとして懲戒 処分 が下 された。朝日新聞 社員 2ちゃんねる差別 表現 書込 事件 を参照
2010年代 [編集 ]
- 2012
年 (平成 24年 )、NHKのテレビ番組 「鶴 瓶 の家族 に乾杯 」(5月 7日 放送 )にて、俳優 の谷原 章介 がみずからの祖先 を探 るために寺院 を訪 ね、過去 帳 を見 せてもらう様子 が放送 された[90]。すると「過去 帳 はお寺 に行 けば簡単 に見 せてもらえるものだという考 えを視聴 者 に与 える」と部落 解放 同盟 が抗議 [90]。NHKは「差別 への認識 の甘 さ」に対 する反省 文 を出 すよう要求 された[90]。 - 2012
年 (平成 24年 )、佐野 眞一 と『週刊 朝日 』取材 班 (今西 憲之 、村岡 正浩 )の共同 執筆 による橋下 徹 大阪 市長 の評伝 『ハシシタ奴 の本性 』の連載 第 1話 が『週刊 朝日 』10月 26日 号 に掲載 された。記事 の内容 は、父方 を通 じて被 差別 部落 にルーツを持 つ橋下 の血脈 を探 るものであり、10月18日 、橋下 徹 から定例 記者 会見 で抗議 を受 けた[91]。同日 、自由 同和 会 中央 本部 が『週刊 朝日 』編集 長 に抗議 文 を提出 [92]。10月19日 には『週刊 朝日 』編集 部 がこの連載 の打 ち切 りを決定 [93]。10月22日 、部落 解放 同盟 中央 本部 も抗議 声明 を出 した[94]。10月26日 には同誌 編集 長 の河 畠 大 四 が更迭 され[95]、11月12日 には3カ月 の停職 処分 を受 けた[96]。同 じ11月 12日 には『週刊 朝日 』の発行 元 である朝日新聞 出版 社長 の神徳 英雄 が引責 辞任 している[97]。なお、11月12日 付 で佐野 眞一 が「見解 とお詫 び」と題 する謝罪 文 を発表 し、「差別 や身分 制度 を助長 する考 えは毛頭 ありません。しかしながら、ハシシタというタイトルが、不本意 にも橋下 氏 の出自 と人格 を安易 に結 び付 ける印象 を与 えてしまい、関係 各位 にご迷惑 をかけてしまいました」と述 べている[98]。本件 についての詳細 は「週刊 朝日 による橋下 徹 特集 記事 問題 」を参照 。
差別 とされなかった表現 の例 [編集 ]
松本 治一郎 は、1952年 (昭和 27年 )7月 、徳川 夢 声 との対談 で「『部落 』と書 こうが『エタ』といおうが、問題 じゃないんです。……その前後 に差別 の意味 が加 わってさえいなけりゃ、少 しも問題 はないわけですよ。それを糾弾 するというのは、ことさらためにしようとするハシッパのもんです。……悪 い奴 にかかると、やっぱりヘンなことが生 ずる」[99]と語 り、差別 表現 として糾弾 するか否 かはその語 が差別 的 文脈 で使 われているか否 かによるという見解 を示 したが、1948年 (昭和 23年 )には松本 自身 が「私 は三 百 万 部落 民 の水平 運動 から、さらに数 歩 をすすめて、いわば世界 の特殊 部落 におちこんだ八 千 万 日本人 民 の水平 運動 をおこしたいと考 えているのだ」[100]と述 べ、特殊 部落 という語 を差別 的 文脈 で使用 していた。しかしこれは糾弾 の対象 とならず、松本 自身 も自己 批判 しなかった[101]。- 1952
年 (昭和 27年 )8月 20日 、『解放 新聞 』は「おじいさん達 も斗 つた─八 十 一 回 目 の解放 令 記念 日 を迎 え」と題 する山村 槙 之 助 の記事 を載 せた。この記事 の中 では「再 軍備 と植民 地 化 に反対 し、民族 の解放 を斗 いとることが、外国 帝国 主義 と国内 反動 のために世界 の特殊 部落 になれはてた日本 民族 全体 の死活 の問題 として切実 に出 されてきている」と、やはり特殊 部落 という語 が差別 的 文脈 で使 われていた。しかし、これもやはり糾弾 の対象 とならず、『解放 新聞 』も山村 も自己 批判 しなかった[102]。 - 1966
年 、丸山 眞男 が鼎談 集 『現代 日本 の革新 思想 』(河出書房新社 )の中 で「とかく左翼 インテリの論議 は、現実 の勢力 配置 をそっちのけにして、せまいイデオロギー的 "部落 "のなかでワイワイやることになりがちですからね」と発言 。しかし糾弾 の対象 とならず、読者 の呉 智英 は「釈然 としない気持 ちだった」と回想 している[103]。 - 1970
年 、大江 健三郎 はルポルタージュ『沖縄 ノート』の中 で、集団 自決 を強制 したとされている元 守備 隊長 を「屠殺 者 」と表現 した。この件 について、「世界 屠 畜紀行 」(解放 出版 社 )の作者 ・内 澤 旬子 は「誤植 ……じゃないよなあ」「屠場 労働 組合 がまさに糾弾 対象 としている使 われ方 にドンピシャリ」と驚 きを示 した(2007年 12月3日 付 の著者 ブログ)。また、評論 家 の呉 智英 は「部落 解放 同盟 などは「だれだれの作品 だから差別 はないと“神格 化 ”したものの考 え方 を一掃 したい」と言明 した」「だが『沖縄 ノート』は一 度 も糾弾 されずに今 も出版 され続 けている。大江 健三郎 に限 ってなぜ糾弾 から免責 されるのか。大江 健三郎 のみ“神格 化 ”される理由 は何 か。かくも悪質 な差別 がなぜ放置 されているのか。知 らなかったと言 うのなら、それは許 す。だが、今 知 ったはずだ。岩波書店 、部落 解放 同盟 にはぜひ説明 していただきたい」[104] と問題 提起 した。しかし、今日 に至 るまで部落 解放 同盟 は大江 を一 度 も糾弾 しておらず、その理由 も説明 していない。 - 1971
年 、塚本 邦雄 が『悦楽 園 園丁 辞典 』(薔薇 十 字 社 、1971年 )p.38で「商業 美術 といふ画壇 の特殊 部落 で、お前 はつひぞ劣等 感 を感 じなかつた」と記述 。しかし糾弾 には至 らなかった。 - 1981
年 、中野 孝次 が『文藝 』1981年 4月 号 における対談 で「闇 を意識 しないで、明 るみの中 だけで書 いていると、言葉 はどうしても特殊 部落 的 な言葉 になっちゃうでしょ、インテリ語 というか」と発言 。?秀実 はこの発言 を自己 批判 するよう促 したが、中野 はこれを拒否 。その後 、部落 解放 同盟 と友好 関係 にある野間 宏 が中野 孝次 と部落 解放 同盟 の間 に入 り、中野 を糾弾 しないよう話 をつけた、という[105]。 政界 においては野中 広務 が被 差別 部落 の出身 として有名 であるが、出身 に起因 する差別 や妬 みなどがあったと言 われている。野中 が出馬 するという説 があった2001年 の総裁 選 では、部落 出身 であるから内閣 総理 大臣 にはなれないという話 も出 てきていた(結局 野中 が所属 する平成 研究 会 は橋本 龍太郎 を擁立 した)。こうした中 、野中 は同 党 の麻生 太郎 が差別 発言 を行 ったとして名指 しで非難 し(野中 の著書 によれば、新聞 記者 からの情報 があったとされている)、麻生 が否定 するという一幕 もあった[106][107][108]。- 2010
年 、森 功 は講談社 発行 『g2』12月 号 の「同和 と橋下 徹 」で橋下 徹 が同和 地区 出身 であることに言及 。一連 の橋下 同和 報道 の嚆矢 であり、具体 的 な同和 地区 名 も挙 げていたが、部落 解放 同盟 は糾弾 しなかった。
メディアタブーと解放 同盟 [編集 ]
「
21
なお、『
地域 較差 [編集 ]
このように、
関連 事件 [編集 ]
部落 差別 狂言 ・自作 自演 [編集 ]
福井 県 高浜 町 [編集 ]
2019
「差別 落書 き事件 」取材 動画 [編集 ]
2020
脚注 [編集 ]
注釈 [編集 ]
- ^ 「
杉山 が描 いた「特殊 部落 」は、現実 におこる朝鮮 人 に対 する差別 や被 差別 部落 に向 けられる差別 を反映 したものではないのです。 この「特殊 部落 」はあくまでも杉山 が偏見 をもって作 り出 した虚構 の世界 なのです。」 - ^
提案 者 中井 一夫 、秋田 大助 、八木 一男 外 109名 提出 衆 法 第 42号 - ^ その
糾弾 会 は1回 から4?5回 までは"人格 が破壊 されかねない"ほど激 しいもので「ある時 は『差別 とは何 か、いってみろ』といわれ、あまりにも漠然 とした問 いに戸惑 っていると、『なぜ黙 っているんだ、いえないのか』とやられ、考 えがまとまらずに何 かをいうと、次 から次 へと揚 げ足 とりで突 っ込 まれる。何 をいっても吊 るし上 げられる、一事 の過激 派 学生 の大衆 団交 と同 じだったという。(略 )よく、解 同 関係 者 は『糾弾 は教育 の場 』というが、筑紫 糾弾 会 は拷問 に等 しい」と批判 している。
出典 [編集 ]
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参考 文献 [編集 ]
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